アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

August 2021

 世界には狭い地域に言語がたくさん集中している地域がある。アマゾン流域(狭くないが)やパプア・ニューギニアなどが有名だが、カスピ海と黒海の間のコーカサス地方も昔から有名だ。すでに紀元前7世紀にはギリシャ人が当地の言語の多さを報告しているとのことだ。その後ローマ人やペルシャ人による報告が続き、勘定された言語数は70から300の間を動いていたそうだが、現在では40から50くらい言語という線に落ち着いている。「くらい」というのはもちろん独立言語と方言の区別(『111.方言か独立言語か』参照)が学者によって違うからだ。100の単位で言語があるアマゾンやニューギニアと比べたら少ないが、そのかわりここは本当に地域が狭い。
 コーカサスには土着のいわゆる「コーカサスの言語」とともに印欧語のアルメニア語やオセチア語、トュルク語のアゼルバイジャン語なども話されているが、これらは後からこの地に入ってきたものらしい。さらにアラム語の方言(言わずと知れたセム語である)を話す人々がジョージアやアゼルバイジャンにいるそうだ。シリアからでも移住してきたのだろうか。オセチア語はスキタイ語の末裔という説がある。東イラニアン語族である。『164.Лишний человек(余計者)とは何か』で述べたレールモントフの『現代の英雄』も舞台がコーカサスだが、そこではオセチア人もチェルケス人もアゼルバイジャン人も一律に「アジア人め」と罵倒されている。
 土着のコーカサスの言語は印欧語やセム語、テュルク諸語と明確に異なる能格言語だが、大きく分けて3つのグループに分類できる。アブハズ・アディゲ語群、カルトヴェリ語群、ナフ・ダゲスタン語群という。これらはそれぞれ北西コーカサス語群(または単に「西コーカサス語群」)、南コーカサス語族、北東コーカサス語族(または「東コーカサス語群」)と呼ばれることもあるが、この呼び方はむしろ不適切。そもそもこれらの言語があくまで「語群」であり、印欧語レベルの正確さでは「語族証明」ができていない。それでもグループ内の言語同士でなら語彙や文法構造などにある程度の共通性が見られるそうだが、グループ間では差異が激しく、これを単に「コーカサス語群」としていっしょくたにするのは無理がある。昔言われたウラル・アルタイ語群という名称のごとく非常に誤解を招きやすい。
 さらにややこしいのが、この「コーカサスの言語」の話者がコーカサス外にも結構いることである。中東やトルコのあちこちに結構散らばっており、バルカン地域にまで話者がいるそうだ。おかげで話者数の把握がいま一つ難しい。そのうちの一つ、トルコで話されていたウビフ語(アブハズ・アディゲ語群)は現在は残念ながら死語になってしまった。

コーカサスの言語状況。ウィキペディアから
cau-ethnic-groups-4

 3つの中で一番研究が進んでいるのは大言語のジョージア語(グルジア語、『51.無視された大発見』参照)を含むカルトヴェリ語群で、研究が進んでいるどころか、現在でもコーカサスの言語の研究書がジョージア語で書かれている、つまり研究する側の言語でもある。歴史的に見てもジョージア語、特にその文字は文化語として周りのコーカサス語群にも影響を与え、例えばナフ・ダゲスタン語群のウディ語は7世紀から9世紀にかけてすでに文字化の試みがあるがジョージア文字とアルメニア文字を取り入れている。さらにチェチェン語も12世紀~15世紀にかけてキリスト教とともに(当時はチェチェン人もキリスト教徒だったということか)ジョージア文字、ジョージア語を書き言葉として受け入れたので、こんにちでもダゲスタンにはジョージア語の碑文が約50残っている。
 現在ジョージア語だけで話者400万人から500万人いるが(他にもカルトヴェリ語群には十万単位の話者がいる言語がある)、話者数だけでなく歴史文化的にも上でも述べたように他の言語に影響を与えた大言語だから、もちろん自分の言語も立派に文字化していてすでに5世紀から碑文があり、通時的研究や古い形の再現が可、ということは共時的な方言研究にも利がある上、書き言葉の伝統があるのですでに古い昔から自語の研究そのものも進んでいた。19世紀になって西欧から比較言語学者が参入してきた時もしばらくは主たる関心がジョージア語だった。
 19世紀の後半から20世紀前半になると言語の記述研究が盛んになり、 他の2言語群の記述も始まったが、アブハズ・アディゲ語群の方が進んでいる。上のレールモントフにも出てきたチェルケス人の言語もこのグループだが、これらの言語は母音音素が少ないので有名だ。例えばアブハズ語の母音音素は a と ǝ の二つ。音声上現れるその他の母音は皆このどちらかのアロフォンなんだそうだ。他の言語も皆似たり寄ったりで多くて3母音。その代わり子音音素がやたらと多く、ウビフ語(上述)は少なくとも80,アブハズ語の一方言では67の子音音素があるという、ちょっと信じがたい強烈な音韻構造である。話者数は最も多いカバルド語(東チェルケス語)で100万人ちょっと(別の資料では約70万人。どっちなんだ?!)、あと十万単位の話者を持つ言語が2・3あるがカルトヴェリ語群と比べるといかにも少数言語っぽい感が否めない。
 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群よりさらに記述研究がやや遅れをとっているらしい。これは第一にナフ・ダゲスタン語群の言語数が多い上に方言間の乖離が激しく方言か独立言語か決めるのが難しいのも原因だろう。チェチェン語など話者数が100万に届こうかという言語もあるが、話者数万、いや数千という言語がやたらとバラバラあって把握に苦労する。この時期にトゥルベツコイもコーカサスの言語の音韻構造の記述研究に手を染めている(『134.トゥルベツコイの印欧語』)。研究プロジェクトなどもソ連内外でいろいろ立ち上がったそうで、例えばモスクワのロモノソフ大学が60年代から70年代にかけてダゲスタンの言語のフィールド調査を行っている。
 このブログでも今まで何の気なしにコーカサスの言語についてチョチョッと述べたりしたことがあるが、ジョージア語以外に名前を出した、チェチェン語(『53.アラビア語の宝石』)、タバサラン語(『107.二つのコピュラ』『7.「本」はどこから来たか』などは別に意図したわけではないが 偶然このナフ・ダゲスタン語群だ。そういえばこの「ダゲスタン語」でちょっと思い出した。学生の時にロシア語学の演習でA. Кибрик(A. Kibrik)という人の論文を読まさせられた。テーマは指示対象の照応関係のことかなんか、つまり言語理論系の論文だったのだが、その時何の気なしにカタログでA. Кибрикの名前を検索したところこの名前でダゲスタンの言語について多くの論文が発表されていることがわかった。一方ではダゲスタンの言語、他方ではロシア語の指示対象照応とはまた研究範囲の広い人だと驚いたら実はダゲスタン言語のキブリーク氏は指示対象キブリーク氏の父親だった。ダゲスタン氏はアレクサンドル・キブリーク、指示対象氏はアンドレイ・キブリークという。もちろんダゲスタン氏も言語理論の論文は書いているが、記述系と説明系・生成系では同じ「理論」でも分野が全く違う。ついでにダゲスタン氏の父、指示対象氏の祖父は有名な芸術家だそうだ。文化人一家である。上述のロモノソフ大学のプロジェクト要員にもキブリークの名前が上がっている。

 そのナフ・ダゲスタン語群だが、上にも書いたように内部で結構言語がバラけている上、ナフ・ダゲスタンとダブルネームになっているだけあってナフ語群とダゲスタン語群の間にはさらに一線あるそうだ。アヴァール語などには古い試みもあるらしいが本格的な文字化はやはり20世紀になってからで、1928年からラテン文字による文字化が試みられた。それが1936年から38年にかけてキリル文字にとってかわられた。チェチェン語、イングーシ語、アヴァール語などその際「標準語化」もなされたという。なお、念のため補足しておくがここの「アヴァール語」というのは民族・言語的に昔ロシアにステップから攻め込んできたアヴァール人(『165.シルクロードの印欧語』参照)とは別人28号(こんなギャグを知っている方まだいますか?)である。
 音韻構成が気になるが、 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群と比べると母音の数が多い。アヴァール語の一方言では3つ、a、i、u で(コザソフКодзасовという学者はa、i、u、e、oの5つと言っている)、この3つはナフ・ダゲスタン語群の全ての言語にあるが、普通はこれよりずっと母音音素が多い、特にナフ語群は多くチェチェン語で33。平均すると10から15の母音音素がある。3から急に増えるのは短母音と長母音を区別したり、二重母音を持っていたりする言語があるからだ。「母音が10」でも私などには十分多いが、それに加えてアブハズ・アディゲ語群ほどではないが子音も多い。アグール語で73,チェチェン語で40から50,タバサラン語が55以上。困ったことにこれらの数字は資料や学者によって少なからぬバラツキがあり、あまりキッパリとした数値ではないのだがとにかく「子音が多い」ことだけは確かである。これは例えば閉鎖音でいわゆるfortis、lenisを音韻的に区別したり放出音があったりするせいだ。声門、咽頭音もある。流音が6つある言語もあるそうで、日本人に喧嘩を売っているとしか思えない。

アグール語2方言の音素。子音がやたらと多い。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.338, 339から
agur1
agur2
 アクセントについてはキブリークがダゲスタンの言語の過半数が高低アクセントを持っていると書いている。残念ながらその高低アクセントが日本語のように超分節なものか中国語のようなシラブル内のものか明確に区別されていない。そしてシラブル単位の高低アクセントを持つ言語は少数の例外を覗いてсловесное ударение(「語アクセント」)を欠くとあるのだが、これは単語ごとに決まった強弱アクセントのことだろうか。その例外の中にアヴァール語が入っているが、そこでは高低を区別するのはアクセントのある母音のみだそうだ。つまりちょうどクロアチア語のような感じなのだろう。そのアヴァール語にはアクセントの違いだけで意味(というより文法機能)が変わる例がある:rúġnal「傷、複数・絶対格」対 ruġnál「同単数・属格」。似たような例はなぜかロシア語やクロアチア語にもあった(『58.語学書は強姦魔』『90.ちょっと、そこの人!』参照)。

 さらにナフ・ダゲスタン語群は音素も多いが名詞の語形も多い。ここばかりでなくアブハズ・アディゲもカルトヴェリも日本語やトルコ語に似た膠着語タイプで、名詞の尻尾に複数マーカーや格マーカーがくっつくのが基本だが、屈折タイプの変化がないわけではない。チェチェン語で「風」の絶対格は muoχ だが、属格になると meχ-in で 、属格を示す接尾辞がついているほかに語幹の母音が交替しているのがわかる。同様にアヴァール語の「豆」holó の能格形は halí-cā という。
 このグループの言語の格の数であるが、以前にも述べたようにタバサラン語で62(別の資料では48)、もっともチョロいアグール語で28。たかがドイツ語の4格で死にそうになっている人にとっては命の危険さえありそうだが、これはドイツ語では前置詞が担っているような機能を全て格変化が受け持つからだ。日本語だって格を勘定すれば13くらいにはなる。だが一方それでも13にしかならないから諸事情を差し引いてもやっぱり40以上の格というのは割と恐怖である。特に処格、つまり位置関係を表わす格がいくつかのグループに分けられ、それぞれのグループがまた細分化するので格数が何倍にも増殖する。例えばラク語では名詞に というマーカーがつくと「対象物の裏側」という意味になるが、この「裏側」(以下太字)にさらに細かい空間表現が加わる;q̅at̅lu が基本の「家の後ろ(で)」、q̅at̅lu-un とそこにさらに格マーカー(下線)がつくと「家の後ろへ」、q̅at̅lu-unmaj と別の格マーカーがついて「家の後ろへ向かって」、q̅at̅lu- だと「家の後ろをわきを通り過ぎて」、q̅at̅lu-a(tu) で「家の後ろから(こちらへ)」。これらがいわばグループだが、同じことが別のグループでも繰り返される。別のグル―プ-w (以下太字)を見てみよう。これは「対象物の内部」を表わすグループだ。まず q̅at̅lu-w-u が基本形の「家の中(で)」。 と比べると母音 u が加わってはいるが、 の基本形と構造的に対応している。さらに q̅at̅lu-w-un 「家の中へ」、 q̅at̅lu-w-unmaj「家の中へ向かって」、q̅at̅lu-w-「家の中を通り過ぎて」、q̅at̅lu-w-a(tu)「家の中から」という風に上と全く同じ格マーカーがつく(下線)。整然とした非常に美しい構造だ。タバサラン語も同じようなメカニズムである。ここで あるいは -w-un-unmaj-uχ-a(tu) をそれぞれ別の格と見れば画数は2+4=6,もしく基本形を「ゼロ形態素が加わったもの」とみなして2+5=7だが、合体した形、例えば -χ-un を一つの格と見れば2×5=10格を区別しないといけない。この場合はゼロ形態素を必ず認める必要がある。そしてこの「グループ」は二つだけではないから足し算と掛け算の差はもっと広まるだろう。格数の報告に揺れがあるのはそんなことも原因だと思う。
 処格が膨大過ぎるからか、ナフ・ダゲスタン語群の文法記述では「格」そのものを基本格(または文法格)と処格とに分けて考えているが、その「普通の」格、基本格には、絶対格、能格、与格、属格、さらに言語によっては具格などが加わる。他にもいろいろバラバラと基本格と処格の中間的な格があるそうだがこの際すっ飛ばして、基本格だけちょっと見てみると面白い現象がある。元になる語幹が二つあることだ。上で述べた比較的性格が温厚な(?)アグール語の基本格を見てみよう。
Tabelle1-169
まず第一次的には絶対格と能格の区別が格変化の出発点になっていることがわかる。その他の格の形は皆能格を基礎にしてそこにさらに接尾辞(太字)を加えて形造られたものだ。これがどうして面白いかというと、『65.主格と対格は特別扱い』で述べたロマニ語の格パラダイムと並行しているからだ。ただしロマニ語は印欧語なので第一次の分岐が絶対格対能格でなく主格隊対格で、対格以外の斜格が対格を出発点にしている点が違っている。前に出したロマニ語の例から単数の主・対・与・属格を繰り返してみる。属格は披修飾名詞が男性単数の場合の形だけ挙げた。
Tabelle2-169
格パラダイムの二重構造が鮮明だ。もちろんダゲスタンの言語とロマニ語では系統が全く違うからこれは単なる他人の空似ではあろう。しかし偶然は偶然としても気にはなる。
 このアグール語の例はマゴメドフという人の報告だが、前述の父キブリークはアグール語の一方言がgag → gagá (能格)というパラダイムを持っていると報告している。元の形 gag が主格と呼ばれているが、これは絶対格のことなのか、それともジョージア語のように主格と絶対格が併用されているのか。さらにタバサラン語の一方言に gagá→ gagá-ji(能格)というそっくりな形があるそうで、非常に面白い。

キブリークの挙げているダルギン語の格の説明では「絶対格」でなく「主格」номинативといっている。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.283から
nominativ-bearbeitet

 能格については前にもいくつか言語の例をあげたが(『51.無視された大発見』参照)、さらにちょっとアヴァール語を見てみよう。

wac̄as̄  χur bekḷana
brother-Erg.Sg + field-Abs.Sg. + plow-Past
兄(弟)が畑を耕した

dic̅a wac̅  wec̅ula
I-Erg. + brother-Abs.Sg. + praise-Pres.
私が兄(弟)を褒める

「耕す」も「褒める」も他動詞だが、「兄」が前者では主語、後者では目的語である。主語が能格、目的語が接尾辞なしの絶対格形になっているのがわかる。これだと主格と対格みたいだが、自動詞と比べてみると能格性がはっきりする。

dun wuq̅̇ula
I-Abs. + sink.Pres.
私がどっかり倒れこむ。

ここでも「私」は主語だが動詞が自動詞なので他動詞「褒める」の場合とは格が違い、絶対格をとっている。他動詞の主語なら能格だ。「私」は名詞でなく代名詞なので語形変化のメカニズムがやや異なっている。また英語の break のように同じ動詞が他動詞であったり自動詞であったりすることがあるが、その場合もきれいな能格構造になる。

dic̅a ġweṭ bekana
I-Erg. +  tree-Abs.Sg. + break-Past.
私が木を折った。

ġweṭ bekana
tree-Abs.Sg. + break-Past.
木が折れた。

つまり「折る」と「折れる」の違いだが、「折れる」の主語が「折る」の目的語と同じ格をとるのだ。

 もう一つ気になるのが文法上の性の数だが、アグール語など性を区別しない言語もあるが、たいていは2つから(タバサラン語の北方方言)8つ(ナフ語群)の文法性を区別する。アヴァール語は3つ、ラク語は4つ、チェチェン語は6つとなっている。だから「性」というより名詞の「クラス」または「カテゴリー」と呼ばれる。動詞や形容詞がそれに応じて呼応するのだ。一番多いのが文法性が4つあるパターンだそうだ。男性、女性、生物と特定の物質、その他という4つのカテゴリーである。ヒナルーグ語もこのパターンだが、「男」「少年」などが「男性」、「女」「娘」などが「女性」、「鶏」「蛇」が第三の 「生物と特定の物質」なのはわかるが、なぜか「橋」もここのクラスに入っている。「その他」には「仕事」「石」「眼」という雑多な名詞が属している。
 ところでこの4つの名詞性というのは以前見たブルシャスキー語(『144.カラコルム・ハイウェイ』)もそうで、上のロマニ語との並行性は偶然としか考えられないが、ブルシャスキー語との類似性の方は完全にシカトもできないのではないだろうか。ブルシャスキー語も能格言語だし、しかも絶対核の語尾はゼロ、能格には -e がついて上述のキブリーク報告のアグール語と形がよく似ている。
 またダゲスタンの言語は一人称複数の代名詞に包括的 inclusiveと除外的 exclusive(『22.消された一人』参照)を区別する:アヴァール語でni(包括)対 niž(除外)、タバサラン語で ixu あるいは uxu(包括)対 iču あるいは uču(包括)など。

 とにかく言語的には本当に面白い地域で、いくら大詩人のレールモントフだからと言ってこれらの言語を話す人々を簡単に「アジア人め」の一言で片づけて欲しくない。

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 以前にも書いたが、構造主義を発達させたのは言語学、特に音韻論である。「音素」という観念がすでに大発見だと思うが、それをさらに分割した最小単位「弁別的素性(そせい)」というアプローチが構造主義が広がる出発点となった。ヤコブソン、トゥルベツコイなどがあくまで言語学用に確立したこの観念を人類学・民族学者などがちゃっかり(?)拝借して応用し、そこから一般に広まった。民族学などの本の方がギチギチの理論詰めで書かれている無味乾燥なトゥルベツコイの『音韻論概説』なんかよりよっぽど読みやすくて面白いからだ。
 しかしロシア語を勉強した者ならふと疑問に思う人も多かろう:構造主義の先頭を走っていたロシア・ソビエトの学者はその後どこへ行ってしまったんだ?フォルトゥナートフがモスクワで、ボドゥアン・ド・クルトネがカザンで構造主義の先鞭を付けていたはずだが、その鞭は今何処にあるんだ?ド・クルトネについてはスラブ語学者の千野栄一氏もエッセイで強調しているが、ソシュールより30年も前にすでに構造主義言語学の基本的な考えに到達していたのである。プラーグ学派がナチにつぶされ、ユダヤ人のヤコブソンがアメリカに亡命してそこでアメリカ構造主義の発展の一因になったことはまだわかる。しかしナチに打ち勝った本家ソビエト・ロシアの構造主義はどうなったんだ?と。実際私たちのように外部にいるものには、1930年ごろから1960年ごろまで、こちらで構造主義やらソシュール言語学やらが花開いていた時期のソ連の業績がほとんど伝わって来ない。
 幸い、といっていいのかどうか、今では少なくともその暗黒時代の原因については皆に知られている。スターリンの御用学者のマールという言語学者だ。この人が1925年あたりからソ連言語学を牛耳り、自身の死後もスターリンの後押しでその言語学は影響力を失わず1950年代まで君臨し続けたからである。その言語学は一言でいうとイデオロギーを完全優先させたもので、言語の発展や変化の過程を階級闘争の一環として把握しようとする。印欧語学も構造主義の言語学も「ブルジョア脳」が生み出したものとして排除された。どうしてスターリンが言語学などというマイナーな分野に口を入れたのかよくわからないが、マールがグルジア人だったので同胞のよしみということなのかもしれない。また構造主義言語学がブルジョア言語学に見えたのは、当時の学者はド・クルトネにしてもソシュールにしてもトゥルベツコイ侯爵にしても貴族や裕福な家庭の出、つまりええとこのボンが多かったので、その思想も階級の敵という扱いになったのではないだろうか。1950年代にスターリンが突然掌を返してマールの説を放棄し、50年代中ごろからソ連でも構造主義がリバイバルするが、30年近く発展を阻まれてた言語学者の被害は甚大、いわばせっかく自分たちで築き上げた成果を民族学にさらわれる前に自分たちで滅茶滅茶に踏みにじったのである。
 このブランクのため50年代後半に構造主義言語学にOKが出てもしばらくはもたついていたようだ。構造主義への批判もあった。「構造主義は言語という人間の営みを非人間化している」と言う声もあったそうだが、そういえば一見人間の実際の生活や文化から遊離しているかに見える抽象的な理論に対しすぐ生活の役に立つの立たないのとケチをつけだす小学生が『身体検査』というソログープの短編に出ていた。大人になっても言語理論が一見日常会話言語と乖離し、言語学をやっても全く語学には役立たない(『34.言語学と語学の違い』参照)、こんなアプローチをやって何になるのかという懐疑を持っている人は多い。
 しかし一方かつて世界をリードしていたロシアの伝統はさすがに消えはせず、土台は残っていたので(その土台に立っていた建物はマールが焼き払っていたにせよ)そこからまた言語学の建設が始まった。チョムスキーの Syntactic Structures などいち早く紹介され、そのモデルをロシア語に応用した独自の変形文法理論などもすぐに出た。その一人がS.K.シャウミャン Себастиан Константинович Шаумян である。1965年に Структурная  Лингвистика(『構造主義言語学』)というズバリなタイトルの本を出して独自の生成モデルを展開し、それを「適用文法」と名付けて1974年にАппликативная грамматика как семантическая теория естественных языков(『自然言語の意味理論としての適用文法』)という論文(本)で集大成している。前者は1971にさる言語学のシリーズの一巻としてドイツ語訳が出ていて、そのシリーズ全般を監修したのがコセリウである。後者は1978年に『適用文法入門』というタイトルで出た日本語訳がある。
 時期的にはチョムスキーの変形生成文法がいわゆる(拡大)標準理論だったころで、もちろんその影響を強く受けている、というよりこれはチョムスキー標準理論のロシア語版である。いわゆる「言語ユニバーサル」という考え方が前面に出ていて、あらゆる言語を共通のモデル、共通の公式化で文法記述できる、少なくともそういうユニバーサルな公式化を目ざすという姿勢が顕著だ。英語やロシア語はその手始めなのである。さらに文法というのは既に発話された言語データの説明記述ではなく、その生成のメカニズムの再現であるべきだという考え。演繹面の強調である。言語構造を認識するためには統計的な手法は役に立たないとはっきりと述べている、また言い間違いや言語状況に左右される不純物を除いた理想的な言語あるいは「潜在的な言語」という想定もチョムスキーそのままだ。さらに、小さなことだが、名詞に付加された形容詞は関係節文を圧縮した結果とする見方も懐かしいというか当時の変形生成文法そっくりだ。
 
シャウミャンの別の論文にはチョムスキー式の樹形図が出ている。Структурная  Лингвистикаのドイツ語訳から。
StLingu213
 違う点はシャウミャンではそもそもそのタイトルからもわかるように文の生成の出発点からすでに語の意味(特に格の意味)や動詞のバレンツ構造が大きな意味を持つことである。当時の変形生成文法ではシンタクスと意味部門は別モジュールになっていて、共起制限の発動や格の意味(後にΘ役割とか呼んでませんでしたか?)の添加はシンタクス構造がある程度固まってから、少なくともシンタクス構造生成の過程で行われていたが、適用文法では格や動詞の意味が文生成の出発点だ。言い換えると適用文法では統語と意味を区別しないのである。格変化のパラダイムを全てと言っていいほど失った英語と、それをまだ豊かに持っているロシア語との違いという他はない。
 21世紀も20年通過した今になってこういうものを出すと、昭和ノスタルジーに駆られてウルウルするおじさんおばさんがいそうだが、変形生成文法の最初の一歩はこんな感じではなかったろうか。

1. S →  NP + VP
2. NP → N
3. N → {John}
4. VP → NP + V
5. NP → N
6. N → {duck}
7.  V → {see}

もちろんこの他にも duck の不定冠詞の a がついたり動詞に三人称 -s が付け加えられる細かい作業があるが、最終的に John sees a duck という文が生成されることになる。1のNPは主語、4と5のNPは目的語だから格が違うが、それは不問にされる。英語では形が全く同じだからである。対してシャウミャンでは出発点から深層格が顔をだす。ごく簡単に一例を見てみよう。

Raplo T1 T2 T3 T4

Rは人称に応じて変化する形式的述語、まあ大雑把に動詞のことである。その後ろにくっ付いているa、p、l、oというのが動詞のバレンツだが、注意すべきはこれがいわば深層格であって表面上に出てくる(つまり辞書に載っている)動詞の支配する格構造とは違うということだ。あくまで抽象的な深層の格構造であって、実際に具体的な発話として実現される際は別個の格になったり前置詞がくっついて来たりする。シャウミャンは格を「状況関与成分が演じている役割の呼び名」と定義していて、「役割」という言葉がチョムスキーとよく似ている。a は奪格 аблатив、p は通格 пролатив、l は向格 аллатив、o は対象格 объектив といい、それぞれ運動の起点、運動の通過点、運動の終点、動いている点そのものを表わすが、その際純粋に物理的な運動ばかりでなく、例えば

Иван нанёс  рану Петру ножом
Ivan主格 + bore/carried + a wound対格 + to Peter 与格+ with a knife造格
イワンがピョートルにナイフで傷を与えた


では、イワンが a、傷が o、ピョートルが l、ナイフが p だ。さらに次のような文の成分も深層格は上と同じだが、表層格は全く違う。前置詞を伴ったりもする(太字)。

Нанесена Иваном ножом Петру рана
is born/carried + by Ivan造格 + with a knife造格 + to Peter与格 + a wound主格

Рана нанесена Петру Иваном с помощью ножа
a wound主格 + is born/carried + to Peter与格 + by Ivan造格 + with the help of a knife生格

また動詞がバレンツ項目を吸収して意味の圧縮が起こることもある。例えば

Иван ранил  Петру ножом
Ivan + wounded + Peter + with a knife
イワンがピョートルを傷つけた

ではRo が一つの動詞に圧縮されている。
 Tは深層格を担う成分で、数字の順番通りにa、p、l、oの格役割を割り振っていき、T が a、T2 が p、T3 が l、T4 が oとなる。ここら辺は当時のチョムスキーなら

T1 → Ta
T2 → Tp
T3 → Tl
T4  →  To


とか何とか書きそうだが、シャウミャンはこれを次のように表わしている。
Schema1-168
Tの番号を見れば深層格も自動的にわかるので必ずしも必要ではないが、語順変換規則を適用した後などこんがらがりやすい時は明確にしておくためTにさらに格記号をつけることもある。T1a、さらに最初の番号を取ってしまって Ta などと書いたりもする。最終的にはこの T にさらに具体的な語彙素が代入される。これが構造の具現化である。上で出した懐かしの公式にある { } のようなものだ。

Raplo Иван  нож  Пётр  рана

 話が前後するが、実はこの Raplo T1 T2 T3 T4 というの4項構造がそもそもさらにいくつかの2項からなる原初構造(シャウミャンは「公理の型」と呼んでいる)から派生されたもので、全くの出発点ではない。だから前述の Иван нанёс рану Петру ножом などの文も直接 Raplo T1 T2 T3 T4 から導き出されたのではないと言う理屈になる。Raplo T1 T2 T3 T4 が生成された過程は以下のように図示できる。

Rao T1 (Rpo T2 (Rlo TT4))
Rao Иван (Rpo  нож (Rlo  Пётр рана))

( )はちょうど掛け算より足し算を先にするときに使うようなもので、括弧内部の処理をしてから外の計算(?)をかけろという意味だ。これがいわば深層構造でここに様々な変形規則を適用する。ちょっとごく簡単な例をみてみよう。

Он обрабатывает деталь
he + is processing + a/the part
彼が部品を加工している。


という文の出発点は次のような公理であり、

Roa (Rlo T1l T2o) T3a

この文の意味の深層構造は

* Он каузирует, (чтобы) деталь была в обработке
* he + causes, +  (that) + a/the part + was + in + a/the process
 
となる。 he が T3a、a/the part が T2o、a/the process がT1l であることがわかる。この基本形に二段階の演算処理が施される。

1. Roa (Rlo T1l T2o) T3a ------- (A)
2. B Roa (Rlo T1l ) T2o T3a --- (B)
3. Poa  T2o T3a ------------------ 融合規則 1.8

2の頭についている B というのは「意味規則」と言われるものの一つで処理の優先順位を変える。Aは(私の理解した限りでは)「絶対的被演算子」と呼ばれる、つまり始めの一歩だ。意味規則の他に融合規則と言うのがあり(3)、その1.8は

B Roa (Rlo T1l ) →  Poa

と図式化され、Pは「基本的述語」、シャウミャンの言葉でいうと「任意の複合の度合いを持った辞項の代表」である。上で述べた「意味の圧縮」を念頭に置くとわかりやすいと思うが、ここでは (Rlo T1l )が独自にまとまって

находится в обработке
is situated + in a/the process
加工中である


という意味単位を作る。

 さてこの文の受動表現のほうは別の公理から出発し、4段階の演算を経て次のように生成される。

Деталь  обрабатывается им
a/the part + is being processed + by him
部品が彼によって加工されている


1. Rao T1a (Rlo T2l T3o) ------------- (A)
2. C Rao (Rlo T2l T3o) T1a ---------- (C)
3. B (CRao) (Rlo T2l) T3o T1a ------ (B)
4. C (B (CRao) (Rlo T2l)) T1a T3o -- (C)
5. Pao T1a T3o ------------------------- 融合規則 1.1

この文の公理は  Rao T1a (Rlo T2l T3o) だから、その深層意味構造は

* (То, что) деталь в обработке, каузируется им
that + a/the part + in a process + is caused + by him

である。融合規則 1.1というのは

C (B (C Rao) (Rlo T1)) → Pao

というもの。
 これらは単純な文だからまだ付き合えるが(付き合うついでに誤植ではないかと思われる部分があったので勝手に直しておいた)、埋め込み文だの関係節だのになるとこんなもんじゃなく文一つ作るのに延々と演算が続く。また最初の絶対的被演算子が同じでもそこにかます演算の種類や順番が違うと非常に異なったアウトプットになる。さらにここからまた形態素の変換規則、それをまた音韻に変換する規則がたくさん続くから、まだ実際の発話となって出てくるまで道は遠い。

 まあこのように変形生成文法標準理論のロシア語版なのだが、一つエラく気になった部分があった。いわゆる「主題(トピック)」という観念の把握だ。シャウミャンは絶対的被演算子 としての文構造の最後に来る基項を「意味的に一番重い」とし、これを「主題」と名付けている。表面層ではこの主題が文頭に立つのだが、この考え方はそれこそプラーグ学派のテーマ・レーマ議論から一歩も出ておらず、しかも一部混同している。プラーグ学派で「意味的に一番重い」、つまり「情報価が高い」とされたのはテーマでなくレーマのほうだ。いわゆる「新情報」だからである。しかし当該指示対象が既知か未知か、既知だったらどれほど既知かという度合いをreferential status 指示のステータスというが、これと主題・述部といった文の情報構造とは理論的には互いに独立、無関係であるということはチョムスキー側ではそれこそ既知となった。私の覚えている限りでは1981年にイスラエルの言語学者ターニャ・ラインハルトが(言葉は違うが)そういうことを言っているし、なによりチョムスキー側には1960年代から日本の言語学者が多数参加し、「主題」を表わす特別な形態素を持っている日本語を議論に加えたことが大きいと私は考えている。日本の言語学者が世界レベルで果たした貢献であると。
 つまりプラーグ学派のテーマ・レーマ理論は「古い」のである。もちろん1960代当時は英語学側でもまだ議論が進んでいなかったから、その後の発展と比較してシャウミャン側を云々するのはフェアではないし、未だに日本語の授業で助詞の「は」は既知の情報を表わすなどというアンポンタンな説明をする人もいるから、こちらもあまり大きな顔はできまい。

一般化された語彙的意味を持つ深層語形から具体的な語彙的意味を持つ深層語形への変換。『適用文法入門』から。
234


深層の名詞語形を表層の名詞語形に変換する規則。これも『適用文法入門』から。
240

名詞の語形変化をその音韻表示に変換する規則。同上
244

「与える」という意義を持つコミュニケーション動詞の断片的な転換意味の場の生成の例(のごく一部)。同上
252


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