注意:この記事はGoogle Chromeで見るとレイアウトが崩れてしまいます。私は回し者ではありませんが、できればMozilla Firefoxをお使いください。
セルジオ・レオーネ監督の第二作(正確には第三作)『夕陽のガンマン』の英語タイトルはFor a few Dollars more(あともう少しのドルのために)というが、これは現ロマンス諸語のDVDのタイトルでは以下のようになっている。
イタリア語: Per qualche dollaro in più
フランス語: Pour quelques dollars de plus
本国ポルトガル語: Por mais alguns dólares
ブラジル・ポルトガル語: Por uns dólares a mais
本国スペイン語: Por unos cuantos dólares más
南米スペイン語: Por unos pocos dólares más
こうして並べて眺めていたら一点気になった。
英語のmoreにあたる語は伊・仏語ではそれぞれpiù, plusとp-で始まるが、西・葡ではm-が頭についている(それぞれmás, mais)。調べてみるとpiù, plusはラテン語のplūsから来ているそうだ。これは形容詞multus「たくさんの、多くの」の比較級である。以下に単数形のみ示す。
原級: multus, -a, -um
比較級:plūs
最上級:plūrimus, -a, -um
比較級は単数形では性の区別を失い、男・女・中すべてplūsに統一されている。古ラテン語ではこれは*pluosだったそうで、印欧語祖語に遡ると*plē-ないしは*pelu-。古典ギリシャ語のπολύς、古期英語のfeoloあるいはfioluも同源である。もちろんドイツ語のviel(フィール「たくさんの」)もこれだし、オランダ語のveel(フェール)もそう。この、pからfへの音韻推移、印欧語の無声閉鎖音がゲルマン語派で調音点を同じくする無声摩擦音に移行した過程はグリムの法則あるいは第一次音韻推移と呼ばれ、ドイツ語学習者は必ず覚えさせられる(そしてたいていすぐ忘れる。ごめんなさい)。
古代インド語のpurū-も同語源だそうだがきりがないのでやめる。しかしなんとlがrになっているではないか。これでは「lとrの区別ができない」といって日本人をあざ笑えない。
それに対して西・葡のmais,más等はラテン語のmagisが語源。これは形容詞magnus「大きい」の比較級からさらに派生された副詞だそうだ。まず元の形容詞magnusだが、次のように変化する。
原級: magnus, -a, -um
比較級:maior, -ius
最上級:māximus, -a, -um
比較級の元の形は印欧祖語では*magiōsもしくは*magyosで、これは*mag-「大きい」(別の資料では*mē-)+*yos(比較級形成の接尾辞)。magisという形はこの比較級の中性形が副詞的な使われ方をするようになったものだとのことだ。「形容詞の(短形)中性単数形が副詞化する」という現象はロシア語でも頻繁に見られる。その際アクセントの位置がよく変わるので困るが。たとえば「良い」という意味の形容詞хороший(ハローシィ。これは長形・単数男性形)の短形単数男性・女性・中性形はそれぞれхорош(ハローシュ)、хороша(ハラシャー)、хорошо(ハラショー)だが、中性のхорошоは副詞として機能し、Я говорю хорошо по-русски(ヤー・ガヴァリュー・ハラショー・パ・ルースキ)は「私はロシア語をよく話します」つまり「私はロシア語が上手い」(ウソつけ)。上のplūsもある意味ではこの単・中→副詞という移行のパターンを踏襲しているとみなしていいだろう。文法性の差を失ってしまっている、ということはつまり「中性で統一」ということではないだろうか。
この、moreにあたる単語がp-で始まるかm-で始まるかは『17.言語の股裂き』の項でも述べた複数形の形成方法とともにロマンス語派を下位区分する際重要な基準のようだ。p-組は伊・仏のほかにロマンシュ語(pli)、サルディニア語(prusまたはpius)、イタリア語ピエモント方言(pi)など。同リグリア方言のciùもこれに含まれるという。m-組は西・葡以外にはアルマニア語(ma)、カタロニア語(més)、ガリシア語(máis)、オクシタン語(mai)、ルーマニア語(mai)。
中世ポルトガル語ではm-形とp-形の両方が使われていて、それぞれmais とchusという2つの単語があったそうだ。chusがp-形と聞くと意外な気がするが、上記のイタリア語リグリア方言ciùがp-起源だそうだからchusが実はP形であってもおかしくない。
「両方使う」といえば、厳密に言えば伊・仏もそう。フランス語のmais「けれど」はこのmagis起源だと聞いたことがある。イタリア語でたとえばnessuno ... mai 「誰も…ない」、non ... mai「決して…ない」、mai più「もう決して…ない」などの言い回しで使う、否定の意味を強めるmaiの元もこれ。maiはさらに疑問の意味も強めることができ、come mai non vieti?は「何だって君は来ないんだ?!」。相当機能変化を起こしている。
続いて目を凝らして見るとm-組スペイン語も本国ポルトガル語も英語と同じくmore(それぞれmásとmais)を裸で使っているのにブラジル・ポルトガル語はa maisと前置詞を置いている。m-組のくせにp-組の伊・仏と共通する構造だ。その意味ではこれも「両者にまたがっている」といえるのではないだろうか。
話がそれるが、イタリア語のpiùがフランス語でplusになっているのが私にはとても興味深い。ロシア語に同じような音韻現象があるからだ。
まず、piùのpは後続の母音iに引っ張られて口蓋化しているはずだ。この、本来「口蓋化したp」に円唇母音(つまりu)が続くとフランス語ではpとuの間に唇音lが現れる。ロシア語では例えば「買う」の完了体動詞(『16.一寸の虫にも五分の魂』参照)の不定形はкупить(クピーチ、ローマ字ではkup'it'と表すが、この「'」が「口蓋化した子音」という意味である)だが、これの一人称単数未来形は、理屈ではкупью(クピユー、kup'ju)になるはずなのに実際の形はкуплю(クプリュー、kuplju)と、どこからともなくlが介入するのだ。対応する有声子音bの場合も同様で、「愛する」という動詞любить(リュビーチ、ljubit')の一人称単数現在形は、なるはずの形любью(リュビユー、ljub'ju)にならずにлюблю(リュブリュー、ljublju)という形をとる。
ポルトガル語で(だけ)more(mais)が披修飾名詞の前に来ているのも気になって仕方がないのだが、ここでやると長くなりすぎるので、回を改めて続けようと思う。
この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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セルジオ・レオーネ監督の第二作(正確には第三作)『夕陽のガンマン』の英語タイトルはFor a few Dollars more(あともう少しのドルのために)というが、これは現ロマンス諸語のDVDのタイトルでは以下のようになっている。
イタリア語: Per qualche dollaro in più
フランス語: Pour quelques dollars de plus
本国ポルトガル語: Por mais alguns dólares
ブラジル・ポルトガル語: Por uns dólares a mais
本国スペイン語: Por unos cuantos dólares más
南米スペイン語: Por unos pocos dólares más
こうして並べて眺めていたら一点気になった。
英語のmoreにあたる語は伊・仏語ではそれぞれpiù, plusとp-で始まるが、西・葡ではm-が頭についている(それぞれmás, mais)。調べてみるとpiù, plusはラテン語のplūsから来ているそうだ。これは形容詞multus「たくさんの、多くの」の比較級である。以下に単数形のみ示す。
原級: multus, -a, -um
比較級:plūs
最上級:plūrimus, -a, -um
比較級は単数形では性の区別を失い、男・女・中すべてplūsに統一されている。古ラテン語ではこれは*pluosだったそうで、印欧語祖語に遡ると*plē-ないしは*pelu-。古典ギリシャ語のπολύς、古期英語のfeoloあるいはfioluも同源である。もちろんドイツ語のviel(フィール「たくさんの」)もこれだし、オランダ語のveel(フェール)もそう。この、pからfへの音韻推移、印欧語の無声閉鎖音がゲルマン語派で調音点を同じくする無声摩擦音に移行した過程はグリムの法則あるいは第一次音韻推移と呼ばれ、ドイツ語学習者は必ず覚えさせられる(そしてたいていすぐ忘れる。ごめんなさい)。
古代インド語のpurū-も同語源だそうだがきりがないのでやめる。しかしなんとlがrになっているではないか。これでは「lとrの区別ができない」といって日本人をあざ笑えない。
それに対して西・葡のmais,más等はラテン語のmagisが語源。これは形容詞magnus「大きい」の比較級からさらに派生された副詞だそうだ。まず元の形容詞magnusだが、次のように変化する。
原級: magnus, -a, -um
比較級:maior, -ius
最上級:māximus, -a, -um
比較級の元の形は印欧祖語では*magiōsもしくは*magyosで、これは*mag-「大きい」(別の資料では*mē-)+*yos(比較級形成の接尾辞)。magisという形はこの比較級の中性形が副詞的な使われ方をするようになったものだとのことだ。「形容詞の(短形)中性単数形が副詞化する」という現象はロシア語でも頻繁に見られる。その際アクセントの位置がよく変わるので困るが。たとえば「良い」という意味の形容詞хороший(ハローシィ。これは長形・単数男性形)の短形単数男性・女性・中性形はそれぞれхорош(ハローシュ)、хороша(ハラシャー)、хорошо(ハラショー)だが、中性のхорошоは副詞として機能し、Я говорю хорошо по-русски(ヤー・ガヴァリュー・ハラショー・パ・ルースキ)は「私はロシア語をよく話します」つまり「私はロシア語が上手い」(ウソつけ)。上のplūsもある意味ではこの単・中→副詞という移行のパターンを踏襲しているとみなしていいだろう。文法性の差を失ってしまっている、ということはつまり「中性で統一」ということではないだろうか。
この、moreにあたる単語がp-で始まるかm-で始まるかは『17.言語の股裂き』の項でも述べた複数形の形成方法とともにロマンス語派を下位区分する際重要な基準のようだ。p-組は伊・仏のほかにロマンシュ語(pli)、サルディニア語(prusまたはpius)、イタリア語ピエモント方言(pi)など。同リグリア方言のciùもこれに含まれるという。m-組は西・葡以外にはアルマニア語(ma)、カタロニア語(més)、ガリシア語(máis)、オクシタン語(mai)、ルーマニア語(mai)。
中世ポルトガル語ではm-形とp-形の両方が使われていて、それぞれmais とchusという2つの単語があったそうだ。chusがp-形と聞くと意外な気がするが、上記のイタリア語リグリア方言ciùがp-起源だそうだからchusが実はP形であってもおかしくない。
「両方使う」といえば、厳密に言えば伊・仏もそう。フランス語のmais「けれど」はこのmagis起源だと聞いたことがある。イタリア語でたとえばnessuno ... mai 「誰も…ない」、non ... mai「決して…ない」、mai più「もう決して…ない」などの言い回しで使う、否定の意味を強めるmaiの元もこれ。maiはさらに疑問の意味も強めることができ、come mai non vieti?は「何だって君は来ないんだ?!」。相当機能変化を起こしている。
続いて目を凝らして見るとm-組スペイン語も本国ポルトガル語も英語と同じくmore(それぞれmásとmais)を裸で使っているのにブラジル・ポルトガル語はa maisと前置詞を置いている。m-組のくせにp-組の伊・仏と共通する構造だ。その意味ではこれも「両者にまたがっている」といえるのではないだろうか。
話がそれるが、イタリア語のpiùがフランス語でplusになっているのが私にはとても興味深い。ロシア語に同じような音韻現象があるからだ。
まず、piùのpは後続の母音iに引っ張られて口蓋化しているはずだ。この、本来「口蓋化したp」に円唇母音(つまりu)が続くとフランス語ではpとuの間に唇音lが現れる。ロシア語では例えば「買う」の完了体動詞(『16.一寸の虫にも五分の魂』参照)の不定形はкупить(クピーチ、ローマ字ではkup'it'と表すが、この「'」が「口蓋化した子音」という意味である)だが、これの一人称単数未来形は、理屈ではкупью(クピユー、kup'ju)になるはずなのに実際の形はкуплю(クプリュー、kuplju)と、どこからともなくlが介入するのだ。対応する有声子音bの場合も同様で、「愛する」という動詞любить(リュビーチ、ljubit')の一人称単数現在形は、なるはずの形любью(リュビユー、ljub'ju)にならずにлюблю(リュブリュー、ljublju)という形をとる。
ポルトガル語で(だけ)more(mais)が披修飾名詞の前に来ているのも気になって仕方がないのだが、ここでやると長くなりすぎるので、回を改めて続けようと思う。
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