フランスの名優ロベール・オッセンが監督した『傷だらけの用心棒』とイタリアのカルト監督セルジオ・コルブッチの『殺しが静かにやって来る』は、ストーリーが似ているだけにフランスとイタリアの国民性の違いが直接感じられるようで比べて見ると面白い。
『傷だらけの用心棒』は私の知る限りでは日本では劇場未公開で、あまり知られていない。スタッフもキャストもほぼ全員フランス人(脚本はイタリア人のダリオ・アルジェント。普通の映画ファンならホラー映画を思い浮かべるだろう)だから、これをマカロニウエスタンと呼んでいいのかどうか迷うところだ。フランスではこのほかにも結構当時西部劇が製作されていて、ルイ・マルなんかも西部劇を撮っている。『ラッキー・ルーク』と言うフランス製アニメ西部劇などはドイツでも人気がある。ルイ・マルの西部劇はブリジット・バルドーやジャンヌ・モローが主人公でイタリアのマッチョ西部劇とは完全に雰囲気が違うから確かにマカロニウエスタン扱いされないが、この『傷だらけの用心棒』はモティーフや雰囲気から言ってまあマカロニウエスタンと見なしていいと思う。
『傷だらけの用心棒』も『殺しが静かにやって来る』も夫を殺された寡婦が、殺し屋を雇って復讐しようとするが、結局女も男も相手に殺される、という陰鬱な話である点は共通しているが、フランス側の『傷だらけの用心棒』はストーリー展開にも無理がなく、登場人物にもあまり極端な性格なのは出てこない。主人公に「復讐は結局何も解決はしない」とボソっと言葉で言わせるあたり、文学の香りさえ漂っている感じ。
もともとフランス映画には「宮廷モノ」とでも名付けたくなるような一連の映画群があって、ルイ何世とかアンリ何世とかの時代の華やかな宮廷ドラマを題材にしたものが得意ワザだが(三銃士とかゾロとかもここに含めていいだろう)、このオッセンもそういった宮廷モノのシリーズ映画『アンジェリク』で人気を博していたのだ。一連のアンジェリク映画で常にオッセンの相手役を務めていたミシェル・メルシエをこの『傷だらけの用心棒』でも起用している。
あと、この映画には時々シーケンスがちょっとガキガキ飛んで一部繋がりが切れそうになるところがあるが、こんなのを見ているとジャン・リュック・ゴダールの例の『勝手にしやがれ』とかを思い出して仕方がない。私の考え過ぎかもしれないが。
とにかくいろいろ「フランス性」を感じる映画なのだ。
その代わり『傷だらけの用心棒』にはイタリア映画の『殺しが静かにやってくる』がもつ凄みに欠けるきらいがある。後者は映画全体がもうドスの効いたシーンの連続。登場人物もフランク・ヴォルフ演ずる保安官以外は全員多かれ少なかれ異常人格。ストーリーも現実味が薄く非常にシュールだ。
こちらのTV雑誌の「一口情報」には両者が次のように紹介されていた。
『傷だらけの用心棒』: 見るものを捕らえて離さない暗い演出の復讐劇
『殺しが静かにやって来る』:無情。凍てついた地獄を通る。
なるほどこれは真をついた紹介である。
さらに両者の違いを感じさせるのは、フランス側の主人公が最後に女に殺される、という点だ(は?)。殺されかた自体にも違いがある。フランス側はバーンと銃声が響いて主人公がバッタリ倒れる、という定式どおりのあっさりしたものになっているが、イタリア側は主人公が額を撃ち抜かれて倒れていくスローモーション映像をモリコーネのゾクゾクするような美しい音楽が伴奏する。
いつだったか、ドイツの新聞でモリコーネの音楽をhypnotisch、つまり「人を催眠術にかけてしまうような」と描写していたが、私に関してはまさにその通りだ。小学校の時初めてモリコーネの『さすらいの口笛』を聴いて金縛り状態になってしまった。以来その催眠術から覚めることができない。『殺しが静かにやって来る』のテーマ曲も相当催眠術効果が強い。モリコーネのメロディはなんと言っても聴覚だけでなく視覚にも訴えて来るところが凄い。
対して『傷だらけの用心棒』のテーマ曲はアンドレ・オッセンというフランスの作曲家だが、これはロベールの父である。私なんかは「アンドレ・オッセンは俳優ロベール・オッセンの父」と言った方が通りがいいが、本来「ロベール・オッセンは音楽家のアンドレ・オッセンの息子」というのが正しいのだそうだ。文化界ではアンドレ・オッセン氏の方が名が上らしい。
アンドレ・オッセンの曲はこの『傷だらけの用心棒』の主題曲しか知らないのだが、これに限って言えばohrwürmigと形容できる。このohrwürmigという形容詞はもちろん「Ohrwurm的な」という意味だが、その元になったOhrwurm(「耳にわく虫」)というのは「一度聴くと耳にこびりついて離れない音楽」のことである。あるメロディがなぜかいつまでも耳もとに残っている、という経験は誰でも持っていると思うが、そういうときドイツ人はOhrwurmと表現するのである。この言葉は頻繁に使われるのだが、独日辞典を引いてみたらよりによってこの意味が載ってなかったので呆れた。Ohrwurmの項には「昆虫学:ハサミムシ」と「古・俗:おべっか使い」というはっきり言ってトンチンカンな二つの意味しか書かれていない。なんだこの辞書は。
もっともこのOhrwurmは必ずしもいいメロディの曲に対してだけではなく、うるさく耳にこびりついて離れない邪魔な駄曲に対しても使われることがあるので注意が必要だ。『傷だらけの用心棒』のテーマ曲はあくまでポジティブな意味でのOhrwurmである。
さて主役のロベール・オッセンだが、私がよく映画で見かけたころはまだ子供だったから(私の方がだ)「ろべーる・おっせん」と日本語でしか名前を知らなかったので、ずっと後でRobert Hosseinという名前を見ても私の知っているオッセンと結びつかず、一瞬「誰だこれは。サダムの親戚か?」と思ってしまった。
さらに氏の本名がRobert Hosseinoffと、オフで終わっていると知って「ロシア語みたいな名前だな」と感じた。
ところが父のアンドレについて調べたらどちらも本当だったのでまた驚いた。まず、アンドレ・オッセン(André Hossein)は本名Aminoulla Husseinoff(Аминулла Гусейнов)と言ってサマルカンド、つまりソ連領の生まれで母はイラン人、父はコーカサス出身のやはりイラン人なんだそうだ。なるほど、だからイスラム系というかアラビア語系の苗字になっているのである。旧ソ連の中央アジアの共和国出身には苗字をロシア語の語尾に加工して名乗っている人が非常に多い。
なお私も以前にそのあたりから来た知り合いがいたが、ペルシャ語、アゼルバイジャン語のバイリンガルで、もちろんアラビア語の読み書きもできたが、名前は別にロシア語の語尾はついていなかった。現在は中央アジアの諸国は独立国になっているので、ロシア風に加工する必要などないのかもしれない。ロシア領コーカサスのイスラム教徒のほうにはまだロシア語式の語尾を持つ名前が普通のようだ。
いずれにせよアンドレ・オッセン氏の苗字が「イスラム・アラビア語的名前でしかもロシア語語尾」なの理にかなっているのである。アンドレ氏はその後、ドイツで音楽教育を受けてからさらにフランスに渡り、フランス人として亡くなった。非常に国際的というかシブい経歴である。この父親ならば子供から「親を見りゃ俺の将来知れたもの」などという川柳で憎まれ口を叩かれたりはしまい。
最後にこの映画の原題だが、une corde, un Colt(「ロープとコルト」)。両方の単語は頭韻を踏んでいる、というより音韻構造がほとんど同じである。前回の下ネタでも書いたように語末の音はそれぞれ d と t で、有声・無声の違いしかないからドイツ人には発音できないはずだ。まさかそのためでもなかろうが、ドイツ語のタイトルはFriedhof ohne Kreuze(「十字架のない墓場」)となっている。これはイタリア語のタイトルCimitero senza croci の訳。邦訳は配給会社の命令によるものか、それともこういうのが日本人の意地なのか、よく考え出された気の利いた原題がことさらに無視されて「見るな」といわんばかりのB級タイトルになっている。日本ではマカロニウエスタンの原題はたいていそうやってグチャグチャに破壊されるのが基本だから、その点では『傷だらけの用心棒』も典型的マカロニウエスタンといえるかもしれない。
これが『傷だらけの用心棒』のフランス語のポスター。イタリア映画『殺しが静かにやって来る』のほうはこのブログの筆者がちゃっかりタイトル画に使っている。
この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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『傷だらけの用心棒』は私の知る限りでは日本では劇場未公開で、あまり知られていない。スタッフもキャストもほぼ全員フランス人(脚本はイタリア人のダリオ・アルジェント。普通の映画ファンならホラー映画を思い浮かべるだろう)だから、これをマカロニウエスタンと呼んでいいのかどうか迷うところだ。フランスではこのほかにも結構当時西部劇が製作されていて、ルイ・マルなんかも西部劇を撮っている。『ラッキー・ルーク』と言うフランス製アニメ西部劇などはドイツでも人気がある。ルイ・マルの西部劇はブリジット・バルドーやジャンヌ・モローが主人公でイタリアのマッチョ西部劇とは完全に雰囲気が違うから確かにマカロニウエスタン扱いされないが、この『傷だらけの用心棒』はモティーフや雰囲気から言ってまあマカロニウエスタンと見なしていいと思う。
『傷だらけの用心棒』も『殺しが静かにやって来る』も夫を殺された寡婦が、殺し屋を雇って復讐しようとするが、結局女も男も相手に殺される、という陰鬱な話である点は共通しているが、フランス側の『傷だらけの用心棒』はストーリー展開にも無理がなく、登場人物にもあまり極端な性格なのは出てこない。主人公に「復讐は結局何も解決はしない」とボソっと言葉で言わせるあたり、文学の香りさえ漂っている感じ。
もともとフランス映画には「宮廷モノ」とでも名付けたくなるような一連の映画群があって、ルイ何世とかアンリ何世とかの時代の華やかな宮廷ドラマを題材にしたものが得意ワザだが(三銃士とかゾロとかもここに含めていいだろう)、このオッセンもそういった宮廷モノのシリーズ映画『アンジェリク』で人気を博していたのだ。一連のアンジェリク映画で常にオッセンの相手役を務めていたミシェル・メルシエをこの『傷だらけの用心棒』でも起用している。
あと、この映画には時々シーケンスがちょっとガキガキ飛んで一部繋がりが切れそうになるところがあるが、こんなのを見ているとジャン・リュック・ゴダールの例の『勝手にしやがれ』とかを思い出して仕方がない。私の考え過ぎかもしれないが。
とにかくいろいろ「フランス性」を感じる映画なのだ。
その代わり『傷だらけの用心棒』にはイタリア映画の『殺しが静かにやってくる』がもつ凄みに欠けるきらいがある。後者は映画全体がもうドスの効いたシーンの連続。登場人物もフランク・ヴォルフ演ずる保安官以外は全員多かれ少なかれ異常人格。ストーリーも現実味が薄く非常にシュールだ。
こちらのTV雑誌の「一口情報」には両者が次のように紹介されていた。
『傷だらけの用心棒』: 見るものを捕らえて離さない暗い演出の復讐劇
『殺しが静かにやって来る』:無情。凍てついた地獄を通る。
なるほどこれは真をついた紹介である。
さらに両者の違いを感じさせるのは、フランス側の主人公が最後に女に殺される、という点だ(は?)。殺されかた自体にも違いがある。フランス側はバーンと銃声が響いて主人公がバッタリ倒れる、という定式どおりのあっさりしたものになっているが、イタリア側は主人公が額を撃ち抜かれて倒れていくスローモーション映像をモリコーネのゾクゾクするような美しい音楽が伴奏する。
いつだったか、ドイツの新聞でモリコーネの音楽をhypnotisch、つまり「人を催眠術にかけてしまうような」と描写していたが、私に関してはまさにその通りだ。小学校の時初めてモリコーネの『さすらいの口笛』を聴いて金縛り状態になってしまった。以来その催眠術から覚めることができない。『殺しが静かにやって来る』のテーマ曲も相当催眠術効果が強い。モリコーネのメロディはなんと言っても聴覚だけでなく視覚にも訴えて来るところが凄い。
対して『傷だらけの用心棒』のテーマ曲はアンドレ・オッセンというフランスの作曲家だが、これはロベールの父である。私なんかは「アンドレ・オッセンは俳優ロベール・オッセンの父」と言った方が通りがいいが、本来「ロベール・オッセンは音楽家のアンドレ・オッセンの息子」というのが正しいのだそうだ。文化界ではアンドレ・オッセン氏の方が名が上らしい。
アンドレ・オッセンの曲はこの『傷だらけの用心棒』の主題曲しか知らないのだが、これに限って言えばohrwürmigと形容できる。このohrwürmigという形容詞はもちろん「Ohrwurm的な」という意味だが、その元になったOhrwurm(「耳にわく虫」)というのは「一度聴くと耳にこびりついて離れない音楽」のことである。あるメロディがなぜかいつまでも耳もとに残っている、という経験は誰でも持っていると思うが、そういうときドイツ人はOhrwurmと表現するのである。この言葉は頻繁に使われるのだが、独日辞典を引いてみたらよりによってこの意味が載ってなかったので呆れた。Ohrwurmの項には「昆虫学:ハサミムシ」と「古・俗:おべっか使い」というはっきり言ってトンチンカンな二つの意味しか書かれていない。なんだこの辞書は。
もっともこのOhrwurmは必ずしもいいメロディの曲に対してだけではなく、うるさく耳にこびりついて離れない邪魔な駄曲に対しても使われることがあるので注意が必要だ。『傷だらけの用心棒』のテーマ曲はあくまでポジティブな意味でのOhrwurmである。
さて主役のロベール・オッセンだが、私がよく映画で見かけたころはまだ子供だったから(私の方がだ)「ろべーる・おっせん」と日本語でしか名前を知らなかったので、ずっと後でRobert Hosseinという名前を見ても私の知っているオッセンと結びつかず、一瞬「誰だこれは。サダムの親戚か?」と思ってしまった。
さらに氏の本名がRobert Hosseinoffと、オフで終わっていると知って「ロシア語みたいな名前だな」と感じた。
ところが父のアンドレについて調べたらどちらも本当だったのでまた驚いた。まず、アンドレ・オッセン(André Hossein)は本名Aminoulla Husseinoff(Аминулла Гусейнов)と言ってサマルカンド、つまりソ連領の生まれで母はイラン人、父はコーカサス出身のやはりイラン人なんだそうだ。なるほど、だからイスラム系というかアラビア語系の苗字になっているのである。旧ソ連の中央アジアの共和国出身には苗字をロシア語の語尾に加工して名乗っている人が非常に多い。
なお私も以前にそのあたりから来た知り合いがいたが、ペルシャ語、アゼルバイジャン語のバイリンガルで、もちろんアラビア語の読み書きもできたが、名前は別にロシア語の語尾はついていなかった。現在は中央アジアの諸国は独立国になっているので、ロシア風に加工する必要などないのかもしれない。ロシア領コーカサスのイスラム教徒のほうにはまだロシア語式の語尾を持つ名前が普通のようだ。
いずれにせよアンドレ・オッセン氏の苗字が「イスラム・アラビア語的名前でしかもロシア語語尾」なの理にかなっているのである。アンドレ氏はその後、ドイツで音楽教育を受けてからさらにフランスに渡り、フランス人として亡くなった。非常に国際的というかシブい経歴である。この父親ならば子供から「親を見りゃ俺の将来知れたもの」などという川柳で憎まれ口を叩かれたりはしまい。
最後にこの映画の原題だが、une corde, un Colt(「ロープとコルト」)。両方の単語は頭韻を踏んでいる、というより音韻構造がほとんど同じである。前回の下ネタでも書いたように語末の音はそれぞれ d と t で、有声・無声の違いしかないからドイツ人には発音できないはずだ。まさかそのためでもなかろうが、ドイツ語のタイトルはFriedhof ohne Kreuze(「十字架のない墓場」)となっている。これはイタリア語のタイトルCimitero senza croci の訳。邦訳は配給会社の命令によるものか、それともこういうのが日本人の意地なのか、よく考え出された気の利いた原題がことさらに無視されて「見るな」といわんばかりのB級タイトルになっている。日本ではマカロニウエスタンの原題はたいていそうやってグチャグチャに破壊されるのが基本だから、その点では『傷だらけの用心棒』も典型的マカロニウエスタンといえるかもしれない。
これが『傷だらけの用心棒』のフランス語のポスター。イタリア映画『殺しが静かにやって来る』のほうはこのブログの筆者がちゃっかりタイトル画に使っている。
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