アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

本を出しました。詳しくは右の「カテゴリー」にある「ブログ主からのお知らせ」をご覧下さい。
メッセージをくださる際にメルアドを記していただくとこちらから返信できます!

 確かタランティーノの『パルプ・フィクション』にこんな内容の会話があった。

A: Are you OK? Say something!
B: Something.

Bをいったのはウマ・サーマンと記憶している。ドイツ語版ではここが

A: Sind sie OK? Sagen Sie etwas!
B: Etwas.

で、監督の意図通りうちでは皆ここで素直に笑ったが、これを日本語で言うと

A: 大丈夫ですか?うんとかすんとか言いなさい。
B: すん。

となり結構使い古されたギャグである。しかし語用論レベルでは同じ機能であっても言語構造そのものはドイツ語あるいは英語と日本語では決定的な違いがある。ドイツ語バージョンを直訳してみるとよくわかる。

A:大丈夫ですか?何か言ってください。
B:何か。

BはAへのリアクションとしては不正確だ。ギャグになっていない。まあその意図を組んで笑ってあげる人もいるだろうが、「うん」と「すん」の場合より笑いだすのが何分の一秒か遅れ、しかも浅くなる。おかしさが本来のものでないからだ。なぜか。
 一言でいうと日本語では指示対象、ド・ソシュールの用語でいうと、シニフィエが普通に当該単語以外の事象かシニフィアンである当該言語そのものが同時にシニフィエであるかを引用符なしでも明確に区別できるからである。例えば

1.何かと言ってください
2.何か言ってください

との違いをドイツ語では表すことができない。だからこそわざと上のように誤解釈させてギャグにすることができるのだ。日本語はこの区別が下手にできてしまうために2と言ったら「何か」という語そのものでなく本当に何か言語外に指示対象のある語を発せよということになり、「アヒル」とか「山」とか「川」とか言わなけれないけない。シニフィアン≠シニフィエだ。逆に1では指示対象がまさに何かという語そのもの、シニフィアン=シニフィエだから、「何か」というしかなく、誤解釈させてギャグにすることができない。そこで「うん」や「すん」のような意味のない、からのシニフィアン(?)を持ち出して「たとえ話」にするしかないのである。言い換えるとドイツ語や英語での笑いは、指示対象を誤解釈したため生じるものだが、日本語ではたとえ話・言葉のあやをマに受けたマヌケさ(まあわざとやっているわけだが)に対する笑いだ。出所がまったく違う。まあ要は笑えればいい、言い換えると発語媒介行為(『118.馬鹿を馬鹿と言って何が悪いという馬鹿』参照)を写し取ればいいわけだ。
 この、シニフィアン≠シニフィエとシニフィアン=シニフィエを引用符を使わずに区別できるというのは日本語のセールスポイントの一つだと思うのだが、日本語の授業などでは割とないがしろにされている。だから学習の進んだ者でも次の区別がつかない。

3.山田さんは嘘をいいました。
4.山田さんは嘘といいました。

4では山田さん自身は嘘を言っていない。他の人の発言が嘘だと判断したのである。もちろん山田さん本人が昔やった自分の発言を「あれは嘘だよ」と白状した場合にも使えるが、当該発言が嘘であるか否かということは命題の内容そのものには入っていない。ここで4に

山田さんは嘘だといいました。

と、コピュラの助動詞を添加すれば学習者はよくわかるようになるが、そうなると今度は勢い余って3の方にも「だ」をつけて

山田さんは嘘だをいいました。

とか言い出す。要するに指示対象のレベルの違いが呑み込めていないのである。もしかしたら「山田さんは嘘だといいました」は

Herr Yamada sagte, dass es eine Lüge war.

「山田さんは嘘だをいいました」は

Herr Yamada sagte, es sei eine Lüge.

で、要するに意味内容は同じだと思っているのかもしれない。同じじゃないっての。

 これは決して些末な問題ではない。信じたくない話を聞かされ、必死の懇願で

どうか嘘と言ってくれ

と言うかわりに

どうか嘘を言ってくれ

などと言ったら頭を疑われかねない。また

馬鹿を言うな

でなく

馬鹿というな

と言ったりしたら帰ってくる返事は「別にお前のことを馬鹿だなんて言ってないだろ」とかであろう。相手のキョトンとした顔が見えるようだ。
 面白いことにシニフィアンとシニフィエが別のものであれば、そのどちらもが単語、つまり言語外に指示対象がなくても対格の「を」が使える。例えば冒頭のセリフを描写する場合、私の感覚では

5.Somethingを言ったのはウマ・サーマンだ。
6.Somethingと言ったのはウマ・サーマンだ。

のどちらもOKだ。6がOKなのは当然だが、どうして5が可能なのか。これは今私がここで述べているSomething(シニフィアン)が映画でサーマンが過去に言ったSomethingを指している、言い換えると映画の中の発言がシニフィエと解釈できる、つまり厳密にいうとシニフィアンとシニフィエが一致しないからである。日本語の本文のなかに英単語が組み入れられていることによってそのことが強調されている。これがもし下手に翻訳して

何かをいったのはサーマンだ。

と言ってしまうと、サーマンがうんとかすんとか言った、つまり「何か」とは言わなかったという解釈しかできない。またこれを強調文でなく普通の文にして

サーマンがSomethingをいった。

とすると5と違って「うんとかすんとか」という解釈以外はしにくくなる。シニフィアンもシニフィエも言語である場合not equal解釈に持って行くのは不可能ではないが難しいテクがいるようだ。

 さてこの不変化詞「と」だが、ここの「と」が共格Komitativの「と」(『152.Noとしか言えない見本』参照)や並列の「と」、さらに「銀行は右に曲がるとすぐ前にあります」のような接続助詞とは異なる語であることは明らかだ。上でもちょっと暗示したように機能的に英語のthat やドイツ語の dass に近い。

山田さんが高橋さんはマヌケだといいました。
Mr. Yamada said that Mr. Takahashi was an idiot.
Herr Yamada sagte, dass Herr Takahashi ein Idiot war.

ドイツ語の文法だと dass は接続詞 Konjunktionに分類されている。確かに用法が「と」より広く、

Er ist dermaßen blöd, dass er nicht einmal seinen eigenen Namen kennt.
(He ist so stupid that he does not know even his own name.)

というような構造にも使えるからKonjunktion なのだが、ちょっともの足りない。英文法ではthat や dass をComplementizer と呼ぶがこっちの方が適切ではないだろうか。私も「と」は日本語の Complementizer だよと説明している。ただ日本語のComplementizerは中身が文でなくても使えると注はつける。つまりドイツ語では

Er sagte, dass es eine Lüge war.
He said that it was a lie.

とdass の後に文が来ないといけないが、日本語だとここで

*Er sagte dass eine Lüge.
*He said that a lie.

というドイツ語では許されない構造が可であると。
 もっとも今調べたらドイツ語の ob(英語のwhether )もComplementizer 扱いされている。そこから考えると日本語の「お前がマヌケ(どうか)俺が知っているさ」の「か」もComplementizer かなと考えてしまいそうになるが、「か」はあくまで「質問文マーカー」であってCompとは言えまい。第一にここでの「お前がマヌケ(どうか)」はシニフィアン≠シニフィエ、つまり文は言語外の命題そのものを指示しているし、第二にマヌケ文そのもの、つまりシニフィエが指示対象になる場合は「と」がつく。

山田さんがお前はマヌケか聞いていました。

「と」を抜いた形は本当は引用符付きの別構造だろう(下記15参照)

山田さんが「お前はマヌケか」聞いていました。

もちろん普通の叙述文と違って「か」がつくと「と」が省略されうる、ということは心にとめておかねばいけないだろうが。

 さてこのComplementizer 君だが、格表現を取らない。上の例4、「山田さんは嘘といいました」の「嘘」は「言う」という他動詞の直接目的語だから対格のはずだが、表層では表現されない。格表現してしまうと非文になる。

*山田さんは嘘とをいいました。

さらに7でもComp氏は対格、8では主格である。

7.山田さんが禁煙といっていた。
8.ここに禁煙とある。

これらをそれぞれシニフィアン≠シニフィエの「普通の」構造と比べてみると格構造がはっきりする。

9.禁煙を守れ
10.禁煙が決まりだ

9の「守る」は10の「言う」と同じく他動詞、10はコピュラ文、8の「ある」
は自動詞だから「禁煙」はどちらも主語で主格である。
 この「主格と対格を表現するとNG」という現象は次のように主題表現の際も見られるが(『65.主格と対格は特別扱い』参照)、上の2のようなもともとの疑問代名詞に「か」をつけて作る「何か」「誰か」のような表現もそうで、主格と対格は表さない。

誰か来ましたか?
誰か見ましたか?
何かたべましょう。
何かありますか?
何処か開いてますか?

これらの「~か」構造に格表現を持ち込むと明らかに許容度が減る。少なくとも有標表現にはなる。

誰かが来ましたか?
誰かを見ましたか?
何かをたべましょう。
何かがありますか?
何処かが開いてますか?

「誰かがきっと待っていてくれる」「何かを求めて」など「~か」主・対マーカーをつけた表現は歌の歌詞とか「失われし時を求めて」のような書き言葉的な言い方で、口語としては有標だ。それぞれ「あそこに誰かいますよ。」と「あそこに誰かいますよ。」、「何かお探しですか」と「何かお探しですか」を比べてみると、どちらが自然な日常生活表現か考えてみるとわかる。
 主格・対格以外ではこれもまた『65.主格と対格は特別扱い』で見たように有標性をあげることなく(?)格マーカーがつけられる。

11.誰かこのことを話しませんでしたか。
12.その時誰か会いませんでしたか。
13.その時誰か見かけませんでしたか。

比較のために文のパターンをそろえてみたが、私の感覚では13だけ格マーカーがないのとあるのとで明らかに有標性に違いがある。

 これに対してCompの「と」はいかなる格マーカーも許さない。さらに主格対格以外の解釈を許さない。シニフィアン=シニフィエが主・対以外の格になる場合は引用符がいる。

14.この文章は嘘でいっぱい。
15.この文章は「嘘」でいっぱい。
16.*この文章は嘘とでいっぱい。

14はこの文章はフェイクまみれということだが、15はこの文章にはやたらと嘘と書いてあるという意味である。引用符が不可欠で、「と」で嘘という言葉自体を表すことができない。

 日本語でも語の指示対象とシニフィアンとしての語そのものの区別が常に引用符なしでできるわけではないようだ。さらに言語の構造云々でなく言葉の指示対象あるいは言葉で表される命題と言葉そのものを区別できないというのがいる。例えば以前私は話者の視点が文の構造にどのように反映されるかを調べようとして次のような文が許容できるかどうか何人か人に聞いてみたことがある。

太郎の奥さんが自分の夫に殴られた。

私が期待していたのは「最初に太郎の奥さんと言っておきながら同じ文で太郎を自分の夫などと表現するのはおかしい。論理的におかしいからボツ」というような答えだった。実際大部分の人はその方向の答えをしてくれたが、一部「自分の妻を殴るなんて許せないからボツ」というレベルの議論を持ち出す人がいて困ってしまった。なぜ困ったかというとそこでさらに「こんな不道徳なことを言うなんて」と説教までされたからである。私は文(の論理構造)が許容できるかどうか聞いただけでその文が表す事象が許容できるかどうか聞いたのではない。

 とにかくたかがSay something如きのセンテンスでも実に様々な事象が絡みあっているものだ。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

(URL設定を https に変えたらフェイスブックやブックマークのカウントが全部ゼロになってしまいました(涙)。うえーん、細々とあったのに~)

 これまでに何度か口にしたダイグロシアという言葉だが、これは1959年に社会言語学者のチャールズ・ファーガソンCharles A. Fergusonがその名もズバリDiglossiaという論文で提唱してから広まった。ダイグロシアという言葉そのものはファーガソンの発明ではないが、学術用語としてこれを定着させたのである。時期的にチョムスキーのSyntactic Structuresが出たころと重なっているのがおもしろい。生成文法のような派手さはなかったがダイグロシアのほうもいわゆる思想の多産性があり、60年代から90年代に至るまで相当流行した。
 事の発端はアラビア語圏、ハイチ、現代のギリシャ、ドイツ語圏スイスの言語状況である。これらの地域では書き言葉と話し言葉が著しく乖離していて、文体の差というより異なる二つの言語とみなせることにファーガソンは気づいた。書き言葉と話し言葉というより書き言語と話し言語である。アラビア語圏での書き言葉は古典アラビア語から来たフスハーで『53.アラビア語の宝石』『137.マルタの墓』でも述べたように実際に話されているアラビア語とは発音から文法から語彙からすべて違い、とても同じ言語とは言えない。ハイチでは書かれる言葉はフランス語だが、話しているのはフランス語クレオールでフランス語とは全く違う。ギリシャも実際にギリシャ人が言っているのを聞いたことがあるが、「古典ギリシャ語?ありゃあ完全に外国語だよ」。しかしその「完全に外国語」で書く伝統が長かったため今でもその外国語を放棄してすんなり口語を文章語にすることが出来ず、実際に会話に使われているバージョン、デモティキDimotiki(δημοτική)と古典ギリシャ語の系統を引く文章語カサレヴサKatharevousa(Καθαρεύουσα)を併用している。デモティキは1976年に公用語化されたが、いまだに文章語としての機能は完全に果たせていない。アラビア語と似た状態だ。なお念のため強調しておくが上でフスハーを「古典アラビア語から来た」、カサレヴサを「古典ギリシャ語の系統を引く」とまどろっこくしく書いたのは、どちらも古典語をもとにしてはいるがいろいろ改良が加えられたり変化を受けたりしていて完全に古典言語とイコールではないからである。ある意味人工的な言語で、話す言葉と著しく乖離しているという点が共通している。スイスのドイツ語も有名でドイツではたいていスイス人の発言には字幕がでる(『106.字幕の刑』参照)。話されると理解できないが書かれているのは標準ドイツ語だから下手をするとドイツ人はスイス旅行の際筆談に頼らなければならないことになる。もっともスイス人の方は標準ドイツ語が理解できるのでドイツ人が発した質問はわかる。しかしそれに対してスイス・ドイツ語で答えるのでドイツ人に通じないわけだ。最近は話す方も標準ドイツ語でできるスイス人が大半だからまさか筆談などしなくてもいいだろうが、スイス人同士の会話はさすがのドイツ人にもついていくのがキツイのではないだろうか。
 これらの言語状況をファーガソンはダイグロシアと名付けた。ダイグロシア内での二つの言語バリアントはLバリアント、Hバリアントと名付けられたがこれは本来それぞれLowと Highを意味し、Lは日常生活で口にされている言葉、Hがいわゆる文章語である。しかしLow、Highという言い回しは価値観を想起させるということで単にLバリアント、Hバリアントと起源をぼかす表現が使われるようになった。チョムスキーのD構造、S構造もそうで、本来のDeep structure、Surface structureという語は誤解を招くというワケで頭だけ取ってDとSになったのである。

ダイグロシア論争の発端となった1959年のファーガソンの論文から。ドイツ語圏スイス、アラビア語圏、ハイチ、ギリシャが例としてあげられている。
ferguson1

 ただ、この言いだしっぺ論文がトゥルベツコイのВавилонская башня и смѣшніе языковъ『バベルの塔と言語の混交』(『134.トゥルベツコイの印欧語』参照)にも似てどちらかというとエッセイに近い論文で、何をもってダイグロシアとなすかということがあまりきちんと定義されていなかったため、後にこの観念がいろいろ拡大解釈されたり誤解釈されたりしてダイグロシアという言葉自体がインフレーションを起こしてしまった感がある(後述)。なので話を進める前にちょっと私なりにファーガソンの言わんとした処を整理してみる。
 まず、書き言葉と話し言葉の乖離が典型的なダイグロシアだからと言って単純にHは文語、Lは口語と定義することはできない。Hバリアントが書かれることなく延々と口伝えで継承されることがあるからである。宗教などの儀式語がそうだが、誰もその言語を日常生活で使っていないから事実上母語者のいない外国語で、二次的にきちんと教えてもらわないと意味が分からない。重要なのはHとLがそれぞれどういう領域で使われているかということ自体でなく、その使用領域がkomplementäre Distribution相補分布をなしているということだ。どういうことかというと、Hが使用される場面では絶対にLが使われることがなく、逆にLを使う場面ではHは使われない。HとL,この二つが双方あって初めて一つの言語としての機能を果たすのである。例えばHが書き言葉として機能している場合、正式文書や文学などを口語で著すことがない。また日常生活では当然口語で生活し、誰も書き言葉で話したりしない。宗教儀式にHが使われている社会では、そのHを一部の人しかわからない状態で使い続け、普通にしゃべっている口語に置き換えたりは絶対しない。これがバイリンガルの言語共同体とは決定的に違う点である。バイリンガルは違う。バイリンガルでは言語Aで話して書いた後、言語Bに転換してそこでまた話したり書いたりする、つまりAもBもそれぞれ言語としての機能を全て満たしているのだ。
 この相補分布のためダイグロシアは非常に安定した言語状態で、1000年くらいは平気で持続する。それに対してバイリンガルは『154.そして誰もいなくなった』で述べたように不安定な状態でどちらかの言語が一方を駆逐してしまう危険性が常にある。さらにその相補分布のためその言語共同体内の人はHとLが実は別言語であるということに気付かない。別の言語だという感覚がないからHをLに、あるいはLをHに翻訳しようという発想が起こらない。このこともダイグロシアの安定性を強化している。
 さて、HとLの言語的関係についてはファーガソン自身は明確には述べていないが、挙げている例を見ても氏がHとLは親族関係にある言語であることが基本と考えていたことがわかる。フランス語⇔仏語クレオール、スイス・ドイツ語⇔本国ドイツ語、フスハー⇔口語アラビア語、カサレヴサ⇔デモティキと双方の言語が親戚関係にある例ばかりである。後者の二つは通時的な親戚、前者は共時的な親戚だ。この、HとLが下手に似ているというのもまた「別言語性」に気付かない要因の一つになっている。

 ここまで来れば皆思い当たるだろう。そう、言文一致以前の日本語もダイグロシア状態であったと私は思っている。本にもそう書いておいた(またまたどさくさに紛れて自己宣伝してすみません)。言文一致でそのダイグロシアが崩壊しH(文語)の機能をL(口語)が吸収した、というのが大筋だと思っているが、細かい部分でいろいろ検討すべき部分がある。
 まず口語と文語は明治になるまで本当に相補分布をなしていたのか、言い換えると日本は本当にダイグロシア状態であったのかということだ。というのは特に江戸期、さらにそれ以前にも口語で書かれた文章があったからである。江戸期の文学など登場人物の会話などモロに当時の話し言葉で表わされてそれが貴重な資料となっていることも多い。ではそれを持って文語と口語の使用領域が完全に被っていたと言えるのだろうか。私の考えはNoである。例えば会話が口語で書いてある式亭三馬や十返舎一九の作品を見てみるといい。会話部分は口語だが、地のテキストは文語である。言い換えるとそれらは口語「で」書かれていたのではなく口語「を」書いたのだ。実はこのパターンは明治時代に言文一致でドタバタしている時にも頻繁に見られる。地と会話部分のパターンは理論的に1.地が口語・会話が口語、2.地が文語・会話が文語、3、地が文語・会話が口語、4、地が口語・会話が文語の4通りが考えられるが、初期は2や3のパターンが専らで、1が登場するのは時期的にも遅く、数の上でも少ない。もちろん私の調べた文章などほんの少しだが、その少しの中でも4のパターンは皆無だった。文語と口語は機能的に同等ではない、相補分布をなしていたといっていいと私は思っている。
 次に言文一致以前の日本をダイグロシア社会と見なしているのは別に私だけではない、割といろいろな人がそう言っているのだが、海外の研究者に「中国語と日本語のダイグロシア状態であった」と言っている人を見かけたことがある。全く系統の違う2言語によるダイグロシアという見解自体はファーガソン以後広く認められるようになったので(下記参照)いいのだが、日本の言語社会を「中国語とのダイグロシア」などと言い出すのは文字に引っ張られた誤解と言わざるを得ない。漢文が日本では日本語で読まれている、つまり漢文は日本語であるという事実を知らなかったか理解できなかったのかもしれない。山青花欲然 は「やまあおくしてはなもえんとほっす」である。誰もshān・qīng・huā・yù・ránとか「さんせいかよくぜん」などとは読まない。日本をダイグロシアというのなら現在のフスハー対アラビア語に似て、あくまでに文語と文語の対立である。
 さて、上でも述べたがHの特徴の一つに「人工性」というのがある。二次的に構築された言語、当該言語共同体内でそれを母語としてしゃべっている人がいないいわば架空の言語なのだ。もちろん人工と言ってもいわゆる人工言語(『92.君子エスペラントに近寄らず』参照)というのとは全く違い、あくまで自然言語を二次的に加工したものである。母語者がいないというのも当該言語共同体内での話であって、ドイツ語標準語は隣国ドイツでは皆(でもないが)母語としてしゃべっているし、日本語の文語だって当時は実際に話されていた形をもとにしている。この人工性は「規範性」と分かちがたく結びついていて、ダイグロシアを崩壊させるにはLがこの架空性や特に「規範性」をも担えるようにならなければいけない。これが実は言文一致のまさにネックで、運動推進者の当事者までがよく言っているように具体性の強い口語を単に書いただけ、「話すままに書いただけ」ではそういう機能を得ることができない。Lの構造の枠内でそういう(書き言葉っぽい)文体や規範を設けないといけないのだ。相当キツイ作業である。そもそも「構造の枠内で」と言うが、まずその構造を分析して文法を制定したり語彙をある程度法典化しなければいけない。CodifyされているのはHだけだからである。
 書き言葉的言い回し、日本語では特に書き言葉的な終止形を何もないところから作り出すわけには行かない。そんなことをしたら「Lの構造の枠内」ではなくなってしまうからである。法典化されないままそこここに存在していたLの言い回しの中から適当なものを選び出すしかない。ロシア語の口語を文学言語に格上げしたプーシキンもいろいろなロシア語の方言的言い回し、文法表現、語彙などを選び出してそれを磨き上げたし、日本の言文一致でもそれをやった。例えば口語の書き言葉的語尾「~である」であるが(ダジャレを言ったつもりはない)、~であるという言い方自体は既に江戸時代から存在していた。オランダ語辞典ドゥーフ・ハルマでオランダ語の例文を訳すのに使われている。他の口語語尾「です」「だ」は江戸文学の会話部分で頻繁に現れる。これらの表現に新しい機能を持たせ、新しい使用領域を定めていわば文章語に格上げする、言い換えるとL言語の体系内での機能構成を再構築するわけで、よく言われているように、単に話すように書けばいいというものではない。
 面白いことに口語による文章語構築には二葉亭四迷のロシア語からの翻訳は大きな貢献をしたし、文語でなく「である」という文末形を使い、さらに時々長崎方言なども駆使して、後に口語が文章語になり得るきっかけを開いたドゥーフ・ハルマも通時たちによるオランダ語からの翻訳である。どちらも外国語との接触が一枚絡んでいる。さらに馬場辰猪による最初の口語文法は英語で書いてあった。まあ外国人向けだったから英語で書いたのだろうが、文法書のような硬い学術文体は19世紀中葉の当時はまだ口語では書けなかったのではないだろうか。だからと言ってじゃあ文語でというのも言文一致の立場が許さない。外国語で書くのが実は一番楽だったのかもしれない。

 話をファーガソンに戻すが、この論文のあと、ジョシュア・フィッシュマンJoshua A. Fishmanなどがダイグロシアの観念を、全く系統の違う2言語を使う言語共同体にも応用した。例えばボリビアのスペイン語・グアラニ語がダイグロシアをなしているという。さらに社会言語学者のハインツ・クロスHeinz Klossは系統の同じ言語によるダイグロシアを「内ダイグロシア」、系統の異なる言語によるダイグロシア(スペイン語・グアラニ語など)を「外ダイグロシア」と名付けた(『137.マルタの墓』参照)。
 もう一人ボリス・ウスペンスキーБорис А. Успенскийというロシア語学者が横っちょから出てきて(失礼)、HとLとの関係はバイリンガルでのような等価対立äquipolente Oppositionではなくて欠如的対立privative Oppositionとし(『128.敵の敵は友だちか』参照)、Hを有標、Lを無標バリアントとした。ウスペンスキーはプーシキン以前、古い時代のロシア語の言語共同体がロシア語(東スラブ語)と教会スラブ語(南スラブ語)のダイグロシアであったと主張したのだが、その際双方の言語の「欠如的対立性」を主張している。いかにもトゥルベツコイからヤコブソンにかけてのロシアの構造主義の香りがして面白い。またウスペンスキーはファーガソンの考えをむしろ忠実に踏襲し、あまり理論枠を広げたりはしていない。ただ氏の「ロシア語・教会スラブ語ダイグロシア説」にはいろいろ批判もあるようだ。

ウスペンスキーの著書(のコピー)。ダイグロシアを有標のH、無標のLによる欠如的対立と見なしている。黄色いマーカーは当時私が引いたもの。
uspensky


 考えてみれば中世以前のヨーロッパもラテン語と各地の言語とのダイグロシア、少なくともそれに近い状態だったのではないだろうか。特にスペイン以外のロマンス語圏では「内ダイグロシア」だったろう(スペインを除外したのは当地では中世以前はフスハーも書き言語だったはずだからである。そうなると「外ダイグロシア」だ)。その後各々の民族言語が法典化され文法も整備されてラテン語は書き言語としての機能をそれらに譲ってしまった上、元々母語者のいない言語で普通の会話には用いられていなかったから現在ラテン語を読み書き(「書き」のほうは完全に稀)できるのは、単位とりに汲々としている高校生か、仕事でラテン語が必要な人たちだけだろう。そういえばちょっとダイグロシアから話はズレるが、昔テレビで『コンバット』というシリーズがあった。そこでこういうシーンがあった。米兵がヨーロッパでフランス人だったかドイツ人だったか(フランス人とドイツ人では立場が全然違うじゃないか。どっちなんだ)を捕虜にしたが、米兵はドイツ語もフランス語もできない、捕虜の方は英語ができない。困っていたがそのうち米兵の一人が捕虜と会話を始め、そばに立っていた米兵の一人が「なんだなんだ、こりゃ何語だ?!」と驚いたのを見て、もう一人の米軍兵士がボソッと「ラテン語だ」とその米兵に教えてやっていた。話しかけた米兵も捕虜も神学を勉強していたのである。ラテン語、少なくともそれがラテン語であると知っていた兵士の顔に浮かんだ尊敬の念と、ラテン語の何たるかさえ知らない兵士の無教養そうな表情が対照的だったので覚えている。H言語独特の高尚感がよく現れている。この「高尚性」もHの特徴としてファーガソンは重視している。

 再び話を戻して、とにかく論文の中でダイグロシアという用語を持ち出せば専門的なアプローチっぽくなった感があるが(私もやってしまいました)、私が追った限りでは「この言語社会はダイグロシアと言えるか言えないか」という部分に議論のエネルギーの相当部が行ってしまっていたようだ。あるいは当該言語共同体がどのようなダイグロシアになっているか描写する。しかし上述のようにダイグロシアという観念自体があまり明確に定義されておらず、各自拡大解釈が可能なのだから、「この言語共同体はダイグロシアである」と結論してみたところであまり新しい発見はないのではないだろうか。下手をするとダイグロシアでない言語社会の方が珍しいことにもなりかねないからだ。もっともバイリンガルとの明確な違いなどもあるので、ダイグロシアという用語自体を放棄することはできまい。
 だんだん議論が白熱、あるいは議論の収集が着かなくなってきたのでファーガソン本人が1991年にまたDiglossia revisitedという論文を発表して用語や観念の再考を促した。

ファーガソンの第二弾の論文のコピーもいまだに持っている。
ferguson2

 実は私はダイグロシアで一番スリルがあるのはその崩壊過程だと思っている。長い間安定し持続してきたダイグロシアが崩壊するきっかけは何か?外国語との接触自体は崩壊の直接のきっかけにはならない。他に政治的、歴史的な要因も大きい。そしてダイグロシアは一旦崩壊し始めると一気に行く。何百年も続いてきた日本のダイグロシアは明治のたかが数十年の間に崩壊してしまった。それ以前、江戸の文学など私は活字にしてもらっても(変体仮名、合略仮名など論外)読みづらくて全然楽しめない。それが明治時代から文学が突然読めるようになる。ロシアでも「プーシキンから突然文学が読めるようになる」と誰かが言っていたのを見たことがある。そのプーシキン以後、例えばトゥルゲーネフなどの原語のほうが十返舎一九なんかより私はよっぽどよくわかる。隣でドイツ人が17世紀の古典文学なんかを「ちょっと古臭いドイツ語だな。綴りも変だし」とか文句をいいつつもスコンスコン読んでいるのとはエライ違いだ。日本人が普通にスコンスコン読めるのはやはり20世紀初頭の文学からではないだろうか。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ




このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 昔ソ連という国があったころ、こういうジョークを聞いたことがある。

フルシチョフ(なんて知っている人はもう少数派だろうなあ…)が中国を訪問して党大会か何かで演説を行った。まず氏が30分ほどロシア語で演説した後、通訳氏が立ってきてそれを中国語に言い換えた。たった一言。
「チン」(とフルシチョフには聞こえたのである)
割れるような拍手。フルシチョフ氏はロシア語だと30分かかる内容が中国語では一言でいい表せることに驚愕しながらも拍手に気をよくして続きの演説を行った。1時間ほどかかった。通訳氏がまた出てきて訳す。また一言。
「チン・ワン」
怒涛のような拍手。驚きを隠してフルシチョフはさらに二時間ほど話し続け、演説を締めくくった。通訳氏。
「チン・ワン・ラ」
会場が崩れるような拍手。フルシチョフは気をよくしながらも中国語が伝達できる情報量に驚いて、後のパーティー会場でそのことを別の中国人に告げた。するとその中国人が教えてくれた。
「いや、最初の「チン」は「たわごとだ」、次の「チン・ワン」は「ひどいたわごとだ」、最後の「チン・ワン・ラ」は「ひどいたわごとが終わった」と言ったんでさぁ」

私の聞いたのは「フルシチョフが」というバージョンだったが、これのスターリン・バージョンというのは成り立たないと思う。怖すぎるからだ。「フルシチョフが」なら笑えるが「スターリンが」だとその場で通訳から聴衆から大虐殺されたというオチになりそうでそれこそオチオチ聞いていられない。でもさらに考えてみるとたわごとだと言われても割れるような拍手をしなければならない、いや自動的に割れるような拍手をしてしまう聴衆の態度のほうもそれはそれでちょっと怖い。
 
 これはジョークだから本当に「チン」が30分ぶんのロシア語の情報量に匹敵したわけではないが、それほど極端でなくてもある言語では延々と単語を連ねなければ表現できない意味が別の言語では一言で済んでしまう、ということはよくある。『149.ピアスのない鼻』でも出したネズ・パース語の例だが、ʔiná:tapalayksaqa という一つの単語が日本語では「私はしゃべっているうちに自分の話していることが正しいのかどうかわからなくなってしまった」という意味になる。すごい情報量だが、いわゆる包括タイプの言語には似た例が多くていちいち感心する。包括語というより包括語的な言語といったほうがいいだろうがアイヌ語の動詞も凄い。金田一京助氏と知里真志保氏は次のような例を挙げている。
 まずshi-ram-sui-paという単語だが、shi-は「自身」、ram-は「心」、sui-paは「何回となく揺り動かす」という意味の形態素で、語全体の意味は「とつおいつ思いめぐらす」。これを起点としてさらに形態素を追加することができて、例えばyai-(「自身」)と追加してyai-ko-shi-ram-sui-pa となると「自らとつおいつ思いめぐらす」。ko-というのは日本語の助詞、英語の前置詞のような働きをする形態素(金田一氏は指相接頭辞と名付けている)で、「~とともに」「~をもって」「~によって」「~について」といったような意味で、それがここでは「自身」にかかってyai-ko-となり、「自分自身に対して→自ら」。ここでは「自身」も動詞内にあるからまだわかりやすいが、「~について」の内容が動詞の外にある場合でもこの ko-自体は動詞から出ていかない。日本語の格助詞や英語・ドイツ語の前置詞と大きく違う点だ。たとえば「そのことについてあなたが私に嘘をいう」は neampe  e-i-ko-sunke で、 neampe が「そのこと」である。しかし「~について」のほうはしっかり動詞の中に組み込まれている(太字)。また目的語が動詞の前に来ていることがわかる。それにしてもこれでPPなどという構造を設定できるのか心配だが、まあ余計なお世話だろうから「とつおいつ」の例に戻ると、「私がいろいろなことについてとつおいつ思いめぐらす」もusa-orushpe  a-e-yai-ko-shi-ram-sui-paと2語になってusa-orushpeが「いろいろなこと」である。ただ ko-がすでにyai-でふさがっているためか、「~について」を表す別の指相接頭辞 e-がさらに動詞に抱合されて(太字下線)usa-orushpeを受けている。またここで動詞の語頭に立つ形態素 a-は主語が一人称、つまり「私」であることを示している。上の「嘘を言う」e-i-ko-sunke ではこの部分が e-となっているが(太字)、これは主語が二人称だという印である。次の i-は目的語(いわゆる対格でない間接目的語も含む)が一人称であるというマーカーだ(下線)。例えば a-e-kore は a-が主語が一人称、e-目的語が二人称ということになるから、「私があなたに与える」、これが e-i-kore となると e-で「主語は二人称」、i-で「目的語が一人称」、つまり「あなたが私に与える」である。二人称は主語・目的語のマーキング時に位置を変えるだけで形そのものは変わらないが、一人称のほうは位置だけでなく形も変わっていることがわかる。3人称はゼロマーキングになるそうで、「私が彼に与える」は a-kore、「彼が私に与える」は i-kore。二人称が形の区別がないから「あなたが彼に与える」も「彼があなたに与える」もe-kore。念のため繰り返すが、これらはあくまで「動詞の活用」であって人称代名詞は他にちゃんと存在する。
 日本人がこういう動詞活用を見ると驚くが、ひょっとすると日本語の動詞形をドイツ語・英語の母語者から見るとこんな感じに見えるかもしれない。例えばドイツ語では種々の法や文のタイプの違いなどは本来独立単語の動詞を助動詞としてつけたり語順を変えたりして表すが、日本語だと自立性の極端に低い助動詞だろ助詞を動詞の後ろにベチャベチャくっつけるから動詞そのものが膨れ上がっているように見えるだろう。実際外国人向けの日本語の教科書などは助詞や助動詞をひっくるめて「動詞形」として説明されることが多い。

Er möchte arbeiten. He wants to work.
(彼は)働きたい。
Er möchte nicht arbeiten. He does not want to work.
(彼は)働きたくない。
Er wollte arbeiten. He wanted to work.
(彼は)働きたかった。
Er wollte nicht arbeiten. He didʼnt want to work.
(彼は)働きたくなかった。
Er muss arbeiten. He must work.
(彼は)働かなければいけない。
Er braucht nicht zu arbeiten. He does not need to work.
(彼は)働かなくてもいい。
Er hätte gearbeitet. He would have worked.
(彼は)働いただろう。
Er wird arbeiten. Heʼll work.
(彼は)働くだろう。
Arbeitet er? Does he work?
(彼は)働きますか。
Wollte er nicht arbeiten? Didnʼt he want to work?
(彼は)働きたくなかったですか。
Er arbeitet doch! But Heʼs working!
(彼は)働いてますよ!
Er arbeitet, oder?! He is working, isnʼt he?
(彼は)働いてるんでしょ?

訳も例文自体もちょっと不自然だが、英語やドイツ語でキッチリ複数語になっているところが日本語だと(事実上)一単語、つまり動詞の「語形変化」で表されているのはわかる。向こうから見ると動詞が妖怪変化しているように見えるのではないだろうか。

 ここのドイツ語(や英語)のように当該単語の語形変化でなく、他の単語を補助につけて法や時制、シンタクス構造などを表す方法をanalytischer Satzbau 、分析的文構造という。文という部分(Satz )を太字にしたのはこのanalytischer という言葉が言語類型論に使われてanalytischer Sprachbau 「分析的言語」という言い回しが存在するのでそれと区別するためだ。分析的言語というのはいわゆる孤立語のことと考えていい。ドイツ語始め印欧諸語は逆である。分析的文構造の逆、法そのほかを語形変化自体で表すやりかたはsynthetischer Satzbau「統合的文構造」である。印欧語は本来このタイプが主流で(だから印欧語は「統合的言語」にタイプ分けされているのだ)動詞ばかりでなく、名詞の格、シンタクス上の機能も統合的に表していたが、時代が下るにつれて名詞や動詞の語尾が喪失していき当該単語のみではそれらが表現できなくなってきたのでそれを補うために別単語を持ち出してきたのである。例えばドイツ語は名詞自体ではもう格をマークすることができず、冠詞などというものをつけるようになった。今でも名詞だけでやっていける正統派のロシア語などと比べるとある意味腑抜けた言語である。

ドイツ語                      ロシア語
(分析的文構造)    (統合的文構造)
der Mann                    человек
des Mannes               человека
dem Mann                  человеку
den Mann                   человека
von/mit dem Mann      человеком

さらにドイツ語は具格表現ではそのフヌケ冠詞をつけてもまだ足りず、さらに前置詞まで持ち出して来なければならない。印欧語の風上にも置けない言語だ。しかし残念ながらそのロシア語も動詞は法や時制を表すのに分析的なやり方を取るばかりか、分詞を除いた動詞定形の変化形そのものの数が事実上過去、非過去(不完了体動詞は現在形、完了体動詞は未来形と呼ばれるが、この二つは同形である)、命令の3つだけになってしまった。同じスラブ語でもクロアチア語は直説法現在、非完了過去、アオリスト、命令をなどをまだ動詞変化パラダイムとして保持しているし、未来形の一つは助動詞をまるで膠着語のように動詞の後ろにつけるのでまるで語形変化のように見える:glȅdaću(一人称単数)、glȅdaćeš(2人称単数)、glȅdaće(3人称単数)、glȅdaćemo(1人称複数)、glȅdaćete(2人称複数)、glȅdaće(3人称複数)。クロアチア語から見たらロシア語が印欧語の風上に置いてもらえなくなるかもしれない。
 ラテン語もこの動詞の変化パラダイムをよく保持しているが、さらにさすがその子孫だけあって現在のロマンス諸語は(名詞変化の方はスカスカになっているくせに)動詞の活用形が複雑だ。例えばスペイン語は統合的な動詞変化形が8つある。上で述べたようにロシア語には3つ(例えば不定形взять(「取る」)、直説法非過去возьмёт、過去взял、命令возьми、どれも3人称単数、さらに過去形は男性形)、ドイツ語は直説法現在、過去形、接続法I式、接続法II式、命令の5つしかない(例えば不定形sterben(「死ぬ」)、直説法現在stirbt、過去starb、接続法I式sterbe、接続法II式stürbe、命令stirb、3人称単数)。比べてスペイン語は不定形amar(「愛する」)、直説法現在ama、直説法線過去amaba、直説法点過去amó、直説法未来amará、直接法過去未来amaría、接続法現在ame、接続法過去amara/amase、命令ameの8形。もちろんこの他に種々の助動詞を付加して作る分析的パラダイムがあるが、それがまた8つ、分詞が現在と過去の2つ(これはドイツ語やロシア語と同じだ)。面白いことに英語のような進行形があり、作り方もコピュラestar + 現在分詞で、構造的に英語と並行する。いや英語がロマンス語と並行しているといった方がいいかもしれない。ドイツ語では現在進行形は動詞の単なる現在形、ロシア語も不完了体動詞の現在形で作る。
 もっとも形は並行しているが、その使用範囲はスペイン語と英語では少し違うようで、例えば『続・荒野の用心棒』の主題曲の歌詞

Django, after the shower the sun will be shining.

がスペイン語では単なる未来形で訳されて

Después de la tormenta, el sol brillerá.

と一語になっているのを見かけた。原誠氏によると「スペイン語は英語ほどには進行形を使いたがらず、「彼らは到着しつつある」と言いたい場合でも、ふつうならlleganでよく、無理にestán llegando という現在進行形を用いる必要はない」とのことで、これもそれで説明できそうだ。スペイン語の直説法現在・直説法未来形は英語よりも意味の担当領域が少し広いのだろう。

ロッキー・ロバーツの英語の歌にスペイン語の字幕がついた『続・荒野の用心棒』のオープニング


 スペイン語(やイタリア語、フランス語、ルーマニア語)のお母さんのラテン語も法や時制などを動詞の統合的活用で表現するのでこれをドイツ語に訳そうとすると動詞一単語では済まない。法や時制ばかりでなく、ラテン語は人称による形の違いも明確なので代名詞の主語が抜けてもいい。英語やドイツ語だといちいちウザい主語を補って訳さないといけない。『12.ミスター・ノーボディ』でも述べように『殺して祈れ』という映画のタイトルの原題はRequiescant彼というラテン語の動詞だが、これはrequiescoという動詞の能動態接続法現在3人称複数形だ。requiescant in pace(安らかに眠りますように)というフレーズで墓碑に使われる動詞形で、希求法のニュアンスだ。その「接続法現在」はドイツ語では接続法I式に対応するが、requiescoにあたるドイツ語の動詞 ruhenでは複数3人称で直説法と接続法I式がどちらもruhenと同形になってしまっている上、接続法I式そのものが現在は間接話法を表すのが主機能で、接続法、ましてや希求法的意味合いはほとんど表現することができない。「ほとんど」と書いたのは「~万歳」という固定したフレーズで「生きる」leben の接続法I式を使うからである。例えば「レーニン万歳」は「レーニンが長生きしますように」で、lange lebe Leninである。lebe というのが接続法I式の3人称単数形。この決まりきった言い回し以外では単なる動詞の接続法I式で希求は表せない。そこで分析的なやり方をとり、別の本来「好む」という意味の動詞mögenを助動詞として持ってくる。この助動詞をまた接続法I式で使う。形の上ではmögenも複数3人称では同形となるのだが、この動詞の接続法い式は希求表現ができる。それで3人称に対する命令、要求、希望を表現するのによく使われるのだ。3人称に対しては命令法がないからだ。またそこでさらに念のため接続法であるということを強調するため動詞を文の最初に持って来る。クエスチョンマークがつかないから疑問文と間違えられることはない。さらにまたこれが祈りのフレーズであることを強調するため in pace にあたる部分を付加する。こうやってラテン語では動詞一つで済んでいるのを訳して出来上がったタイトルがMögen sie in Frieden ruh’nである。大変な手間だ。墓碑のrequiescant in pace のほうはずばり命令形を使ってLass sie ruhen in Frieden(let them rest in peace)というドイツ語になり、「させる」 lassenが単数命令形になっているが、これは神への呼びかけをduで行うからである。

懐かしや、その昔日本で使っていたラテン語の教科書の動詞変化表。だいぶ黄ばんでいる…
latein1-bearbeitet

latein2-bearbeitet


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 長い間気にかかっているのに改めていろいろ調べるのはおっくうだということで放置している事柄というのは誰にでもあるのではないだろうか。例えば私は森鴎外のエリスという名前がそうだった(『131.エリスという名前』参照)が、他にもある。
 ロシア語で「火」をогонь(アゴーニ)というと聞いて驚いた。実ははるか昔にサンスクリットというのをほんの短期間だけ勉強したが内容そのものはほぼ完全に忘れ、残っているのは当時買った教科書だけという状態である。なぜ「ほぼ」かというと単語がわずかに3つだけ記憶に残っているからであるが、その3つの単語の中に「火」があって、アグニというのだ。「火」というより火の神様の名前である。これとロシア語の形があまり似ているので驚いたのだ。もっともあまりにも似すぎているのでこれは偶然か借用かもしれないとも思った。しかしその後ラテン語で「火」を ignisということを知った。英語の ignition の冒頭部もこれで、中世フランス語を通して入ってきたものだ。微妙に母音が違っていたりするあたり、むしろこっちの方がサンスクリットのアグニと同源っぽい。そこで最近になってやっと調べてみたらこの3つ、サンスクリットのアグニ agní、ロシア語の огонь、ラテン語の ignisは本当に同じ単語から派生してきたものだった。印欧祖語の再現形では*hxn̥gʷnis あるいは*h₁n̥gʷnis (資料によって再現形に差がある)といい、ラテン語、ロシア語、サンスクリットの他にリトアニア語の ignis、ラトビア語の uguns もこれである。ロシア語の形が「似すぎている」のはスラブ祖語から音韻変化してくる際に母音の音価がいわば元に戻ったからで、古教会スラブ語では ognĭ、つまり母音は o だった。だからこそロシア語でも綴りがогоньとなっているわけで、アーカニエ(『6.他人の血』『26.その一日が死を招く』参照)のため a にはなっているが、音韻レベルでは o なのだ。アクセントが後ろに移動している点も(『56.背水の陣』参照)東スラブ語の図式通りである。
 これらに対してドイツ語では「火」をFeuer といって、もちろん英語の fire、オランダ語の vuur と同源だ。中高ドイツ語では viur、viwer、viuwer、fiur などと書いていた。v とは書いても無声子音だったようだ。古典ギリシャ語の πῦρ (pûr)も一緒で、印欧祖語形は*péh₂ur̥ 。第一時音韻推移で祖語の閉鎖音*p がゲルマン語派では調音点はそのままで摩擦音 f になっているわけである。アルメニア語の հուր (hur)、ヒッタイト語の paḫḫur、古プロイセン語の panno、ラテン語の兄弟ウンブリア語の pir、トカラ語Aの por、トカラ語Bの puwar もこの語が起源である。さすがアルメニア語の音韻推移だけは他と離れてアサッテの方を向いている。バルト語派、スラブ語派は上述のように*h₁n̥gʷnis(あるいは*hxn̥gʷnis。上記参照)形が基本だが、チェコ語に*péh₂ur̥ 起源の pýř という語があり「灰」である。「火」そのものはチェコ語でも oheňと*hxn̥gʷnis 形だ。

 それにしてもなぜ「火」などという基本単語がこのように祖語形から単語自体が真っ二つに割れているのだろう。普通印欧語内では「水」とか「母」「父」などのありふれた言葉はもともとの形は同じ一つの単語であることが多い。だからこそ音韻対応の規則が容易(でもないが)に見つけられたのだ。不思議に思って調べてみたら、*hxn̥gʷnis と*péh₂ur̥ とは火は火でも意味合いが違い、前者は男性名詞で人格化された火、いわば行動主体としての火で、サンスクリットのagní が火というより「火の神様」を表しているのもうなずける。現在のインドの言葉は皆この agní を受け継いでいて(プラークリットで agg)、ベンガル語 agun、ヒンディー語の āɡ、パンジャブ語の ag は当然この直系だが、ロヒンジャの言葉 ooin もこれ起源だそうだ。ロマニ語の jag も同源である。さらにこの言葉は近隣の非印欧語にも借用されていて、タミル語の akkiṉi、テルグ語の agni、タイ語の àk-ká-nii などあちこちに飛び火している。さらに本来 *péh₂ur̥ 系のヒッタイト語にも ak-ni-iš という形があるが、これはヴェーダの火の神様のことのみを指すあくまで固有名詞で、普通名詞としての機能はなかったらしい。この男性名詞の*hxn̥gʷnis に対し、*péh₂ur̥ は中性名詞、単なる自然現象、人格化などされていない物質あるいはモノとしての火だ。上でも述べたようにインド語派とロマンス語派以外の印欧語は基本的にこちらを使っている。
 『122.死して皮を留め、名を残す』でもちょっと名前をだしたBonfante はこの二つの形に言語地理学的なアプローチをして*péh₂ur̥ は「中央的」*hxn̥gʷnis は「周辺的」な分布を示す、つまり*hxn̥gʷnis の方が古い形であると見た。最初印欧(祖)語では「火」は*hxn̥gʷnis 形だけであった。しかしその後新しい形*péh₂ur̥ が文化的中心部に発生し、それが古形にとって代わっていったと。いわゆる波動説に従ったのである。斬新的な新しい形はまず文化の中心地に現れ次第に周辺部に広がっていくから中央部ではすでに新しい形が使われている時期でもまだ周辺部では古形が残っている場合が多い、という考えかただ(『105.茶飲み話』参照)。このボンファンテの説に対してはMalloryと Adamsが異を唱えている。まずヒッタイト語が*péh₂ur̥ である理由がわからない。このほとんど最古の印欧語がすでに新しい単語を使っている一方で、古いは古いがそれよりちょっと時代の下っているサンスクリットだろラテン語だろが「それより古い」形を使っているのはなぜか。さらにトカラ語などのどう見ても周辺言語が文化的中央語の*péh₂ur̥ である説明もつかない。もう一つ、各言語での*péh₂ur̥ 起源の語の活用のパラダイムなどを見てみると、こちらの方がむしろ古い印欧祖語の形を保持していて、*hxn̥gʷnis は形態素的に新しいタイプの語である。しかしそこまで言っておきながらマロリー&アダムズは「*péh₂ur̥ のほうが古い」という結論にまでは持って行っていない。私には「なるほど、じゃあ*péh₂ur̥ のほうが古いんじゃん」としか思えないのだが、M&Aによれば両方とも印欧祖語にもともとあった語で、印欧祖語民族は生物または魂を持つ実体と単なる物質としての火を言語上で区別していた、それが印欧祖語がいろいろな言語に分離してくる際、どちらか一方がもう一方を押しのける形で一つの単語に固定してしまったと。
 確かに古い印欧語は生物非生物の区別に敏感だったらしく、その形跡が今でもところどころに残っている。現にロシア語では生物非生物によって対格の形が違うし、ヒンディー語やヒッタイト語に見られる能格構造も元をただせばそのせいといえそうだ。たとえばアナトリア語派(ヒッタイト語もこれ)では中性名詞が他動詞の主語に立つときは主格とは異なる*-enti という語尾をとるようになった。これは本来中性のn-語幹名詞の奪格・具格形だったもので、非生物を表す中性名詞が生物のように主語に立つと居心地が悪い感じがしたからだ。現在の英語だったらThe fire burned the house と言っても何の差支えもないが、ヒッタイト人は引っかかったと見えて非生物が主語に立つ場合は奪格・具格を取っていわば (It) burned the house with fire 的な表現をした。これが固定して能格が生じたのである。日本語も非生物が主語に立つと非常に座りが悪い。「火が家を燃やした」とは普通の日本人ならいわないだろう。ヒッタイト語では*-enti は -anza として現れ、「火」の能格は paḫḫuenanza である。現在のヒンディー語にも能格があるが、これはまず動詞の形が変わり、そのバレンツに引っ張られて死体を別の格で表すようになったのが固定したそうで、アナトリア語派とはメカニズムが違うが、どちらも二次的に発生した能格である。

 さて、*hxn̥gʷnis のほうが新しい、という仮定をちょっと続けてみよう。この新語はどうやって生じたのか。印欧語を話す人々がインド亜大陸に入ってきたとき、すでに当地には先住民族がいた。おそらくドラヴィダ語を話す民族だったと考えられる。古代インド語がここから「火の神様」という語を借用したのか。しかしその後はドラヴィダ語のほうがサンスクリット、パーリ語などのインド語派に押されて影響を受け、上にも書いたように現在のドラヴィダ語群の「火」はサンスクリット語からの借用であることが明白だ。だから昔インド語の方がドラヴィダ語から取り入れたと考えたいのなら、ドラヴィダ語の「火」という単語の原本(違)は一旦消滅し、サンスクリットがそれを保持していたのを後からまた取り入れたということでなければならない。どうもこりゃ考えにくい。やはり印欧語が北からインドに入ってきたときはすでに印欧語側に*hxn̥gʷnis という単語があったとしか考えられない。
 その「北」、今のチグリス・ユーフラテス川の北には紀元前1600年ごろミタンニ王国というのがあった。そこに元々住んでいたのはフルリ人という非印欧語民族だったが、後からきた印欧語民族に支配され、紀元前1360年ごろヒッタイト人に滅ぼされた。そこでその言語についてのヒッタイト人の記録が残っている。それによればヴェーダやヒンドゥー教の神々の名前が被っているそうだ。火を神として崇める宗教自体も北の現地人たら取り入れたのだろうか。その地域も含めたインドの西北、現在のイラク、イランのあたりには火を神聖なものとして崇める宗教が広まっていた。ゾロアスター教などその典型だ。その当時当地にはフルリ人だけでなく非印欧語を話す民族がいろいろいたことはシュメール語、エラム語、アッカド語などの記録を見ても明らかだ。先住民がすでに持っていた拝火思想が後から来た印欧語民族に伝わり、ついでに「火の神様」「人格化・神格化された火」という単語*hxn̥gʷnis が印欧(祖)語に取り入れられたのかもしれないと最初考えた。だからサンスクリットで「火」が神様と結びついているのだと。一方拝火思想の影響を受けなかったヒッタイト語など「古い周辺層」には借用語の*hxn̥gʷnis が広まらず、本来の*péh₂ur̥ が残ったのだと。
 しかしこの解釈にも大きな問題がある。ゾロアスター教の経典言語アヴェスタ語とヴェーダの言語(サンスクリット)とでは「火」の形が全然違うのである。 第三の火だ。アヴェスタ語の「火」はātarš と言って印欧祖語では*h₂ehxtr̥ と再建されている。アヴェスタ語は紀元前二千年目の後半、つまり紀元前1500年から1000年くらい、リグ・ヴェーダのサンスクリットは紀元前二千年目の終わりごろ、紀元前1200年とかそのくらいの時期の言語で、時期的にほぼ同じであるばかりでなく言語的にも非常に近く、ちょっと音韻を変換すれば相互に転換できるそうだ。そのくらい近い言語なのに「火」が語源からして全く違う語になっているのはなぜだろう。
 アヴェスタ語は当時に書かれた原本というのが存在せず、儀式用の言語として口承されていたのがやっとササン朝ペルシャになってから文字化された。つまり紀元後3世紀から7世紀である。もちろんそのころはアヴェスタ語はとっくに死語になっていたからいろいろ伝承の間違いがある。しかもその最古のササン朝期の記録の原本というのが残っていない。現存する最古のテキストはそのコピペのコピペのさらにそのまたコピペの1288年のものである。これでは当時の言語が正確に伝わっているのかどうか心もとない。またアヴェスタ語より少し時代の下った古代ペルシャ語、これは例のベヒストゥン碑文にエラム語、アッカド語とともに使われていた言語だが、それを記録している楔形文字があまり正確にはその音韻状況を伝えていないらしい。そもそもアヴェスタ語も古代ペルシャ語も資料の量が少なく比較の材料をふんだんに提供しているとは言えない。そこで私の第二の妄想である。アヴェスタ語の「火」って本当にātarš だったの?実は途中のコピペで変な風に伝わっちゃっただけで本当は「アグニ」とかそういう形だったんじゃないの?ということだ。例えば古代ペルシャ語には「煉瓦」という意味のāğgur という語があったとみられているが考えようによれば「煉瓦」というのはその意味素に「火」を含んでおり、しかもこの形はなんかこう、アグニとアータルシュを足して二で割ったような感じである。気のせいか。
 しかしこれにも大きな問題がある(どうも問題発言(?)ばかりですみません)。*h₂ehxtr̥ 起源の言葉があちこちの印欧語に残っているのだ。しかも古い言語にたくさん残っている。またそれだからこそ*h₂ehxtr̥ という形を再建できたのである。アナトリア語派のパラー語に ḫa-a または ḫā, hā という「熱いこと」「熱いもの」を表す言葉があり、これは*h₂ehxtr̥ だそうだ。アナトリア語派にまであるということは*h₂ehxtr̥ は印欧語に元からあったとしか考えられない古さである。当然イラン語派ではこの形の「火」が使われていて、バクトリア語 aš、ソグド語 ātar、スキタイ語の再現形*āθr などは皆これ起源、現在でもパシュトゥー語の or「火」にこの形は残っている。さらにケルト語派にもこれ起源の語が広く使われている。アイルランド語の áith、ウェールズ語の odyn などだが、意味が変化していて皆「かまど」とか「炉」などを表す語だそうだ。イタリック語派にもある。ウンブリア語にatru という語があるがこれはモロ「火」である。さらにラテン語にも*h₂ehxtr̥ 起源の āter という語がある。「黒」という意味だが、火が燃えた後の色から来たのだろう。もし*h₂ehxtr̥ と*hxn̥gʷnisがもとは一つの単語だとしたらこれはありえない。ややこしいことに先のウンブリア語は「火」に2系あり、一つは上で述べた*h₂ehxtr̥ 起源の atru、もう一つが*péh₂ur̥ 起源の pir という語。ラテン語の火が*hxn̥gʷnisだからイタリック語派には3つの形が全部そろっている。これはやっぱりどれが新しいとかそういう問題ではなく、もともと印欧祖語には「火」に3形あったとしか思えない。そのうちの一つがだんだん他の形をおしのけて「火」として固定し、他は周辺部の意味に回されたと考えられるが、イタリック語派を見ると、これらの言語が一つにまとまっていたころ、つまりラテン語やウンブリア語に分化しかかることにはまだ3つが「火」の意味で共存していたということなのだろうか。

 こうやって堂々巡りをしたあげく、「印欧祖語には火という単語が少なくとも3つあった」という出だしに戻ってきてしまった。私のそもそもの疑問「なぜ火などという大事な基本概念がいろいろの単語に割れているのか」というのが全然解決していない。もうこうなったら勝手に想像するしか手がないので考えたのだが、これは「大事な概念なのに」ではなく「大事な概念だから」語が細分化していたのではないだろうか。日本語でも、英語やドイツ語なら rice あるいは Reis 一語で表されている事象が「稲」「米」「飯」などやたらと細分化している。逆に日本語だと「牛」ひとつがドイツ語や英語では性別や去勢されているかいないかによって全く別の単語に分かれている。イヌイット語には「雪」という統一的な言葉がなく、降っている雪と積もったばかりの雪、積もって固くなった雪など多くに言葉に分かれているそうだ。そんな感じで印欧祖語を話していた民族にとって火が宗教上も生活上も非常に大切なものだったので単語が細分化していたのではないだろうか。時代が下るにしたがって拝火の習慣が薄れ、それにしたがって火が一つの単語で足りるようになり、そのうちの一つが他を押しのけて固定していったのかもしれない。が、印欧祖語の時代の*hxn̥gʷnis(*h₁n̥gʷnis)、*h₂ehxtr̥ 、*péh₂ur̥ 間に本来どういう意味の差があったのかはさすがに考えてみただけではわからない。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 前にも少し名前を出したソ連の作家アンドレイ・プラトーノフだが、私は最初岩波文庫の翻訳で短編をいくつか読んだ。中央アジアを舞台にした作品だったが、特に変わったストーリーでもないのにちょっとゾッとしたのを覚えている。さらに訳の日本語がおかしい気がした。言葉がおかしいというより、別宮氏あたりから悪訳と言われそうな文章で例えば「普通の人ならこういう時こういう言葉は使わないだろ」という不協和音がそこここに感じられてどうもすんなりと読めなかったのだ。しかし訳したのは名の通った一流の訳者だったので、どうも腑に落ちなかった。
 その後ずっと経ってからロシア語ネイティブの人となぜかプラトーノフの話になった時、そのネイティブ氏が「プラトーノフの文章は全然読めない。あのロシア語はおかしい。とにかく文章に入っていけない。とっつくことができない」と言い出した。そこでようやくプラトーノフはロシア語自体が「普通じゃない」ことを知ったのである。「普通の人ならこういう時こういう言葉は使わない」のは日本語訳のせいではなかった。訳者はそういう原語に合わせてわざととっつきにくい日本語にしたのかもしれない。

 ドイツではすでに1990年に大きなプラトーノフ全集が出ているのだが、その後すぐ(と言っていい)1999年にレクラム文庫からいくつかの短編の訳が出た。日本は外国文学の古典の訳が同時に数種出たりするが、こちらは一度訳が出たら容易には新訳が出ない。訳文が古くなってそれ自体の現代語訳がいるようになったとか、重訳していたのを原語からの直訳にするとか、新たな原稿が見つかったりして原語自体の編集が必要になったとか何か大きな理由がいる。1990年に訳が出たのに1999年にはもう別訳というのは異例といっていい。当時スラブ語学の教授がこれをいぶかって「前の訳がよほど悪かったのかな」と首をかしげていた。

1990年版のドイツ語訳プラトーノフ全集の一巻。
platonov-1990bearbeitetNEU

そのあと程なくしてレクラム文庫から短編がいくつか改めて翻訳されて出版された。
platonov-reklam

 レクラム版は短編数編のみの翻訳だったが、2016年になってプラトーノフの代表作Котлован『土台穴』(ドイツ語でDie Baugrube)が再翻訳された。Котлованの訳者はガブリエレ・ロイポルトGabriele Leupoldという人だが、その翻訳が非常に高い評価を受け、当時の全国紙の文芸欄に大きく取り上げられた。ロシア語の文学が文芸欄に取り上げられること自体珍しいのにその上トルストイやパステルナーク、ナボコフなどと比べると一般の知名度がはるかに低いプラトーノフが文芸欄に載ったので私は驚いた。

Leupold訳の新しいDie Baugrube。2019年にペーパーバック版が出された。これはペーパーバック版のほうの表紙。
platonov-2019bearbeitet

 その訳業が高く評価されたのは「翻訳不可能なものを翻訳した」からである。プラトーノフのロシア語は翻訳不能とみなされていたのだ。もちろん大体の内容やストーリーを写し取ることはできるだろう。だからこそ今までにも翻訳そのものはあった。だがその文体の「普通じゃなさ」、ネイティブにさえあんなロシア語は読めないと言われた特殊な言葉使い、語の周辺にうごめく連想体系を外国語に再現なんてできるわけないと思われていた。もちろんあらゆる翻訳はあくまで近似値に過ぎないから本当の意味での翻訳というのはそもそも不可能だが、その近似値にさえ行きつけない作品があるということだ。
 プラトーノフの長編小説がそこまで近づきにくかったのには大きい理由が二つある。一つは当時のソ連社会の特殊性と閉鎖性。ソルジェニーツインのように社会や政府から具体的に恐ろしい制裁を受けたものの記録からは外部の者にもその特殊性(または恐ろしさ)が伝わる。しかしそういうはっきりした事象には現れない、社会全体に蔓延していた雰囲気は代表する事象がないだけに外の者にはわからない。秘密警察が怖いなどという具体的で理由がはっきりしている恐怖感でない、ただ暮らしているだけで感じる形のない不安は外の者には伝わりにくい。
 つぎに上の事とも関連するが新しい社会をまっさらな状態から作り上げるのを目標としたソ連の革命政府が行った言語革新のせいで、ロシア語はそれまで培ってきた伝統から切り離され人工的で不自然な言い回しや言葉が生まれた。いわば言語の孤児化、言語破壊である。プラトーノフはその破壊され孤児となった言語を用いた。だからロシア語のネイティブにさえも入っていけなかったのだ、それまでの伝統から引き離されたのは単語そのものばかりではない、語の背後に広がっている連想体系まで変えられた。社会の閉鎖性が言語にまで持ち越されたのである。
 さらにプラトーノフは詩も書いていたくらいだから言語感覚が非常に鋭利で、暗喩などの言語戦術、文学戦術を駆使している。例えば『31.言葉の壁』で言及した『名も知らぬ花』では、花というロシア語が男性名詞であることが大きな意味を持ってくる。例に出したドイツ語訳は上で述べた1990年版の全集に入っていたものだが、何も考えずにこれを女性名詞にしている。もっとも言語の芸術である文学作品とは多かれ少なかれそういうもので、当該社会や歴史のことが広く知られ、普通に自然言語で書いてあっても文学作品(詩だけではなく散文もそうだ)の理解、ましてや他言語への移植は難しいが、その上さらにその社会を実際に経験している者にしか理解できないような言語体系で微妙な言語戦術を駆使されたらもうお手上げだ。そのお手上げを翻訳したロイポルト氏が高い評価も受けるわけだ。
 私は氏のDie Baugrubeを読んでみたが、噛み砕きにくいドイツ語で読むのに骨が折れる。「それはあんたのドイツ語能力がないからだろ」と言われそうなので念のためこれを読んだドイツ語ネイティブに聞いてみたが、やはり「二度読んでいちいち考えないと文の意味が分からない非常に疲れるドイツ語」とのことだった。読むと疲れるというのはロシア語のネイティブの感想と同じで、その意味では氏のドイツ語訳は成功しているのだ。
 しかし当時の社会から生まれた特殊な言葉の意味、またロシア語そのものから来る連想については翻訳そのものでは移しきれず多くの注釈が付加されている。これも別宮氏だったと思うが(それとも河野三郎氏だったかもしれない)注釈に頼る翻訳は悪訳、文学の翻訳というものは本来妙な説明なしで原語を移植する、ある意味文化の移植であるべきだと言っていた。注釈があると文章の流れが著しく阻害されるからでもある。しかしそれには限界があるようだ。Котлованは言葉だけによる翻訳が可能な限界を超えているのではないだろうか。それに面白いことにこの小説では注釈が全然「流れを著しく阻害」していない。本テキストそのものが十分とっつきにくいので、途中で注釈を読みながら進んでもあまりスピードに差がないのだ。まあとにかく読みにくい文章だった。

 Котлованで描かれているのは社会主義建設期、よそ眼にはまだ新社会への希望をもっていたはずの時期に建物の建設に携わっている労働者たちである。労働者たちは後続の世代、自分たちの子供たちの幸福のために自分を犠牲にして働いている。階級の敵、今まで不公正の原因になっていた金持ち・搾取階級の人たちを抹殺するのも未来のためには仕方がない、そう思っている。
 しかしそれなのに彼らの心には何かぽっかりと穴が開いている。主人公の一人はどうしても「真実」が見つからず、その空しさを忘れるためか夢遊病者のようにただただ仕事に熱中している。建設を指揮する技師もうつ状態で死ぬことばかり考えている。
 そもそも「建設」というが、いったい何を、どういう建物を建てているのかはっきり描かれていないのだ。ただ皆でやたらと穴を掘り、時々近くの村へ行って集団化のために農民が今まで飼っていた家畜を押収する仕事を助けたりする。当時わずかながらも自分の財産であった牛馬が取り上げられて国家管理となった農家(零細農家もいた)は抗議のため、国に取り上げるくらいならと家畜を全部屠殺 したそうだ。そのためソ連国内に一時にどっと肉が出回って値段が暴落したりしたというが、そういう背景知識は注で詳しく説明してくれている。時は冬で、降り積もった真っ白い雪の上には家畜の死体に群がってきたハエが点々と黒いシミを作っている。壮絶な光景だ。
 そこに未来世代の代表として小さな少女が登場するが、この少女はまだ小さいのに二言目には「ブルジョアどもを皆殺しにしちゃおうよ」とかそういう言葉を吐く。少女は自分の母親が悲惨な死に方をするのを見とるのだが、その母のことも「ブルジョア」などと呼ぶなど、普通小さな子供が親の死に臨んでとる態度ではない。労働者たちはこの子供を非常に大切にして可愛がるが、この子に本当に幸せは訪れるのか、労働者たちの献身的な働きには何か意味があるのか、読むほうは考えざるを得ない。結局何もかもが大いなる「無」に向かって進んでいるだけではないのか。そういう予感が読者の背筋を冷たくするのである。少女は結局死んでしまうが、そのほうがこの子にとっては救いではなかったか。そう思わせるのだ。
 しかし無に向かっているのは社会主義社会だけの話なのか。結局人間の作る社会など全ていつかは崩壊し、無に帰するだけではないのか。
 似たような感じは上で述べた日本語翻訳で『ジャン』Джан、『粘土砂漠』Такырという中編を読んだときも抱いた。ストーリーそのものはいわばハッピーエンドなのにやたらと重苦しいのである。別に大悲劇が起こったりはしていないのになにかがズッシリと心にのしかかってくるのだ。

 さらにプラトーノフの文体がこの重苦しさに拍車をかける。ちょっとКотлованの冒頭部を見てみるとその消化の悪さがわかると思う。まず2016年のロイポルト氏のドイツ語訳。

Am dreißigsten Jahrestag seines persönlichen Lebens gab man Woschtchew die Abrechnung von der kleinen Maschinenfabrik, wo er die Mittel für seine Existenz beschaffte. Im Entlassungsdokument schrieb man ihm, er werde von der Produktion entfernt infolge der wachsenden Kraftschwäche in ihm und seiner Nachdenklichkeit im allgemeinen Tempo der Arbeit.

原文は以下のようになっている。

В день тридцатилетия личной жизни Вощеву дали расчет с небольшого механического завода, где он добывал средства для своего существования. В увольнительном документе ему написали, что он устраняется с производства вследствие роста слабосильности в нем и задумчивости среди общего темпа труда.

その個人的な人生の30回年めの日に、ヴォシチョフには今まで自分の存在手段を得ていた小さな機械工場から決算書が手渡された。その解職通知書にはこう書いてあった、ヴォシチョフは内面の出力虚弱性の増加および作業の共通テンポにおける瞑想癖のため生産活動から除外すると。

消化困難な文章が3言語も並ぶと壮観だ。翻訳というのは普通このような文章にならないよう噛み砕くべきなのだがプラトーノフではそれをしてはいけない。1990年のドイツ語訳もやはり消化困難文だが、「存在手段」die Mittel für seine Existenz が「生計」Unterhalt となるなど、上と比べるとややマイルドである。

Am Tag der dreißigsten Wiederkehr seines Eintritts ins persönliche Leben wurde Wostchew aus der kleinen Fabrik, wo er sich bislang seinen Unterhalt verdient  hatte, entlassen. Im Kündigungsschreiben hieß es, man müsse ihn aus der Produktion entfernen im Hinblick auf seine zunehmende Körperschwäche und wegen Grübelns inmitten des allgemeinen Arbeitstempos.

それにしても普通の小説なら

30歳の誕生日にヴォシチョフは今まで働いていた小さな機械工場から解雇通知を受け取った。作業の速度が遅いのと、皆が同じテンポで仕事をしているのに彼だけ考え事をしすぎる、というのが理由だった。

とでも書くところだ。ほかにもこの手の訳ワカメな文章がたくさんある。

 ロイポルト氏訳では言葉遊び、暗喩などはいくらか注で説明してくれているが、その注自体ある程度ロシア語の知識がないと理解できないのではないだろうか。例えばロシア語の硬音記号についてこんな会話がある。

– Авангард, актив, аллилуйщик, аванс, архилевый, антифашист! Твердый знак везде нужен, а архилевому не надо!
...
– Зачем они твердый знак пишут? – сказал Вощев.
...
– Потому что … и твердый знак нам полезней мягкого. Это мягкий нужно отменить, а твердый нам неизбежен: он делает жесткость и четкость формулировок. Всем понятно?

 - Avantgarde, aktiv, Akklamateuer, Avance, Agitator, Antifaschist! Das Härtezeichen muss überall stehen, nur bei Avance nicht!

- Warum schreiben sie das Härtezeichen? , - sagte Woschtschew.
...
- Weil … das Härtezeichen uns nützlicher ist als das weiche. Man sollte gerade das Weichheitszeichen abschaffen, das harte ist uns unausweichlich: es bringt Strenge und Klarheit der Formulierungen. Ist das allen verständlich?

「前衛、活動分子、拍手要員、前金、扇動要員、アンチファシスト! 至る所に硬音記号がいるぞ、 扇動要員 だけ必要ない!」

「どうして硬音記号を書くんだ?」 ヴォシチェフが言った。

「…硬音記号のほうが軟音記号より役に立つからだ。この軟音記号という奴は廃止すべきである。だが硬音記号は必要不可欠なのだ:硬音記号は書式に峻厳さと明瞭さをもたらすのである。全員わかったか?」

一行目からソ連の特殊用語の羅列である。аллилуйщик と архилевый (下線)は結構大きな辞書を見てもでていない。 Аванс(太字)は本来「前金」だが、この文脈で前金という言葉はおかしいからソ連では何か他の意味に転換されているのかもしれない。全員にはわからない。
 さて、この部分の主要テーマ(?)は硬音記号で、Leupold氏はこの部分に次のような注をつけているが、やっぱりわからない人がいるのではないだろうか。

Das Härtezeichen, das im Russischen vor allem im Wortauslaut nach Konsonanten stand und dessen ‚harte‘ Aussprache bezeichnete, wurde 1918 abgeschafft – anders als Weichheitszeichen, das eine ‚weiche‘ Aussprache des vorangehenden Konsonanten bewirkt.

ロシア語で、特に語末で子音の後に立ち、その「硬い」発音を示していた硬音記号は1918年に廃止された - 先行する子音を「柔らかい」発音にする軟音記号はこれと違って残った。

そこで人食いアヒルの子がしゃしゃり出るが(引っ込め!)、まず「硬い発音」と言われても一般の人には通じまい。これは口蓋化されていない子音ということで、ロシア語では例えば日本語の有声⇔無声、中国語や韓国語の帯気⇔無気(『126.Train to Busan』参照)の如く、口蓋化と非口蓋化という要素が弁別的に働く。そこで非口蓋化音には子音の後に硬音記号 ъ、口蓋化音は軟音記号 ь をつけて表していた。つまり「柔らかい発音」というのは口蓋化子音のこと。1918年以降は語末の非口蓋化音にいちいち硬音記号を付加するのをやめて、「何の記号もついていなければその子音は非口蓋音」と規則を統一し、口蓋化子音のほうにのみ軟音記号を付加することにしたのである。だからプーシキンの『エヴゲーニィ・オネーギン』はプーシキンの時代にはЕвгеній Онѣгинъと書いたが、今は硬音記号をつけなくていいからЕвгений Онегинとなる。ѣ や і の文字はロシア語では廃止された(後者はウクライナでは今でも使っている)。革命後しばらくたっていたはずなのにニコライ・トゥルベツコイがこの旧かな使いをしていたことは『134.トゥルベツコイの印欧語』で述べた。そこでは「言語連合」の複数生格形がязыковыхъ союзовъと記してある(現代の綴りではязыковых союзов)。これら語末の硬音記号を廃止して語末の子音が口蓋化音である場合にだけ特に軟音記号をつけることにしたのだ。それで「石」はкаменьと綴る。最後の音が口蓋化音。上のオネーギンと比べてみてほしい。それぞれ ъ と ь が語末についているが形が似ているから目が悪いとほとんど区別がつかない。どちらが一方をつけなくしたほうがよほど見やすい。
 ではなぜ硬軟両記号のどちらかを残すのに硬音でなく軟音のほうを残したか(ただし現在でも形態素の分かれ目を示すなど、特殊な場合には硬音記号は使われている)。これは硬軟どちらが有標で、どちらが無標なのかという問題だろう。日本語でも無標の無声子音はそのままで、対応する有標の有声子音のほうだけ濁点をつける。「かきくけこ」が「がきぐげご」になるのだ。これと同じメカニズムで、ロシアでは口蓋化音が有標だから特に軟音記号をつける。これが自然だ。硬音記号のほうを残して有標の軟音記号を廃止しろというのは自然に逆らい、ネイティブの言語感覚からもトゥルベツコイの音韻論からも正反対の方向を向いている。こういう「わかってない」指導者で社会はどこに向かっていくのだろう。しかも革命政府が硬音記号を廃止したのだからこれにイチャモンをつけるのは本来反革命ではないのか。いったい何がしたいのか。そもそも硬音記号と軟音記号とどちらが「役に立つか」などという議論や主張がそれこそ何の役に立つのか。より良い社会建設という目的が不毛で些末な文字論に堕ちていっている。
 話を戻すが上の Авангард, актив, аллилуйщик, аванс, антифашистは非口蓋化音にいちいち硬音記号をつけるとそれぞれАвангардъ, активъ, аллилуйщикъ, авансъ, антифашистъとなるはずだ。 архилевый だけ硬音記号がいらないのは最期の音は半母音で口蓋・非口蓋の区別がない、というのはこの音は何もしなくても口蓋化音でこれを非口蓋化することが物理的に不可能だからである。その点確かにこの発言者のいう通りなのだが、こういう妙に細かい部分で無駄に正確な描写をされると些末性がますます強調されて見える。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ