アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Juli 2021

一年遅れで開催された2020年サッカーECはイタリアの勝利で終った。以下の記事は前回2016年のECの時そのまた前回のECを回想したしたものだが、イングランド・イタリアのPK戦が全く同じ展開になったのでやっぱりねと思った。「イングランドの誰かがハズしたあとイタリアのキーパーが止めて終わる」、これは本当に自然法則なのかもしれない。

もとの記事はこちら

 サッカーのゴールキーパーのことをドイツ語でTorwart(トーアヴァルト)というが、これは本来「門番」という意味だ。
 まずTorはゲルマン祖語のa-語幹の名詞*duraに遡れるそうで、中高ドイツ語ではtor、中期低地ドイツ語ではdor。英語ではdoorである。wartは「番人」で、動詞warten(ヴァルテン)から来たもの。wartenは今では「待つ」という意味だが昔は「管理する」とか「守る」「世話する」という意味で、現在でも辞書でwartenを引くと古語としてそういう意味が載っている。「待つ」というふうに意味変化を起こしたのは中高ドイツ語の初期あたりらしい。英語ではwardという動詞がこれに当たる。
 このTorwartはゲルマン語としては非常に古い単語で古高ドイツ語にすでにtorwartという語が存在したどころか、ゴート語にも対応するdaurawardsという言葉が見られるそうだ。しかし一方すでに古高ドイツ語の時代にラテン語から「門」Portaという言葉が借用されており、Torwartと平行して中期ラテン語のportenarius起源の「門番」、portināriという語も使われていて次第にこちらのほうが優勢になった。だから現在のドイツ語では「門番」をPförtner(プフェルトナー)というのである。借用の時期が第二次子音推移の時期より早かったため、p →pf と教科書どおりの音韻変化を起こしているのがわかる(中高ドイツ語ではこれがphortenœreと書かれ、子音推移を起こしているのが見て取れる)。この音韻変化を被らなかった英語では今でもp音を使ってporterと言っている。
 つまり、ドイツ語の「ゴールキーパー」はすでに廃れた古いゲルマン語を新しくサッカー用語として復活させたものなのである。

 だからこれを言葉どおりにとればゴールキーパーの仕事は「しかるべき球は丁重に中にお通しする」ということにならないか?でもそんなことをやったら試合になるまい。

 サッカーはイングランドが発祥地のはずだが、ドイツ人は自国のサッカーに誇りを抱いているためか用語に英語と違っているドイツ語独自のものがあり、うっかり本来の英語の単語を使うと怒る。中でも彼らが一番嫌うのは「サッカー」という言葉で、以前日本でもサッカーの事をサッカーと呼ぶと知って「なんで日本人はそんな白痴的な言葉を使うんだ。せめてフットボールといえないのか」と抗議されたことがある。私に抗議されても困ると思ったが、「フットボールと言っちゃうとアメリカン・フットボールと混同しやすいからでしょう」と答えてやったら、「アメリカ人があんな変なスポーツもどきをフットボールと呼ぶのは彼らの勝手だが、日本人までサルマネしてサッカーとか呼ぶことはないだろう」とますます気を悪くされた。その時向こうの顔に「だから日本人はサッカーが弱いんだ」と書いてあった…ような気がしたのは多分私の被害妄想だろう。

 さらに「ペナルティ・キック」はドイツ語でElfmeter(エルフメーター、「11メートル」)という。私はこっちの方がPKより適切だと思う。延長戦でも勝負がつかなかった時のキック戦を「ペナルティ」と呼ぶのは変だ。いったい何の罰なのかわからない。時間内にオトシマエをつけられなかった罰というのではまるで脅迫であるが、このエルフメーターに関してはまさに脅迫観念的な法則があるそうだ。それは「イングランドはかならずPKで負ける」という法則である。

 前回のユーロカップでイタリア対イングランドがPK戦になったが、PKと決まった時点で隣のドイツ人がキッパリといった。

「イタリアの勝ちだ。」

サッカー弱小国から来た私が馬鹿丸出しで「まだ一発も蹴ってないのになんでわかるの?」と聞いたら、

「PKなんてやるだけ無駄無駄。「PKをやればイングランドが負ける」というのは自然法則だ。逆らえるわけがない。」

最初の一人がどちらも入れたあと、イタリアの二人目が失敗し、イングランドが入れたが、彼は余裕で言った。

「うん、最初のうちはやっぱり現象に揺れがあるな。イングランドがPKでリードなんて初めて見たわ。でもこのあとはちゃんと法則通りに収束するから見ていろ。まず次3人目、イタリアが入れてイングランドがハズす。」

その通りになると、

「おや、少なくとも枠には当てられたな。ベッカムよりは優秀じゃないか。4人目、イタリアが入れてブフォンがとめる。」

以前やっぱりPK戦で球をアサッテのほうにすっとばしたベッカムの記憶はまだ新しいのであった。ちなみにその2日ほど前にブフォンがドイツ人のインタビューに答えている様子をTVで流していたが最初誰だかわからなかった。どうもこの顔見たことあるなと思ったらブフォンだったのである。なにせこの人はフィールドで吠えている姿しか見たことがないので、普通の顔をして普通にしゃべられるとわからなくなるのだ。

で、そのブフォンが本当に4人目のイングランドをとめる。

「次、イタリアが入れて試合終了だ」

本当にそうなってしまった。イングランドが一人余って試合終了。確かにこれは自然法則だ。次の日の新聞にも「イングランドのPK、やっぱりね」というニュアンスの記事が並んでいた。Es hört einfach nie auf(「このジンクスはどうやっても止まらないよ~」)というタイトルの記事も見かけた。

 その次のユーロカップ、つまり今回の大会ではイタリアはドイツとすさまじいPK戦になりイタリアのほうが負けたが、そこでドイツの解説者が上述のPK戦にふれ、「イタリアは前の大会でPK戦になって勝ちましたが、まあ相手がイングランドでしたから。」と蒸し返していたものだ。それにしてもこの2016年のPK戦は規定内の5人では勝負がつかず、9人目まで延長してやっと決着がついた。PKの延長戦というのを見たのは私はこれが初めてではあるが、双方あと二人頑張っていれば打者一巡(違)ということになってさらに凄まじさが増していただろうに、その点はかえすがえすも残念である。
 ちなみにさるドイツ人の話では、今までの人生で見た中で最も恥ずかしかったPKキックとは、蹴りを入れようとした選手がボールのところでつまずいた拍子につま先が触れ、球がコロコロ動き出してキーパーの手前何メートルかのところで止まってしまったものだそうだ。これも相当の見ものだったに違いない。

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 前にちょっと出したインド領アンダマン諸島に住んでいるセンティネル人もそうだが、いわゆる未接触部族と言われる人々がいる。「いわゆる」と前置きしたのはこの言葉が厳密に定義されたものではない上に、あくまで外部側の一方的視点に根ざしている語だからである。一般に理解されている意味では「最初から外部世界と接触を保つことをを拒否するか、あるいは一旦外部と接触したのち、自ら進んで孤立した生活を続けるかそこに戻った人々」のことだ。
 2007年に先住民族の権利に関する国連宣言が出されて先住民族が同化を強制されず異なった独自の民族として自由に生活する権利を保証されたが、アメリカ大陸にもIACHR (Inter-American Commission on Human Rights)という組織がある。先住民族との接触事件はヨーロッパが世界征服を始めた時点から頻繁に起きているが、ほぼ全部が散々な結果に終った。先住民の土地に勝手にドカドカ入り込み、資源を奪い、挙句は先住民を支配したり奴隷化したりするのは論外だが(その「論外」がむしろスタンダードだった)、侵入者にたとえ悪気がなくても彼らが持ち込んだ疾病のせいで免疫のない住民が全滅したりほぼ全滅する憂き目を見た。たとえば宣教師などは意図としては「住民が神の子として幸せになれるように」するつもりだっただろうし(少なくとも一部のまじめな宣教師は)、また支配者側には先住民を「文明化」して生活を楽にしてあげようとしたのだろうが、住民の側は病気は持ち込まれるわ、今までの生活の伝統を急に破壊されるわで身体的にも精神的にもとてつもない打撃を受けた。いまだにアボリジニや米あるいはカナダ領のイヌイットにはアルコール中毒患者が多いのを見ても外部者の無神経さがいかに大きな破壊的作用をもたらすかわかる。例えばこの未接触部族の一番多い国はアマゾン熱帯雨林の半分以上を領土にかかえるブラジルだが、1500年ごろには当地にはおよそ1000部族、2百万から4百万人ほどの先住民族がいたと見られる。ところが5世紀を経た現在では先住民族は40万人、知られている限りでは220部族となってしまった。ブラジルの全人口の0.2%とかその辺である。
 そういう反省から国連でもIACHR などの組織でも、住民がその民族として生きる権利を最重要視して同化政策などはとらないことにした。もっともその原理を遂行するのにはいろいろ実際的な問題があるようで、そう理想的にばかりはいっていないらしい。1980年代の半ばになっても、外部から来た森林伐採者と何人か「ちょっと」接触したペルーのナワ族(メキシコのナワとは別でまたの名をヤミナワYaminawáと呼ばれる人たち)が居住地に風邪を持ち帰って60%の部族民が亡くなるという事件が起こっている。
 上記のブラジルには1967年からFUNAI(Fundação Nacional do Índio、国立先住民保護財団)という政府組織があって、アマゾンの先住民族の保護にあたっている。FUNAIには元になった組織がある。SPI(Serviço de Proteção ao Índio、インディオ保護業務)といい、1910年に創立されて先住民の保護にあたっていたが創立者の死後いわば組織が堕落し、業務員による賄賂事件や性的虐待が続いたので解体され、今のFUNAIにとってかわられた。私がニュースなどを見てみた限りではFUNAIはきちんとした仕事を行っており、活動内容も透明である。もちろん批判もある。FUNAIはあくまでブラジル政府下の組織だから、時とすると政府の方針に従ってしまい、先住民を十分に保護していないなどだが、これも上記のような「実際的な問題」であって、組織そのものの欠陥とは言えないのではないだろうか。
 他の国の他の先住民保護組織もそうだがこのFUNAIも1980年の終わりごろからその保護政策が方向転換した。外から人を送り込んでその部族を助けたり妙な〇〇人文化センターなどを建てたりする余計なお世話をしないことにし、先住民とコンタクトせずに保護することにしたのだ。これは前に出したセンティネル人に対するインド政府の態度も同じである。部族民とコンタクトせずにどうやって保護するのか。まず、周囲の住民の報告などから当地には先住民族が住んでいる(らしい)ことがわかる。報告を受けたらFUNAIは当地に専門家を送り、存在を確認する。この「専門家」というのが大事で、接触していいのは人類学者や言語学者、医者などから構成されるチームであって、素人がシャシャリでてはいけない。存在が確認されたら当該民族の住んでいる地域を「進入禁止」として、周りの住民が勝手にドカドカ入れないようにする。ただ、当該民族がすでに周囲の住民や特に牧畜業、大規模な農家の侵入によって存続が危ぶまれるような場合は例外的に介入し、その民族を別の安全な地域に移動させたりする。さらにこれも例外的に向こうのほうが周囲の住民に近づいてきて交流を求めたりしたら、応じなければいけない。いずれにせよコンタクトは極めて慎重に、専門家によってのみなされるべきで、その際も決してパターリズムに陥ってはいけない。あくまで向こうの意思に従うのでないといけない。
 ブラジル政府は1988年に憲法で先住民が自分たちのアイデンティティに従って、同化を強制されることなくその民族として生きる権利を保証した。2009年にはFUNAIの権限が強化されたが、現ボルソナロ政権でまた先住民の立場が危なくなってきているようだ。

 そのFUNAIの接触報告は時々ニュースも流れてくる。例えば2014年に周囲の住民から見知らぬ人たちが作物を奪いマチェットその他の工具を持って行ってしまうとの報告を受けたFUNAIが現地に人類学者のホセ・カルロス・メイレレスJosé Carlos Meirellesを始めとした専門家を送り、そこでその非接触部族をカメラに捉えた。エンビラ川Rio Enviraの上流、ペルーとの国境近くの、両国にまたがる先住民保護地域にあるシンパティアSimpatiaという村である。1988年まではそのあたりの地域には白人は全く住んでいなかったが、そのあと木を伐採しに来たり地下資源を掘りに来たりコカインを栽培しに来たりする(もちろんいずれも不法侵入)白人が先住民を追い出し、時として殺戮したりし始めたそうだ。

その非接触民族との邂逅が行われたのはブラジルとペルーにまたがる保護区。マクイーン氏のドキュメンタリ(下記)から
simpatia4

人類学者ホセ・カルロス・メイレレス氏(ウィキペディアから)
José_Carlos_Meirelles,_2013_(cropped)

 最初の邂逅時は向こうの言語がわからず、メイレレス氏が聞き取れたのは「帽子」、シャラという言葉だけであった。私はその様子をストラスブールのTV局ARTEが流したドキュメンタリ番組で見たのだが、そこにはその非接触部族が村の家々に入り込んで勝手に服や工具を持ち出していく様子が映っている。FUNAI側が何とかしてコミュニケーションをとろうと必死になっているのも見て取れる。ドキュメンタリの制作者はアンガス・マクイーンAngus MacQueenという英国の映画作家。そのあとFUNAIはそうやって「接触してしまった」部族の居住地を確保して隔離し、服や食料を提供して周囲の村から略奪しなくてもいいようにした上健康検査なども行って保護した。全部で34人の部族民がその居住地で暮らすようになった。邂逅地シンパティアからさらに何時間もエンビラ川をさかのぼった処である。隔離したのは上記にも書いたように外部と少しでも接触すると、こちらのなんでもない病気が感染して致命的な結果になる懼れがあるからだ。

FUNAIが発表した、邂逅の模様を映すビデオ


 最初の邂逅から9ヵ月後にマクイーン氏の一行は、ブラジル政府の許可を得てその居住地を訪れた。言語的に近いヤミナワ族(上記)を通訳として2名連れてメイレレス氏に同行して貰った。その通訳を通して彼らの話を聞いたのだが、ドキュメンタリの最初の邂逅時の映像についている字幕も多分その2名の通訳が訳したのだろう。部族の人たちの話によると、彼らが住んでいた保護地に不法に侵入してきた「白人」から、攻撃を受け埋葬しきれないほどの人が殺されたので、もとの部族は四方八方に逃げ回って散り散りになり、彼らも逃げてきたとのことである。その殺戮はどうもペルー側で起こったらしい。昔からそこに住んでいる彼らにとってはもちろんベル―とブラジルの国境など存在しない。それで他の者にその「邪悪な人間」について警告もしようと思ったそうだ。彼らは自分たちをサパナワ族と名乗った。
 集団の指揮をとっていたのはシナと名乗る比較的若い男性だったが、ジャングルでの生活についていろいろと語っている。とにかく夜は満足に眠れた事がない。いつ誰に、または何に襲われるかわからないのでおちおち寝てなどいられないのだ。実際この人の祖母はジャガーに食われてしまったそうだ。雨が降り続くと獲物がないから4日くらい何も食べ物がないことなど日常茶飯事だった。
 またこの人は人を殺している。自分の村が襲われた時、部族を守るために「白人」を矢で射殺したそうだ。またこの人たちが「人の物を勝手にとってはいけない」という感覚を持っていないのは、ドキュメンタリの最初で人の村に勝手に入ってきて服を堂々と持って行ってしまうのを見てもわかる。彼らは以前から「白人」が服を着ていろいろな道具を持っているのを見かけて、自分たちもああいう服が欲しいと思っていた。欲しかったから当然それを盗み、皆で着ていたら、ほぼ全員病気になって死者まで出たと話している。メイレレス氏が最初に彼らが村の住民の物を持って行くのを見て必死に止めたのも「汝盗むなかれ」だからではなくて服から病気が感染する懸念があったからである。事実メイレレス氏が奥の居住地を訪れたときは女性の一人がひどい膀胱炎にかかっていた。

 メイレレス氏は非接触部族とのコンタクトは向こう側ばかりでなく、こちら側にとっても常に危険があることを語っている。最初の邂逅の直後が一番危ない。彼らに殺される危険性があるからだ。この20年間にFUNAIの職員がすでに100人以上邂逅した後非接触部族に殺されているそうだ。先住民からすれば、自分たちの土地に侵入してきて最初はいい顔をしていてもやがて仲間を虐殺しだす白人とFUNAIの白人の区別がつかないからだ。メイレレス氏自らも矢を射かけられたり襲われたりする目に何度も遭っている。別の資料によると一度など身内を守るために襲撃してきた先住民族の一人を殺めなければいけなかった。それが生涯のトラウマになっている。そういうことを淡々と話すメイレレス氏はいわゆる文明人がよくやるように昔ながらの生活をしている人々を変に牧歌的に理想化して見てもいなければ、逆に「未開人」だといって見下してもいない。この、文明化した現代の人間が「未開の」人々にたいしていだく傲慢な考えを嫌悪する態度は以前にアイザック・アシモフからも感じたことがある。古代エジプトのピラミッドの設計の正確さや、ペルーの巨大壁画(これらの人々は「未開」とは言えないが現代ほど科学技術や知識が発達していなかったことは確かだ)を見て「技術的に遅れていた当時の人々がこんな正確なものを造れるわけがない。宇宙人の仕業ではないのか」などと言い出す輩(おっと失礼)に対して「自分たちに理解できないことを遅れているはずの人たちが成し遂げるとすぐそういう発想をする人たちは肝心なことを忘れている。技術的に遅れていようが我々より知識がなかろうが、脳そのものは変わらないのだ。私たちの大部分が理解できないようなことを理解できる人は当時からいたのだ。」と怒りをぶつけていた。非接触部族にしても、私なんかより語学や数学の才能がある人などいくらもいるはずだ。
 メイレレス氏は彼らの事を単に「異なった生活様式」と言っているが、その「異なった生活様式、異文化」を見下すのと逆にやたらと憧れるのとは結局コインの裏表で、地に足が付いていない、さらに言ってよければ無責任な精神的自慰行為だと私は思っている。『138.悲しきパンダ』でもちょっと述べたが、異民族に自分たちの文化を押し付けて同化を強制しそれを「発展の手助け」と思うのも、勝手なイメージで「〇〇文化大好き」などと横恋慕しだすのも根は同じで、相手を血の通った自分たちと同等の人間だとは思っていない。だから私はアニメだけ見て「日本大好き」とかドイツ人に言ってこられても全然嬉しくも感謝する気にもなれない。
 メイレレス氏は違う。氏はドキュメンタリーの最後のほうで、「非接触部族を保護するのは彼らをガラスの箱に入れて標本さながらに昔ながらの生活をさせることではない。」とはっきり言っている。つまり自分たち用の見世物として永久保存するためではないのだ。部族を存続させるのが最大の目的で、そのため接触には細心の注意を払うが、それによって向こうの生活が良くなり、精神的にも部族としてのアイデンティティが保たれ、向こうもそれを望むなら伝統を捨てて習慣を変えるのに反対する理由は何もない。「サパナワ族はもう昔の裸には戻りませんよ(シナ本人も「服を着る習慣がついてしまうともう裸なんか恥ずかしくって」と言っている)。考えてもご覧なさい。今回サパナワが私たちの前に出てきて接触を求めなかったら、彼らはジャングルの中で全滅しその存在すら永久に知られずに終ったかも知れない。生活を変えたおかげで34人全員生き残っているんです。彼らに文明化を完全に拒否しろと命令することは出来ない。文明と衝突するのは危険な過程だし死人も出るだろう。でもそれが生きるということだ。彼らの子供たちはやがて書くことを覚え、大学に行くものだって出るだろう。環境に従って誰でも変わっていく。それが現実だ。」

子供は学習が早い。つい先日まで衣料さえ知らなかったのにもうカメラを抱えてジャングルを撮影し始めたサパナワ族の子供
kamera2

 さらに私は個人的に、人間の頭の出来は文明人だの未開人だのとは関係ないという当たり前の事実をもっともヒシヒシと感じるのは言語においてだと思っている。このブログでも時々「先進国ほど技術が発達していない」人々の言語に言及してきたが、どれもこれも難しい文法ばかりである。こういう凄い文法の言語を彼らは子供でもマスターしているのだ。いくら宇宙船の操縦ができて、やたらと難しい哲学論争ができて、グルメで金持ちで高尚な趣味を持っていても、これらの文法がスース―理解できる助けにはならない。難しいものは難しいのである。
 このドキュメンタリではヤミナワ族が助けてくれたからなんとかサパナワとも意思の疎通が取れた。そのヤミナワ人がサパナワ語とポルトガル語間を通訳する様子などもう神業としか思えない。その神業の助けが全くないといくら先進国から来た人でもお手上げだ。そういう、全く話の通じない非接触部族と接触した例はいくつかある。例えば1980年代に非接触部族の男性が2名現れたが、彼らの言語は周りの他の部族と完全に異なっていて、複数の先住民の言語ができる言語学者のノルバウ・オリベイラNorval Oliveiraが30年かけても十分にわからなかったそうだ。名前もわからないからこちら側で勝手にアウレAure、アウラ Aurá と呼んで、彼らに居住地を与えようとする試みは全て失敗に終わった。行く先々で人に害を加えたりものを盗んだり、トラブルがたえなかったらしい。結局亡くなるまでオリベイラ氏が保護したそうだ。これは日本のNHKで放映されたと教えてもらったが、残念ながら私はこちらにいるので見ていない。

メイレレス氏に同行したヤミナワ族の通訳
dolmetscher

 サパナワ族の話に戻るが、マクイーン氏はメイレレス氏らと分かれたあとペルー側に入ってもともとサパナワと同じ部族だったという別の人たちと遭っている。定住してキャッサバの栽培などで暮らしていたが、その人たちにメイレレス氏が撮影したビデオを見せたところ「この人たちは個人的には知らないが、話す言葉はすべてわかる」と答えた。さらに「リーダーがこんなに若い人というのは解せない。年配者が全員殺されたんじゃないか」とも言っていた。そのペルーの人たちはジャングルから出てきて生活を始めたが、奥のジャングルにはまだ親戚身内が住んでいるそうだ。「こっちに出てきて私たちと同じ暮らしをしたらいいのに」とその「親戚」は言っていた。
 ペルー側でも非接触民とその地に住む人たち(白人でなく定住生活に入った先住民であることが多い)との間に死人さえ出る争いが起こるそうだ。人を殺され家畜を奪われた村人は当然非接触民に報復したくなるだろう。双方にとって本当に危険で困難な過程である。

 なお最初に述べたようにFUNAIは「生活を変えるのに反対しない」からと言って自分の方から同化を促して生活を変えさせるようには絶対働きかけない。基本は「存在を確認したらその地区を立ち入り禁止にして外部と接触させない」やり方をとる。それでも外部から文明人はドンドン押しかける。先住民を邪魔だと言って殺したり追い出したりする。これが続けばいくらFUNAIが保護しても「いずれは非接触民族はいなくなるだろう。もうこの流れは止まらない。」とメイレレス氏でさえ言っている。文明とは何のためにあるのか、人間とは何か。

ARTEが流したドキュメンタリのフランス語版



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