ロシア語にлишний человек(余計者)という言葉がある。本来文学用語だが、単なる語学辞書にも載るほど「普通の」言葉になっている。例えば手元の博友社の露和辞典のлишнийの項には「лишние люди:余計者(19世紀のロシア文学の典型的な一群の人物)」とある。лишние люди という形はлишний человекの複数形だ。どういう風に典型的なのか、岩波文庫の旧版ロシア文学案内を見ると「善意と才能を持ちながら、それを国民のために役立てることができずに、なすこともない生活のなかに悩む人々」と定義されている。さらに「彼らは貴族社会のなかでの個人的成功のための、客観的な条件をそなえているが、そのような成功には心をひかれないで、国民のために役立つような生活の道を歩もうとする。しかし彼らは農奴制的専制政治のもとで、この道を見いだすことができない」。またこのタイプの代表的人物とされるプーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』のように、「上流社会の虚飾や偽善にあきはてて、くらい懐疑におちいっている」のも特徴とされる。
 オネーギンの他にタイプの典型例とされるのは、レールモントフの『現代の英雄』の主人公ペチョーリン、トゥルゲーネフの『父と子』のバザーロフ、ゴンチャロフの『オブローモフ』のオブローモフが定番だが、ゲルツェンの『誰の罪か?』のベリトフ、ドストエフスキイの『悪霊』のスタヴローギン、同『罪と罰』のラスコーリニコフ、トルストイの『戦争と平和』のベズーホフなどもよくあげられる。特にドストエフスキイ、トゥルゲーネフは他の作品も余計者の形象で満ち満ちている。スタヴローギンとオブローモフがこのタイプとして同じカテゴリーにくくられている事で、この形象の範囲の広さ、深さがわかる。
 そこでロシア語側の文学事典などを見てみると、だいたい次のように定義・説明されている:

Лишний человек:19世紀の20年代から50年代にかけてのロシア文学の特徴的なタイプ。その主な特徴としてロシアの公的生活や自分が生まれ育った社会層(普通貴族層)から遠ざかっていること、その際教養・知性点でもモラルの点でも自分のほうが周りの者より優れていると思っていることがあげられる。しかし同時に精神的に疲労し、深い懐疑に陥り、言葉と行動が乖離し、社会に対しては受動的な態度をとることになる。Лишний человек(「余計者」)という名称はトゥルゲーネフのДневник лишнего человека『余計者の日記』(1850年)以来広く使われるようになったが、タイプそのものはそれ以前から見られる。

この定義によれば核となるのは19世紀の20年代から50年代ということだが、さらに詳しい説明で「19世紀の後半全般から20世紀の初頭に至るまでこのタイプは広がっている」とあるから、上のドストエフスキイやトルストイの登場人物をこのタイプとして勘定するのは間違いではないわけだ。
 さらにこれに近いタイプはそもそも19世紀初頭の西欧文学、バンジャマン・コンスタンやド・ミュッセの作品に見いだされるそうだ。古い硬直した社会体系が崩れ、自由主義・個人主義が台頭する過程ではどうしても個人とその所属社会との間で齟齬が生じる。この過程は西洋ではある程度時間をかけて成熟したが、ロシアではその変化が急激であったために、西欧より像が鮮明で時期的にも限られた人物像として文学に現れたわけである。当時のロシアの教養人としてフランス文学に精通していたプーシキンはそこで「精神的にはすでに老成している」若者がよく登場することに気付いていたそうだが、この「精神的に早熟」というのも余計者の重要な特徴だろう。
 さらにこじつけて言えば西欧だけでなく、日本文学にも「高等遊民」という人たちが登場し、ある程度の相似性を持っている。なぜ「こじつけて」なのかと言うと、発生のメカニズムが正規の余計者とは全く違うからである。高等遊民は自分と自分の属する社会との齟齬に苦しんでいるのではなく、単に遊離しているだけだ。遊離しているというより「ついていけてない」と言った方がいいかも知れない。彼らが乖離しているのは自分たちが本来属する社会層、ひいては自己そのものではなく「周りの通でない奴ら」だから、その齟齬が自分の存在意義に対する根源的な疑問には繋がらない。疑問や悩みがあるとすれば「俺たちより劣っている周りの奴らに同調しないと生きていけない苦しさ」であって、自分そのものは全然傷ついていない。このいわば上から目線性は自分たちの方を「高等」などと名付ける神経からもわかる。まあ周りについていけない悩みというのも決して浅い苦悩ではなかろうが、余計者の方が苦しみ・自己破壊の度合いはずっと深いだろう。高等遊民と余計者の類似性はあくまで表面上に過ぎないと私は思う。

 さて、その名付け親となったトゥルゲーネフのДневник лишнего человекаはタイトル通り日記形式の短編で、生きるのを止めようと決心した30歳の主人公がその死の二週間前から書き始めた記録である。その3月23日に主人公はなぜ自分自身を「余計者」と呼ぶに至ったか、心境を述べている。Лишний человекの他に сверхштатный человек という言葉も使っているがどちらも「余計な人物」。

自分の事をЛишний человекと名付けた日記の箇所(赤線部)。言葉自体はすでに前日、22日に現れている。
lisnijCelovek

 まず余計者というのは単にその人が居なくなっても世の中は別に困らない人、代わりがいくらでもいる人のことではない。それを言ったら世界のあらゆる人間は「別にその人がいなくても宇宙は立派に廻る」からだ。ところが余計者たる自分はその発生・出現を自然が勘定に入れていなかったので、何もかもが自分を避けて通る、まるでまさか来るとは思わなかった呼ばれざる客のような存在だ。人生常にその調子で自分の場所はいつもすでにふさがっている。多分あるべきところでその場所を探さなかったからかもしれないが、そもそもその場所探しの感覚が完全に欠如している。
 そうやっていつもいつも場所探しが失敗に終わったためか、それとも生まれ持った性格のためか、自分は感情と思考との間にどうしても乗り越えられない障壁があって、それを超えよう、何か外に出そうとすると、顔は引きつり硬直し、態度は不自然になり、苦悩を背負っているような様相を呈してきてしまう。呈するばかりでなく本当に苦しいのだ。何も行動ができない。自分の内部にこもるしかない。これじゃ人が妙に自分を避けるのは当然だ。皆自分に会うと、困ったような顔をして不自然にフレンドリーな挨拶をする。

 日記ではこの主人公がいわば失恋のエピソードを物語るが、それが特に死への引き金になったわけではなく、「常にこの調子」の一つの例として語られる。「いわば」と書いたのはその出来事がそもそも失恋でさえないからだ。
 主人公はさる令嬢に想いを寄せ、最初は令嬢にもその気があると思っているがやがて向こうでは自分のことなど何とも思っていないことが「わかってしまう」。時を同じくして首都からバリバリの若い公爵がやってきて、令嬢は公爵と恋に落ちる。公爵は町中の人気者となり、誰が見てもこの二人は将来結婚するように見えた。特に令嬢の父親が公爵との結婚に乗り気である。収まらない主人公は、公爵を侮辱して決闘することになるが、公爵は自分は頭に怪我を負いながらも主人公に対しては弾を上に向けて発砲し、「こちらは殺す気はない」、つまり道徳的には自分のほうが優れていることを示す。
 人気者の公爵に怪我をさせた主人公は町中の人からつまはじきにされるが、やがて公爵が令嬢に結婚の申し込みも何もせず、突然町を去ってしまうと今度は「首都から来て令嬢をたぶらかした公爵と戦った人」として名誉挽回、出入り禁止を食らっていた令嬢の(両親の)家にも再び招待されるようになる。主人公はここで、令嬢は今度こそ自分の真心が通じるだろうと思って期待しているが、それがまたトンチンカンな誤算で、偶然立ち聞きしてしまうが、令嬢は「いつまでも公爵を愛している。公爵は自分をたぶらかしてなどいない。一度だって結婚を言い出したことなどなかった。自分はそれで十分、公爵の妻になれないことなど最初からわかっていたからだ。今自分が望むのは公爵が都でふさわしい人を見つけ、幸せな家庭を築いてくれること、そして時々は自分の事を思い出してくれること、それだけだ」。さらに「あの〇〇(主人公)が嫌でたまらない。あの人の手は公爵の血で汚れている」。そして令嬢はやはりいつも令嬢家を訪問していた「何もかも知っていてそれでも私を愛してくれた」別の人と結婚してしまう。
 主人公は自問する。自分はいったい何だったのかと。この出来事は仮に自分がいなくても全く同じ結果になったはずだ。それどころか自分がいなければもっとすんなり流れたはずだ。自分はここでも完全に余計者、呼ばれざる客でしかなかったのだ、と。


 次にやはり余計者の例として必ず引き合いに出されるレールモントフの Герой нашего времени『現代の英雄』(1837-1840)の主人公ペチョーリンはこんなことを言っている:
 自分が死んだって世界の損失などには全然ならない。自分のほうだってすでに死ぬほどこの世界に退屈している。まるで舞踏会であくびが出て早く家に帰って寝たいのに、馬車が来ないから仕方なく残っているようなもの。迎えがやっと来ればむしろ万歳だ。
 そもそも自分はなんで生きているのか。何の目的で生まれてきたのか。もともとは何か高い目的が定められていたことはわかっている。そういう強い力を心に感じている。でもその定めがなんなのかどうしてもわからない。行き所を失った激情は結局自分自身を破壊していき、今はとにかく何をやってもただ退屈でたまらない。

 こういう人物は外から見ると冷たく、モラルがなく、高慢に映る。顔は笑ってはいても目が全然笑っていない。だが鋭い観察者が見抜いていうには、「こういう顔をする人は悪人か、大きな苦悩を背負った人かのどちらかだ」。

 この小説は5つの物語から構成されているが、そのうちの一つが日記形式でトゥルゲーネフの『余計者の日記』と内容的にも明らかに並行している。Княжна Мери『公女メリー』という章だ。
 主人公ペチョーリンは友人が公女メリーに恋しているのを見て、いろいろ策を試みて公女が自分を愛するようにしむける。この友人が実は自分を嫌っていることは主人公はもとからお見通して、双方嫌いあいながら友人付き合いをしているのだ。公女もその母親も主人公との結婚が目に入るようになる。収まらないのは友人だ。主人公を侮辱して決闘に持ち込む。友人側はそこで本当に主人公を殺す気はなく足でも撃って怪我をさせる程度にしようと策を弄するのだが(主人公側の銃には弾を込めず、自分にも当たらないように細工する)、それを立ち聞きして知っていた主人公は、怪我をさせられたら怪我で終らないで絶対に自分が死ぬような方法を提案、さらに弾の入っていない自分の銃を改めて充填し本当にどちらかが死ぬか生きるか待ったなし状態にする。主人公はそもそも人生に退屈しているので死ぬことなど怖くもないから平気で堂々と相手の銃の前に立つが、そこまで根性のない相手は主人公に銃を放つことができない。自分を撃つ勇気が無かった相手を主人公は馬鹿にして煽り、向こうが「殺せ」と言うしかない状況に持って行く。そして「殺せ」と言われたから本当に相手を殺す。
 その後、結婚を望む公女には「全然あなたのことなど愛していない。そもそも誰とも結婚なんてしたくない」と本当のことを冷たく言い放って町を去る。
 この主人公は何となく『悪霊』のスタヴローギンを想起させるが、上のトゥルゲーネフの『余計者の日記』では公爵がこれに対応する感じだ。殺される友人がトゥルゲーネフでは主人公である。


 実は私は最初この『現代の英雄』も原語で読もうと思ってツンドクしてあった本を引っ張り出してきていた。が、『余計者の日記』を読みおわった時点でロシア語疲れしてしまい、翻訳に逃げた。その駆け込み先の翻訳は悪い翻訳というのでは全くなかったがちょっと不親切なところがあって、例えばこの作品も当時のロシア文学の例にもれず登場人物が時々フランス語を話すのだがその部分が全く訳されていない。仕方がないから原文に当たった。ロシア語原文でももちろんそこはフランス語で書いてあるが、ページの下に注を加えて意味が訳してあるので、それを見てから訳に戻る。その原文版というのは『151.Роман с кокаином』で取り上げた小説と同じ出版社から出ていたペーパーバック版で、何とprinted in Parisだ。フランス発行の本でフランス語の部分が訳してあるのにドイツ発行だと訳がないのはなぜだ。
 また翻訳ではロシアの特殊な事物を表わす言葉が全く訳されずに音を写し取っただけの外来語になっていることが多かった。例えばTschichir、 Jessaul という言葉が出てくるが、これは何ですか?当然ドイツ語の辞典には載っていない。再び仕方なく原語にあたるとそれぞれчихирь、есаулで、どちらも普通のロシア語辞書にしっかり載っている。前者がkaukasischer Rotwein (コーカサス地方の赤ワイン)、 後者がKosakenrittmeister(コサックの騎兵大尉)である。翻訳論として面白い問題提起だとは思うが、これらをそれぞれ単に「赤ワイン」、「コサック将校」とでもするかせめて括弧にでもいれて注をつけるわけにはいかなかったのだろうか。もっとも用意した原語版が無駄、それこそ余計本にならなかったからかえってよかったのかもしれないが。

「参照」しただけに終った『現代の英雄』の原語版
geroj

フランス語ができないと読めないドイツ語訳の『現代の英雄』
held

 
この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ