アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Januar 2016

 セルジオ・レオーネ監督の第二作(『ロード島の要塞』を入れれば第三作目)『夕陽のガンマン』の英語タイトルは For a few Dollars more(あともう少しのドルのために)というが、これは現ロマンス諸語のDVDのタイトルなどでは以下のようになっている。
Tabelle1-N29
カタロニア語以外の言語では実際にこういう名前でDVDが出ていたりウィキペディアに項があったりするが、カタロニア語のはちょっと参考のために他の言語のタイトルを翻訳してみたもので、実際にこういうタイトルでDVDがあるわけではない。カタロニア人はスペイン語バージョンを観賞すればいいらしくカタロニア語への具着替えなどはないと見える。

 さてこうして並べて眺めてみるとロマンス語派の言語が二つグループに分けられることがわかる:英語の more にあたる語がイタリア語、フランス語、ルーマニア語ではそれぞれ più, plus, plu と p- で始まり、スペイン語、ポルトガル語、カタロニア語では m- が頭についている(それぞれ más, mais, més)。つまりいわば m- グループと p- グループに別れているのだ。
 調べてみるとまず più, plus, plu はラテン語の plūs から来ているそうだ。これは形容詞 multus「たくさんの、多くの」の比較級。以下に主格形のみ示す。
Tabelle2-N29
比較級は単数形では性の区別を失い、男・女・中すべて plūs に統一されている。原級と比較級・最上級との形が違いすぎるからこれはいわゆる補充形パラダイムという現象だろうと思って調べてみたらまず原級 multus の印欧祖語形は *ml̥tós(「くずれた」「崩壊した」)(!)と推定されている。動詞の分詞だが、その大元の動詞というのが *mel- とされ、これは「心配する」「遅れる」だそうだ。うーん、印欧語祖語というのはジグムント・フロイトの精神分析と同じくらいスリルがある。イタリック祖語まで下るとだと *moltos(「たくさんの」)になるそうだ。
 対して比較級の plūs はイタリック祖語の推定形 *plēōs(「より多く」)で、印欧語祖語に遡ると*pleh₁-yōs。これは分詞ではなく動詞語幹の *pleh₁- に *-yōs という形がくっついたもので、前者は動詞、後者は意味を強める形態素だそうだ。動詞の *pleh₁- は「満たす」。時代を下りに下ったゲルマン語派、古期英語の feolo あるいは fiolu、ドイツ語の viel、オランダ語の veel(「たくさんの」)など皆同源である。この、p から f への音韻推移、印欧語の無声閉鎖音がゲルマン語派で調音点を同じくする無声摩擦音に移行した過程はグリムの法則あるいは第一次音韻推移と呼ばれ、ドイツ語学習者は必ず覚えさせられる(そしてたいていすぐ忘れる。ごめんなさい)。
 ついでに *pleh₁- はサンスクリットでは pṝ-、サルディニア語で prus で、なんと l が r になっているではないか。これでは「 lと r の区別ができない」といって日本人をあざ笑えない。

 この plūs 形に対してスペイン語、ポルトガル語、カタロニア語の mais、más、més 等はラテン語の magis が語源。これは形容詞 magnus「大きい」の比較級からさらに派生された副詞だそうだ。まず元の形容詞 magnus だが、次のように変化する。
Tabelle3-N29
こちらのパラダイムは補充形ではないが、比較級だけ別のタイプの語形変化を見せている。原級と最上級が同じパターンの語形変化というのは上の補充形 multus も同じで、原級と multus と最上級 plūrimusは本来別語であるにもかかわらず、変化のタイプだけは同じだ。そしてそこでも比較級 plūs だけが変な(?)変化をしていて、しかもそれがここの比較級 māior と同じパターンなのがわかる。原級 magnus、比較級 māior のイタリック祖語形はそれぞれ *magnos、*magjōs で、それらをさらに印欧祖語にまでさかのぼるとそれぞれ *m̥ǵh₂nós と *méǵh₂yōs。どちらも「大きい」という意味の形容詞 *meǵh₂- からの派生だが比較級の方はさらに *meǵh₂-  +‎ *-yōs に分解できる。後者は上でお馴染みになった程度を強める形態素だ。
 上で述べたラテン語の magis という形はイタリック祖語でも *magis。比較級 *magjōs の短形、ということはやはり印欧祖語の *meǵh₂-  に遡る。この比較級の中性形が副詞的な使われ方をするようになったものだとのことだ。*magis はイタリック祖語の時代にすでにラテン語 plūs と同じく、単数形に性の区別がなかったと見られ、ラテン語では副詞、つまり不変化詞になっていた。これはあくまで私の考えだが、「男性・女性・中性の形の区別がなくなった」というのは要するに単数中性形だけが残って男性女性を吸収し、さらにそれが副詞として固定したという意味ではないだろうか。ちょっと飛び火するが、「形容詞の(短形)中性単数形が副詞化する」という現象は現在のロシア語でも頻繁に見られるのだ。その際アクセントの位置がよく変わるので困るが。たとえば「良い」という意味の形容詞の長形・短形はこんな感じになる。
Tabelle4-N29
アクセントのあるシラブルは太字で示した。中性単数の хорошо は副詞として機能し、Я говорю хорошо по-русски は「私はロシア語をよく話します」つまり「私はロシア語が上手い」(ウソつけ)。上のplūsもある意味ではこの単・中 → 副詞という移行のパターンを踏襲しているとみなしていいのではないだろうか、文法性の差を失ってしまっている、ということはつまり「中性で統一」ということではないだろうか。と思ったのでplūs の表をそんな感じにしておいた。

さてこの、more にあたる単語が p- で始まるか m- で始まるか、言い換えると plūs 系か magis 系かは『17.言語の股裂き』の項でも述べた複数形の形成方法とともにロマンス語派を下位区分する際重要な基準のようだ。plūs 組はイタリア語、フランス語、のほかにロマンシュ語(pli)、サルディニア語(上述。prus または pius)、イタリア語ピエモント方言(pi)など。同リグリア方言の ciù もこれに含まれるという。magis 組はスペイン語、ポルトガル語、カタロニア語以外にはアルマニア語(ma)、ガリシア語(máis)、オクシタン語(mai)。
 フランス語が plūs 組なのにオクシタン語が magis 組だったりするところが面白いとは思うのだが、実はこの区別はあくまでどちらの形が優勢かということで、形自体は p- も m- もどちらも持っている。つまり plūs 組言語には magis 系の単語が存在しないというわけではないらしい。
 例えばルーマニア語だが、映画のタイトルは上のように plūs 系語が使われている。またそこら辺の翻訳機械で Per qualche dollaro in più を訳させるとタイトル通りPentru câțiva dolari în plus と出てくる。しかし more だけ入れると mai mult と magis 系が出る。どっちなんだと思って別の翻訳機械にかけてみたら Pentru câțiva dolari în plus が出たその下に選択肢として Pentru câțiva dolari mai mult が登場する。上述の分類リストにはリーマニア語が magis 組のほうに載っていた。つまりどっちもアリなんじゃん。
 ポルトガル語でも中世 p- 系の chus という語も使われていたそうだ。chus が p- 形と聞くと意外な気がするが、上記のイタリア語リグリア方言 ciù が p- 起源だそうだから chus が実は P形であってもおかしくない。とにかく最終的には m- 形の mais が優勢になったらしい

 「両方ある」という点では厳密に言えばイタリア語、フランス語もそう。フランス語の mais(「けれど」)はこの magis 起源だそうだ。さらにイタリア語でたとえば nessuno ... mai(「誰も…ない」)、non ... mai(「決して…ない」)、mai più(「もう決して…ない」)などの言い回しで使う、否定の意味を強める mai の元もこれ。最後の例では p- 形と m- 形がかち合っている。mai はさらに疑問の意味も強めることができ、come mai non vieti? は「何だって君は来ないんだ?!」。相当機能変化を起こしてはいるが単語自体はあるのだ。フランス語の mais にあたるイタリア語 ma(「けれど」)も当然同源である。

 話がそれるが、イタリア語の più がフランス語で plus になっているのが私にはとても興味深い。ロシア語に同じような音韻現象があるからだ。
 まず、più の p は後続の母音iに引っ張られて口蓋化しているはずだ。この、本来「口蓋化した p」に円唇母音(つまり u)が続くとフランス語では p と u の間に唇音 l が現れる。ロシア語では例えば「買う」の完了体動詞(『16.一寸の虫にも五分の魂』参照)の不定形は купить(ローマ字では kup'it' と表すが、この「'」が「口蓋化した子音」という意味)だが、これの一人称単数未来形は、理屈では купью(kup'ju)になるはずなのに実際の形は куплю(kuplju)と、どこからともなく l が介入する。対応する有声子音 b の場合も同様で、「愛する」という動詞 любить (ljubit')の一人称単数現在形は、なるはずの形 любью(ljub'ju)にならずに люблю(ljublju)という形をとる。

 というわけでロマンス語派のタイトルは plūs と magi のそれこそ決闘が見られて血沸き肉躍るのに比べゲルマン語派はバリエーションがないので退屈だ。
Tabelle5-N29
デンマーク語、アイスランド語は翻訳機にかけた結果だが、同語源なのは一目瞭然。これらは皆 magis  のところでお馴染みになった印欧祖語形 *méǵh₂s の子孫である。

 ついでにスラブ語もみてみよう。
Tabelle6-N29
クロアチア語ではなぜか a few がスッポ抜けているが、とにかくスラブ語派はゲルマン語派より割れ始めた日が浅いのに more に2グループあることが見て取れる。ロシア語、ウクライナ語、つまり東スラブ語派では b(б)で始まるのに対し、その他の南・西スラブ語派言語は皆 v(в)だ。チェコ語、ブルガリア語、マケドニア語のの more、それぞれ navíc、повече、повеќе の頭についている na- や po-(по-)は、元来前置詞、いわばイタリア語などの de あるいは in に相当するから無視していい。本体はそれぞれ víc、вече、веќе、つまり v 組である。
 分離したのが古いため元の語の原形がわかりにくかったロマンス語派と違ってスラブ語派は語源が一目瞭然だ。瞭然過ぎて決闘という感じがしないためややスリルに欠けるが、ロシア語の больше は「大きい」という形容詞 большой の比較級である。主格形だけ見てみよう。
Tabelle7-N29Tabelle7-N29
この「ボリショイ」という言葉はひょっとしたら最も有名なロシア語の一つかもしれないが、非常に厄介なイレギュラー単語である。まず原級の短形が存在せず別語を持ってきて補充形パラダイムを作る。さらに比較級の長形を持つという稀有な存在。普通はもう比較級を分析的なやり方、英語の more beautiful のように形容詞の原級の前に более をつけて表す。さらに最上級の形成に原級形ではなく比較級の長形を使っている、普通は原級である。「普通の」形容詞、「美しい」と比較するとイレギュラーぶりがよくわかる。
Tabelle8-N29
ウクライナ語も同じメカニズム、「大きい」という形容詞の比較級短形を使うという方法を踏襲しているのは明らかだ。
 次に他のスラブ諸語が使っている  v 系語だが、これも先のロマンス語のように語自体はロシア語にも存在する。выше という語で、これは「高い」という形容詞 высокий の比較級だ。
Tabelle9-N29
最上級に2種あるが、二つ目の形は「大きい」の比較級に対応している。これは本来比較級だったのが最上級に昇格したのか、逆にこれも本来最上級だったのに上の「大きい」では比較級に降格されたのかどちらかだろう。南・西スラブ語では「より大きい」でなく「より高い」を more として使っているわけだ。
 せっかくだから両形容詞の語源を調べたら、「大きい」はスラブ祖語再建形が *velьjь(「大きい」)、印欧祖語形 *welh₁- 。「選ぶ」とか「欲する」とかいう意味だそうだ。本当かよ。「高い」はスラブ祖語の「高度」*vysь から。印欧祖語では *h₃ewps- と推定されるそうだ。うーん…
 とにかくロマンス諸語でもゲルマン諸語でもスラブ諸語でも、どの形容詞から引っ張って来たかという点には差があるが、形容詞の比較級形を持ち出してきて「もっと」の表現に当てているという基本戦略は同じだということになる。

 さて、最初に言ったようにこの映画の日本語タイトルは『夕陽のガンマン』で、印欧祖語もラテン語も比較級もへったくれもなくなっているのが残念だ。ジャンルファンはよく単に「ドル2」とも言っている。セルジオ・レオーネがイーストウッドで撮った3つの作品が「ドル三部作」と呼ばれているからで、一作目(邦題『荒野の用心棒』)と二作目(『夕陽のガンマン』)の原題、それぞれ Per un pugno di dollari と Per qualche dollaro in più に「ドル」という言葉が入っているためである。三番目の『続・夕陽のガンマン』Il buono, il brutto, il cattivo は全然違ったタイトルなのだが、勢いで(?)「ドル3」と呼ばれたりしている。

この項続きます

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 何年か前、用があって住んでいるM市から電車で40分くらい南にあるGという町まで出かけた時のことだ。すでに何回か行っているので駅でボーッといつものようにいつもの電車を待っていたら駅のアナウンスで「今日は○○行きの路線(私の乗る電車だ)はすぐ隣のL駅までしか行きません」。そんなことを急に言われて困った。駅に張り紙とか立て札とか、日本だったら立っていそうなものが一切なかったのだ。 Lから先はどうすればいいんだ。
 聞き間違いかと思いながら電車に乗っていたら、「この電車は次のL駅で終点です。先へ行きたい方は一旦この電車を降りて駅での指示に従って代行接続路線をご利用ください」。こう言われれば誰でも、次の駅で降りれば脇に駅員が待機していて「はい、こちらです」とすぐ指示してくれ、代行列車がすでに待ち構えている、と思うに違いない。日本だったら。
 ところがさすがここはドイツだ。いざL駅に降り立っても全く見事に何の指示もない。見渡す限り電車もない。駅員さえ影も形も見えない。いったいどこへ行ってどうすればいいのか、仕方がないから他の乗客がゾロゾロ行くのに付いて行った。すると遥か向こうに何人か係員らしき人たちが立っている。
 私が問いただす前に隣のドイツ人のおじさんが私の言いたかったことを理路整然と述べてくれた。

おじさん:
「車内アナウンスによれば『指示に従って』ということだったが全く何もないじゃないか、また控えの電車もしくはバスが用意されているということだったが、それはいったいどこにあるんだ?」

係員:
「どちらまで行くんですか?」

おじさん: 
「B駅だ。バスが代わりに出ているのか?」

係員:(「えーっと」とか言いながら手元のアンチョコをめくりつつ)
「えーっと次のバス便は1時間後ですから、バスよりもここで待って、次の電車でS駅まで行き、そこでまた乗り換えて先に進んでください」

おじさん:
「何だと、すると別に特別控えの代行路線が用意されているわけでもなんでもなく、単に次の定期路線に乗れということか」

係員:
「そうです」

おじさん:
「いや~、素晴らしい手際の良さだ」

係員:
「私はここで乗客への質問に応えるべく待機しているだけですから、ドイツ鉄道の運営に苦情がありましたら、こちらへご連絡ください」(と何か書いたカードを渡そうとする)

おじさん:
「いらないよ、そんなもの」

(突然横合いから)私:
「私はGまで行きますからこの方と同じことをすればいいんですね」

係員:
「そうです」

 私が感心したのはこういうやり取りをしても全然喧嘩腰、というか険悪な雰囲気になっていなかったことだ。そのおじさんも言葉の剣幕は凄かったが人そのものは全然怒っている風ではなかった。変にヘコヘコしてなかった駅員も駅員でいい勝負だ。日本人だったら駅員に「その態度は何だ」とか言って摑みかかる人がいるのではなかろうか?

 で、私がそのままホームで次の電車を待っていたら後から来た人の何人かが手にパンフレットを持っている、見せてもらったら「レール取替え工事のため変更のある便名と代行便の一覧表」で、懇切丁寧に情報が記してある。
 こういうきちんとした仕事はさすがドイツだと思ったが、またそういうものがあるのにこちらから「くれ」と言わない限り配ってくれないところ、そもそも回りの主要駅の目立つ位置にこれが置かれていなかったところもいっかにもドイツらしい。私が係員の所に引き返してパンフレットをもらってきたら、今度はその私のパンフレットを見て「それはどこでもらえるんですか?」と他のドイツ人が次々に聞いてきたものだ。

 このL中央駅というのは実に鬼門で、鉄道のネットワークがそういう仕組みになっているのか、あたりで事故があったり電車が故障したりしてダイヤが乱れるとここにしわ寄せが来る。その後も、ここの駅で急に電車から降ろされたり、電車がここまで来て突然微動だにしなくなり30分以上も待たされたあげく、結局やっぱり電車から出されたりしたことが何回もある。極めつけは行き先から帰ってきて夜の10時にこの駅で電車が行き止まったことだ。例によって乗客は全員降ろされた。私の住んでいるところの駅からたった2駅前、しかもすでに街中になっていたからその2駅というのも山手線並に近い2駅だった。昼間なら歩いてしまったろうが、さすがに繁華街でもなく、高速道路が上を通っているもの寂しい道を夜の11時近くなってから歩くわけにもいかず、次の最終列車が来るまで小一時時間暗い駅のホームで待った。今まで気持ちよく暖かい電車に乗っていたところを私たちと一緒に寒い暗いホームに放りだされた酔っ払いのおじさんがあらん限りのデカい声で「なんだこのクソは。ドイツ鉄道は相変わらずクソだな。こんなところで止まりやがってこのクソめ」とクソを連発しながらドイツ鉄道を罵っていたが、それを聞いて私はつい心の中で拍手してしまった。

 また別の時も別の市電に乗っていたら駅と駅のど真ん中の野っ原で突然電車が止まり、20分くらい何のアナウンスもなかったことがあった。シビレを切らした乗客の一人が運転手のところに聞きに行ったら、「コンピューターの制御システムがダウンしました。いつ動き出せるか全くわかりません」。乗客が「私、○○時にM市で約束があるんですけどそれまでには着けるんでしょうか」と聞いたら堂々と「私には全くわかりません」。こちらから聞きに行かないと何も言ってくれないし、「すみません、ご迷惑をおかけします」の一言もない。何が技術大国だ馬鹿、と思ってしまった。

 それでさらに思い出したが、東日本大震災の際、津波に流された人が何日も漂流したあとやっと救助隊に発見されて、開口一番「すみません」と口を付いて出た、と聞いて笑い出したドイツ人がいる。どこがおかしいんだ、私だってわざわざ人が自分を助けに来てくれれば絶対「お世話をおかけしてすみません」と謝る。ところがドイツ人だとこの場合、「なんでこんなに見つけるのが遅かったんだ。もう少しで死ぬところだったじゃないか馬鹿野郎」と救助員を怒鳴りつけかねないそうだ。曰く、「なんで助けられて謝るんだ。人命救助が彼らの仕事だろう。彼らは仕事をしただけじゃないか。助けられたほうが謝るなんてまるでギャグだ、理解できない」
 もちろん日本語の「すみません」は純粋なI am Sorry やExcuse meより使用範囲が広く、thank youの領域にまで達していることは日本語の学習書などにも記してあるが、そもそも「ありがとう」と「許してください」を一つの表現形式が兼ねているというそのこと自体「理解できない」かもしれない。またこういう状況にいる自分を想像してみると、上でも述べたように「手間をかけさせて悪かった」という気持ちは感じると思う。「すみません」は単なる「ありがとう」ではない、やはり「ごめんなさい、面目ない」も兼ねているのだ。
 私からすれば、その「ごめんなさい」はおろか「ありがとう」もなしで「遅かったじゃないか」が口に出る発想のほうがよほど理解できないが、それまでの経験に照らし合わせてみるとドイツ人は確かにここで「すみません」などとは言いそうにない感じ。一方、わざわざ助けに来たのに罵られた救助員のほうも全然腹をたてたりしなさそうだ。日本人だったらせっかく来てやったのにそういう恩知らずな態度をされれば遭難者をまた海にかえしかねないが、ドイツ人の救助員ならそこであわてず騒がず、至極事務的に「私たちは○○隻の船で○○キロ四方の捜索を受け持っています。一日に捜索できる面積は一隻あたり○○平方キロメートルですから全域捜索するのに○○日かかります。今日は○○日目ですから許容範囲です。ご理解願います」とか説明しだしそうだ。

 とにかくこちらは変に空気を読まなくていいし、言いたいことをストレートに言っても後腐れがないので楽といえば楽なのだが、私は今後もこのメンタリティにはとてもついていけそうにない。


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 日本語に「弾よけ」という言葉がある。非戦闘員(兵士でもいいが)が配置の具合で戦場の矢面に立ってしまったりして、無防備で敵の攻撃に曝された場合、「これではまるで弾よけだ」と表現する。 そういう場所に立たされた非戦闘員の方も「俺達を弾よけにするつもりか?!」と言って怒る。
 ドイツ語ではこの「弾よけ」をKanonenfutter(カノーネンフッター)、つまり「大砲のエサ」と言う。この言い方、ヒドくないだろうか?日本語の「弾よけ」なら一応理屈としては後方部隊の役に立ったというニュアンスがあるが、「エサ」だと単に犬死しただけだ。さらに「弾よけ」は無生物にも使え、たとえばクリント・イーストウッドが『荒野の用心棒』のラストで胸からぶら下げていた自作の鉄板も「弾よけ」だが、「エサ」は生物に対してのみ使用可で妙にナマナマしい色合い。
 独和辞典ではこのKanonenfutterを「弾丸の餌食」と訳してある。Kanoneは本来は「弾丸」でなく「大砲」という意味だから、ウルサク言えば「大砲の餌食」となるところで、「弾・弾丸」なら本当はKugelなのだが、「大砲」か「弾丸」かの違いはこの際どちらでもいいと思う。引っかかるのはむしろ「餌食」という言い回しのほうだ。これでは語感が離れすぎてて誤訳に近い感じ。「弾丸の餌食」という言葉はたとえば、兵士が壁の厚さ50cmのトーチカの中にいたのに運悪く狭い覗き穴から入ってきた弾に額をぶち抜かれて即死した場合にも使える。「彼はトーチカの中にいたのに弾丸の餌食になった」とか表現できる。が、ドイツ語のKanonenfutterはそういう時には使えない。これが使えるのは「弾の飛び交う戦場のど真ん中を無防備でビービー走り回り、当ててくださいと言わんばかりの人」に対してだけだ。 あくまでエサなのだから向こうが食べやすいようこちらから出向いて行かなければいけない。

 ちなみに手元の独露辞典を引いてみたらKanonenfutterはпушечное мясо(プーシェチノエ・ミャーサ)というそうだ。直訳すると「大砲用の肉」だ。「エサ」よりさらにナマナマしい。話は飛ぶが、пушечноеというのは「大砲の」という形容詞だが、これの元になる「大砲」という言葉はпушка(プーシカ)で、ここから『8.ツグミヶ原』の項で述べた造語メカニズムによって作られた苗字が例のПушкин(プーシキン)である。

 さて、実はドイツ語には意味的には「弾よけ」に近いmenschlicher Schutzschild(メンシュリッヒャー・シュッツシルト)という言葉があることはある。でもこれは日本語で「人間の盾」と訳されているように堅い専門用語的ニュアンスが強く、戦闘の悲惨さ、残酷さ、あるいは司令官の道徳性の欠如といった深刻な意味合いが前面に出ていて「弾よけ」あるいはKanonenfutterのような自虐的なユーモア性は全くない。
 この「語感」というのは相当の曲者で、私は未だに「指示対象、つまり意味としては合っているのだが、ニュアンスが違いすぎる語」を知らずに使って大笑いされるか、座をシーンと静まり返らせてしまう(こっちの方がずっと危険だ)ことが頻繁にある。会話で使ってしまうならまだしも、ときどき変な言葉をちゃんとした文章で書いてしまったりするから危ない。この辺の語選択はやっぱりネイティブでないと駄目だ。

 もう1つ気にかかっている言い回しにes handelt sich bei A um B というのがある。handeltは英語のhandles(動詞の3人称単数)、sichは再帰代名詞だからいわば英語のitself、umは「を巡って」という意味、beiは「において」とか「のところで」という意味のそれぞれ前置詞なので、無理矢理英語に直訳するとit handles itself by A around Bだ。そのままでは何の事だかわかりにくいが辞書を引くと、手元の独和辞典にはbei Aのないes handelt sich um Bという形しか出ておらず、意味として「Bの事が扱われている、Bが問題(重要・話題)である。Bに関係している」とある。こう 出られれば普通の神経の者ならbei A 付きのes handelt sich bei A um Bの意味は「AにおいてはBが問題となっている」「AのところではBが扱われている」という意味だと思うだろう。ところがこれがそうではないのだ。bei Aが付くと意味がガラリと変わり、es handelt sich bei A um Bはずばり「AはBである」、つまりこの形は機能としてはコピュラ(繋辞)なのである。たとえば以下の例はアイザック・アシモフ氏のThe Relativity of Wrong(1988)のドイツ語訳にあったものだが、ちょっと見てほしい。2つ目のセンテンスがこのes handelt sich bei A um Bのパターンである。

Der Benzolring besteht aus sechs ringförmig angeordneten Kohlenstoffatomen, wobei an jeden Kohlenstoffatom ein Wasserstoffatom hängt. Es handelt sich dabei um eine sehr stabile Atomgruppe, die im Körper sehr wahrscheinlich nicht zerstört wird.

dabeiはda + beiで、daは本来「ここ」という場所的な意味だから辞書を鵜呑みにすると、次のように訳さざるを得ない。太字の部分を見てみてほしい。

ベンゾール環は輪状をなした6つの炭素原子からなっているが、そこの炭素原子の一つ一つにそれぞれ水素原子が一つついている。ここでは、体内ではとても破壊されることのなさそうな極めて安定した原子群が問題になっている。

 これで文の意味が通じるだろうか?少なくとも私には最初のセンテンスと2つ目のセンテンスの意味が全然つながらない。ここの2つ目のセンテンスはコピュラ(繋辞)構造として「これは体内ではとても破壊されることのなさそうな極めて安定した原子群である」と訳さないと意味が通じない。daは「ここ」ではなくて「これ」となるわけである。実は私もドイツ語を習い始めのころ、独和辞典を鵜呑みにしてしまったせいでこの文を上のように解釈し、今ひとつ理解できなくて往生した。ところがその後もこのbei A付き構造は学術的な文章はもちろん、普通の新聞の論説などでも頻繁に見かけたため、さすがの私も文脈から推して、これは擬似コピュラなのだと思い至った。ある意味ではこちらのbei Aのある形のほうがずっと重要なのに辞書にはまったく出ていない。これはドイツ語学習者はbei Aなしのes handelt sich um Bの意味、つまり「Bが問題である」からbei A付きの「AはBである」を誰でもたやすく推論できるはずだということか?私にはできないのだが。

 ずっと後になってから独英辞典を引いてみたら、sich um A handelnは確かにto be a matter of A, to concern A とあったが、

es handelt sich bei diesen angeblichen UFOs um optische Täuschungen

というbei A付きのほうはちゃんと私が予想したように、

these alleged UFOs are simply optical illusions

としっかりコピュラで言い換えてある。しかもこのbei A付き構造の重要性を強調すべく、このほかにもいくつもいくつも例文を載せてそのすべてをA=Bで言い換えて見せ、この構文が機能的にはコピュラだということが学習者の頭にしっかり刻み込まれるよう配慮してある。たまたま私の持っていた独和辞典に出ていないだけなのかと思って家にある独和辞典を4冊調べてみたが、どれにも載っていなかった。辞書が古いせいかもしれない。最新の独和辞典にはこの擬似コピュラは説明されているのだろうか。


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 人からちょっと聞かれたことがあって大学図書館から古教会スラブ語の教科書を借り出したことがある。何気なく筆者の名前を見たらアウグスト・レスキーン(A. Leskien)だったのでびっくりした。ドイツ青年文法学派(Junggrammatiker)の主要メンバーだった人だ。

 19世紀に比較文法理論が花開いてから1930年代のプラーグ学派活動期まで、言語学の中心はヨーロッパにあった。それも大陸部が強かった。ドイツ語の授業でも教わるが、「青年文法学派」というのはそこで1870年ごろドイツのライプチヒを中心としていた一派だ。つまりレスキーンはそのころの人。この教科書も初版は1905年、1910年の第五版へレスキーンが書いた「始めに」などもまだしっかり載っている。彼は生まれが1840年だから、この「始めに」はレスキーン70歳の時のものになるわけか。
 レスキーンの名はたいていの「言語学者事典」に載っている。たまたま家にある大修館の「言語学入門」の第八章「歴史・比較言語学」の10.「研究の歴史」にも出ていた。そういう本がいまだに学生の教科書として通用しているのが凄い。しかもこれを1990年に再出版したハイデルベルクの本屋(出版社)はなんと創業1822年だそうだ。

 さらについでに図書館内を見まわしてみたら音韻論で有名なニコライ・トゥルベツコイが『古教会スラブ語文法』という本を出している。出版は1954年ウィーンだが、原稿自体は1920年代にすでにトゥルベツコイがドイツ語で書いて脱稿してあったのだそうだ。夫人と氏の同僚たちが残された原稿を整理して死後出版した。トルベツコイは1938年にウィーンで亡くなっている。

 こういうのを見ると言語学の歴史を肌で感じているような気がして畏敬の念に打たれる。なんだかんだ言ってヨーロッパの学問文化は重みというか蓄積があるな、とヒシヒシと感じてしまうのはこんな時だ。

 トゥルベツコイや構造主義言語学のヤコブソンなどコスモポリタンな一般言語学者というイメージが定着しているので、トゥルベツコイが古教会スラブ語の本を書いているのを見たり、ヤコブソンが「ロシア語аканье(アーカニエ。ロシア語で母音oがアクセントのない位置でaと発音される現象。『6.他人の血』の項参照)について」などというタイトルの論文を書いてるの見たりするとむしろ「えっ、この人たちこんなローカルな話題の論文も書くの?!」とむしろ意外な気がする。さらにトゥルベツコイがロシア語で書いているのを見て「そうか、トゥルベツコイやヤコブソンってロシア語も出来るのか…」とか馬鹿なことで感動したり。話が逆だ。ロシア語のほうが彼らの母語である。
 トゥルベツコイは妥協を許さない、いい加減なことができない人物だったらしく、当時の言語学者のひとりから「言語学会一の石頭」と褒められた(?)という。レスキーンはどういう人だったのだろう。ヤコブソンもそうだが、ド・ソシュールやチョムスキーなど、言語学者はイメージとしてどうも厳しそう、というか怖そうな人が多い。日本の服部四郎博士には私の指導教官の先生が一度会ったことがあるそうだが、「物腰の柔らかい、親切な紳士だった」と言っていた。でも一方で、東大で博士の音声学の授業に参加した人は、氏が「音声学ができないのは耳が悪いからではなく頭が悪いからだ」と発言したと報告している。やっぱり怖いじゃないか。

 「言語学者」の範疇には入らないかもしれないが、ミュケーナイの線文字Bを解読したマイケル・ヴェントリスの人物に関しては次のような記述がある。線文字Bで書かれているのはギリシア言語の知られうる最も古い形、ホメロスのさらに700年も前に話されていた形だが、ヴェントリスはそれを解読した。その経歴はE. Doblhoferの書いたDie Entzifferung alter Schriften und Sprachen(古代の文字および言語の解読)という本に詳しいが、その人生の業績の頂点にあった時、交通事故によりわずか34歳の若さで世を去った氏を悼んだ同僚J.チャドウィックの言葉が述べられている(280-281ページ):

Es war bezeichnend für ihn, daß er keine Ehrungen suchte, und von denen, die er empfing (...) sprach er nicht gern. Er war stets bescheiden und anspruchslos, und sein gewinnendes Wesen, sein Witz und Humor machten ihn zu einem überaus angenehmen Gesellschafter und Gefährten. Er scheute keine Mühle für andere und stellte seine Zeit und Hilfe großzügig zur Verfügung. Vielleicht werden nur die, die ihn kannten, die Tragödie seines frühen Todes ganz ermessen können.

「彼の彼らしかった点は、世の賞賛を集めよう、などとはまったくしようとしなかったこと、そして受け取ってしまった賞賛の話を(…)するのは嫌がったことだ。常に謙虚で無欲で、人を魅了せずにはおかないその人となり、ウィットとユーモアで、本当に付き合うのが楽しい人だった。面倒な顔もせずにいつでも他人のために時間をさいてくれ、手助けをしてくれるのにやぶさかではなかった。ひょっとしたら、彼を知っていた者達だけが、その早い死が如何に大きな損失かを本当に理解できるのではなかろうか」

 ヴェントリスは本業が建築家で、言語学は趣味だった。チャドウィックはバリバリの本職言語学者だったが、「素人」のヴェントリスと互角の言語学者として付き合い、「解読の先鞭をつけたのはヴェントリス、私は歩兵のようなもので、単に地をならし、橋を架けて進みやすいようにしただけだ」と言っている。チャドウィックの謙遜・無欲も相当なものだ。
 すると言語学者が「怖い」のはいい加減に知ったかぶりでものをいう人に対してだけで、きちんとした知識のある研究者に対しては腰も低く親切だということか。やっぱり私にとっては怖いじゃないか。

 それにしても、私が死んだら私の友人は何と言ってくれるか、想像するだけでそれこそ怖い。

「彼女の彼女らしかった点は、目立ちたがりで、たまに誉められたりするとすぐ図に乗ってひけらかしたことだ。出しゃばりで、注文が多く、鼻をつままれるその人となり、下品なギャグと笑えない冗談で、できれば避けたい人だった。何か頼まれるとすぐ渋い顔をし、しつこく手助けの恩を着せたがった。ひょっとしたら、彼女を知っていた者は、本当に死んで良かったと胸をなで下ろしているのではなかろうか」

 ヴェントリスとは差がありすぎる…。

 ところで私はあの、泣く子も黙る大言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールと誕生日が一日違いなのだが、この一日の差が死を招いてしまったのだと思っている。たとえばチンパンジーとホモ・サピエンスはたった1パーセントくらいしかDNAが違わないそうだが、後者が月まで行けたのに対し、前者はちょっと大きな川があるともう越えることができずにボノボという亜種を発生させてしまうほど差が開いてしまった。私とソシュールもたった一日の差で向こうは大言語学者に、こちらは言語学的サルになってしまったのだと思っている。そしてさすがサルだけあって私は長い間フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure)の名をフェルディナンド・ソシュールかと思っていたのであった。


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 非人称文といったらいいか不特定主語文といったらいいか、動作主体をボカす表現がある。例の英語のThey say that he is stupid.というタイプのセンテンスだ。ドイツ語にもロシア語にもこの手のものがあるが、私にはこれが非常に難しい。文構造の上では主語が現れているのに意味の上では「ない」からである。

 英語のThey say that...などは主語が複数表現だから動詞sayも複数形、これに相当するドイツ語のMan sagt, dass...(One says that...)ではsagtは単数3人称形だ。日本語だといちいちtheyだろmanだろ主語を持ち出さなくてもセンテンスとして成り立つので「彼は馬鹿だと言っている」で済むし、そもそも動詞に複数・単数の区別がない。ロシア語ではthey say thatは複数形でговорят, что(ガヴァリャート・シュト)とやるのが普通だ。говорятが動詞「言う」の複数3人称形、чтоがthatである。主語を特に書く必要がない、つまりsay thatまたはsagt, dassと主語抜きで言えるのが一見日本語と似ているようだが、数と人称は動詞の変化形でしっかりと表現されているので、始めからそういうものが存在しない日本語とは根本的に違うのである。またロシア語ではときどき単数形も使われる。ただし英語もドイツ語も主語(they, oneあるいはman)が人間であることを想起させるのに対しロシア語の単数非人称表現の方は動詞が中性形になる、つまり主語は非生物なのだ。その意味では構造的にはit says thatと対応している感じ。
たとえば、

Рабочий пробил стену.

という文では主語はРабочий(ラボーチイ、「労働者」)という男性名詞の単数主格形、пробил(プラビール) が「孔を開けた」という意味の動詞の過去形で主語に呼応して単数男性形、стену(スチェヌー)が「壁」という女性名詞の単数対格形だから、この文は「労働者が壁に孔を開けた」という意味だ。
 これをを非人称文にして単に「壁に孔を開けた」と言いたい場合、上で述べたように2通りのやりかたがある。

1.Пробили стену.
2.Пробило стену.

1はいわば(They) drilled through the wall、2が(It) drilled through the wall。どちらも主語それ自体は表されていない(これを仮に「ゼロ主語」と呼んでおこう)が、動詞Пробили (プラビーリ)とПробило(プラビーロ、正確にはプラビーラ)のほうがそれぞれ複数と単数中性形になっているので必要ないからだ。

 問題はここからなのである。
 
 1のほうは動詞が複数形であることによってすでにゼロ主語が複数の動作主、つまり人間、少なくとも意志を持った主体(これを[+ human]あるいは[+ animate]と表しておこう)であることが暗示されているから、ここにさらに「によって」という斜格で動作主を表示できないことはすぐわかる。具体的に言うと(They) drilled through the wall by themというセンテンスは成り立たない。動作主がダブってしまうからだ。
 でも2の方はどうか。ここではゼロ主語は中性だからつまり[- human] あるいは[- animate]、属性が違うから理屈の上では動作主を斜格で上乗せできるんじゃないか、という疑問が浮かんでしまった。いわばIt drilled through the wall by themだ。ここで主格のitと斜格のthemは指示対象が同一ではないのだからダブらないのではないか。

 この英語のセンテンスが成り立つか成り立たないかはひとまずおいておいて(成り立たない!下記参照)、ロシア語の方の考察を続けると、ちょっと不自然なロシア語かもしれないが次のような受動態をつい類推してしまう。受動形も上のゼロ主語センテンスも「注意の焦点を動作主である主語から孔をあけられた壁のほうに向かわせる」ことが目的なのだから。

3.Стена была пробита бомбой.
4.Стена была пробита рабочим.

Стена(スチェナー)が「壁」の主格形、была пробита(ブィラ・プロビータ)が「孔をあける」の受動形で「孔をあけられた」。「によって」をロシア語では名詞の造格という格で表し、3のбомбой(ボーンバイ)、4のрабочим(ラボーチム)がそれぞれ「爆弾」、「労働者」の造格形。主格形はそれぞれбомба(ボーンバ), рабочий(ラボーチイ)である。だからギンギンに直訳すると3が「壁が爆弾によって孔をあけられた」、4が「壁が労働者によって孔をあけられた」。
 実際「爆弾」の造格形を上の1と2の文に付加して、

5.Пробили стену бомбой.
6.Пробило стену бомбой.

というセンテンスが成り立つ。どちらも「爆弾によって壁に孔を開けた」という表現である。5では動詞が複数形(Пробили、プラビーリ)、6では単数中性形(Пробило、プラビーロ)であることに注目。上で検討した理由により5から類推した

7.Пробили стену рабочим.

という構造は成り立たないだろうが、6から類推した、2に動作主を造格で付加したセンテンス、

8.Пробило стену рабочим.

は、成り立つのではないか。
 
 そこまで考えた私が、自らのセンテンス分析能力に自己陶酔さえしながらチョムスキー気取りで最後列から手を上げて「先生! Пробило стену рабочимとは言えないんですか?」と、デカい声で質問したとたん、地獄のような笑いの竜巻が教室中を吹き荒れた。「爆笑」などという生やさしいものではなかった。

私は何をやってしまったのか。

 英語でもドイツ語でも受動態文で動作主と手段を表すにはそれぞれby (ドイツ語ではvon)とwith (ドイツ語ではmit)と別の前置詞を使い分けるが、上述のようにロシア語はどちらも名詞の造格形で表す。で、私はここで「労働者壁に孔を開けた」と言ってしまったのである。
 つまりドリルの先っぽに作業員を一人はめ込んで人間孔搾機として使用した訳だ。そんなことをしたらヘルメットは割れ頭蓋骨は砕け、飛び散る脳髄であたりは血まみれのほとんどホラー映画の世界になること請け合いだ。あのスターリンだってそこまではやらなかっただろう。
 
 結局、属性の如何にかかわりなく一センテンス内では深層格(deep cases)あるいは意味役割(semantic roles。最近の若い人はθ役割とかワケのわからない名で呼んでいるようだが)はダブれないというとっくに言われていることをいまさら思い知っただけというつまらないオチで終わってしまった。
 それはこういうことだ。ここでは文構造内にすでに「動作主格(Agent)」という深層格、あるいはθ役割がすでに形式上の主格(ここではゼロ代名詞)で現れているわけだからそこにまた具格(スラブ語では「造格」)を上乗せしたら、その具格で表される深層格はすでに主格で場所がふさがっている動作主格ではなく「その他・残り」、つまり道具格でしかありえなくなる。上で挙げた英語It drilled through the wall by themが成り立たないのも、一つの文構造の中にitとthemで動作主格が2度現れてしまうからだろう。わかりやすく言えばこれは指示対象云々でなく純粋に文構造内部の問題だということか。全然わかりやすくなっていないが。
 さらに今さら思い当たったのだが、1、2のような能動態の非人称文のそもそもの役割は「動作主体をボカす」ということなのだから、一方でこの構造をとって動作主体をボカそうとしておきながら、他方でわざわざ造格の動作主体をつけ加えたりしたらやっていることが自己矛盾というか精神分裂というか、θ役割など持ち出さなくてもちょっと考えれば成り立たないことはわかりそうなものだった。

 しかしそうやって笑いものになるのは私だけではない。

 英語でもドイツ語でも「○○で」、つまり手段と、「○○といっしょに」、つまり同伴はどちらもwith やmitで表すが、ロシア語だと前者は上記の通り名詞の造格で、後者は造格に前置詞 с(ス)を付加して、と表現し分ける。そこでドイツ人には「壁に爆弾で孔を開けた」と言おうとして、

Пробили стену с бомбой.

と前置詞つきで言ってしまう者が後を絶たない。上の5と比較してほしい。これだと「爆弾といっしょに壁に孔を開けた」、つまり「作業員と爆弾はお友達で、仲良く工事作業にいそしんだ」という意味になってしまい、やっぱりロシア人から鬼のように笑われる。人の事を笑えた立場か。
 この「お友達爆弾」をドイツ人はよほど頻繁に爆発させてしまうと見え、с を入れられるたびにロシア人の先生はまたかという顔をして悲しそうに首を振る。まったく油断も隙もない。もっともドイツ人学生の名誉のために言っておくと、с で道具や手段を表すことも実際にはあるらしい。辞書には рассматривать с лупой (「ルーペで観察する」)という例が載っていた。これは外国語、フランス語などからの影響かなんかなのだろうか。手段を表すのに前置詞を使わないのがロシア語本来の形であることには変わりないとしても、ひょっとしたらそのうちこのお友達爆弾のほうも手段を表す形として許されるようになるかもしれない。


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 若い人はもう覚えていない、と言うよりまだ生まれていないだろうが、むかしソ連からベレンコ中尉という人がミグ25(MiG25)という戦闘機に乗って日本にやってきて、そこからさらにアメリカに亡命申請する、という事件があった。日本中大騒ぎだったが、この事件はよく考えるととても面白い。

 まずMiG(МиГ)という名称だが、これはМикоян и Гуревич(ミコヤン・イ・グレヴィッチ、ミコヤンおよびグレヴィッチ)の略で、МикоянもГуревич も設計者の名前だ。この、-ян(ヤン)で終わる名前というのはロシア語でなく、もともとアルメニア語である。
 そういえば以前ノーム・チョムスキーという大言語学者がマサチューセッツ工科大学で生成文法の標準理論や拡大標準理論を展開していたころ、ソ連に「適応文法」というこれも難しい理論を繰り広げていたシャウミャン(Шаумян)という学者がいたが、この人も名前の通りアルメニア人である。さらにロシア言語学会の重要メンバーの一人でドイツでも名を知られていたアプレシャン(Апресян)も名前そのものはアルメニア系だ。氏自身はモスクワ生まれのモスクワ育ちのようだが。
 次にグレヴィッチ(Гуревич)。この、ヴィッチ(-вич)で終わる名前は基本的にセルビア語・クロアチア語起源なのだが、ベラルーシにも散見される。ウクライナにもある。あと、リトアニアにもこの-вичで終わる姓が多いそうだが、これはベラルーシもウクライナも中世から近世にかけてリトアニア大公国の領土だったからではないだろうか。当時支配層はリトアニア語を話していたが、国民の大部分はスラブ人で、話す言葉もスラブ語、書き言葉も南スラブ語派の古教会スラブ語だったはずだから、そのスラブ人が現在のリトアニア領にもやってきて住みついていたのでは。ついでに女優のMilla Jovovich(ミラ・ヨボビッチあるいはジョボビッチ)もウクライナ出身だが、そもそも父親がセルビア人だから苗字が-вичで終わっているのは当然だ。
 グレヴィッチ氏はロシアのクルスク地区のルバンシチナという町の生まれだそうだが、ここはウクライナと接している地域である。さらに、このベラルーシ、ウクライナの東部にはユダヤ人が多く居住していたので、ユダヤ系ロシア人、というかユダヤ系ソ連人には-вич姓の人が多いそうだ。事実このグレヴィッチ氏もユダヤ系である。「ドイツ系に-вич姓が多い」という記述を時々見かけるが、ここにはひょっとしたらイディッシュ語を話すユダヤ人も含まれているのかもしれない。イディッシュ語はいわばドイツ語から発達してきた言語で、部外者が聞くとドイツ語そのものに聞こえるそうだから。ちなみにユダヤ系のSF作家のアシモフ氏の故郷ペトロヴィッチ村もベラルーシとロシアとの国境地域にある。
 さらにパイロットのベレンコ(Беленко)中尉だが、-коで終わる名前は本来ウクライナ語。
 
 つまり、かの戦闘機はソ連から飛んできたのに純粋にロシア語の名前が一つもない。ソ連がいかに他民族国家であるか、まざまざと見せつけられた事件だとは思う。 

 そもそも人名や地名には今はもう失われてしまった古い言語の形が温存されている場合がよくあるので気にしだすと止まらなくなる。日本の東北地方や北海道の地名にアイヌ語起源のものが多いのもその例で「帯広」というのは元々アイヌ語の「オ・ペレペレ・ケプ」(川尻がいくつにもさけている所)から来たそうだ。
 ヨーロッパでも人名に印欧語の古形が残されている場合がある。たとえば例のローマの暴君ネロ。このNeroという語根は非常に古い印欧祖語の* h2 ner-「人間」から来ている。h2というのは印欧祖語にあったとされる特殊な喉音である。ここで肝心なのはもちろんner-のほうだ。なお、比較・歴史言語学で使う「*」という印は現在の文法理論つまり共時言語学で使われるような「非文法的」という意味でなく、「具体的なデータは現存していないが理論上再構築された形」という意味だから注意を要する。その* h2 ner-だが、Neroばかりでなくギリシア語のανηρ(アネール、現代ギリシア語ではアニル)もこれが語源。サンスクリットのnṛあるいはnára(人間)、アヴェスタ語のnā(人間)もこれだそうだ。いわゆるイラン語派は今でもおおむねこの語をよく保っているが、なにせ古い語なので、ローマの時代のラテン語ではすでにこの語は普通名詞としては使われなくなっており、本来の意味も忘れ去られていた。僅かに人名にその痕跡を残していたわけだ。なお、サンスクリットの、下に点のついたṛは母音のr、つまりシラブルを形成するrで、現代のクロアチア語にもこの「母音のr」がある。例えばクロアチア語で「市場」をtrgというのだ。
 
 ヨーロッパの現代語ではリトアニア語のnóras(意思)や、あと意外にもロシア語のнрав(ンラーフ、性格・気質)やноров(ノーラフ、強情さ)も* h2 ner-起源だそうだ。しかしこちらは意味のほうが相当変化している模様。しつこく言うとнравは南スラブ語起源のいわば借用語で、норовがロシア語本来の東スラブ語形である。その東スラブ語のноровのほうはさらに意味がずれていて、口語的表現である上、カンが強くてなかなか乗りこなせない馬に対して「御しがたい」というときこの語を使うそうだ。人間がついに馬になってしまっている。

 ところがアルバニア語はこの古い古い印欧語をこんにちに至るももとの「人間」の意味で使用している。アルバニア語で「人間」はnjeri(ニェリ)。これは「バルカン言語連合」の項でも書いたようにa manで、the manならば後置定冠詞がついてnjeri-uとなる。アルバニア語はこのほかにも音韻構造などに印欧語の非常に古い形を保持している部分がかなりあるそうだ。
 ちなみにアイルランド語のneart(力)も直接* h2 ner-からではないが、そこから派生された* h2 ner-to(精力のある)が語源とのことだ。

 さてこちらのギムナジウムはラテン語をやるのが基本だし、ラテン語で何か書いてあるのを町のそこここでまだ見かけるから、読める人、知っている人は結構いる。それで機会があるごとにNeroの名前は本来どういう意味か知っているかどうか人に聞いて見るのだが、いまだに印欧語の* h2 ner-だと正しく答えた者は一人もいない。昔人を通してギムナジウムのラテン語の先生に質問してみたことがあるが、やはり知らなかった。この先生もそうだったが、ほとんどの人が「黒」を意味するnegroから来ていると思い込んでいた。真相を知っていたのは日本人の私だけだ。ふっふっふ。

 自慢してやろうかとも思ったが、たまに珍しく何か知っているとすぐズに乗って事あるごとにそれをひけらかしたがるというのもさすがに見苦しい、かえって無教養丸出しだと思ったので黙っていた。日本人は謙虚なのである(誰が?)。


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