アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

本を出しました。詳しくは右の「カテゴリー」にある「ブログ主からのお知らせ」をご覧下さい。
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 数詞というか数の数え方というか、例えば1から10までを何というのかなどは挨拶の仕方と同じく語学の授業の最初に基本単語として習うことが多いから日本語の場合も字もロクに読めないうちから数を覚えたがる人が結構いる。グッドモーニング、グッドバイときたら次はワン・ツー・スリーに行くのが順序という感覚だ。嫌な予感を押し殺しつつ仕方なく10くらいまで教えると、案の定「にひと」「さんアヒル」とか言い出す。それぞれtwo men、three ducks のつもりなのだ。それではいけない、単なる数字を勘定に使うことはできない、人とアヒルは数え方が違うのだ、人間も鳥も自動車も皆同じくtwo なら two を使えるほど日本語(や中国語)は甘くない、などという過酷な事実をそもそもまだ「私は学生です」という文構造さえ知らない相手に告げるのは(これは確か夏目漱石が使っていた表現だが)徒に馬糞を投げてお嬢様を驚かすようなことになりかねない。もっとも英語やドイツ語にだって例えば a cup of teaなど日本語や中国語に近い数え方をすることがある。日本語ではただそれが広範囲で全名詞にわたっており、単語を覚えるたびに数え方をチェックしておかなければならないというだけだ。ドイツ語で名詞を覚えるたびにいちいち文法性をチェックしておかなければならないのと同じようなもの。基本的に大した手間ではない。中国人だと中国語と日本語では数え方が微妙に違っているのでかえって面白がる。『143.日本人の外国語』でもちょっと言ったように、これしきのことでいちいち驚くのは構造の全く違う言語に遭遇したことがない印欧語母語者に多い。ただ、後になってから初めて「さんアヒル」と言えないと知らせて驚かすのも気の毒なので最近は数字を聞かれた時点で「これらの数字はただ勘定するときだけにしか使えず、付加語としての数詞は名詞によって全部違うから、後でまとめてやります」と言っておくことにしている。ついでに時々、「日本語は単数・複数の区別がなくて楽勝だと思ったでしょう?そのかわり他のところが複雑にできていて帳消しになってるんですよ。どこもかしこもラクチンな言語なんてありませんよ」と言ってやる。
 印欧語の母語者にとってさらに過酷なのは、普通日本語では数量表現が当該名詞の付加語にはならない、ということである。例えば英語なら

Two ducks are quacking.

で、two は ducks の付加語でduck というヘッド名詞の内部にあるが(つまりDP [two ducks])、日本語では数量表現が NP の外に出てしまう:

アヒルが二羽鳴いている。

という文では二羽という要素は機能的には副詞である。これに似た構造は幸いドイツ語にもある。量表現が NP の枠の外に出て文の直接構成要素(ここでは副詞)に昇格するのだ。いわゆるfloating numeral quantifiers という構造である。

Die Enten quaken alle.
the +  ducks + are quacking + all
アヒルが鳴いている。


Wir sind alle blöd.
we + are + all + stupid
我々は馬鹿だ。

ドイツ語だと副詞になれる量表現は「全部」とか「ほとんど」など数がきっちりきまっていないものに限るが、日本語だと具体的な数表現もこの文構造をとる。違いは数詞は付加語でなく副詞だから格マーカーは名詞のほうにだけつけ、数詞の格は中立ということだ。しかしここで名詞と「副詞の数詞」を格の上で呼応させてしまう人が後を絶たない。

アヒルが二羽が鳴いている
池にアヒルが二羽がいる
本を四冊を読みました

とやってしまうのだ。確かに数詞のほうに格マーカーをつけることができなくはないが、その場合は名詞が格マーカーを取れなくなる。

アヒルØ二羽が鳴いている。
本Ø四冊を読みました。

これらは構造的に「アヒルが二羽鳴いている」と似ているようだが実は全然違い、格マーカーのついた「二羽」「四冊」は主格名詞と解釈できるのに対し格マーカーを取らない「アヒル」や「本」は副詞ではない。それが証拠に倒置が効かない。

アヒルが二羽鳴いている。
二羽アヒルが鳴いている。

アヒル二羽が鳴いている。
*二羽がアヒル鳴いている。(「アヒルが二羽鳴いている」と比較)

数詞が名詞になっている後者の場合、「アヒル二羽」が一つの名詞、合成名詞とみなせるのではないだろうか。「ドイツの料理」という二つの名詞が合体して「ドイツ料理」という一つの合成名詞をつくるのと同じである。シンタクス構造が違うからそれが反映されるのか、意味あいも違ってくる。あるまとまりを持った集団に属するアヒルたちというニュアンスが生じるのだ。「アヒルが二羽」だと池のあっち側とこっち側で互いに関係ない他人同士、いや他鳥同士のアヒルがそれぞれ勝手に鳴いている雰囲気だが、「アヒル二羽が」だと、アヒルの夫婦か、話者の飼っているアヒル、少なくとも顔くらいは知っている(?)アヒルというイメージが起こる。ドイツ語や英語で言えば前者は不定冠詞、後者は定冠詞で修飾できそうな感じだ。この「特定集団」の意味合いは「二羽のアヒル」という言い回しでも生じる。

二羽のアヒルが鳴いている。

ここでの「二羽」はシンタクス上での位置が一段深く、上の「アヒルが二羽」のように動詞に直接支配される副詞と違って、NP内である。属格の「の」(『152.Noとしか言えない見本』参照)によって「二羽」がヘッド名詞「アヒル」の付加語となっているからだ。先の「アヒル二羽」は同格的でどちらが付加語でどちらがヘッドかシンタクス上ではあまりはっきりしていないが(まあ「二羽」がヘッドと解釈していいとも思うが)、「二羽のアヒル」なら明らか。いずれにせよどちらも数詞はNP内で副詞の位置にいる数詞とはシンタクス上での位置が違う。そしてこれも「アヒルが二羽鳴いている」と比べると「アヒル二羽」のイメージに近く、つがいのアヒルが鳴いている光景が思い浮かぶ。もっともあくまで「思い浮かぶ」であって、「アヒルが二羽」はバラバラのアヒル、「二羽のアヒル」ならつがいと決まっているわけではない。また後者でもそれぞれ勝手に鳴いている互いに関係ないアヒルを表せないわけではない、あくまでもニュアンスの差であるが、この辺が黒澤明の映画のタイトルが『七人の侍』であって『侍(が)七人』とはなっていない理由なのではないだろうか。あの侍たちはまさにまとまりをもった集団、固く結束して敵と戦うのだ。
 逆に集団性が感じられない、英語ドイツ語なら冠詞なしの複数形になりそうな場面では副詞構造の「アヒルが二羽」「アヒルを二羽」が普通だ。在米の知り合いから聞いた話では、これをそのまま英語に持ち込んでレストランでコーラを二つ注文するときCoke(s) two といってしまう人がよくいるそうだ。Two Cokesが出てこない。さらにその際pleaseをつけないからネイティブをさらにイライラさせるということだ。

 それで思い出したが、ロシア語には普通の数詞(単純数詞、простые числительные)の他に集合数詞(собирательные числительные )というものがある。その名の如く複数の当該事象を一つのまとまりとして表す数詞、と説明されている(しかし集合数詞という名称がおかしい、という声もある。下記参照)。

      普通の数詞                  集合数詞
2    два (m., n.), две (f.)     двое
3    три                               трое
4    четыре                         четверо
5    пять                             пя́теро
6    шесть                           шестеро
7    семь                             се́меро
8    восемь                         восьмеро
9    девять                          девятеро
10  десять                          десятеро

形としては一応10まであるが、9と10の集合数詞は事実上もう使われなくなっているそうだ。この集合数詞は単純数詞と語形変化の仕方が違う。全部見るのは面倒くさいので「3」と「5」の単純数詞と集合数詞の変化を比べると次のようになる。集合数詞と単純数詞はそもそも品詞そのものが違うことがみてとれるだろう。


               単純数詞           集合数詞
主格        три                    трое
生格        трёх                   троих
与格        трём                  троим
対格        три/ трёх           трое/ троих
造格        тремя                троими
前置格     трёх                   троих

5
               単純数詞            集合数詞
主格        пять                    пятеро
生格        пяти                    пятерых
与格        пяти                    пятерым
対格        пять                    пятеро/ пятерых
造格        пятью                 пятерыми
前置格     пяти                    пятерых

数詞の被修飾語の名詞のほうは『65.主格と対格は特別扱い』『58.語学書は強姦魔』でものべたように、主格と対格では複数生格、その他の格では数詞と呼応する形が来る。
 日本語では数詞は語形は変わらずシンタクス上の位置が違ってくるが、ロシア語のほうは語そのものが違いシンタクス上の位置は変わらない。だから、というのもおかしいが使い方・意味合いも日本語の「アヒルが二羽」と「二羽のアヒル」と違い、なんとなく別のニュアンスなどというあいまいなものではなく使いどころが比較的きっちりと決まっている。例えば次のような場合は集合数詞を使わなければいけない。
1.ロシア語には形として単数形がなく複数形しかない名詞があるがそれらに2~4がついて主格か対格に立つとき。なぜなら2~4という単純数詞には単数生格(本当は双数生格、『58.語学書は強姦魔』参照)が来るのに、その「単数形」がないからである。

двое суток (主格はсутки で、複数形しかない)
two集合数詞 + 一昼夜・複数生格

трое ворот (ворота という複数形のみ)
three集合数詞 + 門・複数生格

четверо ножниц (同様ножницы という複数形のみ)
four集合数詞 + はさみ・複数生格

2.дети(「子供たち」、単数形はребёнок)、ребята(これもやはり「子供たち」、単数形はребёнокだがやや古語である)、люди(「人々」、単数形は человек)、лицо(「人物」)という名詞に2~4がついて主格か対格に立つとき。

двое детей
two集合数詞 + 子供たち・複数生格

трое людей
three集合数詞 +人々・複数生格

четверо незнакомых лиц
four集合数詞 + 見知らぬ・複数生格 + 人物・複数生格

3.数詞の被修飾語が人称代名詞である場合。

Нас было двое.
we.属格 + were + two集合数詞
我々は二人だった。


Он встретил их троих.
He + met + they. 属格 + tree.集合数詞
彼は彼ら3人に会った。



その他は基本的に単純数詞を使っていいことになるが、「も」も何もそもそも単純数詞の方がずっと活動範囲が広いうえに(複数形オンリーの名詞にしても、主格対格以外、また主格対格にしても5から上は単純数詞を使うのである)、集合数詞は事実上8までしかないのだがら、集合数詞を使う場面の方がむしろ例外だ。集合数詞、単純数詞の両方が使える場合、全くニュアンスの差がないわけではないらしいが、イサチェンコ(『58.語学書は強姦魔』『133.寸詰まりか水増しか』参照)によるとтри работника (3・単純数詞 + 労働者・単数生格)とтрое работников(3・集合数詞+ 労働者・複数生格)はどちらも「3人の労働者」(または労働者3人)という完全にシノニムで、трое などを集合数詞と名付けるのは誤解を招くとのことだ。歴史的には本来この形、例えば古スラブ語のdvojь、 trojь はdistributive分配的な数詞だったと言っている。distributiveなどと言われるとよくわからないがつまりcollective 集合的の逆で、要するに対象をバラバラに勘定するという意味だ。チェコ語は今でもこの意味合いを踏襲しているそうだ。

 そうしてみると日本語の「アヒルが3匹」と「3匹のアヒル」の違いとロシア語の集合数詞、単純数詞の違いはそれこそ私がワケもなく思いついた以上のものではなく、構造的にも意味的にも歴史的にもあまり比較に値するものではなさそうだ。まあそもそも印欧語と日本語の構造を比べてみたって仕方がないと言われればそれまでだが。

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 2020年7月6日の朝、いつものように起きてメールを見ようと思い、いつものようにドイツテレコムのメインサイトに行ったら、そこのニュース速報にEnnio Morriconeとあるのが目に止まった。つい一ヵ月ほど前にモリコーネがジョン・ウィリアムズとともにスペインのアストゥリアス皇太子賞を取ったと聞いていたので一瞬またなにか賞を取ったのかと思い、改めて記事の見出しに目を向けたとき、飛び込んでいたのはtot 「死去」という言葉だった。そこで私が感じたこと、陥った精神状態は、誇張でも何でもなく全世界でおそらく百万人単位が共有していると思うから、わざわざ「呆然とした」とか「目の前が真っ暗になった」とか「心にポッカリ穴があいた」とか「鬱病になりそうになった」とか陳腐な表現をここでする必要もあるまい。してしまったが。
 新型コロナがイタリアで猛威を振るっていた時何より心配だったのがモリコーネのことだったが、直接の死因となったのは数日前に転倒して大腿骨を折った事故だそうだ。ローマの病院に運ばれ、そこで亡くなった。報道によれば最後まで意識ははっきりし、その時が来たことを自分でもはっきり自覚して家族に別れの言葉を残していった。極めて尊厳に満ちた最期だったそうだ。
 モリコーネが晩年ドイツで行ったインタビューの記事をいくつか読んだが、その中でインタビュアーは「マエストロは少し足元がおぼつかないようだったが頭の方はhellwachだった」と言っていた。hellwachは独和辞典には「完全に目覚めている、油断のない」というネガティブイメージの訳語が出ていたりするが、これは「頭がものすごく冴えている」という意味である。

 ドイツではモリコーネの名前と最も強固に結びついているのは何といっても『ウエスタン』のハーモニカだ。『続・夕陽のガンマン』のコヨーテが引用されることもあるが、あの『ウエスタン』のメロディは高校の音楽の教科書に使われているのさえ見たことがある。モリコーネ自身はこれに不満で、あちこちのインタビューで「ドイツではどうして西部劇だけしか思い出してもらえないんでしょうね。西部劇の曲は私の作品の8%しか占めてないんですよ」とぼやき、とうとうドイツであんまり『ウエスタン』を聴かされすぎたのでもう自分でもあの曲は聴きたくないとまで言っていたそうだ。
 亡くなった次の日新聞という新聞に追悼記事が出たが、ローカル紙の多くはブロンソンに撃たれた直後のヘンリーフォンダや、幼い頃のブロンソン(でなく子役)が肩に兄を載せて必死に立ち、脇でフォンダがせせら笑っているあの残酷なシーンなどを載せていた。ここでもモリコーネと言えば『ウエスタン』なのである。マエストロが見たら目をそむけたくなったかもしれない。ドイツを代表する全国紙のフランクフルター・アルゲマイネ紙さえそのシーンを第一面に出していたが、もう一つの全国紙、うちでとっている『南ドイツ新聞』ではさすがにブロンソンのカラー写真などは出さずにマエストロの写真だけだった。丁寧にその業績を掲げてあった。しかしいくつかの民放TV局が特別番組と称して放映したのはやっぱり『ウエスタン』だった。そのワンパターンさに私でさえ食傷していたところ、このブログでも時々言及したことのあるストラスブールに本拠のある独仏バイリンガルの公営放送局ARTE(つまりそこら辺の民放と比べるとずっと程度が高い放送局)が追悼番組として『夕陽のギャングたち』を流すと言ってきた。この選択はさすがだと思った。
 もっとも『夕陽のギャングたち』もレオーネの西部劇なので「たった8%」に入っていることには変わりがない。『荒野の用心棒』をいまだに心のモリコーネとしている私なんかはどうすればいいんだろう。

あまりにも有名な『ウエスタン』の鳥肌が立つほど素晴らしい決闘シーン。コメントを見るとモリコーネと聞いて『ウエスタン』を思い浮かべるのは決してドイツ人に限らないようだ。上で「食傷」と書いてしまったがワンパターンにこの映画を持ち出す人の気持ちもわかる。名作すぎるのだ。
 
 

 ツイッターやネットサイトの書き込みで多くの人が言っていた。「モリコーネ氏は91歳という高齢ではあった。でもそれでも亡くなったと聞くと大ショックだ」と。私もそうだ。『荒野の用心棒』から氏の音楽を聴いている。ただしこの曲を始めて聴いたのは映画の劇場公開時よりはやや遅れた時期で、映画を見ずにあのテーマ曲をどこかで何かの機会に耳にしてビックリしたのである。繰り返しになるが、私は音楽の素養は全くない。視覚人間である。しかしこれを聴いたとき私には曲が「見えた」のだ。あまり驚いたのでその時のことをまだ思えている。それ以来耳でなく目に訴えてきた音楽は聴いたことがない。とにかく物心がついたころからモリコーネの曲を聴いて育った、言い換えるとモリコーネの音楽を知らなかった頃の記憶がないわけだから、知り合いでも家族でも何でもないのにマエストロが精神生活の一部、人生の一部になってしまっていたことには変わりがない。私の年代の人にはそういう人が多いはずだ。「さようならマエストロ。いつまでも忘れない。本当にありがとう」で済ますことができないのである。いわば自分の精神生活の一部が死んでしまったからだ。CDがあるから曲を聴いて偲ぼうとかそういうレベルではない。「この曲を作った人が私と一緒の世界で生活している」という感覚で子供の頃から何十年もやってきた。「もうこの人はこの世にいないのだ」、急にそういう転換ができない。これを受け入れられるまでにまだ相当かかる。そういう(やや年をとった)人が少なくともルクセンブルクやアイスランドの総人口よりは数がいると私は思っている。

 その日スーパーに買い物に行ったとき、時々イタリア語を話しているのを聞いていた店員さんを見かけた。どうしても黙っていられなくなって「すみません。イタリアからいらっしゃったんですか?」と確認をとったらそうだというので、「作曲家のエンニオ・モリコーネを御存じでですか」と聞いてみた。すると即通じて「ああ、亡くなってしまいましたね。本当に残念です」と返ってきた。さらに向こうのほうがこんな東洋人のおばさんがエンニオ・モリコーネを知っていることに驚いた風で、「氏を御存じなんですか」と聞いてきた。知っているも何も、私がこうやってヨーロッパに居ついてしまった一因が氏のサウンドトラックである。私の他にも、というより私なんかまったく敵わないような筋金入りのファンが東洋の小国日本にはたくさんいるのだ。
 その次の日、今度はイタリアの知人からメールが来た。本件の用事はまったく別のことだったが、追伸で「モリコーネが亡くなったことを聞きましたか?」といってきた。肝心の本件は無視して「全く意気消沈しています」とすぐ返信した。
 
 そうやって人と話をしたり、ネットや新聞で追悼記事を読んだりしているうちに徐々にではあるが、氏が死去したという事実を受け入れられるようになってきた。しかしそうなってくると心に穴を開けられて動転し無感覚だったのが、だんだん悲しく寂しくなってきた。麻酔が解けて感覚が戻ってきたためだんだん痛くなってくる、あの感じである。しかも感覚が戻ってきたらショックのため忘れていたことを思い出してしまった。この文章の最初の最初に述べたアストゥリアス皇太子賞である。この賞の授与式は10月の終わりに行われるのだ。モリコーネの誕生日の直前である。6月に受賞が決まったとき担当者が打診したところ、モリコーネからは「歳で旅行するのはきついができるだけ式には出席するようにするから」という答えが返ってきていたそうだ。92歳の誕生日プレゼントになっていたはずなのに。授賞式には誰が行くのだろう。本当に残念で悔しくてならない。「事実を受け入れられない」がまたぶり返してしまった。

 マエストロの名前はラテン文学を確立したローマの詩人クイントゥス・エンニウスにちなんだのだろうが、芸術・文化界へに与えた影響は元祖のエンニウスに勝るとも劣るまい。まさにマエストロにふさわしい名前ではないだろうか。

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ウイルス、なかなか退散してくれませんねぇ… ちょっと油断してるとすぐクラスター来るし。困ったもんだ。

 クロアチア語では「2番目の」という意味と「他の」という意味に同じ単語を使う。drugiという言葉である。外国語では日本語では全く違う意味が一つの単語に統一されている例によく出会ってそのたびに驚くが(『67.暴力装置と赤方偏移』参照)、これもその一つだ。たとえばdrugi čovek は「他の人」、drugi dan は「二日目」と理解されるのが普通だが、それぞれ「第二の男」、「他の日」も表せる。文脈から判断するしかない。

 そこでよく考えてみたら、印欧語では1と2、特に1で序数が基数と全く関係のない形になっている、つまり序数が素直に基数から導き出されてはいない例がほとんどであることに思い当たった。「第一の」「第二の」がそれぞれ1と2とは全く別の単語になっているのだ。基数と序数が同語幹になるのはたいてい3番目以降で、2ですでに基数と序数が同源になっているドイツ語などはむしろ少数派だ。ちょっと比べてみると次のようになる。左が基数、右が序数。面倒なので男性形だけ掲げてある(サンスクリットは語幹のみ)。「2」で基数と序数が同じになっているものには下線を引いた。

英語
one - first
two - second
three - third

アイスランド語
einn - fyrsti
tvö - annar
þrír - þriðji

ドイツ語
eins - erster
zwei - zweiter
drei - dritter

フランス語
un - premier
deux - deuxième, second
trois -   troisième

スペイン語
uno - primero
dos - segundo
tres - tercero

ロシア語
один - первый
два - второй
три - тречий

ブルガリア語
един - първи
два - втори
три - трети

クロアチア語
jedan - prvi
dva - drugi
tri - treći

ラテン語
ūnus - prīmus
duo - secundus, alter
trēs - tertius

古典ギリシア語
εἷς (heîs) - πρῶτος (prôtos)
δύο (dýo) - δεύτερος (deúteros)
τρεῖς (treîs) - τρίτος (trítos)

サンスクリット
eka - prathama
dvi - dvitīya
tri - tṛtīya

ギリシャ語の「第二」に下線を引かなかったのは基数 δύο と序数 δεύτερος では確かに頭の子音は双方いっしょだが、後の母音が完全に違っているからである。それで後者は前者から派生したと言い切ることができない。δεύτεροςはδεύω (deúō) 「~に届かない、足りない」から来ているという説もあるそうだ。日本の印欧語学者高津春繁氏もこちらの説をとっている。このギリシャ語を除外すると、2の序数が基数から導き出されているのはドイツ語、フランス語、サンスクリットだ。しかしフランス語ではその deuxième の他に second という形もあってどちらも「第二」だが使う意味領域に微妙な違いがあるらしい。フランス語語源辞書の類には一発で書いてあるのだろうがちょっと手元にないので以下は私の単なる推測で失礼:ラテン語と同じ形であることからも、英語にこの形が持ち越されていることからもsecond の方が古い形であることは明らかだと思う。中世フランス語では second だけだったのではないだろうか。それがアングロノルマン語を通して英語に伝わったと考えると、大陸フランス語にdeuxièmeという形が発生したのは単純計算でイギリスでのヨーク王朝時代以降、15世紀以降ということになるが、話によるとプランタジネット王朝の時代の半ば、13世紀にはすでに大陸の古フランス語とアングロノルマン語の差が結構開いていたそうなので、その時期にすでに大陸では deuxième が発生していたのかもしれない。とにかく second の方が古い形だと考えざるを得ない。
 ドイツ語の「第二」zweiter、基数から直接導き出された序数については、14世紀以降の比較的新しい時代のものであることがわかっている(つまり私のいい加減な推測ではない)。オランダ語の「第二」も基数派生の tweede だが(基数の2は twee )、この語の発生は中期オランダ語時代、12世紀から16世紀にかけての時期だ。蘭独ともにそれ以前はクロアチア語などと同じく「第二」を「別の」「他の」で表していた。両言語とも andar または ander で、ゲルマン祖語の *anþeraz から来ている。アイスランド語でもついでにゴート語でも「第二」は「別の」、 それぞれ annar と anÞar である。つまり大陸の西ゲルマン語派とフランス語で基数派生の「第二」が発生した時期がある程度重なっていることになる。西ゲルマン語からフランス語へか、フランス語から西ゲルマン語へか、とにかくどちらかが借用訳(『119.ちょっと拝借』参照)したのではないだろうか。
 古い方の「第二」はラテン語 secundus が元で、これは sequor (「後に続く、従う」)という動詞から派生した形容詞である。印欧祖語形は *sekʷ-とされている。さらにそのラテン語には secundus の他に alter という言葉も「第二」を表すのに使われる。フランス語にも似たダブル単語状態だが、alterは alternative という英語を見てもわかるように「もう一つの」「他の」という意味である。もっともフランス語と違ってラテン語のふたつはどちらも基数の2とは関係がない。なお、形は似ているがラテン語の alter とゲルマン語の *anþeraz(とその派生形)は印欧祖語での語源が違う。
 ロシア語(とブルガリア語)の「第二」は古教会スラブ語では въторъ だが、これは印欧祖語の *(h₁)wi-tor-o-.「再びの」「さらなる」という語幹から来ているという説明があった。形はラテン語より離れているがこちらの方こそ*anþerazと同語源だそうだ。

 順序が前後するが、「第一」英語の first とラテン語の prīmus は形的に一見関係ないようだが実はどちらも印相祖語の語幹 *preh₂-から派生してきた語でもともと 「前の」という形容詞の最上級である。「最も前の」だ。ここから意味がさらに派生して、「すべての者より先に行く者→最も重要な者→一番偉い人」という具合に意味が進み、「長」とか「ボス」のを表すようにもなった。ドイツ語のFürst(「公爵」)はこの first と同源である。ロマンス語の p がゲルマン語では f になるのは、ラテン語のpater (「父」)が英語で  father になるのと同様、グリムの法則・第一次音韻推移の図式通り。とにかく現在の印欧語の「第一」はどいつもこいつもこの語源だが、まるでギャグのようにドイツ語だけは違う語源で、「第一」erster は「前の」 でなくもともと「早い・初期の」という形容詞の最上級だそうだ。他のゲルマン諸語に比べてもドイツ語は例外だ。オランダ語でも「第一」は 「前の」で vorst となっている 。

 このように少なくとも「第一」は基数派生でないのが(「第二」では基数派生のものが現れてくる)ヨーロッパの基本らしい。さらに見てみると;

アルバニア語
një - i pari
dy - i dyti
tre - i treti

ルーマニア語
unu - primul
dou - al doilea
trei - al treilea

非印欧語までがこの路線を踏襲している。

ハンガリー語
egy - első
kettő - második
három - harmadik

フィンランド語
yksi - ensimäinen
kaksi - toinen
kolme - kolmas

バスク語
bat - lehenengo
bi - bigarren
hiru - hirugarren

ハンガリー語の「第一」elsőは「前の」、「第二」másodikは「他の」という意味だそうだ。印欧語と全く同じパターンである。フィンランド語の「第一」も「この」とか「前の」、「次の」、「第二」toinen は「他の」だそうだ。みんなしてそこまで印欧語に付き合わなくてもよさそうなものだ。バスク語は2から基数派生だが、1の序数 lehenengo はやっぱり基数と全然違う形をしている。ただし語源は不明とのこと。

 そうやって非印欧語までが別語源となっている中で印欧語のくせに序数が1から基数派生の言語がある。ロマニ語(『50.ヨーロッパ最大の少数言語』参照)である。

ロマニ語
jekh - jekhto
duj - dujto
trin - tri(n)to

これがロマニ語の基本だが、場所によっては周りの言語から影響を受けている。例えばロシアのロマニ語では 「第一」は yekhitko(語尾が少し「基本」と違うが基数からの派生であることは明らかだ)の他にロシア語から取り入れたpervoという形、「第二」では duitko と並行して utoro という形も使われている。さらにオーストリアやドイツのロマニ語では「第一」を ersto または erschto といい、ドイツ語の erst からの借用である。「第二」からは dujto、 trinto と続き、基本通りだ。さすがのロマニ語も1では序数が揺れやすいということなのだろうが、思い出してみると日本語も1の序数に揺れがある感じだ。「1番目」の代わりに「最初の」という序数(?)が使われることが結構あるからだ。例えば第一子は普通「一番目の子」とは言わずに「最初の子」だし、「一番目の日から」とか「第一日目から」というより「最初の日からすでに…」という言い回しをすることの方が多い。さらに剣道や柔道の段も一段・弐段・参段と言わないで初段・弐段・参段という(何を隠そう、実は私は剣道参段を持っているのであった)。もしかしたら1の序数に別単語を使う現象は他の言語にも広く行き渡っているのかもしれない。調べてみると面白そうだ。


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大学図書館は閉まるわ、授業はオンラインになるわで外出もままならず、またしても一か月以上記事が書けませんでした。すみません。(←誰も待ってないから別にいいよ、書かなくて)。

  前にもちょっと書いたように(『70.セルジオ・レオーネ、ノーム・チョムスキーと黒澤明』参照)、マカロニウエスタンの前身はいわゆるサンダル映画である。ジュリアーノ・ジェンマで『続・荒野の一ドル銀貨』を取ったドゥッチョ・テッサリなどはその典型だが、そもそもセルジオ・レオーネも最初の作品はIl colosso di Rodi『ロード島の要塞』というB級史劇である。ただしレオーネ本人は「あれは新婚旅行の費用を捻出するために嫌々した仕事」と主張し、本当の意味での自分の最初の作品はあくまで『荒野の用心棒』だと言っているそうだ。コルブッチもサンダル映画を撮っているが、直接作品を作らなくても映画作りのノウハウなどは皆サンダル映画で学んだわけである。
 ではなぜ(B級)ギリシア・ローマ史劇を「サンダル映画」というのか。こちらの人ならすぐピーンと来るが、ひょっとしたら日本では来ない人がいるかもしれない。余計なお世話だったら申し訳ないがこれはギリシャ・ローマの兵士・戦士がサンダルを履いていたことで有名だからだ。もちろん今のつっかけ草履のようなチャチなものではなく、革ひもがついて足にフィットし、底には金属の鋲が打ってあるゴツイ「軍靴」であった。もちろん戦士だけでなく一般市民も軽いバージョンのサンダルを履いていたのでサンダルと聞くと自動的にギリシャ・ローマと連想が行くのである。日本で仮に「ちょんまげ映画」といえば皆時代劇の事だと理解できるようなものだ。さらに時代劇と言わないでちょんまげ映画というとなんとなくB級感が漂う名称となるのと同様、「ギリシャ・ローマ史劇」ならぬ「サンダル映画」の範疇からは『ベン・ハー』だろ『クレオパトラ』などの大作は除外され、残るはB級史劇ということになる。
 映画産業の中心がまずそのサンダル映画からマカロニウエスタンに移行し、その後さらにドタバタ喜劇になって沈没していった流れもやっぱり前に書いたが(『69.ピエール・ブリース追悼』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』参照)、もう一つマカロニウエスタンからの流れ込み先がある。いわゆるジャッロというジャンル、1970年ごろからイタリアで盛んに作られたB級スリラー・ホラー映画だ。後にジャッロの監督として有名になった人にはマカロニウエスタンを手掛けた人が何人もいる。俳優も被っている。
 「ジャッロ」gialloというのはイタリア語で「黄色」という意味だが、これはスリラー小説の事をイタリア語で「黄色い文学」 letteratura giallaというからだ。なぜ黄色い文学かというと1929年から発行されていた安いスリラーのパルプノベルのシリーズが「黄色いモンダドーリ」Il Giallo Mondadoriといい、これが(安い)スリラー小説や犯罪小説、ひいては映画の意味に転用されたからだ。驚いたことに(驚くのは失礼かもしれないが)、このパルプノベルはまだ発行され続けている。

黄色い表紙のジャッロ文学。http://textalia.eu/tag/italiaanse-detectives/から。
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 映画としてのジャッロは1963年にマリオ・バーヴァが撮った『知りすぎた少女 』 La ragazza che sapeva troppoに始まるとされている。レオーネがマカロニウエスタンというジャンルを確立したのが1964年だから、ジャンルとしての発生はジャッロの方が早いことになるが、最盛期はマカロニウエスタンより少し遅く1970年代になってから。80年代になってもまだ十分続いていたので、1974年の『ミスター・ノーボディ』が「ある意味では最後の作品」と言われるマカロニウエスタンから人がジャッロに流れ込んだのだ。
 ジャッロのことはあまり詳しくない私でも知っているこのジャンルの監督といえば、まずジャンルの確立者マリオ・バーヴァ、それから『サスペリア』のダリオ・アルジェント、ゾンビ映画のルチオ・フルチ、ジュリオ・クエスティといったところだろうが、実はこの人たちは皆マカロニウエスタンも撮っている。特にジュリオ・クエスティは私はマカロニウエスタンでしか知らず、ジャッロも撮っていたと知ったのは後からだ。そのクエスティのジャッロ『殺しを呼ぶ卵』という作品は実はまだ見ていないがジャン・ルイ・トランティニャンが出ているそうだ。これもマカロニウエスタンとジャッロの俳優が被っている例であろう。クエスティのマカロニウエスタン『情け無用のジャンゴ』は最もエグいマカロニウエスタンとされ(『19.アダルト映画の話』参照)、ネイティブ・アメリカンの登場人物が差別主義者の白人たちに頭の皮を剥がれて血まみれになるシーンがあったりして、一回見たら私にはもう十分。残酷描写が凄いと騒がれているコルブッチの映画でさえ何回も見たくなるジャンルファンにさえキツかったのだから、その監督がジャッロを作るとどういう映画になるかは大体察しが付く。『殺しを呼ぶ卵』を見た人がいたらちょっと感想を聞かせてもらいたい。

 さてマリオ・バーヴァだ。この監督の作品はSFというかホラーというか、どっちにしろB級のTerrore nello Spazio(「宇宙のテロ」、ドイツ語タイトルPlanet der Vampire「吸血鬼の惑星」)と「ひょっとしたらこれでスーパーマンに対抗している気でいるのか?」と愕然とする多分アクション映画の(つもりの)Diabolik(ドイツ語タイトルGefahr: Diabolik!「危険:ディアボリック!」)という映画を見たことがある。肝心の『知りすぎた少女』を見ていないのでその点では何とも言えないが、この人はやたらと血しぶきを飛ばしエグイ画面で攻めるのではなく、心理的な怖さでジワジワ来させるタイプなのかなとは思った。映画そのものがB級だったので実際にはあまりジワジワ来なかったが。
 そのバーヴァは3本西部劇を撮っているが、ジャンルそのものがすでにB級映画扱いされている(繰り返すがレオーネやソリーマなどはレベル的には代表などではない、むしろ例外である。『86.3人目のセルジオ』『91.Quién sabe?』参照)マカロニウエスタンをレベルの基準にしてもどれも駄作と言われる出来だ。つまり普通の映画を基準にすると、超駄作ということになる。1964年のLa strada per Fort Alamo(「アラモ砦への道」、ドイツ語タイトルDer Ritt nach Alamo「アラモへ行く」)、1966年のRingo del Nebraska(「ネブラスカのリンゴ」、ドイツ語タイトルNebraska-Jim「ネブラスカ・ジム」)、1970年のRoy Colt & Winchester Jack(『ロイ・コルト&ウィンチェスター・ジャック』、ドイツ語タイトルDrei Halunken und ein Halleluja「悪党二人にハレルヤ一つ」)がそれだが、ユーチューブで探したら映画全編見られるようになっていたので驚いた。もっとも映画の質にふさわしく画像が悪いのと、音声もイタリア語にポーランド語の字幕がついていたりしてとっつきようがなくどうも見る気がしない。探せば英語音声もあるかもしれないがわざわざ探す気にもなれない。それでもちょっと覗いた限りではLa strada per Fort Alamoに『復讐のガンマン』のGérard Herter(この名前もジェラール・エルテールと読むのかゲラルト・ヘルターと言ったらいいのかいまだにわからない)、Roy Colt & Winchester Jackには主役として『野獣暁に死す』のブレット・ハルゼイが出ているのが面白かった。面白くないが。さらにRingo del Nebraskaにはアルド・サンブレルが出ているそうだが、もうどうでもよくなってきたので私は確認していない。ところがさらに検索してみたら3本ともDVDが出ているのでさらに驚いた。しかもなんとマカロニウエスタンを多く手掛けている超大手の版元Koch Mediaから出ている。このKoch Mediaというドイツの会社はジャンルファンの間では結構名を知られていて、変な比較だが言語学をやっている者なら誰でも「くろしお出版」を知っているようなものだ。こんな映画のDVDがあるわけがないと始めからタダ見を決め込んでユーチューブに探りを入れた私は恥を知りなさい。
 それにしてもLa strada per Fort Alamoは公開が1964年の10月24日、『荒野の用心棒』が1964年9月12日だから、ほとんど同時だ。『荒野の用心棒』のクソ当たりをみてからわずか一ヵ月余りでじゃあ俺もと西部劇を作ったとは思えないから(それとも?)La strada per Fort Alamoはレオーネの影響を受けずに作られたと考えたほうがよさそうだ。だから駄作なのかとも思うが後続の2作も皆駄作である。次のRingo del Nebraskaはクレジットでは監督Antonio Románとなっていて、バーヴァの名前は出ていない。「この映画はバーヴァも監督を担当した」というのは「そういう話」なのだそうだ。このいいかげんさがまさにマカロニウエスタンである。

驚いたことにバーヴァの最初の2作は大手のKoch Mediaから焼き直しDVDが出ている。
KochalamoNebraskadvd

『ロイ・コルト』は他の作品とまとめられて「マカロニウエスタン作品集Vol.1」にブルー・レイで収録されている。これもKoch Mediaである。
kochmedia

古いDVDもある。
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 バーヴァよりはダリオ・アルジェントの方がジャンルに貢献している。ただしアルジェントは監督としては一本も撮っていない。脚本を何本か書いているのだ。『野獣暁に死す』(『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』参照)と『傷だらけの用心棒』(『48.傷だらけの用心棒と殺しが静かにやって来る』参照)の脚本はこの人の手によるものである。後者は本脚本(?)はClaude Desaillyによるフランス語でアルジェントはイタリア語の脚本を担当したのだが、気のせいかこの映画にはあまりストーリーとは関係のないホラーシーンがある。主人公のミシェル・メルシエが血まみれの兎の首を出刃包丁(違)で叩き切るシーンだ。この映画はそもそも雰囲気がやたらと暗いが、そこにさらにこんな気色悪いものを出さなくてもよかろうにと思った。この血まみれ兎はアルジェントの差し金かもしれない。

ミシェル・メルシエが出刃包丁(違)を振りおろすと
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血まみれの兎の首がコロリと落ちる。
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こちらジャッロ『サスペリア』の包丁シーン
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『野獣暁に死す』の脚本はアルジェント一人の手によるもの。あまりスプラッターな部分がないが、監督が違うからだろう。チェルヴィ監督はそういう点では抑え気味。ラスト近くに敵が森の中で首つりになるシーンが出てきてそれがレオーネなどより「高度」があるのと、ウィリアム・ベルガーが相手の喉元を掻き切るシーンがあるが、掻き切られたはずの喉笛から血が吹き出さない。もしアルジェント本人が監督をやっていればどちらのシーンも血まみれですさまじいことになっていたはずだ。また『傷だらけの用心棒』もそうだが『野獣暁に死す』も特に上述の森の中の人間狩りの場面など全体的に妙な怪しい美しさが漂っている。もっともこれも「脚本アルジェント」と聞いたからそういう気がするだけかもしれないがなんとなくジャッロ的ではある。

『野獣暁に死す』では陰気な森の中で敵が首つりにされるが、監督が違うせいか『サスペリア』ほどエグくない。
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こちら『サスペリア』。エグいはエグいが血の色がちょっと不自然に赤すぎないだろうかこれ?
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ウィリアム・ベルガーが敵の喉笛を掻き切るが(上)、掻き切られた後も血が出ていない(下)。
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『野獣暁に死す』のラスト森の光景はちょっとおどろおどろしくてジャッロにも使えそう。
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 もう一つアルジェントが手掛けた大物マカロニウエスタンは丹波哲郎の出る『五人の軍隊』(1969年、原題 Un esercito di cinque uomini、ドイツ語タイトルDie fünf Gefürchteten「恐れられた五人」)で、私はまだ見ていないのだが、評その他をみると『野獣暁に死す』、『傷だらけの用心棒』とともにマカロニウエスタンの平均は超えている出来のようだ。しかし「アルジェントは(脚)本が書ける」ことを序実に証明しているのは何と言っても『ウェスタン』だろう。これは「平均を超えている」どころではない、マカロニウエスタンの例外中の例外、普通の映画を基準にしても大作・名作として勘定される超有名作品だ。あまりに名作なので、『ウエスタン』はマカロニウエスタンの範疇に入れていないと言っていた人がいた。失礼な。ただしこれは共同脚本で、アルジェントの他にあのセルジオ・ドナーティやベルナルド・ベルトルッチが一緒に仕事をしている。すごいオールスターメンバーだ。

 ルチオ・フルチはバーヴァと同じく監督としてマカロニウエスタンを5本(あるいは3本。下記参照)作っている。その最初の作品がフランコ・ネロで撮った『真昼の用心棒』Le colt cantarono la morte e fu... tempo di massacro(1966年、ドイツ語タイトルDjango – Sein Gesangbuch war der Colt「ジャンゴ-その歌集はコルトだった」)、いわゆるジャンゴ映画の一つである。フランコ・ネロを主役に据え、ジョージ・ヒルトンをマカロニウエスタンにデビューさせた古典作品だ。オープニングにしてからが人が犬に噛み殺されて川が血に染まるというシーンだから後は推して知るべし。典型的なジャンル初期の作風である。DVDやブルーレイも嫌というほど種類が出ている。

ジョージ・ヒルトン(左)は『真昼の用心棒』がマカロニウエスタン一作目。このあとスターとなった。
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 その後何年か間をおいて1973年にZanna Bianca(邦題『白い牙』、ドイツ語タイトルJack London: Wolfsblut「ジャック・ロンドンの狼の血」)、1974年にその続編Il Ritorno di Zanna Bianca (邦題『名犬ホワイト 大雪原の死闘』、ドイツ語タイトルDie Teufelsschlucht der wilden Wölfe「野生の狼の悪魔の谷」)という西部劇を撮っている。しかしこの二つはジャック・ロンドンの小説『白牙』をもとにしていて西部劇というより家族もの・冒険ものだそうだ。確かにフランコ・ネロは出ているし、たとえば『裏切りの荒野』(『52.ジャンゴという名前』参照)などはメリメのカルメンからストーリーを持ってきているから、文学作品をもとにした映画はマカロニウエスタンとは呼べないとは一概には言えないが、この2作はマカロニウエスタンの範疇からは除外してもいいのではないだろうか。
 次の、ファビオ・テスティが主役を演じた I Quattro dell'apocalisse (1975年、「4人組 終末の道行」、邦題『荒野の処刑』、ドイツ語タイトルVerdammt zu leben – verdammt zu sterben「生きるも地獄、死ぬも地獄」)はタイトルから期待したほどは(するな)スプラッターでなかったが、人がナイフで皮を剥がれたり女性が強姦されたり(どちらも暴行するのはトマス・ミリアン!)、挙句は人肉を食べてしまったりするシーンがあるから明らかに「猟奇」の要素が入り込んできていて同じ残酷でも『真昼の用心棒』を含む60年代の古典的マカロニウエスタンとははっきりとスタイルを異にしている。いや、そのたった一年前に作られた『ミスター・ノーボディ』とさえ全然違う。『ミスター・ノーボディ』はスタイルの点でもモティーフの上からも古典的な作品でサンダル映画さえ引きずっている(『12.ミスター・ノーボディ』参照)からだ。また『荒野の処刑』は妊娠した女性が大きな役割を持ってくるあたりエンツォ・カステラーリがフランコ・ネロで撮った後期マカロニKeoma(1976年、邦題「ケオマ ザ・リベンジャー」)あたりとつながっている感じだ。

I Quattro dell'apocalisse では最初に颯爽と出てきた主役のファビオ・テスティが
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しまいにはこういう姿になる。
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 続くフルチ最後の西部劇、1978年のSella d'argento (「銀のサドル」、邦題『シルバー・サドル  新・復讐の用心棒』、ドイツ語タイトルSilbersattel「銀のサドル」)はスタイル的にもモティーフ的にもストーリー的にもマカロニウエスタンの古典路線に逆戻りしていて私はこちらの方が好きである。ちょっとユーモラスなシーンもある。やたらと撃ち合いになり人がやたらと血まみれで死ぬは死ぬが、全体的にはむしろソフトというか静かな雰囲気。主役がジュリアーノ・ジェンマだからかもしれない。この人では猟奇路線は撮りにくかろう。それにしても「シルバー・サドル」などという邦題をつけてしまうとまるで老人用の鞍のようでまずいと思う。もっとも原題にしてもどうしてここで急に銀が出てくるのか。ジュリアーノ・ジェンマがそういう鞍に乗っているから綽名としてついているのだがどうして黒い鞍でもなく象牙のグリップでもなく銀の鞍なのか。ひょっとしたらこの「銀」argentoという単語は暗にダリオ・アルジェントのことを指しているのではないだろうか(考えすぎだ)。いずれにせよフルチがゾンビ映画『サンゲリア』を撮ったのは「アルジェントの鞍」の翌年、1979年だ。つまりフルチはマカロニウエスタンというジャンルがすでに廃れだしすでにジャッロが勃興していた時期にもまだ西部劇に留まっていたことになる。その後でマカロニウエスタンですでに「練習」してあった絵、例えば血まみれの穴の開いた頭部の映像などをジャッロに持ち込んだのかもしれない。その意味でやっぱりジャッロはマカロニウエスタンの後裔である。

ルチオ・フルチ監督のSella d'argento の主役はジュリアーノ・ジェンマと…
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…「アルジェントのサドル」(左)。
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(こちらはコロナウイルスで大変なことになってしまい、毎日ジョンズ・ホプキンズ大のサイトに張り付いているうちに気がついたら前回の更新から一ヵ月もたっていました…)

 地球に生息する生物についてIUCN国際自然保護連合がレッドリストを作って絶滅の危険の度合いをExtinct (EX) 「絶滅」、Extinct in the Wild (EW)「野生絶滅」、Critically Endangered (CR) 「深刻な危機」、Endangered (EN) 「危機」、Vulnerable (VU) 「危急」、Near Threatened (NT) 「準絶滅危惧」、Least Concern (LC) 「低懸念」に7つの段階に分けているが、それと同じようにUNESCOが消滅危機言語というリストを作っている。使用人口が少なく、話者が誰もいなくなってしまいそうな言語が世界にはたくさんあり、こちらはその危機の度合いを6段階に分けている。Extinct「消滅」、Critically Endangered「深刻な危険」、Severely Endangered「重大な危険」、Definitely Endangered「明らかな危険 」、Vulnerable「脆弱」、Safe「安全」の6つだ。生物の場合とほとんど同じような段階分けをしているが、まず「絶滅」という言葉は言語には使えないのでExtinct という英語では同じになる単語が生物では「絶滅」、言語だと「消滅」となる。もう一つ、言語に関しては当然Extinct とExtinct in the Wild がないので一つ減って6段階だ。
 ここで話題にしたことがある言語もしっかりこのリストに載っている。例えばネズ・パース語は「深刻な危険」、ロマニ語、ソルブ語、南ユトランド語は「明らかな危険 」、フリースランド諸語は「重大な危険」。それに対して心配していたセルビア語トルラク方言(『18.バルカン言語連合』参照)は「脆弱」で済んでいる。ブルシャスキー語もバスク語も「脆弱」。アンダマン語やヘレロの言葉はリストに見当たらない。特にアンダマン語などは相当な危機にあるはず(下記参照)だが、データが不足で評価できないということなのだろうか。ヘレロも決して話者は多くないはずだが、まさか「安全圏」ということなのだろうか?カタロニア語がリストには入ってこないのは「安全」とみなされているからだろうとは思うが。日本の言語ではアイヌ語がまだ「深刻な危機」で止まっている。ということはかろうじて話者がいるのだろうが、これを「消滅」まで進ませないのが文化国家日本の義務だと思う。また琉球語の国頭方言、宮古方言、沖縄方言が「明らかな危険」、八重山方言、与那国方言が「重大な危険」状態にある。
 
 生物の場合と用語が重なっているところが印欧比較言語学、つまり一般言語学の誕生のプロセスを髣髴とさせる。サンスクリットやヒッタイト語とラテン語・ギリシャ語などの類似が見つかって「印欧語」という観念が生まれそれが言語学に発展していった当時、ダーウィンの進化論に強く影響されたからだ。「系統」、「種」という概念である。そもそも当時の印欧語学の目標が「種の起原」ならぬ「印欧祖語」の姿を知ることであった。そこで赤線を超えて優劣を言い出す人が一部にいたのは前に述べたとおりである。印欧語のような屈折語は日本語のような膠着語に比べて「進化した」言語であるという類の主張をする人たちだ。言語を話者から全く切り離して生命体の一種とみなしたり、「祖語」という言葉が本来比喩であることを忘れて本気で言語と生物を同一視しだすといろいろ誤解を引き起こす。見えるものも見えなくなる懼れがある。例えば「絶滅」と「消滅」の決定的違いである。生物種が絶滅するというのはその種に属する個体が物理的に全くいなくなるということだが、言語の消滅の方はそうズバリとはいかない。まず「当該言語の話者・ネイティブ・スピーカー」そのものに段階があるからだ。

 もちろんある言語共同体に属している人間を一気に皆殺しにすれば言語も亡ぶ。そういうことは有史以前にはあっただろうし、20世紀に入ってもナチスドイツなどが試みた。それまではヨーロッパで強力な言語のひとつであったイディッシュ語が壊滅的な打撃を受けたのはナチスのホロコーストのせいである。
 しかし言語の消滅は話者をいきなり皆殺しにしなくても起こる。話者はいても言語は滅びうるからだ。いわゆる「言語転換」という現象である(下記)。この言語転換は決して一気には進まない。個人内部の言語転換もそうだが、言語共同体全体が言語転換してしまうにはさらに時間がかかる。長い間話者も存在し続けるから最初のうちは当該言語も話者の頭の中に潜在的に残る。しかし話者はもうその言語をアクティブに使うことができなくなる。パッシブな言語能力、つまり「聞いてわかる」能力は話す力より長く残ることが多いがやがて聞いても理解できなくなる。こうなると言語学者が当該言語を記述したくても(すでに話者とはいえない)話者が発話することができないので記録も何もできない。いわば言語が話者の中で死ぬのだ。
 もちろんこういう言語状態なら当該言語はまだ(わずかでも)覚えている人がいるということで「まだ消滅していない」と判断され、脳死というか「深刻な危険」の範疇にいれられる。そしてその最後の話者が亡くなった時点で正式に言語の消滅宣言をしたりする。実際今までに消滅してしまった言語で最後の話者の名前が記録に残っていることが少なくない。例えば『108.マッチポンプの悲劇』で言及した大アンダマン語だが、そのうちの方言の一つボ語は2010年に最後の話者Boa Srさんが亡くなって消滅したそうだ。『マッチポンプ』の項で参照した資料にはBoaSrさんとみられる人の写真も載っていたが、その後この言語がどうなったかについては説明がなかったので知らないでいた。本当に残念だ。
 またアイルランドと大ブリテン島の間にあるケルト語系のマン島語も最後のネイティブ・スピーカーとしてNed Maddrellという名前が記録されている。言語学者たちが1972年8月17日に氏をインフォーマントとしてマン島語の記述を行ったがその時氏は94歳だった。1973年にその言語学者の一人が再びMaddrell氏を訪れて調査しようとしたが、氏はすでに耳が聞こえず、調査が成り立たなかったという。1974年の12月27日に亡くなった。このMaddrell氏は完全に流暢なマン島語を話せた最後の人だったばかりではない、マン島語のモノリンガル状態を経験している(多分)唯一の人であった。他のマン島語話者は英語とのバイリンガル環境しか知らず、最初から英語が圧倒的に優勢言語である人ばかりだが、Maddrell氏は2歳か2歳半くらいのときほとんど英語の話せない年取ったおばさんのところに預けられて育っている。
 もう一人、Ewan Christianという話者の名前が記録されている。この人も1972年にインフォーマントとなったが、Maddrell氏とこのChristian氏がまだ母語が固まらないうちにマン島語に触れた最後の生き残りだ。ただし後者のマン島語はつっかえつっかえになることがあり、文法もあやしかったそうだ。5歳の時いっしょの通りに住んでいた二人のマン島語ネイティブから言葉を教わり、その後も周辺にいた話者から言語を吸収したが、生活言語は英語だったし、それにマン島語を教わったときすでに5歳だった。つまり習い方も不完全だったうえ使用する機会もあまりなかったため、セミ・スピーカーにとどまったのだ。Christian氏はMaddrell氏よりずっと若く、言語調査当時65歳、1978年に再びインフォーマントになっている。1985年初めに78歳で亡くなった。
 関係ないがここでマン島語調査をした「言語学者たち」の一人は『51.無視された大発見』『17.言語の股裂き』でも言及した私の学位取得時の口頭試問の試験官である。

 これらの例を見てもわかるように言語の消滅宣言は動物の場合の「当該種」にあたる「当該言語の母語者」に幅があるから難しい。例えばDresslerという学者は母語者に5段階あるとしている:1.健全な話者Healthy speakers、2.やや脆弱な話者Weaker speakers。名詞の語形変化などが簡略化の傾向、語彙も減少している。3.前最終段階の話者Preterminal speakers。語形パラダイムの縮小と一般化が起こる。4.最終段階前期の話者Better terminal speakers。縮小と一般化がさらに進む。5.最終段階後期の話者Worse terminal speakers。語彙は極めて減少し、語形の縮小も著しい。
 この最終段階の母語者が後からみつかったりすることもある。さらにマン島語の場合もそうだが、言語の記述や調査がある程度進んでいると母語者がいなくなっても再生の試みが可能である。そのためかマン島語はまだ絶滅宣言を受けていない。ステータスは「深刻な危険」である。上で「最後の話者が亡くなった時点で正式に言語の消滅宣言をしたりする」と変な書き方をしたのもそういうことを考慮したためだ。
 もう一つ「絶滅」と違う点は、話者全員がいっぺんに一人残らず死に絶える場合は別として(それなら確かに話者の「絶滅」である)、言語が「消滅」するときは通過点として必ず話者がバイリンガル状態になるということだ。生物は別に他の種に押されなくてもエサがなくなったり気候が変わったりすれば自分たちだけで勝手に(?)死に絶えることもあるが、言語が消滅するには必ず他の言語が入ってこなければいけない。人間はなにがしかの言語を話さずにはいられないからだ。言語が消滅はイコール言語転換と述べたのはそのためで、母語者が当該言語で上の5段階の階段を下るにつれ、もう一方の言語能力は逆に高まっていっているのである。
 構成員が全員モノリンガルだった当該言語共同体が別の言語共同体と接触する。双方の言語共同体の政治的、文化的、あるいは軍事的な力が拮抗し、人口にも特に差がなければ接触は一部の通訳・翻訳家を通じて行われるのでその他大勢はそれぞれの言語のモノリンガルで生活に何ら支障がない。そもそもその通訳にしてももう一方の言語は後から習っただけだから、モノリンガルであることには変わりがないのである。またバイリンガルになるにしてもどちらか一方の言語が圧倒的に優勢ということはない。もちろん個人レベルでは言語Aと言語BとのバイリンガルでAが優勢という人がいるだろうが、その代わりもう一方の言語共同体にはBが優勢のバイリンガルがいるのだから、全体としてはどちらの言語が優勢ということはなく、まあバランスがとれているわけだ。ところが一方の言語共同体がもう一方より圧倒的に強力だったり一方が他方を政治的に支配したりするとこのバランスが崩れだす。最初の段階として、言語Aの共同体には1.Aのモノリンガル、2.A・BのバイリンガルでAが優勢、3.A・Bの優勢無しバイリンガル、4.A・BのバイリンガルでBが優勢というグループがいる一方でB共同体には1にあたるBのモノリンガルがいなくなり、全員Aとのバイリンガルになる。次の段階は2にあたる構成員がBの共同体から消える。B言語の共同体にいるくせにBの方がAよりずっと楽に話せるという人がいなくなるのだ。さらに度が進むとBの共同体から3が消える。B共同体の構成員全体がBよりAが得意という状態だ。この辺になるとB共同体に「Aのモノリンガル」が発生しだす。そうなるとBはもう共同体のコミュニケーション言語としての機能は果たしにくい。社会生活は全部Aで済ますようになり、B言語の方は(一部の)構成員の頭の中に思い出というか痕跡として残っているだけで、しかも使わないからドンドン虫が食ったりさび付いてきたりする。そしてふと気づいてみると自分の他には誰もBを知っているものがいない。なぜ「ふと」かというと、コミュニケーションや社会生活はAのみで何の不都合もなく、Bなど使わないから言語Bがなくなったことなど普段目に入らないからだ。とにかく言語共同体の全員がバイリンガルになったら黄信号が灯ったとみていい。言語学者が当該言語のモノリンガル話者の存在を重要視するのはそういう理由である。
 ただ、念のため言っておくが、このバイリンガルというのは「母語」が二つあるということで(『44.母語の重み』参照)、学校で習った外国語などというのは全くこの範疇に入らない。その意味で日本人がいくら英語を勉強してもモノリンガルであることには変わりがないから、安心して外国語の学習をしていい。というより日本人はもうちょっと外国語をやったほうがいいのではないだろうか。時々バイリンガルという言葉をトンチンカンな意味に誤解している人がいるので蛇足とは思うが念のため。

 この言語の消滅という現象が言語学の一分野として確立されたのは比較的最近だそうで、以前は単発に研究が行われていた。私の印象では1990年ごろから少数言語とか消滅言語とかの用語をさかんに聞くようになった感じだ(私にとっては1990年は立派に最近なのである)。
 例えばSasseという学者は以下の3つのタイプの要因をベースにして言語消滅の過程をモデル化した。
1.言語外状況External Setting(ES):言語共同体にプレッシャーを与えて当該言語を放棄させる方向に持って行く文化、社会、民族、経済的な要因。これが言語消滅への最初のきっかけを作る。
2.話者の言語行動パターンSpeech ehaviour (SB):言語共同体の中で話者がどの言語を使うか、またその言語で文体、どんな言葉使いを状況によって使い分けるのか、使い分けられるのか、ということ。
3.言語構造への影響 (Structural Conseqzuence (SC):言語の形自体が被る変化。語形変化が簡略化したり(simplication)、以前はできた表現が構造的にできなくなったりする(reduction)。変化は言語のあらゆるレベル、音韻、形態、シンタクス、語彙面で起こる。
 Sasseは、ESが最初のきっかけとなって両言語のバランスが崩れてSBが変わり、SBが変われば当該言語が使われる場面が減り(つまりその言語がAbandoned language AL「放棄言語」になり)、使う機会が減れば文法構造は単純化し語彙も減ってしまう、そして最終的に言語の死に至る、言い換えるとES→SB→SCの順に言語転換・ALの消滅が進むのが全体としての傾向だとしている。もちろんその途中に小さなフィードバック現象もある。表現の可能性が減れば益々その言語を使わなくなるというSC→SBという方向のプロセスなどだ。
 そうやって優勢言語が転換していく中で、まず人が生まれて最初に取得する言語Primary Language PLが当該言語ALからもう一方の言語にかわる。逆から言うともう一方の言語(Target language TL)は最初第二の母語secondary Language SLであったのがPLになる。そしてTLがドンドン優勢になっていき、ある時点で話者がALを後続世代に伝えなくなったらそこでアウトだ。残った母語者は誰ともALで話す機会がないから、その言語は母語者の中で死んでいく。事実、最後のネイティブ・スピーカーのマン島語にはすでにそれ以前に記録されたマン島語と比較して構造上の簡略化が見られたそうだ。伝えられたマン島語そのものがそこに来るまでにすでに弱まっていた、言語の内部崩壊はすでに始まっていたのだ。さらにそのMaddrell氏はマン島語モノリンガル生活を経験したといってもすでにそれ以前に英語には触れていた。PLは英語でマン島語はSLだったのだ。氏は調査の時言語学者に「昔英語と同じくらいよくマン島語をしゃべれた頃のことをまだ覚えています。でも外に出てってからは使う機会もなかったし、マン島語を聞くこともなかったからもう忘れてしまいました。でもこうやってみるとまた思い出してきたからできるだけ話してみますが、どうも思うようにはねえ…」とマン島語で語っていたそうだ。

 こうやって見ていくと、どの時点をもって当該言語の消滅というのかということ自体がすでに難しい課題であることがわかる。話者の死、つまり人間の死と言語の死が必ずしも一致していないからだ(『54.言語学者とヒューマニズム』参照)。ネイティブの話す当該言語が「健全」ではなくなった時点で消滅宣言か、それとも最後の母語者が亡くなったときか。一度コミュニケーションとして使われなくなった言語が復活する場合があるが(ヘブライ語など)、そういう場合死者が生き返ったと考えるべきか、当該言語は実は一度も死んでいなかったというべきか。独立言語と方言との区別同様(『111.方言か独立言語か』参照)、死語か死語でないかの区別も割とケース・バイ・ケースなのである。ただ上のSasseは、日常のコミュニケーションで使われなくなった時点でその言語は死語だとしている。しかしその「日常のコミュニケーション」という観念自体にまた段階というか幅があるからとにかくスッパリ何年何月何時何分に消滅、と宣言することはできない。

Broderickはマン島語の消滅を図式化するのにSasseのモデルを使っている。コピーのそのまたコピーですみません。(私の書き込みがある上ファイルの閉じ穴があいてますね…)
Broderick, George. 1999. Language death in the Isle of Man. Tübingen:p.11から

Sasse


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