アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

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 私はリアルタイムで覚えている(とかバラすと年がバレる)のだが昔『子連れ狼』という劇画があった。水鴎流の達人拝一刀の陰惨な復讐劇だが、最終回でその一刀が深手を負ったまま宿敵柳生烈堂と対決し、とうとう力尽きて倒れたあと、三歳の息子大五郎が脇に落ちていた槍をとって烈堂に突進し、腹に一突き入れる。烈堂はそれを避けることなく両手を広げて自分の腹を突かせ、あまっさえそこで大五郎を槍ごと抱きしめて切先をさらに深く自分の体に突き入れるのである。その際烈堂は大五郎に向かって「我が孫よ」というのだが、この意味については二通りの解釈がある。一つ目は「大五郎は実は烈堂の孫だった」というもので、一刀の妻薊が烈堂の娘ということになるが、私は個人的にちょっと無理がありすぎると思っている。そうだとすると烈堂が自分の娘を惨殺させたということになるからだ。もちろん「草」と呼ばれる柳生配下の忍びの者のその後の行動をみれば自分の子を殺すくらいやるだろうとは思うが、一方で烈堂は自分の子供たちはそれなりに皆可愛がっており、臨月の実の娘の斬殺までやるかというと疑問が残る。宿敵拝一刀などの所に嫁いだ罰だというのなら、じゃあなぜそもそも娘をそんなところに嫁にやったのか解せない。念のためこの際原作28巻をすべて読んでみたが、「薊は烈堂の娘」などとは暗示さえする場面もない。この解釈はどうも根拠がないと思う。もう一つの解釈は不倶戴天の敵同士とはいえ一刀と烈堂は腕でも根性でも同等なので、烈堂は一刀を自分の息子と見なし、その子大五郎を孫と呼んだというもの。大雑把にはしょると「敵ながらあっぱれ」という烈堂から死んだ一刀に向けてのメッセージだ。私は自然にこちらの解釈をとった。もっとも技量と精神力は同等かもしれないが、その行動・目的にブレなく心に曇りなく、生き方もストイックな点で人間としては一刀のほうが上だろう。ひょっとしたら烈堂もその点で敗北を感じたから自分の腹に槍を突きさせたのかもしれない。
 その一刀は片手に大五郎を抱いてキメたポーズが有名だが、その際常に左手で子を抱いているのがさすがだ。そういえば野球のピッチャーも子供を抱き上げるときは必ず球を投げないほう、つまり利き腕ではないほうで抱いたそうだが、それと同じだろう。剣を持たないほうの手で子を抱くのである。

拝一刀と言えば何といってもこのポーズ。必ず左手で子供を抱く。
小池一夫・小島剛夕、1972~1976年、『子連れ狼』、第8巻、66ページ、東京:双葉社

8-66

同第13巻、92ページ
13-92

『子連れ狼』の最終回を読んでいる時読者はほとんど全員こういう気持ちでいたに違いない。
同第28巻、151ページ
28-151
 もうひとつ「我が孫よ」で気になるのはそこで使われている不変化詞「よ」である。前に日本語の格は13あると書いたが(『152.Noとしか言えない見本』参照)、実はその時不変化詞「よ」を付加して表される「ブルータスよ」などの形を「呼格」として一つの格と見るべき、つまり「よ」を格助詞とみるべきなのではないかと迷った。最終的には否定の方に傾いたのだが、完全にズバッと却下できたわけではない。この機会にちょっと見直してみたい。
 まず「よ」も他の格助詞も頻繁に省略はされる。されるのだがされた際のニュアンスに大きな違いがある。例えば

山田さん来た!
山田さん来た!

あるいは

もうその本読みましたか?
もうその本読みましたか?

のどちらがそれぞれ「正しいか」と聞けば皆最初の方だと答えるだろう。二番目の文では本来あるべきものが省略されていることを明確に感じるのだ、それに対し

ブルータス、お前もか。
ブルータス、お前もか。

のどちらの文が「正しいか」という質問に最初の文の方が正しいと答える人はあまりいまい。「どちらも正しい」「この二つの文はそもそもニュアンスが違うから正しい正しくないなどとは決められない」などという答えが返ってくると思う。ではどんな「ニュアンスの差」かというとこれも割と簡単で、「よ」は明らかに文語調である。だから「烈堂よ、お主も老いたな」とは言えるが「山田さんよ、あなたも年を取りましたね」とは言えない。また下でも述べるように口語の「おいおいお前よぉ」の「よぉ」とこの疑似呼格「よ」とは別単語であると私は思っている。
 そういえば『子連れ狼』は当時萬屋錦之介主演でTVシリーズ化されたが、その最終回での烈堂のセリフは「おお、我が孫よ」といって感嘆詞がついていた。この感嘆詞はあくまで「おお」であって「おう」ではない。「おお」と「おう」では発音は全く同じだが、ニュアンス的に明確な差があり「おお」の方が格調が高い。だから「おう、我が孫よ」だとおかしいし、逆に「おお、この桜吹雪が見えねえか」は文体的にギクシャクしている。「おう、この桜吹雪が見えねえか」でないと座りが悪い。

 この、名詞につく「よ」は文語的というのが第一の注意点だが、口語文法では時々終助詞の「よ」と間投助詞の「よ」を分けている。「我が孫よ」の「よ」は間投助詞だ。辞書によっては終助詞の「よ」でも間投助詞の「よ」でも「文末の種々の語に付く」と全く同じ説明がしてあってイライラする。終助詞は動詞形容詞の終止形、間投助詞は名詞につくとズバリと言いきっていけないことはないと思うが(中に間投助詞の例として 「君だよ、そこの君。」という文をあげているのがあった。こういうRight Dislocationを持ち出すのは反則だろうし、そもそも「君だよ」の「よ」はコピュラの終止形についているから終助詞ではないのか)、とにかく「よ」ではNPに付くのとCP(またはS)レベルにつくのを区別する。いわゆる体言止めの文でもCPと見なす。たとえば次の文ではそれぞれ二番目の文で動詞に「の」がついて文全体が名詞化されているのでウルサク言えば名詞に接続しているはずだが間投助詞ではなく終助詞とみなす。

昨日東京に行ったよ。
昨日東京に行ったよ。

山田さんは馬鹿だよ。
山田さんは馬鹿なよ。

ここで「山田さんは馬鹿よ」という場合は「馬鹿」の品詞が違う。「馬鹿なのよ」馬鹿はナ形容詞だが、「馬鹿よ」の馬鹿は「馬鹿者」という意味の名詞である。「馬鹿だよ」についてはナ形容詞、名詞の二通りの解釈が可能だ。
 つまり間投助詞は文語時代には普通に使われていたが口語では廃れてしまい、それを使った表現はいわば有標、それに対して終助詞の「よ」は完全に口語体系内に根を下ろしているということになる。それが証拠に終助詞の「よ」を使うと間投助詞の「よ」と逆に格調が下がるのだ。

間投助詞
ブルータス、お前もか。
終助詞
ブルータス、お前もか

だから「ブルータスよ、そなたもか」とは言えるが「ブルータス、そなたもかよ」とは言えない。「ブルータスよ、お前もかよ」は「よ」が二回ついてウザいという以前に二つの「よ」が文体的に相反して互いに排斥しあうのでやはりNGである。
 終助詞の「よ」と間投助詞の「よ」はシンタクスの面でも機能の面でも異なり、しかも相互排除しあうという点で、完全に別単語だ。さらに「ブルータスよぅ、お前もか」の「よぅ」はそもそも助詞ではなく感嘆詞だろう。「よぅ、ブルータス」の「よぅ」が後置されたものだと思う。文の品が急降下するが「ブルータスよぅ、お前もかよ」という文は問題なく成り立つ。感嘆詞の「よぅ」と間投助詞の「よ」が文体レベルで同類項だからだ。ここでは最後の「よ」は助詞だが、「ブルータスよぅ、お前もかよぅ」だと最後の「よぅ」は感嘆詞で、シンタクス構造が違う。とにかく終助詞の「よ」と間投助詞の「よ」、感嘆詞の「よ(ぅ)」は別単語であろう。

 さて上述のように文語では間投助詞の「よ」が普通に(つまり無標表現として)使われていたのなら、では文語には「格としての呼格」があったと見なすべきだろうか。例えばロシア語で oh my god を боже мой というが、この боже という形は「神」бог の呼格形だ。ロシア語では語形変化のパラダイムとしての呼格は失われてしまったが、昔あった呼格の名残がまだそこここに残っているのであるわけだ。現代日本語の「よ」もそんな感じなのだろうか。だがこればかりはネイティブを捕まえてその言語感覚にたよるほかはない。つぎの文のどちらが「正しい」と感ずるか、昔の人に聞いてみるしかないのである。

少納言。直衣着たりつらんは、いづら。
少納言、直衣着たりつらんは、いづら。

そこで相手が最初の文が本来正しいと答えたら呼格の存在が濃厚、単なるニュアンスの差と答えたら「よ」は単なる間投助詞ということになろうが、何といっても文語のネイティブはとっくに死に絶えているから調査のしようがない。私はどうも昔の人も今と同様「ニュアンスの差」と答えるような気がするのだが、それはあくまで私の勝手なフィーリングである。
  そのようなわけで私は口語でも文語でも、つまり日本語には呼格という格はない、という見解に傾いてはいるのだが、一つ引っかかる点がある、文語には「よ」という正真正銘の格助詞が存在したということだ。現在の「より」と同じく奪格を表していたが、上代では具格も引き受けていた。今でいう「で」である。

浅小竹原腰なづむ空は行かず足行くな

奪格や具格と呼格では機能が違いすぎるし、いくら形が同じだからと言って間投助詞の「よ」と格助詞の「よ」を同単語あるいは同起源と見るのは乱暴すぎるだろう。第一呼格が吸収される場合は(少なくとも印欧語に限っては)例外なく主格が呼格を飲み込む。対格や奪格、具格などの斜格が呼格を吸収した例はない。斜格が呼格の機能を担うようになるなど前代未聞である。しかし奪格・具格の「よ」とは完全に別単語ならそれでもいいから、間投助詞の「よ」のほうもほうとしてひょっとして太古の昔は何らかの格意識を担っていたりはしなかったのかな、という想いが心の隅の隅でまだしつこく燻っている。もっともそれを言い出すと格とは何ぞや、日本語にそもそも格はあるのかという大問題に発展しそうで私の手に負えなくなるだろうから、あまりこれ以上つつかずにそのまま燻っていて貰うほうが無難だが。

 「我が孫よ」の考察が一段落したところで本題の『子連れ狼』に戻るが、この作品が漫画アクションに連載されていたのは1970年から1976年まで。日本映画界が崩壊し、黒澤明が自殺未遂にまで追い込まれ、そこからまた立ち直って『デルス・ウザーラ』を撮った時期と重なる。
 黒澤監督は漫画を嫌い「手塚治虫以外の漫画は子供には読ますな。特に少女漫画はいけない」と言っていたそうだ(当時の分類に従えば『子連れ狼』は「漫画」ではなく「劇画」だが)。またテレビへの対抗処置として手っ取り早く観客をおびき寄せるため「性と暴力」路線に墜ちてかえって崩壊の速度を高めた当時の映画界とは「断固戦う」とまで言明していたくらいだから、監督が『子連れ狼』の原作を読んでいたということはないだろう。いわんや監督がこの作品の「ファン」だったなどとは絶対あり得ないと思っている。一方また監督も家でTVそのものは結構見ていたようだし、晩年はジブリのアニメなども好きだったらしいので、萬屋の『子連れ狼』のほうは見ていたかも、少なくともこの作品は知っていたかもしれない。
 なぜ私がここまで黒澤明が『子連れ狼』を見た見ないにこだわるかと言うと、実は私は『乱』の一文字秀虎を見てつい柳生烈堂を思い出してしまったからである。そりゃあ妄想がひどすぎると言われればまあそうかもしれないが、逆方向、黒澤から『子連れ狼』への影響のほうははっきりしている。例えば第11巻の十三弦というエピソードでは困窮して当然標準価格の一殺五百両など出せない百姓の頼みを一膳の飯で引き受ける。『七人の侍』そのものだ。この一刀というキャラは生きざまと言い、死にざまと言い、冷酷なようで実は非常に慈悲深い人格と言い、そもそも拝一刀などという名前と言い、文句のつけようがないまさに理想の侍ではないだろうか。『七人の侍』の久蔵をベースに『隠し砦の三悪人』の真壁六郎太を小さじ一杯ほど加え凄みを効かせたような感じ。ただ黒澤はその理想の侍を「刺客」という設定にすることは絶対あるまい。黒澤のヤクザ嫌い、無法者嫌いは有名だ。
 もうひとつ黒澤映画の侍たちと違うのはその死に方だろう。黒澤は理想の侍を銃で死なせた。監督自身「野武士との斬りあいなどで殺させたくはなかった。道端で惨めた死にざまを晒させたくなかった。バーンと撃たれて死んだ方が潔い」と言っていたそうだ。潔く花と散る散華の死に方をさせたかったと。子連れ狼・拝一刀の死に場所はさすがに「道端」などではなかったが延々と続く斬り合いで血を流し、いわばボロボロになりながらも最後まで倒れずに立ったまま死ぬ。確かに凄惨すぎて「花と散る」というイメージではない。一方これはあくまで私の個人的な考えだが、せっかく剣で鍛えたのに結局は飛び道具でイチコロという展開より侍は侍らしく剣で死ぬ方がむしろ散華と言えるのではないだろうか。自分が斬り殺されるわけではないから無責任なことを言って恐縮だが。
 とにかく『子連れ狼』を読んでいると他にも黒澤の時代劇のあの場面・この場面がチラチラする。例えば第3巻16話では千秋実と稲葉義男(『七人の侍』)と藤田進(『隠し砦の三悪人』)を合計して3で割ったような感じの侍が一刀に「刺客なんかを止めろ」と説く。もっともこれらは小池一夫(原作)あるいは小島剛夕(画)が意識的に借用したというより(上述の一膳の飯の場面だけは意識的だろうが)、時代劇を作ろうと思ったら黒澤映画を避けて通ることはできなかったといったほうがいいだろう。何をどう描写しようが黒澤時代劇の中に似たようなキャラが見つかってしまうのである。そういえば『子連れ狼』の連載が始まる前年、1969年には『七人の侍』などの黒澤作品が初めてTV放映もされているから劇場公開で見逃してこの時初めて見たという人も多かったに違いない。
 またこれは徹底的にどうでもいい話だが、小島剛夕は黒澤がただ一人「読むに足る漫画家」と認めた手塚治虫と誕生日が全く同じなんだそうだ。

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 同じ語を二回繰り返して意味を強調するという文体上の作戦はどの言語にもある。日本語ではどちらかというとくだけた口語文脈で使われることが多いのではないだろうか。「うわっ、こりゃ危ない危ない」、「山田さん、怒った怒った」など。前者では「危ない」の代わりに「危ねえ」と言った方がマッチする感じ。もし文章語として使われるとしたら、童話や昔話など「語りかけ」の要素が強いジャンルでだ。つまり普通の書き言葉よりは日常語寄りということ。「ジャックが種を蒔くと豆の木は大きく大きくなりました」、「おじいさんが捕まえた魚はきれいなきれいな金の魚でした」など語尾も「ですます」のほうが合う。これをモロ文章体にして「おじいさんが捕まえた魚はきれいなきれいな金の魚だった」とやるとあきらかに座りが悪くなる。
 ロシア語でも「とても悲しい」を грустно- грустно と「悲しい」を二つ重ねているのをみたことがあるが、これも童話のテキストだった。ただし「普通の」文学でも何度か見かけたことがあるから、ロシア語のほうが口語性が低いのかもしれない。ベラルーシ語の з давён-даўна も(『33.サインはV』参照)別に特に「くだけた表現」のわけではなさそうだ。

 しかし日本語で繰り返しがもっと顕著なのは何といっても擬態語だろう。もっともここの繰り返しは語レベルではなく音韻レベル、つまり2モーラを二つ重ねて2×2=4モーラのフットに整えるというのが主目的なのではないだろうか。日本語は「パーソナルコンピューター」→「パソコン」、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」→「あけおめ」「ことよろ」などフットが大好きだから。その際有声音と無声音のペア構造になっていることがあり、有声音のほうは印象がダントツに悪い。さすが有声音を「汚い音・濁った音」と名付ける日本語だ。昔は日本語の子音は鼻音と流音の他は無声音だけだったのではないかと囁かれるのもむべなるかな。「有声子音がない」のはアイヌ語もそうだし、太平洋の対岸、メキシコのナワトル語もそうである。まあちょっと日本語のペアを見てみよう。

キラキラ:純真な子供の澄んだ瞳が輝く
ギラギラ:血走った強姦犯人が女性を見る時の目の光り方

サラサラ:美しいお肌
ザラザラ:荒れ果てたお肌

コロコロ:軽やかに車輪が回転する
ゴロゴロ:今一つ重そうに回転する

ピチャピチャ:アヒルの子が水をはね散らす
ビチャビチャ:豚の子が泥水をはね散らす

シトシト:恵みの雨
ジトジト:しつこく降るウザい雨

これらの擬態語は品詞としては副詞だが、ナ形容詞に品詞転換することができる。面白いことに元来の副詞でいる時はアクセントが第一モーラに来るのに、ナ形容詞になるとアクセントが中和される。その中和されたアクセントは、ナ形容詞形をさらに連用形にして二次的に再び副詞にしてももう戻ってこない。わかりやすいように高部を、低部を黄色で表してみよう。

まず元の副詞は…

星がラキラ光る。
目が血走ってラギラ光る。
春の小川はラサラ行くよ。
砂まみれで肌がラザラする。

これらをナ形容詞にして付加語に使うと…    

ラキラな
ラギラな目つき
ラサラなお肌
ラザラなお肌

付加語だとちょっと不自然な日本語になるものもあるので、述語にしてみよう。アクセントは中和されたままだ。

星がラキラだ
目つきがラギラだ
お肌がラサラだ
お肌がラザラだ

これを「星がラキラだ」と元のままのアクセントで言うとおかしい。おかしくないという人はこれを「「星がキラキラØ」だ」といわば埋め込み文と解釈しているから、言い換えると何らかの動詞が省略されているからである。
 次にこれらのナ形容詞を連用形にして品詞としては副詞に戻してみよう。一番上の元の副詞と比べてみて欲しい。アクセントが相変わらず中和されたままなのがわかる。

星がラキラに光る。
目が血走ってラギラに光る。
春の小川はラサラに流れる。
砂まみれで肌がラザラになった。

これに対して元々の副詞に「~と」をつけてもアクセントは中和されない。

星がラキラと光る。
目が血走ってラギラと光る。
春の小川はラサラと流れる。
砂まみれで肌がラザラとする。

これは要するに「~に」はナ形容詞の一部、つまり語尾であるのに対して「~と」は副詞本体とは別語だからだろう。言い換えると「キラキラに」は一語だが「キラキラと」は「キラキラ+と」の二語。この「~と」は多分 Complementizer、つまり「山田さんはハンサムだと思います」の「と」と同じ語だと思う。「キラキラ」は副詞なのだから共格マーカーの「~と」がつくわけがない。
 またナ形容詞として固定してしまった「繰り返し語」、例えばカツカツなどには語尾のない副詞形が存在しない。下の*マークのついた文は非文である。少なくとも最初のカツカツとは意味がズレる。

予算がツカツになった。
*予算がツカツとなった。
*予算はツカツ減った。

 もう一つ、色彩名称が繰り返されて「赤々」「白々」「黒々」「青々」といった副詞を作る場合があるが、二つ目の子音は対応する有声子音になる。またこの畳み掛けができるのは『166.青と緑』でも述べた「元々日本語にあった基本の色彩名称」に限る、というのも面白い。「緑々」「紫々」「黄々」という言葉は存在しない。

 とにかくたかが(?)繰り返しにもいろいろなメカニズムが働いでいるのがわかるが、繰り返しが文法機能を担っている場合がある。文法用語になると「繰り返し」などという日常用語でなく Reduplication というれっきとした専門用語を使ってハクをつける。日本語では「畳音」あるいは「重字」と訳されている。
 例えば古典ギリシア語では完了体をこの畳音によって形成する。直説法能動体一人称単数形で見てみよう。
Tabelle1-200
太字の部分が畳音部だが、そこに音韻規則があって単に頭のシラブルを繰り返せばいいというものではないことがわかる。まず p 以外の子音だと母音は e  になり、子音連続の場合は最初の子音だけが繰り返され、帯気音は対応する無気音になる(θ は今の英語の th の音ではない。帯気の t である)。ここには出さなかったが母音で始まる動詞はその母音が長母音になる。もちろん畳音だけで完了体を作るわけではなく、語尾変化もするし過去完了に見られるように語頭に加音されたりする。この加音現象をオーグメントとも呼んでいる。

 サンスクリットでも畳音は大活躍だ。古典ギリシア語と同様完了体(単純完了体)に畳音が現れる。ギリシャ語と統一がとれていなくて申し訳ないが、動詞語幹と能動態完了形3人称単数を示す。さらに私はデーバナーガリーが読めないので(ププッ)ローマ字表記。
Tabelle2-200
ここでもやはり帯気音は無気化する。k や h が口蓋化していたり、やはり単に頭を繰り返すだけではない。「見る」dṛś- と「なす」kṛ- の頭は一見子音連続のようだが、サンスクリットでは ṛ(シラブル形成の r) は母音扱いなので、これらは「子音連続の場合は最初の子音だけ繰り返す」例にはならない。これらは例にはならないが、ギリシャ語同様「最初の子音だけ繰り返す」という原則が働いていることは他の例が示している(下記)。
 サンスクリットにはさらにアオリストにも畳音を使う形成パターンもある:śri-(語幹)→ aśiśriyat(アオリスト能動態三人称複数)(「赴く」)、dru- → adudruvat(「走る」)。「~もある」と書いたのは他にもいろいろアオリストのパターンがあるからだが、とにかくここでは連続子音の最初の子音だけが重なっている。オーグメントが現れているが、これはギリシャ語のアオリスト直説法能動態もそうだ。ただしギリシャ語では畳音は出ない。
 サンスクリットで面白いのは、畳音で特定のアクチオンスアルト(『194.動作様態とアスペクト その1』参照)を表現する語幹を作ることだ。「強意」と呼ばれ、当該動作が強い強度で、または反復して行われるアクチオンスアルトである。完了体やアオリストと同じく畳音だけでなくそれ用の形態素もつくが、この場合はアクチオンスアルト的に中立な語幹から別の語幹が作られるので、新規作成の語幹も現在形、完了形、アオリストなど思い切りパラダイム変化する。それら新規作成語幹がさらに完了形やアオリストになったらどうなるのかと一瞬心配したが、完了形もアオリストも畳音を使わないパターンを使うそうだ。それはそうだろう、畳音がまた畳音になったら際限がない。
Tabelle3-200
いくつかの動詞はすでに上で挙げているが、母音が変化すること、k や g が硬口蓋化することなど基本原則は同じようだ。「行く」でわかる通り鼻音が畳音部に残っていたり、「落ちる」で畳音と元の語幹の間にさらに -ni- という要素が入ってきたりいろいろ注意点はあるが、全体として畳音性は明確に見て取れる。あまり明確にわからないのは意味の方で、「与える」という動作を強度に行うとどういう風になるのかちょっと想像しにくい。それともこれは皆「反復」と解釈していいのか。

 古典ギリシャ語やサンスクリットでは畳音が現れるのは活用、つまり動詞にだが、曲用、名詞の方にこれが出る言語がある。上で名を出した古典ナワトル語だ(以下単にナワトル語と呼ぶ)。名詞の複数形を作るのにこの畳音を使うことがある。「ことがある」というのはナワトル語では複数形のパターンがいくつかあるからで、畳音を使うのはその中の二つだ。それぞれ /R-’/、/R-tin/と表されるパターンで、Rというのが Reduplication、畳音のことだ。最初のタイプは頭のシラブルを繰り返し、語幹の後に声門閉鎖音を追加する。第二のタイプは、頭を重ねた後 -tin という接尾辞をつける。ちょっと例を見てみよう。
Tabelle4-200
単数形の語尾の -tl は絶対格マーカーといい、「ナワトル」 nahuatl の「トル」もこれだ。この音はしかし日本語の「トル」でないことはもちろんだが tl でさえない。測音破擦音という一つの音なので誤解を避けるために λ で表すことがある。母音に後続すると -tl、子音の後だと -tli だが、先行子音が l だと l になるので本来 piltli になるはずの「子供」が pilli という形をしている。稀にこの絶対格がつかない名詞もある(「魚」、「星」)。ローマ字はスペイン語読みが基本で、cu は ku、ci は si、(ここには出てこないが)qui は ki、z は s。さらに uc、cu はどちらも円唇の kw だが、前者は子音の後(「首長」)または語尾、後者は母音の前で綴られる。同様に uh、hu はどちらも w で、前者が子音の前と語尾、後者が母音の前。âなど語尾の母音に屋根がついているのはその後に声門閉鎖音が来るという意味で、語中の母音の後の声門閉鎖が来る場合は ù、à など逆向きアクセント記号(?)で示す。ìtoa(「言う」)など。また複数形があるのは基本人間や動物など生物に限られ、石だの木(厳密にいえば生物ですけどね)だのには単数形しかないが、例外として「人格化された非生物」が生物扱いされて複数形を作れるも名詞がある。上の「山」「星」などがそれだ。
 ナワトル語の畳音は複雑な音韻規則がなく母音や子音の変化なしで素直に頭のシラブルが繰り返されることがわかる。ただし母音は長母音になる。
 もう一つ、敬意あるいは親愛の情を表すために -tzin という形態素を名詞の語幹と絶対格マーカーの間に挟むことがある。それで「愛しい子」は piltzintli(最後の音が n という子音になるので前対格は -tli)。これを複数にすると語幹とその形態素の頭が両方ダブって  pīpiltzitzintin となる。複数マーカーの -tin はそのままだ。

 そういえばナワトル語も動詞の活用にオーグメントがつくことがある。例えば「見る」は itta の主語が一人称単数、目的語が単数三人称(ナワトル語では動詞が目的語によっても変化する)の過去形は niqtittac で、「私がペドロを見た」は

ni-qu-itta-c in Pedro
(1.sg.-3.sg.-see-Pret + the + Pedro)

だが、ここにさらに ō- というオーグメントをつけて ō-ni-qu-itta-c in Pedro と言うことも頻繁だ。このō- がつくと当該事象が終了し、その結果が現在まで影響しているという意味合いになるそうだ。ロシア語の完了体のイメージである。

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 『172.デルス・ウザーラの言語』で述べたが1975年の黒澤明以前、1961年にソ連の監督アガシ・ババヤンが『デルス・ウザーラ』を映画化している。この2本を比べてみると結構面白い。
 まず単純に長さだが、黒澤のが2時間21分、ババヤンのが1時間26分で前者が一時間近く長い。これは黒澤版が二部構成になっているからだ。
 黒澤映画ではデルスがアルセーニエフの探検に二度同行する。最初の探検の後アルセーニエフは一旦デルスと分かれ、5年後に再びウスリー江領域を訪れて再会を果たす。再会のシーンが感動的だ。その2回目の探検の後アルセーニエフは少し年を取って体も衰えていたデルスをハバロフスクの自宅に引き取るがデルスは町の生活になじめず結局タイガに帰っていく。この二度目の別れの後アルセーニエフに電報が来て、森で死んでいたゴリド人が名刺を持っていたから人物確認してくれと言ってくるのだ。ラストシーンは呆然として埋葬されたデルスの脇にたたずむアルセーニエフの悲痛な姿である。デルスの死後再びその地を訪れたが墓の場所が見つからず、それをまた悼む姿がファーストシーン。1910年とテロップに出る。
 ババヤンでは探検は一回のみ。だから再会シーンがない。構成も一重で、1908年にアルセーニエフのところに使いが来て、死んだ人が名刺をもっていましたと言って見せる。それが自分がかつてデルスに渡した名刺と気づき、デルスを回想し始める。ラストは日本海岸に出て目的に達した探検隊とデルスの別れで、アルセーニエフはそこでいつでも気が向いたとき訪ねてきてほしいといって名刺に住所を書いてデルスに渡す。つまりハバロフスクのシーンはババヤンにはない。
 まとめてみると黒澤の映画が「死を回想→出会い→別れ→再会→二度目の別れ→死の知らせ→追悼」という構成なのに対し、ババヤンでは「死の知らせ→出会い→別れ」と単純なものになっている。さらにうるさく言えば回想の対象も両者では異なっていて、黒澤映画で回想されるのは「死」(死んだデルス)である一方ババヤンのアルセーニエフが想いを馳せるのは「生」(生前のデルス)である。双方デルスとの別れがラストではあるのだが、ババヤンのデルスはアルセーニエフと別れる時もちろんまだ生きている。対して黒澤のラストは永遠の別れで、デルスはもうこの世にはいない。映画製作当時、ババヤンは40歳、黒澤は65歳。40歳といえば黒澤のほうは『七人の侍』映画を撮っていた頃でまさに壮年期だ。さらに『デルス・ウザーラ』を作った時の65歳というのもただの65歳ではない。自殺未遂の直後である。この辺を考えると黒澤は死に想いを馳せ、ババヤンは生を描いたという差がわかる気がする。

ババヤンの『デルス・ウザーラ』の冒頭。使いが知らせを持ってくる。
babayan-start2
黒澤明の『デルス・ウザーラ』の冒頭で友の墓の場所がわからず、悲嘆にくれるアルセーニエフ。
Kurosawa-Start
ババヤンのラストシーン。デルスとの別れ。デルスは(まだ)生きている。
Babayan-ending
黒澤では「永遠の別れ」がラスト。デルスはもうこの世にいない。
Kurosawa-einding
 構成もだが描かれるエピソードもかなり異なっている。原作は同じでもそこから取捨選択し、あるいは付け加え、どう再構成するかに監督の個性や思想が出るのだからこれはまあ当たり前と言えば当たり前だろう。それでも両者に共通するシーンがいくつかあって非常に比べ甲斐(?)がある。
 まずデルス登場の場面だ。兵士らが「熊か」と構えるところにデルスが「撃つな、人間だ。」といいながら近づいてくる。画面の構図はよく似ているしそこで交わされる会話もほとんど同じだ。違うのは邂逅場面にいたるまでの経過で、黒澤はとにかくあらゆるシーンにじっくりと時間をかけて自然を描写し、アルセーニエフの心情を描き出して「準備」を整える。ババヤンはそこでアルセーニエフ一行が探検している地方の「地図」を画面に出すのだ。史実は確かにわかりやすくなるが、自然の神秘性そのもの、あるいは脅威感は薄れ、人間が自然を克服した感が前面に出る。全体的にババヤンの映画は自然描写・心情描写よりもエピソードの描写が主になっている感じだ。出来事の説明である。だから地図も出す。アルセーニエフがデルスと出会う前に実はすでに別の人物が案内役として雇われていたがデルスの登場と前後して道がわからないから家族のところへ帰りたいと言い出し、アルセーニエフがガイド料を半分やって(旅はまだ始まったばかりでこの人は半分の仕事さえしていないんじゃないかと思うが)引き取らせる。そこでデルスに案内を頼むことになるのだが、ババヤンではこういうエピソード語りが「準備」である。また下でも述べるがババヤンには黒澤に比べて自然開発ということへのポジティブ感が漂う。

ガイドが辞めたいというので、アルセーニエフは料金の半額をやって帰らせる。
babayan-guide2
 同行の兵士の一人が現れたデルスにいろいろ質問するが、ババヤンではその兵士はトルトィーギンといい、旅の間中デルスをちょっと上から目線で扱う。ここでも質問の仕方がまるで尋問だ。黒澤ではこれがずっと若い兵士で、口調は馴れ馴れしいが見下げている感じはない。ロシア人とは毛色の違ったデルスに興味津々だ。この兵士はオレンチエフといってトルトィーギンではない。上でも述べたように黒澤では探検は2度行われるが、トルトィーギンなる人物は第二回目の探検に参加しているメンバーなので、この最初の旅には出てこないのだ。ババヤンでは複数の旅が一回にまとめられているのでトルトィーギンが最初から登場しているのである。

胡散臭げにデルスを見ながら話しかけるババヤンのトルトィーギン
babayan-tortygin
黒澤映画では一回目の旅で最初デルスに話しかけるのはトルトィーギンでなくオレンチエフという若い兵士(右)。
kurosawa-olentiev
 もう一つ気づいた点はデルス登場の際アルセーニエフが名前を聞くシーンで、黒澤ではアルセーニエフは最初に「私はアルセーニエフと言う名前だ」と名乗ってからデルスに名を尋ねる。ババヤンのアルセーニエフはこの自己紹介をしない。もちろんアルセーニエフのその後のデルスに対する感服ぶりを見れば、別にこれは上から目線なのでも何でもなくちょっとした脚本の違いに過ぎないことは明白だが考えてみると結構意味深い。

ババヤンのデルス登場シーン。ちょっと暗くて見にくいが真ん中でデルスが「撃つな」と手を振っている。
Babayan-auftrittDerusu
黒澤での登場シーン
Kurosawa-Auftritt
 他の箇所でもそうだが、黒澤の描く自然は美しさと共に怖さや冷酷さが鮮明だ。ババヤンもそれはある。ババヤンだっていやしくも Заслуженный артист Российской Федерации(「ロシア連邦功労芸術家賞」)を受けたりした手腕のある監督だ。氏の『デルス・ウザーラ』も IMDB での評価は低くないし、決してツーリスト会社の宣伝ビデオみたいな甘い自然描写にはなっていない。黒澤との違いはババヤンがその冷酷で恐ろしい自然と戦って打ち勝つ人間の勇敢さが前面に出ている点だろう。黒澤からは「人間は決して自然に打ち勝つことなどできない」というメッセージが透けて見える。

黒澤明の凄まじいまでの自然描写。
Kurosawa-blackSun
 もう一つ共通なのが、デルスがパイプを失くして探しに戻った際虎の足跡に気付いて自分たちが跡をつけられていることを知り、虎に対して「自分たちはお前の邪魔をする気はないからあっちへ行け」と話しかける場面だ。ババヤンではここで虎がちゃんと(?)姿を現す。黒澤では出てこない。周りには濃い霧がかかり、虎の姿は見えない。しかしデルスには虎がどこにいるかはっきりと察知して霧の中のその方向に呼びかけるのである。闇もそうだが、霧も人間にとっては怖い。これのおかげで遭難や難破して命を落とした人間は数えきれない。人間は「目を見えなくするもの」が怖いのである。デルスはその闇や霧を怖がらない。それらと共存しているからである。そういう、いわば霧中や闇夜でも目が見えるデルスと比べると、ちゃんと足跡があるのにそれを見逃し嵐になるぞと風が大声で報せてくれているのに気付かない兵士など(もちろん私などもその最たるものだ)イチコロだ。現にデルスも兵士たちの目の節穴ぶりに呆れて「それじゃ一日だってタイガではやっていけないぞ」と溜息をつく。ごもっとも。
 そのデルスが闇を怖がるようになる。探検隊が森の中で新年を迎えるシーンだ。このシーンは双方にあるが、黒澤とババヤンではまったく取り上げ方が違っている。黒澤ではこの夜デルスは虎の幻影を見る。虎が自分を殺しに来るという恐怖に怯える。デルスが森を怖がり、闇を怖がったのはこれが初めてだ。そしてアルセーニエフとハバロフスクに行くことを承知、というより懇願するのである。デルスの悲劇の始まりだ。これには伏線があって、その前にデルスは不本意にも虎に発砲してしまい「虎を殺せば森の神が怒る。そして自分が死ぬまで虎を送ってよこす」と信じこむ(これがデルスの宗教だ。アニミズムである)。恐れに囚われるようになり「デルスは変わってしまった。ゴリド人の魂に何がおきたのか」とまでアルセーニエフに言わせている。虎への発砲シーンでは本当の虎が登場するが、評論家の白井芳夫の話によると最初ソ連側はそのためにサーカスの虎を連れて来たそうだ。すると黒澤は「こんな飼育された虎じゃダメだ、野生の虎を連れてこい」と言い出した。そうしたらソ連側は本当に探検隊を組織してマジに野生の虎を捕まえて来たというから驚く。しかしそこでソ連のさる監督が「オレが鹿を十頭捕まえてくれと頼んだときは無視したくせになんで黒澤にだけは虎なんだ」と怒った。それに対し当時のモスフィルムの所長ニコライ・シゾフ氏はあわてず騒がず、「あんたも黒澤くらいの映画を撮ってみなさい。そうすれば鹿なんて100頭でも捕まえてやるぞ」と言い放ったという。その怒ったソ連の監督とは誰なのかが気になる。まさかババヤンではないと思うが。
 話が逸れたが、ババヤンでは探検記をつけていたアルセ―ニエフがその夜が一月一日である事に気づき、兵士の一人が「じゃあ今日は祝日だ」という。原始林の中で祝日も何もないもんだが、デルスはロシアではその日が祝日なと聞いて「では」とばかりに「特別食」を作って兵士に提供する。しかし兵士の一人は疲労困憊の極致に陥っており、探検の続行を拒否しようとする。その折も折、別の兵士が暗い空をカモメが飛んでいるのを見つける。カモメがいる、ということは海が近いのだ。探検はその目的地に達したということである。こうしてギリギリのところで救われたのだが、ここで私はつい旧約聖書にあるノアの箱舟の話を思い出してしまった。いつまでも水が引かないので絶望しかけていた最後の瞬間、放っておいた鳩がオリーブの小枝をくわえて戻って来たというアレだ。唐突な連想のようだが、私がここで聖書を想起したのには訳がある。ババヤンの『デルス・ウザーラ』にはそれまでにいくつもキリスト教のモチーフが登場していたのだ。
 これもどちらの映画にも出てくるが、一行が森小屋をみつけるシーン。デルスが小屋を修繕し後から来る(かもしれない)者のために米と塩とマッチを残していく。「会ったこともなく、今後も会うことはないであろう見知らぬ人のため」に当たり前に見せるデルスの思いやりにアルセーニエフは感銘を受ける。ここは両者に共通だが、ババヤンではその直前に同行のトルトィーギンが「心のいい人物だが神を信じていない。キリスト教徒ではないから魂がない。」と言い切り「オレはれっきとしたクリスチャンだが奴は何だ」と威張る。トルトィーギンの周りに座っていた兵士らもあまりその発言に同調していなさそうな雰囲気だが、デルスの見知らぬ人への献身を見たアルセーニエフは明確にトルトィーギンの姿勢に根本的な疑問を抱く。しかしそのトルトィーギンも最後の最後、別れていくとき自分がいつも首にかけていた十字架をデルスに渡すのだ。あなたをクリスチャンと少なくとも同等の者と見なすという意味だろう。いいシーンだとは思うが結局「キリスト教徒」というのが人間として最上の存在という発想から抜け切れてはいない。
 念のため繰り返すが、この森小屋のエピソードは一回目の探検のときであり、黒澤ではトルトィーギンはまだいない。二回目の旅では黒澤でもトルトィーギンというキャラが登場するが外見は似ていても少し印象が違い、デルスといっしょに写真を撮ってもらう際自分の帽子を相手にかぶせておどけるなどずっと気さくそうな感じだ。十字を切ったりクリスチャン宣言する宗教的な場面は一切ない。

「キリスト教ではないから魂がない」と主張するトルトィーギン(左端)。周りの兵士はあまり同調していない感じ。
Babayan-christ2
気さくそうな黒澤のトルトィーギン。
Kurosawa-Tortygin
 しかし実はこのトルトィーギンばかりではない、ババヤンではそもそもの冒頭、上で述べたようにアルセーニエフのところに来た使いも「タイガで殺された иноверец が見つかりましたが、閣下の名刺を持っておりました」と伝えるのだ。иноверец というのは「異教徒」「非キリスト教」という意味で、つまり非クリスチャンが撃たれて死んでいたということ。黒澤のラストで死体の発見を使える電報には異教徒などといっしょくたにされることなく、きちんとゴリド人と民族名が書いてある。

アルセーニエフにところに来た「撃たれて死んでいたゴリド人が貴兄の名刺を持っていた」という電報。下記参照
Kurosawa-telegramm
 ソ連では宗教活動が禁止されていたはずなのにこの宗教色がでているのはババヤンがアルメニア人だからかなと一瞬考えもしたが、別にそんな深い理由があるわけでもなく単に「帝政ロシア時代の風物詩」として描写しただけかもしれない。いずれにせよ黒澤の映画のほうにはキリスト教色が全く感じられない。

 もう一つババヤンにあって黒澤にないのが上でも述べた「自然開発や国の発展へのポジティブ思考」である。探検隊が密猟者の罠を見つけてそこにかかった鹿を助け、他の罠も全部撤去するシーンがどちらの映画にもある。黒澤では誰がやったかについては「悪い中国人だ」というデルスの発言があるだけで、罠の撤去そのものはロシア兵たちが行う。ババヤンでは犯人の中国人が実際に画面に登場し(残念ながらロシア人の俳優らしくあまり中国人に見えない)、その一味に対してアルセーニエフが「2日以内にこれらの罠を全て撤去しろ」と厳しく言い渡す。アルセーニエフにはその権限があるからだ。ここはロシア領、皇帝配下の将校は支配者なのだ。黒澤にはこういう支配者の側に立った視点、国家権力というものをポジティブに描く視点はない。
 また、これはババヤンの映画にだけだが、大規模な山火事が発生しデルスがアルセーニエフを救う場面がある。そこで動けないアルセーニエフを一旦安全な場所に運んだデルスは、アルセーニエフがいつもそばに置いていた航海記というか探検の記録ノートを置いてきたことに気付いてもう一度火の中に戻っていく。探検の報告書というのはつまりロシア政府がウスリー江畔開発の下調査として命じたもの、つまり国家発展・自然開発の一環だ。デルスは命をかけてこれを守る。そういうデルスを描くその心は「少数民族ながら国の発展に貢献するのはあっぱれ」ということで、さらに突き詰めればロシア国家万歳である。まあ「万歳」というのは大げさすぎるにしてもこれが黒澤には一切ない。ロシアだけではない。黒澤は日本政府も一切万歳したことがない。黒澤が万歳するのはあくまで(正直で誠実に生きる)人間で、『デルス・ウザーラ』でも吹雪のハンカ湖でデルスが救うのはアルセーニエフというあくまで一個人である。

ババヤンのデルス・ウザーラはアルセーニエフを山火事から救い出す。
Babayan-Brand
黒澤ではアルセーニエフは凍死から救われる。
Kurosawa-Wind
 もう一つババヤンのほうだけにあるエピソードがある。アルセーニエフが石炭鉱を見つけて「石炭が出る。ここに町が作れるぞ。そして発展していくだろう」と喜ぶのを見てデルスが「何なんだその汚い黒い石は」とワケが分からなそうな顔をするシーンだ。アルセーニエフは歓びのあまり手帳の地図に感嘆符つきで уголь!「石炭!」と記入する。ここでもババヤンが、「発展・開発」というものを肯定的に見ていることがわかる。そもそも史実としてもアルセーニエフの探検の目的はウスリー江地域の開発の下調べなのだから。デルスのような純粋な魂の持ち主に住むことを許さない町、その人を死に追いやるだけでは飽き足らず、墓の場所をわからなくして静かに永眠することさえさせない「開発」とやらに対して否定的感情を隠さない黒澤との大きな相違点だと私は思っている。

アルセーニエフが石炭鉱を見つけて喜ぶ。
Babayan-Ugol2
歓びのあまり感嘆符付きで石炭の出る箇所を記入。
Babayan-Ugol1
 このようにいろいろ相違点はあるのだが、それでも双方ソ連映画だけあって、あまり「興行成績」や「採算」、もっと露骨に言えば「儲け」にカリカリしていない、独特の上品さが漂っていると思った。もちろんまったく金のことを念頭から外すなど不可能で、一応予算枠はあったそうだ。しかしその枠というのがユルく、多少オーバーしても「黒澤監督の芸術性を最優先する」ということでしかるべき理由があればホイホイ(でもないが)追加を認めてくれたらしい。さらに「金に換算できない部分が非常に大きかった」と当時日本から同行したプロデューサーの松江陽一が語っている。上で述べた虎捕獲などもそうだが、探検隊が引き連れている馬。これらは全部モスクワから運んで来たそうだ。その際馬一匹に各々一人ずつ世話をする赤軍兵士が同行していたというから、もしそれらの兵士に報酬を払ったりしていたら物凄い額になっていたはずである。
 松江氏はさらに続けて、言葉も習慣も政治体制も全く違う国でも同じ映画人同士、監督の意向はうまく現地のスタッフに伝わった、ソ連側は非常に協力的だったと述べている。もちろんそこへ行くまでの特に松江氏本人の苦労は並大抵ではなかったろうが、ソ連側のプロダクション・マネージャー(つまり「映画人」だ)など管理者側の役人の目を盗むために尽力してくれたりしたそうだ。言い換えるとソ連映画界には黒澤監督の創造・芸術的判断と意向を実現されてやれるだけの技術的下地があったということである。上で「上品」と言う言葉を使ったが、映画が上品であるためには質もいい作品でなければいけない。その上品な映画を作れる底力がソ連映画界にはあったのだ。まあエイゼンシュテインやタルコフスキイを生み出した国なのだから今さらそんな当たり前のことを言い立てるほうがおかしいか。変な言い方だが黒澤がいなくてもあれだけの『デルス・ウザーラ』を撮れる国だったのだ。ババヤンの映画を見ていてそう思った。
 さて第二の共通点は非常に些末な話なのだが、どちらも画面に出てくるロシア語が旧かな使いであることだ。『159.プラトーノフと硬音記号』で書いたように子音の後ろに律儀に硬音記号が入れてある。ババヤンでアルセーニエフが最後にデルスに渡す名刺をよく見ると自分の住所ハバロフスクがХабаровскъ と硬音記号つきの綴りになっている。ハバロフスクについては黒澤にもテロップが出るが、これにも硬音記号がついていて芸が細かい。現在なら Хабаровск となる。さらに上でも述べたが黒澤のアルセーニエフのところに届いた電報も硬音記号や і という文字が使われていて、それこそ「帝政ロシア時代の風物詩」だ。映画の電報の文面は

ГОСПОДИНУ В К АРСЕНЬЕВУ
ПРИ УБИТОМЪ ГОЛЬДЕ НАИДЕНА ВАША
ВИЗИТНАЯ КАРТОЧКА ПРОСИМЪ ПРИБЫТЬ
ДЛЯ ОПОЗНАНIЯ ТРУПА ПОЛИЦЕЙСКАЯ
ЧАСТЬ СТАНЦIЯ КОРФОВСКАЯ

となっているが(該当箇所を赤にした)、現代綴りではこうなる。I の代わりに И の字。

ГОСПОДИНУ В К АРСЕНЬЕВУ
ПРИ УБИТОМ ГОЛЬДЕ НАИДЕНА ВАША
ВИЗИТНАЯ КАРТОЧКА ПРОСИМ ПРИБЫТЬ
ДЛЯ ОПОЗНАНИЯ ТРУПА ПОЛИЦЕЙСКАЯ
ЧАСТЬ СТАНЦИЯ КОРФОВСКАЯ

V. K. あるせーにえふドノ
コロサレタごりどジンノ イタイカラ キケイノ
メイシ ミツカル イタイノ カクニンニ 
オコシ ネガイタシ ケイサツショ
カンカツ こるふぉふすかや

ババヤン(上)でも黒澤でも「ハバロフスク」が旧綴り。
babayan-unterschrift
Kurosawa-Chabarovsk


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 今さらこんなことを言うと当たり前すぎてかえって不思議がられそうだが日本語の形容詞は「用言」である。つまり動詞の仲間なのだ。「そんなこと決まってるだろバカ」と私を罵るのはまだ早い、実はこれが印欧語と決定的に違う割と重要なポイントで、確か松本克己教授もこの点を強調していた。なぜ形容詞が用言かというと日本語ではコピュラという動詞がなく、その機能を形容詞そのものが請け負うからだ。たとえば「アヒルはかわいい」という文の直接構成要素は「アヒル」という名詞と「かわいい」という形容詞だけでコピュラなどというつなぎはいらない。丁寧語バージョン「アヒルはかわいいです」では「です」がコピュラと言えないこともないがこの「です」は下記の「だ」と共にせいぜい「助動詞」であり、機能の点でも形の点でも動詞と比べて非常に範囲が限られていて完全に別の品詞だ。早い話が「です」や「だ」じゃあ印欧語のように be ambitious と形容詞にくっついて命令形を作ったり「~こと」と付加して to be ambitious のような不定形表現ができず、本チャン動詞を引っ張り出して助けを借りるしかない。それで命令形は「野心的であれ」「かわいくあれ」となるが、これらの表現はすでにやや文語的で普通の会話では使わない。不定形のほうも「野心的であること」「かわいくあること」と動詞を動員するワザとらしいというか不自然と言うかとにかくこんな言葉使いで会話をする人などいないだろう。動詞なしの「野心的なこと」「かわいいこと」では前者のナ形容詞では「な」はコピュラ「だ」の連体形だとも解釈できるからかろうじて存在を確認できるがイ形容詞では形容詞の連体形があるだけでコピュラなんてものは影も形もない。さらに「だ」なら上記のように何とか命令も不定形もできるが、「です」ではどちらも不可能である。「野心的ですあれ」「かわいいですあれ」は非文だし、「野心的ですこと」「かわいいですこと」は後ろに「おほほ」でもつけてお上品ぶった嫌みな女の発言にしかなり得ない。「野心的なこと」「かわいいこと」とは意味が全然違う。
 要するに「美しい」「おもしろい」「新しい」などのイ形容詞は厳密に言えばそれぞれ beautiful、interesting、new ではなくて be beautiful、be interesting、be new である(ナ形容詞については下記)。イ・ナ共に語形パラダイムの名前も「未然」「連用」「連体」「終止」など動詞とそっくり。さらに動詞に付くのと全く同じ助動詞、例えば「~すぎる」などを付加できる。「美しすぎる」「馬鹿すぎる」「食べすぎる」では最初がイ形容詞、二番目がナ、最後の例が動詞だ。もちろん語形自体は大分違うしパラダイムにしても命令形がなく未然も連用も形が二つに分かれていないなど動詞活用の観念をそのまま持ち込むわけにはいかないが、とにかく動詞の仲間だ。
 ナ形容詞は上で見たようにコピュラ動詞の助けがいるから、明確に用言であるイ形容詞より品詞としては名詞性を帯びる。訳すとしたらコピュラに括弧をつけて「きれい」→ (be) pretty、「馬鹿」→ (be) stupid、「静か」→ (be) silent とでもするべきだろう。理不尽なことにこの名詞に近い形容詞を学校文法では「形容動詞」などと呼んでいる。動詞なのはむしろイ形容詞の方だろう。この「形容動詞」という名称には異を唱える人も昔から多く、私個人も今まで「ナ形容詞」「イ形容詞」という呼び名しか使ったことがない。イとナは活用形も全く違うのでこれらを「形容詞」という一つの品詞としてくくるのは無理がありすぎるという配慮で「形容動詞」という別品詞を掲げたのかもしれないが、それだったら逆にイを「形容動詞」、ナを「形容名詞」とでも呼んだ方が適切なのではないだろうか。「形容名詞」(ナ形容詞)と名詞の差は、それらがそれぞれ別の名詞の付加語になるとき、名詞は属格マーカー「の」をとるのに対して形容名詞にはコピュラ助動詞の連体形「な」がくっつく点だけであって、その他はいろいろ共通する部分が多い。名詞・形容名詞(ナ形容詞)の二品詞にまたがる語もある。例えば「病気」だ。この語は基本的には名詞で a sick man は「病気の人」だが、「病気な人」という表現もできる。後者はむしろカタカナで「ビョーキな人」と書いた方がいいかもしれないがニュートラルに「病人」のことではなく「人格に問題のある人」という隠語だ。全然隠れていないが。逆に「馬鹿」は普通はナ形容詞に分類されるが両品詞にまたがっており、「馬鹿なことを言うな」の馬鹿はナ形容詞だが、「馬鹿は時々真を突くから怖い」「馬鹿のいう事など聞いていられない」の馬鹿は「馬鹿な人」という意味の名詞である。要するにナ形容詞は機能的にも文法的にも名詞とダブる点が多い。これが「形容動詞」などと呼ばれているのはおかしいと言えばおかしい。それともこの名称は「私は馬鹿だ」の「だ」という助動詞を動詞と見なして「(助)動詞を使う形容詞」「(助)動詞によって名詞が形容詞化したもの」ということなのか。しかしよく見てみると実はナの方が形容詞本家なのではないかという思われる節がある。外国語の形容詞を借用する際はナ形容詞になるのが基本だ。「イノセントな」「モダンな」であって、「イノセントい」「モダンい」などという形になることはない。「ナウい」という言葉は now という語が一旦「ナウな」というナ形容詞として日本語に定着した後、わざとギャグ的意味でイ形容詞に変換されたものだ。「挙動不審な」が「キョドい」になるのと同じである。
 いろいろ考え出すとあちらを立てればこちらが立たず的にどうも話が面倒くさくなってくるのでやはりナ形容詞・イ形容詞という名称を使うのが一番無難だと思う。それにナ形容詞にしても語幹そのものは名詞寄りかもしれないが、シンタクス機能の点では動詞に近い。例えば自分自身のバレンツ要素が取れる。「私はアヒルが好きだ」という文では「私」は主文の主語で「アヒル」は形容詞の主語、つまり形容詞に支配されている要素である。その主語もろとも「アヒルが好きだ」全体が形容詞。「私は頭が悪い」だともっとはっきりする。「頭が」は形容詞の支配下、つまり「頭が悪い」全体で形容詞の機能だ。形容詞が主文の主語とは異なる主語を取る構造など日本語では日常茶飯事で、「あいつは手が早い」「老人は朝が早い」「山田さんは字がきれいだ」などいくらでもできる。独自の主語を主格のままで取るなどという芸当は体言には無理だ。その点でも日本語の形容詞は動詞の仲間なのである。
 さて、その主語つき形容詞では主語はつまり形容詞の一部ということだ。だから主文とは別個にまた主語を取ることができるわけ。上の文と同じロジック内容の文をトピックなしの構造にしてみるとよくわかる:「お前、本当に手が早いな」→「おれじゃないよ、あいつだよ、あいつ、あいつが手が早いんだよ。」、「老人が朝が早いのはまあ仕方がないよ」、「この手紙を誰かに清書してもらいたいんだが、誰がいいかな」→「山田さんが字がきれいですよ」。太線は主文の主語、下線部は形容詞の主語で、シンタクスの位置が全然違うのだが、こういうダブル主格を見てヒステリーを起こした印欧語ネイティブがいる。

 印欧語では形容詞は名詞の仲間だ。だから名詞の語形変化と形容詞の語形変化をまとめて「曲用」Deklination という。格・数・文法性によって変化する。動詞の語形変化は「活用」Konjugation といい、時制や法などを表す。日本語の形容詞はどう見ても「活用」だ。動詞を仲介せずに形容詞に直接時制や法のマーカー(下線部)がつく。

きれいだ→きれいだった(時制)、きれいなら(ば)(法)

かわいい→かわいかった(時制)、かわいければ(法)

しかもこのマーカーは動詞につくのと同じマーカーである。上で述べた「~すぎる」もそうだが、動詞と形容詞には基本同じ助動詞がつくのだ。

読む→読ん(時制)、読め、読んだら(ば)(法)

 さらにいわゆる「て形」もそうだ。一つのセンテンスが複数の動詞を含む場合、最後のものだけが時制や法などの最終情報を担う。終止形だ。いわば最後の動詞だけが印欧語でいう定型 finite Form になるわけで、先行する他の動詞は「文はまだ終わっていない」とシグナルを出す「て形」をとる。印欧語だと複数の動詞からなる文で動詞の順番を変えられるが、日本語ではできない。動詞を二つ含む文内の動詞(とその支配要素)をそれぞれ色分けしてみよう。動詞そのものは太字にする。

Ich lese das Buch, schreibe einen Brief.

この本を読んで手紙を書く

二つの動詞句の間にはコンマでなく und(「そして」)という接続が入るのが普通だろうが、比較を簡単にするためコンマでつないだ。ドイツ語だと動詞句を入れ替えても動詞の形は変わらない。もちろん文の意味は変わるが文法的にはOKだ。

Ich schreibe einen Brief, lese das Buch.

日本語はそうはいかない。単に動詞句の位置を入れ変えただけでは非文になる。コンマを入れてもなお不可能、というより余計変になる。

手紙を書くこの本を読んで

青い動詞を終止形、黄色を「て形」にしないと文としては成り立たない。

手紙を書いてこの本を読む

この、最後の語が最終的な機能情報を担うというのは形容詞もいっしょで、最後の形容詞だけが終止形、先行形容詞は「て形」になる。今度は und でつないでみた。

Herr Yamada ist klug und lustig.
山田さんは頭がよくておもしろい

水色と黄色を入れ替える。ドイツ語はそのままでOKだが日本語は形容詞の語形を変化させないと非文。

Herr Yamada ist lustig und klug.
*山田さんはおもしろい頭がよくて
山田さんはおもしろくて頭がいい

上で日本語の形容詞は一つ一つがコピュラ付きと考えるべきだ、と言ったがこれがなかなか呑み込めなかった人がいる。「山田さんは頭がよくておもしろい」の形容詞の順番を入れ替えてみろといったら「山田さんは頭がおもしろくていい」と答えたのだ。ドイツ語の母語者だったが、これはドイツ語では主動詞コピュラが両方の形容詞を支配するので、その勢いで「頭が」が形容詞を二つとも支配すると思ってしまったのだ。さらに「形容詞はそれぞれ独自の主語をとれる」ので、「頭が」は「いい」のみの主語だということがよく理解できていなかったのである。双方の形容詞に主語がついていたらどう答えていたか実験(人体実験かよ)してみたいところだ。

山田さんは目がきれいで顔がかわいい

「きれい」はナ形容詞なのでイ形容詞の「かわいい」とは形が違うが、終止形対「て形」
という原則は変わらない。

山田さんは顔がかわいくて目がきれいだ
*山田さんは顔がかわいい目がきれいで

 もう一つ。これは「形容詞は用言」ということと直接関連性はないだろうが日本語の形容詞は比較級・最上級がなく、形としては原級あるのみ。比較級や最上級は形容詞そのものでなくその性質を帯びている名詞のほうにマーカーをつけて表す。例えばその性質を帯びている度合いが低い名詞に「より」というマーカーをつける。

山田さんは田中さんより親切だ。

という文では田中さんは親切の度合いが低いことになる。この「より」だが、これを格の一つとみなし主格の「が」、対格の「を」と同様、「私より」という「比較格」を提唱している人もいるが、考えてみると「より」は名詞のお尻ばかりでなく、「より少ない」「より美しい」など形容詞の頭にくっ付くことができる。それとも「山田さんより」の「より」と「より美しい」の「より」は別単語と見なすべきなのだろうか。そういえば「より美しい」は「美しい度合いが高い」という意味で「山田さんより」とは逆である。対して「私より山田さんに言ってよ」の「より」はさすがに「私よりきれい」の「より」と別単語とは考えにくい。機能も形容詞の場合と同じ(当該事象に相応しい程度が低い名詞につく)だからこれを格の一つと考えるのはある程度納得が行くのだが、ちょっと他の格マーカーと違った振る舞いをするので私個人は今のところ保留している(『152.Noとしか言えない見本』参照)。

 さて、さらに比較表現では当該特徴の度合いが高いほうの名詞に「~のほう」というマーカーが付くこともある。

山田さんのほうが田中さんより親切だ。

しかしこの「高い度合いマーカー」は必須ではなく、文脈からの比較級判断となることも日常茶飯事だ。

A:山田さんと田中さんとどちらが親切?
B1:山田さんのほうが親切よ。
B2:山田さんが親切よ。

A:鏡よ鏡、白雪姫と私とどちらがきれい?
B1:白雪姫のほうがきれいです。
B2:白雪姫がきれいです。

そもそもこの「のほう」というマーカーは単に当該名詞への指示を強調するのが働きで、本来比較級云々とは関係がない。省略可能なのは当然だろう。そこが「より」とは違う点だ。例えば次の文では「~のほう」は比較などではない。

ちょっと、私のほうを見て!
ちょっと、私を見て!

 比較級がないのだから形としての最上級もなく、最上級を表すには「いちばん」「最も」などの副詞を使う。これらは「より」のように格マーカー(?)でも「~のほう」のような後置詞でもなく、明確に副詞だ。つまり比較級や最上級的意味を表す品詞がバラバラな上省略されることも多いわけで、日本語の形容詞には原級しかないと見ざるをない。表そうと思えば表せるというだけで、単数・複数の場合と同じく文法カテゴリーとしては存在しない。

A:鏡よ鏡、この世で誰が一番きれい?
B1:白雪姫がいちばんきれいです。
B2:白雪姫がきれいです。

カテゴリーとして存在しないからまさに複数・単数の場合と同様、日本語からドイツ語などに訳す際は気をつけないといけない。日本語には単複の区別がないから英語のネイティブなら本能的に複数を使う文脈、たとえば「あなたの趣味はなんですか?」と聞こうとして hobby と単数を使ったりするがそれと同様「この中でどれがいいと思う?」という日本語をドイツ語に訳す際、うっかりすると was meinst du? Welches ist gut? とか原級を使ってしまう。Welches ist am besten と最上級にしないといけない。二つの選択肢を前にして「私はこれがきれいだと思うわ」というなら ich finde dies schön(原級)でなくich finde dies schöner(比較級)だ。

 確かに英語も3シラブル以上の形容詞の比較級・最上級はそれぞれ more と most という副詞をつけて表し、形容詞そのものは変化しない。さらに当該要素の少ない方の名詞に thanという前置詞というか副詞をつけるので、シンタクスの外見上日本語と似ているが(more も than も日本語の「より」に対応するから、This book is more interesting than that one はうるさく訳せば「この本はあの本よりより面白い」であろう)、これは本来から存在していた文法カテゴリーを別の方法で代理させると言う点が、カテゴリーそのものが最初から存在しない日本語との決定的な違いだろう。形としての比較級・最上級はきちんと保っているロシア語でもそれと並行して英語式の比較級・最上級も使われている。後者の方が簡単だ。

 面白いことにコーカサスのナフ・ダゲスタン語群(『169.ダゲスタンの言語』参照)にはナフ語の他は形容詞に原級しかなく、比較表現は名詞の方の格で表すそうだ。日本語みたいだ。クリモフという学者がクリツ語 Kryts language の次のような例をあげている。

Pari Aḥmad-war buduw
パーリはアハマードより年上だ。

bu- が形容詞で「大きい、年上の」、-d- がクラス(=文法性)マーカー、-uw がコピュラの現在形。形容詞は原級である。アハマードの後ろにくっついている -war という形態素が日本語の「より」で、クリモフはこれを「比較格」と名付けている。パーリの方の格の説明はないが、これは絶対格のはずである。わかりきっているからわざわざ言わなかったのだろう。
 クリツ語では比較格を取るが、他のダゲスタン語群 ではこういう時名詞が奪格をとる言語もあるそうだ。英語の from である。そういえば日本語の「より」も「ここより土足禁止」など、奪格めいた意味を持つことが多い。やっぱり日本語のも格の一つと見て保留を解いたほうがいいのか。

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 ドイツ鉄道がいかにスリル満点かは今までにも書いたが、先日またしても面白いことになった。私はさる路線で G(ゴキブリではない)という町に行っている。ところが先月の半ばから今月の半ばにかけての一ヵ月ほど、その路線のど真ん中がかなり長距離に渡って「通行止め」となった。線路の修理工事のためだそうだ。大井川の川止めかよ。その閉鎖された部分では代行のバスが走るそうだが、私はこれまでの経験からこの「ドイツ鉄道が用意するバス」の信用度には絶大に懐疑的だったので、遠回りにはなるが電車の別路線を使うことにした。
 普段の路線では住んでいる町から Gに行くのにまずライン川をわたって Lメイン駅を通る。この Lメイン駅の恐怖ぶりも今まで散々書いたとおりである(『189.恐怖のメインステーション』『28.私のせいじゃありません』参照)が、そこを通過してライン川の西側を南に下ると G につく。この路線がまた何かと悶着の起こる路線で、G までは正式には40分くらいしかかからないはずだが、その時間内についたことがない。15分遅れくらいがデフォ、一時間遅れもザラ、最高記録は6時間の遅延である。本来40分の距離でそんなことができるわけがないだろうと思われるだろうが、それができたのだ。私のところの町の駅構内で大送電線がブチ切れ、周り一帯の電車の運行が全てストップしたのである。あらゆる電車が出るも入るもできない。事故の原因がわからないから修理も大幅に手間取り、私など一度家に帰ってまた出てきたら、何時間か前に私が座っていた電車がまだ同じホームにいた。結局その電車もそのホームのシグナルが使えないとかで車庫に戻され、別のホームから別の電車が出ることになった。そのまた電車も路線の途中で突然ストップし、私たちは唐突に代行バスに乗せられた。まるで悟空の大冒険だ。このG からさらに先に進むとフランスに行けることは『59.フランス訪問記』で書いた通りであるが、出だしから電車がストップしたらフランスもク〇もない。 まず駅を出ろ。
 とにかくこの路線はLメイン駅ばかりでなく、そもそも路線全体が鬼門である。それで今回は路線が繋がるまでの間別の行き方をとることにした。
 代行路線では最初にライン川を渡らずに東側を南に下り、じゅうぶん南まで来た地点で別の電車に乗り換えライン川を渡って G に行く。乗換駅は G.N 駅と言い、電車の連結点である以外は何の取り柄もない不愛想な駅だ。それまで乗って来た路線は先に進んで K という大きな駅まで行く。私の家から直接 G まで行くのとこの G.N 駅まで行くのとでは距離がほぼ同じ、つまり私のとった代行路線では G.N 駅からGまでの走行分だけ長くかかるということである。この乗り換え路線は G.N が始発ではなく、B という駅から来ている。その B と私の家の駅とはさらに別の路線で直接つながっていて、私んちから乗るとBを通って最終的にはやっぱり K に着く。図に書くとこんな感じになる。
Line-S33
 ライン川は州境を成していて、東側、うちと G.N、 B 、K 駅は同じ州、図には出ていないが恐怖の Lメイン駅と目的地 G 駅はラインの西側にあって別の州だ。今までも薄々感じてはいたが、今回ラインの東側と西側では鉄道事情にエラい差があることを改めて実感した。東側州はベンツや SAP を擁する金持ち州、西側は工業よりワインなどの農作物で持っている、こう言っちゃナンだが割と貧乏な州である。G.N までいく路線も管理部が東側州にあるからか電車もオサレでモダンなスタイル、内部もそれに応じてピカピカだ。しかも信じられないことに遅滞も5分以内。走っていると隣を時々 ICE などが抜いていく。駅も沿線の町も大きなものが多い。とにかくいろいろにぎやかというか華やいでいるのだ。

お金持ち州の管理するピカピカ路線の車両。
https://images.tagesschau.de/image/e05d72a5-e598-4165-ba91-5f270a0d5280/AAABibuxrKw/AAABibBxqrQ/16x9-1280/swr-auch-die-landeseigene-verkehrsgesellschaft-sweg-wird-von-den-streiks-betroffen-sein-100.jpgから

swr
 それがG.Nで乗り換えて G へいく電車に乗ると一変する。G 行き路線もライン川を越えるまでは東側金持ち州を走っているはずだが、主な走行範囲が西側貧乏州だからか、ドイツ鉄道が直接管理しているためか、どうもないがしろにされている感じで車両のモデルも古くてダサく、乗っていて全然楽しくない。私の家から G までの直接路線のほうもこの車両だが、その時は比べるものがないからこんなものかと思っていた。しかし今回 G.N までの路線とG.Nからの路線の差を目の当たりにしてみると、その落差には驚愕せざるを得ない。しかも一時間に一本と言うローカルぶりだ。線路はその路線専用なんだし、そんなに運行時間が開いていれば前の便が引っかかったり他同じ線路を使っている他の路線の便がポイント故障を起こしたりしてスケジュールを滅茶滅茶にされる危険性がないわけだから、すんなり運行できるかと思いきや、平気で遅れる。今時単線だからだ。途中の Ph という駅でのんびり対向車が通過するのを待たなければいけない。直接路線も周りの景色などはローカル色満載だったが、いくらなんでもさすがに複線ではあった。G.N から G では単線と言うだけでなく周りの景色がさらに凄い。もちろん大きな町などはなく、そもそも人家そのものがまばらで、駅も圧倒的にショボい。こんなところで終電を逃したらどうなるんだろう。絶対夜はこの路線に乗りたくない。
 いちど途中の駅の線路わきを3羽のニワトリが闊歩しているのを見かけた。これは誰かが飼育しているのが散歩に出たのか、それとも野生のニワトリなのか?いずれにせよ、鳩ならともかく線路わきをニワトリに闊歩されたのははこれが初めてだ。
 もっともこの線はまだこの程度で済んでいるが、G 駅から G.N の方に曲がらずに南へ下る線はさらにグレードが下がる。人家はさらにまばらで、駅はますますショボく、それに反比例して通りぬける森や野原は立派になる。昼なお暗き原生林的な部分さえある。下手をしたらそれこそデルス・ウザーラの助けを借りなければ家に帰れなくなりそうだ。もし殺されでもしたら10年くらいは発見されないだろう。それでもこの路線だって南の方で細々と東側金持ち州の K 駅と繋がってはいるのだ(上図参照)。車両にもともと東州で市電として走っているのを引っ張り出してきた軽いモデルが使われている。その軽装備で原生林の中を通るから夜どころか昼でも怖い。
 どうもフランクフルトより南では(北の方はそんなことはない)ライン川の西側は東側の「日陰者」になってしまうようだ。とにかく差がありすぎる。何というか、古くなって時代にそぐわなくなってはいるが、一応まだ走ることは走るという電車が最後の御奉公をしている感じなのだ。どうせ本数もないからその程度のモデルで勤まるだろうというわけか。それで思い出したが、これも以前直接路線に乗っていたらいきなり「技術上の問題で時速50km以上のスピードが出せなくなりました」と車内アナウンスが流れたことがあった。これじゃイルカの水中速度と同じではないか。もっともその西側州も北を走る路線では上述のピカピカ電車も使われていて Lメイン駅でも時々見かける。ボロボロで赤さびだらけのLメイン駅の構内では完全に浮いていてほとんど掃きだめの鶴である。『189.恐怖のメインステーション』で到着するはずの電車に無視された話をしたが、そのときの電車もこのピカピカ電車だった。こんなバッチい駅に止まって汚れるのが嫌だったのかもしれない。その次にはピカピカと交互にダサい方のドイツ鉄道全国版が来るはずだったが、これが突然削除されたのもそこで書いた通りだ。ピカピカなら無視はされても(しないで欲しい)電車そのものは来るが、ダサ電の方は存在それ自体が削除されるという、まあ微妙にヒエラルキーの差を垣間見るようで面白いと言えば面白い。全然面白くないが。

ドイツ鉄道全国版のダサいモデル。止まっている場所は G 駅。
https://www.bahnbilder.de/1200/425-109-s-bahn-rhein-neckar-steht-1027872.jpgから

425-109-s-bahn
それより軽い市電モデルも走る。これで原生林横断は無理だ。
https://www.schwarzwaelder-bote.de/media.media.7dd5fe0a-06e7-4b36-8fdc-bbdcfad47536.original1920.jpgから

media.media

 しかし、昼なお暗き森やニワトリくらいで驚いてはいけない。ある時その孫悟空の天竺旅行から家に帰ってきたばかりのところで、「G 市で殺人罪で服役中の無期懲役の受刑者が逃亡しました」というニュースが流れた。帰ったところでいきなりこれだ。しかもその服役囚はすでに一日前に逃げている、ということはその日私が G にいる時、そこら辺を無期刑の殺人犯が歩いていたという事なのか。そもそも G なんて町は「東京都品川区東五反田」と同じくらいローカルで、本来とても全国ニュースで名前が出るような町ではない。のけぞったところにさらにダメ押し的に、脱走囚の住んでいる(「服役している」と言え)刑務所は上述の B 市にあり、たまたまその日に(もちろん監視付きで)G に出ていたとき逃亡したと伝えて来た。足につけられていた電子監視装置が G 市で見つかった。この人は2003年に一度人を殺して5年の刑を受け、刑期を務めあげて出所しているが、その後また殺人を犯して2012年からB市の刑務所にいたそうだ。前回の殺人は Totschlag だったが、今回の罪状は Totschlag でなく Mord で(『13.二種の殺人罪』参照)終身刑を受けていた。殺人のバージョンがアップしている。今回はベルトで絞殺した遺体を Lauterbourg に遺棄していたという。G、 B とまさに寄りによって人が乗る路線上の駅名に加えて以前ネタにした Lauterbourg まで登場し、しかも「期間を限定して」私が使っている路線の、まさにその限定時間内に殺人犯が逃げてニュースになる、これはいったい何の因果なのか。あの3羽のニワトリは何かの前兆だったのか。
 その服役囚がわざわざ G 市に来て何をしていたのかというと、私は知らなかったが G には大きな景色のいい池がありそこを散歩させられていたという。家族とも面会していたのだそうだ。外の日常生活からあまりにも乖離して現実世界との接点を失ってしまわないよう終身刑であっても服役囚は時々外に出して外界と接触させるのが規則だとのことだが、そういう処置自体には私も賛成である。事実この脱獄囚はそれまでにも何度も何度もそうやって外の空気を吸わせてもらい、何の問題を起こすこともなくまた刑務所に戻ってきていた。もちろん監視がいたから逃げられなかったのだろうが。それがなぜ G に来た時 に限って逃げ出したのかわからない。ひょっとしたら以前から機会は狙っていたのかもしれない。しかしそれでも私は服役囚から外界との接触を完全に断つのには反対である。ニュースを見たときはさすがにビビったが、怖いとはあまり思わなかった。「あの辺なら隠れるところはさぞたくさんあるだろうなあ」と妙な納得をしてしまったくらいである。警察署が声明を出して「この人を見かけたら絶対に自分では話しかけずに最寄りの交番に報せてください」といういつもの指示にさらに続けて、「非常に危険な人物ではありますが、逃亡中に新たに人を襲ったり犯罪を犯したりする可能性は低いです。今回の逃亡の目的はできるだけ長く自由でいるということですから、自分の居場所を特定されるような行動はしないと思われます」と言っていた。私もそう思う。せっかく出て来たのにわざわざ目立つようなことはしないだろう、向こうから私を避けるだろうと思うのである。
 それに脱獄をしてもそのせいで刑期が伸びるわけではない。脱獄そのものは罰則にはならないのだ。ただ、逃亡していた日数が加算されるだけ、例えば一週間刑務所の外にいたら、満期がきた時点でさらにあと一週間いさせられるだけだ。脱獄中に犯罪を犯したりしたらそうはいかない。ボーナスがたっぷり加算される。やはり脱獄中はできるだけ人目を避けて大人しくしているのが普通の神経だ。

 さて、逃亡から一週間以上たつがまだ犯人は捕まらない。ひょっとしたらフランスに逃げたのかもしれない。


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