アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Juni 2019

 日本語のいわゆる格助詞は基本的に使い方がドイツ語などの格体系と並行しているから実は説明しやすい。「が」が主格、「の」が属格、「に」は与格、「を」は対格、「で」が処格あるいは具格という具合に割とスース―説明できる。もちろんこれはあくまで「ドイツ人用の語学の説明」であって、日本語の記述や構造研究、つまり日本語言語学にこういうラテン語の用語をそのまま持ち込むことはできないし、語学にしても細かな補足説明は常に必要になってくる。例えばドイツ語では処格などは名詞や冠詞のパラダイムとしては形を失っているので前置詞を使わないと表現できないものがある。さらにその際付加される名詞の格によって意味が違ってきたりする。典型的なものはin、auf、 an、überなどの対格と与格の両方を支配する前置詞で、対格をとると行為の方向、与格をとれば純粋な処格、つまりその行為が行われる場所を示す。例えばan die Tafel schreiben(「黒板に書く」)ならば対格の die Tafel(「黒板」。最近はホワイトボードというのもあるが)はschreiben(「書く」)という行為が黒板に向かっているという意味、an der Tafel stehen(「黒板に書いてある」)と与格をとれば書いてある場所が黒板ということである。同様にin das Haus gehen と対格ならば「家の中に行く」、in dem Haus lesenと与格ならば「家で読書する」。この与格対格の違い、方向か場所かの違いは日本語だと基本的に「に」対「で」で表せるのだが、「に」が純粋に処格を意味する場合があるからややこしい。上の「黒板に書いてある」もそうだが動詞が本当の意味での行為を現さず、単に「ある」とか「いる」などの存在を表現するもの、言い換えると動詞自身の意味内容が希薄で場所のほうに焦点が置かれている場合は「に」を使うのである。2番目の例も動詞が「読書する」でなく「いる」になると助詞は「に」になって「家にいる」。「家でいる」とは言えない。この「に」と「で」を使い分けられないドイツ人はかなりいる。ドイツ語ではこういう区別がないからである。しかし逆もあってドイツ語ではすんなり表せるが、日本語だとズバリとは表現できない違いもある。例えばeine Ente fliegt über den See(対格)とeine Ente fliegt über dem See(与格)はどちらも「アヒルが一羽湖の上を飛ぶ」(アヒルは飛べないから「カモ」と訳すべきかもしれない、と寒いギャグを言ってみる)だが、対格ではアヒルは湖の上空を通過して渡って行っているのに対し、与格だとアヒルが湖の上空を旋回していることになる。この違いは日本語の格助詞では表せない。
 このようにドイツ語では方向と場所の違いが対格対与格の差になっているが、ロシア語やクロアチア語だとこの違いは対格対前置格あるいは処格の差となる(ロシア語で前置格と呼ばれているものは事実上処格のことである)。アヒルが旋回する場合「湖」が与格でなく処格になるのだ。スラブ諸語は名詞の格を6つあるいは7つ保持している一方、ドイツ語では4つしか残っておらず処格の機能を与格が吸収してしまったからだ。つまり旋回アヒルの湖は処格をとるのが本来の姿なのである。

 いわゆる印欧祖語には8つの名詞格を区別したと思われる。実際に例えばサンスクリットでは主格nominative、呼格vocative、対格accusative、具格instrumental、与格(あるいは為格)dative、奪格ablative、属格genitive、処格locativeと語尾変化する。それが時代が下るにしたがって格が融合し、スラブ語派では奪格と属格が、イタリック語派では奪格と具格が、ドイツ語などのゲルマン語派では奪格、処格、具格が融合してしまった。細かく言えばロシア語はそこからさらに形としての呼格を失い、ラテン語では処格形が消失した。それでロシア語は現在名詞のパラダイムとしては主格・属格(あるいは生格)・与格・対格・具格・前置格(処格)6つとなっているわけだ。クロアチア語がこれに加えていまだに呼格形を保持している、つまり7格あることは『90.ちょっと、そこの人!』で述べたとおりである。ラテン語も6格ではあるが内容が違っていて、主格・属格・与格・対格・奪格・呼格となっている。このうち呼格は o-語幹の男性名詞単数にしか残っていない。8格保持しているサンスクリットでも単数では奪格と属格が、複数では奪格と与格(為格)が融合してしまっていた。両数ではさらに格融合が進んでいる。余談だが、現在私たちが一般に使っている格の順番、主→属→与→対→その他というのはラテン語文法から来ているので、サンスクリットなどではこの順番が違う(上記参照)。学習以前にすでにこれで戸惑った人もいるのではないだろうか。
 形としての格が失われてしまうと、何らかの措置を外から施して本来名詞の語尾変化形が受け持っていた機能を明確にしてやる必要が出てくる。例えばあちこちで他の格と併合の憂き目にあっている奪格。これは起点を表す格であるが、パラダイムとしての語尾形が消失してしまったのでそれを埋め合わせるため前置詞が使われるようになった。奪格と具格の区別がなくなってしまったラテン語では奪格という形だけでは起点を表すことができなくなり、ab、ex、de などの前置詞を奪格名詞の前に付加するようになったのだ。具格を表したいときは cum+奪格。現在のドイツ語や英語などは前置詞なしではもうどうにもならない。後者では起点はvon、aus (英語のfrom)という前置詞を与格名詞の前に置いて表現する。

 日本語で奪格を表す助詞は「から」であろうが、よく見てみると上述の与格・処格助詞「に」も奪格として作用することがある。例えば:

1.私はその人に本をあげました。
2.私はその人に本をもらいました。

では、1の「その人に」は意味の上でも与格である。ドイツ語でも

Ich gab dem Mann ein Buch.

で、その人が与格形になっている。対して2の「その人」は格の意味としては奪格である。現にこの「その人」を「その人から」と入れ替えて「私はその人から本をもらいました」としても文の意味が変わらない。さらに

3.私はパステルナークさんロシア語を習いました。
4.私はパステルナークさんからロシア語を習いました。

は意味が同じだ。ここの「に」は奪格である。つまり全く方向性が逆の事象を同じ助詞が表しているわけだ。この奪格の「に」もドイツ人は理解するのに手間取る人が多い。そこで私は勇気づけのために「いや~、本当に日本語って意地が悪いですね。与格と奪格をいっしょの後置詞で表すんですから。なんなんだこれは、と思う気持ちよくわかります。」と自虐的な冗談を飛ばしていたのだが、最近これと似た、全く同じ形で与格と奪格という正反対な方向を表す意地の悪い構造がドイツ語にもあることに気づいた。日本語だけが性格の悪い言語ではなかったのである。例えば次のようなセンテンスを新聞で見ておやと思ったのだが、

5.Die Hoffnung auf einen klaren Sieg entsprang jedoch Wunschdenken.
はっきりと勝ちたいという希望が「だといいな」という考えから湧き出てきた。

ここでは、Wunschdenken「だといいなという考え」は与格であるが、「から」をつけて奪格としてしか訳せない。つまりこの名詞は形としては与格だが機能的には奪格なのだ。
これをきっかけにしてさらに思いめぐらしてみると思いつくわ思いつくわ。

6.Dieser Aussage ist zu entnehmen, dass …
この発言から次のようなことが読み取れる、すなわち…

ここでも「この発言」(太字)は形は与格だが、意味は奪格である。もっともこれら2例では動詞にent- という前綴りがついていることを理由にして「これは動詞のバレンツとして与格が要求されるから与格が来ているのであって、与格形そのものが奪格の意味を持っているのではない。つまり動詞の支配の問題に過ぎない」という説明も成り立つが、さらにこういう文も思いついてしまった。

7.Ich nahm dem Mann seine Ente.
私はその人からアヒルを取った。

8.Ich stahl dem Mann seine Ente.
私はその人からアヒルを盗んだ。

「もうちょっとどうにかした例文を考えつかないのか」とネイティブに文句を食らったが、2文とも文法的には正しい。この文で「その人から」dem Mann(太字)は与格形である。ここで奪格性を明確にするため前置詞を付加してそれぞれ

9.Ich nahm von dem Mann seine Ente.

10.Ich stahl von dem Mann seine Ente.

ということもできるが「そういう文はエレガントじゃない」というのが先のネイティブの言であった。なくても意味が分かるような前置詞を無駄・余計に加えるのは「ダサい」そうである。これらの動詞「取る」(不定形nehmen)、「盗む」(不定形stehlen)はどちらもバレンツとしては与格を要求しない。そんなもんがなくても対格目的語と主格主語だけあれば完全な文として成立する。つまりこの与格名詞は奪格機能を持っているのだ。そういうことを考えているとさらに以下のような文を新聞で見つけた。

11.Dass … dem Verein Sponsoren abspringen.
その協会からスポンサーが手を引くということ。

この与格名詞dem Verein(「その協会から」)も意味的には奪格である。面白いことに独和辞書には(von + 3) abspringenという使い方しか載っていない。von という前置詞を名詞に付加せよということだから、つまり上の7~10の例とパターンがいっしょではないか。

 そこでこれらの奪格機能を持った与格形を文法書ではどう説明しているのか調べてみた。まず日本語のドイツ語広文典では与格の用法として「つぎのような意味の他動詞は対格の事物目的語の他に与格の人物目的語を支配する」として geben(「与える」)などの動詞とともにまさに上で出したnehmen、stehlenなどの動詞も例として掲げている。しかし7と8のような文の中の与格名詞を「目的語」と名付けるのは非常に疑問だったので念のためドイツ語のDuden を参照してみたら疑問はさらに拡大してこの著者は与格に奪格的な機能があることそのこと自体をまったく無視しているか、まさかのまさかだが思い至らなかったのではないかと疑うに至った。Duden では与格の人物目的語の一つとして以下のように説明されている。

Eine Person, … zu deren Vorteil oder Nachteil etwas geschieht. Mann spricht hier von einem Dativus commodi und incommodi.
何かその人にとってメリットあるいはデメリットになるようなことが起こる人物。それぞれcommodi の与格(メリット)及び incommodi の与格(デメリット)という。

一瞬このincommodi の与格というのが私の言う奪格の与格かと思うが、挙げてある例を見るとそういう意味ではないことがわかる。

12.Sie hat mir den Teller zerbrochen.
彼女は私に対して皿を割った→彼女は私の皿を割った

「私」が与格となっているが(太字)、これがいわゆるincommodi の与格というものだろうが、与格名詞のデメリットになっているとは言え、行為の方向はやっぱり私のほうを向いている。奪格ではない。さらに例として

13・Er hat ihr (für sie) einen Apfel gestohlen.
彼は彼女に(彼女のために)林檎を盗んだ。

という文が掲げてある。括弧内の (für sie)(「彼女のために」)というのは原文ですでに入っている。私が付け加えたのではない。だからこの文の意味は、「彼は林檎を盗んで彼女にあげた」ということだ。これも方向は明確に与格の「彼女」(太字)を向いている。
 するとこの構造Er hat ihr einen Apfel gestohlen.は多義的ということ、日本語の「山田さんあげる」と「山田さん貰う」に似て同じ形が正反対の方向性を示していることになる。「彼は林檎を盗んで彼女にあげた」(意味としての与格)と「彼は彼女から林檎を盗んだ」(意味としては奪格)である。ネイティブに聞いてみたら与格の意味の方、「盗んだ林檎を彼女にあげた」ほうは文学的・古風なニュアンスで「日常会話にはあまり使わないだろ」とのことである。
 いずれにせよ、似ている点はあってもincommodi の与格は奪格の与格と完全には一致しない。上のドイツ語広文典で「与格の人物目的語」ではこの「デメリットの与格」さえ言及されていないのとすると著者は「彼女のために」という意味しか念頭に置いていなかったのだろうか。
 私には融合の憂き目を見た奪格の機能が与格にくっついて細々と生き残っているように見えてならない。
 

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 EUに属している国の国民にとって最高位の選挙は国会議員選でなくEU議会議員選挙である。
裁判についても日本なら最高裁が判決を出したらそこで決定だがEUではさらにその上のEU法廷というものがあるから、最高裁の判決がひっくり返ることもある。つまり一国といえども好き勝手がやれないわけで、ナショナリストがEUを目の敵にするのはこの点にもあるわけだ。確かにちょっと外から批判されただけで「ここは〇〇だ、内政干渉すんな」と敏感に騒ぎ出すタイプの人には耐えられないだろう。
 さてこのEU議会選だが、毎回投票率がいまひとつ低い。どうもEUというと雲の上過ぎて実生活とあまり直結していないからかもしれない。前回は確か投票率が50%を割っていた。私はまじめな市民なので(どこが?)どんなものにしろ今まで選挙に棄権したことがない。今回のEU議会選もきちんと票を入れた。地方議会選も同時にやったので、二つの選挙に投票することになった。
 
 有権者には選挙日のかなり前に通知が来るのでその手紙と身分証明書を持って指定の投票所に行く。この通知は郵便での投票や指定以外の投票所での投票を望む場合の申し込み書も兼ねている。選挙日の相当前に来るからついなくしたり忘れたりしそうになる。現に投票所で通知を提出してくださいと言われて「え?そんな手紙貰いましたっけ?」と言い放っていた人がいた。係の人も一瞬天を仰いでいたが、幸いなくした人用に予備の書類があるらしく、他の係りのところに行って記入してもらい事なきを得ていた。もっともこれはなくした人がきちんと身分証明書を提示したからである。さすがに身分証明書を忘れたら家まで取りにやらされるのではないだろうか。通知には投票所と日にちが書いてあるから「そんな手紙」の存在さえ忘れている人がなぜきちんと期日に所定の場所に来たのかという疑問がわくが、これは選挙の通知と別個に地方選の立候補者のリスト(後述)が前もって送られてくるからである。そこに選挙日が書いてある。また投票所も何十年も変わらないから選挙しなれた人なら自動的にそのいつもの投票所に行く。もっとも選挙しなれた人がどうして通知の存在が頭から抜けたのか謎だが、これも選挙に行くことが完全にルーチンワーク・デフォになっているとその当たり前のことを通知されてもいちいち覚えていられなくなるのかもしれない。ヤコブソンの言う「無標」unmarkedである。

私のところに来た選挙通知。
wahlbenachrichtigung1

裏は郵便投票などの申請用紙となっている。
wahlbenachrichtigung2

 投票所でEU議会候補のリストを渡されるが、これは党単位である。立候補した党がずらっと並んでいるやたらと長いリストをくれるので、その中の一つにマークを入れるのだ。雨後のタケノコのように湧いて出た泡沫政党が多くて「なんじゃこりゃ?」とスリル満点なリストである。私はさる大手の党に入れたが、ここは今回EU中で大躍進した。極右の天敵となった党だが、選挙後に大学の人にちょっと「何処に入れましたか?」と聞いてみたら聞く人聞く人この党で笑った。そういえば大きな大学のある町はどこもここの党が強い。
 また今回は投票率も「前回と比べて飛躍的に伸びて」、60%強だったそうだ。確かに前回の50%に比べれば飛躍的に高いがそれでも60%というのは低くないか?

 さて上にも書いたようにここは地方選挙も同時に行った。一つ一つの選挙をバラバラにやると効率が悪いからまとめられるものはまとめるのだ。この地方選挙はEU議会選と違って投票の仕方がやたらと複雑である。だから投票所で混乱しないようにあらかじめ候補者リスト(つまり投票用紙)を配り、票の入れ方も詳しく指示し、選挙者がすでに家で投票用紙に記入して来られるようにしてある(上記参照)。投票所ではその用紙を渡すだけでいいが、前もって準備させるだけあってこの投票方法がまた複雑だ。順を追って説明すると次のようになる。
1.リストは全部で13ページあり、切り離せるようになっている。
2.それぞれ1ページに1政党の候補者がリストアップされている。つまり候補政党は13あるわけだが、1政党ごとに48人まで候補者が認められている。小政党だとその48人を集められないところもあって立候補者が4人の政党などもある。もちろん普通の党なら48人書いてある。
3.投票者は全部で48ポイントまで投票権(投票点?)を持つ。
4.ある党の立候補者に全員票を入れたい人(つまり党単位に投票したい人)は、当該政党のページを切り離して全く何も書かずに投票箱に入れる。暇だったら候補者の名前の脇に全員1と書き込んで出してもいい。これで合計48ポイントとなる。
5.党単位でなく人物単位で投票したい人もいる。そういう場合は複数の党のページを切り離して当該候補者の脇に1と書き込み、切り取った複数ページを渡す。うっかり48人以上の人に票を入れてしまったらポイント制限に引っかかって無効票となる。
6.この人物には特に当選してもらいたい、と思っている人もいる。そういう人は一人の候補者に3点まで投票することができる。つまり1点、2点、3点というグラデーション投票が可能なのである。この場合も投票したい候補者のいる政党ページをすべて切り離して名前の脇に1、2、3などの数字を書き込む。合計点が48を超えたら無効票である。例えば全員に3点投票したら16人しか選べないのだ。

Did you understand?

 私は前回は候補者単位で投票したので電卓で合計点を確認しながら書き込んだが今回は党単位、さる政党のページを白紙で出した。EU議会とは別の党である。

投票用紙にはこんな手紙が添えられている。
brief


 地方選リストは選挙通知のずっと後から来るし、ボッテリとぶ厚い手紙なのでさすがに貰ったことを忘れる人はいないだろう。もっともそれでも貰ってから投票日までに時間があったのでちょっと各々の候補政党の様子を見てみた。立候補した13の政党とはつぎのようなものである。
SPD(社会党・革新)
CDU(キリスト教民主党・保守)
GRÜNE(緑の党)
Freie Wähler(大政党に属さないやや保守系の人の集まり)
AfD(極右)
Die Linke(共産党)
FDP(ネオリベ)
MfM(中流層市民のためのローカルな政党)
NPD(ズバリナチ。まだいたとは驚き)
Die PARTEI(言っていることが玉虫色でよくわからないローカル政党)
MVP(名前からすると多分保守系のローカル政党)
Tierschutzpartei(動物保護政党)
BIG(候補者が全員トルコ系の名前の政党)

そこであまり意味はないが立候補者に博士号持ちがどのくらいいるかどうか調べてみた。立候補者の住所と職業はリストに記されるが学歴は特に発表されない。が前にも書いたようにドイツでは博士号を取るとDr. という称号を前につけたのが正式な名前となるので、例えば Dr. Robert Müllerとなり、すぐわかるのだ。結果はこうなった。
SPD                    8人→16.6%
CDU                   6人→12.5%
GRÜNE              5人→10.4%
Freie Wähler       8人→16.7%
AfD                      2人→4.2%
Die Linke             3人→6.3%
FDP                     9人→18.8%
MfM                    0人→0%
NPD                    0人→0%
Die PARTEI        0人→0%
MVP                   0人→0%
Tierschutzpartei 0人→0%
BIG                    0人→0%

ネオリベのFDP(太字)が最も多いが、ここは医者とか弁護士、または経済経営学の大学教授などに支持者が多いのでまあうなずけるところだ。しかしいわゆる全国政党なら庶民・労働者の政党にさえ結構博士持ちがいることがわかる。『96.日本は学歴社会か』でも述べたが、ドイツには博士号持ちがウジャウジャいるので昔日本で言われていた「末は博士か大臣か」という言葉は意味を持たない。博士など全然「偉い人」ではないからである。ついでにいえば大臣というのもあまり偉い人という連想がない。立法にしろ行政にしろ、政治家はあくまで国民の公僕という意識が強く「ちゃんと仕事しろコラ」とハッパをかけられる存在だ。日本だって最近はそうだろう。しかし博士がやたらといるからといってさすがに国民の16%はいまい。やはり政治は学歴の高い者がある程度牛耳っているようだ。ドイツ(だけではあるまいが)の学歴社会ぶりを垣間見る思いである。

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