アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:古教会スラブ語

 琥珀のことをドイツ語で Bernstein というが、この Bern- は本来 brenn-つまり現代標準ドイツ語のbrennen 「燃える」、言い換えると Bernstein の本来の形は Brennstein「燃える石」だ。古高ドイツ語では実際にそう呼んでいた。この brennen という動詞は元々は二つの違った動詞であったのが新高ドイツ語期になって合体してひとつになったものだそうだ:その一つは「燃える」という強変化の自動詞で8世紀の古高ドイツ語、ゴート語で brinnan、古ノルド語で  brinna、中高ドイツ語で brinnen、もう一つは「燃やす」という弱変化の他動詞で古高ドイツ語、中高ドイツ語で brennen、古ノルド語で brenna、ゴート語で gabrannjan といった。ところがそのうち中期低地ドイツ語、中期オランダ語にbernen(自動詞・他動詞共)、古期英語に beornan(自動詞)、 bœrnan(他動詞)(この二つは後に burn という一つの動詞に融合した)という形が現れた。それで13世紀の中期低地ドイツ語では琥珀を bernestēn。barnstēn、börnstēn などと言っていた。現在の Bernstein はこれらの低地ドイツ語形が新高ドイツ語に取り入れられて18世紀に定着したものだ。
 この二つを比べると(英語も含めた)低地ドイツ語と高地ドイツ語では母音と子音 r の順番がひっくり返っているのがわかるが、こういった現象を「音位転換」Metathese といい、いろいろな言語で極めて頻繁に観察される現象である。日本語にもある。例えば「新しい」は本来「あらたし」であったのが、r と t の位置が転換してそのまま固定してしまった。言い間違えで音韻転換してしまうこともよくある。一度「かいつぶり」を「かいつびる」と言った子供を見たが、これも u と i のメタテーゼだ。

 「琥珀」の Brennstein→Bernsteinで見られるような母音と流音の音位転換を特にLiquidametathese(liquid metathesis)「流音音位転換」(発音しにくい言葉だなあ)というが、スラブ語がこれで有名なので liquid metathesis という本来一般的な言葉が「スラブ語流音音位転換 」Slavic liquid metathesis の意味で使われることがある。スラブ祖語では母音+流音であったのが南スラブ諸語では流音+母音と順序が逆転し(つまり音位転換を起こし)、東スラブ諸語では「充音現象」 полногласие (『56.背水の陣』参照)として現れる音韻変化で、ロシア語学習者は以下の呪文のような図式を覚えさせられる。
Tabelle1-145
Tというのは「任意の子音」という意味。だから TorTは「子音 - o - r - 子音」という音韻連続の図式化である。スラブ祖語で子音 - 母音 o - 流音(r または l)という順番だったのが南スラブ語では子音 - 流音 - 母音と音位転換を起こし、しかも母音が o から a に代わっているのがわかる(太字部)。ロシア語ではここが母音が添加された полногласиеとなっている。母音が e の場合も基本的に南スラブ語は音位転換、東スラブ語は充音というパターンだが、南スラブ語では祖語の e が ije と e の2通りある。これが『15.衝撃のタイトル』で述べたセルビア語・クロアチア語の je-方言、e-方言の違いである(太字に下線)。ブルガリア語も e だ。また東スラブ語では祖語の e が o となり、流音 l での両母音の区別が失われている。これだけでは抽象的すぎるので例をあげよう。
Tabelle2-145
BSKというのはブルガリア語、セルビア語、クロアチア語のことだ。*gordъ の意味が括弧にいれてあるのはこの語が各言語で意味の分化を起こしているからで、クロアチア語の grad、ロシア語の гóрод は「町」、西スラブ語の両言語、それぞれ gród と hrad は「城塞」、ウクライナ語の горóд は「庭」だが元の言葉は一つで「柵で囲まれたところ」という意味だった。さらにウクライナ語の г はロシア語と違って閉鎖音ではなく摩擦音である。ベラルーシ語でもそうだが(『33.サインはV』参照)実際に聞くと h に聞こえることがあり、チェコ語と対応している。*bergъについては南スラブ語だけ他と意味が違っていて(下線部)「丘」となる。
 実は南スラブ語にはBSKの他にも、というよりBSKよりも大物の言語が属している。古教会スラブ語である。『56.背水の陣』にも書いたが、ロシアではこの古教会スラブ語が最初の、そして17世紀から18世紀にかけてロシア語の文章語が成立するまで事実上唯一の文章語だった。10世紀にキリスト教とともに教会スラブ語が伝わってからずっとこれで書いている間にジワジワ土着のロシア語要素が文章語の中に浸入していたのだが、タタールのくびきから解放されて当時のスラブ文化の中心地であった南とのつながりが再開し、セルビア・ブルガリアから再び人や文化が押し寄せたため南スラブ語からの第二の波をかぶった。だからロシア語には今でも南スラブ的要素が目立つ。同じ単語の語形変化や派生語のパターン内で、東スラブ語と南スラブ語系の形が交代する場合が多いほかに、スラブ祖語では一つの単語であった東スラブ語形と南スラブ語形のものがダブって2語になっていることがある。さらに両単語が微妙に意味の細分化を起こしている。上述の記事でもいくつか例を挙げておいたがその他にも次のような例がある。とにかくロシア語ではこういう例が探すとゴロゴロ出てくる。それぞれ*で表してあるのが祖語形、上が東スラブ語(充音を起こしている)、下が南スラブ語(音位転換がみられる)である。

*vold-
волость 領地 行政区
власть (国家)権力

*norvъ 
норов 習慣(古)、頑固さ(口語)
нрав 気質、習慣
(この2語については『24.ベレンコ中尉亡命事件』も参照)

*storn-
сторона 方角、わき、国・地方(口語)
страна 国、地方

*chormъ
хоромы 木造の家(方言または古語)、大きな家(口語)
храм 神殿、殿堂

『56.背水の陣』で述べた「南スラブ語系統の単語や形態素は土着の東スラブ語形にくらべて、高級で上品な語感を持っていたり意味的にも機能的にも一段抽象度が高かったりする」という基本路線が踏襲されていることがわかるだろう。これらは意味が分化したまさにそのために東南双方の語が生き残った例だが、意味の違いが十分でなかったせいで一方が消えてしまったのもある。例えば「若い」は今は東形の молодой しか使われないがちょっと前まではこれと並行した南系の младой という形があった(祖語形は *mold-)。意味的には違わなくとも後者には文語的で高級なニュアンスがあったそうだが衰退した。もっとも原級形では消えたが最上級では南スラブ語系の младший が生き残っている。文法的に高度な要素になると南スラブ語要素の割合が高くなるのが面白い。その「ニュアンスの差」さえないとやはり一方が完全消滅してしまうようだ。例えば11世紀前半ごろからノヴゴロドやキエフで書き始められた年代記には власъ(< *vols-)、 врата(< *volta)という形が見られる。今のволос(「髪」)、ворота(「門」)だが、現在ではこれらの南スラブ語形は跡形もない。また град という、今のロシア語では合成語や派生語にしか見られない(これも前項参照)形、これがネストルの『過ぎし年月の物語』のラヴレンチ―写本では「町」という単独の語として使われている。そこではград と対応する東スラブ語形 город とが併用されているが、Gerta Hüttel-Folter という学者によるとград はコンスタンチノープルなどビザンチンの都市を、 город はロシアの町を表していることが多いそうだ。他にも微妙なニュアンスの差などがあったらしい。なお、非常に余計なお世話だが Hüttel-Folter 氏の名前、Gerta は Greta(グレタ)が音位転換したものではない。Gerta は本来 Gerda で、比較的最近ノルマン語の女性名 Gerðr から借用されたものだが、Greta のほうは Margareta(英語のMargaret)の前綴りと g の後の母音が消失してできた形である。さらに前者は Gertrud ゲルトルートなどの名前に含まれる形態素 Gerd-とは関係がなく、ゲルトルートのゲルは古高ドイツ語の gēr(「槍」)が起源だそうだ。形がちょっと似ているからと言ってすぐ他とくっつけるのは危険である。

『過ぎし年月の物語』では南スラブ語系のград(点線)と東スラブ語系の  город (実線)が並行して使われている。
Hüttel-Folter, Gerta. 1983.Die trat/torot-Lexeme in den altrussischen Chroniken. Wien: p.142から

grad-gorod-Fertig

 さて話題を本来の琥珀に戻すが、ロシア語では янтарь という。古いロシア語では ентарь だがこの語の起原がいろいろと謎だ。その点について泉井久之助氏が面白い指摘をしている。まず ентарь は昔からロシア語にあった言葉ではありえない。なぜならそうだとすれば古ロシア語では ен の部分が鼻母音の ę [ɛ̃] だったはずで、それなら現在では鼻母音がさらに口母音となり(『38.トム・プライスの死』参照)、ятарь という形をしていなければいけない。現に印欧祖語の *pénkʷe (「5」)はスラブ祖語で*pętь、古教会スラブ語で пѧть (pętĭ)、現在のロシア語で пять になっている。実際 ентарь という語は古教会スラブ語のテキストには出てこないそうだ。10世紀以降の借用語という可能性が高いと氏は述べている。別の資料にはそのころは「琥珀」を表すのに古典ギリシャ語の ἤλεκτρον(「琥珀」)から持ってきた илектр または илектрон という言葉を使っていたとある。ентарь が入って илектр を駆逐したのはそのさらに後のはず。資料によると ентарьが文献に登場したのはやっと1551年になってからだ。
 問題はこの語をどこから持ってきたのかということだが、ロシア語語源事典などにはリトアニア語のgintãras(ラトビア語では dzĩtars)からの借用とある。泉井氏によればこの gint-ãr-as は印欧祖語の *gʷet-  または *gʷn̩-(「樹脂」)という語幹から理論的に全く問題なく導き出すことができる、語根だけでなく、-ãr、-as などの形態素も印欧祖語からの派生とみなせるそうだ。しかしリトアニア語で gint-ãr-as と、アクセントが第二音節に移動しているのが引っかかる(私ではなく泉井氏に引っかかるのだ。私はいい加減だからそのくらいは妥協する)。というのはリトアニア語などバルト諸語はゲルマン諸語と同様アクセントが第一音節に落ちるのが基本だからだ。事実ラトビア語の dzĩtarsではそうなっている。アクセントが後方に移動するのはまさにロシア語の特徴だから(これも『56.背水の陣』参照)アクセントに限ってはリトアニア語がロシア語から借用したと考えたほうが都合がいいのだが、上述の通りロシア語の янтáрь は素直に印欧祖語から形を導けない。そのイレギュラーなロシア語から借用したのにリトアニア語では理論上印欧語のレギュラー形になっているわけで、これではまるで一度死んだのに墓から復活した吸血鬼である。ロシア語→リトアニア語という方向の借用は可能性が薄い。
 もっともリトアニア語 gint-ãr-as →ロシア語 ентáрь という方向についても、なぜロシア語で語頭の子音が消えているのか、もし gint-ãr-asを借用したのなら жентарь とか гентарь とか語頭に子音がついたはずではないか、気になることはなる。なるはなるが、まあ別に бентарьとか лентарь とか突拍子もない子音がくっ付いてきたわけでもなし、g や dž が j になることくらいはありそうな感じだからスルーすることにした。泉井氏はこの子音消失を随分気にされていたが。とにかくいったんロシア語に入ってしまってからは話が楽でそこからさらに他のスラブ諸語に広まった。ウクライナ語の янта́р、チェコ語の jantar、セルビア語・クロアチア語の jȁntȃr、スロベニア語の jȃntar はロシア語からの借用である。
 
 また gint-ãr-as は実は印欧語起原でなく、リトアニア語がヨソから(もちろんロシア語は除外)取り入れた言葉だという解釈もあるらしく、gint-ãr-as はフェニキア語の jainitar(「海の樹脂」)から来たという記述を見かけた。しかし正直これは都市伝説(違)としか思えない。フェニキア語はすでに紀元前一世紀には死語になっていたのだからリトアニア語が直接フェニキア語から取り入れたはずはなく、別の言語を仲介したのでなければいけない。つまりこの語は元のフェニキア語が滅んでから千年間も別の言語に居候した後やっとリトアニア語にやってきたということになる。ではその居候先はどこなのか。私にはラテン語、古代ギリシャ語、大陸ケルト語しか思いつかないのだが、ギリシャ語とラテン語は琥珀を表すのに別の単語を使っていたから(それぞれ上述の ἤλεκτρον とゲルマン語から借用した glēsum)除外すると残るは大陸ケルト語ということになる。大陸ケルト語は言語資料が非常に乏しいはずだが、「琥珀」という語の記録でもあったのか?とにかくフェニキア語説はミッシング・リンクがデカすぎるのではなかろうか。

 英語で「琥珀」は amber だが、これは中期フランス語を通して入ってきた言葉でイタリア語、スペイン語などもこれを使っている。もともとはアラビア語、そのさらに元はペルシャ語だそうだ。「琥珀」でなく「竜涎香」という意味だったそうだ。
 面白いのはハンガリー語の琥珀で borostyán といい、ドイツ語 Bernstein からの借用であるがその際ちゃっかり東スラブ語のような充音現象をおこし T-er-T が T-oro-T になっている。

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以前の記事の図表レイアウトが機種やブラウザによってはグチャグチャになるので、図表を画像に変更していっています。今回は文章も結構直しました。今更誤植も見つかって大汗です。

内容はこの記事と同じです。

 いわゆる学校文法では「数詞」が独立した品詞として扱われることが多いが、この数詞というのは相当なクセ者だと思う。それ自体が形の点でもシンタクス上でも名詞と形容詞の間を揺れ動くので、勘定されるほうの名詞との結びつきも複雑になるからだ。
 例えば次のセンテンスだが、

Ten soldiers killed a hundred civilians with twenty guns.

この英語だけ見ると一見 soldiers、civilians、guns の深層格はそれぞれ主格、対格、前置詞格あるいは具格だと思う。 ところが soldiers、civilians などの名詞がここで主格や対格に立たない言語は印欧語族にはゴマンとある。ロシア語だと、

Десять солдат убило/убили сто гражданских людей двадцатью ружьями.
ten + soldiers + killed + hundred + civilian + people + twenty + guns

ここでは数詞の後の soldiers、civilian people(太字)が複数属格(ロシア語文法では「生格」)である。つまりдесять(「10」)、сто(「100」)は普通名詞的なのだ。名詞がもう一つの名詞を修飾する場合、一方が属格になる、つまり「山田さんの家」と同じ構造だ。一方対格と主格以外では数詞が名詞の格と一致する。まるで形容詞のように呼応するのである(下記参照)。いずれにせよロシア語ではこれらの「数詞」は立派に格変化を起こす:десять(主格・対格)→десяти(生・与・前置格)→десятью(造格)あるいはсто(主・対格)→ста(生・与・造・前置格)。実はこういう数詞・名詞の格構成はサンスクリットの昔から印欧語族ではむしろ一般的だ。

サンスクリットでは:
1.数詞1-19が形容詞的に用いられ、その関係する名詞の性・数・格と一致する(つまり数詞も立派に格変化する)。
2.20-99、100、1000等は名詞として扱われ、これの付随する名詞は同格に置かれるか、あるいは複数属格となる。

古教会スラブ語では:
1.1~4は形容詞的特性、つまり付加語扱い。「1」では名詞は単数同格、「2」とは双数(両数)同格、3~4で複数同格、5以上から複数属格。
2.数詞の活用は、1~2が代名詞活用、3が名詞i-活用、4が子音活用とi-活用の混同タイプ、5~9だと活用だけでなく品詞も形容詞でなく名詞扱いでi-活用統一。

ロシア語では上にもあるように、主格と対格で数詞の披修飾名詞が属格になり、その他の格では披修飾名詞と数詞が同格だ。それで最初の例文の中の двадцатью ружьями(下線部)は数詞と名詞のどちらも造格になっている。つまりサンスクリットと同じく名詞が数詞と同格におかれるか、あるいは名詞のほうは複数属格に立つという二つのパラダイムが共存しているわけだ。
 対してラテン語では数詞は不変化「形容詞」とみなされたそうで現在の英語やドイツ語といっしょだが、それでもさらに調べると tantum(たくさんの)、plus(より多くの)などの数量表現では披修飾名詞は複数あるいは単数属格になるというから、数詞も名詞的な特性を完全には失っていない。

plūs pecūniae
more + money(複数属格)

『30.あともう少しのドルのために その2』の項で出したイタリア語の例

un po' più di libri
a + few + more + of + books

も di が入るから属格表現の仲間だとみなしていいのではないだろうか。もっとも例えばラテン語のquīdam(「いくつかの」)は「dē または ex」という前置詞がその後に来た後名詞の奪格を取るそうなので、このdi libriも本来は奪格なのかなとは思う。いずれにせよここでラテン語の属格・奪格形がとろけて一緒になってしまい、格機能が統合されていった様子がよくわかる。
 さらにやっぱりそこの項で出したロシア語

На несколько дрлларов вольше
on/for + some + dollars(複数属格) + more
(For some dollars more)

の「ドル」も複数属格である。

 ドイツ語もよくみると結構面白いことになっていて、数量表現が名詞的特徴を示すことがある。たとえば「多くの私の学生」は

* viele meine Studenten
many + my(複数主格) + students

と「私の学生たち」を主格にすることはできず、披修飾名詞を属格にしないといけない:

viele meiner Studenten
many + my(複数属格) + students

イタリア語と同じくここで各変化による属格でなく前置詞のvon(英語のof)を使って

viele von meinen Studenten
many + of + my(複数与格) + students

ということもできるが、これは上の例と比べて「日常会話的」とのことである。

 英語ほどひどくはないとはいえ、ドイツ語も格変化を捨てまくって堕落したがやっぱりまだまだ印欧語なのである。もっとも日本語でも「私の学生の多く」と「学生」を属格にできるが。
 数詞でも同じことが言えて、

* zwei meine Studenten
two + my (複数主格) + students

zwei meiner Studenten
two + my (複数属格) + students

meine zwei Studenten
my (複数主格) + two + students

*のついた2例では数詞が形容詞としての特性を示すため、いわゆる determinator、つまり「私の学生」というDPを支配する所有代名詞 meine の前に出られないが、披修飾名詞が属格の構造では数詞はそれ自体が事実上名詞であるからそこにまたDP、つまり「私の学生」がくっ付くことができる、と純粋にシンタクスの問題として説明することができるが、もっと見ていくと(しつこいなあ)、実は事はそんなに簡単ではないことがわかる。なぜなら

alle meine Entchen
all(複数主格) + my(複数主格) + ducklings

というフレーズは数量表現がdeterminatorの前に来てしかもそのdeterminatorが主格なのに許されるからである。ネイティブに説明を求めたら「1.この表現は子供の歌だからそもそも俗語的だし、2.alleという表現で表現された数量は閉じられたものであるからdeterminatorの限定的な意味と衝突しないからなんじゃないの?」と言っていた。限定非限定の意味の差が決定権を持っている例は他にもあって、例えば

meine viele Studenten
my(複数主格) + many(主格) + students

ということはできるが、

*meine einige Studenten
my (複数主格) + some(主格) + students

とは言えない。meineの持つ限定的意味とeinige(「(不特定の)いくつかの」)の非限定的な意味合いが衝突するからだろう。viel(「たくさんの」)だと「いくつか」より非限定性がはっきりしていないから限定のdeterminator、所有代名詞と共存できるのだと思う。
 シンタクスだけで全てを説明するのはやはり無理があるようだ。

 さて本題だが、ロシア語学習者泣かせの問題として2、3、4では披修飾名詞が変な形をとる、ということがある。英語やドイツ語では2以上になると披修飾名詞は一律複数主格なので何も苦労がないのだが、ロシア語はそんなに甘くない。ちょっとくらべてみてほしい。比べやすいようにロシア語はローマ字にしてみた。
Tabelle1-58
数が2から4までだと名詞が特殊な形をしているのがわかるだろう。これを語学書などでは「ものがひとつの時は名詞は単数主格、2から4までは単数属格(太字)、5以上になると複数属格(下線)をとる。20までいくとまた1から繰り返すので21の机では名詞が単数主格である」、と説明してある。パラダイムをみてみると確かになるほどとは思う。
Tabelle2-58

私の語学の教科書にもそう書いてあったのだが、そのときのロシア人の教師が運悪く言語学系であったため(『34.言語学と語学の違い』参照)、そこで私たち向かって堂々とこういった。

「語学の入門書とか文法書には「2、3、4は名詞の単数属格をとる」と書いてあったりしますが、これはデタラメです。そう説明しないと初心者が混乱するからです。この形はロシア語では失われてしまった古い双数形が残ったものです。」

古教会スラブ語 plodъ(「果実」)のパラダイムを調べてみると、o-語幹では確かに双数主格と単数属格が同形に見える。
Tabelle3-58
それでは2、3、4、のあとに来る名詞の形が単数生格でなく双数主格だとどうしてわかるのか。実は「2」のあとに来る形と単数生格ではアクセントの位置が違うのである。たとえば、шаг(シャーク、「歩、歩調」)の単数生格はшагаで、アクセントは最初のаにあるから「シャーガ」。対して「二歩」はдва шагаだが、アクセントが2番目のаに来て「シャガー」となる。同じくчас(チャース、「1時間」)の単数生格は часа(チャーサ)だが「3時間」は три часа(トリー・チャサー)だ。つまり字に書くとアクセントが表せないから同じに見えるがこの二つは本来全然違う形なのだ。
 これを「単数生格」とデタラメな説明をする語学教師あるいは教科書を、イサチェンコという言語学者が著書の中で「言語事実を強姦するに等しい」とまで言って怒っていた。しかしたかがこれしきのことで強姦呼ばわりされていたら、そこら辺のいわゆる「よくわかる○○語」「楽しく学べる○○語」の類の語学書には強姦魔がいくらもいる。私もさるドイツ語の楽しい入門書で不規則動詞について「日頃よく使う道具はあまり使わない道具より消耗が激しいでしょう。それと同じく日頃よく使う動詞は形が崩れやすいんですよ」とわかりやすい説明をしているのを見たことがあるが、これなんか強姦殺人級の犯罪ではないだろうか。話が全く逆の上に、ドイツ語ばかりでなく、他の言語も不規則動詞は「規則動詞より変化が早かったため」と一般化されてしまいかねないからである。
 使用頻度の高い「基本動詞」が不規則動詞であることが多いのは変化に曝された度合いが規則動詞より強かったからではなくて、その逆、それらが頻繁に使われるため、古い形がそのまま引き継がれて変わらずに残ったからだ。言語が変化し、動詞のパラダイムが変わってしまった後もそれらがまさに頻繁に口に上るそのためにパラダイム変化を被らなかったからである。たとえばロシア語で take という意味の不規則動詞の不定形は взять だが、定形・現在時称だと возьму(一人称単数)、возьмёшь(2人称単数)などとなって突然鼻音の м (m) が現われ学習者はビビる。しかしこれは規則動詞より形が崩れたからではなくて、ロシア語の я が古い時代に鼻母音だった名残である。つまり不規則動詞のほうが古い形を保っているのであり、規則動詞がむしろ新参者なのだ。

 語学書やいいかげんな語学教師のデタラメな強姦罪に対して声を上げたロシア語の先生は勇気があるとは思うが(女の先生だった)、実は一つだけ疑問が残った。残念ながら私のほうに勇気が欠けていたのでその場で質問しそこねたためいまだに疑問のまま残っているのだが、

「2の後の名詞が双数主格なのはわかるが、どうして3と4まで双数になっているのか。」

この記事を書く機会にちょっと調べてみたのだがはっきりその点に言及しているものが見つからなかった。かろうじて次のような記述を見かけたが説明としてはやや弱い。

Под влиянием сочетаний с числительным два аналогичные формы появились у существительных в сочетаниях с числительными три и четыре

数詞の2との組み合わせに影響され、そこからの類推によって数詞の3と4と結合する場合も名詞が同様の形をとるようになった。

上の古教会スラブ語の説明にあるように、3と4は本来複数主格だったはずである。5からは複数属格だったから形が違いすぎて類推作用が及ばなかったのはわかるが、3と4で双数主格が複数主格を食ってしまったのはなぜなのかどうもわからない。やっぱりあの時勇気を出して先生に聞いておけばよかった。


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前に書いた記事の図表を画像に変更しました(レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるようなので)。ついでに文章も一部直しました。ドイツ領では過去スラブ語、バルト語が広く話されていたということを知らない、あるいは認めたがらないドイツ人は多いです。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 ローマ時代に消滅したエトルリア語(『123.死して皮を留め、名を残す』参照)のほかにもその存在と消滅が記録に残っている言語はもちろんたくさんある。北ヨーロッパでかつて話されていた古プロイセン語も有名だ。「プロイセン」あるいは「プロシア」という名称を後になってドイツ人が転用してしまったため(下記参照)、ゲルマン語の一種、果てはドイツ語の方言かと思っている人もいるようだがこの古プロイセン語はゲルマン語とは全く違うバルト語派の言語である。現在のリトアニア語やラトビア語の親戚だ。

 13世紀にドイツ騎士団がポーランドの公爵から許可されてバルト海沿岸に進出というかバルト海沿岸を侵略してというかとにかくそこに領土を形成していったとき当地で話されていた言語が古プロイセン語である。ポメサニアPomesanien、サンビア半島Samlandと呼ばれている地域だ。
 プロイセンという名前が最初に文献に出てくるのは9世紀で、バイエルンの地理学者がBruziというバルト海沿岸の民族について言及している。これらの人々はまたPruzziあるいはPrūsai(プロイセン人本人は自分たちをこう呼んでいた)とも呼ばれたがやがてPreußenというドイツ語名が定着し、さらに民族でなく地域を表すようになってドイツの一地方の名称として使われるようになったのだ。

 現在見つかっている最も古い古プロイセン語の文献は13世紀後半か14世紀初頭のもので、バルト語派全体でも最古のものである。リトアニア語もラトビア語も16世紀までしか遡れないからだ。
 その最古の文献の一つがエルビング(ポーランドではエルブロング)の語彙集Elbinger Vokabularとよばれるドイツ語-古プロイセン語の辞書で、古プロイセン語のポメサニア方言の単語が802収められている。単語がアルファベット順でなく「食事」「服装」などのテーマ別に配置されている、いわば旅行者用の言語案内書である。古プロイセン語ばかりでなくドイツ語の貴重な資料ともなっている。13世紀から14世紀にかけてドイツ騎士団領で話されていた当時のドイツ語が記されているからだ。現在のドイツ語ではもう失われてしまっている古い形が散見される。
 1545年にはルターが1529年に発表した小教理問答書の翻訳が二冊出た。その二冊目は一冊目の改訂版である。訳者はわかっていない。1561年にはこれもルターの大教理問答書が訳されたが、こちらは訳者がわかっている。Abel Willという牧師がプロイセン人のPaul Megottの助けを借りて訳したものだ。この3冊とも出版地はケーニヒスベルクであった。小教理問答はポメサニア方言、大教理問答ではサンビア半島方言で書かれている。両方言間には音韻対応も確認されている。例えばポメサニア方言の ō がサンビア半島のā に対応している:tōwis (ポ)対tāws(サ)(「父」)など。また大教理問答書はテキストが量的に多いというばかりでなく、古プロイセン語のアクセントやイントネーションなどが反映されていて貴重な手がかりになっている。
 この教理問答書の直前、1517年から1526年ごろにかけてSimon Grunauという僧が編纂した辞書は「グルナウの辞書」として知られている。これらのほかにも断片的なテキストや碑などがいろいろあるし、ドイツ語-古プロイセン語ばかりでなくポーランド語の辞書も存在するとのことだ。
 しかし語彙に関してはそういった貴重な資料が提供されている一方、シンタクス面では鵜呑みにできかねる点があるらしい。得に教理問答書がドイツ語の原本にあまりに忠実な訳をとったため、硬直したセンテンス構成となっていて語順などは実際の古プロイセン語からは乖離しているからだそうだ。いわゆる直訳体が通常使われている言葉とはとかけ離れている、というのは日本語でもその通りである。また所々誤訳も見つかっている。ドイツ語の名詞Reich 「帝国・領域」と形容詞reich「豊かな」を取り違えたりしている部分があるとのことだ。もっとも多少の誤訳は翻訳にはまあつきものだし、誤訳だと判明しているそのこと自体が古プロイセン語がきちんと解読されている証拠ではある。

 エトルリア語と違って古プロイセン語は一目見た瞬間からすでにバルト語の一つであることが明らかだった。語彙の面でも文法構造の点でもリトアニア語やラトビア語との相似が著しかったからだ。もちろん微妙に違っている部分もいろいろあるので、リトアニア語、ラトビア語は「東バルト語派」、古プロイセン語は「西バルト語派」と分けている。だから現在生き残っているのは東バルト語のみだ。

バルト語派の系統図。
Arkadiev, Peter (et.al) (ed.).2015. Contemporary Approaches to Baltic Linguistics. Berlin:De Gruyterから
Baltisch_bearbeitet

 不便なことに古プロイセン語は言語比較の際必ずと言っていいほど持ち出される基数が1、3、10、1000しかわかっていない。序数は10まできれいにわかっている。教理問答の「十戒」が10番目まであるからだ。その序数を東バルト語派の両言語と比べてみると下のようになる。
Tabelle-125
古プロイセン語とリトアニア語・ラトビア語との間には地域差ばかりでなく時代差があるので気をつけないといけないが、それでもこの三言語が非常に似ていることがわかる。さらに「第3」、「第6」、「第9」の語頭音を見れば古プロイセン語とリトアニア語・ラトビア語、つまり東西バルト語派の間に境界線を引けることがわかる:古プロイセン語ではそれぞれ、tir- (tîr-)、 Øus- (Øuš-,vuš-)、nev- がリトアニア語、ラトビア語ではそれぞれtrẽ- (tre-)、šẽš- (ses-)、dev- で、明瞭な差があるからだ。東バルト語派の「第六」、šẽštasとsestaisは古プロイセン語のustsとはそもそも語源が違い、単純に音韻対応での比較をすることはできないそうだ。šẽštas・sestaisは一目瞭然に他の印欧語と同じ。古プロイセン語だけ変な形になっている。この3つは古プロイセン語の中での方言差を示しているがその一つがwuschts となっていて、prothetisches V (『33.サインはV』『37.ソルブ語のV』参照)が現れているのが面白い。実は基数の1は古プロイセン語ではains なのだが、これがリトアニア語ではvíenas、ラトビア語ではviênsでprothetisches V が現れる。V の等語線が東バルト語から西バルト語側にちょっとはみ出している感じなのか。さらに古プロイセン語のains は印欧祖語の*oinos 直系でゴート語のains やラテン語のūnusと同じだが、リトアニア語。ラトビア語のvíenas・ viêns は*eino- という形を通しており、古教会スラブ語のjedinъの -ino- と共通している。上の「第3」、「第6」、「第9」にしても東バルト語派はスラブ語と共通している。古プロイセン語だけがスラブ語と違うということで、バルト語派とスラブ語派はもともとはもっと離れていたのが、時代が下るにつれて近づいていったのではないかという説もある(下記参照)所以である。
 このほか古プロイセン語の「この」(the、 this)が stas なのに対してリトアニア語、ラトビア語は tàs 、tas というのも「東西の頭の差」の例だろうが、もう一つ、古プロイセン語の「雪」はsnaygis で、リトアニア語の sniẽgas、ラトビア語の sniegs とは複母音の方向が逆になっている。後者はロシア語と共通。またリトアニア語の「雪片」という言葉には古形の -ay-  が保持されていてsnaigẽ 。ついでにこの印欧祖語形は *snóygʷʰos である。
 音韻上ばかりでなく、東西バルト語派間には構造上の違いがいろいろある。その一つが古プロイセン語は文法カテゴリーとして中性名詞を保持していることだ。特にエルビングの語彙集ではそれが顕著である。対して東バルト語派には男性・女性の二性しかない(リトアニア語には僅かながら中性の残滓が残っている)。中性名詞は男性名詞に吸収されてしまった。もっとも古プロイセン語でも子音語幹の中性名詞は男性化傾向が見られ、例えば小教理問答では「名前」をemmens といって本来 n-語幹であったのに男性名詞的な語尾 –s が付加されている。 対応するロシア語 имя もラテン語 nōmen も中性。u-語幹の中性名詞は比較的明瞭に「中性性」が保たれ、「蜂蜜」は meddo(-o で終わっていても u-語幹)、「蜂蜜酒」は alu。リトアニア語・ラトビア語ではこれらはそれぞれ medús・medus、alùs・alusというどれも男性名詞である。ただし「蜂蜜酒」のほうは現在では「ビール」の意味になっている。
 さらに外来語が中性名詞として借用された例もある。mestan 「都市」がそれで、リトアニア語ではmiẽstas で男性名詞。ポーランド語miastoからの借用である。『5.類似言語の恐怖』でも述べたようにこれは本来「場所」という意味で、スラブ祖語の*mě̀sto、ロシア語のместо と同源だ。ラトビア語の「都市」はpilsēta で別単語になっているが、これは女性名詞。

 さて、頻繁に議論の対象になるのがバルト語派とスラブ語派の関係である。この二つの語派は地理的にも近いし似ている点も多いので、もともとは一つの語派だったのではないかとする人も多く、以前は「バルト・スラブ語派」といった。今でも時々この名称を聞く。しかし研究が進むにつれてバルト語派とスラブ語派には言語構造、特に動詞の形態素構造に本質的な違いがあることがわかってきて今ではバルト語派とスラブ語派は分けて考えることが多い。
 もっともこの、バルト語派とスラブ語派は一つの語派から別れたものだという考え方にはすでにアントワーヌ・メイエが疑問を提示している。両語派は元から別語派で、平行して発展してきたというのがメイエの主張であった。そこからさらに発展して、バルト語派とスラブ語派間の共通性は「言語連合」(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)によるものだと唱える人たちも現れたが、バルト語派・スラブ語派間の類似性は、古典的な言語連合、例えばバルカン半島の諸言語の場合とは質的な違いがあり、一般に受け入れられるには到っていない。
 
 その動詞の変化パラダイムを比較していくと、スラブ語派は東部の印欧諸語と共通性があり、バルト語派はゲルマン語派、ケルト語はやイタリック語派とともに西ヨーロッパの印欧語に所属させたほうがいいと思わせるそうだ。ただし印欧諸語を単純に西と東に分けること自体に問題があるから、バルト・スラブ間に東西印欧諸語の境界線が走っていると主張することはできない。
 そのバルト語・スラブ語間の形態素の違いについていろいろと指摘できる点はあるそうだが、ガチの印欧比較言語学理論は残念ながら私には理解できないから(どうもすみません)、個人的に面白いと思った点を勝手に列挙させていただくことにする。
 まず、バルト語派の動詞には3人称に単数・複数の区別がない。この点でゲルマン語派ともスラブ語派とも大きく違っている。ゲルマン語でもスラブ語でも助動詞で例えば一人称単数と3人称単数が同形になったり(ドイツ語のich magとer mag < mögen 「~が好きだ」)、一人称単数と3人称複数が同形になったり(クロアチア語の ja mogu とoni mogu < moći「~ができる」。クロアチア語で一人称単数と3人称複数が同じになるのはこの助動詞だけ)することは稀にあるが、3人称の単複同形というのは特殊である。
 また未来系を助動詞の付加でなく(analytic future)動詞の語形変化そのものによって作る(synthetic future)。s-未来と呼ばれ、古プロイセン語のpostāsei(「~になるだろう」2人称単数)がそれ。対応するリトアニア語はpastōsi。さらにリトアニア語の「坐っている」sėdėti の未来形は sedesiu (一人称単数)、 sedesi (二人称単数)、 sedes (三人称単・複)、sedesime(一人称複数)、 sedesite (二人称複数)となる。ラトビア語の「話す」runāt はrunāšu (一人称単数)、 runāsi(二人称単数)、  runās (三人称単・複)、runāsim (一人称複数)、  runāsit/runāsiet (二人称複数)。スラブ語派は助動詞で作る未来形 analytic future しかない。ドイツ語英語も印欧語本来のsynthetic future を失ってしまった。ただし古プロイセン語の小教理問答には動詞の能動態過去分詞にwīrst あるいは wīrstai を付加して作るanalytic future が見られる。もちろんドイツ語の影響である。
 上述のラトビア語の「話す」もそうだが、ちょっとバラバラと動詞を見ていくと語そのものがスラブ語と全く違っているものが目立つ。スラブ諸語は『38.トム・プライスの死』でも書いたように基本の語彙が似ているというより「共通」なので新聞の見出しなど類推で意味がわかってしまうことが多いが、バルト語派相手だとこの手が全然効かない。リトアニア語の「話す」はkalbėtiで、さらに別単語となっているがスラブ語とはやはり遠い。「話す」のほか、たとえばリトアニア語の「書く」はrašyti、「聞く」がgirdė́ti。pjautiは「飲む」か「歌う」かと思うとそうではなくて「切る・刈る」。
 もちろんバルト・スラブ語派というものが取りざたされるほどだから確かに似た形の単語もある。上の「坐っている」がそう。ロシア語の сидеть とそっくりだ。他にも「与える」の古プロイセン語一人称単数が dam 、古リトアニア語が dúomi、現リトアニア語 dúodu (不定形 duoti)、ラトビア語 dodu(不定形dot)古教会スラブ語 damь(不定形 дати)、ロシア語 дам (不定形дать)。リトアニア語を見るとバルト語派内で –m から –du の転換があったようだが、とにかく似ている。しかし一方この語はバルト語派とスラブ語派だけが似ているのではなくて他の印欧語もいっしょなのである。古典ギリシャ語がdidōmi、サンスクリットでdadāmi、ラテン語のdō もこれ。まさにみんなで渡れば怖くないだ。
 また「住む、生きる」の古プロシア語三人称複数形は giwammai でリトアニア語でのgyvẽname あるいはgyvẽnam と同源。ロシア語の живём と子音が違うようだが、これがラトビア語になると dzīvojam でロシア語やクロアチア語の živimo と立派につながっている。印欧祖語では*gʷeyh₃-だそうだ。つまり「与える」も「生きる」もバルト語派とスラブ語派が近いから似ているというより両方とも印欧語だから似ているだけの話なのである。

 全体としてバルト諸語とスラブ諸語は確かにいっしょにされるのも一理あるはあるのだが、かといってでは問答無用で一括りにできるかというとそうでもない、いわばつかず離れず状態と言えよう。せっかくそうやってゲルマン諸語にもスラブ諸語にもベッタリになることなく上手く立ち回ってきた古プロイセン語だが、ドイツ語に押されて18世紀初頭にはすでに死滅してしまっていたと思われる。残念なことである。

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以前書いた記事の図表を画像に変更していっています(レイアウトが特にスマホではグチャグチャになるため)文章にも少し手を入れました。特に最近はスピード語学的にチャッチャッと勉強する人が多いですが(←あんたもだろ)、実は言語も石を投げればわからないことにぶつかるもので、この「琥珀問題」などもまだ解明されていない現象の一つでしょう。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 琥珀のことをドイツ語で Bernstein というが、この Bern- は本来 brenn-つまり現代標準ドイツ語のbrennen 「燃える」、言い換えると Bernstein の本来の形は Brennstein「燃える石」だ。古高ドイツ語では実際にそう呼んでいた。この brennen という動詞は元々は二つの違った動詞であったのが新高ドイツ語期になって合体してひとつになったものだそうだ:その一つは「燃える」という強変化の自動詞で8世紀の古高ドイツ語、ゴート語で brinnan、古ノルド語で  brinna、中高ドイツ語で brinnen、もう一つは「燃やす」という弱変化の他動詞で古高ドイツ語、中高ドイツ語で brennen、古ノルド語で brenna、ゴート語で gabrannjan といった。ところがそのうち中期低地ドイツ語、中期オランダ語にbernen(自動詞・他動詞共)、古期英語に beornan(自動詞)、 bœrnan(他動詞)(この二つは後に burn という一つの動詞に融合した)という形が現れた。それで13世紀の中期低地ドイツ語では琥珀を bernestēn。barnstēn、börnstēn などと言っていた。現在の Bernstein はこれらの低地ドイツ語形が新高ドイツ語に取り入れられて18世紀に定着したものだ。
 この二つを比べると(英語も含めた)低地ドイツ語と高地ドイツ語では母音と子音 r の順番がひっくり返っているのがわかるが、こういった現象を「音位転換」Metathese といい、いろいろな言語で極めて頻繁に観察される現象である。日本語にもある。例えば「新しい」は本来「あらたし」であったのが、r と t の位置が転換してそのまま固定してしまった。言い間違えで音韻転換してしまうこともよくある。一度「かいつぶり」を「かいつびる」と言った子供を見たが、これも u と i のメタテーゼだ。

 「琥珀」の Brennstein→Bernsteinで見られるような母音と流音の音位転換を特にLiquidametathese(liquid metathesis)「流音音位転換」(発音しにくい言葉だなあ)というが、スラブ語がこれで有名なので liquid metathesis という本来一般的な言葉が「スラブ語流音音位転換 」Slavic liquid metathesis の意味で使われることがある。スラブ祖語では母音+流音であったのが南スラブ諸語では流音+母音と順序が逆転し(つまり音位転換を起こし)、東スラブ諸語では「充音現象」 полногласие (『56.背水の陣』参照)として現れる音韻変化で、ロシア語学習者は以下の呪文のような図式を覚えさせられる。
Tabelle1-145
Tというのは「任意の子音」という意味。だから TorTは「子音 - o - r - 子音」という音韻連続の図式化である。スラブ祖語で子音 - 母音 o - 流音(r または l)という順番だったのが南スラブ語では子音 - 流音 - 母音と音位転換を起こし、しかも母音が o から a に代わっているのがわかる(太字部)。ロシア語ではここが母音が添加された полногласиеとなっている。母音が e の場合も基本的に南スラブ語は音位転換、東スラブ語は充音というパターンだが、南スラブ語では祖語の e が ije と e の2通りある。これが『15.衝撃のタイトル』で述べたセルビア語・クロアチア語の je-方言、e-方言の違いである(太字に下線)。ブルガリア語も e だ。また東スラブ語では祖語の e が o となり、流音 l での両母音の区別が失われている。これだけでは抽象的すぎるので例をあげよう。
Tabelle2-145
BSKというのはブルガリア語、セルビア語、クロアチア語のことだ。*gordъ の意味が括弧にいれてあるのはこの語が各言語で意味の分化を起こしているからで、クロアチア語の grad、ロシア語の гóрод は「町」、西スラブ語の両言語、それぞれ gród と hrad は「城塞」、ウクライナ語の горóд は「庭」だが元の言葉は一つで「柵で囲まれたところ」という意味だった。さらにウクライナ語の г はロシア語と違って閉鎖音ではなく摩擦音である。ベラルーシ語でもそうだが(『33.サインはV』参照)実際に聞くと h に聞こえることがあり、チェコ語と対応している。*bergъについては南スラブ語だけ他と意味が違っていて(下線部)「丘」となる。
 実は南スラブ語にはBSKの他にも、というよりBSKよりも大物の言語が属している。古教会スラブ語である。『56.背水の陣』にも書いたが、ロシアではこの古教会スラブ語が最初の、そして17世紀から18世紀にかけてロシア語の文章語が成立するまで事実上唯一の文章語だった。10世紀にキリスト教とともに教会スラブ語が伝わってからずっとこれで書いている間にジワジワ土着のロシア語要素が文章語の中に浸入していたのだが、タタールのくびきから解放されて当時のスラブ文化の中心地であった南とのつながりが再開し、セルビア・ブルガリアから再び人や文化が押し寄せたため南スラブ語からの第二の波をかぶった。だからロシア語には今でも南スラブ的要素が目立つ。同じ単語の語形変化や派生語のパターン内で、東スラブ語と南スラブ語系の形が交代する場合が多いほかに、スラブ祖語では一つの単語であった東スラブ語形と南スラブ語形のものがダブって2語になっていることがある。さらに両単語が微妙に意味の細分化を起こしている。上述の記事でもいくつか例を挙げておいたがその他にも次のような例がある。とにかくロシア語ではこういう例が探すとゴロゴロ出てくる。それぞれ*で表してあるのが祖語形、上が東スラブ語(充音を起こしている)、下が南スラブ語(音位転換がみられる)である。

*vold-
волость 領地 行政区
власть (国家)権力

*norvъ 
норов 習慣(古)、頑固さ(口語)
нрав 気質、習慣
(この2語については『24.ベレンコ中尉亡命事件』も参照)

*storn-
сторона 方角、わき、国・地方(口語)
страна 国、地方

*chormъ
хоромы 木造の家(方言または古語)、大きな家(口語)
храм 神殿、殿堂

『56.背水の陣』で述べた「南スラブ語系統の単語や形態素は土着の東スラブ語形にくらべて、高級で上品な語感を持っていたり意味的にも機能的にも一段抽象度が高かったりする」という基本路線が踏襲されていることがわかるだろう。これらは意味が分化したまさにそのために東南双方の語が生き残った例だが、意味の違いが十分でなかったせいで一方が消えてしまったのもある。例えば「若い」は今は東形の молодой しか使われないがちょっと前まではこれと並行した南系の младой という形があった(祖語形は *mold-)。意味的には違わなくとも後者には文語的で高級なニュアンスがあったそうだが衰退した。もっとも原級形では消えたが最上級では南スラブ語系の младший が生き残っている。文法的に高度な要素になると南スラブ語要素の割合が高くなるのが面白い。その「ニュアンスの差」さえないとやはり一方が完全消滅してしまうようだ。例えば11世紀前半ごろからノヴゴロドやキエフで書き始められた年代記には власъ(< *vols-)、 врата(< *volta)という形が見られる。今のволос(「髪」)、ворота(「門」)だが、現在ではこれらの南スラブ語形は跡形もない。また град という、今のロシア語では合成語や派生語にしか見られない(これも前項参照)形、これがネストルの『過ぎし年月の物語』のラヴレンチ―写本では「町」という単独の語として使われている。そこではград と対応する東スラブ語形 город とが併用されているが、Gerta Hüttel-Folter という学者によるとград はコンスタンチノープルなどビザンチンの都市を、 город はロシアの町を表していることが多いそうだ。他にも微妙なニュアンスの差などがあったらしい。なお、非常に余計なお世話だが Hüttel-Folter 氏の名前、Gerta は Greta(グレタ)が音位転換したものではない。Gerta は本来 Gerda で、比較的最近ノルマン語の女性名 Gerðr から借用されたものだが、Greta のほうは Margareta(英語のMargaret)の前綴りと g の後の母音が消失してできた形である。さらに前者は Gertrud ゲルトルートなどの名前に含まれる形態素 Gerd-とは関係がなく、ゲルトルートのゲルは古高ドイツ語の gēr(「槍」)が起源だそうだ。形がちょっと似ているからと言ってすぐ他とくっつけるのは危険である。

『過ぎし年月の物語』では南スラブ語系のград(点線)と東スラブ語系の  город (実線)が並行して使われている。
Hüttel-Folter, Gerta. 1983.Die trat/torot-Lexeme in den altrussischen Chroniken. Wien: p.142から

grad-gorod-Fertig

 さて話題を本来の琥珀に戻すが、ロシア語では янтарь という。古いロシア語では ентарь だがこの語の起原がいろいろと謎だ。その点について泉井久之助氏が面白い指摘をしている。まず ентарь は昔からロシア語にあった言葉ではありえない。なぜならそうだとすれば古ロシア語では ен の部分が鼻母音の ę [ɛ̃] だったはずで、それなら現在では鼻母音がさらに口母音となり(『38.トム・プライスの死』参照)、ятарь という形をしていなければいけない。現に印欧祖語の *pénkʷe (「5」)はスラブ祖語で*pętь、古教会スラブ語で пѧть (pętĭ)、現在のロシア語で пять になっている。実際 ентарь という語は古教会スラブ語のテキストには出てこないそうだ。10世紀以降の借用語という可能性が高いと氏は述べている。別の資料にはそのころは「琥珀」を表すのに古典ギリシャ語の ἤλεκτρον(「琥珀」)から持ってきた илектр または илектрон という言葉を使っていたとある。ентарь が入って илектр を駆逐したのはそのさらに後のはず。資料によると ентарьが文献に登場したのはやっと1551年になってからだ。
 問題はこの語をどこから持ってきたのかということだが、ロシア語語源事典などにはリトアニア語のgintãras(ラトビア語では dzĩtars)からの借用とある。泉井氏によればこの gint-ãr-as は印欧祖語の *gʷet-  または *gʷn̩-(「樹脂」)という語幹から理論的に全く問題なく導き出すことができる、語根だけでなく、-ãr、-as などの形態素も印欧祖語からの派生とみなせるそうだ。しかしリトアニア語で gint-ãr-as と、アクセントが第二音節に移動しているのが引っかかる(私ではなく泉井氏に引っかかるのだ。私はいい加減だからそのくらいは妥協する)。というのはリトアニア語などバルト諸語はゲルマン諸語と同様アクセントが第一音節に落ちるのが基本だからだ。事実ラトビア語の dzĩtarsではそうなっている。アクセントが後方に移動するのはまさにロシア語の特徴だから(これも『56.背水の陣』参照)アクセントに限ってはリトアニア語がロシア語から借用したと考えたほうが都合がいいのだが、上述の通りロシア語の янтáрь は素直に印欧祖語から形を導けない。そのイレギュラーなロシア語から借用したのにリトアニア語では理論上印欧語のレギュラー形になっているわけで、これではまるで一度死んだのに墓から復活した吸血鬼である。ロシア語→リトアニア語という方向の借用は可能性が薄い。
 もっともリトアニア語 gint-ãr-as →ロシア語 ентáрь という方向についても、なぜロシア語で語頭の子音が消えているのか、もし gint-ãr-asを借用したのなら жентарь とか гентарь とか語頭に子音がついたはずではないか、気になることはなる。なるはなるが、まあ別に бентарьとか лентарь とか突拍子もない子音がくっ付いてきたわけでもなし、g や dž が j になることくらいはありそうな感じだからスルーすることにした。泉井氏はこの子音消失を随分気にされていたが。とにかくいったんロシア語に入ってしまってからは話が楽でそこからさらに他のスラブ諸語に広まった。ウクライナ語の янта́р、チェコ語の jantar、セルビア語・クロアチア語の jȁntȃr、スロベニア語の jȃntar はロシア語からの借用である。
 
 また gint-ãr-as は実は印欧語起原でなく、リトアニア語がヨソから(もちろんロシア語は除外)取り入れた言葉だという解釈もあるらしく、gint-ãr-as はフェニキア語の jainitar(「海の樹脂」)から来たという記述を見かけた。しかし正直これは都市伝説(違)としか思えない。フェニキア語はすでに紀元前一世紀には死語になっていたのだからリトアニア語が直接フェニキア語から取り入れたはずはなく、別の言語を仲介したのでなければいけない。つまりこの語は元のフェニキア語が滅んでから千年間も別の言語に居候した後やっとリトアニア語にやってきたということになる。ではその居候先はどこなのか。私にはラテン語、古代ギリシャ語、大陸ケルト語しか思いつかないのだが、ギリシャ語とラテン語は琥珀を表すのに別の単語を使っていたから(それぞれ上述の ἤλεκτρον とゲルマン語から借用した glēsum)除外すると残るは大陸ケルト語ということになる。大陸ケルト語は言語資料が非常に乏しいはずだが、「琥珀」という語の記録でもあったのか?とにかくフェニキア語説はミッシング・リンクがデカすぎるのではなかろうか。

 英語で「琥珀」は amber だが、これは中期フランス語を通して入ってきた言葉でイタリア語、スペイン語などもこれを使っている。もともとはアラビア語、そのさらに元はペルシャ語だそうだ。「琥珀」でなく「竜涎香」という意味だったそうだ。
 面白いのはハンガリー語の琥珀で borostyán といい、ドイツ語 Bernstein からの借用であるがその際ちゃっかり東スラブ語のような充音現象をおこし T-er-T が T-oro-T になっている。

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記事の図表を画像に変更し、レイアウトと文章にも少し手を入れました。前にも書きましたが私は副専攻がクロアチア語で(そんな、キャリアアップとか金もうけとは徹底的に無縁の専攻をしてどうする)、言語そのものは(何せ昔の話なので)忘れてしまいましたが教科書や辞書はまだとってあります。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 『107.二つのコピュラ』の項でちょっと述べたように、ロシア語には形容詞の変化パラダイムとして短形と長形との二つがある。長形は性・数・格にしたがって思い切り語形変化するもので、ロシア語学習者が泣きながら暗記させられるのもこちらである。辞書の見出しとして載っているのもこの長形の主格形だ。たとえばдобрый(「よい」)の長形の変化形は以下のようになる。男性名詞の対格形が二通りあるのは生物と無生物を区別するからだ(『88.生物と無生物のあいだ』参照)。
Tabelle1-133 
それに比べて短形のほうは主格しかなく、文の述部、つまり「AはBである」のBの部分としてしか現れない、言い換えると付加語としての機能がないので形を覚える苦労はあまりない。アクセントが変わるのがウザいが、まあ4つだけしか形がないからいい。
Tabelle2-133
困るのはどういう場合にこの短形を使ったらいいのかよくわからない点だ。というのは長形の主格も述部になれるからである。例えば He is sick には長短二つの表現が可能だ。

短形 
Он болен
(he-主格 + (is=Ø) + sick-短形単数主格)

長形
Он больной
(he-主格 + (is=Ø) + sick-長形単数主格)

この場合は、боленなら目下風邪をひいているというニュアンス、больнойだと彼は病気がちの人物、体が弱いという理解になる。が、では短形は描写された性質が時間的に限られた今現在の偶発的な状態、長形は持続的な状態と一般化していいかというとそうでもない。レールモントフの『現代の英雄』の一話に次のような例がある。ある少年の目が白く濁っているのを見て主人公は彼が盲目であると知るがその描写。

Он был слепой, совершенно слепой от рождения.
彼は盲目だった、生まれつき全くの盲目だったのだ。

太字にした слепойというのが「盲目の」という形容詞の長形単数主格系である。ここまでは上述の規則通りであるが、そのあと主人公はこの盲目の少年がまるで目が見えるかのように自由に歩き回るのでこう言っている。

В голове моей родилось подозрение, что этот слепой не так слеп, как оно кажется.
私の頭には、この盲目の者は実は見かけほど盲目ではないのではないかという疑いが起こった。

二番目の「盲目」、太字で下線を引いた слепというのは短形である。このような発言はしても主人公はこの少年が「生まれつきの」盲目であるということは重々わかっているのだ。二番目の「盲目」は決して偶発的でも時間がたてば解消する性質でもない。
 つまり形容詞の長短形の選択には話者の主観、個人的な視点が決定的な役割を果たしていることがわかる。話者がその性質を具体的な対象に対して、具体的な文脈で描写している場合は短形、その性質なり状態なりを対象に内在した不変特性として表現したい場合は長形を使う。前にも出したが、

китайский язык очень труден. (短形)
китайский язык очень трудный.(長形)

は、どちらも「中国語はとても難しい」である。が、短形は「私にとって中国語はとても難しい」という話者の価値判断のニュアンスが生じるのに対し、長形は「中国語はとても難しい言語だ」、つまり中国語が難しいというのは話者個人の判断の如何にかかわらず客観的な事実であるという雰囲気が漂うのである。短形を使うと中国語というものがいわば具体性を帯びてくるのだ。
 また形容詞によっては術語としては長形しか使えないものがあったり、短形しか許されないセンテンス内の位置などもある。『58.語学書は強姦魔』でも名前を出したイサチェンコというスラブ語学者がそこら辺の長短形の意味の違いや使いどころについて詳しく説明してくれているが、それを読むと今までにこの二つのニュアンスの違いをスパッと説明してくれたネイティブがなく、「ここは長形と短形とどちらを使ったらいいですか?またそれはどうしてですか?」と質問すると大抵は「どっちでもいいよ」とか「理由はわかりませんがとにかくここでは短形を使いなさい」とかうっちゃりを食らわせられてきた理由がわかる。単にネイティブというだけではこの微妙なニュアンスが説明できるとは限らないのだ。やはり言語学者というのは頼りになるときは頼りになるものだ。

 さて、このようにパラダイムが二つ生じたのには歴史的理由がある。スラブ祖語の時期に形容詞の主格形の後ろに時々指示代名詞がくっつくようになったのだ。* jь、ja、 jeがそれぞれ男性、女性、中性代名詞で、それぞれドイツ語の定冠詞der 、die、 dasに似た機能を示した。 それらが形容詞の後ろについて一体となり*dobrъ + jь = добрый、* dobra + ja =  добрая、*dobro + je =  доброеとなって長形が生じた。代名詞が「後置されている」ところにもゾクゾクするが、形容詞そのもの(太字)は短形変化を取っているのがわかる(上記参照)。この形容詞短形変化はもともと名詞と同じパラダイムで、ラテン語などもそうである。対して長形のほうはお尻に代名詞がくっついてきたわけだから、変化のパラダイムもそれに従って代名詞型となる。
 また語尾が語源的に指示代名詞ということで長形は本来定形definiteの表現であった。つまりдобр человекと短形の付加語にすればa kind man、 добрый человекと長形ならthe kind manだったのだ。本来は。現在のロシア語ではこのニュアンスは失われてしまった。短形は付加語にはなれないからである。

 ところがクロアチア語ではこの定形・不定形という機能差がそのまま残っている。だから文法では長形短形と言わずに「定形・不定形」と呼ぶ。また長・短形とも完全なパラダイムを保持している。例えば「よい」dobarという形容詞だが、定形(長形)は次のようになる。複数形でも主格と対格に文法性が残っているのに注目。また女性単数具格がロシア語とははっきりと異なる。
Tabelle3-133
続いて短形「不定形」。上記のようにロシア語では主格にしか残っていないがクロアチア語ではパラダイムが完全保存されている。
Tabelle4-133
使い方も普通の文法書・学習書で比較的クリアに説明されていて、まず文の述部に立てるのは短形主格のみ。

Ovaj automobil je nov.
(this + car + is + new-)

* Ovaj automobil je novi.
*(this + car + is + new-)

付加語としてはa とthe の区別に従ってもちろん両形立てるわけである。対象物がディスコースに初登場する場合は形容詞が短形となる。

On ima nov i star automobil.
(he + has + a new + and + an old + car)

この「彼」は2台車をもっているわけだが、ロシア語ではこの文脈で「自動車」が複数形になっているのを見た。上の文をさらに続けると

Novi automobil je crven, a stari je bijel.
(the new + car + is + black + and + the old (one) + is + white)

話の対象になっている2台の車はすでに舞台に上がっているから、付加語は定形となる。その定形自動車を描写する「黒い」と「白い」(下線)は文の述部だから不定形、短形でなくてはいけない。非常にクリアだ。なおクロアチア語では辞書の見出しがロシア語と反対に短形の主格だが、むしろこれが本来の姿だろう。圧倒的に学習者の多いロシア語で長形のほうが主流になっているためこちらがもとの形で短形のほうはその寸詰まりバージョンかと思ってしまうが、実は短形が本来の姿で長形はその水増しなのである。

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