アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:ラテン語

 私がこちらで大学に入学した頃はいわゆる「学部」、つまりBA・Bscという資格が大卒として認められず、人がせっかく日本で取った学士はしっかり高卒扱いされ、始めの一歩からやり直しさせられた。その私の大卒資格はMagisterといって、日本の修士に相当するものだが、専攻科目は主専攻東スラブ語学、第一副専攻一般言語学、第二副専攻南スラブ語学だった。卒業試験は結構ボリュームがあって、主専攻が合計4時間、副専攻が2時間づつの小論文と、それぞれ小一時間の口頭試問だったのだが、ウルサい事にその卒業試験の受験資格にまたいろいろ前提があって、例えば一般言語学では規定の単位を全部とってあり、修論が主専攻側に受理されている、というのが条件だった。
 ところが規定事項をよく見るとその下に小さな字で追加項目として、「少なくとも一つ以上の非印欧語族の言語の十分な知識」とあり、これを土壇場になって知ってパニクるドイツ人学生がいた。

 ドイツ人は大抵高校で英語の他にフランス語とラテン語をやってくるが、そんなものは皆まとめて印欧語、ボツである。ちょっと気の利いた高校では古典ギリシャ語もやっていたが、これも無効。たとえサンスクリットを持ち出してきても「はい、印欧語ですからさようなら」で終わり。 日頃言語コンプレックスに押しつぶされそうになっていた私はここぞとばかり高笑いしてやった。
 現に仲間が一人真っ青になって私の所にやってきて、「ねえねえ、こんな条件があるの知ってた?!あなた非印欧語なんてできる?」とか聞くではないか。聞かれた私のほうが面食らった。できるも何も母語だっての。私の顔を見なさい。

 なぜこの私に「非印欧語ができるか」などと聞いてきたのか?可能性は次の3つだ。1.私のドイツ語がうまいので私のことをドイツ語のネイティブだと思っていた。2.言語というと自動的に「印欧語」と連想してしまい、それ以外の可能性は考えてもみなかった。3.そもそも「印欧語、インド・ヨーロッパ語族」の何たるかがわかっていなかった。
 私としては1だと思いたいところだが、自らにウソはつけない、自分でもわかっているからこれは除外。3も、まさか一般言語学で修士取得直前まで来た者が「印欧語って何ですか?」というレベルであるはずはないからこれも除外。最も可能性のある理由は2、つまりあまりよく考えずにものを言ってしまったということだ。ヨーロッパには2ヶ国語以上の外国語を自由に使う人が大勢いるがそれもヨーロッパ内の印欧語族言語の場合が多く、そこから一歩外に出ると暗闇状態の場合が多い。単数形と複数形の区別とかそんなものは日本語にはありません、というとそれがもう理解できずに夜道でお化けにでも遭ったような顔をして、ではzwei Hunde(two dogs)はいったいどう表現するんだ、とマジに聞いてくる。いったいも何も簡単にzwei Hund(two dog)といったらヨロシ、と答えると、それでは計算するときどうするんだ、と突っ込んでくる。数学上の計算と犬をどう勘定するかは全く別次元の話だろ。言葉に単数複数の区別がなくても日本人は十分ノーベル物理学賞取れてるから安心するがいい。
 それにしても、ちょっと「非印欧語」と言われる度にそういちいち赤くなったり青くなったりしているようでは言語学には向かないから道端に立って信号機でもやってなさい、と内心鼻で笑ってしまった。

 ところが何年か後、今度は私の方がかつて鼻で笑った印欧語に逆襲され、私自身が信号機化するハメになったのである。
 
 博士論文提出時にもまたウルサい資格条件があるのだが、私は日本人らしく、いつもよく考えてから行動するので(ウソつけ)前々からきちんと把握していた(つもりでいた)。ところが論文を提出する前にドイツ国籍をとってしまったため、突然ドイツ人用の条件規則が適用されることになり、条件項目の最後に小さな字で「ギムナジウムでラテン語を終了していること。当地のギムナジウムを出ていない者は相応の証明書提出のこと」とあるではないか。
 もう「吾輩もボツである」とか自虐的な冗談を飛ばしている場合ではない、赤くなったり青くなったりしながら指導教官の所に飛び込んだわけだ。実は何を隠そう、私は日本でラテン語の単位をたまたま取ってはいたのである。でもそもそも動機が不純、というのは、当時のラテン語の先生が京大から来た物腰の柔らかいダンディな先生で、そのお話を聞きたさに通っていただけなので、肝心のラテン語自体は「ラ」の字も残っていない。すみません先生。
 さて、私が見苦しくもそのときの単位証明を持参したら、指導教官の先生はそれを見もしないであっさり、「ああ、このラテン語規則ね。今度スラブ語学科では廃止する予定です」とのことで、それでも念のため学長宛に一筆、「人食いアヒルの子が日本の大学で受けたラテン語の知識はドイツのギムナジウムのラテン語の単位に相当する」と、ほとんどウソを書いて下さったので事なきを得た。 まったく寿命が10年くらい縮んだじゃないか。

 しかしスラブ語以外、例えば英語学やドイツ語学にはラテン語が必須なわけだ。話によると現在でも公式には「ドイツの大学の公式言語はドイツ語・英語・フランス語・ラテン語」であって、学生はゼミのレポートをラテン語で書いてもいいそうだ、書けるもんなら。ラテン語ができなくても学位をくれたスラブ語学部でも、フランス語、英語、ドイツ語は誰でもできるものとみなし、論文やレポートでほかの論文を引用する場合、当該論文がこれらの言語で書かれていた場合は(スラブ語学科ではそれに加えてロシア語も)翻訳しなくていい、という規則があった。

 外国人は一律でこのラテン語条件が除外されるのだろうか、それともドイツでドイツ語学を勉強している日本人はまさか全員あの京大の先生から(である必要はないが)ラテン語を教わって来ているのだろうか?


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 日本で映画のタイトルや何かちょっとしたフレーズなどで漢文や古文が盛んに引用されるのと同様、ヨーロッパではギリシア古典文学やラテン語からの引用が多い。特にイタリア人はさすがローマ人の直系の子孫だけあって、映画の中にもギリシア・ローマ古典から採ったモティーフをときどき見かける。
 たとえばマカロニウエスタンという映画ジャンルがあるだろう。ご存知イタリア製の(B級)西部劇のことだが、この名称は実は和製英語で、ヨーロッパでは「スパゲティウエスタン」という。何を隠そう、私の最も好きな映画ジャンルなのだが、そのマカロニウエスタンにもギリシア古典が顔を出すからあなどれない。

 まず、ジュリアーノ・ジェンマ主演の『続・荒野の一ドル銀貨』(この意味不明な邦題は何なんだ?原題はIl ritorno di Ringo「リンゴーの帰還」)という映画は、ギリシア古典のホメロス『オデュッセイア』の最後の部分をそのままストーリーにしている。
 『オデュッセイア』では戦争に出かけて長い間故郷を離れていた主人公オデュッセウスがやっと家に帰ってみると、妻ぺネロペーが他の男性たちに言い寄られて断るに断れず、窮地に陥っている。オデュッセウスは最終的に求婚者を全員殺して自分の家と領地と妻を取り戻す、という展開だ。映画では南北戦争帰還兵リンゴーがこれをやる。

長い戦いの後、やっと故郷に帰ってきたオデュッセウスならぬリンゴー。さすが10年以上も前にたった2ユーロ(300円)で買ったDVDだけあって画質が悪い。
ringo1

 またオデュッセウスはそこで、もともと自分のものなのに今では外から来たならず者に占拠されている屋敷に侵入する際、自分だとバレて敵に見つからないように最初乞食姿に身をやつすのだが、この展開も映画の中にちゃんと取り入れられている。さらに、『オデュッセイア』では女神アテネが何かとオデュッセウスの復讐を助けるが、このアテネに該当する人物が映画の中にも現われる。ストーリーにはあまり関係なさそうなのに、なぜか画面にチョロチョロ登場する、スペイン女優ニエヴェス・ナヴァロ扮するジプシー女性がそれだ。

 次に『ミスター・ノーボディ』という映画があるが、これの原題がIl mio nome é Nessuno、英語にするとMy name is Nobodyだ。これは明らかに、オデュッセウスがギリシアへの旅の途中で、巨人キュクロープスから「お前の名前は何だ!?」と聞かれ、「私の名前はNobody」と嘘をついた、というエピソードからとられたのだろう。以下がその箇所、『オデュッセイア』第9編の366行と367行目である(アクセントや帯気性を表す補助記号は省いてある)。オデュッセウスが機転を利かせてこう名乗ったためキュプロークスはそのあとオデュッセウスに目を潰されても助けを呼ぶことができなかった。

 366:Ουτις εμοι γ'ονομα.Ουτιν δε με κικλησκουσι
 367:μητηρ ηδε πατηρ ηδ'αλλοι παντες εταιροι.

 366:Nobodyが私の名だ。それで私の事をいつもNobodyと呼んでいた、
 367:母も父も、その他の私の同胞も皆。


 実際、ここに注目するとこの映画の製作者のメッセージが何なのかよくわかるのだ。

 この映画には主人公が二人いて、やや年配のガンマンと若者ガンマンなのだが、年取った方は長い間アメリカの西部を放浪した後やがてヨーロッパに帰っていく。もうひとりの若い方、つまりNobody氏はそのまま西部を放浪し続けることになる。つまり、彼は故郷ギリシアに戻れず、未開人・百鬼夜行の世界を永遠に放浪するハメになる「帰還に失敗した、もう一人のオデュッセウス」なのではないか。そういえば映画の冒頭部で、ヘンリー・フォンダ演ずる年配の方が、川で漁をしている若い方(テレンス・ヒル)と遭遇するシーンがあるが、ヒルを馬上から見下ろすフォンダの優しいと同時に距離をおいたような同情的な目つき、自分の舐めてきた苦労を振り返ってやれやれこういうことは今や全て過去のことになっていて良かった、彼はああいうことをこれから経験するのかと考えをめぐらしているような深い目つきと、自分の若さと才気が誇らしそうなヒルの表情の対象が印象的だった。

馬上からテレンス・ヒルを見下ろすヘンリーフォンダ
nobody2

老オデュッセウスは感慨に満ちた目で若いオデュッセウスを見つめるが
Nobody4

若者はただ自分の「業績」を誇らしげに見せるだけ。
Nobody5

 その若いオデュッセウスがさまよい続ける土地がアメリカ、というところに「アメリカ・アングロサクソンなんてヨーロッパ大陸部と比べたら所詮新興民族、文化的・歴史的には蛮族」というイタリア人のやや屈折した優越感が込められている、と私には感じられるのだが。その証拠に、というと大袈裟だが、ヨーロッパに帰って行ったほうの老ガンマンはフランス系の苗字だった。
 この映画がコミカル・パロディ路線を基調にしているにも拘らずなんとなくメランコリックな感じがするのは、故郷を忘れてしまったオデュッセウスのもの悲しい歌声が聞こえてくるからだ、と私は思っている。
  『ミスター・ノーボディ』などという邦題をつけてしまったら端折りすぎてそういう微妙なニュアンスが伝わらない。まあ所詮マカロニウエスタンだからこれで十分といえば十分なのだが。
 
 さてこの『ミスター・ノーボディ』の監督はトニーノ・ヴァレリという人だが、ヴァレリ監督というと普通の映画ファンは、ジュリアーノ・ジェンマで撮った『怒りの荒野』の方を先に思い浮かべるだろう(「普通の映画ファン」はそもそもトニーノ・ヴァレリなどという名前は知らないんじゃないか?)。この原題はI giorni dell’ira(「怒りの日々」)。これも聖書の「ヨハネの黙示録」からとった題名であるのが明白。原語はラテン語でDies irae(「怒りの日」)で、たしかこういう名前の賛美歌があったと記憶している。しかしこのDies iraeというラテン語、イタリア語に直訳すれば本当はIl giorno dell’iraとgiorno(「日」)が単数形でなければならないはずなのに、映画のタイトルのほうはgiorni、「日々」と複数形になっている。これは主人公が今まで自分を蔑んできた人たちに復讐した際、何日か日をかけてジワジワ仕返しをしていったから、つまりたった一日で全員一括して罰を加えたのではなかったからか、それとも虐げられていた長い日々のほうをさして怒りの日々と表現しているのか。いずれにしても言葉に相当神経を使っているのがわかる。
 ただしこの映画の場合は引用はタイトルだけで、ストーリー自体の方は全体的に聖書とはあまり関係がない。もっとも聞くところによればマカロニウエスタンには聖書から採ったモティーフが散見されるそうだから、ストーリーも見る人が見れば聖書のモティーフを判別できるのかもしれないが、悲しいかな無宗教の私にはいくら目を凝らして見ても、どこが聖書なんだか全くわからない。私はこの、聖書を持ち出される時ほどはっきりと自分がヨーロッパ文化圏で仲間はずれなのを実感させられる時はない。

 もうひとつ。Requiescantというタイトルのこれもマカロニウエスタンがある。邦題は『殺して祈れ』とB級感爆発。あの有名な『ソドムの市』を監督したP.P.パゾリーニがここでは監督ではなく俳優として出演しているのが面白い。
 このRequiescantとはラテン語で、requiēscōという動詞(能動態不定形はrequiescere)の接続法現在3人称複数形。希求用法で、「彼らが安らかに眠りますように」という意味だ。Requiem「レクイエム」という言葉はこの動詞の分詞形だ。
 ドイツ語のタイトルではこれを動詞の倒置による接続法表現を使ってきちんと直訳し、Mögen sie in Frieden ruh’nとなっている。「彼らが安らかであらんことを(安らかに眠らんことを)」だ。英語のタイトルはストレートにKill and Pray。上品なラテン語接続法は跡形もない。だから蛮族だと言われるんだ。上に挙げた日本語のB級タイトルもラテン語を調べる手間を省いて横着にも英語から垂れ流したことがバレバレ。同罪だ。


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 カスティーリャ語(俗に言うスペイン語)とイタリア語は、フランス語、カタロニア語、ポルトガル語、レト・ロマン語、ルーマニア語と共にロマンス語の一派で大変よく似ているが、一つ大きな文法上の相違点がある。

 名詞の複数形を作る際、カスティーリャ語は-sを語尾に付け加えるのに、イタリア語はこれを-iまたは-eによる母音交代によって行なうのだ。

カスティーリャ語
単数 hijo        → 複数 hijos      息子
単数 hija        → 複数 hijas       娘
単数 amigo   → 複数 amigos  友人
単数 casa      → 複数 casas    家

イタリア語
単数 tedesco    → 複数 tedeschi    ドイツ人男性
単数 tedesca  → 複数 tedesche   ドイツ人女性
単数 amico     → 複数 amici         友人
単数 donna     → 複数 donne       女

これはなぜなのか前から気になっている。語学書では時々こんな説明をみかけるが。

「俗ラテン語から現在のロマンス諸語が発展して来るに従い、複数名詞は格による変化形を失い、一つの形に統一されてしまったが、その際カスティーリャ語はラテン語の複数対格形を複数形の代表としてとりいれたのに対し、イタリア語はラテン語の主格をもって複数形とした。」

以下はラテン語の第一曲用、第二曲用の名詞変化だが、上と比べると、カスティーリャ語・イタリア語は確かに忠実にラテン語のそれぞれ対格・主格形をとり入れて名詞複数形を形成しているようだ。

ラテン語 (呼格は省いてある)
porta 門
単数・主格    porta         →  複数・主格     portae
単数・属格    portae     →  複数・属格    portārum
単数・与格    portae     →  複数・与格    portarīs
単数・対格    portam    →  複数・対格    portās
単数・奪格    portā         →  複数・奪格     portīs
 
amicus 友人
単数・主格 amīcus     → 複数・主格 amīcī
単数・属格 amīcī     → 複数・属格 amīcōrum
単数・与格 amīcō    → 複数・与格 amīcīs
単数・対格 amīcum   → 複数・対格    amīcōs
単数・奪格 amīcō      → 複数・奪格    amīcīs

カスティーリャ語の他にフランス語、カタロニア語、ポルトガル語もラテン語対格系(-s)、イタリア語の他にはルーマニア語が母音交代による複数形成、つまりラテン語主格系だそうだ。

 しかしそもそもどうして一方は対格形で代表させ、他方は主格形をとるようになったのか。ちょっと検索してみたが直接こうだと言い切っているものはなかった。もっと語学書をきちんとあたればどこかで説明されていたのかもしれないので、これはあくまで現段階での私の勝手な発想だが、一つ思い当たることがある。現在、対格起源の複数形をとる言語の領域と、昔ローマ帝国の支配を受ける以前にケルト語が話されていた地域とが妙に重なっているのだ。

758px-Western_and_Eastern_Romania
複数主格が-sになる地域と-iになる地域。境界線が北イタリアを横切っているのがわかる。この赤線は「ラ=スペツィア・リミニ線」と呼ばれているもの(下記参照)。

Celts_in_Europe
これが昔ケルト人が住んでいた地域。北イタリアに走る居住地域の境界線が上の赤線と妙に重なっている。

 面白いことに、北イタリアにはピエモント方言など複数を母音交代で作らず、-sで作る方言が散在するが、この北イタリアは、やはりローマ帝国以前、いやローマの支配が始まってからもラテン語でなく、ケルト語が話されていた地域である。現にMilanoという地名はイタリア語でもラテン語でもない。ケルト語だ。もともとMedio-lanum(中原)という大陸ケルト語であるとケルト語学の先生に教わった。話はそれるが、この先生は英国のマン島の言語が専門で、著作がいわゆる「言語事典」などにも重要参考文献として載っているほどの偉い先生だったのに、なんでよりによってドイツのM大などという地味な大学にいたのだろう。複数形の作り方なんかよりこっちの方がよほど不思議だ。

 話を戻して、つまり対格起源の複数形を作るようになったのはラテン語がケルト語と接した地域、ということになる。ではどうしてケルト語と接触すると複数形が-sになるのか、古代ケルト語の曲用パラダイムはどうなっているのか調べようとしたら、これがなかなか見つからない。やっと出くわしたさる資料によれば、古代ケルト語の曲用・活用パラダイムは文献が少ないため、相当な苦労をして一部類推・再構築するしかない、とのことだ。その苦心作によれば古代ケルト語は大部分の名詞の複数主格に-sがつく。a-語幹でさえ-sで複数主格を作る。しかも複数対格も、主格と同じではないがとにかく後ろに-sをつける。例外的にo-語幹名詞だけは複数主格を-iで作るが、これも複数対格は-sだ。例をあげる。

古ケルト語(呼格は省く)
a-語幹
loca 墓
単数・主格 loca     →  複数・主格 locās
単数・属格 locjās  →  複数・属格 locom
単数・与格 locā     →  複数・与格 locābo
単数・対格 locan   →  複数・対格 locāns

o-語幹
maqos 息子
単数・主格 maqos  →  複数・主格 maqoi
単数・属格 maqī     →  複数・属格 maqom
単数・与格 maqū    →  複数・与格 maqobo
単数・対格 maqon  →  複数・対格 maqōns

つまりケルト語は複数主格でラテン語より-sが立ちやすい。だからその-sまみれのケルト語と接触したから西ロマンス諸語では「複数は-sで作る」という姿勢が浸透し、ラテン語の主格でなく-sがついている対格のほうを複数主格にしてしまった、という推論が成り立たないことはないが、どうもおかしい。第一に古代ケルト語でもo-語幹名詞はiで複数主格を作るのだし、第二にラテン語のほうもo-語幹、a-語幹以外の名詞には-sで複数主格をつくるものが結構ある。つまり曲用状況はケルト語でもラテン語でもそれほど決定的な差があるわけではないのだ。
 しかもさらに調べてみたら、本来の印欧語の名詞曲用ではo-語幹名詞でもa-語幹名詞でも複数主格を-sで形成し、ラテン語、ギリシア語、バルト・スラブ諸語に見られる-iによる複数形は「印欧語の代名詞の曲用パラダイムをo-語幹名詞に転用したため」、さらにラテン語では「その転用パラダイムをa-語幹名詞にまで広めたため」と説明されている。つまり古代ケルト語のa-語幹にも見られるような-sによる主格形成のほうがむしろ本来の印欧語の形を保持しているのであって、ラテン語の-iによる複数形のほうが新参者なのである。ギリシャ語もこの-iだったと聞いて、この形は当時のローマ社会のエリートがカッコつけてギリシャ風の活用をラテン語の書き言葉にとりいれたためなんじゃないかという疑いが拭い切れなくなったのだが、私は性格が悪いのか?書かれた資料としてはamiciタイプの形ばかり目に付くが、文字に現われない部分、周辺部や日常会話ではずっと本来の-sで複数を作っていたんじゃないのかという気がするのだが、考えすぎなのか?

 言い換えると大陸ケルト語と接触した地域は「ケルト語の影響で-sになった」というよりも、印欧語本来の形をラテン語よりも維持していたケルト語が周りで話されていたため、つまりケルト語にいわば守られてギリシャ語起源のナウい-i形が今ひとつ浸透しなかったためか、あるいは単にケルト語が話されていた地域がラテン語の言語的周辺部と重なっていただけなのか、とにかく「印欧語の古い主格形が保持されて残った」ということであり、「カスティーリャ語はラテン語の複数対格形を複数形の代表としてとりいれたのに対し、イタリア語はラテン語の主格をもって複数形とした」という言い方は不正確、というか話が逆なのではないか。西ロマンス諸語はラテン語対格から「形をとりいれた」のではない、ラテン語の新しい主格形を「とりいれなかった」のでは。
 
 どうもこちらの解釈のほうが当たっているのではないかという気がする。というのは当時ラテン語の他にもイタリア半島ではロマンス語系の言語がいくつか話されていたが、それら、たとえばウンブリア語にしてもオスク語にしても男性複数主格は-sで作るのである。これらの言語は「ラテン語から発達してきた言語」ではない、ラテン語の兄弟、つまりラテン語と同様にそのまた祖語から形成されてきた言語だ。主格の-sはラテン語の対格「から」発展してきた、という説明はこれらの言語に関しては成り立たない。
 ギリシア語古典の『オデュッセイア』をラテン語に訳したリヴィウスやラテン語の詩を確立したエンニウスなど初期のラテン文学のテキストを当たればそこら辺の事情がはっきりするかもしれない。

 スペイン語・イタリア語の語学の授業などではこういうところをどう教わっているのだろうか。

 いずれにせよ、この複数形の作り方の差は現在のロマンス諸語をグループ分けする際に決定的な基準の一つだそうだ。ロマンス諸語は、大きく分けて西ロマンス諸語と東ロマンス諸語に二分されるが、その際東西の境界線はイタリア語のただ中を通り、イタリア半島北部を横切ってラ=スペツィア(La Spezia)からリミニ(Rimini)に引かれる。この線から北、たとえばイタリア語のピエモント方言ではイタリア語標準語のように-iでなく-sで複数を作るのだ。
 つまり、標準イタリア語はサルディニア語、コルシカ語、ルーマニア語、ダルマチア語と共に東ロマンス語、一部の北イタリアの方言はカスティーリャ語、フランス語、レト・ロマン語、プロヴァンス語などといっしょに西ロマンス語に属するわけで、イタリア語はまあ言ってみれば股裂き状態と言える。

 こういう、技あり一本的な重要な等語線の話が私は好きだ。ドイツ語領域でも「ベンラート線」という有名な等語線がドイツを東西に横切っている。この線から北では第二次子音推移が起こっておらず、「私」を標準ドイツ語のようにich(イッヒ)でなくik(イック)と発音する。同様に「する・作る」は標準ドイツ語ではmachen(マッヘン)だがこの線から北ではmaken(マーケン)だ。これはドイツ語だけでなくゲルマン諸語レベルの現象で、ゲルマン語族であるオランダ語や英語で「作る」をkで発音するのはこれらの言語がベンラート線より北にあるからだ。

Ligne_de_Benrath
この赤線がドイツ語の股を裂くベンラート線。


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 若い人はもう覚えていない、と言うよりまだ生まれていないだろうが、むかしソ連からベレンコ中尉という人がミグ25(MiG25)という戦闘機に乗って日本にやってきて、そこからさらにアメリカに亡命申請する、という事件があった。日本中大騒ぎだったが、この事件はよく考えるととても面白い。

 まずMiG(МиГ)という名称だが、これはМикоян и Гуревич(ミコヤン・イ・グレヴィッチ、ミコヤンおよびグレヴィッチ)の略で、МикоянもГуревич も設計者の名前だ。この、-ян(ヤン)で終わる名前というのはロシア語でなく、もともとアルメニア語である。
 そういえば以前ノーム・チョムスキーという大言語学者がマサチューセッツ工科大学で生成文法の標準理論や拡大標準理論を展開していたころ、ソ連に「適応文法」というこれも難しい理論を繰り広げていたシャウミャン(Шаумян)という学者がいたが、この人も名前の通りアルメニア人である。さらにロシア言語学会の重要メンバーの一人でドイツでも名を知られていたアプレシャン(Апресян)も名前そのものはアルメニア系だ。氏自身はモスクワ生まれのモスクワ育ちのようだが。
 次にグレヴィッチ(Гуревич)。この、ヴィッチ(-вич)で終わる名前は基本的にセルビア語・クロアチア語起源なのだが、ベラルーシにも散見される。ウクライナにもある。あと、リトアニアにもこの-вичで終わる姓が多いそうだが、これはベラルーシもウクライナも中世から近世にかけてリトアニア大公国の領土だったからではないだろうか。当時支配層はリトアニア語を話していたが、国民の大部分はスラブ人で、話す言葉もスラブ語、書き言葉も南スラブ語派の古教会スラブ語だったはずだから、そのスラブ人が現在のリトアニア領にもやってきて住みついていたのでは。ついでに女優のMilla Jovovich(ミラ・ヨボビッチあるいはジョボビッチ)もウクライナ出身だが、そもそも父親がセルビア人だから苗字が-вичで終わっているのは当然だ。
 グレヴィッチ氏はロシアのクルスク地区のルバンシチナという町の生まれだそうだが、ここはウクライナと接している地域である。さらに、このベラルーシ、ウクライナの東部にはユダヤ人が多く居住していたので、ユダヤ系ロシア人、というかユダヤ系ソ連人には-вич姓の人が多いそうだ。事実このグレヴィッチ氏もユダヤ系である。「ドイツ系に-вич姓が多い」という記述を時々見かけるが、ここにはひょっとしたらイディッシュ語を話すユダヤ人も含まれているのかもしれない。イディッシュ語はいわばドイツ語から発達してきた言語で、部外者が聞くとドイツ語そのものに聞こえるそうだから。ちなみにユダヤ系のSF作家のアシモフ氏の故郷ペトロヴィッチ村もベラルーシとロシアとの国境地域にある。
 さらにパイロットのベレンコ(Беленко)中尉だが、-коで終わる名前は本来ウクライナ語。
 
 つまり、かの戦闘機はソ連から飛んできたのに純粋にロシア語の名前が一つもない。ソ連がいかに他民族国家であるか、まざまざと見せつけられた事件だとは思う。 

 そもそも人名や地名には今はもう失われてしまった古い言語の形が温存されている場合がよくあるので気にしだすと止まらなくなる。日本の東北地方や北海道の地名にアイヌ語起源のものが多いのもその例で「帯広」というのは元々アイヌ語の「オ・ペレペレ・ケプ」(川尻がいくつにもさけている所)から来たそうだ。
 ヨーロッパでも人名に印欧語の古形が残されている場合がある。たとえば例のローマの暴君ネロ。このNeroという語根は非常に古い印欧祖語の* h2 ner-「人間」から来ている。h2というのは印欧祖語にあったとされる特殊な喉音である。ここで肝心なのはもちろんner-のほうだ。なお、比較・歴史言語学で使う「*」という印は現在の文法理論つまり共時言語学で使われるような「非文法的」という意味でなく、「具体的なデータは現存していないが理論上再構築された形」という意味だから注意を要する。その* h2 ner-だが、Neroばかりでなくギリシア語のανηρ(アネール、現代ギリシア語ではアニル)もこれが語源。サンスクリットのnṛあるいはnára(人間)、アヴェスタ語のnā(人間)もこれだそうだ。いわゆるイラン語派は今でもおおむねこの語をよく保っているが、なにせ古い語なので、ローマの時代のラテン語ではすでにこの語は普通名詞としては使われなくなっており、本来の意味も忘れ去られていた。僅かに人名にその痕跡を残していたわけだ。なお、サンスクリットの、下に点のついたṛは母音のr、つまりシラブルを形成するrで、現代のクロアチア語にもこの「母音のr」がある。例えばクロアチア語で「市場」をtrgというのだ。
 
 ヨーロッパの現代語ではリトアニア語のnóras(意思)や、あと意外にもロシア語のнрав(ンラーフ、性格・気質)やноров(ノーラフ、強情さ)も* h2 ner-起源だそうだ。しかしこちらは意味のほうが相当変化している模様。しつこく言うとнравは南スラブ語起源のいわば借用語で、норовがロシア語本来の東スラブ語形である。その東スラブ語のноровのほうはさらに意味がずれていて、口語的表現である上、カンが強くてなかなか乗りこなせない馬に対して「御しがたい」というときこの語を使うそうだ。人間がついに馬になってしまっている。

 ところがアルバニア語はこの古い古い印欧語をこんにちに至るももとの「人間」の意味で使用している。アルバニア語で「人間」はnjeri(ニェリ)。これは「バルカン言語連合」の項でも書いたようにa manで、the manならば後置定冠詞がついてnjeri-uとなる。アルバニア語はこのほかにも音韻構造などに印欧語の非常に古い形を保持している部分がかなりあるそうだ。
 ちなみにアイルランド語のneart(力)も直接* h2 ner-からではないが、そこから派生された* h2 ner-to(精力のある)が語源とのことだ。

 さてこちらのギムナジウムはラテン語をやるのが基本だし、ラテン語で何か書いてあるのを町のそこここでまだ見かけるから、読める人、知っている人は結構いる。それで機会があるごとにNeroの名前は本来どういう意味か知っているかどうか人に聞いて見るのだが、いまだに印欧語の* h2 ner-だと正しく答えた者は一人もいない。昔人を通してギムナジウムのラテン語の先生に質問してみたことがあるが、やはり知らなかった。この先生もそうだったが、ほとんどの人が「黒」を意味するnegroから来ていると思い込んでいた。真相を知っていたのは日本人の私だけだ。ふっふっふ。

 自慢してやろうかとも思ったが、たまに珍しく何か知っているとすぐズに乗って事あるごとにそれをひけらかしたがるというのもさすがに見苦しい、かえって無教養丸出しだと思ったので黙っていた。日本人は謙虚なのである(誰が?)。


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 「白」と「黒」を印欧諸語ではそれぞれ次のように言う。上が「白」、下が「黒」である。

ラテン語
albus
niger

ドイツ語
weiß
schwarz

英語
white
black

ロシア語
белый
чёрный

古典ギリシア語
φαλός
μελας

サンスクリット
śvetaḥ
kṛṣṇaḥ

フランス語
blanc
noir

ここで例えばドイツ語・英語やロシア語の語源辞典を(うっかり)引くと、同語派の印欧語、英語辞典ならドイツ語はいうに及ばず、オランダ語やノルウェー語、ロシア語辞典ならウクライナ語やセルビア語・クロアチア語の対応語までイヤと言うほど掲げてあって本当に嫌になるので、上の7語に絞った。サンスクリット語は私がデーヴァナーガリーが読めない、という超自分勝手な都合でローマ字にした。

 まずラテン語のalbusだが、イタリック祖語では*alβos、印欧祖語で*h2elbhos *álbhos。古典ギリシャ語のἀλφός(皮膚の色が白くなるハンセン氏病の一種(!))もこれと同源だそうだ。
 なおalbusは「つや消しの白」で、光沢のある白色はラテン語でcandidusという。
 次の英語のwhite、ドイツ語のweiß(古高ドイツ語の(h)wīz、中高ドイツ語のwīz)はゲルマン祖語で*hwītaz、印欧祖語の*kweytos、*kweid-oあるいは *kweit-起源で「輝く」。別の資料には印欧祖語形を*kwintos/*kwindosまたは*kuit-/*kuid-としてあったが、語そのものに変わりはない(と思う)。古期英語のhwit、古ノルド語のhvitr、当然スウェーデン語のvitもここから派生してきたもの。さらに古教会スラブ語のсвĕтъ、ロシア語のсвет(スヴェート、「光、世界」)も親戚だ。「古代インドの言語のśvēáḥも形が近い」と辞書に言及してあったから、形としてはサンスクリットともめでたく繋がってくる。
 ロシア語белый(スラブ祖語で *bělъ)は調べによるとアルメニア語のbal、古代インドの言葉bhālam、古典ギリシャ語のφάλοςと同様印欧祖語の*bhaから派生、とあった。
 ギリシア語φαλόςは印欧祖語の語幹*bhel-から派生したもので、サンスクリットのbhāla(「輝き」)と同語源。面白いことに今はもう古語となっている、「大きなかがり火」とか「のろし」という意味の英語bale(古期英語でbǣl)もこれ起源だという。上のロシア語での語源辞典では祖形を*bhaとしているが、ギリシャ語のφαλόςがその派生例として掲げてあるし、古代インドの言語の例bhālamもここギリシア語の項で挙がっているbhālaとほとんど同形だから、これらは同語源とみなしていいだろう。
 さらにフランス語のblancは俗ラテン語の*blancusからきているそうだが、そのblancusは実は俗ラテン語がゲルマン祖語から借用した語で祖形は*blankaz(「輝いている」)。これは印欧祖語では*bhleg-(「輝く、燃える」)である。
 ラテン語の祖形となった*h2elbhosも接頭辞がついてはいるが語幹に*bhが含まれているし、続ラテン語からフランス語に流れた*bhlegもそうだから、これらを皆いっしょにすると、印欧諸語の「白」には*kweit-あるいは*kwintos系と*bhel-あるいは*bho-系との、二つの流れがあることになる。

 ここまでだけだとあまり面白くないのだが、「黒」を見ていくと俄然スリルが増してくる。

 まずドイツ語のschwarzはゲルマン祖語では*swartaz、印欧祖語形では*swordo-(「くすんだ、黒ずんだ、暗い」)。英語でも文語的なswart(「黒ずんだ」)という言葉にその痕跡が残っている。
 ロシア語のчёрный(スラブ祖語で*čьrnъ)は印欧祖語の*kr̥snós(「黒い」)。サンスクリットのkṛṣṇaḥももちろんここ起源である。
 ギリシア語のμελαςは印欧祖語の*melh2-。サンスクリットのmala(「穢れ」)と同語源である。
 ラテン語のnigerは実は語源がよくわからないそうだ。印欧祖語の*nókwts(「夜」)とのつながりを主張する人もいるという話だ。 
 つまり「黒」のほうが「白」よりもあちこちいろいろなところから持ってきているわけだが、中でも面白いのは英語のblackである。実はこれはゲルマン祖語形が*blakazで、「燃えた」。印欧祖語の*bhel-または*bhleg-から出たそうで、つまりフランス語、ギリシア語、ロシア語、ラテン語などの「白」と出所が同じなのである。英語では「燃えた後の状態」を黒の意味に使っているのだ。スウェーデン語のbläck(「インキ」)も同じ語源だそうだ。

 さて、「白」というと思い出すのが「白ロシア」という名称である。今はもうあまり使わなくなって「ベラルーシ」と呼んでいるようだがドイツではいまでも「白ロシア」という名称が現役である。この「白」という命名は何故なのかについて「住んでいる人が肌の色も白く、金髪が多いからだ」とかいうショーモない説明を見かけたことがあり、さすがの私も笑ってしまった(しかしなんとこれをマに受けている人もいたようで、笑ってばかりもいられない)。これは論外としても定説はないようだ。私がスラブ語学の教授から聞いたのは次のような説明である。

「むかしの中国では東西南北をそれぞれ色でシンボル化していた。東が緑、西が白、南が赤、北が黒、そして中央が黄色。 このシンボル体系が、かつて元・蒙古が2世紀の間ロシアを支配していたときスラブ民族にもたらされた。それでロシアの西にある国を「西ロシア」という意味で「白ロシア」と名づけたのではないだろうか。」

これはたしかにあり得そうだ。
 また、これを聞いて思いついたのだが、「黄河」とか「黄海」というのは別に水が黄色く濁っているからではなくて「中央の川」「中央の海」という意味でつけたのではないだろうか?ただしこちらは私のいい加減な思いつきなので、専門家に教えを請いたいところだ。

 続いて「黒」だが、ロシアの反対側、東の端にある島が「サハリン」という名前。これは「サハリヤン」という言葉からきているが、その「サハリヤン」とは満州語で「黒」という意味である。ロシア語名称「サハリン島」は「サハリヤン川(黒龍江)の河口にある島」の省略形からその名がついたことがほぼ確実、中国語名称「黒龍江」はおそらく満洲語サハリヤン「黒」の翻訳語だろうと、こちらのほうはきちんと専門家の口から聞いたことがある。
 ヨーロッパにも「黒」のつく名前はある。南西ドイツに広がる森はSchwarzwald(シュバルツバルト、「黒い森」)。ウクライナの南の海は「黒海」。これはギリシャ人の命名でエウリピデスの悲劇にもΠόντος Μέλας(ポントス・メラース、「黒い海」)という言葉が見いだされるそうだ。Μέλαςには「陰気な」とか「気味の悪い」という意味もあるそうだから、シンボル云々とは関係なく、本当に黒い、というか暗かったからそう名づけたのだろう。シュバルツバルトも確かに針葉樹がうっそうとしていて暗い。
 だが、「モンテ・ネグロ」(「黒い山」、地元のセルビア語・クロアチア語ではCrna Gora(ツルナ・ゴーラ))はなぜ黒なのか。あそこの山々は石灰岩が多くて黒いよりも白といったほうがいいくらいではないか。多分これは1426から1516年までこの地を支配し、現在のモンテネグロの国の基礎を築いたCrnojević(ツルノヴィッチ)家の名前からきているのだと思う。この一族は『8.ツグミヶ原』の項で述べた中世セルビアの支配者ステファン・ドゥーシャンとも血がつながっていたそうだ。その後この国もセルビアと同じくトルコの支配下に入ったが、当時勢力のあったヴェネチア公国(それとも共和国でしたかここ?)の言葉でセルビア語のツルナ・ゴーラが直訳され、西欧ではそっちの「モンテネグロ」という名称が一般化したということだろう。トミッチという人が 1900年にCrnojevići i Crna Gora od 1479 do 1528(ツルノエヴィッチとツルナ・ゴーラ:1479年から1528年まで」)という論文を出しているそうだから、ひょっとしたら名称の由来にも言及されているかもしれない。4ページくらいの短い文章だからセルビア語のできる人は読んでみてはいかがだろうか。いずれにせよ、ここは実際に色が黒かったり陰気だったりしたから黒と名づけられたのではないと思う。「黒」、つまりSchwarzさんという苗字はドイツにもやたらと多い。


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 この間電車の中で偶然以前の同僚に会った。その人は私と同世代で母語がスペイン語である。雑談をするうち、いつしか話は「最近の若い者は(出た、年寄りの愚痴!)ラテン語ができない」とかいう方向に進んで行った。
 一昔前はドイツのギムナジウムではラテン語をやるのが普通だった。その上さらに古典ギリシャ語もやらされるところもあった。それに加えて現代の外国語、当時は大抵フランス語を一つマスターさせられたのだ。ラテン語ができないものはそもそも文科系の大学に入学する資格がなかった。できなくてもよかったのは外国籍の学生だけで、「まあ外のものにドイツ人並の教養を要求するわけにもいかんだろ。けっ。」と甘やかされていたのである。そのアマちゃんの私でさえ、一度「ラテン語資格」を要求されそうになって青くなったことは『2.印欧語の逆襲』の項でも書いたとおりだ。

 ところが最近のギムナジウムではラテン語などやらないところがむしろ普通で、文科系の学部もラテン語なしで入学できてしまうそうだ。外国語学部・言語学部に入学してくる、つまり言語というもののプロになりたいと思っているものでさえラテン語ができない学生がいるのだから、あとは推して知るべし。「だから文法の用語とかも皆知らなくてさ、自動詞とか他動詞とかいう言葉の意味がわかんなくてポカーンとしてるから動詞のバレンツを書いてそこから説明してやったよ。これじゃ語学だって進歩しないだろ。説明が理解できないんだから。」他動詞・自動詞よりも「動詞のバレンツ」などという用語のほうが余計わかってもらえないんじゃないかとも思ったが、全くそういう理論武装なしで語学をやることは不可能だと私も思っている。理屈や堅い話なしで、「覚えましょう・覚えましょう」だけで言葉を覚えるのではそれこそ九官鳥やオウムの訓練所ではないか(『34.言語学と語学の違い』参照)。

 さて、この人は古典ギリシャ語もやったそうだが、続けて「ラテン語は語形変化のパラダイムが美しい」という。名詞や動詞の変化表をみるとその均整のとれた美しさに感動するのだそうだ。私もそれには異存がなかったので、「そうですね。特にo-語幹の名詞がいいですよね。呼格なんかもあるし」と話をあわせたが、さらに言えば私はラテン語だけでなく、いや印欧語だけでなく全ての言語体系は美しい、と思っている。言語の本質はその構造性・体系性にあると思っているのだ。その音韻体系、形態素体系、シンタクスの構造、これらが図式化してあるのを見るのが好きで、語学書などでも中身はすっ飛ばして真っ先に巻末の変化表に目が行ってしまう。ただ、パラダイム表をみるのは好きだが覚えるのは嫌い(いうより「できない」)なのが我ながら情けないところだが。

 この言語の構造・体系というのは決して完璧には解析されることがないだろう。現在の物理学の知識を駆使しても10m上空からアヒルの羽を一枚落としたときの落下地点をぴたりと当てることが出来ないのと似ている。しかもあらゆる言語がそういう構造を内在させている。現在存在している言語、過去に存在していた言語、これから生まれるであろう言語はすべて「決して人間程度の知力では完全に解析・解明することはできない」存在なわけだ。現在地球上にある言語だけで5000、今までに存在した言語なんて何万、いや何十万あったかわからない。それらはどれ一つとして同じ構造のものがない、すべてただ一回きりこの世に存在し、これからも決して生じることはない現象である。
 こういうことを考えるにつけ、たかが10や20言語のちょっとした挨拶や言い回しを覚えて九官鳥気取りで軽々しく「語学ができる」とか言い出す人にはちょっと反発を覚える。

 また、「体系」「構造」という言葉は一時日本でも流行ったのですでに日常語になっているが、では「体系って何ですか?」とあらためて聞かれるとその言葉を得意げに使っている本人も一瞬うっとつまってしまうことが多い。私は馬鹿なので一瞬でなく一分間くらいつまる。でも聞かれたからには答えなければならないのでいつもまあテキトーに(あのねぇ・・・)こんなことをいって誤魔化している。

「要素Aがそれ自体のものでなく他の要素、BとかCとかの関連において初めて意味を持ってくる、あるいは要素Aの本質はAの内部そのものにではなくBやCとの関係のなかにある、と考えるのが体系という観念です。」

つまり、ある文法カテゴリー、例えば過去形という奴をそれだけじいっと考察していてもあまり意味はないということだ。当該言語がどんな時制体系を持っているかによって意味も使用範囲も全く違ってくるからだ。現在-過去-未来しか持たない言語と過去完了、非完了、アオリストなどやたらとたくさんの時制形を持っている言語では「過去形」といっても全く別物なのである。
 語彙にしてもそうで、例えば「「てつだう」ってどういう意味ですか?」という類の質問をしてくるのは初期段階だけである。ちょっと学習が進むと必ず「手伝うと助けるはどう違うんですか?」というような質問をしてくるようになる。体系内での要素間の関係に目が行くようになるのだ。逆にいつまでも言語の体系性ということが実感として捉えられない人は語学のセンスがないのでせいぜい九官鳥と競争でもしていてほしい、とまでは言わないが(そんなことを言ったら私自身も相当長い間その口だったのだ。『25.なりそこなったチョムスキー』参照)、教師がいくら優秀でも途中で壁に突き当たる場合が多い。一生懸命勉強したはずの語学が使い物にならないのはどうしてなのかか自分でもわからず、結局教師の教え方が悪いからだ、と人のせいにしたりするのだ。

 話は少しワープするが、映画も一つ一つの作品を単発でバラバラ無作為に鑑賞したり紹介していてもどうにもならないことがある、と私は思っている。作品Aが当該体系内の作品Bとの関連で初めて意味を持ってくることもあると。ただ、映画では全体として統一の取れた体系というものをきちんと枠組みすることが難しい。いわゆる「ジャンル」というのは枠にはならない。映画芸術発生以来100年余り連綿と作られてきた、またこれからも作られていく映画をポンポンジャンルという箱の中に放り込んだところで収集も統一も取れていないばかりか、どのジャンルにいれたらいいのか人によって違う映画も多い上に(『タイタニック』は恋愛映画なのかアクション映画なのか?)、そもそもジャンルというもの自体、いったいどうやって定義したらいいのか曖昧なこともある(「ブロックバスター」というのは果たして一つのジャンルや否や)からだ。つまり映画のジャンルというものは雑多な映画のテキトーな集合に過ぎない。
 ところがそういう映画にも時々「擬似体系」とでも呼べそうな、全体的に一定のまとまりを示す作品群がある。どの映画がそこに所属するかも明確に決めることができて、枠組みがクリアな集合が。その一つがいわゆるマカロニウエスタンと呼ばれるジャンルというかグループで、これらの作品群は例えば「恋愛映画」などというふやけたジャンルと違ってまずモチーフ(西部劇)が一定している上、1.製作時期がはっきりと限定されている(1964年から1970年代の後半まで)、2.製作国(イタリア)が定義されている、2.監督、音楽、俳優、脚本などが極めて限られた面子である、ので内部の統一性が極めて高い。事実マカロニウエスタンの作品はジャンル内部での相互影響、露骨に言えばパクリ合いが非常に密で独特の小宇宙・閉ざされた空間を形成しているのである。
 また他のジャンルではいわゆる駄作というのは存在の意義が薄く、ガチなフリークならともかく、普通のレビューの網の目からは落ちこぼれることが多いが、内部作品が相互関連して全体の体系を形作っているマカロニウエスタンでは、駄作でも要素Bとして立派に要素Aの存在意義に関与しているのだ。わかり易く言えば、ジャンルの傑作の引き立て役として小宇宙内で重要な意味を持っているのである。そもそもマカロニウエスタンの9割以上は駄作凡作なのだから、体系というかジャンル全体として考察しなければどうにもならない。とにかくこのジャンルは明確に閉ざされた一つの小宇宙を形作っているので一旦ハマると抜けられなくなるのだ。

 あと、これはマカロニウエスタンのような「小宇宙ジャンル」に限ったことではないが、映画を論じる際、製作年を無視すると解釈を誤ると私は思っている。映画は製作と公開が時期的にかなりずれていることが多いのでドイツでの公開時、日本での公開時だけを基にして作品を云々しているとトンチンカンな解釈をしてしまう。少なくとも本国公開はいつだったのか押さえておかないとまずいだろう。本当は本国公開時でなく製作年の方をを考慮すべきなのだろうが残念ながら資料などには出ていないことが多い。
 たとえば私もやってしまったのだが、ブレット・ハルゼイBrett Halsey演ずる『野獣暁に死す』の主人公ビル・カイオワ。最初私はこれは『殺しが静かにやって来る』の主人公サイレンスのコピーかと思ってしまった。陰気な黒装束も同じだったし、顔もちょっと似た方向だったからである。でも調べてみたら前者のほうが制作も本国公開も早かった。つまりカイオワはサイレンスからのコピーではなくてむしろ『続・荒野の用心棒』のジャンゴから直接持ってきたのだとわかる。『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』では後者のほうが圧倒的に名を知られているし評価も高いため、私は見誤ってしまったのである。
 なお、「閉ざされた小宇宙」と言ってもマカロニウエスタンは作品が500以上ある。『52.ジャンゴという名前』の項でも書いたが、その中で私の見た作品など、「見たかどうかよく覚えていない」ものまで無理矢理含めてもせいぜい90作品。あと410作品を見るなんてこの先一生かかっても無理だ。まさに上でも述べたように「構造・体系というのは決して完璧には解析されることがないだろう」と言える。


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