アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:ブルガリア語

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 いろいろな言語が、語族が違うにもかかわらず、その地理的な隣接関係によって言語構造、特に統語構造に著しい類似性類似性を示すことがある。これをSprachbund(シュプラッハブント)、日本語で言語連合現象と言うが、この用語は音韻論で有名なニコライ・トゥルベツコイの言葉で、もともとязыковой союз(ヤジコヴォイ・ソユーズ、うるさく言えばイィジカヴォイ・サユース)というロシア語だ。バルカン半島の諸言語が典型的な「言語連合」の例とされる。

 その「バルカン言語連合」の主な特徴には次のようなものがある。
1.冠詞が後置される、つまりthe manと言わずにman-theと言う。
2.動詞に不定形がない、つまりHe wants to go.と言えないのでHe wants that he goes.という風にthat節を使わないといけない。
3.未来形の作り方が特殊で、補助動詞でもなく動詞の活用でもなく、不変化詞を動詞の前に添加して作る。その不変化詞はもともと「欲しい」という意味の動詞が退化してできたものである。

 このバルカン言語連合の中核をなすのはアルバニア語、ルーマニア語、ブルガリア・マケドニア語である。人によっては現代ギリシア語も含めることがある。アルバニア語、ギリシア語は一言語で独自の語派をなしている独立言語(印欧語ではあるが)、ブルガリア語・マケドニア語はセルビア語・クロアチア語やロシア語と同じスラブ語派、ルーマニア語はスペイン語、イタリア語、ラテン語と同様ロマンス語派である。
 セルビア語・クロアチア語は普通ここには含まれない。満たしていない条件が多いからだ。しかしそれはあくまで標準語の話で、セルビア語内を詳細に観察して行くと上の条件を満たす方言が存在する。ブルガリアとの国境沿いとコソボ南部で話されているトルラク方言と呼ばれる方言だ。この方言では冠詞が後置されることがある。つまりセルビア語トルラク方言は、前にも言及した北イタリアの方言などと同じく、重要な等語線が一言語の内部を走るいい例なのだ。

 旧ユーゴスラビアであのような悲惨な紛争が起こって、多くの住民が殺されたり避難や移住を余儀なくされた。言語地図もまったく塗り替えられてしまったに違いない、あのトルラク方言はどうなっているのだろうと気にしていたのだが、先日見てみたらしっかりUNESCOの「危機に瀕した言語リスト」に載っていた。

565px-Torlak
セルビア語トルラク方言の話されている地域

 さらに調べていたら、上述の1の現象に関連して面白い話を見つけたのでまずご報告。地理的に隣接する言語の構造がいかに段階的に変化していくかといういい例だ。

1.バルカン言語連合の「中核」ブルガリア語は上で述べたようにこの定冠詞theを後置する。ъという文字はロシア語の硬音記号と違ってここではいわゆるあいまい母音である。

grad → grad-ъt    男性名詞
  (a city → the city)
žena → žena-ta     女性名詞
  (a woman → the woman)
dete → dete-to      中性名詞
  (a child → the child)

2.バルカン言語連合に属さないセルビア語標準語には、定冠詞と呼べるものはなく、指示代名詞だけだ。日本語のように「これ」「それ」「あれ」の3分割体系の指示代名詞。標準セルビア語だからこれらの指示代名詞は前置である。

男性名詞
  ovaj grad   この町
  taj grad   その町
  onaj grad   あの町

女性名詞
  ova žena   この女
  ta žena   その女
  ona žena   あの女

中性名詞
  ovo dete   この子
  to dete   その子
  ono dete   あの子

3.西ブルガリア語方言とマケドニア語、つまりセルビア語と境を接するスラブ語はこの3分割を保ったまま、その指示代名詞が後置される。つまり、「冠詞」というカテゴリー自体は未発達のまま後置現象だけ現われるわけだ。

grad 町
  grad-ov    この町
  grad-ot     その町
  grad-on    あの町
žena 女
  žena-va    この女
  žena-ta    その女
  žena-na    あの女
dete 子
  dete-vo    この子
  dete-to    その子
  dete-no    あの子

3のマケドニア語と2の標準セルビア語を比べてみると前者では3種の指示代名詞が名詞の後ろにくっついていることがよくわかる。形態素の形そのものの類似性には驚くばかりだ。
 Andrej N. Sobolevという学者が1998年に発表した報告によれば、セルビア語トルラク方言でもこの手の後置指示代名詞が確認されている。例えば、

čovek-əv  この男・この人 (男性名詞単数形)
čovek-ət  その男・その人 (男性名詞単数形)
žena-va     この女        (女性名詞単数形)
zima-na   あの冬     (女性名詞単数形)
dete-vo   この子     (中性名詞単数形)
dete-no   あの子     (中性名詞単数形)
selo-vo    この村     (中性名詞単数形)

końi-vi   これらの馬       (男性名詞複数形)
godine-ve   これらの年       (女性名詞複数形)
oči-ve    これらの目、この両目(中性名詞複数形)

əというのは上のブルガリア語のъと同じくあいまい母音。godine-ve以下の3例は複数形だ。全体として西ブルガリア語方言とそっくりではないか。

 おまけとして、「バルカン言語連合中核」アルバニア語及びルーマニア語の定冠詞後置の模様を調べてみた。一見して、1.アルバニア語はルーマニア語に比べて名詞の格変化をよく保持している(ブルガリア語はスラブ語のくせに英語同様格変化形をほとんど失っている)、2.さすがルーマニア語は標準イタリア語といっしょに東ロマンス語に属するだけあって、複数形は-iで作ることがわかる。3.ルーマニア語はさらにスラブ語から影響を受けたことも明白。prieten「友人」は明らかに現在のセルビア語・クロアチア語のprijatelj「友人」と同源、つまりスラブ語、たぶん教会スラブ語からの借用だろう。ついでにクロアチア語で「敵」はneprijatelj、「非友人」という。

アルバニア語:
「少年」
・単数 (a boy → the boy)
主格 djalё →  djali
属格 djali  →  i djalit
与格 djali  →  djalit
対格 djalё →  djalin
奪格 djali  →  djalit

・複数 (boys → the boys)
主格 djem        → djem
属格  i djamve → i djemvet
与格 djemve    → djemvet
対格 djem       →  djem
奪格 djemsh    → djemvet

「少女」
・単数 (a girl → the girl)
主格 vajzё   →  vajza
属格 i vajzё →  i vaizёs
与格 vajzё   →  vajzёs
対格 vajzё   →  vajzёn
奪格 vajzё   → vajzёs

・複数 (girls → the girls)
主格 vajza      →  vajzat
属格 i vajzave →  i vajzavet
与格 vajzave  →  vajzavet
対格 vajza      →  vajzat
奪格 vaijzash  →  vaijzavet

ルーマニア語
「友人」
・単数 (a friend → the friend)
主格 prieten → prietenul
属格 prieten → prietenului
与格 prieten → prietenului
対格 prieten → prietenul

・複数 (friends → the friends)
主格 prieteni → prietenii
属格 prieteni → prietenilor
与格 prieteni → prietenilor
対格 prieteni → prietenii

「家」
・単数 (a house → the house)
主格 casă → casa
属格 case → casei
与格 case → casei
対格 casă → casa

・複数 (houses → the houses)
主格 case → casele
属格 case → caselor
与格 case → caselor
対格 case → casele

 私はある特定の言語のみをやるという姿勢そのものには反対しない。一言語を深くやれば言語一般に内在する共通の現象に行きつけるはずだとは思うし、ちょっと挨拶ができて人と擬似会話を交わせる程度で「何ヶ国語もできます」とか言い出す人は苦手だ。でも反面、ある特定の一言語、特にいわゆる標準語だけ見ていると多くの面白い現象を見落としてしまうこともあるのではないだろうか。言語、特に地理的に近接する言語はからみあっている。そして「標準語」などというのはある意味では幻想に過ぎない。


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 一度バルカン言語連合という言語現象について書いたが(『18.バルカン言語連合』)、補足しておきたい続きがあるのでもう一度この話をしたい。
 バルカン半島の諸言語、特にアルバニア語、ルーマニア語、ブルガリア・マケドニア語、現代ギリシア語は語族が違うのに地理的に隣接しているため互いに影響しあって言語構造が非常に似通っている、これをバルカン言語連合現象と呼ぶ、と以前述べた。そこで定冠詞が後置される現象の例をあげたが、いわゆる「バルカン言語」には他にも重大な特徴があるので、ここでちょっとを見てみたい。未来形の作り方である。

 上述の4言語は未来形作り方が特殊で、補助動詞でもなく動詞自身の活用でもなく、不変化詞を定型動詞の前に添加して作る。そしてその不変化詞というのがもともと「欲しい」という意味の動詞が退化してできたものなのだ。「私は書くでしょう」を順に見ていくと、

アルバニア語:   do të shkruaj
ルーマニア語:   o să scriu
ブルガリア語:   šte piša
現代ギリシア語:θα γράψω

「私」という代名詞は必ずしも必要でなく、shkruaj、 scriu、 piša、 γράψωがそれぞれ「書く」という動詞の一人称単数形。アルバニア語、ルーマニア語、現代ギリシャ語は接続法、ブルガリア語の動詞は直接法である。アルバニア語のtë、ルーマニア語の săが接続法をつくる不変化詞、ギリシャ語ももともとはここにναという接続法形成の不変化詞がついていたのが、後に消失したそうだ(下記参照)。まあどれも動詞定型であることに変わりはないからここではあまり突っ込まないことにして、ここでの問題は不変化詞は不変化詞でも、do、 o、 šte、 θαのほう。変わり果てた哀れな姿になってはいるが、これらはもともと「欲しい」という動詞が発達(というか退化)してきた語で、昔は助動詞で立派に人称によって活用していたのである。その活用形のうち三人称単数形がやがて代表として総ての人称に持ちいられるようになり、それがさらに形を退化させてとうとう不変化詞にまで没落してしまったのだ。

 アルバニア語のdoはもともとdua、ルーマニア語のoはoa(これだってすでに相当短いが)で、さらに遡るとラテン語のvoletに行き着く。ブルガリア語のšteはもと古教会スラブ語のxotĕti(ホチェーティ、「欲する」)の3人称単数形で、ロシア語の不定形хотеть(ホチェーチ)→三人称単数хочет(ホーチェット)、クロアチア語不定形htjeti(フティエティ)→三人称単数hoće(ホチェ)と同じ語源だ。現代ギリシア語のθαはθα <  θαν <  θα να < θε να < θέλω/θέλει ναという長い零落の過程を通ってここまで縮んだそうだ。これらの言語は語族が違うから語の形そのものは互いに全く違っているが、不変化詞の形成過程や機能はまったく並行しているのがわかるだろう。
 またこれらの未来形は動詞が定型をとっているわけだから、構造的に言うとI will that I writeに対応する。上で述べた接続法形成の不変化詞të、 să、 ναも機能としてはthatのようなものだ。またこれらの言語には動詞に不定形というものがないのだが、これも「バルカン言語現象」の重要な特徴だ。英語ならここでI will write あるいはI want to writeと言って、that節など使わないだろう。ブルガリア語でもthatにあたるdaを入れて「私は書くだろう」をšta da piša、つまりI will that I writeという方言がある。書き言葉でも時々使われるそうだが、これは「古びた言い方」ということだ。この場合、未来形形成の不変化詞がまだ助動詞段階にとどまり、完全には不変化詞にまで落ちぶれていないから全部一律でšteになっておらず、štaという一人称単数形を示している。「君は書くだろう」だとšteš da pišešだ。問題の語が語形変化しているのがわかるだろう。

 面白いのはここからなのである。

 前にも言ったように、普通「バルカン言語連合」には含まれないセルビア語・クロアチア語が、ここでも微妙に言語連合中核のブルガリア語とつながっているのだ。
 まずセルビア語・クロアチア語は動詞の不定形をもっているので、未来形の一つは「欲しい」から機能分化した助動詞と動詞不定形でつくる。言い換えるとここではまだ「欲しい」が不変化詞にまで退化しておらず助動詞どまりで済んでいるのだ。

私は書くだろう:   ću pisati
君は書くだろう:   ćeš pisati
彼は書くだろう:   će pisati
我々は書くだろう:  ćemo pisati
君たちは書くだろう: ćete pisati
彼らは書くだろう:  će pisati

ブルガリア語のštはクロアチア語・セルビア語のćと音韻対応するから、上のほう述べたブルガリア語の助動詞3人称単数形šte、その2人称形štešはセルビア語・クロアチア語では計算上それぞれće 、ćešとなるが、本当に実際そういう形をしている。一人称単数はブルガリア語でšta、セルビア語・クロアチア語でćuだからちょっと母音がズレているが、そのくらいは勘弁してやりたくなるほどきれいに一致している。セルビア語・クロアチア語では「書く」がpisatiと全部同じ形をしているが、これが動詞不定形だ。

 セルビア語・クロアチア語では上のような助動詞あるいは動詞+動詞不定形という構造と平行してthatを使った形も使う。おもしろいことに西へ行くほど頻繁に動詞不定形が使われる。なのでクロアチア語では「私はテレビを見に家に帰ります」は動詞の不定形を使って

Idem kući gledati televiziju
go (一人称単数) + home + watch(不定形)+ TV(単数対格)
→ (I) go home to watch television


というのが普通だが、東のセルビア語ではここでthatにあたるdaを使って

Idem kući da gledam televiziju
go (一人称単数) + home + that + watch(一人称単数)+ TV(単数対格)
→ (I) go home that I watch television

という言い方をするようになる。だから未来形もその調子で動詞定型を使って

私は書くだろう:   ću da pišem
君は書くだろう:   ćeš da piš
彼は書くだろう:   će da piše
我々は書くだろう:     ćemo da pišemo
君たちは書くだろう: ćete da pišete
彼らは書くだろう:  će da pišu

といえる方言がある、というよりこれが普通だそうだ。上で述べたブルガリア語の方言あるいは「古風な言い方」とまったく構造が一致している。ところがセルビア語の方言にはさらに助動詞のću /ćeš/ će/ ćemo/ ćete/ ćeという活用が退化してću /će/ će/ će/ će/ ćuとなり、かつdaが落ちるものがあるとのことだ。(私の見た本には三人称複数形の助動詞をćuとしてあったが、これはćeの間違いなのではないかなと思った。)

私は書くだろう:   ću pišem
君は書くだろう:   će pišeš
彼は書くだろう:   će piše
我々は書くだろう:  će pišemo
君たちは書くだろう: će pišete
彼らは書くだろう:  ću pišu

 ここまできたらću /će/ će/ će/ će/ ću(će?)が全部一律でćeになるまでたった一歩。あくまで仮にだが、未来形が

私は書くだろう:   će pišem
君は書くだろう:   će pišeš
彼は書くだろう:   će piše
我々は書くだろう:  će pišemo
君たちは書くだろう: će pišete
彼らは書くだろう:  će pišu

となるセルビア語の方言がありますとか言われてももう全然驚かない。この仮想方言(?)を下に示すブルガリア語と比べてみてほしい。ブルガリア語は本来キリル文だが、比べやすいようにローマ字にした。

私は書くだろう(上述):šte piša
君は書くだろう(上述):šte pišeš
彼は書くだろう:       šte piše
我々は書くだろう:      šte pišem
君たちは書くだろう:     šte pišete
彼らは書くだろう:      šte pišat

šteがćeになっただけであとはブルガリア語標準語とほとんど同じ構造ではないか。前に述べた後置定冠詞もそうだったが、セルビア語はいわゆるバルカン言語の中核ブルガリア語と言語連合の外に位置するクロアチア語を橋渡ししているような感じである。

 バルカンの言語は結構昔から大物言語学者が魅せられて研究しているが、こういうのを見せられると彼らの気持ちがわかるような気がする。もっとも「気持ちがわかる」だけで、では私も家に坐ってこんなブログなど書いていないで自分で実際に現地に行ってフィールドワークしてこよう、とまでは気分が高揚しないところが我ながら情けない。カウチポテトは言語学には向かない、ということか。


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 エマヌエル・ガイベルという後期ロマン派の詩人の作品にZigeunerleben(「ジプシーの生活」)という詩がある。シューマンの作曲で「流浪の民」として日本でも有名だが、第二連はこうなっている。

Das ist der Zigeuner bewegliche Schar,
Mit blitzendem Aug' und mit wallendem Haar,
Gesäugt an des Niles geheiligter Flut,
Gebräunt von Hispaniens südlicher Glut.

それは移動するジプシーの群れ
きらきら光る眼と波打つ髪
ナイルの神聖な流れのほとりで乳を吸い
イスパニアの南国の灼熱に肌を焦がす
(原作の韻など全く無視した無粋な訳ですみません)


3行目「ナイルの神聖な流れのほとりで乳を吸い」という部分が気になるが、これはいわゆるジプシー、つまりロマがエジプトから来たと当時広く信じられていたからである。言いだしっぺが誰であるかはわからない。彼ら自身がそう自称したとも言われている。『50.ヨーロッパ最大の少数言語』の項でも書いたようにロマの起源はインドであるが、その存在が文献に現れるのは11世紀に当時のビザンチン帝国の記録が最初だ。当時ビザンチン帝国だけでなく、中東全般にわたって広く住んでいたらしい。彼らはキリスト教を受け入れていた(そうだ)。肌の色が浅黒く、その地では周りからコプト人と見なされていたのを巡礼目的や十字軍でパレスティナに来ていたヨーロッパ人が本国に伝えた、とも聞いた。
 これは単なる想像だが、私にはロマの方からコプト人だと自己申告したとはどうも考えにくいのである。浅黒い膚のキリスト教徒を見てヨーロッパ人が勝手にコプトだと思いこみ、ロマが特にそれに異を唱えないでいるうちにそういう説が定着してしまったのではないだろうか。そもそもロマ自身は自分たちがエジプト出身扱いされているのを知っていたのだろうか。 ヨーロッパ人側がロマをエジプトから来た人々と「思いたかった」、出エジプト記を今度はキリスト教徒を主役にして再現したかった、つまりある種の宗教ロマン物語を信じたかったのでないだろうか。そしてそういう図式が当時のキリスト教社会にアピールして定着したのでは。例えば上のガイベルの詩にもこんな部分がある。

Und magische Sprüche für Not und Gefahr
Verkündet die Alte der horchenden Schar.

そして苦境や危機に陥れば
老婆が魔法の言葉を告げる
(モーゼかこの老婆は?)


Und die aus der sonnigen Heimat verbannt,
Sie schauen im Traum das gesegnete Land.

そして陽光に満ちた故郷を追われ
祝福の地を夢に見る
(das gesegnete Landあるいはgesegnetes Land(祝福された土地)というのも聖書からの概念)


 こうやって都合のいい時だけは(?)ロマンチックな描写をするが、何か起こると、いや起こらなくてもロマは一般社会で差別抑圧されていたのである。「虐待」といってもいい。ひょっとしたら文学者はロマが普段虐待されているそのために、せめて言葉の上では美しくロマンチックに描いてやって、言い換えるとリップサービスでもしてやって読者の、いや自身の目をも現実から背けようとしたのかもしれない。
 この詩が出版されたのは1834年で、比較言語学者のポットがロマの言語とインド・イラニアン語派との類似に気づいたのは1844年、ミクロシッチが詳細な研究を行なったのが1872年から1880年にかけてだから、ガイベルはまだこの時点ではロマがインド起源ということを知らなかったのだろう。しかし一方ガイベルは1884年まで生きており、古典文献学で博士号までとっているのだからミクロシッチの論文を読んでいたかもしれない。もっとも文学と言語学というのが既に仲が悪いことに加えて、ガイベルの当時いたプロイセンとミクロシッチのいたオーストリア・ハンガリー帝国は敵同士だったから、その可能性は薄いと思うが。

 ロマはビザンチン帝国内に結構長い間住んでいたらしく、その語彙には当時のギリシア語からの借用語が目立つそうだ。例えば:

ロマニ語        ギリシア語
foro(s)  「町」   ←  foros    「広場、市場」
drom    「道」   ←  dromos   「道」
zumin   「石鹸」  ←  zumi    「石鹸」
kokalo  「骨」   ←  kokkalo   「骨」
kurko    「週」   ←  kyriaki     「日曜日」
luludi    「花」    ←  luludi    「花」
petalo  「蹄鉄」 ←  petalon   「蹄鉄」

 語彙ばかりでなく、派生語を作る際の形態素などもギリシャ語から輸入している。抽象名詞をつくるための-mos (複数形は-mota)がそれ。
 ギリシア語に触れる以前、つまり現在の北インドからコーカサスの言語からの借用は、はっきりどの言語からと断定するのが難しい。借用から時間が経って借用元の言語でもロマニ語内でも語の形が変化を起こしてしまっている上、そもそもあそこら辺の言語はロマニ語と同じく印欧語だから、当該単語が借用語なのか双方の言語で独立に印欧祖語から発展してきたのか見分けがつけにくいらしい。
 それでも当地の非印欧語、グルジア語やブルシャスキー語からの借用を指摘する人もいる。ブルシャスキー語というのはパキスタンの北で細々と話されている言語である。能格言語だ。それにしてもグルジア語にしろその他のコーカサスの言語にしろ、あのあたりの言語がそろって能格言語なのはなぜだ?以前にも書いたように、シュメール語と無関係とは思えないのだが。
 そのブルシャスキー語からロマニ語への借用をヘルマン・ベルガー(Hermann Berger)という学者が1959年に発表した『ジプシー言語におけるブルシャスキー語からの借用語について』(Die Burušaski-Lehnwörter in der Zigeunersprache)という論文で指摘し、13ほど例を挙げ、嫌というほど詳細な検討を加えている。ベルガーの説には批判や疑問点も多いらしいが、面白いので一部紹介しておきたい。著者はこの論文の中でブルシャスキー語とバスク語との親類関係についても肯定的に発言している。

ロマニ語                   ブルシャスキー語
ciro   「時間・天気」          ← cir 「機会」
serd-  「引く」               ← car et- (過去形語幹), car ee- (現在形語幹)、
                    「引き裂く、裂く」
xev   「穴」< *kham         ← qam
sapano 「濡れた・湿った」 < *sapam-o  ← hayum
                                                                     「湿っている(服・木材・パンについていう)
                     < *sawom < *sapam.
sulum  「藁」               ← hwnul "「家畜のエサ用に干した葉」 < *sumul
kazom 「それくらい、どれくらい?」    ← akurum 「そのようにたくさん」 < *akadzom  

 ビザンチンがオスマントルコに滅ぼされると、ロマはヨーロッパ内部へ移動し始めた。現在ヨーロッパ大陸にいるロマは方言の差が激しく、すでに意思の疎通が困難な場合が多いそうだが、これはロマニ語内部での変化に加えて(それだけだったらたかが600年ぽっちの間に意思疎通が困難になるほど変遷するとは思えない)、あちこちでいろいろな言語と接触して外部から変化させられたためだろう。面白い例が一つある。セルビアで話されているErliというロマニ語方言(というべきか言語というべきか)では未来形をまさにバルカン言語連合の図式どおりに作るのである。Erliでは動詞の接続法に不変化詞kaをつけて表すが、このkaは「欲しい」という動詞kamelが後退したもの。

Ka   dikhav
未来. + see(一人称単数形・接続法)
私は見るだろう

『40.バルカン言語連合再び』の項で挙げたアルバニア語、ルーマニア語、ブルガリア語、現代ギリシア語と比べてみてほしい。構造が完全に平行しているのがわかる。

アルバニア語:     do   të        shkruaj
         未来 +  接続法マーカー + (「書く」一人称単数現在)
ルーマニア語:     o     să       scriu
                 未来 + 接続法マーカー + (「書く」一人称単数現在)
ブルガリア語:     šte  piša
                 未来 +(「書く」一人称単数現在)
現代ギリシア語:    θα   γράψω
                未来 + (「書く」一人称単数接続法)


ところが同じロマニ語でもブルゲンラント・ロマニ語というオーストリア、ハンガリーで話されている方言だと未来形を純粋な語形変化で表す。

phirav (「行く」一人称単数現在) + a -> phira    「私は行くだろう」
phires (「行く」二人称単数現在) + a -> phireha    「君は行くだろう」 など

 上で述べたようにロマの一部がバルカン半島を去ったのはそれほど古い話ではない。それなのにブルゲンラントのロマニ語がバルカン言語連合現象の影響を受けていない、ということはバルカン言語連合という現象自体が比較意的新しい時代に起こったか、現象そのものは昔からあったがロマが周りとあまり接触しなかったとかの理由で影響を被るのが他の言語より遅かったかのどちらかである。語彙面での借用状況を考えると「周りとの接触が乏しかった」とは考えにくいので最初の解釈が合っているような気がするが、なにぶん私は素人だから断言はできない。

 またロマニ語は借用語と本来の言葉との差を明確に意識しているらしく、外来語と土着の単語とでは変化のパラダイムが違う。下は旧ユーゴスラビアのヴラフ・ロマの例だが、kam-(「欲しい」)という動詞はロマニ語本来の、čit-(「読む」)はセルビア語からの借用。ロシア語でも「読む」はчитать(čitat’)である。

       「欲しい」 「書く」
一人称単数   kam-av          čit-ov
二人称単数      kam-es          čit-os
三人称単数      kam-el           čit-ol
一人称複数   kam-as           čit-os
二人称複数   kam-en           čit-on
三人称複数   kam-en           čit-on

つまり土着の単語で母音aやeが現れる部分が外来語ではoになっているのである。これは名詞の変化パラダイムでもそうで、ロマニ語本来の語raklo(「男の子」)と上でも述べたギリシア語からの借用語foroの語形変化ぶりを比べるとわかる。単数形のみ示す。

    「男の子」    「町」
主格   raklo                  foro
与格           rakl-es-ke          for-os-ke
奪格           rakl-es-tar          for-os-tar
具格           rakl-e(s)-sa        for-o(s)-sa
処格            rakl-es-te          for-os-te

ここでもeとoがきれいに対応している。なお、私の参照した資料にはなぜか対格形が示されていなかったが、『65.主格と対格は特別扱い』で見たように対格は膠着語的な接尾マーカーなしの第一層一般斜格を使うから「男の子を」はrakl-esになるはずである。それに対して「町を」は一般斜格のfor-osではなく主格と同形のforoになるはずだ。ロマニ語はロシア語と同じく(というよりロシア語がロマニ語と同じく)生物・非生物の差を格変化形で表すからである。
 そういえば日本語は外来語とヤマト言葉を片仮名と平仮名(と漢字)で書き分けるがロマニ語はこの区別をパラダイムでやるわけか。


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