アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:野獣暁に死す

 一年ほど前だが、ピエール・ブリース(Pierre Brice)というフランス人の俳優が亡くなった。1929年生まれというからモリコーネより一歳年下だ。本国フランスよりもドイツで国民的人気のあった俳優で、TVでも新聞でも大きく報道していた。ブリースを忘れられないスターにしたのは一連のドイツ製西部劇である。マカロニウェスタンの前哨となったジャンルだ。

 日本には「最初に非アメリカ製西部劇を作ったのはセルジオ・レオーネ」と思い込んでいる人がいるが、これは全くの誤りである。
 大陸ヨーロッパでは50年代からすでに結構西部劇が作られていたのだ。当時西ドイツやスペイン、フランスなどで作られた西部劇が結構あるし、イタリアでさえもレオーネより何年も前から西部劇はいくつも作られていた。第一『荒野の用心棒』からして、レオーネが企画を持ち込んだ時製作会社のジョリィ・フィルムはすでにGringo(ドイツ語タイトルDrei gegen sacramento、「三人組サクラメントに向かう」)という西部劇を作り終えていたところだったし、レオーネが来たときもちょうどLe pistole non discutono(ドイツ語タイトルDie letzten Zwei vom Rio Bravo、「リオ・ブラヴォーの最後の二人」)という西部劇を製作中だった。この映画の予算がちょっと余ったのでレオーネにも出せるということになり企画が実現したのだ。つまり『荒野の用心棒』レコードで言えばB面、いわば「残飯映画」なのである。

 「マカロニウエスタン以前のユーロウエスタン」は興行的にもそこそこの成功を収めていたらしいが、このピエール・ブリースがインディアンの酋長を演じた一連の西部劇によって西ドイツでブレークした。
 これはカール・マイの冒険小説を映画化したもので、主人公はオールド・シャターハンドという白人だが、ヴィネトゥというアパッチの若い酋長と知り合い兄弟の契りを交わす。その二人の冒険談である。中でも有名なのが「ヴィネトゥ三部作」と呼ばれる映画シリーズで、三作とも監督はハラルト・ラインルだが、その他にも単発で「ヴィネトゥもの」が何作も同監督や別の監督でも作られた。そこでいつもヴィネトゥの役を演じたのがブリースだったのである。
 ブリースはフランスのブルターニュの生まれで、ドイツ語で言ういわゆる「南欧系」、つまりラテン系とギリシャ人をひっくるめていうカテゴリーに属し、ゲルマン・スラブの女性にムチャクチャもてるタイプの容貌をしていたこともあって、映画は非常にヒットした。主役は本来オールド・シャターハンドのほうだったが、そのうちのブリースのヴィネトゥのほうが人気が出だしたので三部作ではこのアパッチの酋長の名前のほうをタイトルに持ってきたわけだ。ストーリーは健全でいながらエピソードに富むという、まあカール・マイの小説そのもので休みにお父さん・お母さんが子供連れで見に出かける家族映画としては完璧。ディズニーがこれを手がけなかったのが惜しいくらいである。年配のドイツ人には子供の頃ヴィネトゥを夢中で見た思い出を懐かしそうに語る人がいまだに大勢いる。

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ヴィネトゥを演じたフランス人ピエール・ブリース。隣がレックス・バーカー演じるオールド・シャターハンド
www.spiegel.deから

 ただ、家族映画なだけに、マカロニウエスタンを見慣れた目でみると健全すぎて面白くない。絵の点でも例えば三部作での主人公オールド・シャターハンドの衣装は『シェーン』のアラン・ラッドの二番煎じ的だし、ネイティブ・アメリカンの描写もステレオタイプ過ぎて本物のアメリカ原住民の人が見たら怒るんじゃないかと思われるくらい。また、そこで部族の女性が何人か出てくるのだが、女優が皆ドイツ人の顔つきなところに無理矢理黒髪・お下げのカツラをかぶせて強引にインディアンにしたてあげているため、全然似合っていない。どう見てもネイティブ・アメリカンには見えないのである。
 最初のヴィネトゥ映画はDer Schatz im Silbersee(「シルバー・レイクの宝」)という単発映画だがこの公開は1962年12月14日、監督は三部作と同じくラインルである。さらに続いて単発ヴィネトゥ映画がバラバラと作られていったが、やがて上述の三部作が生まれた。第一作目が1963年12月11日、二作目1964年9月17日、第三作目は1965年10月14日の西ドイツ公開だから、二作目と三作目の間に『荒野の用心棒』が登場したことになる。『荒野の用心棒』は本国イタリアでは1964年9月12日公開なので2作目より早いが、西ドイツでは劇場公開が1965年3月5日なので「『荒野の用心棒』はヴィネトゥ二作目と三作目の間」といっていいだろう。1965年にはイタリアではすでにマカロニウエスタン旋風が吹き荒れていたはずだが、西ドイツではこの時点で観客の目はまだイーストウッドよりピエール・ブリースの方を向いていたのではないだろうか。

 この三部作の最後の作品のそのまた最後にヴィネトゥが死ぬ。オールド・シャターハンドと庇おうとして撃ち殺されるのである。本来ヴィネトゥ映画シリーズはここで一応の終わりを見るはずであった。しかし当時の西ドイツの観客が黙っていなかったそうだ。ブリースのヴィネトゥを生き帰させろと製作会社に抗議が殺到し暴動(?)が起こりそうになったため、製作会社が折れ、またブリースを主役にしたヴィネトゥ映画を作り続けて国民をなだめたそうだ。そういえば『殺しが静かにやって来る』でも映画のラストに抗議してローマで暴動が起きたという都市伝説を聞いたことがあるが、この噂のベースはもしかしたらこのヴィネトゥ映画かもしれない

 これらヴィネトゥ映画はじめ当時の西ドイツの西部劇は時期的にマカロニウエスタンの誕生と完全にダブっていただけではない、俳優の点でも重複している。ヴィネトゥものにはクラウス・キンスキーやマリオ・ジロッティ(テレンス・ヒルの本名)、ジークハルト・ルップ、ウォルター・バーンズ、ホルスト・フランクなどマカロニウエスタンでおなじみの俳優が顔を出しているし、1964年3月23日公開、つまり『荒野の用心棒』の直前に作られ公開された非ヴィネトゥの西ドイツ西部劇Der letzte Ritt nach Santa Cruz(「サンタ・クルースへの最後の旅」)にはマリアンネ・コッホ、キンスキー、ルップ、マリオ・アドルフなどが出ていて出演の面子だけみたら完全にマカロニウエスタンである。
 俳優ではないがヴィネトゥ単発もの、1964年4月30日公開のズバリOld Shutterhandというタイトルの映画の音楽を担当したのは聞いて驚くなリズ・オルトラーニだ。
 また、西ドイツに誘発されたのか対抗意識なのか、その後東ドイツでも結構盛んに西部劇というかインディアン映画が作られるようになった。主役はOld shatterhandにも出ていた(当時)ユーゴスラビアの俳優ゴイコ・ミティッチ(Gojko Mitić) が演ずることが多かった。「西のブリース、東のミティッチ」と言われたそうだ。東ドイツの西部劇は1965年くらいから作られ始め、1970年代を通じて1980年代くらいまでは時々製作されていたから時期的には完全にマカロニウエスタンと重なっているのである。

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これが東ドイツのインディアン、ゴイコ・ミティッチ。https://mopo24.deから

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西のブリース、東のミティッチのダブル出演。これもhttps://mopo24.deから

 このカール・マイ西部劇はロケを当時のユーゴスラビアで行なったが、このロケ地をそのまま引き継いでイタリア製西部劇を作ったのがセルジオ・コルブッチ。1964年5月25日イタリア公開のMassacro al Grande Canyon(「グランド・キャニオンの大虐殺」)という映画がそれだ。『荒野の用心棒』より半年も早い。主役にロバート・ミッチャムの息子のジェームズ・ミッチャムを起用しているのだが、映画自体はアメリカ西部劇の劣化コピーのようであまり面白くなかった。

 ドイツ製西部劇がコルブッチに与えた影響はモティーフにも見て取れる。普通マカロニウエスタンにはあまりネイティブアメリカンが出てこないのだが、コルブッチはこの伝統を破っていわゆるインディアンを主人公に据えている。『さすらいのガンマン』(1966)である。しかもご丁寧に主役は本当にチェロキーインディアンの血を引くバート・レイノルズを持ってきている。その後トニーノ・チェルヴィが『野獣暁に死す』(1967)で仲代達也にネイティブ・アメリカン(それともメキシコ人だったか)という設定で登場させたが、こちらは悪役だし、主人公は仲代に復讐する側のガンマンだったから、コルブッチのほうがドイツ製西部劇に忠実だったと言えるだろう。
 ちなみにここの仲代もヴィネトゥ映画のインディアン女性に負けず劣らず無理があった。どうやってもネイティブアメリカンにもメキシコ人にも見えないのである。最初の登場シーンでチェルヴィは仲代にマチェットを振り回させたが、その持ち方がどう見ても日本刀。おかげで以降(少なくとも私には)日本人にしか見えなくなった。さらに映画の最後のほうでも刀を完全にサムライ風に持って立ち回りを演じたのでそのガンマン装束との間に違和感がありすぎた。仲代氏も仕事とはいいながら、黒澤明の時代劇では銃を撃つ一方西部劇では刀を振り回すという、まあ普通とは逆を行かされてご苦労様でしたとねぎらうほかはない。

 当時「ヨーロッパで西部劇を作る」のはすでに珍しいことでもなんでもなかったし、観客側にもそれを一つのジャンルとして受け入れる雰囲気はドイツを中心とした当時の大陸ヨーロッパに広がっていた。いわばお膳立てはすっかり出来上がっていたのだ。機は熟していた。レオーネはそれに点火したのだ。


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 この間電車の中で偶然以前の同僚に会った。その人は私と同世代で母語がスペイン語である。雑談をするうち、いつしか話は「最近の若い者は(出た、年寄りの愚痴!)ラテン語ができない」とかいう方向に進んで行った。
 一昔前はドイツのギムナジウムではラテン語をやるのが普通だった。その上さらに古典ギリシャ語もやらされるところもあった。それに加えて現代の外国語、当時は大抵フランス語を一つマスターさせられたのだ。ラテン語ができないものはそもそも文科系の大学に入学する資格がなかった。できなくてもよかったのは外国籍の学生だけで、「まあ外のものにドイツ人並の教養を要求するわけにもいかんだろ。けっ。」と甘やかされていたのである。そのアマちゃんの私でさえ、一度「ラテン語資格」を要求されそうになって青くなったことは『2.印欧語の逆襲』の項でも書いたとおりだ。

 ところが最近のギムナジウムではラテン語などやらないところがむしろ普通で、文科系の学部もラテン語なしで入学できてしまうそうだ。外国語学部・言語学部に入学してくる、つまり言語というもののプロになりたいと思っているものでさえラテン語ができない学生がいるのだから、あとは推して知るべし。「だから文法の用語とかも皆知らなくてさ、自動詞とか他動詞とかいう言葉の意味がわかんなくてポカーンとしてるから動詞のバレンツを書いてそこから説明してやったよ。これじゃ語学だって進歩しないだろ。説明が理解できないんだから。」他動詞・自動詞よりも「動詞のバレンツ」などという用語のほうが余計わかってもらえないんじゃないかとも思ったが、全くそういう理論武装なしで語学をやることは不可能だと私も思っている。理屈や堅い話なしで、「覚えましょう・覚えましょう」だけで言葉を覚えるのではそれこそ九官鳥やオウムの訓練所ではないか(『34.言語学と語学の違い』参照)。

 さて、この人は古典ギリシャ語もやったそうだが、続けて「ラテン語は語形変化のパラダイムが美しい」という。名詞や動詞の変化表をみるとその均整のとれた美しさに感動するのだそうだ。私もそれには異存がなかったので、「そうですね。特にo-語幹の名詞がいいですよね。呼格なんかもあるし」と話をあわせたが、さらに言えば私はラテン語だけでなく、いや印欧語だけでなく全ての言語体系は美しい、と思っている。言語の本質はその構造性・体系性にあると思っているのだ。その音韻体系、形態素体系、シンタクスの構造、これらが図式化してあるのを見るのが好きで、語学書などでも中身はすっ飛ばして真っ先に巻末の変化表に目が行ってしまう。ただ、パラダイム表をみるのは好きだが覚えるのは嫌い(いうより「できない」)なのが我ながら情けないところだが。

 この言語の構造・体系というのは決して完璧には解析されることがないだろう。現在の物理学の知識を駆使しても10m上空からアヒルの羽を一枚落としたときの落下地点をぴたりと当てることが出来ないのと似ている。しかもあらゆる言語がそういう構造を内在させている。現在存在している言語、過去に存在していた言語、これから生まれるであろう言語はすべて「決して人間程度の知力では完全に解析・解明することはできない」存在なわけだ。現在地球上にある言語だけで5000、今までに存在した言語なんて何万、いや何十万あったかわからない。それらはどれ一つとして同じ構造のものがない、すべてただ一回きりこの世に存在し、これからも決して生じることはない現象である。
 こういうことを考えるにつけ、たかが10や20言語のちょっとした挨拶や言い回しを覚えて九官鳥気取りで軽々しく「語学ができる」とか言い出す人にはちょっと反発を覚える。

 また、「体系」「構造」という言葉は一時日本でも流行ったのですでに日常語になっているが、では「体系って何ですか?」とあらためて聞かれるとその言葉を得意げに使っている本人も一瞬うっとつまってしまうことが多い。私は馬鹿なので一瞬でなく一分間くらいつまる。でも聞かれたからには答えなければならないのでいつもまあテキトーに(あのねぇ・・・)こんなことをいって誤魔化している。

「要素Aがそれ自体のものでなく他の要素、BとかCとかの関連において初めて意味を持ってくる、あるいは要素Aの本質はAの内部そのものにではなくBやCとの関係のなかにある、と考えるのが体系という観念です。」

つまり、ある文法カテゴリー、例えば過去形という奴をそれだけじいっと考察していてもあまり意味はないということだ。当該言語がどんな時制体系を持っているかによって意味も使用範囲も全く違ってくるからだ。現在-過去-未来しか持たない言語と過去完了、非完了、アオリストなどやたらとたくさんの時制形を持っている言語では「過去形」といっても全く別物なのである。
 語彙にしてもそうで、例えば「「てつだう」ってどういう意味ですか?」という類の質問をしてくるのは初期段階だけである。ちょっと学習が進むと必ず「手伝うと助けるはどう違うんですか?」というような質問をしてくるようになる。体系内での要素間の関係に目が行くようになるのだ。逆にいつまでも言語の体系性ということが実感として捉えられない人は語学のセンスがないのでせいぜい九官鳥と競争でもしていてほしい、とまでは言わないが(そんなことを言ったら私自身も相当長い間その口だったのだ。『25.なりそこなったチョムスキー』参照)、教師がいくら優秀でも途中で壁に突き当たる場合が多い。一生懸命勉強したはずの語学が使い物にならないのはどうしてなのかか自分でもわからず、結局教師の教え方が悪いからだ、と人のせいにしたりするのだ。

 話は少しワープするが、映画も一つ一つの作品を単発でバラバラ無作為に鑑賞したり紹介していてもどうにもならないことがある、と私は思っている。作品Aが当該体系内の作品Bとの関連で初めて意味を持ってくることもあると。ただ、映画では全体として統一の取れた体系というものをきちんと枠組みすることが難しい。いわゆる「ジャンル」というのは枠にはならない。映画芸術発生以来100年余り連綿と作られてきた、またこれからも作られていく映画をポンポンジャンルという箱の中に放り込んだところで収集も統一も取れていないばかりか、どのジャンルにいれたらいいのか人によって違う映画も多い上に(『タイタニック』は恋愛映画なのかアクション映画なのか?)、そもそもジャンルというもの自体、いったいどうやって定義したらいいのか曖昧なこともある(「ブロックバスター」というのは果たして一つのジャンルや否や)からだ。つまり映画のジャンルというものは雑多な映画のテキトーな集合に過ぎない。
 ところがそういう映画にも時々「擬似体系」とでも呼べそうな、全体的に一定のまとまりを示す作品群がある。どの映画がそこに所属するかも明確に決めることができて、枠組みがクリアな集合が。その一つがいわゆるマカロニウエスタンと呼ばれるジャンルというかグループで、これらの作品群は例えば「恋愛映画」などというふやけたジャンルと違ってまずモチーフ(西部劇)が一定している上、1.製作時期がはっきりと限定されている(1964年から1970年代の後半まで)、2.製作国(イタリア)が定義されている、2.監督、音楽、俳優、脚本などが極めて限られた面子である、ので内部の統一性が極めて高い。事実マカロニウエスタンの作品はジャンル内部での相互影響、露骨に言えばパクリ合いが非常に密で独特の小宇宙・閉ざされた空間を形成しているのである。
 また他のジャンルではいわゆる駄作というのは存在の意義が薄く、ガチなフリークならともかく、普通のレビューの網の目からは落ちこぼれることが多いが、内部作品が相互関連して全体の体系を形作っているマカロニウエスタンでは、駄作でも要素Bとして立派に要素Aの存在意義に関与しているのだ。わかり易く言えば、ジャンルの傑作の引き立て役として小宇宙内で重要な意味を持っているのである。そもそもマカロニウエスタンの9割以上は駄作凡作なのだから、体系というかジャンル全体として考察しなければどうにもならない。とにかくこのジャンルは明確に閉ざされた一つの小宇宙を形作っているので一旦ハマると抜けられなくなるのだ。

 あと、これはマカロニウエスタンのような「小宇宙ジャンル」に限ったことではないが、映画を論じる際、製作年を無視すると解釈を誤ると私は思っている。映画は製作と公開が時期的にかなりずれていることが多いのでドイツでの公開時、日本での公開時だけを基にして作品を云々しているとトンチンカンな解釈をしてしまう。少なくとも本国公開はいつだったのか押さえておかないとまずいだろう。本当は本国公開時でなく製作年の方をを考慮すべきなのだろうが残念ながら資料などには出ていないことが多い。
 たとえば私もやってしまったのだが、ブレット・ハルゼイBrett Halsey演ずる『野獣暁に死す』の主人公ビル・カイオワ。最初私はこれは『殺しが静かにやって来る』の主人公サイレンスのコピーかと思ってしまった。陰気な黒装束も同じだったし、顔もちょっと似た方向だったからである。でも調べてみたら前者のほうが制作も本国公開も早かった。つまりカイオワはサイレンスからのコピーではなくてむしろ『続・荒野の用心棒』のジャンゴから直接持ってきたのだとわかる。『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』では後者のほうが圧倒的に名を知られているし評価も高いため、私は見誤ってしまったのである。
 なお、「閉ざされた小宇宙」と言ってもマカロニウエスタンは作品が500以上ある。『52.ジャンゴという名前』の項でも書いたが、その中で私の見た作品など、「見たかどうかよく覚えていない」ものまで無理矢理含めてもせいぜい90作品。あと410作品を見るなんてこの先一生かかっても無理だ。まさに上でも述べたように「構造・体系というのは決して完璧には解析されることがないだろう」と言える。


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 ドイツで最も人気のあるマカロニウエスタンのスターは何と言っても先日亡くなったバッド・スペンサーではないだろうか。もちろん単なる知名度の点ではイーストウッドのほうが上だろうが「好かれている」という意味では圧倒的にスペンサーである。
 スペンサーはテレンス・ヒルと組んでコメディ路線のマカロニウエスタンにいくつも出演して大人気を博した。漫才でいうボケとツッコミと同じく、小柄な(といっても180cm身長があるが)ヒルが利口者、194cmあって縦にも横にもデカいスペンサーは典型的な「気は優しくて力持ち」(ドイツ語にもStarker Mann mit weichem Herzenというよく似た表現がある)、あまり頭は切れないがやたらと強い大男役だ。圧倒的に子供に好かれるタイプである。事実今でもドイツ人のおじさんおばさんたちは子供の頃夢中でバッド・スペンサーの映画を見たと懐かしそうに語る。おじさんばかりではない、ドイツのTVが放映する映画に困ると今でもすぐにこのご両人のマカロニウエスタンを垂れ流すためか、その子供の世代にまでガチのスペンサーファンがいる。誰かがスペンサーとヒルを「オリバー・ハーディ&スタン・ローレル以来最大のギャグコンビ」と名付けているのをみたこともある。マカロニウエスタンブームが去ったあともこのコンビでドタバタ喜劇がたくさん作られたのでこのコンビが並んでいるのをみるとパブロフの犬よろしく、まだ何もしていないうちから自動的に笑いがでるほどだ。

最強の喜劇コンビ(左の二人)。バルボーニの『風来坊/花と夕陽とライフルと』 (下記参照)から
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こちら『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』。
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 この二人を『風来坊/花と夕陽とライフルと』(原題 Lo Chiamavano Trinita、1970) 、『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』(原題…continuavano a chiamarlo Trinità、1971)、『自転車紳士西部を行く』(原題 E poi lo chiamarono il magnifico、1972) で使ってヒットを飛ばしたのがエンツォ・バルボーニという監督である。それらの映画ではE.B.クラッチャーと名乗っていたが、コルブッチの下でカメラマンをした人だ。その喜劇路線のマカロニウエスタンが有名になったため、この二人を最初に共演させたのはバルボーニだと誤解している人が多いが、実はスペンサー&ヒルのコンビで最初にマカロニ・ウェスタンを撮ったのはジュゼッペ・コリッツィという人である。脚本家出身の監督だ。コリッツィの映画は全然コメディでなく、シリアスな「普通の」マカロニ・ウェスタン。彼はDio perdona ... io no!(1967), I quattro dell'Ave Maria(1968)(『荒野の三悪党』), La collina degli stivali(1969)という三作のマカロニウエスタンを作っているが、その全作品で音楽を担当したのがなんとカルロ・ルスティケッリ。
 ところがその後スペンサー&ヒルが喜劇コンビとして世に定着してしまったためその初期の本来ハードな作品であったコリッツィの西部劇は喜劇に仕立て直して再公開された。まずタイトルを面白おかしいものに変更した上、銃撃戦などはカットし、(私の記憶によれば)シーケンスの順番を変えたりしてヒルがスペンサーに向かっていう軽い会話のシーンなどが強調され、無理矢理コメディということにされたのである。しかし元がシリアス路線のハードな西部劇なのだからいくらなんでもこれには無理がありすぎて、全然喜劇になっていないばかりか、ブチブチ切られているのでストーリーが飛んでしまっている。
 スペンサーはさらにこれも前述のトニーノ・チェルヴィの『野獣暁に死す』にも出ている。仲代達也から拷問され、弾丸を食らった上刀で切られて大怪我をする凄まじい役で、これも全然コメディなどではない。なお、これにはヒルは出演していない。

 その、ボケ役にされてしまったバッド・スペンサーという人そのものはもちろん全然ボケなどではなく、カルロ・ペデルソーリCarlo Perdersoliというのが本名でもともと水泳の選手としてイタリアでスターだった。1952年、1956年のオリンピックに出場している。大学の法学部を「卒業した」とある。ドイツがそうなのでイタリアも多分そうだと思うのだが、大陸ヨーロッパの大学は日本のように時間決めでトコロテン卒業などできないから医学部や法学部を「卒業した」ということは医師の国家試験を取るか司法試験に通った、ということになる(はずである)。ドイツの大学の法学部に入り、卒業試験、つまり司法試験を取れなかったら大学資格とは見なされないから公式には「高卒」を名乗らなければいけない。試験前になるとノイローゼになる学生が続出するそうだ。
 で、卒業はしたものの故郷のナポリでは法律家としての職が見つからず、いろいろなところでいろいろな職についているうち、マリア・アマートさんという女性と結婚した。フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』などを手がけた伝説的プロデューサー、ジュセッペ・アマートの娘である。これがきっかけで映画入りしたそうだ。
 まあ言ってみればジョニー・ワイズミュラーのイタリア版である。そういえば以前もインタヴュー記事が新聞に出ていたが、「人生で一番大切なものは家庭だ。男は家庭という責任を背負ってやっと一人前になるのだ。それをしない奴は子供さ」と言っていた。このちょっと古風なところが、まさにイタリア男だ。
 バッド・スペンサーという芸名は、尊敬する俳優がスペンサー・トレイシーだったのと、バドワイザーのビールが好きだったのでバッド・スペンサーとしたとのことで、まあ相当いい加減な芸名である。上述のようにコリッツィの映画で初めてテレンス・ヒルと共演し、マカロニウエスタンが「終わった」後もコンビで17もの映画を撮った。大半がドタバタ喜劇だが、それらの映画の監督にはバルボーニやコルブッチなどのお馴染みの顔も見える。お馴染みといえば、ミケーレ・ルーポもスペンサー主演のコメディを手掛けているが、テレンス・ヒルは出ていない。とにかく私生活でもスペンサーとテレンス・ヒルは親友だったそうだ。

 スペンサーが亡くなった時はTVのニュースで大報道したし、追悼のために出演映画を流すところもあった。うちでとっている南ドイツ新聞にもその文芸欄をほとんど一面使ってスペンサー追悼の記事が出た。ドイツでの人気ぶりがわかろうというものである。さらにその号の別のところではテレンス・ヒルの記事も出て「相棒を失った悲しみ」を語っていた。

 スペンサーのドイツでの人気ぶりについては生前こんな出来事もあった。
 ドイツにシュベービッシュ・グミュントという小さな町がある。その町で1951年に水泳の国際大会が開かれた際、イタリア代表選手の一人がこのカルロ・ペデルソーリだった。100m自由形で優勝している。
 時は流れて2011年、市の郊外に立派なトンネルが開通した。工事中にはそのトンネルはいろいろ勝手に呼ばれていたが、市長はそのトンネルの名を正式に決めようとして、市民から提案してもらおうと、インターネットで名前を募集した。ところが私と思考回路が全く同じような人はどこの国にもいると見え、誰かが「バッド・スペンサー・トンネル」という提案をしたのである。1951年の出来事が頭にあったのは明白だ。
 そうしたら、ノリ易い人もやはり洋の東西を問わず多いと見え、「バッド・スペンサー・トンネル」という名前がダントツで一番票を取ってしまったのである。

 あわてたのは市長だ。「えーっと、トンネルの名前はあくまで地域に根ざした文化的な香りのする命名でなければ」とかしどろもどろでこの命名を拒否。つまり「いくらなんでもマカロニウエスタンのスターの名前なんかつけられません」というわけだ。
 納まらないのは市民である。始めから市民の声を聞く気がないならなんでインターネットで名前を募ったりしたんだよ、と暴動が起こりそうになったため(嘘)、市長は「トンネルにはその名前は無理だが、代わりに市営の屋外プールの名前を変更して「バッド・スペンサー・プール」にしましょう」という代案を出し、しかもその命名式にバッド・スペンサーをイタリアから呼んでしまったというから、この市長も結構ノリ易い、というかなかなかオツである。そうでもして懐柔しないとファンから袋叩きに会いそうな気がしたのかもしれない。

 もっともそうやってわざわざイタリアからマカロニウエスタンのスターをドイツに招待した市長も市長だが、呼ばれて外国のそんな田舎町に大喜びでやってきたバッド・スペンサーも相当なツワ者だ。そしてそういうことに税金を使われた市民も大喜びだったそうだ。ちなみに肝心のトンネルの名前はGmünder Eichhorn-Tunnel(グミュント・リストンネル)という名前に落ち着いたとのことである。どうしてここでリスが出てくるのかわからない。これが「文化的な香り」なのか、このあたりには何か珍しいリスでも生息しているのか。それともこのEichhorn(アイヒホルン)というのは人名か何かなのだろうか?

トンネルを「バッド・スペンサーと名付けろ!」とデモを起こした怒れる(?)若者たち。
http://www.spiegel.de/から

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「バッド・スペンサー・プール」を紹介する市の公式サイトはこちら


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 今思うと日本にいたころからもっと真面目にマカロニウエスタンを見ておくんだったと後悔している。当時は単にジュリアーノ・ジェンマやせいぜいフランコ・ネロにキャーキャー言って騒いでいただけだったが今じっくり見てみると顔ではジェンマに負けるが味のあるカッケーおいちゃんが他にも結構たくさんいるのだ。リー・バン・クリーフなどはいくらじっくりみてもちょっとアレではあるが、『12.ミスター・ノーボディ』でも書いたように、ギリシア・ローマ時代の古典さえ時々顔を出すこのジャンルは単に「ぶっ放せジャンゴ」「抜けリンゴ」で済ますには勿体なさすぎると私は思っている。
 ジークハルト・ルップについては『98.この人を見よ』で一度書いたが、実はもう一人記すべきオーストリア人がいる。何度か名前を出しているウィリアム・ベルガーWilliam Bergerである。『血斗のジャンゴ』で第三の主役をやった人だ。これもしつこく前に書いたようにとにかくラストシーンではこの人が大スターのトマス・ミリアンとジャン・マリア・ヴォロンテを食ってしまっていた。
 正義の名を借りて人間狩りをする自称犯罪者討伐対がミリアン&ヴォロンテ目指して砂漠の中を進んでいくがその時後からモリコーネの音楽(これが肝心)に乗って疾走しながら後を追いかけて来た者がいる。これが登場場面ではやたら暗かった(『87.血斗のジャンゴと殺しが静かにやって来る』参照)ベルガーである。

モリコーネの音楽を背景に颯爽とやってくるベルガー(左)。まあこの場面はスタントマンがやったのかもしれないが...
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こちらの画面右で馬に乗っているのは本当にベルガー。
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 前項でも述べたように彼も本来この二人を追う側であるから、その討伐隊に加わるのかなと思っていると彼はそこで皆の前に立ちはだかって「お前達のやっていることには法的正統性がないから手を出すな」と怒鳴りつける。せっかくの楽しみを邪魔された討伐隊の一人(知る人ぞ知るマカロニウェスタンの迷脇役アルド・サンブレルが発砲し弾が肩に当たる。それを持ち直してサンブレルを撃ち殺すとあとの者は動揺し、踵を返す。
 肩に弾を入れたままヴォロンテとミリアンの前に来て立ち(すぐ上の写真)、「お前たちを逮捕する」と宣言したものの、無防備でヴォロンテの前に立ったわけだから当然というかなんと言うかヴォロンテから2発目を食らう。ところがミリアンが立ち上がって投降すると言い出す。ヴォロンテは驚いて、ミリアンの決意を覆そうと「原因」になっているベルガーにとどめをさそうとした瞬間、ミリアンがベルガーを殺そうとしたヴォロンテを撃ち殺す。と、どさくさに紛れてネタバレ失礼。
 すでに死ぬ気でいたベルガーは状況を把握するのにちょっと時間を要するが、よろけながら立ち上がるとヴォロンテの死体の顔面に弾を何発も撃ち込み顔をめちゃくちゃにして判別不可能にし、「皆には死んだのはミリアンのほうだと言っておくから行け」とミリアンを逃がす。前にも言ったようにここでタイトルの「顔」という言葉が聞いてくるのだ。

 銃弾を受けた瞬間や、大儀そうに「逮捕する」という姿もカッチョよかったが、それより私が感心したのが最後ヴォロンテに銃を向けられた瞬間の演技である。膝を落としたまま見あげて、まずヴォロンテがわきで銃を構えて立っていることを確認、それから顔を下に向けるが、その状態でヴォロンテが撃鉄(ライフルの場合でも「撃鉄」っていうのか?)を起こした音を聞いて息を一つ吸って少し身を乗り出すようにする。死を覚悟したんだな、ということがはっきりと見て取れる。これは私が今まで見た中での「撃ち殺される直前」の表現のベスト賞である。実際は撃ち殺されなかったが。

大儀そうに「逮捕する」というウィリアム・ベルガー。
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『87.血斗のジャンゴと殺しが静かにやって来る』の項でも紹介したが、構図の美しいラスト。
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 もうひとつ印象に残っているのは「この人は撃たれ方が上手い」ということだった。皆さん、西部劇で人が銃に撃たれるところをどう描写しているか思い出して欲しい。もっとも多いパターンはうっと言って撃たれた箇所を手で押さえ苦痛に顔をゆがめる、というものだろう。派手にうわーとか叫んで両手を上に挙げグルグル回って倒れる、というのもありふれた描写だ、レオーネの『夕陽のガンマン』では撃たれた人が派手に叫んだり手を挙げたりぐるぐる回ったりしている割には弾傷が全くなく、なんなんだこれはと思った。
 また、撃たれた方がしばらく微動だにしないこともある。決闘シーンなどで観客にマを持たせるためによく使われる手だ。どちらが勝ったのかすぐにはわからせないでおいてこちらをハラハラさせようという戦法。何秒か立ってから一方がおもむろにバッタリ倒れるまで緊張感が続く。私に言わせればこういうのは緊張感でなく「わざとらしい」である。マカロニウエスタンではそれがまた特に不自然だ。
 さて上のシーンでのベルガー氏、弾を食らったときどう動いたか。当たった部分(肩だった)が一瞬何かにぶつかったようにピクリと動き、ほんのすこし足元がよろけたが、そのあとすぐ姿勢を持ちなおして敵に向かっていったのである。うーともいわなかったし痛そうな顔もしない、それでいてわざとらしく微動だにしなかったわけではない、当たったことはこちらに見てとれたのである。また痛そうな、というより疲れたような顔になったのはしばらく時間がたってからである。

 これは本当に銃で撃たれたことのある人たちの体験談と一致している。そこで皆が異口同音に述べているのは、銃で撃たれると一瞬何かぶつけられたか棒でその場所を叩かれたような気がする。かなり長い間痛みは感じない。まさに氏の撃たれかたはそんな感じだった。
 この撃たれ方の見事さはベルガー氏の演技力によるのか、それともセルジオ・ドナーティのスクリーン・プレイの書き方が上手かったのか。この映画のほかのシーンでは皆スタンダードなうわー的撃たれ方をしていたからこれはやっぱり氏の演技に帰するのではないかと思ったのでちょっとこの俳優の経歴を調べてみた。
 
 この人がオーストリア人であることは知られている。私はてっきりジークハルト・ルップなどのように本来ヨーロッパの本国で活動していたのがマカロニウェスタンに引っ張り出されたのだと思っていたが、どうもそうではないらしい。本名をヴィルヘルム・トーマス・ベルガーWillhelm Thomas Bergerといい、1928年にインスブルックの裕福な医者の家に生まれたが、一家は戦争が始まるとすぐにアメリカに逃げた。当時戦争がヤバくなって来てから国外逃亡した人は多いが、「始まってすぐ」というのは少ないのではないか。余程先見の銘があったかナチ嫌いだったのか。家が「裕福な医者」であったこと、1939年の時点、つまりオーストリアがドイツ支配下に入った時点で(しかも大部分のオーストリア国民はこの「ドイツ統一」を歓喜して迎えた)間髪を入れず亡命したところを見るとユダヤ系ででもあったのかと思うが確証はない。アメリカの俳優・監督などには亡命ユダヤ人が多いのだし。とにかくアメリカでコロンビア大学を出てしばらくIBMで働いた後に俳優に転向、NYのブロードウェイなどでそこそこの成功を収めている。また3年間兵役にも服している。なおコロンビア大学在学時に陸上競技で学内最高記録を出し、オリンピックに出そうになったそうだ。朝鮮戦争に従事したとのことで、ひょっとしたらこの人は本当に撃たれたことがあったのかも知れない。
 そのあとハリウッドに進出しようとして果たせず、生まれ故郷のヨーロッパを巡っているうちにイタリアでマカロニウェスタンに抜擢されたらしい。当時はヨーロッパ出身で英語に吹き替えしてやる必要のない俳優は希少価値だったらしい。

 いわゆる反体制派、既成の権力に対して反抗的な人であったらしく生活も派手で少なくとも4回結婚しているし(それはそれで大変結構です)、当時の住まいにはキース・リチャードなども時々やってきていたそうだ。一度麻薬所持の疑いで留置所に何ヶ月入っていたこともある。ただしこの時は結局「証拠なし」で刑は受けていない。どうもあらぬ疑いだったらしい。それよりも驚いたのがそのときの留置所での悲劇的な出来事で、映画史家なんかは結構皆知っているようだが、私は今回調べてみて始めて知った。
 ある夜中に例によってパーティーでドンチャン騒ぎの後、皆寝静まっていたら警察がいきなりドヤドヤ家宅捜査にのりこんできた。そしてそこでハシッシュの包みを見つけたそうだ。ベルガーが自分の所有ではないと誓ったが請合ってもらえず、そのとき家に泊まっていた客もろとも全員留置場に入れられた。バラバラにである。
 悲劇はそこからだ。当時の妻Carolyn Lobravicoさんは肝炎を患っており、それが劇症を起こして痛んでいるのを警察は「麻薬の禁断症状」とカン違いして精神疾患者の病院に入れベッドに縛り付けた。そのまま長い間放って置かれ、やっと他の病気であると気づいて普通の病院に担ぎ込まれたときはすでに遅く、Lobravicoさんは別のところに収容されている夫のベルガーにも会えずにそのまま亡くなった。その際の経過を後にベルガーは本に書いて出版している。私の本なんかより余程読む価値がありそうだ。
 数ヵ月後にベルガーは釈放されて俳優業を続けていった。チェルヴィの『野獣暁に死す』はその事件の前に撮られている。

 マカロニウエスタンの後はジャッロ映画などにも出て、マリオ・バーヴァ、ヘスス・フランコなど名前を聞くとウッと思ってしまう様な(失礼)監督の下で仕事をしているが、とにかく最後まで俳優業はまっとうしている。187もの(TV映画も含む)映画に出演しているから決して無名の俳優とはいえない。事実私程度のジャンルファンでもウィリアム・ベルガーという名はよく知っている。演技だって正当教育を受けている。顔もロバート・レッドフォード(我ながら出す俳優名が古い)にはかなわないだろうがハンサムの部類に入るだろうし、とにかくもうちょっと上まで行ける技量を持っていた俳優だったと思うが、残念ながら1993年にカリフォルニアで亡くなっている。65歳だったそうだ。同じオーストリア人でも人生経歴が堅実で地味なジークハルト・ルップとは対照的である。

オマケといってはナンだが、『野獣暁に死す』のウィリアム・ベルガー。画質が悪くて申し訳ない。
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 ある意味ではマカロニウエスタンの元の元の大元は黒澤映画、つまり日本の侍映画である。だがこれを模倣してジャンルを確立したセルジオ・レオーネの作品自体からはストーリー以外には特に日本映画の影響は感じ取れない。言い換えるとジャンルを作り出したのはあくまでレオーネの業績で、実際後続のマカロニウエスタンの作品から見て取れるのは顔の極度のアップとか長いカットなどレオーネのスタイルの影響である。
 しかし一方で『荒野の用心棒』の原作が黒沢の『用心棒』であることは皆わかっていたわけだし、『羅生門』がベネチアでグランプリをとるなど日本映画が当時のイタリア映画界には知られていたということで日本映画・東洋映画が完全に無視もされていなかったようだ。レオーネの第二作『夕陽のガンマン』に中国人が出てくるのは私には作品をパクリ扱いされて(まあ実際そうなのだが)裁判まで起こされたレオーネが「あっそ。じゃあ日本の侍ではなくて中国人ならいいだろ」とある種の皮肉を込めて登場させたような気がしてならないのだが(考えすぎ)、その他に東洋人が出てくるマカロニウエスタンは結構ある。セルジオ・ソリーマの『血斗のジャンゴ』(何度も言うが、Faccia a facciaというタイトルのまじめなこの映画にこんな邦題つけやがった奴は前に出ろ!)にも東洋人の女性が出てくる。1969年にもドン・テイラーとイタロ・ツィンガレッリ監督の『5人の軍隊』Un esercito di 5 uominiというマカロニウエスタンに丹波哲郎がズバリサムライ役で出演しているが、それよりトニーノ・チェルヴィの『野獣暁に死す』のほうが有名なのではないだろうか。黒沢の『用心棒』に出ていた仲代達也を準主役に起用している。もっとも起用はしているが日本人役ではなく、民族不明な設定で名前もジェームス・エルフィーゴという、アメリカ人のつもりなのかメキシコ人ということなのかそれとも先住民系なのかよくわからないが、とにかく完全に向こう風である。仲代氏は俗に言うソース顔で容貌がちょっと日本人の平均からは離れているからまあメキシコ人ということにもできたのかもしれない。稲葉義男やビートたけしでは無理だったのではなかろうか(ごめんなさい)。氏を素直に日本人という設定にしなかったのはマカロニウエスタンに日本人が出てきたりするとストーリー上無理がありすぎたからだろう。あの時代のアメリカに早々日本人がいるわけがないからだ(だからテレンス・ヤングの『レッド・サン』など私は違和感しか感じなかった)。まあその無理を丹波の『5人の軍隊』ではやってしまっているが、『野獣暁に死す』にしてもチェルヴィは「サムライ」は意識していたようでエルフィーゴがマチェットをぶん回すシーンでのマチェットの構え方が完全に日本刀だった。私はこれを見たとき「これじゃまるで日本人だ。全然「エルフィーゴ」という感じがしない。どうして監督はこんな構え方を直さなかったんだろう」と思ったのだが、実はトニーノ・チェルヴィ監督がサムライを意識して特に日本刀みたいにやらせたのだそうだ。そういわれてみるとそのストーリー、主人公が目的のために名うてのガンマンの人集めをしていくという部分に『七人の侍』との共通性が感じられないこともない。

マチェットを構えるジェームス・エルフィーゴこと仲代達也。構え方がどう見ても日本刀。

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 さて、この『野獣暁に死す』は制作年が1967年、劇場公開日が1968年3月28日で意外にも『殺しが静かにやって来る』の前である。後者は制作が1968年、公開が同年11月19日だ。「意外にも」と書いたのは、前にもちょっと書いたように(『78.「体系」とは何か』参照)主人公や脇役の容貌などに『殺しが静かにやって来る』を想起させるものが多く、私は最初前者が後者をパクったのかと思ったからだ。作品や監督の有名度から言ったら『殺しが静かにやって来る』のほうがずっと上だったせいもある。まあジャンルファンに限って言えば「セルジオ・コルブッチの名を知らない者はない」と言ってもいいだろう。「マカロニウエスタンが好きです。でもコルブッチって誰ですか?」と言っている人がいたらその人はモグリである。それに対して『野獣暁に死す』を撮ったトニーノ・チェルヴィは西部劇はこれ一本しかとっていないし、活動分野もむしろプロデュース業の方で監督は副業だったから知名度もあまり高くない。1959年にはコルブッチの映画の制作もしているし、その後1962年にフェリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティ、モニチェリで共同監督した『ボッカチオ70』(カルロ・ポンティと共同制作)、1964年にもアントニオーニの『赤い砂漠』などの大物映画を手掛けてはいるがそもそもプロデューサーの名というのははあまり外には出て来ない。「チェルヴィって誰ですか?」と聞いても別にモグリ扱いはされるまい。
 さてその『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』だが、比べてみるとまずそれぞれブレット・ハルゼイとジャン・ルイ・トランティニャン演じる主人公たちがどちらもちょっとメランコリックな顔つきで黒装束で雰囲気がそっくりだ。

左が『野獣暁に死す』のブレット・ハルゼイ、右が『殺しが静かにやって来る』のジャン・ルイ・トランティニャン
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このハルゼイという俳優は一度TVシリーズの『刑事コロンボ』でも見かけたことがある。1975年のDeath Lends a Hand『指輪の爪あと』という話で、レイ・ミランドも出ていた。ちょっと繊細な雰囲気で割と女性にウケそうなルックスだ。
 主人公ばかりではない、『殺しが静かにやって来る』でクラウス・キンスキーが演じた敵役と『野獣暁に死す』のフランシス・モランことウィリアム・ベルガーがどちらも金髪で共通だ。『87.血斗のジャンゴと殺しが静かにやって来る』で『血斗のジャンゴ』のベルガーと『殺しが静かにやって来る』のキンスキーが顔の作りそのものは全く違うのに似た雰囲気だと書いたが『野獣暁に死す』のベルガーを見ていると実はこの二人は顔も意外に似ているようだ。少なくとも双方ちょっと角ばった顎をしていて、顔の輪郭が同じである。

左が『野獣暁に死す』のウィリアム・ベルガー、右が『殺しが静かにやって来る』のクラウス・キンスキー
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ということで、最初チェルヴィが『殺しが静かにやって来る』からパクったのかと思っていたら実は前者の方が先に制作されたと知って驚いた。『血斗のジャンゴ』と『殺しが静かにやって来る』を比べたりするときもうっかりすると前者が後者から引用したようにとってしまいかねないが、これも後者の方が制作が後である。それではハルゼイの演じた人物の原型はどこから来たのかというと、やはり『続・荒野の用心棒』のジャンゴ以外にはなかろう(再び『78.「体系」とは何か』参照)。黒装束でどこかメランコリックという、以降の何十何百ものマカロニウエスタンの主人公の原型となったキャラクターである。その意味ではレオーネよりコルブッチのほうが影響力が強烈だったといえるのではないだろうか。つまり『殺しが静かにやって来る』→『野獣暁に死す』という流れではなくて『続・荒野の用心棒』→『野獣暁に死す』、『続・荒野の用心棒』→『殺しが静かにやって来る』という二つの流れがあって『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』の主人公のキャラクターが似ているのは間接的なつながりに過ぎないということか。『続・荒野の用心棒』と『殺しが静かにやって来る』はどちらもセルジオ・コルブッチが監督だから自己引用というかリサイクルというか、とにかく「パクリ」ではない。
 
上段左が『野獣暁に死す』のハルゼイ、右が『殺しが静かにやって来る』のトランティニャン、下段が元祖『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロ
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 上でも述べたようにチェルヴィは本来制作畑の人らしいが、この映画は危なげなく出来上がっていると思う。プログラムピクチャーの域は出ていないがこのジャンルの平均水準(レオーネやソリーマは平均的マカロニウエスタンなどではない。上の上の部類である)を明らかに超えている。脚本にダリオ・アルジェントを持ってきたせいか、ラストの森の中のシーンなどはちょっと背筋の体温が下がりそうな、ある種怪しい美しさがあるほどだ。現にいまだに新しくDVDが出たりしている。買う人がいるからだろう。
 この作品にとって不幸だったのは、バッド・スペンサーが出演していたことだ。誰が見てもちょっと陰気な復讐映画なのに、コメディ映画・ギャグ映画として紹介されてしまったからである。特にドイツでの偏向宣伝ぶりがひどい。バッド・スペンサーがテレンス・ヒルと組んでドタバタコメディを量産し始めたのはこの後のことで、『野獣暁に死す』の製作当時はスペンサーはまだ普通の役でマカロニウエスタンに出ていた。この映画でもスペンサーはあくまで頼りになるガンマン役である。ラスト近くには仲代に撃たれた挙句マチェットで切りつけられて大怪我をするしごくまじめで大変な役で、ハルゼイのメランコリックぶりといい、ベルガーの陰気さといい、とにかく笑えるシーンなど一つもない。それなのにスペンサーが出ているというだけで、劇場公開当時はきちんと「今日は俺、明日はお前」Heute ich… morgen Du!という復讐劇を想起するまともなタイトルであったのが、その後「このデブ、ブレーキが利かないぞ」Der Dicke ist nicht zu bremsenという誹謗中傷もののタイトルに変更され、スペンサーのドタバタ西部劇として売り出されたのである。カバーの絵もハルゼイや仲代は完全に無視されてスペンサーが大口を開けて笑っているものだ。ここまで不自然な歪曲も珍しい。笑うつもりでこのDVDを買って強姦シーンやアルジェント的な首つりシーンを見せられ、騙されたと感じた客から抗議でもあったのか最新のDVDには「なんとあのスペンサーがまじめな役!」という注意喚起的な謳い文句がつけてある。そんな後出しをするくらいなら始めからタイトル変更などせず、スペンサーの名も絵も前面に出さずに、ハルゼイと仲代の暗そうな顔でも使えばよかったのだ。さらに上記の『5人の軍隊』のほうもスペンサーが出ていたため、後にタイトルが歪曲されてDicker, lass die Fetzen fliegen「おいデブ、コテンパンにのしてやれ」となっている。面白いことに(面白くないが)『5人の軍隊』も脚本がアルジェントだ。この調子だと仮に『殺しが静かにやって来る』でフランク・ヴォルフがやった保安官役をスペンサーがやっていたらこれもドタバタコメディ扱いされていたに違いない。そりゃ完全に詐欺であろう。でもそういえば『殺しが静かにやってくる』には見たとたんに全身脱力症に襲われて二度と立ち上がれなくなるハッピーエンドバージョンがあるが、あれなら確かにスペンサーが保安官の方が合っていたかもしれない。

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大学図書館は閉まるわ、授業はオンラインになるわで外出もままならず、またしても一か月以上記事が書けませんでした。すみません。(←誰も待ってないから別にいいよ、書かなくて)。

  前にもちょっと書いたように(『70.セルジオ・レオーネ、ノーム・チョムスキーと黒澤明』参照)、マカロニウエスタンの前身はいわゆるサンダル映画である。ジュリアーノ・ジェンマで『続・荒野の一ドル銀貨』を取ったドゥッチョ・テッサリなどはその典型だが、そもそもセルジオ・レオーネも最初の作品はIl colosso di Rodi『ロード島の要塞』というB級史劇である。ただしレオーネ本人は「あれは新婚旅行の費用を捻出するために嫌々した仕事」と主張し、本当の意味での自分の最初の作品はあくまで『荒野の用心棒』だと言っているそうだ。コルブッチもサンダル映画を撮っているが、直接作品を作らなくても映画作りのノウハウなどは皆サンダル映画で学んだわけである。
 ではなぜ(B級)ギリシア・ローマ史劇を「サンダル映画」というのか。こちらの人ならすぐピーンと来るが、ひょっとしたら日本では来ない人がいるかもしれない。余計なお世話だったら申し訳ないがこれはギリシャ・ローマの兵士・戦士がサンダルを履いていたことで有名だからだ。もちろん今のつっかけ草履のようなチャチなものではなく、革ひもがついて足にフィットし、底には金属の鋲が打ってあるゴツイ「軍靴」であった。もちろん戦士だけでなく一般市民も軽いバージョンのサンダルを履いていたのでサンダルと聞くと自動的にギリシャ・ローマと連想が行くのである。日本で仮に「ちょんまげ映画」といえば皆時代劇の事だと理解できるようなものだ。さらに時代劇と言わないでちょんまげ映画というとなんとなくB級感が漂う名称となるのと同様、「ギリシャ・ローマ史劇」ならぬ「サンダル映画」の範疇からは『ベン・ハー』だろ『クレオパトラ』などの大作は除外され、残るはB級史劇ということになる。
 映画産業の中心がまずそのサンダル映画からマカロニウエスタンに移行し、その後さらにドタバタ喜劇になって沈没していった流れもやっぱり前に書いたが(『69.ピエール・ブリース追悼』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』参照)、もう一つマカロニウエスタンからの流れ込み先がある。いわゆるジャッロというジャンル、1970年ごろからイタリアで盛んに作られたB級スリラー・ホラー映画だ。後にジャッロの監督として有名になった人にはマカロニウエスタンを手掛けた人が何人もいる。俳優も被っている。
 「ジャッロ」gialloというのはイタリア語で「黄色」という意味だが、これはスリラー小説の事をイタリア語で「黄色い文学」 letteratura giallaというからだ。なぜ黄色い文学かというと1929年から発行されていた安いスリラーのパルプノベルのシリーズが「黄色いモンダドーリ」Il Giallo Mondadoriといい、これが(安い)スリラー小説や犯罪小説、ひいては映画の意味に転用されたからだ。驚いたことに(驚くのは失礼かもしれないが)、このパルプノベルはまだ発行され続けている。

黄色い表紙のジャッロ文学。http://textalia.eu/tag/italiaanse-detectives/から。
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 映画としてのジャッロは1963年にマリオ・バーヴァが撮った『知りすぎた少女 』 La ragazza che sapeva troppoに始まるとされている。レオーネがマカロニウエスタンというジャンルを確立したのが1964年だから、ジャンルとしての発生はジャッロの方が早いことになるが、最盛期はマカロニウエスタンより少し遅く1970年代になってから。80年代になってもまだ十分続いていたので、1974年の『ミスター・ノーボディ』が「ある意味では最後の作品」と言われるマカロニウエスタンから人がジャッロに流れ込んだのだ。
 ジャッロのことはあまり詳しくない私でも知っているこのジャンルの監督といえば、まずジャンルの確立者マリオ・バーヴァ、それから『サスペリア』のダリオ・アルジェント、ゾンビ映画のルチオ・フルチ、ジュリオ・クエスティといったところだろうが、実はこの人たちは皆マカロニウエスタンも撮っている。特にジュリオ・クエスティは私はマカロニウエスタンでしか知らず、ジャッロも撮っていたと知ったのは後からだ。そのクエスティのジャッロ『殺しを呼ぶ卵』という作品は実はまだ見ていないがジャン・ルイ・トランティニャンが出ているそうだ。これもマカロニウエスタンとジャッロの俳優が被っている例であろう。クエスティのマカロニウエスタン『情け無用のジャンゴ』は最もエグいマカロニウエスタンとされ(『19.アダルト映画の話』参照)、ネイティブ・アメリカンの登場人物が差別主義者の白人たちに頭の皮を剥がれて血まみれになるシーンがあったりして、一回見たら私にはもう十分。残酷描写が凄いと騒がれているコルブッチの映画でさえ何回も見たくなる私のようなジャンルファンにさえキツかったのだから、その監督がジャッロを作るとどういう映画になるかは大体察しが付く。『殺しを呼ぶ卵』を見た人がいたらちょっと感想を聞かせてもらいたい。

 さてマリオ・バーヴァだ。この監督の作品はSFというかホラーというか、どっちにしろB級のTerrore nello Spazio(「宇宙のテロ」、ドイツ語タイトルPlanet der Vampire「吸血鬼の惑星」)と「ひょっとしたらこれでスーパーマンに対抗している気でいるのか?」と愕然とする多分アクション映画の(つもりの)Diabolik(ドイツ語タイトルGefahr: Diabolik!「危険:ディアボリック!」)という映画を見たことがある。肝心の『知りすぎた少女』を見ていないのでその点では何とも言えないが、この人はやたらと血しぶきを飛ばしエグイ画面で攻めるのではなく、心理的な怖さでジワジワ来させるタイプなのかなとは思った。映画そのものがB級だったので実際にはあまりジワジワ来なかったが。
 そのバーヴァは3本西部劇を撮っているが、ジャンルそのものがすでにB級映画扱いされているマカロニウエスタンをレベルの基準にしても(繰り返すがレオーネやソリーマなどはレベル的には代表などではない、むしろ例外である。『86.3人目のセルジオ』『91.Quién sabe?』参照)なお駄作と言われる出来だ。つまり普通の映画を基準にすると、どれも超駄作ということになる。1964年のLa strada per Fort Alamo(「アラモ砦への道」、ドイツ語タイトルDer Ritt nach Alamo「アラモへ行く」)、1966年のRingo del Nebraska(「ネブラスカのリンゴ」、ドイツ語タイトルNebraska-Jim「ネブラスカ・ジム」)、1970年のRoy Colt & Winchester Jack(『ロイ・コルト&ウィンチェスター・ジャック』、ドイツ語タイトルDrei Halunken und ein Halleluja「悪党三人にハレルヤ一つ」)がそれだが、ユーチューブで探したら映画全編見られるようになっていたので驚いた。もっとも映画の質にふさわしく画像が悪いのと、音声もイタリア語にポーランド語の字幕がついていたりしてとっつきようがなくどうも見る気がしない。探せば英語音声もあるかもしれないがわざわざ探す気にもなれない。それでもちょっと覗いた限りではLa strada per Fort Alamoに『復讐のガンマン』のGérard Herter(この名前もジェラール・エルテールと読むのかゲラルト・ヘルターと言ったらいいのかいまだにわからない)、Roy Colt & Winchester Jackには主役として『野獣暁に死す』のブレット・ハルゼイが出ているのが面白かった。面白くないが。さらにRingo del Nebraskaにはアルド・サンブレルが出ているそうだが、もうどうでもよくなってきたので私は確認していない。ところがさらに検索してみたら3本ともDVDが出ているのでさらに驚いた。しかもなんとマカロニウエスタンを多く手掛けている超大手の版元Koch Mediaから出ている。このKoch Mediaというドイツの会社はジャンルファンの間では結構名を知られていて、変な比較だが言語学をやっている者なら誰でも「くろしお出版」を知っているようなものだ。こんな映画のDVDがあるわけがないと始めからタダ見を決め込んでユーチューブに探りを入れた私は恥を知りなさい。
 それにしてもLa strada per Fort Alamoは公開が1964年の10月24日、『荒野の用心棒』が1964年9月12日だから、ほとんど同時だ。『荒野の用心棒』のクソ当たりをみてからわずか一ヵ月余りでじゃあ俺もと西部劇を作ったとは思えないから(それとも?)La strada per Fort Alamoはレオーネの影響を受けずに作られたと考えたほうがよさそうだ。だから駄作なのかとも思うが後続の2作も皆駄作である。次のRingo del Nebraskaはクレジットでは監督Antonio Románとなっていて、バーヴァの名前は出ていない。「この映画はバーヴァも監督を担当した」というのは「そういう話」なのだそうだ。このいいかげんさがまさにマカロニウエスタンである。

驚いたことにバーヴァの最初の2作は大手のKoch Mediaから焼き直しDVDが出ている。
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『ロイ・コルト』は他の作品とまとめられて「マカロニウエスタン作品集Vol.1」にブルー・レイで収録されている。これもKoch Mediaである。
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古いDVDもある。
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 バーヴァよりはダリオ・アルジェントの方がジャンルに貢献している。ただしアルジェントは監督としては一本も撮っていない。脚本を何本か書いているのだ。『野獣暁に死す』(『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』参照)と『傷だらけの用心棒』(『48.傷だらけの用心棒と殺しが静かにやって来る』参照)の脚本はこの人の手によるものである。後者は本脚本(?)はClaude Desaillyによるフランス語でアルジェントはイタリア語の脚本を担当したのだが、気のせいかこの映画にはあまりストーリーとは関係のないホラーシーンがある。主人公のミシェル・メルシエが血まみれの兎の首を出刃包丁(違)で叩き切るシーンだ。この映画はそもそも雰囲気がやたらと暗いが、そこにさらにこんな気色悪いものを出さなくてもよかろうにと思った。この血まみれ兎はアルジェントの差し金かもしれない。

ミシェル・メルシエが出刃包丁(違)を振りおろすと
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血まみれの兎の首がコロリと落ちる。
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こちらジャッロ『サスペリア』の包丁シーン
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『野獣暁に死す』の脚本はアルジェント一人の手によるもの。あまりスプラッターな部分がないが、監督が違うからだろう。チェルヴィ監督はそういう点では抑え気味。ラスト近くに敵が森の中で首つりになるシーンが出てきてそれがレオーネなどより「高度」があるのと、ウィリアム・ベルガーが相手の喉元を掻き切るシーンがあるが、掻き切られたはずの喉笛から血が吹き出さない。もしアルジェント本人が監督をやっていればどちらのシーンも血まみれですさまじいことになっていたはずだ。また『傷だらけの用心棒』もそうだが『野獣暁に死す』も特に上述の森の中の人間狩りの場面など全体的に妙な怪しい美しさが漂っている。もっともこれも「脚本アルジェント」と聞いたからそういう気がするだけかもしれないがなんとなくジャッロ的ではある。

『野獣暁に死す』では陰気な森の中で敵が首つりにされるが、監督が違うせいか『サスペリア』ほどエグくない。
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こちら『サスペリア』。エグいはエグいが血の色がちょっと不自然に赤すぎないだろうかこれ?
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ウィリアム・ベルガーが敵の喉笛を掻き切るが(上)、掻き切られた後も血が出ていない(下)。
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『野獣暁に死す』のラスト森の光景はちょっとおどろおどろしくてジャッロにも使えそう。
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 もう一つアルジェントが手掛けた大物マカロニウエスタンは丹波哲郎の出る『五人の軍隊』(1969年、原題 Un esercito di cinque uomini、ドイツ語タイトルDie fünf Gefürchteten「恐れられた五人」)で、私はまだ見ていないのだが、評その他をみると『野獣暁に死す』、『傷だらけの用心棒』とともにマカロニウエスタンの平均は超えている出来のようだ。しかし「アルジェントは(脚)本が書ける」ことを序実に証明しているのは何と言っても『ウェスタン』だろう。これは「平均を超えている」どころではない、マカロニウエスタンの例外中の例外、普通の映画を基準にしても大作・名作として勘定される超有名作品だ。あまりに名作なので、『ウエスタン』はマカロニウエスタンの範疇に入れていないと言っていた人がいた。失礼な。ただしこれは共同脚本で、アルジェントの他にあのセルジオ・ドナーティやベルナルド・ベルトルッチが一緒に仕事をしている。すごいオールスターメンバーだ。

 次にルチオ・フルチはバーヴァと同じく監督としてマカロニウエスタンを5本(あるいは3本。下記参照)作っている。その最初の作品がフランコ・ネロで撮った『真昼の用心棒』Le colt cantarono la morte e fu... tempo di massacro(1966年、ドイツ語タイトルDjango – Sein Gesangbuch war der Colt「ジャンゴ-その歌集はコルトだった」)、いわゆるジャンゴ映画の一つである。フランコ・ネロを主役に据え、ジョージ・ヒルトンをマカロニウエスタンにデビューさせた古典作品だ。オープニングにしてからが人が犬に噛み殺されて川が血に染まるというシーンだから後は推して知るべし。典型的なジャンル初期の作風である。DVDやブルーレイも嫌というほど種類が出ている。

ジョージ・ヒルトン(左)は『真昼の用心棒』がマカロニウエスタン一作目。このあとスターとなった。
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 その後何年か間をおいて1973年にZanna Bianca(邦題『白い牙』、ドイツ語タイトルJack London: Wolfsblut「ジャック・ロンドンの狼の血」)、1974年にその続編Il Ritorno di Zanna Bianca (邦題『名犬ホワイト 大雪原の死闘』、ドイツ語タイトルDie Teufelsschlucht der wilden Wölfe「野生の狼の悪魔の谷」)という西部劇を撮っている。しかしこの二つはジャック・ロンドンの小説『白牙』をもとにしていて西部劇というより家族もの・冒険ものだそうだ。確かにフランコ・ネロは出ているし、たとえば『裏切りの荒野』(『52.ジャンゴという名前』参照)などはメリメのカルメンからストーリーを持ってきているから、文学作品をもとにした映画はマカロニウエスタンとは呼べないとは一概には言えないが、この2作はマカロニウエスタンの範疇からは除外してもいいのではないだろうか。
 次の作品、ファビオ・テスティが主役を演じた I Quattro dell'apocalisse (1975年、「4人組 終末の道行」、邦題『荒野の処刑』、ドイツ語タイトルVerdammt zu leben – verdammt zu sterben「生きるも地獄、死ぬも地獄」)はタイトルから期待したほどは(するな)スプラッターでなかったが、人がナイフで皮を剥がれたり女性が強姦されたり(どちらも暴行するのはトマス・ミリアン!)、挙句は人肉を食べてしまったりするシーンがあるから明らかに「猟奇」の要素が入り込んできていて同じ残酷でも『真昼の用心棒』を含む60年代の古典的マカロニウエスタンとははっきりとスタイルを異にしている。いや、そのたった一年前に作られた『ミスター・ノーボディ』とさえ全然違う。『ミスター・ノーボディ』はスタイルの点でもモティーフの上からも古典的な作品でサンダル映画さえ引きずっている(『12.ミスター・ノーボディ』参照)からだ。また『荒野の処刑』は妊娠した女性が大きな役割を持ってくるあたりエンツォ・カステラーリがフランコ・ネロで撮った後期マカロニKeoma(1976年、邦題「ケオマ ザ・リベンジャー」)あたりとつながっている感じだ。

I Quattro dell'apocalisse では最初に颯爽と出てきた主役のファビオ・テスティが
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しまいにはこういう姿になる。
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 続くフルチ最後の西部劇、1978年のSella d'argento (「銀のサドル」、邦題『シルバー・サドル  新・復讐の用心棒』、ドイツ語タイトルSilbersattel「銀のサドル」)はスタイル的にもモティーフ的にもストーリー的にもマカロニウエスタンの古典路線に逆戻りしていて私はこちらの方が好きである。ちょっとユーモラスなシーンもある。やたらと撃ち合いになり人がやたらと血まみれで死ぬは死ぬが、全体的にはむしろソフトというか静かな雰囲気。主役がジュリアーノ・ジェンマだからかもしれない。この人では猟奇路線は撮りにくかろう。それにしても「シルバー・サドル」などという邦題をつけてしまうとまるで老人用の鞍のようでまずいと思う。もっとも原題にしてもどうしてここで急に銀が出てくるのか。ジュリアーノ・ジェンマがそういう鞍に乗っているから綽名としてついているのだがどうして黒い鞍でもなく象牙のグリップでもなく銀の鞍なのか。考えすぎかもしれないが、ひょっとしたらこの「銀」argentoという単語は暗にダリオ・アルジェントのことを指しているのではないだろうか。いずれにせよフルチがゾンビ映画『サンゲリア』を撮ったのは「アルジェントの鞍」の翌年、1979年だ。つまりフルチはマカロニウエスタンというジャンルがすでに廃れだしすでにジャッロが勃興していた時期にもまだ西部劇に留まっていたことになる。その後でマカロニウエスタンですでに練習してあった絵、例えば血まみれの穴の開いた頭部の映像などをジャッロに持ち込んだのかもしれない。その意味でやっぱりジャッロはマカロニウエスタンの後裔である。

ルチオ・フルチ監督のSella d'argento の主役はジュリアーノ・ジェンマと…
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…「アルジェントのサドル」(左)。
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