アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:二項対立

 言語学に中和 Neutralisationという専門用語がある。最初使いだしたのは構造主義の言語学者、ということはつまり音韻論学者だ。『47.下ネタ注意』『141.アレクサンダー大王の馬』にも書いたので繰り返しになるが、ドイツ語には語末音硬化 Auslautverhärtung という(私の嫌いな)言葉で表される現象がある。ソナント以外の有声子音が語末(あるいは形態素末)に来ると対応する無声子音に変化する。「対応する」というのは調音点と調音方法は変わらないという意味だ。前の記事で出した例の他に Land [lant] (「国」単数主格)→ Länder [ˈlɛndɐ](同複数主格)、Landes [ˈlandəs](同単数属格)なども語末音硬化の例だ。この無声化をきちんとやらないとドイツ語の発音がモロ初心者っぽくなる。
 これは「変化する」というより本来弁別性を持っていた有声という素性(そせい)がその機能を失うということだ。「素性が一定の条件下でその弁別機能を失う」という現象、これが言語学で言う中和で、手元の事典では次のように定義してある。

Neutralisation:
Aufhebung semantisch relevanter Oppositionen. Die Unmöglichkeit, in einem bestimmten lautlichen Kontext eine Opposition zu realisieren, die in anderen Kontexten zwischen solchen Phonemen besteht, die ein gemeinsames Merkmal (oder eine Reihe gemeinsamer Merkmale) besitzen; Aufhebung der phonologischen Opposition in bestimmten Positionen (…); die Realisierung des Archiphonems.

中和:
意味の区別に重要な二項対立の無効化。他の文脈でなら共通の素性(そせい)(または共通素性の束)をもつような音素間に存在する二項対立が、測定の音声・音韻環境で実現不可能になること。特定の場所での音韻対立の無効化。原音素の実現形。

専門用語の事典にありがちな石のような文章だが、それに加えて専門用語事典特有の自己矛盾に陥っている。これを理解するには「中和」の何たるかがある程度わかっていなければいけない。でないとこの文章は単なる暗号である。つまり専門用語の事典というものはその言葉を知らないから参照するものではないということになる。入門書と同じで(『43.いわゆる入門書について』参照)、すでに知っている用語の理解に誤解はないか確認するためのもので、全くその語の意味を知らない人がノホホンと引いても役に立たない。告白すると実は私も言語学事典を引くと「何を言っているのかわからない」語解説によくぶつかる。

 さてもうちょっと上の中和の定義を見てみよう。原音素という言葉(太字)については以前に述べたがこれはトゥルベツコイの掲げた用語である。トゥルベツコイは大文字を使い、例えば Dと表していたが、アンドレ・マルティネは / t/d / という風に具体的な双方の現実形音素を並べていた。この原音素という観念には批判も出され、ホケットなどもその批判者の一人だが、大元のプラーグ学派も後にこの用語を放棄している。D という上位観念を設けずに中和を t、d 二音素間の問題として扱うことにしたのだ。私も原音素という用語はあくまで「言語学史上の用語」として習った。

 この事典には中和の具体例としてドイツ語の Rad(「車輪」)と Rat(「アドバイス」) のペアが上がっている。前者では語末の d の有声性が中和されて [ʁaːt] になり、本当に t と発音する「アドバイス」[ʁaːt] と全く同じ発音になる。「車輪」が複数になると Räder となって d が語末に来なくなるから本来の有声音に戻り、 [ˈʁɛːdɐ] と発音される。ちょっとこれを図式化してみよう。
Tabelle-188
[+ alveolar + plosive]という部分(太字)が共通項である。ここでは中和されるのが有声対無声の欠如的対立(『128.敵の敵は友だちか』参照)だが、等価対立が中和されることもある。その事典にはスペイン語では語末で /m/ 対 /n/ 、/m/ 対 /ɲ/、 /n/ 対 /ɲ/ の対立が中和されるとあったが、具体例が載っていなかった。そこでこちらで勝手に考えたのだが、そういえばスペイン語には -n で終わる単語は掃いて捨てるほどあるのに、m や ñ で終わる語はない(一つくらいはあるかもしれないがとにかく極めてまれだ)。これらの対立が中和されるということはつまり例えば abejón の語末を m で発音しても ñ と言っても意味に変わりはないということだ。そういえばスペイン語では(イタリア語も)ラテン語の cum(with)が con になっているがこれは中和が文字化されて固定したということなのだろうか。
 他をちょっと見てみたら Akamatsu Tsutomu という人が /m/ 対 /n/ 対 /ɲ/ の対立が中和される英語の例を挙げていた。氏は m を labial nasal、n を apical nasal、ŋ を dorsal nasal と定義しているがそれを(こちらの個人的な趣味で)調音点による定義に統一し、それぞれ [+ labial + nasal]、[+alveolar + nasal]、[+palatal + nasal] としよう。この3つは語末と母音の前では弁別的に機能する:kin(/n/ [n])対 Kim(/m/ [m])対 king(/ŋ/ [ŋ])、あるいは Hanna(h) (/n/ [n])対 hammer(/m/ [m])対 hangar(/ŋ/ [ŋ])。この等価対立 [+ labial] 対 [+alveolar] 対 [+palatal]  が特定子音の前では中和され、p の前では mに、t の前では n に、k の前では ŋ に統一される: camp、hunt、rank。
 上のスペイン語の /n/ 対 /ɲ/ は非口蓋化と口蓋化という欠如的対立なのでまあ図式が簡単だが、正直言ってこの英語の例を「(等価対立の)中和」はどうもわかりにくい。これあの音素の上に君臨する原音素を大文字一つで表すのは難しいのではないだろうか。ここはやはりマルティネ方式をとったほうがいいかもしれない。音声学でならこれらは単なる同化(『148.同化と異化』参照)である。

 コセリウは中和の観念をさらに語彙レベルにまで広げて論じているそうだが、私は等価対立程度で唸っているくらいだからそこまで手を広げられると理解できないのでここではクラシックに音韻の範囲内に留まることにしてあたりを見回すと、もう一つ中和される欠如的対立がある。日本語の高低アクセントだ。付属語のアクセントがそれが付加された自立語のアクセントにせいで無効になる、つまり中和されるのだ。
 たとえば助動詞の「です」である。この語は本来第一モーラにアクセントがあり、「で˥す」と表す。この語が自立語の「橋」「箸」「端」につくとどうなるか。まず「橋」「箸」「端」のアクセントパターンはそれぞれ「はし˥」、「は˥し」、「はし」だ。「橋」と「端」は語だけを発音する時は「第一モーラと第二モーラの音調は異なっていないといけない」という規則に従って、最初のモーラが低、二モーラ目が高となり(この現象は「異化」と呼ぶこともある、『148.同化と異化』参照)どちらも同じになるが、「橋」は最終モーラにアクセントがあるので後続する助詞で音調が下がる。それで「橋が」は低高低、「端が」は無アクセントで音調が下がらないから低高高となる。「箸が」はもともと第一モーラと第二モーラの高さが違っているから異化する必要がなく、高低低。さてこれらの自立語に「です」がつくと「です」のアクセントが中和される。

橋です:はし˥ + で˥す = はし˥です(低高低低)
箸です: は˥し+ で˥す = は˥しです(高低低低)

「で˥す」の˥が消えてしまい、低低となっている。しかし自立語のほうが無アクセントだと突然附属語のアクセントが復活する。

端です: はし + で˥す = はしで˥す(低高高低)

 助動詞ばかりではない。辞書などではすっ飛ばされていたりするが、一モーラの格助詞も実はアクセントを持っているのではないだろうか。順を追うためにまず一モーラの名詞(自立語)を見ると、アクセントのあるものとないものがある。例えば「死」は有アクセントで「し˥」、「詩」は無アクセントで「し」である。後ろに格助詞をつけるとすぐわかる。高音を黄色、低音を水色で(ウクライナの国旗かよ)表してみよう。

死を見た → ˥ ˥
詩を見た →  ˥

さらに「歯」は有アクセント、「葉」は無アクセントである。

歯が落ちた → ˥ ˥ちた
葉が落ちた →  ˥ちた

次に格助詞のあとに助詞をつけてみると、二番目の助詞では音の高さが下がることがわかる。が、に、を、へ、全てそうなる。つまり格助詞は実は有アクセントなのだ。面倒なので当該部分だけ色をつけてみると次のようになる。

「を」で対格を表す。→ ˥…。
「が」と「は」はどう違うんですか?→ ˥ ˥
地名に「に」をつける→ …˥

「橋が」「箸が」という分節では有アクセントの自立語である「橋」と「箸」が格助詞のアクセントを中和していることになる。「端が」の「が」は確かに先行名詞の「端」によっては中和されないが、「端が」が文の直接構成要素である場合、直後に動詞などの自立語が来るからそれによってアクセントが中和されてしまう。あるいは分節の最後尾に来るから単独で発音された場合と同じく、せっかくのアクセントも実現の場を奪われ宙に浮いてしまう、と言った方がいいか。分節の区切り目を括弧で表してみるとこうなる。

葉が落ちた → [˥][˥ちた
端が浮く→ [しが˥][

「浮く」の第一モーラがなのは上記のように異化作用だが、この異化作用はアクセントとは明らかにメカニズムが違い、発動されないことが頻繁にある。「端が浮く」も[はしが˥][うく]と異化なし発音してもあまり気にならない。アクセントをハズされると非常に神経に障るのと対称的である。いずれにせよ、せっかく「が」にアクセントがあっても後続のモーラが同じ分節内ではないため音調が下がらない、上でも述べたがアクセントが無駄使いされているのだ。
 自立性の弱い格助詞がモロに自立語の先行名詞にアクセントを吸い取られること自体は「さもありなん」で驚くこともないのだが、問題は例外があることだ。付加格というか属格の助詞「の」である。他の格助詞は全て先行名詞によってアクセントが中和されるのに、「の」だけは自分のアクセントを吸い取られないどころか逆に先行名詞のアクセントを中和してしまうことがあるのだ。まず一モーラの名詞だが、ここでは「の」はアクセントを失うので他の助詞と同じだ。

死の恐怖→ [˥˥][きょ˥うふ
詩の恐怖→ [˥][きょ˥うふ
(どんな恐怖よ?)

しかし名詞が二モーラ以上になるとむしろ名詞のほうの最終モーラのアクセントが中和されてしまう。

橋のたもと→ [˥˥][もと
端のたもと→ [しの˥][もと
(どんなたもとよ?)

「橋」のアクセントが中和されて「端」と区別がつかなくなってしまう。私の感覚では「橋」のアクセントを保持して「橋のたもと」を[˥˥][もと]と発音するとむしろおかしい。「の」には二モーラ以上の先行名詞の最終モーラのアクセントを中和する力があるということだ。
 これはなぜだろう?「の」と他の助詞とは何が違うのだろう?でも『152.Noとしか言えない見本』でも述べたが、「の」のつく名詞句は文の直接構成要素にはなれず、必ず第二の名詞が後続する。つまり全体で一つの名詞となるわけで、音声・音韻のメカニズムが「合成語」のそれに近づき「自立語と附属語」のパターンから外れるのかもしれない。「˥」と「いがく」が合体すると「˥ばだいがく」 にはならず、「くばだ˥いがく」となり、単純にその合成語を構成している一つ一つの語のアクセントからは導き出せないのと似たようなことなのだろうか。
 さらに「の」は単なる格助詞としての機能ばかりでなく、名詞の機能を受け持つことができる。「この本は私のです」の「私の」は厳密にいえば「私の∅」で、本来「私のN」であった構造でNが消失し、その機能を「の」が代行している。言い換えると「の」は「附属性」が他の格助詞より弱い、裏返すと自立性が強いのかもしれない。
 しかし一方で、そういう「の」の機能の違いが何らかの影響力、中和効果を持っているとしても、それがなぜ「複数モーラの語の最終モーラ」に対してだけ発動するのか。有アクセントの一モーラ語「死の恐怖」では中和されないのは上で述べたが、先行名詞が複数モーラであってもアクセントが最終モーラに来ない場合はその名詞のアクセントは中和されない。

箸のたもと→ [˥しの˥][もと
(いよいよ意味不明)

いや全く言語と言うのは一筋縄ではいかないものだ。

 ところで、上で名前を出した音韻学者の Akamatsu Tsutomu 氏にやはり日本語アクセントの中和現象を論じた論文がある。アプローチの仕方や用語、また日本語アクセントの記述が私と全く違うのだが、氏も「の」とゼロが後に来ると(繰り返すが氏はそういう言葉を使っていない)、複数モーラ名詞の最終モーラアクセントが中和されることを指摘している。私は上で、分節の最後尾のアクセントは中和されたのではない、実現のきっかけを奪われたのであって、本当の中和とはメカニズムが違う的な意見を述べたが、そう言われてみると確かにこれらをわざわざ区別して考える必要はないかもしれない。定義を見ても「二項対立が測定の音声・音韻環境で実現不可能になること」が中和なのだから、アクセントが分節末でフン詰まりを起こして(もうちょっと上品な表現はできないのか)発動しないのもやはり中和と言えよう。


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図表を画像に変更したりして一度記事を全面変更しましたが、その後今更英語にも包含と除外を区別する場合があることを安井稔教授が指摘しているのを見たのでさらに変更しました。再投稿します。言語と言うのは本当に驚くことばかりです。

内容はこの記事と同じです。

 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
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 「~ている」という助動詞がアスペクト表現であることは知られている。私は今まで大雑把に次のような説明をしていた:「~ている」は正反対のアスペクトを表わす。現在進行体 progressiver Aspekt と完了体 perfektiver Aspekt で、「基本的には」継続動詞、事象が「読む」とか「見る」など当該事象が時間の幅を持つ事象を表わす動詞に「~ている」がついたら現在進行体、瞬間、つまり「死ぬ」「結婚する」など、始まったとたんにすぐ終了するような事象を表わす動詞についたら完了体だと。ただもちろん「その本はもう読んでいます」など、継続動詞でも実は完了体になるので、本当はそうきっぱりとは行かないことは言っておく。さらにうるさく言えば「現在進行体」はアスペクトではなく動作様相Aktionsart なのでロシア語をやっている人から突っ込まれそうだが(下記)、それについては黙っておく。
 しかししばらく以前からこれは安易すぎるのではないかと自分でも不安になってきていたため、先日寺村秀夫氏の『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』を借りだして確認してみた。本来とっくに読んでいなければいけないはずの古典を今頃読んですみません。著者の寺村氏には直接お目にかかっている。大学時代に先生の授業をとっていたのだ。微妙に関西訛のあるダンディな先生で授業も面白かった。

 そもそもアスペクトというのは何なのか?コムリー Comrie という言語学者は「ある事態の内部的な時間構成のいろいろな見方」と定義しているそうだ。それが継続しているのか、完了しているのかいないのか、一回きりのものか繰り返されるのものか、そういった相の違いということで寺村氏も基本的にはこの見方を踏襲し、テンスが事象を点として見るなら、アスペクトは事象は幅として見るものだとしている。プロセスの中の時間のどういう位置にあるのかを表わそうとするものであると。もっともロシア語学者のイサチェンコはこういう違いはあくまで動作様相であってアスペクトではないと強調している。英語や日本語はロシア語のようにきっちり二分割でパラダイム化しテンスと独立したアスペクト体系がないので、アスペクトの観念の把握にいろいろ「不純物」が混入しやすいのかもしれない。でもライヘンバッハ Reichenbach というこれも有名な学者(三たびすみません。まだ原本読んでいません)の図式などはとてもクリアで日本語の説明にも使えそうだ。Reichenbach もテンスとアスペクトをいっしょにして論じているが、その際 Speech time、 Event time、 Reference time を基準として設定している。Speech time は発言が行われた時点、 Event time は当該事象が起こった時点で、この二つはわかりやすいが、これらとReference time を分けたのが非常な慧眼だ。これは当該事象が言語化された時点、観察された時点である。Speech time、 Event time、 Reference time をそれぞれS、E、Rとし、英語のSimple Past、Present Perfect の時系列を図示するとこうなる。< という印は閉じたほうにある事象が開いているほうより時間的に先行するという意味である。

Simple Past
I saw John
E = R < S

Present Perfect
I have seen John.
E < R = S

つまり Simple Past では当該現象が発生時点と同時に観察され、しかる後に発話されているのに対し、Present Perfect だと事象発生の後に観察・言語化されそれと同時に発話されていること、言い換えると完了体の本質は E < R ということだ。S の位置は問わない。この差と対応するドイツ語の構造、Ich sah Hans と Ich habe Hans gesehen はこの微妙な差をほとんど失ってしまい、単なるスタイルの差、あるいは方言差になってしまった。単純過去は「古風な響きで会話にはあまり使わない。それでも北ドイツの方では時々会話でも使っている」とのことである。だからということもないのだろうが、英語のSimple Past と Present Perfect の差が「いくら説明してもらってもよく呑み込めない」と言っていたドイツ人がいた。さてこの図式で現在進行形を表わすと

Sam is working.
E = R = S

で、三つがすべて同時である。では Sam was working はどうなるのか?私は上でも白状したようにReichenbach も Comrie も読んでいないので、勝手に自分で好きなように図式化させてもらうが、これは E = R < S としかやりようがなく、Simple Past といっしょになってしまう。これを防ぐには Simple Past の R をニュートラルにする、つまりSimple Past では Reference time は問わないとして、E (= R) < S とR を括弧にでもいれることだ。問わないわけだから状況によっては Simple Pastで E < (R =) S と事実上 Present Perfect と同じ時系列パターンを表わせることになる。
 これを日本語に当てはめてみると、

太郎に会った。E (= R) < S
太郎に会っている。E < R = S

太郎は結婚した。E (= R) < S
太郎は結婚している。E < R = S

となり、過去形(た形)と「~ている形」の違いが一応それらしく図式化できる。さらに面白いことに「た」が E < (R =) S のほうも表わせることを寺村氏は指摘している。この例は金田一春彦氏も引用しているが、

1.もう昼飯を食べたか。
2.きのう昼飯を食べたか。

の「た」を比べると前者は完了体アスペクト、前者が単純過去である。それが証拠にこの二つの質問に否定で答える場合、形が異なる。

1への答え;いや(まだ)食べていない/食べない。
2への答え:いや、食べなかった。

1に対しては皆本能的に完了アスペクト表現をとり、1の質問に「いや、食べなかった」で答えるとおかしい。もう一つ、

3.彼の話はよくわかったか?
4.私のいいたいのはこれこれだ。どうだ、いい加減にもうわかったか?

では、3に対しては「いや、よくわからなかった」と過去形で答え、4には「いや、まだわからない」と現在形で答えるのが普通だ。皆アスペクトの違いがよくわかっているのだ。図示すると

1と4:E (= R) < S
2と3:E < (R =) S

ということになろう。ここで R の括弧を外したい場合、つまりR を明確に可視化したい場合に「~ている」などの動詞を付加して完了体アスペクト表現をとる。
 その完了体としての「~ている」だが、瞬間動詞だけが完了体になるのではない。継続動詞に「~ている」をつけて完了体を表わすなど皆普通にやっている。

手紙はもう書いている。
その映画は以前見ている。
あの人はロシア語を勉強しているからキリル文字がスラスラ読めるんだよ。

など、いくらでも言える。その際、主語でなく目的語のほうに視点が行くと「~てある」も使える。

手紙はもう書いてある。
宿題はやってあるから、遊びに行っていいでしょ?

だから瞬間動詞であろうが継続動詞であろうが自動詞の完了体表現には「~てある」は使えない。

邪魔者は消している。
邪魔者は消してある。
邪魔者は消えている。
*邪魔者は消えてある。

さて、ここではトピックマーカーを使ってあるので不明瞭になってしまっているが、この「邪魔者」の格はなんだろうか?「~ている」の文では明らかに対格だ。上の「ロシア語を勉強しているから云々」の例でもわかる。他の二つも格構造的には「手紙をもう書いている」、「その映画を以前見ている」だ。対して「~である」の場合は主・対どちらの解釈も成り立つ。

邪魔者が消してある。
邪魔者を消してある。

これは多分シンタクス構造の差で、生成文法もどきにオシャレな図示をするとそれぞれ

NP{邪魔者が}  VP [ V1{消して} V2 {ある}]。
NP {ZERO} VP [VP1 [NP {邪魔者を} V {消して}] VP2{ある}]。

とかなんとかとなる。つまり主格だと「邪魔者」が「消してある」という複合動詞全体にかかり、対格だと邪魔者はまず「消して」のみにかかり、それから両者いっしょに「ある」にかかるということだろう。「寿司が食べたい」と「寿司を食べたい」の差もこれだと私は思っている。ただこの「~てある」では主語にゼロ以外立つことができない。「~たい」では「私が寿司を食べたい」と普通の名詞が主語に立てるのと大きな違いだ。
 また場合によっては目的語に焦点をあてた「~ある」でないと非常に座りの悪い文になる。比較のため目的語を対格にそろえるが、後者は少し変だ。

戸を開けてある。
戸を開けている。

なぜ後者はおかしいのだろう。これは完了体というアスペクトの本質的な意味と関わってくるようだ。またロシア語を引っ張り出すが、ボンダルコという学者によるとロシア語の完了体アスペクトの動詞が共通に持っている意味は「新しい状況の出現」だそうだ。寺村氏も日本語のアスペクト表現を検討してそれに近いことを言っている。「戸を開けてある」では焦点の戸にとって確かに「開いている」という新しい事態が出現している。対して「戸を開けている」だと焦点の主語(ここではゼロ主語になっているので仮に「私」としておこう)にとっては何も新しい事態が発生していない。「手紙を書く」ならまだある意味業績が一つ加わったと解釈もできようが、戸を開けたからといって誰も感心などしてくれない。この点が「私はロシア語をやっている」との違いである。そこでは「私」の語学能力が増している。「私はロシア語をやってある」はどうか。新しい事態は「私」でなくむしろロシア語の方に起こる。ロシア語が「私ができる言語リスト」あるいは「今日やったことのリスト」に付け加わったのだ。

 せっかく引っ張り出したのでもう少しロシア語との比較を続けるが、ロシア語の不完了体動詞にはちょっと面白い機能がある。「結果の取り消し」だ。例えば次の文はどちらも「私は窓を開けた」だが、

Я открыл окно.
I + opened-完了体+ window

Я открывал окно.
I + opened-不完了体 + window

完了体では窓は今開いているニュアンスだが、不完了体だと一度開けた窓が今はまた閉まっている、つまり「開ける」の結果を取り消す意味合いになる。狭い意味の結果ではないが、効果が取り消される、つまり当該行為が無に帰してしまった場合も不完了体を使う。

Утром мы открывали окно, но сейчас в комнате опять душно.
朝窓を開けたが、もう今部屋の中がムンムンする。

それと対応するかのように、日本語でも結果を取り消すような表現が「~ている」の後に続くと少しおかしい。

窓を開けたが、外の音がうるさいんでまたすぐ閉めた。
窓を開けてあるが、外の音がうるさいんでまたすぐ閉めた。
朝窓を開けているが、もう今部屋の中がムンムンする。

さらに

彼は結婚したがすぐ離婚した。
彼は結婚しているがすぐ離婚した。

という比較でも後者、完了体アスペクトを使うと変だ。

上でも述べたように「た」でも完了体を表わせないことはない。ないがここでの「た」は「わかったか→わからない」と違って完了体と解釈することはできない。しかし完了体の助動詞を過去形にしていわば過去完了的意味にすると一応結果が取り消せる。

窓を開けてあったが、外の音がうるさいんで閉めた。
彼は結婚していたが離婚した。

これは結果として生じた状態、「開いている」と「結婚している」が既に過ぎ去ったことなので、取り消しが割り込める隙が生じる。しかしその際ある程度の時間的距離が必要で上でやったように「すぐ」という副詞を使うと許容度が減少する。

窓を開けてあったが、外の音がうるさいんですぐ閉めた。
彼は結婚していたがすぐ離婚した。

 これもロシア語だが、不完了体による結果の取り消し機能の例としてこんな文があった。本がソ連時代のものなので「同志」である。

Товарищ заходил ко мне, но меня не было дома.
comrade + called on-不完了体  + to + me, bur + me + not + was + at home
同志が私の家に立ち寄った。でも私は家にいなかった。

Ко мне зашёл товарищ, и мы смотрели с ним телевизор.
to + me + called on-完了体 + comrade, and + we + watched + with+ him + television
同志が私の家に立ち寄った。それでいっしょにテレビを見た。

不完了体動詞の заходил(不定形は заходить)では立ち寄ったという行為が無駄になり、完了体 зашёл (不定形 зайти)では同志が首尾よく私に会えている。

 私は最初、というよりここでこうやって改めて日本語と比べてみるまでロシア語不完了体動詞の取り消し機能はロシア語のカテゴリー体系、全動詞が完了か不完了かにきれいに2分割されているからだと思っていた。動詞は必ずどちらかに属するのだからこれは欠如的対立(『128.敵の敵は友だちか』参照)ということで、不完了体の本質は「完了体ではない」ところにある。事実ロシア語学者には完了体は有標、不完了体は無標とズバリ定義している人が何人もいる。つまり行為の結果が残っている場合は完了体を使うのだから、そこで敢えて完了体を使わず不完了体を使うということはまさに完了体ではない、とわざわざ表明したいということ、言い換えると完了体ではない→結果が出ていないという暗示だ。不完了体は本来なら別に結果を否定したりしない。「どっちでもいい」はずである。その「どっちでもいい」動詞に取り消しのニュアンスを生じさせたのはロシア語の欠如的対立カテゴリーであると。
 しかし今上で見たように動詞が全然2分割などされていない日本語でも「完了体アスペクトであることが明確でない動詞形は結果の取り消しと親和性が高い」となるとこれは動詞カテゴリーだけが原因でもないようだ。
 実は私は30年くらい前からロシア語不完了体の取り消し機能はロシア語動詞が欠如的対立をなしているからだという主張をどこかのスラブ語学の専門雑誌にでも投稿しようかと思っていたのをどうも面倒くさいので放っておいたのだが、ひょっとしたら私はとんでもなく間違っていたのかもしれない。放っておいてよかった。それにしてもここはだんだんその種の、生まれるに至らなかったいわば「水子論文」の供養ブログと化しつつある。

 (この項まだ続きます。続きはこちら

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(URL設定を https に変えたらフェイスブックやブックマークのカウントが全部ゼロになってしまいました(涙)。うえーん、細々とあったのに~)

 これまでに何度か口にしたダイグロシアという言葉だが、これは1959年に社会言語学者のチャールズ・ファーガソンCharles A. Fergusonがその名もズバリDiglossiaという論文で提唱してから広まった。ダイグロシアという言葉そのものはファーガソンの発明ではないが、学術用語としてこれを定着させたのである。時期的にチョムスキーのSyntactic Structuresが出たころと重なっているのがおもしろい。生成文法のような派手さはなかったがダイグロシアのほうもいわゆる思想の多産性があり、60年代から90年代に至るまで相当流行した。
 事の発端はアラビア語圏、ハイチ、現代のギリシャ、ドイツ語圏スイスの言語状況である。これらの地域では書き言葉と話し言葉が著しく乖離していて、文体の差というより異なる二つの言語とみなせることにファーガソンは気づいた。書き言葉と話し言葉というより書き言語と話し言語である。アラビア語圏での書き言葉は古典アラビア語から来たフスハーで『53.アラビア語の宝石』『137.マルタの墓』でも述べたように実際に話されているアラビア語とは発音から文法から語彙からすべて違い、とても同じ言語とは言えない。ハイチでは書かれる言葉はフランス語だが、話しているのはフランス語クレオールでフランス語とは全く違う。ギリシャも実際にギリシャ人が言っているのを聞いたことがあるが、「古典ギリシャ語?ありゃあ完全に外国語だよ」。しかしその「完全に外国語」で書く伝統が長かったため今でもその外国語を放棄してすんなり口語を文章語にすることが出来ず、実際に会話に使われているバージョン、デモティキDimotiki(δημοτική)と古典ギリシャ語の系統を引く文章語カサレヴサKatharevousa(Καθαρεύουσα)を併用している。デモティキは1976年に公用語化されたが、いまだに文章語としての機能は完全に果たせていない。アラビア語と似た状態だ。なお念のため強調しておくが上でフスハーを「古典アラビア語から来た」、カサレヴサを「古典ギリシャ語の系統を引く」とまどろっこくしく書いたのは、どちらも古典語をもとにしてはいるがいろいろ改良が加えられたり変化を受けたりしていて完全に古典言語とイコールではないからである。ある意味人工的な言語で、話す言葉と著しく乖離しているという点が共通している。スイスのドイツ語も有名でドイツではたいていスイス人の発言には字幕がでる(『106.字幕の刑』参照)。話されると理解できないが書かれているのは標準ドイツ語だから下手をするとドイツ人はスイス旅行の際筆談に頼らなければならないことになる。もっともスイス人の方は標準ドイツ語が理解できるのでドイツ人が発した質問はわかる。しかしそれに対してスイス・ドイツ語で答えるのでドイツ人に通じないわけだ。最近は話す方も標準ドイツ語でできるスイス人が大半だからまさか筆談などしなくてもいいだろうが、スイス人同士の会話はさすがのドイツ人にもついていくのがキツイのではないだろうか。
 これらの言語状況をファーガソンはダイグロシアと名付けた。ダイグロシア内での二つの言語バリアントはLバリアント、Hバリアントと名付けられたがこれは本来それぞれLowと Highを意味し、Lは日常生活で口にされている言葉、Hがいわゆる文章語である。しかしLow、Highという言い回しは価値観を想起させるということで単にLバリアント、Hバリアントと起源をぼかす表現が使われるようになった。チョムスキーのD構造、S構造もそうで、本来のDeep structure、Surface structureという語は誤解を招くというワケで頭だけ取ってDとSになったのである。

ダイグロシア論争の発端となった1959年のファーガソンの論文から。ドイツ語圏スイス、アラビア語圏、ハイチ、ギリシャが例としてあげられている。
ferguson1

 ただ、この言いだしっぺ論文がトゥルベツコイのВавилонская башня и смѣшніе языковъ『バベルの塔と言語の混交』(『134.トゥルベツコイの印欧語』参照)にも似てどちらかというとエッセイに近い論文で、何をもってダイグロシアとなすかということがあまりきちんと定義されていなかったため、後にこの観念がいろいろ拡大解釈されたり誤解釈されたりしてダイグロシアという言葉自体がインフレーションを起こしてしまった感がある(後述)。なので話を進める前にちょっと私なりにファーガソンの言わんとした処を整理してみる。
 まず、書き言葉と話し言葉の乖離が典型的なダイグロシアだからと言って単純にHは文語、Lは口語と定義することはできない。Hバリアントが書かれることなく延々と口伝えで継承されることがあるからである。宗教などの儀式語がそうだが、誰もその言語を日常生活で使っていないから事実上母語者のいない外国語で、二次的にきちんと教えてもらわないと意味が分からない。重要なのはHとLがそれぞれどういう領域で使われているかということ自体でなく、その使用領域がkomplementäre Distribution相補分布をなしているということだ。どういうことかというと、Hが使用される場面では絶対にLが使われることがなく、逆にLを使う場面ではHは使われない。HとL,この二つが双方あって初めて一つの言語としての機能を果たすのである。例えばHが書き言葉として機能している場合、正式文書や文学などを口語で著すことがない。また日常生活では当然口語で生活し、誰も書き言葉で話したりしない。宗教儀式にHが使われている社会では、そのHを一部の人しかわからない状態で使い続け、普通にしゃべっている口語に置き換えたりは絶対しない。これがバイリンガルの言語共同体とは決定的に違う点である。バイリンガルは違う。バイリンガルでは言語Aで話して書いた後、言語Bに転換してそこでまた話したり書いたりする、つまりAもBもそれぞれ言語としての機能を全て満たしているのだ。
 この相補分布のためダイグロシアは非常に安定した言語状態で、1000年くらいは平気で持続する。それに対してバイリンガルは『154.そして誰もいなくなった』で述べたように不安定な状態でどちらかの言語が一方を駆逐してしまう危険性が常にある。さらにその相補分布のためその言語共同体内の人はHとLが実は別言語であるということに気付かない。別の言語だという感覚がないからHをLに、あるいはLをHに翻訳しようという発想が起こらない。このこともダイグロシアの安定性を強化している。
 さて、HとLの言語的関係についてはファーガソン自身は明確には述べていないが、挙げている例を見ても氏がHとLは親族関係にある言語であることが基本と考えていたことがわかる。フランス語⇔仏語クレオール、スイス・ドイツ語⇔本国ドイツ語、フスハー⇔口語アラビア語、カサレヴサ⇔デモティキと双方の言語が親戚関係にある例ばかりである。後者の二つは通時的な親戚、前者は共時的な親戚だ。この、HとLが下手に似ているというのもまた「別言語性」に気付かない要因の一つになっている。

 ここまで来れば皆思い当たるだろう。そう、言文一致以前の日本語もダイグロシア状態であったと私は思っている。本にもそう書いておいた(またまたどさくさに紛れて自己宣伝してすみません)。言文一致でそのダイグロシアが崩壊しH(文語)の機能をL(口語)が吸収した、というのが大筋だと思っているが、細かい部分でいろいろ検討すべき部分がある。
 まず口語と文語は明治になるまで本当に相補分布をなしていたのか、言い換えると日本は本当にダイグロシア状態であったのかということだ。というのは特に江戸期、さらにそれ以前にも口語で書かれた文章があったからである。江戸期の文学など登場人物の会話などモロに当時の話し言葉で表わされてそれが貴重な資料となっていることも多い。ではそれを持って文語と口語の使用領域が完全に被っていたと言えるのだろうか。私の考えはNoである。例えば会話が口語で書いてある式亭三馬や十返舎一九の作品を見てみるといい。会話部分は口語だが、地のテキストは文語である。言い換えるとそれらは口語「で」書かれていたのではなく口語「を」書いたのだ。実はこのパターンは明治時代に言文一致でドタバタしている時にも頻繁に見られる。地と会話部分のパターンは理論的に1.地が口語・会話が口語、2.地が文語・会話が文語、3、地が文語・会話が口語、4、地が口語・会話が文語の4通りが考えられるが、初期は2や3のパターンが専らで、1が登場するのは時期的にも遅く、数の上でも少ない。もちろん私の調べた文章などほんの少しだが、その少しの中でも4のパターンは皆無だった。文語と口語は機能的に同等ではない、相補分布をなしていたといっていいと私は思っている。
 次に言文一致以前の日本をダイグロシア社会と見なしているのは別に私だけではない、割といろいろな人がそう言っているのだが、海外の研究者に「中国語と日本語のダイグロシア状態であった」と言っている人を見かけたことがある。全く系統の違う2言語によるダイグロシアという見解自体はファーガソン以後広く認められるようになったので(下記参照)いいのだが、日本の言語社会を「中国語とのダイグロシア」などと言い出すのは文字に引っ張られた誤解と言わざるを得ない。漢文が日本では日本語で読まれている、つまり漢文は日本語であるという事実を知らなかったか理解できなかったのかもしれない。山青花欲然 は「やまあおくしてはなもえんとほっす」である。誰もshān・qīng・huā・yù・ránとか「さんせいかよくぜん」などとは読まない。日本をダイグロシアというのなら現在のフスハー対アラビア語に似て、あくまでに文語と文語の対立である。
 さて、上でも述べたがHの特徴の一つに「人工性」というのがある。二次的に構築された言語、当該言語共同体内でそれを母語としてしゃべっている人がいないいわば架空の言語なのだ。もちろん人工と言ってもいわゆる人工言語(『92.君子エスペラントに近寄らず』参照)というのとは全く違い、あくまで自然言語を二次的に加工したものである。母語者がいないというのも当該言語共同体内での話であって、ドイツ語標準語は隣国ドイツでは皆(でもないが)母語としてしゃべっているし、日本語の文語だって当時は実際に話されていた形をもとにしている。この人工性は「規範性」と分かちがたく結びついていて、ダイグロシアを崩壊させるにはLがこの架空性や特に「規範性」をも担えるようにならなければいけない。これが実は言文一致のまさにネックで、運動推進者の当事者までがよく言っているように具体性の強い口語を単に書いただけ、「話すままに書いただけ」ではそういう機能を得ることができない。Lの構造の枠内でそういう(書き言葉っぽい)文体や規範を設けないといけないのだ。相当キツイ作業である。そもそも「構造の枠内で」と言うが、まずその構造を分析して文法を制定したり語彙をある程度法典化しなければいけない。CodifyされているのはHだけだからである。
 書き言葉的言い回し、日本語では特に書き言葉的な終止形を何もないところから作り出すわけには行かない。そんなことをしたら「Lの構造の枠内」ではなくなってしまうからである。法典化されないままそこここに存在していたLの言い回しの中から適当なものを選び出すしかない。ロシア語の口語を文学言語に格上げしたプーシキンもいろいろなロシア語の方言的言い回し、文法表現、語彙などを選び出してそれを磨き上げたし、日本の言文一致でもそれをやった。例えば口語の書き言葉的語尾「~である」であるが(ダジャレを言ったつもりはない)、~であるという言い方自体は既に江戸時代から存在していた。オランダ語辞典ドゥーフ・ハルマでオランダ語の例文を訳すのに使われている。他の口語語尾「です」「だ」は江戸文学の会話部分で頻繁に現れる。これらの表現に新しい機能を持たせ、新しい使用領域を定めていわば文章語に格上げする、言い換えるとL言語の体系内での機能構成を再構築するわけで、よく言われているように、単に話すように書けばいいというものではない。
 面白いことに口語による文章語構築には二葉亭四迷のロシア語からの翻訳は大きな貢献をしたし、文語でなく「である」という文末形を使い、さらに時々長崎方言なども駆使して、後に口語が文章語になり得るきっかけを開いたドゥーフ・ハルマも通時たちによるオランダ語からの翻訳である。どちらも外国語との接触が一枚絡んでいる。さらに馬場辰猪による最初の口語文法は英語で書いてあった。まあ外国人向けだったから英語で書いたのだろうが、文法書のような硬い学術文体は19世紀中葉の当時はまだ口語では書けなかったのではないだろうか。だからと言ってじゃあ文語でというのも言文一致の立場が許さない。外国語で書くのが実は一番楽だったのかもしれない。

 話をファーガソンに戻すが、この論文のあと、ジョシュア・フィッシュマンJoshua A. Fishmanなどがダイグロシアの観念を、全く系統の違う2言語を使う言語共同体にも応用した。例えばボリビアのスペイン語・グアラニ語がダイグロシアをなしているという。さらに社会言語学者のハインツ・クロスHeinz Klossは系統の同じ言語によるダイグロシアを「内ダイグロシア」、系統の異なる言語によるダイグロシア(スペイン語・グアラニ語など)を「外ダイグロシア」と名付けた(『137.マルタの墓』参照)。
 もう一人ボリス・ウスペンスキーБорис А. Успенскийというロシア語学者が横っちょから出てきて(失礼)、HとLとの関係はバイリンガルでのような等価対立äquipolente Oppositionではなくて欠如的対立privative Oppositionとし(『128.敵の敵は友だちか』参照)、Hを有標、Lを無標バリアントとした。ウスペンスキーはプーシキン以前、古い時代のロシア語の言語共同体がロシア語(東スラブ語)と教会スラブ語(南スラブ語)のダイグロシアであったと主張したのだが、その際双方の言語の「欠如的対立性」を主張している。いかにもトゥルベツコイからヤコブソンにかけてのロシアの構造主義の香りがして面白い。またウスペンスキーはファーガソンの考えをむしろ忠実に踏襲し、あまり理論枠を広げたりはしていない。ただ氏の「ロシア語・教会スラブ語ダイグロシア説」にはいろいろ批判もあるようだ。

ウスペンスキーの著書(のコピー)。ダイグロシアを有標のH、無標のLによる欠如的対立と見なしている。黄色いマーカーは当時私が引いたもの。
uspensky


 考えてみれば中世以前のヨーロッパもラテン語と各地の言語とのダイグロシア、少なくともそれに近い状態だったのではないだろうか。特にスペイン以外のロマンス語圏では「内ダイグロシア」だったろう(スペインを除外したのは当地では中世以前はフスハーも書き言語だったはずだからである。そうなると「外ダイグロシア」だ)。その後各々の民族言語が法典化され文法も整備されてラテン語は書き言語としての機能をそれらに譲ってしまった上、元々母語者のいない言語で普通の会話には用いられていなかったから現在ラテン語を読み書き(「書き」のほうは完全に稀)できるのは、単位とりに汲々としている高校生か、仕事でラテン語が必要な人たちだけだろう。そういえばちょっとダイグロシアから話はズレるが、昔テレビで『コンバット』というシリーズがあった。そこでこういうシーンがあった。米兵がヨーロッパでフランス人だったかドイツ人だったか(フランス人とドイツ人では立場が全然違うじゃないか。どっちなんだ)を捕虜にしたが、米兵はドイツ語もフランス語もできない、捕虜の方は英語ができない。困っていたがそのうち米兵の一人が捕虜と会話を始め、そばに立っていた米兵の一人が「なんだなんだ、こりゃ何語だ?!」と驚いたのを見て、もう一人の米軍兵士がボソッと「ラテン語だ」とその米兵に教えてやっていた。話しかけた米兵も捕虜も神学を勉強していたのである。ラテン語、少なくともそれがラテン語であると知っていた兵士の顔に浮かんだ尊敬の念と、ラテン語の何たるかさえ知らない兵士の無教養そうな表情が対照的だったので覚えている。H言語独特の高尚感がよく現れている。この「高尚性」もHの特徴としてファーガソンは重視している。

 再び話を戻して、とにかく論文の中でダイグロシアという用語を持ち出せば専門的なアプローチっぽくなった感があるが(私もやってしまいました)、私が追った限りでは「この言語社会はダイグロシアと言えるか言えないか」という部分に議論のエネルギーの相当部が行ってしまっていたようだ。あるいは当該言語共同体がどのようなダイグロシアになっているか描写する。しかし上述のようにダイグロシアという観念自体があまり明確に定義されておらず、各自拡大解釈が可能なのだから、「この言語共同体はダイグロシアである」と結論してみたところであまり新しい発見はないのではないだろうか。下手をするとダイグロシアでない言語社会の方が珍しいことにもなりかねないからだ。もっともバイリンガルとの明確な違いなどもあるので、ダイグロシアという用語自体を放棄することはできまい。
 だんだん議論が白熱、あるいは議論の収集が着かなくなってきたのでファーガソン本人が1991年にまたDiglossia revisitedという論文を発表して用語や観念の再考を促した。

ファーガソンの第二弾の論文のコピーもいまだに持っている。
ferguson2

 実は私はダイグロシアで一番スリルがあるのはその崩壊過程だと思っている。長い間安定し持続してきたダイグロシアが崩壊するきっかけは何か?外国語との接触自体は崩壊の直接のきっかけにはならない。他に政治的、歴史的な要因も大きい。そしてダイグロシアは一旦崩壊し始めると一気に行く。何百年も続いてきた日本のダイグロシアは明治のたかが数十年の間に崩壊してしまった。それ以前、江戸の文学など私は活字にしてもらっても(変体仮名、合略仮名など論外)読みづらくて全然楽しめない。それが明治時代から文学が突然読めるようになる。ロシアでも「プーシキンから突然文学が読めるようになる」と誰かが言っていたのを見たことがある。そのプーシキン以後、例えばトゥルゲーネフなどの原語のほうが十返舎一九なんかより私はよっぽどよくわかる。隣でドイツ人が17世紀の古典文学なんかを「ちょっと古臭いドイツ語だな。綴りも変だし」とか文句をいいつつもスコンスコン読んでいるのとはエライ違いだ。日本人が普通にスコンスコン読めるのはやはり20世紀初頭の文学からではないだろうか。

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 前にも少し名前を出したソ連の作家アンドレイ・プラトーノフだが、私は最初岩波文庫の翻訳で短編をいくつか読んだ。中央アジアを舞台にした作品だったが、特に変わったストーリーでもないのにちょっとゾッとしたのを覚えている。さらに訳の日本語がおかしい気がした。言葉がおかしいというより、別宮氏あたりから悪訳と言われそうな文章で例えば「普通の人ならこういう時こういう言葉は使わないだろ」という不協和音がそこここに感じられてどうもすんなりと読めなかったのだ。しかし訳したのは名の通った一流の訳者だったので、どうも腑に落ちなかった。
 その後ずっと経ってからロシア語ネイティブの人となぜかプラトーノフの話になった時、そのネイティブ氏が「プラトーノフの文章は全然読めない。あのロシア語はおかしい。とにかく文章に入っていけない。とっつくことができない」と言い出した。そこでようやくプラトーノフはロシア語自体が「普通じゃない」ことを知ったのである。「普通の人ならこういう時こういう言葉は使わない」のは日本語訳のせいではなかった。訳者はそういう原語に合わせてわざととっつきにくい日本語にしたのかもしれない。

 ドイツではすでに1990年に大きなプラトーノフ全集が出ているのだが、その後すぐ(と言っていい)1999年にレクラム文庫からいくつかの短編の訳が出た。日本は外国文学の古典の訳が同時に数種出たりするが、こちらは一度訳が出たら容易には新訳が出ない。訳文が古くなってそれ自体の現代語訳がいるようになったとか、重訳していたのを原語からの直訳にするとか、新たな原稿が見つかったりして原語自体の編集が必要になったとか何か大きな理由がいる。1990年に訳が出たのに1999年にはもう別訳というのは異例といっていい。当時スラブ語学の教授がこれをいぶかって「前の訳がよほど悪かったのかな」と首をかしげていた。

1990年版のドイツ語訳プラトーノフ全集の一巻。
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そのあと程なくしてレクラム文庫から短編がいくつか改めて翻訳されて出版された。
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 レクラム版は短編数編のみの翻訳だったが、2016年になってプラトーノフの代表作Котлован『土台穴』(ドイツ語でDie Baugrube)が再翻訳された。Котлованの訳者はガブリエレ・ロイポルトGabriele Leupoldという人だが、その翻訳が非常に高い評価を受け、当時の全国紙の文芸欄に大きく取り上げられた。ロシア語の文学が文芸欄に取り上げられること自体珍しいのにその上トルストイやパステルナーク、ナボコフなどと比べると一般の知名度がはるかに低いプラトーノフが文芸欄に載ったので私は驚いた。

Leupold訳の新しいDie Baugrube。2019年にペーパーバック版が出された。これはペーパーバック版のほうの表紙。
platonov-2019bearbeitet

 その訳業が高く評価されたのは「翻訳不可能なものを翻訳した」からである。プラトーノフのロシア語は翻訳不能とみなされていたのだ。もちろん大体の内容やストーリーを写し取ることはできるだろう。だからこそ今までにも翻訳そのものはあった。だがその文体の「普通じゃなさ」、ネイティブにさえあんなロシア語は読めないと言われた特殊な言葉使い、語の周辺にうごめく連想体系を外国語に再現なんてできるわけないと思われていた。もちろんあらゆる翻訳はあくまで近似値に過ぎないから本当の意味での翻訳というのはそもそも不可能だが、その近似値にさえ行きつけない作品があるということだ。
 プラトーノフの長編小説がそこまで近づきにくかったのには大きい理由が二つある。一つは当時のソ連社会の特殊性と閉鎖性。ソルジェニーツインのように社会や政府から具体的に恐ろしい制裁を受けたものの記録からは外部の者にもその特殊性(または恐ろしさ)が伝わる。しかしそういうはっきりした事象には現れない、社会全体に蔓延していた雰囲気は代表する事象がないだけに外の者にはわからない。秘密警察が怖いなどという具体的で理由がはっきりしている恐怖感でない、ただ暮らしているだけで感じる形のない不安は外の者には伝わりにくい。
 つぎに上の事とも関連するが新しい社会をまっさらな状態から作り上げるのを目標としたソ連の革命政府が行った言語革新のせいで、ロシア語はそれまで培ってきた伝統から切り離され人工的で不自然な言い回しや言葉が生まれた。いわば言語の孤児化、言語破壊である。プラトーノフはその破壊され孤児となった言語を用いた。だからロシア語のネイティブにさえも入っていけなかったのだ、それまでの伝統から引き離されたのは単語そのものばかりではない、語の背後に広がっている連想体系まで変えられた。社会の閉鎖性が言語にまで持ち越されたのである。
 さらにプラトーノフは詩も書いていたくらいだから言語感覚が非常に鋭利で、暗喩などの言語戦術、文学戦術を駆使している。例えば『31.言葉の壁』で言及した『名も知らぬ花』では、花というロシア語が男性名詞であることが大きな意味を持ってくる。例に出したドイツ語訳は上で述べた1990年版の全集に入っていたものだが、何も考えずにこれを女性名詞にしている。もっとも言語の芸術である文学作品とは多かれ少なかれそういうもので、当該社会や歴史のことが広く知られ、普通に自然言語で書いてあっても文学作品(詩だけではなく散文もそうだ)の理解、ましてや他言語への移植は難しいが、その上さらにその社会を実際に経験している者にしか理解できないような言語体系で微妙な言語戦術を駆使されたらもうお手上げだ。そのお手上げを翻訳したロイポルト氏が高い評価も受けるわけだ。
 私は氏のDie Baugrubeを読んでみたが、噛み砕きにくいドイツ語で読むのに骨が折れる。「それはあんたのドイツ語能力がないからだろ」と言われそうなので念のためこれを読んだドイツ語ネイティブに聞いてみたが、やはり「二度読んでいちいち考えないと文の意味が分からない非常に疲れるドイツ語」とのことだった。読むと疲れるというのはロシア語のネイティブの感想と同じで、その意味では氏のドイツ語訳は成功しているのだ。
 しかし当時の社会から生まれた特殊な言葉の意味、またロシア語そのものから来る連想については翻訳そのものでは移しきれず多くの注釈が付加されている。これも別宮氏だったと思うが(それとも河野三郎氏だったかもしれない)注釈に頼る翻訳は悪訳、文学の翻訳というものは本来妙な説明なしで原語を移植する、ある意味文化の移植であるべきだと言っていた。注釈があると文章の流れが著しく阻害されるからでもある。しかしそれには限界があるようだ。Котлованは言葉だけによる翻訳が可能な限界を超えているのではないだろうか。それに面白いことにこの小説では注釈が全然「流れを著しく阻害」していない。本テキストそのものが十分とっつきにくいので、途中で注釈を読みながら進んでもあまりスピードに差がないのだ。まあとにかく読みにくい文章だった。

 Котлованで描かれているのは社会主義建設期、よそ眼にはまだ新社会への希望をもっていたはずの時期に建物の建設に携わっている労働者たちである。労働者たちは後続の世代、自分たちの子供たちの幸福のために自分を犠牲にして働いている。階級の敵、今まで不公正の原因になっていた金持ち・搾取階級の人たちを抹殺するのも未来のためには仕方がない、そう思っている。
 しかしそれなのに彼らの心には何かぽっかりと穴が開いている。主人公の一人はどうしても「真実」が見つからず、その空しさを忘れるためか夢遊病者のようにただただ仕事に熱中している。建設を指揮する技師もうつ状態で死ぬことばかり考えている。
 そもそも「建設」というが、いったい何を、どういう建物を建てているのかはっきり描かれていないのだ。ただ皆でやたらと穴を掘り、時々近くの村へ行って集団化のために農民が今まで飼っていた家畜を押収する仕事を助けたりする。当時わずかながらも自分の財産であった牛馬が取り上げられて国家管理となった農家(零細農家もいた)は抗議のため、国に取り上げるくらいならと家畜を全部屠殺 したそうだ。そのためソ連国内に一時にどっと肉が出回って値段が暴落したりしたというが、そういう背景知識は注で詳しく説明してくれている。時は冬で、降り積もった真っ白い雪の上には家畜の死体に群がってきたハエが点々と黒いシミを作っている。壮絶な光景だ。
 そこに未来世代の代表として小さな少女が登場するが、この少女はまだ小さいのに二言目には「ブルジョアどもを皆殺しにしちゃおうよ」とかそういう言葉を吐く。少女は自分の母親が悲惨な死に方をするのを見とるのだが、その母のことも「ブルジョア」などと呼ぶなど、普通小さな子供が親の死に臨んでとる態度ではない。労働者たちはこの子供を非常に大切にして可愛がるが、この子に本当に幸せは訪れるのか、労働者たちの献身的な働きには何か意味があるのか、読むほうは考えざるを得ない。結局何もかもが大いなる「無」に向かって進んでいるだけではないのか。そういう予感が読者の背筋を冷たくするのである。少女は結局死んでしまうが、そのほうがこの子にとっては救いではなかったか。そう思わせるのだ。
 しかし無に向かっているのは社会主義社会だけの話なのか。結局人間の作る社会など全ていつかは崩壊し、無に帰するだけではないのか。
 似たような感じは上で述べた日本語翻訳で『ジャン』Джан、『粘土砂漠』Такырという中編を読んだときも抱いた。ストーリーそのものはいわばハッピーエンドなのにやたらと重苦しいのである。別に大悲劇が起こったりはしていないのになにかがズッシリと心にのしかかってくるのだ。

 さらにプラトーノフの文体がこの重苦しさに拍車をかける。ちょっとКотлованの冒頭部を見てみるとその消化の悪さがわかると思う。まず2016年のロイポルト氏のドイツ語訳。

Am dreißigsten Jahrestag seines persönlichen Lebens gab man Woschtchew die Abrechnung von der kleinen Maschinenfabrik, wo er die Mittel für seine Existenz beschaffte. Im Entlassungsdokument schrieb man ihm, er werde von der Produktion entfernt infolge der wachsenden Kraftschwäche in ihm und seiner Nachdenklichkeit im allgemeinen Tempo der Arbeit.

原文は以下のようになっている。

В день тридцатилетия личной жизни Вощеву дали расчет с небольшого механического завода, где он добывал средства для своего существования. В увольнительном документе ему написали, что он устраняется с производства вследствие роста слабосильности в нем и задумчивости среди общего темпа труда.

その個人的な人生の30回年めの日に、ヴォシチョフには今まで自分の存在手段を得ていた小さな機械工場から決算書が手渡された。その解職通知書にはこう書いてあった、ヴォシチョフは内面の出力虚弱性の増加および作業の共通テンポにおける瞑想癖のため生産活動から除外すると。

消化困難な文章が3言語も並ぶと壮観だ。翻訳というのは普通このような文章にならないよう噛み砕くべきなのだがプラトーノフではそれをしてはいけない。1990年のドイツ語訳もやはり消化困難文だが、「存在手段」die Mittel für seine Existenz が「生計」Unterhalt となるなど、上と比べるとややマイルドである。

Am Tag der dreißigsten Wiederkehr seines Eintritts ins persönliche Leben wurde Wostchew aus der kleinen Fabrik, wo er sich bislang seinen Unterhalt verdient  hatte, entlassen. Im Kündigungsschreiben hieß es, man müsse ihn aus der Produktion entfernen im Hinblick auf seine zunehmende Körperschwäche und wegen Grübelns inmitten des allgemeinen Arbeitstempos.

それにしても普通の小説なら

30歳の誕生日にヴォシチョフは今まで働いていた小さな機械工場から解雇通知を受け取った。作業の速度が遅いのと、皆が同じテンポで仕事をしているのに彼だけ考え事をしすぎる、というのが理由だった。

とでも書くところだ。ほかにもこの手の訳ワカメな文章がたくさんある。

 ロイポルト氏訳では言葉遊び、暗喩などはいくらか注で説明してくれているが、その注自体ある程度ロシア語の知識がないと理解できないのではないだろうか。例えばロシア語の硬音記号についてこんな会話がある。

– Авангард, актив, аллилуйщик, аванс, архилевый, антифашист! Твердый знак везде нужен, а архилевому не надо!
...
– Зачем они твердый знак пишут? – сказал Вощев.
...
– Потому что … и твердый знак нам полезней мягкого. Это мягкий нужно отменить, а твердый нам неизбежен: он делает жесткость и четкость формулировок. Всем понятно?

 - Avantgarde, aktiv, Akklamateuer, Avance, Agitator, Antifaschist! Das Härtezeichen muss überall stehen, nur bei Avance nicht!

- Warum schreiben sie das Härtezeichen? , - sagte Woschtschew.
...
- Weil … das Härtezeichen uns nützlicher ist als das weiche. Man sollte gerade das Weichheitszeichen abschaffen, das harte ist uns unausweichlich: es bringt Strenge und Klarheit der Formulierungen. Ist das allen verständlich?

「前衛、活動分子、拍手要員、前金、扇動要員、アンチファシスト! 至る所に硬音記号がいるぞ、 扇動要員 だけ必要ない!」

「どうして硬音記号を書くんだ?」 ヴォシチェフが言った。

「…硬音記号のほうが軟音記号より役に立つからだ。この軟音記号という奴は廃止すべきである。だが硬音記号は必要不可欠なのだ:硬音記号は書式に峻厳さと明瞭さをもたらすのである。全員わかったか?」

一行目からソ連の特殊用語の羅列である。аллилуйщик と архилевый (下線)は結構大きな辞書を見てもでていない。 Аванс(太字)は本来「前金」だが、この文脈で前金という言葉はおかしいからソ連では何か他の意味に転換されているのかもしれない。全員にはわからない。
 さて、この部分の主要テーマ(?)は硬音記号で、Leupold氏はこの部分に次のような注をつけているが、やっぱりわからない人がいるのではないだろうか。

Das Härtezeichen, das im Russischen vor allem im Wortauslaut nach Konsonanten stand und dessen ‚harte‘ Aussprache bezeichnete, wurde 1918 abgeschafft – anders als Weichheitszeichen, das eine ‚weiche‘ Aussprache des vorangehenden Konsonanten bewirkt.

ロシア語で、特に語末で子音の後に立ち、その「硬い」発音を示していた硬音記号は1918年に廃止された - 先行する子音を「柔らかい」発音にする軟音記号はこれと違って残った。

そこで人食いアヒルの子がしゃしゃり出るが(引っ込め!)、まず「硬い発音」と言われても一般の人には通じまい。これは口蓋化されていない子音ということで、ロシア語では例えば日本語の有声⇔無声、中国語や韓国語の帯気⇔無気(『126.Train to Busan』参照)の如く、口蓋化と非口蓋化という要素が弁別的に働く。そこで非口蓋化音には子音の後に硬音記号 ъ、口蓋化音は軟音記号 ь をつけて表していた。つまり「柔らかい発音」というのは口蓋化子音のこと。1918年以降は語末の非口蓋化音にいちいち硬音記号を付加するのをやめて、「何の記号もついていなければその子音は非口蓋音」と規則を統一し、口蓋化子音のほうにのみ軟音記号を付加することにしたのである。だからプーシキンの『エヴゲーニィ・オネーギン』はプーシキンの時代にはЕвгеній Онѣгинъと書いたが、今は硬音記号をつけなくていいからЕвгений Онегинとなる。ѣ や і の文字はロシア語では廃止された(後者はウクライナでは今でも使っている)。革命後しばらくたっていたはずなのにニコライ・トゥルベツコイがこの旧かな使いをしていたことは『134.トゥルベツコイの印欧語』で述べた。そこでは「言語連合」の複数生格形がязыковыхъ союзовъと記してある(現代の綴りではязыковых союзов)。これら語末の硬音記号を廃止して語末の子音が口蓋化音である場合にだけ特に軟音記号をつけることにしたのだ。それで「石」はкаменьと綴る。最後の音が口蓋化音。上のオネーギンと比べてみてほしい。それぞれ ъ と ь が語末についているが形が似ているから目が悪いとほとんど区別がつかない。どちらが一方をつけなくしたほうがよほど見やすい。
 ではなぜ硬軟両記号のどちらかを残すのに硬音でなく軟音のほうを残したか(ただし現在でも形態素の分かれ目を示すなど、特殊な場合には硬音記号は使われている)。これは硬軟どちらが有標で、どちらが無標なのかという問題だろう。日本語でも無標の無声子音はそのままで、対応する有標の有声子音のほうだけ濁点をつける。「かきくけこ」が「がきぐげご」になるのだ。これと同じメカニズムで、ロシアでは口蓋化音が有標だから特に軟音記号をつける。これが自然だ。硬音記号のほうを残して有標の軟音記号を廃止しろというのは自然に逆らい、ネイティブの言語感覚からもトゥルベツコイの音韻論からも正反対の方向を向いている。こういう「わかってない」指導者で社会はどこに向かっていくのだろう。しかも革命政府が硬音記号を廃止したのだからこれにイチャモンをつけるのは本来反革命ではないのか。いったい何がしたいのか。そもそも硬音記号と軟音記号とどちらが「役に立つか」などという議論や主張がそれこそ何の役に立つのか。より良い社会建設という目的が不毛で些末な文字論に堕ちていっている。
 話を戻すが上の Авангард, актив, аллилуйщик, аванс, антифашистは非口蓋化音にいちいち硬音記号をつけるとそれぞれАвангардъ, активъ, аллилуйщикъ, авансъ, антифашистъとなるはずだ。 архилевый だけ硬音記号がいらないのは最期の音は半母音で口蓋・非口蓋の区別がない、というのはこの音は何もしなくても口蓋化音でこれを非口蓋化することが物理的に不可能だからである。その点確かにこの発言者のいう通りなのだが、こういう妙に細かい部分で無駄に正確な描写をされると些末性がますます強調されて見える。

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 以前沖縄で米軍のヘリコプターが海面に落ちて大破するという事故があった。米軍機が民家の上に落ちたりものを落としたりする迷惑行為そのものはよくあるらしいからこれもその一環として「またか」の一言で片づけられてもよかったのだが、この場合は最初に「米軍機が海面に不時着した」と報じられたため議論がいつもとはちょっと別方向に進んだ。ヘリコプターは大破しているからこれは不時着ではなく墜落ではないのか、という議論が起こったのである。

 私もそうだったが、不時着か墜落かを決める際「飛行機が損傷したか否か」を重要な基準にする人は多いと思う([ + 損傷] ?)。機がバラバラになったら墜落、無傷で着陸できたら不時着である。だから2000年にシャルル・ド・ゴール空港を出たコンコルド機が離陸直後に落ちたときは「墜落」と報道されたし、ニューヨークで2009年にUSエアウェイズ機がラガーディア空港からのこれも離陸直後にガンの群と衝突してハドソン川に降りたときは「不時着」、人によっては単に「着陸」と呼んでいた。
 また「墜落」と聞くと「ある程度の高さから落ちること」と連想する人もいるのではないだろうか。この場合の高さとか落ちる個体と比較しての高さである。登山家が数十メートルの岸壁から地上に堕ちれば墜落だが、地上50cmのところから下に落ちても墜落とは呼びにくい。たとえその人が運悪く大けがをしてもである。個体が人より大きい飛行機の場合、「墜落」というとやはり何千m、何百mの高みから落ちるシーンを想像する。数m、数十mだと何百mの場合より墜落とは呼びにくくなる。ヘリコプターなら数十mでもいいかもしれないが。そしてこのように墜落という言葉の意味要素として「落ちる個体に比例したある程度の高度」を混ぜるのは私だけではないらしく、手元の国語辞典にも「墜落」を「高所から落ちること」と定義してある。
 ひょっとしたらこの「高度性」([ + 高所から]?)のほうが第一義で、破損か無傷かというのはそこから導き出されてくる二次的な意味要素かもしれない。高いところから落ちれば大抵破損するし、高さがなければ普通破損度は低いからである。もちろん例外もあるが。

 しかしさらに調べてみたら、墜落対不時着の区別に破損度や高度は本来関係ないと知って驚いた。両者を分けるのは制御された着地か、制御されていない着地かということなのだそうだ([ - 制御された] ?)。機が大破しても数千mの高度から落ちてもパイロットにコントロールされた着地なら不時着である。上記のヘリコプターはパイロットが民家に突っ込むのを避けようとして海に降りたのでその結果機体がバラバラになっても不時着。コンコルドの場合は管制塔と計器からエンジンが燃えていると警告を受け取ったパイロットが8キロほど離れた前方にあるLe Bourget空港に「不時着」しようとして制御に失敗したわけだから墜落ということになる。
 もちろん制御された着陸といっても「予定外の地点への着陸」([ - 目的地]?)ということで、制御されて予定地に降り立った場合は不時着でなく単なる到着である。だがこの点をしつこく考えてみるとグレーゾーンは残る。飛行機が空港Aに行こうとして何らかの不都合が発生したため行き先を変更して途中の空港Bに何事もなく着陸した場合でも不時着というのだろうか?特にその「何らか」が、乗客の一人が急病を起こしたなどという場合も不時着か?後者の場合は不時着という言葉は大げさすぎるような気もするが、辞書を引いてみたら不時着あるいは不時着陸を「故障・天候の急変などのため航空機が目的地以外の地点に臨時に着陸すること」と定義してあるから乗客の容体急変もこの「など」に含まれると解釈できそうだ。しかし逆に目的地の空港に飛行機が火を吐きながらかろうじて無事に降り立った場合、到着なのか不時着なのか。「故障・天候の急変などはあったが航空機が目的地点に着陸した」場合どっちなのか、ということである。火を噴いたりしたら目的地に着陸しても不時着とする人も多かろうが、急病人が出たにも関わらず目的地に降り立ったりした場合も不時着扱いしていいのか?やはり破損しているか否かのメルクマールを完全に無視するわけにはいかない気がするのだが。

 さらなるグレーゾーンはパイロットが意図的に飛行機を地上に突っ込ませた場合である。実際に2015年にフランスでそういう悲劇的な事故があった。ルフトハンザ系のジャーマンウィングスという航空会社だったが、鬱病で苦しんでいた副操縦士がバルセロナを出てドイツに向かう途中フランスのアルプ=ド=オート=プロヴァンス県で何百人もの乗客もろとも飛行機で山に突っ込んで自殺したのである。ここでは操縦する側がきちんとコントロールを行って目的地以外で降りたのだから下手をするとこれも「不時着」ということになってしまう。上で述べた辞書の定義でも暗示されているようにやはり「意図的に機を落としたか、それともできることなら落としたくなかったか」というメルクマールが重要になってくるだろう([ +/- 不慮性]?)。このルフトハンザの出来事を「カミカゼ」と呼んでいた人がいた。私個人は外の人に安易にカミカゼという言葉を使われるのが嫌いなのだが他に一言でこういう悲劇を表す言葉がないから仕方がないのだろうか。
 ここまでの考察をまとめて二項対立表(『128.敵の敵は友だちか』参照)で表してみるとみると、「墜落」「不時着」「普通の着陸」「カミカゼ」の違いは次のようになる。高いところから落ちたか否かは問わなくてもいいと思う。
墜落
[ - 制御された]
[ - 目的地]
[ + 不慮性]
[ 0 損傷]

不時着
[ + 制御された]
[ - 目的地]
[ + 不慮性]
[ 0 損傷]

普通の着陸
[ + 制御された]
[ + 目的地]
[ 0 不慮性]
[ - 損傷]

カミカゼ
[ + 制御された]
[ - 目的地]
[ - 不慮性]
[ + 損傷]

予定地に機が損傷して降り立った場合(適当な名称がない):
[ + 制御された]
[ + 目的地]
[ 0 不慮性]
[ + 損傷]

これに従うと急病人を抱えたまま目的地に降りたら到着、航空機が火を噴いたら「適当な名称がない着陸」である。どちらも「不慮性」に対しては中立だから機が損傷したか否かが決定的な意味を持ってくるのだ。またテロリストがハイジャックして目的地を変更させた場合、テロリスト側からみると「普通の着陸」、パイロット側にすれば「不時着」である。

 ドイツ語では「墜落」はAbsturz、「不時着」は Notlandungである。辞書にはAbsturzはSturz in die Tiefe(「深いところに落ちること」)、 Notlandung はdurch eine Notsituation notwendig gewordene vorzeitige Landung [an einem nicht dafür vorgesehenen Ort](「非常事態のため必要に迫られて(着陸予定でなかった場所に)予定を早めて着陸すること」)とある。日本語と同様やはり墜落では高度が問題にされている。つまり定義としては問題にされないが事実上連想としてくっついてくるメルクマールということなのだろうか。不時着のほうは「予定より早く」と定義されているが、こう言い出されると上述のようなテロリストが目的地より遠い空港に着陸を強制した場合を「不時着」と呼ぶことができない。また定義の側にNot-という言葉が使われていて一種のトートロジーに陥っている。日本語のほうは言葉をダブらせずに非常事態の例を挙げているのでトートロジーは避けられているが、「など」という部分が今ひとつすっきりせず、まあ言葉の定義というのは難しいものだ。

 ハドソン川の事件はその後映画化されたが、その『ハドソン川の奇跡』で、事故調査委員会側がcrashと呼んだのに対し、パイロットのサレンバーガー機長がlandingと訂正していたシーンがあったそうだ。念のためcrashを英和辞書で引くと「墜落」「不時着」とある。つまり日本語の墜落や不時着と違って [ 制御された] というメルクマールに関しても [ 目的地] に関しても中立、その代わり [ 損傷] が中立ではなく+ということになる。landingのほうは[ 損傷] が-となっている点でcrashと対立するが、landingでは [ 不慮性] も中立となるので全体としてはきれいな対立の図にはならない。

crash
[ 0 制御された]
[ 0 目的地]
[ + 不慮性]
[ + 損傷]

landing
[ 0 制御された]
[ 0 目的地]
[ 0 不慮性]
[ - 損傷]

ハドソン川の奇跡のように不慮性がはっきりしている場合はあっさりlandingとも言い切れまい。不慮の事故であることは明確だが、機体は大破せずとも川に沈んでしまったから損傷してもなししないでもなしというどっち付かずであるから損傷性メルクマールは問わない、つまり中立とする。一方機長は委員会側のcrashという言葉に対してNo を突き付け訂正している。これは何に対してなのか考えると [ + 損傷] と言われたことより [ 制御された] をゼロにされた事に対する反発なのではないだろうか。機長は機を完璧に制御していたからである。そこで [ 制御された] をプラスにする。すると以下のような図式になる。

[ + 制御された]
[ 0 目的地]
[ + 不慮性]
[ 0 損傷]

これが一応英語のemergency landing ということになろう。上で出した日本語の不時着と似ているが、英語では目的地であるか否かは問わないのである。それにしても大して中身のある意味分析を行ったわけでもないのに(自分で言うな)、二項対立表にするとやたらと学問っぽい外見になるものだ。
 なおこのハドソン川の不時着ニュースを聞いたとき私は真っ先に「えっ、ガンがエンジンに巻き込まれたの?!かわいそうに」と反応してしまった。

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