アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:ロマニ語

 『007・ロシアより愛をこめて』という映画がある。映画のデータベースサイトIMDBには映画での使用言語も細かく記載されているが、それによればこの映画では、英語、ロシア語、トルコ語、ロマニ語が使われているそうだ。ロマニ語というのはヨーロッパの有力な少数民族ロマ(いわゆるジプシー)の言語である。確かにジプシーという設定の人たちが出て来る。
 が、ちょっと待ってほしい。そのロマの一人の男性が主役のS.コネリーに向かって

Hvala lepa!  (フヴァーラ・レーパ)

と言う場面があるのを見落とすとでも思っているのか?始まってから45分くらいのところだ。これはセルビア語またはクロアチア語e方言で、「どうもありがとう」。ロマニ語ではない。
 標準クロアチア語だと『15.衝撃のタイトル』の項で書いた通りeがijeになるから

Hvala lijepa  (フヴァーラ・リイェーパ)
thank + pretty/great

となって、文字通りにはpretty/great thank、つまり「ありがとう」の強調だ。lepaあるいはlijepaは形容詞lijepあるいはlep(「美しい」)の女性単数形でHvala(「感謝」)にかかる、つまり形容詞が後置されているのだ。これを最上級でいうこともできて、

Najljepša hvala! (ナイリェプシャ・フヴァーラ) または
Najlepša hvala! (ナイレプシャ・フヴァーラ)
prettiest/greatest + thank

で「本当にどうもありがとう」、ドイツ語ならHvala lijepa!はschönen Dank!、Najljepša hvala!はschönsten Dank!とでも訳したらいいのか。

 この「ありがとう」をロマの男性が、戦闘中に撃たれかかっていたところを援護射撃してくれたジェームス・ボンドに対して言うのだが、そのあと状況が落ち着いた際、男性は改めてまたHvala lepaを繰り返して言う。私が聞き取ったのは

Hvala lepa, što ste mi podarili moj život.
thanks + pretty/great, + that + (you) have + (to) me + presented + my + life.
→ 私に命を授けてくれて(私の命を救ってくれて)本当にありがとう

Vi ste sada moj sin.
You + are + now + my + son
→ あなたは今から私の息子だ。


という会話だが、これも混じりけなしのセルビア語だ。ロマニ語ではない。

 ちなみにこのšto ste mi podarili moj životという言い方にちょっとひっかかった人もいるだろう。そう、このšto(シュト)はロシア語のчто(シュト)と対応する語で、英語のthat、ドイツ語のdassだが、普通外国人がクロアチア語・セルビア語のthatとして教わるのはdaという接続詞である。で、上の文は私などだったら

Hvala lepa, da ste mi podarili moj život.

と書くところだ。念のため辞書を引いてみたらやっぱりštoよりdaのほうが普通のようだが、

oprostite što smetam!
excuse + that + (I) disturb
→ お邪魔してすみません(ちょっとお尋ねしますが)


という言い方もできるそうなので、この二つは機能的に重なる部分があるということだろう。セルビア語はクロアチア語より東の言語だから、ロシア語などの東スラブ語とつながっている部分があるのかもしれない

 映画のこのシーンは場所設定がセルビアだったのでセルビア語が出てくるのは当たり前といえば当たり前だが、この男性はロマである。ロマニ語を話すのではないのか?それとも英語のオリジナルではここが本当にロマニ語になっているのか。私の見たのはドイツ語吹き替えバージョンだった。でも英語をドイツ語に吹き替えたバージョンなら、そこにロマニ語が出てきたら普通それもドイツ語に吹き替えるか、そのままロマニ語にしておくのではなかろうか。英語版ではロマニ語だった部分をドイツ語バージョンでわざわざセルビア語にする、というのはどうも考えにくいから、やっぱりこの部分は英語バージョンでもセルビア語だったのだと思う。ご存知の人がいたら英語バージョンのほうはどうなっているのか教えていただけると嬉しい。
 ロマニ語ネイティブスピーカーは全員住んでいる国の言葉とのバイリンガルだから、件の男性も実際にここで言語転換、いわゆるコードスイッチしたのかもしれない。セルビア語を話す、ということはこの男性はカルデラシュというロマのグループだったのだろうか。
 
 実は私の家の近所にも以前、ロマの人が結構たくさん住んでいたのだが、こちらには全てドイツ語で話しかけてきた。ただ、お互いの間では全く別の言語でしゃべっていたのを覚えている。多分彼らはシンティ(ドイツ、オーストリア、北イタリアなどにいるロマの一グループ)だったのだと思うが、一度少し離れた公園で別のグループのロマの人たちを見かけたことがあり、聞いてみたら、ルーマニアから来たと言っていた。つまりこの人たちはシンティではなくてヴラフ・ロマ(Vlach-Roma)と呼ばれるグループかあるいはバルカン・ロマだったのか。こちらも意思の疎通はドイツ語で全く支障がなかった。皆いつの間にか見かけなくなってしまったので少し寂しい。あの人たちは今どこにいるのだろう。 
 このロマニ語は1800年代の後半にスロベニア人の言語学者(国籍は当時のオーストリア)ミクロシッチが広汎な研究をしているが、それ以前にも単語の記述などはされていたし、ロマニ語がインド・イラニアン起源らしいということは18世紀からすでに言語学者の間で言われていたそうだ。現在も研究者は多い。ロマニ語はインド・イラン語派の古い形を保持している一方、あちこちでいろいろな言語に接触しているから、クラシックな印欧語学にも、言語接触、二言語併用など今をときめく分野にも資料を提供できる。社会言語学・応用言語学の対象としても申し分がない。いわば「これ一つやれば歴史言語学から応用言語学まで、言語学がすべてわかります」的な貴重な言語だと思う。ドイツ語なんかより(あら失礼)ロマニ語のほうがよっぽど魅力的な言語だと思うのだが。

 ところで、ドイツ語で「やりたくない、する気が起こらない」という意味の、

Ich habe keinen Bock darauf.
I + have + no + „Bock“ + on it

という表現がある。このBockという単語が曲者で、辞書には「雄のヤギ」という意味しか載っていない。私の持っている和独辞典にもその「雄のヤギ」の項目に「慣用句」としてこのIch habe einen Bock darauf(○○をする気がある)と出ている。ところがこの語は本来雄ヤギのBockとは全く関係がない別単語で、ロマニ語のbokh(khは帯気音のk)という言葉からドイツ語に借用されたもの、という説がある。このロマニ語は「食欲」とか「~したい気持ち」という意味だそうだから、完全につじつまが取れているのだ。ただ、意味は合っているがこのkeinen Bock darauf という言い回しが広まり始めたのは1970年ごろだそうで、なぜそのころになって急にロマニ語が借用されたのか、という点に問題が残る。もしロマニ語起源ならもっと前から借用例がみつかりそうなものだからだ。意味は合っているが時期が合わないのでBock=bokh説はまだ全体には受け入れられていない。
 
 ちなみに現在ヨーロッパではマケドニア、コソボ、ドイツ、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、スロベニア、ハンガリー、ルーマニアなどがロマニ語を正式に「少数言語」として承認しており、欧州会議の議員にも時々ロマ出身者がいる。ただ、ロマに対する偏見・差別は悲しいことにまだなくなっていない。
 旧ソ連も1920年代に一時、非常にリベラルな言語政策をとっていたことがあって、ロマニ語を正規に認め、ロマニ語による学校授業、出版などが許されていたそうだ。プーシキンのロマニ語訳なども出版されていたという。欧州議会が正式にロマニ語を保護しだしたのは1990年代だからそれに70年も先んじている。旧ユーゴスラビアでもそんな感じの言語政策だったらしい。残念なことにソ連ではその後ロマニ語保護政策が撤回されてしまったとのことだが。

 『ロシアより愛を込めて』で、ソ連のスパイとの丁々発止がユーゴスラビアで展開され、そこにセルビア語を話すロマが登場する、というストーリーは意味深長だと思った。おかげでセルビア語のシーン以外はほとんど何も覚えていない。ごめんなさい。


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 何年か前にこちらで結構大騒ぎになったニュースがある。ギリシアのロマ居住区で両親とは全く似ていない金髪の少女がみつかったため、親だと自称するロマ夫婦にほとんど自動的に「誘拐・人身売買の手先」の疑いがかかり、少女は保護された、という事件である。
 そのロマ夫婦は最初から、知り合いのブルガリアのロマが、産んだはいいが経済的に自分達では育てられないからと言ってこちらに預けてきたのだ、と主張し続けていたが、当局はそれを信用せず、行方不明となっている子供のリストなどを大掛かりに検索して徹底的に調査した。しかしそのロマの夫婦があっさりと「そんなに疑うのだったらその預け元のブルガリアの知り合いの携帯番号があるからそっちにあたってくれ」と主張するので、調べたらそのロマは始めから本当のことを言っていたのである。
 この事件で心ある人の議論になっていたのは、ロマとみると誘拐の犯罪のとすぐ連想するヨーロッパ社会の暗部であった。ギリシアにもロマ出身の政治家がいて(私の知る限りでは1990年代にスペイン国籍のロマのEU議員がいたし、現在でもハンガリー国籍のEU議員がいる)、真っ先にそのことを問題にしていた。
 期を同じくしてアイルランドでもロマの家庭に金髪の少女がいるのが見つかり、当局はその少女を保護したが、DNA鑑定をしてみたら本当にそのロマの子供だったのだ。そのロマはきちんと社会に溶け込んで仕事もしている普通の市民だった。

ヨーロッパ社会もまだまだだ。

 ロマの言語を「ロマニ語」というが、この「ロマニ」(romani)というのは「ロマの」という形容詞の単数女性主格である。なぜかというとこれはもともとromani čhib(「ロマの言語」)という言葉からとったもので、čhibというのが「言語」という意味の女性名詞なので、それに呼応して形容詞のほうも女性単数になっているからである。この形容詞の男性形はromanoで、男性名詞kher(「家」)にかかるとromano kher(「ロマの家」)。私の家の近くに州のロマの本部、というか文化・情報センターがあるが、ここの名称がromano kherとなっている。
 そのロマニ語の話者はヨーロッパ全体で推定1000万人という。リトアニア語・スウェーデン語など下手な国家言語より規模の大きい大言語である。もっともこの1000万というのがあまり正確な数字ではない。ロマニ語がもう話せなくなっているロマがいる一方でロマ出身ということを隠しておきたいがために実はロマニ語を話せるのに話せないことにしている人などもいて正確な統計が出せないからだ。しかしこの1000万と言う数字が本当ならばロマニ語はカタロニア語を抜いてヨーロッパ最大の少数言語ということになる。以前は最大の少数言語はカタロニア語だったが、ルーマニア・ブルガリア始めバルカン諸国がEUに加わったためロマニ語話者の人口が一気に増大し、カタロニア語はその地位を奪われたわけだ。

 本などにはいたるところに「ロマは北インド起源」と書いてある。でもそれを証明する歴史的文献などは存在しない。彼らがインド起源であるというのは純粋に比較言語学上で証明されたものだ。19世紀にヨーロッパで比較言語学が発展してすぐに関心をロマニ語に向けた学者もいた。バルカン言語学で有名なミクロシッチもその一人であるが、この人の名前は教科書などには普通フランツ・ミクロシッチと書いてある。が、彼はスロベニア人であって、当時そこがオーストリア領であったため本来「フラーニョ」という名前をドイツ語風にして名乗っていたのだ(『36.007・ロシアより愛をこめて』の項参照)。ついでに言うと例のイヴ・モンタンもトリエステ生まれで、スラブ系の「イヴォ」が本名である。
 話が逸れたが、そのミクロシッチ、サンドフェルドなどの当時の大言語学者達が印欧諸語に対する膨大な知識を駆使して来る日も来る日も詳細に比較していった結果ロマニ語の起源がわかったのだ。
 ロマは元の元の大元は中部インドにいたものが、一旦北インドに移住してそこにしばらく住み、9世紀ごろにアルメニアとかあそこら辺のルートを通って、遅くとも11世紀にはビザンチンに入り、そこでタップリギリシャ語の影響を受けた後、14世紀ごろにヨーロッパ各地に散り始めたというが、本にはしごくあっさり書いてあるそういうことも歴史文献などに出ていたのではなく、すべて比較言語学で理論上出された結果である。例えばロマニ語にはアラビア語起源の借用語が非常に少ない、ということから民族移動のルートがアラビア語の話されている地域とあまり接触しない北の方を通った、と推定されるのだ。
 ドイツには15世紀からロマが住んでいたらしい。ドイツにロマが住んでいたことを述べている最初の文献は1408年にヒルデスハイムという町で書かれた文書だそうだ。

 以下にインド・イラニアン語派の言語とロマニ語で1から10までと100をなんというか挙げてみたが、互いによく似ている。「ドマリ語」というのは中近東に住んでいる同民族の言語である。

  ヒンディー語 ペルシア語   ロマニ語     ドマリ語 サンスクリット
1  ek        yek       ekh,jekh       jika     eka
2  do        do      duj               dī      dvī
3  tin          se          trin              tærən     tri
4  čhar          tšahor,tšahār     štar             štar      catur    
5  panč         pandž,pendž   pandž         pandž     pañca
6  čeh        šaš,šeš       šov             šaš      şaş
7  saath     haft        ifta              xaut    sapta
8  aath       hašt       oxto            xaišt       aşţa
9  nau     nuh,noh       inja            na      nava
10   das        dah        deš            des       daśa

100 sew            saad       šel             saj        śata

(ここでxというのはあくまで[x]、つまり軟口蓋で出す摩擦音のことで「クス」とか「エックス」ではない)

 しかし実は別にミクロシッチほどの専門家でない、私のような素人目にもロマニ語はインドあたりの起源なのではないかと薄々感じることができる。この言語は音韻上、「無気音」と「帯気音」を弁別するからだ。これらは今のヨーロッパ内の印欧語ではアロフォンだ。帯気音は子音の後ろにhをつけて表すが例えばロマニ語には次のようなミニマル・ペアがある。

perav (I fall)  対 pherav (I fill)
tav (cook!)    対 thav (to threaten)
ker (do!)     対 kher (house)

また日本の印欧語学者泉井久之助氏は

Dadeske hi newi gili

というロマニ語の例を挙げているが、dadeskeは「父」の与格、hiが英語の is、newi が「新しい」、gili が「歌」で、「父には新しい歌がある」。だからロマニ語は『42.「いる」か「持つ」か』の項で述べたようないわゆるbe言語なのである。

 さらに、件のギリシャのロマ夫婦の知り合いがブルガリアのロマだった、ということも考えてみると含蓄がある。ギリシアとブルガリアのロマはいわゆる「バルカングループ」という方言グループを形成しているから、ギリシャとブルガリアのロマは話が通じたのだろう。ルーマニア、セルビアのロマとなると「ヴラフ・ロマ」という別の方言グループに属しているから、相互理解はそれほどすんなり行かなかったのではないだろうか。ハンガリーと一部のオーストリアのロマは「中央グループ」という方言、ドイツのシンティ、フランスのマヌシュは「北方言群」に属すそうだ。

 ことほど左様な大言語なのに、その割にはロマニ語学習者が少ない、というか「ほとんどいない」のには原因がある。一つは上でも述べたように「方言差が大きく、中心となる言語ヴァリアントがない」ことがロマニ語の保護、特に文書化を妨げているからだ。特に強力な中央方言がないためにラテン文字で書くにしてもドイツ語風にするのかフランス語読みにするのか、クロアチア語表記で書くのか統一することができない。語彙や文法でも差が激しいので「ロマニ語文法」として一つにまとめるのが非常に難しい。さらにドイツのシンティなどは文書化・文法書の発刊そのものに反対している(下記参照)。
 理由の二つ目はロマニ語を話す人々に対する偏見。事実ナチの時代にはロマは「劣等民族」として虐殺された。
 三つ目の理由は、ロマ自身がその言語を外部のものに教えたがらないからだ。当然だ。何世紀もの間、周り中から敵意ある目で見られ(その被抑圧ぶりはユダヤ人の比ではない)、あろうことか組織的に虐殺されたりしたら、絶対に周りに対してオープンになどなれない。ナチスの時代には「言語調査」と称してロマのところへやってきて、収容所送りにする下準備したりした御用学者もいたそうだから。
 私自身一度どこかのネットサイトでシンティ、つまりドイツのロマが「ロマニ語を教わりたい」というドイツ人の書き込みに対して「やめてくれよ。ロマはよそ者に言語を漏らしたりしないよ。言語は私たちが誰からも奪われることがなかった唯一のものなんだ。」とレスしているのを目撃したことがある。もっともそれに対して別のロマが「そういう心の狭いことを言うからいつまでも差別されるんだ」と反論していたが。

 そういった事情にもかかわらず、ロマニ語の文法書なども細々と出てはいる。多くはドイツのロマニ語ではなく、抑圧経験がそれほど強烈ではなかったため、比較的オープンなカルデラシュというセルビアのロマグループの言語を基礎にしたものだそうだ。
 その文法書などにも、そして他の研究書などにも「ロマは『あまりにも理解できる理由によって』自分達の言語が記述されることには否定的である」と書かれている。この『あまりにも理解できる理由によって』という言い方に、こんなに魅力的な研究対象に対して手を出すことが許されない、しかもそれは自分達のせいなのだ、というヨーロッパの言語学者の自責の念をヒシヒシと感じるのだが。うめき声が聞こえてくるようだ。

 私は「語学をやる」というのは基本的にこういうこと、相手の最も繊細な部分に土足で突っ込んでいくことだと思っている。だから手軽な学習書を買い集め、「こんにちわ」とか「さようなら」とかしゃべって見せて外国人に通じたと言って悦に入る、すぐに「○○語が出来ます」とかエラそうに言い出す、こういうチャライ態度にはちょっと抵抗を感じる。


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 ドイツ語の映画のタイトルに最も頻繁に登場する名前といえばダントツに「ジャンゴ」(Django)だろう。そう、言わずと知れた『続・荒野の用心棒』(原題はズバリ『ジャンゴ』)の主人公の名前だが、この映画が当時ヨーロッパ中でクソ当たりしたために、後続のマカロニウエスタンの相当数が露骨に柳の下のドジョウを狙って主人公の名前をジャンゴとしているのだ。
 最近は「ジャンゴ」というとタランティーノの方をコルブッチの原作より先に思い浮かべる、どころかそれしか思い浮かばない若造(おっと失礼)が多いようだが、そういう人は、黒澤明の『用心棒』を見て、「これ、レオーネの『荒野の用心棒』とストーリーそっくりじゃないかよ」と黒澤監督をパクリ扱いしたさるドイツ人を笑えまい。

 さて、そのジャンゴ映画量産のことだが、ドイツ人はやることが徹底しているので、もとの映画では主人公が全く別の名前だった作品にまで「○○のジャンゴ」というドイツ語タイトルをつけ、吹き替えで名前を勝手にジャンゴにしてしまっている。フランコ・ネロが主役であればほぼ自動的に主人公は「ジャンゴ」。で、『ガンマン無頼』の主人公バート・サリバンもドイツではジャンゴだ。さらにネロがティナ・オーモンと撮った『裏切りの荒野』という作品。これはメリメの『カルメン』を土台にしたものだから、主人公も当然ホセという名前だったが、ドイツ語版ではこれが脈絡もなくジャンゴにされている。マカロニウエスタンのネタにするなんてメリメへの冒涜ではないのか。とかいうと逆にマカロニウエスタンへの冒涜になるかもしれないが。
 とにかくフランコ・ネロばかりでなく、原作ではサルタナという名前だったジョージ・ヒルトンの役もアンソニー・ステファン(まあこれは原作からすでにジャンゴだった役もかなりあったが)もドサクサに紛れてジャンゴにされた。テレンス・ヒルも原作とは無関係にジャンゴになったことがある。ジュリアーノ・ジェンマやジャン・ルイ・トランティニャンまでジャンゴ扱いされなかったのは奇跡というほかはない。

 下に示すのはそういった一連の「ジャンゴ映画」の一覧表だが、イタリア語原題と比べてドイツではいかに執拗に「ジャンゴ」が映画タイトルになっているかわかるだろう。左が製作年、その右がタイトルだが、イタリックで示したのがイタリアでの原題(まるでダジャレだ)、下がドイツ語タイトルである。日本で劇場公開されていない作品など邦題がわからなかったものが多く、正直いちいち調べるのもカッタルかったので邦題をあまり表示していなくて申し訳ない。
 しかし一方マカロニウエスタンには、私のような普通になんとなく映画を見ているだけの常人の想像を絶するようなフリークがいて、作品の製作年と監督や主役の名前を見ればどの映画かすぐわかり内容がたちまち思い浮かんでくるという変態いや専門家ばかりだから邦題など必要あるまい。このリストに上がっているジャンゴ映画は全部見た、と言いだす人がいても私は全然驚かない。ドイツは特にそうだ。私など「見たような気はするが内容は全然覚えていない」という程度の不確実なものまで勘定して水増し申告しても、この中で見た映画はせいぜい10作品くらいである。完全に修行が足りない。

1966 Django    
    Django
    『続・荒野の用心棒』    
      監督:セルジオ・コルブッチ、キャスト:フランコ・ネロ、ロレダナ・ヌシアク

1966 Le colt cantarono la morte e fu... tempo di massacro
      Django – Sein Gesangbuch war der Colt
   『真昼の用心棒』
    監督:ルチオ・フルチ、キャスト:フランコ・ネロ、ジョージ・ヒルトン

1966 Django spara per primo    
    Django – Nur der Colt war sein Freund
    監督:アルベルト・デ・マルティーノ、キャスト:グレン・サクソン、フェルナンド・サンチョ

1966 La più grande rapina nel West    
    Ein Halleluja für Django    
   監督:マウリツィオ・ルチディ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ハント・パワーズ

1966 Pochi Dollari per Django    
    Django kennt kein Erbarmen    
    監督:レオン・クリモフスキー、キャスト:アンソニー・ステファン、フランク・ヴォルフ

1966 Sette Dollari sul rosso    
    Django – Die Geier stehen Schlange
   『地獄から来たプロガンマン』    
    監督:アルベルト・カルドーネ、キャスト:アンソニー・ステファン、フェルナンド・サンチョ
    
1966 Starblack    
    Django – Schwarzer Gott des Todes    
    監督:ジャンニ・グリマルディ、キャスト:ロバート・ウッズ、へルガ・アンダーソン

1966 Texas, addio    
    Django, der Rächer    
   『ガンマン無頼』
    監督:フェルディナンド・バルディ、キャスト:フランコ・ネロ、アルベルト・デラクア

1967 Bill il taciturno    
    Django tötet leise
    監督:マッシモ・プピロ、キャスト:ジョージ・イーストマン、リアナ・オルフェイ

1967 Cjamango    
    Django – Kreuze im blutigen Sand
    監督:エドアルド・ムラルジア、キャスト:イヴァン・ラシモフ、エレーヌ・シャネル

1967 Dio perdona … io no!    
    Gott vergibt… Django nie!
    監督:ジュゼッペ・コリッツィ、キャスト:テレンス・ヒル、バッド・スペンサー

1967 Due rrringos nel Texas    
    Zwei Trottel gegen Django
   『テキサスから来た2人のリンゴ』
    監督:マリーノ・ジロラーミ、キャスト:フランコ・フランキ、チッチオ・イングラシア

1967 Le due facce del dollaro
    Django - sein Colt singt sechs Strophen
   監督:ロベルト・ビアンキ・モンテロ、
             キャスト:モンティ・グリーンウッド、ガブリエラ・ジョルジェッリ

1967 Il figlio di Django    
    Der Sohn des Django
   監督:オスヴァルド・チヴィラーニ、キャスト:ガイ・マディソン、ガブリエレ・ティンティ

1967 Il momento di uccidere    
    Django – Ein Sarg voll Blut
    監督:ジュリアーノ・カルニメオ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ウォルター・バーンズ

1967 Non aspettare, Django, spara!    
    Django – Dein Henker wartet    
    監督:エドアルド・マラルジア、キャスト:イヴァン・ラシモフ、ペドロ・サンチェス

1967 Per 100.000 Dollari t’ammazzo    
    Django der Bastard
    監督:ジョヴァンニ・ファゴ、キャスト:ジャンニ・ガルコ、クラウディオ・カマソ

1967 Preparati la bara!    
    Django und die Bande der Gehenkten
   『皆殺しのジャンゴ』    
    監督:フェルナンド・バルディ、キャスト:テレンス・ヒル、ホルスト・フランク

1967 Quella sporca storia nel West    
    Django – Die Totengräber warten schon
   『ジョニー・ハムレット』    
   監督:エンツォ・カステラーリ、キャスト:アンドレア・ジョルダーナ、ギルバート・ローランド

1967 Se sei vivo spara    
    Töte, Django
   『情無用のジャンゴ』
   監督:ジュリオ・クエスティ、キャスト:トマス・ミリアン、ピエロ・ルッリ

1967 Se vuoi vivere… spara!    
    Andere beten – Django schießt
   監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:イヴァン・ラシモフ、ジョヴァンニ・チャンフリーリャ

1967 Sentenza di morte    
    Django – Unbarmherzig wie die Sonne
   監督:マリオ・ランフランキ、キャスト:ロビン・クラーク、トマス・ミリアン

1967 L’uomo, l’orgoglio, la vendetta    
    Mit Django kam der Tod
   『裏切りの荒野』
    監督:ルイジ・バッツォーニ、キャスト:フランコ・ネロ、ティナ・オーモン

1967 L'uomo venuto per uccidere    
    Django – unersättlich wie der Satan    
   監督:レオン・クリモフスキー、キャスト:リチャード・ワイラー、ブラッド・ハリス

1967 La vendetta è il mio perdono    
    Django – sein letzter Gruß    
   監督:ロベルト・マウリ、キャスト:タブ・ハンター、エリカ・ブランク

1967 Lo voglio morto    
    Django – ich will ihn tot    
    監督:パオロ・ビアンキーニ、キャスト:クレイグ・ヒル、レア・マッサリ

1968 Black Jack    
    Auf die Knie, Django
   監督:ジャンフランコ・バルダネッロ、キャスト:ロバート・ウッズ、ルシエンヌ・ブリドゥ

1968 Chiedi perdono a Dio, non a me    
    Django – den Colt an der Kehle
   監督:ヴィンツェンツォ・ムソリーノ、キャスト:ジョージ・アルディソン、ピーター・マーテル

1968 Execution    
    Django – Die Bibel ist kein Kartenspiel
   監督:ドメニコ・パオレッラ、キャスト:ジョン・リチャードソン、ミモ・パルマーラ

1968 Una lunga fila di croci    
    Django und Sartana, die tödlichen Zwei    
    監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:アンソニーステファン、ウィリアム・ベルガー

1968 Quel caldo maledetto giorno di fuoco    
    Django spricht kein Vaterunser    
    監督:パオロ・ビアンキーニ、キャスト:ロバート・ウッズ、ジョン・アイルランド

1968 Réquiem para el gringo    
    Requiem für Django    
    監督:ホセ・ルイス・メリーノ、キャスト:ラング・ジェフリース、フェミ・ベヌッシ

1968 Il suo nome gridava vendetta    
    Django spricht das Nachtgebet    
   監督:マリオ・カイアーノ、キャスト:アンソニー・ステファン、ウィリアム・ベルガー

1968 T’ammazzo!… raccomandati a Dio    
    Django, wo steht Dein Sarg?    
    監督:オスヴァルド・チヴィラーニ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ジョン・アイルランド

1968 Uno di più all’inferno    
    Django – Melodie in Blei    
    監督:ジョヴァンニ・ファゴ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ポール・スティーブンス

1968 Uno dopo l’altro    
    Von Django – mit den besten Empfehlungen    
   監督:ニック・ノストロ、キャスト:リチャード・ハリソン、パメラ・チューダー

1968 Vado… l’ammazzo e torno
    Leg ihn um, Django
   『黄金の三悪人』
   監督:エンツォ・カステラーリ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ギルバート・ローランド

1969 Ciakmull, l’uomo della vendetta    
    Django – Die Nacht der langen Messer    
    監督:エンツォ・バルボーニ、キャスト:レオナード・マン、ウッディー・ストロード

1969 Dio perdoni la mia pistola    
    Django – Gott vergib seinem Colt    
    監督:レオポルド・サヴォナ、キャスト:ワイド・プレストン、ロレダナ・ヌシアク

1969 Django il bastardo    
    Django und die Bande der Bluthunde    
    監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:アンソニーステファン、パオロ・ゴズリーノ

1969 Django sfida Sartana
   (ドイツ劇場未公開)        
   監督:パスクァーレ・スキティエリ、キャスト:ジョルジョ・アルディソン、トニー・ケンダル

1970 Arrivano Django e Sartana…è la fine!    
    Django und Sartana kommen    
   監督:デモフィロ・フィダーニ、キャスト:ハント・パワーズ、ゴードン・ミッチェル

1970 C’è Sartana… vendi la pistola e comprati la bara!    
    Django und Sabata – wie blutige Geier    
   監督:ジュリアーノ・カルニメオ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、チャールズ・サウスウッド

1970 Quel maledetto giorno d'inverno…Django e Sartana… all’ultimo sangue
   (ドイツ劇場未公開)
   監督:デモフィロ・フィダーニ、キャスト:ハント・パワーズ、ファビオ・テスティ

1970 Uccidi Django… uccidi per primo!
   (ドイツ劇場未公開)
   監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:ジャコモ・ロッシ・スチュアート、アルド・サンブレル

1971 Anche per Django le carogne hanno un prezzo    
    Auch Djangos Kopf hat seinen Preis        
   監督:ルイジ・バッツェラ、キャスト:ジェフ・キャメロン、ジョン・デズモント

1971 Il mio nome è Mallory "M" come morte    
    Django – Unerbittlich bis zum Tod    
    監督:マリオ・モローニ、キャスト:ロバート・ウッズ、ガブリエラ・ジョルジェッリ

1971 Quel maledetto giorno della resa dei conti
    Django – Der Tag der Abrechnung    
    監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:グイド・ロロブリジーダ、タイ・ハーディン

1971 Una pistola per cento croci    
    Django, eine Pistole für hundert Kreuze    
   監督:カルロ・クロッコーロ、キャスト:トニー・ケンダル、マリーナ・ムリガン

1971 W Django!    
    Ein Fressen für Django    
    監督:エドアルド・ムラルジア、キャスト:アンソニー・ステファン、クラウコ・オノラート

1972 La lunga cavalcata della vendetta    
    Djangos blutige Spur    
   監督:タニオ・ボッチア、キャスト:リチャード・ハリソン、アニタ・エクバーグ

1987 Django 2: il grande ritorno    
    Djangos Rückkehr    
    監督:ネッロ・ロサーティ、キャスト:フランコ・ネロ、クリストファー・コネリ

 さて、その元祖となった『続・荒野の用心棒』の主人公ジャンゴだが、監督のセルジオ・コルブッチはこの名前をヨーロッパのジャズ・ギターの第一人者ジャンゴ・ラインハルトから持って来ている。ラインハルトはベルギー生まれのロマ、フランス語でマヌシュと呼ばれるグループの出身らしいが、このマヌシュは『50.ヨーロッパ最大の少数言語』の項で述べたようにドイツのロマ、シンティと同じ方言グループに属している。つまり「ジャンゴ」という名前は本来ロマニ語。その名前の由来について調べてみたら2説あった。

1.Django(またはDžango)はJean、Johannes、Giovanniという名前のロマニ語バージョンである。
2.Džangoとはロマニ語でI wake up、または I woke upという意味である。

困った。どちらの説でも疑問点が出てきてしまったからだ。

1について:
Jean、Johannes、Giovanniのロマニ語バージョンならDžanoとかいう形にはならないのか?その/g/という音素はどこから来たのか。

2について:
調べてみたら「目覚める」というロマニ語はdžungadol、方言によってはdžangadolまたはdžangavel(辞書形は3人称単数形)だそうだが、それなら「私は目覚める」はdžangaduaまたはdžangavua(シンティ)、あるいはdžangadavもしくはdžangavav(その他の方言)、「私は目覚めた」だと džangadomまたはdžangavomとか何とかになると思うのだが。/d/または/v/の音素が消えてしまっているのはなぜか?

 つまりどちらも確かに形は似ているとはいえ、前者は音素が一つ余り、後者は一つ足りない。帯に短し襷に長しでどちらもストレートにDžangoにはならない。もっともシンティのdžangavuaが一番近いなとは思ったし、

džangavua→[dʒanɡavʊa]→[dʒanɡaʊa]→[dʒanɡɔ:]→[dʒanɡɔ]

とかなんとか音の変化の流れを解釈すれば説明がつかないことはない。
 しかし私はロマニ語ができないので確かなことはわからないし、こんな小さなことは本なんかには出ていないだろうと思ったので人に聞くしかないなと判断し、まずオーストリアのグラーツ大学の教授に上のようなことを述べ、「どっちが正しいんでしょうか?」と問い合わせのメールを出したが音沙汰なし。「この忙しいのになんなんだこの馬鹿メールは?」と無視されたか(されて当然だと我ながら思う)、スパム扱いされて自動的にゴミ箱行きになったかと思い、今度はヨーロッパでロマニ語研究プロジェクトを立てているもう一つの大学、イギリスのマンチェスター大にメールを出してみたら2日後に次のような返事が来た。

Dear 人食いアヒルの子,

unfortunately we are not able to help you.
Reconstructing the etymology of personal name is almost impossible if there are no written records of a given name across a considerable length of time. Unfortunately, this is the case for Django.

Sorry to disappoint you,

*** ***

Romani Project
School of Languages, Linguistics & Cultures
University of Manchester
Manchester M13 9PL, UK

*** ***という部分は研究員の方の名前だが、もちろん伏せ字にしておいた。しかし2日もたってから返事が来たということは一応まじめに検討してくれたのか、それとも単に放っておかれたのか?どちらにしても大変お騒がせしました。

 と、いうわけでジャンゴという名前の由来は「わからない」というつまらないオチに終わってしまった。


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 『17.言語の股裂き』の項で、西ロマンス諸語はラテン語の複数対格を複数形全般の形として取り入れ、東ロマンス語はラテン語の複数主格をもって複数形としたと言われていることを話題にした。私自身はこの説にはちょっと疑問があるのだが、それとは別に対格か主格かという議論自体は非常に面白いと思っている。他の言語でもこの二格が他の格に比べて特別なステータスを持っている事例が散見されるからだ。

 ロシア語は数詞と名詞の組み合わせが複雑な上(『58.語学書は強姦魔』の項参照)しかも数詞そのものまで語形変化するという勘弁してほしい言語だが、1より大きい数、つまり英語やドイツ語で言う複数の場合その他の格(生格・与格・造格・前置格)では数詞とその披修飾名詞の格が一致するのに主格と対格ではそれらが別の形になる。

      つの机           ルーブリ       50冊の本
主格    два стола      три рубля      пятьдесять книг
生格    двух столов     трёх рублей     пятидесяти книг
与格    двум столам    трём рублям    пятидесяти книгам
対格    два стола      три рубля       пятьдесять книг
造格    двумя столами     тремя рублями   пятьюдесятью книгами
前置格      двух столах     трёх рублях      пятидесяти книгах

どの場合も数詞名詞共に格変化を起こしているが、生格・与格・造格・前置格では名詞と数詞は同じ格である。例えば「二つの机」の与格では数詞двумも名詞столам(ただし複数形)も与格で形が似ているのがわかる。同様に「三ルーブリ」造格ではтремя(「3」)もрублями(「ルーブリ」)も造格、「50冊の本」の前置格でもпятидесяти(「50」)、книгах(「本」)共に前置格形である。
 ところが「2つの机」「3ルーブリ」の主格・対格では数詞自体は主格・対格だが披修飾名詞が一見単数生格で一致していない。「一見」と書いたのはもちろんこれが文法書によく説明してあるような単数生格でなく実は双数主・対格(再び『58.語学書は強姦魔』参照)であることを考慮したからだ。その意味では4までは数詞と披修飾名詞の格は一致しているといえるだろうが、他の格は披修飾名詞が皆複数形となっているのに主・対格だけは双数形になっているわけだから、やはり主格・対格は特殊と言っていいと思う。5以上ではこれがさらにはっきりしていて、「50冊の本」の主格・対格は数詞が主格あるいは対格だが名詞は明確に複数生格である。これを本物の(?)生格пятидесяти книгと比べてみると面白くて、ここでは数詞がきちんと生格になっているため披修飾名詞の生格と一致している。つまり主・生・対格の3格で披修飾名詞が生格になっているのだ。さらに面白いのは数詞がつかない場合、例えば単にbooksと言いたい場合は「本」が複数形のкнигиという形になることだ。これは主格・対格同形である。

 日本語でも主格つまり「○○が」と対格「○○を」は特別なステータスを持っているのではないかと感じることがある。主題の助詞「は」と組み合わせた場合、この2格のマーカーが必ず削除されるからだ。

鳴く → 鳥がは鳴く → 鳥(が)は鳴く→ 鳥Øは鳴く → 鳥鳴く
殺さない → 人をは殺さない → 人(を)は殺さない → 人Øは殺さない → 人殺さない

これに対してその他の格マーカーは「は」をつけても消されることがない。

処格: 東京行かない → 東京には行かない
奪格: お前から言われたくない → お前からは言われたくない

「に」は消せることがあるが、「から」は消せない:

東京は行かない
*お前は言われたくない

格マーカーにはどうも微妙な階級がありそうだ。いずれにせよ主格と対格は特別といえるのではないだろうか。

ロマニ語もその意味でちょっとスリルのある構造になっているようだ。ギリシアとトルコのロマニ語では「ロマ」(夫・男)という名詞の変化パラダイムが以下のようになっている。

     単数       複数
主格  rom                    rom-á     
対格    rom-és                  rom-én
呼格    róm-a                    rom-állen
与格    rom-és-ke             rom-én-ge
奪格    rom-és-tar             rom-én-dar
具格    rom-és-ar              rom-én-džar
処格    rom-és-te              rom-én-de
属格    rom-és-koro           rom-én-goro (披修飾名詞が男性単数の場合)
属格    rom-és-kiri             rom-én-giri  (披修飾名詞が女性単数の場合)
属格    rom-és-kere           rom-én-gere    (披修飾名詞が複数の場合)

ロマニ語は地域差が激しいのでロシアやオーストリア、セルビアなどのロマニ語では微妙に形が違っているが、はっきりと共通していることがある。それは名詞の変化パラダイムが2層になっているということだ。
 まず主格と対格(このグループのように呼格が残っている場合は呼格も)の形の違いは古いインドの祖語から引き継いだもので「語形変化」と呼んでいい。ここでは-ésがついているが、語によってはゼロ形態素だったりするし(kher(主格)-kher(対格)、「家」)、女性名詞では-jaが付加される(phen(主格)- phen-já(対格)、「sister」)。
 ところが主・対格以外の斜格は対格をベースにしてそこにさらに膠着語的な接尾辞を加えて作っている。対格というよりはむしろ「一般斜格」と呼んだほうがよさそうだ。つまりロマニ語は主格と対格以外では本来の変化形が一旦失われ、後からあらためて膠着語的な格表現を使ってパラダイムを復活させたということだ。これらの形態素は発生が新しいから元の語の文法性や変化タイプに関わりなく共通である。例えば上で言及したphen- phen-jáも主格・対格以外は男性名詞のromと同じメカニズムで斜格をつくる。上の例と比べてみてほしい。

    単数          複数
主格  phen                       phen-já     
対格  phen-já                           phen-(j)én
呼格  phén-e                            phen-álen
与格  phen-já-ke                      phen-jén-ge
奪格  phen-já-tar                      phen-jén-dar
具格  phen-já-ar                       phen-jén-džar
処格  phen-já-te                       phen-jén-de
属格  phen-já-koro                   phen-jén-goro (披修飾名詞が男性単数の場合)
属格  phen-já-kiri                     phen-jén-giri  (披修飾名詞が女性単数の場合)
属格  phen-já-kere                   phen-jén-gere (披修飾名詞が複数の場合)

 どうしていろいろな言語で主格と対格が他の斜格に比べて強いのか。もちろんこれは単なる私の想像だがやはりこの二つが他動詞の必須要素であり、シンタクスの面でも意味の面でも対立性がはっきりしている上使用頻度が高いからではないだろうか。能格言語で能・絶対格と他の斜格(能格言語でも「斜格」と呼んでいいのか?)との関係がどうなっているのか興味のあるところだ。興味はあるのだが調べる気力がない。知っている人、調べた人がいたらメッセージでもいただけると嬉しい。


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 エマヌエル・ガイベルという後期ロマン派の詩人の作品にZigeunerleben(「ジプシーの生活」)という詩がある。シューマンの作曲で「流浪の民」として日本でも有名だが、第二連はこうなっている。

Das ist der Zigeuner bewegliche Schar,
Mit blitzendem Aug' und mit wallendem Haar,
Gesäugt an des Niles geheiligter Flut,
Gebräunt von Hispaniens südlicher Glut.

それは移動するジプシーの群れ
きらきら光る眼と波打つ髪
ナイルの神聖な流れのほとりで乳を吸い
イスパニアの南国の灼熱に肌を焦がす
(原作の韻など全く無視した無粋な訳ですみません)


3行目「ナイルの神聖な流れのほとりで乳を吸い」という部分が気になるが、これはいわゆるジプシー、つまりロマがエジプトから来たと当時広く信じられていたからである。言いだしっぺが誰であるかはわからない。彼ら自身がそう自称したとも言われている。『50.ヨーロッパ最大の少数言語』の項でも書いたようにロマの起源はインドであるが、その存在が文献に現れるのは11世紀に当時のビザンチン帝国の記録が最初だ。当時ビザンチン帝国だけでなく、中東全般にわたって広く住んでいたらしい。彼らはキリスト教を受け入れていた(そうだ)。肌の色が浅黒く、その地では周りからコプト人と見なされていたのを巡礼目的や十字軍でパレスティナに来ていたヨーロッパ人が本国に伝えた、とも聞いた。
 これは単なる想像だが、私にはロマの方からコプト人だと自己申告したとはどうも考えにくいのである。浅黒い膚のキリスト教徒を見てヨーロッパ人が勝手にコプトだと思いこみ、ロマが特にそれに異を唱えないでいるうちにそういう説が定着してしまったのではないだろうか。そもそもロマ自身は自分たちがエジプト出身扱いされているのを知っていたのだろうか。 ヨーロッパ人側がロマをエジプトから来た人々と「思いたかった」、出エジプト記を今度はキリスト教徒を主役にして再現したかった、つまりある種の宗教ロマン物語を信じたかったのでないだろうか。そしてそういう図式が当時のキリスト教社会にアピールして定着したのでは。例えば上のガイベルの詩にもこんな部分がある。

Und magische Sprüche für Not und Gefahr
Verkündet die Alte der horchenden Schar.

そして苦境や危機に陥れば
老婆が魔法の言葉を告げる
(モーゼかこの老婆は?)


Und die aus der sonnigen Heimat verbannt,
Sie schauen im Traum das gesegnete Land.

そして陽光に満ちた故郷を追われ
祝福の地を夢に見る
(das gesegnete Landあるいはgesegnetes Land(祝福された土地)というのも聖書からの概念)


 こうやって都合のいい時だけは(?)ロマンチックな描写をするが、何か起こると、いや起こらなくてもロマは一般社会で差別抑圧されていたのである。「虐待」といってもいい。ひょっとしたら文学者はロマが普段虐待されているそのために、せめて言葉の上では美しくロマンチックに描いてやって、言い換えるとリップサービスでもしてやって読者の、いや自身の目をも現実から背けようとしたのかもしれない。
 この詩が出版されたのは1834年で、比較言語学者のポットがロマの言語とインド・イラニアン語派との類似に気づいたのは1844年、ミクロシッチが詳細な研究を行なったのが1872年から1880年にかけてだから、ガイベルはまだこの時点ではロマがインド起源ということを知らなかったのだろう。しかし一方ガイベルは1884年まで生きており、古典文献学で博士号までとっているのだからミクロシッチの論文を読んでいたかもしれない。もっとも文学と言語学というのが既に仲が悪いことに加えて、ガイベルの当時いたプロイセンとミクロシッチのいたオーストリア・ハンガリー帝国は敵同士だったから、その可能性は薄いと思うが。

 ロマはビザンチン帝国内に結構長い間住んでいたらしく、その語彙には当時のギリシア語からの借用語が目立つそうだ。例えば:

ロマニ語        ギリシア語
foro(s)  「町」   ←  foros    「広場、市場」
drom    「道」   ←  dromos   「道」
zumin   「石鹸」  ←  zumi    「石鹸」
kokalo  「骨」   ←  kokkalo   「骨」
kurko    「週」   ←  kyriaki     「日曜日」
luludi    「花」    ←  luludi    「花」
petalo  「蹄鉄」 ←  petalon   「蹄鉄」

 語彙ばかりでなく、派生語を作る際の形態素などもギリシャ語から輸入している。抽象名詞をつくるための-mos (複数形は-mota)がそれ。
 ギリシア語に触れる以前、つまり現在の北インドからコーカサスの言語からの借用は、はっきりどの言語からと断定するのが難しい。借用から時間が経って借用元の言語でもロマニ語内でも語の形が変化を起こしてしまっている上、そもそもあそこら辺の言語はロマニ語と同じく印欧語だから、当該単語が借用語なのか双方の言語で独立に印欧祖語から発展してきたのか見分けがつけにくいらしい。
 それでも当地の非印欧語、グルジア語やブルシャスキー語からの借用を指摘する人もいる。ブルシャスキー語というのはパキスタンの北で細々と話されている言語である。能格言語だ。それにしてもグルジア語にしろその他のコーカサスの言語にしろ、あのあたりの言語がそろって能格言語なのはなぜだ?以前にも書いたように、シュメール語と無関係とは思えないのだが。
 そのブルシャスキー語からロマニ語への借用をヘルマン・ベルガー(Hermann Berger)という学者が1959年に発表した『ジプシー言語におけるブルシャスキー語からの借用語について』(Die Burušaski-Lehnwörter in der Zigeunersprache)という論文で指摘し、13ほど例を挙げ、嫌というほど詳細な検討を加えている。ベルガーの説には批判や疑問点も多いらしいが、面白いので一部紹介しておきたい。著者はこの論文の中でブルシャスキー語とバスク語との親類関係についても肯定的に発言している。

ロマニ語                   ブルシャスキー語
ciro   「時間・天気」          ← cir 「機会」
serd-  「引く」               ← car et- (過去形語幹), car ee- (現在形語幹)、
                    「引き裂く、裂く」
xev   「穴」< *kham         ← qam
sapano 「濡れた・湿った」 < *sapam-o  ← hayum
                                                                     「湿っている(服・木材・パンについていう)
                     < *sawom < *sapam.
sulum  「藁」               ← hwnul "「家畜のエサ用に干した葉」 < *sumul
kazom 「それくらい、どれくらい?」    ← akurum 「そのようにたくさん」 < *akadzom  

 ビザンチンがオスマントルコに滅ぼされると、ロマはヨーロッパ内部へ移動し始めた。現在ヨーロッパ大陸にいるロマは方言の差が激しく、すでに意思の疎通が困難な場合が多いそうだが、これはロマニ語内部での変化に加えて(それだけだったらたかが600年ぽっちの間に意思疎通が困難になるほど変遷するとは思えない)、あちこちでいろいろな言語と接触して外部から変化させられたためだろう。面白い例が一つある。セルビアで話されているErliというロマニ語方言(というべきか言語というべきか)では未来形をまさにバルカン言語連合の図式どおりに作るのである。Erliでは動詞の接続法に不変化詞kaをつけて表すが、このkaは「欲しい」という動詞kamelが後退したもの。

Ka   dikhav
未来. + see(一人称単数形・接続法)
私は見るだろう

『40.バルカン言語連合再び』の項で挙げたアルバニア語、ルーマニア語、ブルガリア語、現代ギリシア語と比べてみてほしい。構造が完全に平行しているのがわかる。

アルバニア語:     do   të        shkruaj
         未来 +  接続法マーカー + (「書く」一人称単数現在)
ルーマニア語:     o     să       scriu
                 未来 + 接続法マーカー + (「書く」一人称単数現在)
ブルガリア語:     šte  piša
                 未来 +(「書く」一人称単数現在)
現代ギリシア語:    θα   γράψω
                未来 + (「書く」一人称単数接続法)


ところが同じロマニ語でもブルゲンラント・ロマニ語というオーストリア、ハンガリーで話されている方言だと未来形を純粋な語形変化で表す。

phirav (「行く」一人称単数現在) + a -> phira    「私は行くだろう」
phires (「行く」二人称単数現在) + a -> phireha    「君は行くだろう」 など

 上で述べたようにロマの一部がバルカン半島を去ったのはそれほど古い話ではない。それなのにブルゲンラントのロマニ語がバルカン言語連合現象の影響を受けていない、ということはバルカン言語連合という現象自体が比較意的新しい時代に起こったか、現象そのものは昔からあったがロマが周りとあまり接触しなかったとかの理由で影響を被るのが他の言語より遅かったかのどちらかである。語彙面での借用状況を考えると「周りとの接触が乏しかった」とは考えにくいので最初の解釈が合っているような気がするが、なにぶん私は素人だから断言はできない。

 またロマニ語は借用語と本来の言葉との差を明確に意識しているらしく、外来語と土着の単語とでは変化のパラダイムが違う。下は旧ユーゴスラビアのヴラフ・ロマの例だが、kam-(「欲しい」)という動詞はロマニ語本来の、čit-(「読む」)はセルビア語からの借用。ロシア語でも「読む」はчитать(čitat’)である。

       「欲しい」 「書く」
一人称単数   kam-av          čit-ov
二人称単数      kam-es          čit-os
三人称単数      kam-el           čit-ol
一人称複数   kam-as           čit-os
二人称複数   kam-en           čit-on
三人称複数   kam-en           čit-on

つまり土着の単語で母音aやeが現れる部分が外来語ではoになっているのである。これは名詞の変化パラダイムでもそうで、ロマニ語本来の語raklo(「男の子」)と上でも述べたギリシア語からの借用語foroの語形変化ぶりを比べるとわかる。単数形のみ示す。

    「男の子」    「町」
主格   raklo                  foro
与格           rakl-es-ke          for-os-ke
奪格           rakl-es-tar          for-os-tar
具格           rakl-e(s)-sa        for-o(s)-sa
処格            rakl-es-te          for-os-te

ここでもeとoがきれいに対応している。なお、私の参照した資料にはなぜか対格形が示されていなかったが、『65.主格と対格は特別扱い』で見たように対格は膠着語的な接尾マーカーなしの第一層一般斜格を使うから「男の子を」はrakl-esになるはずである。それに対して「町を」は一般斜格のfor-osではなく主格と同形のforoになるはずだ。ロマニ語はロシア語と同じく(というよりロシア語がロマニ語と同じく)生物・非生物の差を格変化形で表すからである。
 そういえば日本語は外来語とヤマト言葉を片仮名と平仮名(と漢字)で書き分けるがロマニ語はこの区別をパラダイムでやるわけか。


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 いつだったか、インドの学校では九九を9×9=81までではなく、12×12=144まで暗記させられる、と聞いていたのをふと思い出して調べてみたら12×12ではなく20×20までだった。「じゅうに」と「にじゅう」を聞き違えたのかもしれない。
 言語によっては12で「2」を先にいうこともあるし、反対に20のとき「10」が前に来たりするからややこしい。また、11と12が別単語になっている言語もある、と言っても誰も驚かないだろう。英語がそうだからだ。英語ばかりでなくドイツ語などのゲルマン諸語全体がそういう体系になっている。ゲルマン諸語で1、2、3、10、11、12、13, 20、30はこんな具合だ。

                1       2          3        10        11       12         13             20            30
ドイツ語              eins   zwei     drei     zehn      elf      zwölf     dreizehn   zwanzig    dreißig
スウェーデン語   en/ett  två       tre       tio         elva     tolv      tretton       tjugo         trettio

ゴート語
1          2               3                  10         11       12        13                  20                30
ain           twa           thrija             taihun   ainlif    twalif   *thrija-taihun    twai tigjus    threis tigjus
ains (m.)  twai (m.)   threis (m., w.)
aina (w.)   twos (w.)   thrija (s.)
ain (s.)  

13からは「1の位の数+10」という語構造になっているが11と12だけ系統が違う。11(それぞれelf, elva, ainlif)の頭(e- あるいはain-)は明らかに「1」だが、お尻の-lf, -iva, lifはゲルマン祖語の*-lif-または*-lib-から来たもので「残り・余り」という意味だそうだ。印欧祖語では*-liku-。ドイツ語の動詞bleiben(「残る」)もこの語源である。だから11、12はゲルマン諸語では「1あまり」「2あまり」と言っているわけだ。
 この、11、12を「○あまり」と表現する方法はゲルマン祖語がリトアニア語(というか「バルト祖語」か)から取り入れたらしい。本家リトアニア語では11から19までしっかりこの「○あまり構造」をしていて、20で初めて「10」を使い、日本語と同じく10の桁、「2」のほうを先に言う。

リトアニア語
1                 2         3      10          11            12          13         20            30
vienas (m)  dù (m)   trys   dešimt   vienúolika  dvýlika   trýlika    dvìdešimt  trìsdešimt
vienà (w)    dvì (w)


ゲルマン語は現在の南スウェーデンあたりが発祥地だったそうだから、そこでバルト語派のリトアニア語と接触したのかもしれない。そういえば昔ドイツ騎士団領だった地域には東プロシア語という言語が話されていた。死滅してしまったこの言語をゲルマン諸語の一つ、ひどい場合にはドイツ語の一方言だと思い込んでいる人がいるが、東プロシア語はバルト語派である。
 印欧語ではないが、バルト海沿岸で話されているフィンランド語も11から19までは単純に「1と10」という風には表さない。

フィンランド語
1      2       3         10              11            12           13                 20                   30
yksi kaksi kolme kymmenen yksitoista kaksitoista kolmetoista kaksikymmentä kolmekymmentä

                                                                                             
11、12、13の-toistaという語尾はtoinenから来ていて、もともと「第二の」という意味。だからフィンランド語では例えば11は「二番目の10の1」だ。完全にイコールではないが、意味的にも用法的にもリトアニア語の「○余り」に近い。「20」のパターンもリトアニア語と同じである。
 
 ケルト諸語ではこの「○余り構造」をしておらず、11、12は13と同じくそれぞれ1、2、3と10を使って表し、一の位を先に言う。

アイルランド語
1             2      3        10         11                  12                 13           20       30
a haon a dó a trí a deich   a haon déag   a dó dhéag    a trí déag  fiche   tríocha


ブルトン語
1           2      3    10     11        12           13         20       30
unan daou  tri   dek   unnek   daouzek   trizek   ugent   tregont


アイルランド語の10、a deichはdéag やdhéagと書き方が違うが単語そのものは同一である。後者では「10」が接尾辞と化した形で、これがブルトン語ではさらに弱まって-ek、-zekになっているが構造そのものは変わらない。それより面白いのは20で、「10」も「2」も出て来ず、一単語になっている。これはケルト祖語の*wikantīから来ており、相当語形変化をおこしているがブルトン語のugentも同語源だそうだ。印欧祖語では*h1wih1kmt*あるいはh₁wih₁ḱm̥tiで、ラテン語のvīgintīもこの古形をそのまま引き継いだものである。「30」、tríochaとtregontも同一語源、ケルト祖語の*trī-kont-esから発展してきたもの。つまり20、30は11から19までより古い言語層になっているわけだ。これはラテン語もそうだったし、それを通して現在のロマンス諸語に引き継がれている。

ラテン語
1               2            3               10         11           12              13         20        30
unus (m)   duo (m)   tres (m,w)  decem  undecim   duodecim  tredecim  viginti   triginta
una (w)     duae (w)  tria (s)
unum (s)   duo (s)

フランス語
1      2        3      10    11      12        13        20      30
un   deux   trois   dix   onze  douze   treize   vingt   trente

 
スペイン語
1              2       3      10     11     12     13       20      30
un(o) (m)  dos   tres   diez  once  doce  trece  veinte  treinta
una (w)

当然、といっていいのかどうか、サンスクリットやヒンディー語でも「20」は独立単語である。

ヒンディー語 
1     2    3     10       11            12          13          20    30
ek   do  tin    das    gyaaraha   baaraha  t eraha   biis   tiis

サンスクリット
1        2      3    10       11            12          13               20          30
eka-  dvai-  tri-   daśa   ekādaśa   dvādaśa  trayodaśa   vi
ṃśati    triṃśat-

ヒンディー語のbiisはサンスクリットのviṃśatiが変化したもの。下のロマニ語のbišについても辞書にviṃśati起源と明記してある。もっともそのサンスクリットは数字の表し方がかなり自由で学習者泣かせだそうだが、学習者を泣かせる度合いはヒンディー語のほうが格段に上だろう。上の11、12、13、それぞれgyaaraha、 baaraha、terahaという言葉を見てもわかるように、ヒンディー語では11から99までの数詞が全部独立単語になっていて闇雲に覚えるしかないそうだ。もっとも13の-te-という頭は3のtinと同語源だろうし、15はpandrahaで、明らかに「5」(panc)が入っているから100%盲目的でもないのだろうが、10の位がまったく別の形をしているからあまりエネルギー軽減にはならない。やはり泣くしかないだろう。
 同じインド・イラニアン語派であるロマニ語の、ロシアで話されている方言では20と30で本来の古い形のほかに日本語のように2と10、3と10を使う言い方ができる。

ロマニ語(ロシア方言)
1         2     3     10    11           12             13          20              30
yekh   dui  trin  deš   dešyekh  dešudui    dešutrin   biš              trianda
                                                                           duivardeš    trindeš

ドイツのロマニ語方言では30をいうのに「20と10」という表し方がある。

ロマニ語(ドイツのシンティグループ)
1      2     3     10      11            12            13           20       30
jek   dui  trīn   dēš    dēštajek  dēštadui   dēštatrin   bīš      trianta
                                                                                     bīštadēš

ハンガリー・オーストリアのブルゲンラント・ロマの方言では20と30を一単語で表すしなかいようだが、11から19までをケルト語やサンスクリットと違って先に10と言ってから1の位を言って表す。これは他のロマニ語方言でもそうだ。

ロマニ語(オーストリア、ブルゲンラント)
1       2    3     10      11           12           13          20      30
jek   duj  trin  deš    dešujek   dešuduj   dešutrin   biš     tranda
(手持ちの文法書には13がbišutrinとあったが、これは誤植だろう。勝手に直しておいた。)

他の方言にも見えるが、ロマニ語の30、trianda, trianta, trandaはギリシャ語からの借用だそうだ。

古典ギリシア語・アッティカ方言
1        2       3          10   11      12    13                        20        30
heis (m)  dyo   treis (m.w)   deka  endeka   dōdeka  treis kai deka (m,w)   eikosi   triakonta
mia (w)           tria (s)                                             tria kai deka (s)
hen (s)


現代ギリシア語
1         2       3         10       11        12            13                    20      30
enas (m)  dyo   tris (m,w)   deka   endeka  dodeka    dekatris (m,w)   ikosi   trianda
mia (w)             tria (s)                                            dekatria (s)
ena (s)


古典ギリシア語では13からは11、12とは語が別構造になっているのが面白い。それあってか現代ギリシャ語では11と12では一の位を先に言うのに13からは10の位が先に来ている。20と30はケルト語と同じく独立単語で、20(eikosiまたはikosi)は上で述べたブルトン語ugent、ラテン語のviginti、サンスクリットのviṃśatiと同じく印欧祖語の*h1wih1kmt または *h₁wih₁ḱm̥tiから発展してきた形である。

 あと、面白いのが前にも述べた(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』)バルカン半島の言語で、バルカン連語連合の中核ルーマニア語、アルバニア語では11から19までがone on ten, two on ten... nine on ten という構造になっているのである。

ルーマニア語
1       2      3    10    11                 12                13                20            30
unu   doi  trei  zece  unsprezece  doisprezece  treisprezece  douăzeci   treizeci


アルバニア語
1     2     3     10       11                  12                13                  20       30           40
një  dy   tre   dhjetë  njëmbëdhjetë  dymbëdhjetë  trembëdhjetë  njëzet  tridhjetë  dyzet


ブルガリア語
1              2           3    10       11              12              13              20            30
edin (m)   dva (m)   tri   deset  edinadeset  dvanadeset  trinadeset  dvadeset  trideset
edna (f)    dve (f,n)
edno (s)

11を表すルーマニア語のunsprezece、アルバニア語の njëmbëdhjetë、ブルガリア語のedinadesetはそれぞれun-spre-zece、 një-mbë-dhjetë、edi(n)-na-desetと分析でき、un、 një、edinは1、spre、 mbë、naは「~の上に」、zece 、dhjetë、desetが「10」で単語そのものは違うが造語のメカニズムが全く同じである。さらに実はブルガリア語ばかりでなくスラブ語派はバルカン外でも同じ仕組みになっているのだ。

ロシア語
1               2             3    10          11               12             13             20          30
odin (m)    dva (m,s)   tri   desjat’   odinnadcat’  dvenadcat’  trinadcat’  dvadcat’  tridcat’
odna (w)    dve (w)
odno (s)


クロアチア語・セルビア語
1                2           3   10       11             12          13          20            30
jedan,(m)   dva(m,s)  tri  deset  jedanaest  dvanaest  trinaest  dvadeset  trideset
jedna,(w)    dvije(w)
jedno(s)


ロシア語odin-na-dcat’、クロアチア語のjeda-na-estでもちょっと形が端折られていたりするが、one on tenという構造になっていることが見て取れるだろう。20、30は日本語と同じく「に+じゅう」「さん+じゅう」である。

 ここでやめようかとも思ったが、せっかくだからもうちょっと見てみると、11から19までで、1の位を先に言う言語が他にもかなりある。

アラビア語
1             2         3          10         11                 12              13                   20       30
wāḥid     iṯnān     ṯalāṯa    'ašara   aḥada 'ašara   iṯnā 'ašara   ṯalāṯata 'ašara  'išrūn   ṯalāṯūn

ヘブライ語
1            2          3        10       11               12               13               20       30
ekhad   šnaim   šoša   'esera   ekhadesreh  šteimesreh  šalošesreh  'esrim  šlošim
akhat    štaim   šaloš   'eser

アラビア語の「11」の頭についているaḥadaは一見「1」(wāḥid)と別単語のようだが、前者の語根أ ح د ‎('-ḥ-d)と後者の語根و ح د ‎(w-ḥ-d)は親戚でどちらもセム語祖語の*waḥad-から。ヘブライ語のאֶחָד ‎(ekhád)もここから来たそうだから意味はつながっている。アラビア語ではつまり11だけはちょっと古い形が残っているということだろうか。
 「11だけ形がちょっとイレギュラー」というのはインドネシア語もそうで、12からははっきり1と2に分析できるのに11だけ両形態素が融合している。

インドネシア語
1       2      3     10          11          12            13              20             30
satu  dua  tiga  sepuluh  sebelas  dua belas  tiga belas   dua puluh   tiga puluh

この11、sebelasという形はマレー語のsebelas起源、つまりここでも古い形が残っているという事だ。まさかアラビア語のマネをしたわけでもないだろうが。
 さらにコーカサスのグルジア語も1の位を先に言う。

グルジア語
1      2    3      10     11            12            13            20      30
erti  ori  sami   ati    tert-met'i    tor-met'i   za-met'i    ozi     ozda-ati

-met'iはmoreという意味の形態素だそうで、つまりグルジア語では11から19までを「1多い」「9多い」と表現していることになり、リトアニア語の「○余り構造」とそっくりだ。また、グルジア語も「20」という独立単語を使っていて30は「20と10」である。

 シンタクス構造が日本語と似ているとよく話題になるトルコ語は11~19で日本語のように10の位を先に言う。その点はさすがだが、20と30は残念ながら(?)日本語と違って独立単語である。20(yirmi)も30(otuz)もテュルク祖語からの古い形を踏襲した形なのだそうだ。

トルコ語
1      2     3    10   11     12     13        20      30
bir    iki   üç   on     on bir     on iki     on üç   yirmi    otuz

バスク語も10の位を先に言うようだ。能格言語という共通点があるのにグルジア語とは違っている。もっとも30は「20と10」で、これはグルジア語と同じである。

バスク語
1      2   3      10         11           12           13          20         30
bat   bi  hiru   hamar   hamaika   hamabi   hamahiru   hogei  hogeita hamar

こうして見ていくと「20」という独立単語を持っている言語は相当あるし、数詞という一つの体系のなかに新しく造語されて部分と古い形を引き継いだ部分が混在している。調べれば調べるほど面白くなってくる。今時こういう言い回しが若い人に通じるのかどうか不安だが、まさにスルメのように噛めば噛むほど味わいを増す感じ。数詞ネタでさかんに論文や本が書かれているのもわかる気がする。


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