ビリー・ワイルダーの古典映画『失われた週末』を見たのは実はつい最近(と言っても何年か前だが)だ。レイ・ミランドのハンサムさに驚いた。この人は70年代の『大地震』のおじいさん役などでしか見たことがなかったのである。もちろんおじいさんになっても容貌の整っているのは変わらないから「この人は若い頃はさぞかし」と感じてはいたが、それ以上のさぞかしであった。
兄弟の世話でからくも生活しているアル中の売れない作家(ミランド)の悲惨な話である。とにかくこの主人公は「まともな生活」というものが出来ずに経済的にも日常面でも兄弟に頼りきりなのだが、問題はその「兄弟」である。英語ではもちろんbrotherとしか表現できないからどちらが年上だかわからない。でも私は始めからなぜかこの、主人公とは正反対の真面目できちんとした勤め人の兄弟がダメ作家の弟と以外には考えられなかった。自分でもなぜそういう気がするのかわからないでいたら、ワイルダーが映画の中でその疑問に答えてくれた:二人の住むアパートの住居の壁にゴッホの絵が2枚かかっていたのである。
たしか有名な『ひまわり』ともうひとつ。そうか、この兄弟はヴィンセント・ファン・ゴッホとその弟テオだったのだ。ファン・ゴッホが生活力というものがまるでなく、経済的にも精神的にも生涯弟のテオにぶら下がりっぱなしだったのは有名な話だが、兄のファン・ゴッホが死んで、弟はこれでいわば重荷、といって悪ければ義務からある程度解放されてホッとできたかと思いきや、兄を失った悲しみで半年後に自分も世を去ってしまった。外から見れば負担にしかみえないようなその兄はテオにとっては生きがいだったのである。
なのでこのファン・ゴッホの絵を見れば「ああこの世話人は弟なんだな」と納得すると思うのだが、日本語の映画名鑑の類にはどれもこれもアル中作家が「兄の世話になっている」と書いてある。これを書いた人たちは壁の絵に気づかなかったのか、気づいてもそんなものはストーリーには関係ないと思ったか、ヴィンセントとテオを知らなかったかのどれかである。あるいは「年長のものが年下の者の世話をする」という日本の年功序列的考えが染み付いていて「世話」と見て自動的に年長者と連想したのかも知れない。
このbrother・Bruderあるいはsister・Schwester(『42.「いる」か「持つ」か』参照)というのは最も日本語に翻訳しにくい言葉の一つ(二つ)なのではないだろうか。逆方向は楽チンだ。兄も弟もまとめてbrotherでいいのだから。ドイツ語や英語が母語の人には「兄・弟」の観念自体が理解できないのがいる。私が「日本語では年下のbrotherと年上のbrotherは「家」と「石」みたいに全く別単語だ」というと彼らは最初ポッカーンとした顔をしてしばらく考えているが、大抵その後「じゃあ双子とかはどうなるんですか?」と聞いてくる。あまりにも決まりきった展開なので答える私もルーチンワークだ。「あのですね、日本を含めた東アジアでは双子と言えどもいっぺんには生まれないんですよ。そんなことは人体構造的に不可能です。数分、いや数秒差であっても片方が先です。そして数秒でも先に生まれればそっちが兄です。ミリ秒単位で同時に出てこない限りどちらが上かはすぐわかるでしょうが」。実はそこで「それともヨーロッパの女性はミリ秒単位で子供を同時に出せるんですか?」と聞き返してやりたいのだが、若い人にはあまりにも刺激が強すぎるだろうからさすがにそこまでは突っ込めないでいる。でも全く突っ込まないのもシャクだから、「子供の頃、英語やドイツ語で兄と弟を区別しないと聞いて、なんというデリカシーのない言語だと驚いたときのことをよく覚えています。「父」と「叔父」を区別できない言語を想像していただくとこのときの私の気持ちがわかっていただけると思います」と時々ダメを押してやっている。
さて、「映画の壁の絵」に関して最も有名な逸話といえばなんと言っても「聖アントニウスの誘惑」だろう。1947年にモーパッサン原作の『The Private Affairs of Bel Ami』という映画が製作されたが、プロデューサーも監督も絵画の造詣が深く、壁にかける絵を募集するためコンテストを行なった。そこでテーマを『聖アントニウスの誘惑』と決めたのである。12人のシュールレアリズム画家が応募し、一位はマックス・エルンストの作品と決まった。エルンストのこの絵を知っている人も多いだろうが、当選したエルンストの絵より有名なのが落選したサルバトール・ダリの『聖アントニウスの誘惑』だろう。ポール・デルヴォーもこのコンテストに参加している。
参加者の12人とは以下の面々である:
Ivan Albright (1897–1983)
Eugene Berman (1899–1972)
Leonora Carrington (1917–2011)
Salvador Dalí (1904–1989)
Paul Delvaux (1897–1994)
Max Ernst (1891–1976)
Osvaldo Louis Guglielmi (1906–1956)
Horace Pippin (1888–1946)
Abraham Rattner (1895–1978)
Stanley Spencer (1891–1959)
Dorothea Tanning (1910–2012)
(Leonor Fini (1908–1996))
最後のFiniという画家は参加申し込みはしたが、作品が締め切りまでに提出できなかったそうなので括弧に入れておいた。イヴ・タンギーかデ・キリコが参加しなかったのは残念だ。『101.我が心のモリコーネ』でも述べたようにデ・キリコは私は中学一年の時に銀座の東京セントラル美術館というところで開かれた個展を見にいって以来、私の一番好きな画家の一人である。ちなみにそのときは地下鉄代を節約するため銀座まで歩いていった。どうも私は前世はアヒルかガチョウの子だったらしく、中学生・小学生のとき、つまり人生で最初に出合った音楽や絵のジャンルがいまだに好きである。「刷り込み」を地でいっているわけだ。モリコーネのさすらいの口笛はいまだに聴いているし、うちの壁にはデ・キリコの絵(のポスター)が掛かっている。もっとも映画制作時の1947年といえばキリコはすでにあのシュールな絵を描くのを止めてしまっていた頃か。
絵の話で思い出したが、日本でメキシコの画家というと誰が思い浮かんでくるだろうか。まずディエゴ・リベラとシケイロス、あとルフィーノ・タマヨ(この人の個展も私が高校生の頃東京でやっていたのを覚えている)だろう。こちらではリベラ、シケイロスより先にフリーダ・カーロが出てくる。以前町の本屋にカーロの画集がワンサと並んでいた時期があるが、リベラのはあまり見かけなかった。日本では「リベラの妻も画家だった」であるが、こちらでは「リベラは画家カーロの夫である」という雰囲気なのである。彼らをテーマにした例の映画でも主役はサルマ・ハイエク演ずるカーロのほうだった。映画のタイトル自体『フリーダ』である。
今更だが、日本とヨーロッパでは同じものでもいろいろ受け取り方が違うものだ。
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兄弟の世話でからくも生活しているアル中の売れない作家(ミランド)の悲惨な話である。とにかくこの主人公は「まともな生活」というものが出来ずに経済的にも日常面でも兄弟に頼りきりなのだが、問題はその「兄弟」である。英語ではもちろんbrotherとしか表現できないからどちらが年上だかわからない。でも私は始めからなぜかこの、主人公とは正反対の真面目できちんとした勤め人の兄弟がダメ作家の弟と以外には考えられなかった。自分でもなぜそういう気がするのかわからないでいたら、ワイルダーが映画の中でその疑問に答えてくれた:二人の住むアパートの住居の壁にゴッホの絵が2枚かかっていたのである。
たしか有名な『ひまわり』ともうひとつ。そうか、この兄弟はヴィンセント・ファン・ゴッホとその弟テオだったのだ。ファン・ゴッホが生活力というものがまるでなく、経済的にも精神的にも生涯弟のテオにぶら下がりっぱなしだったのは有名な話だが、兄のファン・ゴッホが死んで、弟はこれでいわば重荷、といって悪ければ義務からある程度解放されてホッとできたかと思いきや、兄を失った悲しみで半年後に自分も世を去ってしまった。外から見れば負担にしかみえないようなその兄はテオにとっては生きがいだったのである。
なのでこのファン・ゴッホの絵を見れば「ああこの世話人は弟なんだな」と納得すると思うのだが、日本語の映画名鑑の類にはどれもこれもアル中作家が「兄の世話になっている」と書いてある。これを書いた人たちは壁の絵に気づかなかったのか、気づいてもそんなものはストーリーには関係ないと思ったか、ヴィンセントとテオを知らなかったかのどれかである。あるいは「年長のものが年下の者の世話をする」という日本の年功序列的考えが染み付いていて「世話」と見て自動的に年長者と連想したのかも知れない。
このbrother・Bruderあるいはsister・Schwester(『42.「いる」か「持つ」か』参照)というのは最も日本語に翻訳しにくい言葉の一つ(二つ)なのではないだろうか。逆方向は楽チンだ。兄も弟もまとめてbrotherでいいのだから。ドイツ語や英語が母語の人には「兄・弟」の観念自体が理解できないのがいる。私が「日本語では年下のbrotherと年上のbrotherは「家」と「石」みたいに全く別単語だ」というと彼らは最初ポッカーンとした顔をしてしばらく考えているが、大抵その後「じゃあ双子とかはどうなるんですか?」と聞いてくる。あまりにも決まりきった展開なので答える私もルーチンワークだ。「あのですね、日本を含めた東アジアでは双子と言えどもいっぺんには生まれないんですよ。そんなことは人体構造的に不可能です。数分、いや数秒差であっても片方が先です。そして数秒でも先に生まれればそっちが兄です。ミリ秒単位で同時に出てこない限りどちらが上かはすぐわかるでしょうが」。実はそこで「それともヨーロッパの女性はミリ秒単位で子供を同時に出せるんですか?」と聞き返してやりたいのだが、若い人にはあまりにも刺激が強すぎるだろうからさすがにそこまでは突っ込めないでいる。でも全く突っ込まないのもシャクだから、「子供の頃、英語やドイツ語で兄と弟を区別しないと聞いて、なんというデリカシーのない言語だと驚いたときのことをよく覚えています。「父」と「叔父」を区別できない言語を想像していただくとこのときの私の気持ちがわかっていただけると思います」と時々ダメを押してやっている。
さて、「映画の壁の絵」に関して最も有名な逸話といえばなんと言っても「聖アントニウスの誘惑」だろう。1947年にモーパッサン原作の『The Private Affairs of Bel Ami』という映画が製作されたが、プロデューサーも監督も絵画の造詣が深く、壁にかける絵を募集するためコンテストを行なった。そこでテーマを『聖アントニウスの誘惑』と決めたのである。12人のシュールレアリズム画家が応募し、一位はマックス・エルンストの作品と決まった。エルンストのこの絵を知っている人も多いだろうが、当選したエルンストの絵より有名なのが落選したサルバトール・ダリの『聖アントニウスの誘惑』だろう。ポール・デルヴォーもこのコンテストに参加している。
参加者の12人とは以下の面々である:
Ivan Albright (1897–1983)
Eugene Berman (1899–1972)
Leonora Carrington (1917–2011)
Salvador Dalí (1904–1989)
Paul Delvaux (1897–1994)
Max Ernst (1891–1976)
Osvaldo Louis Guglielmi (1906–1956)
Horace Pippin (1888–1946)
Abraham Rattner (1895–1978)
Stanley Spencer (1891–1959)
Dorothea Tanning (1910–2012)
(Leonor Fini (1908–1996))
最後のFiniという画家は参加申し込みはしたが、作品が締め切りまでに提出できなかったそうなので括弧に入れておいた。イヴ・タンギーかデ・キリコが参加しなかったのは残念だ。『101.我が心のモリコーネ』でも述べたようにデ・キリコは私は中学一年の時に銀座の東京セントラル美術館というところで開かれた個展を見にいって以来、私の一番好きな画家の一人である。ちなみにそのときは地下鉄代を節約するため銀座まで歩いていった。どうも私は前世はアヒルかガチョウの子だったらしく、中学生・小学生のとき、つまり人生で最初に出合った音楽や絵のジャンルがいまだに好きである。「刷り込み」を地でいっているわけだ。モリコーネのさすらいの口笛はいまだに聴いているし、うちの壁にはデ・キリコの絵(のポスター)が掛かっている。もっとも映画制作時の1947年といえばキリコはすでにあのシュールな絵を描くのを止めてしまっていた頃か。
絵の話で思い出したが、日本でメキシコの画家というと誰が思い浮かんでくるだろうか。まずディエゴ・リベラとシケイロス、あとルフィーノ・タマヨ(この人の個展も私が高校生の頃東京でやっていたのを覚えている)だろう。こちらではリベラ、シケイロスより先にフリーダ・カーロが出てくる。以前町の本屋にカーロの画集がワンサと並んでいた時期があるが、リベラのはあまり見かけなかった。日本では「リベラの妻も画家だった」であるが、こちらでは「リベラは画家カーロの夫である」という雰囲気なのである。彼らをテーマにした例の映画でも主役はサルマ・ハイエク演ずるカーロのほうだった。映画のタイトル自体『フリーダ』である。
今更だが、日本とヨーロッパでは同じものでもいろいろ受け取り方が違うものだ。
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