アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:色

 「白」と「黒」を印欧諸語ではそれぞれ次のように言う。上が「白」、下が「黒」である。

ラテン語
albus
niger

ドイツ語
weiß
schwarz

英語
white
black

ロシア語
белый
чёрный

古典ギリシア語
φαλός
μελας

サンスクリット
śvetaḥ
kṛṣṇaḥ

フランス語
blanc
noir

ここで例えばドイツ語・英語やロシア語の語源辞典を(うっかり)引くと、同語派の印欧語、英語辞典ならドイツ語はいうに及ばず、オランダ語やノルウェー語、ロシア語辞典ならウクライナ語やセルビア語・クロアチア語の対応語までイヤと言うほど掲げてあって本当に嫌になるので、上の7語に絞った。サンスクリット語は私がデーヴァナーガリーが読めない、という超自分勝手な都合でローマ字にした。

 まずラテン語のalbusだが、イタリック祖語では*alβos、印欧祖語で*h2elbhos *álbhos。古典ギリシャ語のἀλφός(皮膚の色が白くなるハンセン氏病の一種(!))もこれと同源だそうだ。
 なおalbusは「つや消しの白」で、光沢のある白色はラテン語でcandidusという。
 次の英語のwhite、ドイツ語のweiß(古高ドイツ語の(h)wīz、中高ドイツ語のwīz)はゲルマン祖語で*hwītaz、印欧祖語の*kweytos、*kweid-oあるいは *kweit-起源で「輝く」。別の資料には印欧祖語形を*kwintos/*kwindosまたは*kuit-/*kuid-としてあったが、語そのものに変わりはない(と思う)。古期英語のhwit、古ノルド語のhvitr、当然スウェーデン語のvitもここから派生してきたもの。さらに古教会スラブ語のсвĕтъ、ロシア語のсвет(スヴェート、「光、世界」)も親戚だ。「古代インドの言語のśvēáḥも形が近い」と辞書に言及してあったから、形としてはサンスクリットともめでたく繋がってくる。
 ロシア語белый(スラブ祖語で *bělъ)は調べによるとアルメニア語のbal、古代インドの言葉bhālam、古典ギリシャ語のφάλοςと同様印欧祖語の*bhaから派生、とあった。
 ギリシア語φαλόςは印欧祖語の語幹*bhel-から派生したもので、サンスクリットのbhāla(「輝き」)と同語源。面白いことに今はもう古語となっている、「大きなかがり火」とか「のろし」という意味の英語bale(古期英語でbǣl)もこれ起源だという。上のロシア語での語源辞典では祖形を*bhaとしているが、ギリシャ語のφαλόςがその派生例として掲げてあるし、古代インドの言語の例bhālamもここギリシア語の項で挙がっているbhālaとほとんど同形だから、これらは同語源とみなしていいだろう。
 さらにフランス語のblancは俗ラテン語の*blancusからきているそうだが、そのblancusは実は俗ラテン語がゲルマン祖語から借用した語で祖形は*blankaz(「輝いている」)。これは印欧祖語では*bhleg-(「輝く、燃える」)である。
 ラテン語の祖形となった*h2elbhosも接頭辞がついてはいるが語幹に*bhが含まれているし、続ラテン語からフランス語に流れた*bhlegもそうだから、これらを皆いっしょにすると、印欧諸語の「白」には*kweit-あるいは*kwintos系と*bhel-あるいは*bho-系との、二つの流れがあることになる。

 ここまでだけだとあまり面白くないのだが、「黒」を見ていくと俄然スリルが増してくる。

 まずドイツ語のschwarzはゲルマン祖語では*swartaz、印欧祖語形では*swordo-(「くすんだ、黒ずんだ、暗い」)。英語でも文語的なswart(「黒ずんだ」)という言葉にその痕跡が残っている。
 ロシア語のчёрный(スラブ祖語で*čьrnъ)は印欧祖語の*kr̥snós(「黒い」)。サンスクリットのkṛṣṇaḥももちろんここ起源である。
 ギリシア語のμελαςは印欧祖語の*melh2-。サンスクリットのmala(「穢れ」)と同語源である。
 ラテン語のnigerは実は語源がよくわからないそうだ。印欧祖語の*nókwts(「夜」)とのつながりを主張する人もいるという話だ。 
 つまり「黒」のほうが「白」よりもあちこちいろいろなところから持ってきているわけだが、中でも面白いのは英語のblackである。実はこれはゲルマン祖語形が*blakazで、「燃えた」。印欧祖語の*bhel-または*bhleg-から出たそうで、つまりフランス語、ギリシア語、ロシア語、ラテン語などの「白」と出所が同じなのである。英語では「燃えた後の状態」を黒の意味に使っているのだ。スウェーデン語のbläck(「インキ」)も同じ語源だそうだ。

 さて、「白」というと思い出すのが「白ロシア」という名称である。今はもうあまり使わなくなって「ベラルーシ」と呼んでいるようだがドイツではいまでも「白ロシア」という名称が現役である。この「白」という命名は何故なのかについて「住んでいる人が肌の色も白く、金髪が多いからだ」とかいうショーモない説明を見かけたことがあり、さすがの私も笑ってしまった(しかしなんとこれをマに受けている人もいたようで、笑ってばかりもいられない)。これは論外としても定説はないようだ。私がスラブ語学の教授から聞いたのは次のような説明である。

「むかしの中国では東西南北をそれぞれ色でシンボル化していた。東が緑、西が白、南が赤、北が黒、そして中央が黄色。 このシンボル体系が、かつて元・蒙古が2世紀の間ロシアを支配していたときスラブ民族にもたらされた。それでロシアの西にある国を「西ロシア」という意味で「白ロシア」と名づけたのではないだろうか。」

これはたしかにあり得そうだ。
 また、これを聞いて思いついたのだが、「黄河」とか「黄海」というのは別に水が黄色く濁っているからではなくて「中央の川」「中央の海」という意味でつけたのではないだろうか?ただしこちらは私のいい加減な思いつきなので、専門家に教えを請いたいところだ。

 続いて「黒」だが、ロシアの反対側、東の端にある島が「サハリン」という名前。これは「サハリヤン」という言葉からきているが、その「サハリヤン」とは満州語で「黒」という意味である。ロシア語名称「サハリン島」は「サハリヤン川(黒龍江)の河口にある島」の省略形からその名がついたことがほぼ確実、中国語名称「黒龍江」はおそらく満洲語サハリヤン「黒」の翻訳語だろうと、こちらのほうはきちんと専門家の口から聞いたことがある。
 ヨーロッパにも「黒」のつく名前はある。南西ドイツに広がる森はSchwarzwald(シュバルツバルト、「黒い森」)。ウクライナの南の海は「黒海」。これはギリシャ人の命名でエウリピデスの悲劇にもΠόντος Μέλας(ポントス・メラース、「黒い海」)という言葉が見いだされるそうだ。Μέλαςには「陰気な」とか「気味の悪い」という意味もあるそうだから、シンボル云々とは関係なく、本当に黒い、というか暗かったからそう名づけたのだろう。シュバルツバルトも確かに針葉樹がうっそうとしていて暗い。
 だが、「モンテ・ネグロ」(「黒い山」、地元のセルビア語・クロアチア語ではCrna Gora(ツルナ・ゴーラ))はなぜ黒なのか。あそこの山々は石灰岩が多くて黒いよりも白といったほうがいいくらいではないか。多分これは1426から1516年までこの地を支配し、現在のモンテネグロの国の基礎を築いたCrnojević(ツルノヴィッチ)家の名前からきているのだと思う。この一族は『8.ツグミヶ原』の項で述べた中世セルビアの支配者ステファン・ドゥーシャンとも血がつながっていたそうだ。その後この国もセルビアと同じくトルコの支配下に入ったが、当時勢力のあったヴェネチア公国(それとも共和国でしたかここ?)の言葉でセルビア語のツルナ・ゴーラが直訳され、西欧ではそっちの「モンテネグロ」という名称が一般化したということだろう。トミッチという人が 1900年にCrnojevići i Crna Gora od 1479 do 1528(ツルノエヴィッチとツルナ・ゴーラ:1479年から1528年まで」)という論文を出しているそうだから、ひょっとしたら名称の由来にも言及されているかもしれない。4ページくらいの短い文章だからセルビア語のできる人は読んでみてはいかがだろうか。いずれにせよ、ここは実際に色が黒かったり陰気だったりしたから黒と名づけられたのではないと思う。「黒」、つまりSchwarzさんという苗字はドイツにもやたらと多い。


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 ドイツはイギリスあるいはアメリカと違って議会政党の選択肢が二つ以上ある。民主党か共和党のどちらか、労働党か保守党のどちらかという二項対立ではないのだ。もちろん二者選択が基本となっている国だって別に政党は二つまでと決められているわけではない。二大政党以外の党や無党派の比重が前者に比べて極端に低く、事実上二者選択となっているだけだ。
 二大政党そのものはドイツにもある。CDU(とその姉妹党CSU)(それぞれ「ドイツキリスト教民主党」と「ドイツキリスト教社会党」)とSPD(「ドイツ社会民主党」)で、前者が保守、後者が革新である。しかしその他にも強力な政党があり政治を左右する。昔はどちらかの大政党が単独で議席の過半数を取るのが基本だったらしいが、少なくとも私が選挙権を取った頃にはすでに「単独過半数は政党の夢」となっていた。大政党といえども他のどれかの党と連立しなければ過半数は取れないことが普通になっていたのである。
 保守CDUが通常連帯するのがネオリベのFDP(「自由民主党」)、そしてSPDはBundnis90/ DieGrünen(「同盟90・緑の党」)とくっつくのが基本である。その他にDie Linke(「左翼党」)という共産系の党がある。東独から引き継がれてきた党で、投票者も大半は旧東独住民、その意味では「地域限定の党」だ。その他極右や(こういっちゃ何だが)よくわからない泡沫政党が時々急に浮上して議会に参加することがあるが、ドイツの主な政党はCDU/CSU、SPD,FDP,Die Grünenの四つといっていい。
 これらの政党にはシンボルとなる色が決まっている。CDUは黒、SPDは赤、FDPは黄色、Die Grünenは文字通り緑である(もっとも弱小政党もシンボル色を決めてくることが多い。一時議会に顔を見せたが、今はほとんど見かけない「海賊党」は橙色、極右のAfD(「ドイツのもう一つの道」)は青、そしてDie Linkeは「濃い赤」ということでやや紫がかった赤で表される。なぜかピンク色になっていることもある)
 そのため連立政権は色の名を使って呼ばれることが多い。CDUFDP連立の保守政権は黒黄連立政権(schwarz-gelbe Koalition)、SPDDie Grünenだと赤緑連立(rot-grüne Koalition)だ。上でも述べたようにこの二つの組み合わせが基本形というか「基本のコンビ色」である。
 しかし時々二大政党がどちらも票を落とし、いつもの相棒と組んでも過半数に達しないことがある。あるいは相棒のほうが壊滅して大政党が立ち往生してしまったり。そういう時は二大政党が連立を組んだりもする。このCDUSPD連立は黒赤連立と呼ばれないこともないが、大抵は大連合(große Koalition、略して groko)という。
 実はこの大連合は「最後の手段」なのである。もともと政策や政治理念の反対な党が連立するわけだから、足並みがそろわないことが多い。いろいろ調整しなければならないことが出てきて党内部でも意見が分裂したり、妥協妥協の連続で法案が骨抜きになったりする。だから票が取れなかったときは大連合は避けて、いつもの相棒に加えてさらに向こう側の相棒を引っ張り込んで三党連立という手をとることもまれではない。それら「非大政党」、つまりFDPにしろDie Grünenにしろ別にCDUやSPDと組まなければいけないと法律や契約で決まっているわけではないから、政権を取れるとなればいつもの相棒に義理だてなどしない。大政党が選挙で第一党になりながら、連立相手に断られて過半数が取れず、第二党・第三党・第四党が連立を組んで政権をとることさえある。とにかくドイツは選挙のあとの連立作戦が面白く、選挙そのものよりよほどスリルがある。この楽しみのないアングロ・サクソン系の国の選挙はさぞ退屈だろうと思うくらいだ。
 
 その三党連立であるが、こういう事態はいわばイレギュラーなのでインパクトが強いためかその呼び方がまた面白い。単純に色では呼ばないのである。例えばSPDFDPDie Grünenの連立は赤・黄色・緑で信号連立(Ampel-Koalition)。でもこれなんかはまだ平凡な命名だ。
 
 CDUFDPDie Grünenの三党連立は黒・黄・緑で、前は黒信号連立(schwarze Ampel 、シュヴァルツェ・アンペル、略してシュヴァンペルSchwampel)と呼ばれていたが誰かがこれをジャマイカ連立と命名して以来、この名前が主となった。この色の組み合わせをジャマイカの国旗に見立てたのである。
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 先のザクセン・アンハルト州選挙ではCDUSPDDie Grünenが連立を組んだが、これはケニア連立と呼ばれる。
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 またCDUSPDFDPが連立すればドイツ連立だと誰かが言っていたが、実際にこういう連立になっているのを見たことがない。声はすれども姿は見えずといったところか。しかもドイツの国旗の一番下は本当は黄色でなく金色なのだから、この命名は不適切ではないのか。むしろベルギー連立と呼んだほうがいいだろう。
svgsvg

左がドイツ、右がベルギーの国旗だが、ドイツの一番下の色は黄色でなくて実は金色(のはず)である。

 実は上の信号連立にも国旗に例えた名前がある。まさか「呼び名が面白くないから」という理由でもないだろうがセネガル連立またはアフリカ連立という言い方もあるそうだ。私は知らなかった。後者はこの三色を国旗に使っている国がアフリカに多いからだろう。

 私の住んでいるバーデン・ヴュルテンベルク州では前回の選挙でなんと緑の党が第一党になり(私はここに入れた)同時に大政党のSPDのほうが壊滅したため、緑の党CDUと連立を組んだ。三党連立ではないが、緑と黒の二色連立、しかも前者が第一党というのは極めてまれな現象だったのでさらに話題性が強く、通常のように色では呼ばれず、キウイ連立という名称が考え出された。果物のほうのキウイである。全体が緑色の実の中にポチポチと黒いタネがあるからだ。

 SPDFDPの連立というも見たことがないし、今後も起こりそうにないがこれはなんと呼んだらいいのか。マケドニア連立とでも呼びたいところだが、「マケドニア」という国名を使うことをEU仲間のギリシアが頑強に反対しているので旧ユーゴスラビア・マケドニア連立と呼んでやらないとまずそうだ。これでは長すぎるので中国連立あたりにしておいたほうがいいかもしれない。
svgsvg

左がマケドニア、右が中国。SPDとFDPとの連立ならば多分SPDが第一党になるだろうから赤字に黄色が少し、という意味で「中国連立」と命名したほうがいいかもしれない。


 中国・マケドニア連立よりさらにあり得ないのはFDPDie Grünenとの連立である。でもひょっとしたらバーデン・ヴュルテンベルク州でそのうち本当に実現するかもしれない。万が一こういう連立が誕生してしまったら菜の花連立あるいはたんぽぽ連立とでも名付けるしかない。まあ春らしくて明るいイメージの政権ではある。

 なお、上で述べたザクセン・アンハルト州では選挙の直後連立問題が非常にモメ、一時CDUDie Linkeが連立するという噂が立ったことがあった。保守の側ではこれを密かにハラキリ連立と呼んで反対する党員が多かったそうだ。幸い、といっていいのかどうかこのハラキリは成立せず、めでたくケニアになったのであった。

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 外国語をやっていると、時々日本語の感覚では全く別の観念が一つの単語としていっしょになっているので驚くことが多い。例えばpoorという語に「貧しい」と「かわいそうな」という意味があると聞いて「そんな馬鹿な。貧しいとかわいそうじゃ意味が全然違うじゃないか」と戸惑ったのは私だけだろうか。この二つは英語だけでなくドイツ語でもロシア語でも同単語になっている。前者がarm(アルム)、後者はбедный(ベードヌィ)である。だからドストエフスキーの小説の題名は「貧しき人々」とも「哀れな人々」とも訳せるわけだ。
 また、ショーロホフの『静かなドン』の原題はтихий Донだが、ここで「静かな」と訳されているтихий(チーヒィ)は「ゆっくりとした」という意味もあるからこれは「ゆっくりと流れるドン」あるいは「たゆとうドン」とでも訳してもよかったのではないだろうか。もっともドイツ語でも「静かなドン」(Stille Don)と訳してあるが。それにしても「ゆっくり」と「静か」がいっしょになっているロシア語に驚く。
 が、こんなことで驚いていたらロシア語はやっていられない。なんと「夢」と「眠り」が区別されずに一つの単語になっているのだ。Сон(ソーン)という言葉がそれである。実はロシア語ばかりでなくスペイン語でも眠りと夢はいっしょで、sueñoである。ではロシア語やスペイン語で「夢のない眠り」はどう表現したらいいのか気になって仕方がない。
 もっともロシア語のсонが表す「夢」はあくまで寝ているときにみる夢であって「将来の夢」という場合の夢はмечта(メチター)とまったく違う言葉を使う。日本語では両方とも「夢」で表すと聞いたらきっとロシア人は「そんな馬鹿な。Сонとмечтаじゃ意味が全然違うじゃないか」と怒り出すに違いない。スペイン語のsueñoは睡眠中の夢も希望の夢も意味する。この点では日本語をいっしょだ。ドイツ語は睡眠Schlaf(シュラーフ)と夢Traum(トラウム)が別単語な上、後者が寝ている時の夢も希望も表すから日本語といっしょである。

 しかしだからといってドイツ語に気を許してはいけない。上で述べたarmのほかにも落とし穴があるからだ。
 以前なんとかいう長官が「自衛隊は暴力装置」と言ったとか言わなかったとか、その通りだとかそれは間違いだとかが議論になったことがあるが、その議論の中で「マックス・ウェーバーも警察や軍隊を暴力装置と呼んでいる」と引き合いに出している人がかなりいた。しかしウェーバーが「暴力装置」などと言ったはずはないのだ。なぜならばウェーバーは日本語などできなかったからである。というのは揚げ足取りにすぎるが、問題はここで「暴力」と訳されているGewalt(ゲヴァルト)というドイツ語である。このGewaltは「暴力」などよりもずっと意味が広く、「権力」あるいは「権力行使」という観念も表す。というよりむしろそういうやや抽象的な意味のほうがメインで、gesetzgebende Gewalt(「法律をつくるゲヴァルト」)は「立法権」、richterliche Gewalt(「裁判官のゲヴァルト」)は「司法権」、vollziehende Gewalt(執行するゲヴァルト))は「行政権」、Gewaltentrennung (「それぞれのゲヴァルトの分離」)で「三権分立」、さらにelterliche Gewalt(「親のゲヴァルト」)は「親権」で、親が子供に往復ビンタを食らわしたりすることではない。
 さらに日本語の「暴力」には「暴力団」という言葉があることからもわかるように「犯罪」「悪いこと」というニュアンスがある。ここから派生した「暴力的」という形容詞にもはっきりとネガティブな色合いが感じられ、こういう人は「頭や言葉では相手に勝てないと思うとすぐに手が出る未熟な男(女にもいるが)」である。
 Gewaltにはこのニュアンスがない。「権力」「強制権」の意味も無色に表しているが、この言葉にはその他にも「通常の程度を遥かに超えるもの」、「非常に強力なもの」という意味があって、Naturgewaltで「自然の威力」、höhere Gewaltは言葉どおりに訳せば「より高いゲヴァルト」で日本語の「暴力」という観念にしがみ付いていたら理解できないが、これは「不可抗力」という意味である。また「ゲヴァルト=暴力」という図式だとWiderstand gegen die Staatsgewaltは「国家の暴力に対する抵抗」とでも訳さねばならず、まるで圧政に対して立ち上がる革命活動のようだが、これは単なる「公務執行妨害」。ついでにドイツ語ネイティブに「神のゲヴァルト」、göttliche Gewaltという言い方は成り立つかどうか聞いてみたところ間髪をいれずOKが出た。Gewaltから発生した形容詞gewaltig(ゲヴァルティッヒ)は「暴力的」などではなく「すさまじい」。つまりドイツ語のGewaltには日本語の「暴力」のようなケチくさい意味あいはないのである。
 だからマックス・ウェーバーの暴力装置神話もちょっと気をつけないといけない。氏が軍隊を暴力装置と呼んでいる、と言っている人はひょっとしたらPolitik als Beruf(「職業としての政治」)で出てくるHauptinstrument der Staatsgewaltという言葉を「国家暴力の主要な装置」と読み取ったのではないだろうか。これはむしろ「国家権力施行のための主要な道具組織」であろう。またウェーバーは「装置」にあたる意味ではInstrumentよりApparatという言葉のほうを頻繁に使い、その際国家のプロパガンダ機構など、つまり言葉どおりの意味での「暴力」を施行しない組織も念頭においているではないか。さらに私は「軍隊・警察はGewaltの道具組織(そもそもInstrumentまたはApparatをこの文脈で「装置」と訳すのは不適切だと思う)である」とキッパリ定義してある箇所をみつけることができなかった。もちろん、ウェーバーがそう考えていることはそこここで明らかにはなっている。しかし「軍隊・警察は権力の道具となる組織」というのはむしろ単なる言葉の意味の範囲にすぎず、ウェーバーがわざわざ言い出したことではない、というのが原文をザッと見た限りでの私の印象である。念のため再びネイティブに「Instrument der Staatsgewaltってなあに?」と無知を装って(装わなくても無知だが)質問してみたところ、「警察とかそういうものだろ」という答えが帰ってきた。このネイティブはウェーバーなど読んだことがない。「軍や警察は権力施行のために働く機構である」などということは当たり前すぎてわざわざ大仰に定義する必要などないのだ。
 私はドイツ国籍を取ったとき、何か宣誓書のようなものにサインした。そのときいかにも私らしく内容なんてロクに読まずにホイホイサインしてしまったのだが、その項目の一つに「私はドイツのStaatsgewaltを受け入れます」というのがあったこと(だけ)は覚えている。これは決してお巡りさんや兵隊さんに殴られても文句を言うなということではない。国が私に対して強制権を施行してくるのを認めます、という意味だ。「税金なんて払うの嫌です」とかいって払わないでいれば国は権力を施行して私を罪に問う。私が人を殺せば国は私を刑務所に送り込む。国がそういうことをするのを認めよ、という意味である。

 と、いうわけでこのGewaltに関してはドイツ語のほうが意味が広いわけだが、日本語の単語のほうが守備範囲が広いこともある。「青」という語が有名で、「青葉」「青リンゴ」「青信号」という言葉でもわかるように日本語「青」にはやや波長の長い緑色まで含まれる。ドイツ語のblau(ブラウ、「青」)には緑は入らないから木の葉やリンゴ、信号などは緑としかいえない。もちろん、だからといって日本人が青と緑を識別できないわけではない。子供に絵をかかせれば花の茎や木の葉は皆きちんと緑色に塗っている。
 それで思い出したが、ある時物理学者が信号無視で捕まり、警官に「あまりスピードを出しすぎたため信号の光がドップラー効果を起こし、赤が青(つまり「緑」)に見えてしまった」と言い訳したそうだ。何十億光年も先にあるクエーサーが赤方偏移を起こしたという話は聞くが、信号機が青方偏移したなんて聞いたことがない。どんだけ超スピードの乗用車なんだか。そんなんじゃ仮に信号無視は見逃してもらえたとしてもそのかわりスピード違反でやっぱり罰金は免れまい。

『職業としての政治』の全文はこちら



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 先日はドイツの連邦議会選挙だった。私は善良な市民(どこが?)なので今まで棄権したことがない。いかなる選挙のときもきちんと投票する。
 以下の記事は先の州議会選のことを書いたものだが、極右のAfDが台頭してきた以外は基本は同じである。というわけで古い記事のリサイクルで失礼。

元の記事はこちら。

 ドイツはイギリスあるいはアメリカと違って議会政党の選択肢が二つ以上ある。民主党か共和党のどちらか、労働党か保守党のどちらかという二項対立ではないのだ。もちろん二者選択が基本となっている国だって別に政党は二つまでと決められているわけではない。二大政党以外の党や無党派の比重が前者に比べて極端に低く、事実上二者選択となっているだけだ。
 二大政党そのものはドイツにもある。CDU(とその姉妹党CSU)(それぞれ「ドイツキリスト教民主党」と「ドイツキリスト教社会党」)とSPD(「ドイツ社会民主党」)で、前者が保守、後者が革新である。しかしその他にも強力な政党があり政治を左右する。昔はどちらかの大政党が単独で議席の過半数を取るのが基本だったらしいが、少なくとも私が選挙権を取った頃にはすでに「単独過半数は政党の夢」となっていた。大政党といえども他のどれかの党と連立しなければ過半数は取れないことが普通になっていたのである。
 保守CDUが通常連帯するのがネオリベのFDP(「自由民主党」)、そしてSPDはBundnis90/ DieGrünen(「同盟90・緑の党」)とくっつくのが基本である。その他にDie Linke(「左翼党」)という共産系の党がある。東独から引き継がれてきた党で、投票者も大半は旧東独住民、その意味では「地域限定の党」だ。その他極右や(こういっちゃ何だが)よくわからない泡沫政党が時々急に浮上して議会に参加することがあるが、ドイツの主な政党はCDU/CSU、SPD,FDP,Die Grünenの四つといっていい。
 これらの政党にはシンボルとなる色が決まっている。CDUは黒、SPDは赤、FDPは黄色、Die Grünenは文字通り緑である(もっとも弱小政党もシンボル色を決めてくることが多い。一時議会に顔を見せたが、今はほとんど見かけない「海賊党」は橙色、極右のAfD(「ドイツのもう一つの道」)は青、そしてDie Linkeは「濃い赤」ということでやや紫がかった赤で表される。なぜかピンク色になっていることもある)
 そのため連立政権は色の名を使って呼ばれることが多い。CDUFDP連立の保守政権は黒黄連立政権(schwarz-gelbe Koalition)、SPDDie Grünenだと赤緑連立(rot-grüne Koalition)だ。上でも述べたようにこの二つの組み合わせが基本形というか「基本のコンビ色」である。
 しかし時々二大政党がどちらも票を落とし、いつもの相棒と組んでも過半数に達しないことがある。あるいは相棒のほうが壊滅して大政党が立ち往生してしまったり。そういう時は二大政党が連立を組んだりもする。このCDUSPD連立は黒赤連立と呼ばれないこともないが、大抵は大連合(große Koalition、略して groko)という。
 実はこの大連合は「最後の手段」なのである。もともと政策や政治理念の反対な党が連立するわけだから、足並みがそろわないことが多い。いろいろ調整しなければならないことが出てきて党内部でも意見が分裂したり、妥協妥協の連続で法案が骨抜きになったりする。だから票が取れなかったときは大連合は避けて、いつもの相棒に加えてさらに向こう側の相棒を引っ張り込んで三党連立という手をとることもまれではない。それら「非大政党」、つまりFDPにしろDie Grünenにしろ別にCDUやSPDと組まなければいけないと法律や契約で決まっているわけではないから、政権を取れるとなればいつもの相棒に義理だてなどしない。大政党が選挙で第一党になりながら、連立相手に断られて過半数が取れず、第二党・第三党・第四党が連立を組んで政権をとることさえある。とにかくドイツは選挙のあとの連立作戦が面白く、選挙そのものよりよほどスリルがある。この楽しみのないアングロ・サクソン系の国の選挙はさぞ退屈だろうと思うくらいだ。
 
 その三党連立であるが、こういう事態はいわばイレギュラーなのでインパクトが強いためかその呼び方がまた面白い。単純に色では呼ばないのである。例えばSPDFDPDie Grünenの連立は赤・黄色・緑で信号連立(Ampel-Koalition)。でもこれなんかはまだ平凡な命名だ。
 
 CDUFDPDie Grünenの三党連立は黒・黄・緑で、前は黒信号連立(schwarze Ampel 、シュヴァルツェ・アンペル、略してシュヴァンペルSchwampel)と呼ばれていたが誰かがこれをジャマイカ連立と命名して以来、この名前が主となった。この色の組み合わせをジャマイカの国旗に見立てたのである。
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 先のザクセン・アンハルト州選挙ではCDUSPDDie Grünenが連立を組んだが、これはケニア連立と呼ばれる。
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 またCDUSPDFDPが連立すればドイツ連立だと誰かが言っていたが、実際にこういう連立になっているのを見たことがない。声はすれども姿は見えずといったところか。しかもドイツの国旗の一番下は本当は黄色でなく金色なのだから、この命名は不適切ではないのか。むしろベルギー連立と呼んだほうがいいだろう。
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左がドイツ、右がベルギーの国旗だが、ドイツの一番下の色は黄色でなくて実は金色(のはず)である。

 実は上の信号連立にも国旗に例えた名前がある。まさか「呼び名が面白くないから」という理由でもないだろうがセネガル連立またはアフリカ連立という言い方もあるそうだ。私は知らなかった。後者はこの三色を国旗に使っている国がアフリカに多いからだろう。

 私の住んでいるバーデン・ヴュルテンベルク州では前回の選挙でなんと緑の党が第一党になり(私はここに入れた)同時に大政党のSPDのほうが壊滅したため、緑の党CDUと連立を組んだ。三党連立ではないが、緑と黒の二色連立、しかも前者が第一党というのは極めてまれな現象だったのでさらに話題性が強く、通常のように色では呼ばれず、キウイ連立という名称が考え出された。果物のほうのキウイである。全体が緑色の実の中にポチポチと黒いタネがあるからだ。

SPDFDPの連立というも見たことがないし、今後も起こりそうにないがこれはなんと呼んだらいいのか。マケドニア連立とでも呼びたいところだが、「マケドニア」という国名を使うことをEU仲間のギリシアが頑強に反対しているので旧ユーゴスラビア・マケドニア連立と呼んでやらないとまずそうだ。これでは長すぎるので中国連立あたりにしておいたほうがいいかもしれない。
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左がマケドニア、右が中国。SPDとFDPとの連立ならば多分SPDが第一党になるだろうから赤字に黄色が少し、という意味で「中国連立」と命名したほうがいいかもしれない。


 中国・マケドニア連立よりさらにあり得ないのはFDPDie Grünenとの連立である。でもひょっとしたらバーデン・ヴュルテンベルク州でそのうち本当に実現するかもしれない。万が一こういう連立が誕生してしまったら菜の花連立あるいはたんぽぽ連立とでも名付けるしかない。まあ春らしくて明るいイメージの政権ではある。

なお、上で述べたザクセン・アンハルト州では選挙の直後連立問題が非常にモメ、一時CDUDie Linkeが連立するという噂が立ったことがあった。保守の側ではこれを密かにハラキリ連立と呼んで反対する党員が多かったそうだ。幸い、といっていいのかどうかこのハラキリは成立せず、めでたくケニアになったのであった。

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