アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:荒野の用心棒

 今はもうなくなってしまったのだが、以前、近くに地下一階地上二階のちょっと大きなドラッグ・ストアがあって、二階のフロアがまるまるCDとDVDの売り場になっていた。近くのスーパーに買い物に行こうと思ってうちを出ると、どうもつい途中でここについ寄り道をしてしまうことが多かった。

 ある時また例によって覗き見してみたらセルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』がなんと7.99ユーロで山積みされていたのである。もちろんその場で買ったはいいが、もともと食料品だけを買うつもりで家を出てきたものだから、小銭レベルのお金しか持っておらず、DVDを買うと有り金がほとんどなくなってしまい、食料品は買わずに手ブラで帰るハメになった。また出直すのも面倒だったので、昼は台所に落ちていた食料を適当に食べた。

 ところでこの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』には年齢制限があり、16歳以下は制限されている。ドイツは映画やゲームの年齢制限がちょっと細かくて、無制限、6歳以下は制限、12歳以下制限、16歳以下制限、そして最終的に18禁の5等級に分かれている。18禁とはつまり成人指定だが、日本とは重点が少し違っていて「成人指定」といってもいわゆるアダルト映画、つまり性描写の露骨な映画とは限らないのだ。現に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では一箇所かなり生々しい性描写があるのに成人指定にはなっていない。性描写に劣らず厳しくチェックされるのは暴力描写で、どぎつい残酷シーンがある映画が成人指定になるのは当然だが、実際に血しぶきが飛ばなくても内容的に暴力を礼賛し暴力による問題解決を奨励しているようなストーリーのものは、女性のヌードなど全く出てこなくても成人指定となる。
 それでブルース・リーの空手アクション『燃えよドラゴン』は成人指定。暴力を礼賛していると見なされるからだ。つまり「アダルト」というのは日本人がすぐ連想するように単に下半身が機能する人のことではなくて、自分の攻撃性をきちんと自分でコントロールできるかどうかのほうが大事、そしてそれができない子供には、暴力に訴えるのが正当な手段だなどと思わせてしまうような内容のほうが性描写などより害になるというわけだ。人をモノとしか思わないような人間になってもらっては困る、というところ。言い換えると「アダルト」とは体でなく頭の成熟度だという理屈。一理あると思う。
 日本では無害扱いされているアクション映画なども人が銃で撃たれるシーンなどはTV放映時にはカットされることが多い。アーノルド・シュワルツェネッガーの『ターミネーター』もしっかり鋏が入っていた。

 これはあくまで私の想像だが、『必殺仕置人』のようなTVシリーズはこちらでは普通のお茶の間用の時間帯では放映できないのではないだろうか。ドイツ語でいうSelbstjustiz(ゼルプストユスティーツ)、暴力による自己裁判を奨励しているからだ。もっともこれは日本でも放映は「お茶の間」より少し遅い夜の10時からだったが。『子連れ狼』も微妙なところで、こちらは放映は9時と子供でも見られる時間帯だった。しかしどちらも後に昼間再放送されたと記憶している。現に私は『子連れ狼』をしっかり全部見ている。ドイツだったら駄目かもしれない。
 同じ理由で、話合いや法による解決を一切試みないですぐ銃に訴えるというやり方を礼賛しているマカロニウエスタンの相当数が成人指定。マカロニウエスタンのガンマンが皆討論を始めてしまったら映画にならないではないか、などという甘い理屈はドイツ人には通用しない。驚くなかれ、私の世代の女性には今日のレオナルド・ディカプリオ(すでにこの人も譬えとしては古いが)と同じくらい人気のあったあのソフトなジュリアーノ・ジェンマの『続・荒野の1ドル銀貨』もこちらでは成人映画だ。これのどこをどう解釈すれば子供の害になると判断されてしまうのか教えてほしい気がするが、この程度で成人指定を食らうのだから、耳が血まみれで切り取られる シーンのある『続・荒野の用心棒』、貧しい人々が人間扱いされず「ゴミ」として虫けらのように殺され、いわんや最後には悪が暴力によって善に勝つというトンでもないストーリーの『殺しが静かにやって来る』などが成人指定と聞いても全く驚かない。むしろセルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』が16歳指定で済んでいるのが不思議なくらいだ。
 ファンの間で「最も強烈なマカロニウェスタン」とお墨付きを貰っている『情け無用のジャンゴ』などは成人指定は言わずもがな、ドイツ製のDVDというものが見つからず、街なかの普通の店などにはとても置かれていないのはもちろん、ネットで買おうとしても(するな)イギリスからの輸入品か、セカンドハンドしかない。しかもそれが中古品のくせに50ユーロもするほど需要と供給のバランスが崩れているのは、ドイツ国内では「危険映画」として販売が自主規制でもされているのか?
 実は私は『続・荒野の用心棒』など小学生頃から平気で見ていた。日本では無制限だったからである。しかしそういえば小学校時代から大学を卒業して後も「人間性に問題がある」の「性格が歪んでいる」のと頻繁に言われたものだ。ひょっとしたらこの映画を小学生のころ見てしまったのも一因なのかもしれない。やはり子供に見せる映画は少し考えたほうがいい。『続・荒野の用心棒』だったからまだ性格が歪む程度で済んだが、『殺しが静かにやって来る』など当時見てしまっていたら完全にトラウマになっていただろう。私がこの映画を見たのはもういい大人になってから、つまりドイツに来てからであるが、ストーリーをすでに知っていたにも関わらずあの凍るようなラストを3日くらい引きずってしまったから。

 とにかく、18歳以下禁止の指定をされてしまった映画だと買うのにちょっと苦労することは事実だ。「あなたはどうやっても18歳未満には見えないから関係ないだろう」というと、それは違う。18禁モノというのは大抵ビデオ屋さんの暗い隅の方にまとめて置かれていて、危なそうなおじさんが日本で言う成人映画、つまりいわゆるピンク映画をいじっていたり、全身刺青の恐そうなお兄さんがホラー映画にじーっと見入っていたりするので、私のような小心者には恐くてとても入って行ける世界ではない。相当気合がいるのだ。
 勇気を出して刺青のお兄さんの横をすり抜け、えいっとばかり目当てのDVDを取り、やっとの思いでレジまで持って行ったら行ったで、パッケージにデカデカと「18禁」とシールが張ってあるものだから、レジの人が「やだわ、この東洋人のおばさん、成人映画なんて買うの?!」とでもいいたげな、うさんくさそうな顔をして私のことをジロジロと見る。たかがジュリアーノ・ジェンマの映画を買うのにここまで苦労しなければいけないなんて本当に暮らしにくい国だ。


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(「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い(けどちょっと古い)記事を翻訳して紹介しています。)
原文はこちら
(古い記事だなあ…)

エンニオ・モリコーネ85歳に:コヨーテの遠吠えを楽譜に翻訳

映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネがこの日曜日に85歳になるが、氏はお祝いなどしないでむしろ身を隠していたいそうだ。が、その前に自身の音楽や、ヘビーメタル、結婚、神や世界について上機嫌でインタヴューに応じてくれた。

筆者がインタヴューのためモリコーネ氏と会う直前、氏はダブリンでのフェスティバルで100人ものメンバーからなるオーケストラやそれと同規模の合唱団の指揮をしてきたところだった。にもかかわらずもうすぐ85歳のモリコーネ氏はまったくリラックスした雰囲気で、普通言われているよりはるかに機嫌よく応じてくれた。氏の通訳を長年務めるロベルタ・リナルディさんが会話を助けてくれた。

昨日タクシーの運転手にモリコーネ氏と会うという話をしたら、運転手はいきなり『続夕陽のガンマン』のメロディをハミングし出しました。モリコーネさんにも人が作曲なさったメロディを歌ってきたりすることがありますか?

道では人はたいてい私だなんてわかりせんよ。でも先日ローマで友人にからかわれました:道の反対側を歩いていたので私には彼が目に入らなかった。そしたらこの、例の映画の曲のメロディを口笛で吹き出したんです。(曲を口笛で吹く)
私は反射的に振り返って何ごとかとあたりを見回しました。友人はそれを見て大喜びしてましたよ。

当時どのようにしてこの主題を思いついたのですか?

もしかすると皆お気づきになっていないのかもしれませんが、あのメロディは単にコヨーテの鳴き声を音符に写し取っただけです。(と、コヨーテの吠え声をする)まさにこの通りやっただけ。

この映画で確立した「スパゲティ・ウェスタン」という言葉をモリコーネさんはあまり取ってはいらっしゃいませんね。

はい。だってレストランにいるんじゃないんですから、「イタリア製ウェスタン」と言って下さいよ。

でもスパゲティそのものはお好きでしょう?

私は徹頭徹尾パスタのファンです。

クリント・イーストウッドは別として:誰かこれはと思うようなウェスタンのヒーローがいますか?

クラウス・キンスキーですね。セルジオ・レオーネが撮った映画でのね。キンスキーは人と違ってましたよ、本当に意地が悪くて攻撃的でね。娘のほうが好きですけど、この人はしっかり記憶に残っています。

ヘビー・メタルバンドのメタリカがもう30年以上もモリコーネさんの『Ecstasy of Gold』を舞台で使ってますね。モリコーネ・サウンドから多大の影響を受けた、と公言しているロックバンドは多いですが、これを嬉しいとお思いですか、それとも「勝手に使われた」と感じておられますか?

構いませんよ。そういうロックミュージシャンで食事に招待してくれたのも多いし。その由知らせてもらいましたから。彼らにこちらの音楽が使ってもらえるのは多分私が曲を基本簡単なものにしておこうとしているからじゃないのかな。それぞれの楽器のバランスをとるのは私は後から初めて考えますからね。私の選ぶ和音なんかもシンプルだからギターで再演しやすいんでしょう。

作曲はどのようにしてなさっているのですか?

以前と相変わらずですよ:紙に鉛筆で個々の楽器のスコアを書く。映画のほうを見ないうちにそうすることも度々です。

ヒットした映画音楽はすでに楽譜のうちから読み取るのですか?それともやっぱりオーケストラが必要ですか?

もちろん。作品を仕上げたらメロディをオーケストラがどう演奏するか、実際に耳で聞かないといけませんからね。作曲している間はその必要がありません。昔は自分の曲をオーケストラが演奏するのを聞くところまで行き着けなかった作曲家も多かったですが。つまりそうなる以前に死んでいたわけ。フェリックス・メンデルスゾーンとか思い出して見てくださいよ!作曲家は自分が何を書いているのか聞いてみないと。

作曲なさった曲は強く感情に訴えてくることが多いですが、ご自身がご自分の曲で感傷的になってしまうことなどおありですか?

作曲家がなにか作曲する時はもちろんある程度何か感じています。それでこの感じを聴衆を分かち合おうとするわけです。けれど私はそういうのを純粋に感情とは呼ばないかなあ、むしろ感情的な緊張、というか。作曲家が伝えたい緊張状態ですね。

感情はそちらにとって作品が成功したかどうかの基準になっているのですか?

感情はその一部です。でも作曲の際にそれだけが唯一重要なポイントであるわけではありません。作曲家は作品を書いているときおそらく自分自身の感情のコントロールすら出来ていないんじゃないですかね。でも技術的な手法はマスターしている、思うようなメッセージを伝えて全ての楽器をしかるべき場所にすえる、ということはね。作曲家が感情と名づけているものは本来技術で得られるものです。音楽を通じて作曲家の正直なところが出てしまうということでしょうね。自分の作品を分析していると見えてくるんですよ。

ずっと保つのが難しいのはどちらでしょう、生涯にわたる音楽の仕事と結婚生活と?

これはまたヒネったご質問を。まあでも、仕事かな。妻のマリアとはまあもう57年以上もいっしょですからね。でも作曲家としての仕事は本当にハードですよ。常に一線にいるには大変な努力が必要です。

11月10日に85歳になられますね。その記念日をどのように過ごされますか?

身を隠していたいですわ。パーティとかはやりません。

どうしてお祝いをしてもらわないのですか?人生でこんな高いところまで登られたのを、少しは誇ってみてもいいのでは?

もちろん幸せに思ってますよ。でも一方年を取れば取るほど墓場も近づく、ということも常に考えてないといけないのでね。誰でもそれはそうですが、80過ぎた者だと「次」ですからね、そこに行くのが。

ではご自分を何歳くらいだと感じていらっしゃいますか?

80歳という気は全然しませんわ。せいぜい60歳くらい。私は自分が回っている輪の上にいるような気がするんです、その輪が回転してさらにいいものを私に出してくる。本当にまだまだやりたいことがたくさんあるんです。

何かモリコーネさんに喜んでもらえるような誕生日プレゼントがありますか?

一番大切なプレゼントはもちろん健康でいる、ということですね。それから息子たちと娘がいい仕事をみつけられるよう願っています。うち3人までが目下全然仕事してないので。息子のアンドレアはやっぱり作曲家なんですが、もうちょっと仕事があってもいいのに、と。

それはイタリアの負債状況のせいですか?

いいえ。二人はアメリカにいるんですから。そのうちの1人はグリーン・カードを持ってなくて、つまり仕事につけないんです。もう一人のほうは持ってるんですがアメリカでほんの少ししか仕事がありません。

息子さんがたはモリコーネさんが絶対行きたくなかったところにいるわけですね!

その通りです。ハリウッドがヴィラをオファーしてきたことがありました。そこで彼らのために作曲してくれと。でも私はそんなところに住もうなんて夢にも考えたことはありません。私は骨の髄までローマっ子でね、この町が大好きなんです。

今はどのような暮らしをなさっておられますか?

私はローマ市内のさるアパートの最上階3階を住居にしています。この住居には以前ソフィア・ローレンが住んたこともあって、屋上に素晴らしい庭園がありましてね。そこにも部屋があって、作曲の仕事は皆その部屋でします。部屋に入れるのは私だけ。私には自分なりの秩序があって、他人がいるとダメだから。

2008年にロバート・デニーロに強く推されてオスカーの名誉賞を受けられましたが、生活上で何か変化はありましたか?

全く何も変わっていません。

モリコーネさんの周りは?

うーん、その後イタリアでの人気が一気に上がったそうですが。時々気味が悪かったですよ、知らない人たちからポンポン肩叩かれたりすると。

74歳の時に初めてご自分の作曲作品をライブでオーケストラに演奏させ、聴衆の前で指揮をなさいましたが、なぜですか?

コンサート演奏は人からやらないかと聞かれてから始めたんです。その前は誰も私に頼んできませんでしたからね。頼まれもしないのに道端に行って自分のメロディも披露できませんしね。

ご自分が映画音楽の作曲家だけでなく、クラシック音楽やアヴァンギャルド音楽も作っていることを示すのにコンサートを利用しておられますか?

いいえ。それら種類の違った音楽は分けてます。実験的な音楽は私やるのが本当に大好きなんですが、それも別にして流します。私のコンサートでは主題を映画の中でやるような楽器とオーケストラで演奏しています。

舞台ではどんなお気持ちですか?

最初はいろいろ気になってたまりませんでした。演奏者の誰かがちょっと失敗して全てをメチャクチャにするんじゃないかと心配で。きちんと正確に演奏してくれないから、と。聴衆のほうはそれで即全体までダメだった、ということにもならなそうですが、指揮者の私にはすぐわかります。

で、マエストロの怒りを買う?

いえ、そこで気をとり直します。起こりえますからね、そういうことは。たいていの聴衆はおかしいなとは気づきません。これはほとんど「私だけのプライベートな問題」ですね。

舞台ではとてもエネルギッシュに指揮なさいますが、指揮をするのはスポーツ選手のようなものですか?

まったくスポーツ選手と同じ、というわけでないですが、共通する部分はあります。コンサートではしっかり焦点を見据えて集中していないといけない、自分の体と筋肉をコントロールできていないといけない。

そのためにどんなフィットネスを?

私は朝5時に起きて毎日一時間自分の家で体を動かします。たいてい家の中をグルグルジョギングしてまわるんですが。

するとわかってはいるが止められないこととか悪い習慣とかはお持ちでないのですね?

ありますよ。チョコレートです。これを我慢するのは大変ですよ。けれど私一年前は86キロあったんですよ。それを72キロに落としました。これ、どうやってやり遂げたかご存知ですか? 食べる量を減らして家の中を走り回ったんですな、ははは。

では昔の楽しみごとはもう全然なさらないと?

体重をここまで減らしたんですからまた時々チョコレート食べるくらい許されますよね。でもたいてい内緒でやります。でないと妻に怒られますから。

エンニオ・モリコーネの人となりについて
エンニオ・モリコーネは最も偉大な映画音楽の作曲家である。60年代以来500以上もの映画の音楽を書いてきた。セルジオ・レオーネのイタリア製ウェスタンで有名になった。『ウエスタン』、『続・夕陽のガンマン』、『荒野の用心棒』のサウンドトラックを作曲したのがそれ。85回目の誕生日をこの日曜日にローマで祝う。ハリウッドからのオファーも数多くあったが、氏は故郷を離れたことが一度もない。このあと大規模なオーケストラを引き連れてのツアーをまずドイツで行う。2月11日にベルリンの東駅多目的ホールで氏の最も有名なメロディを披露する。

インタヴュー
カーチャ・シュヴェマース


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 一年ほど前だが、ピエール・ブリース(Pierre Brice)というフランス人の俳優が亡くなった。1929年生まれというからモリコーネより一歳年下だ。本国フランスよりもドイツで国民的人気のあった俳優で、TVでも新聞でも大きく報道していた。ブリースを忘れられないスターにしたのは一連のドイツ製西部劇である。マカロニウェスタンの前哨となったジャンルだ。

 日本には「最初に非アメリカ製西部劇を作ったのはセルジオ・レオーネ」と思い込んでいる人がいるが、これは全くの誤りである。
 大陸ヨーロッパでは50年代からすでに結構西部劇が作られていたのだ。当時西ドイツやスペイン、フランスなどで作られた西部劇が結構あるし、イタリアでさえもレオーネより何年も前から西部劇はいくつも作られていた。第一『荒野の用心棒』からして、レオーネが企画を持ち込んだ時製作会社のジョリィ・フィルムはすでにGringo(ドイツ語タイトルDrei gegen sacramento、「三人組サクラメントに向かう」)という西部劇を作り終えていたところだったし、レオーネが来たときもちょうどLe pistole non discutono(ドイツ語タイトルDie letzten Zwei vom Rio Bravo、「リオ・ブラヴォーの最後の二人」)という西部劇を製作中だった。この映画の予算がちょっと余ったのでレオーネにも出せるということになり企画が実現したのだ。つまり『荒野の用心棒』レコードで言えばB面、いわば「残飯映画」なのである。

 「マカロニウエスタン以前のユーロウエスタン」は興行的にもそこそこの成功を収めていたらしいが、このピエール・ブリースがインディアンの酋長を演じた一連の西部劇によって西ドイツでブレークした。
 これはカール・マイの冒険小説を映画化したもので、主人公はオールド・シャターハンドという白人だが、ヴィネトゥというアパッチの若い酋長と知り合い兄弟の契りを交わす。その二人の冒険談である。中でも有名なのが「ヴィネトゥ三部作」と呼ばれる映画シリーズで、三作とも監督はハラルト・ラインルだが、その他にも単発で「ヴィネトゥもの」が何作も同監督や別の監督でも作られた。そこでいつもヴィネトゥの役を演じたのがブリースだったのである。
 ブリースはフランスのブルターニュの生まれで、ドイツ語で言ういわゆる「南欧系」、つまりラテン系とギリシャ人をひっくるめていうカテゴリーに属し、ゲルマン・スラブの女性にムチャクチャもてるタイプの容貌をしていたこともあって、映画は非常にヒットした。主役は本来オールド・シャターハンドのほうだったが、そのうちのブリースのヴィネトゥのほうが人気が出だしたので三部作ではこのアパッチの酋長の名前のほうをタイトルに持ってきたわけだ。ストーリーは健全でいながらエピソードに富むという、まあカール・マイの小説そのもので休みにお父さん・お母さんが子供連れで見に出かける家族映画としては完璧。ディズニーがこれを手がけなかったのが惜しいくらいである。年配のドイツ人には子供の頃ヴィネトゥを夢中で見た思い出を懐かしそうに語る人がいまだに大勢いる。

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ヴィネトゥを演じたフランス人ピエール・ブリース。隣がレックス・バーカー演じるオールド・シャターハンド
www.spiegel.deから

 ただ、家族映画なだけに、マカロニウエスタンを見慣れた目でみると健全すぎて面白くない。絵の点でも例えば三部作での主人公オールド・シャターハンドの衣装は『シェーン』のアラン・ラッドの二番煎じ的だし、ネイティブ・アメリカンの描写もステレオタイプ過ぎて本物のアメリカ原住民の人が見たら怒るんじゃないかと思われるくらい。また、そこで部族の女性が何人か出てくるのだが、女優が皆ドイツ人の顔つきなところに無理矢理黒髪・お下げのカツラをかぶせて強引にインディアンにしたてあげているため、全然似合っていない。どう見てもネイティブ・アメリカンには見えないのである。
 最初のヴィネトゥ映画はDer Schatz im Silbersee(「シルバー・レイクの宝」)という単発映画だがこの公開は1962年12月14日、監督は三部作と同じくラインルである。さらに続いて単発ヴィネトゥ映画がバラバラと作られていったが、やがて上述の三部作が生まれた。第一作目が1963年12月11日、二作目1964年9月17日、第三作目は1965年10月14日の西ドイツ公開だから、二作目と三作目の間に『荒野の用心棒』が登場したことになる。『荒野の用心棒』は本国イタリアでは1964年9月12日公開なので2作目より早いが、西ドイツでは劇場公開が1965年3月5日なので「『荒野の用心棒』はヴィネトゥ二作目と三作目の間」といっていいだろう。1965年にはイタリアではすでにマカロニウエスタン旋風が吹き荒れていたはずだが、西ドイツではこの時点で観客の目はまだイーストウッドよりピエール・ブリースの方を向いていたのではないだろうか。

 この三部作の最後の作品のそのまた最後にヴィネトゥが死ぬ。オールド・シャターハンドと庇おうとして撃ち殺されるのである。本来ヴィネトゥ映画シリーズはここで一応の終わりを見るはずであった。しかし当時の西ドイツの観客が黙っていなかったそうだ。ブリースのヴィネトゥを生き帰させろと製作会社に抗議が殺到し暴動(?)が起こりそうになったため、製作会社が折れ、またブリースを主役にしたヴィネトゥ映画を作り続けて国民をなだめたそうだ。そういえば『殺しが静かにやって来る』でも映画のラストに抗議してローマで暴動が起きたという都市伝説を聞いたことがあるが、この噂のベースはもしかしたらこのヴィネトゥ映画かもしれない

 これらヴィネトゥ映画はじめ当時の西ドイツの西部劇は時期的にマカロニウエスタンの誕生と完全にダブっていただけではない、俳優の点でも重複している。ヴィネトゥものにはクラウス・キンスキーやマリオ・ジロッティ(テレンス・ヒルの本名)、ジークハルト・ルップ、ウォルター・バーンズ、ホルスト・フランクなどマカロニウエスタンでおなじみの俳優が顔を出しているし、1964年3月23日公開、つまり『荒野の用心棒』の直前に作られ公開された非ヴィネトゥの西ドイツ西部劇Der letzte Ritt nach Santa Cruz(「サンタ・クルースへの最後の旅」)にはマリアンネ・コッホ、キンスキー、ルップ、マリオ・アドルフなどが出ていて出演の面子だけみたら完全にマカロニウエスタンである。
 俳優ではないがヴィネトゥ単発もの、1964年4月30日公開のズバリOld Shutterhandというタイトルの映画の音楽を担当したのは聞いて驚くなリズ・オルトラーニだ。
 また、西ドイツに誘発されたのか対抗意識なのか、その後東ドイツでも結構盛んに西部劇というかインディアン映画が作られるようになった。主役はOld shatterhandにも出ていた(当時)ユーゴスラビアの俳優ゴイコ・ミティッチ(Gojko Mitić) が演ずることが多かった。「西のブリース、東のミティッチ」と言われたそうだ。東ドイツの西部劇は1965年くらいから作られ始め、1970年代を通じて1980年代くらいまでは時々製作されていたから時期的には完全にマカロニウエスタンと重なっているのである。

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これが東ドイツのインディアン、ゴイコ・ミティッチ。https://mopo24.deから

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西のブリース、東のミティッチのダブル出演。これもhttps://mopo24.deから

 このカール・マイ西部劇はロケを当時のユーゴスラビアで行なったが、このロケ地をそのまま引き継いでイタリア製西部劇を作ったのがセルジオ・コルブッチ。1964年5月25日イタリア公開のMassacro al Grande Canyon(「グランド・キャニオンの大虐殺」)という映画がそれだ。『荒野の用心棒』より半年も早い。主役にロバート・ミッチャムの息子のジェームズ・ミッチャムを起用しているのだが、映画自体はアメリカ西部劇の劣化コピーのようであまり面白くなかった。

 ドイツ製西部劇がコルブッチに与えた影響はモティーフにも見て取れる。普通マカロニウエスタンにはあまりネイティブアメリカンが出てこないのだが、コルブッチはこの伝統を破っていわゆるインディアンを主人公に据えている。『さすらいのガンマン』(1966)である。しかもご丁寧に主役は本当にチェロキーインディアンの血を引くバート・レイノルズを持ってきている。その後トニーノ・チェルヴィが『野獣暁に死す』(1967)で仲代達也にネイティブ・アメリカン(それともメキシコ人だったか)という設定で登場させたが、こちらは悪役だし、主人公は仲代に復讐する側のガンマンだったから、コルブッチのほうがドイツ製西部劇に忠実だったと言えるだろう。
 ちなみにここの仲代もヴィネトゥ映画のインディアン女性に負けず劣らず無理があった。どうやってもネイティブアメリカンにもメキシコ人にも見えないのである。最初の登場シーンでチェルヴィは仲代にマチェットを振り回させたが、その持ち方がどう見ても日本刀。おかげで以降(少なくとも私には)日本人にしか見えなくなった。さらに映画の最後のほうでも刀を完全にサムライ風に持って立ち回りを演じたのでそのガンマン装束との間に違和感がありすぎた。仲代氏も仕事とはいいながら、黒澤明の時代劇では銃を撃つ一方西部劇では刀を振り回すという、まあ普通とは逆を行かされてご苦労様でしたとねぎらうほかはない。

 当時「ヨーロッパで西部劇を作る」のはすでに珍しいことでもなんでもなかったし、観客側にもそれを一つのジャンルとして受け入れる雰囲気はドイツを中心とした当時の大陸ヨーロッパに広がっていた。いわばお膳立てはすっかり出来上がっていたのだ。機は熟していた。レオーネはそれに点火したのだ。


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 マカロニウエスタンでは「3人のセルジオ」という言い方をすることがある。ベスト作品の多くをセルジオという名前の監督が撮ったからである。その三人とはセルジオ・レオーネ、セルジオ・コルブッチ、セルジオ・ソリーマ。レオーネとコルブッチはジャンルファン以外の普通の映画好きの間でも有名だから今更紹介などする必要もないだろうが、三人目のソリーマは知らない人もいるのではないだろうか。全部で五作西部劇を撮ったレオーネ、13作という数だけは最大数の西部劇を世に出したコルブッチに対し、ソリーマが作ったのは僅かに3作品だが、特に最初の2映画はマカロニウエスタンの傑作として伝説化している。最後の3作目がちょっと弱いかなとは思うが、ソリーマにしては弱いというだけで、その他のマカロニウエスタンの平均水準は完全に越えているから安心していい。『殺しが静かにやって来る』などの大傑作をつくる一方、目を覆うような駄作も生産したムラのあるコルブッチとは対照的である。
 レオーネはクリント・イーストウッド、コルブッチはフランコ・ネロを起用してスターの座に押し上げたが、ソリーマはキューバ生まれで後にアメリカに移住したトマス・ミリアンを使って成功した。ソリーマ自身、「レオーネにはイーストウッド、コルブッチにはネロ、そして私にはミリアンがいる」と言っていたそうだ。ミリアンはラテン系のイケメンであるが、コミカルな役も多い。昔の言葉で言う「二枚目半」というところだろう。
 実はうるさく言えばもう一人、セルジオという名の監督がいる。アンソニー・ステファン主役で西部劇を撮ったセルジオ・ガローネという人だが、この人の作品群ははっきり言ってB級ばかりなので、この人が勘定されることはない。つまり「4人のセルジオ」という言い方はしないのである。
 コルブッチもレオーネも1990年代に亡くなってしまったが、ソリーマは2015年まで存命だった。電子版ではあったが、新聞に死亡記事も載った。私の世代の人ならチャールズ・ブロンソン主演の『狼の挽歌』という映画を知っている人も多いのではないだろうか。これを撮ったのがソリーマである。

 さて、辞書などには出ていないが(当たり前だ)Nicht-Leone-WesternあるいはNon-Leone-Westernという言葉がある。「非レオーネ西部劇」。セルジオ・レオーネを別格扱いし、それ以外の手で製作された西部劇という意味である。言葉どおりに取ればジョン・フォードもハワード・ホークスも非レオーネ西部劇のはずだが、普通マカロニウエスタンのみを指す。人が3人寄れば必ず話題に上るのが「最高の非レオーネ西部劇はどれか?」ということであるが、うちにある本の巻末にも「非レオーネ西部劇ランキング」というアンケートの結果が載っている。もちろんこの手のアンケートはそこら中でいろいろな人がやっている上、これも母集団をしっかり設定しているわけでもなんでもないので単なる茶のみ話以上ではないが、見てみると結構面白い。

1.『復讐のガンマン』 1966、セルジオ・ソリーマ
2.『殺しが静かにやって来る』 1968、セルジオ・コルブッチ
3.『続・荒野の用心棒』 1966、セルジオ・コルブッチ
4.『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』 1967、ジュリオ・ペトローニ
5.『血斗のジャンゴ』 1967、セルジオ・ソリーマ
6.『群盗荒野を裂く』 1966、ダミアノ・ダミアーニ
7.『西部悪人伝』 1969、ジャンフランコ・パロリーニ
8.『さすらいのガンマン』 1966、セルジオ・コルブッチ
9.『情無用のジャンゴ』 1967、ジュリオ・クェスティ
10.『ガンマン大連合』 1970、セルジオ・コルブッチ
11.『怒りの荒野』 1967、トニーノ・ヴァレリ
12.『ケオマ・ザ・リベンジャー』 1976、エンツォ・ジロラーミ
13.『豹/ジャガー』 1968、セルジオ・コルブッチ
14.『続・荒野の一ドル銀貨』 1965、ドゥッチョ・テッサリ
15.『... se incontri Sartana prega per la tua morte』(日本未公開) 1968、
   ジャンフランコ・パロリーニ
16.『続・復讐のガンマン 走れ、男、走れ!』 1968、セルジオ・ソリーマ
17.『傷だらけの用心棒』 1968、ロベール・オッセン
18.『黄金の3悪人』 1967、エンツォ・ジロラーミ
19.『怒りの用心棒』 1969、トニーノ・ヴァレリ
20.『黄金の棺』 1966、セルジオ・コルブッチ

いかにソリーマの作品の評価が高いかわかる。私個人としては『ミスター・ノーボディ』が入っていないのが意外だ。もしかすると「ある意味ではレオーネ作品」と見なされて票が逃げたのかもしれない。
 以前にも書いたが(『22.消された一人』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』の項参照)、『復讐のガンマン』の原題はLa resa dei conti「ツケの清算」、ドイツ語ではDer Gehetzte der Sierra Madre「シエラ・マドレの追われたる者」で、いかにもソリーマらしい気の利いたタイトルであった。私はこの映画にこの邦題をつけた奴を許さない。
 さらに許さないのがソリーマの二作目につけられた『血斗のジャンゴ』である。この映画の原題はfaccia a faccia、ドイツ語でもこれを直訳してVon Angesicht zu Angesicht(Face to face)という意味で、現に英語のタイトルもそうなっている。主役の名もジャンゴなどとは関係ないし、ストーリーも『復讐のガンマン』ですでに明確になっていたソリーマの社会派路線をさらに発展させ、登場人物の人格が映画の中で変わっていき善役と悪役がキャラクター転換するというマカロニウエスタンらしからぬ非常に練ったもの。主役を演じるのもトマス・ミリアンとジャン・マリア・ヴォロンテという大物だ。このタイトルはたぶん「いままで隠れていた自分の本当の姿に向き合う」という含みだと思うのだが、この傑作をどうやったら『血斗のジャンゴ』などと命名できるのが謎である。神経に異常がある人だったか、映画を全くみていないかのどちらかであろう。
 この二つが「ベスト非レオーネ西部劇」の上位にランクされているのも当然だが、実は私は「ベスト非レオーネ」どころか、レオーネの作品よりこっちの方が二つとも好きである。困るのは『復讐のガンマン』と『血斗のジャンゴ』のどちらが好きかと聞かれた場合だ。どちらも甲乙つけがたいからだ。
 ストーリーは『血斗のジャンゴ』の方に軍配があがるだろう。両主役のミリアンとヴォロンテもいいが、なんと言っても私がこの映画で好きなのは第三の主役、ミリアンとヴォロンテの間をウロチョロするウィリアム・ベルガーである。特にラストシーンでのベルガーはメチャクチャかっこよく、私としてはこれを「マカロニウエスタンで最も印象に残るシーン」として推薦したいほどだ。このシーンは砂漠での撮影だったが、そのとき雲が流れていて頻繁に光の具合が激しく変わったため、シーケンスのつながりを案じてソリーマは撮り直しも覚悟したそうだ。幸い出来上がったラッシュを見たらOKだったという。OK以上である。
 ただ、この映画にはマカロニウエスタン特有の「毒」というかエキセントリックさがやや少ない。普通の人の鑑賞にも堪えるまともな映画であることが裏目に出た感じだ。
 『復讐のガンマン』はなんと言ってもマエストロ、エンニオ・モリコーネのテーマ曲が地獄のようにいい。私はこのサントラを聴くたびにその場で死んでもいいような気になるのだ。以前誰かが「モリコーネ節」という言い方をしているのを見たことがあるが、この映画ではまさにそのモリコーネ節全開なのである。女性歌手クリスティ(本名クリスティナ・ブランクッチ、私の知り合いにこの人を「クリスティ姉さん」と呼んで慕っている人がいた)の歌声のイントロで虜にされた直後、賞金稼ぎリー・バン・クリーフが最初の獲物(?)に会うシーンでさっそくまた気高いメロディが響く。ちょっと高級なソリーマ映画にまさにドンピシャな気高さだ。ラスト近くで主役のトマス・ミリアンが追われていくシーンがあるが、そこで流れるエッダ・デロルソのソプラノのスコアの美しさは例のEcstasy of Goldに優るとも劣らない。このソプラノにノックアウトされたすぐ後、ラストの決闘シーンでもゾクゾクするようなモリコーネサウンドが惜しみなく注がれる。それもあってかこの映画の英語のタイトルはこの決闘シーンを売りにしてThe big gundownとなっている。

 この『復讐のガンマン』のサウンドトラックが死ぬほど好きなのは私だけではないらしく、やっぱり上述の本に載っていた「好きなマカトラランキング」ではこれが一位になっている。また、ソリーマ二作目ではなく、三作目の『続・復讐のガンマン』が入ってきている。ここではレオーネ映画のサントラも入っているから、つまり『復讐のガンマン』はベストマカトラということになる。なお、「マカトラ」というのはマカロニウエスタンのサウンドトラックの略である。作曲家の名前を見ればわかるように、マエストロの圧勝だ。

1.『復讐のガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
2.『続・夕陽のガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
3.『大西部無頼列伝』 1970、ブルーノ・ニコライ
4.『夕陽のガンマン』 1965、エンニオ・モリコーネ
5.『ウエスタン』 1968、エンニオ・モリコーネ
6.『さすらいのガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
7.『Buon funerale amigos… para Saltana』(日本未公開) 1970、ブルーノ・ニコライ
8.『続・復讐のガンマン 走れ、男、走れ!』 1968、ブルーノ・ニコライ
9.『続・荒野の用心棒』 1966、ルイス・エンリケス・バカロフ
10.『西部悪人伝』 1969、マルチェロ・ジョンビーニ
11.『殺しが静かにやって来る』 1968、エンニオ・モリコーネ
12.『豹/ジャガー』 1968、エンニオ・モリコーネ
13.『荒野のドラゴン』 1973、ブルーノ・ニコライ
14.『星空の用心棒』 1966、アルマンド・トロヴァヨーリ
15.『un uomo, un cavallo una pistola』(日本未公開)、1967、ステルヴィオ・チプリアニ
16.『怒りの荒野』 1967、リズ・オルトラーニ
17. 『ガンマン大連合』 1970、エンニオ・モリコーネ
18. 『アヴェ・マリアのガンマン』 1969、ロベルト・プレガディオ
19. 『Anda muchacho, spara』(日本未公開) 1971、ブルーノ・ニコライ
20.『続・荒野の一ドル銀貨』 1965、エンニオ・モリコーネ

 もうちょっとバカロフの『続・荒野の用心棒』とオルトラーニの『怒りの荒野』のランクが高くてもいいんじゃないかという感じだが、このランキングがマカトラ、つまり主題曲ばかりではなく、映画に流れる全体の音楽をも考慮しているからかもしれない。メイン・テーマだけ考慮に入れたらこの二つはもっと上がるだろう。もっともそれでも『復讐のガンマン』の位置は下がるまい。『荒野の用心棒』が出てこないのもわからなかったが、私の持っているレコード(を焼き直ししたCD)はタイトルがFor a few dollars more、つまり『夕陽のガンマン』だが、『荒野の用心棒』の曲も全部納められている。だから上の第4位は『荒野の用心棒』も兼ねているのだと思う。
 それにしてもここにリストアップされたタイトル。涼しい顔をしてこういう映画の名をあげる投票者のフリークぶりには脱帽するしかない。

 ソリーマが生前のインタビューでモリコーネについて親愛の情をこめて語っているのを読んだことがある。当時はモリコーネはオスカーの名誉賞さえ貰っていなかったのだが、ソリーマはこのアカデミー選考委員会をけなして「モリコーネにやらなくて誰にやれというのでしょうかね」と言っていた。さらに「まあ、でもモリコーネは作品を作りすぎたんですよ。で、選考委員もどれにやっていいのかわからなくなったんでしょう」。つまり恥かしいのは音楽賞をもらえていないモリコーネのほうではなくて、いまだにモリコーネに賞をあげ損ねているアカデミー会員のほう、というわけだ。その後モリコーネは名誉賞とさらにその後音楽賞をとったが、「今頃やっとマエストロにあげやがって。アカデミー賞選考委員も見苦しい奴らだな」と思ったのは私だけではないはずだ。
 さらにソリーマは続けて「いやしかし、エンニオはあれだけの天才なのに、見かけはまるで郵便局のおじさんってのが愉快ですな」。こういう事を堂々といえるのはソリーマだからこそだろう。

 私の知り合いにはマカロニウエスタンに詳しい人も大分いるが、彼らの詳しさといったらとても私なんかの太刀打ちできるところではない。私が「ソリーマの作品はその質の割には知られていなくて残念ですね」とかうっかり言うと「そんなことはないですよ。まともな人なら少なくとも彼の最初の2作は皆知ってます。『復讐のガンマン』なんてマカロニウエスタンの話になれば必ず口に上ります」と反論され、「『血斗のジャンゴ』ではウィリアム・ベルガーが一番好きなんです」というと「なるほど。まあでも、普通の日本人はベルガーと言うと『西部悪人伝』のバンジョーやった人、といったほうが通るんじゃないかな」とコメントされる。『西部悪人伝』は上記のリストに両方とも登場しているが、リー・ヴァン・クリーフが主役をやった作品である。私はまだ見たことがない。この人たちの「まともな人」「普通の日本人」の定義がちょっと私の考えているのと違う気がするが、とにかく彼らからみたら私など完全に無知な小娘であろう。随分年食った小娘ではあるが。


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 日本は学歴社会だと平気でいう人がいるが、私は次の2点からこれには賛成しかねる。第一に学歴の意味を取り違えている人が結構いるし、第二に日本はむしろ学歴無関係社会だからだ。

 学歴あるいは高学歴云々の話になると真っ先に大学名を持ち出す人がいるのが学歴の意味をわかっていない証拠である。学歴というのは何処の大学を出たかという事ではない、学士・修士・博士の区別のことだ。だから「東大出という高学歴」という言い方は本来成り立たない。東大でも学部しか出ていない人より、俗に言うFラン大学でいいから博士まで持っている人のほうが高学歴。海外で履歴書を書かされればFラン博士のほうがずっとツブシが利く。
 日本にはさらに不思議な現象がある。普通は学士・修士・博士と進むにつれてその資格を持っている人の数がゆるやかに減っていくのが筋であるのに、日本は学士に比べて修士の人数が異常に少ない。学士はやたらといるが修士でガッタリと減るのである。特に人文科学系はそうだ。日本語に「大学院」などという意味不明の言葉があるのが、学士対修士・博士と観念的にきっぱり2分割されているいい証拠だ。こちらは学士も修士も博士も単なる大学出である。
 ドイツは歴史的な事情もあって学士より修士の方が多い。昔は学士など大卒扱いしてもらえず高卒と見なされてエライ迷惑を被った話は以前にも書いたが(『2.印欧語の逆襲』参照)、これは学制が変更された今でもそんな感じで学士で大学を出てしまうと人から「どうして途中で止めちゃったの?」と聞かれたりする。また、修士も多いが博士も多い。博士など大卒の一種だから、博士持ちの大部分の人は「普通の職業」につく。「博士=研究者」というトンチンカンな連想をされることもない。ドイツの大企業の経営陣などほとんど経営学博士だし、政治家もそう。前コール首相は法学博士、現メルケル首相は物理学博士である。大新聞の記者、コラムニストなども多くが博士号を持っている。職業安定所(ハロワと言え)の職員に博士持ちがいたのを見たことがある。仕事を探している博士号所有者の希望などをきちんと理解し、適切な求人情報を見つけてあげるには職員もそれなりの学歴がないと話がかみ合わないからか。以前ユーゴスラビア紛争の際、当地のNATO軍やコソボ平和軍の総指揮をとったドイツ国防軍のラインハルト将軍は歴史学の博士で(まさに文武両道だ)、引退した今も時々TVに出てきて歴史解説などとしている。さらに『荒野の用心棒』でマリソル役をやったドイツ人女優マリアンネ・コッホは医学博士である(彩色兼備とはまさにこれ)。
 もちろん例外もあるが、学士や修士しか持っていないような学歴の人はこちらでは政治家や企業家として達せる地位が非常に限られているといっていい。日本は学歴社会などとは言えない。ヨーロッパの学歴社会は日本より遥かに厳しいと私は思っている。

 しかもその大学卒とやらが、日本では入学者数と卒業者数がほぼ一致するという異常現象。本来大学と言うところはそんなにホイホイ卒業できるところではないはず、最後の一年間など就職活動をしながらの片手間の勉強で出られるようなところではないはずなのである。アメリカも簡単に卒業させてくれないという話を聞いたことがあるが、ドイツも学部によっては40%以上消えるところもある。これは大学をやめるというより学部を変わる人が多いということだが。だから、日本特有の「学歴より実力」という言い回しは成り立たない。大学を出た人は大抵実力ももっているからである。こういう言い方を何の疑問もなくする人がいるという事自体語るに落ちるでいかに日本には名前だけの学士が多いかの証拠ではあるが、それは世界的に見れば例外現象である。
 また、大学○年生という言葉がこちらにはない(「○回生」などというキモイ言葉は論外)。第一に大学在学期間はゼメスター(学期)で勘定するのが普通だし、終了資格取得のプランは学生各自バラバラで一斉にいちねんせい・にねんせいなどと進んでは行かないからである。もっとも自然科学系や医学系などは結構きっちりプログラムが決まっているらしいが、それでも留年という言葉は大学生には使わない。そういう言い方をするのは子供の学校までだ。その上ドイツでは入学とか卒業と言わずにそれぞれ登録、終了認定といい、日本やアメリカのような式の類が全くない。ギムナジウムの終了資格を貰ったら行きたい大学の事務局で「登録手続き」をする、これが入学である。だから一人一人入学の日が違う。
 入学よりさらにバラバラなのが卒業だ。登録のほうは大学の冬学期が始まる前の3ヶ月ほどの間に集中しているが、卒業、つまり終了認定というのは論文が受理され、教授たちのOKが出て事務局から終了証書が出された日だから年中無休、本当に各自バラバラである。つまり卒業というのは「事務局に行って紙切れを貰ってくること」、それだけである。

 日本では学士がいわばレミング状態、もっと露骨に言うとミソもクソも学士なのに対して、修士・博士号になると突然やたらとモッタイをつける。つまり学士号はとてもその資格がないような者にまでホイホイ与える一方、修士・博士は資格を十分に持っていても与えないのである。私は日本のいわゆる大学院という所にはいたことがないのだが、つい最近になって博士号に「論文博士」「過程博士」などという意味不明の区別があると知って驚愕した。そんな区別はこちらにはない、一律「修士号保持者であり、規定の単位を取り、論文が認められれば博士」である。年数制限などあまり厳しくやっても意味がない。論文の内容によってはどうしても時間が必要だったりするからだ。もちろん、あまりにも進み方が遅いと指導教授のほうがシビレを切らせて辞めさせられたりすることもないではないし、そうこうしているうちに指導教授が亡くなってしまい、博士論文が宙に浮いてしまったという冗談のような目に会った知り合いが実際にいるが、それはまた別の話である。
 そもそもいい大学というのは、成績のいい学生だけを集め、そのもともと成績のいい学生にホイホイ卒業スタンプを与えて出させる大学のことではない、多少出来の悪い学生でも入学させれば、優秀な人になって出てくることの出来る大学である。日本など逆に入学した時より馬鹿になって出てくる学生が(私のことだ)後を絶たないではないか。

 もっとも日本だって昔はこういうレミング大学・ミソクソ大学ではなかったらしい。明治時代の小説などを読めば、いや昭和初期に大学を出た人の話でさえ、在学期間も入学年齢も結構バラバラで、就職活動など卒業してからおもむろにし始めるのが普通であったことがわかる。
 つまりこのレミング大学制を推進したのは大学のほうではなくて企業側ということだろうか。戦後すぐの時期に経済復興のベルトコンベア体制に合わせたものであろう。新卒採用と中途採用などというこちらでは説明してもわかってもらえない区別、いやほとんど「差別」があるのもそのせいではないだろうか。この日本語を聞くと私はいつもドイツ語のFrischfleisch(フリッシュフライシュ、「新鮮な肉」)という言葉を思い出す。入ってくるものは新鮮な程いい、加工されていないほうが、つまり下手に能力や自分の考えを持っていないほうがいい、というわけである。それとも江戸時代の外様と親藩の区別をいまだに引きずっているというわけか。

 日本が経済的に羽振りが良かった時期などもう今は昔であるのに相変わらず大学でレミング卒業、企業で外様の差別などやっていて大丈夫なのか?

 さて、日本では特に人文科学系の博士が異常に少ないことは時々日本の知人とも雑談の話題になるのだが、何人かこんな話をしていた(ただし私自身で事実の確認はしていない):日本には博士号すら持っていないのに大学教授をやれてしまっている人が少なからずいる。そういう無博士教授は自分より高い学歴を学生に与えることができない、つまり権限がないのだ、と。この話が本当だとするとこれは低学歴の連鎖である。
 そういえば、私の友人にも大学で教鞭を取っている経験の長さといい研究成果の発表ぶりといい、こちらならとっくの昔に博士号を持っていそうなのに出してくれる資格のある人が見つからず、延々と放浪した人がいる。それでも最近では結構博士号を出すようになってきたとのことだが、その理由が「欧米に出ていってそこで博士取ってくる教授が増えたからね。日本にいたんじゃ埒があかないし」ということだそうだ。つまり言葉の苦労を割り引いてもアメリカで博士を取ってきたほうが早いということか。もちろんこの「早い」というのはアメリカの大学が一旦入学すれば誰でもスコンスコン博士を出す、ということでなく、勉強の制度が整っている、という意味であるが。

 ドイツは日本より厳しい学歴社会、ということはつまりドイツの社会は権威主義、階級社会なのかとも思う。確かにある面ではそういうところもあるが、一方日本よりずっと開かれていると感じられる部分がある。これは英語も同じで中学生の頃mathemacian とかbiologistという単語が「大学の数学あるいは生物学教授」も「数学あるいは生物学専攻の学生」も表すことができると聞いて驚いたのを今でも覚えている。Linguistもそうで、これを「言語学者」などと訳してしまうと研究者や大学教授以外はLinguistを名乗れないような感じになってしまう。これらの言葉は本来「言語学・者」「生物学・者」「数学・者」と形態素分解すべきで、「言語学をやる者」、つまり言語学概論の初日に授業を受けに来た学生もノーム・チョムスキーも一律に言語学・者なのである。もっともチョムスキーはLinguistと呼んだほうがいいかもしれないが、とにかく教授だろ学生だろの社会地位は区別しない。研究者なら本来「言語学学者」と「学」がダブっているはずだと思うが、その「学」が一つ落ちている「言語学者」という日本語を「言語・学者」と誤分析するから話が通じなくなるのだ、アメリカから来た20歳くらいの若い学生がI’m a linguistといったのを「ほう、お若いのに学者さん。頭いいんですね」とか間の抜けた解釈をしてしまいかねない。


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 『荒野の用心棒』のことでちょっとしておきたい話がある。「今更あの映画についてする話があるのか?」とお思いになるかも知れないが、それがあるのだ。

 以前家の者どもに無理矢理この映画を見せていたら、エステバンを見るなり「あーっ、これドイツ人じゃないかよ。いっつも悪役やっちゃあ撃ち殺される有名な俳優だ。それがマカロニウエスタンなんかで何やってんだよ」と叫んだのである。 
 何やってんだよって、だからエステバン役やってんでしょ、とは思ったが、今までにもしつこく繰り返しているようにマカロニウエスタンにはイタリアだけでなくヨーロッパ中の俳優が参加しており、人によっては「ユーロウェスタン」と呼ぶくらいだ。この『荒野の用心棒』もこちらでは「イタリア映画」ではなく「西独・西・伊合作」と把握されている。『荒野の用心棒』だけでなく、マカロニウエスタンの脇役陣を見ていくと、本国ではスター級の俳優をよくみかけるのである。
 例えば『怒りの荒野』でジェンマの馬小屋の友人、かつての名ガンマン、マーフをやったヴァルター・リラというのもドイツ人。この人は賞を貰ったり、俳優の他にも脚本や小説を書いたり、映画制作もしていた教養人だ。本国では名を知られた俳優である。そのジェンマと『暁のガンマン』で共演したマリオ・アドルフもドイツ人。半分イタリア人なので完全にバイリンガルだが、超がつくほどドイツでは有名で、いまだに映画やTV、果てはコマーシャルにさえ顔を出す。もう70過ぎているがダンディでいまだに女性にモテている。アドルフには最初ペキンパーから『ワイルド・バンチ』のマパッチ将軍役のオファーが行ったそうだが、少年の喉を掻き切るシーンがあったため、アドルフは断った。後に後悔したそうだ。なお、この逸話はアメリカの映画データベースIMDBに載っている『61.惑星ソラリス』の時と同じく、この情報をIMBDに提供したのはこの私である。本当にヒマだ。
 しかしなんと言っても「ドイツ人の大物マカロニウエスタンスター」と言えばテレンス・ヒルだろう。ヒルも半分イタリア人だが、ドレスデン生まれで子供時代をそこで過ごし、これも完全にバイリンガル。自分の出た西部劇を自分でイタリア語からドイツ語に吹き替えしていることは『79.カルロ・ペデルソーリのこと』にも書いた。

 話をエステバンに戻すが、あの俳優はジークハルト・ルップSieghardt Ruppというオーストリアの俳優だ。ウィーンで正規の俳優修行をこなした、舞台出身の俳優である。「ドイツ人じゃないじゃないかよ」と言われるかもしれないが、ドイツ人はオーストリア人とドイツ人を区別などしない上、ルップは本当にオーストリアではなくて当時の西ドイツで活躍していたので、まあ「ドイツ人」という把握でいいと思う。

 この人は70年代に西ドイツのTVで人気俳優だった。
 ドイツには1970年から続いているTatort(犯行現場)というTVシリーズがある。刑事ものだ。続き物ではなくて毎回話が独立している。しかし例えば日本の水戸黄門やアメリカの刑事コロンボと違って主人公となるキャラクターが固定しておらず、次々に新しい主役が現れてシリーズが続いていく。一話で消える主人公もあれば、もう25年間、70話以上も断続的に登場しているキャラクターもあるのだ。主役が別のキャラクターに移った後も前主役が「相棒」として登場してくることもあるし、同じキャラクターを別の俳優にやらせてバージョン・アップを図ることもある。

 ルップは1971年に初めて「関税職員クレシーン」というキャラクターで主役を務めたのだが、評判がよく、そのあと7話が彼の主役で作られ、さらに主役が別に移ったあとも3話で「準主役」として登場。そして「クレシーン」が登場人物として消えた後も悪役で何度もこのシリーズで顔を出している。
 ルップの主役は視聴率が大変に良かったそうだ。事実、先日もヘッセン州の公営放送局で彼の「クレシーンもの」を再放送で流していた。つまり40年以上たった後でも見る人がいる、ということだ。うちでも「『犯行現場』のクレシーンって知ってる?」と聞いたら即座に「当たり前だ」という答えが返ってきて、キャラクターの性格・風貌まで詳細に描写してみせた。つまりまだそれだけよく記憶に残っているのである。
 それまでドイツの刑事ものの主人公というと謹厳実直で無愛想なおじさんが、ガチガチと犯人を追い詰めていくというパターンだったのが、このクレシーンは女たらしとまでは行かないまでも、まあ女性にもニョロニョロ愛想がいい新しいタイプだったらしい。「あのエステバンが軟派路線」と聞いて私は一瞬「えー、ウッソー!」と思ってしまったのだが(ごめんなさいね)、考えてみるとなるほどという要素もある。
 サイトなどには、ルップは「声が力強く、顔も濃い顔(markantes Gesicht)をしていたので悪役によく起用された」とある。写真を見ていただくとわかるが、濃い眉をしていて、目がパッチリと大きく、まつげが長く、彫りが深い、つまり濃い顔といっていいだろう。

Tatortでのジークハルト・ルップ
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 またこの人はちょっと不思議な眼の色をしていて、この写真では黒く見えるが、実際は髪の色よりずっと薄い茶色、光線の加減では灰色に見えることもあるくらいだ。碧眼が光の加減で灰色に見える、というか灰色の目が青く見ることはしょっちゅうだが、茶色と灰色の交代というのは面白いと思う。アルバニア語のゲグ方言・トスク方言の n 対 r の音韻交代(『39.専門家に脱帽』参照)と同じくらい面白い。とにかく全体的に見ると「南欧系」の容貌なのである。イタリア人と言っても通りそうだ。『荒野の用心棒』でもジャン・マリア・ヴォロンテの兄弟役をやって全く違和感がなかった。この「南欧風」というのはゲルマン系・スラブ系の女性にモテるキーワードである。それにルップのこの容貌はたしかに特徴的ではあるが決していわゆる悪党面ではない。事実、『荒野の用心棒』で悪役に転ずるまでは地元オーストリアでしっかりモテ役をやっていたそうだし、悪役に転じた後も氏をschöner Bösewicht、「イケメン悪役」と形容していた記事を見た。名前を出して悪いが、リー・バン・クリーフやアルド・サンブレルなんかとはそこが決定的に違う点だ。

『荒野の用心棒』でのルップ。目の色を上の写真と比べてみて欲しい
rupp3

これも『荒野の用心棒』から。舞台出身の正統派俳優だけあってイーストウッドなんか(あら失礼)よりずっと演技力があると思う。
Rupp1

 上記の再放送を30分ほど見てみたのだが(夜中だったので全部見るのはタル過ぎた)オーストリア訛りがはっきりしていて他の登場人物が話すビシバシした標準ドイツ語と比べてずっと響きが柔らかい。これなら軟派役もやり易かろう。
 人気があったのに、その後TVから身を引いてしまった。舞台活動に戻り、1995年以降は公的な活動から完全に退き、2015年に亡くなるまでウィーンでひっそりと暮らしていた。1931年生まれだそうだからモリコーネより若い。周りの話では「自他共に厳しくて気難しい」タイプだったとのことだ。娘さんがいたが亡くなり、30年連れ添った奥さんとも晩年になって離婚し、晩年は一人きりで生活し、接触する者も限られていた。それで亡くなったことも生活の面倒を見ていたソーシャル・ワーカー以外は知らず、一年くらいたってオーストリアの映画アーカイブがルップの85歳の誕生日を祝おうとして連絡を取ったらとっくに亡くなっていることが判明したのである。しかし「ジークハルト・ルップが一年ほど前に亡くなっていた」ことがドイツのTVニュースでも大きく流され、新聞でも一斉に報道され、映画番組がそのため変更になったから、氏は決して忘れられた存在などではなかったことがわかる。隠遁生活は氏自身の意思によるもので、件のソーシャルワーカーも自分が死んでも決して誰にも言わないように、と約束させられていたそうだ。

 ルップは『荒野の用心棒』のほかにも、ジャンニ・ガルコ主演の『砂塵に血を吐け』というマカロニウエスタンに登場しているし、ヴィネトゥ映画(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)にも出てきて撃ち殺されていた。さらにロベール・オッセンとミシェル・メルシエがコンビを組んだ例の「アンジェリク映画」(『48.傷だらけの用心棒と殺しが静かにやって来る』参照)にも顔を出しているそうだ。
 『荒野の用心棒』というとあの棺桶屋のおやじもまたオーストリア人のヨゼフ・エッガーという俳優だ。こちらも本国では名の知れたヴェテラン俳優。きっと撮影の合間に二人でオーストリア訛りのドイツ語で雑談などしていたに違いない。
 と、いうわけで今度『荒野に用心棒』を見る際はエステバンにも注目してやって欲しい。


イーストウッドを助けた棺桶屋のおじいさんをやったヨゼフ・エッガーという俳優もオーストリアのベテラン俳優である。
Egger

オマケとしてもう一つルップの写真
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