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 世界には何千年もの伝統を持つ古い言語やもう何千年も前に死滅してしまった古語がある一方、生まれたばかりの新しい言語というのがある。例えば南アフリカ共和国、ナミビアの公用語であるアフリカーンス。最も新しい言語のひとつであろう。以前に先生がこれを称してdie neueste germanische Sprache(「もっとも新らしいゲルマン語」)と言っていたのがまだ耳に残っている。
 アフリカーンスの母体になったのは17世紀初頭のオランダ語であるから、まだ生まれてから400年くらいにしかならない。もっともブラジルのポルトガル語などもいまや本国との乖離が激しく、時々本当に「ブラジル語」という名称が使われている。ついでに「アメリカ語」という言い方もよく見かける(アメリカ合衆国で話されている言葉はすでに英語とは言えない、というわけだ)。それでもアメリカ大陸の言語はまだ本国名称で呼ばれるのが普通で、まあせいぜい「南米スペイン語」「ブラジル・ポルトガル語」と補足がつくくらいである。アフリカーンスも昔はケープ・オランダ語(Kapholländisch)ともいったそうだが、現在は誰もそんな名称は使わないだろう。Kap(ドイツ語)、 Kaap(オランダ語、アフリカーンス)あるいは Cape(英語)の名で呼ばれているのは17世紀の半ばに最初にここに入植して植民地を作ったのがオランダ人だからだ。Kaapというのはオランダの船乗りの言葉で「山が海にグンと突き出している地形」を表す、つまり「岬」のことである。南アフリカの先っちょがそういう地形をしていたからここに造った町をKaapstedt(ドイツ語だとKapstadt)と名付けたのである。その後イギリス人が来てオランダ人を追い出していったのはやっと19世紀の初頭である。1814年にはKaap地域がイギリスのものになり、オランダ人は北東に追いつめられてトランスヴァール共和国、オラニエ自由国などを作っていたが、1899年から1902年にかけて南アフリカで起こった戦争でとうとうイギリスに負けて一つの国に併合された。その、後からやってきたイギリス人にとってはオランダ人が「アフリカ原住民」であったろう。事実彼らは自分たちを「アフリカーナー」とも自称している。アフリカ原住民には白人もいるのだ。
 それらの「オランダ人」をブール人、またはボーア人といい、上述の対英戦争はボーア戦争と呼ばれている。1880年から1881年の第一次ボーア戦争ではトランスヴァール共和国がイギリスに一旦勝っているが、上述の「第二次ボーア戦争」で敗北した。このボーア(Boer)というのはドイツ語のBauerと同語源で「農民」という意味である。現在のボーア人はほぼ全員が英・アのバイリンガルだそうだ。そのため不幸なことに南アフリカの文学は大抵英語で書かれ、アフリカーンスで書かれた文学作品は数が非常に少ない。それでも1990年代から目に見えてアフリカーンスの文学作品が増えていっている。90年代と言えばナディン・ゴーディマがノーベル文学賞を受け、ネルソン・マンデラ大統領が誕生したころである。なるほどという感じだ。
 ただ、ボーア人とアフリカーンス話者はイコールではない。いわゆるカラード、黒人やアジア人にもアフリカーンスを母語としている者がいるからである。L2としての話者も勘定に入れれば、この言語の使用範囲はカラードの間でさらに広がるはずだ。

 ボーア人の作家で有名な人といえばまずHerman Charles Bosman(1905-1951)の名があがるだろう。Kaap地方にボーア人の両親のもとで生まれ、学校教育は英語で受けたバイリンガル。その後トランスヴァール、つまりボーア人地域で暮らし、ボーア人の生活社会という閉ざされた小宇宙を描写し続けた作家である。作品の質も高く、南アフリカでは極めてポピュラーで誰でも知っているが一歩外に出ると知られていないという、知名度の乖離の非常に激しい地域限定作家である。
 なお、ボスマン氏は若い頃、父違いか母違いかの兄弟を撃ち殺して死刑判決を受けたことがある。その後刑が10年に軽減され、4年で執行猶予つきで刑務所から出ることができたそうだ。
 私はFuneral Earthという10ページ足らずの超短編しか氏の作品を読んでいないが、いわゆる「南アフリカ英語」ばかりか、ガチのアフリカーンスまでたくさん出てくるし、描写されている社会事情や当地では誰でも知っている史実などに無知なのでこの長さでも十分難しかった。テキストは解説つき、つまり英語がわかんない人用にヘルプがついたものだったから何とか読めたが、完全に自力で読めといわれたら無理だったろう。そもそも普通の英語だって危ないのだ私は。
 その作品には例えばこんな「アフリカーンス英語」が使われていた: 

oom: おじさん
Nietverdiend: 西トランスヴァールの地名、
        (ドイツ語だとunverdientで「値しない」とか「その価値がない」という意味)
veld-kornetseksie: 軍務も負っている役人
withaak : 植物の名前 (ドイツ語ならWeißhaken「白鉤」)
seksie: 班、隊
volksraad : トランスヴァール共和国議会
koppie : 小さな丘
goël : 魔的な
veldskoen : ボーア人が野外で履く特殊な靴

 さて、ボスマンは作家活動をもっぱら英語で行なったようだが、時々はアフリカーンスででも著作活動をしている。例えば1948年にオマール・ハイヤームの4行詩『ルバイヤート』のアフリカーンス語訳を発表しているそうだ。ペルシャ語からではなく、エドワード・フィッツジェラルドによる英語からの重訳らしい。まず、もとのフィッツジェラルドの訳の最初の部分。朝日を描写したものである。

Awake! for Morning in the Bowl of Night
Has flung the Stone that puts the Stars to Flight:
And Lo! the Hunter of the East has caught
The Sultan's Turret in a Noose of Light.

これをボスマンは次のように訳している。

Ontwaak! die steen waarvoor die sterre wyk
Het Dag in Nag se kom gewerp - en kyk!
Die Ooste het sy jagterstrik van lig
Oor die toring van die Sultan reeds gereik.

さらにこれを無理矢理ドイツ語に訳してみると以下のようになった。「無理矢理」というのはできるだけ対応するドイツ語の単語を当てはめたからである。だからドイツ語としては許容範囲ギリギリ。ギリギリにさえならない部分はさすがに変更してある。また私はアフリカーンス語もオランダ語もできないから、そこら辺の無料電子辞書だろ文法書をめくら滅法ひきまくり、それでもわからない場合は似たような単語をドイツ語やオランダ語から見つけてきて「多分これだろう」と勝手に決め込んで翻訳したので、質は保証できない。

Entwacht! Den Stein, wofür (-> für den) die Sterne weichen,
Hat Tag in (den) Schüssel der Nacht geworfen – und kiekt!
Der Osten hat seine Jägerschlinge des Lichts
Über den Turm des Sultans bereit gereicht.

確かにドイツ語としてギリギリだが、意味はなんとなくわかる。ちなみに「見ろ!」を表すアフリカーンスのkykという単語は最初ドイツ語のgucken(「見る」)と同じかと思ったが、そうではないらしい。ドイツ語に「方言・俗語」としてkieken(「覗く」)という動詞が実在するが(ネイティブに聞いてみたが、「そんな単語知らない」とのことだった)、どうもこちらの方が同源くさい。
 これを2014年にDaniel Hugoという人がやはりアフリカーンスに訳しているのだが、そのテキスト

Ontwaak! Die oggend het in die kom van die nag
die blink klip geslinger wat die sterre laat vlug.
En kyk, die ruiter uit die ooste het
die sultanstoring gevang met ’n lasso lig.

を上のボスマンのものと比べてみると、ボスマンの文体がやや「古風」な感じがする。例えばwykというのはたぶんオランダ語のwijken、ドイツ語の weichen(「避ける、逃げる」)だろうが、これをput ... to Flightの訳として使っている。フーゴ訳ではこれが素直にlaat vlug(たぶん英語のlet flee)、つまり関係節の主語が逆になっていて「星を退散させる石」だがボスマンでは「そのために星が退散する石」となっているわけだ。さらに3行目ではたぶんボスマンは非常に抽象的な名詞「東」を主語にしているが、フーゴ訳ではたぶん「東から来た騎士」という一応人物が主語になっていて意味がとりやすい。アフリカーンスというものを見たのがほとんど初めての私にさえ上のボスマンの訳よりわかりやすいものであることが見て取れる、ような気がする。フーゴの訳をドイツ語に訳するこうなる。

Erwacht! Der Morgen hat in den Schüssel von der Nacht
Den blanken Stein geschlingert (-> geschleudert), was die Sterne fliehen lässt.
Und kiekt, der Reiter aus dem Osten hat
Den Sultanturm gefangen mit einem Lichtlasso.

 そういえばナディン・ゴーディマの作品にもbaas(「旦那」)というアフリカーンスの単語が使われていたのを見たが、それよりも何よりもアパルトヘイトapartheitという言葉がアフリカーンスである。
 ボーア戦争で南アフリカが統一されてから1961年までは「南アフリカ連邦」、1961年からは「南アフリカ共和国」という国家形式だがその「元首」、連邦では首相、共和国では大統領はほとんど全員アフリカーンス系の名前である。さすがにイギリスの植民地時代は大英帝国の王・女王を元首としてかついではいたが、実際に政治を司ったのはずっとボーア人であったことがわかる。だからその人種政策も英語ではなく、アパルトヘイトとアフリカーンスで呼ぶのだ。この制度を確立して維持したのはボーア人だが、これを廃止に持っていったのもまたボーア人の大統領デ・クラークだった。


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