アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

März 2022

以前の記事の図表レイアウトが機種やブラウザによってはグチャグチャになるので、図表を画像に変更していっています。誤打(あるある!)の訂正や文章の見直しもしています。ドイツでもウクライナからの難民は20万人を超えました。私の住んでいる町でも7000人ほどの難民を受け入れたそうです。一刻も早い戦争の終結を願います。

内容はこの記事と同じです。

 ポーランド語で「本」を księga(クションガ)と言うと知って驚いた。これはロシア語の книга (kniga、クニーガ)にあたるはず。この語の語源自体はどうも印欧語起源ではないようだが、南スラブ語のクロアチア語でも knjiga(クニーガ)だし、確かバルト語のリトアニア語も kniga だったはずだ(多分スラブ語からの借用だろう)。下ソルブ語か上ソルブ語かわからないが、とにかくソルブ語では kniha。つまりポーランド語は他のスラブ語の n を s で対応させているわけか。

 一瞬ギョッとする音韻対応というのは結構見かけるが、これは初耳だ。
 例えばケルト諸語をいわゆる p- ケルトと q- ケルトのグループに分ける p 対 k の音韻対立など最初ワケがわからなかった。「4」を古アイルランド語では cethir と k で発音したが、古ウェールズ語では petquar、ブルトン語では pevar で、この k と p は昔同じ音だったのだ。k と p が同じ音だったなんて馬鹿なことがあるか、全然違う音じゃないかと思ったら、この元の音というのが唇の丸めを伴う k、「くゎ」だったのだそうで、「4」はもと *kwetwer-(または *kwetur, *kwetṛ)。q- ケルトグループではこの唇の丸めがとれて単なる k になってしまったのに対し、p- ケルトでは唇の丸めのほうがどんどん強化されてついに調音点そのものが唇にうつってしまったというわけだ。完全につじつまが取れているのでまた驚いた。
 またアルバニア語をゲグ方言とトスク方言という2大グループに分ける r 対 n という対立もある。アルバニア語の祖語で *-n だった音がゲグ方言では -n のまま残った一方、アルバニア語の標準語となったトスク方言ではロータシズムを起こして -r となった。で、トスク方言の emër(名前)、dimër(冬)はゲグ方言ではそれぞれ êmën と dimën

 n 対 s というのも相当なツワ者ではなかろうか。
 他の印欧語内でこういう音韻対立がみられる言語はあるのかどうかちょっと調べて見たのだが、どの本を見ても「印欧語の n は非常に安定した音であり、大抵の言語でそのまま保たれている」とある。保たれていないではないか。
 さらにこれが「本」だけの現象でない証拠に、ロシア語の князь(knjaz'、クニャージ、「公爵」)、さらにその語源のスラブ祖語 kъnędzь に対応するポーランド語もしっかり ksiądz(司祭)と s が現れている。 
  ちなみにこのポーランド語の ksiądz はロシア語で ксёндз(ksendz)という語として借用され、「カトリック神父」の意味で使われている。つまりロシア語には元々 kъnędzь という同一言語から発生した語に対して東スラブ語経由と西スラブ語経由の二単語が並存しているのだ。『5.類似言語の恐怖』の項で述べたポーランド語の miasto、mejsce と同じような感じである。
 さらに聞いて驚くなという話になるが、 「巣」、ロシア語の гнездо(gnezdo)は私の計算としてはポーランド語では gzązdo になるはずなのに(ですよね?先行する子音が有声だから同化を起こして s に対応する有声子音、つまり z になるはず)実際に現れる形は素直に gniezdo で、なぜか n がしっかり保たれている。ここの音声環境の違いは先行する子音が [+ voiced] か [- voiced] かだけだ。

 なぜだ。

 そして実はポーランド語もその他のところでは「印欧語の n は安定している」の原則を保持している。ロシア語の н (n) とポーランド語の n が対応しているのが見えるだろう。
Tabelle-39
面白いことに zginać の完了体動詞は zgiąć で、鼻音子音 n 自体は消失して [+ nasal] という素性を後続母音に残している。ą は鼻母音だ。この z は本来接頭辞だから、zgiąć は形としてはむしろロシア語の согнуть の方に対応しているのだろうか。さらに ą は [a] でなく [ɔ] の鼻音だから、ロシア語の u 対古教会スラブ語の õ、例えば мудрость (ロシア語、「賢さ」) 対  mõdrosti (古教会スラブ語、「賢さ」) の対応と完全に平行している(『38.トム・プライスの死』参照)。

 ついでに「雪」は

снег (ロシア語) - śnieg (ポーランド語)

だから、ポーランド語で [n] は先行子音の上に同化現象を誘発して s を [+ palatal] とさせ、ś に変化させているわけだ。

 本来ことほど左様に力の強い鼻音歯茎閉鎖音が kn の時に限って、しかもポーランド語に限って ks となるのは何故なのだろうか? 気になって仕方がなかったのでポーランド語の音韻に関する本を借りてきて見た。Zdzisław Stieber という人の "A historical phonology of the Polish language" という本で、1973にハイデルベルクで出版されたものだが、モロ命中したのでちょっと紹介させてほしい。ここの50~51ページに次のような説明がある。 時々字の上についている「'」という印はその音が口蓋化されている、という意味でわざとついているのであって印刷のシミなどではない。

1.12世紀か13世紀にかけて古ポーランド語で kn' が kś に変化した。ただし *kъnęzь 及び *kъnęga の2単語に限られる。kъnęga(古教会スラブ語では kъn'iga)の ę が鼻母音になっているのはおそらく kъnęzь からの類推。 

2.1204年にトシェブニッツァ(Trzebnica、ドイツ語では Trebnitz、トレブニッツ)で書かれた文書ではまだ Knegnich という地名が見える(現代ポーランド語では Księgnica)。

3.1232年の資料では Cnegkenits と記録されていた地名が1234年には Gzenze、1298年には Xenze、1325から27年にも Xenze。これは現ポーランドの Książ Wielki である。

4.この音韻推移は古カシューブ語も被っていたことが、ksic(神父)という語に認められる(その単数属格形は ksëza で、ポーランド語の ę との対応がカシューブ語に特徴的)。

5.ポーランド語、カシューブ語以外では kn' → kś という音韻推移は確認されていない。

6.一方ポーランド語内部でさえもこの推移が完全には浸透しなかったことが、1953年の「古ポーランド語辞典」に knieja(森の一部)、kniat(マリーゴールドの一種)などの語が報告されていることからもわかる。前者は14世紀の終わり、後者は15世紀に記録されたものである。

7.カシューブ語の方も knižka,、knëg、knéga、 kniga という形が最近になるまで残っていた。

8.kn' が kś に代わった原因は無声音 k の後で n' が無声化し、それに伴って音価が弱まったためであろう。ポーランド語では無声の r、m (m')、n、n'、l、l' は発音が弱まるからである。

 1で述べられている「司祭」と「本」の2例を全く人の手を借りずに最初から自分で思いついた私はひょっとして言語学のセンスがあるのではないかと一瞬思いそうになったが、せっかくその例を思いついておきながらこれを単純にも n 対 s という音韻推移だと解釈したことで、そもそものスタートからハズれていたことがわかり、むしろ才能がないことが暴露された感じ。これは n 対 s の対応ではなくて  kn'  対 ks'、つまり口蓋化された n から口蓋化された s への推移だったのだ。もしこれが口蓋化されていない普通の n だったらこの推移は起こらなかったかもしれない。というのは(才能もないくせに)そこで唐突に思いついたことがあるのだ。ロシア語ではドイツ語と同じく語末の有声子音は無声となるが、時々ソナントの r まで無声化するのを聞いたことがある。しかし気を付けてみると無声化するのはもっぱら口蓋化された r、つまり рь で「普通の」 r はしない。試しに自分で発音してみると царь 「皇帝」の рь は楽勝で無声化発音できるが、директор「支配人」だとできない。口蓋化音は無声になりやすいのかもしれない。
 この本の著者は8で私が上でわからないわからないと大仰に騒ぎ立てた gniezdo の謎も一発で説明してくれていて、やはり専門家は違うと脱帽したのだが、それによるとポーランド語では非口蓋のソナントまで無声化するらしい。言語事実は私の発音能力を完全に凌駕している。語末の r 以外の無声のソナントというのはちょっと想像を絶する(どうやって発音するんだ?)。脱帽するのはポーランド語という言語そのものにもだ。


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 外国語の教科書で「こんにちは」や発音練習といった舌の訓練のあと最初に出てくる構文は「A = B」のコピュラ文ではないだろうか。古い話だが中学の英語の教科書も最初の文は this is a pen だったし、ドイツ語でも Christoph ist Student(「クリストフは学生です」)とかそういうものだった記憶がある。これは学ぶべき外国語というのが大抵英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語等の印欧語だった時代(今でもそうだが)の教科書構成をそのまま非印欧語にも持ち越したからではないだろうか。印欧語ではコピュラは動詞だからまずその最重要な動詞を覚え、次の段階で「読む」とか「見る」など頻繁に使われる動詞に進む。後者が先で不規則動詞のコピュラはその少し後という構成の教科書もあるが、極めて早い段階で I am a cat というタイプの文が出てくることには変わりない。コピュラ文はもっとも構造の単純な文だからである。
 それでもロシア語はちょっと注意を要する。現在形のコピュラが省略されて主語と Prädikatsnomen のみの文となるからだ。それで A is B は単に間にハイフンをいれたA – Bという形になる。「私はカモメ」は я  –  чайка で、я  が「私」、чайка が「カモメ」、どちらも主格である。ところが A is in B などもコピュラがないわけだから同様に主語と述部だけからの構成となり「彼はアメリカにいる」は он в Америки だが、そういう場合は述部に前置詞が現れる上、ハイフンをつけないのすぐわかる。またコピュラ動詞が「存在する」という意味で使われる場合もハイフンをつけない。例えば мне сто лет(「私は100歳です」←「私には100年ある」)では「私」が与格、「100年」が主格。さらに『107.二つのコピュラ』でも書いた通り過去形では Prädikatsnomen が造格になることもあるが、過去形だとコピュラを省略しないのでやはり区別がつく。注意は要するが文構造の解釈そのものは難しくない。
 なおここで Prädikatsnomen とわざわざドイツ語にしたのはキッチリした訳語がないからだ。「述部」あるいは「述語」と言ってしまうとコピュラ以外の動詞、例えば I read a book の read a book が当てはまり、これは他動詞と目的語だ。上の в Америки も「述部」である。コピュラ以外の動詞がカテゴリに入ってしまうことは「補語」という用語ともそうで、They call him Django の Django は「補語」だが Prädikatsnomen ではない。「コピュラ動詞が「存在する」の意味でなく使われている文の主語以外の部分」をビシッと表わせる語がない。「述詞」という語が一番ふさわしいかもしれないが、中国語にそういう言葉があり(当然)意味が違うので誤解を招く。Prädikatsnomen と呼ぶしかない

 さてその「A = B」は日本語でも最初に練習させられる。「私は学生です」「私は田中です」「あの方は佐藤さんです」などだ。持って行き方としては印欧語の教科書と並行していてある意味とっつきやすいのだが、実は重大な問題があると私は思っている。「私は田中です」は Ich bin Tanaka あるいは I am Tanaka ではないからだ。
 自己紹介や「あなたはどなたですか?」と聞かれたときの I am Tanaka は「私は田中です」でよろしい。そしてそれがまあスタンダードな発話状況だから「I am Tanaka = 私は田中です」という図式が印欧語の母語者にこびりついてしまう。しかし例えばこういう状況を想像して見てほしい:部屋に何人か人がいる。そのうちの一人が田中さんであることが私にはわかっている。しかしどの人だかわからないので聞く、「どなたが田中さんですか」または「田中さんはどなたですか?」。すると一人が手をあげて I am Tanaka と答える。これは「私田中です」ではない、「私田中です」だ(「私です。」「田中は私です」などの回答もありうるがここでは省く)。前者の「私」はトピック、後者は単なる主格である。つまり日本語では疑問代名詞で聞かれた要素、いわば変数に代入する定数はトピックにしてはいけない。別の言い方をすれば語用論でのサブジェクトと文法上のサブジェクトを日本語では明確に区別し、ここを間違えると会話が躓く。
 例えば「どなたが田中さんですか」と聞いたとき誰かが「私田中です」と言ったとしよう。これは厳密に見ると非常に失礼な発言である。まず第一に「誰が田中か」という質問に答えていない。答えに「誰」に代入できる情報がないからである。第二に相手の質問を無視したうえ、自分が新しいトピックを立ててしまっている。つまり「誰が田中かなんてことより私が自分について話します」というシグナルだからだ。もちろん「田中」という名前が共通しているから聞いた方も意味を汲んで、「あんたのことなど聞いてない」とは思わない。「私田中です」を「私田中です」と解釈し直して会話は修復できる。それでも修復作業は必要なわけで、とにかく一瞬会話の流れがモタつくことは確実だ。
 最初に「I am Tanaka =私は田中です」が定着してしまい、トピックを見るとパブロフの犬のように自動的に文の主語、つまり主格と解釈する癖がついてしまったりトンチンカンな所でいつも「は」をつけられたりするとモタつくのは一瞬では済まない。石ころだらけの道、バグまみれのプログラムのようで会話が途中でアベンド(なんて言葉をご存知の方まだいますか?)する。
 この辺は最初にガンと釘を刺しておいた方がいいのではないだろうか。『58.語学書は強姦魔』でだしたロシア語の先生ではないが、下手に事実を説明すると初心者が混乱するからと言って黙っていることはかえって不親切なのでは?「変数に代入する定数はトピックマークしてはいけない」「トピックは格については中立で自動的に主格解釈してはいけない」、この2点だけはなるべく早い時点ではっきりさせておくべきだと思う。第二点の「トピックは格について中立」についてはちょっと学習の進んだ時点で習うは習うが、やはり最初にいっておいたほうがいいのではないだろうか。でないと後になって「その本は昨日読みました」という文にぶつかったとき、頭で説明は理解できても最初にプリントされた「は=主語・主格」という呪縛から逃れきれないからだ。それこそ「初心者が混乱する」。始めからしつこく「トピックは格が表現されていないからトピックを見たら必ずセンテンス全体を見まわしてその格を再建しろ」と脅して(?)おくのはむしろ今後のためだ。例えば

その本もう読みました。

ではトピックの「本」は対格で「を」で代用しても文のロジックは変わらない。

その本もう読みました。

また「電車は遅れています」のトピック「電車」は主格で

電車遅れています。

と同じロジックである。『65.主格と対格は特別扱い』でも述べたが、主格と対格がトピックになる場合は必ず格マーカーが削除される。

基本構造:その本もう読みました
→ トピックマーク:*その本をはもう読みました
→ 格マーカー削除:その本(を)もう読みました
→ 出来上がり:その本もう読みました

変形生成文法の安物バージョンみたいな図式で恐縮だが、中間の「その本をはもう読みました」は非文である。主格も同様で、

基本構造:電車遅れています
→ トピックマーク: *電車がは遅れています
→ 格マーカー削除:電車(が)遅れています
→ 出来上がり:電車遅れています

主格対格以外の斜格ではトピックマーカーと格マーカーが共存できる。

田中さんには昨日会いました。
ハイデルベルクには昨日行きました。
地下鉄ではアメリカまで行けません。
ここでは煙草が吸えます。
ここにはスーパーができます。
田中さんとは明日話します。

トピックはそれぞれ与格、方向格、具格、動作処格、存在処格、共格である(『152.Noとしか言えない見本』参照)。私の感覚では共格はトピックと共存できるどころか、共存しないとおかしい。

田中さんは明日話します。

だと田中さんが主格なのか共格なのかわからない、というより主格解釈が強すぎて共格解釈が成り立ちにくい。呼格についても前に少し述べたが(『90.ちょっと、そこの人!』参照)、トピックの格中立性が飲み込めていないと

田中さんは日本人ですか?

という文が多義であることがわからない。主格解釈と呼格解釈が可能だからだ。つまり Is Mr. Tanaka a Japanese? と Mr. Tanaka, are you a Japanese? の違いである。言い換えるとトピックのある文は厳密には全て省略文なのである。コピュラ文に戻ると、「私田中です。」は素直に

I am Tanaka.

だが、「私田中です」は

About me, (I am ) Tanaka.

で、括弧内は言語そのものには表現されない聞き手による解釈・再構築で、つまり後から加えられた部分。語用論に属するもので言語の構造そのものには属していない。聞き手はいちいち言語状況によってこの部分を再構しないといけない。同様に「その本はもう読みました」は

About the book, (I) already read (the book) yesterday.

で括弧内は聞き手が付け加えたもの。さらに「田中さんは日本人ですか?」は

About Mr, Tabaka, (are you) a Japanese?

括弧内の再構に加えて指示対象の同定が出来ないといけない。つまり「田中さん」と「あなた」、ということは聞き手にとっての「私」が同一のシニフィエであることが理解できないといけない。これを普通

About Mr, Tabakai, (are youi) a Japanese?

と表し、名詞の後ろに小さくつけた i が i = i  という意味に同一指示対象であることを示している。

 とにかく「は」が出てきたら文の残りをよく見て格構造を再構しろというのが日本語の始めの一歩。これがわからないと全く先に進めない。はずなのである、本当は。
 
 もっともこの「トピックの格構造を再構しろ」という言い方も実はそれこそ「初心者を混乱させないように」簡単にはしょって説明する言い方で、理論的にはトピックと残りの文の間にはロジック関係、つまり格の関係すらもない。『99.憲法9条を考える』でも出した久野暲の例だが、

太郎は花子が家出した。

という文。普通の人なら非文解釈をするだろう。しかし太郎と花子が夫婦であると知っている人にとってはこの文はOKとなる。「太郎」と「花子が家出した」の関連性が見て取れるからだ。私はこれがトピック、「は」の本質であると思っている。トピックと残りの文を結び付けられるかは厳密には個々の状況、個々の話者にのみかかっていて、文法上の関連性はない。ただ、「結びつけやすさ」にいろいろな段階があるだけである。トピックが文の中の一要素、特に力の強い主格と解釈できる場合は誰にでも容易に意味がとれる。それで教科書の最初にも「私は田中です」が出てくるのだ。それが対格、与格と順位が落ちるに従って関連付けがしにくくなり、しまいには上の太郎と花子の例のように特定の知識がないと関連付けができなくなる。しかしそれはあくまで実際の言語運用上の問題であって、文法上の問題ではない。

 これは日本人にも関連付けが難しい例だが、三上章(だったと思う)の有名なセンテンス、「僕はうなぎだ」は普通の日本人なら背景知識がなくてもすぐにわかる(『49.あなたは癌だと思われる』参照)。レストランでメニューを決めるとき、一緒にいた人が「君は何にする?」と聞く。それに答えて「僕はウナギだ」「私はステーキよ」「俺はビールだ」。皆普通に言っている。上で述べたようなパブロフの犬にはこんな簡単な文がわからないから「君はウナギか、じゃあ出身地は浜名湖なのか」とか聞いてきかねない。ここの「僕、私、俺」は主格ではない。無理やり格を考えろと言われたらまあ「与格」とかの解釈もできないことはないが、これも久野暲の文と同じく、トピックは文の格構造の要素ではないと見たほうがいいだろう。(What) I (want to eat), is eel という省略文だ。このタイプの文は日本語にはゴロゴロあって、

春はあけぼの
(In) spring (it is) the dawn (that is most beautiful).

チョコレートは明治
(The best) chocolate is (made by) Meiji.

括弧の中は「聞き手の解釈」である。言い換えると「あとから付け加えられた部分」であって、もともと文の一部であったものが文構造内のノードをよじ登ってトピック・ポジションまで出てきたという生成文法系の人がやる解釈とは実は方向が逆なのではないだろうか。文の構成要素とは関係なく最初から与えられたトピックを受け取った聞き手が文の中を探し回り、該当する要素があればそれをトピックと解釈する、特に該当する要素がなければないで文全体の記述内容の意味となんとか結びつける。私はそれがトピックだと思っている。

 ここまでで普通の印欧語話者は十分キツイと思うが、さらにトピックばかりでなくコピュラ文のPrädikatsnomen の方も基本的に格に中立と強調しておかないと、

私は学生です
山田さんは今アメリカです。
試験は12月15日です。

と述部にウザい格マーカーをつける羽目になる。特に二番目の文は「山田さんは今アメリカです」正しく言われると理解できない人もいる。この文が Mr. Yamada is now (in the) US.と、述部の格(処格)が表現されない構造であることが心にしみ込んでいないからだ。アメリカならまだいいが、これが

山田さんは今福島です。

になると山田さんは今福島という名前になっているのかと勘違いしかねない。
 なお上で「基本的には」と書いたのは一部の斜格が強調表現として Prädikatsnomen に現れ得るからだが、

コンサートはハイデルベルクですよ。
東京に行ったのは飛行機です。
試験は12月15日に東京です。

などの文では、最初の文は最後に助詞の「よ」をつけたことでもわかるように、「他の町ではなくてハイデルベルク」「念を押しておきたいがハイデルベルク」という強調表現、二番目の文は名詞化の助詞「の」があるやはり強調表現、最後は Prädikatsnomen に異なった二つの格が現れるのでそれをはっきりさせるためで、安易な言い方で申し訳ないがいわゆる有標表現ではないだろうか。



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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事は2022年2月26日の南ドイツ新聞印刷版とネット版に同時にのったウクライナ戦争ついての論説です。ロシアのインテリ層の声が聞けて興味深いのでご紹介。記事の原題は Putin ist geliefert です。

全部見るにはアーカイブの有料使用者となるか、無料の「14日間お試し期間」に登録する必要があります。でもサイトをクリックするだけなら別にお金をとられたりしません
念のため:私はこの新聞社の回し者ではありません。

文:ウラジーミル・ソローキン(作家)
1955年モスクワ生まれ。同世代の最も重要な作家の一人。最新作「赤いピラミッド」が Kiepenheuer & Witsch 社から出たばかり。

ソローキン氏。ウィキペディアから。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=632478による
Vladimir_sorokin_20060313-2

 2022年2月24日、プーチンがここ何年もずっとまとっていた「啓蒙専制君主」という外皮が剥がれ落ちた。全世界がこの怪物を目にした。妄想に取りつかれた残酷な怪物。この化け物は絶対的権力、帝国主義的な攻撃性と憎しみに酔い、ソ連終焉のルサンチマンと西側の民主主義に対する嫌悪に駆られながら、徐々に育っていっていたのだ。今後ヨーロッパの相手はこれまでのプーチンではなくなる。もう平和共存など望めない新しいプーチンに対処することになるのだ。
 どうしてこんなことが起こり得たのか?
 ピーター・ジャクソンの3部作「ロード・オブ・ザ・リング」の終わりにこんなシーンがあった:フロドが中つ国の住民にあれだけの苦しみをもたらした権力の呪われた指輪を灼熱の溶岩の投げ込まねばならないところで突然翻意したのである。自分が指輪をはめようとする。指輪の魔力にやられてその顔が変わる。それがどんな怪物になるか、すでに予想がつく。力の指輪のほうが今度はフロドを支配するようになるだろう…
 1999年に病気のボリス・エリツィンに王座に就かせて貰った時、プーチンは好感が持てる感じ、それどころ魅力的でさえあった。話のレトリックも理性的だった。頭のいい、でも傲慢不遜なところのない官吏がここ、権力のピラミッドの頂上に上りつめたと思った人も多かった。ポストソ連のロシアには民主主義への道を歩む以外将来はないことを理解している近代的な人だと思ったのだ。当時プーチンはインタビューで民主主義を口にし、ロシア連邦の市民には改革、自由選挙、言論の自由、人権の保持、西側との協力を約束した。何よりも「自分は玉座にいつまでもしがみつくつもりはない」と保証した。
 よく知られているように、ロシアでは君主のやることなすことをそのまま信じる。ゴーゴリが『死せる魂』で書き表わしているように、この君主様という人は「あらゆる点から見て好ましい」ものなのである:率直で、他人を理解しようと努力し、正直で、しかもユーモアがあって自分にもアイロニーを向ける…
 現在プーチンと熾烈に対抗している政治家、インテリ、政治工学の専門家が当時は氏を支援していた。次の選挙に勝つ必要があったときその参謀本部のメンバーだった者も多い。作戦は成功だったが、しかしその時すでに指には運命の指輪がはまってしまっていたのだ。その人物は一段また一段と倒錯していき、化け物皇帝となる。
 ロシアでは今も昔も権力はピラミッド型の構造だ。このピラミッドは16世紀にイワン雷帝が構築した。妄想に取りつかれ悪徳にまみれた残忍な皇帝だ。護衛兵オプリーチニナの助けを借りて皇帝は権力と民衆、つまりこちら側とあちら側との間に血まみれのクサビを打ち込んだ。イワンはそういうやり方でしかロシアは御せないと確信していたのだ:占領しろ、自分の国の占領者たれ。必要なのは残忍で国民には見通せない権力だ。ピラミッドの頂点立った者があらゆる権利、絶対的な権力を有するのだ。
 逆説的に聞こえるかもしれないが、ロシアのこの権力原理は500年以来変わっていない。私はここに我が国の決定的な悲劇を見る。中世のピラミッドはこんにちまで受け継がれている、いくら表面が変わっても構造そのものは古いままだ。上に立つのは常に独裁者:ピョートル一世、ニコライ二世、スターリン、ブレジネフ、アンドロポフ。そして今はプーチンが20年以上鎮座している。自分のかつての約束に反して氏は王座をしっかり握っては離さない、必死にそれにしがみつく。ピラミッドがそこで君主に毒を吹き込むのは必然だ。君主とその家臣に前時代的な雰囲気をたらしこむ:貴方たちはこの国の支配者、ここを無事に治めるにはあらゆる厳格さをもって臨むしかない;権力がいかがわしければいかがわしいものであるほど権力者もまた厳格で気まぐれであれ;貴方たちには全てが許されている。民衆の間に不安と混乱を呼び起こせ。民衆に貴方たちを理解させてはいけない、ただ恐れさせよ。最近の出来事から判断すればプーチンはロシア帝国を再構築しようという考えに完全に憑りつかれているようだ。
 エリツィンは当時、ペレストロイカの最盛期に権力の座に就いたとき、残念ながらこの中世的なピラミッドには手を付けなかった。表面をちょっといじっただけだ:古臭い、無味乾燥な灰色のソビエトコンクリートで覆う代わりに色とりどりに西側製品の広告版をベタベタ張った。エリツィン自身はこのピラミッドのおかげで人格のマイナス要素が強化されてしまったようだ - 強情、粗野、アルコール中毒がそれだ。その顔はがさつで傲慢な、硬直した仮面となった。権力の座への即位に際しエリツィンは、「ロシア連邦に背きたくてたまらない」チェチェンに対する無意味な戦争を焚きつけた。イワン雷帝の作り上げたピラミッドは一時は民主主義者であったエリツィンをそそのかして帝国主義者にしてしまったのだ。その帝国主義者がチェチェンに戦車を送りチェチェン人に計り知れない苦しみをもたらした。
 エリツィンもその周りのペレストロイカ活動家もこの致命的なピラミッドを取り崩すのに失敗したばかりでない。1950年代にナチの死体を土に埋めた戦後ドイツと違って、彼らはソ連の過去を葬ることさえしなかった。この怪物、何百万人も人々を破滅させ、国を70年も後退させたこの怪物の死体はまだ隅に横たわっている。そこで朽ち果てろというのだ。しかしその死体は中々しぶとく腐りもしないことがわかった。現にプーチンが権力の座に登るや否や変貌を開始したではないか。
 TV放送局NTVはつぶされた。番組はプーチンの仲間の手の内に入った。その後TVでは厳格な検閲制度が敷かれ、プーチンに対してはいかなる批判もできなくなった。ロシアで最も成功した企業の社長ミハイル・ホドルコフスキーは逮捕されて10年間刑務所行きになった。その会社ユーコスはプーチンとグルになった会社に蹂躙された。この「特殊作戦」は他のオリガルヒに脅しをかけるために取られたものだ。そして成功した。オリガルヒの何人かは国を出、国に残ったものはプーチンに屈従。さらにその何人かは氏の「カバン持ち」にさえなったからだ。
 ピラミッドは触らなくてもひとりでに振動した、時間が止まった。まるで大きな流氷の塊のように、国は流されて過去に逆戻りしていった - まずソビエト連邦時代に、それからさらにとうとう中世まで流されていったのだ。
 ソ連の崩壊は20世紀最大の災害だったとプーチンは言った。何百万人もの死者を出したスターリンの赤い車輪に上を転がっていかれなかった家族などなかった国で、理性を保っていた人たちにとってはむしろ幸いであったとは言わないのである。プーチンは自分がかつてそうだったKGBの職員から脱皮しなかった。ソビエト連邦は進歩的な人類にとっての希望であり、西側は我々ロシア人を冒涜しにやってきた敵だと徹底的に吹き込まれたKGB職員そのままだ。タイムマシンを過去に戻すことによって、プーチンはしごく居心地の良かった若い頃のソ連にいると脳内妄想する - その後すぐに自分の家臣にも自分と一緒にあそこに戻れと強制したがった。
 このピラミッドの最大の問題点はトップに座っている者が自分の身体・精神状態を国全体に敷衍させてしまうことだ。イデオロギーとしてのプーチン主義はごたまぜ主義だ:全ソ連市民の誇りをくすぐる裏で封建的な倫理観が顔を出す。プーチンの中ではレーニンも帝政ロシアも正教もいっしょくただ。
 プーチンの大好きな哲学者がイワン・イリーンである:君主制主義者でナショナリストで反ユダヤ主義者で白人主義運動のイデオローグで、1922年にレーニンに追い出され、亡命地で人生を終えた。ヒトラーがドイツで権力を握ったときイリーンは心から歓迎した。ヒトラーが「ドイツのボリシェビキ化」を食い止めた由で:「ここ3か月に起こった出来事を対してドイツのユダヤ人の観点から判断を下すことは断固拒否する」とイリーンは書いている。「何かというと話し合いで解決というお題目を唱えだす面々がかけた自由民主主義とかいう催眠術から覚醒したのだ」。ヒトラーがスラブ人を2等級の人種と言い出すにいたって初めてイリーンは気を悪くした。批判表明してゲシュタポの手に落ちたが、セルゲイ・ラフマニノフが保釈金を払って解放してやった。その論文でイリーンはロシアでボリシェビズムが倒れた後、ロシアを立ち上がらせることのできる総統のような存在が出現してくれないかと希望表明している。
 立ち上がるロシア、これがプーチンとプーチン主義者のお気に入りのモットーだ。最近の「レーニンが作ったウクライナ」という言いまわしにもイリーンが見え隠れする。本当はレーニンが独立国家ウクライナを作ったのではなくキエフのウクライナ中央議会が作ったのだ。1918年1月、レーニンが憲法議会を解散した直後のことだ。だからウクライナという国はレーニンの「功績」などではない、その攻撃性の帰結というのがせいぜいのところ。だがイリーンは「もしロシアの権力がボリシェビキに習って反民族主義、国家の敵になり下がれというのなら、外国人にへつらい、国をバラバラにし、愛国無脳、あちこちにたむろしている小ロシア人、レーニンが国をくれてやった小ロシア人抜きの、ロシア民族大国家の利益だけを考えるなというのなら、革命は終わらないだろう。次に来る段階は西側の退廃にやられて滅亡だ。」と確信していた。
 「プーチンの下でロシアは立ち上がった!」信奉者たちが得意げに口にするのを聞く。もしロシアが本当に立ち上がったらそのあとすぐまたコケて四つ足になるよ、と誰かが茶化していた。賄賂、権威主義、お役所の専断、貧困の四つ足さ。
 そのうえさらに戦争まで付け加えてよろしい。
 この20年間でいろいろなことが起きた。この大統領の顔もまた硬直して辛苦、怨恨、不満を発散する仮面となった。主要なコミュニケーション方法はウソである - 小さいウソ、大きなウソ、見え透いたケチなウソ、原則として皆ウソ、ありとあらゆるニュアンスをつけて様々な暗示を自動的に発動させるウソ。ロシア人はとっくにこの大統領のウソ修辞学に慣れているが、残念ながら欧米人にも受け入れられてしまった。わざわざクレムリンに飛んで来て大統領のウソ織りから自分の分をわけてもらい(先日もあの徹底的に偏執病的なテーブルでウソを授与してもらっていた)、ウソを常にフンフンと鵜呑みにし、記者会見で「建設的な会話」とやらをブチあげてまた帰っていったヨーロッパの国の元首は一人だけではない。
 こんな指導者と話をすることにいったいどんなの意味があるのだろう?作家や芸術家ではないのだ、現実の世界で生活し、自分の吐いた言葉にはすべて責任を追うのが筋だ。東ドイツ育ちでプーチンの本性を見抜いていたメルケル氏は16年も「会話を通そうと」試みた。その会話とやらの成果がジョージア領の占領、クリミア併合、ドネツク&ルハンスク人民共和国とやらの占領だ。さらに東ウクライナの戦争がプラスされる。
 プーチンの内なる怪物を育てたのは権力のピラミッドだけではない、まるで皇帝が太守に対するようにプーチンが折に触れてそのテーブルからオイシイ厚切り賄賂を投げてやっていた、買収されたロシアのエリートもである。エサをやっていたのは無責任な西側の政治家もだ。したり顔のビジネスマン、買収されたジャーナリストに政治工学の専門家、それらもだ。首尾一貫した強い支配者だ!それが皆を魅了したのだ!「新しいロシアのツァーリ」 - ヴォートカやキャビアのように景気がつくぞ。ここ何年か私はドイツで何回となく「プーチンの理解者」に遭遇した。タクシードライバーからビジネスマン、大学教授まで多岐にわたる。68年運動を経験したさる老人が信奉表明したことがある:「君らのプーチンは好きだよ。」 - 「なんでまた?」 - 「プーチンは強い。考えていることを口に出すからね。それに反アメリカだ。ドイツの軟弱者めらとは違う」 - 「でも賄賂があんなに横行し、事実上選挙の独立した法廷も存在せず、対抗する者は粛清され、地方は悲惨な状態で、ネムツォフは殺される、TV局はプロパガンダ機構に落ちぶれる、ロシアがそんな国であることは気にならないんですか?」 → 「ならないね。それはあくまでロシアの内政問題だろう。ロシア人がそれに抗議しないということはつまりりプーチンが好きだということだ。」
 鉄のロジック。1930年代のドイツを経験しているのにヨーロッパ人は少しも利口になっていないようだ。
 しかしヨーロッパ人の大部分はそんなではないと思う。独裁主義と民主主義の違い、戦争と平和の違いはわかっているのだ。プーチンはそのウソ製造機を駆使してウクライナ奇襲を「ウクライナの侵攻者」に対する「特別作戦」と名付けた。その心は:「平和を愛する」ロシアが「ウクライナの軍事独裁政権」からクリミアを取り上げ東ウクライナに戦争をふっかけてやった後、さあ今度は国全体を手にするぞ。」 スターリンが1939年にフィンランドにやった手とほとんど同じだ。
 プーチンはそもそも全人生が「特殊作戦」だ。KGBの黒徽章から受け継いだのは「普通の」人々、常に何もかも飲み込む怪物国家ソビエト政権にとって何処へでも勝手に動かすことのできる単なる塊でしかなかった人々への軽蔑ばかりではない、チェキストが誰でも持っていた基本原理も受け継いだ:決してオープンに話をするな。全てが機密事項でなければいけない。個人生活も家族も習慣も。だがしかし:この戦争でプーチンが越えてはいけない一線を越えてしまった。仮面は剥がれ落ちた。ヨーロッパで戦争が押し進められた。プーチンがその侵攻者だ。ヨーロッパはその破壊作用や犠牲者を嘆くことになるだろう。戦争の火付け役は絶対権力に堕落し、世界地図を描き変えようと決心したさる人物である。その人物は木曜の夜の演説で「スペツォ・オペラツィヤ」(特別作戦)をぶち上げたが、その演説に詳細に耳を傾けてみれば、その中でアメリカやNATOのほうがウクライナより頻繁に名指しされていることがわかる。最近やったNATOへの「最終通告」とやらを思い出すではないか。狙いはウクライナでなく西側文明だったのだ。西側文明への憎しみをその人物はKGBの黒い乳と共に吸い込んだのだ。
 こうなったのは誰のせいだ?我々だ。我々ロシア人のせいなのだ。この罪を我々はプーチン政権が崩壊するまで背負っていかねばならない。崩壊はやってくるだろう。自由ウクライナへの襲撃はその終わりの始まりである。
 プーチン主義は没落するのが運命だ。なぜなら氏は自由の敵、民主市議の敵だからだ。今回それが皆よくわかったろう。プーチンは自由な民主主義国を、ただその国が自由で民主主義と言うだけの理由で襲撃した。プーチンは年貢の納め時だ、なぜなら自由世界、民主主義世界は氏の陰鬱で嫌悪を催すケチな板囲いより大きいからだ。年貢の納め時だ、なぜなら氏は新しい中世、賄賂、嘘、人間の自由への軽蔑、そういったものをもくろんでいるからだ。プーチンは - もう過去のものだからだ。そして我々は、この怪物が永久に過去のものになるよう、できるだけのことをするべきだ。


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