長い間気にかかっているのに改めていろいろ調べるのはおっくうだということで放置している事柄というのは誰にでもあるのではないだろうか。例えば私は森鴎外のエリスという名前がそうだった(『131.エリスという名前』参照)が、他にもある。
 ロシア語で「火」をогонь(アゴーニ)というと聞いて驚いた。実ははるか昔にサンスクリットというのをほんの短期間だけ勉強したが内容そのものはほぼ完全に忘れ、残っているのは当時買った教科書だけという状態である。なぜ「ほぼ」かというと単語がわずかに3つだけ記憶に残っているからであるが、その3つの単語の中に「火」があって、アグニというのだ。「火」というより火の神様の名前である。これとロシア語の形があまり似ているので驚いたのだ。もっともあまりにも似すぎているのでこれは偶然か借用かもしれないとも思った。しかしその後ラテン語で「火」を ignisということを知った。英語の ignition の冒頭部もこれで、中世フランス語を通して入ってきたものだ。微妙に母音が違っていたりするあたり、むしろこっちの方がサンスクリットのアグニと同源っぽい。そこで最近になってやっと調べてみたらこの3つ、サンスクリットのアグニ agní、ロシア語の огонь、ラテン語の ignisは本当に同じ単語から派生してきたものだった。印欧祖語の再現形では*hxn̥gʷnis あるいは*h₁n̥gʷnis (資料によって再現形に差がある)といい、ラテン語、ロシア語、サンスクリットの他にリトアニア語の ignis、ラトビア語の uguns もこれである。ロシア語の形が「似すぎている」のはスラブ祖語から音韻変化してくる際に母音の音価がいわば元に戻ったからで、古教会スラブ語では ognĭ、つまり母音は o だった。だからこそロシア語でも綴りがогоньとなっているわけで、アーカニエ(『6.他人の血』『26.その一日が死を招く』参照)のため a にはなっているが、音韻レベルでは o なのだ。アクセントが後ろに移動している点も(『56.背水の陣』参照)東スラブ語の図式通りである。
 これらに対してドイツ語では「火」をFeuer といって、もちろん英語の fire、オランダ語の vuur と同源だ。中高ドイツ語では viur、viwer、viuwer、fiur などと書いていた。v とは書いても無声子音だったようだ。古典ギリシャ語の πῦρ (pûr)も一緒で、印欧祖語形は*péh₂ur̥ 。第一時音韻推移で祖語の閉鎖音*p がゲルマン語派では調音点はそのままで摩擦音 f になっているわけである。アルメニア語の հուր (hur)、ヒッタイト語の paḫḫur、古プロイセン語の panno、ラテン語の兄弟ウンブリア語の pir、トカラ語Aの por、トカラ語Bの puwar もこの語が起源である。さすがアルメニア語の音韻推移だけは他と離れてアサッテの方を向いている。バルト語派、スラブ語派は上述のように*h₁n̥gʷnis(あるいは*hxn̥gʷnis。上記参照)形が基本だが、チェコ語に*péh₂ur̥ 起源の pýř という語があり「灰」である。「火」そのものはチェコ語でも oheňと*hxn̥gʷnis 形だ。

 それにしてもなぜ「火」などという基本単語がこのように祖語形から単語自体が真っ二つに割れているのだろう。普通印欧語内では「水」とか「母」「父」などのありふれた言葉はもともとの形は同じ一つの単語であることが多い。だからこそ音韻対応の規則が容易(でもないが)に見つけられたのだ。不思議に思って調べてみたら、*hxn̥gʷnis と*péh₂ur̥ とは火は火でも意味合いが違い、前者は男性名詞で人格化された火、いわば行動主体としての火で、サンスクリットのagní が火というより「火の神様」を表しているのもうなずける。現在のインドの言葉は皆この agní を受け継いでいて(プラークリットで agg)、ベンガル語 agun、ヒンディー語の āɡ、パンジャブ語の ag は当然この直系だが、ロヒンジャの言葉 ooin もこれ起源だそうだ。ロマニ語の jag も同源である。さらにこの言葉は近隣の非印欧語にも借用されていて、タミル語の akkiṉi、テルグ語の agni、タイ語の àk-ká-nii などあちこちに飛び火している。さらに本来 *péh₂ur̥ 系のヒッタイト語にも ak-ni-iš という形があるが、これはヴェーダの火の神様のことのみを指すあくまで固有名詞で、普通名詞としての機能はなかったらしい。この男性名詞の*hxn̥gʷnis に対し、*péh₂ur̥ は中性名詞、単なる自然現象、人格化などされていない物質あるいはモノとしての火だ。上でも述べたようにインド語派とロマンス語派以外の印欧語は基本的にこちらを使っている。
 『122.死して皮を留め、名を残す』でもちょっと名前をだしたBonfante はこの二つの形に言語地理学的なアプローチをして*péh₂ur̥ は「中央的」*hxn̥gʷnis は「周辺的」な分布を示す、つまり*hxn̥gʷnis の方が古い形であると見た。最初印欧(祖)語では「火」は*hxn̥gʷnis 形だけであった。しかしその後新しい形*péh₂ur̥ が文化的中心部に発生し、それが古形にとって代わっていったと。いわゆる波動説に従ったのである。斬新的な新しい形はまず文化の中心地に現れ次第に周辺部に広がっていくから中央部ではすでに新しい形が使われている時期でもまだ周辺部では古形が残っている場合が多い、という考えかただ(『105.茶飲み話』参照)。このボンファンテの説に対してはMalloryと Adamsが異を唱えている。まずヒッタイト語が*péh₂ur̥ である理由がわからない。このほとんど最古の印欧語がすでに新しい単語を使っている一方で、古いは古いがそれよりちょっと時代の下っているサンスクリットだろラテン語だろが「それより古い」形を使っているのはなぜか。さらにトカラ語などのどう見ても周辺言語が文化的中央語の*péh₂ur̥ である説明もつかない。もう一つ、各言語での*péh₂ur̥ 起源の語の活用のパラダイムなどを見てみると、こちらの方がむしろ古い印欧祖語の形を保持していて、*hxn̥gʷnis は形態素的に新しいタイプの語である。しかしそこまで言っておきながらマロリー&アダムズは「*péh₂ur̥ のほうが古い」という結論にまでは持って行っていない。私には「なるほど、じゃあ*péh₂ur̥ のほうが古いんじゃん」としか思えないのだが、M&Aによれば両方とも印欧祖語にもともとあった語で、印欧祖語民族は生物または魂を持つ実体と単なる物質としての火を言語上で区別していた、それが印欧祖語がいろいろな言語に分離してくる際、どちらか一方がもう一方を押しのける形で一つの単語に固定してしまったと。
 確かに古い印欧語は生物非生物の区別に敏感だったらしく、その形跡が今でもところどころに残っている。現にロシア語では生物非生物によって対格の形が違うし、ヒンディー語やヒッタイト語に見られる能格構造も元をただせばそのせいといえそうだ。たとえばアナトリア語派(ヒッタイト語もこれ)では中性名詞が他動詞の主語に立つときは主格とは異なる*-enti という語尾をとるようになった。これは本来中性のn-語幹名詞の奪格・具格形だったもので、非生物を表す中性名詞が生物のように主語に立つと居心地が悪い感じがしたからだ。現在の英語だったらThe fire burned the house と言っても何の差支えもないが、ヒッタイト人は引っかかったと見えて非生物が主語に立つ場合は奪格・具格を取っていわば (It) burned the house with fire 的な表現をした。これが固定して能格が生じたのである。日本語も非生物が主語に立つと非常に座りが悪い。「火が家を燃やした」とは普通の日本人ならいわないだろう。ヒッタイト語では*-enti は -anza として現れ、「火」の能格は paḫḫuenanza である。現在のヒンディー語にも能格があるが、これはまず動詞の形が変わり、そのバレンツに引っ張られて死体を別の格で表すようになったのが固定したそうで、アナトリア語派とはメカニズムが違うが、どちらも二次的に発生した能格である。

 さて、*hxn̥gʷnis のほうが新しい、という仮定をちょっと続けてみよう。この新語はどうやって生じたのか。印欧語を話す人々がインド亜大陸に入ってきたとき、すでに当地には先住民族がいた。おそらくドラヴィダ語を話す民族だったと考えられる。古代インド語がここから「火の神様」という語を借用したのか。しかしその後はドラヴィダ語のほうがサンスクリット、パーリ語などのインド語派に押されて影響を受け、上にも書いたように現在のドラヴィダ語群の「火」はサンスクリット語からの借用であることが明白だ。だから昔インド語の方がドラヴィダ語から取り入れたと考えたいのなら、ドラヴィダ語の「火」という単語の原本(違)は一旦消滅し、サンスクリットがそれを保持していたのを後からまた取り入れたということでなければならない。どうもこりゃ考えにくい。やはり印欧語が北からインドに入ってきたときはすでに印欧語側に*hxn̥gʷnis という単語があったとしか考えられない。
 その「北」、今のチグリス・ユーフラテス川の北には紀元前1600年ごろミタンニ王国というのがあった。そこに元々住んでいたのはフルリ人という非印欧語民族だったが、後からきた印欧語民族に支配され、紀元前1360年ごろヒッタイト人に滅ぼされた。そこでその言語についてのヒッタイト人の記録が残っている。それによればヴェーダやヒンドゥー教の神々の名前が被っているそうだ。火を神として崇める宗教自体も北の現地人たら取り入れたのだろうか。その地域も含めたインドの西北、現在のイラク、イランのあたりには火を神聖なものとして崇める宗教が広まっていた。ゾロアスター教などその典型だ。その当時当地にはフルリ人だけでなく非印欧語を話す民族がいろいろいたことはシュメール語、エラム語、アッカド語などの記録を見ても明らかだ。先住民がすでに持っていた拝火思想が後から来た印欧語民族に伝わり、ついでに「火の神様」「人格化・神格化された火」という単語*hxn̥gʷnis が印欧(祖)語に取り入れられたのかもしれないと最初考えた。だからサンスクリットで「火」が神様と結びついているのだと。一方拝火思想の影響を受けなかったヒッタイト語など「古い周辺層」には借用語の*hxn̥gʷnis が広まらず、本来の*péh₂ur̥ が残ったのだと。
 しかしこの解釈にも大きな問題がある。ゾロアスター教の経典言語アヴェスタ語とヴェーダの言語(サンスクリット)とでは「火」の形が全然違うのである。 第三の火だ。アヴェスタ語の「火」はātarš と言って印欧祖語では*h₂ehxtr̥ と再建されている。アヴェスタ語は紀元前二千年目の後半、つまり紀元前1500年から1000年くらい、リグ・ヴェーダのサンスクリットは紀元前二千年目の終わりごろ、紀元前1200年とかそのくらいの時期の言語で、時期的にほぼ同じであるばかりでなく言語的にも非常に近く、ちょっと音韻を変換すれば相互に転換できるそうだ。そのくらい近い言語なのに「火」が語源からして全く違う語になっているのはなぜだろう。
 アヴェスタ語は当時に書かれた原本というのが存在せず、儀式用の言語として口承されていたのがやっとササン朝ペルシャになってから文字化された。つまり紀元後3世紀から7世紀である。もちろんそのころはアヴェスタ語はとっくに死語になっていたからいろいろ伝承の間違いがある。しかもその最古のササン朝期の記録の原本というのが残っていない。現存する最古のテキストはそのコピペのコピペのさらにそのまたコピペの1288年のものである。これでは当時の言語が正確に伝わっているのかどうか心もとない。またアヴェスタ語より少し時代の下った古代ペルシャ語、これは例のベヒストゥン碑文にエラム語、アッカド語とともに使われていた言語だが、それを記録している楔形文字があまり正確にはその音韻状況を伝えていないらしい。そもそもアヴェスタ語も古代ペルシャ語も資料の量が少なく比較の材料をふんだんに提供しているとは言えない。そこで私の第二の妄想である。アヴェスタ語の「火」って本当にātarš だったの?実は途中のコピペで変な風に伝わっちゃっただけで本当は「アグニ」とかそういう形だったんじゃないの?ということだ。例えば古代ペルシャ語には「煉瓦」という意味のāğgur という語があったとみられているが考えようによれば「煉瓦」というのはその意味素に「火」を含んでおり、しかもこの形はなんかこう、アグニとアータルシュを足して二で割ったような感じである。気のせいか。
 しかしこれにも大きな問題がある(どうも問題発言(?)ばかりですみません)。*h₂ehxtr̥ 起源の言葉があちこちの印欧語に残っているのだ。しかも古い言語にたくさん残っている。またそれだからこそ*h₂ehxtr̥ という形を再建できたのである。アナトリア語派のパラー語に ḫa-a または ḫā, hā という「熱いこと」「熱いもの」を表す言葉があり、これは*h₂ehxtr̥ だそうだ。アナトリア語派にまであるということは*h₂ehxtr̥ は印欧語に元からあったとしか考えられない古さである。当然イラン語派ではこの形の「火」が使われていて、バクトリア語 aš、ソグド語 ātar、スキタイ語の再現形*āθr などは皆これ起源、現在でもパシュトゥー語の or「火」にこの形は残っている。さらにケルト語派にもこれ起源の語が広く使われている。アイルランド語の áith、ウェールズ語の odyn などだが、意味が変化していて皆「かまど」とか「炉」などを表す語だそうだ。イタリック語派にもある。ウンブリア語にatru という語があるがこれはモロ「火」である。さらにラテン語にも*h₂ehxtr̥ 起源の āter という語がある。「黒」という意味だが、火が燃えた後の色から来たのだろう。もし*h₂ehxtr̥ と*hxn̥gʷnisがもとは一つの単語だとしたらこれはありえない。ややこしいことに先のウンブリア語は「火」に2系あり、一つは上で述べた*h₂ehxtr̥ 起源の atru、もう一つが*péh₂ur̥ 起源の pir という語。ラテン語の火が*hxn̥gʷnisだからイタリック語派には3つの形が全部そろっている。これはやっぱりどれが新しいとかそういう問題ではなく、もともと印欧祖語には「火」に3形あったとしか思えない。そのうちの一つがだんだん他の形をおしのけて「火」として固定し、他は周辺部の意味に回されたと考えられるが、イタリック語派を見ると、これらの言語が一つにまとまっていたころ、つまりラテン語やウンブリア語に分化しかかることにはまだ3つが「火」の意味で共存していたということなのだろうか。

 こうやって堂々巡りをしたあげく、「印欧祖語には火という単語が少なくとも3つあった」という出だしに戻ってきてしまった。私のそもそもの疑問「なぜ火などという大事な基本概念がいろいろの単語に割れているのか」というのが全然解決していない。もうこうなったら勝手に想像するしか手がないので考えたのだが、これは「大事な概念なのに」ではなく「大事な概念だから」語が細分化していたのではないだろうか。日本語でも、英語やドイツ語なら rice あるいは Reis 一語で表されている事象が「稲」「米」「飯」などやたらと細分化している。逆に日本語だと「牛」ひとつがドイツ語や英語では性別や去勢されているかいないかによって全く別の単語に分かれている。イヌイット語には「雪」という統一的な言葉がなく、降っている雪と積もったばかりの雪、積もって固くなった雪など多くに言葉に分かれているそうだ。そんな感じで印欧祖語を話していた民族にとって火が宗教上も生活上も非常に大切なものだったので単語が細分化していたのではないだろうか。時代が下るにしたがって拝火の習慣が薄れ、それにしたがって火が一つの単語で足りるようになり、そのうちの一つが他を押しのけて固定していったのかもしれない。が、印欧祖語の時代の*hxn̥gʷnis(*h₁n̥gʷnis)、*h₂ehxtr̥ 、*péh₂ur̥ 間に本来どういう意味の差があったのかはさすがに考えてみただけではわからない。


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