アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:ブルシャスキー語

記事の図表を画像に変更し、レイアウトと文章にも少し手を入れました。ロシア語学をやらされていると何かのついでにコーカサスやシベリアの少数言語の話が出てくることがあります。そういえばトゥルベツコイも博士論文はカレワラの研究だった記憶が…

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 世界には狭い地域に言語がたくさん集中している地域がある。アマゾン流域(狭くないが)やパプア・ニューギニアなどが有名だが、カスピ海と黒海の間のコーカサス地方も昔から有名だ。すでに紀元前7世紀にはギリシャ人が当地の言語の多さを報告しているとのことだ。その後ローマ人やペルシャ人による報告が続き、勘定された言語数は70から300の間を動いていたそうだが、現在では40から50くらい言語という線に落ち着いている。「くらい」というのはもちろん独立言語と方言の区別(『111.方言か独立言語か』参照)が学者によって違うからだ。100の単位で言語があるアマゾンやニューギニアと比べたら少ないが、そのかわりここは本当に地域が狭い。
 コーカサスには土着のいわゆる「コーカサスの言語」とともに印欧語のアルメニア語やオセチア語、トュルク語のアゼルバイジャン語なども話されているが、これらは後からこの地に入ってきたものらしい。さらにアラム語の方言(言わずと知れたセム語である)を話す人々がジョージアやアゼルバイジャンにいるそうだ。シリアからでも移住してきたのだろうか。オセチア語はスキタイ語の末裔という説がある。東イラニアン語族である。『164.Лишний человек(余計者)とは何か』で述べたレールモントフの『現代の英雄』も舞台がコーカサスだが、そこではオセチア人もチェルケス人もアゼルバイジャン人も一律に「アジア人め」と罵倒されている。
 土着のコーカサスの言語は印欧語やセム語、テュルク諸語と明確に異なる能格言語だが、大きく分けて3つのグループに分類できる。アブハズ・アディゲ語群、カルトヴェリ語群、ナフ・ダゲスタン語群という。これらはそれぞれ北西コーカサス語群(または単に「西コーカサス語群」)、南コーカサス語族、北東コーカサス語族(または「東コーカサス語群」)と呼ばれることもあるが、この呼び方はむしろ不適切。そもそもこれらの言語があくまで「語群」であり、印欧語レベルの正確さでは「語族証明」ができていない。それでもグループ内の言語同士でなら語彙や文法構造などにある程度の共通性が見られるそうだが、グループ間では差異が激しく、これを単に「コーカサス語群」としていっしょくたにするのは無理がある。昔言われたウラル・アルタイ語群という名称のごとく非常に誤解を招きやすい。
 さらにややこしいのが、この「コーカサスの言語」の話者がコーカサス外にも結構いることである。中東やトルコのあちこちに結構散らばっており、バルカン地域にまで話者がいるそうだ。おかげで話者数の把握がいま一つ難しい。そのうちの一つ、トルコで話されていたウビフ語(アブハズ・アディゲ語群)は現在は残念ながら死語になってしまった。

コーカサスの言語状況。ウィキペディアから
cau-ethnic-groups-4

 3つの中で一番研究が進んでいるのは大言語のジョージア語(グルジア語、『51.無視された大発見』参照)を含むカルトヴェリ語群で、研究が進んでいるどころか、現在でもコーカサスの言語の研究書がジョージア語で書かれている、つまり研究する側の言語でもある。歴史的に見てもジョージア語、特にその文字は文化語として周りのコーカサス語群にも影響を与え、例えばナフ・ダゲスタン語群のウディ語は7世紀から9世紀にかけてすでに文字化の試みがあるがジョージア文字とアルメニア文字を取り入れている。さらにチェチェン語も12世紀~15世紀にかけてキリスト教とともに(当時はチェチェン人もキリスト教徒だったということか)ジョージア文字、ジョージア語を書き言葉として受け入れたので、こんにちでもダゲスタンにはジョージア語の碑文が約50残っている。
 現在ジョージア語だけで話者400万人から500万人いるが(他にもカルトヴェリ語群には十万単位の話者がいる言語がある)、話者数だけでなく歴史文化的にも上でも述べたように他の言語に影響を与えた大言語だから、もちろん自分の言語も立派に文字化していてすでに5世紀から碑文があり、通時的研究や古い形の再現が可、ということは共時的な方言研究にも利がある上、書き言葉の伝統があるのですでに古い昔から自語の研究そのものも進んでいた。19世紀になって西欧から比較言語学者が参入してきた時もしばらくは主たる関心がジョージア語だった。
 19世紀の後半から20世紀前半になると言語の記述研究が盛んになり、 他の2言語群の記述も始まったが、アブハズ・アディゲ語群の方が進んでいる。上のレールモントフにも出てきたチェルケス人の言語もこのグループだが、これらの言語は母音音素が少ないので有名だ。例えばアブハズ語の母音音素は a と ǝ の二つ。音声上現れるその他の母音は皆このどちらかのアロフォンなんだそうだ。他の言語も皆似たり寄ったりで多くて3母音。その代わり子音音素がやたらと多く、ウビフ語(上述)は少なくとも80,アブハズ語の一方言では67の子音音素があるという、ちょっと信じがたい強烈な音韻構造である。話者数は最も多いカバルド語(東チェルケス語)で100万人ちょっと(別の資料では約70万人。どっちなんだ?!)、あと十万単位の話者を持つ言語が2・3あるがカルトヴェリ語群と比べるといかにも少数言語っぽい感が否めない。
 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群よりさらに記述研究がやや遅れをとっているらしい。これは第一にナフ・ダゲスタン語群の言語数が多い上に方言間の乖離が激しく方言か独立言語か決めるのが難しいのも原因だろう。チェチェン語など話者数が100万に届こうかという言語もあるが、話者数万、いや数千という言語がやたらとバラバラあって把握に苦労する。この時期にトゥルベツコイもコーカサスの言語の音韻構造の記述研究に手を染めている(『134.トゥルベツコイの印欧語』)。研究プロジェクトなどもソ連内外でいろいろ立ち上がったそうで、例えばモスクワのロモノソフ大学が60年代から70年代にかけてダゲスタンの言語のフィールド調査を行っている。
 このブログでも今まで何の気なしにコーカサスの言語についてチョチョッと述べたりしたことがあるが、ジョージア語以外に名前を出した、チェチェン語(『53.アラビア語の宝石』)、タバサラン語(『107.二つのコピュラ』『7.「本」はどこから来たか』などは別に意図したわけではないが 偶然このナフ・ダゲスタン語群だ。そういえばこの「ダゲスタン語」でちょっと思い出した。学生の時にロシア語学の演習でA. Кибрик(A. Kibrik)という人の論文を読まさせられた。テーマは指示対象の照応関係のことかなんか、つまり言語理論系の論文だったのだが、その時何の気なしにカタログでA. Кибрикの名前を検索したところこの名前でダゲスタンの言語について多くの論文が発表されていることがわかった。一方ではダゲスタンの言語、他方ではロシア語の指示対象照応とはまた研究範囲の広い人だと驚いたら実はダゲスタン言語のキブリーク氏は指示対象キブリーク氏の父親だった。ダゲスタン氏はアレクサンドル・キブリーク、指示対象氏はアンドレイ・キブリークという。もちろんダゲスタン氏も言語理論の論文は書いているが、記述系と説明系・生成系では同じ「理論」でも分野が全く違う。ついでにダゲスタン氏の父、指示対象氏の祖父は有名な芸術家だそうだ。文化人一家である。上述のロモノソフ大学のプロジェクト要員にもキブリークの名前が上がっている。

 そのナフ・ダゲスタン語群だが、上にも書いたように内部で結構言語がバラけている上、ナフ・ダゲスタンとダブルネームになっているだけあってナフ語群とダゲスタン語群の間にはさらに一線あるそうだ。アヴァール語などには古い試みもあるらしいが本格的な文字化はやはり20世紀になってからで、1928年からラテン文字による文字化が試みられた。それが1936年から38年にかけてキリル文字にとってかわられた。チェチェン語、イングーシ語、アヴァール語などその際「標準語化」もなされたという。なお、念のため補足しておくがここの「アヴァール語」というのは民族・言語的に昔ロシアにステップから攻め込んできたアヴァール人(『165.シルクロードの印欧語』参照)とは別人28号(こんなギャグを知っている方まだいますか?)である。
 音韻構成が気になるが、 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群と比べると母音の数が多い。アヴァール語の一方言では3つ、a、i、u で(コザソフКодзасовという学者はa、i、u、e、oの5つと言っている)、この3つはナフ・ダゲスタン語群の全ての言語にあるが、普通はこれよりずっと母音音素が多い、特にナフ語群は多くチェチェン語で33。平均すると10から15の母音音素がある。3から急に増えるのは短母音と長母音を区別したり、二重母音を持っていたりする言語があるからだ。「母音が10」でも私などには十分多いが、それに加えてアブハズ・アディゲ語群ほどではないが子音も多い。アグール語で73,チェチェン語で40から50,タバサラン語が55以上。困ったことにこれらの数字は資料や学者によって少なからぬバラツキがあり、あまりキッパリとした数値ではないのだがとにかく「子音が多い」ことだけは確かである。これは例えば閉鎖音でいわゆるfortis、lenisを音韻的に区別したり放出音があったりするせいだ。声門、咽頭音もある。流音が6つある言語もあるそうで、日本人に喧嘩を売っているとしか思えない。

アグール語2方言の音素。子音がやたらと多い。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.338, 339から
agur1
agur2
 アクセントについてはキブリークがダゲスタンの言語の過半数が高低アクセントを持っていると書いている。残念ながらその高低アクセントが日本語のように超分節なものか中国語のようなシラブル内のものか明確に区別されていない。そしてシラブル単位の高低アクセントを持つ言語は少数の例外を覗いてсловесное ударение(「語アクセント」)を欠くとあるのだが、これは単語ごとに決まった強弱アクセントのことだろうか。その例外の中にアヴァール語が入っているが、そこでは高低を区別するのはアクセントのある母音のみだそうだ。つまりちょうどクロアチア語のような感じなのだろう。そのアヴァール語にはアクセントの違いだけで意味(というより文法機能)が変わる例がある:rúġnal「傷、複数・絶対格」対 ruġnál「同単数・属格」。似たような例はなぜかロシア語やクロアチア語にもあった(『58.語学書は強姦魔』『90.ちょっと、そこの人!』参照)。

 さらにナフ・ダゲスタン語群は音素も多いが名詞の語形も多い。ここばかりでなくアブハズ・アディゲもカルトヴェリも日本語やトルコ語に似た膠着語タイプで、名詞の尻尾に複数マーカーや格マーカーがくっつくのが基本だが、屈折タイプの変化がないわけではない。チェチェン語で「風」の絶対格は muoχ だが、属格になると meχ-in で 、属格を示す接尾辞がついているほかに語幹の母音が交替しているのがわかる。同様にアヴァール語の「豆」holó の能格形は halí-cā という。
 このグループの言語の格の数であるが、以前にも述べたようにタバサラン語で62(別の資料では48)、もっともチョロいアグール語で28。たかがドイツ語の4格で死にそうになっている人にとっては命の危険さえありそうだが、これはドイツ語では前置詞が担っているような機能を全て格変化が受け持つからだ。日本語だって格を勘定すれば13くらいにはなる。だが一方それでも13にしかならないから諸事情を差し引いてもやっぱり40以上の格というのは割と恐怖である。特に処格、つまり位置関係を表わす格がいくつかのグループに分けられ、それぞれのグループがまた細分化するので格数が何倍にも増殖する。例えばラク語では名詞に というマーカーがつくと「対象物の裏側」という意味になるが、この「裏側」(以下太字)にさらに細かい空間表現が加わる;q̅at̅lu が基本の「家の後ろ(で)」、q̅at̅lu-un とそこにさらに格マーカー(下線)がつくと「家の後ろへ」、q̅at̅lu-unmaj と別の格マーカーがついて「家の後ろへ向かって」、q̅at̅lu- だと「家の後ろをわきを通り過ぎて」、q̅at̅lu-a(tu) で「家の後ろから(こちらへ)」。これらがいわばグループだが、同じことが別のグループでも繰り返される。別のグル―プ-w (以下太字)を見てみよう。これは「対象物の内部」を表わすグループだ。まず q̅at̅lu-w-u が基本形の「家の中(で)」。 と比べると母音 u が加わってはいるが、 の基本形と構造的に対応している。さらに q̅at̅lu-w-un 「家の中へ」、 q̅at̅lu-w-unmaj「家の中へ向かって」、q̅at̅lu-w-「家の中を通り過ぎて」、q̅at̅lu-w-a(tu)「家の中から」という風に上と全く同じ格マーカーがつく(下線)。整然とした非常に美しい構造だ。タバサラン語も同じようなメカニズムである。ここで あるいは -w-un-unmaj-uχ-a(tu) をそれぞれ別の格と見れば画数は2+4=6,もしく基本形を「ゼロ形態素が加わったもの」とみなして2+5=7だが、合体した形、例えば -χ-un を一つの格と見れば2×5=10格を区別しないといけない。この場合はゼロ形態素を必ず認める必要がある。そしてこの「グループ」は二つだけではないから足し算と掛け算の差はもっと広まるだろう。格数の報告に揺れがあるのはそんなことも原因だと思う。
 処格が膨大過ぎるからか、ナフ・ダゲスタン語群の文法記述では「格」そのものを基本格(または文法格)と処格とに分けて考えているが、その「普通の」格、基本格には、絶対格、能格、与格、属格、さらに言語によっては具格などが加わる。他にもいろいろバラバラと基本格と処格の中間的な格があるそうだがこの際すっ飛ばして、基本格だけちょっと見てみると面白い現象がある。元になる語幹が二つあることだ。上で述べた比較的性格が温厚な(?)アグール語の基本格を見てみよう。
Tabelle1-169
まず第一次的には絶対格と能格の区別が格変化の出発点になっていることがわかる。その他の格の形は皆能格を基礎にしてそこにさらに接尾辞(太字)を加えて形造られたものだ。これがどうして面白いかというと、『65.主格と対格は特別扱い』で述べたロマニ語の格パラダイムと並行しているからだ。ただしロマニ語は印欧語なので第一次の分岐が絶対格対能格でなく主格隊対格で、対格以外の斜格が対格を出発点にしている点が違っている。前に出したロマニ語の例から単数の主・対・与・属格を繰り返してみる。属格は披修飾名詞が男性単数の場合の形だけ挙げた。
Tabelle2-169
格パラダイムの二重構造が鮮明だ。もちろんダゲスタンの言語とロマニ語では系統が全く違うからこれは単なる他人の空似ではあろう。しかし偶然は偶然としても気にはなる。
 このアグール語の例はマゴメドフという人の報告だが、前述の父キブリークはアグール語の一方言がgag → gagá (能格)というパラダイムを持っていると報告している。元の形 gag が主格と呼ばれているが、これは絶対格のことなのか、それともジョージア語のように主格と絶対格が併用されているのか。さらにタバサラン語の一方言に gagá→ gagá-ji(能格)というそっくりな形があるそうで、非常に面白い。

キブリークの挙げているダルギン語の格の説明では「絶対格」でなく「主格」номинативといっている。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.283から
nominativ-bearbeitet

 能格については前にもいくつか言語の例をあげたが(『51.無視された大発見』参照)、さらにちょっとアヴァール語を見てみよう。

wac̄as̄  χur bekḷana
brother-Erg.Sg + field-Abs.Sg. + plow-Past
兄(弟)が畑を耕した

dic̅a wac̅  wec̅ula
I-Erg. + brother-Abs.Sg. + praise-Pres.
私が兄(弟)を褒める

「耕す」も「褒める」も他動詞だが、「兄」が前者では主語、後者では目的語である。主語が能格、目的語が接尾辞なしの絶対格形になっているのがわかる。これだと主格と対格みたいだが、自動詞と比べてみると能格性がはっきりする。

dun wuq̅̇ula
I-Abs. + sink.Pres.
私がどっかり倒れこむ。

ここでも「私」は主語だが動詞が自動詞なので他動詞「褒める」の場合とは格が違い、絶対格をとっている。他動詞の主語なら能格だ。「私」は名詞でなく代名詞なので語形変化のメカニズムがやや異なっている。また英語の break のように同じ動詞が他動詞であったり自動詞であったりすることがあるが、その場合もきれいな能格構造になる。

dic̅a ġweṭ bekana
I-Erg. +  tree-Abs.Sg. + break-Past.
私が木を折った。

ġweṭ bekana
tree-Abs.Sg. + break-Past.
木が折れた。

つまり「折る」と「折れる」の違いだが、「折れる」の主語が「折る」の目的語と同じ格をとるのだ。

 もう一つ気になるのが文法上の性の数だが、アグール語など性を区別しない言語もあるが、たいていは2つから(タバサラン語の北方方言)8つ(ナフ語群)の文法性を区別する。アヴァール語は3つ、ラク語は4つ、チェチェン語は6つとなっている。だから「性」というより名詞の「クラス」または「カテゴリー」と呼ばれる。動詞や形容詞がそれに応じて呼応するのだ。一番多いのが文法性が4つあるパターンだそうだ。男性、女性、生物と特定の物質、その他という4つのカテゴリーである。ヒナルーグ語もこのパターンだが、「男」「少年」などが「男性」、「女」「娘」などが「女性」、「鶏」「蛇」が第三の 「生物と特定の物質」なのはわかるが、なぜか「橋」もここのクラスに入っている。「その他」には「仕事」「石」「眼」という雑多な名詞が属している。
 ところでこの4つの名詞性というのは以前見たブルシャスキー語(『144.カラコルム・ハイウェイ』)もそうで、上のロマニ語との並行性は偶然としか考えられないが、ブルシャスキー語との類似性の方は完全にシカトもできないのではないだろうか。ブルシャスキー語も能格言語だし、しかも絶対核の語尾はゼロ、能格には -e がついて上述のキブリーク報告のアグール語と形がよく似ている。
 またダゲスタンの言語は一人称複数の代名詞に包括的 inclusiveと除外的 exclusive(『22.消された一人』参照)を区別する:アヴァール語でni(包括)対 niž(除外)、タバサラン語で ixu あるいは uxu(包括)対 iču あるいは uču(包括)など。

 とにかく言語的には本当に面白い地域で、いくら大詩人のレールモントフだからと言ってこれらの言語を話す人々を簡単に「アジア人め」の一言で片づけて欲しくない。

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以前書いた記事の図表を画像に変更していっています(レイアウトが特にスマホではグチャグチャになるため)文章にも少し手を入れました。私は母語の日本語も、今まで勉強したことのある言語も全て主格・対格言語なので、能格言語に憧れます。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 中国とパキスタンを結び、途中標高4714mの高所を通る国道35線は俗にカラコルム・ハイウェイと呼ばれている。1980年代に開通した。この国道のほとりにフンザHunza渓谷という谷があるが、ここで話されているのがブルシャスキー語(アクセントは「ル」にあるそうだ)という言語である。

カラコルム・ハイウェイ。Hunza や Nager (Nagar)という地名が見える。
Karakoram_highway.svg

 谷の一方がフンザ、川を挟んだ向こう側がナゲルNager という地名で、いっしょにされてフンザ・ナゲルと呼ばれていることが多い。しかしこの二つはそれぞれ別の支配者(ブルシャスキー語でtham)に統治される独立国であった。両国間での戦争さえあったそうだ。1891年にイギリスの支配下に入り1947年に自主的にパキスタンへの併合の道を選んだ。長い間君主国としての独立性を保っていたが、ナゲルは1972年フンザは1974年に王国としての地位を失い単なるパキスタン領となった。フンザには約4万人、ナゲルにもほぼ同数のブルシャスキー語話者がいると見られる。両者間には方言差があるが相互理解には何ら支障がない。ナゲルの方が保守的だそうだ。例えばhe does it をナゲルではéću bái といってéću が動詞本体、báiはいわば助動詞だが、これがフンザでは合体してéćái または éćói という形になっている。同様にyou have done it はナゲルでétu báa、フンザでétáa または étóo となる。母音の上についている「´」はアクセント記号だが、フンザではこの短い単語にアクセントが二つある、ということは山が二つあることになるわけでいかにも元は二つの単語だったと思わせる。また本来同じ母音が二つ連続していたのがフンザでは一母音に短縮され、ナゲルで「一ヵ月」は hísa-an というのにフンザでは hísan と母音が縮まっている。語彙の点でもいろいろ相違があるらしい。
 このフンザとナゲルの他にもう一つブルシャスキー語地域がある。フンザ渓谷の北西約100kmのところにあるヤスィンYasinという辺境の谷がそれ。ここの方言はフンザ・ナゲルとはさらにはっきり差があり、フンザ/ナゲル対ヤスィンという図式になるそうだ。それでもやはり相互理解の邪魔にならない程度。このヤスィン方言の話者は昔ナゲルから移住してきた人たちの子孫、つまりヤスィン方言はナゲル方言から分かれたものらしい。いくつかの資料から分かれた時期は16世紀ごろと推定できる。南米スペイン語と本国スペイン語との違い同じようなものか。またヤスィン方言はフンザよりさらに語尾や助詞・助動詞の簡略化が進んでいるとのことだ。オランダ語とアフリカーンスを思い出してしまう。ブルシャスキー語の話者の総数はおよそ10万人だそうだから、単純計算でヤスィン方言の話者は2万人ということになる。でも「10万人」というその数字そのものがあまり正確でないようだから本当のところはわからない。
 ちょっとこの3つの方言を比べてみよう。
Tabelle1-144
「目」と「肝臓」の前にハイフンがついているのは、これらの語が単独では使われず、常に所有関係を表す前綴りが入るからだ(下記参照)。全体的にみると確かにナゲル→フンザ→ヤスィンの順に形が簡略化していっているのがわかる。また、フンザの「目」の複数形などちょっとした例外はあるにしてもヤスィンとフンザ・ナゲル間にはすでに「音韻対応」が成り立つほど離れているのも見える。しかし同時にこれらのバリアントが言語的に非常に近く、差異は単に「方言差」と呼んでもいいことも見て取れる。確かにこれなら相互理解に支障はあるまい。またナゲル→フンザ→ヤスィンの順に簡略化といっても一直線ではなく、例外現象(例えば下記の代名詞の語形変化など)も少なくないのは当然だ。

ブルシャスキー語の話されている地域。上がウィキペディアからだが、雑すぎてイメージがわかないのでhttp://www.proel.org/index.php?pagina=mundo/aisladas/burushaskiという処から別の地図を持ってきた(下)。
Burshaski-lang

burushaski

 ブルシャスキー語の研究は19世紀の半ばあたりから始まった。周りと全く異質な言葉だったため、当時植民地支配していたイギリス人の目に留まっていたのである。最初のころの研究書は量的にも不十分なものだったが、1935年から1938年にかけて出版されたD. L. R. Lorimer 大佐による全3巻の研究書はいまだに歴史的価値を失っていない。氏は英国人で植民地局の役人だった。しかし残念ながらこれもこんにちの目で見るとやはり音韻面の記述始め語彙の説明などでも不正確な面がいろいろあるそうだ。1930年代といえば今の構造主義の言語学が生まれたばかりの頃であるから仕方がないだろう。
 その後も研究者は輩出した。例えば Hermann Berger の業績である。ベルガー氏は1957年からブルシャスキー語に関心を寄せていたが、1959年、1961年、1966年、1983年、1987年の5回、現地でフィールドワークを行い、その結果をまとめて1998年に3巻からなる詳細なフンザ・ナゲル方言の研究書を出版した。一巻が文法、2巻がテキストとその翻訳、3巻が辞書だ。最後の5回目のフィールドワークの後1992年から1995年まで現地の研究者とコンタクトが取れ手紙のやり取りをして知識を深めたそうだ。その研究者はデータを集めたはいいが発表の きっかけがつかめずにいて、理論的な下地が出来ていたベルガー氏にその資料を使ってもらったとのことだ。ヤスィン方言についてはすでに1974年に研究を集大成して発表している。
 最初は氏はブルシャスキー語の親族関係、つまりどの語族に属するのかと模索していたようで、一時はバスク語との親族関係も考えていたらしいことは『72.流浪の民』でも紹介した通りであるが、その後自分からその説を破棄しブルシャスキー語は孤立語としてあくまで言語内部の共時的、また通時的構造そのものの解明に心を注ぐようになった。1966年の滞在の時にはすでにカラコルム・ハイウェイの建設が始まっていたので外国人は直接フンザ・ナガル渓谷には入れずラーワルピンディーというところまでしか行けなかったそうだが、そこでインフォーマントには会ってインタビュー調査をやっている。1983年にまた来たときはハイウェイがすでに通っていたわけだが、あたりの様子が全く様変わりしてしまっていたと氏は報告している。

 さてそのブルシャスキー語とはどんな言語なのか。大雑把にいうと膠着語的なSOVの能格言語であるが(大雑把すぎ)、特に面白いと思うのは次の点だ。

 まずさすがインド周辺の言語らしくそり舌音がある。[ʈ, ʈʰ,  ɖ,  ʂ, ʈ͡ʂ ,  ʈ͡ʂʰ,  ɖ͡ʐ , ɻ] の8つで、ベルガーはこれらをそれぞれ ṭ, ṭh, ḍ, ṣ, c̣, c̣h, j̣, ỵ と文字の下の点を打って表記している。それぞれの非そり舌バージョンは [t, tʰ, d, s, t͡s,  t͡sʰ, d͡ʑ , j]、ベルガーの表記では t, th, d, s, c, ch, j, y だ。最後の y、 ỵ の非そり舌バージョンは半母音(今は「接近音」と呼ばれることが多いが)だが、これは母音 i のアロフォンである。つまり ỵ は接近音をそり舌でやるのだ。そんな音が本当に発音できるのかと驚くが、この ỵ は半母音でなく子音の扱いである。また t, tʰ, d  の部分を見るとその音韻組織では無気・帯気が弁別性を持っていることがわかる。さらにそれが弁別的機能を持つのは無声子音のみということも見て取れ、まさに『126.Train to Busan』で論じた通りの図式になってちょっと感動する。

ベルガーによるブルシャスキーの音韻体系。y、w はそれぞれ i、u  のアロフォンということでここには出てこない。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.13 から
burushaski-phoneme-bearbeitet
 しかしそり舌の接近音くらいで驚いてはいけない。ブルシャスキー語には文法性が4つあるのだ。これはすでにLorimer が発見してそれぞれの性を hm、hf、x、y と名付け、現在の研究者もこの名称を踏襲している。各グループの名詞は語形変化の形が違い修飾する形容詞や代名詞の呼応形も異なる、つまりまさに印欧語でいう文法性なのだが、分類基準は基本的に自然性に従っている。hm はhuman masculine で、人間の男性を表す語、人間でない精霊などでも男性とみなされる場合はここに属する。hf はhuman feminine、人間の女性で、男の霊と同じく女神なども hm となる。ただし上で「基本的に」と書いたように微妙な揺れもある。例えばqhudáa(「神」)は hm だが、ことわざ・格言ではこの語が属格で hf の形をとり、語尾に -mo がつくことがある。hf の bilás(「魔女」)は時々 x になる(下記)。この x 、 y という「文法性」には人間以外の生物やモノが含まれるが両者の区別がまた微妙。動物はすべて、そして霊や神で性別の決まっていないものは x 。これらは比較的はっきりしているが生命のない物体になると話が少し注意が必要になる。まず卵とか何かの塊とか硬貨とか数えられるものは x、流動体や均等性のもの、つまり不可算名詞や集合名詞は  y になる。水とか雪とか鉄とか火などがこれである。また抽象名詞もここにはいる。ややこしいのは同じ名詞が複数のカテゴリーに 属する場合があることだ。上で挙げた「揺れ」などではなく、この場合は属するカテゴリーによってニュアンスというより意味が変わる。例えば ráac̣i は hm なら「番人」だがx だと「守護神」、ġénis は hf で「女王」、y で「金」となる。さらに ćhumár は x で「鉄のフライパン」、y で「鉄」、bayú は x だと「岩塩」、つまり塩の塊だが y では私たちが料理の時にパラパラ振りかけたりする砂状の塩だ。
 もちろん名詞ばかりでなく、代名詞にもこの4つの違いがある。ヤスィン方言の単数形の例だが、this はそれぞれの性で以下のような形をとる。hf で -mo という形態素が現れているが、これは上で述べた -mo についての記述と一致する。
Tabelle2-144
フンザ・ナゲルでは hm と hf との区別がなくh として一括できる。
Tabelle3-144
 さらに動詞もこれらの名詞・代名詞に呼応するのは当然だ。

 上でブルシャスキー語は膠着語な言語と書いたのは、トルコ語のような真正の膠着語と違って語の後ろばかりでなく接頭辞が付きそれが文法上重要な機能を担っているからだ。面白いことに動詞に人称接頭辞が現れる。動詞の人称変化の上にさらに人称接頭辞が加わるのだ。例えば werden (become) という自動詞では動詞本体の頭に主語を表す人称辞がついて

i-mánimi → er-wurde (he-became)
mu-mánumo → sie-wurde (she-became)

となり、動詞の語形変化と接頭辞で人称表現がダブっているのがわかる。もっともブルシャスキー語は膠着語的な言語だから、上の例でもわかるように「動詞の人称変化」というのは印欧語のような「活用」ではなく動詞本体に接尾辞がつくわけで、つまり動詞語幹が前後から挟まれるのだ。これが単語としての動詞でシンタクス上ではここにさらに主語(太字)がつく。

hir i-mánimi → der Mann wurde (the man became)

だからこの形は正確にいうと der Mann er-wurde (the man he-became) ということだ。一方他動詞の場合は、「能格言語」と聞いた時点ですでに嫌な予感がしていたように人称接頭辞が主語でなく目的語を表す。

i-phúsimi → er ihn-band (he him-bound)
mu-phúsimi → er sie-band (he her-bound)

ここにさらに主語と目的語がつくのは自動詞と同じだ。

íne hir i-phúsimi → er band den Mann (he bound the man)

直訳すると er ihn-band den Mann (he him-bound the man) である。ここまでですでにややこしいが問題をさらにややこしくしているのが、この人称接頭辞が必須ではないということだ。どういう場合に人称接頭辞を取り、どういう場合に取らないか、まだ十分に解明されていない。人称接頭辞を全く取らない語形変化(語尾変化)だけの動詞も少なからずある。また同じ動詞が人称接頭辞を取ったり取らなかったりする。そういう動詞には主語や目的語が y-クラスの名詞である場合は接頭辞が現れないものがある。また人称接頭辞を取る取らないによって意味が違ってくる動詞もある。人称接頭辞があると当該行動が意図的に行われたという意味になるものがあるそうだ。例えば人称接頭辞なしの hir ġurċími (der Mann tauchte unter/ the man dived under) ならその人は自分から進んで水に潜ったことになるが、接頭辞付きの hir i-ġúrċimi (何気にアクセントが移動している)だとうっかり足を滑らして水に落っこちたなど、とにかく外からの要因で起こった意図していない潜水だ。他動詞に人称接頭辞がつかないと座りの悪いものがあるのはおそらくこの理由による。上で述べたように他動詞だから接頭辞は目的語を示すわけだが、その目的語から見ればその作用は主語から来たもの、つまり目的語の意志ではないからだ。逆に自動詞に接頭辞を取ると座りが悪いのがあるが、それは意味そのものが「座る」とか「踊る」とか主語の主体性なしでは起こりえない事象を表す動詞だ。さらに人称接頭辞のあるなしで自動詞が他動詞に移行する場合もある。例えば接頭辞なしの qis- は「破ける」という自動詞だが接頭辞がつくと i-qhís- で、「破く」である。
 もうひとつ(もういいよ)、名詞にもこの人称接頭辞が必須のものがある。上述のハイフンをつけた名詞がそれで、「父」とか「母」などの親族名称、また身体部分など、持ち主というかとにかく誰に関する者や物なのかはっきりさせないとちゃんとした意味にならない。例えば「頭・首」は-yáṭis だが、そのままでは使えない。a-yáṭis と人称接頭辞 をつけて初めて語として機能する。上の動詞で述べた接頭辞 i- は hmで単数3人称だが、このa-  は一人称単数である。これにさらに所有代名詞がつく。jáa a-yáṭis となり直訳すると mein ich-Kopf (my I-head)、「私の頭」である。これに対し他の名詞は人称接頭辞がいらない。jáa ha で「私の家」、「家」に接頭辞がついていない。しかし持ち主がわからず単にa head または the head と言いたい場合はどうするのか。そういう時は一人称複数か3人称複数の人称接頭辞を付加するのだそうだ。

 極めつけというかダメ押しというか、上でもちょっと述べたようにこのブルシャスキーという言語は能格言語(『51.無視された大発見』参照)である。自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ格(絶対格)になり他動詞の主語(能格)と対立する。ベルガー氏がバスク語との関係を云々し、コーカサスの言語とのつながりをさぐっている研究者がいるのはこのためだろう。ブルシャスキー語は日本語などにも似て格の違いを接尾辞でマークするので印欧語のように一発できれいな図表にはできないが(要するに「膠着語的言語」なのだ)、それでも能格性ははっきりしている。絶対格はゼロ語尾、能格には -e がつく。

自動詞
hir i-ír-imi
man.Abs + hm.sg.-died-hm.sg
der Mann starb (the man died).

他動詞
hír-e gus mu-yeéċ-imi
man.Erg + woman.Abs + hf.sg-saw-hm.sg
Der Mann sah die Frau (the man saw the woman)


ブルシャスキー語の語順はSOVだから、他動詞では直接目的語の「女」gus が動詞の前に来ているが、これと自動詞の主語hir(「男」)はともにゼロ語尾で同じ形だ。これが絶対格である。一方他動詞の主語はhír-e で「男」に -e がついている。能格である。人称接頭辞は上で述べた通りの図式だが、注意すべきは動詞の「人称変化」、つまり動詞の人称接尾辞だ。自動詞では接頭、接尾辞ともに hmの単数形で、どちらも主語に従っているが、他動詞では目的語に合わせた接頭辞は hf だが接尾辞の方は主語に呼応するから hm の形をとっている(下線部)。言い換えるとある意味では能格構造と主格・対格構造がクロスオーバーしているのだ。このクロスオーバー現象はグルジア語(再び『51.無視された大発見』参照)にもみられるし、ヒンディー語も印欧語のくせに元々は受動態だったものから発達してきた能格構造を持っているそうだから、やっぱりある種のクロスオーバーである。

 ところで仮にパキスタン政府がカラコルム・ハイウェイに関所(違)を設け、これしきの言語が覚えられないような馬鹿は入国禁止とか言い出したら私は絶対通過できない。そんな想像をしていたら一句浮かんでしまった:旅人の行く手を阻むカラコルム、こんな言語ができるわけなし。


ブルシャスキー語の格一覧。Kasus absolutusが絶対格、Ergativが能格。
Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.63 から
burushaski-Kasus-bearbeitet
そしてこちらが人称接頭辞一覧表。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.90 から
burushaski-praefixe-bearbeitet
ベルガー氏が収集したフンザ方言の口述テキストの一つ。ドイツ語翻訳付き。「アメリカ人とK2峰へ」。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil II Texte mit Übersetzungen. Wiesbaden:Harrassowitz: p.96-97 から
burushaski-text-bearbeitet


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以前の記事の図表レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるそうなので(私自身は今時スマホを持っていないので自分のブログをスマホでは見たことがない)、図表を画像に変更しました。所々チョンボやってたんで本文も少し直しました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 エマヌエル・ガイベルという後期ロマン派の詩人の作品にZigeunerleben(「ジプシーの生活」)という詩がある。シューマンの作曲で「流浪の民」として日本でも有名だが、第二連はこうなっている。

Das ist der Zigeuner bewegliche Schar,
Mit blitzendem Aug' und mit wallendem Haar,
Gesäugt an des Niles geheiligter Flut,
Gebräunt von Hispaniens südlicher Glut.

それは移動するジプシーの群れ
きらきら光る眼と波打つ髪
ナイルの神聖な流れのほとりで乳を吸い
イスパニアの南国の灼熱に肌を焦がす
(原作の韻など全く無視した無粋な訳ですみません)


3行目「ナイルの神聖な流れのほとりで乳を吸い」という部分が気になるが、これはいわゆるジプシー、つまりロマがエジプトから来たと当時広く信じられていたからである。言いだしっぺが誰であるかはわからない。彼ら自身がそう自称したとも言われている。『50.ヨーロッパ最大の少数言語』の項でも書いたようにロマの起源はインドであるが、その存在が文献に現れるのは11世紀に当時のビザンチン帝国の記録が最初だ。当時ビザンチン帝国だけでなく、中東全般にわたって広く住んでいたらしい。彼らはキリスト教を受け入れていた(そうだ)。肌の色が浅黒く、その地では周りからコプト人と見なされていたのを巡礼目的や十字軍でパレスティナに来ていたヨーロッパ人が本国に伝えた、とも聞いた。
 これは単なる想像だが、私にはロマの方からコプト人だと自己申告したとはどうも考えにくいのである。浅黒い膚のキリスト教徒を見てヨーロッパ人が勝手にコプトだと思いこみ、ロマが特にそれに異を唱えないでいるうちにそういう説が定着してしまったのではないだろうか。そもそもロマ自身は自分たちがエジプト出身扱いされているのを知っていたのだろうか。 ヨーロッパ人側がロマをエジプトから来た人々と「思いたかった」、出エジプト記を今度はキリスト教徒を主役にして再現したかった、つまりある種の宗教ロマン物語を信じたかったのでないだろうか。そしてそういう図式が当時のキリスト教社会にアピールして定着したのでは。例えば上のガイベルの詩にもこんな部分がある。

Und magische Sprüche für Not und Gefahr
Verkündet die Alte der horchenden Schar.

そして苦境や危機に陥れば
老婆が魔法の言葉を告げる
(モーゼかこの老婆は?)


Und die aus der sonnigen Heimat verbannt,
Sie schauen im Traum das gesegnete Land.

そして陽光に満ちた故郷を追われ
祝福の地を夢に見る
(das gesegnete Landあるいはgesegnetes Land(祝福された土地)というのも聖書からの概念)


 こうやって都合のいい時だけは(?)ロマンチックな描写をするが、何か起こると、いや起こらなくてもロマは一般社会で差別抑圧されていたのである。「虐待」といってもいい。ひょっとしたら文学者はロマが普段虐待されているそのために、せめて言葉の上では美しくロマンチックに描いてやって、言い換えるとリップサービスでもしてやって読者の、いや自身の目をも現実から背けようとしたのかもしれない。
 この詩が出版されたのは1834年で、比較言語学者のポットがロマの言語とインド・イラニアン語派との類似に気づいたのは1844年、ミクロシッチが詳細な研究を行なったのが1872年から1880年にかけてだから、ガイベルはまだこの時点ではロマがインド起源ということを知らなかったのだろう。しかし一方ガイベルは1884年まで生きており、古典文献学で博士号までとっているのだからミクロシッチの論文を読んでいたかもしれない。もっとも文学と言語学というのが既に仲が悪いことに加えて、ガイベルの当時いたプロイセンとミクロシッチのいたオーストリア・ハンガリー帝国は敵同士だったから、その可能性は薄いと思うが。

 ロマはビザンチン帝国内に結構長い間住んでいたらしく、その語彙には当時のギリシア語からの借用語が目立つそうだ。例えば:
tabelle1-72
 語彙ばかりでなく、派生語を作る際の形態素などもギリシャ語から輸入している。抽象名詞をつくるための-mos (複数形は-mota)がそれ。
 ギリシア語に触れる以前、つまり現在の北インドからコーカサスの言語からの借用は、はっきりどの言語からと断定するのが難しい。借用から時間が経って借用元の言語でもロマニ語内でも語の形が変化を起こしてしまっている上、そもそもあそこら辺の言語はロマニ語と同じく印欧語だから、当該単語が借用語なのか双方の言語で独立に印欧祖語から発展してきたのか見分けがつけにくいらしい。
 それでも当地の非印欧語、グルジア語やブルシャスキー語からの借用を指摘する人もいる。ブルシャスキー語というのはパキスタンの北で細々と話されている言語である。能格言語だ。それにしてもグルジア語にしろその他のコーカサスの言語にしろ、あのあたりの言語がそろって能格言語なのはなぜだ?以前にも書いたように、シュメール語と無関係とは思えないのだが。
 そのブルシャスキー語からロマニ語への借用をヘルマン・ベルガー(Hermann Berger)という学者が1959年に発表した『ジプシー言語におけるブルシャスキー語からの借用語について』(Die Burušaski-Lehnwörter in der Zigeunersprache)という論文で指摘し、13ほど例を挙げ、嫌というほど詳細な検討を加えている。ベルガーの説には批判や疑問点も多いらしいが、面白いので一部紹介しておきたい。著者はこの論文の中でブルシャスキー語とバスク語との親類関係についても肯定的に発言している。
Tabelle2-72
 ビザンチンがオスマントルコに滅ぼされると、ロマはヨーロッパ内部へ移動し始めた。現在ヨーロッパ大陸にいるロマは方言の差が激しく、すでに意思の疎通が困難な場合が多いそうだが、これはロマニ語内部での変化に加えて(それだけだったらたかが600年ぽっちの間に意思疎通が困難になるほど変遷するとは思えない)、あちこちでいろいろな言語と接触して外部から変化させられたためだろう。面白い例が一つある。セルビアで話されているErliというロマニ語方言(というべきか言語というべきか)では未来形をまさにバルカン言語連合の図式どおりに作るのである。Erliでは動詞の接続法に不変化詞kaをつけて表すが、このkaは「欲しい」という動詞kamelが後退したもの。

Ka   dikhav
未来. + see(一人称単数形・接続法)
私は見るだろう

『40.バルカン言語連合再び』の項で挙げたアルバニア語、ルーマニア語、ブルガリア語、現代ギリシア語と比べてみてほしい。構造が完全に平行しているのがわかる。

アルバニア語
doshkruaj
未来 + 接続法マーカー +「書く」一人称単数現在
        
ルーマニア語
oscriu
未来 + 接続法マーカー +「書く」一人称単数現在
 

ブルガリア語
šte piša
未来 +「書く」一人称単数現在

現代ギリシア語
θα γράψω
未来 +「書く」一人称単数接続法

ところが同じロマニ語でもブルゲンラント・ロマニ語というオーストリア、ハンガリーで話されている方言だと未来形を純粋な語形変化で表す。

phirav (「行く」一人称単数現在) + a
→ phira「私は行くだろう」
phires (「行く」二人称単数現在) + a
→ phireha「君は行くだろう」
など

 上で述べたようにロマの一部がバルカン半島を去ったのはそれほど古い話ではない。それなのにブルゲンラントのロマニ語がバルカン言語連合現象の影響を受けていない、ということはバルカン言語連合という現象自体が比較意的新しい時代に起こったか、現象そのものは昔からあったがロマが周りとあまり接触しなかったとかの理由で影響を被るのが他の言語より遅かったかのどちらかである。語彙面での借用状況を考えると「周りとの接触が乏しかった」とは考えにくいので最初の解釈が合っているような気がするが、なにぶん私は素人だから断言はできない。

 またロマニ語は借用語と本来の言葉との差を明確に意識しているらしく、外来語と土着の単語とでは変化のパラダイムが違う。下は旧ユーゴスラビアのヴラフ・ロマの例だが、kam-(「欲しい」)という動詞はロマニ語本来の、čit-(「読む」)はセルビア語からの借用。ロシア語でも「読む」はчитать(čitat’)である。
Tabelle3-72
つまり土着の単語で母音aやeが現れる部分が外来語ではoになっているのである。これは名詞の変化パラダイムでもそうで、ロマニ語本来の語raklo(「男の子」)と上でも述べたギリシア語からの借用語foroの語形変化ぶりを比べるとわかる。単数形のみ示す。
Tabelle4-72
ここでもeとoがきれいに対応している。なお、私の参照した資料にはなぜか対格形が示されていなかったが、『65.主格と対格は特別扱い』で見たように対格は膠着語的な接尾マーカーなしの第一層一般斜格を使うから「男の子を」はrakl-esになるはずである。それに対して「町を」は一般斜格のfor-osではなく主格と同形のforoになるはずだ。ロマニ語はロシア語と同じく(というよりロシア語がロマニ語と同じく)生物・非生物の差を格変化形で表すからである。
 そういえば日本語は外来語とヤマト言葉を片仮名と平仮名(と漢字)で書き分けるがロマニ語はこの区別をパラダイムでやるわけか。


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 世界には狭い地域に言語がたくさん集中している地域がある。アマゾン流域(狭くないが)やパプア・ニューギニアなどが有名だが、カスピ海と黒海の間のコーカサス地方も昔から有名だ。すでに紀元前7世紀にはギリシャ人が当地の言語の多さを報告しているとのことだ。その後ローマ人やペルシャ人による報告が続き、勘定された言語数は70から300の間を動いていたそうだが、現在では40から50くらい言語という線に落ち着いている。「くらい」というのはもちろん独立言語と方言の区別(『111.方言か独立言語か』参照)が学者によって違うからだ。100の単位で言語があるアマゾンやニューギニアと比べたら少ないが、そのかわりここは本当に地域が狭い。
 コーカサスには土着のいわゆる「コーカサスの言語」とともに印欧語のアルメニア語やオセチア語、トュルク語のアゼルバイジャン語なども話されているが、これらは後からこの地に入ってきたものらしい。さらにアラム語の方言(言わずと知れたセム語である)を話す人々がジョージアやアゼルバイジャンにいるそうだ。シリアからでも移住してきたのだろうか。オセチア語はスキタイ語の末裔という説がある。東イラニアン語族である。『164.Лишний человек(余計者)とは何か』で述べたレールモントフの『現代の英雄』も舞台がコーカサスだが、そこではオセチア人もチェルケス人もアゼルバイジャン人も一律に「アジア人め」と罵倒されている。
 土着のコーカサスの言語は印欧語やセム語、テュルク諸語と明確に異なる能格言語だが、大きく分けて3つのグループに分類できる。アブハズ・アディゲ語群、カルトヴェリ語群、ナフ・ダゲスタン語群という。これらはそれぞれ北西コーカサス語群(または単に「西コーカサス語群」)、南コーカサス語族、北東コーカサス語族(または「東コーカサス語群」)と呼ばれることもあるが、この呼び方はむしろ不適切。そもそもこれらの言語があくまで「語群」であり、印欧語レベルの正確さでは「語族証明」ができていない。それでもグループ内の言語同士でなら語彙や文法構造などにある程度の共通性が見られるそうだが、グループ間では差異が激しく、これを単に「コーカサス語群」としていっしょくたにするのは無理がある。昔言われたウラル・アルタイ語群という名称のごとく非常に誤解を招きやすい。
 さらにややこしいのが、この「コーカサスの言語」の話者がコーカサス外にも結構いることである。中東やトルコのあちこちに結構散らばっており、バルカン地域にまで話者がいるそうだ。おかげで話者数の把握がいま一つ難しい。そのうちの一つ、トルコで話されていたウビフ語(アブハズ・アディゲ語群)は現在は残念ながら死語になってしまった。

コーカサスの言語状況。ウィキペディアから
cau-ethnic-groups-4

 3つの中で一番研究が進んでいるのは大言語のジョージア語(グルジア語、『51.無視された大発見』参照)を含むカルトヴェリ語群で、研究が進んでいるどころか、現在でもコーカサスの言語の研究書がジョージア語で書かれている、つまり研究する側の言語でもある。歴史的に見てもジョージア語、特にその文字は文化語として周りのコーカサス語群にも影響を与え、例えばナフ・ダゲスタン語群のウディ語は7世紀から9世紀にかけてすでに文字化の試みがあるがジョージア文字とアルメニア文字を取り入れている。さらにチェチェン語も12世紀~15世紀にかけてキリスト教とともに(当時はチェチェン人もキリスト教徒だったということか)ジョージア文字、ジョージア語を書き言葉として受け入れたので、こんにちでもダゲスタンにはジョージア語の碑文が約50残っている。
 現在ジョージア語だけで話者400万人から500万人いるが(他にもカルトヴェリ語群には十万単位の話者がいる言語がある)、話者数だけでなく歴史文化的にも上でも述べたように他の言語に影響を与えた大言語だから、もちろん自分の言語も立派に文字化していてすでに5世紀から碑文があり、通時的研究や古い形の再現が可、ということは共時的な方言研究にも利がある上、書き言葉の伝統があるのですでに古い昔から自語の研究そのものも進んでいた。19世紀になって西欧から比較言語学者が参入してきた時もしばらくは主たる関心がジョージア語だった。
 19世紀の後半から20世紀前半になると言語の記述研究が盛んになり、 他の2言語群の記述も始まったが、アブハズ・アディゲ語群の方が進んでいる。上のレールモントフにも出てきたチェルケス人の言語もこのグループだが、これらの言語は母音音素が少ないので有名だ。例えばアブハズ語の母音音素は a と ǝ の二つ。音声上現れるその他の母音は皆このどちらかのアロフォンなんだそうだ。他の言語も皆似たり寄ったりで多くて3母音。その代わり子音音素がやたらと多く、ウビフ語(上述)は少なくとも80,アブハズ語の一方言では67の子音音素があるという、ちょっと信じがたい強烈な音韻構造である。話者数は最も多いカバルド語(東チェルケス語)で100万人ちょっと(別の資料では約70万人。どっちなんだ?!)、あと十万単位の話者を持つ言語が2・3あるがカルトヴェリ語群と比べるといかにも少数言語っぽい感が否めない。
 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群よりさらに記述研究がやや遅れをとっているらしい。これは第一にナフ・ダゲスタン語群の言語数が多い上に方言間の乖離が激しく方言か独立言語か決めるのが難しいのも原因だろう。チェチェン語など話者数が100万に届こうかという言語もあるが、話者数万、いや数千という言語がやたらとバラバラあって把握に苦労する。この時期にトゥルベツコイもコーカサスの言語の音韻構造の記述研究に手を染めている(『134.トゥルベツコイの印欧語』)。研究プロジェクトなどもソ連内外でいろいろ立ち上がったそうで、例えばモスクワのロモノソフ大学が60年代から70年代にかけてダゲスタンの言語のフィールド調査を行っている。
 このブログでも今まで何の気なしにコーカサスの言語についてチョチョッと述べたりしたことがあるが、ジョージア語以外に名前を出した、チェチェン語(『53.アラビア語の宝石』)、タバサラン語(『107.二つのコピュラ』『7.「本」はどこから来たか』などは別に意図したわけではないが 偶然このナフ・ダゲスタン語群だ。そういえばこの「ダゲスタン語」でちょっと思い出した。学生の時にロシア語学の演習でA. Кибрик(A. Kibrik)という人の論文を読まさせられた。テーマは指示対象の照応関係のことかなんか、つまり言語理論系の論文だったのだが、その時何の気なしにカタログでA. Кибрикの名前を検索したところこの名前でダゲスタンの言語について多くの論文が発表されていることがわかった。一方ではダゲスタンの言語、他方ではロシア語の指示対象照応とはまた研究範囲の広い人だと驚いたら実はダゲスタン言語のキブリーク氏は指示対象キブリーク氏の父親だった。ダゲスタン氏はアレクサンドル・キブリーク、指示対象氏はアンドレイ・キブリークという。もちろんダゲスタン氏も言語理論の論文は書いているが、記述系と説明系・生成系では同じ「理論」でも分野が全く違う。ついでにダゲスタン氏の父、指示対象氏の祖父は有名な芸術家だそうだ。文化人一家である。上述のロモノソフ大学のプロジェクト要員にもキブリークの名前が上がっている。

 そのナフ・ダゲスタン語群だが、上にも書いたように内部で結構言語がバラけている上、ナフ・ダゲスタンとダブルネームになっているだけあってナフ語群とダゲスタン語群の間にはさらに一線あるそうだ。アヴァール語などには古い試みもあるらしいが本格的な文字化はやはり20世紀になってからで、1928年からラテン文字による文字化が試みられた。それが1936年から38年にかけてキリル文字にとってかわられた。チェチェン語、イングーシ語、アヴァール語などその際「標準語化」もなされたという。なお、念のため補足しておくがここの「アヴァール語」というのは民族・言語的に昔ロシアにステップから攻め込んできたアヴァール人(『165.シルクロードの印欧語』参照)とは別人28号(こんなギャグを知っている方まだいますか?)である。
 音韻構成が気になるが、 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群と比べると母音の数が多い。アヴァール語の一方言では3つ、a、i、u で(コザソフКодзасовという学者はa、i、u、e、oの5つと言っている)、この3つはナフ・ダゲスタン語群の全ての言語にあるが、普通はこれよりずっと母音音素が多い、特にナフ語群は多くチェチェン語で33。平均すると10から15の母音音素がある。3から急に増えるのは短母音と長母音を区別したり、二重母音を持っていたりする言語があるからだ。「母音が10」でも私などには十分多いが、それに加えてアブハズ・アディゲ語群ほどではないが子音も多い。アグール語で73,チェチェン語で40から50,タバサラン語が55以上。困ったことにこれらの数字は資料や学者によって少なからぬバラツキがあり、あまりキッパリとした数値ではないのだがとにかく「子音が多い」ことだけは確かである。これは例えば閉鎖音でいわゆるfortis、lenisを音韻的に区別したり放出音があったりするせいだ。声門、咽頭音もある。流音が6つある言語もあるそうで、日本人に喧嘩を売っているとしか思えない。

アグール語2方言の音素。子音がやたらと多い。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.338, 339から
agur1
agur2
 アクセントについてはキブリークがダゲスタンの言語の過半数が高低アクセントを持っていると書いている。残念ながらその高低アクセントが日本語のように超分節なものか中国語のようなシラブル内のものか明確に区別されていない。そしてシラブル単位の高低アクセントを持つ言語は少数の例外を覗いてсловесное ударение(「語アクセント」)を欠くとあるのだが、これは単語ごとに決まった強弱アクセントのことだろうか。その例外の中にアヴァール語が入っているが、そこでは高低を区別するのはアクセントのある母音のみだそうだ。つまりちょうどクロアチア語のような感じなのだろう。そのアヴァール語にはアクセントの違いだけで意味(というより文法機能)が変わる例がある:rúġnal「傷、複数・絶対格」対 ruġnál「同単数・属格」。似たような例はなぜかロシア語やクロアチア語にもあった(『58.語学書は強姦魔』『90.ちょっと、そこの人!』参照)。

 さらにナフ・ダゲスタン語群は音素も多いが名詞の語形も多い。ここばかりでなくアブハズ・アディゲもカルトヴェリも日本語やトルコ語に似た膠着語タイプで、名詞の尻尾に複数マーカーや格マーカーがくっつくのが基本だが、屈折タイプの変化がないわけではない。チェチェン語で「風」の絶対格は muoχ だが、属格になると meχ-in で 、属格を示す接尾辞がついているほかに語幹の母音が交替しているのがわかる。同様にアヴァール語の「豆」holó の能格形は halí-cā という。
 このグループの言語の格の数であるが、以前にも述べたようにタバサラン語で62(別の資料では48)、もっともチョロいアグール語で28。たかがドイツ語の4格で死にそうになっている人にとっては命の危険さえありそうだが、これはドイツ語では前置詞が担っているような機能を全て格変化が受け持つからだ。日本語だって格を勘定すれば13くらいにはなる。だが一方それでも13にしかならないから諸事情を差し引いてもやっぱり40以上の格というのは割と恐怖である。特に処格、つまり位置関係を表わす格がいくつかのグループに分けられ、それぞれのグループがまた細分化するので格数が何倍にも増殖する。例えばラク語では名詞に というマーカーがつくと「対象物の裏側」という意味になるが、この「裏側」(以下太字)にさらに細かい空間表現が加わる;q̅at̅lu が基本の「家の後ろ(で)」、q̅at̅lu-un とそこにさらに格マーカー(下線)がつくと「家の後ろへ」、q̅at̅lu-unmaj と別の格マーカーがついて「家の後ろへ向かって」、q̅at̅lu- だと「家の後ろをわきを通り過ぎて」、q̅at̅lu-a(tu) で「家の後ろから(こちらへ)」。これらがいわばグループだが、同じことが別のグループでも繰り返される。別のグル―プ-w (以下太字)を見てみよう。これは「対象物の内部」を表わすグループだ。まず q̅at̅lu-w-u が基本形の「家の中(で)」。 と比べると母音 u が加わってはいるが、 の基本形と構造的に対応している。さらに q̅at̅lu-w-un 「家の中へ」、 q̅at̅lu-w-unmaj「家の中へ向かって」、q̅at̅lu-w-「家の中を通り過ぎて」、q̅at̅lu-w-a(tu)「家の中から」という風に上と全く同じ格マーカーがつく(下線)。整然とした非常に美しい構造だ。タバサラン語も同じようなメカニズムである。ここで あるいは -w-un-unmaj-uχ-a(tu) をそれぞれ別の格と見れば画数は2+4=6,もしく基本形を「ゼロ形態素が加わったもの」とみなして2+5=7だが、合体した形、例えば -χ-un を一つの格と見れば2×5=10格を区別しないといけない。この場合はゼロ形態素を必ず認める必要がある。そしてこの「グループ」は二つだけではないから足し算と掛け算の差はもっと広まるだろう。格数の報告に揺れがあるのはそんなことも原因だと思う。
 処格が膨大過ぎるからか、ナフ・ダゲスタン語群の文法記述では「格」そのものを基本格(または文法格)と処格とに分けて考えているが、その「普通の」格、基本格には、絶対格、能格、与格、属格、さらに言語によっては具格などが加わる。他にもいろいろバラバラと基本格と処格の中間的な格があるそうだがこの際すっ飛ばして、基本格だけちょっと見てみると面白い現象がある。元になる語幹が二つあることだ。上で述べた比較的性格が温厚な(?)アグール語の基本格を見てみよう。
Tabelle1-169
まず第一次的には絶対格と能格の区別が格変化の出発点になっていることがわかる。その他の格の形は皆能格を基礎にしてそこにさらに接尾辞(太字)を加えて形造られたものだ。これがどうして面白いかというと、『65.主格と対格は特別扱い』で述べたロマニ語の格パラダイムと並行しているからだ。ただしロマニ語は印欧語なので第一次の分岐が絶対格対能格でなく主格隊対格で、対格以外の斜格が対格を出発点にしている点が違っている。前に出したロマニ語の例から単数の主・対・与・属格を繰り返してみる。属格は披修飾名詞が男性単数の場合の形だけ挙げた。
Tabelle2-169
格パラダイムの二重構造が鮮明だ。もちろんダゲスタンの言語とロマニ語では系統が全く違うからこれは単なる他人の空似ではあろう。しかし偶然は偶然としても気にはなる。
 このアグール語の例はマゴメドフという人の報告だが、前述の父キブリークはアグール語の一方言がgag → gagá (能格)というパラダイムを持っていると報告している。元の形 gag が主格と呼ばれているが、これは絶対格のことなのか、それともジョージア語のように主格と絶対格が併用されているのか。さらにタバサラン語の一方言に gagá→ gagá-ji(能格)というそっくりな形があるそうで、非常に面白い。

キブリークの挙げているダルギン語の格の説明では「絶対格」でなく「主格」номинативといっている。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.283から
nominativ-bearbeitet

 能格については前にもいくつか言語の例をあげたが(『51.無視された大発見』参照)、さらにちょっとアヴァール語を見てみよう。

wac̄as̄  χur bekḷana
brother-Erg.Sg + field-Abs.Sg. + plow-Past
兄(弟)が畑を耕した

dic̅a wac̅  wec̅ula
I-Erg. + brother-Abs.Sg. + praise-Pres.
私が兄(弟)を褒める

「耕す」も「褒める」も他動詞だが、「兄」が前者では主語、後者では目的語である。主語が能格、目的語が接尾辞なしの絶対格形になっているのがわかる。これだと主格と対格みたいだが、自動詞と比べてみると能格性がはっきりする。

dun wuq̅̇ula
I-Abs. + sink.Pres.
私がどっかり倒れこむ。

ここでも「私」は主語だが動詞が自動詞なので他動詞「褒める」の場合とは格が違い、絶対格をとっている。他動詞の主語なら能格だ。「私」は名詞でなく代名詞なので語形変化のメカニズムがやや異なっている。また英語の break のように同じ動詞が他動詞であったり自動詞であったりすることがあるが、その場合もきれいな能格構造になる。

dic̅a ġweṭ bekana
I-Erg. +  tree-Abs.Sg. + break-Past.
私が木を折った。

ġweṭ bekana
tree-Abs.Sg. + break-Past.
木が折れた。

つまり「折る」と「折れる」の違いだが、「折れる」の主語が「折る」の目的語と同じ格をとるのだ。

 もう一つ気になるのが文法上の性の数だが、アグール語など性を区別しない言語もあるが、たいていは2つから(タバサラン語の北方方言)8つ(ナフ語群)の文法性を区別する。アヴァール語は3つ、ラク語は4つ、チェチェン語は6つとなっている。だから「性」というより名詞の「クラス」または「カテゴリー」と呼ばれる。動詞や形容詞がそれに応じて呼応するのだ。一番多いのが文法性が4つあるパターンだそうだ。男性、女性、生物と特定の物質、その他という4つのカテゴリーである。ヒナルーグ語もこのパターンだが、「男」「少年」などが「男性」、「女」「娘」などが「女性」、「鶏」「蛇」が第三の 「生物と特定の物質」なのはわかるが、なぜか「橋」もここのクラスに入っている。「その他」には「仕事」「石」「眼」という雑多な名詞が属している。
 ところでこの4つの名詞性というのは以前見たブルシャスキー語(『144.カラコルム・ハイウェイ』)もそうで、上のロマニ語との並行性は偶然としか考えられないが、ブルシャスキー語との類似性の方は完全にシカトもできないのではないだろうか。ブルシャスキー語も能格言語だし、しかも絶対核の語尾はゼロ、能格には -e がついて上述のキブリーク報告のアグール語と形がよく似ている。
 またダゲスタンの言語は一人称複数の代名詞に包括的 inclusiveと除外的 exclusive(『22.消された一人』参照)を区別する:アヴァール語でni(包括)対 niž(除外)、タバサラン語で ixu あるいは uxu(包括)対 iču あるいは uču(包括)など。

 とにかく言語的には本当に面白い地域で、いくら大詩人のレールモントフだからと言ってこれらの言語を話す人々を簡単に「アジア人め」の一言で片づけて欲しくない。

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 中国とパキスタンを結び、途中標高4714mの高所を通る国道35線は俗にカラコルム・ハイウェイと呼ばれている。1980年代に開通した。この国道のほとりにフンザHunza渓谷という谷があるが、ここで話されているのがブルシャスキー語(アクセントは「ル」にあるそうだ)という言語である。

カラコルム・ハイウェイ。Hunza や Nager (Nagar)という地名が見える。
Karakoram_highway.svg

 谷の一方がフンザ、川を挟んだ向こう側がナゲルNager という地名で、いっしょにされてフンザ・ナゲルと呼ばれていることが多い。しかしこの二つはそれぞれ別の支配者(ブルシャスキー語でtham)に統治される独立国であった。両国間での戦争さえあったそうだ。1891年にイギリスの支配下に入り1947年に自主的にパキスタンへの併合の道を選んだ。長い間君主国としての独立性を保っていたが、ナゲルは1972年フンザは1974年に王国としての地位を失い単なるパキスタン領となった。フンザには約4万人、ナゲルにもほぼ同数のブルシャスキー語話者がいると見られる。両者間には方言差があるが相互理解には何ら支障がない。ナゲルの方が保守的だそうだ。例えばhe does it をナゲルではéću bái といってéću が動詞本体、báiはいわば助動詞だが、これがフンザでは合体してéćái または éćói という形になっている。同様にyou have done it はナゲルでétu báa、フンザでétáa または étóo となる。母音の上についている「´」はアクセント記号だが、フンザではこの短い単語にアクセントが二つある、ということは山が二つあることになるわけでいかにも元は二つの単語だったと思わせる。また本来同じ母音が二つ連続していたのがフンザでは一母音に短縮され、ナゲルで「一ヵ月」は hísa-an というのにフンザでは hísan と母音が縮まっている。語彙の点でもいろいろ相違があるらしい。
 このフンザとナゲルの他にもう一つブルシャスキー語地域がある。フンザ渓谷の北西約100kmのところにあるヤスィンYasinという辺境の谷がそれ。ここの方言はフンザ・ナゲルとはさらにはっきり差があり、フンザ/ナゲル対ヤスィンという図式になるそうだ。それでもやはり相互理解の邪魔にならない程度。このヤスィン方言の話者は昔ナゲルから移住してきた人たちの子孫、つまりヤスィン方言はナゲル方言から分かれたものらしい。いくつかの資料から分かれた時期は16世紀ごろと推定できる。南米スペイン語と本国スペイン語との違い同じようなものか。またヤスィン方言はフンザよりさらに語尾や助詞・助動詞の簡略化が進んでいるとのことだ。オランダ語とアフリカーンスを思い出してしまう。ブルシャスキー語の話者の総数はおよそ10万人だそうだから、単純計算でヤスィン方言の話者は2万人ということになる。でも「10万人」というその数字そのものがあまり正確でないようだから本当のところはわからない。
 ちょっとこの3つの方言を比べてみよう。
Tabelle1-144
「目」と「肝臓」の前にハイフンがついているのは、これらの語が単独では使われず、常に所有関係を表す前綴りが入るからだ(下記参照)。全体的にみると確かにナゲル→フンザ→ヤスィンの順に形が簡略化していっているのがわかる。また、フンザの「目」の複数形などちょっとした例外はあるにしてもヤスィンとフンザ・ナゲル間にはすでに「音韻対応」が成り立つほど離れているのも見える。しかし同時にこれらのバリアントが言語的に非常に近く、差異は単に「方言差」と呼んでもいいことも見て取れる。確かにこれなら相互理解に支障はあるまい。またナゲル→フンザ→ヤスィンの順に簡略化といっても一直線ではなく、例外現象(例えば下記の代名詞の語形変化など)も少なくないのは当然だ。

ブルシャスキー語の話されている地域。上がウィキペディアからだが、雑すぎてイメージがわかないのでhttp://www.proel.org/index.php?pagina=mundo/aisladas/burushaskiという処から別の地図を持ってきた(下)。
Burshaski-lang

burushaski

 ブルシャスキー語の研究は19世紀の半ばあたりから始まった。周りと全く異質な言葉だったため、当時植民地支配していたイギリス人の目に留まっていたのである。最初のころの研究書は量的にも不十分なものだったが、1935年から1938年にかけて出版されたD. L. R. Lorimer 大佐による全3巻の研究書はいまだに歴史的価値を失っていない。氏は英国人で植民地局の役人だった。しかし残念ながらこれもこんにちの目で見るとやはり音韻面の記述始め語彙の説明などでも不正確な面がいろいろあるそうだ。1930年代といえば今の構造主義の言語学が生まれたばかりの頃であるから仕方がないだろう。
 その後も研究者は輩出した。例えば Hermann Berger の業績である。ベルガー氏は1957年からブルシャスキー語に関心を寄せていたが、1959年、1961年、1966年、1983年、1987年の5回、現地でフィールドワークを行い、その結果をまとめて1998年に3巻からなる詳細なフンザ・ナゲル方言の研究書を出版した。一巻が文法、2巻がテキストとその翻訳、3巻が辞書だ。最後の5回目のフィールドワークの後1992年から1995年まで現地の研究者とコンタクトが取れ手紙のやり取りをして知識を深めたそうだ。その研究者はデータを集めたはいいが発表の きっかけがつかめずにいて、理論的な下地が出来ていたベルガー氏にその資料を使ってもらったとのことだ。ヤスィン方言についてはすでに1974年に研究を集大成して発表している。
 最初は氏はブルシャスキー語の親族関係、つまりどの語族に属するのかと模索していたようで、一時はバスク語との親族関係も考えていたらしいことは『72.流浪の民』でも紹介した通りであるが、その後自分からその説を破棄しブルシャスキー語は孤立語としてあくまで言語内部の共時的、また通時的構造そのものの解明に心を注ぐようになった。1966年の滞在の時にはすでにカラコルム・ハイウェイの建設が始まっていたので外国人は直接フンザ・ナガル渓谷には入れずラーワルピンディーというところまでしか行けなかったそうだが、そこでインフォーマントには会ってインタビュー調査をやっている。1983年にまた来たときはハイウェイがすでに通っていたわけだが、あたりの様子が全く様変わりしてしまっていたと氏は報告している。

 さてそのブルシャスキー語とはどんな言語なのか。大雑把にいうと膠着語的なSOVの能格言語であるが(大雑把すぎ)、特に面白いと思うのは次の点だ。

 まずさすがインド周辺の言語らしくそり舌音がある。[ʈ, ʈʰ,  ɖ,  ʂ, ʈ͡ʂ ,  ʈ͡ʂʰ,  ɖ͡ʐ , ɻ] の8つで、ベルガーはこれらをそれぞれ ṭ, ṭh, ḍ, ṣ, c̣, c̣h, j̣, ỵ と文字の下の点を打って表記している。それぞれの非そり舌バージョンは [t, tʰ, d, s, t͡s,  t͡sʰ, d͡ʑ , j]、ベルガーの表記では t, th, d, s, c, ch, j, y だ。最後の y、 ỵ の非そり舌バージョンは半母音(今は「接近音」と呼ばれることが多いが)だが、これは母音 i のアロフォンである。つまり ỵ は接近音をそり舌でやるのだ。そんな音が本当に発音できるのかと驚くが、この ỵ は半母音でなく子音の扱いである。また t, tʰ, d  の部分を見るとその音韻組織では無気・帯気が弁別性を持っていることがわかる。さらにそれが弁別的機能を持つのは無声子音のみということも見て取れ、まさに『126.Train to Busan』で論じた通りの図式になってちょっと感動する。

ベルガーによるブルシャスキーの音韻体系。y、w はそれぞれ i、u  のアロフォンということでここには出てこない。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.13 から
burushaski-phoneme-bearbeitet
 しかしそり舌の接近音くらいで驚いてはいけない。ブルシャスキー語には文法性が4つあるのだ。これはすでにLorimer が発見してそれぞれの性を hm、hf、x、y と名付け、現在の研究者もこの名称を踏襲している。各グループの名詞は語形変化の形が違い修飾する形容詞や代名詞の呼応形も異なる、つまりまさに印欧語でいう文法性なのだが、分類基準は基本的に自然性に従っている。hm はhuman masculine で、人間の男性を表す語、人間でない精霊などでも男性とみなされる場合はここに属する。hf はhuman feminine、人間の女性で、男の霊と同じく女神なども hm となる。ただし上で「基本的に」と書いたように微妙な揺れもある。例えばqhudáa(「神」)は hm だが、ことわざ・格言ではこの語が属格で hf の形をとり、語尾に -mo がつくことがある。hf の bilás(「魔女」)は時々 x になる(下記)。この x 、 y という「文法性」には人間以外の生物やモノが含まれるが両者の区別がまた微妙。動物はすべて、そして霊や神で性別の決まっていないものは x 。これらは比較的はっきりしているが生命のない物体になると話が少し注意が必要になる。まず卵とか何かの塊とか硬貨とか数えられるものは x、流動体や均等性のもの、つまり不可算名詞や集合名詞は  y になる。水とか雪とか鉄とか火などがこれである。また抽象名詞もここにはいる。ややこしいのは同じ名詞が複数のカテゴリーに 属する場合があることだ。上で挙げた「揺れ」などではなく、この場合は属するカテゴリーによってニュアンスというより意味が変わる。例えば ráac̣i は hm なら「番人」だがx だと「守護神」、ġénis は hf で「女王」、y で「金」となる。さらに ćhumár は x で「鉄のフライパン」、y で「鉄」、bayú は x だと「岩塩」、つまり塩の塊だが y では私たちが料理の時にパラパラ振りかけたりする砂状の塩だ。
 もちろん名詞ばかりでなく、代名詞にもこの4つの違いがある。ヤスィン方言の単数形の例だが、this はそれぞれの性で以下のような形をとる。hf で -mo という形態素が現れているが、これは上で述べた -mo についての記述と一致する。
Tabelle2-144
フンザ・ナゲルでは hm と hf との区別がなくh として一括できる。
Tabelle3-144
 さらに動詞もこれらの名詞・代名詞に呼応するのは当然だ。

 上でブルシャスキー語は膠着語な言語と書いたのは、トルコ語のような真正の膠着語と違って語の後ろばかりでなく接頭辞が付きそれが文法上重要な機能を担っているからだ。面白いことに動詞に人称接頭辞が現れる。動詞の人称変化の上にさらに人称接頭辞が加わるのだ。例えば werden (become) という自動詞では動詞本体の頭に主語を表す人称辞がついて

i-mánimi → er-wurde (he-became)
mu-mánumo → sie-wurde (she-became)

となり、動詞の語形変化と接頭辞で人称表現がダブっているのがわかる。もっともブルシャスキー語は膠着語的な言語だから、上の例でもわかるように「動詞の人称変化」というのは印欧語のような「活用」ではなく動詞本体に接尾辞がつくわけで、つまり動詞語幹が前後から挟まれるのだ。これが単語としての動詞でシンタクス上ではここにさらに主語(太字)がつく。

hir i-mánimi → der Mann wurde (the man became)

だからこの形は正確にいうと der Mann er-wurde (the man he-became) ということだ。一方他動詞の場合は、「能格言語」と聞いた時点ですでに嫌な予感がしていたように人称接頭辞が主語でなく目的語を表す。

i-phúsimi → er ihn-band (he him-bound)
mu-phúsimi → er sie-band (he her-bound)

ここにさらに主語と目的語がつくのは自動詞と同じだ。

íne hir i-phúsimi → er band den Mann (he bound the man)

直訳すると er ihn-band den Mann (he him-bound the man) である。ここまでですでにややこしいが問題をさらにややこしくしているのが、この人称接頭辞が必須ではないということだ。どういう場合に人称接頭辞を取り、どういう場合に取らないか、まだ十分に解明されていない。人称接頭辞を全く取らない語形変化(語尾変化)だけの動詞も少なからずある。また同じ動詞が人称接頭辞を取ったり取らなかったりする。そういう動詞には主語や目的語が y-クラスの名詞である場合は接頭辞が現れないものがある。また人称接頭辞を取る取らないによって意味が違ってくる動詞もある。人称接頭辞があると当該行動が意図的に行われたという意味になるものがあるそうだ。例えば人称接頭辞なしの hir ġurċími (der Mann tauchte unter/ the man dived under) ならその人は自分から進んで水に潜ったことになるが、接頭辞付きの hir i-ġúrċimi (何気にアクセントが移動している)だとうっかり足を滑らして水に落っこちたなど、とにかく外からの要因で起こった意図していない潜水だ。他動詞に人称接頭辞がつかないと座りの悪いものがあるのはおそらくこの理由による。上で述べたように他動詞だから接頭辞は目的語を示すわけだが、その目的語から見ればその作用は主語から来たもの、つまり目的語の意志ではないからだ。逆に自動詞に接頭辞を取ると座りが悪いのがあるが、それは意味そのものが「座る」とか「踊る」とか主語の主体性なしでは起こりえない事象を表す動詞だ。さらに人称接頭辞のあるなしで自動詞が他動詞に移行する場合もある。例えば接頭辞なしの qis- は「破ける」という自動詞だが接頭辞がつくと i-qhís- で、「破く」である。
 もうひとつ(もういいよ)、名詞にもこの人称接頭辞が必須のものがある。上述のハイフンをつけた名詞がそれで、「父」とか「母」などの親族名称、また身体部分など、持ち主というかとにかく誰に関する者や物なのかはっきりさせないとちゃんとした意味にならない。例えば「頭・首」は-yáṭis だが、そのままでは使えない。a-yáṭis と人称接頭辞 をつけて初めて語として機能する。上の動詞で述べた接頭辞 i- は hmで単数3人称だが、このa-  は一人称単数である。これにさらに所有代名詞がつく。jáa a-yáṭis となり直訳すると mein ich-Kopf (my I-head)、「私の頭」である。これに対し他の名詞は人称接頭辞がいらない。jáa ha で「私の家」、「家」に接頭辞がついていない。しかし持ち主がわからず単にa head または the head と言いたい場合はどうするのか。そういう時は一人称複数か3人称複数の人称接頭辞を付加するのだそうだ。

 極めつけというかダメ押しというか、上でもちょっと述べたようにこのブルシャスキーという言語は能格言語(『51.無視された大発見』参照)である。自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ格(絶対格)になり他動詞の主語(能格)と対立する。ベルガー氏がバスク語との関係を云々し、コーカサスの言語とのつながりをさぐっている研究者がいるのはこのためだろう。ブルシャスキー語は日本語などにも似て格の違いを接尾辞でマークするので印欧語のように一発できれいな図表にはできないが(要するに「膠着語的言語」なのだ)、それでも能格性ははっきりしている。絶対格はゼロ語尾、能格には -e がつく。

自動詞
hir i-ír-imi
man.Abs + hm.sg.-died-hm.sg
der Mann starb (the man died).

他動詞
hír-e gus mu-yeéċ-imi
man.Erg + woman.Abs + hf.sg-saw-hm.sg
Der Mann sah die Frau (the man saw the woman)


ブルシャスキー語の語順はSOVだから、他動詞では直接目的語の「女」gus が動詞の前に来ているが、これと自動詞の主語hir(「男」)はともにゼロ語尾で同じ形だ。これが絶対格である。一方他動詞の主語はhír-e で「男」に -e がついている。能格である。人称接頭辞は上で述べた通りの図式だが、注意すべきは動詞の「人称変化」、つまり動詞の人称接尾辞だ。自動詞では接頭、接尾辞ともに hmの単数形で、どちらも主語に従っているが、他動詞では目的語に合わせた接頭辞は hf だが接尾辞の方は主語に呼応するから hm の形をとっている(下線部)。言い換えるとある意味では能格構造と主格・対格構造がクロスオーバーしているのだ。このクロスオーバー現象はグルジア語(再び『51.無視された大発見』参照)にもみられるし、ヒンディー語も印欧語のくせに元々は受動態だったものから発達してきた能格構造を持っているそうだから、やっぱりある種のクロスオーバーである。

 ところで仮にパキスタン政府がカラコルム・ハイウェイに関所(違)を設け、これしきの言語が覚えられないような馬鹿は入国禁止とか言い出したら私は絶対通過できない。そんな想像をしていたら一句浮かんでしまった:旅人の行く手を阻むカラコルム、こんな言語ができるわけなし。


ブルシャスキー語の格一覧。Kasus absolutusが絶対格、Ergativが能格。
Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.63 から
burushaski-Kasus-bearbeitet
そしてこちらが人称接頭辞一覧表。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.90 から
burushaski-praefixe-bearbeitet
ベルガー氏が収集したフンザ方言の口述テキストの一つ。ドイツ語翻訳付き。「アメリカ人とK2峰へ」。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil II Texte mit Übersetzungen. Wiesbaden:Harrassowitz: p.96-97 から
burushaski-text-bearbeitet


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 エマヌエル・ガイベルという後期ロマン派の詩人の作品にZigeunerleben(「ジプシーの生活」)という詩がある。シューマンの作曲で「流浪の民」として日本でも有名だが、第二連はこうなっている。

Das ist der Zigeuner bewegliche Schar,
Mit blitzendem Aug' und mit wallendem Haar,
Gesäugt an des Niles geheiligter Flut,
Gebräunt von Hispaniens südlicher Glut.

それは移動するジプシーの群れ
きらきら光る眼と波打つ髪
ナイルの神聖な流れのほとりで乳を吸い
イスパニアの南国の灼熱に肌を焦がす
(原作の韻など全く無視した無粋な訳ですみません)


3行目「ナイルの神聖な流れのほとりで乳を吸い」という部分が気になるが、これはいわゆるジプシー、つまりロマがエジプトから来たと当時広く信じられていたからである。言いだしっぺが誰であるかはわからない。彼ら自身がそう自称したとも言われている。『50.ヨーロッパ最大の少数言語』の項でも書いたようにロマの起源はインドであるが、その存在が文献に現れるのは11世紀に当時のビザンチン帝国の記録が最初だ。当時ビザンチン帝国だけでなく、中東全般にわたって広く住んでいたらしい。彼らはキリスト教を受け入れていた(そうだ)。肌の色が浅黒く、その地では周りからコプト人と見なされていたのを巡礼目的や十字軍でパレスティナに来ていたヨーロッパ人が本国に伝えた、とも聞いた。
 これは単なる想像だが、私にはロマの方からコプト人だと自己申告したとはどうも考えにくいのである。浅黒い膚のキリスト教徒を見てヨーロッパ人が勝手にコプトだと思いこみ、ロマが特にそれに異を唱えないでいるうちにそういう説が定着してしまったのではないだろうか。そもそもロマ自身は自分たちがエジプト出身扱いされているのを知っていたのだろうか。 ヨーロッパ人側がロマをエジプトから来た人々と「思いたかった」、出エジプト記を今度はキリスト教徒を主役にして再現したかった、つまりある種の宗教ロマン物語を信じたかったのでないだろうか。そしてそういう図式が当時のキリスト教社会にアピールして定着したのでは。例えば上のガイベルの詩にもこんな部分がある。

Und magische Sprüche für Not und Gefahr
Verkündet die Alte der horchenden Schar.

そして苦境や危機に陥れば
老婆が魔法の言葉を告げる
(モーゼかこの老婆は?)


Und die aus der sonnigen Heimat verbannt,
Sie schauen im Traum das gesegnete Land.

そして陽光に満ちた故郷を追われ
祝福の地を夢に見る
(das gesegnete Landあるいはgesegnetes Land(祝福された土地)というのも聖書からの概念)


 こうやって都合のいい時だけは(?)ロマンチックな描写をするが、何か起こると、いや起こらなくてもロマは一般社会で差別抑圧されていたのである。「虐待」といってもいい。ひょっとしたら文学者はロマが普段虐待されているそのために、せめて言葉の上では美しくロマンチックに描いてやって、言い換えるとリップサービスでもしてやって読者の、いや自身の目をも現実から背けようとしたのかもしれない。
 この詩が出版されたのは1834年で、比較言語学者のポットがロマの言語とインド・イラニアン語派との類似に気づいたのは1844年、ミクロシッチが詳細な研究を行なったのが1872年から1880年にかけてだから、ガイベルはまだこの時点ではロマがインド起源ということを知らなかったのだろう。しかし一方ガイベルは1884年まで生きており、古典文献学で博士号までとっているのだからミクロシッチの論文を読んでいたかもしれない。もっとも文学と言語学というのが既に仲が悪いことに加えて、ガイベルの当時いたプロイセンとミクロシッチのいたオーストリア・ハンガリー帝国は敵同士だったから、その可能性は薄いと思うが。

 ロマはビザンチン帝国内に結構長い間住んでいたらしく、その語彙には当時のギリシア語からの借用語が目立つそうだ。例えば:
tabelle1-72
 語彙ばかりでなく、派生語を作る際の形態素などもギリシャ語から輸入している。抽象名詞をつくるための-mos (複数形は-mota)がそれ。
 ギリシア語に触れる以前、つまり現在の北インドからコーカサスの言語からの借用は、はっきりどの言語からと断定するのが難しい。借用から時間が経って借用元の言語でもロマニ語内でも語の形が変化を起こしてしまっている上、そもそもあそこら辺の言語はロマニ語と同じく印欧語だから、当該単語が借用語なのか双方の言語で独立に印欧祖語から発展してきたのか見分けがつけにくいらしい。
 それでも当地の非印欧語、グルジア語やブルシャスキー語からの借用を指摘する人もいる。ブルシャスキー語というのはパキスタンの北で細々と話されている言語である。能格言語だ。それにしてもグルジア語にしろその他のコーカサスの言語にしろ、あのあたりの言語がそろって能格言語なのはなぜだ?以前にも書いたように、シュメール語と無関係とは思えないのだが。
 そのブルシャスキー語からロマニ語への借用をヘルマン・ベルガー(Hermann Berger)という学者が1959年に発表した『ジプシー言語におけるブルシャスキー語からの借用語について』(Die Burušaski-Lehnwörter in der Zigeunersprache)という論文で指摘し、13ほど例を挙げ、嫌というほど詳細な検討を加えている。ベルガーの説には批判や疑問点も多いらしいが、面白いので一部紹介しておきたい。著者はこの論文の中でブルシャスキー語とバスク語との親類関係についても肯定的に発言している。
Tabelle2-72
 ビザンチンがオスマントルコに滅ぼされると、ロマはヨーロッパ内部へ移動し始めた。現在ヨーロッパ大陸にいるロマは方言の差が激しく、すでに意思の疎通が困難な場合が多いそうだが、これはロマニ語内部での変化に加えて(それだけだったらたかが600年ぽっちの間に意思疎通が困難になるほど変遷するとは思えない)、あちこちでいろいろな言語と接触して外部から変化させられたためだろう。面白い例が一つある。セルビアで話されているErliというロマニ語方言(というべきか言語というべきか)では未来形をまさにバルカン言語連合の図式どおりに作るのである。Erliでは動詞の接続法に不変化詞kaをつけて表すが、このkaは「欲しい」という動詞kamelが後退したもの。

Ka   dikhav
未来. + see(一人称単数形・接続法)
私は見るだろう

『40.バルカン言語連合再び』の項で挙げたアルバニア語、ルーマニア語、ブルガリア語、現代ギリシア語と比べてみてほしい。構造が完全に平行しているのがわかる。

アルバニア語
doshkruaj
未来 + 接続法マーカー +「書く」一人称単数現在
        
ルーマニア語
oscriu
未来 + 接続法マーカー +「書く」一人称単数現在
 

ブルガリア語
šte piša
未来 +「書く」一人称単数現在

現代ギリシア語
θα γράψω
未来 +「書く」一人称単数接続法

ところが同じロマニ語でもブルゲンラント・ロマニ語というオーストリア、ハンガリーで話されている方言だと未来形を純粋な語形変化で表す。

phirav (「行く」一人称単数現在) + a
→ phira「私は行くだろう」
phires (「行く」二人称単数現在) + a
→ phireha「君は行くだろう」
など

 上で述べたようにロマの一部がバルカン半島を去ったのはそれほど古い話ではない。それなのにブルゲンラントのロマニ語がバルカン言語連合現象の影響を受けていない、ということはバルカン言語連合という現象自体が比較意的新しい時代に起こったか、現象そのものは昔からあったがロマが周りとあまり接触しなかったとかの理由で影響を被るのが他の言語より遅かったかのどちらかである。語彙面での借用状況を考えると「周りとの接触が乏しかった」とは考えにくいので最初の解釈が合っているような気がするが、なにぶん私は素人だから断言はできない。

 またロマニ語は借用語と本来の言葉との差を明確に意識しているらしく、外来語と土着の単語とでは変化のパラダイムが違う。下は旧ユーゴスラビアのヴラフ・ロマの例だが、kam-(「欲しい」)という動詞はロマニ語本来の、čit-(「読む」)はセルビア語からの借用。ロシア語でも「読む」はчитать(čitat’)である。
Tabelle3-72
つまり土着の単語で母音aやeが現れる部分が外来語ではoになっているのである。これは名詞の変化パラダイムでもそうで、ロマニ語本来の語raklo(「男の子」)と上でも述べたギリシア語からの借用語foroの語形変化ぶりを比べるとわかる。単数形のみ示す。
Tabelle4-72
ここでもeとoがきれいに対応している。なお、私の参照した資料にはなぜか対格形が示されていなかったが、『65.主格と対格は特別扱い』で見たように対格は膠着語的な接尾マーカーなしの第一層一般斜格を使うから「男の子を」はrakl-esになるはずである。それに対して「町を」は一般斜格のfor-osではなく主格と同形のforoになるはずだ。ロマニ語はロシア語と同じく(というよりロシア語がロマニ語と同じく)生物・非生物の差を格変化形で表すからである。
 そういえば日本語は外来語とヤマト言葉を片仮名と平仮名(と漢字)で書き分けるがロマニ語はこの区別をパラダイムでやるわけか。


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