アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Februar 2016

注意:この記事はGoogle Chromeで見るとレイアウトが崩れてしまいます。私は回し者ではありませんが、できればMozilla Firefoxをお使いください

 ドイツ語の映画のタイトルに最も頻繁に登場する名前といえばダントツに「ジャンゴ」(Django)だろう。そう、言わずと知れた『続・荒野の用心棒』(原題はズバリ『ジャンゴ』)の主人公の名前だが、この映画が当時ヨーロッパ中でクソ当たりしたために、後続のマカロニウエスタンの相当数が露骨に柳の下のドジョウを狙って主人公の名前をジャンゴとしているのだ。
 最近は「ジャンゴ」というとタランティーノの方をコルブッチの原作より先に思い浮かべる、どころかそれしか思い浮かばない若造(おっと失礼)が多いようだが、そういう人は、黒澤明の『用心棒』を見て、「これ、レオーネの『荒野の用心棒』とストーリーそっくりじゃないかよ」と黒澤監督をパクリ扱いしたさるドイツ人を笑えまい。

 さて、そのジャンゴ映画量産のことだが、ドイツ人はやることが徹底しているので、もとの映画では主人公が全く別の名前だった作品にまで「○○のジャンゴ」というドイツ語タイトルをつけ、吹き替えで名前を勝手にジャンゴにしてしまっている。フランコ・ネロが主役であればほぼ自動的に主人公は「ジャンゴ」。で、『ガンマン無頼』の主人公バート・サリバンもドイツではジャンゴだ。さらにネロがティナ・オーモンと撮った『裏切りの荒野』という作品。これはメリメの『カルメン』を土台にしたものだから、主人公も当然ホセという名前だったが、ドイツ語版ではこれが脈絡もなくジャンゴにされている。マカロニウエスタンのネタにするなんてメリメへの冒涜ではないのか。とかいうと逆にマカロニウエスタンへの冒涜になるかもしれないが。
 とにかくフランコ・ネロばかりでなく、原作ではサルタナという名前だったジョージ・ヒルトンの役もアンソニー・ステファン(まあこれは原作からすでにジャンゴだった役もかなりあったが)もドサクサに紛れてジャンゴにされた。テレンス・ヒルも原作とは無関係にジャンゴになったことがある。ジュリアーノ・ジェンマやジャン・ルイ・トランティニャンまでジャンゴ扱いされなかったのは奇跡というほかはない。

 下に示すのはそういった一連の「ジャンゴ映画」の一覧表だが、イタリア語原題と比べてドイツではいかに執拗に「ジャンゴ」が映画タイトルになっているかわかるだろう。左が製作年、その右がタイトルだが、イタリックで示したのがイタリアでの原題(まるでダジャレだ)、下がドイツ語タイトルである。日本で劇場公開されていない作品など邦題がわからなかったものが多く、正直いちいち調べるのもカッタルかったので邦題をあまり表示していなくて申し訳ない。
 しかし一方マカロニウエスタンには、私のような普通になんとなく映画を見ているだけの常人の想像を絶するようなフリークがいて、作品の製作年と監督や主役の名前を見ればどの映画かすぐわかり内容がたちまち思い浮かんでくるという変態いや専門家ばかりだから邦題など必要あるまい。このリストに上がっているジャンゴ映画は全部見た、と言いだす人がいても私は全然驚かない。ドイツは特にそうだ。私など「見たような気はするが内容は全然覚えていない」という程度の不確実なものまで勘定して水増し申告しても、この中で見た映画はせいぜい10作品くらいである。完全に修行が足りない。

1966 Django    
    Django
    『続・荒野の用心棒』    
      監督:セルジオ・コルブッチ、キャスト:フランコ・ネロ、ロレダナ・ヌシアク

1966 Le colt cantarono la morte e fu... tempo di massacro
      Django – Sein Gesangbuch war der Colt
   『真昼の用心棒』
    監督:ルチオ・フルチ、キャスト:フランコ・ネロ、ジョージ・ヒルトン

1966 Django spara per primo    
    Django – Nur der Colt war sein Freund
    監督:アルベルト・デ・マルティーノ、キャスト:グレン・サクソン、フェルナンド・サンチョ

1966 La più grande rapina nel West    
    Ein Halleluja für Django    
   監督:マウリツィオ・ルチディ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ハント・パワーズ

1966 Pochi Dollari per Django    
    Django kennt kein Erbarmen    
    監督:レオン・クリモフスキー、キャスト:アンソニー・ステファン、フランク・ヴォルフ

1966 Sette Dollari sul rosso    
    Django – Die Geier stehen Schlange
   『地獄から来たプロガンマン』    
    監督:アルベルト・カルドーネ、キャスト:アンソニー・ステファン、フェルナンド・サンチョ
    
1966 Starblack    
    Django – Schwarzer Gott des Todes    
    監督:ジャンニ・グリマルディ、キャスト:ロバート・ウッズ、へルガ・アンダーソン

1966 Texas, addio    
    Django, der Rächer    
   『ガンマン無頼』
    監督:フェルディナンド・バルディ、キャスト:フランコ・ネロ、アルベルト・デラクア

1967 Bill il taciturno    
    Django tötet leise
    監督:マッシモ・プピロ、キャスト:ジョージ・イーストマン、リアナ・オルフェイ

1967 Cjamango    
    Django – Kreuze im blutigen Sand
    監督:エドアルド・ムラルジア、キャスト:イヴァン・ラシモフ、エレーヌ・シャネル

1967 Dio perdona … io no!    
    Gott vergibt… Django nie!
    監督:ジュゼッペ・コリッツィ、キャスト:テレンス・ヒル、バッド・スペンサー

1967 Due rrringos nel Texas    
    Zwei Trottel gegen Django
   『テキサスから来た2人のリンゴ』
    監督:マリーノ・ジロラーミ、キャスト:フランコ・フランキ、チッチオ・イングラシア

1967 Le due facce del dollaro
    Django - sein Colt singt sechs Strophen
   監督:ロベルト・ビアンキ・モンテロ、
             キャスト:モンティ・グリーンウッド、ガブリエラ・ジョルジェッリ

1967 Il figlio di Django    
    Der Sohn des Django
   監督:オスヴァルド・チヴィラーニ、キャスト:ガイ・マディソン、ガブリエレ・ティンティ

1967 Il momento di uccidere    
    Django – Ein Sarg voll Blut
    監督:ジュリアーノ・カルニメオ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ウォルター・バーンズ

1967 Non aspettare, Django, spara!    
    Django – Dein Henker wartet    
    監督:エドアルド・マラルジア、キャスト:イヴァン・ラシモフ、ペドロ・サンチェス

1967 Per 100.000 Dollari t’ammazzo    
    Django der Bastard
    監督:ジョヴァンニ・ファゴ、キャスト:ジャンニ・ガルコ、クラウディオ・カマソ

1967 Preparati la bara!    
    Django und die Bande der Gehenkten
   『皆殺しのジャンゴ』    
    監督:フェルナンド・バルディ、キャスト:テレンス・ヒル、ホルスト・フランク

1967 Quella sporca storia nel West    
    Django – Die Totengräber warten schon
   『ジョニー・ハムレット』    
   監督:エンツォ・カステラーリ、キャスト:アンドレア・ジョルダーナ、ギルバート・ローランド

1967 Se sei vivo spara    
    Töte, Django
   『情無用のジャンゴ』
   監督:ジュリオ・クエスティ、キャスト:トマス・ミリアン、ピエロ・ルッリ

1967 Se vuoi vivere… spara!    
    Andere beten – Django schießt
   監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:イヴァン・ラシモフ、ジョヴァンニ・チャンフリーリャ

1967 Sentenza di morte    
    Django – Unbarmherzig wie die Sonne
   監督:マリオ・ランフランキ、キャスト:ロビン・クラーク、トマス・ミリアン

1967 L’uomo, l’orgoglio, la vendetta    
    Mit Django kam der Tod
   『裏切りの荒野』
    監督:ルイジ・バッツォーニ、キャスト:フランコ・ネロ、ティナ・オーモン

1967 L'uomo venuto per uccidere    
    Django – unersättlich wie der Satan    
   監督:レオン・クリモフスキー、キャスト:リチャード・ワイラー、ブラッド・ハリス

1967 La vendetta è il mio perdono    
    Django – sein letzter Gruß    
   監督:ロベルト・マウリ、キャスト:タブ・ハンター、エリカ・ブランク

1967 Lo voglio morto    
    Django – ich will ihn tot    
    監督:パオロ・ビアンキーニ、キャスト:クレイグ・ヒル、レア・マッサリ

1968 Black Jack    
    Auf die Knie, Django
   監督:ジャンフランコ・バルダネッロ、キャスト:ロバート・ウッズ、ルシエンヌ・ブリドゥ

1968 Chiedi perdono a Dio, non a me    
    Django – den Colt an der Kehle
   監督:ヴィンツェンツォ・ムソリーノ、キャスト:ジョージ・アルディソン、ピーター・マーテル

1968 Execution    
    Django – Die Bibel ist kein Kartenspiel
   監督:ドメニコ・パオレッラ、キャスト:ジョン・リチャードソン、ミモ・パルマーラ

1968 Una lunga fila di croci    
    Django und Sartana, die tödlichen Zwei    
    監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:アンソニーステファン、ウィリアム・ベルガー

1968 Quel caldo maledetto giorno di fuoco    
    Django spricht kein Vaterunser    
    監督:パオロ・ビアンキーニ、キャスト:ロバート・ウッズ、ジョン・アイルランド

1968 Réquiem para el gringo    
    Requiem für Django    
    監督:ホセ・ルイス・メリーノ、キャスト:ラング・ジェフリース、フェミ・ベヌッシ

1968 Il suo nome gridava vendetta    
    Django spricht das Nachtgebet    
   監督:マリオ・カイアーノ、キャスト:アンソニー・ステファン、ウィリアム・ベルガー

1968 T’ammazzo!… raccomandati a Dio    
    Django, wo steht Dein Sarg?    
    監督:オスヴァルド・チヴィラーニ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ジョン・アイルランド

1968 Uno di più all’inferno    
    Django – Melodie in Blei    
    監督:ジョヴァンニ・ファゴ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ポール・スティーブンス

1968 Uno dopo l’altro    
    Von Django – mit den besten Empfehlungen    
   監督:ニック・ノストロ、キャスト:リチャード・ハリソン、パメラ・チューダー

1968 Vado… l’ammazzo e torno
    Leg ihn um, Django
   『黄金の三悪人』
   監督:エンツォ・カステラーリ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ギルバート・ローランド

1969 Ciakmull, l’uomo della vendetta    
    Django – Die Nacht der langen Messer    
    監督:エンツォ・バルボーニ、キャスト:レオナード・マン、ウッディー・ストロード

1969 Dio perdoni la mia pistola    
    Django – Gott vergib seinem Colt    
    監督:レオポルド・サヴォナ、キャスト:ワイド・プレストン、ロレダナ・ヌシアク

1969 Django il bastardo    
    Django und die Bande der Bluthunde    
    監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:アンソニーステファン、パオロ・ゴズリーノ

1969 Django sfida Sartana
   (ドイツ劇場未公開)        
   監督:パスクァーレ・スキティエリ、キャスト:ジョルジョ・アルディソン、トニー・ケンダル

1970 Arrivano Django e Sartana…è la fine!    
    Django und Sartana kommen    
   監督:デモフィロ・フィダーニ、キャスト:ハント・パワーズ、ゴードン・ミッチェル

1970 C’è Sartana… vendi la pistola e comprati la bara!    
    Django und Sabata – wie blutige Geier    
   監督:ジュリアーノ・カルニメオ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、チャールズ・サウスウッド

1970 Quel maledetto giorno d'inverno…Django e Sartana… all’ultimo sangue
   (ドイツ劇場未公開)
   監督:デモフィロ・フィダーニ、キャスト:ハント・パワーズ、ファビオ・テスティ

1970 Uccidi Django… uccidi per primo!
   (ドイツ劇場未公開)
   監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:ジャコモ・ロッシ・スチュアート、アルド・サンブレル

1971 Anche per Django le carogne hanno un prezzo    
    Auch Djangos Kopf hat seinen Preis        
   監督:ルイジ・バッツェラ、キャスト:ジェフ・キャメロン、ジョン・デズモント

1971 Il mio nome è Mallory "M" come morte    
    Django – Unerbittlich bis zum Tod    
    監督:マリオ・モローニ、キャスト:ロバート・ウッズ、ガブリエラ・ジョルジェッリ

1971 Quel maledetto giorno della resa dei conti
    Django – Der Tag der Abrechnung    
    監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:グイド・ロロブリジーダ、タイ・ハーディン

1971 Una pistola per cento croci    
    Django, eine Pistole für hundert Kreuze    
   監督:カルロ・クロッコーロ、キャスト:トニー・ケンダル、マリーナ・ムリガン

1971 W Django!    
    Ein Fressen für Django    
    監督:エドアルド・ムラルジア、キャスト:アンソニー・ステファン、クラウコ・オノラート

1972 La lunga cavalcata della vendetta    
    Djangos blutige Spur    
   監督:タニオ・ボッチア、キャスト:リチャード・ハリソン、アニタ・エクバーグ

1987 Django 2: il grande ritorno    
    Djangos Rückkehr    
    監督:ネッロ・ロサーティ、キャスト:フランコ・ネロ、クリストファー・コネリ

 さて、その元祖となった『続・荒野の用心棒』の主人公ジャンゴだが、監督のセルジオ・コルブッチはこの名前をヨーロッパのジャズ・ギターの第一人者ジャンゴ・ラインハルトから持って来ている。ラインハルトはベルギー生まれのロマ、フランス語でマヌシュと呼ばれるグループの出身らしいが、このマヌシュは『50.ヨーロッパ最大の少数言語』の項で述べたようにドイツのロマ、シンティと同じ方言グループに属している。つまり「ジャンゴ」という名前は本来ロマニ語。その名前の由来について調べてみたら2説あった。

1.Django(またはDžango)はJean、Johannes、Giovanniという名前のロマニ語バージョンである。
2.Džangoとはロマニ語でI wake up、または I woke upという意味である。

困った。どちらの説でも疑問点が出てきてしまったからだ。

1について:
Jean、Johannes、Giovanniのロマニ語バージョンならDžanoとかいう形にはならないのか?その/g/という音素はどこから来たのか。

2について:
調べてみたら「目覚める」というロマニ語はdžungadol、方言によってはdžangadolまたはdžangavel(辞書形は3人称単数形)だそうだが、それなら「私は目覚める」はdžangaduaまたはdžangavua(シンティ)、あるいはdžangadavもしくはdžangavav(その他の方言)、「私は目覚めた」だと džangadomまたはdžangavomとか何とかになると思うのだが。/d/または/v/の音素が消えてしまっているのはなぜか?

 つまりどちらも確かに形は似ているとはいえ、前者は音素が一つ余り、後者は一つ足りない。帯に短し襷に長しでどちらもストレートにDžangoにはならない。もっともシンティのdžangavuaが一番近いなとは思ったし、

džangavua→[dʒanɡavʊa]→[dʒanɡaʊa]→[dʒanɡɔ:]→[dʒanɡɔ]

とかなんとか音の変化の流れを解釈すれば説明がつかないことはない。
 しかし私はロマニ語ができないので確かなことはわからないし、こんな小さなことは本なんかには出ていないだろうと思ったので人に聞くしかないなと判断し、まずオーストリアのグラーツ大学の教授に上のようなことを述べ、「どっちが正しいんでしょうか?」と問い合わせのメールを出したが音沙汰なし。「この忙しいのになんなんだこの馬鹿メールは?」と無視されたか(されて当然だと我ながら思う)、スパム扱いされて自動的にゴミ箱行きになったかと思い、今度はヨーロッパでロマニ語研究プロジェクトを立てているもう一つの大学、イギリスのマンチェスター大にメールを出してみたら2日後に次のような返事が来た。

Dear 人食いアヒルの子,

unfortunately we are not able to help you.
Reconstructing the etymology of personal name is almost impossible if there are no written records of a given name across a considerable length of time. Unfortunately, this is the case for Django.

Sorry to disappoint you,

*** ***

Romani Project
School of Languages, Linguistics & Cultures
University of Manchester
Manchester M13 9PL, UK

*** ***という部分は研究員の方の名前だが、もちろん伏せ字にしておいた。しかし2日もたってから返事が来たということは一応まじめに検討してくれたのか、それとも単に放っておかれたのか?どちらにしても大変お騒がせしました。

 と、いうわけでジャンゴという名前の由来は「わからない」というつまらないオチに終わってしまった。


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 1980年代に沖縄でヤンバルクイナという鳥の新種が発見されてマスコミで大騒ぎしていたのをまだ覚えている。後天性免疫不全症候群、続にいうエイズの発見と言うか確認も80年代でこれもマスコミは大きく取り上げた。

 実は80年代にはもう一つ人類規模の大発見がなされていたのだが、これを取り上げて騒いでいた新聞を見かけた記憶が全くない。もしかしたら新聞の片隅で報道されていたのを見落としたのかもしれないが、そのころシュメール語がいわゆる能格言語であることが発見されていたのである。もっとも「大発見!! シュメール語は能格言語だった!」とか一面の見出しなどにつけたら新聞の売り上げ一気に落ち込みそうだ。実は私も最近まで全く知らなかったのだが、何気なく言語事典を見ていたらシュメール語の項に「1980年代に能格言語であることが確認された」とあっさり凄いことがかいてあるので驚いた。
 驚いたついでに、その事典に参考書として上がっていたThe Sumerian Language: An Introduction to Its History and Grammatical Structureというシュメール語についての本をアマゾンで検索してみたら古本で549ドル、新品だと850ドルというすさまじい値段で、驚きが「戦慄」にグレードアップした。一瞬こちらが桁の位置を見間違えたかと思ってしまった。誰がこんなに出せるんだ。(これは何年か前の検索だが、最近また見てみたら大分値下がりしていて中古が250ドル、新品が748ドルだった。しかしこれでも十分高い)

 幸い大学の図書館にあったので借りた。まあ大学にとってはこのくらいの値段痛くもないのだろう。それとも発行当時はもっと安かったのか。
 中を覗いてみたが普通の文法書・研究書で、どうしてこんな値段がついているのかわからない。

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これがその700ドル以上するシュメール語についての本の表紙だが、地味な装丁でとてもそんなに高いようには見えない。

ハードな文法の記述はひとまず置いておいてIntroductionの章にサッと目を通してみたら、16ページ目にこんなことが書いてあるではないか。

The Sumerian influence may already rather early have caused the Akkadian word order: S-O-V, which is unusual for a Semic language. Most early contact is shown in the archaic texts from Fara and Abu Salabikh´.

 これで思い出した。昔一般言語学の口頭試問で、「ケルト語の語順はどうしてVSOなんだと思いますか?」と聞かれて答えられなかったことがあるのだ。「どう思いますか」と聞かれたくらいだから、はっきり証明された定説はなくて、答えよりも私の思考能力というか推論能力というか、学生としての底力を試したのだろう。こういうことはいわゆる試験勉強をやってもできるようにはならない。ここで正直に「見当もつきません。考えてみたこともありません」とか答えていたらその場で首が飛んでいたかもしれないが、私が一応「うーん」とうなりながら考えるふりをしてごまかしていたら、試験官の先生のほうが向こうからいろいろ考えるヒントを出してくれた。
 ケルト語はラテン語やギリシア語が入ってくる前にヨーロッパ大陸で広く話されていた言語だが、その際フェニキア語と接触した。フェニキア語はセム語族だ。そしてセム語族の言語はアッカド語を唯一の例外として語順がVSOなのである。アラビア語も基本VSOで、時々SVOも現れるそうだが、つまりケルト語のVSOはセム語族のフェニキア語の影響と考えられるのだ。
 その唯一の例外アッカド語はセム語族のくせに語順SOV。そしてシュメール語は非セム語・非印欧語である。つまり、親戚のアッカド語が非セム語に影響されてSOVに変身させられたため、怒った同族フェニキア語がその仕返しに(多分元々はSVOだった)何の罪もない印欧語のケルト語をVSOに変えて復讐してやったのだ。「江戸の仇を長崎で取る」とはこういう事をいうのではないだろうか

 話を戻すが、能格言語というのは一言で言うと自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ格を取り、他動詞の主語と自動詞の主語が同じ格にならない言語だ。自動詞の主語と他動詞の目的語が取る格を「絶対格」、他動詞の主語がとる格を「能格」という。これに対して日本語や印欧諸語では自動詞だろうが他動詞だろうが動詞の主語は主格で、目的語がとる対格に対する。「主語は主格」としか考えられない頭の硬直している者にはちょっと想像を絶する構造だ。前に『7.「本」はどこから来たか』の項でちょっと書いたタバサラン語やグルジア語など、コーカサス語群の言語はこの能格を持っている。ヨーロッパではバスク語が能格言語として有名だし、オーストラリアやパプア・ニューギニアのあたりにも能格言語が多いそうだ。
 ネットなどを見てみたら同じバスク語の例が、そこら中でたらい回し的に引用されている。それをまたそのままここで垂れ流す私も横着だが、下の2文を比べてみてほしい。能格の何たるかがよくわかるだろう。

gizon-a etorri da.
男(絶対格) + 到着した +(完了)
→ その男がやってきた。


gizon-ak mutil-a ikusi du.
男(能格) + 少年(絶対格) + 見た +(完了)
→ その男がその少年を見た。

「男」はgizonだが、「やってくる」という自動詞の主語に立つときは-a、「見る」という他動詞の主語の時は-akという別の形態素が付いていることがわかるだろう。 これが絶対格と能格の違いで、日本語だとどちらも主格を表す「が」がついて「男が」となる。また、主語の「男」が見た対象、日本語では「を」をつけて対格になる「少年」(mutil )に、自動詞の主語gizon-aと同じく-aがついてmutil-aという形をとっている。絶対格である。
バスク語をもう一例。

Ume-a erori da.
子供(絶対格) + 転ぶ +(完了)
→ その子供が転んだ。


Emakume-ak gizon-a ikusi du.
女(能格) + 男(絶対格) + 見た +(完了)
→ その女がその男を見た。

ここでも-aが絶対格、-akが能格だ。

その700ドルの本には(しつこい)シュメール語の例として以下のような例がのっている。ここでğとしてあるのは本ではgの上に半円というか河童のお皿というかでなく~がのっている字だ。

-e sağ mu-n-zíg
その男(能格) + 頭(絶対格) + 上げた
→ その男が頭を上げた。

i~-ku4.r-Ø
その男(絶対格) + 入ってきた。
→ その男が入ってきた。

ゼロ形態素(-Ø)と-eがそれぞれ絶対格と能格のマーカーなのがわかるだろう。つまり自動詞と他動詞では主語の格が違い、他動詞の目的語と自動詞の主語が同じ格(絶対格)で、他動詞の主語のみ能格になっている。

 ちなみに、グルジア語は能格を持っていると上で書いたが実はグルジア語は能格と主格を併用している。能格が現れるのはアオリストの場合だけだそうだ。まず現在形では主語は他動詞も自動詞も主格をとる。

student-i midis
学生(主格) + 行く(現在)
→ 学生が行く

student-i ceril-s cers
学生(主格) + 手紙(対格) + 書く(現在)
→ 学生が手紙を書く。

ところがアオリストでは他動詞の主語は能格に、目的語は主格になる。自動詞の主語は現在形と同じく主格。

student-i mivida
学生(主格) + 行った(アオリスト)
→ 学生が行った。

student-ma cereil-i dacera
学生(能格) + 手紙(主格) + 書いた(アオリスト)
→ 学生が手紙を書いた。


グルジア語はいわゆる膠着語で動詞にベタベタいろいろな形態素がくっ付いてきてドイツ語のように単純にこれは「過去形」、これは「現在形」とキッパリ線を引けないので困るが、もう一つこういう例があった。

dato ninos c’ign-s ačukebs.
ダト(主格)+ ニノ(与格) + 本(対格) + 寄付する(現在)
→ ダトがニノに本を寄付する。

dato-m ninos c’ign-i ačuka.
ダト(能格)+ ニノ(与格)+ 本(主格)+ 寄付した(アオリスト)
→ ダトがニノに本を寄付した。


さすがに間接目的語はどちらも与格だ。そうでなくては困る。それにしても、ここで「ある場合は能格、別の場合は主格などという玉虫色の言語では困る。どちらかにはっきり決めてくれ」とグルジア語に文句をつける人がいたら、実は自分たちだってそういうヒョウタンナマズだということを考えたほうがいい。日本語でだって「私は映画が好きだ」または「私はあの本が欲しい」というだろう。ここで主語に立っている「映画が」と「あの本が」は対格でも表現できて「私は映画を好きだ」「私はあの本を欲しい」と言っても間違いではない(私個人の言語感覚では主格の「が」のほうが座りがいい)。日本語では「好きだ」も「欲しい」も動詞ではないが、対応する英語はそれぞれlikeとwantという立派な動詞。言い換えるとこれはいわば目的語が主格に立っているわけで、擬似能格現象といえるのではなかろうか。
 事実、「能格」という言葉の意味を本来より少し広く取ってこういうのをも含めて「能格性」として扱う言語学者も多い。例えば英語文法でも「能格」ergativeという言葉の意味が少し広い。生成文法の入門書で有名なAndrew Radfordが例として掲げているが

Someone broke the window
The window broke

という構造も「能格現象」として扱われている。ドイツ語でも 

Dieser Kuli schreibt gut.
this + ballpoint + writes + well

という言い方ができるので、英語・英文法の得意な人はこちらが能格の本来の意味で、一般言語学がこの用語を転用したのだと思っているかもしれないが、シュメール語、バスク語のほうが本家である。Radfordも

This term originally applied to languages like Basque in which the complement of a transitive verb and the subject of an intransitive verb are assigned the same case.

と、ちゃんと説明してくれている。


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 何年か前にこちらで結構大騒ぎになったニュースがある。ギリシアのロマ居住区で両親とは全く似ていない金髪の少女がみつかったため、親だと自称するロマ夫婦にほとんど自動的に「誘拐・人身売買の手先」の疑いがかかり、少女は保護された、という事件である。
 そのロマ夫婦は最初から、知り合いのブルガリアのロマが、産んだはいいが経済的に自分達では育てられないからと言ってこちらに預けてきたのだ、と主張し続けていたが、当局はそれを信用せず、行方不明となっている子供のリストなどを大掛かりに検索して徹底的に調査した。しかしそのロマの夫婦があっさりと「そんなに疑うのだったらその預け元のブルガリアの知り合いの携帯番号があるからそっちにあたってくれ」と主張するので、調べたらそのロマは始めから本当のことを言っていたのである。
 この事件で心ある人の議論になっていたのは、ロマとみると誘拐の犯罪のとすぐ連想するヨーロッパ社会の暗部であった。ギリシアにもロマ出身の政治家がいて(私の知る限りでは1990年代にスペイン国籍のロマのEU議員がいたし、現在でもハンガリー国籍のEU議員がいる)、真っ先にそのことを問題にしていた。
 期を同じくしてアイルランドでもロマの家庭に金髪の少女がいるのが見つかり、当局はその少女を保護したが、DNA鑑定をしてみたら本当にそのロマの子供だったのだ。そのロマはきちんと社会に溶け込んで仕事もしている普通の市民だった。

ヨーロッパ社会もまだまだだ。

 ロマの言語を「ロマニ語」というが、この「ロマニ」(romani)というのは「ロマの」という形容詞の単数女性主格である。なぜかというとこれはもともと romani čhib(「ロマの言語」)という言葉からとったもので、čhib というのが「言語」という意味の女性名詞なので、それに呼応して形容詞のほうも女性単数になっているからである。この形容詞の男性形は romano で、男性名詞 kher(「家」)にかかると romano kher(「ロマの家」)。私の家の近くに州のロマの本部、というか文化・情報センターがあるが、ここの名称が romano kher となっている。
 そのロマニ語の話者はヨーロッパ全体で推定1000万人という。リトアニア語・スウェーデン語など下手な国家言語より規模の大きい大言語である。もっともこの1000万というのがあまり正確な数字ではない。ロマニ語がもう話せなくなっているロマがいる一方でロマ出身ということを隠しておきたいがために実はロマニ語を話せるのに話せないことにしている人などもいて正確な統計が出せないからだ。しかしこの1000万と言う数字が本当ならばロマニ語はカタロニア語を抜いてヨーロッパ最大の少数言語ということになる。以前は最大の少数言語はカタロニア語だったが、ルーマニア・ブルガリア始めバルカン諸国がEUに加わったためロマニ語話者の人口が一気に増大し、カタロニア語はその地位を奪われたわけだ。

 本などにはいたるところに「ロマは北インド起源」と書いてある。でもそれを証明する歴史的文献などは存在しない。彼らがインド起源であるというのは純粋に比較言語学上で証明されたものだ。19世紀にヨーロッパで比較言語学が発展してすぐに関心をロマニ語に向けた学者もいた。バルカン言語学で有名なミクロシッチもその一人であるが、この人の名前は教科書などには普通フランツ・ミクロシッチと書いてある。が、彼はスロベニア人であって、当時そこがオーストリア領であったため本来「フラーニョ」という名前をドイツ語風にして名乗っていたのだ(『36.007・ロシアより愛をこめて』の項参照)。ついでに言うと例のイヴ・モンタンもトリエステ生まれで、スラブ系の「イヴォ」が本名である。
 話が逸れたが、そのミクロシッチ、サンドフェルド(本国デンマーク語ではサンフェルというのだろうか)などの当時の大言語学者達が印欧諸語に対する膨大な知識を駆使して来る日も来る日も詳細に比較していった結果ロマニ語の起源がわかったのだ。
 ロマは元の元の大元は中部インドにいたものが、一旦北インドに移住してそこにしばらく住み、9世紀ごろにアルメニアとかあそこら辺のルートを通って、遅くとも11世紀にはビザンチンに入り、そこでタップリギリシャ語の影響を受けた後、14世紀ごろにヨーロッパ各地に散り始めたというが、本にはしごくあっさり書いてあるそういうことも歴史文献などに出ていたのではなく、すべて比較言語学で理論上出された結果である。例えばロマニ語にはアラビア語起源の借用語が非常に少ない、ということから民族移動のルートがアラビア語の話されている地域とあまり接触しない北の方を通った、と推定されるのだ。
 ドイツには15世紀からロマが住んでいたらしい。ドイツにロマが住んでいたことを述べている最初の文献は1408年にヒルデスハイムという町で書かれた文書だそうだ。

 以下にインド・イラニアン語派の言語とロマニ語で1から10までと100をなんというか挙げてみたが、互いによく似ている。「ドマリ語」というのは中近東に住んでいる同民族の言語である。
Tabelle1-50
(ここでxというのはあくまで [x]、つまり軟口蓋で出す摩擦音のことで「クス」とか「エックス」ではない)

 しかし実は別にミクロシッチほどの専門家でない、私のような素人目にもロマニ語はインドあたりの起源なのではないかと薄々感じることができる。この言語は音韻上、無気音と帯気音を弁別するからだ。これらは今のヨーロッパ内の印欧語ではアロフォンだ。帯気音は子音の後ろに h をつけて表すが例えばロマニ語には次のようなミニマル・ペアがある。
Tabelle2-50
また日本の印欧語学者泉井久之助氏は

Dadeske hi newi gili

というロマニ語の例を挙げているが、dadeske は「父」の与格、hi が英語の is、newi が「新しい」、gili が「歌」で、「父には新しい歌がある」。だからロマニ語は『42.「いる」か「持つ」か』の項で述べたようないわゆるbe言語なのである。

 さらに、件のギリシャのロマ夫婦の知り合いがブルガリアのロマだった、ということも考えてみると含蓄がある。ギリシアとブルガリアのロマはいわゆる「バルカングループ」という方言グループを形成しているから、ギリシャとブルガリアのロマは話が通じたのだろう。ルーマニア、セルビアのロマとなると「ヴラフ・ロマ」という別の方言グループに属しているから、相互理解はそれほどすんなり行かなかったのではないだろうか。ハンガリーと一部のオーストリアのロマは「中央グループ」という方言、ドイツのシンティ、フランスのマヌシュは「北方言群」に属すそうだ。

 ことほど左様な大言語なのに、その割にはロマニ語学習者が少ない、というか「ほとんどいない」のには原因がある。一つは上でも述べたように「方言差が大きく、中心となる言語ヴァリアントがない」ことがロマニ語の保護、特に文書化を妨げているからだ。特に強力な中央方言がないためにラテン文字で書くにしてもドイツ語風にするのかフランス語読みにするのか、クロアチア語表記で書くのか統一することができない。語彙や文法でも差が激しいので「ロマニ語文法」として一つにまとめるのが非常に難しい。さらにドイツのシンティなどは文書化・文法書の発刊そのものに反対している(下記参照)。
 理由の二つ目はロマニ語を話す人々に対する偏見。事実ナチの時代にはロマは「劣等民族」として虐殺された。
 三つ目の理由は、ロマ自身がその言語を外部のものに教えたがらないからだ。当然だ。何世紀もの間、周り中から敵意ある目で見られ(その被抑圧ぶりはユダヤ人の比ではない)、あろうことか組織的に虐殺されたりしたら、絶対に周りに対してオープンになどなれない。ナチスの時代には「言語調査」と称してロマのところへやってきて、収容所送りにする下準備したりした御用学者もいたそうだから。
 私自身一度どこかのネットサイトでシンティ、つまりドイツのロマが「ロマニ語を教わりたい」というドイツ人の書き込みに対して「やめてくれよ。ロマはよそ者に言語を漏らしたりしないよ。言語は私たちが誰からも奪われることがなかった唯一のものなんだ。」とレスしているのを目撃したことがある。もっともそれに対して別のロマが「そういう心の狭いことを言うからいつまでも差別されるんだ」と反論していたが。

 そういった事情にもかかわらず、ロマニ語の文法書なども細々と出てはいる。多くはドイツのロマニ語ではなく、抑圧経験がそれほど強烈ではなかったため、比較的オープンなカルデラシュというセルビアのロマグループの言語を基礎にしたものだそうだ。
 その文法書などにも、そして他の研究書などにも「ロマは『あまりにも理解できる理由によって』自分達の言語が記述されることには否定的である」と書かれている。この『あまりにも理解できる理由によって』という言い方に、こんなに魅力的な研究対象に対して手を出すことが許されない、しかもそれは自分達のせいなのだ、というヨーロッパの言語学者の自責の念をヒシヒシと感じるのだが。うめき声が聞こえてくるようだ。

 私は「語学をやる」というのは基本的にこういうこと、相手の最も繊細な部分に土足で突っ込んでいくことだと思っている。だから手軽な学習書を買い集め、「こんにちは」とか「さようなら」とかしゃべって見せて外国人に通じたと言って悦に入る、すぐに「○○語が出来ます」とかエラそうに言い出す、こういうチャライ態度にはちょっと抵抗を感じる。


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 もう大分前の本ではあるが、今でも時々別宮貞徳氏や河野一郎氏などの翻訳批評をパラパラめくり読みする。しかし実は私にとってこれらは面白いとばかりは言いきれないのである。別宮氏に「こんな英語のレベルは中学生。大学の学部どころか高校入試試験も通るまい」などとボロクソ言われている誤訳例の相当部が私だったら絶対やってしまいそうなものなので、読んでいて冷や汗の嵐だからだ。私は今まで自分の英語力は高校一年生レベルくらいはあるだろうと自惚れていたが、最近怪しくなってきた。実は中学生レベルなんじゃないのか?
 例えば別宮氏だったと思うが、下の英語を訳した翻訳者をケチョンケチョンにけなし、「よくこれで翻訳をやろうなんて気になるものだ」とまで罵倒しているのだが、ハイ、私もやってしまいました。

invasion ... from the Adriatic coast to the north

これを私はこの(駄目)訳者と同じく、しっかり「アドリア海沿岸から北へ向かった侵略」だと解釈してしまった。ところがこれは「こんなものは中学一年で皆習う」もので、

on the north of
in the north of

と同じく

to the north of

も「北方の、北にある」という意味だから、ここは「北方のアドリア海沿岸から(南方に向かった)侵略経路」とのことだ。つまり私の語学は中学レベルか。これを誤訳したヘボ訳者と私の違いは、私が自分は英語は(英語も)苦手である、と少なくとも自覚だけはしていることくらいだ。
 さて、こういう風に話題をそらすと自分のヘボ英語に対する負け惜しみのようで恐縮だが、このtoの話は非常に興味深いと思った。英語のtoに対応するドイツ語の前置詞zuにも「移動の方向・目的地」のほかに「いる場所」の意味があるからだ。

例えば

Ich fliege zu den USA.
飛行機でアメリカに行く

ではzuは目的地を示すが、

Universität zu Köln
ケルン(にある)大学

は存在の場所である。ただしネイティブによるとドイツ語では東西南北にzuは使えず

* Die Stadt ist zum Norden Mannheims
この町はマンハイムの北にある

は非文で、この場合はinを使って

Die Stadt ist im Norden Mannheims

と言わなければいけない。でもそういえば日本語では助詞の「に」は「東京に行く」と「東京にいる」の両方に使えるではないか。

 まあかように私は英語が出来ないのだが、逆方向、日本語のトンデモ英語訳の例のほうにはそのさすがの私でも笑えるものがたくさんある。どこで聞いたか忘れたが「あなたは癌です」を

You are cancer.

といったツワ者がいるそうだ。「お前は日本の癌だ」などという意味ならまあこれでいいかもしれないが、いくらなんでもこれは普通の人なら

You have cancer.

くらいはいうのではないだろうか。これがロシア語では『42.「いる」か「持つ」か』の項でも述べた通りゼロ動詞を使って

У меня рак.
by + me (生格) + cancer
私には癌がある → 私は癌です。

である。ついでにI am cancerはゼロコピュラで

Я - рак
I(主格)+ cancer

となる。それでさらに思い出したが、「春はあけぼの」という日本語を

Spring is dawn.

と直訳した人がいるそうだ。その調子で行ったらレストランで「私はステーキだ」と注文する時

I am a steak

とでも言う気か。レストランに行って自分のほうが食われてしまうなんてほとんど『注文の多い料理店』の世界ではないか。「春はあけぼの」は

In spring it is the dawn that is most beautiful.

と訳さないといけない。英語は印欧語特有の美しい形態素パラダイムをほとんど失っているので、こういう長ったらしい言い方しか出来ないのだ。本当に印欧語の風上にもおけない奴だ。ところがロシア語だとこれが

Весною рассвет
spring(単数造格) + dawn(単数主格)

とスッキリ二語で表せてしまう。私みたいな語学音痴だとうっかりどちらも主格を使って

Весна рассвет
spring(単数主格) + dawn(単数主格)

とかやってしまいそうで怖いが(I am cancerを笑えない)、それにしてもこのシンタクスの美しさはどうだろう。印欧語特有の上品さを完全に保持している。英語にはロシア語の爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものだ。

 さらにロシア語では日本語の「私には○○と思われる」を日本語と同じく動詞「思う」を使って

Мне думается, что...
me(与格) + think(3人称現在単数)-再帰代名詞 + that

と言えるのである。英語やドイツ語だとここでthink(ドイツ語ではdenken)ではなく、「見える」とか「現れる」、seem、erscheinen、vorkommenを使うだろう。ここで動詞の後ろにくっ付いている-ся(母音の後だと-сь)というのは再起表現で大まかに言うと英語の-self、ドイツ語のsichに当たるのだが、ロシア語ではこの形態素が英独の再帰代名詞よりずっと機能範囲が広く、受動体や、この例のように自発的意味も受け持つのである。例えば;

受身のся
能動態
Опытный шофёр управляет машину.
experienced  + driver(単数主格)+ steers + machine(単数対格)
→ 経験のある運転手が自動車を操縦する

受動体
Машина управляется опытным шофёром.
machine(単数主格)+ steers itself + experienced + driver(単数造格)
→ 自動車が経験のある運転手に操縦される

可能のся
平叙文
Больной не спит.
patient(単数主格)+ not + sleep
→病人は眠らない

可能表現
Больному не спится.
patient(単数与格)+ not + sleep himself
→病人は眠れない

自発のся
平叙文
Я хочу спать
I(単数主格)+ want + to sleep
→私は眠りたい

自発表現
Мне хочется спать.
me(単数与格)+ want itself + to sleep
→私は眠い

 
上述のдумается(不定形はдуматься)もこの自発タイプと見ていいと思う。これら3つの用法、つまり受身、可能、自発の表現が日本語の「れる・られる」といっしょなのが面白い。

受身の「れる・られる」
能動態
議論する
受動体
議論される

可能の「れる・られる」
平叙文
よく眠る
可能表現
よく眠られる

自発の「れる・られる」
平叙文
昔の事を思い出す
自発表現
昔の事が思い出される

と、いうわけで私はロシア語はシンタクスが特に好きである。なのにいつだったか、よりによってロシア語のネイティブが日本語の「私には~と思われた」をIch dachte, dass...(I thought that...)と誤解釈しているのを見たことがあり、せっかく母語にМне думается, что...という素晴らしい表現があるのにこりゃ灯台下暗しじゃないかと思った。


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 フランスの名優ロベール・オッセンが監督した『傷だらけの用心棒』とイタリアのカルト監督セルジオ・コルブッチの『殺しが静かにやって来る』は、ストーリーが似ているだけにフランスとイタリアの国民性の違いが直接感じられるようで比べて見ると面白い。

 『傷だらけの用心棒』は私の知る限りでは日本では劇場未公開で、あまり知られていない。スタッフもキャストもほぼ全員フランス人(脚本はイタリア人のダリオ・アルジェント。普通の映画ファンならホラー映画を思い浮かべるだろう)だから、これをマカロニウエスタンと呼んでいいのかどうか迷うところだ。フランスではこのほかにも結構当時西部劇が製作されていて、ルイ・マルなんかも西部劇を撮っている。『ラッキー・ルーク』と言うフランス製アニメ西部劇などはドイツでも人気がある。ルイ・マルの西部劇はブリジット・バルドーやジャンヌ・モローが主人公でイタリアのマッチョ西部劇とは完全に雰囲気が違うから確かにマカロニウエスタン扱いされないが、この『傷だらけの用心棒』はモティーフや雰囲気から言ってまあマカロニウエスタンと見なしていいと思う。

 『傷だらけの用心棒』も『殺しが静かにやって来る』も夫を殺された寡婦が、殺し屋を雇って復讐しようとするが、結局女も男も相手に殺される、という陰鬱な話である点は共通しているが、フランス側の『傷だらけの用心棒』はストーリー展開にも無理がなく、登場人物にもあまり極端な性格なのは出てこない。主人公に「復讐は結局何も解決はしない」とボソっと言葉で言わせるあたり、文学の香りさえ漂っている感じ。
 もともとフランス映画には「宮廷モノ」とでも名付けたくなるような一連の映画群があって、ルイ何世とかアンリ何世とかの時代の華やかな宮廷ドラマを題材にしたものが得意ワザだが(三銃士とかゾロとかもここに含めていいだろう)、このオッセンもそういった宮廷モノのシリーズ映画『アンジェリク』で人気を博していたのだ。一連のアンジェリク映画で常にオッセンの相手役を務めていたミシェル・メルシエをこの『傷だらけの用心棒』でも起用している。
 あと、この映画には時々シーケンスがちょっとガキガキ飛んで一部繋がりが切れそうになるところがあるが、こんなのを見ているとジャン・リュック・ゴダールの例の『勝手にしやがれ』とかを思い出して仕方がない。私の考え過ぎかもしれないが。
 とにかくいろいろ「フランス性」を感じる映画なのだ。

 その代わり『傷だらけの用心棒』にはイタリア映画の『殺しが静かにやってくる』がもつ凄みに欠けるきらいがある。後者は映画全体がもうドスの効いたシーンの連続。登場人物もフランク・ヴォルフ演ずる保安官以外は全員多かれ少なかれ異常人格。ストーリーも現実味が薄く非常にシュールだ。
 こちらのTV雑誌の「一口情報」には両者が次のように紹介されていた。

『傷だらけの用心棒』:    見るものを捕らえて離さない暗い演出の復讐劇
『殺しが静かにやって来る』:無情。凍てついた地獄を通る。

なるほどこれは真をついた紹介である。

 さらに両者の違いを感じさせるのは、フランス側の主人公が最後に女に殺される、という点だ(は?)。殺されかた自体にも違いがある。フランス側はバーンと銃声が響いて主人公がバッタリ倒れる、という定式どおりのあっさりしたものになっているが、イタリア側は主人公が額を撃ち抜かれて倒れていくスローモーション映像をモリコーネのゾクゾクするような美しい音楽が伴奏する。

 いつだったか、ドイツの新聞でモリコーネの音楽をhypnotisch、つまり「人を催眠術にかけてしまうような」と描写していたが、私に関してはまさにその通りだ。小学校の時初めてモリコーネの『さすらいの口笛』を聴いて金縛り状態になってしまった。以来その催眠術から覚めることができない。『殺しが静かにやって来る』のテーマ曲も相当催眠術効果が強い。モリコーネのメロディはなんと言っても聴覚だけでなく視覚にも訴えて来るところが凄い。

 対して『傷だらけの用心棒』のテーマ曲はアンドレ・オッセンというフランスの作曲家だが、これはロベールの父である。私なんかは「アンドレ・オッセンは俳優ロベール・オッセンの父」と言った方が通りがいいが、本来「ロベール・オッセンは音楽家のアンドレ・オッセンの息子」というのが正しいのだそうだ。文化界ではアンドレ・オッセン氏の方が名が上らしい。
 アンドレ・オッセンの曲はこの『傷だらけの用心棒』の主題曲しか知らないのだが、これに限って言えばohrwürmigと形容できる。このohrwürmigという形容詞はもちろん「Ohrwurm的な」という意味だが、その元になったOhrwurm(「耳にわく虫」)というのは「一度聴くと耳にこびりついて離れない音楽」のことである。あるメロディがなぜかいつまでも耳もとに残っている、という経験は誰でも持っていると思うが、そういうときドイツ人はOhrwurmと表現するのである。この言葉は頻繁に使われるのだが、独日辞典を引いてみたらよりによってこの意味が載ってなかったので呆れた。Ohrwurmの項には「昆虫学:ハサミムシ」と「古・俗:おべっか使い」というはっきり言ってトンチンカンな二つの意味しか書かれていない。なんだこの辞書は。
 もっともこのOhrwurmは必ずしもいいメロディの曲に対してだけではなく、うるさく耳にこびりついて離れない邪魔な駄曲に対しても使われることがあるので注意が必要だ。『傷だらけの用心棒』のテーマ曲はあくまでポジティブな意味でのOhrwurmである。

 さて主役のロベール・オッセンだが、私がよく映画で見かけたころはまだ子供だったから(私の方がだ)「ろべーる・おっせん」と日本語でしか名前を知らなかったので、ずっと後でRobert Hosseinという名前を見ても私の知っているオッセンと結びつかず、一瞬「誰だこれは。サダムの親戚か?」と思ってしまった。
 さらに氏の本名がRobert Hosseinoffと、オフで終わっていると知って「ロシア語みたいな名前だな」と感じた。

 ところが父のアンドレについて調べたらどちらも本当だったのでまた驚いた。まず、アンドレ・オッセン(André Hossein)は本名Aminoulla Husseinoff(Аминулла Гусейнов)と言ってサマルカンド、つまりソ連領の生まれで母はイラン人、父はコーカサス出身のやはりイラン人なんだそうだ。なるほど、だからイスラム系というかアラビア語系の苗字になっているのである。旧ソ連の中央アジアの共和国出身には苗字をロシア語の語尾に加工して名乗っている人が非常に多い。
 なお私も以前にそのあたりから来た知り合いがいたが、ペルシャ語、アゼルバイジャン語のバイリンガルで、もちろんアラビア語の読み書きもできたが、名前は別にロシア語の語尾はついていなかった。現在は中央アジアの諸国は独立国になっているので、ロシア風に加工する必要などないのかもしれない。ロシア領コーカサスのイスラム教徒のほうにはまだロシア語式の語尾を持つ名前が普通のようだ。
 いずれにせよアンドレ・オッセン氏の苗字が「イスラム・アラビア語的名前でしかもロシア語語尾」なの理にかなっているのである。アンドレ氏はその後、ドイツで音楽教育を受けてからさらにフランスに渡り、フランス人として亡くなった。非常に国際的というかシブい経歴である。この父親ならば子供から「親を見りゃ俺の将来知れたもの」などという川柳で憎まれ口を叩かれたりはしまい。

 最後にこの映画の原題だが、une corde, un Colt(「ロープとコルト」)。両方の単語は頭韻を踏んでいる、というより音韻構造がほとんど同じである。前回の下ネタでも書いたように語末の音はそれぞれ d と t で、有声・無声の違いしかないからドイツ人には発音できないはずだ。まさかそのためでもなかろうが、ドイツ語のタイトルはFriedhof ohne Kreuze(「十字架のない墓場」)となっている。これはイタリア語のタイトルCimitero senza croci の訳。邦訳は配給会社の命令によるものか、それともこういうのが日本人の意地なのか、よく考え出された気の利いた原題がことさらに無視されて「見るな」といわんばかりのB級タイトルになっている。日本ではマカロニウエスタンの原題はたいていそうやってグチャグチャに破壊されるのが基本だから、その点では『傷だらけの用心棒』も典型的マカロニウエスタンといえるかもしれない。


これが『傷だらけの用心棒』のフランス語のポスター。イタリア映画『殺しが静かにやって来る』のほうはこのブログの筆者がちゃっかりタイトル画に使っている。
Cemetery-without-crosses



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警告:この記事には下ネタが含まれています。紳士・淑女の方は読まないで下さい。自己責任で読んでしまってから「下品な記事を書くな!」と苦情を言われても一切受け付けられません。

 ドイツ語にAuslautverhärtungという言葉がある。「語末音硬化」とでも訳せるだろうか。語末で有声子音が対応する無声子音に変化する現象である。例えば「子供」はkindと書き、語末の音は深層では書いてある通り d、有声歯茎閉鎖音なのだが、ここではそれが語末に来ているため対応する有声歯茎閉鎖音、つまり t となり、「キント」と発音される。複数形はKinderといって d が語末に来ないから本来の通り有声になって「キンダー」。
 私は個人的にこのAuslautverhärtungという言葉か嫌いだ。ドイツ語学の外に一歩出ると通じないからである。「硬化」というが無声音のどこが有声音より硬いんだろう。辞書を引くとVerwandlung eines stimmhaften auslautenden Konsonanten in einen stimmlosen(「語末に来る有声子音が無声のものに変化する現象」)と定義してあってさすがに「硬化」などという非科学的な記述よりはきちんと理解できるが、実はこれでもまだ不正確だ。この現象の本質は単にさる有声子音がさる無声子音に変化するのではなく、調音点・調音方法はそのままで有声性だけが変化する、言い換えると本来弁別的区別をもつ [+ voiced] 対 [- voiced] の素性(そせい)の差が語末では機能しなくなる、ということだからだ。で、人にはいちいちNeutralisierung der Stimmhaftigtigkeit im Auslaut(「語末での有声性の中和」)と言え、と訂正してその度にうるさがられている。
 それと同じ理由でロシア語の「硬音」「軟音」という用語も嫌いだ。ロシア語ではこれを使わないとそもそも語学の学習が出来ないから仕方なく使っているが、本来「非口蓋化音」「口蓋化音」というべきだろう。さらにいうと日本語の「清音」「濁音」「半濁音」という言い方も見るたびに背中がゾワゾワする。
 その、ドイツ語でシモの有声音が中和される現象だが、ドイツ人はこれが深く染み付いていて英語のsentとsend、(生放送という意味の)liveとlifeが発音し分けられない人がたくさんいる。それぞれどちらもセント、ライフになってしまい、「センド」「ライヴ」が言えないのだ。
 同じ西ゲルマン語なのに英語にはこのシモの現象がない。調べてみたら北ゲルマン語のスウェーデン語にもない。だからスウェーデン語でland(「国」)はドイツ語のように「ラント」にはならないが、その代わり d がそり舌化して [ɖ] となるとのことで「ランド」ともいえない。実際に発音を聞いてみたらそもそも語末音が全然聞こえなかった。西ゲルマン語で英語とドイツ語の中間にあるオランダ語にはこの現象がある。聞いてみたらlandはきれいに(?)「ラント」であった。さらにスラブ諸語はこの有声音の中和現象が著しく、ロシア語などは半母音さえ中和されて [j] が [ç] となるばかりか、ソナントの [r] まで語末で無声になっているのを耳にする。特に口蓋化の [r] は無声化しやすいのか、царь (ツァーリ、「皇帝」)の「リ」は [rj ̊] になることが多いようだ。
 またドイツ語では反対に無声歯茎摩擦音、具体的に言うと s が語頭や母音間では必ず有声化して z になるため、「相撲」がいえず「ズーモ」、「大阪」が「オザーカー」、「鈴木」に至っては「ズツーキ」になってしまう。頭突きをやるのは鈴木でなくジダンだろう(などと今頃言っても誰ももうあの事件を覚えていないか)。
 
 しかしこの「有声音と対応する無声音の区別が怪しくなる」というのは中国語や韓国語など、大陸アジアの言葉が母語の人にも時々現れる。それらの言葉では有声無声の対立が弁別的機能を持っていないことがあって、かわりに帯気・無気が弁別的に働くからだ。で、うっかりすると「ねえやは十五で嫁に行き」が「ねえやは中古で嫁に行き」となってしまうそうだ。
 でも昔の日本は武士階級ならともかく、庶民では女性にすでに性体験があっても別に嫁に行く際それほどマイナスにはならなかったと何かの本で読んだことがあるから(現に「夜這い」とかいう習慣があったではないか)、中古でも新品でもあまり関係ないのではないだろうか。そもそも日本語は歴史的に見れば本来有声子音(いわゆる濁音)と無声子音(清音)に弁別的差がなかったそうだし。アイヌ語などは現在に至るもこれらを音韻的に区別しないと聞いた。

 それでさらに思い出したことがある。私がドイツに住み始めた頃はうちの住所はまだ西ドイツと言ったが、その頃、まだ東ドイツもソ連も存在していた頃に「ソ連赤軍合唱団」のCDを近くの本屋さんで買ったことがある。ソ連崩壊の直前、当地の経済状態が壊滅状態で、市民を救おうとチャリティ目的のCDだろなんだろが店頭にドッと並んだのである。チャリティでなくてもとにかく一時旧東欧圏の製品がたくさん流れて来た時期があったのだ。
 もっとも以前からソ連赤軍合唱団の歌は好きでよく聴いたものだった。聴いてみてまず気づくのは、ソロ歌手でもその他歌手でも高い声がきれいだという事だ。以来どうして赤軍合唱団は高音部がきれいなのかずっと疑問に思っていたのだが、あるとき次のような話を複数の人から同時に聞いて疑問が氷解した。真偽の程は定かではない:

「ソ連の戦車は西側諸国の装甲の厚い戦車に対し、被弾率を下げ機動力で対抗するために比較的小型軽量に作られてきた。そのため車内の居住性が悪く被弾経始がキツいので狭い車内で不自然な姿勢で操縦することになる。そこで気をつけて大砲を撃たないと反動で後退してきた砲尾が股間を直撃し睾丸を潰してしまう。そういう女性化した戦車兵が続出するため、高音が出やすくなって、結果として赤軍合唱団のファルセットは世界一なのである」

いいではないか。イタリアでは結構最近まで教会コーラスのボーイ・ソプラノを維持するため、早いうちに男性歌手を組織的に去勢していたそうだし、こういう比べ方もナンだが、ブタも去勢してない雄ブタは肉が臭くて食べられないそうだ。私としてはこういうファルセットがもっと聴けるようになるのは大歓迎、ドンドンヘンな姿勢で大砲を撃って遠慮なくツブれて欲しい感じ。去勢すると攻撃性が減るそうだから、ひょっとしたらそういう兵士は戦闘員には向かなくなって強制的に「合唱専門部隊」にまわされるのかもしれない。

 もっともペットを去勢したところホルモンのバランスが崩れたためか手術の直後一時期かえって攻撃性が増した、という話もきいたことがある。するとツブれた赤軍兵もその直後は一時攻撃性が増して狂ったように撃ちまくったりしたのだろうか。もしかするとその超人的な砲撃のおかげでソ連はドイツに勝ったのか?


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