アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

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前回の続きの古い記事を全面的に書き直しました。表も画像にしました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 前回の続きです。

 more にあたる語がplūs かmagis かという他にもう一点気になることがある。スラブ語にはちょっとお休みをいただいてロマンス語派とゲルマン語派の主なものだけもう一度見てみよう。
Tabelle1-N30
 問題は more の位置だ。ほとんど総ての言語で more にあたる語が dollars の後に来ているのに本国ポルドガル語のみ、more が a few dollars の前に来ている。ちょっとこの点を考えてみたい。なおここでは「本国」と「ブラジル」と分けてはあるが、別にブラジルでは本国形を使わない、あるいはその逆というわけではなく、要は「どちらでもいい」らしい。スペイン語もそうで、本国では南米形を使わないという意味ではない。
 
 まずドイツ語だが、ネイティブスピーカーのインフォーマントを調査してみたところ、mehr (more)や ein paar (a few)が Dollar の前に来ることはできないそうだ。まず基本の

Für ein paar Dollar mehr
for + a few + dollars + more

だが、英語と語順がまったく一致している。ここで mehr (more) を Dollar の前に持ってきた構造

?? Für ein paar mehr Dollar

は、「うーん、受け入れられないなあ。」と少し時間をかけての NG 宣言だったのに対し、

*Für mehr ein paar Dollar

のように mehr (more)を ein paar (a few)のさらに前に出すと「あっ、駄目駄目。それは完全に駄目」と一刀両断にされた。言語学の論文でも使うが、ここの * 印は「駄目駄目絶対駄目」、??は「うーん駄目だな」という意味である。
 ところが英語ではドイツ語では「うーん駄目だな」な構造が許されている。 a few more books あるいは some more books という語順が実際に使われているし、文法書や辞書にも「moreは数量表現とくっ付くことが出来る」とはっきり書いてあるのものがある。 つまり、

For a few dollars more
For a few more dollars

は両方可能らしい。念のため英語ネイティブに何人か聞いてみたら、全員 For a few more dollars はOKだと言った。For a few dollars more のほうがいい、という声が多かったが、一人「For a few more dollars のほうがむしろ自然、For a few dollars more は書き言葉的」と言っていたのがとても興味深い。いずれも

*For more a few dollars

にはきっぱり NG 宣言を下した。ドイツ語の許容度情況とほぼ対応している。

 次にちょっとそこら辺のスペイン語ネイティブを一人つかまえて聞いてみたら、スペイン語でも más(more)は dólares (dollars)の前には出られないそうだ。ドイツ語と全く平行している。

Por unos cuantos dólares más
*Por unos cuantos más dólares
*Por más unos cuantos dólares

Por unos pocos dólares más
*Por unos pocos más dólares
 *Por más unos pocos dólares

*Por unos cuantos más dólares と*Por más unos cuantos dólares の許容度に差があるかどうかは残念ながら聞きそびれてしまった。そのうち機会があったら誰かに聞いてみようと思ってはいる。

 次にいわゆる p- 組のフランス語ではスペイン語と同じく、more が名詞の前、ましてや a few の前には出られない。a few more books がフランス語ではわざわざ語順を変えて

quelques livres de plus
some + books + of + more

と訳してあったし、実際ちょっとフランス人を捉まえて聞いてみたら、

*Pour quelques plus dollars
*Pour plus quelques dollars

の二つはどちらも却下した。
 同じくp-組のイタリア語では più (more) が名詞の前に出られる場合があるようだ。辞書でこういう言い回しをみつけた。

un po' più di libri
a + few + more + of + books

残念ながらネイティブが見つからなかったので Per qualche più dollaro とかなんとか more が dollars の前に出る構造が可能かどうかは未確認である。
 もっともロマンス語を見ると純粋に more にあたる語の位置に加えて前置詞の使い方がポイントになってくるようなので、ちょっと私の質問の仕方が悪かったかもしれない。またネイティブに聞いたといっても偶然そこに居合わせた人に(しかも一人だけ)よもやま話で持ちかけただけなのでとても「調査」などと言えるようなシロモノではない。いつか詳しく知りたいものだ。

 それでもここまでの結果を見てみると問題は実は「more にあたる語が dollars の前に出られるか否か」というよりむしろ「more (にあたる語)が a few (にあたる語)の前に出られるか否か」であることがわかる。言い換えると more (にあたる語。面倒くさいので以下単に括弧にいれて「more」と呼びます )は数量表現の前には出られないのである。シンタクス的には 「more」は数量表現を支配していると解釈できるから、支配要素が非支配要素の数量表現の後に来ていることになる。「支配・非支配」というのはちょっと専門的な用語になるが、いわゆる修飾語は被修飾語に支配されている関係と思っていい。a cute duck という句なら修飾語の cute は非修飾語の duck に支配されている。ついでに a は限定辞 deterniner として cute duck を支配する。
 とにかく「more 」は数量表演を支配するが、その際何を持って数量表現ととするかという点に言語による違いがあるらしい。通貨単位を含めた「a few dollars 」全体を数量表現と見なす、見なせるというのは全言語共通だが、英語はそこからさらに a few を切り離してこれを単独で数量表現とみなせるということだ。ドイツ語も実はそうなのだろう。上で述べたように Für ein paar mehr Dollar の否定に時間がかかったのはそのせいだと思う。その a few more dollars という構造だが、ここでは more は数量表現を支配する一方、後続の普通名詞 dollars  に支配されている、more が dollars  を修飾していることがわかる。違いを図で書くとこんな感じになりそうだ。

for [ [a few dollars] more] N
for [ [ [a few] more]N1 dollars]N2

つまりmore はある意味名詞なわけで、a few more dollars では名詞が別の名詞を修飾している状態、日本語の「母さんアヒル」と同じ構造だ。悔しいことに辞書を見たら more の項にしっかり「名詞」と載っていた。なぜ悔しいのかと言うと「わーい more って名詞じゃん!」というのは私が自分で発見した新事実だと思っていたからである。ちぇっ、もう皆知っていたのか…

 しかし実は「支配する要素は支配される要素の後ろに来なければいけない」という必然性はない。例えばフランス語では形容詞(支配される要素)が名詞(支配する要素)の後ろに来る。「more」が「a few」の前に出られないのか前者が後者をシンタクス上支配しているから、という理屈は成り立たないのである。では「more」はなぜ「a few」の前にでられないのか。私が(ない頭を必死にひねって)考えつく理由はたった一つ。「more」が数量表現の前に来ると「more than」(ドイツ語では mehr als)と紛らわしくなって意味が変わってしまう危険性が高すぎるからではないかなということだ。For more a few dollars あるいは Für mehr ein paar Dollar とやったら For more than a few dollars(Für mehr als ein paar Dollar)かと思われ、しかも more や als が欠けているから意味が違う上に文法的にも間違いということになり、意図した意味と乖離しすぎる。
 そういえばドイツ語には Für ein paar Dollar mehr の他にもう一つ「あともう少しのドルのために」を表す方法がある。副詞の noch を使うやり方だ。これは英語でいえば still とか in addition 、つまり「その上さらに」という副詞だが、als とツルんで「~以上」という意味になったり、他の句を支配したりなどと言う器用なことはできない。混同される虞が全くないので名詞句の前に立てる。

Für noch ein paar Dollar

しかし名詞を支配できないから数量表現と名詞の間に割って入って橋渡しすることができない。

* Für ein paar noch Dollar

またこれが文末、あるいは句の最後尾に来ると何かが大幅に省略されている感じで、そもそも意味が取れないそうだ。

* Für ein paar Dollar noch

では Für noch ein paar Dollar とFür ein paar Dollar mehr は完全に同じ機能かというと「含意が違う。後者の方が言外の意味が広い」そうだ。まず前者だが、含意としては当該人物が例えばすでに100ドル持っている、あるいは賞金稼ぎで100ドルのお尋ね者をゲットした。しかしさらに金が欲しいから働く。その「さらに」は5ドルかもしれないし、110ドルかもしれない。要は元金(?)100にいくらか上乗せされればいいのだ。これが基本の意味で、後者もその意味で解釈していい。しかし後者ではもう一つの意味解釈ができる。前回100ドルの懸賞金を得た当該人物がさらに今度は100ドル以上の賞金のついたお尋ね者を狙う、つまり懸賞金のグレードアップというニュアンスの解釈が可能だそうだ。「これは明らかにレオーネの前作 Per un pugno di dollari (「一握りのドルのために」、邦題『荒野の用心棒』)への暗示だ。」いやネイティブというのは言うことが細かい細かい。

 さて、ではその間違えやすい For more than a few dollars の方は上にあげた言語ではどういうのか、自動翻訳するとこうなった。これを思いついたときは周りにネイティブがいなかったので仕方なくディープ L 先生に頼ってしまったのである。「本国」と「南米」の区別は出来なかったのでスペイン語とポルトガル語の単なるバリエーションということにした。
Tabelle2-N30
 さて、ポルトガル語には mais(more)が数量表現の前に来ても「more than と誤解されない何か」があるのだろうか。他のロマンス語と何か決定的に違う点はあるのだろうか。For more than a few dollarsの意味ではポルトガル語では英語でもドイツ語でもスペイン語でも「駄目駄目絶対に駄目」の語順、「more」が「a few」の前に出るという下のようなウルトラCが可能だ(下記太字)。もちろん他の言語でもそういう語順が「まあなんとか許される」ことがあるのかも知れないが、少なくともこの語順がDVDのタイトルになっているのは本国ポルトガル語だけだ。

Por uns dólares a mais
Por mais alguns dólares
(Por alguns mais dólares が可能かどうかは未調査)

上の表をざっと見るとたった一つ思いつくことがある。他のロマンス諸語と違ってポルトガル語には「more than」の「than」を1語でなく do que と2語で表す方法があるということだ。1語しかないとわざと抜かしたのか聞きそびれたのかわからない、つまり more than なのか単なる more なのか紛らわしいが、さすがに2語抜けるとわざとであることが明確、つまり単なる more であることがはっきりするからOKとか。でも一方ポルトガル語にはスペイン語と全く閉口する形、Por mais de alguns dólares という「more」を1語で表す形もあるではないか。そのオトシマエはどうつけたらいいのだろう。無理やり解釈すれば、たとえ mais de という短い形があっても mais do que という存在が背後にあるので「than」をつけないのは意図的と解釈されやすく、短い de のほうを消してもわざとなのかうっかりなのかが混同されにくいとか。しかしそりゃあまりにも禅問答化しすぎなので、方向を変えて mais do que と mais de のどちらが古い形なのかちょっと考えてみた。
 まず、イタリア語の di、フランス語、ポルトガル語、スペイン語の de は同語源、皆ラテン語の前置詞 dē(of, from)から来たものだ。ポルトガル語の do の方はしかしもともとは2語、de  + o で、後者は the である。つまりこの語はポルトガル語内で発生した比較的新しい語だということだ。だから他のロマンス語と並行するポルトガル語形 Por mais de alguns dólares は古い形、やや廃れつつある形なのではないだろうか。もう一つ、スペイン語にもポルトガル語にも「than」に que を使う構造がある。この que はラテン語の quid(that, what)だが、スペイン語の por más que unos pocos dólares が文句なく For more than a few dollars であるのに対し、ポルトガル語の Por mais que alguns dólares は文句大ありの形である。なぜスペイン語に文句がないのかと言うと、この形を英語やドイツ語、果てはフランス語などの逆翻訳すると例外なく For more than a few dollars にあたる形が出て来るからだ。一方ポルトガル語の方は逆翻訳すると英語でもドイツ語でも意味が違って出てくる。どうもこの que だけ使うポルトガル語表現はマージナルなのではないだろうか。これらを要するに、ポルトガル語では「than」に2語使う Por mais do que alguns dólares がメインであるために「more than」と「more」の区別がつきやすく、mais がalguns dólares(a few dollars)の前に出て For a few dollars more の意味を担うことを許したのではないだろうか。
 でもなぜいくら条件が許したからと言って mais は大人しく最後尾に引っこんでいないで前にしゃしゃり出る気になったのか。別に誰も「おい、mais、前に出ろ」とは言っていないのだ。これもわからないのだが、たった一つ私に考えつくのは上でもチョロッと述べたようにロマンス語は本来支配要素が非支配要素の前に立つのが基本だということだ。最後尾に甘んじてはいても実はスペイン語の más もイタリア語の più も以前から前に出たくて出たくてしかたなかったのかもしれない。そうやっていたところポルドガル語で条件が整ったのでヒャッホーとばかり名詞句の前に出たとか。
 もしそうだとするとそのポルトガル語ヒャッホー形は新しい「more than」表現 mais do que よりさらに下った時代のイノベーションということになるが、この記事の冒頭や前回述べたように Por uns dólares a mais がブラジルポルトガル語、Por mais alguns dólares が本国ポルトガル語とされていることが実に興味深い。言語学には波動説というものがあり、「周辺部の形は当該言語の古形を表す」という現象が知られているからだ。例えばいつかオランダ語のネイティブが言っていたが、アフリカーンス語(『89.白いアフリカ人』参照)はとても古風なオランダ語に見えるそうだ。アフリカーンスはいわばオランダ語の周辺バリエーションだから古い形を保持している。この図式をポルトガル語に当てはめるとブラジル・ポルトガル語は「より古い形が残っている」ことになり、Por mais alguns dólares はポルトガル語の比較的新しいイノベーションという見方にマッチする。

 以上が私の考えだが、繰り返すようにこれは超テキトー&穴だらけなネイティブ「調査」に端を発し、あげくはディープL先生のおっしゃったことを鵜呑みにして無理やり出した結論だから、アサッテの方角にトンチンカン砲を放っている虞大ありだ。何か知っている方がいらっしゃったら教えていただけるとありがたい。

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古い記事ですがちょっと詰めが甘かったので(どうせいつも甘いじゃん)全面的に書き直しました。表も画像にしました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 セルジオ・レオーネ監督の第二作(『ロード島の要塞』を入れれば第三作目)『夕陽のガンマン』の英語タイトルは For a few Dollars more(あともう少しのドルのために)というが、これは現ロマンス諸語のDVDのタイトルなどでは以下のようになっている。
Tabelle1-N29
カタロニア語以外の言語では実際にこういう名前でDVDが出ていたりウィキペディアに項があったりするが、カタロニア語のはちょっと参考のために他の言語のタイトルを翻訳してみたもので、実際にこういうタイトルでDVDがあるわけではない。カタロニア人はスペイン語バージョンを観賞すればいいらしくカタロニア語への具着替えなどはないと見える。

 さてこうして並べて眺めてみるとロマンス語派の言語が二つグループに分けられることがわかる:英語の more にあたる語がイタリア語、フランス語、ルーマニア語ではそれぞれ più, plus, plu と p- で始まり、スペイン語、ポルトガル語、カタロニア語では m- が頭についている(それぞれ más, mais, més)。つまりいわば m- グループと p- グループに別れているのだ。
 調べてみるとまず più, plus, plu はラテン語の plūs から来ているそうだ。これは形容詞 multus「たくさんの、多くの」の比較級。以下に主格形のみ示す。
Tabelle2-N29
比較級は単数形では性の区別を失い、男・女・中すべて plūs に統一されている。原級と比較級・最上級との形が違いすぎるからこれはいわゆる補充形パラダイムという現象だろうと思って調べてみたらまず原級 multus の印欧祖語形は *ml̥tós(「くずれた」「崩壊した」)(!)と推定されている。動詞の分詞だが、その大元の動詞というのが *mel- とされ、これは「心配する」「遅れる」だそうだ。うーん、印欧語祖語というのはジグムント・フロイトの精神分析と同じくらいスリルがある。イタリック祖語まで下るとだと *moltos(「たくさんの」)になるそうだ。
 対して比較級の plūs はイタリック祖語の推定形 *plēōs(「より多く」)で、印欧語祖語に遡ると*pleh₁-yōs。これは分詞ではなく動詞語幹の *pleh₁- に *-yōs という形がくっついたもので、前者は動詞、後者は意味を強める形態素だそうだ。動詞の *pleh₁- は「満たす」。時代を下りに下ったゲルマン語派、古期英語の feolo あるいは fiolu、ドイツ語の viel、オランダ語の veel(「たくさんの」)など皆同源である。この、p から f への音韻推移、印欧語の無声閉鎖音がゲルマン語派で調音点を同じくする無声摩擦音に移行した過程はグリムの法則あるいは第一次音韻推移と呼ばれ、ドイツ語学習者は必ず覚えさせられる(そしてたいていすぐ忘れる。ごめんなさい)。
 ついでに *pleh₁- はサンスクリットでは pṝ-、サルディニア語で prus で、なんと l が r になっているではないか。これでは「 lと r の区別ができない」といって日本人をあざ笑えない。

 この plūs 形に対してスペイン語、ポルトガル語、カタロニア語の mais、más、més 等はラテン語の magis が語源。これは形容詞 magnus「大きい」の比較級からさらに派生された副詞だそうだ。まず元の形容詞 magnus だが、次のように変化する。
Tabelle3-N29
こちらのパラダイムは補充形ではないが、比較級だけ別のタイプの語形変化を見せている。原級と最上級が同じパターンの語形変化というのは上の補充形 multus も同じで、原級と multus と最上級 plūrimusは本来別語であるにもかかわらず、変化のタイプだけは同じだ。そしてそこでも比較級 plūs だけが変な(?)変化をしていて、しかもそれがここの比較級 māior と同じパターンなのがわかる。原級 magnus、比較級 māior のイタリック祖語形はそれぞれ *magnos、*magjōs で、それらをさらに印欧祖語にまでさかのぼるとそれぞれ *m̥ǵh₂nós と *méǵh₂yōs。どちらも「大きい」という意味の形容詞 *meǵh₂- からの派生だが比較級の方はさらに *meǵh₂-  +‎ *-yōs に分解できる。後者は上でお馴染みになった程度を強める形態素だ。
 上で述べたラテン語の magis という形はイタリック祖語でも *magis。比較級 *magjōs の短形、ということはやはり印欧祖語の *meǵh₂-  に遡る。この比較級の中性形が副詞的な使われ方をするようになったものだとのことだ。*magis はイタリック祖語の時代にすでにラテン語 plūs と同じく、単数形に性の区別がなかったと見られ、ラテン語では副詞、つまり不変化詞になっていた。これはあくまで私の考えだが、「男性・女性・中性の形の区別がなくなった」というのは要するに単数中性形だけが残って男性女性を吸収し、さらにそれが副詞として固定したという意味ではないだろうか。ちょっと飛び火するが、「形容詞の(短形)中性単数形が副詞化する」という現象は現在のロシア語でも頻繁に見られるのだ。その際アクセントの位置がよく変わるので困るが。たとえば「良い」という意味の形容詞の長形・短形はこんな感じになる。
Tabelle4-N29
アクセントのあるシラブルは太字で示した。中性単数の хорошо は副詞として機能し、Я говорю хорошо по-русски は「私はロシア語をよく話します」つまり「私はロシア語が上手い」(ウソつけ)。上のplūsもある意味ではこの単・中 → 副詞という移行のパターンを踏襲しているとみなしていいのではないだろうか、文法性の差を失ってしまっている、ということはつまり「中性で統一」ということではないだろうか。と思ったのでplūs の表をそんな感じにしておいた。

さてこの、more にあたる単語が p- で始まるか m- で始まるか、言い換えると plūs 系か magis 系かは『17.言語の股裂き』の項でも述べた複数形の形成方法とともにロマンス語派を下位区分する際重要な基準のようだ。plūs 組はイタリア語、フランス語、のほかにロマンシュ語(pli)、サルディニア語(上述。prus または pius)、イタリア語ピエモント方言(pi)など。同リグリア方言の ciù もこれに含まれるという。magis 組はスペイン語、ポルトガル語、カタロニア語以外にはアルマニア語(ma)、ガリシア語(máis)、オクシタン語(mai)。
 フランス語が plūs 組なのにオクシタン語が magis 組だったりするところが面白いとは思うのだが、実はこの区別はあくまでどちらの形が優勢かということで、形自体は p- も m- もどちらも持っている。つまり plūs 組言語には magis 系の単語が存在しないというわけではないらしい。
 例えばルーマニア語だが、映画のタイトルは上のように plūs 系語が使われている。またそこら辺の翻訳機械で Per qualche dollaro in più を訳させるとタイトル通りPentru câțiva dolari în plus と出てくる。しかし more だけ入れると mai mult と magis 系が出る。どっちなんだと思って別の翻訳機械にかけてみたら Pentru câțiva dolari în plus が出たその下に選択肢として Pentru câțiva dolari mai mult が登場する。上述の分類リストにはリーマニア語が magis 組のほうに載っていた。つまりどっちもアリなんじゃん。
 ポルトガル語でも中世 p- 系の chus という語も使われていたそうだ。chus が p- 形と聞くと意外な気がするが、上記のイタリア語リグリア方言 ciù が p- 起源だそうだから chus が実は P形であってもおかしくない。とにかく最終的には m- 形の mais が優勢になったらしい

 「両方ある」という点では厳密に言えばイタリア語、フランス語もそう。フランス語の mais(「けれど」)はこの magis 起源だそうだ。さらにイタリア語でたとえば nessuno ... mai(「誰も…ない」)、non ... mai(「決して…ない」)、mai più(「もう決して…ない」)などの言い回しで使う、否定の意味を強める mai の元もこれ。最後の例では p- 形と m- 形がかち合っている。mai はさらに疑問の意味も強めることができ、come mai non vieti? は「何だって君は来ないんだ?!」。相当機能変化を起こしてはいるが単語自体はあるのだ。フランス語の mais にあたるイタリア語 ma(「けれど」)も当然同源である。

 話がそれるが、イタリア語の più がフランス語で plus になっているのが私にはとても興味深い。ロシア語に同じような音韻現象があるからだ。
 まず、più の p は後続の母音iに引っ張られて口蓋化しているはずだ。この、本来「口蓋化した p」に円唇母音(つまり u)が続くとフランス語では p と u の間に唇音 l が現れる。ロシア語では例えば「買う」の完了体動詞(『16.一寸の虫にも五分の魂』参照)の不定形は купить(ローマ字では kup'it' と表すが、この「'」が「口蓋化した子音」という意味)だが、これの一人称単数未来形は、理屈では купью(kup'ju)になるはずなのに実際の形は куплю(kuplju)と、どこからともなく l が介入する。対応する有声子音 b の場合も同様で、「愛する」という動詞 любить (ljubit')の一人称単数現在形は、なるはずの形 любью(ljub'ju)にならずに люблю(ljublju)という形をとる。

 というわけでロマンス語派のタイトルは plūs と magi のそれこそ決闘が見られて血沸き肉躍るのに比べゲルマン語派はバリエーションがないので退屈だ。
Tabelle5-N29
デンマーク語、アイスランド語は翻訳機にかけた結果だが、同語源なのは一目瞭然。これらは皆 magis  のところでお馴染みになった印欧祖語形 *méǵh₂s の子孫である。

 ついでにスラブ語もみてみよう。
Tabelle6-N29
クロアチア語ではなぜか a few がスッポ抜けているが、とにかくスラブ語派はゲルマン語派より割れ始めた日が浅いのに more に2グループあることが見て取れる。ロシア語、ウクライナ語、つまり東スラブ語派では b(б)で始まるのに対し、その他の南・西スラブ語派言語は皆 v(в)だ。チェコ語、ブルガリア語、マケドニア語のの more、それぞれ navíc、повече、повеќе の頭についている na- や po-(по-)は、元来前置詞、いわばイタリア語などの de あるいは in に相当するから無視していい。本体はそれぞれ víc、вече、веќе、つまり v 組である。
 分離したのが古いため元の語の原形がわかりにくかったロマンス語派と違ってスラブ語派は語源が一目瞭然だ。瞭然過ぎて決闘という感じがしないためややスリルに欠けるが、ロシア語の больше は「大きい」という形容詞 большой の比較級である。主格形だけ見てみよう。
Tabelle7-N29Tabelle7-N29
この「ボリショイ」という言葉はひょっとしたら最も有名なロシア語の一つかもしれないが、非常に厄介なイレギュラー単語である。まず原級の短形が存在せず別語を持ってきて補充形パラダイムを作る。さらに比較級の長形を持つという稀有な存在。普通はもう比較級を分析的なやり方、英語の more beautiful のように形容詞の原級の前に более をつけて表す。さらに最上級の形成に原級形ではなく比較級の長形を使っている、普通は原級である。「普通の」形容詞、「美しい」と比較するとイレギュラーぶりがよくわかる。
Tabelle8-N29
ウクライナ語も同じメカニズム、「大きい」という形容詞の比較級短形を使うという方法を踏襲しているのは明らかだ。
 次に他のスラブ諸語が使っている  v 系語だが、これも先のロマンス語のように語自体はロシア語にも存在する。выше という語で、これは「高い」という形容詞 высокий の比較級だ。
Tabelle9-N29
最上級に2種あるが、二つ目の形は「大きい」の比較級に対応している。これは本来比較級だったのが最上級に昇格したのか、逆にこれも本来最上級だったのに上の「大きい」では比較級に降格されたのかどちらかだろう。南・西スラブ語では「より大きい」でなく「より高い」を more として使っているわけだ。
 せっかくだから両形容詞の語源を調べたら、「大きい」はスラブ祖語再建形が *velьjь(「大きい」)、印欧祖語形 *welh₁- 。「選ぶ」とか「欲する」とかいう意味だそうだ。本当かよ。「高い」はスラブ祖語の「高度」*vysь から。印欧祖語では *h₃ewps- と推定されるそうだ。うーん…
 とにかくロマンス諸語でもゲルマン諸語でもスラブ諸語でも、どの形容詞から引っ張って来たかという点には差があるが、形容詞の比較級形を持ち出してきて「もっと」の表現に当てているという基本戦略は同じだということになる。

 さて、最初に言ったようにこの映画の日本語タイトルは『夕陽のガンマン』で、印欧祖語もラテン語も比較級もへったくれもなくなっているのが残念だ。ジャンルファンはよく単に「ドル2」とも言っている。セルジオ・レオーネがイーストウッドで撮った3つの作品が「ドル三部作」と呼ばれているからで、一作目(邦題『荒野の用心棒』)と二作目(『夕陽のガンマン』)の原題、それぞれ Per un pugno di dollari と Per qualche dollaro in più に「ドル」という言葉が入っているためである。三番目の『続・夕陽のガンマン』Il buono, il brutto, il cattivo は全然違ったタイトルなのだが、勢いで(?)「ドル3」と呼ばれたりしている。

この項続きます

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 1970年代に入るとマカロニウエスタンは完全に衰退期に入っていた。本来ジャンルのウリであった「残酷描写・復讐劇」ではやっていけなくなっていたのだ。そりゃそうだろう。キャラもストーリーもあれだけワンパターンな映画が1964年(『荒野の用心棒』が出た年)から5年以上もぶっ続けに大量生産されていったらさすがに飽きる。このマンネリ打開策には『173.後出しコメディ』でも書いたが3つほどパターンがあった。一つは残酷描写をさらに強化したサイコパス路線で観客をアッと言わせる作戦(本当の意味では「打開」と言えないが)。2つ目が真面目な社会派路線で、メキシコ革命などをモチーフにした。最後がコメディ路線で本体の暴力描写を放棄するやり方である。最初の二つはすでに最盛期にその萌芽が見える。フルチなど後にジャッロに進む監督が早い時期にすでにマカロニウエスタンを撮っているし、ソリーマなど第一作からすでにメキシコ革命は主題だ。ヴァレリもケネディ暗殺という政治的なテーマを扱っている。またそもそもレオーネやコルブッチでクラウス・キンスキーの演じたキャラはサイコパス以外の何物でもない。
 これらに対して喜劇路線は出現がやや遅く、やっとジャンルが本来の姿、血まみれ暴力路線で存続するのが困難になってきた70年代に入ってからだ。代表的なのがエンツォ・バルボーニの「風来坊シリーズ」で、遠のきかけていた客足をジャンルに引っ張り込んだ。オースティン・フィッシャー Austin Fisher という人が挙げているマカロニウエスタンの収益リストがあって、100位まで作品名が載っているが、それによると最も稼いだマカロニウエスタンというのは用心棒でもガンマンでもなく風来坊である。ちょっと主だったものを見てみよう。タイトルはイタリア語原語でのっていたが邦題にした。邦題がどうしてもわからなかったもののみもとのイタリア語にしてある。またフィッシャーは監督名を載せていないのでここでは色分けした。赤がバルボーニ、青がレオーネ、緑がジュゼッペ・コリッツィ(下記)である。
Tabelle-208
目を疑うような作品が15位に浮上しているのが驚きだが、とにかくバルボーニが次点のレオーネに大きく水をあけて一位になっているのがわかる。日本とは完全に「マカロニウエスタン作品の重点」が違っている感じだが、違っているのは日本の感覚からばかりではない。ヨーロッパでの現在の感覚からもやや乖離している。今のDVDの発売状況や知名度から推すと『続・荒野の用心棒』の収益順位がこんなに低いのは嘘だろ?!という感じ。また『殺しが静かにやって来る』が登場しないのも理解の埒外。だからこのリストが即ち人気映画のリストにはならないのだが、それでもバルボーニ映画がトップと言うのは結構ヨーロッパの生活感覚(?)にマッチしている。こちらではマカロニウエスタンと聞いて真っ先に思い浮かんでくるのはバッド・スペンサーとテレンス・ヒルで、イーストウッドなんかにはとても太刀打ちできない人気を誇っているのだ。いまだにTVで繰り返し放映され、家族単位で愛され、子供たちに真似されているのはジャンゴやポンチョよりスペンサーのドツキなのである。
 さる町の市営プールが「バッド・スペンサー・プール」と名付けられたことについては述べたが(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』参照)、つい先日もスーパーマーケットでスペンサーをロゴに使ったソーセージを見つけた。二種類あって一つはベーコン&チーズ風味、もう一つはクラコフのハム味だそうだ。私は薄情にも買わなかったので味はわからないが、スペンサーの人気が衰えていないことに驚く。これに対し、例えば棺桶ロゴ、ポンチョロゴのポテトチップとかは見かけたことがない。

バッド・スペンサーマークのソーセージをどうぞ。https://www.budterence.de/bud-spencer-lebt-weiter-neue-rostbratwurst-und-krakauerから
bud-spencer-rostbratwurst

 この監督バルボーニについてはすでに何回もふれているが、ちょっとまとめの意味でもう一度見てみたい。

 既述のようにバルボーニはカメラマン出身だ。セルジオ・コルブッチがそもそもまだサンダル映画を作っていた頃からいっしょに仕事をしていて、『続・荒野の用心棒』ばかりでなくコルブッチが1963年、レオーネより先に撮った最初のマカロニウエスタン『グランド・キャニオンの虐殺』Massacro al Grande Canyon もバルボーニのカメラだった。つまりある意味マカロニウエスタン一番乗りなのだが、実は「一番乗り」どころではない、ジャンルの誕生をプッシュしたのがそもそもバルボーニであったらしい。インタビューでバルボーニがこんな話をしている。

当時カメラ監督やってたときね、撮影の同僚といっしょに映画館で黒澤明の『用心棒』(1960)を見たんですよ。二人とも非常に感銘を受けてね、その後セルジオ・レオーネに会ったとき信じられないくらい美しい映画だからって言ったんですよ。で、冗談でこのストーリーで西部劇が作れるんじゃないかとも。それだけ。けれどレオーネは本当にその映画を見に行って一年後に『荒野の用心棒』としてそのアイデアを実現させましたね。

ここでバルボーニ自身がメガフォンを握っていたら映画の歴史は変わったかもしれないが、その時点では氏はまだ監督ではなかった。とにかくコルブッチ以外の監督の下でも西部劇を撮り続け、1969年にイタロ・ジンガレッリ Italo Zingarelli の『5人の軍隊』も担当した。これは丹波哲郎が出るので有名だが、他にも脚本はダリオ・アルジェント、音楽モリコーネ、バッド・スペンサーも出演する割と豪華なメンバーの作品だ。製作もジンガレッリが兼ねていたが、このジンガレッリは風来坊の第一作を推した人である。

 大ブレークした『風来坊/花と夕日とライフルと…』(1970)はバルボーニの監督第二作で、第一作は Ciakmull - L'uomo della vendetta という作品だが、一生懸命検索しても邦題が見つからなかった。ということは日本では劇場未公開なのか?だとしたらちょっと意外だ。確かにバカ当たりはしなかったようだが(興行成績リストにも出ていない)、音楽はリズ・オルトラーニだし、スターのウッディ・ストロード、カルト俳優ジョージ・イーストマンが出る結構面白い正統派のマカロニウエスタンだからである。タイトルは「チャックムル - 復讐の男」で、チャックムルというのがレオナード・マンが演じる主人公の名前だが、気の毒にドイツではこれが脈絡もなくジャンゴになっている(『52.ジャンゴという名前』参照)。

 Ciakmull のドイツ語タイトル。勝手にジャンゴ映画にするな!
chiakmull-deutch
主役のレオナード・マン。しかしまあこういう格好をしていればジャンゴにされるのも致し方ないかも…
Leonardo-Mann
 さる町で銀行強盗団が金の輸送を襲う際、護衛の目を逸らすために刑務所に火をつける。ここには犯罪者だけでなく精神病患者も収容されていて、その一人が記憶を失い自分が誰だかわからなくなっていた男であった(これが主人公)。主人公と同時に3人脱獄するのだが、そのうちの一人が主人公が来た町の名を小耳に挟んでいて、さらに強盗団のボスもその町の者であることがわかり、他の3人はその金を奪うため、主人公は(金はどうでもよく)自分の記憶を取り戻すため、一緒にその町に向かう。
 目ざす町ではボスの一家と主人公の家族が敵対関係にあって、詳細は省くが最終的に仲間の3人はボスの一家に殺され、生き残った主人公(徐々に記憶も蘇る)がボスと対決して殺す。しかし実は主人公の弟こそ、主人公の記憶喪失の原因を作った犯人であることがわかる。この弟に主人公は殺されかけ、生き残ったがショックで記憶を失ったのだ。兄のほうが父に可愛がられるのでやっかんでいたのと、実は兄は父の実子ではなく、母親が暴漢に強姦されてできた子だったのだが、妻を愛していた父は我が子のように可愛がってきたのだった。結局主人公はこの弟も殺し(正当防衛)、実の親でないと分かった父を残して去っていく。『野獣暁に死す』と『ガンマン無頼』と『真昼の用心棒』と『荒野の用心棒』を混ぜて4で割ったような典型的マカロニウエスタンのストーリーである。
 上述のインタビューによると、バルボーニはジャンル全盛期にカメラマンをやっていた時からすでに金と復讐というワンパターンなモチーフに食傷しており、ユーモアを取り入れたほうがいいんじゃないかと常々思っていたそうだ。それで監督の機会が与えられた時、プロデューサーにそういったのだが、プロデューサーは「観客は暴力を見たがっているんだ」と首を縦に振らなかった。結果として Ciakmull は陰鬱な復讐劇になっている。

 しかし次の『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではコミカル路線を押し通した。書いてもらった脚本をジンガレッリのところに持ち込むと「そのうち見ておくから時間をくれ」との答えだったが、バルボーニが家に帰るや否や電話をよこして「撮るぞこれ!主役は誰にする?!」と聞いて来たそうだ。そこでテレンス・ヒルとバッド・スペンサーがいいといった。上のリストを見てもわかるようにジュゼッペ・コリッツィの作品は結構当たっていたからそれを見てスペンサー&ヒルのコンビすでに目をつけていたのだろう。ジンガレッリは速攻で脚本を二人に送り、バルボーニはその日の21時にまた事務所に呼び戻されて詳細面談。次の日から製作がスタートしたそうだ。
 この作品ではストーリーから「復讐」「暴力」というテーマが抜けている:テレンス・ヒルとバッド・スペンサーは兄弟で、それぞれ好き勝手に別のところで暮らしていたが、あるときある町でかち合ってしまう。スペンサーは馬泥棒を計画していてその町の保安官に化けて仲間と待ち合わせしていた矢先だったから、ヒルの出現をウザがるが結局一緒に働こう(要は泥棒じゃん)ということになる。その町にはモルモン教徒の居住地があったが、やはりこれも町の牧場主がそこの土地を欲しがってモルモン教徒を追い出そうとさかんに嫌味攻勢をかけている。しかしヒルがそこの2人の娘を見染めてしまいスペンサーもこちらに加勢して牧場主と対決(殴り合い)する羽目になる。
 ヒルはモルモン教徒の仲間に入って2人の娘と結婚しようとまでするが(モルモン教徒は一夫多妻です)、彼らが厳しい労働の日々を送っていることを知ってビビり、去っていくスペンサーを追ってラクチンなホニャララ生活を続けていくほうを選ぶ。
 ストーリーばかりでなく絵そのものも出血シーンもなく銃撃戦の代わりにゲンコツによる乱闘。それもまるでダンスみたいな動きで全然暴力的でない。これなら子供連れでも安心して観賞できるだろう。

『風来坊/花と夕日とライフルと…』はお笑い路線
Emiliano-Trinita-I
 とにかく chiakmull と『風来坊/花と夕日とライフルと…』は製作年がほとんど同じなのにこれが同じ監督の作品かと思うほど雰囲気が違っている。それでもよく見ると共通点があるのだ。その一つが主人公たちがポーク・ビーンズ(ベーコン・ビーンズ?)をほおばるシーンで、『風来坊/花と夕日とライフルと…』でもテレンス・ヒルがやはりポーク・ビーンズをがつがつ平らげるし、『風来坊 II/ザ・アウトロー』はスペンサーが豆を食べるシーンから始まる(その直後にテレンス・ヒルもやってきてやはり豆を食う)。以来この「豆食い」がスペンサー&ヒルのトレードマークになったことを考えると chiakmull ですでに後のバルボーニ路線の萌芽が見えるといっていいだろう。

レオナード・マン(後ろ姿)演ずるチャックムルたちの豆食い
Chiakmull-Bohnen
『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではテレンス・ヒルが豆を食う。
Trinita-I-Bohnen
『風来坊 II/ザ・アウトロー』でも冒頭でスペンサーが豆を食う。
Trinita-II-Bohnen
 もう一つはお笑い路線とは関係がないが、銃撃戦あるいは決闘のシーンのコマ割りである。 chiakmull では強盗団のボスが奪った金を腹心の仲間だけで独占しようとしてその他の配下の者を皆殺しにするのだが、その銃撃戦の流れの最中にバキバキとピストルのどアップ画面が挿入される。こういう時銃口を大きく写すのはよくあるが、ここではそうではなくて銃を横から見た絵、撃鉄やシリンダーがカシャリと動く絵が入るのである。Chiakmull のこの場面は戦闘シーンそのものの方もカメラというか編集というかがとてもシャープでずっと印象に残っていた。調べてみたら Chiakmull で編集を担当したのはエウジェニオ・アラビーソ Eugenio Alabiso という人で『夕陽のガンマン』や『続・夕陽のガンマン』も編集したヴェテランだった。
 この「銃を横から写したアップの挿入」というシーケンスは『風来坊/花と夕日とライフルと…』でも使われている。スペンサーのインチキ保安官にイチャモンをつけて来たチンピラがあっさりやられる場面だが、その短い撃ち合いの画面にやはりピストルの絵が入るのだ。Chiakmull と『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではカメラも編集も違う人だからこれは監督バルボーニの趣味なのではないだろうか。

Chiakmull の銃撃戦。普通の(?)の画面の流れに…
Chiakmull-Schiessen-1
バキッとピストルのアップが入り…
Chiakmull-Gun-1
Chiakmull-Gun-2
その後戦闘シーンに戻る。
Chiakmull-Schiessen-2
するともう一度今度は逆向きに銃身のアップ
Chiakmull-Gun-3
Chiakmull-Gun-4
すぐ再び戦闘シーンに戻る。
Chiakmull-Schiessen-3

『風来坊/花と夕日とライフルと…』では「抜け!」と決闘を挑んだチンピラがスペンサーに…
Trinita-I-spencer
Trinita-Gun-1
Trinita-Gun-2
Trinita-Gun-3
撃ち殺される。
Trinita-Schiessen
 さて、お笑い2作目『風来坊 II/ザ・アウトロー』は上記のように1作目以上にヒットした。ここではスペンサー・ヒル兄弟が瀕死の(実はそう演技してるだけ)父の頼みで、兄弟いがみ合わずに協力して立派な泥棒になれと言われ、努力はするがどうも上手く行かない。勝手に政府の諜報員と間違われてドタバタする話である。売春婦だという兄弟の母親が顔を出す。確かにまああまり上品ではないが陽気で気のよさそうなおばちゃんだ。
Trinita-II-Mama
 3作目『自転車紳士西部を行く』はテレンス・ヒルだけで撮ったコメディで、アメリカで死んだ父の土地を相続しにやって来た英国貴族の息子を、父の遺言によってその友人たち(西部の荒くれ男)が鍛えてやる話だ。その息子がテレンス・ヒルだが、詩を詠みエチケットも備えた、要するに粗野でもマッチョでもない好青年で文明の利器、自転車を乗り回している。この作品は製作が1972年だから、例の『ミスター・ノーボディ』の直前である。テレンス・ヒルを単独で使ってコメディにするというアイデアはバルボーニから来ているのかもしれない。なおこの映画では英国紳士のテレンス・ヒルがやっぱり豆を食う。

自転車をみて驚く西部の馬。
Trinita-III-Fahrrad
英国貴族(テレンス・ヒル)もやっぱり豆を食う。
Trinita-III-Bohnen
 『風来坊』のヒットによってバルボーニはすでに死に体であったジャンルに息を吹き込んだ。バルボーニのこのカンフル剤がなかったらマカロニウエスタンは70年代半ばまでは持たなかったはずだ。『自転車紳士西部を行く』がなかったら最後のマカロニウエスタンとよく呼ばれる『ミスター・ノーボディ』も製作されていなかったかもしれない。
 しかしカンフル剤はあくまでカンフル剤であって、病気そのものを治すことはできず、70年代後半には結局衰退してしまった。バルボーニはマカロニウエスタンが消滅した後もスペンサー&ヒルでドタバタB級喜劇(西部劇ではない)を作り、未だに「バッド・スペンサー・コレクション」などと称してソフトが出回っている。でもマカロニウエスタンが暴力のワンパターンに陥ったのと同様、今度はこのドツキがマンネリ化してしまった。バルボーニ自身それがわかっていたようで「制作者はちょっと映画がヒットするとまたこういうのを作ってくれとすぐいいやがる。想像力ってもんがないんだな」とボヤいている。

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 前回の двенадцать стульев に引き続きイリフ&ペトロフの2番目の長編小説 『黄金の子牛』золотой телёнокを読破して(根性だ!)再び驚いた。これは двенадцать стульев のいわば続編なのだが、全然続編にありがちの二番煎じになっていない。それどころか社会へのおちょくりも主役ベンデルの減らず口もパワーアップしている。
 ペトロフの回想によるとこのオスタップ・ベンデルというキャラは前作の двенадцать стульев を書き始めたときはあくまで脇役という構想だったそうだ。それが書き始めるうちに勝手に存在感を増し、小説の登場人物と言うより生身の人間を扱っているような気がし出したとペトロフは言っている。作者ら自身がベンデルのあつかましさに手を焼いたそうだ。こういう、登場人物が作者の手を離れて一人歩きしはじめる現象について述べる作者は非常に多く、黒澤明などもよくそんな話をしていた。

 二作目の золотой телёнок ではそのベンデルが最初から主役として登場する。旧約聖書からとったタイトルが表しているように、拝金主義な物語である。とにかく金のあるところから頂戴しようと手ぐすねを引いている二人の詐欺師の話で、その一人がもちろんベンデル、もう一人がコレイコという公金横領のプロだ。ベンデルがコレイコが横領した金をさらにまた頂戴しようと画策する。つまり二大イカサマ氏の対決である。そもそも社会主義国ソ連で拝金主義者の話を展開するということ自体がすでに風刺MAXで、двенадцать стульев もその路線だったが золотой телёнок ではストーリーにさらに深みが増している。

 さる田舎町の役所に革命戦で大活躍した軍人某シュミット氏の息子だという人物が現れ、金を要求する。役所では市の予算から支出するのだが、よりによって最初の人物がまだ事務室から出て行かないうちにさらにもう一人自称シュミットの息子という人物が飛び込んできて役人はいぶかるが、息子1がとっさに息子2を兄弟扱いして助けてやる。息子1と息子2が役所を後にした後、さらに息子を名乗る人物が役所を訪れ、これはさすがに見抜かれて追い出される。この息子1がベンデルで、息子2、息子3、さらにその市で知り会った車持ちの(当時は車を持っている人はあまりいなかった)運転手と共に、離れた町にいるコレイコと言う超大金持ちの財産を頂戴してやろうと車で出かけるのである。двенадцать стульев と似たロードムービー的な展開で、道中の「生活費」はイカサマでくすねまくる。
 目ざす市に着くとベンデルは息子2、息子3と偽装の店を構え(何か表の活動をしないと一定のところに居住できないからだ。運転手氏は車があるから企業主として別なところに居を構える)、「出張」と称してあちこちへ出かけ、コレイコが各地でやらかした公金横領の証拠書類を収集する。息子2と息子3はそこら辺の頭のキレがないから、年中ベンデルの足を引っ張る羽目になる。読んでいてイライラしてくるほどだ。味方が馬鹿なのに対して敵のコレイコは中々一筋縄ではいかず「敵ながらアッパレ」を地で行くタヌキだ。この、書類を念入りに調査して金づる資料をコツコツ作成と言う展開はゴーゴリの『死せる魂』の暗示ではないだろうか。さらに今になって気付いたが、もしかしたら前作 двенадцать стульев の冒頭で出てくる町の名前が N となっているのもゴーゴリを意識したのかもしれない。
 さてついに調査を終えたベンデルが動かぬ証拠を突きつけてコレイコに「これを百万ルーブルで買わないか」と迫るが(恐喝じゃん)すんでのところで取り逃がす。おまけに息子1(ベンデル)・2・3の住んでいたアパートも全焼。ついでに構えた店は偽装がバレてサツの手入れがはいってダメになる。コレイコの居所を突き詰めたベンデルはさらに追って行こうとするが、運転手氏の車が崩壊。さらにその後息子3が死ぬ。息子2と運転手氏にはもう追う気力がなくなる。そこでベンデルは一人でコレイコの居場所、さる鉄道駅の建設現場に向かう。
 政府の特別列車にタダ乗りして目的地に着き、そこでコレイコと対面して百万ルーブルをゲットする。実はここまで読んだとき、まだ先が大分長いことに気付いていぶかしく思ったのだが、まさにその先が作品に深みを与えている部分で、前作と同様小説を単に面白おかしく笑ってオシマイでは終わらせていない。
 無賃乗車がバレてベンデルは汽車から放り出され、その煽りを食ってコレイコまで砂漠のド真ん中で立往生する羽目になる。金はあるから辺りに住んでいた遊牧民のカザフ人から駱駝と食料を買い、次の居住地までまさに呉越同舟(駱駝は「砂漠の舟」と呼ばれていますしね)の旅をする。その中央アジアの町でコレイコとは別れるのだが、大金を手にしたベンデルはそこで目標消失状態というか、憔悴と虚無感に襲われる。ソ連では金がいくらあっても「公人」というステータスがないと家を建てるどころかホテルで部屋を取ることさえできない。尊敬もされない。ベンデルは最初からソ連を出てリオ・デ・ジャネイロへ移住する夢を持っていたが、いざ金が入るとその気も薄れてしまう。しまいには金を持っていることが負担になり、捨ててしまおうとさえする。しかし一旦放棄してからまた気が変わってあわてて取り戻しに行くという取り乱しぶりだ。
 この不幸感と憔悴はまさに典型的な「余計者」。さらにペチョーリンがかって来ているが、本人は自分をペチョーリンでなくプーシキンのエヴゲニー・オネーギンに譬えている。確かにオネーギンも余計者の典型例とされている。もしかしたら作者ペトロフの名前がエヴゲニーなのでちゃっかり自己宣伝したのかもしれない。
 金で幸せにならないのはベンデル本人ばかりではない。再会した息子2に大金の一部、といっても遊んで暮らせるほどの金を与えるのだが、その直後2は本来の性癖が出てしまい、たった数ルーブリのためにスリを働いてパクられ、何もかもオジャンにしてしまう。運転手氏の方はかつて住んでいた町にまだおり、分解した車をまた組み立て直して働いていると聞いてベンデルは新車を買ってやろうとするが、上記のようにプライベート・パーソン相手に車を売ってくれるところなどない。ただ運転手氏が「欲しい」と2に手紙で頼んできたという部品を買ってやれただけだが、そんなものでも運転手氏は大喜びで受け取る。百万ルーブルで幸せになれなかったベンデルや息子2とはエラい違いだ。
 この運転手氏はアダムという名前で、名前の通りポーランド人、ということはカトリックだが、仲間思いの好人物で住居が焼けて店がパクられ、1・2・3が裸一貫で飛び込んできたとき気の毒がって涙を流しながら両手を広げて迎えるのである。

 ベンデルはそうこうするうちやっぱり初志貫徹、つまりソ連を出ようということになって金を宝石や毛皮に変えてルーマニアとの国境の川を渡るが、ルーマニアの国境兵士に散々殴られた上財産を全て奪い取られ、結局またソ連に押し戻される。悲惨な結末なのだが、ベンデル自身がそれを笑い飛ばして誰ともなく言うフレーズで小説は終わる:
 
Не надо оваций! Графа Монте-Кристо из меня не вышло. Придется переквалифицироваться в управдомы.

(拍手はいらないからな!モンテ・クリスト伯にはなれなかったってことさ。リスキルしてアパートの管理人にならないとな。)

золотой телёнок のラスト。本にはこの後ペトロフによるイリフの回想などが載っている。
last-telenok
erinnerung-petrov
 どうもあまり懲りていなさそうなこの最後の捨て台詞を見ると、ベンデル自身こうなるのを望んでいた、望んでいたとまでは言わずとも予想くらいはしていたのではないかと思えてくる。そもそも最初の目的リオ・デ・ジャネイロも本当に望んでいたことだったのか?「金をとろう」、実はそれ自体が自己目的で、リオ云々はそのミッション追行を鼓舞するため自分に言い聞かせていたいわば付け足しの目的だっただけではないのか?そもそも最初からしてこのリオ・デ・ジャネイロというアイデアはどこからどうやって出てきたのか。なぜニューヨークでもフロリダでもなく唐突にリオ・デ・ジャネイロが出てくるのか引っかかる。実は前作 двенадцать стульев が何回も映画化されているが、その一つレオニード・ガイダイ監督の1971年の作品で、冒頭にベンデルがスタルゴロドを闊歩する場面でリオ・デ・ジャネイロというビヤホールの看板が写る。そうやってこちらの золотой телёнок のほうも暗示したのだろう。

золотой телёнок でなく двенадцать стульев に登場する「リオ・デ・ジャネイロ」。前を行くのがベンデル役のアルチル・ゴミャシヴィリ。ジョージア人の俳優である。
rio-de-janeiro
 こういうストーリーの中で展開されるベンデルの減らず口、脇役のキャラのクレージーさがまた腹筋崩壊モノだ。例えば上記の運転手氏をめぐるエピソードにこんなものがある。
 運転手氏は人がいいだけに洗脳もされやすく、1・2・3が店を構えて奔走している際、カトリックの僧に目をつけられて言いくるめられ、教会のためにタダ働きをするようになる。今でも新興宗教に引っ張り込まれて財産を全て寄付しるまでに洗脳される人がいるのと同じ感じ。それを聞いたベンデルが運転手氏を取り返しに行くのだが、そこで坊さんがベンデルを言い含めようと「息子よ、お前は間違っておる。主の奇跡は本物なのじゃ…」と言い出したのに対して吐いた減らず口;

– Ксендз! Перестаньте трепаться! … Я сам творил чудеса. Не далее как четыре года назад мне пришлось в одном городишке несколько дней пробыть Иисусом Христом. И все было в порядке. Я даже накормил пятью хлебами несколько тысяч верующтх. Накормить-то я их накормил, но какая была давка!

(坊さん、ゴタクはよしなさいよ。… 私だって奇跡くらい自分で起こしましたぜ。まだ4年にはならないなあ、前にね、さる小さな町で何日かイエス・キリストをやる羽目になりましてね。全てOK。どころかパン五つで信者を何千人も食べさせてやりましたわ。食べさせてやりましたよ食べさせて。いやぁもうドッと人が押し寄せて来てね。)

このあつかましさに毒気を抜かれた僧は唖然とし、洗脳されていた運転手氏はショックで(?)正気に返る。しかも周りの野次馬から「いいぞ、もっとやれ!」とベンデルにフォローが入る。
 このキリストというモチーフは小説の最期のほうでもう一度登場する。ペチョーリン状態になったベンデルが自分は33歳であるといい、「もうキリストが死んだ歳なのに、何の偉業も成していない」とふと呟くのである。
    
 次にクレージーな脇役を二人ばかり紹介しよう。まず、「服役代行」を生業とする老人フント Фунт。革命以前からそうだが、ネップのソ連時代になっても、表向きは正規の店や事務所を構え裏では公金チューチューのペーパー企業というのがあった(今だってあるじゃん)。不正がバレた場合、しょっ引かれてムショ行きになるのは経営者だが、このフント氏は表の経営者として自分の名前を登録させ、しょっ引かれる役を全面的に引き受けるのである。つまり裏で不正している真のドンの身代わりに逮捕されることで報酬を得ているのだ。商売は繁盛している。フント氏はネップ時代にすでに老人だった、ということはロシア皇帝時代にもずっとそれで食べて来ていたわけで、自身も服役のプロであることを誇りにしている。ベンデルたちのインチキ企業の責任者もこの人ということになっていて、最期にバレた時、「フントはずっと塀の中だ!」Фунт всегда сидел! と大威張りで捕まっていった。このおっちゃんは自分のことを3人称で呼ぶのが癖なのである。
 もう一人はコレイコが隠れ蓑として務めていた事務所だか企業だかの会計担当者だ。周りに粛清のさざ波がヒタヒタ押し寄せてきていた当時、何でもない従業員が突然どこかへ飛ばされることが多くなり、会計係氏はその不安に耐えられなくなって粛清の波が収まるまで精神病院に入院して嵐をやり過ごそうとする。そして精神錯乱者の真似をして精神病院に担ぎ込まれる。そこで4人部屋に入れられるが、本人は狂人の真似をしているだけだからマジの狂人が怖くてたまらない。戦々恐々としていたが、心配無用、部屋の残りの3人も全員仮病だったのである。しかも会計係氏より上手で予め専門書や論文などを読んでどうやったら本当に狂人に見えるか前々から研究してきている。精神病院に「避難してきた」理由は3者3様だが、そのうちの一人は生活信条からで、「ソ連で自分の政治信条、生活信条に従って生きられるのは精神病院だけだ。ここだったら誰からも社会主義の建設ダーとか命令されない。体制をケチョンケチョンに貶してもキチガイのすることだからと許される。そんなことを外の道端で言ってみろ。大変なことになるぞ。」 しかし結局出張していた精神科の教授が帰ってくると4人とも一発で仮病がバレ、退院させられてしまう。残念でした。

 もう一つ。前作 двенадцать стульев でもフジヤマ、バンザイなどの日本語が登場し、日露戦争にも言及がいくなど、イリフ・ペトロフは割と日本という国を気にしている感じだったが、золотой телёнок ではズバリ日本人が登場する。ベンデルがタダ乗りした特別列車というのは政府が各国のジャーナリストなど(もちろん自国ソ連のも)を招いてソ連国内を旅させ、発展ぶりを知ってもらおうとするために走らせたもので、アメリカ、カナダ、ドイツなどの各国から公使だの記者だのが搭乗しているが、その客の中に日本の外交官がいるのだ。汽車が中央アジアに入り、外国人は砂漠や駱駝、遊牧民のカザフ人というエキゾチックな光景を目にして大喜びするが(底の浅い現代のいわゆる「観光客」と変わりませんな)、その際日本人を次のように描写している。

    Японский дипломат стоял в двух от казаха. Оба молча смотрели друг на друга. У них были совершенно одинаковые чуть сплющенные лица, жесткие усы, желтвя лакированная кожа и глаза, пртпухшие и неширокие. Они сошли бы за близнецов, если бы казах не был в бараньей шубе, подпоясанной ситцевым кушаком, а японец – в сером лондонском костюме, и если ьы казах не начал читать лишь в прошлом году, а японец не кончил двадцать лет  назад двух университетов – в Токио и в Париже. Дипломат отошел на шаг, нагнул голову к зеркалке и щелкнул затвором. Казах засмеялся, сел на своего шершавого конька двинулся в степь.

(日本の外交官はカザフ人から二歩離れて立った。双方黙って互いに顔を見合わせた。まったく同じようなやや平たい顔、こわい毛の髭、黄色い艶のある肌、そして目、少し腫れぼったくて細い目。彼らは双子で通じただろう、もしカザフ人が更紗の太い帯をしめた羊皮の外套を着ているのに日本人はねずみ色のロンドン製の洋服というのでなかったら、そしてカザフ人がやっと去年読み書きを始めたのに日本人はすでに20年前に大学を二つ、東京とパリで出ているということがなかったら。外交官は一歩下がって顔をレフレックス・カメラに向け、バシャリとシャッターを鳴らした。カザフ人は笑い出し、毛のモサモサしたその馬に乗り、ステップのほうに去っていった。)

この観察、鋭くないか?アメリカや西欧の小説なら仮に日本人が出て来ても必ずと言っていいほど中国人といっしょにされる。その欧米特有の超ワンパターン病におかされず、カザフ人と比較するあたりなるほどソ連だとは思う。

 実はもう一カ所日本人が登場する部分がある。ベンデルがコレイコと別れて汽車に乗ったときコンパートメントで他の乗客がよりによって百万ルーブルをゲットした人たちの話に花を咲かせるのだが、その中の一例、某ビグーソフとかいうさる測量士の話に日本人が絡んでくるのである。その冴えない測量士氏はヴォロネジでしがない生活を送っていたが、ある時身なりの立派な日本人が訪れて苗字と父称を尋ね、身体検査をしたあと、氏が実は日本の親王の落とし子であると告げる。なんでヴォロネジなんかに日本の皇族の血筋がいるのかというとこういう事情だという。36年前に日本の親王がお忍びの旅でヴォロネジをご通過になった際、そこの娘と恋に落ちた。親王はその娘との結婚を望まれたが、ミカドが大反対なさり、恋は実らなかった。時は流れて親王は死の床についていたが、嫡子がなかった。そこで親王は遠い昔のロシアに置いてきた落とし子を探し出して日本に呼ぶべく臣下を派遣した。子供がいなければ血筋は絶えるからだ。噂主から「あの馬鹿」とまで形容されるしがない某ビグーソフ氏はそうやって日本に迎えられ、皇太子にたてられて百万円を支給され(それっぽっち?)、上げ膳据え膳の生活をなさる羽目になった、とこういう話だ。なんだこりゃ。「イワンのばか」のソ連版か。
 噂話をしている人たちはその測量士をサムライと呼んでいて、皇族と武家の区別がついていないという重大な事実誤認がある。またここでは一応「親王」と解釈したが、ロシア語では полупринц という言葉を使っていて、親王という意味なのかそれとも皇后とは別腹の皇太子のことなのか、どうも事情がわかりにくい。しかしこれはあくまでその辺のおっちゃんたちがする信憑性MINIの眉唾な噂話という設定なので、ソ連の読者と共に「ないない、それはない」と笑ってやればいい。マジレスするには及ばない。実際私もここで笑ってしまった。
 それにしてもこのヴォロネジという町だが、ソ連になってからの文学ではやたら目につく名前である。ショーロホフの『人間の運命』の主人公もここ出身と言う設定だし、前に述べたプラトーノフはヴォロネジの生まれだ。

ソ連に日本の皇族の血筋がいたという衝撃の事実が語られる。「サムライ」「ミカド」という言葉が見える。武家と皇族の区別くらいしなさい。
samurai-mikado
そしてビグーソフのばかは王子様になりました。メデタシメデタシ。
bigusov-in-Japan
 最後に少し話を戻して、そもそもオスタップ・ベンデルの人となりについてだが、この人は決して無教養で下品なチンピラの類ではない。 двенадцать стульев で言及されているが、父親はトルコ人(ベンデル本人はイェニチェリの子孫だと威張っている)だが、母親は不労所得で生活していた資産家のはしくれである。平均以上の学歴は持っている。このзолотой телёнок では私立のカトリック系ギムナジウムを出て人文科学系の大学を終了したと言っているが、仮にそれがホラだとしても坊さん相手に一応はラテン語の知識を披露しドイツ人にはドイツ語で話しかける。いわゆる労働者階級には属していないのである。この辺も余計者の特徴を備えていると言っていいのではないだろうか。
 上で述べたリオ・デ・ジャネイロもそうだが、1971年の двенадцать стульев の映画にはもう一つこのзолотой телёнок を指している部分がある。冒頭に作者イリフ・ペトロフのカリカチュアが出るのだが、それが牛の首を砲丸投げのようにぶん回している。もちろん『黄金の子牛』の暗示だろう。つまり「どちらか一つじゃそれこそ片手落ち。両方読みなさい」ということか。

牛の首で砲丸投げ。1971年の映画 двенадцать стульев の冒頭のイリフとペトロフ
ilf-petrof-kalb

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 ロシア人の知り合いが「ものすごく有名なんですよこの作家」と言って、ものすごく分厚い本をくれた。イリヤ・イリフ Илья Ильф とエヴゲニー・ペトロフ Евгений Петров 合作の長編小説Двенадцать стульев(「12の椅子」)、Золотой телёнок(「黄金の子牛」)二つと、あと短い論説が二編収まっている、全部で638ページの本だ。 「ロシア語638ページ」に躊躇したことと、この作家を知らなかったので、やっとしばらくたってから意を決して読み始めたらこれが地獄のように面白かった。なんだこれは、どうしてこんな面白い作品を今まで知らなかったんだ(さすがヘッポコスラブ語学専攻者)と思って調べてみたら、この作品はドイツでも日本でも翻訳・紹介されているではないか。映画化も何回もされている。知らなかったのは私だけだ。もう切腹ものだ。

 『12の椅子』はネップ時代、1920年代のソ連社会を徹底的におちょくった風刺文学だが、2人の作家の合作というのが珍しい。イリフもペトロフもオデッサの出身だが、モスクワで会ってモスクワで活躍した。オデッサあるいはウクライナ出身の作家と言うと真っ先に思い浮かぶのはゴーゴリだが、こちらも確かに風刺の大家だった。ただ単に面白おかしいというではなく、悲惨な現実を笑い飛ばす、背後にちょっと恐ろしさを感じる笑いというのはウクライナ出身の特技なのかもしれない。『12の椅子』もただ笑ってオシマイという作品ではない。そういえば作品も悲惨ならその最期も悲惨だったイサク・バーベリの作品も舞台はオデッサで、陰鬱な展開のストーリーなのに笑える場面があった。棺桶から唐突に機関銃が飛び出す展開などそのいい例だ(『184.棺桶から機関銃:Одесские рассказы』参照)。バーベリもユダヤ人だったが、『12の椅子』もイリフのほうは本名イェヒエル-レイブ・アリエヴィッチ・ファインジルベリク Иехиел-Лейб Арьевич Файнзильберг(つまり父親の名前がアリエル)というこれまた一目瞭然でユダヤ人だ。棺桶ネタはアシュケナージ・ユダヤ人の好む材料なのか?『12の椅子』も葬儀屋の店頭に並ぶ棺桶描写で物語が始まる。町に葬儀屋がやたらといる割には人があまり死なず、どこかで誰かが死ぬたびに顧客(死体)の奪い合いになるという不謹慎な展開だ。さらに小説の中で主人公がこの世の栄華、富も社会地位も一切放棄して僧となりついには棺桶で暮らすようになる聖職者の話を聞かせてくれる。またバーベリもイリフもユダヤ人に対する自虐ギャグ(早口言葉かよ)が目立つが、これも残酷な現実に笑いで抵抗ということなのかもしれない。
 イリフはもともと詩人として文学活動を始めたそうで、作品中でも自称詩人、また詩人でないくせにヘッポコな詩を詠んだりする登場人物が目立つ(下記)。ペトロフは本名 Катаев カターエフと言う。兄のヴァレンチン・カターエフはソ連で名の知られた作家で1989年まで活躍していた。
 ペトロフとイリフはモスクワの新聞社に務めていたが、あるときそこに当時すでに筆で名を成していた兄のカターエフが顔を出して弟とイリフに「椅子が何脚かあってそのうちの一つに金が隠してある、そんなテーマで小説を書いてみる気はないか?あとで名人が(自分の事)添削してやるよ」とけしかけたそうだ。さらに「僕は何週間か旅行に行くが、帰ってくるまでに書いておけ」と言い残した。ペトロフとイリフはそれぞれ別々に書くよりどうせなら二人で共作しようということになって、カターエフが帰って来るまでに二人して数章書き上げて、添削して貰いに持って行った。「何だよこんなんじゃダメだなあ」と言われてバキバキに修正されるかと思っていたそうだ。しかしカターエフは原稿を読むなりまじめな顔つきになり、「君らはもう作家と名乗ってもいいぞ」と言った。イリフが「で、名人の添削は?」と聞くと「そんなものは必要ない。このまま書き続けろ。この本は売れるぞ」と答えたそうだ。そしてその通りになった。『12の椅子』はこの兄カターエフに捧げられている。

本の表紙。字は金色なので光の具合によって見にくくなってすみません。
Ilf-and-Petrov-Titel
本の冒頭で作者の写真。左がイリフ、右がペトロフ。
Ilf-und-Petrov
『12の椅子』はペトロフの兄、ヴァレンチン・カターエフに捧げられている。
to-Kataev
 物語はソ連のさる田舎町で始まる。その市の住民課の中年役人ヴォロビヤニノフは革命以前はブルジョアで立派な屋敷に住んでいたがソ連政権に財産を没収されショボいこの町に飛ばされて役所勤めをさせられている。義母と暮らしていたが、その義母が亡くなる際、家宝の宝石を元の屋敷の12あった椅子のどれかに隠してあると聞かされ、それをみつけに屋敷のあった市スタルゴロド(うるさく言えばスタルゴラト)にやって来る。しかし義母は死の床で司祭を呼んで懺悔もしていた。この懺悔された神父が大変な生臭で、坊主のくせに欲を出して宝石を手に入れようとやはりスタルゴロドに来ていた。
 ヴォロビヤニノフは昔の自分の奉公人のところでオスタップ・ベンデルという若者に会うのだが、これが口八丁手八丁、頭の回転がビュンビュンな山師で、「ソ連の官僚社会には合わないだろうなあ…」と読者をつくづく納得させるキャラクターだ。ヴォロビヤニノフは自分の宝探しのアシスタントとしてベンデルを雇う。ヴォロビヤニノフ&ベンデル対生臭坊主フョードルとの三つ巴の始まりだが、この ヴォロビヤニノフというのは前述のとおり、もとええとこのボンボンで浮世を知らない。やがて世慣れたベンデルが作戦の主導権をとってヴォロビヤニノフは唯々諾々とそれに従うようになる。かといって横暴なボスタイプではない、人を丸めこんで巻き上げた金でヴォロビヤニノフを食わせ、探索資金も捻出してやるのだから、ヴォロビヤニノフみたいなおじさんにおんぶに抱っこされているベンデルの方がむしろ気の毒になって来る。まさにボケとツッコミのペアだ。
 スタルゴロドで12のうち一脚を探し当てるのだが、宝石は入っていなかった。他の椅子はモスクワの家具博物館に移されたと聞いて二人はモスクワに移動する(そういう移動費もすべてベンデルが捻出する)。そのモスクワで残る椅子が全部ほとんど手に入りかけるのだが、例によってヴォロビヤニノフが大ボケをかましたためオジャンとなり、二人は椅子を追ってソ連中旅する羽目になる。
 フョードル司祭の方はモスクワで(間接的ではあるがベンデルのせいで)ガセ情報を掴まされ、アサッテの方向に椅子を探しに出かけることになるが、そのアサッテとヴォロビヤニノフ組のルートが交錯したり、手に汗握る(?)ロードムービー的な展開となる。

 結論は言わないでおくが、こういうクレージーな登場人物、シュールな展開なのにこの小説が安っぽいドタバタ喜劇や底が見え見えのラノベなんか(差別発言)とは完全に一線を画し、ソ連文学の古典として残っているのは作者の文筆家としての力量という他はない。私はもちろん母語者でも当時のソ連に住んでいたわけでもない部外者のうえ、ロシア文学についてもスレスレでやっと試験を通ったほどのパーだから(そもそも我ながらあれでよく試験を通ったものだ)、作品の言葉のあやを十分に堪能することなどとてもできない。しかしその分際でもこの作品がロシアの古典文学への暗示に満ち満ちていることは感じた。生え抜きソ連人ならもっともっといろいろ見つけて笑える部分があったに違いない。
 まずボケのヴォロビヤニノフおじさんはいわゆる「余計者」(『164.Лишний человек(余計者)とは何か』参照)のパロディだ。資産家の家に育ち、学生時代もテキトーに勉強してあとは女の子を追いかけたりパーティーをやったりして遊んでいた、しかし一応教育はあるからドイツ語もフランス語も話せることは話せるし、社交の場での話術なんかも一応心得てはいる、という要するに人畜無害な余計者。ただこの人は自分が余計者であるとはあまり自覚していなさそうで、無力感に打ちひしがれることもなく内部の葛藤もなく、唯々諾々とソ連政権下で役人をしている。ゴンチャロフの『オブローモフ』をベッドから引きずりだして仕事をさせたらこうなるかという感じだ。このおじさんは子供のころ киса (「子猫ちゃん」)というあだ名で呼ばれていたそうだ。ブッと思うが人畜無害なその子猫ちゃんにも実は心中積もり積もっていたものがあることがラストで判明する。
 もう一方のベンデルも余計者だが、こちらは社会に居場所がないことを明確に自覚している。ちょうどレールモントフの『現代の英雄』の主人公ペチョーリンを(『164.Лишний человек(余計者)とは何か』参照)明るくしたようなタイプだ。その登場場面でベンデルは道端で浮浪者の少年から「おじさん、10コペイカおくれよ」と呼びかけられ(当時は20代後半ですでにおじさんなのか…)、自分も懐いやポケットがスッカラカンだったので持っていた林檎をやる(その林檎はずっとポケットに入れてあったので生暖かくなっていた)。その際少年をからかっていう。

Может быть, тебе дать ещё ключ от квартири, где деньги лежат?
ひょっとして、金のおいてある部屋の鍵もやろうか?

もちろん少年もそれが冗談だと気付くが、一瞬考えてしまわないだろうか、これ?この「金のおいてある部屋の鍵」というフレーズは作者の知り合いの口癖だったんだそうだが、その後も何回か浮上するから油断ができない。例えばベンデルは最初ただ単に「若者」として作品に登場し、その少し後で詳しいキャラクター描写となるが、そこでもしつこく「部屋の鍵」という言い回しがでてくるのだ。とにかく言葉の面でもストーリーの面でも非常に精巧に仕組まれた構成だ:

 Звали молодой человека Остап Бендер. Из своей биографии он обычно сообшил только одну подробрость: «Мой папа, – говорил он, – был турецко-подданный». Сын  турецко-одданного за свою жизнь перемерил мрого заеятий. Живость характера, мешавшая ему посвятить себя какому-нибудь лелу, постоянно кидала его в разные концы страны и теперь привела в Старгород буз носков, без ключа, без квартиры и без дерег.
(若者はオスタップ・ベンデルといったが、自分の来し方についてはたった一つのことしか聞かせてくれないのが常だった:「親父はトルコ国民だった」。そのトルコ国民の息子は人生で多くの職業を転々とした。活気に満ちた性格が災いして、なんであれ一つの仕事に集中できず、あちこち国の果てまで飛ばされる羽目になったあげくに、今このスタルゴロドにやってきたのだった。靴下もはかず、鍵もなく部屋もなく、ついでに金もないまま。)

「トルコ人」と言わずに「トルコ国民」(太字)とわざわざ表現しているのはなぜか一瞬考えたのだが、ソ連は非常な多民族国家だったから(タタール人やアゼルバイジャン人も含めた)いわゆるトルコ人も同国人にいたわけで、それとの区別だろう。上述の箇所で一瞬考えた「部屋と鍵」がまた出てくるが、そこにさらにわざわざ言い立てる必要性が全く感じられない「靴下」が登場してくるのでまた一瞬考える。作品全体、この「一瞬考える」の連続だ。

 それにしても内部の衝動に動かされて一つ所に落ち着けず、転々と各地を回るという点がペチョーリンとしっかり共通している。上でも言ったようにベンデルの方がずっと陽気だが、陽気でももさすが基本はペチョーリンだけあって、その口からは時々若さに似合わぬ虚無的な言葉が飛び出す。例えば自分たちが数日前に川の上流で投げ捨てた椅子が流れて来るのを下流で見つけたベンデルは言う。

Знаете, Воробьянов, этот стул напоминает мне нашу жизнь. Мы тоже плывем по течению. Нас топят, мы выплываем, хотя, кажется, никого этим не радуем. Нас никто не любит, если не считать уголовного розыска, который тоже нас не любит. Никому до нас нет дела.
(なあヴォロビヤノフ、この椅子を見てるとどうも俺たちの人生見てる気がしてくるなあ。俺らも流れの中をフラフラ漂ってるからな。水に投げ込まれて一旦沈んだのがまた浮かび上がって流れ出してさ。でも誰もそんなこと喜んでないようだしさ。民警の追手を別にすれば俺らは誰からも好かれてないよな。その追手だって別に俺らが好きでやってるわけじゃないしさ。本当なら誰もこっちにかまっているヒマなんてないや。)

この悟りぶりもまさにペチョーリン。事実『12の椅子』は『現代の英雄』を念頭に置いていることが明らかでレールモントフの名がズバリ何回も言及されるし、モスクワ以降二人が旅立つのもコーカサス。『現代の英雄』の舞台である。

 もう一つ。ベンデルがスタルゴロドの有力者(?)を集めてありもしない秘密組織に誘いこみ、「活動費」として金を巻き上げるシーンがあるが、これなんかはドストエフスキイの『悪霊』をパロったのだろう。対応する『悪霊』のピョートル・ヴェルホヴェンスキーというキャラはそれこそ誰からも愛されない人物だったが、ベンデルの方は小説内ではともかく、読者からは非常に愛されて、同じ主人公でもう一つ小説が描かれたほどだ。それがこの本に収まっているもう一つの作品『黄金の子牛』である。

 レールモントフもそうだが、暗示ばかりでなくロシア文学の大物作家の名前がよく名指しされている。プーシキンはもちろんトゥルゲーネフやトルストイ、詩人のマヤコフスキイなどの名前が言及される。レーピンなどの画家の名前も出てくる。他にいろいろ私の知らない名前が出てくるがソ連の人ならツーカーに通じるのだろう。
 その中で私が最も「おっとっと」と思ったのが、ニキーフォル・リャピス Никифор Ляпис なるヘッポコ詩人のペンネームである。超ワンパターンな作品をあちこちの雑誌に持ち込んではボツを喰らい続けている。 Ляпис は「硝酸銀」という意味で、そもそもロシア語の人の名前としておかしいが、さらのこの言葉は似た響きの別単語 ляпсус に連想が行く。ズバリ「へま」だ。事実さる雑誌の編集長がつい間違えたのか、ワザとやったのか、詩人氏を ляпсус と呼んでしまう。名は体を表すを地で行っている。そのヘッポコがよりによってトゥルベツコイ Трубецкой というペンネームを使っているのだ。しかもこの名前は件の編集長氏から人から「もうちょっとマシなペンネームをつけるわけにはいかないのか」とまでおちょくられる。なんだこれは?トゥルベツコイという名前はダサいのか?ここでからかわれているのはまさか世界中で尊敬されている言語学者のニコライ・トゥルベツコイ(『141.アレクサンダー大王の馬』参照)のことなのか?トゥルベツコイは侯爵家の出だが、父親は大学の総長おじも学者のインテリ一族で革命期には息子のニコライも大学で教えていた。20年代始めに亡命してブルガリアなどを経てウィーンに至り、そこで大学教授をしているとき(ドイツ語で)書き上げたのが代表作の『音韻論概説』Grundzüge der Phonologie である。トゥルベツコイの死後、1939年にプラーグで出版された。なぜプラーグかと言うと、トゥルベツコイはいわゆる構造主義のプラーグ学派に属していたからである。つまり時期的にはイリフ・ペトロフの活動期と一致しており、1928年の『12の椅子』でパロられてもおかしくはないのだ。しかしその一方大学教授などと言う象牙の塔の住人の名前が一般の文学愛好者に「広く」知られていたかというと疑問が残る。誰も知らない学者をからかっても読者には通じないからおちょくり甲斐がないだろう。もしイリフ・ペトロフばかりでなく当時のソ連市民が広く言語学者の名前を知っていたとしたら(しかも構造主義言語学などというお堅い分野)それはそれで結構恐ろしい社会ではないだろうか。アインシュタインじゃないんだから。とにかくどうもこの「標的」はニコライではあるまいという気がしたのでちょっと調べてみるとトゥルベツコイ侯爵家はロマノフ級に有名な家系で、16世紀から歴史上の人物を何人も輩出している。だからここでおちょくられているのは革命以前の貴族全般ということで、ロマノフの名を揶揄したのではあまりにもストレート過ぎて機智に欠けるからトゥルベツコイにしたのかもしれない。そのうち誰かに聞いてみようと思っている。

 もう一カ所私が盛大に「おーっとっと」と思ったのが、ラスト近くの Ну, друже, готовьте карманы  というベンデルのセリフだ。「さあ、相棒、ポケットの用意をしとけよ」だが、ここの друже という形は明らかに друг(「友人」)の呼格形。ロシア語は語形変化パラダイムとしての呼格は失ってしまったが、бог (「神」)という語にだけは本来の呼格形(『90.ちょっと、そこの人!』参照)が残っており「おお、神よ」は боже мой である。その他の語は主格で呼びかけるから「友人よ」は普通 друг! のはずのところを「神」と同じく語形変化させて друже になっている。あんまり感動したのでロシア人を捕まえて確認してみたが、やはり昔存在したパラダイムの記憶はおぼろげに残っているようだ。

ラスト近くでガーンと目を射る друг の呼格
druze-Vokativ
 ところで『12の椅子』を読んで、「この怪しげな2人組対さらに怪しいもう一人の三つ巴ってパターン、『続夕陽のガンマン』はここからインスピレ―ション受けたんじゃね?」と言ってきた人がいる。言われてみると確かにこの作品はイタリアで1969年、つまりまさにマカロニウエスタンの全盛期に映画化されているから、ストーリー自体は当地でも知られていたはずだ。レオーネやヴィンツェンツォーニがそこからアイデアをとったというのはあり得ない話ではない。レオーネはインタビューで「私は夢破れた共産主義者だ」とかいっていたことがあるし、ソリーマさえも元共産党系パルチザンだったそうだし、そもそも映画監督や脚本家にいわゆるサヨクが多いのはどこの国でも共通である。当時の映画人がある程度ソ連文学に馴染んでいても不思議ではない。バーベリやイリフ・ペトロフの棺桶フリークぶりを見ても(『184.棺桶から機関銃:Одесские рассказы』参照)、一概に「ソ連文学を読んでもマカロニウエスタンを思い出すお前はビョーキだ」とは言い切れないと思う。

 ついでにこの記事の冒頭で述べた「切腹モノの無知」についても一言ある。人気の点でもモチーフの点でも、日本で言えばちょうと『坊ちゃん』と『吾輩は猫である』を合体させたような国民的文学である『12の椅子』を知らなかったのは私だけのせいか(そうだよ)。例えばうちにあるドイツ語版の「ロシア文学作家事典」にもイリフ&ペトロフの名は載っていない。ロシア人に聞いても「知りません、そんな作家」という人が何人も載っているのに「まともな教養があったら誰でも知っている」作家の名がないのはなぜか。どうもそこには西欧のフィルターがかかってしまった気がする。ソ連政権から実際に迫害されたり亡命したり収容所に送られた作家を優先的に掲載し、国内でポピュラーだった作家は抜かされたのではないだろうか。だからショーロホフも当然名が出ていない。さすがにゴーリキーの名はあるが、それも嫌々載せている感が漂っている。ショーロホフは『190.人間の運命』で述べた通り、やや問題のある作家だから無視されたのだろうが、とにかく人選に微妙な歪みを感じる。私一人が切腹して済む問題ではないのだ。


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