私はウルグアイ人の有名人は3人しか知らない。一人はサッカー選手の噛みつきスアレス(『124.驕る平家は久しからず』参照)である。もう一人は最も貧しい大統領、ムヒカ氏、そして3人目が俳優のジョージ・ヒルトンだ。前の二人はともかく3人目のジョージ・ヒルトンは一部のファンしか知らないのではないかと思っていたが、亡くなったとき全国紙の『南ドイツ新聞』にまで(小さいとはいえ)記事が出たので驚いた。他にネットなどでも報道していたからこちらでは相当有名だったようだ。ピーター・フォークの訃報は南ドイツ新聞には全く出なかったのだから。
そのヒルトンだが、マカロニウエスタンのスターである。本名をホルヘ・ヒル・アコスタ・イ・ララJorge Hill Acosta y Laraという。俳優ではないが『続・荒野の用心棒』の主題曲を手がけた作曲家のルイス・エンリケス・バカロフは南米アルゼンチンの出身。 ヒルトンもまたヨーロッパに来る前にウルグアイからアルゼンチンに渡ってそこで俳優活動をしていた。60年代にアルゼンチンからイタリアに渡った映画人は他にも結構いたそうだが、なぜミリアンのようにアメリカに行かなかったのか。ヒルトンは2002年にさるインタビュー記事でそれを聞かれてあっさり「英語がよくできなかったからだ」と答えている。イタリア語ならスペイン語の母語者には簡単にマスターできるだろう。
ヒルトンはモロにラテン系の容貌のイケメンである(『104.ガリバルディとコルト36』参照)。マカロニウエスタンに起用された時は最初からすでに(準)主役で(下記参照)、その後も順調に主役街道を歩んでいる。今勘定してみたが、1977年までに21本のマカロニウエスタンに出演し、その後(というより途中から)やっぱりジャッロに流れて晩年はTVで活動していた。上のインタビュー記事では最近仕事が全然ないとかボヤていたそうだが、知名度は落ちていなかったようだ。ドイツの新聞にまで訃報が載ったくらいだから本国イタリアではさらに人気があったのだろう。実際イタリアではインタビュー「記事」ではなくTVのインタビュー番組に出ているのを見かけた。全部イタリア語だったので残念ながら内容は理解できなかったが。
大抵の人にとってヒルトンは「マカロニウエスタンのスター」だが、本人は馬に乗ったり撃ち合いをしたりは好きではなく、そもそも西部劇というジャンルが嫌いでそういう映画は見ないと記事で言っていた。自分は本来舞台俳優、それも喜劇役者だと。でもまさにその西部劇でいい演技してたじゃないですかとインタビュアーに突っ込まれて、そりゃ俳優ですもん、ギャラを貰えば役を演じるのが商売だと返していた。私もこのインタビュアーと同意見で、顔と言いスタイルと言い、この人は絶対西部劇向きであると思う。
ヒルトンの出演したマカロニウエスタンを全部見ていってもキリがないから私の記憶に残っているものだけちょっとあげてみよう。まず一作目の『真昼の用心棒』である。『155.不幸の黄色いサンダル』でも述べたが、ジャッロで有名なルチオ・フルチが監督し、主演は『続・荒野の用心棒』ですでにスターとなっていたフランコ・ネロ、サイコパスな悪役を務めるのが『シェルブールの雨傘』のニノ・カステルヌオーヴォである。クラウス・キンスキーなどと違ってカステルヌオーヴォは容姿がまともすぎてそのままでは異常者に見えないためか、常に顔をゆがめ口を半開きにして変な笑いを浮かべ首を横っちょに傾けて異常ぶりを強調している。ちょっとわざとらしすぎる気がした。キンスキーのように普通にしていてもサイコパスに見えるならそれもいいが、そうでない場合は素直に「一見普通に見えるが実はサイコパス」という怖さを狙った方がいいのではないだろうか。もっともマカロニウエスタンだから分かりやすさを第一にしたのかもしれないが。
ストーリ―は一言でいうとカインとアベルの如く、パパに十分愛されなかったサイコなカステルヌオーヴォが暴走して町を恐怖に陥れ、まともな息子のほうのフランコ・ネロに殺される話である。ヒルトンはネロの異母兄弟で、最初自暴自棄になって酒におぼれていたのが結局兄に協力するという、非常に分かりやすい話だ。冒頭に出てくるカステルヌオーヴォのニヤケ顔を見ればもうある程度ストーリー展開が予想できる。さらにこれも以前に述べたが、フランコ・ネロが主人公を演じてしまったため本来はトムという名前だったのがドイツではジャンゴとなり、タイトルは Django – Sein Gesangbuch war der Colt(「ジャンゴ-その歌の本はコルトだった」)だ。勘弁してほしい。
それまでは気にも留めなかったが改めて映画を見直してみるとヒルトンはその酔っ払いぶりなど確かにコメディアンなような気もしてきた。また中盤に馬の横っ腹にずり落ちてその姿勢を保ったまま「ヘーイ、ジェントルメン!」と敵をおちょくりながら撃ちまくるシーンがある。これもそれまでは単純にカッコいいと思って見ていただけだが「馬に乗ったりするのは好きじゃない」というヒルトンの言葉を鑑みると、このシーンは本人がやったのかスタントマンがやったのか気になりだした。肝心の馬の横乗り場面は遠景で顔が見えないからだ。ここだけスタントマンなのか。それとも本当に「乗馬が嫌い」なヒルトンがこんなことをやらされたのか。そういえばヒルトンは上の記事でも監督のルチオ・フルチについてあまりいい発言をしていなかった。エンツォ・カステラーリなどに比べるとフルチは神経質で意地が悪かったそうだ。
そのいい人だったというカステラーリの作品が『黄金の3悪人』Vado... l'ammazzo e torno(1967年)である。ヒルトンの役の名は「ストレンジャー」(全然「名前」じゃないじゃん)である。これもドイツ語版ではやめてほしいことにジャンゴになっている(ドイツ語タイトルは Leg ihn um, Django「殺っちまえジャンゴ」)が、フランチェスコ・デ・マージが作曲してラウールが歌うテーマ曲の歌詞が Stranger, stranger, what is your name? とかあるのをどうしてくれるんだ。そこで my name is Djangoと答えろとでもいうのか。シマラナイ話だ。それでもとにかくこの映画がヒットしてヒルトンは名をあげその後の主役街道の発端となった。盗まれた大金をめぐって賞金稼ぎ(ヒルトン)と最初彼に狙われていたお尋ね者(ギルバート・ローランド。本名 Luis Antonio Dámaso de Alonsoというメキシコ出身の米国俳優。下記参照)と盗まれ元の銀行の行員(エド・バーンズ。当時は割とアメリカで人気があったようだが、その後転落した)が三つ巴の競争を展開するという、ステレオタイプなマカロニウエスタンのストーリーである。さらにこの映画は既に冒頭のシーンで誰が見てもレオーネの3部作のイーストウッドとリー・ヴァン・クリーフが演じたキャラクターとさらに『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロの服装まで持ち出してパクった三人の男が登場するなど、作品全体がパクリの嵐である。また私は知らなかったというか気が付かなかったがVado... l'ammazzo e torno というタイトルも『続・夕陽のガンマン』でイーライ・ウォラックがイーストウッドに言った「行って殺して帰って来るわ」というセリフを引用したものだそうだ。パクリにしても芸が細かすぎる。ヒルトンが演じたクールな賞金稼ぎというキャラもマカロニウエスタンの定番でイーストウッドやフランコ・ネロとは雰囲気が違うからまだいいようなものの新鮮味はあまりない。一方でこれが撮られた1967年の頃はまだジャンルが衰退期には入っていなかったから面白いは面白い。ストーリーもどんでん返しの連続で退屈はしない。ラストがまた『続・夕陽のガンマン』のもじりでちょっとフザケすぎなんじゃないかとも思うが(ラスト自体はつまらないオチである)、ヒットしたのも納得できる出来ではある。マカロニウエスタンの平均水準は越えているだろう。
さすがにこのパクリはやりすぎなのではないだろうか。『黄金の三悪人』の冒頭
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この『黄金の三悪人』の後、ヒルトン主演で大量のマカロニウエスタンが制作された。最も頻繁に組んだのがカルニメオという監督でこの人がヒルトンで撮った西部劇が6本あり、特に1970年から1973年の間に集中している。これらカルニメオ他の作品も何本か見ているがあまり印象に残っていない。「ジャンゴ」の他にサルタナという名の主人公役の映画もあり、面白くなかったのが記憶に残っている。
その「あまり印象に残っていない」の「あまり」、つまり印象に残っている側の映画が上の2本の他にさらに2本ある。その一つが『真昼の用心棒』の一年あと、『黄金の3悪人』と前後して撮った作品Ognuno per séだ。ジョルジョ・カピターニGiorgio Capitaniという監督がアメリカからヴァン・ヘフリンを呼び、『黄金の3悪人』にも出ていたギルバート・ローランドを起用し、ヒルトンの他にクラウス・キンスキーを出演させた映画で、ドイツ語のタイトルをDas Gold von Sam Cooper(「サム・クーパーの黄金」)というがこれがまさにストーリーである。
ヘフリンの演じる主役サム・クーパーはほとんど人生を賭けて金を探していたがある日本当に大金鉱を掘り当てる。しかしその採掘場から金を町に運ぶまでが砂漠を通り強盗が跋扈する非常に危険な道のりで、一人で運搬するのは無理だ。誰か信頼のおける相棒の助けがいる(実際最初一緒に金を探していた相棒は金が見つかったとたん独り占めしようとしてヘフリンを殺しにかかった)。そこで昔子供の頃自分が面倒を見ていた若者をメキシコから呼び寄せる。この若者がジョージ・ヒルトンだが、これがしばらく会わないうちに意志の弱い、小ずるくて信用できない人物になり下がっていた。しかもヒルトンにはその友人とかいう怪しげな人物がくっ付いてくる。これがキンスキーで、この二人がホモセクシャルな関係にあることは明確だ。この二人のヤバさに気付いたヘフリンは町にいた昔の友人に話を持ちかけて安全措置をとる。この昔の友人がローランドだが、昔ヘフリンに裏切られたことがあるので半信半疑だ。だからこちら側もヘフリンに対して安全措置を取り、殺し屋をやとって自分たちの一行の後を追わせる。つまり誰も彼も自分の事しか考えず、好き勝手なことをやっているのである。だからイタリア語のタイトルが Ognuno per sé(everyone for himself)というのだ。
一行は(合わせて4人だから英語のタイトルが The Ruthless Four)は長い旅の後金鉱に着き金を堀りだす。その間キンスキーとヒルトンで独り占め計画を練り、まずローランドを殺し2対1とこちらの有利にしておいてからヘフリンを始末しようということになる。何回か試みて失敗した後、キンスキーがついにローランドを撃ち殺そうとして反対に殺される。そこでキンスキーを庇おうとしてローランドに銃を向けたヒルトンはヘフリンに殺される。
ヘフリンとローランドは昔のわだかまりも溶け帰途につくが、最初ローランドが雇っておいた殺し屋が相変わらずヘフリンの命を狙ってくる。「もういいから帰れ」と言われて引き下がる殺し屋ではないから今度はローランドはヘフリンと共にその殺し屋たちと対峙しなければならない。その銃撃戦でヘフリンは脚に負傷し、ローランドは胸に弾丸を受けて死ぬ。
ヘフリンは一人で金を抱えて町に戻る。金持ちにはなった。が、友人も人への信頼も失い、孤独であった。
ジョージ・ヒルトンとクラウス・キンスキー。キンスキーはカステルヌオーヴォと違ってわざわざサイコを演じる必要がない。そのままでも十分異常に見える。
ラスト近くのヴァン・ヘフリンとギルバート・ローランド
私はこれが自分の見たヒルトンのマカロニウエスタンではベストだと思う。『シェーン』にも出ていた名優ヘフリンが見事に映画全体を引っ張り、ローランドのおじさんぶりもまたいい味だ。音楽はカルロ・ルスティケリで、これもよかった。カピターニはこれ一本しかマカロニウエスタンをとっていないが、ジャンルの平均水準を明らかに上回る出来である。ブーム後もTVなどで堅実に仕事を続け、2017年に亡くなっている。1927年生まれだから長生きだ。「堅実な作り」、これがこの作品のキーワードだろう。変に奇をてらったり内輪受けの悪ふざけがない。もしかするとそのカルト性のなさのせいかもしれないが、日本では劇場公開されなかった。受けないと思われたのだろうか。
もう一つのお薦めヒルトン映画が Los deseperados(「絶望した者たち」、ドイツ語タイトル Um sie war der Hauch des Todes「その周りには死の息吹が漂っていた」)だが、これも日本未公開だ。1969年にスタッフもキャストもほぼ全員スペイン人で制作された作品で、監督は Julio Buchs(フリオ・ブ…最後の子音は何と読むんだ?)。この監督もマカロニウエスタンはこれ一作である。残念ながら1973年に46歳の若さで亡くなった。Buchs が脚本家出身で、自分の監督した映画では脚本も自分で書いていたそうだ。
Los deseperadosでのヒルトンにはカステラーリやカルニメオなどの作品のようなチャラさが全くない。陰鬱な作品だ。南北戦争で南軍兵士のウォーカー(ヒルトン)は故郷に残してきた妊娠中の恋人が死にそうだとの連絡を受けて、休暇を願い出るが許可されず、軍を脱走する。ヒルトンは何度もその父(何とアーネスト・ボーグナイン)に結婚を願い出ていたのだが、父はヒルトンを徹底的に嫌っていて許しが出なかった。故郷に帰るとその町にはコレラが発生してロックダウンされている。娘が死の床についていると聞いて一目会わせてくれというヒルトンの懇願を聞かず、父はたった今生まれたばかりの子供をヒルトンに投げつけて(?)、もう二度と来るなと家から追い出す。乳飲み子のためにミルクをくれと周りの村々で懇願して回るがコレラの発生した町から来たということで誰も助けてくれない。子供はとうとう死んでしまう。
ここからがヒルトンの悲劇的な復讐劇の開始だ。なぜ悲劇なのかと言うと主人公が憎しみのために人格的にも破滅していくからだ。最初まだ息のある敵兵を墓に投げ込んで生き埋めにしろという上官の命令を拒否するほど気骨のあったヒルトンが最後には単なる人殺しに転落する。脱走した時の仲間やそこら辺のごろつきと共に強盗団を組織して、まず子供を見殺しにした村の住人を皆殺しにするのだ。ボーグナインにも迫るが米国で当局に追われてメキシコに逃げる。有力者であるボーグナインは米国の当局を通してメキシコ側の軍隊にも要請し、ヒルトン一味を始末してくれるように取り計らう。自分もメキシコに赴くがそこでヒルトンの一味に殺される。だがその後通報を聞いてやって来たメキシコ軍の集中砲撃をうけ、ヒルトン一味も全員無残な死を遂げる。
Los deseperados のジョージ・ヒルトン。とにかくチャラさが全然ない。
上官からまだ息のある捕虜を生き埋めにしろと言われて命令拒否。
娘に合わせてくれと必死の懇願。ボーグナインとヒルトン
それが強盗団のボスに転落する。
ラスト。メキシコ軍の集中砲火を受ける直前。
最初高潔であった者が運命の残酷さに押しつぶされて破滅するという、まるでギリシャ悲劇にでも出て来そうなまさにタイトル通りのストーリーだ。病気の感染を恐れて人を見殺しにするのは南北戦争時というよりヨーロッパのペスト流行時を想起させ、他のマカロニウエスタンとは明らかに毛色が違う。ジョージ・ヒルトンはこういうシリアスな役もこなすのである。そのヒルトンに浅いステレオタイプのジャンゴばかり演じさせるのは人材の無駄遣いではないのか。この作品と上のOgnuno per sé を見ていると特にそう思う。
実はヒルトン自身もこの映画が好きだそうだ。こういう役の方が本来自分向きだと言っている。監督の Buchs とはいっしょに仕事するのが楽しかった。また映画の役の上では徹底的に憎みあっていたがボーグナインも、仕事仲間としては気持ちよく共同作業ができる人だったらしい。
そのヒルトンだが、マカロニウエスタンのスターである。本名をホルヘ・ヒル・アコスタ・イ・ララJorge Hill Acosta y Laraという。俳優ではないが『続・荒野の用心棒』の主題曲を手がけた作曲家のルイス・エンリケス・バカロフは南米アルゼンチンの出身。 ヒルトンもまたヨーロッパに来る前にウルグアイからアルゼンチンに渡ってそこで俳優活動をしていた。60年代にアルゼンチンからイタリアに渡った映画人は他にも結構いたそうだが、なぜミリアンのようにアメリカに行かなかったのか。ヒルトンは2002年にさるインタビュー記事でそれを聞かれてあっさり「英語がよくできなかったからだ」と答えている。イタリア語ならスペイン語の母語者には簡単にマスターできるだろう。
ヒルトンはモロにラテン系の容貌のイケメンである(『104.ガリバルディとコルト36』参照)。マカロニウエスタンに起用された時は最初からすでに(準)主役で(下記参照)、その後も順調に主役街道を歩んでいる。今勘定してみたが、1977年までに21本のマカロニウエスタンに出演し、その後(というより途中から)やっぱりジャッロに流れて晩年はTVで活動していた。上のインタビュー記事では最近仕事が全然ないとかボヤていたそうだが、知名度は落ちていなかったようだ。ドイツの新聞にまで訃報が載ったくらいだから本国イタリアではさらに人気があったのだろう。実際イタリアではインタビュー「記事」ではなくTVのインタビュー番組に出ているのを見かけた。全部イタリア語だったので残念ながら内容は理解できなかったが。
大抵の人にとってヒルトンは「マカロニウエスタンのスター」だが、本人は馬に乗ったり撃ち合いをしたりは好きではなく、そもそも西部劇というジャンルが嫌いでそういう映画は見ないと記事で言っていた。自分は本来舞台俳優、それも喜劇役者だと。でもまさにその西部劇でいい演技してたじゃないですかとインタビュアーに突っ込まれて、そりゃ俳優ですもん、ギャラを貰えば役を演じるのが商売だと返していた。私もこのインタビュアーと同意見で、顔と言いスタイルと言い、この人は絶対西部劇向きであると思う。
ヒルトンの出演したマカロニウエスタンを全部見ていってもキリがないから私の記憶に残っているものだけちょっとあげてみよう。まず一作目の『真昼の用心棒』である。『155.不幸の黄色いサンダル』でも述べたが、ジャッロで有名なルチオ・フルチが監督し、主演は『続・荒野の用心棒』ですでにスターとなっていたフランコ・ネロ、サイコパスな悪役を務めるのが『シェルブールの雨傘』のニノ・カステルヌオーヴォである。クラウス・キンスキーなどと違ってカステルヌオーヴォは容姿がまともすぎてそのままでは異常者に見えないためか、常に顔をゆがめ口を半開きにして変な笑いを浮かべ首を横っちょに傾けて異常ぶりを強調している。ちょっとわざとらしすぎる気がした。キンスキーのように普通にしていてもサイコパスに見えるならそれもいいが、そうでない場合は素直に「一見普通に見えるが実はサイコパス」という怖さを狙った方がいいのではないだろうか。もっともマカロニウエスタンだから分かりやすさを第一にしたのかもしれないが。
ストーリ―は一言でいうとカインとアベルの如く、パパに十分愛されなかったサイコなカステルヌオーヴォが暴走して町を恐怖に陥れ、まともな息子のほうのフランコ・ネロに殺される話である。ヒルトンはネロの異母兄弟で、最初自暴自棄になって酒におぼれていたのが結局兄に協力するという、非常に分かりやすい話だ。冒頭に出てくるカステルヌオーヴォのニヤケ顔を見ればもうある程度ストーリー展開が予想できる。さらにこれも以前に述べたが、フランコ・ネロが主人公を演じてしまったため本来はトムという名前だったのがドイツではジャンゴとなり、タイトルは Django – Sein Gesangbuch war der Colt(「ジャンゴ-その歌の本はコルトだった」)だ。勘弁してほしい。
それまでは気にも留めなかったが改めて映画を見直してみるとヒルトンはその酔っ払いぶりなど確かにコメディアンなような気もしてきた。また中盤に馬の横っ腹にずり落ちてその姿勢を保ったまま「ヘーイ、ジェントルメン!」と敵をおちょくりながら撃ちまくるシーンがある。これもそれまでは単純にカッコいいと思って見ていただけだが「馬に乗ったりするのは好きじゃない」というヒルトンの言葉を鑑みると、このシーンは本人がやったのかスタントマンがやったのか気になりだした。肝心の馬の横乗り場面は遠景で顔が見えないからだ。ここだけスタントマンなのか。それとも本当に「乗馬が嫌い」なヒルトンがこんなことをやらされたのか。そういえばヒルトンは上の記事でも監督のルチオ・フルチについてあまりいい発言をしていなかった。エンツォ・カステラーリなどに比べるとフルチは神経質で意地が悪かったそうだ。
『真昼の用心棒』のジョージ・ヒルトン
ヘーイ、ジェントルメン! これはジョージ・ヒルトン本人かスタントマンか。そのいい人だったというカステラーリの作品が『黄金の3悪人』Vado... l'ammazzo e torno(1967年)である。ヒルトンの役の名は「ストレンジャー」(全然「名前」じゃないじゃん)である。これもドイツ語版ではやめてほしいことにジャンゴになっている(ドイツ語タイトルは Leg ihn um, Django「殺っちまえジャンゴ」)が、フランチェスコ・デ・マージが作曲してラウールが歌うテーマ曲の歌詞が Stranger, stranger, what is your name? とかあるのをどうしてくれるんだ。そこで my name is Djangoと答えろとでもいうのか。シマラナイ話だ。それでもとにかくこの映画がヒットしてヒルトンは名をあげその後の主役街道の発端となった。盗まれた大金をめぐって賞金稼ぎ(ヒルトン)と最初彼に狙われていたお尋ね者(ギルバート・ローランド。本名 Luis Antonio Dámaso de Alonsoというメキシコ出身の米国俳優。下記参照)と盗まれ元の銀行の行員(エド・バーンズ。当時は割とアメリカで人気があったようだが、その後転落した)が三つ巴の競争を展開するという、ステレオタイプなマカロニウエスタンのストーリーである。さらにこの映画は既に冒頭のシーンで誰が見てもレオーネの3部作のイーストウッドとリー・ヴァン・クリーフが演じたキャラクターとさらに『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロの服装まで持ち出してパクった三人の男が登場するなど、作品全体がパクリの嵐である。また私は知らなかったというか気が付かなかったがVado... l'ammazzo e torno というタイトルも『続・夕陽のガンマン』でイーライ・ウォラックがイーストウッドに言った「行って殺して帰って来るわ」というセリフを引用したものだそうだ。パクリにしても芸が細かすぎる。ヒルトンが演じたクールな賞金稼ぎというキャラもマカロニウエスタンの定番でイーストウッドやフランコ・ネロとは雰囲気が違うからまだいいようなものの新鮮味はあまりない。一方でこれが撮られた1967年の頃はまだジャンルが衰退期には入っていなかったから面白いは面白い。ストーリーもどんでん返しの連続で退屈はしない。ラストがまた『続・夕陽のガンマン』のもじりでちょっとフザケすぎなんじゃないかとも思うが(ラスト自体はつまらないオチである)、ヒットしたのも納得できる出来ではある。マカロニウエスタンの平均水準は越えているだろう。
さすがにこのパクリはやりすぎなのではないだろうか。『黄金の三悪人』の冒頭
Pubblico dominio, https://it.wikipedia.org/w/index.php?curid=1240716
この『黄金の三悪人』の後、ヒルトン主演で大量のマカロニウエスタンが制作された。最も頻繁に組んだのがカルニメオという監督でこの人がヒルトンで撮った西部劇が6本あり、特に1970年から1973年の間に集中している。これらカルニメオ他の作品も何本か見ているがあまり印象に残っていない。「ジャンゴ」の他にサルタナという名の主人公役の映画もあり、面白くなかったのが記憶に残っている。
その「あまり印象に残っていない」の「あまり」、つまり印象に残っている側の映画が上の2本の他にさらに2本ある。その一つが『真昼の用心棒』の一年あと、『黄金の3悪人』と前後して撮った作品Ognuno per séだ。ジョルジョ・カピターニGiorgio Capitaniという監督がアメリカからヴァン・ヘフリンを呼び、『黄金の3悪人』にも出ていたギルバート・ローランドを起用し、ヒルトンの他にクラウス・キンスキーを出演させた映画で、ドイツ語のタイトルをDas Gold von Sam Cooper(「サム・クーパーの黄金」)というがこれがまさにストーリーである。
ヘフリンの演じる主役サム・クーパーはほとんど人生を賭けて金を探していたがある日本当に大金鉱を掘り当てる。しかしその採掘場から金を町に運ぶまでが砂漠を通り強盗が跋扈する非常に危険な道のりで、一人で運搬するのは無理だ。誰か信頼のおける相棒の助けがいる(実際最初一緒に金を探していた相棒は金が見つかったとたん独り占めしようとしてヘフリンを殺しにかかった)。そこで昔子供の頃自分が面倒を見ていた若者をメキシコから呼び寄せる。この若者がジョージ・ヒルトンだが、これがしばらく会わないうちに意志の弱い、小ずるくて信用できない人物になり下がっていた。しかもヒルトンにはその友人とかいう怪しげな人物がくっ付いてくる。これがキンスキーで、この二人がホモセクシャルな関係にあることは明確だ。この二人のヤバさに気付いたヘフリンは町にいた昔の友人に話を持ちかけて安全措置をとる。この昔の友人がローランドだが、昔ヘフリンに裏切られたことがあるので半信半疑だ。だからこちら側もヘフリンに対して安全措置を取り、殺し屋をやとって自分たちの一行の後を追わせる。つまり誰も彼も自分の事しか考えず、好き勝手なことをやっているのである。だからイタリア語のタイトルが Ognuno per sé(everyone for himself)というのだ。
一行は(合わせて4人だから英語のタイトルが The Ruthless Four)は長い旅の後金鉱に着き金を堀りだす。その間キンスキーとヒルトンで独り占め計画を練り、まずローランドを殺し2対1とこちらの有利にしておいてからヘフリンを始末しようということになる。何回か試みて失敗した後、キンスキーがついにローランドを撃ち殺そうとして反対に殺される。そこでキンスキーを庇おうとしてローランドに銃を向けたヒルトンはヘフリンに殺される。
ヘフリンとローランドは昔のわだかまりも溶け帰途につくが、最初ローランドが雇っておいた殺し屋が相変わらずヘフリンの命を狙ってくる。「もういいから帰れ」と言われて引き下がる殺し屋ではないから今度はローランドはヘフリンと共にその殺し屋たちと対峙しなければならない。その銃撃戦でヘフリンは脚に負傷し、ローランドは胸に弾丸を受けて死ぬ。
ヘフリンは一人で金を抱えて町に戻る。金持ちにはなった。が、友人も人への信頼も失い、孤独であった。
ジョージ・ヒルトンとクラウス・キンスキー。キンスキーはカステルヌオーヴォと違ってわざわざサイコを演じる必要がない。そのままでも十分異常に見える。
ラスト近くのヴァン・ヘフリンとギルバート・ローランド
私はこれが自分の見たヒルトンのマカロニウエスタンではベストだと思う。『シェーン』にも出ていた名優ヘフリンが見事に映画全体を引っ張り、ローランドのおじさんぶりもまたいい味だ。音楽はカルロ・ルスティケリで、これもよかった。カピターニはこれ一本しかマカロニウエスタンをとっていないが、ジャンルの平均水準を明らかに上回る出来である。ブーム後もTVなどで堅実に仕事を続け、2017年に亡くなっている。1927年生まれだから長生きだ。「堅実な作り」、これがこの作品のキーワードだろう。変に奇をてらったり内輪受けの悪ふざけがない。もしかするとそのカルト性のなさのせいかもしれないが、日本では劇場公開されなかった。受けないと思われたのだろうか。
もう一つのお薦めヒルトン映画が Los deseperados(「絶望した者たち」、ドイツ語タイトル Um sie war der Hauch des Todes「その周りには死の息吹が漂っていた」)だが、これも日本未公開だ。1969年にスタッフもキャストもほぼ全員スペイン人で制作された作品で、監督は Julio Buchs(フリオ・ブ…最後の子音は何と読むんだ?)。この監督もマカロニウエスタンはこれ一作である。残念ながら1973年に46歳の若さで亡くなった。Buchs が脚本家出身で、自分の監督した映画では脚本も自分で書いていたそうだ。
Los deseperadosでのヒルトンにはカステラーリやカルニメオなどの作品のようなチャラさが全くない。陰鬱な作品だ。南北戦争で南軍兵士のウォーカー(ヒルトン)は故郷に残してきた妊娠中の恋人が死にそうだとの連絡を受けて、休暇を願い出るが許可されず、軍を脱走する。ヒルトンは何度もその父(何とアーネスト・ボーグナイン)に結婚を願い出ていたのだが、父はヒルトンを徹底的に嫌っていて許しが出なかった。故郷に帰るとその町にはコレラが発生してロックダウンされている。娘が死の床についていると聞いて一目会わせてくれというヒルトンの懇願を聞かず、父はたった今生まれたばかりの子供をヒルトンに投げつけて(?)、もう二度と来るなと家から追い出す。乳飲み子のためにミルクをくれと周りの村々で懇願して回るがコレラの発生した町から来たということで誰も助けてくれない。子供はとうとう死んでしまう。
ここからがヒルトンの悲劇的な復讐劇の開始だ。なぜ悲劇なのかと言うと主人公が憎しみのために人格的にも破滅していくからだ。最初まだ息のある敵兵を墓に投げ込んで生き埋めにしろという上官の命令を拒否するほど気骨のあったヒルトンが最後には単なる人殺しに転落する。脱走した時の仲間やそこら辺のごろつきと共に強盗団を組織して、まず子供を見殺しにした村の住人を皆殺しにするのだ。ボーグナインにも迫るが米国で当局に追われてメキシコに逃げる。有力者であるボーグナインは米国の当局を通してメキシコ側の軍隊にも要請し、ヒルトン一味を始末してくれるように取り計らう。自分もメキシコに赴くがそこでヒルトンの一味に殺される。だがその後通報を聞いてやって来たメキシコ軍の集中砲撃をうけ、ヒルトン一味も全員無残な死を遂げる。
Los deseperados のジョージ・ヒルトン。とにかくチャラさが全然ない。
上官からまだ息のある捕虜を生き埋めにしろと言われて命令拒否。
娘に合わせてくれと必死の懇願。ボーグナインとヒルトン
それが強盗団のボスに転落する。
ラスト。メキシコ軍の集中砲火を受ける直前。
最初高潔であった者が運命の残酷さに押しつぶされて破滅するという、まるでギリシャ悲劇にでも出て来そうなまさにタイトル通りのストーリーだ。病気の感染を恐れて人を見殺しにするのは南北戦争時というよりヨーロッパのペスト流行時を想起させ、他のマカロニウエスタンとは明らかに毛色が違う。ジョージ・ヒルトンはこういうシリアスな役もこなすのである。そのヒルトンに浅いステレオタイプのジャンゴばかり演じさせるのは人材の無駄遣いではないのか。この作品と上のOgnuno per sé を見ていると特にそう思う。
実はヒルトン自身もこの映画が好きだそうだ。こういう役の方が本来自分向きだと言っている。監督の Buchs とはいっしょに仕事するのが楽しかった。また映画の役の上では徹底的に憎みあっていたがボーグナインも、仕事仲間としては気持ちよく共同作業ができる人だったらしい。
もうひとつ、以前この Los deseperados はルチオ・フルチの監督だというフェイク情報が流れたことがあったが、ヒルトンがそれをきっぱり否定した。