アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:トルコ語

 少し前まではコーカサスやシベリア諸民族の言語をやるにはロシア語が不可欠だった。文献がロシア語で書いてあったからだ。今はもう論文なども英語になってきてしまっているのでロシア語が読めなくても大丈夫だろう。残念といえば残念である。別に英語が嫌いというわけではないのだが、何語であれ一言語ヘゲモニー状態には私は「便利だから」などと手放しでは喜べない。どうしても思考の幅が狭まるからだ。
 そのコーカサス地方の言語、タバサラン語についてちょっと面白い話を小耳にはさんだことがある。

 タバサラン語では「本」のことをkitabと言うそうだ。アラビア語起源なのが明らかではないか。よりによってこのkitab、あるいは子音連続K-T-Bは、私が馬鹿の一つ覚えで知っている唯一のアラビア語なのである。イスラム教とともにこの言語に借用されたのだろう。
 そこで気になったので、現在イスラム教の民族の言語で「本」を何というのかちょっと調べてみた。家に落ちていた辞書だろネットの(無料)オンライン辞書だろをめくら滅法引きまくっただけなので、ハズしているところがあるかも知れない。専門家の方がいたらご指摘いただけるとありがたい。その言語の文字で表記したほうがいいのかもしれないが、それだと不統一だし読めないものもあるのでローマ字表記にした。言語名のあとに所属語族、または語群を記した。何も記していない言語は所属語族や語群が不明のものである。

1.アラビア語 (セム語族): kitab
2.ペルシア語 (印欧語族): ktâb
3.ウルドゥ語 (印欧語族): kitab, kitaab-chaa (booklet)
4.パシュトー語 (印欧語族): kitaab
5.アルバニア語 (印欧語族): libër (a bookの意。the bookはlibri)
6.ボスニア語 (印欧語族): knijiga
7.トルコ語 (テュルク語): kitap
8.タタール語 (テュルク語): kitab
9.カザフ語 (テュルク語): kitap
10.インドネシア語 (マライ・ポリネシア語群): buku, kitab, pustaka
11.タバサラン語 (コーカサス語群): kitab

 このようにアラビア語の単語が実に幅広い語族・地域の言語に取り入れられていることがわかる。例外は5のアルバニア語と6のボスニア語。前者は明らかにロマンス語からの借用、後者はこの言語本来の、つまりスラブ語本来の語だ。ここの民族がイスラム化したのが新しいので、言語までは影響されなかったのではないだろうか。10のインドネシア語のbukuは英語からの借用だと思うが、kitabという言葉もちゃんと使われている。pustakaは下で述べるように明らかにサンスクリットからの借用。インドネシア語はイスラム教が普及する(ずっと)以前にサンスクリットの波をかぶったのでその名残り。つまりpustakaは「本」を表わす3語のうちで最も古い層だろう。それにしても単語が三つ巴構造になっているとは、なんというスリルのある言語だ。しかも調べてみるとインドネシア語にはkitabと別にAlkitabという語が存在する。これはAl-kitabと分析でき、Alはアラビア語の冠詞だからいわばThe-Bookという泥つきというかTheつきのままで借用したものだ。そのAlkitabとは「聖書」という意味である。

 さらにイスラム教徒が乗り出していった地域で話されていたアフリカのスワヒリ語は「イスラム教の民族の言語」とは言いきれないのだが、「本」という文化語をアラビア語から取り入れているのがわかる。ハウサ語の「本」は形がかけ離れているので最初関係ないのかと思ったが、教えてくれた人がいて、これも「ごく早い時期に」アラビア語から借用したものなのだそうだ。ハウサ語のfは英語やドイツ語のfとは違って、日本語の「ふ」と同じく両唇摩擦音だそうだから、アラビア語bがfになったのかもしれないが、それにしても形が違いすぎる。「ごく早い時期」がいつなのかちょっとわからないのだが、ひょっとしたらイスラム教以前にすでにアラビア語と接触でもしていたのか?

12.ハウサ語 (アフロ・アジア語群): littafiまたはlitaafii (「手紙」がharàfii)
13.スワヒリ語: kitabu (複数形 vitabu)

 次に、以下の言語は2、3、4と言語的に非常に近い(印欧語族、インド・イラン語派)にもかかわらず、アラビア語が借用されていない。宗教がヒンドゥ、または仏教だったからだろう。

14.ベンガル語: bôi (これは口語。正式には pustôk)
15.シンハラ語: pothakまたはpota
16.ヒンディー語: pustak
17.サンスクリット: pustaka

 タバサラン語のすぐ隣、つまりコーカサスで話されていてもキリスト教民族の言語だと「本」は別系統の単語になっている。

18.アルメニア語 (印欧語族): girk (kは帯気音)
19.グルジア語 (コーカサス語群): cigniまたはts’igni

 また次の言語は本家アラビア語と近いのに「本」をkitab と言わない。アムハラ・エチオピア民族はキリスト教国だったし、ヘブライ語はもちろんユダヤ教。

20.アムハラ語 (アフロ・アジア語群): mäTS’häf またはmeTsa’HeFe
21.ヘブライ語 (セム語族): sefer (語根はS-F-RまたはS-P-R)

 アムハラ語の単語はいったいどう読むのかよくわからないが、äは単に開口度が高いeと解釈すれば「メツヘフ」または「メツァヘフェ」か。「メ」の部分をアラビア語から類推して接頭辞と判断し、勝手に無視すると、この語もセム語族と同様「語幹は3つの子音からなる」という原則を保持している。つまりTs-H-Fなのだろうか。ハウサ語の例があるから断言はできないが、kitab起源ではなさそうだ。

 最後に出血サービスとしてインド南部の非印欧語・非セム語のタミル語。ここはヒンドゥー教あるいは仏教地域だ。サンスクリットからの借用語であることが明白。上のインドネシア語pustakaもこれ、イスラム以前の借用に違いない。

22.タミル語: puththakam (複数形 puththakangal)

 以上である。我ながら私は本当にヒマだと思う。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 子供の頃、英語で「私には姉がいる」をI have a sisterというと聞いて驚愕したことをまだ覚えている。まず「姉」と「妹」を区別しないのに驚いたが、この文脈で「持つ」という動詞を使うのがまた意外だった。日本語ならここで英語のbe、ドイツ語のseinにあたる「ある・いる」という動詞で表現する。
この、「ある」か「持つ」か、つまりbeかhaveかという区別はよく議論されるテーマだそうで、そもそもの言いだしっぺはA・メイエとその弟子のE・バンヴェニストあたりらしい。「be言語」「have言語」という言葉も聞くが、実は私はいままであまり深く考えもせずにテキトーに(またかよ)これらの言葉を使っていた。私が理解していたのはだいたい次のようなことだ。
 大まかにいって現在のヨーロッパにおける印欧諸語がhave言語なのに対し、ヨーロッパでも非印欧語は、フィンランド語やハンガリー語などはbe言語である。 さらにロシア語を含む東スラブ諸語は日本語と同じくbeを使う、つまり「私には姉がいる」タイプだが、南スラブ諸語・西スラブ諸語は「私は姉を持っている」である。

 ところが実際はどうもそう単純に片付けられる問題ではないらしい。まず第一にヨーロッパ外の印欧語でもhaveを使うものや逆にヨーロッパの印欧語でもbeを使う例があるし、第二にそもそもhaveもbeも両方使う言語が多いので、これはhave言語、あれはbe言語とギッチリきれいに線引きすることはできない。ちょっと調べてみた。

 まずヨーロッパの非印欧語トルコ語は図式通りにbe言語で、そもそもhaveにあたる動詞がないそうだ。「ある」または「ない」にあたるvarとyokを使う。

bir ev-im var
一軒の + 家が-私の + ある
→ 私には家が一軒ある。(= 私は家を一軒持っている)

 
telefon-um yok
電話-私の + ない
→ 私には電話がない。(= 私は電話を持っていない)

ちなみにhaveをトルコ語辞書で引くとsahip olmakと出てくる。sahipが「所有者」(しかもアラビア語からの外来語)、olmakが「ある」だから、「○○の所有者である」と表現するしかないらしい。日本語ではここで「トルコ語にはhaveにあたる動詞がない」と「トルコ語はhaveにあたる動詞を持たない」の両方の表現が可能だから、それに比べてもトルコ語は相当ハードなbe言語だ。

 古モンゴル語もbe言語だったそうだが、トルコ語と違って「私」は属格でなく与格(処格)になる。

nadur morin buy
私に + 一匹の馬が + いる・ある
→ 私には馬が一匹いる。(= 私は馬を一匹持っている)


 古グルジア語もbe。

ara ars čuen tana uprojs xut xueza puri
ある +(否定)+ 我々に + と共に + より多い + より + 5 + パンが
→ 我々には5個以上のパンがない。
(= 我々は5個以上のパンを持っていない)


 ところがこれと平行した構造は印欧語の古典ギリシア語でも成り立つそうだ。つまり古典ギリシア語はヨーロッパの印欧語のくせにbeも許すのだ。

ούχ εισίν ημιν πλειον ή πέντε άρτοι
(否定) + ある + 我々に + より + 多い + より + 5 +  パンが(複数主格)
→ 我々には5個以上のパンがない。

しかし古典ギリシャ語はその一方でhave構造も使うから油断できない。

Οὐκ ἔχω ἄνδρα
(否定) + 持つ(一人称単数)+ 夫を
→ 私は夫を持っていない (= 「私には夫がいない」)

 胸焼けがして来そうだが、ついでにヒッタイト語もbeを使ったそうだ。

tuqqa UL kuitki ešzi

このULというのは何なのかよくわからないのだが、とにかくtuqqaが「君に」、kuitkiがnothing、ešziが「ある・いる」で、全体としては「君には何もない」。ちなみにこのヒッタイト語というのはこれでも一応印欧語である。俄かには信じられないがそれでもešziというコピュラにちょっと印欧語らしさがのぞく。
 現代モンゴル語、現代グルジア語、現代ギリシャ語がどうなっているのか気にはなったのだが調べるのがメンド臭かったので(またかよ)先を続ける。

 さらなるヨーロッパ外の印欧語クルド語もbeを使うそうで、

min hespek heye
私に + 一匹の馬が + いる
→ 私には馬が一匹いる。(= 私は馬を一匹持っている)

これに対してお隣の印欧語ペルシャ語はhaveを使うそうだ。人から聞いたところでは
man khahar daram
私(主格)+ 妹または姉 + 持つ(一人称・単数)
→ 私は姉(妹)を持っている (=私には姉(妹)がいる)

  
 もっとも、特に古典語はhaveを使った例があるからといって他方のbe(あるいはその逆)を使わなかったという証明にはならないところが辛い。構造としては許されているが、たまたま使用例が残っていなかっただけかもしれないのだ。言語問題と言うのは結局ネイティブスピーカーを捕まえて聞いてみるしかないのだが、古典語はそれができない。クルド語・ペルシャ語もちょっとネイティブスピーカーがつかまらなかったのでもう一方のバージョンが完全にNGなのかどうか確認はしていない。

「ヨーロッパの印欧語」ではロシア語が結構キッパリbe言語だと名付けられるので有名だ。「私には子供がいます」という時ロシア語でも「いる」を使うと聞いて「おお、日本語と同じじゃないか」と感動したのは私だけではないはずだ。

У меня есть ребёнок
のところに + 私の + いる・ある + 子供が
→ 私には子供がいる。

(日本語で「私は子供を持っている」は成り立たない)

南スラブ語のクロアチア語はhaveだ。ロシア語の「子供がいる形構造」に狂喜していた私はクロアチア語がhave言語ときいてガッカリしたものだ。

imam kuću
持つ(一人称単数) + 家を
→ 私は家を持っている。

(日本語では「私には家がある」も可能)

クロアチア語にはさらにhaveが非人称表現を作り、英語で言えばthere is Xをit has Xと表現するのだ。ima Xで、「Xがない、いない」だが、このimaというのは動詞「持つ」(不定形はimati)の3人称単数形である。ドイツ語もここで非人称表現を使ってes gibt X(it gives X)というから動詞は違っているが(geben=give)発想はそっくり。例えば授業の始めに出席を取るとき、「Aさんはいますか?」と聞くとき「ima li A?」といい、いるかどうか聞かれた学生は「ima!」(「いますよ!」)と言って手を挙げる。
 このように南スラブ諸語、あと基本的に西スラブ諸語もhave言語と言っていいが、ポーランド語は例外で両方OKらしい。

mam samochód
持つ(一人称単数)+ 自動車を
→ 私は自動車を持っている。

u jednego był długi muszkiet
~のところに + 一人の人の + あった + 長い + マスケットが
→ ある人のところに長いマスケット銃があった。


どうしてここで突然マスケット銃が出てくるのか面食らう例文だが、これは日本語では「持つ」を使って「ある人が長いマスケット銃を持っていた」と言ったほうが自然ではないか。(「長いマスケット銃」とわざわざ言っている、ということは「短いマスケット銃」というのもあるのか?)
 
 ウクライナ語も両方許されるそうで、

Я маю машину.
私 が + 持つ + 車を
→ 私は車を持っている。

У мене є машина.
~のところに + 私 + ある + 車が
→ 私には車がある。


はどちらもOK。ベラルーシ語も同じだそうだ。

 遡って古教会スラブ語ではhave構造が散見されるだが、面白いことにギリシア語のhave(έχειν)は必ずといっていいほど古教会スラブ語でもhave(imĕti)を使って訳してあるとのことだ。古教会スラブ語は南スラブ語だから、その子孫が現在を使っているのもうなずける。さらに実際はbe言語の(はずの)ロシア語も古いテキストではhaveを使っているのが見られるという。

 フランス語にも実は一見「~に~がある」に対応する構造est à moiがあるが、意味と言うか機能に少し差があるから注意を要する。ラテン語のest mihi liber(私には本がある)とhabeō librum(私は本を持っている)が同じ意味になるのとは違うのだ。be (être à)は定冠詞を取らないといけないし、have (avoir)は不定冠詞と使ったほうがずっと許容度が高いそうだ。

Ce livre est à moi.
* Un livre est à moi.

J’ai un livre.
? J’ai ce livre

 バンヴェニストは一般的に所有関係の表現はbeからhaveへ移行していくのであって、その逆ではない、という見解を述べている。古教会スラブ語とロシア語を比べて見るとちょっと待ったと言いたくなるが、長い目で見るとやっぱり全体的にはhaveへ移行中なのだろうか。日本語も昔は「会議がありました」以外考えられなかったのに最近は「会議が持たれました」という言い回しも聞くし、そのうち「私は子供を持っています」のほうが普通になるかもしれない。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 2013年にボストンマラソンに爆弾が仕掛けられたことがあった。犯人はツァルナエフという兄弟だったが、兄は射殺され弟は捕まった。
 この事件で真っ先に気になったのが「ジョハル」という弟の名前の出所だ。当時の新聞を見ると犯人はチェチェン人、とあり、キルギスタンやカザフスタン、ロシアなどを転々とした後、現在両親はダゲスタンにいる、ということだった。するとこの名前はチェチェン語なのか。チェチェン語はいわゆるコーカサス言語で『51.無視された大発見』で述べたような能格構造を持っている。私の見た新聞ではこの名前がローマ字でしか発表されていなかったので、こちらで勝手にロシア語綴りを想定してджохарとして検索したところ本当に説明が見つかった。

Джохар (араб. جوهر‎ чеч. ДжовхIар):мужское имя персидско-арабского происхождения, часто встречаемое в Чечне, изредка в Дагестане, Азербайджане и Иране.

「「ジョハル」(アラビア語جوهر、チェチェン語でДжовхIар「ジョフヒアル」):ペルシア語・アラビア語起源の男性の名前で、チェチェンに多く見られるが、ダゲスタン、アゼルバイジャン、イランにも時々ある。」
 
 さらにТ. А. Шумовский (T.A.シュモフスキー)という学者が次のように書いているそうだ。

«На бытовом уровне обращает на себя внимание персидское гавхар — „драгоценный камень“, которое, перейдя в арабское джавхар с тем же значением, создало помимо нарицательных на русской и английской почве собственные имена: индийское Джавахарлал, чеченское Джохар, армянское Гоар»

「ペルシャ語の単語гавхар「ガヴハル」がよく使われているのが注目される。これは「宝石」という意味で、アラビア語にも「ジャヴハル」として借用され同義に使われているが、普通名詞以外でもロシア語や英語圏で固有名詞のもとになった:ヒンディー語の名前「ジャヴァハルラル」、チェチェン語「ジョハル」、アルメニア語「ゴアル」など。」

この「英語圏」английской почвеというのは「印欧語圏」の間違いではないのか?また文脈から判断すると「ロシア」にはチェチェン語やダゲスタン語域などロシア語をリングア・フランカとして話す地域も勘定されているようだ。
 
 しかしそれより気になったのはその上の説明で「ペルシア語・アラビア語起源」とあって、ペルシャ語とアラビア語がハイフンでつながっていることだ。これらの言語は全然語族が違うからこの二つをくっつけるのは無理があるのではないか。この語はペルシャ語かアラビア語のどちらかが他方から借用したはずだ。シュモフスキーはペルシャ語が元、と言っているがそれはどうやってわかるのか?アラビア語と似た形の語形ならそこここの言語に見られる:

1.ルーマニア語の「宝石」giuvaierはオスマン時代のトルコ語cevher(「宝石・本質」)から借用されたもの。トルコ人のCevahirという名前(男女共)もこれと同源だそうだ(対応するアラビア語のJawahirとは女性の名前)。「宝石」はアラビア語でجَوْهَر ‎(jawhar)である。
 さらにトルコ語には「宝石・鉱石」という意味のmücevherという言葉がある。ここで接頭辞がmü とウムラウト化しているのは母音調和のためだろう。トルコ語mücevherの元のアラビア語の言葉مُجَوهَر (mujawhar) は本来「宝石で飾られた(もの)」という意味だそうだ。
 私が馬鹿の一つ覚えで聞いているアラビア語(『7.「本」はどこから来たか』の項参照)K-T-Bにも次のようなmuのついている例があった:

kitāb(書物);kātib(著者); maktūb (手紙);mukātaba(文書)

これで一つ覚えが一気に「馬鹿の四つ覚え」になった。すごい進歩である。

2.インドネシア語jauharもアラビア語からの借用。
3.スワヒリ語johariも見ての通りアラビア語から。
4.ヨーロッパのイスラム教国の言語、アルバニア語では「宝もの」をxhevahirと言うが、xh は dž と発音するから、これも露骨にアラビア語からの借用である。
5.スペイン語にも一目でアラビア語起源とわかるalhaja(「宝石」)という単語があった。インドネシア語のAlkitab(「聖書」「コーラン」)と同じく定冠詞つきの借用だ。ただしこれは「ジャヴハル」および「ジョハル」とは別の حاجه (ḥāǧah) という語からきていて、本来「必要な物」とか「欲望」とかいう意味だとのことだ。

 このようにあまりにもあちこちの言語でアラビア語の「宝石」が借用されているのを見て(スペイン語は別単語ではあるが)こりゃペルシャ語の方がイスラム教といっしょにアラビア語から取り入れたのではないか、という疑いがわいてきた。アルメニア語はそのペルシャ語を通したのではないだろうか。
 で、手始めに両言語の音韻組織を調べて見た。

(1)ペルシャ語
persisch

(2)アラビア語 I
Arabisch-Deutsch

(3)アラビア語 II
Arabisch_Englisch


すると「手始め」のつもりがこれで結論が出てしまった。疑いはほぼ解消。こりゃペルシャ語→アラビア語という方向しかありえない。
 まずここでの注目点は g と dž との対応だ。ペルシャ語がアラビア語から取り入れた、と仮定するとどうしてdžの音(国際音声字母だと [ʤ] )がペルシャ語で g ([g])になるのか説明がつかない。反対にペルシャ語からアラビア語に流れた、と仮定すると簡単に説明できてしまうのだ。

 アラビア語は [g] と [ʤ] を音韻的に区別しない。どちらの音も /dž/(英語の j にあたる)という音素なのである。つまりこれらはアロフォン(異音、絶対「異音素」と混同しないように)である。上の(2)を見て欲しい。 /g/ という独立した音素がない。アラビア語の ج という字は標準アラビア語では[ʤ] と発音するが、地域によってはこれを [g] と発音するところもあるし、そもそも日本語での l と r と同じく、どっちで発音しても構わないのだ。(3)のʒ~d͡ʒ~ɟ~ɡj~ɡ という部分を見るとわかるように [g] から [ʤ] まで様々な音が同じ音素の異音となっている。アラビア語では無声子音の [k] は独立音素だが、有声の [g] は音素ではないのである。
 例を挙げる。下のج という形はこの字を単独で書いた場合の形で語頭での字形は下の一番右にあるように >の下に点がついているような字だが、同じ字をエジプト方言ではg、標準アラビア語では j、つまり dž と発音することがわかるだろう。

「宝石・宝物」
標準アラビア語: جوهرة (jáwhara)
エジプト方言: جوهرة (gawhara)

「キャメル」(جمل、「駱駝」)という英語の元になったアラビア語の「駱駝」の最初の文字(右端)もこれだが、標準アラビア語というか中近東では「ジャメル」である。「カメル」あるいは「ガメル」というのはエジプト方言の発音で、イギリス人はここからとりいれたのだろう。
 
 なので、ペルシア語の g をアラビア語では جで写し取り、その字の標準アラビア語発音で dž と読んだ、そのアラビア語発音がさらに他の言語、特にイスラム教の民族の言語に伝わった、と考えると非常にすっきり説明ができる。アルメニア語はアラビア語を通さず直接ペルシャ語から取り入れたか、そもそもペルシャ語もアルメニア語も印欧語だから元の古い形がどっちにも残っていた、つまり同源だったためか、g の音が残ったのだろう。
 ルーマニア語もこれをdž で取り入れているが(上記参照)、これはアラビア語からの直接借用でなく、アラビア語からこの語を借用したトルコ語をさらに仲介している。ペルシア語→アラビア語→トルコ語→ルーマニア語という経路だ。ひょっとしたらトルコ語との間にさらにブルガリア語が介入しているのではないかとも思うが、とにかく長旅お疲れ様でした。バルカン半島は長い間トルコに支配されていたからこれはわかる。

 さてアラビア語に対してペルシャ語では g と dž はアロフォンでなく異音素である。上の(1)を参照してほしい。/g/ と /dž/ は両方独立した音素として表にのっているだろう。なので、もし「ジョハル」が原型であればそれを「ゴハル」なんかにしないでそのまま「ジョハル」という形で借用できたはずなのだ。だからこの「ゴハル」⇔「ジョハル」は、ペルシア語→アラビア語という借用方向しかありえない。

 ここまで一生懸命調べてからちょっと他の資料を覗いてみたら、「この語は現代ペルシャ語でgohar、中世ペルシャ語ではgwhl またはgōhr(「本質・宝石」、アラビア語はこの中世ペルシャ語からの借用)、そして古期ペルシャ語では*gauθraまたは*gavaθraだった」、とあっさり説明してあるではないか。文献学上ではとっくに証明済みだったわけだ。この古代ペルシャ語はgav- という語幹から派生したもので、もともと「育つ」とか「増える」という意味だそうだ。
 それにしてもせっかく自分で一生懸命検索したり考察したりした私の今までの苦労は完全に無駄な努力・余計なお世話だったのである。ちぇっ。
 
 気を取り直してさらにみてみると、ルーマニア語以外のバルカン諸言語にも「アラビア語の宝石」は広がっているらしい。次のような例が挙げてあった。

ギリシア語: τζοβαΐρι ‎(tzovaḯri、「宝石・宝物」)
セルボ・クロアチア語: džèvēr/џѐве̄р, dževáhir/џева́хир (「高価な宝石」)

「セルボ・クロアチア語」などという古い名称が使われているが、ここに挙がっているdžèvēr(ジェヴェール)、dževáhir (ジェヴァーヒル」)というのは今で言うボスニア語ではないだろうか。私の持っている相当詳しいクロアチア語・ドイツ語辞典にはこの語が出ていなかったし、ここの資料にも「regional な語」とあった。ギリシア語も「セルボ・クロアチア語」もトルコ語のcevahir を借用したらしい。
 さらに面白いことに、現代ペルシャ語は、もともと自分たちのほう、つまり中世ペルシャ語からアラビア語に輸出した語を後になってアラビア語からjauhar (または jawhar)として逆輸入している。ここではアラビア語→ペルシャ語の方向だから当然頭音が j になっていて、まさに上で音韻考察した通りの図式である。なお、そうやって里帰りした際意味の場も変化してしまい、現代ペルシャ語のjauhar が本来の「宝石」の意味で使われるのは「まれ」あるいは「古語的用法」だそうだ。jauharは普通は「本質」「インク」「酸」という意味に使われるとのこと。この3つの意味が同じ単語でいっしょになっているのが不思議だが、これじゃあまり「故郷に錦を飾った」という感じがしない。

追記:ひょっとして英語のjewel やjewelry もコレかとカン違いする人が出てきそうなので念のために書くと、これらはそれぞれ古フランス語のjouel とjueleryeが起源で、さらに遡ると俗ラテン語の*jocale ‎(「品のあるもの」)。しかしもっと遡ると最終的にはラテン語のiocusまたはjocusに行き着くそうだ。なんとこれは見ての通り「ジョーク」とか「娯楽」という意味。ウッソー!


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 突然だが、w と y、IPAで言う [ʋ] と [j] の音を人は普通どう呼んでいるのだろうか。私はこれらを普通「半母音」、会話状況によってはApproximant(「接近音」)と呼んでいた。今までは。
 ところが以前これらをGleitlaut(グライトラウト、英語ではglide)「渡り音」と呼んでいた人がいたのでちょっと驚いたことがある。私はいままで「渡り音」というのは「どうしても出てしまう音」、または「別に出したくはないのだが音声環境のせいで出さないと次の音に進めないから仕方なく出す音」と定義していたので、出すつもりで出す音、それ自体が目的の音は「渡り音」のカテゴリーには入れて考えていなかったからだ。
 しかし後でたまたまChomskyとHalleの共著Sound pattern of Englishという本をビラビラめくっていたらなんとそこで、w、y、h、? (声門閉鎖音)の四つがいっしょにglidesというカテゴリーにいれられていたのでうなってしまった。件の人は英語が専攻の人だったのかもしれない。しかしこの組み合わせを同じカテゴリーに入れるという発想は私にはなかった。[h] と [ʔ] などそれぞれ「無声声門摩擦音」「無声声門閉鎖音」という単なる子音、Chomsky&Halleの用語で言うならobstruentsとしか思えない。ところが両氏はこれら4つの「渡り音」の素性(そせい)を [+sonorant] [-sylabic] [-consonantal] ([h] と [ʔ] も!)としていわゆる純正子音、obstruentsの[-sonorant] [-sylabic] [+consonantal] と区別している。

 音声学・音韻論は奥が深い…

 その奥の深い音声学を一気にレベル下げして面目ないが、私はここで [ʔ] と [j] (ここでは y)がいっしょにされていることが面白かった。
 実は前から気になっていたのだが、次のイタリア語のテキストはどう発音するのか。

Hai amato solo lei,
お前は彼女だけを愛していた、

Che si vive, che si ama
生きることだ、愛することだ

Che si ama una volta sola.
一度だけ愛することだ。

L'hai amata, l'hai perduta
お前は彼女を愛し、そして失った

これは『続・荒野の用心棒』の主題歌の一部である。劇場公開された映画で流れているのはロッキー・ロバーツの歌う英語バージョンだが、その他にベルト(またはロベルトとも)・フィアのイタリア語バージョンがあり、これはそっちのほう。作曲者のルイス・エンリケス・バカロフはモリコーネより先、1996年に『イル・ポスティーノ』でオスカー音楽賞をとっている。(それにしても映画の内容とテーマ曲の歌詞がここまで一致していないのも珍しい。この歌詞はどう見てもマカロニウエスタンのものとは思えない)
 私の母語は日本語東京方言で母音が連続する場合はhiatusとなり、二つの母音の境界がぼやけることはない。連続が語や形態素の境界を越える場合は特にそうだ。だから仮に私がイタリア語の勉強をしているとして、これをカラオケで歌ってみろと言われたらhai amato solo leiやche si ama、またL'hai amataの部分は境界をさらに強調してそれぞれ [aɪʔamatɔsɔlo:leɪ]、[kɛsɪʔama]、[laɪʔamata] とか何とか歌っていたと思う。日本語で書くと「アイアマトソローレイ」、「ケシアマ」、「ライアマタ」である。
 ところがレコード(というかCD)を聞いてみるとイタリア人の歌手は件の部分は声門閉鎖音のかわりにそれぞれ[aɪjamatɔsɔlo:leɪ]、[kɛsɪjama]、[laɪjamata] と、それこそ渡り音の [j] をいれて歌っている。「アイヤマトソローレイ」、「ケシヤマ」、「ライヤマタ」である。なるほど [ʔ] と [j] はある意味では仲間か。「プロのイタリア人歌手が [j] と発音した部分を言葉もできずしかも音痴の私が [ʔ] を入れた」というのが「ある意味」と言えればの話だが。ほとんど無意味に近い無理のありすぎる比較ではある。
 [h] については古典ギリシャ語など語頭に母音が立つと必ずくっ付いてくる言語があるそうだ。例えばἙλλάς(「ギリシャ」)は今はe'lasだが元はhel.lásといい、そのため英語などではいまだにHellasと書く。「ユダヤ人」という意味のロシア語のеврей (jevrej、イェヴレーイと発音)もギリシア語のἑβραῖος から来たものだそうだが、そのギリシア語の語頭母音がやっぱり帯気であった(hebráɪ.os)。つまりギリシア語とロシア語間では、もとは同じ音だった(はずな)のがそれぞれ [h ]と [j] になって対応している。他のヨーロッパ諸言語ではここが h だが(例えば英語のHebrew)。ヘブライ語のそもそもの原語では語頭に気音など立っていなかったらしい。
 こう見ていくとこれらの音は本当に結構仲がいいのかもしれない。ロシア語では他の言葉を写し取る際 [h] は普通 [g] になるのに、どうしてここでは [j] なのかなとは思うが。いずれにせよこのChomsky とHalleのカテゴリーはとても面白かった。古典というのは読んでみるものだ。

 さて、間に音が入るのではなく逆に母音に挟まれた子音がぶったるむことがある。例えば私が「鏡」をいい加減に発音すると「かぁみ」、「だがしかし」が「だぁしかし」になるが、ここの「ぁ」は [ɣ] という音で、g ([ɡ])、つまり本来閉鎖音だったのが摩擦音になってしまったのである。なお私は東京方言が母語のクセに鼻音のガギグゲゴ、つまり [ŋ] を持っていない。

 あるとき、ニュースを見ていたドイツ語ネイティブが、どうしてトルコの首相(現在は大統領)の名前はRecep Tayyip Erdoganと書くのにトルコ人は「エルドアン」と発音しているんだろうとか聞いてきたので私が「多分この g ってのが軟口蓋閉鎖音ではなくて摩擦音のガンマなんじゃないの?だから消えやすいのよきっと」と言って親切にもググってあげたら案の定この音はトルコ語正書法では単なる g でなくdiacritic、補助記号のついた ğ で、

Das Phonem /ɣ/ (normalerweise yumuşak g genannt („weiches g“)), ğ erscheint niemals am Wortanfang, sondern folgt stets einem Vokal. Am Wortende oder vor anderen Vokalen zeigt es die lange Aussprache des vorhergehenden Vokals an.

音素 /ɣ/ (普通yumuşak、柔らかい g と呼ばれている)、ğ は決して語頭には現われず、常に母音に後続する。語末に立ったり別の母音が先行する場合はその先行する母音を長母音化させる。

とあったので棒読みしてあげた上、

yumuşak/weiches g: zeigt am Silbenende die Längung des davor stehenden Vokals an (vergleichbar mit dem deutschen Dehnungs-h), kann auch einen fließenden Übergang von einem Vokal zum nächsten bewirken; nach Vorderzungenvokalen (e, i, ö, ü) oft als Stimmhafter palataler Approximant wie dt. j in Seejungfrau

yumuşak:柔らかい g:シラブルの末尾では先行する母音が長音化することを示す(ドイツ語の長音記号の h のようなもの)が、ある母音から次の母音への移行を流動的なものにすることもある;前舌母音 (e, i, ö, ü)の後ろでは有声硬口蓋接近音、ドイツ語Seejungfrau(ゼーユングフラウ、「人魚」)のjのような音になることが多い。

ともあったのではしょって

「前舌母音に後続するときは硬口蓋化して接近音の [j] になるそうよ。」

と告げたところ

「何を言っているのか全くわからない。」

と一言の下に撥ねつけられて出て行かれ、親切を無にされた私はムカついた。そこで、

「人にものを訊ねて答えてもらったら少なくとも理解しようと努力するくらいのことはしてよね」

と後ろから応酬したら今度は向こうがムカついた。そしたら別のネイティブが脇から「ガンマ([ɣ])ってどうやって発音するんだ」と口を挟んできたので

「[ɡ] と調音点は同じ軟口蓋だけど、閉鎖しないで摩擦するのよホレ。」

とやって見せて、向こうにやらせて見たらこれがどうしてもうまく行かない。軟口蓋閉鎖音 [ɡ] になるか、うまく摩擦音になったらなったで今度は調音点が移動して口蓋垂の [ʁ] になってしまう。

私が「なんでこんなもんが出来ないのよ。doch(「しかし」)のch ([x])をそのまま有声化すれば済むじゃない。簡単でしょ」と言ったらムカつかれ、

「じゃあ口蓋垂震え音[ʀ]やってみろよホレホレ」

と、日頃から気にしていた痛い点を付かれて逆襲された。この [ʀ] が私は出来ない。仕方がないからいつもその時の気分や体調によって舌先の震え音 [r] または口蓋垂摩擦音 [ʁ] を発音して誤魔化している。「本来の音が発音できないためにその代用として出すアロフォン」を示す学問的名称はまだないが、俗に言うfreie Allophone(自由異音)ならぬ「不自由異音」とでも呼ぶべきか。そこまで苦労して回避していた音を「やってみろホレホレ」と無理強いされた上、その、私に出来ない音をこれ見よがしにデモンストレーション発音までしてみせられたので私もムカついた。

 こうして朝っぱらから全員仲良くムカついたところで会話はめでたくお開きとなった。エルドアンさん、あなたのせいですよ!


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

注意:この記事はGoogle Chromeで見るとレイアウトが崩れてしまいます。私は回し者ではありませんが、できればMozilla Firefoxをお使いください

 いつだったか、インドの学校では九九を9×9=81までではなく、12×12=144まで暗記させられる、と聞いていたのをふと思い出して調べてみたら12×12ではなく20×20までだった。「じゅうに」と「にじゅう」を聞き違えたのかもしれない。
 言語によっては12で「2」を先にいうこともあるし、反対に20のとき「10」が前に来たりするからややこしい。また、11と12が別単語になっている言語もある、と言っても誰も驚かないだろう。英語がそうだからだ。英語ばかりでなくドイツ語などのゲルマン諸語全体がそういう体系になっている。ゲルマン諸語で1、2、3、10、11、12、13, 20、30はこんな具合だ。

                1       2          3        10        11       12         13             20            30
ドイツ語              eins   zwei     drei     zehn      elf      zwölf     dreizehn   zwanzig    dreißig
スウェーデン語   en/ett  två       tre       tio         elva     tolv      tretton       tjugo         trettio

ゴート語
1          2               3                  10         11       12        13                  20                30
ain           twa           thrija             taihun   ainlif    twalif   *thrija-taihun    twai tigjus    threis tigjus
ains (m.)  twai (m.)   threis (m., w.)
aina (w.)   twos (w.)   thrija (s.)
ain (s.)  

13からは「1の位の数+10」という語構造になっているが11と12だけ系統が違う。11(それぞれelf, elva, ainlif)の頭(e- あるいはain-)は明らかに「1」だが、お尻の-lf, -iva, lifはゲルマン祖語の*-lif-または*-lib-から来たもので「残り・余り」という意味だそうだ。印欧祖語では*-liku-。ドイツ語の動詞bleiben(「残る」)もこの語源である。だから11、12はゲルマン諸語では「1あまり」「2あまり」と言っているわけだ。
 この、11、12を「○あまり」と表現する方法はゲルマン祖語がリトアニア語(というか「バルト祖語」か)から取り入れたらしい。本家リトアニア語では11から19までしっかりこの「○あまり構造」をしていて、20で初めて「10」を使い、日本語と同じく10の桁、「2」のほうを先に言う。

リトアニア語
1                 2         3      10          11            12          13         20            30
vienas (m)  dù (m)   trys   dešimt   vienúolika  dvýlika   trýlika    dvìdešimt  trìsdešimt
vienà (w)    dvì (w)


ゲルマン語は現在の南スウェーデンあたりが発祥地だったそうだから、そこでバルト語派のリトアニア語と接触したのかもしれない。そういえば昔ドイツ騎士団領だった地域には東プロシア語という言語が話されていた。死滅してしまったこの言語をゲルマン諸語の一つ、ひどい場合にはドイツ語の一方言だと思い込んでいる人がいるが、東プロシア語はバルト語派である。
 印欧語ではないが、バルト海沿岸で話されているフィンランド語も11から19までは単純に「1と10」という風には表さない。

フィンランド語
1      2       3         10              11            12           13                 20                   30
yksi kaksi kolme kymmenen yksitoista kaksitoista kolmetoista kaksikymmentä kolmekymmentä

                                                                                             
11、12、13の-toistaという語尾はtoinenから来ていて、もともと「第二の」という意味。だからフィンランド語では例えば11は「二番目の10の1」だ。完全にイコールではないが、意味的にも用法的にもリトアニア語の「○余り」に近い。「20」のパターンもリトアニア語と同じである。
 
 ケルト諸語ではこの「○余り構造」をしておらず、11、12は13と同じくそれぞれ1、2、3と10を使って表し、一の位を先に言う。

アイルランド語
1             2      3        10         11                  12                 13           20       30
a haon a dó a trí a deich   a haon déag   a dó dhéag    a trí déag  fiche   tríocha


ブルトン語
1           2      3    10     11        12           13         20       30
unan daou  tri   dek   unnek   daouzek   trizek   ugent   tregont


アイルランド語の10、a deichはdéag やdhéagと書き方が違うが単語そのものは同一である。後者では「10」が接尾辞と化した形で、これがブルトン語ではさらに弱まって-ek、-zekになっているが構造そのものは変わらない。それより面白いのは20で、「10」も「2」も出て来ず、一単語になっている。これはケルト祖語の*wikantīから来ており、相当語形変化をおこしているがブルトン語のugentも同語源だそうだ。印欧祖語では*h1wih1kmt*あるいはh₁wih₁ḱm̥tiで、ラテン語のvīgintīもこの古形をそのまま引き継いだものである。「30」、tríochaとtregontも同一語源、ケルト祖語の*trī-kont-esから発展してきたもの。つまり20、30は11から19までより古い言語層になっているわけだ。これはラテン語もそうだったし、それを通して現在のロマンス諸語に引き継がれている。

ラテン語
1               2            3               10         11           12              13         20        30
unus (m)   duo (m)   tres (m,w)  decem  undecim   duodecim  tredecim  viginti   triginta
una (w)     duae (w)  tria (s)
unum (s)   duo (s)

フランス語
1      2        3      10    11      12        13        20      30
un   deux   trois   dix   onze  douze   treize   vingt   trente

 
スペイン語
1              2       3      10     11     12     13       20      30
un(o) (m)  dos   tres   diez  once  doce  trece  veinte  treinta
una (w)

当然、といっていいのかどうか、サンスクリットやヒンディー語でも「20」は独立単語である。

ヒンディー語 
1     2    3     10       11            12          13          20    30
ek   do  tin    das    gyaaraha   baaraha  t eraha   biis   tiis

サンスクリット
1        2      3    10       11            12          13               20          30
eka-  dvai-  tri-   daśa   ekādaśa   dvādaśa  trayodaśa   vi
ṃśati    triṃśat-

ヒンディー語のbiisはサンスクリットのviṃśatiが変化したもの。下のロマニ語のbišについても辞書にviṃśati起源と明記してある。もっともそのサンスクリットは数字の表し方がかなり自由で学習者泣かせだそうだが、学習者を泣かせる度合いはヒンディー語のほうが格段に上だろう。上の11、12、13、それぞれgyaaraha、 baaraha、terahaという言葉を見てもわかるように、ヒンディー語では11から99までの数詞が全部独立単語になっていて闇雲に覚えるしかないそうだ。もっとも13の-te-という頭は3のtinと同語源だろうし、15はpandrahaで、明らかに「5」(panc)が入っているから100%盲目的でもないのだろうが、10の位がまったく別の形をしているからあまりエネルギー軽減にはならない。やはり泣くしかないだろう。
 同じインド・イラニアン語派であるロマニ語の、ロシアで話されている方言では20と30で本来の古い形のほかに日本語のように2と10、3と10を使う言い方ができる。

ロマニ語(ロシア方言)
1         2     3     10    11           12             13          20              30
yekh   dui  trin  deš   dešyekh  dešudui    dešutrin   biš              trianda
                                                                           duivardeš    trindeš

ドイツのロマニ語方言では30をいうのに「20と10」という表し方がある。

ロマニ語(ドイツのシンティグループ)
1      2     3     10      11            12            13           20       30
jek   dui  trīn   dēš    dēštajek  dēštadui   dēštatrin   bīš      trianta
                                                                                     bīštadēš

ハンガリー・オーストリアのブルゲンラント・ロマの方言では20と30を一単語で表すしなかいようだが、11から19までをケルト語やサンスクリットと違って先に10と言ってから1の位を言って表す。これは他のロマニ語方言でもそうだ。

ロマニ語(オーストリア、ブルゲンラント)
1       2    3     10      11           12           13          20      30
jek   duj  trin  deš    dešujek   dešuduj   dešutrin   biš     tranda
(手持ちの文法書には13がbišutrinとあったが、これは誤植だろう。勝手に直しておいた。)

他の方言にも見えるが、ロマニ語の30、trianda, trianta, trandaはギリシャ語からの借用だそうだ。

古典ギリシア語・アッティカ方言
1        2       3          10   11      12    13                        20        30
heis (m)  dyo   treis (m.w)   deka  endeka   dōdeka  treis kai deka (m,w)   eikosi   triakonta
mia (w)           tria (s)                                             tria kai deka (s)
hen (s)


現代ギリシア語
1         2       3         10       11        12            13                    20      30
enas (m)  dyo   tris (m,w)   deka   endeka  dodeka    dekatris (m,w)   ikosi   trianda
mia (w)             tria (s)                                            dekatria (s)
ena (s)


古典ギリシア語では13からは11、12とは語が別構造になっているのが面白い。それあってか現代ギリシャ語では11と12では一の位を先に言うのに13からは10の位が先に来ている。20と30はケルト語と同じく独立単語で、20(eikosiまたはikosi)は上で述べたブルトン語ugent、ラテン語のviginti、サンスクリットのviṃśatiと同じく印欧祖語の*h1wih1kmt または *h₁wih₁ḱm̥tiから発展してきた形である。

 あと、面白いのが前にも述べた(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』)バルカン半島の言語で、バルカン連語連合の中核ルーマニア語、アルバニア語では11から19までがone on ten, two on ten... nine on ten という構造になっているのである。

ルーマニア語
1       2      3    10    11                 12                13                20            30
unu   doi  trei  zece  unsprezece  doisprezece  treisprezece  douăzeci   treizeci


アルバニア語
1     2     3     10       11                  12                13                  20       30           40
një  dy   tre   dhjetë  njëmbëdhjetë  dymbëdhjetë  trembëdhjetë  njëzet  tridhjetë  dyzet


ブルガリア語
1              2           3    10       11              12              13              20            30
edin (m)   dva (m)   tri   deset  edinadeset  dvanadeset  trinadeset  dvadeset  trideset
edna (f)    dve (f,n)
edno (s)

11を表すルーマニア語のunsprezece、アルバニア語の njëmbëdhjetë、ブルガリア語のedinadesetはそれぞれun-spre-zece、 një-mbë-dhjetë、edi(n)-na-desetと分析でき、un、 një、edinは1、spre、 mbë、naは「~の上に」、zece 、dhjetë、desetが「10」で単語そのものは違うが造語のメカニズムが全く同じである。さらに実はブルガリア語ばかりでなくスラブ語派はバルカン外でも同じ仕組みになっているのだ。

ロシア語
1               2             3    10          11               12             13             20          30
odin (m)    dva (m,s)   tri   desjat’   odinnadcat’  dvenadcat’  trinadcat’  dvadcat’  tridcat’
odna (w)    dve (w)
odno (s)


クロアチア語・セルビア語
1                2           3   10       11             12          13          20            30
jedan,(m)   dva(m,s)  tri  deset  jedanaest  dvanaest  trinaest  dvadeset  trideset
jedna,(w)    dvije(w)
jedno(s)


ロシア語odin-na-dcat’、クロアチア語のjeda-na-estでもちょっと形が端折られていたりするが、one on tenという構造になっていることが見て取れるだろう。20、30は日本語と同じく「に+じゅう」「さん+じゅう」である。

 ここでやめようかとも思ったが、せっかくだからもうちょっと見てみると、11から19までで、1の位を先に言う言語が他にもかなりある。

アラビア語
1             2         3          10         11                 12              13                   20       30
wāḥid     iṯnān     ṯalāṯa    'ašara   aḥada 'ašara   iṯnā 'ašara   ṯalāṯata 'ašara  'išrūn   ṯalāṯūn

ヘブライ語
1            2          3        10       11               12               13               20       30
ekhad   šnaim   šoša   'esera   ekhadesreh  šteimesreh  šalošesreh  'esrim  šlošim
akhat    štaim   šaloš   'eser

アラビア語の「11」の頭についているaḥadaは一見「1」(wāḥid)と別単語のようだが、前者の語根أ ح د ‎('-ḥ-d)と後者の語根و ح د ‎(w-ḥ-d)は親戚でどちらもセム語祖語の*waḥad-から。ヘブライ語のאֶחָד ‎(ekhád)もここから来たそうだから意味はつながっている。アラビア語ではつまり11だけはちょっと古い形が残っているということだろうか。
 「11だけ形がちょっとイレギュラー」というのはインドネシア語もそうで、12からははっきり1と2に分析できるのに11だけ両形態素が融合している。

インドネシア語
1       2      3     10          11          12            13              20             30
satu  dua  tiga  sepuluh  sebelas  dua belas  tiga belas   dua puluh   tiga puluh

この11、sebelasという形はマレー語のsebelas起源、つまりここでも古い形が残っているという事だ。まさかアラビア語のマネをしたわけでもないだろうが。
 さらにコーカサスのグルジア語も1の位を先に言う。

グルジア語
1      2    3      10     11            12            13            20      30
erti  ori  sami   ati    tert-met'i    tor-met'i   za-met'i    ozi     ozda-ati

-met'iはmoreという意味の形態素だそうで、つまりグルジア語では11から19までを「1多い」「9多い」と表現していることになり、リトアニア語の「○余り構造」とそっくりだ。また、グルジア語も「20」という独立単語を使っていて30は「20と10」である。

 シンタクス構造が日本語と似ているとよく話題になるトルコ語は11~19で日本語のように10の位を先に言う。その点はさすがだが、20と30は残念ながら(?)日本語と違って独立単語である。20(yirmi)も30(otuz)もテュルク祖語からの古い形を踏襲した形なのだそうだ。

トルコ語
1      2     3    10   11     12     13        20      30
bir    iki   üç   on     on bir     on iki     on üç   yirmi    otuz

バスク語も10の位を先に言うようだ。能格言語という共通点があるのにグルジア語とは違っている。もっとも30は「20と10」で、これはグルジア語と同じである。

バスク語
1      2   3      10         11           12           13          20         30
bat   bi  hiru   hamar   hamaika   hamabi   hamahiru   hogei  hogeita hamar

こうして見ていくと「20」という独立単語を持っている言語は相当あるし、数詞という一つの体系のなかに新しく造語されて部分と古い形を引き継いだ部分が混在している。調べれば調べるほど面白くなってくる。今時こういう言い回しが若い人に通じるのかどうか不安だが、まさにスルメのように噛めば噛むほど味わいを増す感じ。数詞ネタでさかんに論文や本が書かれているのもわかる気がする。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ