アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ:語学 > アルバニア語

 いつだったかTVでニュースを見ていたら、イタリアの政治家に、名前が -xi で終わっている人がいたのでおやと思った。これはアルバニア語の名前である。-aj で終わっている名前の俳優を一度マカロニウエスタンで見かけたことがあるが、これもアルバニア語だ。どちらも語尾にばかり気をとられて名前そのものは忘れてしまった。メモでもとっておけばよかった。
 『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』の項で述べたようにイタリアは実は多民族国家で、その有力な少数民族の一つが南イタリアのギリシャ人だが、アルバニア人も多い。アルバニア語も少数言語として正式にイタリア政府に承認されている。もっともイタリア人よりも前からイタリア半島に住んでいたギリシャ人と違ってアルバニア人は比較的新しい時代になってから移住してきたのだそうだ。もっとも新しい時代といっても14世紀から15世紀のことだから日本で言えば室町時代、十分古い話ではある。もちろん世界がグローバル化するはるか以前である。
 南イタリアのほかにシチリアにもアルバニア語・アルバニア人地域がある。上述の項で紹介した元マフィアの組員も、自分の家族はギリシャ人、つまりギリシャ語を話すイタリア人だが、近所にはアルバニア人も多くいて両グループ間の抗争が絶えなかったそうだ。地図を見ると確かに両民族の居住地が重なっている。
 アルバニア人はもともとキリスト教徒だった。畢竟ローマ・カトリックのイタリア(当時はイタリアという統一国家はまだなかったが)と精神文化の面で繋がりが強かったらしく、例えばアルバニア語で印刷された最古のテキストは1555年にジョン・ブズク Gjon Buzuku という僧が聖書を訳した188ページのもので、一部破損しているが原本がバチカン図書館に保管されているそうだ。もっともアルバニア語で書かれた、というだけなら1462年の文献が現存しているし、言語についての断片的な記録はさらに古いのがあるから、現存テキスト以前にすでにアルバニア語で書かれた文献自体は存在していたと見られる。しかしそれでも14世紀ごろで、有力な他の印欧語と比べると時代が新しい。
Bozukuによるアルバニア語テキスト。ウィキペディアから。
Buzuku_meshari

 トルコの支配下に入ってからはアルバニアにはイスラム教が広まったが、現在でも人口の20%はギリシャ正教、カトリックも10%ほどいるとのことだ。その10%の中からあの聖女マザー・テレサが出たわけである。
 20世紀になってからもイタリアの皇帝ビットリオ・エマヌエレ3世がアルバニアの皇帝もかねたりしていたから、距離の近いアルバニアからはさらにイタリアへの移住が増えたことだろう。これもいつだったか、ニュースを見ていたら、今日びはイタリアのいわゆる開発の遅れたアプーリア地方の人たちが新天地を求めて逆にアルバニアに渡り、そこで事業を起こしたり工場を建てたりする例が増えているそうだ。人件費が安いからだろう。

 アルバニア語はギリシャ語と同じく一言語で一語派をなしているが、二大方言グループ、ゲグ方言とトスク方言がある。以前にも書いたように(『39.専門家に脱帽』参照)これらの間には音韻的な差があって、トスク方言では r である部分がゲグ方言では n になる。上述の項でも例を挙げたがその他にも「ワイン」という言葉がそれぞれ venë (ゲグ方言)と verë(トスク方言)となっている。さらに元は鼻母音だった â がトスク方言ではシュワーの ë になって、コピュラの âshtë(ゲグ方言)がトスク方言では është。文法にもいろいろ違いがあるそうだ。イタリアのアルバニア語は本来トスク方言に属するが、長く本国を離れていたため独自の発展を遂げた部分も多く、これを第三の方言と見なす人もいる。面白いことに上述のカトリック僧 Buzuku は北アルバニアの出身で訳に使った言語はゲグ方言である。

 また「ギリシャ」という名称がギリシャ本国でなく元来イタリアのギリシャ人を呼ぶものであったのと同様(本国では「ヘラース」、再び『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』参照)、「アルバニア」という名称も実はイタリアやギリシャのアルバニア人のことである。彼らが自分たちをアルバレシュ albëreshë とよんでいたので、イタリアでアドリア海の向こう側の本国まで「アルバニア」と呼び出したのだ。アルバニアではアルバニアのことを「シュキプタール」という。
 アルバニア語はいわゆるバルカン言語連合(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)の中核をなす言語である。早くから言語学者の興味を引いていたようで、1829年にバルカン言語学誕生の発端となった論文を書いたスロベニアの学者コピタルもアルバニア語に言及している。Albanische, walachische und bulgarische Sprache(アルバニア語、ワラキア語、ブルガリア語について)というタイトルの論文だが、すでにバルカン言語連合の中核3言語の相似性を見抜いている。この三言語がシンタクスなどの面で nur eine Sprachform, aber mit dreyerlei Sprachmaterie(言語の形は一つなのに言語素材は三つ)であることを発見したのはコピタル。ついでに言うとこの論文からも判る通り、当時の言語学の論文言語はドイツ語が中心だった。
 そうやって印欧語学者がこの言語をよく知っている、少なくともこれがどういう構造の言語なのかくらいは皆心得ている一方で、アルバニア人やアルバニア文化そのものについての関心は薄く、私も未来系の作り方とか後置定冠詞とかどうでもいいことは授業で教わったがアルバニア人はどういう人たちなのかという肝心なことについては全く無知であった。今でも無知である。この調子だから私はヒューマニストにはなれないのだ(『54.言語学者とヒューマニズム』参照)。
 
 ところが先日、ドイツの大手民放がヴィネトゥ映画3部作(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)をこれも3部作のTV映画としてリメイクした。元の映画でオールド・シャターハンドをやったレックス・バーカーもヴィネトゥのピエール・ブリースもすでになくなっていたし、生きていても年をとりすぎていてあのアクション活動は無理だったろうから、現在のドイツの俳優を持ち出してきた。シャターハンドをやったヴォータン・ヴィルケ・メーリング Wotan Wilke Möhring は顔は確かによく見かけるまあ有名俳優なのだろうが、バーカーに比べると容貌がショボすぎる感じで「こんなのがあのシャターハンド?!」と一瞬思ってしまったが(ごめんなさいね)、ヴィネトゥ役をやった人はブリースとはまた違ったカリスマ性があり、若くハンサムで正直驚いた。私はドイツのTV番組は基本的に公営放送のニュースやドキュメンタリー番組と、民放ではマカロニウエスタンしか見ないので、確かに人気俳優などは余り知らない。しかし知らないと言っても顔はどこかで見たことがあるのが普通だったが、このヴィネトゥ役の俳優は全く顔さえ見たことがなかった。どうしてこんなイイ男に気づかなかったんだろうといぶかっていたら、それもそのはず、アルバニアのニク・ジェリライ Nik Xhelilaj という俳優だった。名前に Xh という綴りが入り aj で終わっているあたり、これ以上望めない程アルバニア語である。ジェリライ氏は本国ではスターだそうだ。
リメイク映画「ヴィネトゥ」から。右がドイツの俳優メーリング
18679287_403

これも「ヴィネトゥ」から
winnetou-nik-xhelilaj-wird-rtls-apachen-haeuptling
普通の格好(?)をしたジェリライ氏 http://diepresse.comから
5A4B1BF8-4EA0-4347-8149-8C4E43175211_v0_h
ニク・ジェリライという俳優は日本ではあまり知られていないだろうからこの際紹介の意味でもう一つオマケの写真
http://media.gettyimages.com
534023408

 氏は顔がイケメンである上に声も涼しげないい声だったが、さらにしゃべるドイツ語がまた良かった。「うまい」というのではない、逆に本物のタドタドしいドイツ語だったのである。それはこういうことだ:
映画などで「外国人」あるいは「当該言語を完全にはしゃべれない」という人物設定にする際、その「不完全な言葉」というのがいかにもワザとらしくなるのがもっぱらである。どう見ても、どう聞いても本当はペラペラなのに意図的にブロークンにしゃべっていることがミエミエなのだ。一番「それはないだろう」と憤慨するのが文法・言い回しなどには取ってつけたような「外国人風の」間違いがあるのに発音は完璧というパターン。あるいは l と r を混同するなどのステレオタイプな発音のクセを 時おり挿入して外国人に見せるという姑息な手段。その際lとrは間違えても CVCC や CCVC のシラブルの方はなぜかきちんと発音が出来、絶対 CVVCVCV や CVCVVCV などにはならない。本当はしゃべれるのにワザとブロークンにやっていることが一目瞭然だ。
 あるいは逆に俳優に訓練を施す余裕がなかったか、俳優に語学のセンスがなくて制作側がサジを投げたか、俳優が大物過ぎて監督が遠慮しデタラメな発音でもOKを出してしまったかして当該言語としてはとうてい受け入れられないような音声の羅列になるとか。そういう場合でもセリフそのものはネイティブの脚本家が書いたものだから発音はク○なのに言い回しは妙にくだけた話し言葉という、目いや耳を覆いたくなるような結果になる。名前は出さないがジェームス・ボンド役として有名なさる俳優がさる映画でしゃべっていたいわゆる日本語なんかも憤死ものだった。
 いずれにせよ、完全な不完全さ、自然な不完全さをかもし出すのは結構難しいのだ。ところが、このジェリライ氏のドイツ語は本当にブロークン、文法も初心者・耳で聞いて言葉を覚えた者がよくやる語順転換、変化語尾の無視などが現れていかにも自然な不完全さなのである。それでいて耳障りではない。顔のハンサムさや声のよさより私はこっちの方に感心した。もっともこれはジェリライ氏の業績・俳優としての技量もさることながら、スタッフの業績でもあるのかもしれないが。
 とにかく「ヴィネトゥ役にアルバニアのスターを起用」ということが珍しかったせいか、結構メディアでも報道されていた。そういえば以前「ヨーロッパで一番ハンサムが多いのは実はバルカン半島」と主張している女性がいたが、このジェリライ氏を見てなるほどと思ったことであった。

 さてそのアルバニア語は、どこかの言語学者も言っていたように、「語学というより言語学的な興味で始める人が多かろう」。印欧語の古いパラダイムをよく残している非常に魅力ある言語である。例として以下に çoj (take away, send) という動詞の変化パラダイムの一部を挙げるが、アオリストや希求法などがカテゴリーとしてしっかり残っており、これと比べるとドイツ語やロシア語などチョロイの一言に尽きる。たかがロシア語の不規則動詞ごときにヒーヒー言っていたり(私のことだ)、変化形を覚えたと言って鼻の穴を膨らませて自慢しているような輩(これも私のことだ)などは、ジェリライ氏に恥じろ。繰り返すが、これは動詞変化のごく一部、動詞部分が直接変化するパラダイムのそのまた一部である。これにまた接続法一連、完了体など助動詞や不変化詞による動詞パラダイム(アオリスト2もそれ)やそもそも受動体(これにもまた直説法現在形、接続法現在形などのパラダイムがオンパレード)などがガンガン加わってくるから、ここに示したのは動詞の変化形全体の10分の一にも満たない。もちろんこれは最も簡単な動詞で、他に不規則動詞も当然ある。ラテン語や現在のロマンス諸語より強烈なのではなかろうか。
Tabelle1-100
Tabelle2-100
Tabelle3-100
「意外法」というのは Admirativ のことである。まだ定訳がないようだが、法(Modus)の一種で、当該事象が愕いたり意外に思うようなことだった場合、この動詞形で表す。アルバニア語はバルカン現象のほかにこの Admirativ を動詞変化のパラダイムとして持っていることでも知られているようだ。
 また現在のロマンス諸語では強烈なのは動詞だけで、名詞の方は語形変化がないに等しいくらい簡略だがアルバニア語は名詞の格変化も思い切り保持している。悪い冗談としか思えない。

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 アルバニアの北部地方とコソボには「男として生きる」女性たちがいる。「いた」と言った方がいいかもしれないが、「宣誓処女」(英語でsworn virgin、ドイツ語でSchwurjungfrau)と呼ばれる人たちだ。アルバニア語でburrneshëまたはvirgjineshëといい、北アルバニアやコソボの他、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアなどにも存在していた記録がある。アルバニアということはつまりいわゆるゲグ方言地域である。『100.アドリア海の向こう側』でも書いたようにアルバニア語は南部のトスク方言、北部のゲグ方言に大きく二分され、トスク方言地域はイタリアとも近く、海に向かって開けているある意味コスモポリタン的なところで古くからギリシャ・ローマの文化にも接触のあった先進部だった。現在の標準アルバニア語のもとになったのはこのトスク方言である。対してゲグ方言地域は山がちで外部との接触も少なく人々は閉ざされた封建的な部族社会を形成していたので、ゲグ方言は単にトスク方言と違うばかりでなく方言内部の差も大きい。ゲグ方言とトスク方言の最も顕著な違いの一つは、ゲグ方言で n にあたるところがトスク方言ではロータシズムを起こしていることだ。前に出した例の繰り返しになるが、ゲグ方言の dimën「冬」がトスク方言では dimërとなる。さらにゲグ方言ではバルカン言語連合(『40.バルカン言語連合再び』参照)の特徴に反し、未来形を作る助動詞に「欲しい」 でなく「持つ」を使う。例えば「私は書くだろう」はそれぞれ次にようになる。

トスク方言: do të shkruaj
ゲグ方言:       kam me shkrue

トスク方言の do (下線)は助動詞と言うより助詞・不変化詞にまで退化してしまっているが、元々は「欲しい」という動詞である。次に続く本動詞のtë shkruajは接続法単数一人称。対してゲグ方言の kam(下線)は「持つ」という動詞で語形変化のパラダイムも維持しており、これは直説法単数一人称だ。本動詞の me shkrue のほうが語形変化を消失していて、これは不定形である。「不定形の消失」もバルカン言語連合の特徴の一つだから、この点でもゲグ方言は乖離していることになる。もっともこの「have未来」は他のバルカン言語にも周辺部で細々と観察されてはいる。こちらの方が古い形で「will未来」はそれこそバルカン現象として新しく発生した形らしい。上で挙げたn についてもロータシズムを「起こさない前の」形だから、つまり色々な点でゲグ方言は古い形を維持しているわけだ。社会慣習についてもそれが言えるのだろう。

アルバニア語の方言分布。ゲグ方言の方が細分化の程度が大きいのがわかる。ウィキペディアから。
Albanian_language_map_en.svg
 話を戻すが、burrneshë(ブルネシェ)というのは単数形で複数形はburrnesha(ブルネシャ)。またアルバニア語は冠詞を拘置するからそれぞれの定冠詞形はburrnesha(the burrnesha)、burrneshat(the burrneshas)となる。そのブルネシャは自分の属する村あるいは共同体の長老たちの前で、一生処女で過ごし男となることを宣言する。以後は男の服を着、煙草を吸い、一人で外に出かけて酒場で皆と酒を飲み、さらに職を持って収入を得ることができる。周りの男たちからも男仲間として扱われ、家長にもなれる。それらを定めた慣習法は中世以前、いやローマ以前からあったらしいが、法典(Kanunと呼ばれる)として文書化もされている。最も有名なのが15世紀にレケ・ドゥカジニLekë Dukagjiniという北アルバニアの支配者がまとめたKanunだが、20世紀初頭に至ってもコソボの司祭が再法典化している。

レケ・ドゥカジニの支配した地域。なるほど北アルバニアだ。ウィキペディアから。
Ungefähres_Herrschaftsgebiet_Leke_III._Dukagjini
法典では「復讐法」と言ったらいいのかblood fuedの定めもある。家族の者が害を受けたら加害者の家族に同じことをやり返していい、いややり返さなければいけないという規定で、似た習慣はシチリア、コルシカにもある。『ゴッドファーザー パートII 』の主要テーマにもなっていた。ついでに言えば、シチリアには中世からアルバニア人が住んでいた。

 女性がブルネシャになる主な理由は二つある。第一に、家長によって決められた結婚をしたくない、そもそも結婚したくない場合。上で述べたブルネシャの特権とやらを見てほしい。人とバーに行ったり酒を飲んだり家族の大黒柱になるなど、日本社会なら女性が普通にやっている。男友達も含めた知り合いで集まって楽しくビールを飲むなど、やったことのない女性がいたらお目にかかりたい。そういう普通のことが当地では男性にしかできなかったのである。こういう社会での「結婚」というものが女性にとってどれだけの苦痛であるかは想像するに難くない。もっとも結婚が女の地獄であったのはロシアでもそうだったらしい。プーシキンだのカラムジン、果ては『イーゴリ戦記』だのの貴族文学ばかり読んでいるとわかりにくいが、ロシアの民謡には「嘆きの歌」というジャンルがあるそうだ。どういう時にこの歌を歌うのかと言うと、若い女性が結婚の際に心痛を吐露するのだという。ショーロホフやゴーリキイの短編にもこの地獄を描写した作品がある。これから逃れるには男になるしかなかったのだ。女のままでいたら最後、家長が勝手に夫を決めて強制的に向こうの家族に「あてがわれて」しまう。拒否権はないのである。もちろん現在ではそこまで酷くはないだろうが、私も何年か前にそういうアルバニアの社会意識がドイツに持ち込まれたのを垣間見る機会があった(『13.二種の殺人罪』参照)。
 ブルネシャになる第二の理由は、家族に息子が生まれないことだ。息子がいないと父親の土地や財産を相続することができない。職業につける者もいないから、家族が没落してしまう。また息子がいてもあまりにもボンクラでとても家族を率いる技量がない場合、娘の一人が男にならざるを得ないのである。また親戚の家、例えば叔父さんの家などにまともな息子がいなくて、頼まれてブルネシャとして向こうの家族に出向く女性などもいたということだ。
 このブルネシャの存在は20世紀の初頭に英国の旅行家イーディス・ダラム Edith Durham が著書のHigh Albania(1985年にリプリントが出ているそうだ)で報告しており、最近でも(でもないが)2000年にアントニア・ヤング Antonia YoungのWomen who became menという本が出ている。ヤングはそこでブルネシャたちへのインタビューも行った。以後人類学者ばかりでなく普通のマスコミ雑誌などでもこのブルネシャが取り上げられて有名になった。ストラスブールの放送局ARTEも2019年にもドキュメンタリを流している。ネット上にもブルネシャについての記事が結構あるが、どうも興味本位というか怖いもの見たさというか、知られざる世界的なセンセーション狙いを感じさせられてちょっと引っかかるものが多かった。そういう私もここでこうやってブルネシャについて書いているので同じ穴のムジナかもしれないが、『138.悲しきパンダ』でもちょっと述べたようにエキゾチック感覚に飢えて人様の文化・習慣にドカドカ土足で踏み込む、珍獣を写真に捉えたと言って喜ぶような感覚には違和感を覚える。日本人からすると舞子と芸者の区別もつかない外国人が京都にドカドカ押しかけてただ単に着物を来ていただけ女の人を撮影し、インタビューし、「接触に成功。これがニッポンのゲイシャだジャーン」的な薄っぺらい記事を書かれた時の感覚だろうか。ひょっとしたら外国に日本の文化が紹介されたと言って喜ぶ人もいるかもしれないが、私だったら「見せもんじゃないぞ!」と怒っただろう。当地の社会学者がそこら辺のことに触れているが、今も残るブルネシャ(たいていはすでに高齢だ)はマスコミに完全に誤解されたと感じており、もうジャーナリストとやらとは関わりたくないといっているそうだ。きわめて少数だが外部の「エキゾシズム・フリーク」に乗じて商売を始めた者もいる。3時間から5時間のインタビューに100ユーロだかの料金を要求したりするそうだ。ブルネシャに会うパッケージ・ツアーまである。ブルネシャに会って握手をしてもらうと150ユーロ、インタビューが250ユーロ、いっしょに写真を取ると400ユーロという具合だ。その社会学者はそういう様子を見て非常に心を痛めていたが、私の方まで悲しくなりそうだ。
 上述のARTEにしても、この放送局は非常に硬い番組しか流さないので全く大衆受けがせず視聴率の低い放送局だが、そのARTEのドキュメンタリでさえ、人工的なストーリー性を感じすぎた。ただ、他のアルバニア人、例えばティラナなど開けたトスク方言地域の人は自国のこういう習慣についてどう思っているのかも見せてくれたのでその点公正だと思う。「主人公」の若いアルバニア人女性は北にブルネシャという習慣があることを知り会って話を聞こうとする。それを知った母親は「止めなさいよ、そんな人に会うのは。だって普通じゃないでしょそんな人」と吐き捨てるように言っていた。

ARTEのドキュメンタリに登場したブルネシャ。
Vierges 
 この記事の冒頭に「いたと言った方がいいかもしれない」と書いたが、ブルネシャの習慣はもう廃れていっており、存命のブルネシャは100人もいないのではないかと思われる。だから「全滅しない今のうちに」と(あさましい)パッケージ・ツアーまで生まれるのだろうが、そのうち誰もいなくなるであろうことは確実だ。現在のアルバニアではブルネシャなどになる必要がなくなったからだ。女性は女性のままで(?)男性の付き添いなどなくても外に出られる、職業にもつける、Kanusはその影響力を失い、強制結婚も行われなくなった(まだ残滓のあることは上で述べたとおりである)。もちろんまだ男女同権からは程遠いが、ブルネシャの存在意義はもうなくなっている。

 さて、社会学者はさすがにセンセーション狙いなどせず地味にジェンダー論的観点からブルネシャを観察していた。ブルネシャは「第三の性」なのか、またブルネシャという制度は超封建的な男社会の軛から女性が少しでも開放できるいわば救済制度だったのか。ある意味では女性はブルネシャになることによって男性の持つ殺傷与奪圏外に逃れられたからである。
 まず二番目の疑問に対してはLittlewoodという人(だけではないが)がキッパリとノーといっている。むしろその逆で、男性が支配し女性が隷属するという封建体制をさらに強固にするものであったと。女性と言うジェンダーのままでは自分自身の人生を謳歌できない、それができるのは男性だけだという厳しい2分割原則は全く揺るがないからだ。例えばヤングのインタビューしたブルネシャには過剰適応気味の人がいた。男性以上に女性(つまりセックスの点では同性)に対して支配的、ほとんど攻撃的にふるまう人がいたそうだ。ブルネシャはいわゆる「女性解放」とは反対の側にたっている。
 さらにいわゆる「男装の麗人」ともメカニズムが反対だ。男のような着物を着、男のような言葉使いで暮らしている女性のタイプは映画やマンガに時々出てくるが、これはあくまで女性性を強調にする作戦に過ぎない。現に「麗人」という言葉が表している通り、こういう女性は若くて美人、つまり男性の要求する女性性そのものであり、それが証拠にその手の麗人たちが最後にはちゃっかり男の恋人を見つけてめでたしめでたしになるストーリー展開が多い。変なたとえだが塩を少し入れると汁粉の甘さが引き立つごとく、標準のジェンダー像からわざと外して奇をてらうことによってさらに女性性を強調する手で、一見方向が逆のようだが胸にシリコンを入れ唇にはこれでもかとルージュを塗りたくって女を前面に押し出すのと目的は同じである。
 ブルネシャの本質はセックスの点では「無性」(だから処女を宣誓するのだ)、ジェンダーとしては男ということだ。LGBTなどで時々言われる「第三の性」とも違う。無性だからセックスとジェンダーのギャップ問題も起きない。インタビューで見る限り自己内部の葛藤に悩む声も聞こえてこない。ただ、無性であっても人体構造上は女性だから全く男性と同じわけにはいかない時もある。病気をしたとき男性病棟に入院したいか女性病棟か聞かれたブルネシャは女性病棟だと答えたそうだ。また血の復讐法でも理論上は殺される権利(!)のあるブルネシャが実際に殺された例はほとんどないという話も聞いた。そういった「誤差」はある。あるが「男性ジェンダーの強化」という本質は変わるまい。
 いずれにせよ、このブルネシャが全くいなくなる日は近そうだ。

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前に書いた記事の図表を画像に変更しました(レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるようなので)。内容も一部不正確だったので直しました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。


 いつだったかTVでニュースを見ていたら、イタリアの政治家に、名前が -xi で終わっている人がいたのでおやと思った。これはアルバニア語の名前である。-aj で終わっている名前の俳優を一度マカロニウエスタンで見かけたことがあるが、これもアルバニア語だ。どちらも語尾にばかり気をとられて名前そのものは忘れてしまった。メモでもとっておけばよかった。
 『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』の項で述べたようにイタリアは実は多民族国家で、その有力な少数民族の一つが南イタリアのギリシャ人だが、アルバニア人も多い。アルバニア語も少数言語として正式にイタリア政府に承認されている。もっともイタリア人よりも前からイタリア半島に住んでいたギリシャ人と違ってアルバニア人は比較的新しい時代になってから移住してきたのだそうだ。もっとも新しい時代といっても14世紀から15世紀のことだから日本で言えば室町時代、十分古い話ではある。もちろん世界がグローバル化するはるか以前である。
 南イタリアのほかにシチリアにもアルバニア語・アルバニア人地域がある。上述の項で紹介した元マフィアの組員も、自分の家族はギリシャ人、つまりギリシャ語を話すイタリア人だが、近所にはアルバニア人も多くいて両グループ間の抗争が絶えなかったそうだ。地図を見ると確かに両民族の居住地が重なっている。
 アルバニア人はもともとキリスト教徒だった。畢竟ローマ・カトリックのイタリア(当時はイタリアという統一国家はまだなかったが)と精神文化の面で繋がりが強かったらしく、例えばアルバニア語で印刷された最古のテキストは1555年にジョン・ブズク Gjon Buzuku という僧が聖書を訳した188ページのもので、一部破損しているが原本がバチカン図書館に保管されているそうだ。もっともアルバニア語で書かれた、というだけなら1462年の文献が現存しているし、言語についての断片的な記録はさらに古いのがあるから、現存テキスト以前にすでにアルバニア語で書かれた文献自体は存在していたと見られる。しかしそれでも14世紀ごろで、有力な他の印欧語と比べると時代が新しい。
Bozukuによるアルバニア語テキスト。ウィキペディアから。
Buzuku_meshari

 トルコの支配下に入ってからはアルバニアにはイスラム教が広まったが、現在でも人口の20%はギリシャ正教、カトリックも10%ほどいるとのことだ。その10%の中からあの聖女マザー・テレサが出たわけである。
 20世紀になってからもイタリアの皇帝ビットリオ・エマヌエレ3世がアルバニアの皇帝もかねたりしていたから、距離の近いアルバニアからはさらにイタリアへの移住が増えたことだろう。これもいつだったか、ニュースを見ていたら、今日びはイタリアのいわゆる開発の遅れたアプーリア地方の人たちが新天地を求めて逆にアルバニアに渡り、そこで事業を起こしたり工場を建てたりする例が増えているそうだ。人件費が安いからだろう。

 アルバニア語はギリシャ語と同じく一言語で一語派をなしているが、二大方言グループ、ゲグ方言とトスク方言がある。以前にも書いたように(『39.専門家に脱帽』参照)これらの間には音韻的な差があって、トスク方言では r である部分がゲグ方言では n になる。上述の項でも例を挙げたがその他にも「ワイン」という言葉がそれぞれ venë (ゲグ方言)と verë(トスク方言)となっている。さらに元は鼻母音だったâがトスク方言ではシュワーの ë になって、コピュラの âshtë(ゲグ方言)がトスク方言では është。文法にもいろいろ違いがあるそうだ。イタリアのアルバニア語は本来トスク方言に属するが、長く本国を離れていたため独自の発展を遂げた部分も多く、これを第三の方言と見なす人もいる。面白いことに上述のカトリック僧 Buzuku は北アルバニアの出身で訳に使った言語はゲグ方言である。

 また「ギリシャ」という名称がギリシャ本国でなく元来イタリアのギリシャ人を呼ぶものであったのと同様(本国では「ヘラース」、再び『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』参照)、「アルバニア」という名称も実はイタリアやギリシャのアルバニア人のことである。彼らが自分たちをアルバレシュ albëreshë とよんでいたので、イタリアでアドリア海の向こう側の本国まで「アルバニア」と呼び出したのだ。アルバニアではアルバニアのことを「シュキプタール」という。
 アルバニア語はいわゆるバルカン言語連合(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)の中核をなす言語である。早くから言語学者の興味を引いていたようで、1829年にバルカン言語学誕生の発端となった論文を書いたスロベニアの学者コピタルもアルバニア語に言及している。Albanische, walachische und bulgarische Sprache(アルバニア語、ワラキア語、ブルガリア語について)というタイトルの論文だが、すでにバルカン言語連合の中核3言語の相似性を見抜いている。この三言語がシンタクスなどの面で nur eine Sprachform, aber mit dreyerlei Sprachmaterie(言語の形は一つなのに言語素材は三つ)であることを発見したのはコピタル。ついでに言うとこの論文からも判る通り、当時の言語学の論文言語はドイツ語が中心だった。
 そうやって印欧語学者がこの言語をよく知っている、少なくともこれがどういう構造の言語なのかくらいは皆心得ている一方で、アルバニア人やアルバニア文化そのものについての関心は薄く、私も未来系の作り方とか後置定冠詞とかどうでもいいことは授業で教わったがアルバニア人はどういう人たちなのかという肝心なことについては全く無知であった。今でも無知である。この調子だから私はヒューマニストにはなれないのだ(『54.言語学者とヒューマニズム』参照)。
 
 ところが先日、ドイツの大手民放がヴィネトゥ映画3部作(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)をこれも3部作のTV映画としてリメイクした。元の映画でオールド・シャターハンドをやったレックス・バーカーもヴィネトゥのピエール・ブリースもすでになくなっていたし、生きていても年をとりすぎていてあのアクション活動は無理だったろうから、現在のドイツの俳優を持ち出してきた。シャターハンドをやったヴォータン・ヴィルケ・メーリング Wotan Wilke Möhring は顔は確かによく見かけるまあ有名俳優なのだろうが、バーカーに比べると容貌がショボすぎる感じで「こんなのがあのシャターハンド?!」と一瞬思ってしまったが(ごめんなさいね)、ヴィネトゥ役をやった人はブリースとはまた違ったカリスマ性があり、若くハンサムで正直驚いた。私はドイツのTV番組は基本的に公営放送のニュースやドキュメンタリー番組と、民放ではマカロニウエスタンしか見ないので、確かに人気俳優などは余り知らない。しかし知らないと言っても顔はどこかで見たことがあるのが普通だったが、このヴィネトゥ役の俳優は全く顔さえ見たことがなかった。どうしてこんなイイ男に気づかなかったんだろうといぶかっていたら、それもそのはず、アルバニアのニク・ジェリライ Nik Xhelilaj という俳優だった。名前に Xh という綴りが入り aj で終わっているあたり、これ以上望めない程アルバニア語である。ジェリライ氏は本国ではスターだそうだ。
リメイク映画「ヴィネトゥ」から。右がドイツの俳優メーリング
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これも「ヴィネトゥ」から
winnetou-nik-xhelilaj-wird-rtls-apachen-haeuptling
普通の格好(?)をしたジェリライ氏 http://diepresse.comから
5A4B1BF8-4EA0-4347-8149-8C4E43175211_v0_h
ニク・ジェリライという俳優は日本ではあまり知られていないだろうからこの際紹介の意味でもう一つオマケの写真
http://media.gettyimages.com
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 氏は顔がイケメンである上に声も涼しげないい声だったが、さらにしゃべるドイツ語がまた良かった。「うまい」というのではない、逆に本物のタドタドしいドイツ語だったのである。それはこういうことだ:
映画などで「外国人」あるいは「当該言語を完全にはしゃべれない」という人物設定にする際、その「不完全な言葉」というのがいかにもワザとらしくなるのがもっぱらである。どう見ても、どう聞いても本当はペラペラなのに意図的にブロークンにしゃべっていることがミエミエなのだ。一番「それはないだろう」と憤慨するのが文法・言い回しなどには取ってつけたような「外国人風の」間違いがあるのに発音は完璧というパターン。あるいは l と r を混同するなどのステレオタイプな発音のクセを 時おり挿入して外国人に見せるという姑息な手段。その際lとrは間違えても CVCC や CCVC のシラブルの方はなぜかきちんと発音が出来、絶対 CVVCVCV や CVCVVCV などにはならない。本当はしゃべれるのにワザとブロークンにやっていることが一目瞭然だ。
 あるいは逆に俳優に訓練を施す余裕がなかったか、俳優に語学のセンスがなくて制作側がサジを投げたか、俳優が大物過ぎて監督が遠慮しデタラメな発音でもOKを出してしまったかして当該言語としてはとうてい受け入れられないような音声の羅列になるとか。そういう場合でもセリフそのものはネイティブの脚本家が書いたものだから発音はク○なのに言い回しは妙にくだけた話し言葉という、目いや耳を覆いたくなるような結果になる。名前は出さないがジェームス・ボンド役として有名なさる俳優がさる映画でしゃべっていたいわゆる日本語なんかも憤死ものだった。
 いずれにせよ、完全な不完全さ、自然な不完全さをかもし出すのは結構難しいのだ。ところが、このジェリライ氏のドイツ語は本当にブロークン、文法も初心者・耳で聞いて言葉を覚えた者がよくやる語順転換、変化語尾の無視などが現れていかにも自然な不完全さなのである。それでいて耳障りではない。顔のハンサムさや声のよさより私はこっちの方に感心した。もっともこれはジェリライ氏の業績・俳優としての技量もさることながら、スタッフの業績でもあるのかもしれないが。
 とにかく「ヴィネトゥ役にアルバニアのスターを起用」ということが珍しかったせいか、結構メディアでも報道されていた。そういえば以前「ヨーロッパで一番ハンサムが多いのは実はバルカン半島」と主張している女性がいたが、このジェリライ氏を見てなるほどと思ったことであった。

 さてそのアルバニア語は、どこかの言語学者も言っていたように、「語学というより言語学的な興味で始める人が多かろう」。印欧語の古いパラダイムをよく残している非常に魅力ある言語である。例として以下に çoj (take away, send) という動詞の変化パラダイムの一部を挙げるが、アオリストや希求法などがカテゴリーとしてしっかり残っており、これと比べるとドイツ語やロシア語などチョロイの一言に尽きる。たかがロシア語の不規則動詞ごときにヒーヒー言っていたり(私のことだ)、変化形を覚えたと言って鼻の穴を膨らませて自慢しているような輩(これも私のことだ)などは、ジェリライ氏に恥じろ。繰り返すが、これは動詞変化のごく一部、動詞部分が直接変化するパラダイムのそのまた一部である。これにまた接続法一連、完了体など助動詞や不変化詞による動詞パラダイム(アオリスト2もそれ)やそもそも受動体(これにもまた直説法現在形、接続法現在形などのパラダイムがオンパレード)などがガンガン加わってくるから、ここに示したのは動詞の変化形全体の10分の一にも満たない。もちろんこれは最も簡単な動詞で、他に不規則動詞も当然ある。ラテン語や現在のロマンス諸語より強烈なのではなかろうか。
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「意外法」というのは Admirativ のことである。まだ定訳がないようだが、法(Modus)の一種で、当該事象が愕いたり意外に思うようなことだった場合、この動詞形で表す。アルバニア語はバルカン現象のほかにこの Admirativ を動詞変化のパラダイムとして持っていることでも知られているようだ。
 また現在のロマンス諸語では強烈なのは動詞だけで、名詞の方は語形変化がないに等しいくらい簡略だがアルバニア語は名詞の格変化も思い切り保持している。悪い冗談としか思えない。

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