アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:真昼の用心棒

 私はウルグアイ人の有名人は3人しか知らない。一人はサッカー選手の噛みつきスアレス(『124.驕る平家は久しからず』参照)である。もう一人は最も貧しい大統領、ムヒカ氏、そして3人目が俳優のジョージ・ヒルトンだ。前の二人はともかく3人目のジョージ・ヒルトンは一部のファンしか知らないのではないかと思っていたが、亡くなったとき全国紙の『南ドイツ新聞』にまで(小さいとはいえ)記事が出たので驚いた。他にネットなどでも報道していたからこちらでは相当有名だったようだ。ピーター・フォークの訃報は南ドイツ新聞には全く出なかったのだから。

 そのヒルトンだが、マカロニウエスタンのスターである。本名をホルヘ・ヒル・アコスタ・イ・ララJorge Hill Acosta y Laraという。俳優ではないが『続・荒野の用心棒』の主題曲を手がけた作曲家のルイス・エンリケス・バカロフは南米アルゼンチンの出身。 ヒルトンもまたヨーロッパに来る前にウルグアイからアルゼンチンに渡ってそこで俳優活動をしていた。60年代にアルゼンチンからイタリアに渡った映画人は他にも結構いたそうだが、なぜミリアンのようにアメリカに行かなかったのか。ヒルトンは2002年にさるインタビュー記事でそれを聞かれてあっさり「英語がよくできなかったからだ」と答えている。イタリア語ならスペイン語の母語者には簡単にマスターできるだろう。
 ヒルトンはモロにラテン系の容貌のイケメンである(『104.ガリバルディとコルト36』参照)。マカロニウエスタンに起用された時は最初からすでに(準)主役で(下記参照)、その後も順調に主役街道を歩んでいる。今勘定してみたが、1977年までに21本のマカロニウエスタンに出演し、その後(というより途中から)やっぱりジャッロに流れて晩年はTVで活動していた。上のインタビュー記事では最近仕事が全然ないとかボヤていたそうだが、知名度は落ちていなかったようだ。ドイツの新聞にまで訃報が載ったくらいだから本国イタリアではさらに人気があったのだろう。実際イタリアではインタビュー「記事」ではなくTVのインタビュー番組に出ているのを見かけた。全部イタリア語だったので残念ながら内容は理解できなかったが。
 大抵の人にとってヒルトンは「マカロニウエスタンのスター」だが、本人は馬に乗ったり撃ち合いをしたりは好きではなく、そもそも西部劇というジャンルが嫌いでそういう映画は見ないと記事で言っていた。自分は本来舞台俳優、それも喜劇役者だと。でもまさにその西部劇でいい演技してたじゃないですかとインタビュアーに突っ込まれて、そりゃ俳優ですもん、ギャラを貰えば役を演じるのが商売だと返していた。私もこのインタビュアーと同意見で、顔と言いスタイルと言い、この人は絶対西部劇向きであると思う。

 ヒルトンの出演したマカロニウエスタンを全部見ていってもキリがないから私の記憶に残っているものだけちょっとあげてみよう。まず一作目の『真昼の用心棒』である。『155.不幸の黄色いサンダル』でも述べたが、ジャッロで有名なルチオ・フルチが監督し、主演は『続・荒野の用心棒』ですでにスターとなっていたフランコ・ネロ、サイコパスな悪役を務めるのが『シェルブールの雨傘』のニノ・カステルヌオーヴォである。クラウス・キンスキーなどと違ってカステルヌオーヴォは容姿がまともすぎてそのままでは異常者に見えないためか、常に顔をゆがめ口を半開きにして変な笑いを浮かべ首を横っちょに傾けて異常ぶりを強調している。ちょっとわざとらしすぎる気がした。キンスキーのように普通にしていてもサイコパスに見えるならそれもいいが、そうでない場合は素直に「一見普通に見えるが実はサイコパス」という怖さを狙った方がいいのではないだろうか。もっともマカロニウエスタンだから分かりやすさを第一にしたのかもしれないが。
 ストーリ―は一言でいうとカインとアベルの如く、パパに十分愛されなかったサイコなカステルヌオーヴォが暴走して町を恐怖に陥れ、まともな息子のほうのフランコ・ネロに殺される話である。ヒルトンはネロの異母兄弟で、最初自暴自棄になって酒におぼれていたのが結局兄に協力するという、非常に分かりやすい話だ。冒頭に出てくるカステルヌオーヴォのニヤケ顔を見ればもうある程度ストーリー展開が予想できる。さらにこれも以前に述べたが、フランコ・ネロが主人公を演じてしまったため本来はトムという名前だったのがドイツではジャンゴとなり、タイトルは Django – Sein Gesangbuch war der Colt(「ジャンゴ-その歌の本はコルトだった」)だ。勘弁してほしい。
 それまでは気にも留めなかったが改めて映画を見直してみるとヒルトンはその酔っ払いぶりなど確かにコメディアンなような気もしてきた。また中盤に馬の横っ腹にずり落ちてその姿勢を保ったまま「ヘーイ、ジェントルメン!」と敵をおちょくりながら撃ちまくるシーンがある。これもそれまでは単純にカッコいいと思って見ていただけだが「馬に乗ったりするのは好きじゃない」というヒルトンの言葉を鑑みると、このシーンは本人がやったのかスタントマンがやったのか気になりだした。肝心の馬の横乗り場面は遠景で顔が見えないからだ。ここだけスタントマンなのか。それとも本当に「乗馬が嫌い」なヒルトンがこんなことをやらされたのか。そういえばヒルトンは上の記事でも監督のルチオ・フルチについてあまりいい発言をしていなかった。エンツォ・カステラーリなどに比べるとフルチは神経質で意地が悪かったそうだ。

『真昼の用心棒』のジョージ・ヒルトン
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ヘーイ、ジェントルメン! これはジョージ・ヒルトン本人かスタントマンか。
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 そのいい人だったというカステラーリの作品が『黄金の3悪人』Vado... l'ammazzo e torno(1967年)である。ヒルトンの役の名は「ストレンジャー」(全然「名前」じゃないじゃん)である。これもドイツ語版ではやめてほしいことにジャンゴになっている(ドイツ語タイトルは Leg ihn um, Django「殺っちまえジャンゴ」)が、フランチェスコ・デ・マージが作曲してラウールが歌うテーマ曲の歌詞が Stranger, stranger, what is your name? とかあるのをどうしてくれるんだ。そこで my name is Djangoと答えろとでもいうのか。シマラナイ話だ。それでもとにかくこの映画がヒットしてヒルトンは名をあげその後の主役街道の発端となった。盗まれた大金をめぐって賞金稼ぎ(ヒルトン)と最初彼に狙われていたお尋ね者(ギルバート・ローランド。本名 Luis Antonio Dámaso de Alonsoというメキシコ出身の米国俳優。下記参照)と盗まれ元の銀行の行員(エド・バーンズ。当時は割とアメリカで人気があったようだが、その後転落した)が三つ巴の競争を展開するという、ステレオタイプなマカロニウエスタンのストーリーである。さらにこの映画は既に冒頭のシーンで誰が見てもレオーネの3部作のイーストウッドとリー・ヴァン・クリーフが演じたキャラクターとさらに『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロの服装まで持ち出してパクった三人の男が登場するなど、作品全体がパクリの嵐である。また私は知らなかったというか気が付かなかったがVado... l'ammazzo e torno というタイトルも『続・夕陽のガンマン』でイーライ・ウォラックがイーストウッドに言った「行って殺して帰って来るわ」というセリフを引用したものだそうだ。パクリにしても芸が細かすぎる。ヒルトンが演じたクールな賞金稼ぎというキャラもマカロニウエスタンの定番でイーストウッドやフランコ・ネロとは雰囲気が違うからまだいいようなものの新鮮味はあまりない。一方でこれが撮られた1967年の頃はまだジャンルが衰退期には入っていなかったから面白いは面白い。ストーリーもどんでん返しの連続で退屈はしない。ラストがまた『続・夕陽のガンマン』のもじりでちょっとフザケすぎなんじゃないかとも思うが(ラスト自体はつまらないオチである)、ヒットしたのも納得できる出来ではある。マカロニウエスタンの平均水準は越えているだろう。

さすがにこのパクリはやりすぎなのではないだろうか。『黄金の三悪人』の冒頭
Pubblico dominio, https://it.wikipedia.org/w/index.php?curid=1240716

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この『黄金の三悪人』の後、ヒルトン主演で大量のマカロニウエスタンが制作された。最も頻繁に組んだのがカルニメオという監督でこの人がヒルトンで撮った西部劇が6本あり、特に1970年から1973年の間に集中している。これらカルニメオ他の作品も何本か見ているがあまり印象に残っていない。「ジャンゴ」の他にサルタナという名の主人公役の映画もあり、面白くなかったのが記憶に残っている。

 その「あまり印象に残っていない」の「あまり」、つまり印象に残っている側の映画が上の2本の他にさらに2本ある。その一つが『真昼の用心棒』の一年あと、『黄金の3悪人』と前後して撮った作品Ognuno per séだ。ジョルジョ・カピターニGiorgio Capitaniという監督がアメリカからヴァン・ヘフリンを呼び、『黄金の3悪人』にも出ていたギルバート・ローランドを起用し、ヒルトンの他にクラウス・キンスキーを出演させた映画で、ドイツ語のタイトルをDas Gold von Sam Cooper(「サム・クーパーの黄金」)というがこれがまさにストーリーである。
 ヘフリンの演じる主役サム・クーパーはほとんど人生を賭けて金を探していたがある日本当に大金鉱を掘り当てる。しかしその採掘場から金を町に運ぶまでが砂漠を通り強盗が跋扈する非常に危険な道のりで、一人で運搬するのは無理だ。誰か信頼のおける相棒の助けがいる(実際最初一緒に金を探していた相棒は金が見つかったとたん独り占めしようとしてヘフリンを殺しにかかった)。そこで昔子供の頃自分が面倒を見ていた若者をメキシコから呼び寄せる。この若者がジョージ・ヒルトンだが、これがしばらく会わないうちに意志の弱い、小ずるくて信用できない人物になり下がっていた。しかもヒルトンにはその友人とかいう怪しげな人物がくっ付いてくる。これがキンスキーで、この二人がホモセクシャルな関係にあることは明確だ。この二人のヤバさに気付いたヘフリンは町にいた昔の友人に話を持ちかけて安全措置をとる。この昔の友人がローランドだが、昔ヘフリンに裏切られたことがあるので半信半疑だ。だからこちら側もヘフリンに対して安全措置を取り、殺し屋をやとって自分たちの一行の後を追わせる。つまり誰も彼も自分の事しか考えず、好き勝手なことをやっているのである。だからイタリア語のタイトルが Ognuno per sé(everyone for himself)というのだ。
 一行は(合わせて4人だから英語のタイトルが The Ruthless Four)は長い旅の後金鉱に着き金を堀りだす。その間キンスキーとヒルトンで独り占め計画を練り、まずローランドを殺し2対1とこちらの有利にしておいてからヘフリンを始末しようということになる。何回か試みて失敗した後、キンスキーがついにローランドを撃ち殺そうとして反対に殺される。そこでキンスキーを庇おうとしてローランドに銃を向けたヒルトンはヘフリンに殺される。
 ヘフリンとローランドは昔のわだかまりも溶け帰途につくが、最初ローランドが雇っておいた殺し屋が相変わらずヘフリンの命を狙ってくる。「もういいから帰れ」と言われて引き下がる殺し屋ではないから今度はローランドはヘフリンと共にその殺し屋たちと対峙しなければならない。その銃撃戦でヘフリンは脚に負傷し、ローランドは胸に弾丸を受けて死ぬ。
 ヘフリンは一人で金を抱えて町に戻る。金持ちにはなった。が、友人も人への信頼も失い、孤独であった。

ジョージ・ヒルトンとクラウス・キンスキー。キンスキーはカステルヌオーヴォと違ってわざわざサイコを演じる必要がない。そのままでも十分異常に見える。
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ラスト近くのヴァン・ヘフリンとギルバート・ローランド
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 私はこれが自分の見たヒルトンのマカロニウエスタンではベストだと思う。『シェーン』にも出ていた名優ヘフリンが見事に映画全体を引っ張り、ローランドのおじさんぶりもまたいい味だ。音楽はカルロ・ルスティケリで、これもよかった。カピターニはこれ一本しかマカロニウエスタンをとっていないが、ジャンルの平均水準を明らかに上回る出来である。ブーム後もTVなどで堅実に仕事を続け、2017年に亡くなっている。1927年生まれだから長生きだ。「堅実な作り」、これがこの作品のキーワードだろう。変に奇をてらったり内輪受けの悪ふざけがない。もしかするとそのカルト性のなさのせいかもしれないが、日本では劇場公開されなかった。受けないと思われたのだろうか。

 もう一つのお薦めヒルトン映画が Los deseperados(「絶望した者たち」、ドイツ語タイトル Um sie war der Hauch des Todes「その周りには死の息吹が漂っていた」)だが、これも日本未公開だ。1969年にスタッフもキャストもほぼ全員スペイン人で制作された作品で、監督は Julio Buchs(フリオ・ブ…最後の子音は何と読むんだ?)。この監督もマカロニウエスタンはこれ一作である。残念ながら1973年に46歳の若さで亡くなった。Buchs が脚本家出身で、自分の監督した映画では脚本も自分で書いていたそうだ。
 Los deseperadosでのヒルトンにはカステラーリやカルニメオなどの作品のようなチャラさが全くない。陰鬱な作品だ。南北戦争で南軍兵士のウォーカー(ヒルトン)は故郷に残してきた妊娠中の恋人が死にそうだとの連絡を受けて、休暇を願い出るが許可されず、軍を脱走する。ヒルトンは何度もその父(何とアーネスト・ボーグナイン)に結婚を願い出ていたのだが、父はヒルトンを徹底的に嫌っていて許しが出なかった。故郷に帰るとその町にはコレラが発生してロックダウンされている。娘が死の床についていると聞いて一目会わせてくれというヒルトンの懇願を聞かず、父はたった今生まれたばかりの子供をヒルトンに投げつけて(?)、もう二度と来るなと家から追い出す。乳飲み子のためにミルクをくれと周りの村々で懇願して回るがコレラの発生した町から来たということで誰も助けてくれない。子供はとうとう死んでしまう。
 ここからがヒルトンの悲劇的な復讐劇の開始だ。なぜ悲劇なのかと言うと主人公が憎しみのために人格的にも破滅していくからだ。最初まだ息のある敵兵を墓に投げ込んで生き埋めにしろという上官の命令を拒否するほど気骨のあったヒルトンが最後には単なる人殺しに転落する。脱走した時の仲間やそこら辺のごろつきと共に強盗団を組織して、まず子供を見殺しにした村の住人を皆殺しにするのだ。ボーグナインにも迫るが米国で当局に追われてメキシコに逃げる。有力者であるボーグナインは米国の当局を通してメキシコ側の軍隊にも要請し、ヒルトン一味を始末してくれるように取り計らう。自分もメキシコに赴くがそこでヒルトンの一味に殺される。だがその後通報を聞いてやって来たメキシコ軍の集中砲撃をうけ、ヒルトン一味も全員無残な死を遂げる。

Los deseperados のジョージ・ヒルトン。とにかくチャラさが全然ない。

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上官からまだ息のある捕虜を生き埋めにしろと言われて命令拒否。
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娘に合わせてくれと必死の懇願。ボーグナインとヒルトン
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それが強盗団のボスに転落する。
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ラスト。メキシコ軍の集中砲火を受ける直前。
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 最初高潔であった者が運命の残酷さに押しつぶされて破滅するという、まるでギリシャ悲劇にでも出て来そうなまさにタイトル通りのストーリーだ。病気の感染を恐れて人を見殺しにするのは南北戦争時というよりヨーロッパのペスト流行時を想起させ、他のマカロニウエスタンとは明らかに毛色が違う。ジョージ・ヒルトンはこういうシリアスな役もこなすのである。そのヒルトンに浅いステレオタイプのジャンゴばかり演じさせるのは人材の無駄遣いではないのか。この作品と上のOgnuno per sé を見ていると特にそう思う。

 実はヒルトン自身もこの映画が好きだそうだ。こういう役の方が本来自分向きだと言っている。監督の Buchs とはいっしょに仕事するのが楽しかった。また映画の役の上では徹底的に憎みあっていたがボーグナインも、仕事仲間としては気持ちよく共同作業ができる人だったらしい。
 もうひとつ、以前この Los deseperados はルチオ・フルチの監督だというフェイク情報が流れたことがあったが、ヒルトンがそれをきっぱり否定した。

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大学図書館は閉まるわ、授業はオンラインになるわで外出もままならず、またしても一か月以上記事が書けませんでした。すみません。(←誰も待ってないから別にいいよ、書かなくて)。

  前にもちょっと書いたように(『70.セルジオ・レオーネ、ノーム・チョムスキーと黒澤明』参照)、マカロニウエスタンの前身はいわゆるサンダル映画である。ジュリアーノ・ジェンマで『続・荒野の一ドル銀貨』を取ったドゥッチョ・テッサリなどはその典型だが、そもそもセルジオ・レオーネも最初の作品はIl colosso di Rodi『ロード島の要塞』というB級史劇である。ただしレオーネ本人は「あれは新婚旅行の費用を捻出するために嫌々した仕事」と主張し、本当の意味での自分の最初の作品はあくまで『荒野の用心棒』だと言っているそうだ。コルブッチもサンダル映画を撮っているが、直接作品を作らなくても映画作りのノウハウなどは皆サンダル映画で学んだわけである。
 ではなぜ(B級)ギリシア・ローマ史劇を「サンダル映画」というのか。こちらの人ならすぐピーンと来るが、ひょっとしたら日本では来ない人がいるかもしれない。余計なお世話だったら申し訳ないがこれはギリシャ・ローマの兵士・戦士がサンダルを履いていたことで有名だからだ。もちろん今のつっかけ草履のようなチャチなものではなく、革ひもがついて足にフィットし、底には金属の鋲が打ってあるゴツイ「軍靴」であった。もちろん戦士だけでなく一般市民も軽いバージョンのサンダルを履いていたのでサンダルと聞くと自動的にギリシャ・ローマと連想が行くのである。日本で仮に「ちょんまげ映画」といえば皆時代劇の事だと理解できるようなものだ。さらに時代劇と言わないでちょんまげ映画というとなんとなくB級感が漂う名称となるのと同様、「ギリシャ・ローマ史劇」ならぬ「サンダル映画」の範疇からは『ベン・ハー』だろ『クレオパトラ』などの大作は除外され、残るはB級史劇ということになる。
 映画産業の中心がまずそのサンダル映画からマカロニウエスタンに移行し、その後さらにドタバタ喜劇になって沈没していった流れもやっぱり前に書いたが(『69.ピエール・ブリース追悼』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』参照)、もう一つマカロニウエスタンからの流れ込み先がある。いわゆるジャッロというジャンル、1970年ごろからイタリアで盛んに作られたB級スリラー・ホラー映画だ。後にジャッロの監督として有名になった人にはマカロニウエスタンを手掛けた人が何人もいる。俳優も被っている。
 「ジャッロ」gialloというのはイタリア語で「黄色」という意味だが、これはスリラー小説の事をイタリア語で「黄色い文学」 letteratura giallaというからだ。なぜ黄色い文学かというと1929年から発行されていた安いスリラーのパルプノベルのシリーズが「黄色いモンダドーリ」Il Giallo Mondadoriといい、これが(安い)スリラー小説や犯罪小説、ひいては映画の意味に転用されたからだ。驚いたことに(驚くのは失礼かもしれないが)、このパルプノベルはまだ発行され続けている。

黄色い表紙のジャッロ文学。http://textalia.eu/tag/italiaanse-detectives/から。
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 映画としてのジャッロは1963年にマリオ・バーヴァが撮った『知りすぎた少女 』 La ragazza che sapeva troppoに始まるとされている。レオーネがマカロニウエスタンというジャンルを確立したのが1964年だから、ジャンルとしての発生はジャッロの方が早いことになるが、最盛期はマカロニウエスタンより少し遅く1970年代になってから。80年代になってもまだ十分続いていたので、1974年の『ミスター・ノーボディ』が「ある意味では最後の作品」と言われるマカロニウエスタンから人がジャッロに流れ込んだのだ。
 ジャッロのことはあまり詳しくない私でも知っているこのジャンルの監督といえば、まずジャンルの確立者マリオ・バーヴァ、それから『サスペリア』のダリオ・アルジェント、ゾンビ映画のルチオ・フルチ、ジュリオ・クエスティといったところだろうが、実はこの人たちは皆マカロニウエスタンも撮っている。特にジュリオ・クエスティは私はマカロニウエスタンでしか知らず、ジャッロも撮っていたと知ったのは後からだ。そのクエスティのジャッロ『殺しを呼ぶ卵』という作品は実はまだ見ていないがジャン・ルイ・トランティニャンが出ているそうだ。これもマカロニウエスタンとジャッロの俳優が被っている例であろう。クエスティのマカロニウエスタン『情け無用のジャンゴ』は最もエグいマカロニウエスタンとされ(『19.アダルト映画の話』参照)、ネイティブ・アメリカンの登場人物が差別主義者の白人たちに頭の皮を剥がれて血まみれになるシーンがあったりして、一回見たら私にはもう十分。残酷描写が凄いと騒がれているコルブッチの映画でさえ何回も見たくなる私のようなジャンルファンにさえキツかったのだから、その監督がジャッロを作るとどういう映画になるかは大体察しが付く。『殺しを呼ぶ卵』を見た人がいたらちょっと感想を聞かせてもらいたい。

 さてマリオ・バーヴァだ。この監督の作品はSFというかホラーというか、どっちにしろB級のTerrore nello Spazio(「宇宙のテロ」、ドイツ語タイトルPlanet der Vampire「吸血鬼の惑星」)と「ひょっとしたらこれでスーパーマンに対抗している気でいるのか?」と愕然とする多分アクション映画の(つもりの)Diabolik(ドイツ語タイトルGefahr: Diabolik!「危険:ディアボリック!」)という映画を見たことがある。肝心の『知りすぎた少女』を見ていないのでその点では何とも言えないが、この人はやたらと血しぶきを飛ばしエグイ画面で攻めるのではなく、心理的な怖さでジワジワ来させるタイプなのかなとは思った。映画そのものがB級だったので実際にはあまりジワジワ来なかったが。
 そのバーヴァは3本西部劇を撮っているが、ジャンルそのものがすでにB級映画扱いされているマカロニウエスタンをレベルの基準にしても(繰り返すがレオーネやソリーマなどはレベル的には代表などではない、むしろ例外である。『86.3人目のセルジオ』『91.Quién sabe?』参照)なお駄作と言われる出来だ。つまり普通の映画を基準にすると、どれも超駄作ということになる。1964年のLa strada per Fort Alamo(「アラモ砦への道」、ドイツ語タイトルDer Ritt nach Alamo「アラモへ行く」)、1966年のRingo del Nebraska(「ネブラスカのリンゴ」、ドイツ語タイトルNebraska-Jim「ネブラスカ・ジム」)、1970年のRoy Colt & Winchester Jack(『ロイ・コルト&ウィンチェスター・ジャック』、ドイツ語タイトルDrei Halunken und ein Halleluja「悪党三人にハレルヤ一つ」)がそれだが、ユーチューブで探したら映画全編見られるようになっていたので驚いた。もっとも映画の質にふさわしく画像が悪いのと、音声もイタリア語にポーランド語の字幕がついていたりしてとっつきようがなくどうも見る気がしない。探せば英語音声もあるかもしれないがわざわざ探す気にもなれない。それでもちょっと覗いた限りではLa strada per Fort Alamoに『復讐のガンマン』のGérard Herter(この名前もジェラール・エルテールと読むのかゲラルト・ヘルターと言ったらいいのかいまだにわからない)、Roy Colt & Winchester Jackには主役として『野獣暁に死す』のブレット・ハルゼイが出ているのが面白かった。面白くないが。さらにRingo del Nebraskaにはアルド・サンブレルが出ているそうだが、もうどうでもよくなってきたので私は確認していない。ところがさらに検索してみたら3本ともDVDが出ているのでさらに驚いた。しかもなんとマカロニウエスタンを多く手掛けている超大手の版元Koch Mediaから出ている。このKoch Mediaというドイツの会社はジャンルファンの間では結構名を知られていて、変な比較だが言語学をやっている者なら誰でも「くろしお出版」を知っているようなものだ。こんな映画のDVDがあるわけがないと始めからタダ見を決め込んでユーチューブに探りを入れた私は恥を知りなさい。
 それにしてもLa strada per Fort Alamoは公開が1964年の10月24日、『荒野の用心棒』が1964年9月12日だから、ほとんど同時だ。『荒野の用心棒』のクソ当たりをみてからわずか一ヵ月余りでじゃあ俺もと西部劇を作ったとは思えないから(それとも?)La strada per Fort Alamoはレオーネの影響を受けずに作られたと考えたほうがよさそうだ。だから駄作なのかとも思うが後続の2作も皆駄作である。次のRingo del Nebraskaはクレジットでは監督Antonio Románとなっていて、バーヴァの名前は出ていない。「この映画はバーヴァも監督を担当した」というのは「そういう話」なのだそうだ。このいいかげんさがまさにマカロニウエスタンである。

驚いたことにバーヴァの最初の2作は大手のKoch Mediaから焼き直しDVDが出ている。
KochalamoNebraskadvd

『ロイ・コルト』は他の作品とまとめられて「マカロニウエスタン作品集Vol.1」にブルー・レイで収録されている。これもKoch Mediaである。
kochmedia

古いDVDもある。
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 バーヴァよりはダリオ・アルジェントの方がジャンルに貢献している。ただしアルジェントは監督としては一本も撮っていない。脚本を何本か書いているのだ。『野獣暁に死す』(『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』参照)と『傷だらけの用心棒』(『48.傷だらけの用心棒と殺しが静かにやって来る』参照)の脚本はこの人の手によるものである。後者は本脚本(?)はClaude Desaillyによるフランス語でアルジェントはイタリア語の脚本を担当したのだが、気のせいかこの映画にはあまりストーリーとは関係のないホラーシーンがある。主人公のミシェル・メルシエが血まみれの兎の首を出刃包丁(違)で叩き切るシーンだ。この映画はそもそも雰囲気がやたらと暗いが、そこにさらにこんな気色悪いものを出さなくてもよかろうにと思った。この血まみれ兎はアルジェントの差し金かもしれない。

ミシェル・メルシエが出刃包丁(違)を振りおろすと
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血まみれの兎の首がコロリと落ちる。
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こちらジャッロ『サスペリア』の包丁シーン
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『野獣暁に死す』の脚本はアルジェント一人の手によるもの。あまりスプラッターな部分がないが、監督が違うからだろう。チェルヴィ監督はそういう点では抑え気味。ラスト近くに敵が森の中で首つりになるシーンが出てきてそれがレオーネなどより「高度」があるのと、ウィリアム・ベルガーが相手の喉元を掻き切るシーンがあるが、掻き切られたはずの喉笛から血が吹き出さない。もしアルジェント本人が監督をやっていればどちらのシーンも血まみれですさまじいことになっていたはずだ。また『傷だらけの用心棒』もそうだが『野獣暁に死す』も特に上述の森の中の人間狩りの場面など全体的に妙な怪しい美しさが漂っている。もっともこれも「脚本アルジェント」と聞いたからそういう気がするだけかもしれないがなんとなくジャッロ的ではある。

『野獣暁に死す』では陰気な森の中で敵が首つりにされるが、監督が違うせいか『サスペリア』ほどエグくない。
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こちら『サスペリア』。エグいはエグいが血の色がちょっと不自然に赤すぎないだろうかこれ?
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ウィリアム・ベルガーが敵の喉笛を掻き切るが(上)、掻き切られた後も血が出ていない(下)。
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『野獣暁に死す』のラスト森の光景はちょっとおどろおどろしくてジャッロにも使えそう。
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 もう一つアルジェントが手掛けた大物マカロニウエスタンは丹波哲郎の出る『五人の軍隊』(1969年、原題 Un esercito di cinque uomini、ドイツ語タイトルDie fünf Gefürchteten「恐れられた五人」)で、私はまだ見ていないのだが、評その他をみると『野獣暁に死す』、『傷だらけの用心棒』とともにマカロニウエスタンの平均は超えている出来のようだ。しかし「アルジェントは(脚)本が書ける」ことを序実に証明しているのは何と言っても『ウェスタン』だろう。これは「平均を超えている」どころではない、マカロニウエスタンの例外中の例外、普通の映画を基準にしても大作・名作として勘定される超有名作品だ。あまりに名作なので、『ウエスタン』はマカロニウエスタンの範疇に入れていないと言っていた人がいた。失礼な。ただしこれは共同脚本で、アルジェントの他にあのセルジオ・ドナーティやベルナルド・ベルトルッチが一緒に仕事をしている。すごいオールスターメンバーだ。

 次にルチオ・フルチはバーヴァと同じく監督としてマカロニウエスタンを5本(あるいは3本。下記参照)作っている。その最初の作品がフランコ・ネロで撮った『真昼の用心棒』Le colt cantarono la morte e fu... tempo di massacro(1966年、ドイツ語タイトルDjango – Sein Gesangbuch war der Colt「ジャンゴ-その歌集はコルトだった」)、いわゆるジャンゴ映画の一つである。フランコ・ネロを主役に据え、ジョージ・ヒルトンをマカロニウエスタンにデビューさせた古典作品だ。オープニングにしてからが人が犬に噛み殺されて川が血に染まるというシーンだから後は推して知るべし。典型的なジャンル初期の作風である。DVDやブルーレイも嫌というほど種類が出ている。

ジョージ・ヒルトン(左)は『真昼の用心棒』がマカロニウエスタン一作目。このあとスターとなった。
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 その後何年か間をおいて1973年にZanna Bianca(邦題『白い牙』、ドイツ語タイトルJack London: Wolfsblut「ジャック・ロンドンの狼の血」)、1974年にその続編Il Ritorno di Zanna Bianca (邦題『名犬ホワイト 大雪原の死闘』、ドイツ語タイトルDie Teufelsschlucht der wilden Wölfe「野生の狼の悪魔の谷」)という西部劇を撮っている。しかしこの二つはジャック・ロンドンの小説『白牙』をもとにしていて西部劇というより家族もの・冒険ものだそうだ。確かにフランコ・ネロは出ているし、たとえば『裏切りの荒野』(『52.ジャンゴという名前』参照)などはメリメのカルメンからストーリーを持ってきているから、文学作品をもとにした映画はマカロニウエスタンとは呼べないとは一概には言えないが、この2作はマカロニウエスタンの範疇からは除外してもいいのではないだろうか。
 次の作品、ファビオ・テスティが主役を演じた I Quattro dell'apocalisse (1975年、「4人組 終末の道行」、邦題『荒野の処刑』、ドイツ語タイトルVerdammt zu leben – verdammt zu sterben「生きるも地獄、死ぬも地獄」)はタイトルから期待したほどは(するな)スプラッターでなかったが、人がナイフで皮を剥がれたり女性が強姦されたり(どちらも暴行するのはトマス・ミリアン!)、挙句は人肉を食べてしまったりするシーンがあるから明らかに「猟奇」の要素が入り込んできていて同じ残酷でも『真昼の用心棒』を含む60年代の古典的マカロニウエスタンとははっきりとスタイルを異にしている。いや、そのたった一年前に作られた『ミスター・ノーボディ』とさえ全然違う。『ミスター・ノーボディ』はスタイルの点でもモティーフの上からも古典的な作品でサンダル映画さえ引きずっている(『12.ミスター・ノーボディ』参照)からだ。また『荒野の処刑』は妊娠した女性が大きな役割を持ってくるあたりエンツォ・カステラーリがフランコ・ネロで撮った後期マカロニKeoma(1976年、邦題「ケオマ ザ・リベンジャー」)あたりとつながっている感じだ。

I Quattro dell'apocalisse では最初に颯爽と出てきた主役のファビオ・テスティが
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しまいにはこういう姿になる。
testi-nachher

 続くフルチ最後の西部劇、1978年のSella d'argento (「銀のサドル」、邦題『シルバー・サドル  新・復讐の用心棒』、ドイツ語タイトルSilbersattel「銀のサドル」)はスタイル的にもモティーフ的にもストーリー的にもマカロニウエスタンの古典路線に逆戻りしていて私はこちらの方が好きである。ちょっとユーモラスなシーンもある。やたらと撃ち合いになり人がやたらと血まみれで死ぬは死ぬが、全体的にはむしろソフトというか静かな雰囲気。主役がジュリアーノ・ジェンマだからかもしれない。この人では猟奇路線は撮りにくかろう。それにしても「シルバー・サドル」などという邦題をつけてしまうとまるで老人用の鞍のようでまずいと思う。もっとも原題にしてもどうしてここで急に銀が出てくるのか。ジュリアーノ・ジェンマがそういう鞍に乗っているから綽名としてついているのだがどうして黒い鞍でもなく象牙のグリップでもなく銀の鞍なのか。考えすぎかもしれないが、ひょっとしたらこの「銀」argentoという単語は暗にダリオ・アルジェントのことを指しているのではないだろうか。いずれにせよフルチがゾンビ映画『サンゲリア』を撮ったのは「アルジェントの鞍」の翌年、1979年だ。つまりフルチはマカロニウエスタンというジャンルがすでに廃れだしすでにジャッロが勃興していた時期にもまだ西部劇に留まっていたことになる。その後でマカロニウエスタンですでに練習してあった絵、例えば血まみれの穴の開いた頭部の映像などをジャッロに持ち込んだのかもしれない。その意味でやっぱりジャッロはマカロニウエスタンの後裔である。

ルチオ・フルチ監督のSella d'argento の主役はジュリアーノ・ジェンマと…
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…「アルジェントのサドル」(左)。
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