私個人は嫌いなので、あまり「日本の国技」として下手に外国に紹介などしてほしくないのだが、スモウというのはやはり外から見るとエキゾチック趣味をそそられるらしくこちらでも一時TVなどでよく放映されていた。故九重親方が千代の富士として力士をしていたころも、見たくもないのにスポーツ番組で流されて迷惑したものだ。ファンの方には非常に申し訳ないが、どう見てもあれは私の審美眼には適わない。
しかし、相撲を外国で見せられると気分が悪くなる原因はあのスポーツ自体が嫌いなことの他に選手の(力士と言え)名前がムチャクチャな発音で呼ばれるからである。もちろんローマ字綴りの日本語が外国語読みになると原型を留めないほどひどい形になるのはドイツに始まったことではない。例えばMr. Kimuraはアメリカではミスター・カイミューラになってしまうそうだが、ドイツ語でもヘボン式で表記された名前がドイツ語読みにされるから大変なことになる。一度千代の富士Chiyonofujiがヒジョノフォーイーと発音されたのを聞いた。しかも妙な強弱アクセントがフォの上に置かれていて、あまりの乖離ぶりに全身の血が凍りついた。こりゃほとんどホラーである。
ドイツ語ではchは「チ」ではなく後舌母音に続く時は[ç]、その他の母音や子音の後は[x]と読まれる。だからStorch「コウノトリ」は[ʃtɔʀç](シュトルヒ)、durch(英語のthrough)は[dʊʀç]( ドゥルヒ)なのだが、北ドイツの人がこれらをそれぞれ[ʃtɔʀx](シュトルホ)、[dʊʀx](ドゥルホ)と発音しているのを何度か聞いた。オランダ語では[ç] というアロフォンがなく、外来語以外のchは基本的に[x] なのとつながっているのだろうか。Chはさらにフランス語からの借用語では[ʃ]、イタリア語からの借用語では[k]となることもあるが、語頭のchi は普通「ヒ」である。
さらに英語もそうだがドイツ語には日本語の無声両唇摩擦音 [ɸ] がないので、この音を上歯と下唇による摩擦音 [f] で代用して書く。「代用」と書いたが、欧米の自称「日本語学習者」には日本語の「ふ」が両唇摩擦音であって [f] ではない、というそもそものことを知らない人が時々いる。また前にもちょっと書いたが、「箸」と「橋」と「端」、「今」と「居間」など、「高低アクセントの違いで意味が変わるなんて聞いた事もない」人に会ったこともある。前に日本語を勉強したとのことだったが、私がちょっとアクセントの話をしたら、ほとんどデタラメを言うな的に食ってかかられて一瞬自分のほうが日本語のネイティブ・スピーカーであることを忘れてしまいそうになった。子供の頃「飴が降ってきたね」といった京都の子をからかった記憶(今思い出すとまことに慙愧の念に耐えない。言葉をからかうのは下の下であると今では考えている)は私の妄想だとでもいうのか。
話を戻すと、その上ドイツ語の母音 u はしっかり円唇母音 [u] だから、非円唇の日本語の「う」 [ɯ] よりもむしろ「お」に聞こえることがある。そこでさらに強弱アクセントを置いた母音がちょっと長くなるので fu が「フォー」と2モーラに聞こえてしまうのだ。
j はドイツ語では[ʒ]でも[dʒ]でもなくまさにIPAの通り [j] だから、ja、ji 、ju、je、 jo、はジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョでなくヤ、イ、ユ、イェ、ヨである。「柔道」 judo はユードー、柔術 jujitsu はユイーツーとなって一瞬「唯一」かと思う。心理学者のユングの名もJungと j で始まっている。だから ji は「イー」である。
ここまでは単にヘボン式のローマ字の読み方を知らずに単細胞にドイツ語読みしやがっただけだから発音の悲惨さの原因はまだわかりやすい。問題はどうして yo が「ジョ」になるのかということである。ドイツ人が yo を「ジョ」と読むのを他でも一度ならず聞いた。例えばTakayoだったかなんだったか、とにかく最後に「よ」のつく日本の女性名が「タカジョ」と呼ばれていたのだ。これはアルファベットのドイツ語読み云々では説明できない。Ya、yi、yu、ye、yoはドイツ語でもヤ、イ、ユ、イェ、ヨだからである。
私はこれはいわゆる過剰修正の結果なのではないかと思っている。
まず j は上で述べたようにフランス語では摩擦音の[ʒ]、英語では破擦音の[dʒ]だから日本語と大体同じ、というより日本語のアルファベット表記が英語と同じになっている。ドイツ人にとっても日本人と同じく学校で最初に学ぶ外国語は英語、その後中学でフランス語だから、その際「ja、ji、ju、je、joをヤ、イ、ユ、イェ、ヨと発音してはいけない」ということを叩き込まれる。学校で真面目に勉強しないでいて英語の全く出来ない人はドイツにもいるが、そういう人たちはJohnを「ヨーン」、Jacksonを「ヤクソン」と呼んでケロリとしている。しかし普通の教養を持っている人は英語やフランス語ができなくてケロリとしているわけにはいかないから、必死に「ja、ji、ju、je、joをヤ、イ、ユ、イェ、ヨというのは間違い、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョが正しい」と自分の頭に刷り込むのである。そのうち「ja、ji、ju、je、joを」という条件項目が後方にかすんでしまい、「ヤ、イ、ユ、イェ、ヨは間違い、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョが正しい」という強迫観念が固定して、勢い余って本当にヤ、イ、ユ、イェ、ヨで正しい場合までジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョと言ってしまう。このため yo をついジョと発音してしまうのではないだろうか。
ここでわからないのはむしろ、直さなくていいところで余計な修正が入り、直すべき肝心の富士の「ジ」の部分では修正メカニズムが起動せず「イー」に戻ってしまっていることだ。
もう一つ思いついたのは、スペイン語で y が [j] ではなく時々、というより普通軟口蓋接近音 [ʝ] になることである。時によるとこれがさらに破擦音の[ɟʝ]、時とするともっと進展して軟口蓋閉鎖音の[ɟ]にさえなってしまうそうで、実際私の辞書にはyo(「私」)の発音が[ɟo]と表記してある。ドイツ人には(日本人にも)これらの音はジャジュジョと聞こえるだろう。それでドイツ人はyoを見ると「ジョ」といいたくなるのかもしれない。
しかし反面、この[ʝ] [ɟʝ] [ɟ]はあくまで [j] のアロフォンであり、どの外国語もそうだが、音声環境を見極めてアロフォンを正確に駆使するなどということは当該言語を相当マスターしていないとできる芸当ではない。今までに会った、yo を「ジョ」と読んだドイツ人が全員スペイン語をそこまでマスターしていて、ついスペイン語のクセがでてしまった、とはどうも考えにくい。上でも述べたように、何年間も勉強した学習者でも発音をなおざりにしていることなどザラだからだ。それにどうせスペイン語読みになるのだったら、他の部分もスペイン語読みになって「チジョノフッヒ」とかになるはずではないのか?これはこれでまたホラーだが。
してみるとやはりあの発音はやはり過剰修正の結果と考えたほうがいいだろう。
この過剰修正はローマ皇帝のヴェスパシアヌスもやっているらしい。風間喜代三氏がこんな逸話を紹介してくれている:あるときヴェスパシアヌスに向かってお付きのフロールスFlōrusが「plaustra(「車」)をplōstraといってはなりませんぞ」と注意した。これを聞いた皇帝は翌日そのお付きをFlaurusと呼んだ。
スエトニウスの皇帝伝に書かれているこの話が面白いのはまず第一にこれがau, ō → ōというラテン語の音韻変化の記録になっているからだが、これも千代の富士のホラー発音と同じメカニズムだろう。もっともヒジョノフォーイーと比べたらフロールス→フラウルスなんて可愛いものである。
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しかし、相撲を外国で見せられると気分が悪くなる原因はあのスポーツ自体が嫌いなことの他に選手の(力士と言え)名前がムチャクチャな発音で呼ばれるからである。もちろんローマ字綴りの日本語が外国語読みになると原型を留めないほどひどい形になるのはドイツに始まったことではない。例えばMr. Kimuraはアメリカではミスター・カイミューラになってしまうそうだが、ドイツ語でもヘボン式で表記された名前がドイツ語読みにされるから大変なことになる。一度千代の富士Chiyonofujiがヒジョノフォーイーと発音されたのを聞いた。しかも妙な強弱アクセントがフォの上に置かれていて、あまりの乖離ぶりに全身の血が凍りついた。こりゃほとんどホラーである。
ドイツ語ではchは「チ」ではなく後舌母音に続く時は[ç]、その他の母音や子音の後は[x]と読まれる。だからStorch「コウノトリ」は[ʃtɔʀç](シュトルヒ)、durch(英語のthrough)は[dʊʀç]( ドゥルヒ)なのだが、北ドイツの人がこれらをそれぞれ[ʃtɔʀx](シュトルホ)、[dʊʀx](ドゥルホ)と発音しているのを何度か聞いた。オランダ語では[ç] というアロフォンがなく、外来語以外のchは基本的に[x] なのとつながっているのだろうか。Chはさらにフランス語からの借用語では[ʃ]、イタリア語からの借用語では[k]となることもあるが、語頭のchi は普通「ヒ」である。
さらに英語もそうだがドイツ語には日本語の無声両唇摩擦音 [ɸ] がないので、この音を上歯と下唇による摩擦音 [f] で代用して書く。「代用」と書いたが、欧米の自称「日本語学習者」には日本語の「ふ」が両唇摩擦音であって [f] ではない、というそもそものことを知らない人が時々いる。また前にもちょっと書いたが、「箸」と「橋」と「端」、「今」と「居間」など、「高低アクセントの違いで意味が変わるなんて聞いた事もない」人に会ったこともある。前に日本語を勉強したとのことだったが、私がちょっとアクセントの話をしたら、ほとんどデタラメを言うな的に食ってかかられて一瞬自分のほうが日本語のネイティブ・スピーカーであることを忘れてしまいそうになった。子供の頃「飴が降ってきたね」といった京都の子をからかった記憶(今思い出すとまことに慙愧の念に耐えない。言葉をからかうのは下の下であると今では考えている)は私の妄想だとでもいうのか。
話を戻すと、その上ドイツ語の母音 u はしっかり円唇母音 [u] だから、非円唇の日本語の「う」 [ɯ] よりもむしろ「お」に聞こえることがある。そこでさらに強弱アクセントを置いた母音がちょっと長くなるので fu が「フォー」と2モーラに聞こえてしまうのだ。
j はドイツ語では[ʒ]でも[dʒ]でもなくまさにIPAの通り [j] だから、ja、ji 、ju、je、 jo、はジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョでなくヤ、イ、ユ、イェ、ヨである。「柔道」 judo はユードー、柔術 jujitsu はユイーツーとなって一瞬「唯一」かと思う。心理学者のユングの名もJungと j で始まっている。だから ji は「イー」である。
ここまでは単にヘボン式のローマ字の読み方を知らずに単細胞にドイツ語読みしやがっただけだから発音の悲惨さの原因はまだわかりやすい。問題はどうして yo が「ジョ」になるのかということである。ドイツ人が yo を「ジョ」と読むのを他でも一度ならず聞いた。例えばTakayoだったかなんだったか、とにかく最後に「よ」のつく日本の女性名が「タカジョ」と呼ばれていたのだ。これはアルファベットのドイツ語読み云々では説明できない。Ya、yi、yu、ye、yoはドイツ語でもヤ、イ、ユ、イェ、ヨだからである。
私はこれはいわゆる過剰修正の結果なのではないかと思っている。
まず j は上で述べたようにフランス語では摩擦音の[ʒ]、英語では破擦音の[dʒ]だから日本語と大体同じ、というより日本語のアルファベット表記が英語と同じになっている。ドイツ人にとっても日本人と同じく学校で最初に学ぶ外国語は英語、その後中学でフランス語だから、その際「ja、ji、ju、je、joをヤ、イ、ユ、イェ、ヨと発音してはいけない」ということを叩き込まれる。学校で真面目に勉強しないでいて英語の全く出来ない人はドイツにもいるが、そういう人たちはJohnを「ヨーン」、Jacksonを「ヤクソン」と呼んでケロリとしている。しかし普通の教養を持っている人は英語やフランス語ができなくてケロリとしているわけにはいかないから、必死に「ja、ji、ju、je、joをヤ、イ、ユ、イェ、ヨというのは間違い、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョが正しい」と自分の頭に刷り込むのである。そのうち「ja、ji、ju、je、joを」という条件項目が後方にかすんでしまい、「ヤ、イ、ユ、イェ、ヨは間違い、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョが正しい」という強迫観念が固定して、勢い余って本当にヤ、イ、ユ、イェ、ヨで正しい場合までジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョと言ってしまう。このため yo をついジョと発音してしまうのではないだろうか。
ここでわからないのはむしろ、直さなくていいところで余計な修正が入り、直すべき肝心の富士の「ジ」の部分では修正メカニズムが起動せず「イー」に戻ってしまっていることだ。
もう一つ思いついたのは、スペイン語で y が [j] ではなく時々、というより普通軟口蓋接近音 [ʝ] になることである。時によるとこれがさらに破擦音の[ɟʝ]、時とするともっと進展して軟口蓋閉鎖音の[ɟ]にさえなってしまうそうで、実際私の辞書にはyo(「私」)の発音が[ɟo]と表記してある。ドイツ人には(日本人にも)これらの音はジャジュジョと聞こえるだろう。それでドイツ人はyoを見ると「ジョ」といいたくなるのかもしれない。
しかし反面、この[ʝ] [ɟʝ] [ɟ]はあくまで [j] のアロフォンであり、どの外国語もそうだが、音声環境を見極めてアロフォンを正確に駆使するなどということは当該言語を相当マスターしていないとできる芸当ではない。今までに会った、yo を「ジョ」と読んだドイツ人が全員スペイン語をそこまでマスターしていて、ついスペイン語のクセがでてしまった、とはどうも考えにくい。上でも述べたように、何年間も勉強した学習者でも発音をなおざりにしていることなどザラだからだ。それにどうせスペイン語読みになるのだったら、他の部分もスペイン語読みになって「チジョノフッヒ」とかになるはずではないのか?これはこれでまたホラーだが。
してみるとやはりあの発音はやはり過剰修正の結果と考えたほうがいいだろう。
この過剰修正はローマ皇帝のヴェスパシアヌスもやっているらしい。風間喜代三氏がこんな逸話を紹介してくれている:あるときヴェスパシアヌスに向かってお付きのフロールスFlōrusが「plaustra(「車」)をplōstraといってはなりませんぞ」と注意した。これを聞いた皇帝は翌日そのお付きをFlaurusと呼んだ。
スエトニウスの皇帝伝に書かれているこの話が面白いのはまず第一にこれがau, ō → ōというラテン語の音韻変化の記録になっているからだが、これも千代の富士のホラー発音と同じメカニズムだろう。もっともヒジョノフォーイーと比べたらフロールス→フラウルスなんて可愛いものである。
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