アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:リトアニア語

 若い人はもう覚えていない、と言うよりまだ生まれていないだろうが、むかしソ連からベレンコ中尉という人がミグ25(MiG25)という戦闘機に乗って日本にやってきて、そこからさらにアメリカに亡命申請する、という事件があった。日本中大騒ぎだったが、この事件はよく考えるととても面白い。

 まずMiG(МиГ)という名称だが、これはМикоян и Гуревич(ミコヤン・イ・グレヴィッチ、ミコヤンおよびグレヴィッチ)の略で、МикоянもГуревич も設計者の名前だ。この、-ян(ヤン)で終わる名前というのはロシア語でなく、もともとアルメニア語である。
 そういえば以前ノーム・チョムスキーという大言語学者がマサチューセッツ工科大学で生成文法の標準理論や拡大標準理論を展開していたころ、ソ連に「適応文法」というこれも難しい理論を繰り広げていたシャウミャン(Шаумян)という学者がいたが、この人も名前の通りアルメニア人である。さらにロシア言語学会の重要メンバーの一人でドイツでも名を知られていたアプレシャン(Апресян)も名前そのものはアルメニア系だ。氏自身はモスクワ生まれのモスクワ育ちのようだが。
 次にグレヴィッチ(Гуревич)。この、ヴィッチ(-вич)で終わる名前は基本的にセルビア語・クロアチア語起源なのだが、ベラルーシにも散見される。ウクライナにもある。あと、リトアニアにもこの-вичで終わる姓が多いそうだが、これはベラルーシもウクライナも中世から近世にかけてリトアニア大公国の領土だったからではないだろうか。当時支配層はリトアニア語を話していたが、国民の大部分はスラブ人で、話す言葉もスラブ語、書き言葉も南スラブ語派の古教会スラブ語だったはずだから、そのスラブ人が現在のリトアニア領にもやってきて住みついていたのでは。ついでに女優のMilla Jovovich(ミラ・ヨボビッチあるいはジョボビッチ)もウクライナ出身だが、そもそも父親がセルビア人だから苗字が-вичで終わっているのは当然だ。
 グレヴィッチ氏はロシアのクルスク地区のルバンシチナという町の生まれだそうだが、ここはウクライナと接している地域である。さらに、このベラルーシ、ウクライナの東部にはユダヤ人が多く居住していたので、ユダヤ系ロシア人、というかユダヤ系ソ連人には-вич姓の人が多いそうだ。事実このグレヴィッチ氏もユダヤ系である。「ドイツ系に-вич姓が多い」という記述を時々見かけるが、ここにはひょっとしたらイディッシュ語を話すユダヤ人も含まれているのかもしれない。イディッシュ語はいわばドイツ語から発達してきた言語で、部外者が聞くとドイツ語そのものに聞こえるそうだから。ちなみにユダヤ系のSF作家のアシモフ氏の故郷ペトロヴィッチ村もベラルーシとロシアとの国境地域にある。
 さらにパイロットのベレンコ(Беленко)中尉だが、-коで終わる名前は本来ウクライナ語。
 
 つまり、かの戦闘機はソ連から飛んできたのに純粋にロシア語の名前が一つもない。ソ連がいかに他民族国家であるか、まざまざと見せつけられた事件だとは思う。 

 そもそも人名や地名には今はもう失われてしまった古い言語の形が温存されている場合がよくあるので気にしだすと止まらなくなる。日本の東北地方や北海道の地名にアイヌ語起源のものが多いのもその例で「帯広」というのは元々アイヌ語の「オ・ペレペレ・ケプ」(川尻がいくつにもさけている所)から来たそうだ。
 ヨーロッパでも人名に印欧語の古形が残されている場合がある。たとえば例のローマの暴君ネロ。このNeroという語根は非常に古い印欧祖語の* h2 ner-「人間」から来ている。h2というのは印欧祖語にあったとされる特殊な喉音である。ここで肝心なのはもちろんner-のほうだ。なお、比較・歴史言語学で使う「*」という印は現在の文法理論つまり共時言語学で使われるような「非文法的」という意味でなく、「具体的なデータは現存していないが理論上再構築された形」という意味だから注意を要する。その* h2 ner-だが、Neroばかりでなくギリシア語のανηρ(アネール、現代ギリシア語ではアニル)もこれが語源。サンスクリットのnṛあるいはnára(人間)、アヴェスタ語のnā(人間)もこれだそうだ。いわゆるイラン語派は今でもおおむねこの語をよく保っているが、なにせ古い語なので、ローマの時代のラテン語ではすでにこの語は普通名詞としては使われなくなっており、本来の意味も忘れ去られていた。僅かに人名にその痕跡を残していたわけだ。なお、サンスクリットの、下に点のついたṛは母音のr、つまりシラブルを形成するrで、現代のクロアチア語にもこの「母音のr」がある。例えばクロアチア語で「市場」をtrgというのだ。
 
 ヨーロッパの現代語ではリトアニア語のnóras(意思)や、あと意外にもロシア語のнрав(ンラーフ、性格・気質)やноров(ノーラフ、強情さ)も* h2 ner-起源だそうだ。しかしこちらは意味のほうが相当変化している模様。しつこく言うとнравは南スラブ語起源のいわば借用語で、норовがロシア語本来の東スラブ語形である。その東スラブ語のноровのほうはさらに意味がずれていて、口語的表現である上、カンが強くてなかなか乗りこなせない馬に対して「御しがたい」というときこの語を使うそうだ。人間がついに馬になってしまっている。

 ところがアルバニア語はこの古い古い印欧語をこんにちに至るももとの「人間」の意味で使用している。アルバニア語で「人間」はnjeri(ニェリ)。これは「バルカン言語連合」の項でも書いたようにa manで、the manならば後置定冠詞がついてnjeri-uとなる。アルバニア語はこのほかにも音韻構造などに印欧語の非常に古い形を保持している部分がかなりあるそうだ。
 ちなみにアイルランド語のneart(力)も直接* h2 ner-からではないが、そこから派生された* h2 ner-to(精力のある)が語源とのことだ。

 さてこちらのギムナジウムはラテン語をやるのが基本だし、ラテン語で何か書いてあるのを町のそこここでまだ見かけるから、読める人、知っている人は結構いる。それで機会があるごとにNeroの名前は本来どういう意味か知っているかどうか人に聞いて見るのだが、いまだに印欧語の* h2 ner-だと正しく答えた者は一人もいない。昔人を通してギムナジウムのラテン語の先生に質問してみたことがあるが、やはり知らなかった。この先生もそうだったが、ほとんどの人が「黒」を意味するnegroから来ていると思い込んでいた。真相を知っていたのは日本人の私だけだ。ふっふっふ。

 自慢してやろうかとも思ったが、たまに珍しく何か知っているとすぐズに乗って事あるごとにそれをひけらかしたがるというのもさすがに見苦しい、かえって無教養丸出しだと思ったので黙っていた。日本人は謙虚なのである(誰が?)。


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 ドイツは1998年にEUのヨーロッパ地方言語・少数言語憲章を批准・署名しているので、国内の少数言語を保護する義務があり、低地ザクセン語、デンマーク語、フリジア語、ロマ二語、ソルブ語が少数言語として正式に認められている。特にソルブ語は、公式に法廷言語として承認されている。裁判所構成法(Gerichtsverfassungsgesetz)第184条にこうある。

Die Gerichtssprache ist deutsch. Das Recht der Sorben, in den Heimatkreisen der sorbischen Bevölkerung vor Gericht sorbisch zu sprechen, ist gewährleistet.

法廷言語はドイツ語とする。ソルブ人の住民にはその居住する郡の法廷においてソルブ語を使用する権利が保障される。

 法廷言語は公用語とイコールではないが、ソルブ人はもとから自分達の住んでいる地域で自分達の言葉を使って裁判ができるのだからこれは「準公用語」的ステータスではないだろうか。日本のどこかにアイヌ語で裁判をする権利が認められている地方があるだろうか? さらに、現在ザクセン州の知事をしているのはドイツ人ではなく、ソルブ人のスタニスラフ・ティリッヒという政治家だ。「スタニスラフ」という名前は典型的に非ドイツ語形。これを日本で言うと、北海道の一部でアイヌ語で裁判が行え、アイヌ語名の仮名表記で戸籍に登録でき、例えば「ゲンダーヌ」という名前のまま立候補したアイヌ人が北海道の知事になったようなものだ。
 ソルブ語はドイツ語とは全く違う西スラブ語系統の言葉でポーランド語に近い。さらに厳密に言うと下ソルブ語と上ソルブ語の2言語だ。

 これはあくまで自己反省だが、大学でドイツ語、ドイツ文化、あるいはドイツの政治や歴史を勉強しました、といいながらこのソルブ語の存在を知らない人がいる。「ソルブ語なんてドイツ語・ドイツ文化はもちろんドイツの歴史とは関係ないんだからいいじゃないか」と言うかも知れないが、私はそうは思わない。
 「私は日本のことを大学で勉強しました」と言っている外国人がアイヌの存在を知らなかったら、その人の「日本学専攻者」としての知識・能力に対して一抹の不安を抱くのではないだろうか。「ドイツの言葉や文化・歴史を勉強しました。でもソルブ語って何ですか?」と聞く人はそれと同じレベルだと思う。繰り返すが、これは自己反省である。私もソルブ語のことを教わったのはスラブ語学の千野栄一氏の本でなのだから。そもそもいまだに西スラブ語が一言語も出来ない私がエラそうなことを言えた義理ではないのだ。

 そのソルブ語のことをそれこそお義理にちょっと(だけ)調べてみた。
 
 まず「窓」という単語。上下ソルブ語共にwoknoである。『33.サインはV』の項に書いたベラルーシ語と同様prothetic v (wまたはв)が現れているではないか。これはロシア語ではокно(okno)だ。そう知るとベラルーシ語以外の東スラブ語、要するにウクライナ語が気になりだした。いくつか単語を検索してみたので比べてみて欲しい。左がロシア語、真ん中がベラルーシ語、右がウクライナ語だ。

「秋」: осень    - восень  -  осiнь
「火」: огонь     - агонь    -  вогонь
「8」: восемь    - восемь -  вiсiм
「窓」: окно    - акно   -  вiкно
「髭」: ус        - вус     -  вуса
「目」: око (古語) -    вока     -  око

つまりベラルーシ語とウクライナ語では prothetic v の現れ方がバラバラ微妙に違っているのだ。「秋」「目」対「火」「窓」を比べてみると、v の現れ方がベラルーシ語とウクライナ語でちょうど逆になっているのがわかる。
 さらに「8」には全東スラブ諸語共通で v が語頭添加されているのに、南スラブ語のクロアチア語では添加されない。

「秋」: jesen
「火」: oganj
「8」: osam
「窓」: prozor
「髭」: brada, brk, brkovi
「目」: oko

「窓」「髭」はクロアチア語は別系統の語を使うようだが、「火」「8」「目」には v が転化されていないのが見て取れる。
 そういえばウクライナ語対ロシア語・ベラルーシ語では「8」と「窓」という単語内で /i/ 対 /o/ と音韻交替している。これに対応してハルキウ(Харкiв)というウクライナの都市のロシア語名がハリコフ(Харьков)だ。

 西スラブ諸語にもどるが、下でソルブ語とポーランド語を比較してみた。左がソルブ語(左のそのまた左が上ソルブ、右が下ソルブ語)、右がポーランド語だ。

「秋」: nazyma / nazyma  -  jesień
「火」: woheń / wogeń   -  ogień
「8」: wosom / wósym    -  osiem
「窓」: wokno / wokno   -  okno
「髭」: wusy / borda    -  wąs
「目」: woko / woko    -  oko

「秋」は上下ソルブ語とも別系統の語だ。「髭」も下ソルブ語では(borda) 上のクロアチア語と同系統の語で、上ソルブ語と語彙そのものが違うように見えるが、実はborda系の単語は上ソルブ語でも使うそうだ。言い換えると wusy か borda かは言語の違いというより髭の種類の違いのようで、前者は顎鬚を指し、髭全般を意味するのはむしろ後者のようだ。 もしかしたらクロアチア語にも下ソルブ語にも ус、 вус あるいは wusy 系統の単語が存在するのかもしれないが、小さな辞書には出ていなかった。
 いずれにせよ、prothetic v を売り物にするベラルーシ語よりむしろソルブ語の方がきれいに v が現れている。

 ついでに隣のバルト語派のリトアニア語は以下の通りだ。

「秋」: ruduo
「火」: ugnis
「8」: aštuoni
「窓」: langas
「髭」: ūsai
「目」:akis

さすがバルト語派。スラブ語派と形が近い。ちょっとネイティブ・スピーカーに聞いてみたら、「髭」には他にbarzdaというborda系の言葉もあるらしい。ちなみに「火」という意味のugnis、oganj, огонь等、皆ラテン語の ignis と同源だ。aštuoni なんて単語、見るからに古い印欧語の形を反映していそうな趣でゾクゾクする。興味は引かれるのだが、リトアニア語というのはアクセント体系が地獄的に難しいそうなので今生ではパスすることにして、次回生まれ変わった時にでも勉強しようと思っている。


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 ローマ時代に消滅したエトルリア語(『123.死して皮を留め、名を残す』参照)のほかにもその存在と消滅が記録に残っている言語はもちろんたくさんある。北ヨーロッパでかつて話されていた古プロイセン語も有名だ。「プロイセン」あるいは「プロシア」という名称を後になってドイツ人が転用してしまったため(下記参照)、ゲルマン語の一種、果てはドイツ語の方言かと思っている人もいるようだがこの古プロイセン語はゲルマン語とは全く違うバルト語派の言語である。現在のリトアニア語やラトビア語の親戚だ。

 13世紀にドイツ騎士団がポーランドの公爵から許可されてバルト海沿岸に進出というかバルト海沿岸を侵略してというかとにかくそこに領土を形成していったとき当地で話されていた言語が古プロイセン語である。ポメサニアPomesanien、サンビア半島Samlandと呼ばれている地域だ。
 プロイセンという名前が最初に文献に出てくるのは9世紀で、バイエルンの地理学者がBruziというバルト海沿岸の民族について言及している。これらの人々はまたPruzziあるいはPrūsai(プロイセン人本人は自分たちをこう呼んでいた)とも呼ばれたがやがてPreußenというドイツ語名が定着し、さらに民族でなく地域を表すようになってドイツの一地方の名称として使われるようになったのだ。

 現在見つかっている最も古い古プロイセン語の文献は13世紀後半か14世紀初頭のもので、バルト語派全体でも最古のものである。リトアニア語もラトビア語も16世紀までしか遡れないからだ。
 その最古の文献の一つがエルビング(ポーランドではエルブロング)の語彙集Elbinger Vokabularとよばれるドイツ語-古プロイセン語の辞書で、古プロイセン語のポメサニア方言の単語が802収められている。単語がアルファベット順でなく「食事」「服装」などのテーマ別に配置されている、いわば旅行者用の言語案内書である。古プロイセン語ばかりでなくドイツ語の貴重な資料ともなっている。13世紀から14世紀にかけてドイツ騎士団領で話されていた当時のドイツ語が記されているからだ。現在のドイツ語ではもう失われてしまっている古い形が散見される。
 1545年にはルターが1529年に発表した小教理問答書の翻訳が二冊出た。その二冊目は一冊目の改訂版である。訳者はわかっていない。1561年にはこれもルターの大教理問答書が訳されたが、こちらは訳者がわかっている。Abel Willという牧師がプロイセン人のPaul Megottの助けを借りて訳したものだ。この3冊とも出版地はケーニヒスベルクであった。小教理問答はポメサニア方言、大教理問答ではサンビア半島方言で書かれている。両方言間には音韻対応も確認されている。例えばポメサニア方言の ō がサンビア半島のā に対応している:tōwis (ポ)対tāws(サ)(「父」)など。また大教理問答書はテキストが量的に多いというばかりでなく、古プロイセン語のアクセントやイントネーションなどが反映されていて貴重な手がかりになっている。
 この教理問答書の直前、1517年から1526年ごろにかけてSimon Grunauという僧が編纂した辞書は「グルナウの辞書」として知られている。これらのほかにも断片的なテキストや碑などがいろいろあるし、ドイツ語-古プロイセン語ばかりでなくポーランド語の辞書も存在するとのことだ。
 しかし語彙に関してはそういった貴重な資料が提供されている一方、シンタクス面では鵜呑みにできかねる点があるらしい。得に教理問答書がドイツ語の原本にあまりに忠実な訳をとったため、硬直したセンテンス構成となっていて語順などは実際の古プロイセン語からは乖離しているからだそうだ。いわゆる直訳体が通常使われている言葉とはとかけ離れている、というのは日本語でもその通りである。また所々誤訳も見つかっている。ドイツ語の名詞Reich 「帝国・領域」と形容詞reich「豊かな」を取り違えたりしている部分があるとのことだ。もっとも多少の誤訳は翻訳にはまあつきものだし、誤訳だと判明しているそのこと自体が古プロイセン語がきちんと解読されている証拠ではある。

 エトルリア語と違って古プロイセン語は一目見た瞬間からすでにバルト語の一つであることが明らかだった。語彙の面でも文法構造の点でもリトアニア語やラトビア語との相似が著しかったからだ。もちろん微妙に違っている部分もいろいろあるので、リトアニア語、ラトビア語は「東バルト語派」、古プロイセン語は「西バルト語派」と分けている。だから現在生き残っているのは東バルト語のみだ。

バルト語派の系統図。
Arkadiev, Peter (et.al) (ed.).2015. Contemporary Approaches to Baltic Linguistics. Berlin:De Gruyterから
Baltisch_bearbeitet

 不便なことに古プロイセン語は言語比較の際必ずと言っていいほど持ち出される基数が1、3、10、1000しかわかっていない。序数は10まできれいにわかっている。教理問答の「十戒」が10番目まであるからだ。その序数を東バルト語派の両言語と比べてみると下のようになる。

          古プロイセン語         リトアニア語     ラトビア語
第1  pirmas                           pìrmas                   pirmais           
第2    ānters/antars                 añtras                    úotrs    
第3    tîrts/tirtis(m.)/tirti(f.)        trẽčias                   trešais
第4    kettwirts                         ketvir̃tas                ceturtais
第5    piēncts                           peñktas                 pìektais
第6    usts/uschts/wuschts      šẽštas                   sestais
第7    septmas/sepmas           septiñtas               septîtais
第8    asmus                            aštuñtas               astotais
第9    newīnts                          deviñtas               devîtais
第10 dessimpts/dessīmts      dešim̃tas              desmitais

古プロイセン語とリトアニア語・ラトビア語との間には地域差ばかりでなく時代差があるので気をつけないといけないが、それでもこの三言語が非常に似ていることがわかる。さらに「第3」、「第6」、「第9」の語頭音を見れば古プロイセン語とリトアニア語・ラトビア語、つまり東西バルト語派の間に境界線を引けることがわかる:古プロイセン語ではそれぞれ、tir- (tîr-)、 Øus- (Øuš-,vuš-)、nev- がリトアニア語、ラトビア語ではそれぞれtrẽ- (tre-)、šẽš- (ses-)、dev- で、明瞭な差があるからだ。東バルト語派の「第六」、šẽštasとsestaisは古プロイセン語のustsとはそもそも語源が違い、単純に音韻対応での比較をすることはできないそうだ。šẽštas・sestaisは一目瞭然に他の印欧語と同じ。古プロイセン語だけ変な形になっている。この3つは古プロイセン語の中での方言差を示しているがその一つがwuschts となっていて、prothetisches V (『33.サインはV』『37.ソルブ語のV』参照)が現れているのが面白い。実は基数の1は古プロイセン語ではains なのだが、これがリトアニア語ではvíenas、ラトビア語ではviênsでprothetisches V が現れる。V の等語線が東バルト語から西バルト語側にちょっとはみ出している感じなのか。さらに古プロイセン語のains は印欧祖語の*oinos 直系でゴート語のains やラテン語のūnusと同じだが、リトアニア語。ラトビア語のvíenas・ viêns は*eino- という形を通しており、古教会スラブ語のjedinъの -ino- と共通している。上の「第3」、「第6」、「第9」にしても東バルト語派はスラブ語と共通している。古プロイセン語だけがスラブ語と違うということで、バルト語派とスラブ語派はもともとはもっと離れていたのが、時代が下るにつれて近づいていったのではないかという説もある(下記参照)所以である。
 このほか古プロイセン語の「この」(the、 this)が stas なのに対してリトアニア語、ラトビア語は tàs 、tas というのも「東西の頭の差」の例だろうが、もう一つ、古プロイセン語の「雪」はsnaygis で、リトアニア語の sniẽgas、ラトビア語の sniegs とは複母音の方向が逆になっている。後者はロシア語と共通。またリトアニア語の「雪片」という言葉には古形の -ay-  が保持されていてsnaigẽ 。ついでにこの印欧祖語形は *snóygʷʰos である。
 音韻上ばかりでなく、東西バルト語派間には構造上の違いがいろいろある。その一つが古プロイセン語は文法カテゴリーとして中性名詞を保持していることだ。特にエルビングの語彙集ではそれが顕著である。対して東バルト語派には男性・女性の二性しかない(リトアニア語には僅かながら中性の残滓が残っている)。中性名詞は男性名詞に吸収されてしまった。もっとも古プロイセン語でも子音語幹の中性名詞は男性化傾向が見られ、例えば小教理問答では「名前」をemmens といって本来 n-語幹であったのに男性名詞的な語尾 –s が付加されている。 対応するロシア語 имя もラテン語 nōmen も中性。u-語幹の中性名詞は比較的明瞭に「中性性」が保たれ、「蜂蜜」は meddo(-o で終わっていても u-語幹)、「蜂蜜酒」は alu。リトアニア語・ラトビア語ではこれらはそれぞれ medús・medus、alùs・alusというどれも男性名詞である。ただし「蜂蜜酒」のほうは現在では「ビール」の意味になっている。
 さらに外来語が中性名詞として借用された例もある。mestan 「都市」がそれで、リトアニア語ではmiẽstas で男性名詞。ポーランド語miastoからの借用である。『5.類似言語の恐怖』でも述べたようにこれは本来「場所」という意味で、スラブ祖語の*mě̀sto、ロシア語のместо と同源だ。ラトビア語の「都市」はpilsēta で別単語になっているが、これは女性名詞。

 さて、頻繁に議論の対象になるのがバルト語派とスラブ語派の関係である。この二つの語派は地理的にも近いし似ている点も多いので、もともとは一つの語派だったのではないかとする人も多く、以前は「バルト・スラブ語派」ということをいった。今でも時々この名称を聞く。しかし研究が進むにつれてバルト語派とスラブ語派には言語構造、特に動詞の形態素構造に本質的な違いがあることがわかってきて今ではバルト語派とスラブ語派は分けて考えることが多い。
 もっともこの、バルト語派とスラブ語派は一つの語派から別れたものだという考え方にはすでにアントワーヌ・メイエが疑問を提示している。両語派は元から別語派で、平行して発展してきたというのがメイエの主張であった。そこからさらに発展して、バルト語派とスラブ語派間の共通性は「言語連合」(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)によるものだと唱える人たちも現れたが、バルト語派・スラブ語派間の類似性は、古典的な言語連合、例えばバルカン半島の諸言語の場合とは質的な違いがあり、一般に受け入れられるには到っていない。
 
 その動詞の変化パラダイムを比較していくと、スラブ語派は東部の印欧諸語と共通性があり、バルト語派はゲルマン語派、ケルト語はやイタリック語派とともに西ヨーロッパの印欧語に所属させたほうがいいと思わせるそうだ。ただし印欧諸語を単純に西と東に分けること自体に問題があるから、バルト・スラブ間に東西印欧諸語の境界線が走っていると主張することはできない。
 そのバルト語・スラブ語間の形態素の違いについていろいろと指摘できる点はあるそうだが、ガチの印欧比較言語学理論は残念ながら私には理解できないから(どうもすみません)、個人的に面白いと思った点を勝手に列挙させていただくことにする。
 まず、バルト語派の動詞には3人称に単数・複数の区別がない。この点でゲルマン語派ともスラブ語派とも大きく違っている。ゲルマン語でもスラブ語でも助動詞で例えば一人称単数と3人称単数が同形になったり(ドイツ語のich magとer mag < mögen 「~が好きだ」)、一人称単数と3人称複数が同形になったり(クロアチア語の ja mogu とoni mogu < moći「~ができる」。クロアチア語で一人称単数と3人称複数が同じになるのはこの助動詞だけ)することは稀にあるが、3人称の単複同形というのは特殊である。
 また未来系を助動詞の付加でなく(analytic future)動詞の語形変化そのものによって作る(synthetic future)。s-未来と呼ばれ、古プロイセン語のpostāsei(「~になるだろう」2人称単数)がそれ。対応するリトアニア語はpastōsi。さらにリトアニア語の「坐っている」sėdėti の未来形は sedesiu (一人称単数)、 sedesi (二人称単数)、 sedes (三人称単・複)、sedesime(一人称複数)、 sedesite (二人称複数)となる。ラトビア語の「話す」runāt はrunāšu (一人称単数)、 runāsi(二人称単数)、  runās (三人称単・複)、runāsim (一人称複数)、  runāsit/runāsiet (二人称複数)。スラブ語派は助動詞で作る未来形 analytic future しかない。ドイツ語英語も印欧語本来のsynthetic future を失ってしまった。ただし古プロイセン語の小教理問答には動詞の能動態過去分詞にwīrst あるいは wīrstai を付加して作るanalytic future が見られる。もちろんドイツ語の影響である。
 上述のラトビア語の「話す」もそうだが、ちょっとバラバラと動詞を見ていくと語そのものがスラブ語と全く違っているものが目立つ。スラブ諸語は『38.トム・プライスの死』でも書いたように基本の語彙が似ているというより「共通」なので新聞の見出しなど類推で意味がわかってしまうことが多いが、バルト語派相手だとこの手が全然効かない。リトアニア語の「話す」はkalbėtiで、さらに別単語となっているがスラブ語とはやはり遠い。「話す」のほか、たとえばリトアニア語の「書く」はrašyti、「聞く」がgirdė́ti。pjautiは「飲む」か「歌う」かと思うとそうではなくて「切る・刈る」。
 もちろんバルト・スラブ語派というものが取りざたされるほどだから確かに似た形の単語もある。上の「坐っている」がそう。ロシア語の сидеть とそっくりだ。他にも「与える」の古プロイセン語一人称単数が dam 、古リトアニア語が dúomi、現リトアニア語 dúodu (不定形 duoti)、ラトビア語 dodu(不定形dot)古教会スラブ語 damь(不定形 дати)、ロシア語 дам (不定形дать)。リトアニア語を見るとバルト語派内で –m から –du の転換があったようだが、とにかく似ている。しかし一方この語はバルト語派とスラブ語派だけが似ているのではなくて他の印欧語もいっしょなのである。古典ギリシャ語がdidōmi、サンスクリットでdadāmi、ラテン語のdō もこれ。まさにみんなで渡れば怖くないだ。
 また「住む、生きる」の古プロシア語三人称複数形は giwammai でリトアニア語でのgyvẽname あるいはgyvẽnam と同源。ロシア語の живём と子音が違うようだが、これがラトビア語になると dzīvojam でロシア語やクロアチア語の živimo と立派につながっている。印欧祖語では*gʷeyh₃-だそうだ。つまり「与える」も「生きる」もバルト語派とスラブ語派が近いから似ているというより両方とも印欧語だから似ているだけの話なのである。

 全体としてバルト諸語とスラブ諸語は全く違っているともいえないが、かといって安易に一括りにするのも問題がないわけではない、いわばつかず離れず状態と言えよう。せっかくそうやってゲルマン諸語にもスラブ諸語にもベッタリになることなく上手く立ち回ってきた古プロイセン語だが、ドイツ語に押されて18世紀初頭にはすでに死滅してしまっていたと思われる。残念なことである。

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 琥珀のことをドイツ語でBernsteinというが、このBern- は本来brenn-つまり現代標準ドイツ語のbrennen 「燃える」、言い換えるとBernstein の本来の形は Brennstein「燃える石」だ。古高ドイツ語では実際にそう呼んでいた。このbrennen という動詞は元々は二つの違った動詞であったものが新高ドイツ語期になって合体してひとつになったものだそうだ:その一つは「燃える」という強変化の自動詞で8世紀の古高ドイツ語、ゴート語でbrinnan、古ノルド語で  brinna、中高ドイツ語で brinnen、もう一つは「燃やす」という弱変化の他動詞で古高ドイツ語、中高ドイツ語で brennen、古ノルド語で brenna、ゴート語で gabrannjan といった。ところがそのうち中期低地ドイツ語、中期オランダ語にbernen(自動詞・他動詞共)、古期英語に beornan(自動詞)、 bœrnan(他動詞)(この二つは後に burn という一つの動詞に融合した)という形が現れた。それで13世紀の中期低地ドイツ語では琥珀を bernestēn。barnstēn、börnstēnなどと言っていた。現在のBernstein はこれらの低地ドイツ語形が新高ドイツ語に取り入れられて18世紀に定着したものだ。
 この二つを比べると(英語も含めた)低地ドイツ語と高地ドイツ語では母音と子音 r の順番がひっくり返っているのがわかるが、こういった現象を「音位転換」Metatheseといい、いろいろな言語で極めて頻繁に観察される現象である。日本語にもある。例えば「新しい」は本来「あらたし」であったのが、r と t の位置が転換してそのまま固定してしまった。言い間違えで音韻転換してしまうこともよくある。一度「かいつぶり」を「かいつびる」と言った子供を見たが、これも u と i のメタテーゼだ。

 「琥珀」のBrennstein→Bernsteinで見られるような母音と流音の音位転換を特にLiquidametathese(liquid metathesis)「流音音位転換」(発音しにくい言葉だなあ)というが、スラブ語がこれで有名なのでliquid metathesis という本来一般的な言葉が「スラブ語流音音位転換 」Slavic liquid metathesis の意味で使われることがある。スラブ祖語では母音+流音であったのが南スラブ諸語では流音+母音と順序が逆転し(つまり音位転換を起こし)、東スラブ諸語では「充音現象」 полногласие (『56.背水の陣』参照)として現れる音韻変化で、ロシア語学習者は以下の呪文のような図式を覚えさせられる。

スラブ祖語→  南スラブ語  東スラブ語  西スラブ語
*TorT   →       TraT                 ToroT           TroT, TraT
*TolT   →       TlaT                  ToloT           TloT, TlaT
*TerT   →       TrijeT, TreT     TereT           TrzeT, TrzoT, TřeT, TřiT
*TelT   →       TlijeT, TleT       ToloT           TleT

Tというのは「任意の子音」という意味。だから TorTは「子音 - o - r - 子音」という音韻連続の図式化である。スラブ祖語で子音 - 母音 o - 流音(r または l)という順番だったのが南スラブ語では子音 - 流音 - 母音と音位転換を起こし、しかも母音化が o から a に代わっているのがわかる(太字部)。ロシア語ではここが母音が添加された полногласиеとなっている。母音が e の場合も基本的に南スラブ語は音位転換、東スラブ語は充音というパターンだが、南スラブ語では祖語の e が ije と e の2通りある。これが『15.衝撃のタイトル』で述べたセルビア語・クロアチア語の je-方言、e-方言の違いである(太字に下線)。ブルガリア語も e だ。また東スラブ語では祖語の e が o となり、流音 l での両母音の区別が失われている。これだけでは抽象的すぎるので例をあげよう。

                   南スラブ語    東スラブ語                          西スラブ語
スラブ祖語 BSK        ロシア語  ウクライナ語  ポーランド語 チェコ語
*gordъ          grad           гóрод         горóд                 gród                 hrad          (囲い)
*golva           glava         голова        голова               głowa               hlava          頭
*bergъ          brijeg         берег          берег                brzeg                břeh           岸
                     breg
*melko          mlijeko       молоко        молоко             mleko               mleko       牛乳
                     mleko
*berza           breza        берёза        береза              brzoza               břiza         白樺

BSKというのはブルガリア語、セルビア語、クロアチア語のことだ。*gordъ の意味が括弧にいれてあるのはこの語が各言語で意味の分化を起こしているからで、クロアチア語の grad、ロシア語の гóрод は「町」、西スラブ語の両言語、それぞれ gród と hrad は「城塞」、ウクライナ語の горóд は「庭」だが元の言葉は一つで「柵で囲まれたところ」という意味だった。*bergъについては南スラブ語だけ他と意味が違っていて(下線部)「丘」となる。
 実は南スラブ語にはBSKの他にも、というよりBSKよりも大物の言語が属している。古教会スラブ語である。『56.背水の陣』にも書いたが、ロシアではこの古教会スラブ語が最初の、そして17世紀から18世紀にかけてロシア語の文章語が成立するまで事実上唯一の文章語だった。10世紀にキリスト教とともに教会スラブ語が伝わってからずっとこれで書いている間にジワジワ土着のロシア語要素が文章語の中に浸入していたのだが、タタールのくびきから解放されて当時のスラブ文化の中心地であった南とのつながりが再開し、セルビア・ブルガリアから再び人や文化が押し寄せたため南スラブ語からの第二の波をかぶった。だからロシア語には今でも南スラブ的要素が目立つ。同じ単語の語形変化や派生語のパターン内で、東スラブ語と南スラブ語系の形が交代する場合が多いほかに、スラブ祖語では一つの単語であった東スラブ語形と南スラブ語形のものがダブって2語になっていることがある。さらに両単語が微妙に意味の細分化を起こしている。上述の記事でもいくつか例を挙げておいたがその他にも次のような例がある。とにかくロシア語ではこういう例が探すとゴロゴロ出てくる。それぞれ*で表してあるのが祖語形、上が東スラブ語(充音を起こしている)、下が南スラブ語(音位転換がみられる)である。

*vold-
волость 領地 行政区
власть (国家)権力

*norvъ 
норов 習慣(古)、頑固さ(口語)
нрав 気質、習慣
(この2語については『24.ベレンコ中尉亡命事件』も参照)

*storn-
сторона 方角、わき、国・地方(口語)
страна 国、地方

*chormъ
хоромы 木造の家(方言または古語)、大きな家(口語)
храм 神殿、殿堂

『56.背水の陣』で述べた「南スラブ語系統の単語や形態素は土着の東スラブ語形にくらべて、高級で上品な語感を持っていたり意味的にも機能的にも一段抽象度が高かったりする」という基本路線が踏襲されていることがわかるだろう。これらは意味が分化したまさにそのために東南双方の語が生き残った例だが、意味の違いが十分でなかったせいで一方が消えてしまったのもある。例えば「若い」は今は東形の молодой しか使われないがちょっと前まではこれと並行した南系の младойという形があった(祖語形は*mold-)。意味的には違わなくとも後者には文語的で高級なニュアンスがあったそうだが衰退した。もっとも原級形では消えたが最上級では南スラブ語系の младший が生き残っている。文法的に高度な要素になると南スラブ語要素の割合が高くなるのが面白い。その「ニュアンスの差」さえないとやはり一方が完全消滅してしまうようだ。例えば11世紀前半ごろからノヴゴロドやキエフで書き始められた年代記には власъ(< *vols-)、 врата(< *volta)という形が見られる。今のволос(「髪」)、ворота(「門」)だが、現在ではこれらの南スラブ語形は跡形もない。また град という、今のロシア語では合成語や派生語にしか見られない(これも前項参照)形、これがネストルの『過ぎし年月の物語』のラヴレンチ―写本では「町」という単独の語として使われている。そこではград と対応する東スラブ語形 город とが併用されているが、Gerta Hüttel-Folterという学者によるとград はコンスタンチノープルなどビザンチンの都市を、 город はロシアの町を表していることが多いそうだ。他にも微妙なニュアンスの差などがあったらしい。なお、非常に余計なお世話だが Hüttel-Folter 氏の名前、Gerta は Greta(グレタ)が音位転換したものではない。Gerta は本来 Gerda で、比較的最近ノルマン語の女性名 Gerðr から借用されたものだが、Greta のほうは Margareta(英語のMargaret)の前綴りと g の後の母音が消失してできた形である。さらに前者は Gertrud ゲルトルートなどの名前に含まれる形態素 Gerd-とは関係がなく、ゲルトルートのゲルは古高ドイツ語の gēr(「槍」)が起源だそうだ。形がちょっと似ているからと言ってすぐ他とくっつけるのは危険である。

『過ぎし年月の物語』では南スラブ語系のград(点線)と東スラブ語系の  город (実線)が並行して使われている。
Hüttel-Folter, Gerta. 1983.Die trat/torot-Lexeme in den altrussischen Chroniken. Wien: p.142から

grad-gorod-Fertig

 さて話題を本来の琥珀に戻すが、ロシア語では янтарь という。古いロシア語では ентарь だがこの語の起原がいろいろと謎だ。その点について泉井久之助氏が面白い指摘をしている。まず ентарь は昔からロシア語にあった言葉ではありえない。なぜならそうだとすれば古ロシア語では ен の部分が鼻母音の ę [ɛ̃] だったはずで、それなら現在では鼻母音がさらに口母音となり(『38.トム・プライスの死』参照)、ятарь という形をしていなければいけない。現に印欧祖語の*pénkʷe (「5」)はスラブ祖語で*pętь、古教会スラブ語で пѧть (pętĭ)、現在のロシア語で пять になっている。実際 ентарь という語は古教会スラブ語のテキストには出てこないそうだ。10世紀以降の借用語という可能性が高いと氏は述べている。別の資料にはそのころは「琥珀」を表すのに古典ギリシャ語の ἤλεκτρον(「琥珀」)から持ってきた илектр または илектрон という言葉を使っていたとある。ентарь が入って илектр を駆逐したのはそのさらに後のはず。資料によると ентарьが文献に登場したのはやっと1551年になってからだ。
 問題はこの語をどこから持ってきたのかということだが、ロシア語語源事典などにはリトアニア語のgintãras(ラトビア語ではdzĩtars)からの借用とある。泉井氏によればこの gint-ãr-as は印欧祖語の *gʷet-  または *gʷn̩-(「樹脂」)という語幹から理論的に全く問題なく導き出すことができる、語根だけでなく、-ãr、-as などの形態素も印欧祖語からの派生とみなせるそうだ。しかしリトアニア語で gint-ãr-as と、アクセントが第二音節に移動しているのが引っかかる(私ではなく泉井氏に引っかかるのだ。私はいい加減だからそのくらいは妥協する)。というのはリトアニア語などバルト諸語はゲルマン諸語と同様アクセントが第一音節に落ちるのが基本だからだ。事実ラトビア語の dzĩtarsではそうなっている。アクセントが後方に移動するのはまさにロシア語の特徴だから(これも『56.背水の陣』参照)アクセントに限ってはリトアニア語がロシア語から借用したと考えたほうが都合がいいのだが、上述の通りロシア語の янтáрь は素直に印欧祖語から形を導けない。そのイレギュラーなロシア語から借用したのにリトアニア語では理論上印欧語のレギュラー形になっているわけで、これではまるで一度死んだのに墓から復活した吸血鬼である。ロシア語→リトアニア語という方向の借用は可能性が薄い。
 もっともリトアニア語 gint-ãr-as →ロシア語 ентáрь という方向についても、なぜロシア語で語頭の子音が消えているのか、もし gint-ãr-asを借用したのなら жентарь とか гентарь とか語頭に子音がついたはずではないか、気になることはなる。なるはなるが、まあ別に бентарьとか лентарь とか突拍子もない子音がくっ付いてきたわけでもなし、g や dž が j になることくらいはありそうな感じだからスルーすることにした。泉井氏はこの子音消失を随分気にされていたが。とにかくいったんロシア語に入ってしまってからは話が楽でそこからさらに他のスラブ諸語に広まった。ウクライナ語の янта́р、チェコ語の jantar、セルビア語・クロアチア語の jȁntȃr、スロベニア語の jȃntar はロシア語からの借用である。
 
 また gint-ãr-as は実は印欧語起原でなく、リトアニア語がヨソから(もちろんロシア語は除外)取り入れた言葉だという解釈もあるらしく、gint-ãr-as はフェニキア語の jainitar(「海の樹脂」)から来たという記述を見かけた。しかし正直これは都市伝説(違)としか思えない。フェニキア語はすでに紀元前一世紀には死語になっていたのだからリトアニア語が直接フェニキア語から取り入れたはずはなく、別の言語を仲介したのでなければいけない。つまりこの語は元のフェニキア語が滅んでから千年間も別の言語に居候した後やっとリトアニア語にやってきたということになる。ではその居候先はどこなのか。私にはラテン語、古代ギリシャ語、大陸ケルト語しか思いつかないのだが、ギリシャ語とラテン語は琥珀を表すのに別の単語を使っていたから(それぞれ上述の ἤλεκτρον とゲルマン語から借用した glēsum)除外すると残るは大陸ケルト語ということになる。大陸ケルト語は言語資料が非常に乏しいはずだが、「琥珀」という語の記録でもあったのか?とにかくフェニキア語説はミッシング・リンクがデカすぎるのではなかろうか。

 英語で「琥珀」は amber だが、これは中期フランス語を通して入ってきた言葉でイタリア語、スペイン語などもこれを使っている。もともとはアラビア語、そのさらに元はペルシャ語だそうだ。「琥珀」でなく「竜涎香」という意味だったそうだ。
 面白いのはハンガリー語の琥珀で borostyán といい、ドイツ語 Bernstein からの借用であるがその際ちゃっかり東スラブ語のような充音現象をおこし T-er-T が T-oro-T になっている。

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