「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事は2021年11月20日の南ドイツ新聞印刷版とネット版に同時にのったコロナの陰謀論者についてのインタビュー記事です。ネット記事のタイトルは「馬鹿が大流行」というものでした。
南ドイツ新聞:
カストナー先生、先生の新刊のように馬鹿について本を書く方と言うのはつまり自分は馬鹿だと思っていないということですよね。ご自分は選ばれた人の一員とお考えですか?
カストナー:
もちろん私だって日々の事項で時々馬鹿をやらかさない訳じゃありませんよ。
例えば?
この間スピードを出しすぎて罰金を取られました。
馬鹿はIQの問題じゃない、計算ができるとか外国語をマスターしてるとかそういう問題じゃないと先生はお書きになってますが。「馬鹿」とはつまり心のあり方ということでしょうか。
事実を無視する傾向ですね。長い目で見ない、その場で見かけだけのメリットのみ頭に置いて、長い目で見ると自分にも他人にもネガティブな結果になるということを無視するんです。馬鹿な人たちは自分たちを全体構成の一つと見ることができない、常に自分の関心事を真っ先に持ち出すんです。
ドナルド・トランプは馬鹿ですか?
いいえ、氏は経済史家のカルロ・マリア・チポラなら強盗とか犯罪者と呼んでいたところですね。トランプは状況を厳しく分析して、特定の戦術を使えばほぼ確実に成功すると結論しました。そしてその戦術を効果的に使いましたよ。
それでファンの群を大量に引き寄せたと。
頭がいいからと言って必ずしもモラルがあるわけじゃないですからね。トランプは他人の害を徹底的に自分のメリットになるようにしたんですよ。
世界史上最も馬鹿なのは誰だとお考えになりますか?
そりゃ候補が多すぎて答えにくいですよ。まあでもヒトラーはチャンスがあるでしょう。とにかく何百万人も絶滅させて世界大戦を引き起こし自分に対しても他人に対しても最大級の損害をもたらしましたからね。
馬鹿への対処法とは何でしょうか?馬鹿に付ける薬はない、と言われますが。
馬鹿を事実として受け入れるんです。馬鹿を計算に入れておくことですね。
高学歴はどうも特効薬にはならないようですね。例えばISの宗教原理主義に加担したのは教養のない単純な人たちとは限りませんでした。
馬鹿な人たちの主要パラメーターは、自分たちの立場を最優先させて他は全て無視することです。今のコロナ・パンデミックでも言ってる人がいるじゃないですか、私はずっとこのままでいるつもりだって。
どういうことですか?
二言目には「自分のことは自分で責任を取る」って言いますよね。何なんですかねこれは。
何なんでしょうか?おっしゃってください。
自分のことだけ気を付けて他は見ない、ってことですよ。隠者か何かで洞穴で完全に孤立した生活しているならそれでいいでしょうよ。それなら自分の責任は自分でとる、他人のことは構わない、でいいと思いますよ私は。でも私は大きな社会に接触している訳でね、そうなると自分の責任は自分で云々なんて完全にばかげてます。コロナの蔓延のおかげで馬鹿のネタにこと欠きませんよ。
というと?
例えば休暇でエキゾチックな国に旅行するときはワクチン打ちますよね。しっかり副作用があるのにです。出回っているB型肝炎のワクチンなんか、今みたいに広く使われるようになる前にテストした人の数なんて今のコロナワクチンに比べたら微々たるものですよ。現在コロナワクチンが嫌だと泣きごとを言ったりワーワー反対している人で、当人が今までにとっくに打って貰って(しまって)いるワクチンがどういう科学的に基盤に立っているのか詳しく調べてみた人なんか誰もいません。
コロナワクチン反対者は馬鹿だということですか?
そう言わざるを得ませんわね。
でも先生、そんなことをおっしゃってしまったら社会の溝が深まってしまうのではないですか?全く接点のない二つの世界が対峙していることになってしまいますよ。ワクチン支持者と反対者と。両者間の対話ができないじゃないですか。
しなくても構いませんよ。
はあ?!
対話の用意ができているというのは基本的に肯定すべきだし、いいことですよ。でもそれは双方に容易ができている場合に限るんですよ。それ以外は、まあ、目的もなく結論も出っこない独り言の組み合わせと言ったがいいですね。そういう「自分の意見の権利」と「自分の事実の権利」をゴッチャにするような人たちとは議論しないほうが時間も手間も省けるし、イライラしなくてもすみますよ。対話の場を開いて置くべきとか思うのは甘い。政府はただビシッと決めればいいんです、最新の科学的根拠に基づいてね。
ずっと正しいと信じられてきたのに実は逆だと証明されてしまった科学知識をそれまで正しいと信じていた人たちは馬鹿と呼べるんでしょうか?
いいえ。科学を信じること自体は馬鹿じゃありません。科学は常に動いてますからね。それぞれの研究の最新状況が最良の情報ですが、それだってさらに流れてます。常に新しい知識が入ってきますから。科学と言うのは物事は常に流動し見方は常に変化する、というのが前提ですから。
でも科学者や専門家の信頼性に一部傷がつきましたが。なぜでしょう?
多分理由はずっとさかのぼれるんでしょうが、特にトランプ政権と例の言語道断なオールタナティブ・ファクトって標語ではっきりしましたよ。オールタナティブ・ファクトなんてものはありません。ファクトか、さもなければファクトを無視するばかげた見方かです。以前は少なくとも大学で学び、その事柄に精通し、自分が何の話をしているのかちゃんわかっている人たちがいました。他の人は嘴を入れるのを控えるか、専門家のいう事を信じたものです。そのうち専門家は嘘つきだとか堂々と公共の場で言えるようになってしまいました。陰謀論信奉へスタンバイですよ。
そのご説明がつきますか?
世の中がどんどん複雑さを増して来たために陰謀論スタンバイが強化されたのは確実ですね。陰謀論が包括的なものであればあるほど、世の中のことを一発で説明してくれるようなものであればあるほど、その陰謀論は魅力が増しますから。そうやって専門家に不信を抱き、ファクト後の事実とかオールタナティブ・ファクトとかしゃべっているうちに基本的な雰囲気が出来上がってしまったんですよ。その雰囲気に誘導されて人々は何かのトンデモ理論をベースにして自分たちの見解とやらをでっちあげ、ファクトからの自由と見解の自由とを混同するようになったんです。
「なすすべなし」という感じですが…
この間さるネットビデオを見たんですよ。そこで誰かが、ワクチンとともに地球外生命体の蜘蛛の卵が体内に注入される、それが我々を体中から食いつくすぞと主張してまして。これは本当に「もうどうしようもない」ですよ。これ以上馬鹿げた話がありますか?!
誰もが自分の信じたいことを信ずる、という訳ですね。
でも馬鹿をあんまり自由にさせたり、特に権力を与えてはいけません。でないと危険です。馬鹿が自分たちに害を与えるのは我々の自由社会では法律違反じゃありませんが、他の人にまで害を与えるとなると話は別、全く冷静に落ち着いて受け入れてなんていられませんよ。
どういうことなんでしょうか?
コロナの話ばかりしてもいられないから別の話ですけど、ドイツの「祈祷師」で医者のリューケ・ゲールト・ハーマーが胡散臭い考案をして、おかげで1995年にガン患者の子供をもう少しで死なすところでしたよね。自分の治療法が見込みありと言い含めて、長い間両親の目をすっかりくらまして妨害しました。
先生のいう馬鹿ですが、増えてるんでしょうか?
馬鹿は大流行してます!本当に驚きますよ。どれだけ多くの領域で、人々が実は全然持っていないくせに能力知識を持ってるつもりになっているか。例えば洗濯機が壊れたらごく当然のことながら専門家を呼んできますよね。なのに明らかにそれより複雑なテーマについては自分は何もかも知っている・わかっているという顔をしだす人がたくさん。そういう遊び場の一つでポピュラーなのが医学ですよ。今日び自称専門家がもうウジャウジャいます。全く知識に基づいていない「フィーリングで」男性にも女性にもアドバイス。作家のチャールズ・ブコフスキイが表現してますね:頭のいい人たちが疑問懐疑にとらわれている一方、馬鹿は自信に満ちている、それが問題だって。馬鹿が馬鹿なのを恥じなくなったんですよ。
そういうお考えはどこから?
例えば「私はそれは知らない」って誰かが言ってたのを最後に聞いたのはいつですか?しばらく前にオーストリアにはさるラジオ番組がありましてね、道端で人にいろいろ聞くんです。例えばこんな質問:ここでインターネットに接続できるかのは何処か教えて戴けませんか? いやもう呆れますよ。どれだけ大勢の人が答えたか:ええ、教えてあげましょう。ここに沿ってずっと行ってね、向こうの角を左に曲がって三番目の角を右、とか。そう言うかわりに「いえ知りません」っていう人がいない。最近はもう何かを知らないっていうのがすっかり流行遅れになってしまいました。
馬鹿を測るのにどんな基準がありますか?
馬鹿度が測定できる、と言い切るのはまあ思い上がりでしょう。そんなことできませんよ。今日に至るまで頭の良さというのがきちんと定義で来てないんですし。まあでもフィーリングで感じた事実だの本能・直感だのをすぐ持ち出して直感こそ本質的な知識のソースだなどと言い出す人は確実に馬鹿と呼んでいいでしょう。
直感が非常に役立つ生活の場もあるのでは?
そうかもしれません。例えば好感とか反感とかの事柄ではね。でも事実の判定となると直感は危険ですよ。しばらく前にオーストリアのカプルーンの氷河に敷いた鉄道で悲惨な事故がありましたが、そこで事故の起こったトンネルを本能的に上の方に逃げた人はほとんど亡くなりましたね。それは間違いなんですよ、火は上の方に向かって燃えていくんですから。なのに皆上の方、光の方に逃げるという本能があったんです。
先生は犯罪心理学者として刑事裁判で鑑定人をなさり、重犯罪人とも関わっていらっしゃいますね。馬鹿は悪ということでしょうか?
そういうことが多いです。自分の欲求を差し当たって満足させるという短いスパンでしか見ないんですよ。犯罪の多くで悲劇なのは、後から見ればその犯罪行為は全く無意味で嘆かわしいだけだったということです。ミステリアスなことなんてありません。悪には魅惑的なところなんてない、単に馬鹿なだけです。
先生はメディアで「アムシュテッテンの化け物」と呼ばれたヨゼフ・フリッツルの裁判の鑑定人でしたね。フリッツルは自分自身の娘を24年間地下室に閉じ込めて、日常的に強姦し子供を7人産ませました。先生から見てフリッツルはどんな人でしたか?
文句をつけるところはありませんでしたよ。対話には協力的だったし、無作法でもありませんでした。私の質問にもできるだけ答えようとしてくれました。ああいう行為を起こさせたのは、他人に絶対的な権力をふるいたい、性的享楽を味わうだけ味わいたい、そういう欲求でした。自分で言っていましたよ、私は生まれたときから強姦犯なんだって。感情面では全然激しさのない人でした。単に何年も何年も同じことを続けただけなんです。
頻繁に引用されているアルベルト・アインシュタインの言葉がありますね。宇宙と同じくらい無限なものがある、それは人類の馬鹿さだ、という。今自分は馬鹿と関わりあってるなということはどうやったらわかるんでしょうか。
その人物にとって非は常に他人にある、ということでですね。何かうまく行かないことがあっても絶対自分の責任ではない。自省することがありません。馬鹿じゃない人は時には「自分がいつも一番賢い行いをするとは限らない」と思い当たりますよ。
先生ご自身の例では?
全部見るにはアーカイブの有料使用者となるか、無料の「14日間お試し期間」に登録する必要があります。でもサイトをクリックするだけなら別にお金をとられたりしません
念のため:私はこの新聞社の回し者ではありません。文:ナディア・パステガ
南ドイツ新聞:
カストナー先生、先生の新刊のように馬鹿について本を書く方と言うのはつまり自分は馬鹿だと思っていないということですよね。ご自分は選ばれた人の一員とお考えですか?
カストナー:
もちろん私だって日々の事項で時々馬鹿をやらかさない訳じゃありませんよ。
例えば?
この間スピードを出しすぎて罰金を取られました。
馬鹿はIQの問題じゃない、計算ができるとか外国語をマスターしてるとかそういう問題じゃないと先生はお書きになってますが。「馬鹿」とはつまり心のあり方ということでしょうか。
事実を無視する傾向ですね。長い目で見ない、その場で見かけだけのメリットのみ頭に置いて、長い目で見ると自分にも他人にもネガティブな結果になるということを無視するんです。馬鹿な人たちは自分たちを全体構成の一つと見ることができない、常に自分の関心事を真っ先に持ち出すんです。
ドナルド・トランプは馬鹿ですか?
いいえ、氏は経済史家のカルロ・マリア・チポラなら強盗とか犯罪者と呼んでいたところですね。トランプは状況を厳しく分析して、特定の戦術を使えばほぼ確実に成功すると結論しました。そしてその戦術を効果的に使いましたよ。
それでファンの群を大量に引き寄せたと。
頭がいいからと言って必ずしもモラルがあるわけじゃないですからね。トランプは他人の害を徹底的に自分のメリットになるようにしたんですよ。
世界史上最も馬鹿なのは誰だとお考えになりますか?
そりゃ候補が多すぎて答えにくいですよ。まあでもヒトラーはチャンスがあるでしょう。とにかく何百万人も絶滅させて世界大戦を引き起こし自分に対しても他人に対しても最大級の損害をもたらしましたからね。
馬鹿への対処法とは何でしょうか?馬鹿に付ける薬はない、と言われますが。
馬鹿を事実として受け入れるんです。馬鹿を計算に入れておくことですね。
高学歴はどうも特効薬にはならないようですね。例えばISの宗教原理主義に加担したのは教養のない単純な人たちとは限りませんでした。
馬鹿な人たちの主要パラメーターは、自分たちの立場を最優先させて他は全て無視することです。今のコロナ・パンデミックでも言ってる人がいるじゃないですか、私はずっとこのままでいるつもりだって。
どういうことですか?
二言目には「自分のことは自分で責任を取る」って言いますよね。何なんですかねこれは。
何なんでしょうか?おっしゃってください。
自分のことだけ気を付けて他は見ない、ってことですよ。隠者か何かで洞穴で完全に孤立した生活しているならそれでいいでしょうよ。それなら自分の責任は自分でとる、他人のことは構わない、でいいと思いますよ私は。でも私は大きな社会に接触している訳でね、そうなると自分の責任は自分で云々なんて完全にばかげてます。コロナの蔓延のおかげで馬鹿のネタにこと欠きませんよ。
というと?
例えば休暇でエキゾチックな国に旅行するときはワクチン打ちますよね。しっかり副作用があるのにです。出回っているB型肝炎のワクチンなんか、今みたいに広く使われるようになる前にテストした人の数なんて今のコロナワクチンに比べたら微々たるものですよ。現在コロナワクチンが嫌だと泣きごとを言ったりワーワー反対している人で、当人が今までにとっくに打って貰って(しまって)いるワクチンがどういう科学的に基盤に立っているのか詳しく調べてみた人なんか誰もいません。
コロナワクチン反対者は馬鹿だということですか?
そう言わざるを得ませんわね。
でも先生、そんなことをおっしゃってしまったら社会の溝が深まってしまうのではないですか?全く接点のない二つの世界が対峙していることになってしまいますよ。ワクチン支持者と反対者と。両者間の対話ができないじゃないですか。
しなくても構いませんよ。
はあ?!
対話の用意ができているというのは基本的に肯定すべきだし、いいことですよ。でもそれは双方に容易ができている場合に限るんですよ。それ以外は、まあ、目的もなく結論も出っこない独り言の組み合わせと言ったがいいですね。そういう「自分の意見の権利」と「自分の事実の権利」をゴッチャにするような人たちとは議論しないほうが時間も手間も省けるし、イライラしなくてもすみますよ。対話の場を開いて置くべきとか思うのは甘い。政府はただビシッと決めればいいんです、最新の科学的根拠に基づいてね。
ずっと正しいと信じられてきたのに実は逆だと証明されてしまった科学知識をそれまで正しいと信じていた人たちは馬鹿と呼べるんでしょうか?
いいえ。科学を信じること自体は馬鹿じゃありません。科学は常に動いてますからね。それぞれの研究の最新状況が最良の情報ですが、それだってさらに流れてます。常に新しい知識が入ってきますから。科学と言うのは物事は常に流動し見方は常に変化する、というのが前提ですから。
でも科学者や専門家の信頼性に一部傷がつきましたが。なぜでしょう?
多分理由はずっとさかのぼれるんでしょうが、特にトランプ政権と例の言語道断なオールタナティブ・ファクトって標語ではっきりしましたよ。オールタナティブ・ファクトなんてものはありません。ファクトか、さもなければファクトを無視するばかげた見方かです。以前は少なくとも大学で学び、その事柄に精通し、自分が何の話をしているのかちゃんわかっている人たちがいました。他の人は嘴を入れるのを控えるか、専門家のいう事を信じたものです。そのうち専門家は嘘つきだとか堂々と公共の場で言えるようになってしまいました。陰謀論信奉へスタンバイですよ。
そのご説明がつきますか?
世の中がどんどん複雑さを増して来たために陰謀論スタンバイが強化されたのは確実ですね。陰謀論が包括的なものであればあるほど、世の中のことを一発で説明してくれるようなものであればあるほど、その陰謀論は魅力が増しますから。そうやって専門家に不信を抱き、ファクト後の事実とかオールタナティブ・ファクトとかしゃべっているうちに基本的な雰囲気が出来上がってしまったんですよ。その雰囲気に誘導されて人々は何かのトンデモ理論をベースにして自分たちの見解とやらをでっちあげ、ファクトからの自由と見解の自由とを混同するようになったんです。
「なすすべなし」という感じですが…
この間さるネットビデオを見たんですよ。そこで誰かが、ワクチンとともに地球外生命体の蜘蛛の卵が体内に注入される、それが我々を体中から食いつくすぞと主張してまして。これは本当に「もうどうしようもない」ですよ。これ以上馬鹿げた話がありますか?!
誰もが自分の信じたいことを信ずる、という訳ですね。
でも馬鹿をあんまり自由にさせたり、特に権力を与えてはいけません。でないと危険です。馬鹿が自分たちに害を与えるのは我々の自由社会では法律違反じゃありませんが、他の人にまで害を与えるとなると話は別、全く冷静に落ち着いて受け入れてなんていられませんよ。
どういうことなんでしょうか?
コロナの話ばかりしてもいられないから別の話ですけど、ドイツの「祈祷師」で医者のリューケ・ゲールト・ハーマーが胡散臭い考案をして、おかげで1995年にガン患者の子供をもう少しで死なすところでしたよね。自分の治療法が見込みありと言い含めて、長い間両親の目をすっかりくらまして妨害しました。
先生のいう馬鹿ですが、増えてるんでしょうか?
馬鹿は大流行してます!本当に驚きますよ。どれだけ多くの領域で、人々が実は全然持っていないくせに能力知識を持ってるつもりになっているか。例えば洗濯機が壊れたらごく当然のことながら専門家を呼んできますよね。なのに明らかにそれより複雑なテーマについては自分は何もかも知っている・わかっているという顔をしだす人がたくさん。そういう遊び場の一つでポピュラーなのが医学ですよ。今日び自称専門家がもうウジャウジャいます。全く知識に基づいていない「フィーリングで」男性にも女性にもアドバイス。作家のチャールズ・ブコフスキイが表現してますね:頭のいい人たちが疑問懐疑にとらわれている一方、馬鹿は自信に満ちている、それが問題だって。馬鹿が馬鹿なのを恥じなくなったんですよ。
そういうお考えはどこから?
例えば「私はそれは知らない」って誰かが言ってたのを最後に聞いたのはいつですか?しばらく前にオーストリアにはさるラジオ番組がありましてね、道端で人にいろいろ聞くんです。例えばこんな質問:ここでインターネットに接続できるかのは何処か教えて戴けませんか? いやもう呆れますよ。どれだけ大勢の人が答えたか:ええ、教えてあげましょう。ここに沿ってずっと行ってね、向こうの角を左に曲がって三番目の角を右、とか。そう言うかわりに「いえ知りません」っていう人がいない。最近はもう何かを知らないっていうのがすっかり流行遅れになってしまいました。
馬鹿を測るのにどんな基準がありますか?
馬鹿度が測定できる、と言い切るのはまあ思い上がりでしょう。そんなことできませんよ。今日に至るまで頭の良さというのがきちんと定義で来てないんですし。まあでもフィーリングで感じた事実だの本能・直感だのをすぐ持ち出して直感こそ本質的な知識のソースだなどと言い出す人は確実に馬鹿と呼んでいいでしょう。
直感が非常に役立つ生活の場もあるのでは?
そうかもしれません。例えば好感とか反感とかの事柄ではね。でも事実の判定となると直感は危険ですよ。しばらく前にオーストリアのカプルーンの氷河に敷いた鉄道で悲惨な事故がありましたが、そこで事故の起こったトンネルを本能的に上の方に逃げた人はほとんど亡くなりましたね。それは間違いなんですよ、火は上の方に向かって燃えていくんですから。なのに皆上の方、光の方に逃げるという本能があったんです。
先生は犯罪心理学者として刑事裁判で鑑定人をなさり、重犯罪人とも関わっていらっしゃいますね。馬鹿は悪ということでしょうか?
そういうことが多いです。自分の欲求を差し当たって満足させるという短いスパンでしか見ないんですよ。犯罪の多くで悲劇なのは、後から見ればその犯罪行為は全く無意味で嘆かわしいだけだったということです。ミステリアスなことなんてありません。悪には魅惑的なところなんてない、単に馬鹿なだけです。
先生はメディアで「アムシュテッテンの化け物」と呼ばれたヨゼフ・フリッツルの裁判の鑑定人でしたね。フリッツルは自分自身の娘を24年間地下室に閉じ込めて、日常的に強姦し子供を7人産ませました。先生から見てフリッツルはどんな人でしたか?
文句をつけるところはありませんでしたよ。対話には協力的だったし、無作法でもありませんでした。私の質問にもできるだけ答えようとしてくれました。ああいう行為を起こさせたのは、他人に絶対的な権力をふるいたい、性的享楽を味わうだけ味わいたい、そういう欲求でした。自分で言っていましたよ、私は生まれたときから強姦犯なんだって。感情面では全然激しさのない人でした。単に何年も何年も同じことを続けただけなんです。
頻繁に引用されているアルベルト・アインシュタインの言葉がありますね。宇宙と同じくらい無限なものがある、それは人類の馬鹿さだ、という。今自分は馬鹿と関わりあってるなということはどうやったらわかるんでしょうか。
その人物にとって非は常に他人にある、ということでですね。何かうまく行かないことがあっても絶対自分の責任ではない。自省することがありません。馬鹿じゃない人は時には「自分がいつも一番賢い行いをするとは限らない」と思い当たりますよ。
先生ご自身の例では?
まあ、たとえばですね、今すぐ片づけたほうが利口だなということを先延ばしにしてしまう時とか。あと、よく考えずに早とちりでものを言ってしまうとかですね。で、あとから考えるんです、「やらなきゃよかった」って。
ハイディ・カストナーの人物紹介
ハイディ・カストナー氏(59)は心理学と神経学の専門医で、2005年からオーストリア東部のリンツでケプラー大学病院の法医学科の医長をしている。法心理学者として、世に知られている犯罪者を数多く鑑定してきた。中でも世界的に有名なのはヨゼフ・フリッツルの事件で、フリッツルは自分自身の娘を24年間地下室に幽閉し、日常的に強姦し、子供を7人も作っている。カストナー氏は作家としても名を成した。2014年に氏の『怒り』を出版、最近では新刊の『馬鹿』が出た。2015年にはオーストリア共和国への貢献によって名誉賞金賞が送られた。
人食いアヒルの子のコメント:
「コロナは嘘」論者については最近こういうニュースがあった。コロナは陰謀・嘘と信じて疑わないある人が、当然ながらワクチンも打っていなかったので感染し、重症病棟に運び込まれた。ところが本人もその家族も「これはコロナではない」と言い張り、主張し続け、とうとうその人は「オレはコロナじゃない、コロナなんて存在しない」と言いながら亡くなった。病院で必死にその人を治療した医者やスタッフの無力感はすさまじく、スタッフの一人は「ここまで来ると狂気だ」と言っている。
この狂気はどこから来るのだろうか。