アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Januar 2022

 日本もそうだが、ドイツ語にもいろいろ方言があり、少し慣れてくるとだいたいどの当たりの訛かわかるようになる。訛と言ってもネイティブの訛は外国人が訛っているのとは質が違うのですぐ見分け(聞き分け?)がつく。ドイツ語のネイティブだと「ケルンのあたりだな」とか「フライブルクだ」とか具体的な地域まで当てる人がいるが、もちろん私のような非ネイティブにはとてもそんな細かい芸当は無理、あくまで「だいたいあの辺」である。そもそも私は日本語の方言だって細かく広島と奈良、長野を新潟を区別したりはできない。その「だいたい」だが、私は南ドイツ、バイエルンからオーストリアにかけてのドイツ語、東ドイツのドイツ語、あと北ドイツともう一つ南西ドイツの方言は聞き咎めることができる。もちろん少なくとも私には方言色が全く感じられない、「標準ドイツ語」としか言いようがない話し方をする人も多い。この北、東、南、南西に標準語を加えた5つで、長い間耳に入るドイツ語は全てカテゴリー化できているつもりでいたのだがある時知り合いの話すドイツ語がこのどれにも当てはまらないので驚いた。その人は標準ドイツ語の発音からはやや乖離があるのに外国人などではなくあきらかにネイティブのドイツ語だったのである。
 さらにどうもそのドイツ語の響きはどこかで聞いたことがあるような気がしてずっと考えていたのだがどうしても思い出せないでいたところ、ある時突然思い当たった。ルクセンブルク人の前EU議会委員長、ジャン・クロード・ユンカーがちょうどこういう響きのドイツ語を話していたのだ。さらにこれもルクセンブルクの首相ジャン・アッセルボルン氏も似た響きのドイツ語だ。それで一瞬その人はフランス語とのバイリンガルでドイツ語がその干渉を受けたのかと思った。フランス語訛のドイツ語、つまりフランス語モノリンガルの人が外国語としてドイツ語を勉強したのとは全く違う響きだったので独仏どちらも母語なのかと。それにもしその人がズバリルクセンブルク人だったら最初に自分からそう言うだろうから、そういう話をしなかったということはルクセンブルク人ではない、例えばパリ育ちのドイツ人とか、片親がフランス人とかそういうのかと思ったのだ。だがそんなことを聞きただすのも失礼なのでそのままにしておいた。

ジャン・クロード・ユンカー氏のルクセンブルク語なまりのドイツ語。

EUの外務大臣アッセルボルン氏もルクセンブルク語なまり。インタビュアーの標準ドイツ語と比較してみてほしい。

 
 するとある時また何となく雑談をしていたら、その人が「自分は実はルーマニアの生まれだ」と言い出したので再び驚いた。『119.ちょっと拝借』でも書いたようにルーマニアのジーベンビュルゲン地方、日本語で言うトランシルバニアにはドイツ人のディアスポラがありすでに中世のころからドイツ人がドイツ語で生活していると聞いてはいたが、そのジーベンビュルゲン・ドイツ語そのものは耳にしたことがない。私が以前会ったルーマニア・ドイツ人の発音は事実上ドイツ育ちだったからか標準ドイツ語以外の何物でもなかった。ルーマニアとルクセンブルクでは方向が正反対、自分の方向音痴ぶりに愕然としていたら、その人がさらに話をつづけてこう言った。「私の育った言葉ね、ドイツの西の方、モーゼルのあたりとかルクセンブルクとかの方言と同じなんですよ。あの辺の人が話してる言葉全部わかっちゃう。昔ジーベンビュルゲンに移住していった先祖ってあの辺の人たちなんです」。三度目の驚き。そこで家に帰ってちょっと調べてみたら本当にいろいろなところにそう書いてある。しかし文献で読むのと当事者ネイティブから生の話を聞くのとではインパクトというか有難みが全然違う。
 
 ルクセンブルク語はドイツ語の西フランケン方言、別名モーゼル・フランケン方言と言われるグループに属し、リプアーリ方言(別名北中部フランケン方言。ややこしい名前だ)といっしょに中部フランケン方言というさらに大きなグループを形成している。モーゼル・フランケン方言に属するのはルクセンブルク語の他にロートリンゲン方言とジーベンビュルゲンドイツ語。この中部フランケン方言はさらにライン・フランケン方言群といっしょに西・中部ドイツ語という大グループとしてまとまっている。『117.気分はもうペンシルベニア』で述べたペンシルベニア・ドイツ語のもとになった方言もこのライン・フランケン方言に属するプファルツ方言だ。西中部ドイツ語というのがあるのだから東中部ドイツ語という方言群も当然あって、旧東独、ライプチヒやベルリンの言語もそこに含まれる。ドイツの真ん中を帯のように東西に横切っている方言群だ。

ここではモーゼル・フランケン方言とルクセンブルク語が別の色になっているが、1,2,3が中部フランケン方言。ウィキペディアから。
Von Brichtig - Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20073642
Mitteldeutsche_Mundarten
 このモーゼル・フランケン方言が話されている地方は中世からずっと言語的にも文化的にもフランスと接していた地域なのでロマンス語の影響を強く受けている。そもそもライン川の西部は古くはローマ帝国の領域で今日に至るもライン川東部、つまりドイツの大部分とは微妙に雰囲気が違っている。大雑把過ぎる聞い方かもしれないが、陰気でやや田舎っぽいドイツの他の地域に対し、ライン川の西には陽光が指している感じなのだ。モーゼル・フランケン地方ばかりでなくプファルツ地方もフランスに近いことが何となく感じとれる。このプファルツとアルザスも独仏の間を揺れた地方だが、ドイツ(プロイセン)とフランスが奪い合いをしたため領土ばかりでなく言語的にも所属が明確になった。アルザスの公用語はフランス語、プファルツではドイツ語で、実際に話しているアルザス語やプファルツ方言は単なるドイツ語の方言と見なされるか、せいぜい「正式に承認された少数言語」のステータスが与えられるだけだった。それ以上は無理だ。対してルクセンブルクの方は独仏(及び蘭)間の緩衝地帯の公国として独立していたのでドイツ語に吸収されるのを免れてそこで話されていた言葉は「ルクセンブルク語」という独立言語に昇格した。1984には国家レベルの公用語として規定されている。正書法も整えられてドイツ語とは別言語だということが強調されている。
 強調されてはいるがドイツ語と「非常によく似た」言語である事実は否めず、公的場面ではフランス語かドイツ語が使われるのが大半だそうだ。官庁ではフランス語が優勢、マスコミではドイツ語が使われることが多い。例えばフランス語で判決を言い渡した裁判官が横を向いて同僚とルクセンブルク語で会話を始めたりする。要するに国民総バイリンガル、第一言語はルクセンブルク語だがその他にドイツ語かフランス語、またはその両方を母語同様かあるいは本当に母語として話せるということだ。「ルクセンブルク語ができなくてもルクセンブルクで生活はできます」とのことだ。

 ここで念のためはっきりしておきたいが、上で「あの辺の方言だなとわかる」と書いたが私に聞こえてくるのはズバリその方言そのものではない。向こうは常に標準ドイツ語、正確に言えば方言の癖の出た標準ドイツ語を話しているのだ。方言そのものをモロに話されたら私には理解できない。向こうだってこの外国人顔の私に方言で話しかけてきたりしない。またTVのインタビューなどに答える時は標準語を話す。ユンカー氏にいたっては外国語を話していることになる。その際本人は標準語(またはドイツ語)を話しているつもりでも方言(または母語)の癖が出てしまう。私が気付くのはその部分だから、文法や語彙などの違いは全く見えてこない。あくまで発音のクセ、あるいはもっとあいまいに「何となく聞いた感じ」でしか判断できない。自分ではどうしてそういう感じがするのかよくわからないでいたら、ルクセンブルク語には次のような特徴があるそうで、なるほどこれが私の「何となく」を誘発したのかなと思い当たった:
 ドイツ語は発音上重要な単位となるのが語あるいは形態素で、語と語の間、形態素と形態素との間には境界を表示する音、声門閉鎖音 [ʔ] が入る。例えば蛍石などの Halbedelstein(「半宝石」)の発音は[ˈhalpʔeːdl̩ˌʃtaɪ̯n] で、形態素、半Halb-と宝石-edelsteinの間に明確な声門閉鎖音が入る。ハルプ・エーデルシュタインである。これをハルベーデルシュタインとか発音するとドイツ語ができないといって笑われる(笑われない)。形態素でさえそうだから単語と単語の間もちゃんと境界音が入るのは当然だ。「年老いたロバ」は ein alter Esel で3語だから [aɪ̯nʔaltɐʔeːzl̩] 。これに対してルクセンブルク語では発音上シラブルが語に優先する。そのため「年老いたロバ」のルクセンブルク語 en alen Iesel は[ənʔa:lənʔiə̯zəll とはならず、一つのシラブル内にあれば語の境界線を超えてくっつくから[ə.na:.lə.niə̯.zəll。まるでフランス語のリエゾンだ。また二重母音がドイツ語でのように一つの母音と見なされず、途中でシラブルが別れる。ドイツ語の Jahr (「年」)は Joer だが、これは一シラブルでなく Jo-er になるそうだ。この母音を分解する作用のある母音 e は Rëtschvokal という。ユンカー氏のドイツ語を聞くとどうも変な母音が多発しているような気がするのはこの所為かもしれない。
 さてこのルクセンブルク語とジーベンビュルゲンのドイツ語は親戚なわけだが、ただルクセンブルク語の r は [ʀ] または [ʁ]、つまり口蓋垂の r である。私が聞いた現在のジーベンビュルゲン・ドイツ語では舌先の [r] で発音していた。前述の知り合いも舌先だった。ジーベンビュルゲンにドイツ人が移住したのは中世だから、口蓋垂の r は その後発達したのかもしれない。
 しかし一方ビデオなどで現在のジーベンビュルゲンドイツ語の話者が話しているのを聞いても特にユンカー氏のドイツ語に似ているとは思えない。どうしてそういうドイツ語を話していたはずのその知り合いのドイツ語がルクセンブルク語の響きに似ていると思うのかやはり自分でもわからない。いろいろ未知の要因が作用しているのだろう。例えば上で南西ドイツの方言は感じ取れると言ったが、今までハイデルベルク辺りの言葉とカールスルーエからフライブルク、シュトゥットガルト周辺の言葉は「南西ドイツ」として一つにしか聞こえなかったので、同じ方言群なのかと思っていた。ところがこの記事のためにちょっとドイツ語の方言地図を見てみたら、ハイデルベルクも含めたカールスルーエの北の言葉はフランケン方言と一緒に中部方言群を構成するプファルツ方言、フライブルク、シュトゥットガルトなどその南は「南部ドイツ語方言」のシュヴァーベン方言だそうだ。私には区別がついていなかった。やはり語彙や文法も考慮しないと方言の区別はできないとみえる。

現在のジーベンビュルゲンのドイツ語。あまりユンカー氏のドイツ語と似て聞こえないのだが…


 ルクセンブルク語に話を戻すが、発音だけでなくまさにその文法や語彙、正書法に面白い部分がある。例えば正書法では ß の字を使わず ss と書く。さらにドイツ語と違って長母音を表わす黙字の h は使わない(ドイツ語からの借用語は別)。では無声の s の前に長母音が来たらどう書くのかと言うと(ドイツ語ならば子音がダブると先行する母音は短母音だからだ)、母音の表記をダブらせるのである。それでドイツ語のStraße(英語のstreet)は Strooss。名詞を大文字で書くところはいっしょである。またドイツ語と同様ルクセンブルク語でも語末で有声音が中和されるが、これを文字で表わすところがドイツ語と違う。例えば「良い」はルクセンブルク語では英語と同じく(そしてドイツ語と違って)最後の子音は本来有声音だ。だからこれが付加語として名詞につく場合は gudden、guddem、gudder と d で現れる。ところがこれが述部などの語尾のない形になると gutt と子音が中和し、しかもそれを文字化するのだ。
 この他に補助記号なども普通のウムラウトの他にいろいろあるし、ドイツ語正書法の呪縛から逃れて独自の正書法の道を歩もうとしていることが見て取れる。でもそれならば名詞の大文字化もよせばいいのに、やはりドイツ語から完全に自由にはなれていないようだ。
 文法ではもちろん語形変化の形自体が違うが、名詞(正確には冠詞)の格の数も減っていて三形しかない。対格と与格と属格で、主格がパラダイムとしては消失し対格形が主格の機能も兼ねるそうだ。主格は eiser Herrgott「我らの主よ」などごく少数の言いまわしや一人称、二人称の人称代名詞に痕跡的に残っているだけ。これを聞くと『17.言語の股裂き』で述べた「現在ロマンス語の複数主格は対格形から来たもの」という説が正しく、私の方がやっぱり間違っていたのかなと思えてくる。
 少しそのルクセンブルク語の語形変化の例を見てみよう。以下の表はそれぞれドイツ語で junger Hund「若い犬」、junge Taube「若い鳩」、junges Schaf「若い羊」の変化。上から順に混合変化(不定冠詞)、弱変化(定冠詞)、強変化(冠詞なし)である。
Tabelle-174
 最後にルクセンブルク語をドイツ語ネイティブに聞かせたところ響きそのものはユンカー氏のドイツ語とよく似ているが「ドイツ語と違ってよく理解できない」とのことであった。もちろん私にも理解できないが、ごくたまに雲間から日が差す如く突然理解できるフレーズが現れる。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』でもちょっと書いたが、1970年代になるとマカロニウエスタンは様々なサブジャンルに分割していった。『荒野の用心棒』『続・荒野の用心棒』が開いた基本路線を踏襲することあまりにも頻繁露骨だったためワンパターンかつマンネリの袋小路に陥ったのを何とか打開しよう、客をおびき寄せようという苦肉の策だ。策の一つはジャンルのトレードマークをさらに強調し、主人公の人物設定をクールを通り越して異常人格にまでデフォルメしたり、ホラー映画じゃあるまいし的な流血シーンを流す。奇を衒う作戦だろうが、その「奇」が次第にエスカレートしてきてマカロニウエスタンの範疇内には収まりにくくなり、その後ジャッロに流れていった(『155.不幸の黄色いサンダル』参照)。もう一つの策はコメディ路線である。こちらの方はホラー路線と違って普通の人(?)でも安心して鑑賞できたのである程度の成功を納めた。有名なのがバッド・スペンサーとテレンス・ヒルのコンビによる「風来坊もの」(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』参照)で、この二つはこちらでは「ある程度」どころでなく『続・荒野の用心棒』級のヒットを飛ばし、今でも時々TVでやっている。子供の時夢中でこれを見た人たちが自分自身が親になっても子供と一緒に見たりすることも多いらしく、「二代目のファン」もいる。
 この風来坊ものと呼ばれるのは『風来坊/花と夕陽とライフルと』(1970) Lo Chiamavano Trinita 、『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』(1971)…continuavano a chiamarlo Trinità、『自転車紳士西部を行く』(1972)E poi lo chiamarono il magnificoの三作だが、これを監督したのがエンツォ・バルボーニ(E.B.クラッチャー)である。カメラマン出身で、コルブッチの下でも撮影していた。エンツォの兄が巨匠ピエトロ・ジェルミの下で『鉄道員』『刑事』『わらの男』などのカメラを担当したレオニダ・バルボーニだ。バルボーニの作品は日本ではあまり名を知られていないようだが上述の通りこちらではよくTVでやっている。私も三作全部TVで見た。茶の間でお父さんと(お母さんでもいいが)子供が笑いながら見られる作品だったが、三作似ていてどのシーンがどの映画のだったのかよく覚えていない。ただそのどれかでテレンス・ヒルがやったキャラの名前、「お疲れジョー」der müde Joeというのを覚えていて(確認したら『風来坊/花と夕陽とライフルと』と『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』の両方だった。ドイツ語タイトルはそれぞれ Die rechte und die linke Hand des Teufels「悪魔の右手と左手」と Vier Fäuste für ein Halleluja「ハレルヤのためにゲンコツ四つ」)、昔私のパソコンが古くなって動きがタルくなってきた時、そのパソコンを der müde Joe と名付けておちょくっていた。ところがそれを何の気なしに誰かに「私のパソコンは古くてほとんどder müde Joe」と言ったら一発で通じてしまい、「わはは、昔西部劇でそんなのありましたね」と返ってきたので驚いた。

バルボーニの下でテレンス・ヒルが演じた「お疲れジョー」。
https://www.moviepilot.de/movies/die-rechte-und-die-linke-hand-des-teufels/bilder/708309から
muede-Joe

 さて、バルボーニは実は 『花と夕陽とライフルと』の前、1970年にすでに Ciakmull という西部劇を撮っている。スターのウッディ・ストロードを使い、音楽もリズ・オルトラーニのシリアスで暗い西部劇だ。ドイツ語では「ジャンゴ 長いナイフの夜」Django – Die Nacht der langen Messer というワケわかんないタイトルだ。

 もっともシリアスからコメディ路線に転換したのはバルボーニだけではなく、コルブッチもやっている。1975年の『ザ・サムライ 荒野の珍道中』Il Bianco, il giallo, il neroがその一つだが、これは本当に悲惨な作品だった。イーライ・ウォラックやジュリアーノ・ジェンマが女装して出てくる。後者は何とかサマになっていたが、ウォラックはどこをどう女装しても笑うことさえできない、グロテスクなだけである。さらにトマス・ミリアンが半分日本人という役どころで侍もどきの格好で登場するが、名前がなんと「サクラ」といい、まともなセリフをしゃべらない。日本語のつもりなのかモゴモゴと変な音の連続を発声するだけで、さすがにこの設定はひどすぎるのではないかと思った。コメディにさえなっていない駄作である。原題の Il bianco il giallo il nero(「白人、黒人、黄色人」)もレオーネの Il buono, il brutto, il cattivo(『続・夕陽のガンマン』、「いい奴、悪い奴、ヤな奴」)のもじりであることが明らかで、とにかくちょっとフザケすぎではないだろうか。まあコルブッチだからいいじゃないかと言われればその通りなのだが。とにかくこの人は1970年の『ガンマン大連合』を最後にフランコ・ネロと切れた後、まだマカロニウエスタンが作られているうちから西部劇でない普通のコメディにも手を出していた。マカロニウエスタン修了後もスペンサーとヒルのコンビなどでドタバタ喜劇を作り続けている。それらはまあB級とはいえ一応ちゃんとコメディにはなっていた。

 話を戻すが、バッド・スペンサーとテレンス・ヒルのコンビが「風来坊シリーズ」で大ブレークしたためコンビを最初に見いだしたのはバルボーニだと思い違いしそうだが、実際は最初に2人を共演させたのはジュゼッペ・コリッツィという脚本家出身の監督である(前述)。スペンサーとヒルのコンビで西部劇を3作作っている。Dio perdona ... io no! (1967)、I quattro dell'Ave Maria (1968)(『荒野の三悪党』)、 La collina degli stivali (1969) だが、今調べたら驚いたことに Dio perdona ... io no! と La collina degli stivali は日本公開されていないようだ。音楽はどれも『鉄道員』のカルロ・ルスティケリ。
 これらコリッツイの作品は本来普通にハードなマカロニウエスタンであった。制作年を見てもわかる。1967年から1969年にかけて、ジャンル全体がまだシニカルな残酷路線で売っていた最中だ。ヒルとスペンサーなどキャラクターの方向としてはイーストウッドとリー・バン・クリーフのコンビに代表される初期マカロニウエスタンの基本路線を踏襲している。例えば第一作の Dio perdona ... io no! ではコンビの間で化かしあいをするので、見ているほうはこの二人は本当にコンビなのか一抹の疑問を抱くあたりレオーネ映画のキャラクターそのものだ。時々人物の顔のどアップが出るのもレオーネの影響か。要するに古典的なマカロニウエスタンなのである。脇役も Dio perdona ... io no! ではフランク・ヴォルフ、『荒野の三悪党』ではイーライ・ウォラック、La collina degli stivali ではウッディ・ストロードというお馴染みの顔が出演する。もっともスペンサー&ヒルがイーストウッド&ヴァン・クリーフを「想起」させるかというと全然そんなことはない。コンビのタイプが全く違うからだ。特にスペンサーの役、体格が良く頑丈で腕っぷしがやたらと強いキャラクターはそれまでは主役では登場しなかった。『荒野の三悪人』ではスペンサーがプロのボクサーと殴りあって勝つ場面がある。そこではまだ普通の(?)殴り合い、つまり全然ドタバタしていないが、三作目の La collina degli stivali での乱闘場面には明らかに後にバルボーニが「スペンサー名物」として発展させたドツキ要素が見える。そもそもバルボーニ自身の(陰気な)一作目 Ciakmull では後の風来坊シリーズでテレンス・ヒルがやったように主人公たちが豆料理をがっつき、ポーカーでウソのようなカードの切り方をご披露する。これらをお笑いとして展開させたバルボーニはやはり慧眼なのではないだろうか。その意味でならスペンサーとヒルのコンビはバルボーニが発見したと言えるかも知れない。
 
全然お笑いコンビなどではないコリッツィの『荒野の三悪党』のバッド・スペンサー、テレンス・ヒルとブロック・ピータース。この3人と…
drei-fuer-ein-ave-maria
イーライ・ウォラックで「アヴェ・マリアの4人
wallack-Ave-Maria
やはりこの人が出ると画面がひきしまる。La collina degli stivali のウッディ・ストロード。
strode-bearbeitet
 その後スペンサーとヒルが爆笑コンビとしてバカ受けし定着してしまったため、初期のハード作品まで後出しジャンケン的に無理やりお笑い映画に仕立て直された。『野獣暁に死す』がその後出しのせいでひどい目に遭った話は以前にもしたが(『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』参照)、非お笑いであったコリッツイの三作も被害を受けた。まずタイトルが変更された。例えば Dio perdona ... io no! だが、最初は原語を直訳してGott vergibt – wir beide nie!(「神は許すが俺たちは絶対許さない!」)だった。その他に主人公の名前をジャンゴに変えた(『52.ジャンゴという名前』参照)Gott vergibt… Django nie!(「神は許すがジャンゴは絶対許さない」)というタイトルがある。この段階ですでにかなりの歪曲だが、そこからさらに中身をカットされ無理やりコメディにされた Zwei vom Affen gebissen(「2人とも猿に噛まれてる」)というバージョンが存在する。この「猿に噛まれた」というのは wie vom wilden Affen gebissen sein(「野生の猿に噛まれたみたいだ」)というドイツ語の言い回しをもじったもので、「凶暴だ」という意味だ。スペンサーとヒルがドタバタいろいろやらかすぞという暗示である。コリッツイ三作目の La collina degli stivali も初めの Hügel der blutigen Stiefel(「血まみれのブーツの丘」)から Zwei hau’n auf den Putz(「二人漆喰をぶったたく」)になった。後者はやはり言い回しで、「ボラをふく」とか「自慢する」、つまり後のコメディでいつもスペンサーとヒルがやって笑いを取っている手である。『野獣暁に死す』の「デブが止まらない」に比べたらマシだろうが(前述)まあ相当の無理がある。二作目の I quattro dell'Ave Maria だけは Vier für ein Ave Maria(「アヴェ・マリアの4人」)とタイトルだけは原題から動かなかったが、内容の方は他の作品同様カットされセリフを変えられ、コメディに歪曲された。この作品も本来はマカロニウエスタン独特のブラック・ユーモアはあるが、全然コメディなどではない。これがコメディだったら『続・荒野の用心棒』は恋愛映画である。
 このズタボロカット、後出しコメディが特にドイツでやたらと生産されたのはどうも当地特有の事情が関係していたのではないかと思っている。その一つがこれまで繰り返し述べてきたような、バッド・スペンサー、テレンス・ヒルのお笑いコンビとしてのドイツでの人気ぶりだ。たとえば『荒野の三悪人』の英語バージョンとドイツ語バージョンを比べてみるとドイツでの毒抜きぶりがよくわかる。ドイツ語版では妙に饒舌というかおしゃべりというか無駄口が多いというか、英語版では何もしゃべっていないシーンにまでおちゃらけたセリフが入っていたりする。英語圏ではバッド・スペンサーとテレンス・ヒルの顔を見ても自動的に笑い出す人が少ないから普通の会話(?)のままでいいのだろう。もっともその英語版も10分ほどカットはされている。
 考えられる二つ目の理由はドイツの検閲機構である。ドイツでは Spitzenorganisation der Filmwirtschaft(「映画産業中央組織」、SPIO)というところが Freiwillige Selbstkontrolle der Filmwirtschaft(「映画産業任意自己規制」、FSK)という制度を作っていて年齢制限を細かく定めている。0歳以上、6歳以上、12歳以上、16歳以上、18歳以上の5カテゴリーで、DVDの表には必ずどのカテゴリーの映画なのかすぐわかるように色分けシールが張ってある。『19.アダルト映画の話』でも書いた通りいわゆるアダルト映画が18歳以上になるのは当然だが、暴力描写にも厳しく、銃で撃たれてちょっとくらい血しぶきが飛んだりするとすぐ成人指定だ。特にその際暴力を礼賛するような雰囲気だと問答無用で18禁。『続・荒野の用心棒』や『殺しが静かにやってくる』どころか『続・荒野の一ドル銀貨』さえ成人指定だ。この指定を食らってしまうとTVでは夜中にしか放映できず、DVDの売り場もエロビデオと一緒くたにされて隅に追いやられるから売りにくいこと夥しい。そこで映画を加工してハードなシーンを取り除き、再びFSKにかけてせめて16歳、できれば12歳にも見せていいように作り直すのである。『荒野の三悪人』の最初のバージョンは本当に18禁だったがそれを必死にいじくり回してFSK12にまで下げた。『続・荒野の用心棒』のように最初からどこをどういじっても子供と楽しめる家族映画になりそうもない映画ならそのまま成人指定(日陰者)に甘んじて貰うしかないが、『荒野の三悪人』は幸いトライするチャンスがあったということだろう。La collina degli stivali(実は私は個人的に三作の中でこれが一番好きだ。もちろんコメディになっていないほうである)はストーリーがいわゆる勧善懲悪的なものであったためか、ちょっとカットしただけでFSK12を達成した。

年齢制限の色分けシール。DVDにはたいてい張ってある。ウィキペディアから。
Von Autor unbekannt - Freiwillige Selbstkontrolle der Filmwirtschaft, Gemeinfrei, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7056867
FSK_Ratings_Dec_2008

 私は一作目の Dio perdona ... io no! はシリアス・コメディ両バージョンともDVDで持っているが、La collina degli stivali はコメディ版だけ。I quattro dell'Ave Maria は持っていない。この機会に改めて手元にある Dio perdona ... io no! をちょっとバージョン比べしてみた。シリアス Gott vergibt – wir beide nie!は109分、コメディ Zwei vom Affen gebissen は82分だ。最初はシリアスなドイツ語バージョンもカットされていたため、私の持っているフルバージョンは一部セリフが英語でドイツ語の字幕が入る。その部分はドイツ語吹き替えがなかったので英語を継ぎ足したのだ。もとのFSK値を16から何とか下げようと努力を重ねて必死にFSK12にまでこぎつけたのがコメディ版だ。その努力の結晶ではまず流血シーンがメッタ切りにされている。人を鞭で拷問したり、真っ赤に焼けた鉄ごてでスペンサーが拷問されるシーンもカット。あと数秒だが女性が殴られるシーンも消えている。いちいちカットシーンを列挙してもキリがないので詳しくは挙げないが、とにかくそれらのシーンを切るにはその前後もある程度切らないといけない、ガンの除去ではないが予防拡大する必要があるから、とにかくシーケンスが飛び過ぎて話がうまく繋がらない。例えばコメディ版だけ見ると突然途中から出なくなる人がいる。この後この人はどうなったんだろうと気になるが、シリアスバージョンではきちんと(?)撃ち殺されている。その人が倒れているシーンはコメディ版にも出て来てはいるがその直前の撃たれるシーンが飛んでいるから見逃す危険大ありだ。また無駄なおしゃべり風の吹き替えも相当なもので、冒頭ポーカーのシーンがあるが、シリアス版では「500ドル」とか「パス」とか無口なポーカー会話しかしていないのに、コメディ版ではまあベラベラベラベラ無駄口がうるさい。上述の『荒野の三悪人』のコメディ・ドイツ語版と英語版の違いそのままだが、うるさいだけでなく会話内容も変わっている。例えばコメディ版ではテレンス・ヒルがスペンサーの協力要請(?)に「分け前はオレが70%、お前が30%ならOK」と返すのだが、原版ではそんなことは全く言っていない。ストーリー設定自体が微妙に変えられているのである。

たかがこれしきのシーンもコメディ版ではすべてカットされている。
GottVergibt-bearbeitet
ドイツ語原版ですでにカットされていたシーンはDVDで突然セリフが英語になり、字幕が入る。それにしても画質が悪い。
untertitel-gottvergibt2
 そのメッタ切りコメディ版のパッケージには mit der Original Synchronstimme von TERENCE HILL(「オリジナルのテレンス・ヒル吹き替えの声」)と書いてある。私はこれを早とちりして最初テレンス・ヒル本人が自分で吹き替えたのかと思ってしまった。テレンス・ヒル、本名マリオ・ジロッティは母親がドイツ人で幼い頃はドレスデンで暮らし、本当にドイツ語を話す。たださすがにドイツ語吹き替えまではできないようで、これはテレンス・ヒルの声としてドイツで有名な(つまり「本来の」)さる声優が吹き替えたという意味である。シリアス版の方は別のあまり知られていない声だったのだ。日本でもイーストウッドが山田康雄以外の声で話しているのを見るとどうも調子が狂うがそれと同じだろう。

2018年ドイツ語のトークショーで受け答えするテレンス・ヒル。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ