アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:ドイツ鉄道

 最近はめぼしい特売がないのであまり行かなくなったが、以前よく新聞にさるスーパーマーケットの広告が挟まっていることがあって、それを頼りにときどき豚肉を買いに行った。ちょっと遠いところで、市電で5駅の距離の隣町にある。でもそこで電車に乗って運賃を使ってしまったらせっかくの特売も水の泡、節約にならないからいつも歩いて行った。
 川を渡るのだが、その川というのが、目黒川のようなケチな川ではなくて(ローカルな話をするな)、泣く子も黙るライン川だ。めざすスーパーも隣町どころか隣の州にある。

 ライン川といえば普通ローレライとかあの辺を思い浮かべる人が多いだろうが、この町のあたりは無粋・退屈なことこの上ない。岸はコンクリートで固められ、周りに立っている建物も灰色の倉庫だろサビの出たクレーンだろばかりだ。笹本駿二氏の『ライン川物語』でも少し上流のストラスブールと、少し下流のマインツあたりについては延々と情に満ちた記述が続くのにその中間、つまりこのあたりのライン川については冷たく「M,Lなど大工業都市に近づくとラインは殺風景なタンカー船隊を浮かべる不興げな流れに変わってしまう。」というたった2行で済まされている。つまりこのあたりの景色はお墨付きのつまらなさなのだ。
 そのつまらないラインだが、橋を渡っているとよく足の下を船が通る。外国船籍の船が多く、その中でもオランダの旗を立てているのを一番頻繁に見かけるが、スイス船籍もときどき見た。船籍の違う2隻の船がすれ違うこともある。オランダ船はネッカー川の方でも頻繁に見かける。こういう芸当は目黒川にはとてもできまい。

 そもそもここM市自体は人口はたった30万人ばかり、隣のL市と合計してもせいぜい45万人ほど。笹本氏の「大工業都市」という言い方は大袈裟すぎると思う。東京の区部を「町」とすればこんなの「村」を通り越して「集落」のレベルなのだが、その集落がナマイキにやたらと国際的である。
 
 まずうちの最寄り駅の切符の自動販売機を見る。鉄道の駅でなく単なる市電、路面電車の駅だからそれに対応して自動販売機もショボいものだ。日本で言うなら例えば山手線の五反田駅で小銭専用、千円札以上は使えない販売機の前に立っていると想像してもらいたい。そこで買える切符もまさか名古屋とか仙台とかはありえない。土浦だって怪しい。せいぜい柏とか取手までだろう。
 ところがこちらそういうレベルの小銭自動販売機の行き先にLauterbourgという怖い地名が見える。なぜこの地名が怖いかというとドイツ語ならLauterburgとなるべき綴りにoが挟まっているからだ。つまりドイツ語の地名を無理矢理フランス語にしたことが一目瞭然。そう、ここはもうフランス領なのである。実際駅名の後ろに小さく(France)と括弧でくくって書いてある。Frankreich(フランクライヒ)とドイツ語で書かずにFranceとフランス語で表示してあるあたり、さらに怖さ倍増。駅の読み方もラウターブルクでなくローテブールとかいうはずだ。

 その市電でM市の鉄道の中央駅へ行く。新宿とか東京駅はおろか横浜・川崎にだってとても対抗できる規模ではない。乗り入れ路線数は多いのだが、一日の乗降人員はたったの10万人くらいだそうだ。新橋や田町にさえ遥かに及ばない。ちょうど地下鉄の赤坂見附駅の一日の乗降客がこのくらいだ。しかしそのローカルな駅でもフランス、スイス、オーストリアなど外国の列車がジャンジャン行き来している。行き先のプレートにZürich(チューリヒ)あるいはParis-Est(パリ東駅)などと書いてある電車がよく駅に止まっている。新橋に「ウラジオストック行き」と書かれた電車が待機しているようなものだ。
 
 もうかれこれ30年前、まだ東西ドイツがあったころ、この町の大学の夏期講習に参加したとき、講習が終わって皆が帰っていく際に、クラスメートのポーランド人(確かパシコフスカさんという名前だった)を駅に見送りに行ったことがある。ウッジという町に帰るということだったが、そのとき駅のホームに入って来た列車の行き先に「ワルシャワ」と書いてあったので島国気質の抜けていなかった私は妙に感動したのを覚えている。
 一ヶ月ほど前、駅で電車を一本逃してしまい、次が来るまでやることがないからホームの時刻表を眺めていたらそんなことをふと思い出したので、そういえばあのワルシャワ行きはまだあるかなと思って探してみた。さすがにストレートに「ワルシャワ行き」という路線はなかったが、そのかわりMoskva Belorusskaja行きという列車が見つかった。ブレスト経由とある。このブレストというベラルーシの駅はもともとワルシャワ・モスクワ路線の重要中間地点だったところだからつまりこの路線はワルシャワを通るはずだと思った。
 ところがこのあいだまた見たら表示が「ミンスク経由」に変わっている。路線が変更になったのか、それとも単なる表現の差に過ぎないのか。気になったので調べてみたらミンスク経由でちゃんとブレストもワルシャワも通る。それより驚いたのがこの路線の始発がパリだったということだ。するとあのパシコフスカさんが帰って行った路線もパリから来ていたのだろうか。とにかくこの路線の主要停車駅は現在こんな感じになる。

パリ東駅→メッス・ヴィル→フォルバック→(ここからドイツ)マンハイム・中央駅→フランクフルト・アム・マイン・南駅→フルダ→ハノーバー・メッセ・ラーツェン→ベルリン・中央駅→フランクフルト・アン・デア・オーダー→(ここからポーランド)ジェピン-ポズナニ・中央駅→ワルシャワ・中央駅→ワルシャワ・東駅→ウクフ→テレスポル→(ここからベラルーシ)ブレスト・中央駅→ミンスク→オルシャ(ヴォルシャ)・中央駅→(ここからロシア)スモレンスク→ヴャジマ→モスクワ・ベラルーシ駅

5カ国を通り抜けるわけだ。万事こういう調子だから駅の時刻表なども独・仏・英の3言語が基本。私は直接経験していないが、私より前の時代にドイツに住んでいた人は「列車のコンパートメント等には仏・独・西・伊・ポーランド語で表示があった。英語表示はなかった。なぜなら英語は大陸ヨーロッパの言語ではないからである」と報告している。

 さらについ先日、今度は逆に少し駅に早く着いてしまったら、私がホームに来た時は2本前の列車がまだ止まっていたのだが、それがなんとフランスの誇る特急列車TGVの「パリ東駅」行きだった。ウワサに聞いていた通り、連結部分に車輪が集めてあって揺れを防ぎ、脱線した時被害が最小限になるようなデザイン。車両には誇らしげにSNCFの文字。ドアがまだ開いていたのでちょっと中を覗いてみると壁にはフランスの地図がはってあり、乗客の会話は皆フランス語、ついでに駅のアナウンスもその時だけフランス語に切り替わった。カッコ良すぎてこんなショボイドイツの田舎駅には完全に場違いだった。

 最近はこういう感じが身に付いてしまい、日本に行ったときなど「飛行機に乗るか船に乗らないとここを抜け出せない」「海を越えないと外国に行けない・帰って来られない」と思うと反対に怖くなってしまうようになった。何と言ったらいいか、閉所恐怖症みたいな気がしてくるのだ。パリからモスクワならその気になれば歩いていけるが、新潟からウラジオストックだといくらその気になっても泳ぎ切ることは難しい。船なり飛行機なりの交通機関を利用しないと命が危なかろう。
 「島国」というのを「守られている」と見るか「閉じ込められている」と見るかは人によって違うだろうが、私はどうやら後者のタイプのようだ。もっとも最近は武器でもなんでもボタン一押しで飛んでくるから海なんて全然防壁になっていない反面、中にいる人はミサイルが飛んできても外に逃げられないから「閉じ込められている」方の要素が強くなってきているのではないだろうか。


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 何年か前、用があって住んでいるM市から電車で40分くらい南にあるGという町まで出かけた時のことだ。すでに何回か行っているので駅でボーッといつものようにいつもの電車を待っていたら駅のアナウンスで「今日は○○行きの路線(私の乗る電車だ)はすぐ隣のL駅までしか行きません」。そんなことを急に言われて困った。駅に張り紙とか立て札とか、日本だったら立っていそうなものが一切なかったのだ。 Lから先はどうすればいいんだ。
 聞き間違いかと思いながら電車に乗っていたら、「この電車は次のL駅で終点です。先へ行きたい方は一旦この電車を降りて駅での指示に従って代行接続路線をご利用ください」。こう言われれば誰でも、次の駅で降りれば脇に駅員が待機していて「はい、こちらです」とすぐ指示してくれ、代行列車がすでに待ち構えている、と思うに違いない。日本だったら。
 ところがさすがここはドイツだ。いざL駅に降り立っても全く見事に何の指示もない。見渡す限り電車もない。駅員さえ影も形も見えない。いったいどこへ行ってどうすればいいのか、仕方がないから他の乗客がゾロゾロ行くのに付いて行った。すると遥か向こうに何人か係員らしき人たちが立っている。
 私が問いただす前に隣のドイツ人のおじさんが私の言いたかったことを理路整然と述べてくれた。

おじさん:
「車内アナウンスによれば『指示に従って』ということだったが全く何もないじゃないか、また控えの電車もしくはバスが用意されているということだったが、それはいったいどこにあるんだ?」

係員:
「どちらまで行くんですか?」

おじさん: 
「B駅だ。バスが代わりに出ているのか?」

係員:(「えーっと」とか言いながら手元のアンチョコをめくりつつ)
「えーっと次のバス便は1時間後ですから、バスよりもここで待って、次の電車でS駅まで行き、そこでまた乗り換えて先に進んでください」

おじさん:
「何だと、すると別に特別控えの代行路線が用意されているわけでもなんでもなく、単に次の定期路線に乗れということか」

係員:
「そうです」

おじさん:
「いや~、素晴らしい手際の良さだ」

係員:
「私はここで乗客への質問に応えるべく待機しているだけですから、ドイツ鉄道の運営に苦情がありましたら、こちらへご連絡ください」(と何か書いたカードを渡そうとする)

おじさん:
「いらないよ、そんなもの」

(突然横合いから)私:
「私はGまで行きますからこの方と同じことをすればいいんですね」

係員:
「そうです」

 私が感心したのはこういうやり取りをしても全然喧嘩腰、というか険悪な雰囲気になっていなかったことだ。そのおじさんも言葉の剣幕は凄かったが人そのものは全然怒っている風ではなかった。変にヘコヘコしてなかった駅員も駅員でいい勝負だ。日本人だったら駅員に「その態度は何だ」とか言って摑みかかる人がいるのではなかろうか?

 で、私がそのままホームで次の電車を待っていたら後から来た人の何人かが手にパンフレットを持っている、見せてもらったら「レール取替え工事のため変更のある便名と代行便の一覧表」で、懇切丁寧に情報が記してある。
 こういうきちんとした仕事はさすがドイツだと思ったが、またそういうものがあるのにこちらから「くれ」と言わない限り配ってくれないところ、そもそも回りの主要駅の目立つ位置にこれが置かれていなかったところもいっかにもドイツらしい。私が係員の所に引き返してパンフレットをもらってきたら、今度はその私のパンフレットを見て「それはどこでもらえるんですか?」と他のドイツ人が次々に聞いてきたものだ。

 このL中央駅というのは実に鬼門で、鉄道のネットワークがそういう仕組みになっているのか、あたりで事故があったり電車が故障したりしてダイヤが乱れるとここにしわ寄せが来る。その後も、ここの駅で急に電車から降ろされたり、電車がここまで来て突然微動だにしなくなり30分以上も待たされたあげく、結局やっぱり電車から出されたりしたことが何回もある。極めつけは行き先から帰ってきて夜の10時にこの駅で電車が行き止まったことだ。例によって乗客は全員降ろされた。私の住んでいるところの駅からたった2駅前、しかもすでに街中になっていたからその2駅というのも山手線並に近い2駅だった。昼間なら歩いてしまったろうが、さすがに繁華街でもなく、高速道路が上を通っているもの寂しい道を夜の11時近くなってから歩くわけにもいかず、次の最終列車が来るまで小一時時間暗い駅のホームで待った。今まで気持ちよく暖かい電車に乗っていたところを私たちと一緒に寒い暗いホームに放りだされた酔っ払いのおじさんがあらん限りのデカい声で「なんだこのクソは。ドイツ鉄道は相変わらずクソだな。こんなところで止まりやがってこのクソめ」とクソを連発しながらドイツ鉄道を罵っていたが、それを聞いて私はつい心の中で拍手してしまった。

 また別の時も別の市電に乗っていたら駅と駅のど真ん中の野っ原で突然電車が止まり、20分くらい何のアナウンスもなかったことがあった。シビレを切らした乗客の一人が運転手のところに聞きに行ったら、「コンピューターの制御システムがダウンしました。いつ動き出せるか全くわかりません」。乗客が「私、○○時にM市で約束があるんですけどそれまでには着けるんでしょうか」と聞いたら堂々と「私には全くわかりません」。こちらから聞きに行かないと何も言ってくれないし、「すみません、ご迷惑をおかけします」の一言もない。何が技術大国だ馬鹿、と思ってしまった。

 それでさらに思い出したが、東日本大震災の際、津波に流された人が何日も漂流したあとやっと救助隊に発見されて、開口一番「すみません」と口を付いて出た、と聞いて笑い出したドイツ人がいる。どこがおかしいんだ、私だってわざわざ人が自分を助けに来てくれれば絶対「お世話をおかけしてすみません」と謝る。ところがドイツ人だとこの場合、「なんでこんなに見つけるのが遅かったんだ。もう少しで死ぬところだったじゃないか馬鹿野郎」と救助員を怒鳴りつけかねないそうだ。曰く、「なんで助けられて謝るんだ。人命救助が彼らの仕事だろう。彼らは仕事をしただけじゃないか。助けられたほうが謝るなんてまるでギャグだ、理解できない」
 もちろん日本語の「すみません」は純粋なI am Sorry やExcuse meより使用範囲が広く、thank youの領域にまで達していることは日本語の学習書などにも記してあるが、そもそも「ありがとう」と「許してください」を一つの表現形式が兼ねているというそのこと自体「理解できない」かもしれない。またこういう状況にいる自分を想像してみると、上でも述べたように「手間をかけさせて悪かった」という気持ちは感じると思う。「すみません」は単なる「ありがとう」ではない、やはり「ごめんなさい、面目ない」も兼ねているのだ。
 私からすれば、その「ごめんなさい」はおろか「ありがとう」もなしで「遅かったじゃないか」が口に出る発想のほうがよほど理解できないが、それまでの経験に照らし合わせてみるとドイツ人は確かにここで「すみません」などとは言いそうにない感じ。一方、わざわざ助けに来たのに罵られた救助員のほうも全然腹をたてたりしなさそうだ。日本人だったらせっかく来てやったのにそういう恩知らずな態度をされれば遭難者をまた海にかえしかねないが、ドイツ人の救助員ならそこであわてず騒がず、至極事務的に「私たちは○○隻の船で○○キロ四方の捜索を受け持っています。一日に捜索できる面積は一隻あたり○○平方キロメートルですから全域捜索するのに○○日かかります。今日は○○日目ですから許容範囲です。ご理解願います」とか説明しだしそうだ。

 とにかくこちらは変に空気を読まなくていいし、言いたいことをストレートに言っても後腐れがないので楽といえば楽なのだが、私は今後もこのメンタリティにはとてもついていけそうにない。


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 用事でGという町まで電車で行った時、途中の「鬼門」L中央駅(『28.私のせいじゃありません』参照)につく前の車内アナウンス、「降車口は左側です」というのがフランス語で入ったことがある。 
 英語のアナウンスなんかはしょっちゅうなので何とも思わない、というよりいつも「こんな田舎の電車で英語アナウンスなんてしたって仕方ないでしょに、カッコつけんなって」とせせら笑いながら聞いているのだが、フランス語というのは初めてだったので内心「おっ」と思った。たしかにここはフランスから遠くないが、あくまで「遠くない」であって、決して「すぐ近く」とはいえない距離だからだ。それから何駅かしばらくの間シーンと聞き耳を立てていたが、とうとう二度とフランス語はやってくれなかった。
 それがきっかけというわけではないが、その後しばらくしてちょっとフランスまで行ってみた。その路線を目的のG駅で降りずにそのまま進むとフランスに突っ込むのである。当時はG駅までの一日乗車券とその先のほうにあるLauterbourg(ロテルブール、ドイツ語ではラウターブルク)というフランスの町がギリチョンで射程内に入る一日券とが同じ値段だった(往復キップになると後者の方が高かった)ので、またG駅まで行く用ができた際少し余分に出して一日乗車券を買い、Lauterbourgまで行ってみたのだ。一人で行くのは心細かったのでフランス語のできる(はずの)ドイツ語ネイティブを連れて行った。
 まずGで用を済ませた後、さらにもと来た路線にのって先に進むとWörth(ヴェルト)という駅に着くのだが、こことLauterbourgとの間のたった5駅ばかりを往復している路線があるのでそれに乗り換える。

Bahnstrecke_Wörth–Strasbourg
ヴェルト-ストラスブール間の路線図。ロテルブールの前の小さな丸はBerg(ベルク)という駅でこれが「ドイツ最後の駅」である。そことロテルブールとの間に国境線が走っているのが見える。

毎日毎日たった5駅を行ったり来たりしているというのも筑波大の学内バスより空しい感じだが、ここの「次の停車駅は○○です。降り口は向かって右側です」さらに「次の○○が終点です、○○路線をご利用ありがとうございました」とかいうアナウンスが全てドイツ語とフランス語の二ヶ国語になっていた。もしかしたら私が以前にL中央駅で聞いたフランス語アナウンスは、運転手がボタンを押し間違えてうっかりフランス語を流してしまったためかもしれない。録音の声が全くおなじだった。この段階ですでに外国感爆発だったが、目的地Lauterbourgに実際に行って見てまた驚いた。

1.駅の表示、「何番線」とか「出口・入り口」などが全部フランス語。

2.時刻表、「月曜日から金曜日」「土曜のみ」とかいう指示も全部フランス語。おまけに時刻表はドイツのみたいにダサい白黒でなくオシャレなカラー印刷。ただテキストが読めないのがキツイ。

3.時刻表を見ていたら隣にいたおっちゃんがフランス語で話しかけてきたのでビビリまくり。

4.町をちょっと散歩したら、通りの名前とか行き先案内から何から全部フランス語。

5.バスの停留所とかに貼ってある広告も全部フランス語。

6.そこら辺に止まっていた水道屋さんのらしいバンにかいてある多分「電話一本で迅速工事」とかいう意味らしき宣伝文句が全部フランス語。

7.そこに書いてあったメールのドメインが○○.fr!

8.肉屋さんとか美容室の看板も全部フランス語。

9.極めつけは、道でボールけって遊んでいたガキンチョどもの会話が全部フランス語!

10.町の名所・旧跡とかにはフランス語とドイツ語で説明があったが、そのドイツ語に何気に誤植がある。

もう最後には向こうから人が来るたびに「話しかけられたらどうしよう」という恐怖のあまり冷や汗が出てきた。連れの「通訳」も「○○通り」とか「入り口・出口」「本屋」くらいは読めたようだが、あんまり私がいちいち「これ何てかいてあるの」「これ何これ」と聞くのでしまいには「そう毎回聞かれたって困る。俺だってわかんないんだ!」とヒステリーを起こした。 
 この調子だと一旦道に迷ったらもう一生ドイツに帰れなくなりそうなので、あまり深入りせずにチョチョッと通りをひとつ散歩してそそくさと帰ってきてしまった。以前「アルザス・ロレーヌは表示とか全部バイリンガルだし、皆ドイツ語を話してますよ」とか言っていた学生がいたので鵜呑みにしていたが、ウソではないか。

 しかし町は全体として隣接するドイツのよりこぎれいで、いかにもフランスの政府からお金を貰ってそうだった。そもそもこんな辺鄙なところにストラスブールまで電車路線が引いてあること自体、フランス政府がアルザス・ロレーヌに力を入れているのを垣間見た気がしたのだが、アルザスには原発が多いからひょっとしたらそんなことで潤っていたのかもしれない。今は原発の未来がちょっと危うくなって来たがあの町はどうなっているのだろう。あと、他に見るところもないから道に立っている家の表札を見て歩いたのだがJean-Luc Scholzなどという苗字はドイツ語名前はフランス語というパターンが大半だったのが印象に残っている。
 さらに思い出すと、信号機がドイツとは全く違う形でこれも無骨なドイツのと違ってしゃれたデザインだった。

 帰りも帰りで電車を待っていた時、例によって駅のアナウンスがフランス語で(当たり前だ)入ったが、それを聞いた通訳が「あっ、俺たちの電車のことだ」とか言うので私が「その俺たちの電車がどうしたのよ」と聞いたら「そこまではわからない」とかこきやがった。肝心の情報内容が聞き取れなかったらどうしようもないだろうがこの野郎。
 この調子でうっかり乗る電車の方向を間違えてストラスブールまで連れて行かれたらエライことになるので、さらに「ちょっとそこの人にこの電車が本当にWörthに行くのかどうか聞いてみてよ」と頼んだ。「ちょっとお尋ねしますが、この電車はドイツに行くんですか?」くらいのフランス語を話してくれるかと思いきや、たった二語(しかもドイツ語で)「Nach Wörth?(to Wörth?)」。そんなんだったら私にも出来るわ。

 実は私はこれが人生で2度目のフランス訪問である。最初はもうかれこれ28年も前、日本からドイツへ行くのにスケジュールの合う便がなくて、パリまで飛んでそこから電車でドイツに入ったのだ。夜にシャルル・ドゴール空港についたがもう不安で死ぬかと思った。そこから「パリ北駅」まで何らかの交通機関を使って行かなければならなかったのだが、道に迷ったらもう最後だ。人に聞くことができないからだ。いや、仮に聞けたとしても答えが理解できないから聞けないのと同じことだ。今思い出すと自分でもどうやってそんなことができたのかわからないが、飛行機の中で一生懸命発音練習しておいたAllemagne とGare du Nordを連発して切り抜けた。とにかく目的の電車に乗ってベルギーを通り抜けドイツにたどり着けたのである。夜行だったので窓外は真っ暗で何も見えなかったが、どうせ車内でビンビンに緊張したままずっと前を向いていたから外の景色など見えたところで楽しむ余裕などなかったろう。朝方「アーヘン」というドイツの駅名を見たときは地球に帰還したジェーンウェイ艦長の気分、というと大袈裟すぎるがホッとするあまり緊張の糸が切れて一気に年をとった気がした。

 私は言葉の通じない国に行くのが怖い。が、「怖いもの見たさ」というのは私にもある。


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 2018年のことである。ドイツのさるTVで「この国で最も醜い町はどこか」という視聴者アンケートを行った。そのとき大変な数の他の候補地を引き離しダントツの一位に選ばれたのが何を隠そう隣町の某LU市である。もっともこの結果には誰も驚く者はいなかった。同市の醜さはすでにそれ以前からドイツ中に知れわたっていたからである。アンケート結果の発表のシーンが Youtube ビデオでも見られるが、そのコメント欄にはLU市に住んでいる高校生とやらが「以前英語の授業で観光ビデオを製作することになって、先生にLU市で一番綺麗な場所を探して撮影しろと言われたんだけど、無理だろそんなこと」と書き込み、それに答えてやはり同市の別の高校生が「こっちでもそういう授業をやったことあるよ。そしたらクラスメートの一人が学校のトイレを撮影しやがった」と応じていた。また複数の人が「LU市で一番美しい場所は町はずれにあるライン川の橋にたって向こう側の隣町M市を望む光景」と言っている。つまりLU市から目を背けろというわけだ。上述のTV番組では間違えてまさにその反対側、M市の写真がLU市として紹介されてしまっていたが、それに対して誰かが「LU市をモロに見せるのは18禁だからだな」とコメントするなどもう皆言いたい放題である。この調子だとLU市の住民の相当数がここに投票したに違いない。郷土愛というものはないのか。とにかくこの市は醜い。

その番組のビデオの一つ。Youtubeを探すと何本もみつかる。言いたい放題のコメントがまた腹筋崩壊。https://www.youtube.com/watch?v=1CN_klSA3go


 ではそこまで言われた市が怒るなり反省するなりして、美化に務めようとしたか。逆だった。「ドイツで一番醜い町観光ツアー」をぶち上げたのである。1960年からここに住んでいるというベテランの観光ガイド(本職は彫刻家だそうだ)が名乗りをあげ、お薦めの醜いスポットを案内してくれることになった。一回200ユーロで市の醜さを満喫できるそうだから、興味のある人は市に問い合わせて見るといい。もうヤケクソである。

ツアーについての市の公式サイトはこちら

市のそのヤケクソぶりはもちろんドイツのメディアでも報道され、「悲しみよこんにちは」ならぬ「悲しみへこんにちは」などと揶揄されていた。
 またわざわざ来たくはない人のためアプリによるデジタルツアーも用意されているそうだが、これだとやはりその醜さが完全には伝わらないのではないだろうか。写真もビデオも対象物が被写体となった時点でほとんど自動的にある種の美が生まれてしまうからである。特にプロの写真家が捕ったりすると芸術になる虞がある。現にそういう人が撮った廃墟の写真など怪しいほどの映像美があるではないか。それではいけない。「絵にも描けない美しさ」と同時に「絵にも描けない醜さ」もあるのだ。この市のボロさはやはり実際に訪れて体験したほうがいい。いやそんなものは体験しないに越したことはないが。

 私はそのガイドツアーに参加したことがないので(誰が参加するか)どこを見学させられるのか知らないが、こう見えても私だって隣町の住人、いくつかお薦めスポットがある。その筆頭がLU市のメインステーションだ。『28.私のせいじゃありません』で一度出したが、この駅は鬼門というばかりでなく、外見もとにかく醜い。普通いやしくも人の住んでいる町のメインステーションといえば少しは華やいだ雰囲気が漂っているものではないのか。華やぐとまでいかなくても電車が来るたびに人が乗り降りし、売店などもあり、ある程度にぎやかなものだ。LU駅にはそういう要素が全く感じられない。どう見ても廃墟であり、下手をすると外から来た人はこれが駅であることを見逃し、素通りしかねないボロさだ。なぜそんなにボロいのかというと、この駅では乗客があまり乗り降りしないからである。乗り換えはする。また先の記事でも書いたように、突然電車がこの駅で止まって進まなくなり、乗客がホームに放り出されることはある。が、駅から外へ出たり、ここの駅から電車に乗ってくる人が少なすぎるのだ。だから普通なら力を入れて綺麗な建物になっている駅の正面玄関というものがない。人が乗り降りしないのだから売店の類もほとんどない。常に薄暗く人がいない。つまりほとんど廃墟なのだ。

これが本当に市のメインステーションの入口なのか?!上を通るのは駅の建物とは無関係なアウトバーン(下記参照)。https://de-academic.com/dic.nsf/dewiki/885316から
Ludwigshafen_Hauptbahnhof_20100828
昼なお暗い、ホームを結ぶLU駅地下道。https://www.probahn-rhein-neckar.de/position/40-jahre-hbf-ludwigshafenから
Hbf-LU07
 では少なくとも電車が通過したり止まったりするホームのある駅の構内は雰囲気が明るいかと言うとこれが入口以上に陰気だ。
 駅のホームには色々な方向から電車が入ってきていろいろな方向に出ていく。しかし少なくとも駅の構内では線路は並行に走っているのが普通だ。バラけるのは駅を出てからである。ところがLU駅では構内ですでに線路の方向がバラバラなのである。だからホームがきちんと皆同じ大きさの四角形になっていない。大きさや長さに大小があるだけでなく、幅も広かったり狭かったりしている上に形も台形というか三角形というか五角形というかよくわからない形状である。よくわからないからきれいに敷石を引くこともできず、ショボいアスファルトで表面が覆われている。安物のアスファルトだからすでに表面がザラザラのボコボコである。もちろんひび割れて間から雑草が茂っている。ついでにホームが広くなっているところには木が生えている。さすがにこの木は勝手に生えてきたのではなく(ジャングルかよ)人が植えたのだが、手入れされてないからまるで駅のそこここに藪が生い茂っているようだ。木の根元にはビンやカン、食べ物の包み紙が捨てられている。

ホームのど真ん中にやたらとショボい草や木が生えている。https://abload.de/image.php?img=img_2807joz8.jpgから
img_2807joz8
 さらにホームのど真ん中にやたらとデカイ柱が立っている。これは駅の建物とは関係ない柱で、見上げると頭の上をアウトバーンが通っている、そのアウトバーンの柱が駅の構内にドーンと鎮座しているのだ。思い出してほしい。日本でも高速道路の真下がどうなっているか。妙に埃っぽくて薄暗くて非常に陰気だろう。ガードレールなんかも薄汚れている。LU駅はまさにそういう雰囲気なのだ。中央部、つまりかろうじて人の行き来があるホームの真ん中ですでにそういう状態だから、ホームの端などはすごいことになっている。アスファルトの表面にはコケが生え、もちろん隙間と言う隙間には草が生い茂る。雨でも降れば堂々たる水たまりができる。これで石灯籠でも立てれば完全にワビ・サビの世界、日本庭園だ。足りないのはカエルの鳴き声だけだ(鳥はすでに鳴いている)。

駅のど真ん中に鎮座するのは駅とは関係ないアウトバーンの柱。https://www.probahn-rhein-neckar.de/position/40-jahre-hbf-ludwigshafenから
Hbf-Lu03
ここに石灯籠でも立てなさい。https://abload.de/image.php?img=img_28583pzc.jpgから
img_28583pzc
 ホームには屋根がある。しかしこれがまた陰気さにさらに拍車をかけている。ペンキは剥げ、そこから赤茶色の錆が覗いている。その上に無頓着にまたペンキを塗るから再び剥げて表面に凹凸ができしかも変な斑になっている。その上そんな努力も空しく立派に雨漏りがする。雨漏りがしないのはアウトバーンの真下のみ。つまりアウトバーンが屋根代わりになっているのだ。
 まだある。そのバラバラホームの3番線から10番線までは地階を走り、1番線と2番線はそれと交差する形で上を通っているのだが、その上の路線のホームがまた凄い。壁も足元も薄汚れ、ホームの端がコケ寺状態なのは下の線路と同じだが、ここは上にあるだけに頭上のアウトバーンとも近く、車が通過する音がゴーゴー聞こえてくる。

アウトバーンが屋根代わり。https://www.probahn-rhein-neckar.de/position/40-jahre-hbf-ludwigshafenから
Hbf-LU02
柵はサビと埃まみれ。上を通るのはアウトバーン。https://abload.de/image.php?から
img_2847fr75
 つまり一言でいうとLU駅は駅の態をなしていないのである。もっとも多少駅の作りが雑でも建物がボロくても人通りがあれば駅のメンツは保てる。世界にはこれ以上のボロ駅などいくらもあるが、大荷物を抱えた乗客が溢れ、家畜まで行き来し、来る電車が住民の足として頼りにされている雰囲気が伝わってきて微笑ましいくらいだ。LU駅にはその微笑ましさが全くない。頼りにされていないどころか避けられているからだ。
 また上で「どう見ても廃墟」「ほとんど廃墟」と書いて「ほとんど」をつけたのはダテではない。ここが本当に廃墟だったら退廃の美というか滅びの美学というかある種の美しさが漂うものだが、LU駅は細々とではあるが生意気にICEも止まるなど変に利用はされてしまっているため、その退廃の美を持つことができない。廃墟にさえなれていないのだ。本当に救いようがない。

廃墟にさえなれないLUメインステーション。ウィキペディアから。https://rhein-neckar-wiki.de/Ludwigshafen_am_Rhein#/media/Datei:Ludwigshafen_Hbf_02.jpg
Ludwigshafen_Hbf_02
 上記のように私が夕方遅く放り出されたのはこういう駅であるが、その程度の事故は日常茶飯事。さらにその後こんなこともあった。前の駅で電車に乗ると突然車内に「この電車はLUまでしか行きません」というアナウンスが入る。車内表示にもそうはっきり表示が出ている。こういう突然の予定変更はよくあるのでまたかと思い、他の乗客と共に魔のLU駅で下りる。せめて代理の便が用意されていないのかと皆で陰気なホーム上をウロウロ歩いていたら、乗ってきた電車の後部から運転手が顔を出して(この便は普通LU駅で切り離されて前部だけが先に進むので後部にも運転手がいる)、「お客さん方、いったい何処へ行くんです?」と不思議そうに聞く。私たちが「今日は電車全体がLUで終わりですと言われました」と答えると「んなことありませんよ。前部はいつも通り先に行きますよ」というではないか。私たちが大急ぎで今降りた車両に戻ると、相変わらず「この便はLUまでです」と表示したまま電車はちゃっかり出発した。乗客をナメとんのかおんどりゃ?それともドイツ鉄道は何か乗客に恨みでもあるのか?
 しかしこれしきの嫌がらせで怒っていたらとてもドイツ鉄道とは付き合えない。こういうこともあった。私は他の乗客とともに上の2番線で電車を待っていた。珍しくわずか3分遅れで私たちの電車がやってきたが、なぜか一本向こうの線路を走り、止まるはずのLU駅には止まらず通過してしまったのである。ホームで待っていた私たちは一瞬何が起こったのかわからなかった。やっと数秒後、止まるはずの電車に無視されたことに気付くともう阿鼻叫喚である。隣に立っていた男性はその電車で来るガールフレンドを出迎えようとして来ていたそうだが、駅が飛ばされたのですぐ車内のガールフレンドに電話した。「ちょっとなにこれ?!なんで通り過ぎるのよ!」という叫び声が私のところまで聞こえてきた。
 おまけに10分後に来るはずの次の便は突然削除され、私たちはホームを降りて全く別の路線で目的地に向かうしかなかった。その間アナウンスやお知らせの類は全くナシである。そこまでされてもそれまでベンチに悠々と座っていた別の男性が全くあわてず騒がず「多分誰かがポイントの切り替えを間違ったか、運転が本日初日だったんでしょう」と静かにコメントしていた。さすがドイツ人は悟っている。日本人はとてもここまで悟りを開くことはできない。

 これがLUメインステーションだが、駅も駅なら町も町、この町にしてこの駅ありで、LU市はどこもだいたいこんな感じである。「悲しみ」(上記参照)どころではない、「絶望よこんにちは」になりそうだが勇気のある人は一度見学してみるといい。スリル満点、下手なお化け屋敷より楽しめること請け合いだ。やたらとこぎれいな城、その周りで外国人の観光客からできるだけ金を搾り取ろうと手ぐすね引いているレストランや土産物屋の類が全くない、お薦めの観光スポットである(薦めないが)。

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 ドイツ鉄道がいかにスリル満点かは今までにも書いたが、先日またしても面白いことになった。私はさる路線で G(ゴキブリではない)という町に行っている。ところが先月の半ばから今月の半ばにかけての一ヵ月ほど、その路線のど真ん中がかなり長距離に渡って「通行止め」となった。線路の修理工事のためだそうだ。大井川の川止めかよ。その閉鎖された部分では代行のバスが走るそうだが、私はこれまでの経験からこの「ドイツ鉄道が用意するバス」の信用度には絶大に懐疑的だったので、遠回りにはなるが電車の別路線を使うことにした。
 普段の路線では住んでいる町から Gに行くのにまずライン川をわたって Lメイン駅を通る。この Lメイン駅の恐怖ぶりも今まで散々書いたとおりである(『189.恐怖のメインステーション』『28.私のせいじゃありません』参照)が、そこを通過してライン川の西側を南に下ると G につく。この路線がまた何かと悶着の起こる路線で、G までは正式には40分くらいしかかからないはずだが、その時間内についたことがない。15分遅れくらいがデフォ、一時間遅れもザラ、最高記録は6時間の遅延である。本来40分の距離でそんなことができるわけがないだろうと思われるだろうが、それができたのだ。私のところの町の駅構内で大送電線がブチ切れ、周り一帯の電車の運行が全てストップしたのである。あらゆる電車が出るも入るもできない。事故の原因がわからないから修理も大幅に手間取り、私など一度家に帰ってまた出てきたら、何時間か前に私が座っていた電車がまだ同じホームにいた。結局その電車もそのホームのシグナルが使えないとかで車庫に戻され、別のホームから別の電車が出ることになった。そのまた電車も路線の途中で突然ストップし、私たちは唐突に代行バスに乗せられた。まるで悟空の大冒険だ。このG からさらに先に進むとフランスに行けることは『59.フランス訪問記』で書いた通りであるが、出だしから電車がストップしたらフランスもク〇もない。 まず駅を出ろ。
 とにかくこの路線はLメイン駅ばかりでなく、そもそも路線全体が鬼門である。それで今回は路線が繋がるまでの間別の行き方をとることにした。
 代行路線では最初にライン川を渡らずに東側を南に下り、じゅうぶん南まで来た地点で別の電車に乗り換えライン川を渡って G に行く。乗換駅は G.N 駅と言い、電車の連結点である以外は何の取り柄もない不愛想な駅だ。それまで乗って来た路線は先に進んで K という大きな駅まで行く。私の家から直接 G まで行くのとこの G.N 駅まで行くのとでは距離がほぼ同じ、つまり私のとった代行路線では G.N 駅からGまでの走行分だけ長くかかるということである。この乗り換え路線は G.N が始発ではなく、B という駅から来ている。その B と私の家の駅とはさらに別の路線で直接つながっていて、私んちから乗るとBを通って最終的にはやっぱり K に着く。図に書くとこんな感じになる。
Line-S33
 ライン川は州境を成していて、東側、うちと G.N、 B 、K 駅は同じ州、図には出ていないが恐怖の Lメイン駅と目的地 G 駅はラインの西側にあって別の州だ。今までも薄々感じてはいたが、今回ラインの東側と西側では鉄道事情にエラい差があることを改めて実感した。東側州はベンツや SAP を擁する金持ち州、西側は工業よりワインなどの農作物で持っている、こう言っちゃナンだが割と貧乏な州である。G.N までいく路線も管理部が東側州にあるからか電車もオサレでモダンなスタイル、内部もそれに応じてピカピカだ。しかも信じられないことに遅滞も5分以内。走っていると隣を時々 ICE などが抜いていく。駅も沿線の町も大きなものが多い。とにかくいろいろにぎやかというか華やいでいるのだ。

お金持ち州の管理するピカピカ路線の車両。
https://images.tagesschau.de/image/e05d72a5-e598-4165-ba91-5f270a0d5280/AAABibuxrKw/AAABibBxqrQ/16x9-1280/swr-auch-die-landeseigene-verkehrsgesellschaft-sweg-wird-von-den-streiks-betroffen-sein-100.jpgから

swr
 それがG.Nで乗り換えて G へいく電車に乗ると一変する。G 行き路線もライン川を越えるまでは東側金持ち州を走っているはずだが、主な走行範囲が西側貧乏州だからか、ドイツ鉄道が直接管理しているためか、どうもないがしろにされている感じで車両のモデルも古くてダサく、乗っていて全然楽しくない。私の家から G までの直接路線のほうもこの車両だが、その時は比べるものがないからこんなものかと思っていた。しかし今回 G.N までの路線とG.Nからの路線の差を目の当たりにしてみると、その落差には驚愕せざるを得ない。しかも一時間に一本と言うローカルぶりだ。線路はその路線専用なんだし、そんなに運行時間が開いていれば前の便が引っかかったり他同じ線路を使っている他の路線の便がポイント故障を起こしたりしてスケジュールを滅茶滅茶にされる危険性がないわけだから、すんなり運行できるかと思いきや、平気で遅れる。今時単線だからだ。途中の Ph という駅でのんびり対向車が通過するのを待たなければいけない。直接路線も周りの景色などはローカル色満載だったが、いくらなんでもさすがに複線ではあった。G.N から G では単線と言うだけでなく周りの景色がさらに凄い。もちろん大きな町などはなく、そもそも人家そのものがまばらで、駅も圧倒的にショボい。こんなところで終電を逃したらどうなるんだろう。絶対夜はこの路線に乗りたくない。
 いちど途中の駅の線路わきを3羽のニワトリが闊歩しているのを見かけた。これは誰かが飼育しているのが散歩に出たのか、それとも野生のニワトリなのか?いずれにせよ、鳩ならともかく線路わきをニワトリに闊歩されたのははこれが初めてだ。
 もっともこの線はまだこの程度で済んでいるが、G 駅から G.N の方に曲がらずに南へ下る線はさらにグレードが下がる。人家はさらにまばらで、駅はますますショボく、それに反比例して通りぬける森や野原は立派になる。昼なお暗き原生林的な部分さえある。下手をしたらそれこそデルス・ウザーラの助けを借りなければ家に帰れなくなりそうだ。もし殺されでもしたら10年くらいは発見されないだろう。それでもこの路線だって南の方で細々と東側金持ち州の K 駅と繋がってはいるのだ(上図参照)。車両にもともと東州で市電として走っているのを引っ張り出してきた軽いモデルが使われている。その軽装備で原生林の中を通るから夜どころか昼でも怖い。
 どうもフランクフルトより南では(北の方はそんなことはない)ライン川の西側は東側の「日陰者」になってしまうようだ。とにかく差がありすぎる。何というか、古くなって時代にそぐわなくなってはいるが、一応まだ走ることは走るという電車が最後の御奉公をしている感じなのだ。どうせ本数もないからその程度のモデルで勤まるだろうというわけか。それで思い出したが、これも以前直接路線に乗っていたらいきなり「技術上の問題で時速50km以上のスピードが出せなくなりました」と車内アナウンスが流れたことがあった。これじゃイルカの水中速度と同じではないか。もっともその西側州も北を走る路線では上述のピカピカ電車も使われていて Lメイン駅でも時々見かける。ボロボロで赤さびだらけのLメイン駅の構内では完全に浮いていてほとんど掃きだめの鶴である。『189.恐怖のメインステーション』で到着するはずの電車に無視された話をしたが、そのときの電車もこのピカピカ電車だった。こんなバッチい駅に止まって汚れるのが嫌だったのかもしれない。その次にはピカピカと交互にダサい方のドイツ鉄道全国版が来るはずだったが、これが突然削除されたのもそこで書いた通りだ。ピカピカなら無視はされても(しないで欲しい)電車そのものは来るが、ダサ電の方は存在それ自体が削除されるという、まあ微妙にヒエラルキーの差を垣間見るようで面白いと言えば面白い。全然面白くないが。

ドイツ鉄道全国版のダサいモデル。止まっている場所は G 駅。
https://www.bahnbilder.de/1200/425-109-s-bahn-rhein-neckar-steht-1027872.jpgから

425-109-s-bahn
それより軽い市電モデルも走る。これで原生林横断は無理だ。
https://www.schwarzwaelder-bote.de/media.media.7dd5fe0a-06e7-4b36-8fdc-bbdcfad47536.original1920.jpgから

media.media

 しかし、昼なお暗き森やニワトリくらいで驚いてはいけない。ある時その孫悟空の天竺旅行から家に帰ってきたばかりのところで、「G 市で殺人罪で服役中の無期懲役の受刑者が逃亡しました」というニュースが流れた。帰ったところでいきなりこれだ。しかもその服役囚はすでに一日前に逃げている、ということはその日私が G にいる時、そこら辺を無期刑の殺人犯が歩いていたという事なのか。そもそも G なんて町は「東京都品川区東五反田」と同じくらいローカルで、本来とても全国ニュースで名前が出るような町ではない。のけぞったところにさらにダメ押し的に、脱走囚の住んでいる(「服役している」と言え)刑務所は上述の B 市にあり、たまたまその日に(もちろん監視付きで)G に出ていたとき逃亡したと伝えて来た。足につけられていた電子監視装置が G 市で見つかった。この人は2003年に一度人を殺して5年の刑を受け、刑期を務めあげて出所しているが、その後また殺人を犯して2012年からB市の刑務所にいたそうだ。前回の殺人は Totschlag だったが、今回の罪状は Totschlag でなく Mord で(『13.二種の殺人罪』参照)終身刑を受けていた。殺人のバージョンがアップしている。今回はベルトで絞殺した遺体を Lauterbourg に遺棄していたという。G、 B とまさに寄りによって人が乗る路線上の駅名に加えて以前ネタにした Lauterbourg まで登場し、しかも「期間を限定して」私が使っている路線の、まさにその限定時間内に殺人犯が逃げてニュースになる、これはいったい何の因果なのか。あの3羽のニワトリは何かの前兆だったのか。
 その服役囚がわざわざ G 市に来て何をしていたのかというと、私は知らなかったが G には大きな景色のいい池がありそこを散歩させられていたという。家族とも面会していたのだそうだ。外の日常生活からあまりにも乖離して現実世界との接点を失ってしまわないよう終身刑であっても服役囚は時々外に出して外界と接触させるのが規則だとのことだが、そういう処置自体には私も賛成である。事実この脱獄囚はそれまでにも何度も何度もそうやって外の空気を吸わせてもらい、何の問題を起こすこともなくまた刑務所に戻ってきていた。もちろん監視がいたから逃げられなかったのだろうが。それがなぜ G に来た時 に限って逃げ出したのかわからない。ひょっとしたら以前から機会は狙っていたのかもしれない。しかしそれでも私は服役囚から外界との接触を完全に断つのには反対である。ニュースを見たときはさすがにビビったが、怖いとはあまり思わなかった。「あの辺なら隠れるところはさぞたくさんあるだろうなあ」と妙な納得をしてしまったくらいである。警察署が声明を出して「この人を見かけたら絶対に自分では話しかけずに最寄りの交番に報せてください」といういつもの指示にさらに続けて、「非常に危険な人物ではありますが、逃亡中に新たに人を襲ったり犯罪を犯したりする可能性は低いです。今回の逃亡の目的はできるだけ長く自由でいるということですから、自分の居場所を特定されるような行動はしないと思われます」と言っていた。私もそう思う。せっかく出て来たのにわざわざ目立つようなことはしないだろう、向こうから私を避けるだろうと思うのである。
 それに脱獄をしてもそのせいで刑期が伸びるわけではない。脱獄そのものは罰則にはならないのだ。ただ、逃亡していた日数が加算されるだけ、例えば一週間刑務所の外にいたら、満期がきた時点でさらにあと一週間いさせられるだけだ。脱獄中に犯罪を犯したりしたらそうはいかない。ボーナスがたっぷり加算される。やはり脱獄中はできるだけ人目を避けて大人しくしているのが普通の神経だ。

 さて、逃亡から一週間以上たつがまだ犯人は捕まらない。ひょっとしたらフランスに逃げたのかもしれない。


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