アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

本を出しました。詳しくは右の「カテゴリー」にある「ブログ主からのお知らせ」をご覧下さい。
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 センテンスのトピック、不変化詞の「は」のついた名詞は格については中立で、指示のステータスとも本来無関係ということを『175.私は猫です』で強調した。その際印欧語が母語の奴はそこんとこがわかってないからトピックと見ると主格だと自動解釈しやがってと暗に罵ってしまったが、そんなことしやがるのは日本人にも結構いる。それが証拠に「ハとガの違い」などと平気で言う。この二つの不変化詞は機能の点でもシンタクス上の振舞いの点でも全く別物で本来比べるべきものではない。格の中立性ということがわかっていないのである。
 指示のステータスとトピックを混同するのも困る。そういう人は文を見ると自動的にその文のトピックはどれかいなと探しはじめてしまう。例えば次の二番目の文を見てほしい。

私アメリカに行ってた友だちがいるのよ。その友だち昨日うちに遊びに来たの

ここで、「その友だち」が二番目の文のトピックだとチョンボ解釈する人は少なくない。「友だち」という指示対象のステータスが高いからだ(『181.フォルダの作り方使い方』参照)。日本語ならまだ「その友だち」に「は」がついていないからチョンボから踏みとどまれるが、これに対応する英語・ドイツ語の文では言語学者でさえ自動的に「その友だち」をトピックだと言い出す人がいる。下の文との違いをどう説明してくれるのか。

私アメリカに行ってた友だちがいるのよ。その友だち昨日うちに遊びに来たの

ここでは「その友だち」はトピックマークされているから本当にトピックだ。それに対して上の文はトピックを持たないのである。Kuroda という学者がこの区別を明確に指摘している。
 まずトピック持ちの文から見て行こう。この文はトピックとトピックでない部分との二つに分けることができる。トピックでない部分とはつまりトピックに関連して伝えたい情報だ。この情報部は「コメント部」と名前でよく呼ばれているが、ちょっと色分けしてみよう。黄色がトピック、水色がコメントである。

その友だち昨日うちに遊びに来たの

トピックマークされていない上の文は、文全体がコメント部となる。

その友だちが昨日うちに遊びに来たの

Kurodaはトピック付きで二部構成の文を categorical judgment、全コメント文を thetic judgment と呼んでいるが、この言葉自体はギリシャ哲学の時代から存在している。次のような文も定型的な「全コメ文」「トピなし文」である。

あっ、アヒルがいる

 では二部構成になっている文の構成要素は必ずトピックとコメントなのかというとそうではない。「誰が来たんですか?」という問いへの答えとして「田中さんが来ました」と発話した場合、「田中さん」は変数(疑問代名詞)「誰が」に代入されるべき定数、つまり求められた情報だが、「来ました」の方はそれがないと答えの文がブッキラボウな省略文になってしまうため、言い換えると答えの文のシンタクス構造を整えるために当該情報にくっ付けられたいわばシッポというか包み紙みたいなものである。文字を色分けしてみよう。

田中さんが来ました

この赤い部分、核心情報の部分を「フォーカス」あるいは「焦点」、緑色の包み紙を「バックグラウンド」あるいは「背景」と呼んでいる。もし同じ質問に対して「田中さん!」と答えたらその文は背景部のない前フォーカス文ということになる。

田中さん

疑問代名詞の代入ばかりでなく、元の文の一部を訂正する場合もこのフォー・バク構造(長すぎるので縮めてしまいました)となる。

A:山田さん、来ましたね!
B;いや、田中さんが来たんですよ

この場合は包み紙たるバックグランドがないと通じにくい。

 さらに見ていくとこのフォーカス・バックグランド文も全フォーカス文も同時に全コメ構造である。どちらもトピックがないからだ。色を上乗せして図示してみよう。

田中さんが来ました
田中さん

次に「昨日は誰が来ましたか?」という質問に対して「昨日は山田さんが来ました」と答えた場合だが、これはトピ・コメとフォー・バクの二重の二部構成になる。

昨日は山田さんが来ました

これらトピック、コメント、フォーカス、バックグラウンドは「文の情報コンポーネント」と呼ばれるが、そのコンポ分けの仕方に2通りある。第一は今まで見てきたようにトピ・コメとフォー・バクという二種の二項分けをそれぞれ独立に適用するやり方だ。もう一つはこの二つを統合してしまって、文の情報構造を3つのコンポーネントに分けるものである。カタロニアの Vallduví という言語学者がこの立場だったが、文をリンク link、フォーカス focus、テール tail という3つの情報部に分けていた。リンクはトピックのことで、これがいわばフォルダの働きをすることを考えれば(『181.フォルダの作り方使い方』参照)、むしろ「トピック」という名称より適切かもしれない。フォーカスは上のフォーカスと同じ意味で、文のしかるべき部分に代入すべき情報部である。テールはまさに尻尾、上の用語でいうとコメントかつバックグラウンドの部分だ。つまりトピック(リンク)に関してはフォー・バク二分割はを不問にするわけである。このやり方だと非常に情報構造がすっきりと現せる。上の「昨日は山田さんが来ました」をこの3分割で現してみよう。せっかく旧来の用語をリンク、テールと上手い用語で言い換えたのだからこの際「フォーカス」も言い換えて「アップデート」と命名しようと思う。リンクが黄色、アップデートが空色、テールが薄赤。

昨日は山田さんが来ました

文字そのものの色を変えずに背景色だけですっきりと表せる。今までの他の例文もこれで表してみよう。

その友だちは昨日うちに遊びに来たの

その友だちが昨日うちに遊びに来たの

あっ、アヒルがいる

田中さんが来たんですよ

田中さんが来ました

田中さん

Vallduví はさらにそこで、あり得る文の情報構造は1.リンク・アップデート(フォーカス)、2.全アップデート、3.アップデート・テール、4.リンク・アップデート・テールの4つしかないと主張した。上でその全パターンが出そろっているが、言い換えると、1.アップデートのない文はあり得ない、2.リンクは(登場するとしたら)必ず文頭に、テールは文末に来る、の2点に絞られる。この結論は英語とカタロニア語を詳細に検討して出したものだが、アメリカの Van Valin という学者もこの原則を踏襲している。ちょっとこれを引き続き日本語で検討してみよう。「山田さんは昨日どこへ行きましたか?」という質問に対して「山田さんは昨日東京へ行きました」と答えた場合情報構造はどうなるのか。ダブル二重構造方式でなら:

山田さんは昨日東京へ行きました

統合方式だと次のようにならざるを得ない。

山田さんは昨日東京へ行きました

「行きました」はテールだからきちんと(?)素通りしてもらえるが、改めて書き換える必要のない「昨日」は「東京へ」と共にアプデ部だから上乗せで書き換えられるという解釈になる。統合方式では情報コンポがバラけて配置されることを許さないので、以下のような情報構造は認められないからだ。

山田さんは昨日東京へ行きました

ある意味では「昨日」と「東京へ」の違いを昨日東京へという風に文字の色を違えて表せる上のダブル二重方式のほうが便利とも言えるが、一方でダブル方式だと「昨日」も「行きました」もそれぞれ昨日行きましたと全く同じ色合いになってしまう。しかしこれらは省略されたときの違和感の程度が全く異なる。「山田さんは東京へ行きました」なら上の質問の答えとして完全にOKだが、「山田さんは昨日東京へ」と言って「行きました」を省略すると日本語の文としての許容度が一気に下がる。やはりこの二つは異なる情報コンポと見たほうがいい。テールは単に文脈から再建可能なだけでなく、何らかのシンタクス機能を背負っているのだ。言い換えると文の情報構造は指示のステータスとは独立ということで、『181.フォルダの作り方使い方』で議論した結論とも整合する。
 さて次に同じ問いに「昨日山田さん東京へ行きました」と答えた場合と「昨日山田さん東京へ行きました」と回答した場合との違いは何か。一見双方同じ情報構造になる。

昨日山田さんは東京へ行きました

昨日は山田さんは東京へ行きました

だが、二番目の文はVallduvíが「リンク・チェーン」、リンクの鎖と呼んでいる、リンクが複数ある構造である。次のように表すとわかりやすい。

昨日は 山田さんは 東京へ 行きました

最初の文はリンクが一つである。

昨日山田さんは 東京へ 行きました

このリンクの鎖は生成文法でマルチトピックと呼ばれているもので、英語学者にすら(?)存在を確認されている極めてありふれた情報構造である。ああそれなのに、ある時私が日本語でものを書いているとき一つの文に「は」を二回入れたら文法チェックの下線が入った。つまりこれは「要注意」の構造と言うわけか。誰だ、こんなチェック機構をプログラムに組んだのは。多分規範文法意識過多(『170.自動詞か他動詞か』参照)の国語の先生か語学教師の入れ知恵か。道理で「トピックは既知の情報」とかこの21世紀に未だに大ウソの説明をしだす人が散見されるはずだ(まあまあそう怒るなよ)。以前に「トピックは格や指示のステータスとは理論的に無関係」と描いたが、数に関しても原則的にはセンテンス内の制限はないのだ。次の文なんかには「は」が三回出てくるが、私の言語感覚では完全にOKである。

昨日東京でコンサートなかった。

 情報構造というテーマについては構造主義言語学の創成期、プラーグ学派ですでに議論され、チョムスキーに代表される生成文法にも引き継がれた。そこでワーワー議論されているところに登場したのが日本語で、この言語は英語なんかと違ってイチコロでトピックが見分けられる。「昨日山田さんは」と「昨日は山田さんは」の違い、つまりシングルリンクとマルチリンクの違いなんかも英語だと当該単語のシンタクス上の位置や発音など学者が一生懸命に議論検討しないといけないが、日本語だとネイティブスピーカーならどんな馬鹿でも一発で区別できる。「は」がついているいないでわかるからだ。このメリットのため当時の情報構造ネタの論文では必ずと言っていいほど日本語に言及されていた。私はこの「トピック」というテーマは日本語が世界の言語学に大きく貢献した部分だと思っている。日本人がその足を引っ張ってどうするんだ。

 トピックが馬鹿でも見分けられることばかりではない、もう一つ日本語母語者が情報構造論者にできる貢献がある。致命的な彼らの誤謬を指摘できるのだ。実は私は15年以上前から至る所でこれをギャーギャー叫んでいるのだが悲しい哉、叫ぶ場所があまりにも閉じた空間過ぎて誰の耳にも届かず「すみません、私が間違っていました」とこちらに謝ってきた言語学者はまだいない。いないが彼らの「アップデート部のない文はあり得ない」という主張は間違いだ。全リンク文は存在するんですなふふん。
 まず Van Valin は次のロシア語会話での Виктра?という部分を「全アップデート」、Kuroda の言葉で言えば Tethic と解釈している。なんだこれはという変な会話だが、Van Valin がアップデート(フォーカス)と解釈した部分を空色で表してみよう。

А: Максим убивает Алексея.
В: А Виктра?
А: Виктра Максим защищает.

A: Maksim kills Aleksey.
B: And Victor?
A: Victor, Maksim protects (him).

Виктра? は本当に全アプだろうか?これに対応する日本語の会話は以下のようになる。

A:マキシムはアレクセイを殺す。
B:じゃあヴィクトル
A:ヴィクトルは守るよ。

どうだ、見たか。「は」が付くんだっての。つまりこの文はまさに全リンクなのだ。
A: Maksim kills Aleksey.
B: And Victor?
A: Victor, Maksim protects (him).

統合方式、ダブル二重方式に関わらず、欧米系の情報構造論者が全員「ない」と言っている構造が日本語だとラクチンに見つかるのである。確か奥津敬一郎教授が出していた例だったと記憶しているが、自分の机の上に見知らぬ小包を発見したとき、日本人なら誰でも「これは?」とトピックマーカーをつけて聞く。「あれ、山田さんは?」など全リンク文なんて枚挙にいとまがない。
 それに対して次のような文脈で発話された Victor? は全アップデートである。英語だと上の文と非常に区別が付きにくいが日本語にしてみると一発だ。

A: Maksim kills Aleksey.
B: Victor?
A: No, It’s Maksim kills Aleksey.

A:マキシムはアレクセイを殺す
B:えっ、ヴィクトルが
A:いや、マキシムが殺すんだ。

あまり英語になっていない酷い文で恐縮だが、とにかく日本語ではここで「ヴィクトルが?」を「ヴィクトルは」にすることはできない。上の Victor?とここの Victor?は全く別の情報コンポーネントであることが、日本語にしてみると本当に馬鹿でもわかる

 「全リンク」という構造を上で述べた「あり得る文の情報構造パターン」の5として付け加えるべきだと私は思っている。


この項続きます。


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10年くらい前の記事ですが足りない部分があったので(私の頭のことか?)大幅に書き加えました。表も画像にしました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 少し前まではコーカサスやシベリア諸民族の言語をやるにはロシア語が不可欠だった。文献がロシア語で書いてあったからだ。今はもう論文なども英語になってきてしまっているのでロシア語が読めなくても大丈夫だろう。残念といえば残念である。別に英語が嫌いというわけではないのだが、何語であれ一言語ヘゲモニー状態には私は「便利だから」などと手放しでは喜べない。どうしても思考の幅が狭まるからだ。
 そのコーカサス地方の言語、タバサラン語についてちょっと面白い話を小耳にはさんだことがある。

 タバサラン語では「本」のことを kitab と言うそうだ。アラビア語起源なのが明らかではないか。よりによってこの kitab、あるいは子音連続 K-T-B は、私が馬鹿の一つ覚えで知っている唯一のアラビア語なのである。イスラム教とともにこの言語に借用されたのだろう。
 そこで気になったので、現在イスラム教の民族の言語で「本」を何というのかちょっと調べてみた。家に落ちていた辞書だのネットの(無料)オンライン辞書だのをめくら滅法引きまくっただけなので、ハズしているところがあるかも知れない。専門家の方がいたらご指摘いただけるとありがたい。その言語の文字で表記したほうがいいのかもしれないが、それだと不統一だし読めないものもあるのでローマ字表記にした。言語名のあとに所属語族、または語群を記した。何も記していない言語は所属語族や語群が不明のものである。「語族」と「語群」はどう違うのかというのが実は一筋縄ではいかない問題なのだが、「語族」というのは異なる言語の単語間に例外なしの音韻対応が見いだせる場合、その言語はどちらも一つの共通な祖語から発展してきたものとみなし、同一語族とするもの。この音韻対応というのは比較言語学の厳密な規則に従って導き出されるもので、単に単語が(ちょっと)似ているだけですぐ「同族言語ダー」と言い出すことは現に慎まなければいけない。時々そういうことをすぐ言い出す人がいるのは困ったものだ。現在同一語族ということが科学的に証明されているのは事実上印欧語族とセム語族だけだといっていい。そこまで厳密な証明ができていない言語は「語群」としてまとめる。もちろんまとめるからにはまとめるだけの理由があるのでこれもちょっと似た点が見つかったからと言ってフィーリングで「語群」を想定することはできない。「テュルク語」については「語族」でいいじゃないかとも思うのだが、逆に似すぎていて語族と言うより一言語じゃないかよこれ、とでも思われたのか「テュルク語族」とは言わずに「テュルク諸語」と呼んでいる。
 話が飛んで失礼。さて「本」をイスラム教国の言葉でなんというか。基本的に男性単数形を示す。
NEU07-Tabelle1
 このようにアラビア語の単語が実に幅広い語族・地域の言語に取り入れられていることがわかる。アラビア語から直接でなく一旦ペルシャ語を経由して取り入れた場合も少なくないようだが。例外はアルバニア語とボスニア語。前者は明らかにロマンス語からの借用、後者はこの言語本来の、つまりスラブ語本来の語だ。ここの民族がイスラム化したのが新しいので、言語までは影響されなかったのではないだろうか。ンドネシア語の buku は英語からの借用だと思うが、kitab という言葉もちゃんと使われている。pustaka は下で述べるように明らかにサンスクリットからの借用。インドネシア語はイスラム教が普及する(ずっと)以前にサンスクリットの波をかぶったのでその名残り。つまり pustaka は「本」を表わす3語のうちで最も古い層だろう。単語が三つ巴構造になっている。しかも調べてみるとインドネシア語には kitab と別に Alkitab という語が存在する。これは Al-kitab と分析でき、Al はアラビア語の冠詞だからいわば The-Book という泥つきというか The つきのままで借用したものだ。その Alkitab とは「聖書」という意味である。クルド語の pertuk は古アルメニア語 prtu(「紙」「葦」)からの借用だそうだがそれ以上の語源はわからない。とにかくサンスクリットの pustaka ではない。

 面白いからもっと見てみよう。「アフロ・アジア語群」というのは昔「セム・ハム語族」と呼ばれていたグループだ。アラビア語を擁するセム語の方は上でも述べたように「語族」といっていいだろうが、ハム語のほうは「族」という言葉を使っていいのかどうか個人的にちょっと「?」がつくので、現在の名称「アフロ・アジア語」のほうも「族」でなく「群」扱いしておいた。
NEU07-Tabelle2
イスラム教徒が乗り出していった地域で話されていたアフリカのスワヒリ語は「イスラム教の民族の言語」とは言いきれないのだが、「本」という文化語をアラビア語から取り入れているのがわかる。ハウサ語の「本」は形がかけ離れているので最初関係ないのかと思ったが、教えてくれた人がいて、これも「ごく早い時期に」アラビア語から借用したものなのだそうだ。ハウサ語の f は英語やドイツ語の f とは違って、日本語の「ふ」と同じく両唇摩擦音だそうだから、アラビア語bが f になったのかもしれないが、それにしても形が違いすぎる。「ごく早い時期」がいつなのかちょっとわからないのだが、ひょっとしたらイスラム教以前にすでにアラビア語と接触でもしていたのか、第三の言語を仲介したかもしれない。ソマリ語にはもう一つ buug という「本」があるが、インドネシア語の buku と同様英語からの借用である。

 インドの他の言語は次のようになる。
NEU07-Tabelle3
最後に挙げたインド南部のタミル語以外は印欧語族・インド・イラン語派で、冒頭にあげたペルシア語、ウルドゥ語、パシュトー語と言語的に非常に近い(印欧語族、インド・イラン語派)がサンスクリット形の「本」が主流だ。ベンガル語 pustok もヒンディー語 pustak もサンスクリットの pustaka 起源。ただ両言語の地域北インドは現在ではヒンドゥ―教だが、ムガル帝国の支配下にあった時期が長いのでアラビア語系の「本」も使われているのはうなづける。これは直接アラビア語から借用したのではなく、ペルシャ語を通したもの。またベンガル語の boi は英語からの借用かと思ったらサンスクリットの vahikā (「日記、帳簿」)から来ている古い語だそうだ。
 インドも南に下るとイスラム教の影響が薄れるらしく、アラビア語形が出てこなくなる。シンハラ語は仏教地域。これら印欧語はサンスクリットから「本」という語を「取り入れた」のではなく、本来の語を引き続き使っているに過ぎない。それに対してタミル語、テルグ語、マラヤラム語は印欧語ではないから、印欧語族のサンスクリットから借用したのだ。これらの言語はヒンドゥー教あるいは仏教地域である。
 とにかく言語の語彙と言うのは階層構造をなしていることがわかる。上のインドネシア語の pustaka も後にイスラム教を受け入れたのでアラビア語系の語に取って代わられたが消滅はしていない。もっともバリ島など、今もヒンドゥー教地域は残っている。そういうヒンドゥー地域では kitab は使わないのかもしれない。
 「本」を直接アラビア語からでなくペルシャ語を通して受け入れた言語も多いようだが、ではイスラム以前のペルシャ語では「本」を何といっていたのか。中期ペルシャ語(パフラヴィー語)を見ると「本」を表す語が3つあったらしい。mādayān、nāmag、nibēg の3語で、なるほどアラビア語とは関係ないようだ。本来のイラニアン語派の語だろう。 mādayān は古アルメニア語に借用され(matean、「本」)、そこからまた古ジョージア語に輸出(?)されている(maṭiane、「本、物語」)。nāmag も namak (「字」)としてやっぱり古アルメニア語に引き継がれたし、そもそも現代ペルシャ語にもnāme として残っている。「字」という意味の他に合成語に使われて「本」を表す: filmnâme(「脚本」)。最後の nibēg も nebiという形で現代ペルシャ語に細々と残っており「廃れた形」ではあるが「経典」「本」。昔はこの語でコーランを表していたそうだ。

 ではそのアルメニア語やジョージア語では現在どうなっているのか。これらの言語はタバサラン語のすぐ隣、つまりコーカサスで話されているが、キリスト教民族である。アラビア語とは見事に無関係だ。
NEU07-Tabelle4
アルメニア語の matyan は上述の古ペルシャ語 mādayān の子孫で、主流ではなくなったようだが、「雑誌」「原稿」「本」など意味が多様化してまだ存命(?)だ。ジョージア語でも maṭiane(「聖人伝」)として意味を変えたが単語としては生き残っている。girk、cigni がアルメニア語、ジョージア語本来の言葉。オセチア語の činyg は古い東スラブ語の kŭniga からの借用だそうだ。道理で現在のスラブ諸語と形がそっくりだ(下記)。オセチア語と上にあげたイスラム教のタジク語は同じ印欧語のイラニアン語派だし話されている地域も互いにごく近いのに語彙が明確に違っているのが非常に面白い。しかしそのタジク語にも上記中世ペルシャ語の nāmag に対応する noma(「字」)という言葉が存在する。

 また次の言語はセム語族で、言語的には本家アラビア語と近いのに「本」を kitab と言わない。アムハラ・エチオピア民族はキリスト教国だったし、ヘブライ語はもちろんユダヤ教。
NEU07-Tabelle5
 アムハラ語はもちろんゲエズ語からの引継ぎだが、後者はヨーロッパのラテン語と同じく死語なので、本当の音価はわからない。ゲエズ文字をアムハラ語で読んでいるわけだから音形が全く同じになるのは当然と言えば当然だ。アムハラ語もゲエズ語もさすがセム語族だけあって「語幹は3子音からなる」という原則を保持している。これもアラビア語と同様 m- の部分は語幹には属さない接頭辞だから差し引くと、この語の語幹は ṣ-h-f となる。その語幹の動詞 ṣäḥäfä は「書く」。このゲエズ語の「本」はアラビア語に maṣḥaf という形で借用され、「本」「写本」という意味で使われている。アラビア語の方が借用したとはまた凄いが、それどころではなく、ヘブライ語までこのゲエズ語を輸入している。ヘブライ語には「聖書の写本」を表す mitskháf  という単語があるが、これは mäṣḥäf の借用だそうだ。なおゲエズ語の動詞の ṣäḥäfä は古典アラビア語の ṣaḵafa に対応していると考えられるが、後者は「書く」でなく「地面を掘る」という意味だそうだ。は? 
 ヘブライ語の sefer(語根はs-f-r、f は本来帯気の p だそうだ)はアッカド語の時代から続く古い古いセム語の単語で、アラビア語にもその親戚語 sifr という「本」を表す語が存在する。ただ使用範囲が限定されているようだ。
 逆にヘブライ語には katáv(「書く」)あるいは ktivá(「書くこと」)という語もある。一目瞭然、アラビア語の k-t-b と対応する形だ。「本」という意味はないようだが、とにかく単語自体はアラビア語、ヘブライ語どちらにも存在し、そのどちらがメインで「本」という意味を担っているかの程度に違いがあるだけだ。
 
 それにしても「本」などという文化語は時代が相当下ってからでないと生じないはずだ。本が存在するためにはまず文字が発明されていなければいけないからだ。当該言語が文字を持っていなかったら(文字のない言語など特に昔はゴロゴロあった)本もへったくれもない。だから当時の「先進国」から本という実体が入ってきたのと同時にそれを表す言葉も取り入れたことが多かったのだろう。普通「その国にないもの」が導入される時は外来語をそのまま使う。日本語の「パン」「ガラス」などいい例だ。
 言い換えると「本」という語は宗教と共にということもあるが文字文化と共に輸入されたという側面も大きいに違いない。イスラム教が来る以前にすでにローマ文化やラテン語と接していたアルバニア、グラゴール文字、キリル文字、ラテン文字など、文字文化にふれていたボスニアで、「本」がアラビア語にとって変わられなかったのもそれで説明できる。そういえばバルカン半島に文字が広まったのはキリスト教宣教と共にで、9世紀のことだ。イスラム教はすでに世界を席捲していたが、バルカン半島にイスラム教が入ってきたのはトルコ経由で14世紀になってからだ。当地にはとっくに書き言葉の文化が確立されていた。
 アルメニア語、ジョージア語、アムハラ語(ゲーズ語)も古い文字の伝統があって、独自の文字を発達させていた。ヘブライ語やサンスクリット、タミル語は言わずもがな、イスラム教どころかキリスト教が発生する何百年も前から文字が存在した。外来語に対する抵抗力があったのだろう。

 まとめてみるとこうなる。イスラムの台頭とともにアラビア語の「本」という語が当地の言語に語族の如何を問わずブワーッと広まった。特にそれまで文字文化を持っていなかった民族言語は何の抵抗もなく受け入れた。
 すでに文字文化を持っていた言語はちょっと様子が違い、イスラム以前からの語が引き続き使われたか、アラビア語の「本」を取り入れたのしても昔からの語は生き残った。ただその際意味変化するか、使用範囲が狭くなった。
 イスラム教の波を被らなかった民族の言語はアラビア語系の語を取り入れなかった。
 その一方、初期イスラム教のインパクトがどれほど強かったのか改めて見せつけられる思いだ。千年にわたる文字文化を誇っていたペルシャ語、サンスクリットという二大印欧語を敵に回して(?)一歩も引かず、本来の語、mādayān などを四散させてしまった。その際ペルシャ語は文字までアラビア文字に転換した。もっともそれまで使っていたパフラヴィ―文字はアラム文字系統だったからアラビア文字への転換は別に画期的と言えるほどではなかっただろうが、その侵略された(?)ペルシャ語は外来のアラビア語をさらに増幅して広める助けまでしたのだ。ペルシャ語のこのアンプ作用がなかったら中央アジアにまではアラビア語形は浸透しなかったかもしれない。
 ボスニア、アルバニアはずっと時代が下ってからだったから語が転換せずに済んだのだろう。

 実はなんとベラルーシ語にもこのアラビア語起源の кітаб (kitab)言う語が存在する。「本」一般ではなくイスラム教の宗教書のことだが、これはベラルーシ語がリプカ・タタール人によってアラビア文字で表記されていた時代の名残である。このアラビア語表記は16世紀ごろから20世紀に入るまで使われていた。そのころはトルコ語もアラビア文字表記されていて、現在のラテン語表記になったのはやはり20世紀初頭だ。
 このリプカ・タタール人というのはベラルーシばかりでなく、ポーランドやリトアニアにもいる。私がヨーロッパ系のポーランド人から自国内のリプカ・タタール人(国籍としてはポーランド人)と間違われたことは以前にも書いた通りだ。自慢にもならないが。

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前回の続きの古い記事を全面的に書き直しました。表も画像にしました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 前回の続きです。

 more にあたる語がplūs かmagis かという他にもう一点気になることがある。スラブ語にはちょっとお休みをいただいてロマンス語派とゲルマン語派の主なものだけもう一度見てみよう。
Tabelle1-N30
 問題は more の位置だ。ほとんど総ての言語で more にあたる語が dollars の後に来ているのに本国ポルドガル語のみ、more が a few dollars の前に来ている。ちょっとこの点を考えてみたい。なおここでは「本国」と「ブラジル」と分けてはあるが、別にブラジルでは本国形を使わない、あるいはその逆というわけではなく、要は「どちらでもいい」らしい。スペイン語もそうで、本国では南米形を使わないという意味ではない。
 
 まずドイツ語だが、ネイティブスピーカーのインフォーマントを調査してみたところ、mehr (more)や ein paar (a few)が Dollar の前に来ることはできないそうだ。まず基本の

Für ein paar Dollar mehr
for + a few + dollars + more

だが、英語と語順がまったく一致している。ここで mehr (more) を Dollar の前に持ってきた構造

?? Für ein paar mehr Dollar

は、「うーん、受け入れられないなあ。」と少し時間をかけての NG 宣言だったのに対し、

*Für mehr ein paar Dollar

のように mehr (more)を ein paar (a few)のさらに前に出すと「あっ、駄目駄目。それは完全に駄目」と一刀両断にされた。言語学の論文でも使うが、ここの * 印は「駄目駄目絶対駄目」、??は「うーん駄目だな」という意味である。
 ところが英語ではドイツ語では「うーん駄目だな」な構造が許されている。 a few more books あるいは some more books という語順が実際に使われているし、文法書や辞書にも「moreは数量表現とくっ付くことが出来る」とはっきり書いてあるのものがある。 つまり、

For a few dollars more
For a few more dollars

は両方可能らしい。念のため英語ネイティブに何人か聞いてみたら、全員 For a few more dollars はOKだと言った。For a few dollars more のほうがいい、という声が多かったが、一人「For a few more dollars のほうがむしろ自然、For a few dollars more は書き言葉的」と言っていたのがとても興味深い。いずれも

*For more a few dollars

にはきっぱり NG 宣言を下した。ドイツ語の許容度情況とほぼ対応している。

 次にちょっとそこら辺のスペイン語ネイティブを一人つかまえて聞いてみたら、スペイン語でも más(more)は dólares (dollars)の前には出られないそうだ。ドイツ語と全く平行している。

Por unos cuantos dólares más
*Por unos cuantos más dólares
*Por más unos cuantos dólares

Por unos pocos dólares más
*Por unos pocos más dólares
 *Por más unos pocos dólares

*Por unos cuantos más dólares と*Por más unos cuantos dólares の許容度に差があるかどうかは残念ながら聞きそびれてしまった。そのうち機会があったら誰かに聞いてみようと思ってはいる。

 次にいわゆる p- 組のフランス語ではスペイン語と同じく、more が名詞の前、ましてや a few の前には出られない。a few more books がフランス語ではわざわざ語順を変えて

quelques livres de plus
some + books + of + more

と訳してあったし、実際ちょっとフランス人を捉まえて聞いてみたら、

*Pour quelques plus dollars
*Pour plus quelques dollars

の二つはどちらも却下した。
 同じくp-組のイタリア語では più (more) が名詞の前に出られる場合があるようだ。辞書でこういう言い回しをみつけた。

un po' più di libri
a + few + more + of + books

残念ながらネイティブが見つからなかったので Per qualche più dollaro とかなんとか more が dollars の前に出る構造が可能かどうかは未確認である。
 もっともロマンス語を見ると純粋に more にあたる語の位置に加えて前置詞の使い方がポイントになってくるようなので、ちょっと私の質問の仕方が悪かったかもしれない。またネイティブに聞いたといっても偶然そこに居合わせた人に(しかも一人だけ)よもやま話で持ちかけただけなのでとても「調査」などと言えるようなシロモノではない。いつか詳しく知りたいものだ。

 それでもここまでの結果を見てみると問題は実は「more にあたる語が dollars の前に出られるか否か」というよりむしろ「more (にあたる語)が a few (にあたる語)の前に出られるか否か」であることがわかる。言い換えると more (にあたる語。面倒くさいので以下単に括弧にいれて「more」と呼びます )は数量表現の前には出られないのである。シンタクス的には 「more」は数量表現を支配していると解釈できるから、支配要素が非支配要素の数量表現の後に来ていることになる。「支配・非支配」というのはちょっと専門的な用語になるが、いわゆる修飾語は被修飾語に支配されている関係と思っていい。a cute duck という句なら修飾語の cute は非修飾語の duck に支配されている。ついでに a は限定辞 deterniner として cute duck を支配する。
 とにかく「more 」は数量表演を支配するが、その際何を持って数量表現ととするかという点に言語による違いがあるらしい。通貨単位を含めた「a few dollars 」全体を数量表現と見なす、見なせるというのは全言語共通だが、英語はそこからさらに a few を切り離してこれを単独で数量表現とみなせるということだ。ドイツ語も実はそうなのだろう。上で述べたように Für ein paar mehr Dollar の否定に時間がかかったのはそのせいだと思う。その a few more dollars という構造だが、ここでは more は数量表現を支配する一方、後続の普通名詞 dollars  に支配されている、more が dollars  を修飾していることがわかる。違いを図で書くとこんな感じになりそうだ。

for [ [a few dollars] more] N
for [ [ [a few] more]N1 dollars]N2

つまりmore はある意味名詞なわけで、a few more dollars では名詞が別の名詞を修飾している状態、日本語の「母さんアヒル」と同じ構造だ。悔しいことに辞書を見たら more の項にしっかり「名詞」と載っていた。なぜ悔しいのかと言うと「わーい more って名詞じゃん!」というのは私が自分で発見した新事実だと思っていたからである。ちぇっ、もう皆知っていたのか…

 しかし実は「支配する要素は支配される要素の後ろに来なければいけない」という必然性はない。例えばフランス語では形容詞(支配される要素)が名詞(支配する要素)の後ろに来る。「more」が「a few」の前に出られないのか前者が後者をシンタクス上支配しているから、という理屈は成り立たないのである。では「more」はなぜ「a few」の前にでられないのか。私が(ない頭を必死にひねって)考えつく理由はたった一つ。「more」が数量表現の前に来ると「more than」(ドイツ語では mehr als)と紛らわしくなって意味が変わってしまう危険性が高すぎるからではないかなということだ。For more a few dollars あるいは Für mehr ein paar Dollar とやったら For more than a few dollars(Für mehr als ein paar Dollar)かと思われ、しかも more や als が欠けているから意味が違う上に文法的にも間違いということになり、意図した意味と乖離しすぎる。
 そういえばドイツ語には Für ein paar Dollar mehr の他にもう一つ「あともう少しのドルのために」を表す方法がある。副詞の noch を使うやり方だ。これは英語でいえば still とか in addition 、つまり「その上さらに」という副詞だが、als とツルんで「~以上」という意味になったり、他の句を支配したりなどと言う器用なことはできない。混同される虞が全くないので名詞句の前に立てる。

Für noch ein paar Dollar

しかし名詞を支配できないから数量表現と名詞の間に割って入って橋渡しすることができない。

* Für ein paar noch Dollar

またこれが文末、あるいは句の最後尾に来ると何かが大幅に省略されている感じで、そもそも意味が取れないそうだ。

* Für ein paar Dollar noch

では Für noch ein paar Dollar とFür ein paar Dollar mehr は完全に同じ機能かというと「含意が違う。後者の方が言外の意味が広い」そうだ。まず前者だが、含意としては当該人物が例えばすでに100ドル持っている、あるいは賞金稼ぎで100ドルのお尋ね者をゲットした。しかしさらに金が欲しいから働く。その「さらに」は5ドルかもしれないし、110ドルかもしれない。要は元金(?)100にいくらか上乗せされればいいのだ。これが基本の意味で、後者もその意味で解釈していい。しかし後者ではもう一つの意味解釈ができる。前回100ドルの懸賞金を得た当該人物がさらに今度は100ドル以上の賞金のついたお尋ね者を狙う、つまり懸賞金のグレードアップというニュアンスの解釈が可能だそうだ。「これは明らかにレオーネの前作 Per un pugno di dollari (「一握りのドルのために」、邦題『荒野の用心棒』)への暗示だ。」いやネイティブというのは言うことが細かい細かい。

 さて、ではその間違えやすい For more than a few dollars の方は上にあげた言語ではどういうのか、自動翻訳するとこうなった。これを思いついたときは周りにネイティブがいなかったので仕方なくディープ L 先生に頼ってしまったのである。「本国」と「南米」の区別は出来なかったのでスペイン語とポルトガル語の単なるバリエーションということにした。
Tabelle2-N30
 さて、ポルトガル語には mais(more)が数量表現の前に来ても「more than と誤解されない何か」があるのだろうか。他のロマンス語と何か決定的に違う点はあるのだろうか。For more than a few dollarsの意味ではポルトガル語では英語でもドイツ語でもスペイン語でも「駄目駄目絶対に駄目」の語順、「more」が「a few」の前に出るという下のようなウルトラCが可能だ(下記太字)。もちろん他の言語でもそういう語順が「まあなんとか許される」ことがあるのかも知れないが、少なくともこの語順がDVDのタイトルになっているのは本国ポルトガル語だけだ。

Por uns dólares a mais
Por mais alguns dólares
(Por alguns mais dólares が可能かどうかは未調査)

上の表をざっと見るとたった一つ思いつくことがある。他のロマンス諸語と違ってポルトガル語には「more than」の「than」を1語でなく do que と2語で表す方法があるということだ。1語しかないとわざと抜かしたのか聞きそびれたのかわからない、つまり more than なのか単なる more なのか紛らわしいが、さすがに2語抜けるとわざとであることが明確、つまり単なる more であることがはっきりするからOKとか。でも一方ポルトガル語にはスペイン語と全く閉口する形、Por mais de alguns dólares という「more」を1語で表す形もあるではないか。そのオトシマエはどうつけたらいいのだろう。無理やり解釈すれば、たとえ mais de という短い形があっても mais do que という存在が背後にあるので「than」をつけないのは意図的と解釈されやすく、短い de のほうを消してもわざとなのかうっかりなのかが混同されにくいとか。しかしそりゃあまりにも禅問答化しすぎなので、方向を変えて mais do que と mais de のどちらが古い形なのかちょっと考えてみた。
 まず、イタリア語の di、フランス語、ポルトガル語、スペイン語の de は同語源、皆ラテン語の前置詞 dē(of, from)から来たものだ。ポルトガル語の do の方はしかしもともとは2語、de  + o で、後者は the である。つまりこの語はポルトガル語内で発生した比較的新しい語だということだ。だから他のロマンス語と並行するポルトガル語形 Por mais de alguns dólares は古い形、やや廃れつつある形なのではないだろうか。もう一つ、スペイン語にもポルトガル語にも「than」に que を使う構造がある。この que はラテン語の quid(that, what)だが、スペイン語の por más que unos pocos dólares が文句なく For more than a few dollars であるのに対し、ポルトガル語の Por mais que alguns dólares は文句大ありの形である。なぜスペイン語に文句がないのかと言うと、この形を英語やドイツ語、果てはフランス語などの逆翻訳すると例外なく For more than a few dollars にあたる形が出て来るからだ。一方ポルトガル語の方は逆翻訳すると英語でもドイツ語でも意味が違って出てくる。どうもこの que だけ使うポルトガル語表現はマージナルなのではないだろうか。これらを要するに、ポルトガル語では「than」に2語使う Por mais do que alguns dólares がメインであるために「more than」と「more」の区別がつきやすく、mais がalguns dólares(a few dollars)の前に出て For a few dollars more の意味を担うことを許したのではないだろうか。
 でもなぜいくら条件が許したからと言って mais は大人しく最後尾に引っこんでいないで前にしゃしゃり出る気になったのか。別に誰も「おい、mais、前に出ろ」とは言っていないのだ。これもわからないのだが、たった一つ私に考えつくのは上でもチョロッと述べたようにロマンス語は本来支配要素が非支配要素の前に立つのが基本だということだ。最後尾に甘んじてはいても実はスペイン語の más もイタリア語の più も以前から前に出たくて出たくてしかたなかったのかもしれない。そうやっていたところポルドガル語で条件が整ったのでヒャッホーとばかり名詞句の前に出たとか。
 もしそうだとするとそのポルトガル語ヒャッホー形は新しい「more than」表現 mais do que よりさらに下った時代のイノベーションということになるが、この記事の冒頭や前回述べたように Por uns dólares a mais がブラジルポルトガル語、Por mais alguns dólares が本国ポルトガル語とされていることが実に興味深い。言語学には波動説というものがあり、「周辺部の形は当該言語の古形を表す」という現象が知られているからだ。例えばいつかオランダ語のネイティブが言っていたが、アフリカーンス語(『89.白いアフリカ人』参照)はとても古風なオランダ語に見えるそうだ。アフリカーンスはいわばオランダ語の周辺バリエーションだから古い形を保持している。この図式をポルトガル語に当てはめるとブラジル・ポルトガル語は「より古い形が残っている」ことになり、Por mais alguns dólares はポルトガル語の比較的新しいイノベーションという見方にマッチする。

 以上が私の考えだが、繰り返すようにこれは超テキトー&穴だらけなネイティブ「調査」に端を発し、あげくはディープL先生のおっしゃったことを鵜呑みにして無理やり出した結論だから、アサッテの方角にトンチンカン砲を放っている虞大ありだ。何か知っている方がいらっしゃったら教えていただけるとありがたい。

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古い記事ですがちょっと詰めが甘かったので(どうせいつも甘いじゃん)全面的に書き直しました。表も画像にしました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 セルジオ・レオーネ監督の第二作(『ロード島の要塞』を入れれば第三作目)『夕陽のガンマン』の英語タイトルは For a few Dollars more(あともう少しのドルのために)というが、これは現ロマンス諸語のDVDのタイトルなどでは以下のようになっている。
Tabelle1-N29
カタロニア語以外の言語では実際にこういう名前でDVDが出ていたりウィキペディアに項があったりするが、カタロニア語のはちょっと参考のために他の言語のタイトルを翻訳してみたもので、実際にこういうタイトルでDVDがあるわけではない。カタロニア人はスペイン語バージョンを観賞すればいいらしくカタロニア語への具着替えなどはないと見える。

 さてこうして並べて眺めてみるとロマンス語派の言語が二つグループに分けられることがわかる:英語の more にあたる語がイタリア語、フランス語、ルーマニア語ではそれぞれ più, plus, plu と p- で始まり、スペイン語、ポルトガル語、カタロニア語では m- が頭についている(それぞれ más, mais, més)。つまりいわば m- グループと p- グループに別れているのだ。
 調べてみるとまず più, plus, plu はラテン語の plūs から来ているそうだ。これは形容詞 multus「たくさんの、多くの」の比較級。以下に主格形のみ示す。
Tabelle2-N29
比較級は単数形では性の区別を失い、男・女・中すべて plūs に統一されている。原級と比較級・最上級との形が違いすぎるからこれはいわゆる補充形パラダイムという現象だろうと思って調べてみたらまず原級 multus の印欧祖語形は *ml̥tós(「くずれた」「崩壊した」)(!)と推定されている。動詞の分詞だが、その大元の動詞というのが *mel- とされ、これは「心配する」「遅れる」だそうだ。うーん、印欧語祖語というのはジグムント・フロイトの精神分析と同じくらいスリルがある。イタリック祖語まで下るとだと *moltos(「たくさんの」)になるそうだ。
 対して比較級の plūs はイタリック祖語の推定形 *plēōs(「より多く」)で、印欧語祖語に遡ると*pleh₁-yōs。これは分詞ではなく動詞語幹の *pleh₁- に *-yōs という形がくっついたもので、前者は動詞、後者は意味を強める形態素だそうだ。動詞の *pleh₁- は「満たす」。時代を下りに下ったゲルマン語派、古期英語の feolo あるいは fiolu、ドイツ語の viel、オランダ語の veel(「たくさんの」)など皆同源である。この、p から f への音韻推移、印欧語の無声閉鎖音がゲルマン語派で調音点を同じくする無声摩擦音に移行した過程はグリムの法則あるいは第一次音韻推移と呼ばれ、ドイツ語学習者は必ず覚えさせられる(そしてたいていすぐ忘れる。ごめんなさい)。
 ついでに *pleh₁- はサンスクリットでは pṝ-、サルディニア語で prus で、なんと l が r になっているではないか。これでは「 lと r の区別ができない」といって日本人をあざ笑えない。

 この plūs 形に対してスペイン語、ポルトガル語、カタロニア語の mais、más、més 等はラテン語の magis が語源。これは形容詞 magnus「大きい」の比較級からさらに派生された副詞だそうだ。まず元の形容詞 magnus だが、次のように変化する。
Tabelle3-N29
こちらのパラダイムは補充形ではないが、比較級だけ別のタイプの語形変化を見せている。原級と最上級が同じパターンの語形変化というのは上の補充形 multus も同じで、原級と multus と最上級 plūrimusは本来別語であるにもかかわらず、変化のタイプだけは同じだ。そしてそこでも比較級 plūs だけが変な(?)変化をしていて、しかもそれがここの比較級 māior と同じパターンなのがわかる。原級 magnus、比較級 māior のイタリック祖語形はそれぞれ *magnos、*magjōs で、それらをさらに印欧祖語にまでさかのぼるとそれぞれ *m̥ǵh₂nós と *méǵh₂yōs。どちらも「大きい」という意味の形容詞 *meǵh₂- からの派生だが比較級の方はさらに *meǵh₂-  +‎ *-yōs に分解できる。後者は上でお馴染みになった程度を強める形態素だ。
 上で述べたラテン語の magis という形はイタリック祖語でも *magis。比較級 *magjōs の短形、ということはやはり印欧祖語の *meǵh₂-  に遡る。この比較級の中性形が副詞的な使われ方をするようになったものだとのことだ。*magis はイタリック祖語の時代にすでにラテン語 plūs と同じく、単数形に性の区別がなかったと見られ、ラテン語では副詞、つまり不変化詞になっていた。これはあくまで私の考えだが、「男性・女性・中性の形の区別がなくなった」というのは要するに単数中性形だけが残って男性女性を吸収し、さらにそれが副詞として固定したという意味ではないだろうか。ちょっと飛び火するが、「形容詞の(短形)中性単数形が副詞化する」という現象は現在のロシア語でも頻繁に見られるのだ。その際アクセントの位置がよく変わるので困るが。たとえば「良い」という意味の形容詞の長形・短形はこんな感じになる。
Tabelle4-N29
アクセントのあるシラブルは太字で示した。中性単数の хорошо は副詞として機能し、Я говорю хорошо по-русски は「私はロシア語をよく話します」つまり「私はロシア語が上手い」(ウソつけ)。上のplūsもある意味ではこの単・中 → 副詞という移行のパターンを踏襲しているとみなしていいのではないだろうか、文法性の差を失ってしまっている、ということはつまり「中性で統一」ということではないだろうか。と思ったのでplūs の表をそんな感じにしておいた。

さてこの、more にあたる単語が p- で始まるか m- で始まるか、言い換えると plūs 系か magis 系かは『17.言語の股裂き』の項でも述べた複数形の形成方法とともにロマンス語派を下位区分する際重要な基準のようだ。plūs 組はイタリア語、フランス語、のほかにロマンシュ語(pli)、サルディニア語(上述。prus または pius)、イタリア語ピエモント方言(pi)など。同リグリア方言の ciù もこれに含まれるという。magis 組はスペイン語、ポルトガル語、カタロニア語以外にはアルマニア語(ma)、ガリシア語(máis)、オクシタン語(mai)。
 フランス語が plūs 組なのにオクシタン語が magis 組だったりするところが面白いとは思うのだが、実はこの区別はあくまでどちらの形が優勢かということで、形自体は p- も m- もどちらも持っている。つまり plūs 組言語には magis 系の単語が存在しないというわけではないらしい。
 例えばルーマニア語だが、映画のタイトルは上のように plūs 系語が使われている。またそこら辺の翻訳機械で Per qualche dollaro in più を訳させるとタイトル通りPentru câțiva dolari în plus と出てくる。しかし more だけ入れると mai mult と magis 系が出る。どっちなんだと思って別の翻訳機械にかけてみたら Pentru câțiva dolari în plus が出たその下に選択肢として Pentru câțiva dolari mai mult が登場する。上述の分類リストにはリーマニア語が magis 組のほうに載っていた。つまりどっちもアリなんじゃん。
 ポルトガル語でも中世 p- 系の chus という語も使われていたそうだ。chus が p- 形と聞くと意外な気がするが、上記のイタリア語リグリア方言 ciù が p- 起源だそうだから chus が実は P形であってもおかしくない。とにかく最終的には m- 形の mais が優勢になったらしい

 「両方ある」という点では厳密に言えばイタリア語、フランス語もそう。フランス語の mais(「けれど」)はこの magis 起源だそうだ。さらにイタリア語でたとえば nessuno ... mai(「誰も…ない」)、non ... mai(「決して…ない」)、mai più(「もう決して…ない」)などの言い回しで使う、否定の意味を強める mai の元もこれ。最後の例では p- 形と m- 形がかち合っている。mai はさらに疑問の意味も強めることができ、come mai non vieti? は「何だって君は来ないんだ?!」。相当機能変化を起こしてはいるが単語自体はあるのだ。フランス語の mais にあたるイタリア語 ma(「けれど」)も当然同源である。

 話がそれるが、イタリア語の più がフランス語で plus になっているのが私にはとても興味深い。ロシア語に同じような音韻現象があるからだ。
 まず、più の p は後続の母音iに引っ張られて口蓋化しているはずだ。この、本来「口蓋化した p」に円唇母音(つまり u)が続くとフランス語では p と u の間に唇音 l が現れる。ロシア語では例えば「買う」の完了体動詞(『16.一寸の虫にも五分の魂』参照)の不定形は купить(ローマ字では kup'it' と表すが、この「'」が「口蓋化した子音」という意味)だが、これの一人称単数未来形は、理屈では купью(kup'ju)になるはずなのに実際の形は куплю(kuplju)と、どこからともなく l が介入する。対応する有声子音 b の場合も同様で、「愛する」という動詞 любить (ljubit')の一人称単数現在形は、なるはずの形 любью(ljub'ju)にならずに люблю(ljublju)という形をとる。

 というわけでロマンス語派のタイトルは plūs と magi のそれこそ決闘が見られて血沸き肉躍るのに比べゲルマン語派はバリエーションがないので退屈だ。
Tabelle5-N29
デンマーク語、アイスランド語は翻訳機にかけた結果だが、同語源なのは一目瞭然。これらは皆 magis  のところでお馴染みになった印欧祖語形 *méǵh₂s の子孫である。

 ついでにスラブ語もみてみよう。
Tabelle6-N29
クロアチア語ではなぜか a few がスッポ抜けているが、とにかくスラブ語派はゲルマン語派より割れ始めた日が浅いのに more に2グループあることが見て取れる。ロシア語、ウクライナ語、つまり東スラブ語派では b(б)で始まるのに対し、その他の南・西スラブ語派言語は皆 v(в)だ。チェコ語、ブルガリア語、マケドニア語のの more、それぞれ navíc、повече、повеќе の頭についている na- や po-(по-)は、元来前置詞、いわばイタリア語などの de あるいは in に相当するから無視していい。本体はそれぞれ víc、вече、веќе、つまり v 組である。
 分離したのが古いため元の語の原形がわかりにくかったロマンス語派と違ってスラブ語派は語源が一目瞭然だ。瞭然過ぎて決闘という感じがしないためややスリルに欠けるが、ロシア語の больше は「大きい」という形容詞 большой の比較級である。主格形だけ見てみよう。
Tabelle7-N29Tabelle7-N29
この「ボリショイ」という言葉はひょっとしたら最も有名なロシア語の一つかもしれないが、非常に厄介なイレギュラー単語である。まず原級の短形が存在せず別語を持ってきて補充形パラダイムを作る。さらに比較級の長形を持つという稀有な存在。普通はもう比較級を分析的なやり方、英語の more beautiful のように形容詞の原級の前に более をつけて表す。さらに最上級の形成に原級形ではなく比較級の長形を使っている、普通は原級である。「普通の」形容詞、「美しい」と比較するとイレギュラーぶりがよくわかる。
Tabelle8-N29
ウクライナ語も同じメカニズム、「大きい」という形容詞の比較級短形を使うという方法を踏襲しているのは明らかだ。
 次に他のスラブ諸語が使っている  v 系語だが、これも先のロマンス語のように語自体はロシア語にも存在する。выше という語で、これは「高い」という形容詞 высокий の比較級だ。
Tabelle9-N29
最上級に2種あるが、二つ目の形は「大きい」の比較級に対応している。これは本来比較級だったのが最上級に昇格したのか、逆にこれも本来最上級だったのに上の「大きい」では比較級に降格されたのかどちらかだろう。南・西スラブ語では「より大きい」でなく「より高い」を more として使っているわけだ。
 せっかくだから両形容詞の語源を調べたら、「大きい」はスラブ祖語再建形が *velьjь(「大きい」)、印欧祖語形 *welh₁- 。「選ぶ」とか「欲する」とかいう意味だそうだ。本当かよ。「高い」はスラブ祖語の「高度」*vysь から。印欧祖語では *h₃ewps- と推定されるそうだ。うーん…
 とにかくロマンス諸語でもゲルマン諸語でもスラブ諸語でも、どの形容詞から引っ張って来たかという点には差があるが、形容詞の比較級形を持ち出してきて「もっと」の表現に当てているという基本戦略は同じだということになる。

 さて、最初に言ったようにこの映画の日本語タイトルは『夕陽のガンマン』で、印欧祖語もラテン語も比較級もへったくれもなくなっているのが残念だ。ジャンルファンはよく単に「ドル2」とも言っている。セルジオ・レオーネがイーストウッドで撮った3つの作品が「ドル三部作」と呼ばれているからで、一作目(邦題『荒野の用心棒』)と二作目(『夕陽のガンマン』)の原題、それぞれ Per un pugno di dollari と Per qualche dollaro in più に「ドル」という言葉が入っているためである。三番目の『続・夕陽のガンマン』Il buono, il brutto, il cattivo は全然違ったタイトルなのだが、勢いで(?)「ドル3」と呼ばれたりしている。

この項続きます

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 1970年代に入るとマカロニウエスタンは完全に衰退期に入っていた。本来ジャンルのウリであった「残酷描写・復讐劇」ではやっていけなくなっていたのだ。そりゃそうだろう。キャラもストーリーもあれだけワンパターンな映画が1964年(『荒野の用心棒』が出た年)から5年以上もぶっ続けに大量生産されていったらさすがに飽きる。このマンネリ打開策には『173.後出しコメディ』でも書いたが3つほどパターンがあった。一つは残酷描写をさらに強化したサイコパス路線で観客をアッと言わせる作戦(本当の意味では「打開」と言えないが)。2つ目が真面目な社会派路線で、メキシコ革命などをモチーフにした。最後がコメディ路線で本体の暴力描写を放棄するやり方である。最初の二つはすでに最盛期にその萌芽が見える。フルチなど後にジャッロに進む監督が早い時期にすでにマカロニウエスタンを撮っているし、ソリーマなど第一作からすでにメキシコ革命は主題だ。ヴァレリもケネディ暗殺という政治的なテーマを扱っている。またそもそもレオーネやコルブッチでクラウス・キンスキーの演じたキャラはサイコパス以外の何物でもない。
 これらに対して喜劇路線は出現がやや遅く、やっとジャンルが本来の姿、血まみれ暴力路線で存続するのが困難になってきた70年代に入ってからだ。代表的なのがエンツォ・バルボーニの「風来坊シリーズ」で、遠のきかけていた客足をジャンルに引っ張り込んだ。オースティン・フィッシャー Austin Fisher という人が挙げているマカロニウエスタンの収益リストがあって、100位まで作品名が載っているが、それによると最も稼いだマカロニウエスタンというのは用心棒でもガンマンでもなく風来坊である。ちょっと主だったものを見てみよう。タイトルはイタリア語原語でのっていたが邦題にした。邦題がどうしてもわからなかったもののみもとのイタリア語にしてある。またフィッシャーは監督名を載せていないのでここでは色分けした。赤がバルボーニ、青がレオーネ、緑がジュゼッペ・コリッツィ(下記)である。
Tabelle-208
目を疑うような作品が15位に浮上しているのが驚きだが、とにかくバルボーニが次点のレオーネに大きく水をあけて一位になっているのがわかる。日本とは完全に「マカロニウエスタン作品の重点」が違っている感じだが、違っているのは日本の感覚からばかりではない。ヨーロッパでの現在の感覚からもやや乖離している。今のDVDの発売状況や知名度から推すと『続・荒野の用心棒』の収益順位がこんなに低いのは嘘だろ?!という感じ。また『殺しが静かにやって来る』が登場しないのも理解の埒外。だからこのリストが即ち人気映画のリストにはならないのだが、それでもバルボーニ映画がトップと言うのは結構ヨーロッパの生活感覚(?)にマッチしている。こちらではマカロニウエスタンと聞いて真っ先に思い浮かんでくるのはバッド・スペンサーとテレンス・ヒルで、イーストウッドなんかにはとても太刀打ちできない人気を誇っているのだ。いまだにTVで繰り返し放映され、家族単位で愛され、子供たちに真似されているのはジャンゴやポンチョよりスペンサーのドツキなのである。
 さる町の市営プールが「バッド・スペンサー・プール」と名付けられたことについては述べたが(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』参照)、つい先日もスーパーマーケットでスペンサーをロゴに使ったソーセージを見つけた。二種類あって一つはベーコン&チーズ風味、もう一つはクラコフのハム味だそうだ。私は薄情にも買わなかったので味はわからないが、スペンサーの人気が衰えていないことに驚く。これに対し、例えば棺桶ロゴ、ポンチョロゴのポテトチップとかは見かけたことがない。

バッド・スペンサーマークのソーセージをどうぞ。https://www.budterence.de/bud-spencer-lebt-weiter-neue-rostbratwurst-und-krakauerから
bud-spencer-rostbratwurst

 この監督バルボーニについてはすでに何回もふれているが、ちょっとまとめの意味でもう一度見てみたい。

 既述のようにバルボーニはカメラマン出身だ。セルジオ・コルブッチがそもそもまだサンダル映画を作っていた頃からいっしょに仕事をしていて、『続・荒野の用心棒』ばかりでなくコルブッチが1963年、レオーネより先に撮った最初のマカロニウエスタン『グランド・キャニオンの虐殺』Massacro al Grande Canyon もバルボーニのカメラだった。つまりある意味マカロニウエスタン一番乗りなのだが、実は「一番乗り」どころではない、ジャンルの誕生をプッシュしたのがそもそもバルボーニであったらしい。インタビューでバルボーニがこんな話をしている。

当時カメラ監督やってたときね、撮影の同僚といっしょに映画館で黒澤明の『用心棒』(1960)を見たんですよ。二人とも非常に感銘を受けてね、その後セルジオ・レオーネに会ったとき信じられないくらい美しい映画だからって言ったんですよ。で、冗談でこのストーリーで西部劇が作れるんじゃないかとも。それだけ。けれどレオーネは本当にその映画を見に行って一年後に『荒野の用心棒』としてそのアイデアを実現させましたね。

ここでバルボーニ自身がメガフォンを握っていたら映画の歴史は変わったかもしれないが、その時点では氏はまだ監督ではなかった。とにかくコルブッチ以外の監督の下でも西部劇を撮り続け、1969年にイタロ・ジンガレッリ Italo Zingarelli の『5人の軍隊』も担当した。これは丹波哲郎が出るので有名だが、他にも脚本はダリオ・アルジェント、音楽モリコーネ、バッド・スペンサーも出演する割と豪華なメンバーの作品だ。製作もジンガレッリが兼ねていたが、このジンガレッリは風来坊の第一作を推した人である。

 大ブレークした『風来坊/花と夕日とライフルと…』(1970)はバルボーニの監督第二作で、第一作は Ciakmull - L'uomo della vendetta という作品だが、一生懸命検索しても邦題が見つからなかった。ということは日本では劇場未公開なのか?だとしたらちょっと意外だ。確かにバカ当たりはしなかったようだが(興行成績リストにも出ていない)、音楽はリズ・オルトラーニだし、スターのウッディ・ストロード、カルト俳優ジョージ・イーストマンが出る結構面白い正統派のマカロニウエスタンだからである。タイトルは「チャックムル - 復讐の男」で、チャックムルというのがレオナード・マンが演じる主人公の名前だが、気の毒にドイツではこれが脈絡もなくジャンゴになっている(『52.ジャンゴという名前』参照)。

 Ciakmull のドイツ語タイトル。勝手にジャンゴ映画にするな!
chiakmull-deutch
主役のレオナード・マン。しかしまあこういう格好をしていればジャンゴにされるのも致し方ないかも…
Leonardo-Mann
 さる町で銀行強盗団が金の輸送を襲う際、護衛の目を逸らすために刑務所に火をつける。ここには犯罪者だけでなく精神病患者も収容されていて、その一人が記憶を失い自分が誰だかわからなくなっていた男であった(これが主人公)。主人公と同時に3人脱獄するのだが、そのうちの一人が主人公が来た町の名を小耳に挟んでいて、さらに強盗団のボスもその町の者であることがわかり、他の3人はその金を奪うため、主人公は(金はどうでもよく)自分の記憶を取り戻すため、一緒にその町に向かう。
 目ざす町ではボスの一家と主人公の家族が敵対関係にあって、詳細は省くが最終的に仲間の3人はボスの一家に殺され、生き残った主人公(徐々に記憶も蘇る)がボスと対決して殺す。しかし実は主人公の弟こそ、主人公の記憶喪失の原因を作った犯人であることがわかる。この弟に主人公は殺されかけ、生き残ったがショックで記憶を失ったのだ。兄のほうが父に可愛がられるのでやっかんでいたのと、実は兄は父の実子ではなく、母親が暴漢に強姦されてできた子だったのだが、妻を愛していた父は我が子のように可愛がってきたのだった。結局主人公はこの弟も殺し(正当防衛)、実の親でないと分かった父を残して去っていく。『野獣暁に死す』と『ガンマン無頼』と『真昼の用心棒』と『荒野の用心棒』を混ぜて4で割ったような典型的マカロニウエスタンのストーリーである。
 上述のインタビューによると、バルボーニはジャンル全盛期にカメラマンをやっていた時からすでに金と復讐というワンパターンなモチーフに食傷しており、ユーモアを取り入れたほうがいいんじゃないかと常々思っていたそうだ。それで監督の機会が与えられた時、プロデューサーにそういったのだが、プロデューサーは「観客は暴力を見たがっているんだ」と首を縦に振らなかった。結果として Ciakmull は陰鬱な復讐劇になっている。

 しかし次の『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではコミカル路線を押し通した。書いてもらった脚本をジンガレッリのところに持ち込むと「そのうち見ておくから時間をくれ」との答えだったが、バルボーニが家に帰るや否や電話をよこして「撮るぞこれ!主役は誰にする?!」と聞いて来たそうだ。そこでテレンス・ヒルとバッド・スペンサーがいいといった。上のリストを見てもわかるようにジュゼッペ・コリッツィの作品は結構当たっていたからそれを見てスペンサー&ヒルのコンビすでに目をつけていたのだろう。ジンガレッリは速攻で脚本を二人に送り、バルボーニはその日の21時にまた事務所に呼び戻されて詳細面談。次の日から製作がスタートしたそうだ。
 この作品ではストーリーから「復讐」「暴力」というテーマが抜けている:テレンス・ヒルとバッド・スペンサーは兄弟で、それぞれ好き勝手に別のところで暮らしていたが、あるときある町でかち合ってしまう。スペンサーは馬泥棒を計画していてその町の保安官に化けて仲間と待ち合わせしていた矢先だったから、ヒルの出現をウザがるが結局一緒に働こう(要は泥棒じゃん)ということになる。その町にはモルモン教徒の居住地があったが、やはりこれも町の牧場主がそこの土地を欲しがってモルモン教徒を追い出そうとさかんに嫌味攻勢をかけている。しかしヒルがそこの2人の娘を見染めてしまいスペンサーもこちらに加勢して牧場主と対決(殴り合い)する羽目になる。
 ヒルはモルモン教徒の仲間に入って2人の娘と結婚しようとまでするが(モルモン教徒は一夫多妻です)、彼らが厳しい労働の日々を送っていることを知ってビビり、去っていくスペンサーを追ってラクチンなホニャララ生活を続けていくほうを選ぶ。
 ストーリーばかりでなく絵そのものも出血シーンもなく銃撃戦の代わりにゲンコツによる乱闘。それもまるでダンスみたいな動きで全然暴力的でない。これなら子供連れでも安心して観賞できるだろう。

『風来坊/花と夕日とライフルと…』はお笑い路線
Emiliano-Trinita-I
 とにかく chiakmull と『風来坊/花と夕日とライフルと…』は製作年がほとんど同じなのにこれが同じ監督の作品かと思うほど雰囲気が違っている。それでもよく見ると共通点があるのだ。その一つが主人公たちがポーク・ビーンズ(ベーコン・ビーンズ?)をほおばるシーンで、『風来坊/花と夕日とライフルと…』でもテレンス・ヒルがやはりポーク・ビーンズをがつがつ平らげるし、『風来坊 II/ザ・アウトロー』はスペンサーが豆を食べるシーンから始まる(その直後にテレンス・ヒルもやってきてやはり豆を食う)。以来この「豆食い」がスペンサー&ヒルのトレードマークになったことを考えると chiakmull ですでに後のバルボーニ路線の萌芽が見えるといっていいだろう。

レオナード・マン(後ろ姿)演ずるチャックムルたちの豆食い
Chiakmull-Bohnen
『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではテレンス・ヒルが豆を食う。
Trinita-I-Bohnen
『風来坊 II/ザ・アウトロー』でも冒頭でスペンサーが豆を食う。
Trinita-II-Bohnen
 もう一つはお笑い路線とは関係がないが、銃撃戦あるいは決闘のシーンのコマ割りである。 chiakmull では強盗団のボスが奪った金を腹心の仲間だけで独占しようとしてその他の配下の者を皆殺しにするのだが、その銃撃戦の流れの最中にバキバキとピストルのどアップ画面が挿入される。こういう時銃口を大きく写すのはよくあるが、ここではそうではなくて銃を横から見た絵、撃鉄やシリンダーがカシャリと動く絵が入るのである。Chiakmull のこの場面は戦闘シーンそのものの方もカメラというか編集というかがとてもシャープでずっと印象に残っていた。調べてみたら Chiakmull で編集を担当したのはエウジェニオ・アラビーソ Eugenio Alabiso という人で『夕陽のガンマン』や『続・夕陽のガンマン』も編集したヴェテランだった。
 この「銃を横から写したアップの挿入」というシーケンスは『風来坊/花と夕日とライフルと…』でも使われている。スペンサーのインチキ保安官にイチャモンをつけて来たチンピラがあっさりやられる場面だが、その短い撃ち合いの画面にやはりピストルの絵が入るのだ。Chiakmull と『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではカメラも編集も違う人だからこれは監督バルボーニの趣味なのではないだろうか。

Chiakmull の銃撃戦。普通の(?)の画面の流れに…
Chiakmull-Schiessen-1
バキッとピストルのアップが入り…
Chiakmull-Gun-1
Chiakmull-Gun-2
その後戦闘シーンに戻る。
Chiakmull-Schiessen-2
するともう一度今度は逆向きに銃身のアップ
Chiakmull-Gun-3
Chiakmull-Gun-4
すぐ再び戦闘シーンに戻る。
Chiakmull-Schiessen-3

『風来坊/花と夕日とライフルと…』では「抜け!」と決闘を挑んだチンピラがスペンサーに…
Trinita-I-spencer
Trinita-Gun-1
Trinita-Gun-2
Trinita-Gun-3
撃ち殺される。
Trinita-Schiessen
 さて、お笑い2作目『風来坊 II/ザ・アウトロー』は上記のように1作目以上にヒットした。ここではスペンサー・ヒル兄弟が瀕死の(実はそう演技してるだけ)父の頼みで、兄弟いがみ合わずに協力して立派な泥棒になれと言われ、努力はするがどうも上手く行かない。勝手に政府の諜報員と間違われてドタバタする話である。売春婦だという兄弟の母親が顔を出す。確かにまああまり上品ではないが陽気で気のよさそうなおばちゃんだ。
Trinita-II-Mama
 3作目『自転車紳士西部を行く』はテレンス・ヒルだけで撮ったコメディで、アメリカで死んだ父の土地を相続しにやって来た英国貴族の息子を、父の遺言によってその友人たち(西部の荒くれ男)が鍛えてやる話だ。その息子がテレンス・ヒルだが、詩を詠みエチケットも備えた、要するに粗野でもマッチョでもない好青年で文明の利器、自転車を乗り回している。この作品は製作が1972年だから、例の『ミスター・ノーボディ』の直前である。テレンス・ヒルを単独で使ってコメディにするというアイデアはバルボーニから来ているのかもしれない。なおこの映画では英国紳士のテレンス・ヒルがやっぱり豆を食う。

自転車をみて驚く西部の馬。
Trinita-III-Fahrrad
英国貴族(テレンス・ヒル)もやっぱり豆を食う。
Trinita-III-Bohnen
 『風来坊』のヒットによってバルボーニはすでに死に体であったジャンルに息を吹き込んだ。バルボーニのこのカンフル剤がなかったらマカロニウエスタンは70年代半ばまでは持たなかったはずだ。『自転車紳士西部を行く』がなかったら最後のマカロニウエスタンとよく呼ばれる『ミスター・ノーボディ』も製作されていなかったかもしれない。
 しかしカンフル剤はあくまでカンフル剤であって、病気そのものを治すことはできず、70年代後半には結局衰退してしまった。バルボーニはマカロニウエスタンが消滅した後もスペンサー&ヒルでドタバタB級喜劇(西部劇ではない)を作り、未だに「バッド・スペンサー・コレクション」などと称してソフトが出回っている。でもマカロニウエスタンが暴力のワンパターンに陥ったのと同様、今度はこのドツキがマンネリ化してしまった。バルボーニ自身それがわかっていたようで「制作者はちょっと映画がヒットするとまたこういうのを作ってくれとすぐいいやがる。想像力ってもんがないんだな」とボヤいている。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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