アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ:映画・テレビ > 映画・テレビ一般

 今はもうなくなってしまったのだが、以前、近くに地下一階地上二階のちょっと大きなドラッグ・ストアがあって、二階のフロアがまるまるCDとDVDの売り場になっていた。近くのスーパーに買い物に行こうと思ってうちを出ると、どうもつい途中でここについ寄り道をしてしまうことが多かった。

 ある時また例によって覗き見してみたらセルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』がなんと7.99ユーロで山積みされていたのである。もちろんその場で買ったはいいが、もともと食料品だけを買うつもりで家を出てきたものだから、小銭レベルのお金しか持っておらず、DVDを買うと有り金がほとんどなくなってしまい、食料品は買わずに手ブラで帰るハメになった。また出直すのも面倒だったので、昼は台所に落ちていた食料を適当に食べた。

 ところでこの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』には年齢制限があり、16歳以下は制限されている。ドイツは映画やゲームの年齢制限がちょっと細かくて、無制限、6歳以下は制限、12歳以下制限、16歳以下制限、そして最終的に18禁の5等級に分かれている。18禁とはつまり成人指定だが、日本とは重点が少し違っていて「成人指定」といってもいわゆるアダルト映画、つまり性描写の露骨な映画とは限らないのだ。現に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では一箇所かなり生々しい性描写があるのに成人指定にはなっていない。性描写に劣らず厳しくチェックされるのは暴力描写で、どぎつい残酷シーンがある映画が成人指定になるのは当然だが、実際に血しぶきが飛ばなくても内容的に暴力を礼賛し暴力による問題解決を奨励しているようなストーリーのものは、女性のヌードなど全く出てこなくても成人指定となる。
 それでブルース・リーの空手アクション『燃えよドラゴン』は成人指定。暴力を礼賛していると見なされるからだ。つまり「アダルト」というのは日本人がすぐ連想するように単に下半身が機能する人のことではなくて、自分の攻撃性をきちんと自分でコントロールできるかどうかのほうが大事、そしてそれができない子供には、暴力に訴えるのが正当な手段だなどと思わせてしまうような内容のほうが性描写などより害になるというわけだ。人をモノとしか思わないような人間になってもらっては困る、というところ。言い換えると「アダルト」とは体でなく頭の成熟度だという理屈。一理あると思う。
 日本では無害扱いされているアクション映画なども人が銃で撃たれるシーンなどはTV放映時にはカットされることが多い。アーノルド・シュワルツェネッガーの『ターミネーター』もしっかり鋏が入っていた。

 これはあくまで私の想像だが、『必殺仕置人』のようなTVシリーズはこちらでは普通のお茶の間用の時間帯では放映できないのではないだろうか。ドイツ語でいうSelbstjustiz(ゼルプストユスティーツ)、暴力による自己裁判を奨励しているからだ。もっともこれは日本でも放映は「お茶の間」より少し遅い夜の10時からだったが。『子連れ狼』も微妙なところで、こちらは放映は9時と子供でも見られる時間帯だった。しかしどちらも後に昼間再放送されたと記憶している。現に私は『子連れ狼』をしっかり全部見ている。ドイツだったら駄目かもしれない。
 同じ理由で、話合いや法による解決を一切試みないですぐ銃に訴えるというやり方を礼賛しているマカロニウエスタンの相当数が成人指定。マカロニウエスタンのガンマンが皆討論を始めてしまったら映画にならないではないか、などという甘い理屈はドイツ人には通用しない。驚くなかれ、私の世代の女性には今日のレオナルド・ディカプリオ(すでにこの人も譬えとしては古いが)と同じくらい人気のあったあのソフトなジュリアーノ・ジェンマの『続・荒野の1ドル銀貨』もこちらでは成人映画だ。これのどこをどう解釈すれば子供の害になると判断されてしまうのか教えてほしい気がするが、この程度で成人指定を食らうのだから、耳が血まみれで切り取られる シーンのある『続・荒野の用心棒』、貧しい人々が人間扱いされず「ゴミ」として虫けらのように殺され、いわんや最後には悪が暴力によって善に勝つというトンでもないストーリーの『殺しが静かにやって来る』などが成人指定と聞いても全く驚かない。むしろセルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』が16歳指定で済んでいるのが不思議なくらいだ。
 ファンの間で「最も強烈なマカロニウェスタン」とお墨付きを貰っている『情け無用のジャンゴ』などは成人指定は言わずもがな、ドイツ製のDVDというものが見つからず、街なかの普通の店などにはとても置かれていないのはもちろん、ネットで買おうとしても(するな)イギリスからの輸入品か、セカンドハンドしかない。しかもそれが中古品のくせに50ユーロもするほど需要と供給のバランスが崩れているのは、ドイツ国内では「危険映画」として販売が自主規制でもされているのか?
 実は私は『続・荒野の用心棒』など小学生頃から平気で見ていた。日本では無制限だったからである。しかしそういえば小学校時代から大学を卒業して後も「人間性に問題がある」の「性格が歪んでいる」のと頻繁に言われたものだ。ひょっとしたらこの映画を小学生のころ見てしまったのも一因なのかもしれない。やはり子供に見せる映画は少し考えたほうがいい。『続・荒野の用心棒』だったからまだ性格が歪む程度で済んだが、『殺しが静かにやって来る』など当時見てしまっていたら完全にトラウマになっていただろう。私がこの映画を見たのはもういい大人になってから、つまりドイツに来てからであるが、ストーリーをすでに知っていたにも関わらずあの凍るようなラストを3日くらい引きずってしまったから。

 とにかく、18歳以下禁止の指定をされてしまった映画だと買うのにちょっと苦労することは事実だ。「あなたはどうやっても18歳未満には見えないから関係ないだろう」というと、それは違う。18禁モノというのは大抵ビデオ屋さんの暗い隅の方にまとめて置かれていて、危なそうなおじさんが日本で言う成人映画、つまりいわゆるピンク映画をいじっていたり、全身刺青の恐そうなお兄さんがホラー映画にじーっと見入っていたりするので、私のような小心者には恐くてとても入って行ける世界ではない。相当気合がいるのだ。
 勇気を出して刺青のお兄さんの横をすり抜け、えいっとばかり目当てのDVDを取り、やっとの思いでレジまで持って行ったら行ったで、パッケージにデカデカと「18禁」とシールが張ってあるものだから、レジの人が「やだわ、この東洋人のおばさん、成人映画なんて買うの?!」とでもいいたげな、うさんくさそうな顔をして私のことをジロジロと見る。たかがジュリアーノ・ジェンマの映画を買うのにここまで苦労しなければいけないなんて本当に暮らしにくい国だ。


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 いつだったかTVでニュースを見ていたら、イタリアの政治家に、名前が -xi で終わっている人がいたのでおやと思った。これはアルバニア語の名前である。-aj で終わっている名前の俳優を一度マカロニウエスタンで見かけたことがあるが、これもアルバニア語だ。どちらも語尾にばかり気をとられて名前そのものは忘れてしまった。メモでもとっておけばよかった。
 『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』の項で述べたようにイタリアは実は多民族国家で、その有力な少数民族の一つが南イタリアのギリシャ人だが、アルバニア人も多い。アルバニア語も少数言語として正式にイタリア政府に承認されている。もっともイタリア人よりも前からイタリア半島に住んでいたギリシャ人と違ってアルバニア人は比較的新しい時代になってから移住してきたのだそうだ。もっとも新しい時代といっても14世紀から15世紀のことだから日本で言えば室町時代、十分古い話ではある。もちろん世界がグローバル化するはるか以前である。
 南イタリアのほかにシチリアにもアルバニア語・アルバニア人地域がある。上述の項で紹介した元マフィアの組員も、自分の家族はギリシャ人、つまりギリシャ語を話すイタリア人だが、近所にはアルバニア人も多くいて両グループ間の抗争が絶えなかったそうだ。地図を見ると確かに両民族の居住地が重なっている。
 アルバニア人はもともとキリスト教徒だった。畢竟ローマ・カトリックのイタリア(当時はイタリアという統一国家はまだなかったが)と精神文化の面で繋がりが強かったらしく、例えばアルバニア語で印刷された最古のテキストは1555年にジョン・ブズク Gjon Buzuku という僧が聖書を訳した188ページのもので、一部破損しているが原本がバチカン図書館に保管されているそうだ。もっともアルバニア語で書かれた、というだけなら1462年の文献が現存しているし、言語についての断片的な記録はさらに古いのがあるから、現存テキスト以前にすでにアルバニア語で書かれた文献自体は存在していたと見られる。しかしそれでも14世紀ごろで、有力な他の印欧語と比べると時代が新しい。
Bozukuによるアルバニア語テキスト。ウィキペディアから。
Buzuku_meshari

 トルコの支配下に入ってからはアルバニアにはイスラム教が広まったが、現在でも人口の20%はギリシャ正教、カトリックも10%ほどいるとのことだ。その10%の中からあの聖女マザー・テレサが出たわけである。
 20世紀になってからもイタリアの皇帝ビットリオ・エマヌエレ3世がアルバニアの皇帝もかねたりしていたから、距離の近いアルバニアからはさらにイタリアへの移住が増えたことだろう。これもいつだったか、ニュースを見ていたら、今日びはイタリアのいわゆる開発の遅れたアプーリア地方の人たちが新天地を求めて逆にアルバニアに渡り、そこで事業を起こしたり工場を建てたりする例が増えているそうだ。人件費が安いからだろう。

 アルバニア語はギリシャ語と同じく一言語で一語派をなしているが、二大方言グループ、ゲグ方言とトスク方言がある。以前にも書いたように(『39.専門家に脱帽』参照)これらの間には音韻的な差があって、トスク方言では r である部分がゲグ方言では n になる。上述の項でも例を挙げたがその他にも「ワイン」という言葉がそれぞれ venë (ゲグ方言)と verë(トスク方言)となっている。さらに元は鼻母音だった â がトスク方言ではシュワーの ë になって、コピュラの âshtë(ゲグ方言)がトスク方言では është。文法にもいろいろ違いがあるそうだ。イタリアのアルバニア語は本来トスク方言に属するが、長く本国を離れていたため独自の発展を遂げた部分も多く、これを第三の方言と見なす人もいる。面白いことに上述のカトリック僧 Buzuku は北アルバニアの出身で訳に使った言語はゲグ方言である。

 また「ギリシャ」という名称がギリシャ本国でなく元来イタリアのギリシャ人を呼ぶものであったのと同様(本国では「ヘラース」、再び『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』参照)、「アルバニア」という名称も実はイタリアやギリシャのアルバニア人のことである。彼らが自分たちをアルバレシュ albëreshë とよんでいたので、イタリアでアドリア海の向こう側の本国まで「アルバニア」と呼び出したのだ。アルバニアではアルバニアのことを「シュキプタール」という。
 アルバニア語はいわゆるバルカン言語連合(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)の中核をなす言語である。早くから言語学者の興味を引いていたようで、1829年にバルカン言語学誕生の発端となった論文を書いたスロベニアの学者コピタルもアルバニア語に言及している。Albanische, walachische und bulgarische Sprache(アルバニア語、ワラキア語、ブルガリア語について)というタイトルの論文だが、すでにバルカン言語連合の中核3言語の相似性を見抜いている。この三言語がシンタクスなどの面で nur eine Sprachform, aber mit dreyerlei Sprachmaterie(言語の形は一つなのに言語素材は三つ)であることを発見したのはコピタル。ついでに言うとこの論文からも判る通り、当時の言語学の論文言語はドイツ語が中心だった。
 そうやって印欧語学者がこの言語をよく知っている、少なくともこれがどういう構造の言語なのかくらいは皆心得ている一方で、アルバニア人やアルバニア文化そのものについての関心は薄く、私も未来系の作り方とか後置定冠詞とかどうでもいいことは授業で教わったがアルバニア人はどういう人たちなのかという肝心なことについては全く無知であった。今でも無知である。この調子だから私はヒューマニストにはなれないのだ(『54.言語学者とヒューマニズム』参照)。
 
 ところが先日、ドイツの大手民放がヴィネトゥ映画3部作(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)をこれも3部作のTV映画としてリメイクした。元の映画でオールド・シャターハンドをやったレックス・バーカーもヴィネトゥのピエール・ブリースもすでになくなっていたし、生きていても年をとりすぎていてあのアクション活動は無理だったろうから、現在のドイツの俳優を持ち出してきた。シャターハンドをやったヴォータン・ヴィルケ・メーリング Wotan Wilke Möhring は顔は確かによく見かけるまあ有名俳優なのだろうが、バーカーに比べると容貌がショボすぎる感じで「こんなのがあのシャターハンド?!」と一瞬思ってしまったが(ごめんなさいね)、ヴィネトゥ役をやった人はブリースとはまた違ったカリスマ性があり、若くハンサムで正直驚いた。私はドイツのTV番組は基本的に公営放送のニュースやドキュメンタリー番組と、民放ではマカロニウエスタンしか見ないので、確かに人気俳優などは余り知らない。しかし知らないと言っても顔はどこかで見たことがあるのが普通だったが、このヴィネトゥ役の俳優は全く顔さえ見たことがなかった。どうしてこんなイイ男に気づかなかったんだろうといぶかっていたら、それもそのはず、アルバニアのニク・ジェリライ Nik Xhelilaj という俳優だった。名前に Xh という綴りが入り aj で終わっているあたり、これ以上望めない程アルバニア語である。ジェリライ氏は本国ではスターだそうだ。
リメイク映画「ヴィネトゥ」から。右がドイツの俳優メーリング
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これも「ヴィネトゥ」から
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普通の格好(?)をしたジェリライ氏 http://diepresse.comから
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ニク・ジェリライという俳優は日本ではあまり知られていないだろうからこの際紹介の意味でもう一つオマケの写真
http://media.gettyimages.com
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 氏は顔がイケメンである上に声も涼しげないい声だったが、さらにしゃべるドイツ語がまた良かった。「うまい」というのではない、逆に本物のタドタドしいドイツ語だったのである。それはこういうことだ:
映画などで「外国人」あるいは「当該言語を完全にはしゃべれない」という人物設定にする際、その「不完全な言葉」というのがいかにもワザとらしくなるのがもっぱらである。どう見ても、どう聞いても本当はペラペラなのに意図的にブロークンにしゃべっていることがミエミエなのだ。一番「それはないだろう」と憤慨するのが文法・言い回しなどには取ってつけたような「外国人風の」間違いがあるのに発音は完璧というパターン。あるいは l と r を混同するなどのステレオタイプな発音のクセを 時おり挿入して外国人に見せるという姑息な手段。その際lとrは間違えても CVCC や CCVC のシラブルの方はなぜかきちんと発音が出来、絶対 CVVCVCV や CVCVVCV などにはならない。本当はしゃべれるのにワザとブロークンにやっていることが一目瞭然だ。
 あるいは逆に俳優に訓練を施す余裕がなかったか、俳優に語学のセンスがなくて制作側がサジを投げたか、俳優が大物過ぎて監督が遠慮しデタラメな発音でもOKを出してしまったかして当該言語としてはとうてい受け入れられないような音声の羅列になるとか。そういう場合でもセリフそのものはネイティブの脚本家が書いたものだから発音はク○なのに言い回しは妙にくだけた話し言葉という、目いや耳を覆いたくなるような結果になる。名前は出さないがジェームス・ボンド役として有名なさる俳優がさる映画でしゃべっていたいわゆる日本語なんかも憤死ものだった。
 いずれにせよ、完全な不完全さ、自然な不完全さをかもし出すのは結構難しいのだ。ところが、このジェリライ氏のドイツ語は本当にブロークン、文法も初心者・耳で聞いて言葉を覚えた者がよくやる語順転換、変化語尾の無視などが現れていかにも自然な不完全さなのである。それでいて耳障りではない。顔のハンサムさや声のよさより私はこっちの方に感心した。もっともこれはジェリライ氏の業績・俳優としての技量もさることながら、スタッフの業績でもあるのかもしれないが。
 とにかく「ヴィネトゥ役にアルバニアのスターを起用」ということが珍しかったせいか、結構メディアでも報道されていた。そういえば以前「ヨーロッパで一番ハンサムが多いのは実はバルカン半島」と主張している女性がいたが、このジェリライ氏を見てなるほどと思ったことであった。

 さてそのアルバニア語は、どこかの言語学者も言っていたように、「語学というより言語学的な興味で始める人が多かろう」。印欧語の古いパラダイムをよく残している非常に魅力ある言語である。例として以下に çoj (take away, send) という動詞の変化パラダイムの一部を挙げるが、アオリストや希求法などがカテゴリーとしてしっかり残っており、これと比べるとドイツ語やロシア語などチョロイの一言に尽きる。たかがロシア語の不規則動詞ごときにヒーヒー言っていたり(私のことだ)、変化形を覚えたと言って鼻の穴を膨らませて自慢しているような輩(これも私のことだ)などは、ジェリライ氏に恥じろ。繰り返すが、これは動詞変化のごく一部、動詞部分が直接変化するパラダイムのそのまた一部である。これにまた接続法一連、完了体など助動詞や不変化詞による動詞パラダイム(アオリスト2もそれ)やそもそも受動体(これにもまた直説法現在形、接続法現在形などのパラダイムがオンパレード)などがガンガン加わってくるから、ここに示したのは動詞の変化形全体の10分の一にも満たない。もちろんこれは最も簡単な動詞で、他に不規則動詞も当然ある。ラテン語や現在のロマンス諸語より強烈なのではなかろうか。
Tabelle1-100
Tabelle2-100
Tabelle3-100
「意外法」というのは Admirativ のことである。まだ定訳がないようだが、法(Modus)の一種で、当該事象が愕いたり意外に思うようなことだった場合、この動詞形で表す。アルバニア語はバルカン現象のほかにこの Admirativ を動詞変化のパラダイムとして持っていることでも知られているようだ。
 また現在のロマンス諸語では強烈なのは動詞だけで、名詞の方は語形変化がないに等しいくらい簡略だがアルバニア語は名詞の格変化も思い切り保持している。悪い冗談としか思えない。

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 以前に『ブロークバック・マウンテン』を見たときになぜか突然高校生の時早川文庫で読んだラリイ・マクマートリーの『遥かなる緑の地』という小説を思い出した。プロットというかモティーフに並行するものを感じたからである。何の変哲もない小さな町で一生を過ごした男の回想録。もちろん若いころはいろいろ外に出たり事件もあったが歳を取ると何もかも色あせて、人生の夕暮れになって来し方を回想してほっと溜息をつく。そんな感じである。でもどうしてこの小説が突然心に浮かんだのか自分ではわからないまま、何気なくこの映画のクレジットを見て驚いたの驚かないのって(驚いたのだ)。脚本がまさにそのラリイ・マクマートリイだったのだ。この人が小説家から脚本家に転向していたことをそのとき初めて知ったが、調べてみたら『遥かなる緑の地』も映画化はされている。地味な出来だったので忘れられているが。
 私のような素人は映画というとまず主演俳優、次に監督に目が行き脚本までは気がまわらないことが多いが考えてみれば脚本は映画のいわば素描、設計図である。黒澤明も「映画監督は本が書けなければダメだ」と言っていたそうだし、絵でも画家の特徴が最もよく出るのは素描である。仕上げられた絵だけ見ていてもわからない部分があるだろう。

 さて、私がこのブログで執拗に話題にしている『血斗のジャンゴ』の脚本を書いたのはセルジオ・ドナーティである。マカロニウェスタンの脚本家の最高峰だ。このジャンルの最高傑作として常にトップで言及され、他の作品の追随を許さない『ウェスタン』はドナーティの手によるものだ。あちこち「アヒル検索」(『112.あの人は今』参照)したり、家に落ちていた資料を調べてみると、レオーネは『荒野の用心棒』の脚本を最初このドナーティに打診したが断られたそうだ。でも次の『夕陽のガンマン』ではドナーティを引っ張り込むことに成功した。クレジットでは脚本ルチアーノ・ヴィンツェンツォーニとなっているが、陰でドナーティも協力したらしい。さらに『続・夕陽のガンマン』にもこの人は関わっていて(ここでもクレジットには出ていない)、あの、拷問行為が外にバレないように建物の周りで大音響で音楽を響かせるシーンはドナーティのアイデアとのことだ。その後『ウェスタン』で初めて正規に名前が出たが、『夕陽のギャングたち』を書いたのもドナーティである。
 ソリーマの『復讐のガンマン』、『血斗のジャンゴ』は両方ともドナーティの脚本。つまり『復讐のガンマン』は『続・夕陽のガンマン』の直後、『血斗のジャンゴ』は『ウェスタン』の直前に書かれたのだ。例えば『復讐のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』だが、この二つの映画は時期的にほとんど同時に作られている。『続・夕陽のガンマン』は1966年製作で本国(イタリア)公開が1966年12月23日、『復讐のガンマン』が1967年3月3日で、『復讐のガンマン』がたった2ヶ月遅いだけである。ドイツの劇場公開は『復讐のガンマン』の方が半年も早く1967年6月27日、『続・夕陽のガンマン』が1967年12月15日。制作されてからほぼ一年間もどこで何をしていたのかね夕陽のガンマン君たち?

 こういう具合だからドナーティが関与しなかった黒澤のパクリ『荒野の用心棒』以降の作品、『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』(レオーネ)『復讐のガンマン』『血斗のジャンゴ』(ソリーマ)『ウェスタン』(レオーネ)間でモティーフというかストーリーに共通性が感じられるのも根拠のないことではない。どれも主人公が3人いて、誰と誰が実は味方なのかはっきりわからない、というより一応2者がくっついてもう一人と対決する形になっているのだが、この2者の結びつきがうさん臭く、どうもクリアに2対1という把握が出来ない、つまりいわば決闘が三つ巴になっているということである。
 その際ソリーマとレオーネでは三つ巴のパターンがちょっと違い、ソリーマでは最初2対1という形をとっていたのが最後に壊れて最初組んでいた二人のうちの1人が対抗側の1人に回る。『復讐のガンマン』ではウォルター・バーンズ(およびその一味)とリー・バン・クリーフとでトマス・ミリアンを追っていたのが最後でバン・クリーフがミリアンの側についてバーンズ(の前にさらに一味を二人)を撃ち殺すし、『血斗のジャンゴ』では逆にジャン・マリア・ヴォロンテとトマス・ミリアンの二人組みをウィリアム・ベルガーが追うが、最後の瞬間にミリアンがベルガーを守る側に立ってヴォロンテを殺す。
 つまりソリーマでは2対1が1対2になる、あるいはその逆というわけで敵対味方という二項対立自体は比較的はっきりしているが、レオーネではこの2人組そのものの結びつきがユルユルというか「組」になっていないというか、とにかく「2」があくまで暫定的でしかたなくくっついているというニュアンスが濃い。ソリーマとは逆にレオーネではむしろ始め危なっかしかった2人組が最後でやっぱりこの二人はコンビであったことがわかる。いわばソリーマとレオーネでは胡散臭さの方向が逆になっているのだ。それでも『夕陽のガンマン』では仲間割れを起こしながらもイーストウッドとリー・バン・クリーフは結構明確にコンビをなしてジャン・マリア・ヴォロンテと対抗しているが、『続・夕陽のガンマン』だと二人組みの結束が相当怪しくなってきて、組んでいるはずのイーストウッドとイーライ・ウォラックは常に互いをだましあい出し抜きあい、ほとんど敵同士である。この二人と対抗するリー・バン・クリーフとの決闘シーンも2対1というより文字通り三つ巴の決闘。さらにそれが『ウエスタン』になると果たしてチャールズ・ブロンソン&ジェイソン・ロバーツ対ヘンリー・フォンダと言っていいのかさえ怪しくなってくる。かと言って完全な三つ巴でもない。ロバーツが「フォンダ側にはつかない」ということである意味では明確にブロンソン側に立っているからである。しかしフォンダとブロンソンの果し合いには関与していない。
 もっともソリーマの『復讐のガンマン』もリー・バン・クリーフ側のバーンズの周りにさらに何人かくっついていて、そのうちの1人Gérard Herter(本当はGerhard Härtter、ゲルハルト・へルター)演じるフォン・シューレンベルクとリーン・バン・クリーフは最初から仲が悪いから二項対立にちょっとヒビが入ってはいる。しかしそれより興味深いのは、途中で追われる側のトマス・ミリアンが吐くセリフだ。「人間には2つのグループがあるのさ。一つは逃げるほうで他方はそれを追いかけるんだ」。これはレオーネの『続・夕陽のガンマン』でイーストウッドがイーライ・ウォラックに言う、「人間には2種類のタイプがあってな。一方は銃を持っている、他方は穴を掘るんだ」というのとそっくりだ。もしかしたら目潰しシーンのほかにこのセリフもドナーティの発案かもしれない。

『夕陽のガンマン』
一応組んでいる(はず)のイーストウッドとリー・バン・クリーフ
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それと対立するジャン・マリア・ヴォロンテ
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『続・夕陽のガンマン』
胡散臭さ満載のコンビイーストウッドとイーライ・ウォラック。
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そのコンビよりさらに胡散臭い対立側のリー・バン・クリーフ
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『復讐のガンマン』
最初ウォルター・バーンズとリー・バン・クリーフが組んで
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トマス・ミリアンを追うが最後リー・バン・クリーフはミリアン側につく
Millian

『血斗のジャンゴ』
追う側ウィリアム・ベルガーが
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ジャン・マリア・ヴォロンテと共に追われる側だったトマス・ミリアン(右)に命を助けられる。
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『ウエスタン』
そもそもコンビにさえなっていないチャールズ・ブロンソンとジェイソン・ロバーツの「コンビ」
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ブロンソンの仇ヘンリー・フォンダ
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 話が少し逸れるが、このマカロニウェスタンらしからぬ社会的なプロットの『血斗のジャンゴ』でウィリアム・ベルガーのやった役、「ピンカートン探偵社のチャーリー・シリンゴ」というのは実在の人物である。アメリカではワイアット・アープとかあの辺といっしょのカテゴリーで伝説と化している人物だ。奇しくもシリンゴはベルガーの生まれた年、1928年に死んでいる。
 この人はアープや、日本で言えば坂本竜馬のようにTVや映画に何回も描かれている。なんとウィキペディアにも「映画化されたシリンゴのリスト」という項があって、しっかり『血斗のジャンゴ』が載っていた。もっともベルガーのシリンゴには(a fictionalized) Siringoという注がついていたが。別の場所でも「チャーリー・シリンゴはセルジオ・ソリーマの映画でウィリアム・ベルガーによっても演じられている」という記述を見かけたから、ひょっとしたらこの映画は「チャーリー・シリンゴの映画化」というそのことだけで、結構いつまでも名が残るかもしれない。まさかそれを意図的に狙ったわけでもないだろうが。
 さらに話が逸れるが、例のあまりにも有名な『ウエスタン』のメインテーマ。これを作るのにモリコーネが非常に苦しんだことは最近のインタビューでモリコーネ氏自身が語っているそうだ。氏がいつまでも「何もしてくれない」ので、業を煮やしたレオーネは途中で他の人にも作曲を依頼し、そっちを録音するところまで行ったという。だがやっと出来上がってきたモリコーネの作品を聴いてレオーネは半分決まりかかっていた別のスコアをボツにした。そりゃモリコーネのあの曲と比べられたらどんな曲だってボツになるだろう。

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前に書いた記事の図表を画像に変更しました(レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるようなので)。内容も一部不正確だったので直しました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。


 いつだったかTVでニュースを見ていたら、イタリアの政治家に、名前が -xi で終わっている人がいたのでおやと思った。これはアルバニア語の名前である。-aj で終わっている名前の俳優を一度マカロニウエスタンで見かけたことがあるが、これもアルバニア語だ。どちらも語尾にばかり気をとられて名前そのものは忘れてしまった。メモでもとっておけばよかった。
 『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』の項で述べたようにイタリアは実は多民族国家で、その有力な少数民族の一つが南イタリアのギリシャ人だが、アルバニア人も多い。アルバニア語も少数言語として正式にイタリア政府に承認されている。もっともイタリア人よりも前からイタリア半島に住んでいたギリシャ人と違ってアルバニア人は比較的新しい時代になってから移住してきたのだそうだ。もっとも新しい時代といっても14世紀から15世紀のことだから日本で言えば室町時代、十分古い話ではある。もちろん世界がグローバル化するはるか以前である。
 南イタリアのほかにシチリアにもアルバニア語・アルバニア人地域がある。上述の項で紹介した元マフィアの組員も、自分の家族はギリシャ人、つまりギリシャ語を話すイタリア人だが、近所にはアルバニア人も多くいて両グループ間の抗争が絶えなかったそうだ。地図を見ると確かに両民族の居住地が重なっている。
 アルバニア人はもともとキリスト教徒だった。畢竟ローマ・カトリックのイタリア(当時はイタリアという統一国家はまだなかったが)と精神文化の面で繋がりが強かったらしく、例えばアルバニア語で印刷された最古のテキストは1555年にジョン・ブズク Gjon Buzuku という僧が聖書を訳した188ページのもので、一部破損しているが原本がバチカン図書館に保管されているそうだ。もっともアルバニア語で書かれた、というだけなら1462年の文献が現存しているし、言語についての断片的な記録はさらに古いのがあるから、現存テキスト以前にすでにアルバニア語で書かれた文献自体は存在していたと見られる。しかしそれでも14世紀ごろで、有力な他の印欧語と比べると時代が新しい。
Bozukuによるアルバニア語テキスト。ウィキペディアから。
Buzuku_meshari

 トルコの支配下に入ってからはアルバニアにはイスラム教が広まったが、現在でも人口の20%はギリシャ正教、カトリックも10%ほどいるとのことだ。その10%の中からあの聖女マザー・テレサが出たわけである。
 20世紀になってからもイタリアの皇帝ビットリオ・エマヌエレ3世がアルバニアの皇帝もかねたりしていたから、距離の近いアルバニアからはさらにイタリアへの移住が増えたことだろう。これもいつだったか、ニュースを見ていたら、今日びはイタリアのいわゆる開発の遅れたアプーリア地方の人たちが新天地を求めて逆にアルバニアに渡り、そこで事業を起こしたり工場を建てたりする例が増えているそうだ。人件費が安いからだろう。

 アルバニア語はギリシャ語と同じく一言語で一語派をなしているが、二大方言グループ、ゲグ方言とトスク方言がある。以前にも書いたように(『39.専門家に脱帽』参照)これらの間には音韻的な差があって、トスク方言では r である部分がゲグ方言では n になる。上述の項でも例を挙げたがその他にも「ワイン」という言葉がそれぞれ venë (ゲグ方言)と verë(トスク方言)となっている。さらに元は鼻母音だったâがトスク方言ではシュワーの ë になって、コピュラの âshtë(ゲグ方言)がトスク方言では është。文法にもいろいろ違いがあるそうだ。イタリアのアルバニア語は本来トスク方言に属するが、長く本国を離れていたため独自の発展を遂げた部分も多く、これを第三の方言と見なす人もいる。面白いことに上述のカトリック僧 Buzuku は北アルバニアの出身で訳に使った言語はゲグ方言である。

 また「ギリシャ」という名称がギリシャ本国でなく元来イタリアのギリシャ人を呼ぶものであったのと同様(本国では「ヘラース」、再び『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』参照)、「アルバニア」という名称も実はイタリアやギリシャのアルバニア人のことである。彼らが自分たちをアルバレシュ albëreshë とよんでいたので、イタリアでアドリア海の向こう側の本国まで「アルバニア」と呼び出したのだ。アルバニアではアルバニアのことを「シュキプタール」という。
 アルバニア語はいわゆるバルカン言語連合(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)の中核をなす言語である。早くから言語学者の興味を引いていたようで、1829年にバルカン言語学誕生の発端となった論文を書いたスロベニアの学者コピタルもアルバニア語に言及している。Albanische, walachische und bulgarische Sprache(アルバニア語、ワラキア語、ブルガリア語について)というタイトルの論文だが、すでにバルカン言語連合の中核3言語の相似性を見抜いている。この三言語がシンタクスなどの面で nur eine Sprachform, aber mit dreyerlei Sprachmaterie(言語の形は一つなのに言語素材は三つ)であることを発見したのはコピタル。ついでに言うとこの論文からも判る通り、当時の言語学の論文言語はドイツ語が中心だった。
 そうやって印欧語学者がこの言語をよく知っている、少なくともこれがどういう構造の言語なのかくらいは皆心得ている一方で、アルバニア人やアルバニア文化そのものについての関心は薄く、私も未来系の作り方とか後置定冠詞とかどうでもいいことは授業で教わったがアルバニア人はどういう人たちなのかという肝心なことについては全く無知であった。今でも無知である。この調子だから私はヒューマニストにはなれないのだ(『54.言語学者とヒューマニズム』参照)。
 
 ところが先日、ドイツの大手民放がヴィネトゥ映画3部作(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)をこれも3部作のTV映画としてリメイクした。元の映画でオールド・シャターハンドをやったレックス・バーカーもヴィネトゥのピエール・ブリースもすでになくなっていたし、生きていても年をとりすぎていてあのアクション活動は無理だったろうから、現在のドイツの俳優を持ち出してきた。シャターハンドをやったヴォータン・ヴィルケ・メーリング Wotan Wilke Möhring は顔は確かによく見かけるまあ有名俳優なのだろうが、バーカーに比べると容貌がショボすぎる感じで「こんなのがあのシャターハンド?!」と一瞬思ってしまったが(ごめんなさいね)、ヴィネトゥ役をやった人はブリースとはまた違ったカリスマ性があり、若くハンサムで正直驚いた。私はドイツのTV番組は基本的に公営放送のニュースやドキュメンタリー番組と、民放ではマカロニウエスタンしか見ないので、確かに人気俳優などは余り知らない。しかし知らないと言っても顔はどこかで見たことがあるのが普通だったが、このヴィネトゥ役の俳優は全く顔さえ見たことがなかった。どうしてこんなイイ男に気づかなかったんだろうといぶかっていたら、それもそのはず、アルバニアのニク・ジェリライ Nik Xhelilaj という俳優だった。名前に Xh という綴りが入り aj で終わっているあたり、これ以上望めない程アルバニア語である。ジェリライ氏は本国ではスターだそうだ。
リメイク映画「ヴィネトゥ」から。右がドイツの俳優メーリング
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これも「ヴィネトゥ」から
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普通の格好(?)をしたジェリライ氏 http://diepresse.comから
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ニク・ジェリライという俳優は日本ではあまり知られていないだろうからこの際紹介の意味でもう一つオマケの写真
http://media.gettyimages.com
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 氏は顔がイケメンである上に声も涼しげないい声だったが、さらにしゃべるドイツ語がまた良かった。「うまい」というのではない、逆に本物のタドタドしいドイツ語だったのである。それはこういうことだ:
映画などで「外国人」あるいは「当該言語を完全にはしゃべれない」という人物設定にする際、その「不完全な言葉」というのがいかにもワザとらしくなるのがもっぱらである。どう見ても、どう聞いても本当はペラペラなのに意図的にブロークンにしゃべっていることがミエミエなのだ。一番「それはないだろう」と憤慨するのが文法・言い回しなどには取ってつけたような「外国人風の」間違いがあるのに発音は完璧というパターン。あるいは l と r を混同するなどのステレオタイプな発音のクセを 時おり挿入して外国人に見せるという姑息な手段。その際lとrは間違えても CVCC や CCVC のシラブルの方はなぜかきちんと発音が出来、絶対 CVVCVCV や CVCVVCV などにはならない。本当はしゃべれるのにワザとブロークンにやっていることが一目瞭然だ。
 あるいは逆に俳優に訓練を施す余裕がなかったか、俳優に語学のセンスがなくて制作側がサジを投げたか、俳優が大物過ぎて監督が遠慮しデタラメな発音でもOKを出してしまったかして当該言語としてはとうてい受け入れられないような音声の羅列になるとか。そういう場合でもセリフそのものはネイティブの脚本家が書いたものだから発音はク○なのに言い回しは妙にくだけた話し言葉という、目いや耳を覆いたくなるような結果になる。名前は出さないがジェームス・ボンド役として有名なさる俳優がさる映画でしゃべっていたいわゆる日本語なんかも憤死ものだった。
 いずれにせよ、完全な不完全さ、自然な不完全さをかもし出すのは結構難しいのだ。ところが、このジェリライ氏のドイツ語は本当にブロークン、文法も初心者・耳で聞いて言葉を覚えた者がよくやる語順転換、変化語尾の無視などが現れていかにも自然な不完全さなのである。それでいて耳障りではない。顔のハンサムさや声のよさより私はこっちの方に感心した。もっともこれはジェリライ氏の業績・俳優としての技量もさることながら、スタッフの業績でもあるのかもしれないが。
 とにかく「ヴィネトゥ役にアルバニアのスターを起用」ということが珍しかったせいか、結構メディアでも報道されていた。そういえば以前「ヨーロッパで一番ハンサムが多いのは実はバルカン半島」と主張している女性がいたが、このジェリライ氏を見てなるほどと思ったことであった。

 さてそのアルバニア語は、どこかの言語学者も言っていたように、「語学というより言語学的な興味で始める人が多かろう」。印欧語の古いパラダイムをよく残している非常に魅力ある言語である。例として以下に çoj (take away, send) という動詞の変化パラダイムの一部を挙げるが、アオリストや希求法などがカテゴリーとしてしっかり残っており、これと比べるとドイツ語やロシア語などチョロイの一言に尽きる。たかがロシア語の不規則動詞ごときにヒーヒー言っていたり(私のことだ)、変化形を覚えたと言って鼻の穴を膨らませて自慢しているような輩(これも私のことだ)などは、ジェリライ氏に恥じろ。繰り返すが、これは動詞変化のごく一部、動詞部分が直接変化するパラダイムのそのまた一部である。これにまた接続法一連、完了体など助動詞や不変化詞による動詞パラダイム(アオリスト2もそれ)やそもそも受動体(これにもまた直説法現在形、接続法現在形などのパラダイムがオンパレード)などがガンガン加わってくるから、ここに示したのは動詞の変化形全体の10分の一にも満たない。もちろんこれは最も簡単な動詞で、他に不規則動詞も当然ある。ラテン語や現在のロマンス諸語より強烈なのではなかろうか。
Tabelle1-100
Tabelle2-100
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「意外法」というのは Admirativ のことである。まだ定訳がないようだが、法(Modus)の一種で、当該事象が愕いたり意外に思うようなことだった場合、この動詞形で表す。アルバニア語はバルカン現象のほかにこの Admirativ を動詞変化のパラダイムとして持っていることでも知られているようだ。
 また現在のロマンス諸語では強烈なのは動詞だけで、名詞の方は語形変化がないに等しいくらい簡略だがアルバニア語は名詞の格変化も思い切り保持している。悪い冗談としか思えない。

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 私はリアルタイムで覚えている(とかバラすと年がバレる)のだが昔『子連れ狼』という劇画があった。水鴎流の達人拝一刀の陰惨な復讐劇だが、最終回でその一刀が深手を負ったまま宿敵柳生烈堂と対決し、とうとう力尽きて倒れたあと、三歳の息子大五郎が脇に落ちていた槍をとって烈堂に突進し、腹に一突き入れる。烈堂はそれを避けることなく両手を広げて自分の腹を突かせ、あまっさえそこで大五郎を槍ごと抱きしめて切先をさらに深く自分の体に突き入れるのである。その際烈堂は大五郎に向かって「我が孫よ」というのだが、この意味については二通りの解釈がある。一つ目は「大五郎は実は烈堂の孫だった」というもので、一刀の妻薊が烈堂の娘ということになるが、私は個人的にちょっと無理がありすぎると思っている。そうだとすると烈堂が自分の娘を惨殺させたということになるからだ。もちろん「草」と呼ばれる柳生配下の忍びの者のその後の行動をみれば自分の子を殺すくらいやるだろうとは思うが、一方で烈堂は自分の子供たちはそれなりに皆可愛がっており、臨月の実の娘の斬殺までやるかというと疑問が残る。宿敵拝一刀などの所に嫁いだ罰だというのなら、じゃあなぜそもそも娘をそんなところに嫁にやったのか解せない。念のためこの際原作28巻をすべて読んでみたが、「薊は烈堂の娘」などとは暗示さえする場面もない。この解釈はどうも根拠がないと思う。もう一つの解釈は不倶戴天の敵同士とはいえ一刀と烈堂は腕でも根性でも同等なので、烈堂は一刀を自分の息子と見なし、その子大五郎を孫と呼んだというもの。大雑把にはしょると「敵ながらあっぱれ」という烈堂から死んだ一刀に向けてのメッセージだ。私は自然にこちらの解釈をとった。もっとも技量と精神力は同等かもしれないが、その行動・目的にブレなく心に曇りなく、生き方もストイックな点で人間としては一刀のほうが上だろう。ひょっとしたら烈堂もその点で敗北を感じたから自分の腹に槍を突きさせたのかもしれない。
 その一刀は片手に大五郎を抱いてキメたポーズが有名だが、その際常に左手で子を抱いているのがさすがだ。そういえば野球のピッチャーも子供を抱き上げるときは必ず球を投げないほう、つまり利き腕ではないほうで抱いたそうだが、それと同じだろう。剣を持たないほうの手で子を抱くのである。

拝一刀と言えば何といってもこのポーズ。必ず左手で子供を抱く。
小池一夫・小島剛夕、1972~1976年、『子連れ狼』、第8巻、66ページ、東京:双葉社

8-66

同第13巻、92ページ
13-92

『子連れ狼』の最終回を読んでいる時読者はほとんど全員こういう気持ちでいたに違いない。
同第28巻、151ページ
28-151
 もうひとつ「我が孫よ」で気になるのはそこで使われている不変化詞「よ」である。前に日本語の格は13あると書いたが(『152.Noとしか言えない見本』参照)、実はその時不変化詞「よ」を付加して表される「ブルータスよ」などの形を「呼格」として一つの格と見るべき、つまり「よ」を格助詞とみるべきなのではないかと迷った。最終的には否定の方に傾いたのだが、完全にズバッと却下できたわけではない。この機会にちょっと見直してみたい。
 まず「よ」も他の格助詞も頻繁に省略はされる。されるのだがされた際のニュアンスに大きな違いがある。例えば

山田さん来た!
山田さん来た!

あるいは

もうその本読みましたか?
もうその本読みましたか?

のどちらがそれぞれ「正しいか」と聞けば皆最初の方だと答えるだろう。二番目の文では本来あるべきものが省略されていることを明確に感じるのだ、それに対し

ブルータス、お前もか。
ブルータス、お前もか。

のどちらの文が「正しいか」という質問に最初の文の方が正しいと答える人はあまりいまい。「どちらも正しい」「この二つの文はそもそもニュアンスが違うから正しい正しくないなどとは決められない」などという答えが返ってくると思う。ではどんな「ニュアンスの差」かというとこれも割と簡単で、「よ」は明らかに文語調である。だから「烈堂よ、お主も老いたな」とは言えるが「山田さんよ、あなたも年を取りましたね」とは言えない。また下でも述べるように口語の「おいおいお前よぉ」の「よぉ」とこの疑似呼格「よ」とは別単語であると私は思っている。
 そういえば『子連れ狼』は当時萬屋錦之介主演でTVシリーズ化されたが、その最終回での烈堂のセリフは「おお、我が孫よ」といって感嘆詞がついていた。この感嘆詞はあくまで「おお」であって「おう」ではない。「おお」と「おう」では発音は全く同じだが、ニュアンス的に明確な差があり「おお」の方が格調が高い。だから「おう、我が孫よ」だとおかしいし、逆に「おお、この桜吹雪が見えねえか」は文体的にギクシャクしている。「おう、この桜吹雪が見えねえか」でないと座りが悪い。

 この、名詞につく「よ」は文語的というのが第一の注意点だが、口語文法では時々終助詞の「よ」と間投助詞の「よ」を分けている。「我が孫よ」の「よ」は間投助詞だ。辞書によっては終助詞の「よ」でも間投助詞の「よ」でも「文末の種々の語に付く」と全く同じ説明がしてあってイライラする。終助詞は動詞形容詞の終止形、間投助詞は名詞につくとズバリと言いきっていけないことはないと思うが(中に間投助詞の例として 「君だよ、そこの君。」という文をあげているのがあった。こういうRight Dislocationを持ち出すのは反則だろうし、そもそも「君だよ」の「よ」はコピュラの終止形についているから終助詞ではないのか)、とにかく「よ」ではNPに付くのとCP(またはS)レベルにつくのを区別する。いわゆる体言止めの文でもCPと見なす。たとえば次の文ではそれぞれ二番目の文で動詞に「の」がついて文全体が名詞化されているのでウルサク言えば名詞に接続しているはずだが間投助詞ではなく終助詞とみなす。

昨日東京に行ったよ。
昨日東京に行ったよ。

山田さんは馬鹿だよ。
山田さんは馬鹿なよ。

ここで「山田さんは馬鹿よ」という場合は「馬鹿」の品詞が違う。「馬鹿なのよ」馬鹿はナ形容詞だが、「馬鹿よ」の馬鹿は「馬鹿者」という意味の名詞である。「馬鹿だよ」についてはナ形容詞、名詞の二通りの解釈が可能だ。
 つまり間投助詞は文語時代には普通に使われていたが口語では廃れてしまい、それを使った表現はいわば有標、それに対して終助詞の「よ」は完全に口語体系内に根を下ろしているということになる。それが証拠に終助詞の「よ」を使うと間投助詞の「よ」と逆に格調が下がるのだ。

間投助詞
ブルータス、お前もか。
終助詞
ブルータス、お前もか

だから「ブルータスよ、そなたもか」とは言えるが「ブルータス、そなたもかよ」とは言えない。「ブルータスよ、お前もかよ」は「よ」が二回ついてウザいという以前に二つの「よ」が文体的に相反して互いに排斥しあうのでやはりNGである。
 終助詞の「よ」と間投助詞の「よ」はシンタクスの面でも機能の面でも異なり、しかも相互排除しあうという点で、完全に別単語だ。さらに「ブルータスよぅ、お前もか」の「よぅ」はそもそも助詞ではなく感嘆詞だろう。「よぅ、ブルータス」の「よぅ」が後置されたものだと思う。文の品が急降下するが「ブルータスよぅ、お前もかよ」という文は問題なく成り立つ。感嘆詞の「よぅ」と間投助詞の「よ」が文体レベルで同類項だからだ。ここでは最後の「よ」は助詞だが、「ブルータスよぅ、お前もかよぅ」だと最後の「よぅ」は感嘆詞で、シンタクス構造が違う。とにかく終助詞の「よ」と間投助詞の「よ」、感嘆詞の「よ(ぅ)」は別単語であろう。

 さて上述のように文語では間投助詞の「よ」が普通に(つまり無標表現として)使われていたのなら、では文語には「格としての呼格」があったと見なすべきだろうか。例えばロシア語で oh my god を боже мой というが、この боже という形は「神」бог の呼格形だ。ロシア語では語形変化のパラダイムとしての呼格は失われてしまったが、昔あった呼格の名残がまだそこここに残っているのであるわけだ。現代日本語の「よ」もそんな感じなのだろうか。だがこればかりはネイティブを捕まえてその言語感覚にたよるほかはない。つぎの文のどちらが「正しい」と感ずるか、昔の人に聞いてみるしかないのである。

少納言。直衣着たりつらんは、いづら。
少納言、直衣着たりつらんは、いづら。

そこで相手が最初の文が本来正しいと答えたら呼格の存在が濃厚、単なるニュアンスの差と答えたら「よ」は単なる間投助詞ということになろうが、何といっても文語のネイティブはとっくに死に絶えているから調査のしようがない。私はどうも昔の人も今と同様「ニュアンスの差」と答えるような気がするのだが、それはあくまで私の勝手なフィーリングである。
  そのようなわけで私は口語でも文語でも、つまり日本語には呼格という格はない、という見解に傾いてはいるのだが、一つ引っかかる点がある、文語には「よ」という正真正銘の格助詞が存在したということだ。現在の「より」と同じく奪格を表していたが、上代では具格も引き受けていた。今でいう「で」である。

浅小竹原腰なづむ空は行かず足行くな

奪格や具格と呼格では機能が違いすぎるし、いくら形が同じだからと言って間投助詞の「よ」と格助詞の「よ」を同単語あるいは同起源と見るのは乱暴すぎるだろう。第一呼格が吸収される場合は(少なくとも印欧語に限っては)例外なく主格が呼格を飲み込む。対格や奪格、具格などの斜格が呼格を吸収した例はない。斜格が呼格の機能を担うようになるなど前代未聞である。しかし奪格・具格の「よ」とは完全に別単語ならそれでもいいから、間投助詞の「よ」のほうもほうとしてひょっとして太古の昔は何らかの格意識を担っていたりはしなかったのかな、という想いが心の隅の隅でまだしつこく燻っている。もっともそれを言い出すと格とは何ぞや、日本語にそもそも格はあるのかという大問題に発展しそうで私の手に負えなくなるだろうから、あまりこれ以上つつかずにそのまま燻っていて貰うほうが無難だが。

 「我が孫よ」の考察が一段落したところで本題の『子連れ狼』に戻るが、この作品が漫画アクションに連載されていたのは1970年から1976年まで。日本映画界が崩壊し、黒澤明が自殺未遂にまで追い込まれ、そこからまた立ち直って『デルス・ウザーラ』を撮った時期と重なる。
 黒澤監督は漫画を嫌い「手塚治虫以外の漫画は子供には読ますな。特に少女漫画はいけない」と言っていたそうだ(当時の分類に従えば『子連れ狼』は「漫画」ではなく「劇画」だが)。またテレビへの対抗処置として手っ取り早く観客をおびき寄せるため「性と暴力」路線に墜ちてかえって崩壊の速度を高めた当時の映画界とは「断固戦う」とまで言明していたくらいだから、監督が『子連れ狼』の原作を読んでいたということはないだろう。いわんや監督がこの作品の「ファン」だったなどとは絶対あり得ないと思っている。一方また監督も家でTVそのものは結構見ていたようだし、晩年はジブリのアニメなども好きだったらしいので、萬屋の『子連れ狼』のほうは見ていたかも、少なくともこの作品は知っていたかもしれない。
 なぜ私がここまで黒澤明が『子連れ狼』を見た見ないにこだわるかと言うと、実は私は『乱』の一文字秀虎を見てつい柳生烈堂を思い出してしまったからである。そりゃあ妄想がひどすぎると言われればまあそうかもしれないが、逆方向、黒澤から『子連れ狼』への影響のほうははっきりしている。例えば第11巻の十三弦というエピソードでは困窮して当然標準価格の一殺五百両など出せない百姓の頼みを一膳の飯で引き受ける。『七人の侍』そのものだ。この一刀というキャラは生きざまと言い、死にざまと言い、冷酷なようで実は非常に慈悲深い人格と言い、そもそも拝一刀などという名前と言い、文句のつけようがないまさに理想の侍ではないだろうか。『七人の侍』の久蔵をベースに『隠し砦の三悪人』の真壁六郎太を小さじ一杯ほど加え凄みを効かせたような感じ。ただ黒澤はその理想の侍を「刺客」という設定にすることは絶対あるまい。黒澤のヤクザ嫌い、無法者嫌いは有名だ。
 もうひとつ黒澤映画の侍たちと違うのはその死に方だろう。黒澤は理想の侍を銃で死なせた。監督自身「野武士との斬りあいなどで殺させたくはなかった。道端で惨めた死にざまを晒させたくなかった。バーンと撃たれて死んだ方が潔い」と言っていたそうだ。潔く花と散る散華の死に方をさせたかったと。子連れ狼・拝一刀の死に場所はさすがに「道端」などではなかったが延々と続く斬り合いで血を流し、いわばボロボロになりながらも最後まで倒れずに立ったまま死ぬ。確かに凄惨すぎて「花と散る」というイメージではない。一方これはあくまで私の個人的な考えだが、せっかく剣で鍛えたのに結局は飛び道具でイチコロという展開より侍は侍らしく剣で死ぬ方がむしろ散華と言えるのではないだろうか。自分が斬り殺されるわけではないから無責任なことを言って恐縮だが。
 とにかく『子連れ狼』を読んでいると他にも黒澤の時代劇のあの場面・この場面がチラチラする。例えば第3巻16話では千秋実と稲葉義男(『七人の侍』)と藤田進(『隠し砦の三悪人』)を合計して3で割ったような感じの侍が一刀に「刺客なんかを止めろ」と説く。もっともこれらは小池一夫(原作)あるいは小島剛夕(画)が意識的に借用したというより(上述の一膳の飯の場面だけは意識的だろうが)、時代劇を作ろうと思ったら黒澤映画を避けて通ることはできなかったといったほうがいいだろう。何をどう描写しようが黒澤時代劇の中に似たようなキャラが見つかってしまうのである。そういえば『子連れ狼』の連載が始まる前年、1969年には『七人の侍』などの黒澤作品が初めてTV放映もされているから劇場公開で見逃してこの時初めて見たという人も多かったに違いない。
 またこれは徹底的にどうでもいい話だが、小島剛夕は黒澤がただ一人「読むに足る漫画家」と認めた手塚治虫と誕生日が全く同じなんだそうだ。

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