アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:入門書

 こちら昔は「語学」というとラテン語か古典ギリシャ語のことだったから、当然その中心は読み書きにあった。そのうち「書き」をだんだんやらなくなった。ドイツ語やフランス語など自国語の書き言葉が発達して、ラテン語で書く必要がなくなったからである。それでも結構長い間普通高校を出た人ならばラテン語が読める(ことになっている)のが普通だったが、最近はまったく古典語はやらない高校も増えた。現代の言語、フランス語やスペイン語だけやれば卒業できるようになったのである。昔、と言っても私が現実に見聞きしているくらい割と最近までは英語の他に古典語一つ以上現代語二つ以上、合計3つの外国語、例えば英仏羅というのがスタンダードだったが、今は英仏だけで高校を卒業できるのだ。ただラテン語なしで高校は卒業できても入れる大学の学部が限られてはいたところが、その制限もだんだんなくなってきている。最近など英語しか外国語をやったことがない「外国語学部の学生」に会った事があるがさすがにこれは例外である。
 そうやって古典語をやらなくなるにつれて、外国語の授業のやりかたや教科書も変わった。見た目にやたらと子供っぽい教科書が増えたのだ。

 以前にもちょっと書いたが、私が若かりし頃通学していた都立高校には自由選択ではあったが第二外国語の授業があった。高校生用のドイツ語の教科書というのものがなかったので大学の教科書を使っていたが、これが無愛想というか無味乾燥な構成で、まず章の始めにちょっとした会話のテキストがあり、次に単語の説明があり、文法事項があり、最後に練習で〆る。これを延々と繰り返して螺旋階段のごとく次第に高度な文法に進んでいくというものだった。もちろん挿絵などというものはなかったし、当然全部が白黒印刷である。授業形式も学生と教師が面と向かうものであった。

 時が流れてドイツの大学で受けたクロアチア語の授業も教科書もまさにこれであった。表紙は黄土色の超地味な色、中は全て白黒印刷だ。

私たちの使ったクロアチア語の教科書。私の書き込み付きでご紹介。
Kroatisch_1

Kroatisch_2

 ところがロシア語の教科書は違った。全てカラー印刷で値段もそれに従って高い。表紙も派手だが、中身にもやたらとイラストだろ写真だろがあり一見子供の絵本である。絵を見ながらそれをロシア語で描写する練習のためというような意味のあるイラストもあるが、そうでない単なる挿絵、会話のパターンの練習のわきにわざとらしいロシア風の服を着たおじさんやらおねえさんやらが立っているものも多い。こんな要りもしない絵を全部除いたら制作代も節約できるし教科書も薄くてすむだろうにと思った。

書き込みが減ったロシア語の教科書
Most_1

 しかしそれよりド派手なのが日本語の教科書だ。表紙からして日本女性がにっこり微笑んでいる顔のアップ。中を見てもとにかく挿絵がデカい。課の頭には半ページくらい使って日本人のサラリーマンが大きなビルの前でお辞儀をしている写真とか、この年寄りの私でも見たことがないような古臭い日本の祭りの風景などとにかくステレオタイプなドイツ人の異国情緒にこれでもかと訴えるクサい写真のオンパレードである。
 だいたい私は語学の授業でいわゆる文化とか習慣を紹介するのは邪道だと思っている。語学の教科書は旅行案内ではないのだ。そもそも今はその手の異国情緒などインターネットでいくらでも見られる。語学の授業なんかで富士山の写真を見ている暇があったら「現代」と「原題」のアクセントの区別でも練習した方がいい。実際文法規則だろ発音だろ語学そのものでついて来られない者に限ってやたらと日本の正月とかキモノとかそういうことばかり知りたがる。語学そのものができないのに、いやできないからこそ言語外の情緒や憧れにしがみ付いて勉強した気にだけはなりたいのである。これは一種の自己欺瞞だ。私自身が昔よくこの欺瞞をやって語学から逃げていたからよくわかる。問題はそれが自己欺瞞であることにいつ気づくかである。

ここまでエキゾチック・ジャパンを強調する必要があるのか非常に疑問。
Japanisch_1

Japanisch_2

 さらに最近のドイツ語の教科書を見る機会があったが、これも上の日本語路線で総天然色。私のころと比べて隔世の感がある。私だったらこんな絵本みたいな教科書を見せられたらむしろ勉強する気が失せるかもしれない。
Deutsch_1

 しかし比べてみると同じ色つきでも上のロシア語の教科書と日本語・ドイツ語のとでは中身というかコンセプトそのものに違いがあることに気づく。ロシア語の教科書はまあ古い時代のものであるが、挿絵や表紙は派手で会話のテープ(CDやアプリでなくテープである!)がついていたりしても構成そのものは白黒のクロアチア語とさほど変わらない。文法説明があり、会話のパターンがあり、その後チョチョッとその練習をして課を終える。しかしある意味では内容が白黒のとあまり違わないからこそ一層カラー挿絵の無駄さが浮き彫りだ。
 それに比べて時代の下った日本語ドイツ語の学習書では絵が学習内容そのものに組み込まれているのがわかる。まさに上で述べた「絵を見ながらそれを当該言語で描写する練習」になっているわけだ。それなら別に無駄にはなっていないわけだからいいかとも思うが、私の感覚だとその練習部分があまりにもクド過ぎて、後で「文法の説明部分」をちょっと参照しようと思った時などやたらとパラパラ教科書をめくらないと見つからない。その練習課題にしても「楽しく遊びながら学べる」ことを最重要項目にしてあるらしく、クロスワードパズルだろなんだろがあって正直馬鹿にされているとしか思えない。
 語学を始める時は子供にかえったつもりになれとはよく言われることで、もちろんそのこと自体に反対はない。しかし学習者は白黒の無粋な教科書の第一課でdo-bar dan! などと練習させられる時すでに十分自分は子供であると感じているのだ。カラー挿絵やクロスワードでその上さらに子供感覚を強調する必要があるのか?理論物理で理学博士号を持っているが今度ドイツの大学にくることになったのでドイツ語もやっておきたい、という人に対してもこんな教科書をやらせるつもりか?教わる側は全員がその手の「遊びながら楽しく学べる○○語」の類の授業を望んでいるのか?またそういう授業はガチガチの授業に比べて万人に本当に効果的なのか?いろいろ考えてしまう。
 例えば講師は学習者を飽きさせないように30分ごとに授業形式を変えろと言われる。30分対面形式で授業をやったら形式を変え、グループ学習と称して学習者を分け、その中で学習者同士で会話の練習をさせる。その、「隣の人と会話をしてみましょう」という練習のパターン会話が教科書に書いてある。
 古い奴だと思われそうだが、実は私はこの「グループ学習」というのが大嫌いだ。学習者というのはつまり私と同レベルのヘタクソである。その自分レベルのヘタクソなんかと会話するなんて真っ平だ。向こうだってそう思っているはず。対話をするなら是非ネイティブ、つまり講師と練習させてもらいたい。そのための講師ではないのか?

 私はこういうクドい教科書・楽しい教科書は教わる側のためというより教える側をマニュアル化・規格化するためなのだろうと思えてならない。それが証拠に最近の教科書には必ずと言っていいほど「教師の皆様」に向けたアンチョコというか指導法マニュアルがついている。これこれの練習は学習者にこういう練習をさせ、こういうことをマスターさせるためのものです。教師側はその際これこれこういう教えかたをしてください、と詳しく「教科書使用法」が書いてある。その使用法に従ってやれば誰でも日本語やドイツ語が教えられますというわけだ。
 しかしその「教授法マニュアル」というのは市販されているから、学習者側も買えてしまうのである。もっともドイツ語の教科書は使用マニュアルもドイツ語だからまだいい。理屈としては現在そのドイツ語の初歩をやっている学習者が講師用マニュアルなど理解できないだろうから裏がバレる恐れはないが、日本語教育のマニュアルは日本語でなくドイツ語で書いてある。下手をすると講師より学習者の方に通じてしまうのではないだろうか。つまり教える側の手の内が教えられる側に丸見えになる可能性があるのだが、これで学習者はドッチラケないのだろうか?

 そのマニュアル教科書執筆者がさかんにいう。「文法なんて忘れさせなさい。Guten Tagという挨拶を覚える際、これが対格だなんて普通考えますか?語学の授業は言語学者じゃない、unverbildetな学習者のためにあるのです。また自分で説明などあまりしないで市販の教科書に素直に従いなさい。これらの教科書は経験のある言語学者が皆で執筆したもの。これに従っていれば安心です」。unverbildetというのは「学問をしたせいで駄目になったりしていない」という意味である。一瞬、語学屋が言語学専攻者に喧嘩を売っているのかと思うが、こういうことを言っている執筆者自身言語学者なのだからこの発言には裏がありそうだ。
 裏の一は、上でも書いたようにこの種の教科書が「ただネイティブというだけの人にも教えられるように」考案されたマニュアルであるということだ。そんな人に下手にいいかげんな文法説明をされたら困る、知らない事には口をつぐんでいなさい、というまあいわば素人に対する牽制。学習者でなく講師への牽制である。その際講師に「言語学をやってないあんたは所詮素人だから黙って私たちの指示に従え」などとあまり露骨に言ってしまうと相手が怒るから学習者のほうをunverbildetと呼ぶことで間接的に「私たち言語学者はverbildetでございます、余計な知識があって頭でっかちである」と暗示して卑下し語学教師に対して言語学者には抱いている人もいる内心の優越感を隠している。
 裏の二は一の点ともつながるが、最近の語学教授法では実際に理論→実践という昔のやり方はとられなくなって子供が第一言語を獲得するプロセスを真似るようになっていること。当該言語をまず理解するより、使ってみるほうを参考させ理論のほうは自分の内部で構築してもらう方式になってきていることだ。言語発達は心理言語学の分野で抽象度の高い理論が展開されている分野である。ポッと出のネイティブ語学教師なんかはあまりシャシャリ出ないで学者のいう事を素直に聞いていた方が無難といえば無難なのだ。
 裏の三は「文法」という観念である。『34.言語学と語学の違い』でも述べたように言語学で言う文法は記述文法である。ところが普通の学習者にとって文法というとまず規範文法が頭にあるだろう。小説家などにも文法=規範という捉え方をしている人が大勢いる。「文法を間違える」などという言い方をするのがそのいい証拠である。言語学者側もそのことは承知している。だから言語学者が学習者に「文法を気にするな」という時、それは「規範文法を気にするな」という意味なのである。普通の学習者や小説家はそもそも「記述文法」という観念を持たないのでそれでいいが、時々「文法なんて忘れろ」というのをマに受けすぎて言語学で言う記述文法的な文法観念まで「忘れろ」を拡大解釈してしまう人がいるから怖い。「言語には構造がある」という事実まで無視してしまうのである。彼らは「文法(言語の構造)なんて気にすることはない。とにかく単語を勝手にバラバラ発音して通じればいいんだ。これが本当の実践語学だ。とにかく勇気を持つことだ」と、言語の構造を無視して突進する。そして永久にブロークンレベル以上の言葉を話せるようにはならない。こういう本質的な誤解をする人は結構多い。

 さて、これらの裏、特に第二点に注目しつつ上記の日本語の教科書を見てみるとその効果にさらに疑問が湧いてくる。同じような構成のドイツ語の教科書と一つ決定的な違いがあるからだ。ドイツ語のほうはメタ言語というか説明する言語もドイツ語である。そしてこの教科書は現地で毎日毎日数時間勉強する集中的な授業形式を念頭に置いているものだ。学習の言語環境は実際に子供が第一言語を獲得する時のものと近い。すでに周りに当該言語が溢れているところをちょっとプッシュしてやろうというもの。上でコキ降ろしてはしまったが、これならば確かに理論物理学者に対しても有効かもしれない。
 日本語の教科書はそういう「擬似第一言語獲得方式」をなぞってはいるが、言語環境が全く違う。ドイツではあらゆる道端で日本語が聞こえてくるなどということはないし、授業も週に3回一コマずつというのならまだいいほう、下手をすると週に一コマというスッカスカな形式だ。そんな密度の学習環境でクロスワードパズルなんてやっても、遊びながら「学ぶ」ことなどできまい。遊んで終わりである。またドイツ語の教科書は説明もドイツ語だからさらに擬似ネイティブ性が強化されているが、日本語のは説明の方がドイツ語なのでスカスカ性のほうがアップしている。TPOを無視して安易にドイツ語の教科書を真似たのではないか、と思えてならない。

 もしかしたらこのように教科書をランダムに比較するのはフェアではないのかも知れない。いろいろな教科書の構成や挿絵の挿入具合の違いは昔と今の差ではなくて想定された学習者、大学対一般という差なのかもしれない。事実こちらの大学の外国語学部などではprinted in Japanの古典的な構成の教科書を使っている場合が多い。しかし一方そういう、大学で使っている教科書でもイラストが入り、無駄に高いカラー印刷になっていたりするのだから、やはりこれはある程度時代の流れなのだろう。
 私個人は、当該言語が話されていない地域で語学をやるにはある程度咀嚼困難でも「文法」を重点にして言語構造の骨組みをしっかり立て、その後の肉付けは現地に行って各自やってください、という古い方式のほうがむしろ効果的なような気がするのだが、実際どうなのだろうか?

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 英語かドイツ語が母語の人が日本語を勉強していて、「今日は寒くなる」とか「部屋がきれいになりました」と言えずに「今日は寒いなるでしょう」、「部屋がきれいなりました」あるいは「部屋がきれいだなりました」とやっているのを見たことがないだろうか。それぞれ heute wird kalt 、das Zimmer wurde sauber あるいは it will be cold today、the room became clean といった母語での言い方が干渉したのであろう。ドイツ語・英語では「~になる」という文ではコピュラ構造の場合と同じく、述部に形容詞の辞書形がそのまま来るからだ。ウルサイことを言えば例えば「寒い」という形容詞は kalt あるいは cold と等価ではなく、be cold とか kalt sein とかコピュラ付きでいうべきだろう。が一方日本語にはコピュラという動詞がない。「です」だろ「だ」だろは動詞ではなくセンテンスの当該部分にくっ付いてそれがpredicate nounまたはcomplement(ドイツ語でPrädikatsnomen)であることを示す単なるマーカーである。そのPräkatsnomenは格に関しては基本的に中立だから、「です」がつくと格マーカーが削除されることが多い。特に主格マーカーは必ず削除される。「山田さんは先生です」であって絶対「山田さんは先生がです」にはならない。しかしドイツ語のクセを出してこの「です」をコピュラとみなしてしまうと自動的にPräkatsnomenを主格と解釈してしまうことになる。現にドイツ語母語者には「山田さんは今アメリカです」という極簡単なセンテンスが理解できない者がいる。「アメリカ」が処格であることがわからないからだ。ついでに言えば主題の「は」も格は中立だから、主格グセがつくと「その本は昨日読みました」「山田さんは先週お嬢さんに赤ちゃんが生まれました」がわからない。

 話を戻すが、そこで「なる」と「です」では全くセンテンスの構造が違い、前者は動詞、後者はマーカーで、動詞「なる」のほうはその補語に形容詞がそのまま来ないで副詞化した形で置かれる、と説明してもドイツ語母語者相手だとまだ十分でないことがある。英語だと簡単だ。日本語では it became beautiful でなくit became beautifullyというんですよと言えばいいが、ドイツ語は形容詞がそのまま副詞になるからだ。Sie ist schön のschön は形容詞で「彼女は美しい」だが、Sie singt schön は「彼女は美しく歌う」でschönが副詞なのに形は全く同じである。gut(形)→ gutØ(副)、schön(形) → schönØ(副)といういわばゼロ付加だ。対して英語には -ly という目に見えるマーカーがつく(beautiful → beautifully )。英語ではさらにゼロマーカーも使うし(cold → coldØ)、語そのものを変換してしまうことがある(good → well)が、ともかく -ly という副詞形成の形態素が存在しているからいい。ドイツ語のように一つの形がいわゆる形容詞と副詞の2つの品詞にまたがっていると、頭ではわかっても気を抜くとすぐ区別が怪しくなる。
 そもそも副詞というカテゴリーに入れられているメンバーは形容詞崩れあり前置詞起源のものあり種々雑多で、副詞というのを一つの独立した品詞とみなしていいのかという議論さえあるくらいだ。「つまり動詞でも名詞でも形容詞でもない単語が消去法で副詞として扱われるのだ」と主張する言語学者も少なくないそうだ。カルツェフスキーあたりもそんなことを言っていたらしい。特に形容詞との境界線があいまいで、ヘルマン・パウルでさえこんなことを言っている;

Die formelle Scheidung des Adjektivums vom dem Adv. beruht auf der Flexionsfähigkeit des ersteren und der dadurch ermöglichten Kongruenz mit dem Subst. Wo dies formelle Kriterium entfällt, da kann auch die Scheidung  von dem Sprachgefühl nicht mehr strikt aufrecht erhalten werden. ... Wir haben eigentlich kein Recht mehr gut in Sätzen wie er ist gut gekleidet, er spricht gut und gut in Sätzen er ist gut, man hält ihn für gut einander als Adv. und Adj. gegenüberzustellen.

形容詞は副詞と形式上分離させられるが、それは前者が語形変化して名詞と呼応できるという点に基づいている。この基準が満たされなかったりすると言語感覚からしてこの二つをきっちり分ける必要性があまり感じられなくなる。… 本来 er ist gut gekleidet (「彼は良く着飾っている」)、er spricht gut (「彼は上手く話す」)の gut とer ist gut(「彼はいい(人だ)」)、man hält ihn für gut(「皆彼をいい(人だ)と思っている」)という文の gut を副詞対形容詞として対立させて考えなければならない理由はないのだ。

現代ドイツ語文法の権威Dudenでは gut は品詞としては形容詞だが、形容詞には付加語的用法(attributiver Gebrauch)、述語的用法(prädikativer Gebrauch)、副詞的用法(adverbialer Gebrauch)があるとしている。つまり品詞という言語範疇そのものとその機能を分けて考えているわけで、近代言語学的というか説明力が強い。このように機能と形を観念的に区別すると例えば副詞の形容詞的用法というのも成り立つわけで、die Zeitung heute ist interessantという言い回しの副詞 heute がまさにそれであろう。heute は品詞としては副詞だが、ここでは動詞でなく名詞(それともDPとか何とか呼ぶべきか)の die Zeitung(「新聞」)にかかっており、この文は「今日の新聞は面白い」である。
 言い換えると品詞そのものが移行するのでなく機能が移行するのである。上述の見方だとgut(形)→ gut(副)はゼロ付加による品詞の転換だが、機能と形を分けるこの考えかただとer singt gut (「彼は上手に歌う」)の gut は形容詞の「転用」と見なせる。日本語ではこれが形容詞の活用として文法化されているのである(いい → よく、寒い → 寒く、きれい → きれいに)。

 ロシア語でも形容詞を副詞にするのは一定の形態素の付加による「造語」あるいは「派生」とみなされているようだが、転用、さらには活用と接触する点があって面白い。
 文法書をみると形容詞の項に「性質を表す形容詞(Qualitätsadjektiveまたはqualitative Adjektive)からは語尾を -o、-e にすることによって規則的に性質を表す副詞(qualitative Adverbienまたはdeterminative Adverbien)が作られる」とあるし、反対側の副詞の項には「形容詞の語幹から性質を表す副詞を形成するのはロシア語でもドイツ語でもさかんに行なわれている方法である。」と同じことを言っている。詳しくいうと:

1.語幹が硬音子音(非口蓋化音)で終わっている性質形容詞 качественные прилагательные には –о、軟音(口蓋化音)なら –е をつける。
2.-ский、-ской、–цкий、-цкойで終わっている性質形容詞語幹には -и をつける。
3.-ский、-ской、–цкий、-цкойで終わっていても関係形容詞относительные прилагательныеならさらに前に по- をつけ、後ろの -и とで挟む。性質形容詞にもこの型で副詞をつくるものがある。
4.形容詞の女性対格形に в-、за- の前置詞をつける。
5.前置詞に古い短形活用のパラダイムを継続させる。с-、из-、до-+短形生格、 на-、за-+短形対格、по-+短形与格、в-、на-+短形前置詞格を後続させる。

それぞれ次のような例が挙げられる。左に示した形容詞は男性単数主格形、下線部が語幹である。
1.
быстрый → быстро(速い → 速く)、красивый → красиво(美しい → 美しく)
односторонний → односторонне(一面的な → 一面的に)、
крайний → крайне(極端な → 極端に)

2.
творческий → творчески(創造的な → 創造的に)、
дружеский → дружески(親しげな → 親しげに)

3.
русский → по-русски(ロシアの → ロシア風に・ロシア語で)

4.
крутой → вкрутую(堅い → 堅く)(卵の茹で方に関してのみ)、
частый → зачастую(頻繁な → 頻繁に)(частоという1のパターンの造語も可)

5.
новый → снова(新しい → 新しく・もう一度始めから)、
далёкий → издалека(遠い → 遠くから)、сытый → досыта(満腹な → 満腹に)、
скорый → наскоро(速やかな → 速やかに)、 новый → заново(新しい → 新しく)、
пустой → попусту(空しい・無駄な → 空しく・無駄に)、
далёкий → вдалеке(遠い → 遠くへ)、 лёгкий → налегке(軽装の → 軽装で)

明確に「造語」と言い切れる英語と違って、ロシア語の形 → 副変換はむしろ文法の範疇に入ることが一見して明らかだ:前綴りとしてあげられている по- や с- などはれっきとした前置詞、つまり独立単語だし、特に4と5で顕著だがその前置詞がきちんと格支配までしている。しかも前置詞が本来の意味を保持している。だから同じдалёкий(「遠い」)という形容詞に из(「~から」)がつくと「遠くから」、в(「~へ」)がつくと「遠くへ」になるのだ。さらにこの形容詞には当然1のパターンのдалекоという副詞もありこれが「遠いところにある」。だからこれらは品詞としての副詞というよりむしろシンタクス上の単位、れっきとした前置詞句PPである。
 では1と2はどうか。быстро、 крайнеなど -o、-e で終わる形は形容詞の活用形の一つ短形活用の単数中性形と同じだ。実は私は今までこの быстрый → быстро タイプの副詞化は形容詞の短形中性単数が「転用」されたのものだと思っていた。ところが文法書ではこれが「造語」扱いされているのでむしろ驚いたのである。
 ロシア語の形容詞の活用には長形と短形の二つのパラダイムがあり、上でも述べたように形容詞の代表形として挙げてあるのは長形活用の男性単数主格だが、この長形活用形は形容詞一つにつき単数男性、単数中性、単数女性、複数形の4つにそれぞれ主・生・与・対・造・前置の6格あるから理論的には4×6=24形を区別する。「理論的には」と書いたのは複数生格と複数前置格など、同形のものがあるので実際には24より少なくなるからだ。なお、20世紀の初頭までに書かれたロシア語には複数男性・中性と複数女性形を区別しているものがある。前者は語尾が -ые、後者は -ыя となる。例えばкрасивый(「美しい」、男性単数)の主格形は красивая(女性単数)、красивое(中性単数)、красивые(複数)の4つだが、一方男性単数ではкрасивый(主格)、красивого(生格)、красивому(与格)、красивый/красивого(対格)、красивым(造格)、красивом(前置格)という6つの格変化形があるが、中性単数と男性単数は主格と対格以外同形である。上の4で出してある形は女性単数対格である。
 対して短形活用のほうは現在では主格形しかないし、形容詞によっては短形を作らないものがある。「美しい」の短形単数男性はкрасив、単数女性がкрасива、単数中性красиво、複数形がкрасивы。語幹が口蓋化音で終わると女性、中性、複数形がそれぞれ-я、-е、-и で終わる。しかし上で「現在では」と但し書きをつけたように、昔はこの短形が長形と同じくフルバージョンで活用し、名詞と全く同じ活用語尾をとった。上の5を見てもらいたい。形容詞が短形中性単数形の格変化形を完全に供えているのがわかる。1の -o、-e も中性単数の活用語尾ではないのか。英語の -ly とは違って造語・派生形態素ではなく活用語尾、形 → 副の転換は形容詞の一つの活用形をシステマティックに転用したもの、という気がしてならない。さらにこれらは中性単数主格なのではなく実は対格なのではないかと私は疑っている。
 問題は2、3のタイプ、-ский などで終わる形容詞で、これらに -и がつくのはどうしてかちょっと調べてみたがわからなかった。落ちこぼれロシア語学習者で申し訳ないが、落ちこぼれなりに考えてみると、このタイプの形容詞は名詞から派生してきたもの、つまり形容詞としては新参者が多い。だから5と違って形容詞が中性名詞的に働くことが出来ず、付加語としての陰を引きずっているのかもしれない。言い換えると昔は後ろに「様式」とか「やり方」を表す名詞がくっついていたのかもしれないとも思ったがこれがあまり上手く行かない:現在は「やり方」はобразという男性名詞で、形容詞を無理やり短形パラダイムにすると「創造的に」はпо творческу образу となるはずで -и  が出てこないからだ。では昔はобраз という意味の女性名詞があったのかと解釈しても、与格支配の по とは合わない。では少なくとも2は複数対格かあるいは女性単数生格か複数対格起源だとして逃げようとしても3の例が残るので逃げ切れない。やっぱり -и となる理由が考えつかないまま堂々巡りである。
 やはり素直に-o、-e、-и は派生の形態素とみるしかないのか。

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 ヨーロッパの非印欧語の公用語という話になるとまず口に上るのはフィンランド語とハンガリー語だろう。それからエストニア語やバスク語が出てくる。バスク語は国家レベルの公用語ではないが必ずと言っていいほど出る。反対に一国家の公用語となっている非印欧語でありながら何かとスルーされるのがマルタ語だ。英語と共にマルタの公用語で、セム語族である。
 しかしやっと名前を出して貰っても「マルタ語はヨーロッパで唯一のセム語族言語」とか「セム語族の言語の中でローマ字で記述されるのはマルタ語だけ」とか奥歯に物が挟まったような言い方をする人が多い。何が挟まっているんだ、セム語ということで正しいじゃないかと思われるかもしれないが、マルタ語は一目瞭然でアラビア語から発達した言語であることは明らかなのに妙にその点をぼかして上位観念の「セム語」を持ち出してくるのは不自然である。現にアフリカーンスの話なら真っ先にオランダ語の名が出る。印欧語が引っ張り出されるのはその後だ。そもそもマルタ語で「セム語」というときは非アラビア語のセム語というニュアンスで使っている場合が多い。M. H. Prevaesという人が報告しているが、「自分は今マルタ語の勉強をしている、特にアラビア語とのつながりを重点にしている」と現地のマルタ人に話したらうさんくさい目でこちらを見てきて、必死にマルタ語とアラビア語は関係ないと言い出す人が大半だったそうだ。ある人ははっきりとあなたは間違っている、マルタ語はフェニキア語起源だといい、またある人は俗ラテン語が起源と言い、次の人はラテン語なものか、マルタ語はヘブライ語の末裔なんだと主張する、ラテン語説は除外するとしてマルタ人が「セム語」というとき「非アラビア語」のつもりであることがよくわかる。こういう民間語源(?)がマルタ人の間には広く信じられているらしい。さらに言えばマルタ人はそう信じたい人が多いようだ。現在のマルタはヨーロッパ文化圏に属し、住民はキリスト教徒である。ヨーロッパ人たる自分たちの言葉がマグレブ・アラビア語なのだとは思いたくないのだろう。アラビア語とは認めている人もマグレブ方言でなく、イスラム教徒の迫害を逃れて来たシリアのキリスト教徒の言葉であると言い張ったりする。マルタ語には歴史的背景、話者の言語意識、果ては比較言語学の歴史などいろいろなものが奥歯に挟まっているのだ。

 マルタには紀元前5千年ころから人が住んでいたそうだ。青銅器の時代、紀元前2500年ごろから紀元前700年ごろまではフェニキア人が住人だった。その後その末裔のカルタゴ人というかポエニ人が住んだ。紀元前218年から202年にかけての第二次ポエニ戦争(懐かしい、高校の世界史でやらされた)でカルタゴがローマに壊滅されてからはローマの支配下にはいった。キリスト教そのものは紀元60年ごろには伝わってきていたようだが、いわゆるキリスト教化されたのは4世紀に入ってから。535年にはビザンチン帝国領になる。
 870年にアラブ人に占領され、ビザンチンとの小競り合いが続いていたようだが、1090年にすでにその前にシチリア島を支配していたノルマン人ルッジェーロ一世の統治下に置かれた。以後マルタは長い間シチリア・イタリアの支配下となる。1194年に神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン朝がシチリアもろとも支配、1266年からアンジュー伯シャルルがやってきて支配したが1283年にはアラゴン王国に統治権が移る。この支配は1530年まで続くが、アラゴン王国が1516年にカスティリアと併合してスペインになったので最後の14年はスペインの統治ということになる。
 そろそろ高校で共通一次用にやった程度の世界史の知識では手に負えなくなってきたが、その後ロドス島から来た聖ヨハネ騎士団に統治される。1798にナポレオンがエジプトに向かう途中でマルタに来て支配した。革命後のフランスであったので、マルタの住民はそれまでの騎士団支配より「人民に優しい」政治をやってくれるだろうと期待したが当てが完全に外れたため、イギリスに援助を求めてフランス人を追い払って貰った。1800年のことだ。泣きつかれたイギリスはあまり積極的にマルタを支配に置こうとは思っていなかったらしく、最初統治権を騎士団に返そうとしたりしたが、結局そのままイギリス統治ということになってこれが1964年まで続いた。そして1964年、そういう話ではないがセルジオ・レオーネが『荒野の用心棒』を撮った年にマルタは独立国家となり、1979年には独立後もなんだかんだで居残っていた英軍が撤退して今日に至る。

 複雑な歴史だが、さらに複雑なのはその言語事情や住民構成である。細かく気にしだすとキリがないので面白いと思った点だけ述べるが、まずマルタには本当に、昔フェニキア人(またはポエニ人、カルタゴ人)が住んでいた。ここからマルタ語は当時から延々と話され続けてきたフェニキア語という伝説が起こったのだろうが、ローマの手に入ってからは住民はフェニキア人あるいはカルタゴ人ばかりではなかったはずだ。話されている言語もカルタゴ語、ラテン語、ギリシャ語の少なくとも3言語あったとみられる。書き言葉が確立していた強力な言語、ラテン語とギリシャ語が残らず、フェニキア語(あるいはカルタゴ語、ポエニ語)だけ残ったと考える理由がない。理由ばかりでなく9世紀以前のマルタ島についての資料そのものが非常に少ない。
 それでも870年にイスラム支配下にはいったことは複数の文献からわかっている。イスラム支配1090年まで続いたが、この時代のマルタ島やそこの住民についての記録となるとやはり少ない。しかしその数少ない資料によればマルタは870年から約180年間人がほとんど住んでいなかったとある。870年に入ってきたイスラム教徒が先住民を一掃してしまったらしい。ギリシャ語による記録にもそうあるらしいが、さらにal-Ḥimyarīという人もマルタは無人島だったと報告している。時たま漁師が魚を取りに来たり、船大工が木を伐りに来たり、誰かが蜂蜜を集めにきたりする以外は住む者のない廃墟の島であったと。そしてずっとその状態で放っておかれて、やっと1048年ごろから北アフリカなどからイスラム教徒が渡ってきて住み始めたらしい。現在のマルタの地名を調べても、マグレブ・アラビア語より古い起原と思われるものが全くみつからないのもそのいい証拠だそうだ。マルタは歴史的にも言語的にも大きな分断を経験しているのである。

マルタについてのal-Ḥimyarīのテキスト部分
J.M. Brincat. 1991. Malta 870-1054 : Al-Himyari’s Account and its Linguistic Implications. In: Said International, P.9-10 から
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 1048年ごろからビザンチンの攻撃が始まった。前後して人がマルタにやってきた。マルタが戦略上重要になってきたため兵士だろその家族がドンドン移住してきたらしい。奴隷の数もそれ以上と思われる。つまりマルタはゼロからアラブ人の島となったのである。アラブ側は戦いの時奴隷に向かって「お前たちが今ここでいっしょに戦って敵を追い払ったら自由の身にしてやる」と言ったそうだ。そしてビザンチンは追い払らわれ、奴隷は自由の身となった。これもal-Ḥimyarīの記述である。
 続いて1090年からキリスト教ノルマン人の支配となったが最初ノルマン人は住民に改宗を強制しなかった。バスク語のところでも見たように(『103.新しい家』参照)ヨーロッパ中世の支配者というのはヨソからポッとやってきて統治するだけで、住民とはあまり触れ合いがない人も少なくない。ここでもしばらくの間住民はイスラム教のままであった。例えば1174年ごろのマルタ本島とマルタに属すもう一つの島ゴゾ島の住民の墓石を調べたところ一つを覗いて名前と日付とコーランや古典アラビア文学からの引用句が彫り付けてあったそうだ。住民の言語はアラビア語(の口語)、宗教はイスラム教だったことがわかる。
 キリスト教への改宗が始まったのは神聖ローマ帝国下である。1224年にフリードリヒ2世がイスラム教徒の追放を開始した。しかしなんだかんだで13世紀の終わりまではかなりのイスラム教徒が存在していたらしい。陸続きなら追放も簡単だが島だと出ていけと言われてもおいそれと出てはいけず、キリスト教徒に改宗してしまったものも多かったとみられるが、住民のほぼ全員を占めていたイスラム教徒がどうなってしまったか細かいところはわからない。とにかく以降はイスラム教徒は漸減し現在のマルタは完全にキリスト教国だが、住民の言語は(事実上)アラビア語である。木に竹を接いだとはまさにこれだ。始めに述べたようにマルタ語の起源はマグレブ方言ではなくアラビア語でもシリアのアラビア語だ、と主張する人がいるのはこのためだろう。シリアにはアラビア語を母語とする古いキリスト教徒がいるからだ。いまだにアラム語の話者さえいる。これらの人がイスラム教徒の迫害を逃れてマルタにやってきた、その言葉がマルタ語のもとになったのだと。あくまでもイスラム教との結びつきを否定したいのだ。

 また住民の言語状態はイスラム支配の9世紀からすでにダイグロシアであった。ダイグロシアとは1957年に社会言語学者のファーガソンが広めた概念で、ざっくり言うと書き言葉と話し言葉との差が著しく、一言語の変種の差というより2言語と言ったほうがいい状態のことである。アラビア語がその代表的な例だが、会話はクレオール・フランス語でして、フランス語で書いているハイチなどもダイグロシアだ。言文一致以前の日本語もこのダイグロシアである。実は先日出版した私の本のテーマも何気にこのダイグロシアである(宣伝するな)。2つのバリアントをそれぞれH-バリアント、L-バリアントと言っている。日本、ハイチ、アラブ諸国のダイグロシアではHとLが親戚言語だが、まったく姻戚関係のない2言語がダイグロシアを形成することがある。南米ではグアラニ語対スペイン語でダイグロシアになっている。親戚言語によるダイグロシアをInnendiglossie(内ダイグロシア)、親戚でない言語によるダイグロシアを Außendiglossie(外ダイグロシア)と呼ぶ。
 イスラム支配下でのマルタの言語は古典アラビア語(H)とマグレブアラビア語(L)との内ダイグロシアであった。13世紀以降、イスラム教がバンされて社会上層部がキリスト教徒になり、正規の場で使われる言語がラテン語となった際もLのほうには変化がなく、ラテン語とマグレブ・アラビア語の外ダイグロシアに移行したにとどまった。話し言葉は相変わらずだったのである。
 もっともキリスト教支配の時代になるとヨーロッパのあちこちから貴族が移住してきたりしたので15世紀のころには上層部はイタリア語、というよりシチリア語を話していたらしい。その騎士団統治の頃からマルタの木に竹状態は支配者や学者の目につくようになり、16世紀ごろからマルタ語の研究が始まった。対イスラム教徒の戦略地としてマルタは重要になっていたし住民も増えるしで、支配者側も君臨すれども支配せず的なのんきなことを言っていられなくなったのだろう。下々の住民とのコミュニケーションが必要になってきたのである。簡単な文法書や辞書(ラテン語⇔マルタ語事典)の編纂が始まった。マルタ語の起源にも関心が集まった。
 識者のなかにはマルタ言語は「アラビア語の一種」であると素直に気づいたものもいたが、上述のようにフェニキア語だろヘブライ語だろを持ち出すものも多かった。その中にAgius De Soldanisという有名な学者がいる。フェニキア語そのものの検討をあまりしないままフェニキア語起源説を唱えてしまったため批判されているが(例えば1750年にDella lingua punica presentemente usata da’ Maltesiという論文を出している)、マルタ語の古い文献を収集し記述した業績は認めないわけにはいかない。またDe Soldanisはエトルリア語(『122.死して皮を留め、名を残す』)をフェニキア語の古い形と考えていたそうだ。
 もう一人言及すべき名前はMikiel Anton Vassalliである。18世紀の終わりから19世紀初頭にかけて活躍したマルタ語学の父ともいえるで言語学者で、正書法を確立しようと努力し、文法書や辞書を作った。 マルタ島の出身で母語はマルタ語だったが、さらにローマで(古典)アラビア語や他のセム語を勉強。1791にラテン語でマルタ語文法書、1796年にはマルタ語・ラテン語・イタリア語の辞書を出した。後者はKtyb yl Klym Malti, Mfysser byl-Latin u byt-Taljan sive Liber Dictionum Melitensium, hoc est Michaelis Antonii Vassalli Lexicon Melitense-Latino-Italumという長いタイトルだが、その最初の語Ktybは私の馬鹿の一つ覚えのアラビア語(『7.「本」はどこから来たか』『53.アラビア語の宝石』参照)から類推して「本」という意味のマルタ語だろう。後半はラテン語になっていて著者の名前もラテン語化させてある。Vassalliはマルタ語の階層をなしていると見て、有史以前にマルタで話されていた原住民の言葉にフェニキア語やカルデア語がかぶさってできた原マルタ語が、ローマやビザンチン支配下でもラテン語・ギリシャ語の影響は受けないで来たものを9世紀にやっとまた外部、つまりアラビア語から影響を受けて今のマルタ語になった、と考えていたそうだ。言い換えると純粋なマルタ語はアラビア語によって「汚染された」という発想である。Vassalliほどの人でもこのような誤謬を犯した原因の一つは当時は比較言語学が今のように発展する以前で方法論が十分確立していなかったことだとPetersenという人が述べている。Vassalliがさらに詳細にアラビア語とマルタ語の比較を続けていれば、違った結論に達したろうとも。Vassalliがマルタ語文法の第2版を出したのが1827年。その死まで2年しか残されていなかった。
 1810年にWilhelm Geseniusがフェニキア・ポエニ語説を否定し、マグレブ・アラビア語とのつながりを主張した。しかしこの語もフェニキア語説がしつこく生き残ったことは上で述べたとおりである。

 マルタ語研究そのものの発展に並行して、その正書法を確立しようという動きもさかんになった。話し言葉でしかなかったマルタ語を書き言葉に昇格させようという動きである。これが言うは易し行うは難しであることは日本の言文一致運動のすったもんだを見ればよくわかる。現在のドイツ語もラテン語から書き言葉の座を奪うまでは長い長い時間と努力が必要であった。面白いことに正書法をも含めたマルタ語標準語を推進しようとしたのは当時の宗主国イギリス人で、マルタ語ネイティブ話者当人たちは最初あまり積極的でなかったそうだ。20世紀もだいぶ中に入った1920年にGħaqda tal-Kittieba tal-Malti という作家などによるいわば国語審議会(現在のAkkademja tal-Malti)が作られ、マルタ語の標準語化に力がそそがれるようになった。
 マルタ語を書き表すのにローマ字を使うことになったのは今まで見てきた歴史経過や住民の言語意識からみて当然であるがそこで問題が生じた。まずそのローマ字を何語読みにするかということである。日本語のローマ字綴りは英語読みだが、当時までマルタで使われていた書き言葉はイタリア語であったので結局イタリア語読みのローマ字を使うことになったが、その「結局」に至るまでまたいろいろ試みられたのは当然である。例えば上記のVassalliの提案した正書法は音韻論的に見て非常に優れたものであったにもかかわらず一般にあまり浸透しなかったが、そのローマ字がイタリア語読みでなかったからだ。
 次の課題はローマ字にない発音をどうやって表すかという問題である。これも最初はローマ字以外から持って来たりしていた。アラビア文字や時にキリル文字まで持ち出されることがあったが、最終的にラテン文字だけで表記することになった。現在の正書法が確立したのは1924年になってからである。

マルタ語正書法のいろいろ。M. H. Prevaes. 1993. The emergence of Maltese. Den Haagから
maltesisch-Orthographie
 
 さらに辞書編纂の際見出し語をどう並べるかも問題となった。ローマ字アルファベット順にするのかアラビア語やヘブライ語のような三子音語根の原則に従うのかということである。VassaliやDe Soldanisは純粋にアルファベット順にしていたそうだが、これはマルタ語の言語構造に一致しない。かと言って語根原則だけに従うとマルタ語の中で大きな割合を占めるロマンス語からの借用語が宙に浮いてしまう。それで「アラビア語起源の単語は語根原則、ロマンス語起原のものはアルファベット順」という折衷案をとったりしているらしい。ロマンス語からの借用語も時がたってアラビア語化され、めでたく(?)新しい子音語幹として定着することも時々あるそうだ。

 独立言語と言ってもマルタ語はやはりアラビア語ときれいさっぱり縁を切ることはできないようで、正書法にも標準アラビア語(アラビア語のH-バリアント)の影響が見える。代表的なのが għ という綴りで、事実上二字で一字なのだが(ドイツ語の ch のようなもの)現在のマルタ語ではこれは黙字である。そのためこの字を廃止しようと言う声もあるそうだ。にも関わらずDe Soldanis以来ずっとこの字(表記そのものは変わっていった。上記参照)が使われてきたのは、アラビア語の書き言葉にこれに対応する字があったからである。古典アラビア語ではこれが音価を持つれっきとした子音であって語根も作っていたがマグレブ方言、つまりアラビア語のL-バリアントでは消失してしまった。ただこれが前後の母音に影響を与えていたため、子音そのものが消失した後もその母音変化のほうは残ることとなった。それで għ は現代マルタ語では後続母音が長母音、または二重母音になることを示す。例えば「雷」ragħadは [rɐ:d] と読むことからわかるように a は長母音、ほかの母音は2重母音になるのだ:għu → [ɐʊ] または [ɔʊ] 、għi → [ɐɪ] または [ɛɪ]。 自身は消失したが、後続母音に影響して音価を変えさせた喉音などというとまるで例のソシュールが唱えた印欧祖語の喉音(『115.比較言語学者としてのド・ソシュール』参照)を髣髴とさせる。

マルタ語の動詞変化表の一部。さあ頑張って覚えましょう。
Borg, Albert et. al. 1997. Maltese. New York:358-361から

maltesischgrammar1

maltesischgrammar2


 最後になるが、そしてまたしてもそういう話ではないが『殺しが静かにやってくる』が撮られた1968年にWettingerとFsadni という学者が最古のマルタ語テキストを発見した。Cantilenaという詩で、1533年から1536年の間にBrandano De Caxarioの手で書かれたものだが、詩そのものはBrandanoの先祖で少なくとも1450年から1483年の間に生存していたことが確認されているPietru de Caxaro(i はどこへ消えたんだ?)という人が書いたものだ。ローマ字表記なので、現在の正書法で書き直して比べてみるとマルタ語正書法の発展の過程を追うことができる。20行からなる詩だが、私にはどうせマルタ語などわからないので全部引用しても仕方がないから最初の6行だけ比べてみよう。

原文正書法
Xideu il cada ye gireni tale nichadithicum
Mensab fil gueri uele nisab fo homorcom
Calb mehandihe chakim soltan ui le mule
Bir imgamic rimitne betiragin mucsule
Fen hayran al garca nenzel fi tirag minzeli
Nitla vu nargia ninzil deyem fil bachar il hali.

現代マルタ語正書法
Xidew il-qada, ja ġirieni, talli nħadditkom,
Ma nsab fil-weri u la nsab f’għomorkom
Qalb m’għandha ħakem, sultan u la mula
Bir imgħammiq irmietni, b’turġien muħsula,
Fejn ħajran għall-għarqa, ninżel f’taraġ minżeli
Nitla’ u nerġa’ ninżel dejjem fil-baħar il-għoli.

英訳にすると大体こうなるそうだ。
Witness my predicament, my friends (neighbours), as I shall relate it to you:
[What] never has there been, neither in the past, nor in your lifetime,
A [similar] heart, ungoverned, without lord or king (sultan),
That threw me down a well, with broken stairs
Where, yearning to drown, I descend the steps of my downfall,
I climb back up and down again, always faced with high seas.

Cantilena原文。ラテン語の前文がついている。ウィキペディアから
Il-Kantilena

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 隣でプルターク英雄伝の初期新高ドイツ語訳を読んでいた者が突然「アレクサンドロス大王の馬の名前を知ってるか?」と聞いてきたので即座に「ブケファロス」と答えてやったら、向こうは大いに驚いて「どうしてそんなこと知ってるんだ?!」というから「日本人なら誰だってそのくらい高校の世界史でやっとるわ。悔しかったら紀元前3世紀の中国の名将項羽の馬の名前言ってみろ」と返しておいた。告白すると私がそんな変なことを知っていたのはその前に偶然どこかで「アレクサンドロス大王はインド遠征時に愛馬ブケファロスを失った」とかなんとかいう文章を読んでいたからである。そこで馬の名前がなぜか頭に残っていた。「覚えていなくてもいいのになぜか頭にこびりつく」ことは誰にでもあるのではないだろうか。その代わりに肝心の覚えなければいけない事項のほうは忘れている。例えば私は若かりし頃大学受験勉強をしていたとき、「試験に出る英単語」略称「でる単」なるもので英語の単語を暗記しようとしたが、いざ模擬試験などでそこに載っていた英単語に出くわすと、「あっ、この単語は確か「でる単」の右ページの一番上にあったな」とかそういう余計なことは思い出すのに肝心の意味が出て来ないという間抜けな経験を何度もした。まあそういう間抜けがたまにこの程度の法螺を吹いても地獄に落ちることはあるまい。
 もっとも向こうも別にブケファロスの話をしたかったわけではなく、単にそのテキストで「馬」がPferdtと綴ってあるのを見せに来たに過ぎない。現代ドイツ語の正書法では単にPferdと書き、d を t と読むが、これがドイツ語のAuslautverhärtung語末音硬化と呼ばれる現象である(『47.下ネタ注意』参照)。有声子音が語末、時には形態素の終わりにくると有声性を失って調音点と調音方法はそのまま変わらず対応する無声子音になる。d が t になるほか、g がk 、z がs 、b がp 、w (英語の v )が f になる。Hund 「犬」の単数は [hʊnt] だが、複数はHunde [hʊndǝ]、 Tag 「日」[taːk] が複数になるとTage [taːɡə] 、Staub 「埃」は [ʃtaʊ̯p] だが、「埃っぽい」という形容詞になるとstaubig [ʃtaʊ̯bɪç]で、当該子音が語末に立たないときは有声である。ドイツ語を習い始めると第一日目に練習させられる発音現象でこのAuslautverhärtungをきちんと発音しているかどうかでドイツ語の勉強の程度がバレるから誰もが一生懸命練習する。
 だが「一生懸命練習する」というのはつまり意識的に発音するということだ。 g で言えばその音素が語末に立っているのを見たら「えーっとこれの調音点は軟口蓋、調音方法は閉鎖音だな」とまずよく考え、さらに声門に震えが出ないように気をつけて口に出す。 g マイナス声イコールk と意識的に計算(?)しているのだ。言い換えると g と k が別音素であることは常に認識している。
 そうやってずっとこのAuslautverhärtungを意識的・理論的なプロセスととらえていたところ、先日ネイティブにはこの過程を無意識に行っていると知って非常に驚いた。もっともその無意識的・意識的の差がまさにL1とL2との違いなのだから当たり前で今更驚く私がおかしいのかもしれないが。さるネイティブにHeidelbergを片仮名で書いてみろと言ったら「ハイデルベルグ」と書いた。そこで「字にとらわれずに発音通り書いてみなさい、ハイデルベルクになるでしょが。最後の音は硬化してるんですから」と説明したところ向こうはその意味が全然理解できなかったのだ。彼には[haɪ̯dl̩bɛʁɡ] と  [haɪ̯dl̩bɛʁk] が「全く同じに聞こえる」そうだ。語末ではそうやって全く区別がつかないのに、これらが語頭に立つとしっかりわかる。だからgönnen [ɡœnən] 「喜んで許す」と können  [kœnən]「できる」を混同することはない。語末音硬化はネイティブにとっては意識してやるプロセスではなくて脳内認知レベルの現象なのかと思い知って新鮮に驚いた。
 しかし一方でこの人はひょっとしたら文字にとらわれているだけなのではないかとも思った。すぐ理解してくれるネイティブも多いし、中高ドイツ語では語末音硬化を文字にしていたからだ。硬化現象が生じたのは古高ドイツ語から中高ドイツ語への移行期だから中高ドイツ語ではすでに語末音が無声化していたので、今のTag「日」をtac、「子ども」をkintと綴ったりしていた。これらの属格はそれぞれtages、kindesで有声音になっている。
 つまりc (k)とg 、d と t はそれぞれ別音素であることを話者ははっきり聞き分けていたのだ。その後新高ドイツ語になってから例えばPferdと綴り上では有声音で表す、いわば「揺り戻し」が起こった。だから上記の初期新高ドイツ語の折衷的な綴りPferdtは面白いと思う。これは「ここは t と発音しますが本来は d ですよ」というシグナルともとれるからだ。-dt のほかに「日」がtagk、「去って」をwegkと書かれていた初期新高ドイツ語のテキストを見たことがある。こんにちではそれぞれTag、wegである。-bp という綴りは見たことがないが、-dtは現在でもドイツ人の苗字で頻繁に目にする。Feldt、Rindt、Mundt、Kindtなどでこれらを普通に書くとそれぞれFeld「野」、Rind「雄牛」、Mund「口」、Kind「子供」となるが、最後の子音は無声発音である。初期新高ドイツ語時代の綴りの名残なのか、実は全然別のところに理由があるのか(そういえば「町」は今でもStadtと綴るがこれがstatt(「~の代わりに」)と区別するためだと思う)私は知らないが面白いとは思っていた。その折衷綴りの -dt はまさにトゥルベツコイ始めプラーグ学派の提唱したArchiphonem「原音素」という言葉(下記参照)を髣髴させるからだ。
 そこで新めてトゥルベツコイのGrundzüge der Phonologie『音韻論概説』を引っ張り出してArchiphonemについて論じている章を見てみたらしょっぱなに次のようなことが書いてあり、上で私が今更驚いたり考え込んだりしたことなどトゥルベツコイは20世紀の初めにすでにお見通しであったと知ってまた驚いた。

  Der psychologische Unterschied zwischen konstanten und aufhebbaren phonologischen Oppositionen ist sehr groß. Die konstanten phonologischen Gegensätze werden selbst von phonetisch ungeschulten Mitgliedern der Sprachgemeinschaft deutlich wahrgenommen und die Glieder einer  solchen Opposition als zwei verschiedene „Lautindividuen“  betrachtet. Bei den aufhebbaren phonologischen Gegensätzen ist die Wahrnehmung schwankend:  in den Relevanzstellungen werden beide Oppositionsglieder deutlich auseinandergehalten, in den Aufhebungsstellungen ist man dagegen oft außerstande anzugeben, welches von beiden man eben gesprochen oder gehört habe.

不変の音韻対立と解消可能な音韻対立では心理的な差が非常に大きい。不変対立なら当該言語の共同体の一員は音声学の訓練を受けていない者でもはっきり認知でき、対立している双方の項を異なる二つの「音の個体」とみなすが、解消可能な音韻対立だとその認知が怪しくなる;有義位置Relevanzstellungでは双方の対立項の区別がはっきりとわかるが、解消位置Aufhebungsstellungでは二つのうちのどちらの項を発音したり聞いたりしたのか自分でも言えない場合が多い。

 私は硬化という言葉が嫌いで「中和」といっているが(再び『47.下ネタ注意』参照)、それはこの現象がドイツ語ばかりにみられるわけではないからだ。だからドイツ語学でしか通用しないVerhärtungよりNeutralisierungという一般言語学の名称のほうが適当だと思う。トゥルベツコイはこれをAufhebung der Opposition 「対立の解消」またはaufhebbare Opposition「解消可能な対立」とも呼んでいるが、こちらの用語のほうがカッコいい。 ロシア語もこの中和現象が顕著でやはり語学の時間の最初のほうで発音練習させられる。город  [ˈɡorət](「町」・単数主格)⇔ городом [ˈɡorədəm](単数造格) 、мороз [mɐˈros](「寒さ」・単数主格)⇔морозы [mɐˈrozɨ](複数主格)、гриб [ɡrʲip](「茸」・単数主格)⇔ гриба [ɡrʲɪˈba](単数生格)。ロシア語はさらに半母音やソナントまで無声化するのを時々見る(聞く)。例えば красивый「美しい」は本来 [krɐˈsʲivɨj] だが、ゆっくり発音してくれというと語末のいわゆる半母音が無声化して [krɐˈsʲivɨj̊] になり、その際さらについ力が入って接近音のはずが舌根が向こうの壁に触れてしまい無声摩擦音 [ç] にまでなることがある。これはドイツ語のいわゆるIch-Laut、イッヒ音だ。またцарь「皇帝」は本来 [t͡sarʲ] だが語末のソナントが無声化して [t͡sar̥ʲ] になるのを見た。この例のように口蓋化しているソナントは無声化しやすいのではないかという印象だ。хор [xor]「合唱(団)」のように非口蓋のソナントは無声化しているのはあまり見かけないからである。もっともあくまで「印象」である。
 『137.マルタの墓』で述べたマルタ語にも語末で有声子音が中和される現象があり、これが現代マルタ語の特徴となっている。まだ正書法が確立されていなかった頃、例えば18世紀にDe Soldanisが集めたテキストでは(原文は17世紀にFrancesco Bonamico、マルタ語でFranġisk Bonamicoが書いたものだという)「寒い」がbart と表記してあるが、現代マルタ語の正書法だとbard と書いて、ドイツ語と同じように中和されない前の子音を記することになっている。 d と書いて t と発音するのだ。昔は発音通りに t と書いていたのに今は音韻面を重視して d にしているあたりも中高ドイツ語から現代ドイツ語への正書法の移行といっしょである。それで「まだ」というマルタ語はgħad と書くが [ɐːt] である。 għ は事実上黙字。b、g、b も語末は無声化する。

 トゥルベツコイはこのように特定の位置(解消可能位置)で当該音素が持っていた弁別素性(そせい)の束の一つが弁別機能を失う現象を論ずる際、Archiphomen「原音素」という用語を提唱した(上記)。t とd で言えば、この二つの音素はどちらもさらにその上位音素の表現型である、としたのである。 その上位音素をArchiphonemと名づけ、大文字の /D/ で表すことにした。t とd ばかりではない、k とg が交代する場合はArchiphonemは /G/ である。『音韻論概説』ではこれが次のように説明・定義されている。

… In den Stellungen, wo ein aufhebbarer Gegensatz tatsächlich aufgehoben ist, verlieren die spezifischen Merkmale eines Oppositionsgliedes ihre phonologische Geltung, und jene Züge bleiben relevant, die beiden Gliedern gemein sind (d.i. die Vergleichsgrundlage der betreffenden Opposition). In der Aufhebungsstellung wird somit ein Oppositionsglied zum Stellvertreter des „Archiphonemes“ des betreffenden Gegensatzes – wobei wir unter Archiphonem die Gesamtheit der distinktiven Eigenschaften verstehen, die zwei Phonemen gemeinsam sind.

…対立が解消可能位置で実際に解消される際、対立項の片方が持つ特有なメルクマールは音韻的効力を失うが、双方の項が共通に持っている特徴のほうは有義性(当該対立項を他と区別するための基本となる特性)を保持する。解消可能位置では対立項の一方が当該対立の「原音素」として両項とも具現するのである。そこでこの原音素を二つの音素が共通に持っている弁別的素性(そせい)の総体とみなす。

トゥルベツコイはさらに論を進めて、解消可能な位置で原音素の表現型となる音素のパターンには次の4つが考えられると唱えた。
1.表現型が原音素のどちらの項でもない場合。一瞬「へ?」と思うが、例えばロシア語で唇音が口蓋歯音の前にくると口蓋化・非口蓋化の音韻対立が解消されるが、その際その「原音素表現型」は非口蓋音でも口蓋音でもない、いわば「半口蓋音」になるそうだ。中間の発音になるのである。
2.表現型が原音素のどちらかの項と同じになる場合。これが私たちが「中和」と言われて普通想像するパターンだが、この2のケースでは対立解消が「外部要因によって」、つまり前後の音声環境によって誘発される。ロシア語の例では、非口蓋歯音の前では子音の口蓋・非口蓋の対立が解消されるが、表現型は1で述べた例と違って非口蓋音になる。
3.表現型が原音素のどちらかの項と同じになるのは2のケースと同じだが、中和が周りの音声環境などの外部要因でなく内部の要因に誘発されるもの。解消可能な位置で現れる原音素の表現型では素性(そせい)の一つが弁別性を失うのに対し、重点位置では当該素性(そせい)は重要性を保っているわけだ。言い換えると前者は「原音素+ゼロ」、後者は「原音素+α」。いわゆる「無標・有標」の対立である。
 またこの2者の対立がきっぱりと欠如的privative(『128.敵の敵は友だちか』参照)でなくてグラデーションを帯びることがある。例えばロシア語ではアクセントのない位置で o と a の区別が解消されるが、その表現型は[ʌ] または[ǝ]。本来の o から見れば「狭音性」という素性(そせい)がミニマルになっている。逆に a から見れば「広音性」がやはりミニマルで、どちらも「重点位置では当該素性がミニマル以上」ということだ。うーむ… トゥルベツコイ自身は言っていないが、つまりこの原音素はそれぞれ /a/ および /o/ ということになるのか?
 4.解消可能な位置で原音素の表現型となるのがどちらのメンバーでもありうる場合。例えば日本語ではe とi の前で子音の「口蓋・非口蓋」という対立が解消される、つまり e と i の前が解消可能な位置なのであるが、その際 e の前では非口蓋音が、i の前では口蓋音がそれぞれ原音素の表現型となる。トゥルベツコイが日本語に言及しているのを見て感激した人食いアヒルの子がおせっかいにも噛み砕いて言うと、例えば m は a、u、o の3母音の前でのみ「ま対みゃ」、「む対みゅ」、「も対みょ」という対立がある。ところが「み」と「め」には対応する拗音がない:「み対?」、「め対?」。つまり e と i の前では口蓋性が中和されるのだが、「み」では子音が口蓋化しているのに対し([mʲi])「め」の m は非口蓋音 [me] だ。この観察は本当に鋭いと思うのだが、するとつまり日本語の子音は y を除いて皆原音素ということになるのか?
 
 その後チャールズ・ホケットCharles F. Hocketがこの原音素という観念を批判し、音韻レベルの話を形態論に持ち込んだものであるとしたが、その根本にあったのは原音素などを設定しまうと音素の数が徒に増える上、その配列パターンも崩れるといういかにも構造主義者らしい考えである。もっとも構造主義というのならトゥルベツコイやプラーグ学派のほうが「元祖」だと思うが。
 さらにアダムスM. Adamusという人も「原音素は異形態素を音韻論の観念と交換しようとする試み」と批判したそうだが、この「音韻論と形態論のクロスオーバー」というのはまさにトゥルベツコイがロシア語学で発達させたMorphonologie形態音韻論(『134.トゥルベツコイの印欧語』参照)という分野だ。もちろん他の言語でも見られるが、ロシア語(他のスラブ語も)では異形態素間に現れる音韻交代が特に規則的なのでこういうアプローチが発達したのだろう。形態素内の音韻構造、特に異形態素間の音韻交代のパターンを研究する分野だ。ロシア語の授業では最も頻繁にみられる代表的な音韻交代パターンを暗記させられる。例えば:
с – ш: писать – пишу – пишущий 「書く」、不定形-1人称単数-分詞
к – ш: далёкий – дальше 「遠い」、原級-比較級
г – з(ь) – ж: друг – друзья – дружба 「友人」、単数主格-複数主格-「友情」
к – ч – ц: казак – казачий, казацкий、「コサック」-「コサックの」-「コサックの」
т – щ: осветить – освещу – освещённый、「照らす」、不定形-1人称単数-分詞
ст – щ: простой – проще、「簡単な」、原級-比較級
ск – щ: искать – ищу – ищущий、「探す」、不定形-1人称単数-分詞
д – ж – жд: родить – рожу – рождённый、「生む」、不定形-1人称単数-分詞
б – бл: любить – люблю 「愛する」、不定形-1人称単数
в – вл: ловить – ловлю 「捕まえる」、不定形-1人称単数

この他にも交代パターンがたくさんある。私は当時は単位欲しさだけのために意味も分からず暗記したが、今考えると(今頃にならないと気づかない…)、この音素交代がしっかり頭に入っていれば知らない動詞や形容詞が出てきたときカンが働いて、辞書を引かなくてもそれらがどういう語形変化をするかある程度予想できるようになると思う。


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 日本人は英語が下手だ、とはすでに大昔からさんざん言われ続け、それを改良しようという様々な試みも空しく今日に至るも耳にする。日本人の英語(ドイツ語やフランス語もだが)が国民レベルでほとんど上達していないからだが、その原因はわかっている。
 第一に日本で生活するためには外国語が必要ないからである。一般教養も全部日本語で身に着けることができる。大学だろでは時々論文やレポートを外国語(主に英語)で書いたりすることもあるが、講義の言語は日本語である。第二に英語は母語である日本語と構造的にも、話者の文化的な面でも全くかけ離れているからである。第三に教授法が非効率だからである。本人も英語をロクにしゃべれない教師がいる。そもそもアメリカや英国など英語圏で全く生活したことのない教師が日本国内で日本人から教わった暗号のような英語を教えているのだから(もちろん英語教師が全員そんなのではないが)、教わるほうだって上達するわけがない。たとえ生徒本人にやる気があっても上達しにくい授業内容な上に、「義務」としてやる気のない生徒にまで教え込もうをするからザルで水をくむようなもので、費やされるエネルギーに対して効果のほうが限りなくゼロに近くなるのはある意味では当然である。
 その、自分たちは国際的に比較して外国語ができない部類だ、という事実に対する日本人の反応は大きく分けて二つである。一つは第一の理由を持ち出してきて居直る、さらに居直りを通り越して「日本の社会が素晴らしい証拠」として外国語ができないのを自慢しだす人たち。「ここは日本ダー。外国語なんてできなくてもいいんダー」というわけである。こういう人たちは「外国語を使わなくていい」と「外国語ができなくていい」の区別がついていない。たとえ生活そのものはすべて日本語でまかなえるにしても、外国語ができて損になることはない。例えば渡辺照宏氏は外国語を学ぶ理由として次のように述べている。

しかしそれ(人食いアヒルの子注:外国人と会話ができるということ)以上に大切なことは、あなたの教養全体の水準が外国語の学習によっていちじるしく高められることなのです。… ただ実用的立場から教えているのではありません。あまり意識的な努力なしに習得した自国語の他に、少なくともひとつの外国語を学ばせるというのには、人間的教養を高めるという大事な目的があるのです。外国語を知らなくても立派な人はいくらもいますし、また出世も金もうけもできるには違いありません。しかし、もしあなたが人間としての完成を目ざしているならば、少なくともひとつの外国語を習得することによって、実利の他に、人生を楽しくかつ愉快にする手段を手に入れることは確実です。

言葉を使わずには(一人きりでいる時でも)一日も人間らしい生活ができないからです。この意味で、外国語の習得は自己の人間的成長ないしは発展にも大いに役立つ、ということができるでしょう。

これは正論ではないだろうか。要するに「外国語ができないのは日本の社会が素晴らしい証拠」というのは見苦しい負け惜しみであろう。

 「日本人は外国語ができない」ということに対しての第二の反応は第一の反応と真逆で「これだから日本はダメなんだ」というもの。時として自分自身は語学ができる人ができない日本人に対してこういうセリフを吐くことがある。「オレは他の日本人とは違うんだ、はっはっは」というのが本音であろう。こういう、たかが外国語の一つや二つしゃべれるのをすぐ鼻にかけだす人が多いのもつまり日本人全体の外国語レベルの低さの裏返しである。しかし逆に誰かがちょっと外国語を話したり書いたり、「〇語ができる」と(事実を)言うとすぐ威張っているの自慢しやがってのと僻み交じりの攻撃をしだす人はもっと困りもの。双方に共通することは「外国語が話せるのは大したこと」という意識である。しかし外国語を話せることなんて自慢にも何もならない社会や国が世界にはゴマンとあるのだ。そのゴマンの中に欧州社会があると思うが、「これだから日本はダメ」発言を展開する人には、「良い例」として欧州を引っ張り出してくる人が多い。「ヨーロッパではまともな教養のある人は3か国語くらいペラペラなのに、日本人は教養人ヅラしていても英語もロクにしゃべれない人がいる」というわけである。確かにこれは真実なのだがこういうことを安易に言い出す人は上で述べた二つ目の理由を無視している点で鵜呑みにするわけにはいかない。
 日本人が言語構造も背景文化も全く違う英語を勉強するのと、ドイツ人が言語構造にほとんど方言差くらいの違いしかなく、文化の背景も同じ英語を勉強する場合と比べて「日本人は外国語ができない」と言ってみても仕方がないからだ。ライオンと柴犬を比べるようなものでそもそも比較になっていない。比べるなら日本人の英語とイギリス人の日本語、あるいは日本人のドイツ語とドイツ人の日本語と全体的にどちらが悲惨かを比べるべきだろう。少なくともドッコイドッコイ、多分それぞれ後者のほうが悲惨度が高いと私は思っている。日本人のほうがやや有利な条件下にあるからだ。
 まずドイツ語・英語は文字の数が笑っちゃう少なさの26文字。補助記号やウムラウト文字を入れてもせいぜい30である。日本語は表音文字だけで100、補助記号、つまり拗音や濁音表記なども入れればさらに多くなる上に何千もの漢字がある。私たちは子供の頃から読みなれ、書きなれているからいいがこれをクリアするだけで相当のエネルギーがいる。新聞記事あたりがまともに読めるようになるには何年もかかるに違いない(というよりなるのか?)。私たちがヒエログリフを見て呆然とする、あの感覚だ。
 次にこれは第一の点とも被ってくるが、孤立した言語である人たちは「外国語とは母語とは全く違うもの。文字から何から全部ワケわかんない想像を絶する世界」という感覚が身についている。文法などが「何だよそりゃ?」と思うものであっても「まあ外国語なんだから何が出てきてもおかしくないか。わかんないけど」と一応黙って消化する。例えば英作文で前置詞をうっかり後置してしまうような人を私は中学のクラスメートにさえ見たことがない(間違った前置詞を使っちゃったというのは皆よくやっている)が、こちらではだいぶ勉強が進んだ後でも「にドイツ」とか「を本と新聞」とかやってしまう人を一人ならず見た。「AのB」という付加語を持った構造はさらに間違いが頻発する。「山田さんの学校」「アメリカの友達」がそれぞれ「学校の山田さん」、「友達のアメリカ」、あるいはもっとひどく「の山田さん学校」、「のアメリカ友達」になってしまうのだ。要するに彼らは外国語といっても自分たちの母語と構造のよく似た印欧語しか知らないのでその外に出られず、「あなたの知らない世界」に入っていくのが日本人より苦手なのではないだろうか。バスク語やフィンランド語でも知っている人はこの点有利かもしれないが、背景となる文化は同じである。そもそも文字が同じだ。
 それで私は時々「ドイツ人が外国語ができますとか言って英語やフランス語を持ち出してくるのを見るたびに笑っちゃうわね。そんなもん全然Fremdsprachen (foreign languages)じゃなくてBekanntsprachen (familiar languages)じゃん」とドイツ人にいって嫌がられている。実は私が最近流行の会話中心・文法なんて気にするな的メソッド(その手のメソッドでは授業の言語、つまりメタ言語と対象言語が必ず一致している)をドイツ人の日本語教育、日本人の英語教育に盲目的に応用するのに不安を感じているのもこの点である(『127.古い奴だとお思いでしょうが…』参照)。もちろんフィンランド語やハンガリー語などの例外はあるが欧州内の言語は基本印欧語で構造がそっくりである。母語の骨組みが外国語にも応用できてしまうから、あとはインプットをガンガン入れ、会話の練習を積めば立派な建物が出来上がる。細かい文法上の差異はあるが、それらは建物の根本構造をいじらなくても済む「改修」程度だ。
 それに対して真正の外国語は学習者は内部に土台を持っていない。そこにやたらと文法を気にしないでインプットだけ吹き付けるのは土台も骨組みもないところに「改修」だけで家を建てるようなもの。できあがるのはちょっと強風が吹けば崩れ落ちるような掘っ立て小屋である。
 ここ何年か主にアラビア語を母語とする難民が増え、ドイツ語の授業も提供されているが、上の『127.古い奴だとお思いでしょうが…』でも述べたようにその教科書は会話中心のきれいなカラー印刷のものだ。もちろん専門家が作ったものだからメソッド的には優れているのだが、いままでは対象者のほとんどは欧州内の他の国か、あるいは長くドイツに住んでいる外国人であった。言語の骨組みがすでにできている人たちだ。ところが今の難民は言語の面でも文化の面でも共通項となるその骨組みを持っていない人たちである。どうなるかと思っていたところ、新聞に「難民のドイツ語教育の効果が上がっていない」という趣旨の記事が載り、申し訳ないが「当然だ。何をいまさら」と思ってしまった。また実際に外国人にドイツ語を教えている知り合いが、学校側からは「会話能力をつけるために授業はドイツ語だけでやるように」と厳しく念を押されていたが、ドイツ語が理解できない学習者(当たり前だ。だからこそ授業を受けに来ているのだ)にそれをやっても全く効果がなく、授業が成り立たなくなってきたので英語で文法説明をしてしまったと話してくれたことがある。この人は最近の会話中心の方法には懐疑的だった。全く言語的背景のない日本人にカラー印刷の教科書で楽しい会話だけさせたら、まともな家が建つ代わりに掘っ立て小屋が増えそうな気がして怖い。私の杞憂だといいのだが。

 もちろん、ドイツ人の日本語のほうが日本人の英語より悲惨だからと言って「日本人のほうが頭がいい」とか「ドイツ人はものわかりが悪い」などということはできない。上でも述べたようにこれは単に偶然日本人のほうが言語の異次元性に対する免疫ができているというだけの話だからである。多少理解できなくてもいちいち驚いたり拒否反応を起こしたりしない。基本的には民族や国に関係なく(母語と全く違う)外国語というのはできないのが普通なのではないだろうか。それを「普通にやれば誰でも外国語はできるようになる」などと甘い約束をするから、やってもやってもできるようにならない私のような者がマに受けて「私は常人より知能の発達が遅れているのではないか?」と真剣に悩みだしたりするのだ。また、学習者が2年もやっているのに全員ヨーロッパ言語共通参照枠(『123.犬と電信柱』参照)のB2レベルくらいにならないからといって、授業のやり方に根本的な欠陥があるように言われたりもする。確かにこちらの大学などの日本語の学習者はほぼ全員2年もすれば会話が成り立つようになるが、それはそこに行く前についていけない者がどんどん脱落するからである。言い換えると授業を受ければ全員2年で会話ができるようになるのではなくて、2年で日本語をマスターできるような者だけが最後まで残っているのだ。授業体制の欠陥を云々するとすればむしろこの点ではなかろうか。生まれつき外国語のセンスがある者、センスの点ではイマイチだがとにかく勉強する意思はあってまじめな者、そういう一部の者だけが到達できるレベルに全員到達させようとする、到達できるはずだとする考え方が根本的に間違っているのではないのか。
 もちろん、日本国民全員を英語B2にするのはどんなやり方をとっても不可能だとしても、かといって日本の外国語の授業のやり方がこのままでいいとはさらに思わない。もうちょっとやり方を変えたほうがいいんじゃないかと思う。それについては英語教育学の学者がいろいろ考えて種々の試みをしたりしているから、素人の私がここで嘴を挟んでも笑われるだけだろうが失礼して無責任な提案をさせてもらうと、まず日本は英語教師その人が英語をロクスッポできないまま教えている(人もいる)のが最大の問題ではなかろうか。言葉を教えられるのは原則的にネイティブだけのはずである。こちらは例えばドイツ語を人に教えられるのはネイティブ、またはドイツ語能力試験でC2をとった人だけである。ただ上でも述べたように私はメタ言語と対象言語が一致する授業形式は特に初心者にはあまり効果がないのではないかと疑っているので文法説明は学習者の母語でやるのがいいと思う。とすると日本で英語を教えられるのは日本語がすっごくできる英語ネイティブか、少なくとも英語圏で大学を正規に卒業した日本人ということになる。これを条件にすると資格を失う英語教師は日本に相当いるはずだ。
 もう一つ、文法や講読(あるいは「英文解釈」)の授業と並行して会話と作文の授業を別途にやったらどうだろう。前者が理論、後者は実践授業である。そして後者の授業は本当にネイティブだけにやらせる。この二つを分ければ学習者のほうもどちらを好きになるかによって自分に向いているのは語学のほうか言語学のほうかわかってくる。将来設計にも役立つのではないだろうか。この二つを基本として、さらに勉強したい者、高校大学からアメリカに留学したいとか、大学はその方面に進みたいとかいう人のためだけに英語のスペシャル授業を自由選択制で設けてやればよろしい。自由選択だからついていけない者は安心して脱落できる。高校から渡米したがっている生徒と一生東京都品川区から出る気のない者とに画一化した授業をやるから効率が悪くなるのだ。
 もっともこんなことはもうとっくに皆考えていて、今の日本ではきちんと準ネイティブが集中的に教えているようになっているのかもしれないが。

 上でも引用したように外国語というのはあくまで自分の人生を豊かにするため、自分を鍛えるために勉強するのである。たかがちょっとくらい外国語ができると言って有頂天になったり、逆に他の人が外国語ができるからといって妬んだり僻んだりするような事柄ではない。

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