アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

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 ドイツはクリスマス時から正月にかけてTVによくマカロニウエスタンが流れてくる。どういう神経なのかよくわからない部分はあるが、大抵テレンス・ヒルとバッド・スペンサーのコメディ路線映画なのでまあ「クリスマスは家族で楽しく」という方針なのだろう。もっともドサクサに紛れて時々レオーネやコルブッチも出てきたりするが。例えば今年2026年の正月から2日にかけての深夜にさる公営放送局で『殺しが静かにやって来る』をやっていた。私個人はこの作品はマカロニウエスタンの最高峰の一つだとは思っているが、絶対正月に流したりしてはいけない。新年早々こんなのを見たらその年一年間ドツボりそうだ。
 というわけで私は見なかったが(私はモリコーネレベルに早寝早起きなので深夜放送と言うのはそもそも超苦手なのである)、その代わりと言っていいのか、何だかまたちょっと見たくなったので昼間にジュリオ・ペトローニの映画を2本連続で見ていた。『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』Da uomo a uomo と『復讐無頼・狼たちの荒野』Tepepa である。この2つはペトローニの代表作と言っていいと思う。ストーリーや作品の雰囲気は全然違うが復讐をモチーフにしている点だけは共通している。もっとも「復讐」はそもそもほぼ全てのマカロニウエスタン作品に共通するテーマなので当たり前と言えばあまりにも当たり前だが。
 『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(Da uomo a uomo、1967)は見ているとどうもトニーノ・ヴァレリの『怒りの荒野』(I giorni dell'ira、1967)(『193.トニーノ・ヴァレリの西部劇』参照)と比べてしまう。それこそ共通点が多いからだ。どちらも若いガンマンと中年のガンマンの話で、どちらも中年の方をリー・バン・クリーフが演じている。若者の方は前者がジョン・フィリップ・ロー、後者がジュリアーノ・ジェンマで、つまり双方イケメンで売っている俳優だ。そのイケメンの若者が復讐に燃えている。 フィリップ・ローは家族を皆殺しにされた恨みを、ジェンマの方は自分を蔑んでいる町の人たちに対して(下記)。若者が燃えているのに対して中年の方はあまりカッカしていない。『新・夕陽のガンマン』のリー・バン・クリーフは別の個人的理由でフィリップ・ローと同じ人物(4人いる)への復讐を狙っているがあくまで冷静、『怒りの荒野』のオッサン(だんだん呼び方が雑になる)は復讐ではなく町を掌握してボスに収まろうという冷たい目的のために淡々とジェンマをたぶらかすというやっぱり冷静な人である。
 もっとも結末は正反対で、『怒りの荒野』ではジェンマが下剋上(違)でリー・バン・クリーフを倒すが、『新夕陽』は友情が本物へと昇華する。私は後者の方が好きだ。ジュリアーノ・ジェンマは今見るとどうも「毒」が足りない。もっともそこがジェンマのいい点なのだろうが、リー・バン・クリーフはただつっ立っているだけで雰囲気がある。バッド・スペンサーやテレンス・ヒルも何も始めない前から「待ってました」と声をかけたくなる。ジョン・フィリップ・ローも童顔なのに(?)イケメンで、決して名優とは言えないだろうが時々シブい表情をすると思った。ジェンマにはいま一つこれがない気がする。しかし繰り返すがもちろん氏はカッコいいし映画もちゃんと面白い。
 さて『新夕陽…』の脚本はルチアーノ・ヴィンチェンツォーニである。レオーネの『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』を担当した人だ。何かのインタビューで話していたが、レオーネは両親が年を取ってからの一人っ子だったので兄弟とか男同士の友情に憧れていたんだそうだ。西部劇で描きたかったのもそれだと自分で言っていた。『夕陽のガンマン』などまさにその路線。ヴィンチェンツォーニがレオーネの注文でそういうストーリーの脚本を書いたのか、それともヴィンチェンツォーニはそういう男同士の友情を描くのが上手いとレオーネが知っていたから氏に白羽の矢を立てたのかわからないが、とにかくレオーネだけでなくペトローニ監督の『新・夕陽…』も若者とその父親くらいの年齢の中年男との交流の話となっている。一度リー・バン・クリーフがフィリップ・ローに向かって「俺に息子がいないのが残念だ。いつか俺がくたばったら仇を取ってくれただろうに」とボソッと呟くシーンがあり、これがこの映画のキーワードだなと思った。もしかしたら『新・夕陽…』は『怒りの荒野』ではなく『夕陽のガンマン』と比べたほうがいいのかもしれない。
 モチーフが復讐であること、主人公が敵につかまって拷問されることなどマカロニウエスタンの定式で、これ見よがしのウリはないが堅実で好感度の高い作品だと思う。ジャンル全体がまだ若かったころでマンネリにも陥っていない。『怒りの荒野』や『夕陽のガンマン』ほど知名度がないのが残念だ。
 映画はさる家族が強盗団に皆殺しされるシーンで始まる。たった一人生き残った子供は強盗団のメンバー1人1人の特徴を覚えていていつか復讐しようと臥薪嘗胆する。その15年後の若者がフィリップ・ローである。一方その強盗団は仲間の一人を当局側に売り渡して、罪を全部おっかぶせ刑務所に送り込む。そうして自分たちは素知らぬ顔をして町の有力者に成りすましていたが、15年後、刑期を終えたその仲間が出所してくる。復讐戦は必至。これがリー・バン・クリーフである。昔の仲間は当然自分たちの命の危険を感じ、先手を打って刺客を出所者に差し向けるのだが、もちろん刺客の方が殺される。それを検分した保安官がフィリップ・ローの知り合いで、殺された方のブーツについていた拍車が、フィリップ・ローが家族を殺した者の手がかりとして保管しておいた拍車と同じものであることを見て、フィリップ・ローに教えてくれる。当然そいつらに狙われたほう(リー・バン・クリーフ)は皆殺し犯人に関わり合いのある人物に違いないという事で、フィリップ・ローは旅を続けるリー・バン・クリーフについて行こうとする。つまりフィリップ・ローとリー・バン・クリーフは同じ目標を追うことになるのだから素直に協力しあえばいいものを、双方絶対自分自身で相手を殺したいと思っているから何とか相手を出し抜こうと必死。まあマカロニウエスタンの定番な展開だ。結果的には(しぶしぶ)手を貸しあって相手方を全滅させるという復讐劇だが、モリコーネのスコアには文句のつけようがない。
 たった一つ気にかかったのは、最後二人がさるメキシコの村の男たちを総動員して敵の一味と銃撃戦になるのだが、村人があまりに唐突に全滅する点だ。急に主人公の二人以外誰もいなくなる。画面の展開から全滅と察することはできるが、もうちょっと人がバタバタ死ぬシーンを入れたほうが良かったんじゃないかという気はした。映画の出来を損ねるほどではないからまあいいかも思ったが。

復讐に燃える童顔のイケメン、ジョン・フィリップ・ロー
John-Phillip-Law
毎度のことながら決まったポーズのリー・バン・クリーフ
Law-and-Cleef
 二年後の1969年に制作された『復讐無頼・狼たちの荒野』Tepepa は『新・夕陽…』とは全く違ったモチーフで、メキシコ革命を題材にしている。脚本はイヴァン・デラ・メア Ivan Della Mea とフランコ・ソリナス Franco Solinas で、前者は本業はシンガーソングライターで政治的にも活動し、イタリア共産党の党員だったそうだ。ソリナスは言わずと知れた本職の脚本家兼作家で、フランチェスコ・ロージ監督の『シシリーの黒い霧』(Salvatore Giuliano、1963)、コスタ・ガヴラスの『戒厳令』(État de siège、1972)の脚本はこの人だが、何といっても有名なのは1966年の『アルジェの戦い』La battaglia di Algeri だろう。1969年のオスカー脚本賞にノミネートされている。ガチの社会派である。マカロニウエスタンにも手を出していて(『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』『91.Quién sabe?』参照)このペトローニの『復讐無頼』だけでなくダミアノ・ダミアーニの『群盗荒野を裂く』(Quién sabe?、1966)、セルジオ・ソリーマの『復讐のガンマン』(La resa dei conti、1967)、セルジオ・コルブッチの『豹/ジャガー』(Il mercenario、1968)の原作や脚本もソリナスの筆だ。マカロニウエスタンのメキシコ革命モノを総ナメしている感じだが、レオーネの『夕陽のギャングたち』(Giù la testa、1971)は違って、脚本はヴィンチェンツォーニとセルジオ・ドナーティだった。考えすぎかもしれないが、そう言えば『夕陽のギャングたち』もある意味男の友情物語だった。ソリナスのほうは『復讐無頼』を最後にマカロニウエスタンから離れて世界各地の植民地独立戦争を描いた映画の方に移っていっていたから、『夕陽のギャングたち』は時期的に遅すぎたのかもしれない。
 『復讐無頼』は脚本ソリナスと聞けば全て納得してしまうような作品である。もっとも監督のペトローニ自身もムソリーニ時代には抵抗運動に加わり、共産主義思想を支持していたそうだ。マカロニウエスタンの監督にはそういう人が多い。あのレオーネも自分の事を「夢破れた共産主義者」と定義していたのを見たことがある。さてその主役はトマス・ミリアンで、この役は氏のベストオブだと思う。脇役にオーソン・ウェルズも出ていて貫禄抜群。ストーリーも何というか緻密でいてしかも無駄がない。観客をアッと言わせたりモッタイをつけるためだけの変な伏線脱線の類いがないのである。妙にビヨーンと伸ばしたシーンもない。
 さるメキシコの町にジョン・スタイナー演ずる英国人の医師が車でやって来る。そこの刑務所では革命軍の指揮者の一人トマス・ミリアン(役名ヘスス・マリア・モラン)が死刑にされるところだったが、間一髪でスタイナーに救われる。ではスタイナーなメキシコ革命軍の一味かと言うとそうではなく、大地主の娘だった恋人をミリアンに強姦され自殺に追い込まれたため、自分の手でミリアンを殺して復讐しようと救い出したのである。この辺『新・夕陽…』といっしょだ。タイトルのテペパ Tepepa というのはミリアンの役の愛称である。ミリアンを死刑にしようとする政府軍のカスコロ大佐をオーソン・ウェルズがやっている。
 さてそういうスタイナーの事情をウェルズは知らないから当然ミリアンを助け出した氏を革命軍の仲間だと思って二人を追跡する。それに邪魔されてスタイナーはミリアンを殺す最初のタイミングを失っているうちにかえって二人で行動を共にする羽目になり、最後のクライマックスを迎えるのだが、そこに至るまでの社会派ストーリーが面白い。
 まずミリアンは自分への死刑宣告を大統領のマデロ(マドゥロじゃありません)が許可したとは信じられない。大統領は元革命軍の同志で、その指令を伝えるためにミリアンの父は命を落としている。内戦は革命軍側の勝利に終わり、大統領となった同志マデロの命令に従ってミリアンたちは武器を置いた。しかし新大統領の横には以前まさに自分たちが戦った政府軍が同じメンツで控えていた。ミリアンの頭には一抹の疑惑が生じたが、それでも氏は同志大統領の言葉を信じて銃を置いたのである。
 しかし蓋を開けてみると社会は全く変わらなかった、というよりさらにひどく、変わる気配があったのにそれが消えて完全に革命以前に逆行してしまった。以前自分たちを搾取した大地主ウェルズが戻ってきて、小作農には何の発言権もない。ミリアンはウェルズに反抗し、捕まって死刑判決を受けた。大統領が承諾の署名をしたという。前述のようにギリギリのところで救い出されたミリアンはまずその真偽を問いただすために仲間のアジトに戻ってそこから大統領に一筆したためようとする。
 しかしこの「一筆したためる」ことがミリアン自身にはできない。氏は文盲だからだ。以前の仲間で唯一読み書きができた者は盗みを働いて両手を切り落とされていた。もう一人字が書けた知り合いの神父はまさに「ミリアンの知り合い」ということで拷問され殺された。仕方なくミリアンはスタイナーに手紙を書かせる。ウソをかいていないかどうか手のない仲間が見張った(今は書くことはできないが読めはするのである)。
 すると大統領から「会って話がしたい」という知らせが来た。手無しがその知らせを持って帰って来たのだが、実はそれは裏切りで、来いと言われた会見場所には大統領でなく政府軍兵士が銃を持って手ぐすね引いていた。ミリアンはすでにピーンと来ていてまず手無しを殺す。手無しの懐には大統領から貰った大金があった。兵士たちも片づけてアジトに帰ると仲間が大勢政府軍に斬殺されていた。生き残った仲間の一人が「俺たちを売ったのはあの手無しか?」と聞くとミリアンは応える;いや裏切者はあの手無しじゃない、大統領だ。
 そうして今度は大統領が敵となった。まず右腕のウェルズを消すことだ。ミリアンはまた革命軍を組織する。しかしそれにはたくさんの武器がいる。その武器はひょんなことから手に入った。
 ミリアンはスタイナーに「お前の探しているテペパは俺じゃない、そういうあだ名の奴は他にもいる」と言いくるめてスタイナー(恋人が強姦されるのを自分の目で見たわけではなかった。「犯人はテペパ」と」聞いただけである)をぐらつかせ、復讐戦の方は休戦状態になっていた。そして例の手無しには息子がいて、まだ子供だった。手無しはその養育費のためにとミリアンを売ったのだが、この子供が非常にミリアンになついている。なついているが子供では戦闘員にならない。そこで軍隊再編成時にスタイナーが去っていく際、子供も連れて行くことになったのである。スタイナーにも結構なついていたのだ。
 スタイナーと子供がいざアメリカへ出発しようとした矢先にウェルズが追いつき、ミリアンの一味として逮捕する。その際ウェルズはスタイナーに、氏の探しているテペパはミリアンであること、証拠も揃っていることを告げる。スタイナーは逮捕者というステータスのままミリアン追跡に協力することになる。それを盗み聞きした子供は自分の有り金を持って逃げだす。偶然以前に手無しともども入れられていた刑務所で知り合った怪しげな中国人の武器商人にあい、武器を大量に購入してミリアンたちのアジトへ向かう。なぜ子供がそんな大金を持っていたのかと言うと、ミリアンが手無しを殺してポケットに大金を見つけたとき、これはお前の金だからと全部その子に渡していたのである。
 武器を手にしたミリアンたちは、わざとウェルズが自分たちを追うように仕向け(中国人がウェルズにチクることを想定してその裏をかく)、おびき出して途中の道で攻撃を開始する。
 政府軍は全滅、ウェルズもミリアンに囚われたが、ウェルズの放った一発がミリアンの胸に命中して重症を負う(ウェルズはミリアンに射殺される)。ミリアンはスタイナーに怪我の手当てを頼むが、傷でうなされてながらスタイナーの恋人を死に追いやったのは自分だと告げてしまう。そこで懺悔して許しを乞えばどうにかなったかもしれないが、「男が誰でも女にやっていることをやっただけだ。革命と言う偉業の前には女なんてなんだ」的に口を滑らせてしまい、というより本音を出してしまい、それを聞いたスタイナーがメスをミリアンの心臓に付きたてる。
 ミリアンを心配して外に集まって来た仲間には「死んだ。助けられなかった」といい、ほぼ全員それを信じるが、一人例の子供だけはスタイナーがミリアンを殺したことを見抜いて医者を撃ち殺す。
 ラスト・シーンで革命がまだ続いていくこと、ミリアンの精神が死んではいないことが暗示され、モリコーネの曲をクリスティが歌って〆る。そういえば歌で思い出したが、ラストシーン近くに囚われたウェルズを歩かせながらミリアンが口笛を吹く。そのメロディがモリコーネのスコアそのままだった。映画音楽がBGMでなくストーリーそのものの中に入っているのだ。文学理論をやっている人などにはこういうところを面白がるのではないだろうか。
 とにかく『復讐無頼』はいい映画だと思ったし、ペトローニ自身も自分が作った西部劇の中ではこれが一番好きだと言っている。なのにあまり有名でなく、しかもIMDBなどでの評価が意外なほど低い。なぜだろうと考えたのだが、一つにIMDBがアメリカのサイトだということがある。言っちゃ悪いがアメリカ人は共産主義とか革命とかいうものに対してちょっと病的なくらいのアレルギーを持っている人が多い。それが響いてヨーロッパで作られたメキシコ革命モノと聞いただけで拒否反応が起こったのかもしれない。もう一つはこの映画がいわばあまりマカロニウエスタンらしくないことだ。凄腕ガンマンも出てこないし、シュールな決闘シーンも、見ただけでこちらまで破傷風になりそうな拷問シーンもない。つまりまともすぎるのである。セルジオ・ソリーマの作品もまともな映画だったが、それでも待ってました的な決闘シーンはあった。『復讐無頼』はそれがないからつまらなく見えたのかも知れない。
 この映画の撮影地はスペインだが、『拳銃のバラード』(『218.マカロニウエスタンとユーゴスラビア』参照)の場合と同じく俳優やエキストラを現地調達している。メキシコ人役のエキストラとしては現地のロマの人々を起用したそうだ。映画の中でメキシコ農民役を例えばアメリカ人俳優にやられたりするといつもステレオタイプでトンチンカンになるので、メキシコ本国人は怒っているとペトローニに伝わってきていたらしい。そこでロマ起用となった。キューバ出身で英語にもスペイン語訛があるトマス・ミリアンによるメキシコ農民役はメキシコ人にも気に入ってもらえたそうだ。

メキシコ人からOKを貰ったトマス・ミリアンのメキシコ人ぶり
Milian-as-Tepepa
 もう一人出演者で注目すべきは、手無しの息子、最後にスタイナーを撃ち殺した子供を演じたルチアーノ・カサモニカ Luciano Casamonica である。この子役はなんとマフィアのボス、ヴィットリオ・カサモニカVittorio Casamonicaの甥だそうで、 …E venne il tempo di uccidere(『218.マカロニウエスタンとユーゴスラビア』参照)など他にもいくつかマカロニウエスタンに出演している。『復讐無頼』にはルチアーノの兄弟のアルマンド・カサモニカArmando Casamonicaも撃たれ役のエキストラ出演しているそうだ。ルチアーノと違ってアルマンドの映画出演はこれ一本だけとのことである。

マフィアのボスの甥、ルチアーノ・カサモニカ
Luciano-Ca
この後すぐ殺される若きメキシコ革命家たち。左がアルマンド・カサモニカかな?
Erschossene-Bauer
 実はペトローニはこの二つの復讐劇と同時期、1968年にジュリアーノ・ジェンマとマリオ・アドルフとで『暁のガンマン』…E per tetto un cielo di stelle という西部劇を撮っている。「コメディ路線の西部劇」と紹介されることが多い。ジェンマが仇としてその兄と父親(どちらも悪漢)に狙われて避けている(逃げているのではなく、もうこれ以上人を殺したくないからと避けている)道中で気のいい金鉱掘りのアドルフと知り合い、いわばドタバタ珍道中になる話だ。アドルフはドジでやることなすこと裏目に出るのがまあ喜劇調といえるのだろうが、結構残酷なシーンもあってどうも印象がチグハグだ。またジェンマがモテるのはいいのだが、出てくる女性がいわゆるお引きずり的な、言ってよければ尻軽女ばかりでこれも雰囲気が良くない。コンビそのものには結構味があるし、駄作・失敗作というのとはほど遠いのだが、上の二作と比べると劣ることは否めまい。

『暁のガンマン』のジュリアーノ・ジェンマとマリオ・アドルフ。コンビ自体は結構いい味を出しているのだが…
Gemma-und-Adorf

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 自他共に認めるデジタル音痴、今に至るもスマホの類いは一切持たず、全てデスクトップと固定回線電話で生活しているガラパゴス島の住民の私がVPNを使うことになってしまった。ガラパゴス島の私のパソコンにはロクにプログラムも入っていない。「インストール」という作業が怖く、ちょっと指示と違っていたりわからない画面が出てきたりするとすぐパニック状態になるので、ウィンドウズに追加して入れたのは Firefox とリブレオフィスとアクロバットリーダーくらい。あと、ウィルスバスターの無料版。実にスカスカである。その私にとってVPNのインストールなどというのはまさに世紀の大偉業であった。

 ことの起こりはすでに4年ほど前、2022年に Yahoo ニュースが欧州から見られなくなったことである。そのときVPNを勧められた。確かに Youtube でもマカロニウエスタンを見ようとすると「このビデオはあなたの居住地からは鑑賞できません」と真っ黒い画面に冷たく言われることもあり、これを突破できたらいいなとは思った。思ったが私はプログラムのインストールが怖い。「インストールの仕方」に従ってやると必ずどこかで躓いたりそこに書いてある作業のクリック場所がわからず右往左往するのが常だからだ。それに別に Yahoo ニュースなど見なくても死ぬようなこともないし、Youtubeではハネられるマカロニウエスタンはロシアのさるサイトにアップされていることも多いのであまり困らない。そこで、まあそのうちと思っているうちに4年の歳月が流れたのである。

欧州からYahooにいくとこうなる。
yahoo
 それでも去年の中ごろには意を決してSNSでVPNの話をしたら、何人もが筑波大学のVPN Gateなるものを紹介してくれた。そこでそのサイトに行ってみたところ、インストールや操作の仕方がクソ難しそうな言葉で書いてあるのでビビってしまい、「まあそのうち」に戻ってしまっていた。
 ところが先日、いつものようにライブドアブログのログイン画面に行こうとしたらロード中の表示がグルグル回るばかりで全く入っていけない。ログインできないどころか、自分の書いた記事を外から読むことさえできなくなっていた。他にも特にドメインが jp になっているサイトに入れないものがいくつもあった。よりによってどれも私が今まで問題なく読んだりログインしたりしてきたところばかりである。一瞬焦ったが、こういうことは時々あるので一日待ってみることにした。しかしそういえばその何日か前にさるSNSに(いつものように)ログインしようとしたら「セキュリティ上の問題が発生したためログインできませんでした。時間をおいてやり直してください」と言われ、少し時間を置いてもその日はできず、次の日に繰り越したことがあるのを思いだし、ちょっと嫌な予感がした。するとその嫌な予感の通り、翌日になっても全く入れない。ネットで検索して次のことを行った。

1.ブラウザをプライベートモードにする。
2.アドブロックを一時解除する。
3.ブラウザのキャッシュを一掃する。
4.ルーターを再起動する。
5.プロンプト画面でOS自体のDNSキャッシュを消す。

どれも効果がなかった。特に5が恐怖で、あの黒い画面にコマンドを打ち込むなど私にとってはもう本当に恐ろしい以外の何物でもない。その怖いのを我慢して作業したのに全く無駄だった。それを別のSNSで相談すると知り合いが助言してくれて、次の事を行った。

6.DNSをパブリックのに変更する(Googleのを使った)。
7.TCP/IPv6を外す。

するとあら不思議、SNSの方には入れた。入れたが画面が変わるのに数分待ちという状態だ。しかし10分以上かかっても「しばらくこのサイトには来られない」と伝言だけはできたので、少し気が楽になった。ライブドアブログには入れないままだった。翌日になるとSNSの方にもまた入れなくなっていた。
 この状態になったのが月曜日、その週の日曜日についにライブドアブログのヘルプに連絡した。ブログには入れなかったがライブドアのメインサイトには入れたのでヘルプに飛べたのだ。
 すると月曜日には返事が来て、ライブドア側では何の問題も確認できないが、もっと詳しく状況を報せて欲しいと言ってきた。何回かやり取りをした後、家のパソコンからは Firefox でやっても Edge でやっても、はたまたもう一つのノートブックパソコンからも入れないが、家から出て全く別のところからアクセスするとできること、ライブドアばかりでなく他にも入れないサイトがあることなどから、「おそらくサーバー側の問題だから問いあわせて見て欲しい」と回答を貰い、さっそく近くにあるドイツテレコムのお客様センターに行った。ここからが「サービスの砂漠」と言われるドイツの本領発揮だ。人の話をロクに聞かないうちから「あっ、それはこちらの問題ではありませんが、何だったらホットラインに相談してください」。ホットラインに電話すると思った通りいつまでも録音音声や人を舐め切ったBGMが続くばかりで一向に繋がらない。しかたがないからドイツテレコムのサイトの「コミュニティ」というところにログインして相談スレを立ち上げた。ここはもちろんテレコムの社員が回答するのではなく、顧客同士のコミュである。そういうところに来る人と言うのは技術フリークが多く、そこにこんなガラパゴスが無知丸出しな質問をしたらもの笑いになるのではないかとは思ったが、もうそういう心配をしている余裕はない。ビクビクしていたらなんと何人かが親切に回答してくれた。それらをまとめると、やはり日本に本拠のあるゲームサイトに繋がらないと苦情を言っていた人がいる、その人たちもテレコム以外の回線では繋がると言っていたから、これはドイツテレコムが日本に繋ぎ損なっているのだと思われる、またVPNだと繋がると言っていたから試してみたらどうだろう、ということになった。
 
 こうなるとさすがのガラパゴスも腹を決めざるを得ない。筑波大学の VPN Gate のサイトに飛ぶと「この Web サイトの設置場所」として「筑波大学筑波キャンパス 〒305-8573 茨城県つくば市天王台 1 丁目 1 番地 1」とある。これを見て私は不覚にも懐かしさのあまり涙チョチョ切れてしまった(もっとも私のいたころは「茨城県新治郡桜村」と言ったが)。しかしそんなことでウルウルしている場合ではないので気を取り直して「接続方法」に行く。しかしこれはインストールしたプログラムの動かし方だから、そのインストールをどうやるかですでに立往生しているガラパゴスにとってはすでに情報が数歩先、手の届かないところに進んでいる上に次のような指示がある:「VPN 接続中は、Windows 上に仮想的な LAN カードが作成され、その仮想 LAN カードに「10.211.」で始まるプライベート IP アドレスが割当てられます。また、デフォルトゲートウェイが仮想 LAN カードに設定されます。このことを確認するためには、Windows のコマンドプロンプトから「ipconfig /all」コマンドを実行してみてください」。こりゃ私にとっては完全にナワトル語だ。何を言っているのか全く分からない。しかもそこには恐怖のプロンプト画面の画像まで開張り付けてある。早々に一旦退散して外のネット世界で検索しまくったところ、ありがたやこのプログラムのインストールの仕方を手取り足取り親切に解説してくれているYoutubeビデオがあった。そのビデオを2日に渡って繰り返し見て手順を頭に叩き込む。でないと操作の途中で何か事故でもあって心臓発作を起こしかねないからだ。

私のようなデジタル音痴はこういうことを言われてもわからない。
https://www.vpngate.net/ja/howto_softether.aspx#windowsから。

Prompt
 そして静かな日曜日の午前、いよいよSoftEther VPNとかいうプログラムをダウンロード&インストールした。ほぼビデオの通りの操作で良かったが、恐れていた通り知らない画面、知らない現象が現れてプチビビり状態にはなった。が、ガラパゴス君は頑張ったのである。まず躓きの第一歩は、ダウンロードした zip ファイルを展開する操作とクリック場所がビデオと少し違っていたことだ。次にビデオではインストール時の画像が全て日本語なのに、私んとこではそれが全て英語になっていたことである。多分こちらの IP アドレスがドイツなので自動的に英語バージョンがロードされたのに違いない。3番目はインストールの最中にビデオにはない質問項が現れたことだ。当然英語で質問されたので瞬間的に緊張した。「サーバ―提供をしますか?」というもので、全く白紙の状態でこれを聞かれたら意味がわからなかったかもしれないが、その前に筑波大のVPNがボランティアのサーバーの協力によるものだと知らされていたので無視して先に行った。その後は全くビデオで言われた通りで、手頃なサーバーを選んで繋いでみたらなんと本当に(当たり前だ)IPアドレスが日本になっていた。

 その間もライブドアブログなどにドイツテレコムを通っていこうとしたが、相変わらず足止めを喰らっていたのにIPを日本にしたらスポンと行けた。魔法みたいだ。面白くなってIPを日本にしたりドイツにしたり、切ったり繋げたりして半日遊んでしまった。する前は何年も躊躇していたのに、たまに一旦何かをインストールするとすぐはしゃぎだす、これも典型的なデジタル音痴の特徴である。
 さてVPNを入れて1・2日経つとドイツテレコムからも入れるようになった。この遅さはドイツ鉄道並みだ。遅い上に顧客に対するサービスがなっていない。トラブルシューティングを顧客側に丸投げするって何なんだろう。毎月金を払っているのはこっちなんだぞ?タダで利用しているライブドアブログの方がよっぽどまともな対応だった。
 と、ライブドアを褒めたらその翌日突然そのニュースサイトにいけなくなっていた。ブログでなくニュースサイトの方である。EEA、つまりEU+ノルウェー、アイスランドとさらにプラスで英国からのアクセスが不可能になった。上で述べたYahooニュースの後を追ったのである。理由はどちらのニュースサイトも明らかにしていないが、EUはIT企業に対しての規制が鬼のように厳しく、ちょっと注意を怠ると地雷を踏んでしこたま制裁金を取られる。触らぬ神に祟りなしでEUを避けたのだろうが、それにしても偶然その直前にVPNを入れていたのは何かの啓示だったのか。ライブドアのメインサイトにも行けないので、ヘルプに連絡することすらできない羽目になるところだった。間一髪だ。

ライブドアニュースも今は見られない。
livedoor
 ログイン問題が一応解決すると、今度は VPN Gate の口コミ評などが知りたくなって検索してみた。有料無料の VPN のメリットデメリットなどがあちこちのサイトで議論されているが、大まかに言ってVPN Gate は無料でしかも会員登録がいらず、そのうえ運営元が国立大学だから無料で誘って結局有料版に誘いこんだりといった阿漕なことはされる心配がないという大きなメリットがある代わりに、セキュリティや接続の安定性の面で他の有料VPNに比べて不安が残るということだ。VPNGateでは使用歴のログが一定期間残るからである。このプロジェクト自体が研究のためなのだから使用データが残るのはまあ当たり前である。さらにサーバー提供もボランティアに頼っているから誰が提供しているかわからない。悪徳サーバーが混じっていないという保証がない。また何千ものボランティアサーバーは何せ個人だから接続が悪い事もある。また何かトラブルがあっても「顧客サービス」というものがない。
 多くのサイトではこれらのメリットデメリットを天秤にかけて大体次のような結論に達していた:「ちょっとニュースを見たりちょっとしたビデオを見るのには VPN Gate でいい。何より無料で運営が国立大学という圧倒的な安心感がある。しかし匿名性を重視したかったり映画やTV番組を見ることが主体だったら有料のにしたほうがいい。とくにオンラインバンキングとかパスワードとかは VPN Gate を通さないほうがいい。要は上手に使い分けなさい。」つまり VPN Gate はまさに私のような「困ったときや非常時にだけちょっと別IPで入りたい」程度の利用者向きだという事だ。事実私と同程度のユーザーがその気軽さゆえにこれを勧めているのをよく見かけた。
 だが中には「VPN Gate は使うな」と明確に言い切っているのもあった。ちょっと注意して使いさえすればとても便利だと思うのに「使うな」とまで言うのはなぜか気になったので、さらにそういうサイトを見てみたらほぼ全部「そのかわりこちらがおススメ」などと言って有料サイトのリンクを張ったりして宣伝活動をしている。ひょっとしてVPN会社のやらせ記事か少なくともいくらか貰っているのかもしれない。こっちの方がよっぽど油断がならないと思った。
 VPN Gate を起動させるとスタンバイ中のサーバー一覧が出る。その中から好きなものを選んで接続するわけだが、それらをボーッと見ていて気付いたことがある。時々一人で10個、いや20個くらいサーバー提供しているところがあるのだ。考えたのだが、これは筑波大学の第三学群棟(昔は「第三学群」という名前だった)のコンピュータールームのパソコンを総動員してサーバーにしている、つまり研究室所持のパソコンか、教授のゼミの学生たちが教授に言われて自宅のパソコンを提供させられているかのどちらか、要は大学サイドの接続先なのではないだろうか。
 確かに日本から海外のサーバーに接続するのは誰が向こうにいるかわからない怖さがあるが、逆方向、海外から日本に接続する場合は安心感が一段上がる気がする。とにかく私は選んだ接続先に繋ぐ際には「ちょっと失礼します」、接続を外すときには「ありがとうございました」と声をかけている。脳が完全にアナログ思考なのである。
 なお、先に変更したDNSはそのままパブリックのにしてある。

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 ヨーロッパの言語で「言葉」をなんというのか示してくれているサイトがあってちょっと覗いたのだが、まず気が付いたのが「ことば」という言葉が「舌」の意味も兼ねている、あるいは元は「舌」を意味する言葉を転用して「ことば」に使っている言語が多いことだった。そこでもっとよく見てみようと思って私なりに調べて一覧表にしてみた。ついでに北アフリカ方面や中近東、コーカサスのあたりまで入れてみた。つまりユーロビジョン・ソング・コンテストに参加資格のある地域の主要言語である。
Tabelle1-220
「言葉」と「舌」が同じではない言語を黄色で染めてみたが、「ことば」を表す言葉は一つとは限らず、たとえばカタロニア語にもポルトガル語にも表に出した llengua、língua と並行して idioma(「言語」)という単語があり、逆に「ことば」を idioma と言っているカスティーリャ語には lengua という言葉も使われていたりするから、少し注意がいる。idioma はギリシャ語起源で、「舌」という意味はない。またさすがギリシャ語だけあってこの言葉自体は英語を始めそこら中の言語に取り入れられている。ただしズバリ「言語」という意味でではない。その他のロマンス語の「ことば」はもちろんラテン語のlingua (「舌」)起源である。
 面白いのがゲルマン語派の諸言語で「言葉」は「話す」「語る」などの行為を表す語から来ている。ドイツ語の Sprache は動詞の sprechen、英語の speak だ。この語は西ゲルマン祖語時代からあったようで、北ゲルマン語派のデンマーク語、スウェーデン語、またノルウェー語は中世低地ドイツ語からの借用らしい。例えばスウェーデン語では西ゲルマン語系の語が入って来る前までは tunga を使っていたそうだ。フェロー語、アイスランド語の mál は「西」ゲルマンでなく「ゲルマン祖語」にまで遡れる古い語らしく、東ゲルマン語のゴート語にも対応形がある。ノルウェーの公式の書き言葉の一つをブークモール bokmål というが、この「モール」もこれだ。さらにスウェーデン語にも mål(「言葉」)ということばがあるはある。しかしもう「古くさい言い方」だそうだ。先に出した tunga は単に古臭いというのを通り越して「古スウェーデン語」だからさらに古いことになる。これらがアイスランド語で「舌」と「話す」の二重構造になっているのが面白い。tunga (→ tungu)+mál である。オランダ語の taal は英語の tale で、「語る」。これも「舌」とは別だ。
 英語は乱暴な言い方をすればゲルマン語の文法がこれでもかというほど簡潔化された上にフランス語の単語を乗っけているような言語だから「ことば」もちゃっかりロマンス語系になっているのはわかる。ただ英語では「母語」のことを mother tongue といい、結局「ことば」という語を本来のゲルマン語の「舌」で表している。ドイツ語では「母語」は Muttersprache、無理やり英語に直せば mother speech で、「舌」は出てこない。ドイツ語の「舌」は toungue と同語源の Zunge である。
 ケルト語派のうちアイルランド語は「舌」を使っているが、その他の二言語はどちらも「話す」「発話する」で、「舌」ではない。
 次のスラブ語派だが、jazyk、jezik などは下でも述べる通り皆「舌」だ。古い印欧語形である。ウクライナ語とベラルーシ語の mova はスラブ祖語から。「言う」である。
 こういった言語状況をどう解釈したらいいのか。実はロマンス語派の lingua もスラブ語はの jazyk もゲルマン、ケルトの tongue も印欧祖語のでは同じ形 dn̥ǵʰwéh₂s (「舌」)に行きつくとされている。つまり元は皆同じ一つの語だったのだ。dn̥ǵʰwéh₂s はあくまで「舌」であって「言葉」という意味は持っていなかったっぽいので、印欧諸語が割れていく何千年もの過程の間に次第に抽象的な「言葉」という意味を担わされていったということなのだろう。その際単発的に「言葉」を「舌」でなくその行為そのもの、「話す、言う、発話する」という言葉で表す地域が出現した。これが単発現象であることはそれら非舌地域(?)の「言葉」が皆語源を異にしていることからもうかがえる。idioma、taal、Sprache、mál など、語源も形もバラバラだ。
 以上が上の表を見た時点の中間解釈だが、これを踏まえてさらに残りのユーロビジョン・ソング・コンテスト言語を調べるとこうなる。
Tabelle2-220
バルト語派にも「非舌単発現象」が現れているのがわかる。アルメニア語の lezu も lingua、 jayzk と同じく dn̥ǵʰwéh₂s 起源だそうだ。ギリシャ語、アルバニア語の glóssa、gjuhë は出所がよくわからないそうだが、とにかく dn̥ǵʰwéh₂s ではないようで、この点他の印欧語族と違っているが、「言葉」を「舌」と同じ語で表すという原則は共通している。クルド語 ziman とロマニ語 čhib はどちらも dn̥ǵʰwéh₂s でlingua、jezik、tongue と同じ。つまりスタンダードなパターンだ。
 さてヨーロッパの非印欧語はどうだろうか。フィノ・ウゴル諸語(私はフィンとウゴールは分けるべきじゃないかと個人的に思っているが)もテュルク諸語(これは一緒で完全にOK)も「舌」が「言葉」を同じ語が担当している。言語自体は全然違えど意味のメカニズム(?)の点では他の印欧語族といっしょである。この記事の最後で言うが私はこの事実を結構重く見ている。テュルク諸語にはさらに面白い現象があって、たとえばトルコ語には「ことば」という言葉に dil の他に zeban 、lisan という語がある、というかあった。あとの二つは現在は廃れているそうだが、zeban はインド・イラニアン語派の印欧語、具体的にはペルシャ語からの借用である。もう一つの lisan はアラビア語 لِسَان (lisān)からのこれも借用。アラビア語の「言語、舌」だ。同様にアゼルバイジャン語にも zəban、lisan があり、やはりすでに「古語」となっている。zeban、lisan はクリミアのタタール語にも見つかる。他のテュルク諸語では確認できなかったが調べればまだ見つかりそうだ。ペルシャ語とアラビア語の「舌&ことば」が自国語の「舌&ことば」に取って代わられたのである。
 ユーロビジョン地域の最後に次の言語を確認してみよう。
Tabelle3-220
まず、ジョージア語は「舌」を兼ねる。アラビア語 لُغَة (luḡa) は「言語」あるいは「方言」で、「舌」とは別だ。上でも述べたようにアラビア語にはこの他に「舌」も兼ねた لِسَان (lisān)という語がある。ヘブライ語の שפה (safá) は「舌」でなく「唇」の意味を兼ねているそうだ。実にややこしい。また同じセム語族でもマルタ語は政治的にヨーロッパの支配下にあった時期が長く、イタリア語の影響を強く受けている。道理で明らかにロマンス語からの借用である。ただマルタ語には lsien というセム語系の本来の語も存在する。
 バスク語はフィノ・ウゴルやテュルクと違ってヨーロッパのど真ん中(でもないか)にありながら「ことば」と「舌」は別だ(バスク語で「舌」は mihi)。非印欧語のくせに印欧語と同じになっているフィノ・ウゴールやテュルクと違う。 
 ここまでをまとめてみると、ヨーロッパの印欧語では「言葉」は本来「舌」の意味だった同一語 dn̥ǵʰwéh₂s で表される。特にゲルマン語派など例外的に「話す、言う」を使う言語もあるが基本は舌=ことば。dn̥ǵʰwéh₂s を使わない言語でもこの原則は保たれる。ヨーロッパはさらに非印欧語でも「舌」と「ことば」が同じ語になる、ということだ。

 これがアジアになると状況が一変する。
Tabelle4-220
印欧語族の zabân、jabān などは一目瞭然ヨーロッパのクルド語、ロマニ語と同じ dn̥ǵʰwéh₂s である。イランから中央アジアのタジキスタン、インドの相当部にかけてこれだ。まずペルシャ語からパンジャブ語までを見て欲しい。ここで実は例えばヒンディー語には同じ dn̥ǵʰwéh₂s 起源でも zabān とはちょっと形の違う जीभ (jībh) というズバリ(身体器官の)「舌」を表す語がある。ヒンディー語の他にもウルドゥ語(جِیبھ 、jībh)、グジャラート語(જીભ、jībh)、パンジャブ語(ਜੀਭ、jībh)、ネパール語 (जिब्रो、jibro)、ベンガル語(জিভ、jibh)、オリヤー語(ଜିଭ、jibha)にも表の「舌・ことば」とは少し形を変えた「舌」だけの語がある。
 マラーティー語、シンハラ語、ネパール語は黄色マークしてあるが、それは bhāṣā あるいは bhāṣāwa という語が「舌」ではなく、サンスクリットの भाषा(bhāṣā、「話す」)から来ているからだ。印欧祖語ではどんな形だったのかはよくわからないが、「舌」でないことだけは私が保証する(なんであんたが保証するんだ)。これらの言語は「ことば」が「舌」ではないという点でヨーロッパのゲルマン語派などと共通しているようだが、インドのほうはゲルマン語のように語形がバラバラではなく、全て同じ形をしている、つまり同一語から来ている点が違う。
 実はこのサンスクリットの「話す→ことば」という語は強烈な影響力を持っていて、「舌系」のヒンディー語、ウルドゥ語、パンジャブ語、ベンガル語、グジャラート語にも zabān などの同意語としてそれぞれ भाषा(bhāṣā)、بھَاشَا(bhāśā)、ভাষা(bhaśa)、ਭਾਸ਼ਾ (bhāśā)、ભાષા(bhāṣā)という「ことば」という語がある。「話す系」が水面下で深く浸透しているということだ。この点もヨーロッパとの違いだろう。逆に黄色に塗った3言語については「舌系」の方の同義語は確認できなかった。でも探せば実はあるかもしれない。
 そしてこのサンスクリットの「話す=ことば」はインド亜大陸のドラビダ諸語にも広く借用されている。サンスクリット系の「言葉」の同義語としてカンナダ語にも ನುಡಿ(nuḍi)というのがあるが、こちらがドラビダ語本来のものだ。テルグ語にもほぼ同じ形の నుడి(nuḍi、「ことば」)がある。同語源の語はタミル語、マラヤラム語にもあったが、意味が変わったり廃れたりしてしまった。つまりドラビダ諸語では固有の語がサンスクリット系の「話す」に取って代わられたということか。
 もっとも「言葉」はサンスクリット系の「話す」で表しても身体器官の「舌」そのものズバリの名称を表すのに dn̥ǵʰwéh₂s 系の語が取り入れられていたりする。例えばテルグ語の జిహ్వ(jihva)、ネパール語の जिब्रो(jibro)、シンハラ語の දිව(diwa)(後の二つは印欧語族)がその例だが、これはあくまで「舌」だけであって「ことば」の意味はないようだ。言い換えると印欧祖語の「舌」がだんだん抽象性を高めて「ことば」という意味を獲得していったのとは逆に「話す、言う」という言葉が抽象性を失って「舌」という意味になったりはできなかったわけだ。
 続いて北京語と広東語の「言語」(「語言」でも「言語」でも「言葉」の意味になるらしい)に「舌」の意味はないが、これはチベット語も同じで「舌」は ལྕེ (lce)。表には出さなかったがシッキム語にはチベット語の「ことば」、སྐད(skad)と同じ形の語があり、「声」とか「音声」の意味も兼ねている。いずれにせよ「舌」とは無縁だ。
 ビルマ語 စကား(ca.ka:)も「非舌系」なのは黄色に塗った通りだが、စကား は「言語」の他にも「語」という意味を兼ねており、日本語の「ことば」という言葉とまさに一緒である。 またビルマ語にはその他に ဘာသာစကား(bhasaca.ka:)という「ことば」と言う言葉」があるが、この前部 ဘာသာ(bhasa)はもちろんサンスクリットからの借用。後部が本来のビルマ語というわけで、ダブル構造になっているのが面白い。この記事の冒頭部で述べたアイスランド語と違って借用語に同じような意味の自国語を説明的に付加した構造だ。こういう構造は他の言語でも頻繁に見られ、例えばドイツ語ではちょっと前に「津波」のことを Tsunami-Welle、つまり Tsunami-wave と言っていた。同様に「鯉」を Koi-Karpf という。Karpf というのがドイツ語で「鯉」である。日本語でも私が子供のころはピザのことをピザパイと呼ぶ年配の人とかがいた。「パイ」も外来語ではあるが、古くから入ってきていたので当時すでに日本語化していて、「ピザ」とはいったいどのようなものか説明する役割を担っていたわけだ。
 あとちょっと補足しておきたいのだが、「舌組」にせよ「非舌組」にせよインドの印欧語族にはアラビア語 لِسَان (lisān)からの借用形が併用されている言語が散見される。ペルシャ語の لسان (lesân)、ウルドゥ語の لِسان (lisān)、ヒンディー語の लिसान(lisān)などの例が見つかった、ヒンディー語にまで浸透しているところを見るとこの借用現象はイスラム教言語限定ではないようだ。探せばもっと例があるかも知れない。以前に「本」をいう言葉がアラビア語から借用されていることが多いと書いたが(『7.「本」はどこから来たか』参照)、改めてアラビア語の凄さを感じる。

 さて引き続きアジアをもっと見ていってみよう。
Tabelle5-220
まず東南アジアはほとんどインド南部の言語と同じくサンスクリットの「話す=ことば」भाषा(bhāṣā)からの借用である。アウストロネシア諸語のインドネシア語、ジャワ語は一目で明らかだが、シャン語、タイ語、クメール語、ラオ語も全てこれだ。仏教と共に言葉も輸入されたのではないだろうか。タガログ語だけは形が違っているが、出所はやはりサンスクリットで चरित(caritá)という語から来ているそうだ。「動く、行動する」という意味である。うーん…
 ベトナム語のは中国語の借用だそうだが、とにかく東南アジアはサンスクリットあるいはプラークリットの波を被りまくっていることがわかる。比較のために最も遠いところにあるアウストロネシア諸語のマダガスカル語の例をあげておいたが、さすがにここまではサンスクリットの影響が及んでいない。
 さていよいよ我が東アジアである。中国語は既にみたが、日本語、韓国語、アイヌ語も共に「話す、言う」と関係する自国語の言葉で、「舌」とは全く別だ。韓国語の말 には日本語の「ことば」同様、language  と言う意味も word という意味もある。上のビルマ語と同じだ。そして日韓両言語とも本来の自国語の他に中国語からの借用語も使われている。日本語の「言語」、韓国語の언어(eoneo)だ。アイヌ語も「ことば」は「言う」で、「舌」は aw(-e-he) だから全然違う。
 ところが東アジアでもモンゴル語の хэл(xel)は「舌」の意味も兼ねていて、微妙にテュルク諸語と繋がっている。それで考えたのだが、ヨーロッパのフィノ・ウゴールもテュルクも要するに北西アジアの民族だ。この点でモンゴルと一緒。『213.太平洋のあちらとこちら』でも述べたように、松本克己教授が日本語とテュルク語やモンゴル語との距離を強調し、日本語、アイヌ語は北方アジアの言語とは実は一線を成し、東南アジアの言語などと「環太平洋言語」としてまとまりを見せるのではないかといっていたが、そうかもしれない。余計なお世話としてメキシコのナワトル語を調べてみたらあれまあ「ことば」は「話す」で表すではないか。「舌」は nenepili といって全然別の形だ。

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 日本語には関係代名詞というものがないので、文が名詞を修飾する場合は動詞や助動詞の連体形をとらせて名詞の前に付加する。形容詞と同じだ。機能的には英語やドイツ語の関係文とだいたい同じだが、被修飾語の前に来て動詞の連体形という付加語に特有な形をとるので、「付加語文」とでも呼んだ方がいいかもしれない。確かにドイツ語や英語でも分詞を使えば似たような構造にはなる。「エサを食べるそのアヒル」、「その映画を見ている人」ならそれぞれ

die Futter fressende Ente
the + feed + eating + duck

ein den Film guckender Mensch
a + the + moovie + watching + man

となるが、そもそもこういう構造がやや堅苦しいのに加えてシンタクス上でも大きな制限があるので日本語の「エサを食べるアヒル」、「その映画を見ている人」とは比べ物にならない。
 まず「エサを食べるアヒル」は被修飾語名詞の「アヒル」が修飾文「エサを食べる」の主語、つまりアヒルは文の主格に対応する。「アヒルがエサを食べる」である。二番目の例も同じで被修飾語は修飾文の主語だ。「人がその映画を見る」だ。これらの構造を関係代名詞を使って書き換えてみればさらにはっきりする。

Die Ente, die Futter frisst
the +  duck + who(that) + feed + eats

ein Mensch, der den Film guckt
a + man + who + the + moovie + watches

太字にした die、der が関係代名詞で、それぞれ女性単数主格、男性単数主格である。要するに主格だ。
 これに対して被修飾名詞が修飾文の主語でない場合、例えば直接目的語(対格)の場合はもとの文は同じ(それぞれ「アヒルがエサを食べる」、「人がその映画を見る」)でも分詞を使った構造は不可能になる。

* die Ente essendes Futter
the + duck + eating +  feed

* der ein Mensch guckende Film
the + a  + man + watching + moovie

この場合は関係代名詞を使わないといけない。

Futter, das die Ente frisst
feed + that + the + duck eats

der Film, den ein Mensch guckt.
the + moovie + that + a +  man + wathes

日本語なら関係代名詞なんてもんは使わずにそのままススッと修飾文を先行させればいい。「そのアヒルが食べるエサ」「人が見るその映画」で問題ない。
 主格や対格ばかりではない、基本的には被修飾語名詞は修飾文のあらゆる格に対応できる。

与格
田中さんが鈴木さんにプレゼントをあげる
→田中さんがプレゼントをあげる鈴木さん

存在処格
田中さんが町に住んでいる
→田中さんが住んでいる町

活動処格
田中さんが公園で野球をする
→田中さんが野球をする公園

向格
田中さんが町へ行く
→田中さんが行く町

具格
田中さんが地下鉄で東京へ行く
→田中さんが東京へ行く地下鉄

共格
田中さんが会社の人と会う
→田中さんが会う会社の人

キリがないので具格の例だけ見るが、英語やドイツ語ではこれを表すのに関係代名詞だけでなく前置詞を持ってこなければいけない。

Die U-Bahn, mit der Herr Tanaka nach Tokio fährt
the + subway + with + that + Mr. Tanaka + to + Tokyo + goes

修飾文を被修飾語の前に置くことなど絶対に不可能だ。

* die Herr Tanaka nach Tokio fahrende U-Bahn
the + Mr. Tanaka + to + Tokyo + going + subway 

このように日本語の具格はドイツ語では前置詞表現になるわけだが、日本語ですでに前置詞(日本語では前置詞ではなく後置詞だが)を使う表現でまでシンタクス関係が表示されないからさらにわかりにくくなる。例えば「田中さんが話していた映画」という構造で修飾語と被修飾語の関係は~ニツイテである。つまり元の文はこうなる。

田中さんが(その)映画について話していた。

 そういえば例の「雨が降る前」と「雨が降らない前」との違いも修飾文と被修飾名詞の格関係の違いに還元できるのではないだろうか。 「雨が降る前」では被修飾語「前」は修飾文「雨が降る」の比較格、「雨が降らない前」では「前」は「雨が降る」の存在処格では?言い換えると前者は「雨が降るより前」、後者は「(その)前に(は)雨が降らない」である。もちろんこの解釈には欠点があって、前者は「田中さんが読んだ本」→「田中さんが本を読んだ」のようにストレートに「元の文」が構築できないし、後者も少し加工しないと同じ意味にならない。また同じく時間関係を表すのに「~間」だと存在処格としか解釈できず、「~後」では比較格しかあり得ないのはなぜかという問題が残る:
「雨が降る間」は「(その)間に雨が降る」であり、「雨が降らない間」は「(その)間に(は)雨が降らない」なので、意味が逆になる。比較格解釈は不可能だ。それは被修飾語の「間」という意味のせいで、意味的に比較格解釈を許さないからだという理屈は確かに成り立つ。「間」は程度を表さないからだ。「私が思ったより馬鹿」はOKだが、「私が思ったより学生」はNGなのと同じ理屈だ。それに対して「~後」は「前」と同じくある意味程度を表しているので比較格解釈ができる。しかし「後」は逆に存在処格の解釈ができない。「雨が降る後」はどうやっても「雨が降るより後」であって、「(その)後に雨が降る」という解釈はできない。これはなぜか、無理やり屁理屈をこねれば「終わりがわかっている時間には存在処格が成り立つが始めだけあって終わりがない時間表現には処格解釈は不可能」という説明も可能だ。「~前」は当該事象が生じることによってその時間・状態は終わりになるが「~後」では事象が起こることによって当該時間。状態が生じる。終わりは見えない。しかしこれはあくまでも屁理屈であって、「どうしてですか?」と聞かれたらイチコロだ。どうもさらなる研究が必要なようだ(自分でやれよ)。

 また日本語では修飾文の直接構成要素ではない語まで被修飾語になれるのでさらにシンタクス関係が再構成しにくくなる。言葉で定義するとわかりにくいが例えばこういう構造だ。日本語ネイティブなら誰でも問題なく理解できるだろう。

田中さんが面白いと言っていた映画。
田中さんが読むなと言っていた本
田中さんが私より有能だと思った人
田中さんが自分より有能だと思った人

これらの被修飾語「映画」、「本」、「人」は元の文では主文の構成要素ではなく、主文の動詞の目的語、英語で言えば that節でつまり発言や思考の内容である。元の文はそれぞれこうなる。

田中さんがその映画が面白いと言っていた。
田中さんがその本を読むなと言っていた。
田中さんが(その)人(のこと)を私より有能だと思った。
田中さんが(その)人(のこと)を自分より有能だと思った。

3番目の文では「その人」は話者より有能、4番目では田中さんより有能という意味になる。全部やるとタルいので最初の文だけ構造分析してみよう。周りを色で囲んだのが主文の直接構成要素、文字の色自体を変えたのが主文の目的語の構成要素、言い換えると主文の構成要素のそのまた構成要素である。

田中さんが その映画が面白い 言っていた

黄色が主語、緑が動詞の目的語、赤が動詞または形容詞だ。主文目的語もそれ自体文になっているからその構成要素は文字の色を変えて表してある。「その映画が」は主語、「面白い」が形容詞、つまり動詞と同じく述部の核である。つまり「映画」が主文の構成要素ではなく、緑色の構成要素に埋め込まれているのだ。これの名詞表現を色分けするとこうなる。

田中さんが面白い言っていた 映画

下線部が修飾文だが、つまり主文の目的語が分断されてその中の一要素が被修飾語としてしゃしゃり出て来ているわけで、英文法では「ノードを飛び越えた」と名付ける構造だ。これを上の「田中さんが鈴木さんにプレゼントをあげる」→「田中さんがプレゼントをあげる鈴木さん」と比べてみるとノードの飛び越えがはっきりする。

田中さんが 鈴木さんに プレゼントを あげる

田中さんがプレゼントをあげる 鈴木さん 

青はいわゆる間接目的語、与格目的語だが、ここでは主文の構成要素は分断されていない。被修飾名詞のシンタクス位置はあくまで主文内にあるからだ。
 主文の直接構成要素にしてもノードジャンプでのし上って来たにしても被修飾名詞と修飾文との核関係は表現されない点は同じだ。前者ならまだどうにかなるが、後者のように被修飾名詞にジャンプされるとややこしい。主文レベルでは対格目的語(の一部)だが、同時に埋め込み文の主格主語でもあるからだ。学習者も大変だが、説明するほうも下手をするとチョムスキーの樹形図などと持ち出さねばならず結構疲れる。もっとも中国語や韓国語は基本日本語と同じようなものだとのことで、確かにこれらが母語の人は単語の意味が分かればそこから解釈してこのようなシンタクス構造もすぐ理解できるが、関係代名詞の助けに頼る癖のついた印欧語母語者はたとえ単語の意味が全部わかっていても文が理解できない。この「語の意味は全部知っているのに文になるとわからない」と言う感覚は日本人だって外国語をやる際頻繁に経験する感覚ではないだろうか。

 もう一つ、that 節で思い出したが「田中さんと明日会う約束」というような場合修飾文と被修飾語とのシンタクス関係をどう解釈したらいいのだろう。被修飾語は「約束」、修飾文は「(私が)田中さんと明日会う」である。修飾文の中には被修飾語の場所がない。だから当然格も特定できない。私の考えだが、ここで修飾文と被修飾語は同格関係にあると思う。「同格」という格じゃないかと言われるかもしれないが、これは日本語の訳のせいだ。同格は Apposition といい、本来の「格」Kasus または case とは別物だ。この同格とは一つの指示対象を別の表現で言い換え、それを並べた構造のこと、言い換えると同格と言う格ではなくて格が同じという意味である。よく使われる例は Ich habe Herrn Schmidt, den Freund meiner Schwester, getroffen(I have meet Mr. Schmidt, my sister’s boyfriend)などというもので、「シュミットさん」と「妹の恋人 」は同一人物である。「田中さんと明日会う約束」の場合は「約束」の具体的内容が「山田さんと会う」、つまり同じ指示対象を別の言葉で表している。また日本語では同格である印として「という」というフレーズを差し挟むことができる。「山田さんと明日会うという約束」である。他にも「あさって東京へ行く予定」は「あさって東京へいくという予定」、「なんでも自分でやるつもり」は「なんでも自分でやるというつもり」、「山田さんが帰ってくる噂」は「山田さんが帰ってくるという噂」とそれぞれ言い換えられる。最後の例などは同格マーカー「~という」がついていた方が座りがいい。
 英語やドイツ語ではこういう場合いわゆるコンプレメンタイザーの dass(that)を使う。

Die/eine Veranredung, dass ich morgen Herren Yamada treffe
the /a + appointment + that + I + tommorow + Mr. Yamada + meet

もちろん不定詞でもいい。

Die/meine  Verabredung, morgen Herrn Tanaka zu treffen 
the/my + appointment + tommorow + Mr. Yamada + to + meet

次のような文ではいわゆる形式主語の it と that 節は同格である。文法書などでは「同格」という言葉は使われていないが。

It is well known that ducks can swimm well.

形式主語の代わりに普通名詞が来ることもある。

The fact that ducks can swimm well is well kown.

日本語ではもちろんそれぞれこうなる。

アヒルがじょうずに泳ぐことはよく知られている。
アヒルがじょうずに泳ぐ事実はよく知られている。

日本語には形式主語がないので、「こと」という普通名詞を使う。上の同格の例と同じく「泳ぐ」と「こと」あるいは「事実」の間に「~という」というフレーズが入れる。冒頭で述べたように動詞の分詞を使って付加語とする場合被修飾語は主語以外の文法格には立てないのはもちろんだが、同格の修飾文をthat なしで付加語にするのはさらに不可能。直訳すれば

The ducks well swimm canning fact is well known

となり、英語が完全に崩壊している。そもそも can の現在分詞などすでに死語になっているからさらに崩壊感が増す。

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 前にもちょっと触れたが、マカロニウエスタンには二つの源泉がある(『69.ピエール・ブリース追悼』『155.不幸の黄色いサンダル』参照)。一つが当時の西ドイツで何作も制作された西部劇で、原作はカール・マイの(軽い)冒険小説。どの映画もヴィネトウという名のネイティブ・アメリカンが主人公でそれをフランス人のピエール・ブリースが務め、その友人の白人役をアメリカ人のレックス・バーカーがやっている。この一連のヴィネトウ映画は未だに年中ドイツのTVで流している。人気ぶりではテレンス・ヒル、スペンサー組の西部劇と肩を並べるだろう。監督もスタッフもドイツ人だが制作にはドイツ、イタリア、あとユーゴスラビアの三国が関与していて、俳優もドイツ(含オーストリア)やアメリカだけでなくイタリアやユーゴスラビアからも参加している。ロケ地もユーゴスラビアだ。例えばシリーズの第一作目1963年の Winnetou 1. Teil(「ヴィネトウ第一部」)にはウォルター・バーンズやマリオ・アドルフなど後のマカロニウエスタンでお馴染みの顔が見える。「ヴィネトウ第二部」Winnetou 2. Teil(1964)にはクラウス・キンスキー、テレンス・ヒルが登場、やはり一連の一つ Unter Geiern(「ハゲタカの下で」、1964)にはジークハルト・ルップ、ウォルター・バーンズ、テレンス・ヒルが勢ぞろいしていてすでにマカロニウエスタン臭プンプンだ。この Unter Geiern という作品は下で改めて述べるが、割とキーポイントになる作品である。しかしまだある。これも一連映画の一つ、1964年の Old Shatterhand(「シャターハンドおじさん」?)の音楽を担当したのはリズ・オルトラーニだ!どうだ参ったか。
 この一連のヴィネトウ映画に端役で出演していたゴイコ・ミティッチ Gojko Mitić というセルビア、当時のユーゴスラビアの俳優はその後東ドイツに渡ってスターになった。偶然かそれとも西ドイツに対抗してワザとやったのか、60年代後半ごろには東ドイツでも盛んにネイティブアメリカンを主人公にした映画が作られ、ミティッチがその主人公を引き受けたからだ。
 さてマカロニウエスタンのもう一つの源泉はイタリアのサンダル映画である。マカロニウエスタンの監督や俳優には元々サンダル映画を取っていた人が実に多い。そもそもレオーネだって監督第一作目はサンダル映画である。ドゥッチョ・テッサリだってそうだ。

 西ドイツのヴィネトウ映画とイタリアのサンダル映画、この二つが合流してマカロニウエスタンが生まれたわけだが製作面、つまり資金面で西ドイツがかなり関与していたためかマカロニウエスタンでもユーゴスラビアとの関係が続いた。例えばセルジオ・コルブッチが初めて監督を(一部)引き受けた Massacro al Grande Canyon(「グランド・キャニオンの大虐殺」、ドイツ語タイトル Keinen Cent für Ringos Kopf、「リンゴーの首には一セントも出せない」)という西部劇。残念ながら超つまらない作品だがロケ地はユーゴスラビアである。マカロニウエスタンには俳優でもユーゴスラビア生まれの者が流れ込んだ。最も有名なのはクロアチア出身のジャンニ・ガルコ(『130.サルタナがやって来た』参照)だろうが、ガルコは地理的にはクロアチア出身でも政治的にはイタリアの出だ。出生地のザダル市が当時イタリア領だったからだ。しかもこれも前にも言った通りそもそもユーゴスラビアのアドリア海沿岸は何百年もベネチア共和国領で宗教もカトリックだから文化的にもイタリアに近く、ガルコもまあ半分以上イタリア人のようなものだ。
 しかしガルコの他にもう一人、マカロニウエスタンで主役まで行ったユーゴスラビアの出身の俳優がいる。アンソニー・ギドラ Anthony Ghidra という芸名を使っていたドラゴミル・ボヤニッチ Dragomir Bojanić である。『拳銃のバラード』Ballata per un pistolero などの主役を務めた俳優だ。この人はガチのユーゴスラビア人、ギリシャ正教のセルビアのクラグイェヴァツの生まれだ。1933年生まれだから当時は「ユーゴスラビア王国」である。マカロニウエスタンを撮る前からすでにセルビアで俳優としての地位を築いており、主役ではないが出演した1965年の Tri(「3」)という映画は当時のアカデミー外国語映画賞にノミネートされている。最初からイタリアで全キャリアを築いたガルコやそのままドイツで活躍し続けたミティッチと違ってマカロニウエスタン出演のあともイタリアには留まったりせず、セルビアに帰って俳優業を続けた。セルビア側では「イタリアで映画に出ていたことある」とあくまで軽く冷たく紹介されている。要するに正真正銘のセルビア人俳優なのである。
 そのイタリアでの第一作『拳銃のバラード』は、アルフィオ・カルタビアーノ Alfio Caltabiano というスタントマン出身の俳優兼監督で、レオーネやコルブッチ、ヴァレリなどと違って「その他大勢の監督」のカテゴリーに入れられがちだが、複数の西部劇を作っている。『拳銃のバラード』が一番出来がいいという評価だ。この映画はストーリーもテーマもまあマカロニウエスタンの定式通りだし、特に派手でもなく物珍しさもないが非常に堅実な作りで結構面白く、好感の持てる作品だ。マルチェロ・ジョンビーニの音楽も良かった。ジョンビーニは『西部悪人伝』のあの耳にやたらとこびりつくスコアを作曲した人だ。
 悪漢兄弟が徒党を組んで輸送金を狙う。定番通りこの二人にはたんまり懸賞金がかかっていて、これも定番通り謎めいた若い賞金稼ぎ(イタリア人俳優アンジェロ・インファンティ)がこれを追う。その悪漢ボスの兄の方を監督自らが演じている。その若い賞金稼ぎと同時にもう一人の謎めいたガンマンが登場するが、これがアンソニー・ギドラことボヤニッチだ。こちらも兄弟を追っているが金のためではなく復讐が目的だ。そしてまたまたマカロニウエスタンの法式に従って追うほうの二人が微妙にコンビを組んで協力し最後には悪漢二人を倒すのだが、最後になって実はこちらの方も兄弟だったと(観客に)わかる。アシメトリーな兄弟と言う、これもマカロニウエスタンの定番だ。さらに定番としてボヤニッチの主人公は一度敵方の手に落ちて拷問を受ける。
 この『拳銃のバラード』はコルブッチの『グランド・キャニオンの大虐殺』と同じくロケ地がユーゴスラビア。またロケ地ばかりでなく、ギャング団の手下や酒場の客などの小さな役は皆ユーゴスラビア人の俳優が演じている。ロケをするついでに俳優も現地調達したのかもしれない。やはり撮影地がユーゴスラビアだった上述西ドイツのヴィネトウ映画シリーズでも独伊墺俳優に交じってユーゴスラビアの俳優が相当活躍している。そのユーゴスラビア人俳優の名前がヴィネトウ映画と『拳銃のバラード』で結構被っているのが面白い。ボヤニッチもヴィネトウ映画の一つ、上記の Unter Geiern という作品にノンクレジットで出演している。『グランド・キャニオンの大虐殺』でもユーゴスラビアの俳優が小さな役をこなしているが、やはりヴィネトウ映画に出ていた人である。西ドイツの西部劇とマカロニウエスタンの間には浅からぬ繋がりがあるのだ。そもそも『拳銃のバラード』の脚本と製作を担当したのはエルンスト・リッター・フォン・トイマー Ernst Ritter von Theumer というオーストリア人だが、『殺して祈れ』Requiescant の製作もこの人だ。
 しかしたとえ本国ですでに名があったとはいえ、そして映画人たちの間に繋がりがあったとはいえ、ドラゴミル・ボヤニッチはなんでマカロニウエスタンなんかに流れて来たのか、ユーゴスラビアの俳優をいきなり主役につけようという発想は誰が出したのか実に気になる。ジャンニ・ガルコはそもそも俳優としての修業をイタリア映画界で開始しているから何もおかしくないが、ユーゴスラビアの奥の方から来てイタリアで主役というのは相当の縁と言うか偶然が働いているはずだ。推測するしかないのだが上で見たように西ドイツの西部劇を通してやって来たとしか思えない。ひょっとしたらヴィネトウ映画を機にしてセルビア人のミティッチが東ドイツで成功していくのを見て、西ドイツ&イタリア側がじゃあ俺たちはこっちのセルビア人だとの対抗意識からボヤニッチに白羽の矢でも立てたか。とにかくマカロニウエスタンの背後にチラチラしている(マフィアの黒幕かよ)西ドイツ映画の影響を感じる。その西ドイツ西部劇とマカロニウエスタンの繋ぎと言う意味で Unter Geiern という作品は興味深い。映画自体は面白くないのが残念だ。
 さてそのボヤニッチだが、例えばジャン・マリア・ヴォロンテやジュリアーノ・ジェンマ、あるいはジョージ・ヒルトンのような派手な作りの顔ではないし、クラウス・キンスキー、リー・ヴァン・クリーフのように一度見たら忘れられないような強烈なご面相でもない、かといってまたフランコ・ネロ、テレンス・ヒルのような端正な顔でもないのだが、精悍でドスの効いた面構えで画面を引き締めている。完全にマカロニウエスタンとして絵になっていて違和感が全くない。ヴァレリの『さすらいの一匹狼』のクレイグ・ヒルはその点少しハマりきっていない雰囲気があった(『193.トニーノ・ヴァレリの西部劇』参照)。

完全にマカロニウエスタンに溶け込んでいるセルビア人ドラゴミル・ボヤニッチ。『拳銃のバラード』から
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『拳銃のバラード』。ドラゴミル・ボヤニッチ(左)とアンジェロ・インファンティ
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 『拳銃のバラード』のすぐ後に別の監督で L’ultimo killer(「最後の殺し屋」、ドイツ語タイトル Rocco – Ich leg’ dich um「ロッコ、貴様を殺してやる」)という作品が続いたが、ここではボヤニッチが映画そのものを救っている感があった。『拳銃のバラード』と違ってこれは俳優も(ボヤニッチ以外は)全部イタリア人で、ロケ地もイタリアである。主役はジョージ・イーストマン(本名ルイジ・モンテフィオーリ Luigi Montefiori)だが、いくらなんでもこれはミスキャストだったと思う。どうしてこの人を引っ張り出したりしたのだろう。監督のジュゼッペ・ヴァリ Giuseppe Vari はその直前の Un poker di pistole(ドイツ語タイトル Poker mit Pistolen、「ピストルでポーカー」)という映画でイーストマンを使っているから、その引き続きかもしれない。しかしこの映画でのイーストマンの役は貧乏なメキシコ農民の息子である。身長206cmもある上にあの特異な容貌の者に虐げられたメキシコ人の若者をやらせるのは無理があり過ぎだ。この若者は映画のしょっぱなに悪漢に滅茶苦茶に殴られるが、殴るほうはせいぜい身長180cm、イーストマンの顔をぶん殴るには背伸びするかジャンプしないと届かない。そこを何とか撮影でそれらしく切り抜けているが、イーストマンの方が殴らせてやっている感がぬぐい切れていない。また倒れている息子を父親が見つけて助け起こすが、二人並んで馬車に乗っている後ろ姿を見ると息子の背中の頑丈そうな面積が父親の倍くらいあり、助けたのはどっちだよと思う。イーストマンにはやはりちょっとサイコな役をやってもらった方がいい。バルボーニの Ciakmull (『208.バルボーニのカンフル剤』参照)でのこの人はすごく良かった。とにかくこのキャラがあまりにも浮いているので最初いま一つ映画にのめりこめない上に音楽もサンダル映画調で時々急に画面に不釣り合いなファンファーレがかかる。「なんだこれは」と嫌気がさしかけていたのだが、ボヤニッチが登場したら雰囲気が変わった。引き締まったのである。そのハマりぶりによってイーストマンの浮いている感が緩和された感じだ。
 ストーリーはこれもマカロニウエスタンの定番で、メキシコ人の弱小農民の土地をアメリカ人の大牧場主が奪い取ろうと画策する。借金をカタに土地をよこせという日本の時代劇にもよくあるパターンである。メキシコ農民の他にも大企業牧場から嫌がらせを受けている中小規模のアメリカ人たちもいて、その大ボスを始末しようとする。アメリカ人たちはそのメキシコ人親子も誘うが、父親は暴に暴をもって制することを否定して仲間に加わらない。襲撃を受けた大ボスは当然カンカンに怒って生意気な中小企業のやつらに復讐するが、真っ先にその矛先になったのは暴動には加わらなかったメキシコ人の父親で、家を焼かれ父親を殺されたイーストマンが復讐のために立つ。
 その大ボスと言うのがまた大タヌキで、自分に従わない共同経営者や部下を消そうとして殺し屋を雇う。この殺し屋がボヤニッチである。イーストマンがひょんなことからこの殺し屋が後ろから撃たれるのを阻止した代わりに自分は大怪我をしたのを殺し屋が拾って(?)傷の手当てをし、銃の撃ち方を伝授する。
 言われた目的をすべて殺した殺し屋が引退しようとした矢先に、イーストマンが大ボスの一味を射殺したため、大ボスは殺し屋を引き留めて「もう一回だけ」と仕事を頼む。目的はガンマンに成長したイーストマンである。二人は対決して、ボヤニッチを撃ち殺し自分も傷を受けたたイーストマンが大ボスも殺す。『怒りの荒野』かよ。
 さて上でついこき下ろしてしまったキャスティングだが、逆に農民の息子役をイーストマンでなく普通の俳優がやっていたらどうなっていただろう。チクハグ感はなくなるかもしれないが客寄せ要素も消える。監督もそこを考えて多少違和感があってもいいからとにかく目立つ人を前面に持ってこようとしたのかもしれない。

身長206mのイーストマンと189cmのボヤニッチ
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 他にもボヤニッチは何人かの監督の下で何作かマカロニウエスタンを撮った。その一つがやはりジュゼッペ・ヴァリの Un buco in fronte(ドイツ語タイトル Ein Loch in der Stirn「額の穴」、1968)だが、これも全く平均的なマカロニウエスタンである。
 大金の在処が3枚のトランプにバラバラに記してある。全部そろわないと判読できないのだがカードをそれぞれ別の人が持っていてそれらが奪い合い、殺し合いをするという実にありがちなストーリーだ。ボヤニッチの役はそのうちの一人の委託を受けたガンマンで、敵側につかまって(定式通り)拷問を受けるがなんとか逃げ出して金の居所をつきとめるというスタンダートと言えばあまりにもスタンダードな展開。もちろんカードの持ち主は全員撃ち殺される。とにかくやたらと人が死ぬ。隠し場所はさる僧院だったが、あおりを食って罪もない僧侶たちもやはり虐殺される。ボヤニッチはその大金を生き残った僧侶たちに与えて去る。
 途中でボヤニッチが機関銃をぶっ放すシーンもあるし、とにかく他のマカロニウエスタンの寄せ集めのような感じで、今の時代ならこんな脚本それこそAIで書けるのではないだろうか。無くても別に誰も困らない映画ともいえようが、ただB級ではあっても駄作ではないことは強調しておきたい。定番マカロニウエスタンと言う安定性はあるからつい惰性で見てしまい、見終わっての感想も「ああつまらなかった」とはならない。例えばコルブッチの『グランド・キャニオンの大虐殺』より遥かに面白いことは私が保証する。

相変わらずドスの効いたUn buco in fronteでのボヤニッチの面構え。
LochinStirn-Bojanic
機関銃のないマカロニウエスタンなんてクリープを入れないコーヒーのようなもの(若者には通じない)
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  以上の三作ではボヤニッチは要するにクールな主役キャラだがあとの二つは違う。1968年の…E venne il tempo di uccidere(「殺しの時がやって来た」ドイツ語タイトルEinladung zum Totentanz「死の舞踏への招待」)では落ちぶれたアル中保安官を、同じく1968年のChiedi perdono a Dio… non a me(「俺でなく神に許しを乞え」、ドイツ語タイトルDjango – den Colt an der Kehle「ジャンゴ、コルトを喉に」)では敵役、悪役を演じている。スタッフも俳優もマカロニウエスタンでお馴染みの顔で、例えば前者には後でジュリオ・ペトローニの『復讐無頼・狼たちの荒野』に出ていた子役のルチアーノ・カサモニカ、後者には善玉の相棒役としてペドロ・サンチェスが登場する。さらに前者のスコアはフランチェスコ・デ・マージの作曲で、それを歌うのはもちろんラウールだ。後者では最後にやっぱり機関銃も登場し(ただし撃つのはサンチェス)、ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思うくらいバッタバッタと人が死ぬ。しかしどちらも上の3作と同じく「マカロニウエスタンとしてはまあ合格、主役はきちんと渋く役をこなしている作品」である。特に…E venne il tempo di uccidereが印象的で、主役は外からやって来た若い保安官助手、この人がイニシアチブをとって酒飲みのダメ保安官にカツを入れて町の悪漢たちを退治するのだが、金髪碧眼でイケメンの主役俳優をボヤニッチが食ってしまっている。これの英語タイトルは「テキーラ・ジョー」Tequila Joeというのだが、これはボヤニッチ演じたダメ保安官の名前で、つまり主役として把握されてしまっているのだ。そういえば『殺しが静かにやって来る』はドイツでは主演クラウス・キンスキー、助演トランティニャンと把握されているがそれと似たようなものだ。

…E venne il tempo di uccidere。やる気のない飲んだくれ保安官(左)とやる気満々の若い助手
BojanicTotentanz

 さてボヤニッチは…E venne il tempo di uccidere をとった後セルビアに帰った。当時はまだマカロニウエスタンがまだ勢いを失っていなかったからもう少しイタリアに留まっても良かったんじゃないかとも思うが、まあ1968年が潮時だったのかもしれない。セルビアに帰った後はもうイタリア映画には出たりせずに本国で堅実に地位を築いていった。セルビアのベスト俳優とかいう類のリストにはたいてい入っている。1993年、ユーゴスラビア紛争の真っ最中にベオグラードで60歳で亡くなった。

本国セルビアでのボヤニッチ。当然ながら全部セルビア語。

https://www.youtube.com/watch?v=4zV6gd6ffT8

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