アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:少数言語

 『007・ロシアより愛をこめて』という映画がある。映画のデータベースサイトIMDBには映画での使用言語も細かく記載されているが、それによればこの映画では、英語、ロシア語、トルコ語、ロマニ語が使われているそうだ。ロマニ語というのはヨーロッパの有力な少数民族ロマ(いわゆるジプシー)の言語である。確かにジプシーという設定の人たちが出て来る。
 が、ちょっと待ってほしい。そのロマの一人の男性が主役のS.コネリーに向かって

Hvala lepa!  (フヴァーラ・レーパ)

と言う場面があるのを見落とすとでも思っているのか?始まってから45分くらいのところだ。これはセルビア語またはクロアチア語e方言で、「どうもありがとう」。ロマニ語ではない。
 標準クロアチア語だと『15.衝撃のタイトル』の項で書いた通りeがijeになるから

Hvala lijepa  (フヴァーラ・リイェーパ)
thank + pretty/great

となって、文字通りにはpretty/great thank、つまり「ありがとう」の強調だ。lepaあるいはlijepaは形容詞lijepあるいはlep(「美しい」)の女性単数形でHvala(「感謝」)にかかる、つまり形容詞が後置されているのだ。これを最上級でいうこともできて、

Najljepša hvala! (ナイリェプシャ・フヴァーラ) または
Najlepša hvala! (ナイレプシャ・フヴァーラ)
prettiest/greatest + thank

で「本当にどうもありがとう」、ドイツ語ならHvala lijepa!はschönen Dank!、Najljepša hvala!はschönsten Dank!とでも訳したらいいのか。

 この「ありがとう」をロマの男性が、戦闘中に撃たれかかっていたところを援護射撃してくれたジェームス・ボンドに対して言うのだが、そのあと状況が落ち着いた際、男性は改めてまたHvala lepaを繰り返して言う。私が聞き取ったのは

Hvala lepa, što ste mi podarili moj život.
thanks + pretty/great, + that + (you) have + (to) me + presented + my + life.
→ 私に命を授けてくれて(私の命を救ってくれて)本当にありがとう

Vi ste sada moj sin.
You + are + now + my + son
→ あなたは今から私の息子だ。


という会話だが、これも混じりけなしのセルビア語だ。ロマニ語ではない。

 ちなみにこのšto ste mi podarili moj životという言い方にちょっとひっかかった人もいるだろう。そう、このšto(シュト)はロシア語のчто(シュト)と対応する語で、英語のthat、ドイツ語のdassだが、普通外国人がクロアチア語・セルビア語のthatとして教わるのはdaという接続詞である。で、上の文は私などだったら

Hvala lepa, da ste mi podarili moj život.

と書くところだ。念のため辞書を引いてみたらやっぱりštoよりdaのほうが普通のようだが、

oprostite što smetam!
excuse + that + (I) disturb
→ お邪魔してすみません(ちょっとお尋ねしますが)


という言い方もできるそうなので、この二つは機能的に重なる部分があるということだろう。セルビア語はクロアチア語より東の言語だから、ロシア語などの東スラブ語とつながっている部分があるのかもしれない

 映画のこのシーンは場所設定がセルビアだったのでセルビア語が出てくるのは当たり前といえば当たり前だが、この男性はロマである。ロマニ語を話すのではないのか?それとも英語のオリジナルではここが本当にロマニ語になっているのか。私の見たのはドイツ語吹き替えバージョンだった。でも英語をドイツ語に吹き替えたバージョンなら、そこにロマニ語が出てきたら普通それもドイツ語に吹き替えるか、そのままロマニ語にしておくのではなかろうか。英語版ではロマニ語だった部分をドイツ語バージョンでわざわざセルビア語にする、というのはどうも考えにくいから、やっぱりこの部分は英語バージョンでもセルビア語だったのだと思う。ご存知の人がいたら英語バージョンのほうはどうなっているのか教えていただけると嬉しい。
 ロマニ語ネイティブスピーカーは全員住んでいる国の言葉とのバイリンガルだから、件の男性も実際にここで言語転換、いわゆるコードスイッチしたのかもしれない。セルビア語を話す、ということはこの男性はカルデラシュというロマのグループだったのだろうか。
 
 実は私の家の近所にも以前、ロマの人が結構たくさん住んでいたのだが、こちらには全てドイツ語で話しかけてきた。ただ、お互いの間では全く別の言語でしゃべっていたのを覚えている。多分彼らはシンティ(ドイツ、オーストリア、北イタリアなどにいるロマの一グループ)だったのだと思うが、一度少し離れた公園で別のグループのロマの人たちを見かけたことがあり、聞いてみたら、ルーマニアから来たと言っていた。つまりこの人たちはシンティではなくてヴラフ・ロマ(Vlach-Roma)と呼ばれるグループかあるいはバルカン・ロマだったのか。こちらも意思の疎通はドイツ語で全く支障がなかった。皆いつの間にか見かけなくなってしまったので少し寂しい。あの人たちは今どこにいるのだろう。 
 このロマニ語は1800年代の後半にスロベニア人の言語学者(国籍は当時のオーストリア)ミクロシッチが広汎な研究をしているが、それ以前にも単語の記述などはされていたし、ロマニ語がインド・イラニアン起源らしいということは18世紀からすでに言語学者の間で言われていたそうだ。現在も研究者は多い。ロマニ語はインド・イラン語派の古い形を保持している一方、あちこちでいろいろな言語に接触しているから、クラシックな印欧語学にも、言語接触、二言語併用など今をときめく分野にも資料を提供できる。社会言語学・応用言語学の対象としても申し分がない。いわば「これ一つやれば歴史言語学から応用言語学まで、言語学がすべてわかります」的な貴重な言語だと思う。ドイツ語なんかより(あら失礼)ロマニ語のほうがよっぽど魅力的な言語だと思うのだが。

 ところで、ドイツ語で「やりたくない、する気が起こらない」という意味の、

Ich habe keinen Bock darauf.
I + have + no + „Bock“ + on it

という表現がある。このBockという単語が曲者で、辞書には「雄のヤギ」という意味しか載っていない。私の持っている和独辞典にもその「雄のヤギ」の項目に「慣用句」としてこのIch habe einen Bock darauf(○○をする気がある)と出ている。ところがこの語は本来雄ヤギのBockとは全く関係がない別単語で、ロマニ語のbokh(khは帯気音のk)という言葉からドイツ語に借用されたもの、という説がある。このロマニ語は「食欲」とか「~したい気持ち」という意味だそうだから、完全につじつまが取れているのだ。ただ、意味は合っているがこのkeinen Bock darauf という言い回しが広まり始めたのは1970年ごろだそうで、なぜそのころになって急にロマニ語が借用されたのか、という点に問題が残る。もしロマニ語起源ならもっと前から借用例がみつかりそうなものだからだ。意味は合っているが時期が合わないのでBock=bokh説はまだ全体には受け入れられていない。
 
 ちなみに現在ヨーロッパではマケドニア、コソボ、ドイツ、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、スロベニア、ハンガリー、ルーマニアなどがロマニ語を正式に「少数言語」として承認しており、欧州会議の議員にも時々ロマ出身者がいる。ただ、ロマに対する偏見・差別は悲しいことにまだなくなっていない。
 旧ソ連も1920年代に一時、非常にリベラルな言語政策をとっていたことがあって、ロマニ語を正規に認め、ロマニ語による学校授業、出版などが許されていたそうだ。プーシキンのロマニ語訳なども出版されていたという。欧州議会が正式にロマニ語を保護しだしたのは1990年代だからそれに70年も先んじている。旧ユーゴスラビアでもそんな感じの言語政策だったらしい。残念なことにソ連ではその後ロマニ語保護政策が撤回されてしまったとのことだが。

 『ロシアより愛を込めて』で、ソ連のスパイとの丁々発止がユーゴスラビアで展開され、そこにセルビア語を話すロマが登場する、というストーリーは意味深長だと思った。おかげでセルビア語のシーン以外はほとんど何も覚えていない。ごめんなさい。


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 ドイツは1998年にEUのヨーロッパ地方言語・少数言語憲章を批准・署名しているので、国内の少数言語を保護する義務があり、低地ザクセン語、デンマーク語、フリジア語、ロマ二語、ソルブ語が少数言語として正式に認められている。特にソルブ語は、公式に法廷言語として承認されている。裁判所構成法(Gerichtsverfassungsgesetz)第184条にこうある。

Die Gerichtssprache ist deutsch. Das Recht der Sorben, in den Heimatkreisen der sorbischen Bevölkerung vor Gericht sorbisch zu sprechen, ist gewährleistet.

法廷言語はドイツ語とする。ソルブ人の住民にはその居住する郡の法廷においてソルブ語を使用する権利が保障される。

 法廷言語は公用語とイコールではないが、ソルブ人はもとから自分達の住んでいる地域で自分達の言葉を使って裁判ができるのだからこれは「準公用語」的ステータスではないだろうか。日本のどこかにアイヌ語で裁判をする権利が認められている地方があるだろうか? さらに、現在ザクセン州の知事をしているのはドイツ人ではなく、ソルブ人のスタニスラフ・ティリッヒという政治家だ。「スタニスラフ」という名前は典型的に非ドイツ語形。これを日本で言うと、北海道の一部でアイヌ語で裁判が行え、アイヌ語名の仮名表記で戸籍に登録でき、例えば「ゲンダーヌ」という名前のまま立候補したアイヌ人が北海道の知事になったようなものだ。
 ソルブ語はドイツ語とは全く違う西スラブ語系統の言葉でポーランド語に近い。さらに厳密に言うと下ソルブ語と上ソルブ語の2言語だ。

 これはあくまで自己反省だが、大学でドイツ語、ドイツ文化、あるいはドイツの政治や歴史を勉強しました、といいながらこのソルブ語の存在を知らない人がいる。「ソルブ語なんてドイツ語・ドイツ文化はもちろんドイツの歴史とは関係ないんだからいいじゃないか」と言うかも知れないが、私はそうは思わない。
 「私は日本のことを大学で勉強しました」と言っている外国人がアイヌの存在を知らなかったら、その人の「日本学専攻者」としての知識・能力に対して一抹の不安を抱くのではないだろうか。「ドイツの言葉や文化・歴史を勉強しました。でもソルブ語って何ですか?」と聞く人はそれと同じレベルだと思う。繰り返すが、これは自己反省である。私もソルブ語のことを教わったのはスラブ語学の千野栄一氏の本でなのだから。そもそもいまだに西スラブ語が一言語も出来ない私がエラそうなことを言えた義理ではないのだ。

 そのソルブ語のことをそれこそお義理にちょっと(だけ)調べてみた。
 
 まず「窓」という単語。上下ソルブ語共にwoknoである。『33.サインはV』の項に書いたベラルーシ語と同様prothetic v (wまたはв)が現れているではないか。これはロシア語ではокно(okno)だ。そう知るとベラルーシ語以外の東スラブ語、要するにウクライナ語が気になりだした。いくつか単語を検索してみたので比べてみて欲しい。左がロシア語、真ん中がベラルーシ語、右がウクライナ語だ。

「秋」: осень    - восень  -  осiнь
「火」: огонь     - агонь    -  вогонь
「8」: восемь    - восемь -  вiсiм
「窓」: окно    - акно   -  вiкно
「髭」: ус        - вус     -  вуса
「目」: око (古語) -    вока     -  око

つまりベラルーシ語とウクライナ語では prothetic v の現れ方がバラバラ微妙に違っているのだ。「秋」「目」対「火」「窓」を比べてみると、v の現れ方がベラルーシ語とウクライナ語でちょうど逆になっているのがわかる。
 さらに「8」には全東スラブ諸語共通で v が語頭添加されているのに、南スラブ語のクロアチア語では添加されない。

「秋」: jesen
「火」: oganj
「8」: osam
「窓」: prozor
「髭」: brada, brk, brkovi
「目」: oko

「窓」「髭」はクロアチア語は別系統の語を使うようだが、「火」「8」「目」には v が転化されていないのが見て取れる。
 そういえばウクライナ語対ロシア語・ベラルーシ語では「8」と「窓」という単語内で /i/ 対 /o/ と音韻交替している。これに対応してハルキウ(Харкiв)というウクライナの都市のロシア語名がハリコフ(Харьков)だ。

 西スラブ諸語にもどるが、下でソルブ語とポーランド語を比較してみた。左がソルブ語(左のそのまた左が上ソルブ、右が下ソルブ語)、右がポーランド語だ。

「秋」: nazyma / nazyma  -  jesień
「火」: woheń / wogeń   -  ogień
「8」: wosom / wósym    -  osiem
「窓」: wokno / wokno   -  okno
「髭」: wusy / borda    -  wąs
「目」: woko / woko    -  oko

「秋」は上下ソルブ語とも別系統の語だ。「髭」も下ソルブ語では(borda) 上のクロアチア語と同系統の語で、上ソルブ語と語彙そのものが違うように見えるが、実はborda系の単語は上ソルブ語でも使うそうだ。言い換えると wusy か borda かは言語の違いというより髭の種類の違いのようで、前者は顎鬚を指し、髭全般を意味するのはむしろ後者のようだ。 もしかしたらクロアチア語にも下ソルブ語にも ус、 вус あるいは wusy 系統の単語が存在するのかもしれないが、小さな辞書には出ていなかった。
 いずれにせよ、prothetic v を売り物にするベラルーシ語よりむしろソルブ語の方がきれいに v が現れている。

 ついでに隣のバルト語派のリトアニア語は以下の通りだ。

「秋」: ruduo
「火」: ugnis
「8」: aštuoni
「窓」: langas
「髭」: ūsai
「目」:akis

さすがバルト語派。スラブ語派と形が近い。ちょっとネイティブ・スピーカーに聞いてみたら、「髭」には他にbarzdaというborda系の言葉もあるらしい。ちなみに「火」という意味のugnis、oganj, огонь等、皆ラテン語の ignis と同源だ。aštuoni なんて単語、見るからに古い印欧語の形を反映していそうな趣でゾクゾクする。興味は引かれるのだが、リトアニア語というのはアクセント体系が地獄的に難しいそうなので今生ではパスすることにして、次回生まれ変わった時にでも勉強しようと思っている。


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 しばらく前に何かのドキュメンタリー番組でドイツのお巡りさんが一人紹介されていた。このお巡りさんは子供の頃両親に連れられてペルーから移住してきたので、ドイツ語とスペイン語のバイリンガルだそうだ。
 ある晩、同僚と二人組みでフランクフルトの中央駅周辺をパトロールしていたら、不案内そうな外国人が(たどたどしい)ドイツ語で道を尋ねて来た。そのお巡りさんは即座にそのドイツ語がスペイン語訛であることを見抜いてすぐスペイン語に切り替え、

「お客さん(違)、ひょっとしてスペイン語話すんじゃないですか?」

突然ドイツのお巡りさんから母語でそう話しかけられた時のその外国人の嬉しそうな顔といったら!
 その後の会話はスペイン語だったのでTVではドイツ語字幕が入った。

「そそそ、そうですよ。お巡りさん、スペイン語話すんですか?」
「話すも何も、母語ですよ。私はもともとペルーの出でね。そちらは?」
「えーっ、ラテンアメリカなの?! 私エクアドルですよー」
「えーっ、じゃあ、隣りじゃないですか」

ここで二人はポンポン肩を叩き合う。

「すごいなあ、ペルーから来てドイツ人になって公職に付く事なんて出来るんですか。」
「んなものは、出来ますよ、普通にやってれば。ところでここら辺は危ないし、道違うから早くあっちに行った方がいいですよ。」

その外国人が後ろを振り返り振り返り向こうに行ってしまうと、お巡りさんは隣の同僚と普通にドイツ語で話始めた。スペイン出身だとか親がスペイン人だからドイツ語とのバイリンガル、という人は時々見かけるが、ペルーからの移民というのはたしかにちょっと珍しい。

 そういえば、姉が中国現代文学の翻訳をしているのだが、その姉が以前送ってくれた雑誌に載っていた中国の短編の一つがこういう話だった: 中国吉林省出身の若者、つまり朝鮮民族の中国人が韓国に出稼ぎに来て休日に「とても気さくで親切な」老人と会い、話がはずんだ。老人の韓国語にどうも訛があるな、と思ったら韓国に住んでいる日本人だった。老人の方も老人の方で、この人の韓国語はどうも韓国の韓国人と違うな、と思っていたら中国出身だった。

 こういうちょっとした話が私は好きだ。

 ところで、「バイリンガル」という言葉をやたらと安直に使う人がいるが、実は何をもってバイリンガルと定義するか、というのは結構むずかしいのだ。「母語が二つある人」、つまり両方の言語を言語獲得年齢期にものにした人、と把握されることが多いが、大抵どちらかの言語が優勢で、完全にバランスの取れたバイリンガルというのはむしろ稀だ。たとえ子供のころにある言語を第一言語として獲得してもその後失ってしまった場合、その人はバイリンガルなのかモノリンガルなのか。いずれにせよ、単に「二言語話せる」程度の人などとてもバイリンガルではない。「俺は学校で英語を習ってしゃべれるからバイリンガル」と言っていた人がいるが、どんなにペラペラでも母語が固まってから学校などで習った言語は母語ではないからこの人は立派なモノリンガルなのではないか。
 私は簡単に「バイリンガル」という言葉を使われると強烈な違和感を感じるのだが、これは私だけの感覚ではない。知り合いにも生涯の半分(以上)を外国で過ごし、日常生活をすべて非日本語で送り、お子さんたちとも母語が違う人が結構いるが、その方たちも口を揃えて「私はバイリンガルとは程遠い」と言う。これが正常な言語感覚だと思うのだが。

 そもそも「何語が母語か」「何語を話すか」という問い自体が本当はすごく重いはずだ。例えばカタロニア語を母語とする人はスペイン語とのバイリンガルである場合がほとんどだが、「母語はスペイン語でなくあくまでカタロニア語」というアイデンティティを守りたがる人を見かける。以前もドイツのTV局の報道番組でバルセロナの人がインタビューされていたのだが、「スペイン語を使うくらいならドイツ語で話そう」といってレポーターに対して頑強にタドタドしいドイツ語で押し通していた。その人はスペイン語も母語なのにだ。
 かなり前の話になるが、私も大学のドイツ語クラスでバルセロナから来た学生といっしょになったことがあるが、この人は「どこから来たのか」という質問に唯の一度も「スペインです」とは答えず、常に「バルセロナです」と応答していた。「ああスペインですね」といわれると「いいえ、バルセロナです」と訂正さえしていたほどだ。
 さらに私が昔ロシア語を習った先生の一人がボルガ・ドイツ人で、ロシア語とドイツ語のバイリンガルだったが、「スターリン時代はドイツ語話者は徹底的に弾圧された。『一言でもドイツ語をしゃべってみろ、強制収容所に送ってやる』と脅された」と言っていた。スターリンなら本当にそういうことをやっていたのではないだろうか。
 つまり「バイリンガルであること」が命にかかわってくることだってあるのだ。

 言語というのは本来そのくらい重いものだと私は思っている。安易に「私は○○弁と共通語のバイリンガル」などとヘラヘラふざけている人を見ると正直ちょっと待てと思う。「方言」か「別言語」かは政治や民族のアイデンティティに関わってくる極めてデリケートな問題だからだ。逆にすぐ「○○語は××語の方言」という類のことをいいだすのも危険だ。
 これもまたカタロニア語がらみの話だが、あるとき授業中に「カタロニア語?スペイン語の方言じゃないんですか?」と堂々と言い放ったドイツ人の学生がいて、周り中に失笑が沸いた。ところが運悪く教室内にカタロニアから来た学生(上の人とは別の人である)がいたからたまらない。自分の誇り高い母語をノー天気な外部者に方言呼ばわりされたその人はものすごい顔をして発言者を睨みつけた。一瞬のことだったが、私は見てしまったのである。

 別に私はカタロニア語の回し者ではないが、やはり「スペイン語」という名称は不適当だと思っている。自分でも「スペイン語」という通称を使ってはいるが、これは本来「カスティーリャ語」というべきだろう。さらに、「カシューブ語はポーランド語の方言」、「アフリカーンス語はオランダ語の一変種」とかいわれると、全く自分とは関係がないことなのに腹が立つ。もちろん私如きにムカつかれても痛くも痒くもないだろうが、そういう人はいちどバルセロナの人に「カタロニア語はスペイン語の方言」、ベオグラードのど真ん中で「セルビア語はクロアチア語の方言」と大声で言ってみるといい。いいキモ試しになるのではないだろうか。


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 何年か前にこちらで結構大騒ぎになったニュースがある。ギリシアのロマ居住区で両親とは全く似ていない金髪の少女がみつかったため、親だと自称するロマ夫婦にほとんど自動的に「誘拐・人身売買の手先」の疑いがかかり、少女は保護された、という事件である。
 そのロマ夫婦は最初から、知り合いのブルガリアのロマが、産んだはいいが経済的に自分達では育てられないからと言ってこちらに預けてきたのだ、と主張し続けていたが、当局はそれを信用せず、行方不明となっている子供のリストなどを大掛かりに検索して徹底的に調査した。しかしそのロマの夫婦があっさりと「そんなに疑うのだったらその預け元のブルガリアの知り合いの携帯番号があるからそっちにあたってくれ」と主張するので、調べたらそのロマは始めから本当のことを言っていたのである。
 この事件で心ある人の議論になっていたのは、ロマとみると誘拐の犯罪のとすぐ連想するヨーロッパ社会の暗部であった。ギリシアにもロマ出身の政治家がいて(私の知る限りでは1990年代にスペイン国籍のロマのEU議員がいたし、現在でもハンガリー国籍のEU議員がいる)、真っ先にそのことを問題にしていた。
 期を同じくしてアイルランドでもロマの家庭に金髪の少女がいるのが見つかり、当局はその少女を保護したが、DNA鑑定をしてみたら本当にそのロマの子供だったのだ。そのロマはきちんと社会に溶け込んで仕事もしている普通の市民だった。

ヨーロッパ社会もまだまだだ。

 ロマの言語を「ロマニ語」というが、この「ロマニ」(romani)というのは「ロマの」という形容詞の単数女性主格である。なぜかというとこれはもともとromani čhib(「ロマの言語」)という言葉からとったもので、čhibというのが「言語」という意味の女性名詞なので、それに呼応して形容詞のほうも女性単数になっているからである。この形容詞の男性形はromanoで、男性名詞kher(「家」)にかかるとromano kher(「ロマの家」)。私の家の近くに州のロマの本部、というか文化・情報センターがあるが、ここの名称がromano kherとなっている。
 そのロマニ語の話者はヨーロッパ全体で推定1000万人という。リトアニア語・スウェーデン語など下手な国家言語より規模の大きい大言語である。もっともこの1000万というのがあまり正確な数字ではない。ロマニ語がもう話せなくなっているロマがいる一方でロマ出身ということを隠しておきたいがために実はロマニ語を話せるのに話せないことにしている人などもいて正確な統計が出せないからだ。しかしこの1000万と言う数字が本当ならばロマニ語はカタロニア語を抜いてヨーロッパ最大の少数言語ということになる。以前は最大の少数言語はカタロニア語だったが、ルーマニア・ブルガリア始めバルカン諸国がEUに加わったためロマニ語話者の人口が一気に増大し、カタロニア語はその地位を奪われたわけだ。

 本などにはいたるところに「ロマは北インド起源」と書いてある。でもそれを証明する歴史的文献などは存在しない。彼らがインド起源であるというのは純粋に比較言語学上で証明されたものだ。19世紀にヨーロッパで比較言語学が発展してすぐに関心をロマニ語に向けた学者もいた。バルカン言語学で有名なミクロシッチもその一人であるが、この人の名前は教科書などには普通フランツ・ミクロシッチと書いてある。が、彼はスロベニア人であって、当時そこがオーストリア領であったため本来「フラーニョ」という名前をドイツ語風にして名乗っていたのだ(『36.007・ロシアより愛をこめて』の項参照)。ついでに言うと例のイヴ・モンタンもトリエステ生まれで、スラブ系の「イヴォ」が本名である。
 話が逸れたが、そのミクロシッチ、サンドフェルドなどの当時の大言語学者達が印欧諸語に対する膨大な知識を駆使して来る日も来る日も詳細に比較していった結果ロマニ語の起源がわかったのだ。
 ロマは元の元の大元は中部インドにいたものが、一旦北インドに移住してそこにしばらく住み、9世紀ごろにアルメニアとかあそこら辺のルートを通って、遅くとも11世紀にはビザンチンに入り、そこでタップリギリシャ語の影響を受けた後、14世紀ごろにヨーロッパ各地に散り始めたというが、本にはしごくあっさり書いてあるそういうことも歴史文献などに出ていたのではなく、すべて比較言語学で理論上出された結果である。例えばロマニ語にはアラビア語起源の借用語が非常に少ない、ということから民族移動のルートがアラビア語の話されている地域とあまり接触しない北の方を通った、と推定されるのだ。
 ドイツには15世紀からロマが住んでいたらしい。ドイツにロマが住んでいたことを述べている最初の文献は1408年にヒルデスハイムという町で書かれた文書だそうだ。

 以下にインド・イラニアン語派の言語とロマニ語で1から10までと100をなんというか挙げてみたが、互いによく似ている。「ドマリ語」というのは中近東に住んでいる同民族の言語である。

  ヒンディー語 ペルシア語   ロマニ語     ドマリ語 サンスクリット
1  ek        yek       ekh,jekh       jika     eka
2  do        do      duj               dī      dvī
3  tin          se          trin              tærən     tri
4  čhar          tšahor,tšahār     štar             štar      catur    
5  panč         pandž,pendž   pandž         pandž     pañca
6  čeh        šaš,šeš       šov             šaš      şaş
7  saath     haft        ifta              xaut    sapta
8  aath       hašt       oxto            xaišt       aşţa
9  nau     nuh,noh       inja            na      nava
10   das        dah        deš            des       daśa

100 sew            saad       šel             saj        śata

(ここでxというのはあくまで[x]、つまり軟口蓋で出す摩擦音のことで「クス」とか「エックス」ではない)

 しかし実は別にミクロシッチほどの専門家でない、私のような素人目にもロマニ語はインドあたりの起源なのではないかと薄々感じることができる。この言語は音韻上、「無気音」と「帯気音」を弁別するからだ。これらは今のヨーロッパ内の印欧語ではアロフォンだ。帯気音は子音の後ろにhをつけて表すが例えばロマニ語には次のようなミニマル・ペアがある。

perav (I fall)  対 pherav (I fill)
tav (cook!)    対 thav (to threaten)
ker (do!)     対 kher (house)

また日本の印欧語学者泉井久之助氏は

Dadeske hi newi gili

というロマニ語の例を挙げているが、dadeskeは「父」の与格、hiが英語の is、newi が「新しい」、gili が「歌」で、「父には新しい歌がある」。だからロマニ語は『42.「いる」か「持つ」か』の項で述べたようないわゆるbe言語なのである。

 さらに、件のギリシャのロマ夫婦の知り合いがブルガリアのロマだった、ということも考えてみると含蓄がある。ギリシアとブルガリアのロマはいわゆる「バルカングループ」という方言グループを形成しているから、ギリシャとブルガリアのロマは話が通じたのだろう。ルーマニア、セルビアのロマとなると「ヴラフ・ロマ」という別の方言グループに属しているから、相互理解はそれほどすんなり行かなかったのではないだろうか。ハンガリーと一部のオーストリアのロマは「中央グループ」という方言、ドイツのシンティ、フランスのマヌシュは「北方言群」に属すそうだ。

 ことほど左様な大言語なのに、その割にはロマニ語学習者が少ない、というか「ほとんどいない」のには原因がある。一つは上でも述べたように「方言差が大きく、中心となる言語ヴァリアントがない」ことがロマニ語の保護、特に文書化を妨げているからだ。特に強力な中央方言がないためにラテン文字で書くにしてもドイツ語風にするのかフランス語読みにするのか、クロアチア語表記で書くのか統一することができない。語彙や文法でも差が激しいので「ロマニ語文法」として一つにまとめるのが非常に難しい。さらにドイツのシンティなどは文書化・文法書の発刊そのものに反対している(下記参照)。
 理由の二つ目はロマニ語を話す人々に対する偏見。事実ナチの時代にはロマは「劣等民族」として虐殺された。
 三つ目の理由は、ロマ自身がその言語を外部のものに教えたがらないからだ。当然だ。何世紀もの間、周り中から敵意ある目で見られ(その被抑圧ぶりはユダヤ人の比ではない)、あろうことか組織的に虐殺されたりしたら、絶対に周りに対してオープンになどなれない。ナチスの時代には「言語調査」と称してロマのところへやってきて、収容所送りにする下準備したりした御用学者もいたそうだから。
 私自身一度どこかのネットサイトでシンティ、つまりドイツのロマが「ロマニ語を教わりたい」というドイツ人の書き込みに対して「やめてくれよ。ロマはよそ者に言語を漏らしたりしないよ。言語は私たちが誰からも奪われることがなかった唯一のものなんだ。」とレスしているのを目撃したことがある。もっともそれに対して別のロマが「そういう心の狭いことを言うからいつまでも差別されるんだ」と反論していたが。

 そういった事情にもかかわらず、ロマニ語の文法書なども細々と出てはいる。多くはドイツのロマニ語ではなく、抑圧経験がそれほど強烈ではなかったため、比較的オープンなカルデラシュというセルビアのロマグループの言語を基礎にしたものだそうだ。
 その文法書などにも、そして他の研究書などにも「ロマは『あまりにも理解できる理由によって』自分達の言語が記述されることには否定的である」と書かれている。この『あまりにも理解できる理由によって』という言い方に、こんなに魅力的な研究対象に対して手を出すことが許されない、しかもそれは自分達のせいなのだ、というヨーロッパの言語学者の自責の念をヒシヒシと感じるのだが。うめき声が聞こえてくるようだ。

 私は「語学をやる」というのは基本的にこういうこと、相手の最も繊細な部分に土足で突っ込んでいくことだと思っている。だから手軽な学習書を買い集め、「こんにちわ」とか「さようなら」とかしゃべって見せて外国人に通じたと言って悦に入る、すぐに「○○語が出来ます」とかエラそうに言い出す、こういうチャライ態度にはちょっと抵抗を感じる。


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 フランシス・フォード・コッポラの代表作『ゴッドファーザー』3部作を通じて最も印象に残っているシーンは『パートⅠ』で、シチリアに高飛びしたアル・パチーノ演じるマイケル(ミケーレ)が現地で結婚した女性(シモネッタ・ステファネッリ)を形容して「イタリア人というよりギリシア人の容貌」と言う場面である。少なくともドイツ語版ではそういうセリフだった。日本語ではどうなっていたか忘れたが。

 シチリア全島、カラブリア、南アプーリアはローマ時代以前にギリシア人が大規模な植民地を作っていた地域で、そこここにギリシャの遺跡があり、地名などにもギリシャ語起源のものが目立つ。現にシチリアというのは本来ギリシア語のΣικελίαから来たものだし、上のミケーレのシチリア妻の名前もアポロニアという一目瞭然のギリシャ語だ。そもそも「ギリシャ」という名称自体がギリシャ本土で使われていた名前ではなく(それならばギリシャはヘラースである)、ローマ共和国あるいはローマ帝国内のギリシャ人が自分たちをグレコと呼んでいたのをラテン語に取り入れたものだ。これらの旧植民地の地域を総称して俗にMagna Graeciaというが、ここには遺跡や固有名詞がギリシャ時代の残滓として残っているばかりではない、いまだにギリシャ語を話す地域が散在している。

当時のMagna Graecia(マグナ・グラエキア)。赤い点がギリシャ人都市である。ウィキペディアから
MagnaGraecia

現在はカラブリアの先端とアプーリア(オトランド地方)の南、つまりイタリア半島のつま先と踵の部分でギリシャ語が話されている。
(これもウィキペディアから)

GrikoSpeakingCommunitiesTodayV4

 ここで話されているギリシャ語はもちろん本国の現代ギリシャ語とは大分違い、「グリコ語」(GrikoまたはGrico)という独自の名称が与えられている、イタリアは1992年のヨーロッパ地方言語・少数言語憲章に署名だけはしているから(批准はまだである。下記参照)、少数言語への関心も喚起されているらしく、アプーリアのグレチア・サレンティーサなどの村には本国との交流も行なわれてギリシャ語復興運動が行なわれているそうだ。
 しかし少数言語のご多分に漏れず話者人口は減り続けていて、グリコ語ネイティブは現在およそ2万人でほぼ全員が50歳以上、L2の話者を含めてもせいぜい4万人から5万人に過ぎないという。
 映画が製作された1970年代はEU自体が存在しておらず、少数言語の保護なども今ほど盛んではなかったはずだから、話者は急カーブで減少していっていたに違いない。話者の数が持ち直していくか、これからの保護運動に注目して行きたいところだ。

 そういえばしばらく前にうちでとっている「南ドイツ新聞」にレッジョ・ディ・カラブリアの周辺、つまりズバリ上述の地域のルポルタージュ記事が載っていた。レッジョはイタリア半島がシチリア島とほぼ接しているところである。しかも記事の内容はその地のマフィアについてだった。ここで勢力のあるいわゆる「ファミリー」は'Ndranghetaという。ドイツにまで進出していて時々銃撃戦をやったりし、しばしばこちらでも新聞にのるので覚えたくもないのに私までその名前を覚えてしまった有力なマフィアのファミリーである。その名称'Ndranghetaはギリシャ語のἀνδραγαθἰα(andrangathia、「勇敢」)から来ているという説がある。余計なお世話だが、古典ギリシア語にはἀνδρεία(「勇気」)、ἀνδρειος(「勇敢な」)、ἀνδρειος(「勇敢に」)という単語がある。同語幹であろう。
 またその記事ではマフィアのメンバーだった者とか家族がマフィアのメンバーに引っ張られてしまった人などがインタビューを受けていたが、「自分たちはギリシャ人の子孫である」という結構はっきりしたアイデンティティを持っていたりする。そんなこともあるから『ゴッドファーザー』のアポロニアのシーンは極めて意味深長だ。ジェームス・カーンが蜂の巣になったり眼鏡をかけたおっちゃんが片目に弾丸食らったりするシーンなんかより、このアポロニアを描写する場面のほうがよっぽど考察・分析するに値すると私は思っている。さらにゲスの勘繰りをすれば、イタリア政府が上述のヨーロッパ憲章に署名はしたがまだ批准はしていないのは、グリコ語を公認の少数言語にしてしまうとその言語話者や地域を保護しなければいけない義務が生じ、下手をするとマフィアまで保護してしまうことになりかねない、と躊躇しているのかもしれない。

 さて、この「南イタリアではギリシャ語が話されている」ということ自体は結構皆知っているのだが、面白いのはこのグリコ語の起源である。

 20世紀の始めまでは「グリコ語話者はローマ帝国が解体した後、9世紀から10世紀にかけてバシレイオス一世、レオ6世の時代にビザンチンからローマに移住してきたギリシア人の子孫」いうのが定説だった。つまり、ローマ国内のギリシア語話者は一旦完全にローマ・ラテン語の同化されて消滅し、中世になってから再び新しいギリシャ語の波が押し寄せた、ということである。これを唱えたのがG. モローシ(Giuseppe Morosi)で、1870年のStudi sui dialetti greci della Terra d'Otrando(「オトランド地方のギリシャ語方言研究」)という論文でそう主張している。1920年代になってドイツの言語学者G.Rohlfs(ゲルハルト・ロールフス)がこれを覆し、グリコ語はビザンチンのギリシャ語などではなく、ローマ時代、あるいはそれ以前からイタリアで連綿と話され続けてきた古代ギリシャ語の残滓である、と主張した。少なくとも紀元前8世紀、下手をすると紀元前1500年ごろから続いているギリシャ語だ、というわけだ。この説は1924年のGriechen und Romanen in Unteritalien. Ein Beitrag zur Geschichte der unteritalienischen Gräzität(「下イタリアにおけるギリシア語とロマンス語話者:下イタリアのギリシア文化の歴史についての一考察」)という論文で初めて発表されたが、ロールフスはその後の論文でも新しいデータを示したりして同説を主張しその根拠を述べている。

1.
まず、グリコ語地域周辺ばかりでなく、南イタリアのイタリア語全体にわたってギリシャ語からの影響が著しい。地名にもラテン語系のものはむしろ少数派であるのに加え、シチリアのイタリア語を見ても当地のイタリア語はむしろ新しい層であることがわかる。これらのデータから推して、起源1000年ごろまではカラブリアの南半分はほぼ完全にギリシャ語地域、南アプーリアにもギリシャ語話者が強力なマイノリティグループを形成しており、シチリア北東部は11世紀に入ってもギリシア語地域であったことは確実。ビザンチン以降の入植者と共にギリシャ語が入ってきたのなら言語地域はもっと限られ互いに孤立した言語島を形成するはずである。

2.
しかも、現在のギリシャ語・グリコ語地域は一方ではオトランド(南アプーリア)、一方は南カラブリアと遠く離れているのに共通性が著しい。元々広汎な地域で話され、ある程度の統一を保っていたギリシャ語が次第にラテン語・イタリア語に押されて後退したとしか考えられない。最初から言語島であれば二地域のギリシャ語はもっと明確に独自の発展を見せるはずである。

3.
6世紀から8世紀にかけてサルディニアに、540年から752年までラヴェンナに、871年から1071年にかけてバーリにビザンチンの植民地があったが、そこのイタリア語にはギリシャ語からの影響はほとんどみられない。グリコ語がビザンチンのギリシャ語だとすると当地のイタリア語がグリコ・ギリシャ語からあそこまで激しい影響を受けたことと話がかみ合わない。

ロールフスはさらにグリコ語内部の構造を詳細に調べ、そこには本国のギリシャ語がビザンチン時代にはすでに失ってしまっていた古い言語要素がグリコ語には保持されていることを突き止めた。もしグリコ語がビザンチンのギリシャ語から来たのなら見つかるはずのない要素である。グリコ語は三層構造をなしていて、1.古典ギリシャ語要素(ドーリア方言起源の要素)、2.やや新しいいわゆるコイネーΚοινή(このベースになったのはいわゆるアッティカ方言)期の要素、3.ビザンチン以降の最新要素からなる多層構造になっているそうだ。

 もっとも「最新の」ビザンチン・ギリシャ語にしても紀元前2500年前まで遡れるギリシャ語にとっては最近というだけで、日本語ごときから見たら9世紀の言語など立派に古語であろう。やや新しいアッティカ・コイネーにしても紀元前4世紀ごろから始まっている。日本などまだ弥生以前で、縄文人が棍棒を持って熊を追い回したり木の実を集めていたころである。その間にギリシア語もいろいろ言語変化を起こしているのは当然で、本国で発生した新形式がグリコ語はじめ周辺の方言には波及していないことなどもあって本国ギリシア語とグリコ語との間には様々な乖離がみられるわけだ。
 その中でも面白いのはグリコ語は動詞の不定法をまだ持っているということだ。現代ギリシア語は動詞の不定形が完全に退化していて、例えば

I want to watch TV

ということが出来ず、

I want that I watch TV

という言い方をする。つまり語学で言う「法」moodを表すのに常に定形動詞(直接法の場合と接続法の場合がある)を使うわけである。動詞不定形が衰退しだしたのは紀元1~2世紀、つまり新約聖書のころかららしい。だからコイネー期のギリシャ語ではまだ不定形が完全に消滅していなかった。その、不定形が衰退する萌芽が現れたころの形をグリコ語は保持しているそうである。本国ではその後不定形が完全に消滅してしまった。
 例えばボーヴァのグリコ語で「君たちは来たがっている」(ihr wollt kommen)は

θelite na ertite
you want + that + you come

とthat構文になるが(つまり動詞は定形)、本動詞(助動詞)が「できる」、「知っている、できる」、「聞こえる」、「させる」だと動詞の不定形を使う。なので、「君たちは来られる」は

sonnite erti
you can + to come

となる。以前に何度も書いたように(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』)この現象は「バルカン言語連合現象」の一つであり、ルーマニア語、アルバニア語、ブルガリア語、セルビア語トルラク方言でも同じ現象に見舞われている。さらに面白いことにグリコ語内でも「揺れ」があって、助動詞がwantであってもまれにthat説でなく動詞不定形が現れることがあるそうだ。それで「彼は留まりたくない」は

e θθeli na mini (he doesn't want that he stays)
e θθeli mini       (he doesn't want to stay)

と両方の形が可能。動詞「留まる」がどちらもminiで一見同形のようだが、これら不規則動詞で、直説法(それとも接続法なのかこれは?まあとにかく定形だ)の3人称単数形と不定形が同じ形をしているらしく、パラダイム上では別の形である。
 この「定形・不定形どっちでも可」というのはバルカン言語現象の波を中途半端に被ったセルビア語と同じではないか。これは面白いとゾクゾクして続きを見たら、グリコ語は周りのイタリア語に影響を与え、同地のイタリア語方言では「君たちは来たがっている」をグリコ語の構文そのまんまのthat節構文を使って

voliti mu veniti
you want + that + you come

と表現するらしい。しかもスリル満点なことにこのmuというのは、ラテン語のquidの変化した形だそうだ。明らかにラテン語kwの両唇性が受け継がれた音韻変化で、ケルト語のpと同類(『39.専門家に脱帽』の項参照)。ただケルト語と違ってこのイタリア語方言では鼻音化までされてしまったらしい。

 この動詞の不定詞云々という指摘は非常に面白いところで、当時生まれたばかりのバルカン言語学の結果をロールフスはすでに考慮していることがわかる。事実1947年のGriechischer Sprachgeist in Süditalien(「南イタリアにおけるギリシャの言語精神」)という論文の冒頭でロールフスはデンマークのロマンス語・言語学者のKristian Sandfeld(1873-1942年)を追悼し、論文の中でもその研究成果に言及している。このSandfeldは私なんかは勝手にドイツ語読みでザントフェルトといっているが、デンマーク語で本来どう発音するのか実はいまだに知らない。とにかくこの人はバルカン言語学の創設者の一人で、「バルカン言語学」という名称をこの研究分野に与えて言語学の一分野として確立させたのはザントフェルトである。最初1926年にデンマーク語で、Balkanfilologien. En oversigt over dens resultater og problemer(「バルカン学:その成果と結果の概観」)という論文を発表し、3年後の1930年に同じ内容をLinguistique balkanique. Problèmes et résultats(「バルカン言語学;成果と問題点」)として世に出した。まあ歴史に残る言語学者である。

 それにしても『ゴッドファーザー』を見てザントフェルトに会えるとは思っていなかった。いやー、映画って本当にいいもんですね。



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 いつだったかTVでニュースを見ていたら、イタリアの政治家に、名前が-xiで終わっている人がいたのでおやと思った。これはアルバニア語の名前である。-ajで終わっている名前の俳優を一度マカロニウエスタンで見かけたことがあるが、これもアルバニア語だ。どちらも語尾にばかり気をとられて名前そのものは忘れてしまった。メモでもとっておけばよかった。
 『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』の項で述べたようにイタリアは実は多民族国家で、その有力な少数民族の一つが南イタリアのギリシャ人だが、アルバニア人も多い。アルバニア語も少数言語として正式にイタリア政府に承認されている。もっともイタリア人よりも前からイタリア半島に住んでいたギリシャ人と違ってアルバニア人は比較的新しい時代になってから移住してきたのだそうだ。もっとも新しい時代といっても14世紀から15世紀のことだから日本で言えば室町時代、十分古い話ではある。もちろん世界がグローバル化するはるか以前である。
 南イタリアのほかにシチリアにもアルバニア語・アルバニア人地域がある。上述の項で紹介した元マフィアの組員も、自分の家族はギリシャ人、つまりギリシャ語を話すイタリア人だが、近所にはアルバニア人も多くいて両グループ間の抗争が絶えなかったそうだ。地図を見ると確かに両民族の居住地が重なっている。
 アルバニア人はもともとキリスト教徒だった。畢竟ローマ・カトリックのイタリア(当時はイタリアという統一国家はまだなかったが)と精神文化の面で繋がりが強かったらしく、例えば印刷された最古のアルバニア語文献は1555年にジョン・ブズクGjon Buzukuという僧が聖書を訳した188ページのテキストで、一部破損しているが原本がバチカン図書館に保管されているそうだ。言語そのものの断片的な記録はもうすこし古い時代のものが残っているらしいが、他の印欧語と比べるとアルバニア語はあまり時代を遡れない。
Bozukuによるアルバニア語テキスト。ウィキペディアから。
Buzuku_meshari

 トルコの支配下に入ってからはアルバニアにはイスラム教が広まったが、現在でも人口の20%はギリシャ正教、カトリックも10%ほどいるとのことだ。その10%の中からあの聖女マザー・テレサが出たわけである。
 20世紀になってからもイタリアの皇帝ビットリオ・エマヌエレ3世がアルバニアの皇帝もかねたりしていたから、距離の近いアルバニアからはさらにイタリアへの移住が増えたことだろう。これもいつだったか、ニュースを見ていたら、今日びはイタリアのいわゆる開発の遅れたアプーリア地方の人たちが新天地を求めて逆にアルバニアに渡り、そこで事業を起こしたり工場を建てたりする例が増えているそうだ。人件費が安いからだろう。

 アルバニア語はギリシャ語と同じく一言語で一語派をなしているが、二大方言グループ、ゲグ方言とトスク方言がある。以前にも書いたように(『39.専門家に脱帽』参照)これらの間には音韻的な差があって、トスク方言では r である部分がゲグ方言では n になる。上述の項でも例を挙げたがその他にも「ワイン」という言葉がそれぞれvenë (ゲグ方言)とverë(トスク方言)となっている。さらに元は鼻母音だったâがトスク方言ではシュワーのëになって、コピュラのâshtë(ゲグ方言)がトスク方言ではështë。文法にもいろいろ違いがあるそうだ。イタリアのアルバニア語は本来トスク方言に属するが、長く本国を離れていたため独自の発展を遂げた部分も多く、これを第三の方言と見なす人もいる。面白いことに上述のカトリック僧Buzukuは北アルバニアの出身で訳に使った言語はゲグ方言である。

 また「ギリシャ」という名称がギリシャ本国でなく元来イタリアのギリシャ人を呼ぶものであったのと同様(本国では「ヘラース」、再び『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』参照)、「アルバニア」という名称も実はイタリアやギリシャのアルバニア人のことである。彼らが自分たちをアルバレシュalbëreshëとよんでいたので、イタリアでアドリア海の向こう側の本国まで「アルバニア」と呼び出したのだ。アルバニアではアルバニアのことを「シュキプタール」という。
 アルバニア語はいわゆるバルカン言語連合(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)の中核をなす言語である。早くから言語学者の興味を引いていたようで、1829年にバルカン言語学誕生の発端となった論文を書いたスロベニアの学者コピタルもアルバニア語に言及している。Albanische, walachische und bulgarische Sprache(アルバニア語、ワラキア語、ブルガリア語について)というタイトルの論文だが、すでにバルカン言語連合の中核3言語の相似性を見抜いている。この三言語がシンタクスなどの面でnur eine Sprachform, aber mit dreyerlei Sprachmaterie(言語の形は一つなのに言語素材は三つ)であることを発見したのはコピタル。ついでに言うとこの論文からも判る通り、当時の言語学の論文言語はドイツ語が中心だった。
 そうやって印欧語学者がこの言語をよく知っている、少なくともこれがどういう構造の言語なのかくらいは皆心得ている一方で、アルバニア人やアルバニア文化そのものについての関心は薄く、私も未来系の作り方とか後置定冠詞とかどうでもいいことは授業で教わったがアルバニア人はどういう人たちなのかという肝心なことについては全く無知であった。今でも無知である。この調子だから私はヒューマニストにはなれないのだ(『54.言語学者とヒューマニズム』参照)。
 
 ところが先日、ドイツの大手民放がヴィネトゥ映画3部作(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)をこれも3部作のTV映画としてリメイクした。元の映画でオールド・シャターハンドをやったレックス・バーカーもヴィネトゥのピエール・ブリースもすでになくなっていたし、生きていても年をとりすぎていてあのアクション活動は無理だったろうから、現在のドイツの俳優を持ち出してきた。シャターハンドをやったヴォータン・ヴィルケ・メーリングWotan Wilke Möhringは顔は確かによく見かけるまあ有名俳優なのだろうが、バーカーに比べると容貌がショボすぎる感じで「こんなのがあのシャターハンド?!」と一瞬思ってしまったが(ごめんなさいね)、ヴィネトゥ役をやった人はブリースとはまた違ったカリスマ性があり、若くハンサムで正直驚いた。私はドイツのTV番組は基本的に公営放送のニュースやドキュメンタリー番組と、民放ではマカロニウエスタンしか見ないので、確かに人気俳優などは余り知らない。しかし知らないと言っても顔はどこかで見たことがあるのが普通だったが、このヴィネトゥ役の俳優は全く顔さえ見たことがなかった。どうしてこんなイイ男に気づかなかったんだろうといぶかっていたら、それもそのはず、アルバニアのニク・ジェリライNik Xhelilajという俳優だった。名前にXh という綴りが入りajで終わっているあたり、これ以上望めない程アルバニア語である。ジェリライ氏は本国ではスターだそうだ。
リメイク映画「ヴィネトゥ」から。右がドイツの俳優メーリング
18679287_403

これも「ヴィネトゥ」から
winnetou-nik-xhelilaj-wird-rtls-apachen-haeuptling
普通の格好(?)をしたジェリライ氏 http://diepresse.comから
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ニク・ジェリライという俳優は日本ではあまり知られていないだろうからこの際紹介の意味でもう一つオマケの写真
http://media.gettyimages.com
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 氏は顔がイケメンである上に声も涼しげないい声だったが、さらにしゃべるドイツ語がまた良かった。「うまい」というのではない、逆に本物のタドタドしいドイツ語だったのである。それはこういうことだ:
映画などで「外国人」あるいは「当該言語を完全にはしゃべれない」という人物設定にする際、その「不完全な言葉」というのがいかにもワザとらしくなるのがもっぱらである。どう見ても、どう聞いても本当はペラペラなのに意図的にブロークンにしゃべっていることがミエミエなのだ。一番「それはないだろう」と憤慨するのが文法・言い回しなどには取ってつけたような「外国人風の」間違いがあるのに発音は完璧というパターン。あるいはl とrを混同するなどのステレオタイプな発音のクセを 時おり挿入して外国人に見せるという姑息な手段。その際lとrは間違えてもCVCCやCCVCのシラブルの方はなぜかきちんと発音が出来、絶対CVVCVCVやCVCVVCVなどにはならない。本当はしゃべれるのにワザとブロークンにやっていることが一目瞭然だ。
 あるいは逆に俳優に訓練を施す余裕がなかったか、俳優に語学のセンスがなくて制作側がサジを投げたか、俳優が大物過ぎて監督が遠慮しデタラメな発音でもOKを出してしまったかして当該言語としてはとうてい受け入れられないような音声の羅列になるとか。そういう場合でもセリフそのものはネイティブの脚本家が書いたものだから発音はク○なのに言い回しは妙にくだけた話し言葉という、目いや耳を覆いたくなるような結果になる。名前は出さないがジェームス・ボンド役として有名なさる俳優がさる映画でしゃべっていたいわゆる日本語なんかも憤死ものだった。
 いずれにせよ、完全な不完全さ、自然な不完全さをかもし出すのは結構難しいのだ。ところが、このジェリライ氏のドイツ語は本当にブロークン、文法も初心者・耳で聞いて言葉を覚えた者がよくやる語順転換、変化語尾の無視などが現れていかにも自然な不完全さなのである。それでいて耳障りではない。顔のハンサムさや声のよさより私はこっちの方に感心した。もっともこれはジェリライ氏の業績・俳優としての技量もさることながら、スタッフの業績でもあるのかもしれないが。
 とにかく「ヴィネトゥ役にアルバニアのスターを起用」ということが珍しかったせいか、結構メディアでも報道されていた。そういえば以前「ヨーロッパで一番ハンサムが多いのは実はバルカン半島」と主張している女性がいたが、このジェリライ氏を見てなるほどと思ったことであった。

 さてそのアルバニア語は、どこかの言語学者も言っていたように、「語学というより言語学的な興味で始める人が多かろう」。印欧語の古いパラダイムをよく残している非常に魅力ある言語である。例として以下に çoj (take away, send) という動詞の変化パラダイムの一部を挙げるが、アオリストや希求法などがカテゴリーとしてしっかり残っており、これと比べるとドイツ語やロシア語などチョロイの一言に尽きる。たかがロシア語の不規則動詞ごときにヒーヒー言っていたり(私のことだ)、変化形を覚えたと言って鼻の穴を膨らませて自慢しているような輩(これも私のことだ)などは、ジェリライ氏に恥じろ。繰り返すが、これは動詞変化のごく一部、動詞部分が直接変化するパラダイムのそのまた一部である。これにまた接続法一連、完了体など助動詞や不変化詞による動詞パラダイム(アオリスト2もそれ)やそもそも受動体(これにもまた直説法現在形、接続法現在形などのパラダイムがオンパレード)などがガンガン加わってくるから、ここに示したのは動詞の変化形全体の10分の一にも満たない。もちろんこれは最も簡単な動詞で、他に不規則動詞も当然ある。ラテン語や現在のロマンス諸語より強烈なのではなかろうか。

直説法現在
             単数    複数
一人称  çoj            çojmë
二人称  çon           çojni
三人称  çon           çojnë

直説法未完了過去
             単数     複数
一人称  çoja           çojnim
二人称  çoje           çojnit
三人称  çonte         çojnin

アオリスト1
             単数   複数
一人称  çova           çuam
二人称  çove           çuat
三人称  çoi              çuan

アオリスト2
             単数       複数
一人称  pata çuar           patëm çuar
二人称  pate çuar           patët çuar
三人称  pati çuar            patën çuar

希求法現在
             単数    複数
一人称  çofsha         çofshim
二人称  çofsh           çofshi
三人称  çoftë            çofshin

意外法現在
             単数    複数
一人称  çuakam       çuakemi
二人称  çuake          çuakeni
三人称  çuaka          çuakan

命令法
単数  ço
複数  çoni

「意外法」というのはAdmirativのことである。まだ定訳がないようだが、法(Modus)の一種で、当該事象が愕いたり意外に思うようなことだった場合、この動詞形で表す。アルバニア語はバルカン現象のほかにこのAdmirativを動詞変化のパラダイムとして持っていることでも知られているようだ。
 また現在のロマンス諸語では強烈なのは動詞だけで、名詞の方は語形変化がないに等しいくらい簡略だがアルバニア語は名詞の格変化も思い切り保持している。悪い冗談としか思えない。

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