アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ:語学 > クロアチア語・セルビア語

 前にも書いたように大学では第二副専攻が南スラブ語学、具体的にはクロアチア語だった。それを言うと友人はたいてい「何だよそりゃ?」といぶかるが、人に言われるまでもなく、自分で専攻しておきながら自分でも「何だよこりゃ?」と思いながらやっていた。実は別にクロアチア語が特にやりたかったから第二副専攻にしたのではないのだ。

 人には大抵「専攻はロシア語です」、と言っているが、正確には私の専攻は「東スラブ語学」である。つまり本来ならば「ロシア語、ベラルーシ語(昔でいうところの白ロシア語)、ウクライナ語ができるが、その中でも主としてやったのがロシア語」ということだ。主としてやったも何も私はロシア語しかできない(そのロシア語も実をいうとあまりできない)。が、その際こちらでは規則があって、東スラブ語学を専攻する者は、その「主にやった」東スラブ語派の言語(例えばロシア語)のほかにもう一つスラブ語派の言語、それも東スラブ語以外、つまり西スラブ語派か南スラブ語派の言語の単位が必要だった。これを「必修第二スラブ語」と言った。

 気の利いた学生はドイツで利用価値の高い西スラブ語派の言語(ポーランド語、チェコ語、スロバキア語、上ソルブ語、下ソルブ語のどれか)をやったし、ロシア語のネイティブならば南スラブ語派でもブルガリア語を勉強したがる人が多かった。ブルガリア語は中世ロシアの書き言葉だった古教会スラブ語の直系の子孫だからロシア人には入っていきやすいからだろう。私のいたM大学には南スラブ語派のクロアチア語しか開講されていなかったのだが、当時隣のH大で単位をとればM大でも第二スラブ語の単位として認められたから、大学の規模も大きく選択肢の広いH大にポーランド語やブルガリア語をやりにでかけて行く学生が結構いた。が、私は残念ながら当時子供がまだ小さかったので、家を長い間空けられず外部の大学に出て行けなかったためと、まあ要するにメンド臭かったのでそのままM大でクロアチア語をやったのだ。
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古教会スラブ語のテキスト。古教会スラブ語は「古ブルガリア語」と呼ばれることもある。ロシア語を大学で専攻する者は(日本でも)必ずこれをやらされる(はずだ)。 

 そこで考えた。どうせ選択肢がクロアチア語しかないとすれば必修第二スラブ語の単位取りのためだけにやるのももったいない、この際皿まで毒を食ってやれ、と。それでクロアチア語を単なる第二スラブ語としてではなく「第二副専攻」として、もうちょっと先まで深く(でもないが)勉強することにしたのだ。
 ちなみにクロアチア語、つまり南スラブ語学を主専攻や副専攻としてやる者はこちらはこちらでまた「必修第二スラブ語」、つまり今度は南スラブ語派以外のスラブ語族の一言語の単位が必要になるわけだが、ここでは東スラブ語派のロシア語を取る者が大多数、というかほぼ全員だった。私は主専攻としてすでにロシア語をやっていたからこれが「クロアチア語専攻者にとっての第二スラブ語」の機能も兼ねていて一石二鳥ではあった。
 念のため繰り返すと「副専攻南スラブ語学」というのも本来「主要言語がクロアチア語」という意味、つまり「ブルガリア語、マケドニア語、クロアチア語、セルビア語、ボスニア語、スロベニア語ができるがその中でも主としてやったのはクロアチア語」ということだ。際限がない。これがまた下手にロシア語と似ているからもう大変だった。

 例えばロシア語のтрудный(トゥルードヌィ)は「難しい」という意味だが、これと語源が同じのクロアチア語trudan(トゥルダン)は「疲れている」だ。一度「クロアチア語は難しい」と言おうとして「クロアチア語は疲れている」と言ってしまったことがある。
 でも「言葉」という言葉はクロアチア語でもロシア語でも男性名詞だからまだよかった。この形容詞trudanが女性名詞にかかって女性形trudna(トゥルドナ)になると「妊娠している」という意味になってしまう。ドイツ語などでは「言葉」という言葉(Sprache)は女性名詞だからドイツ語でだったらクロアチア語という言葉は妊娠できるのだ。
 ついでだが、クロアチア語で「難しい」はtežak(テジャク)である。

 また、ロシア語でживот(ジヴォート)と言ったら第一に「腹」の意味だが、これに対応するクロアチア語のživot(ジヴォト)は「人生・命」。ロシア語でもживотに「命」の意味がないことはないのだが、すでに古語化していて、「人生・命」は現代ロシア語では大抵жизнь(ジーズニ)で表現する。で、私は一度「人生への深刻な打撃」と書いてあるクロアチア語のテキストを「腹に一発強烈なパンチ」と訳してしまい、高尚なクロアチア文学に対する不敬罪で銃殺されそうになったことがある(嘘)。

 もっとも西スラブ語派の言語、例えばポーランド語も油断が出来ない。ポーランド語では「町」をmiasto(ミャスト)というがこれは一目瞭然ロシア語のместо(ミェスタ)、クロアチア語のmjesto(ミェスト)と同源。しかしこれらместоあるいはmjestoは「場所」という意味だ。そしてむしろこちらの方がスラブ語本来の意義なのである。「町」を意味するスラブ語本来の言葉がまだポーランド語に残ってはいるが、そのgród(グルート)という言葉は古語化しているそうだ。ところがロシア語やクロアチア語ではこれと語源を同じくする語がまだ現役で、それぞれгород(ゴーラト)、grad(グラート)と「町」の意味で使われている。
 しかもややこしいことに「場所」を表すスラブ本来の言葉のほうもポーランド語にはちゃんと存在し、「場所」はmiejsce(ミェイスツェ)。これもロシア語のместо、クロアチア語のmjestoと同源で、つまりポーランド語の中では語源が同じ一つの言葉がmiasto、miejsceと二つの違った単語に分れてダブっているわけだ。

 私は最初「町」と「場所」がひとつの単語で表されているのが意外で、これは西スラブ民族の特色なのかと思っていたのだが、調べてみると、「町」のmiastoはどうも中世にポーランド語がチェコ語から取り入れたらしい。なるほど道理で「場所」を表す本来のスラブ語起源のポーランド語miejsceと「町」のmiastoは形がズレているはずだ。が、そのチェコ語の「町」(město、ミェスト)ももともとは中高ドイツ語のstattを直訳(いわゆる借用翻訳)したのが始まりとのことだ。これは現在のドイツ語のStadt(シュタット、「都市」)の古形だが、中高ドイツ語では(つまり12世紀ごろか)「場所」とか「位置」とかいう意味だったそうだ。動詞stehen(シュテーエン、「立つ」)の語幹もこれ。中世には都市とは城壁で囲まれているものであったのが、しだいに城壁がなく、その代わり中央に教会だろなんだろ中心となるものが「立っている場所」が都市となっていった。言葉もそれにつれて意味変遷し、「場所」から「都市」に意味変換が起こりつつあった頃、チェコ語がそれを正直に写し取った。そこからさらにポーランド語が受け取り、調べてみると東スラブ語派のウクライナ語もそのまたポーランド語から借用したらしく、「町」は」місто(ミスト)である。そして「場所」はМісце(ミスツェ)だから、ここでも語彙が二重構造になっているわけだ。

 灯台下暗し、「町」あるいは「都市」と「場所」をいっしょにしていたのはドイツ語のほうだったのである。


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 「日本」および「中国」はドイツ語でそれぞれ普通Japan(ヤーパン)、China(ヒーナ)だが、ときどきLand der aufgehenden Sonne(ラント・デア・アウフゲーエンデン・ゾネ)、Reich der Mitte(ライヒ・デア・ミッテ)と名前を翻訳して呼ばれることがある。これらはそれぞれ「昇る太陽の国」「中央の帝国」という意味だから「日本」「中国」の直訳だ。この直訳形が使われると単にJapanあるいはChinaと呼ぶよりもちょっと文学的というか高級なニュアンスになる。

 日本と中国以外にもときどき使われる直訳形地名はいろいろあるが、その1つがAmselfeld(アムゼルフェルト)。「ツグミヶ原」という意味なのだが、この美しい名はなんと旧セルビアの自治州、現在は独立国となったコソボのことだ。
 ここは一般にはコソボ (Kosovo)と呼ばれるが、実はこれはいわば略称で本当はKosovo Polje(コソヴォ・ポーリェ)という。セルビア語である。Poljeはロシア語のполе(ポーリェ)と同じく「野原」という意味の中性名詞、kosovoが「ツグミの」という所有を表わす形容詞で、「ツグミの野原」、つまり「ツグミヶ原」。この所有形容詞kosovoは、次のようなメカニズムで作られる。

1.まず、kosovoはkos-ov-oという3つの形態素に分解できる。

2.セルビア語で「ツグミ」はkos(コース)、そして-ovが所有形容詞を形成する形態素。セルビア語では、子音で終わる名詞(ここではkos)から派生して所有形容詞を作る場合は名詞語尾に-ovをつける。日本語の「○○の」に対応する機能だ。 ロシア語も同じでIvanov, Kasparovなどの姓の後ろにくっついているovもそれ。 Ivanovは本来「イワンの」という意味である。

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これが問題(?)の鳥kos。日本語名はクロウタドリというそうだ。ヨーロッパでは雀と同じくらいありふれた鳥である。

3.最後の-oは形容詞の変化語尾で、中性単数形。かかる名詞のpoljeが中性名詞だからそれに呼応しているわけだ。だから、もし名詞が男性名詞か女性名詞だったらkosovoではなくなる。たとえばgrad(グラート、「町」)は男性名詞、reka(レーカ、「川」)は女性名詞だから、これにつく「ツグミの」はそれぞれ以下のようになる。

kosov grad    ツグミの町
kosova reka    ツグミの川

4.ところが、もし所有形容詞を派生させるもとの名詞がkosのように子音でなく母音のaで終わるタイプだったらどうなるか。所有形容詞は-ovでなく-inをつけて作られるのだ (その場合、母音aは切り捨てられる)。だから、たとえばkosa(コサ)「髪」の所有形容詞「髪の」はkosa-ovではなくkos-in。どうも妙な例文ばかりで面目ないが、理屈としては、

kosino polje    髪ヶ原
kosin grad     髪の町
kosina reka    髪の川

という形がなりたつ。

5.ロシア語の姓のNikitinなどの-inもこれ。この姓はNikitaから来ているわけだ。

 このツグミヶ原は有名なセルビアの王ステファン・ドゥーシャン統治下はじめ、中世セルビア王国を通じて同国領だったから名前もセルビア語のものがついているわけだ。1389年いわゆる「コソヴォの戦い」でオスマン・トルコ軍に破れ、1459年セルビア全土がオスマン・トルコの支配下になってからも、この地はセルビア人にとって文化の中心地、心のふるさとであり続けた。後からやって来たアルバニア人もセルビア語の名前をそのまま受け継いでここをkosovaと呼んでいる。アルバニア語なら「ツグミ」はmëllenjë(ムレーニュ)あるいはmulizezë(ムリゼーズ)だ。

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ステファン・ドゥーシャン統治下の中世セルビア王国。ペロポネソス半島まで領地が広がっているのがわかる。

 名前の直訳形がちょっと高級な雰囲気になるのとは反対に、外国語の名称を頭でちょん切るとドイツ語では蔑称になる。英語でもJapanあるいはJapneseの頭だけを取ってJapというと軽蔑の意がこもるのと同じだ。
 
 実は前からとても気になっていたのだが、日本人が旧ユーゴスラビアを指して平気で使う「ユーゴ」(JugoあるいはYugo)という言い方は本来蔑称だ。Japと同様、家の中やごく内輪の会話で実はこっそり使っていたとしても一歩外に出たら普通口にしない。事実、私はなんだかんだで10年くらい(旧ユーゴスラビアの言語も学ぶ)スラブ語学部にいたが、その間「ユーゴ」という言葉が使われたことはたった一度しかない。その一回というのも、離婚経験のあるクロアチア人の女性がクロアチア人の前夫の話をする際に「所詮あいつはユーゴよ、ユーゴ。たまらない男だったわ」とコキ下ろして使っていたものだ。つまり「ユーゴ」という言葉はそういうニュアンスがあるのだ。
 もちろん日本語の枠内では「ユーゴ」という言葉にまったく軽蔑的なニュアンスなどないから、やめろいうつもりはない。そもそもユーゴスラビアという国自体がなくなってしまったから、いまさらどうしようもないし。ただ、ドイツで旧ユーゴスラビアの話をする際つい日本語の癖を出して「ユーゴ」などと口走らないように気をつけたほうがいいとは思う。「ユーゴスラビア」と略さずに言ったってさほど手間に違いがあるわけでもないのだから。確かにドイツ語のJu.go.sla.vi.en(ユー・ゴ・スラ・ヴィ・エン)をJugoと呼ぶことによって3シラブル節約できるが、相手を侮辱してまで切り詰める価値もあるまい。


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 1961年にノーベル文学賞を受けたユーゴスラビア(当時)の作家I・アンドリッチの代表作に『ドリナ川の橋』という長編小説があるが、この原題はセルビア・クロアチア語(それともボスニア語というべきか)でNa Drini ćuprija(ナ・ドリーニ・チュープリヤ)という。Drinaというのは川の名前、naは前置詞で英語のon。Ćuprijaは「橋」の単数主格。分析すれば以下のようになる。

Na Drini ćuprija
~の上+ Drina(処格)+ 橋(単数・主格)
→ ドリナ川の上(にかかる)橋

私はこのタイトルを見たとき衝撃を受けた。何が衝撃かというとこの語順だ。前置詞句が名詞の前に来ている!例えば英語でThe over Rio Grande bridgeとか言えるだろうか?The bridge over Rio Grandeしかありえないのではないか。

 英語と比べると、ドイツ語やロシア語では動詞の分詞が入った場合、前置詞句が名詞の前に立つことはできる。例えば、

Die über Rio Grande hängende Brücke
the + over + R.G + hanging + bridge
→ リオグランデの上にかかる橋

Die dafür nicht geeignete Waffe
the + for it + not + suitable + weapon
→ それには適さない武器

летящая над нашим домом утка
flying + over + our + house + duck
→ 私たちの家の上を飛ぶアヒ

さらにその際ロシア語はドイツ語と違って前置詞句が分詞の後に来られるが、とにかく分詞、つまり動詞のない構造で前置詞句が名詞の前に来る例はドイツ語でもロシア語でも見たことがない。それとも皆実は裏でこっそりそういう構造を作っているのか?まさか。

 ボスニア語ではこの語順が普通に許されるのだろうか。それともこれは何か特殊な文学的表現なのか。あまり不思議だったのでこの語順で問題はないのか隣に坐っていたネイティブに聞いてみたらあっさり「これのどこが不思議なのよ?普通じゃん」と返された。興奮しているのは私だけだ。
 そういえば、あそこら辺の言語の中ではトルコ語がこういう語順を許す。というよりこういう語順しかありえない。もちろんトルコ語では前置詞でなく後置詞を使うので、前置詞句内の「前置詞」が名詞の後ろに来て「後置詞」となっている点がボスニア語Na Drini ćuprijaと違うが。

iş yüzünden bulunmazlik
仕事 + ~による・~の理由での + 欠席
→ 仕事上の理由による欠席

kullanma yoluyla aşinma
使用 + ~による + 消耗
→ 使用による消耗

 英語やドイツ語・ロシア語では後続の名詞を支配する前置詞(そもそもそれだから「前置詞」という名前なのだ)がトルコ語では先行する名詞にくっ付いて意味を成していることがわかるだろう。
 ボスニアがかつてトルコに何百年も支配されていた地域であることを鑑みると、私としては「この語順は全くトルコ語とは関係ない」とは考えにくいのだが。そもそもćuprijaという単語自体トルコ語からの借用で、事実上ボスニア語と同言語といっていいクロアチア語やセルビア語では「橋」はスラブ語本来の語most(モスト)である。

 最近はセルビア語、クロアチア語、さらにボスニア語は分けて考えるが、以前はこれらの言語をセルボ・クロアチア語と一括して一言語扱いしていた。構造的にも非常に近いので、ボスニア語で書かれたテキストでも「クロアチア語」の辞書を引けば読める。というより言語的に近すぎてこれはボスニア語なのかセルビア語なのか聞かれるとどちらかに決められなくて答えに困る。なので「セルビア・クロアチア語」または「セルビア語あるいはクロアチア語」と苦しい名称が使われることも多い。私の持っている教科書はまだ「セルボ・クロアチア語」という名称が許されているころの発行だが、その巻末にリーダー練習用としてこの作品の冒頭部が載っていた。

Većim delom svoga toka reka Drina protiče kroz tesne gudure između strmih planina ili kroz duboke kanjone okomito odsečenih obala. Samo na nekoliko mesta rečnog toka njene se obale proširuju u otvorene doline i stvaraju, bilo na jednoj bilo na obe strane reke, župne, delimično ravne, delimično talasaste predele, podesne za obrađivanje i naselja. Takvo jedno proširenje nastaje i ovde, kod Višegrada, na mestu gde Drina izbija u naglom zavoju iz dubokog i uskog tesnaca koji stvaraju Butkove Stijene i Uzavničke planine.

これはセルビア語・クロアチア語の「e方言」という方言で書かれているが、クロアチア語の辞書に載っている標準形は「ije方言形」という別の形なので、そのままe方言形では出ていない。頭の中でije方言形に変換してから辞書にあたらないといけないので注意を要する。
 例えば上の例の二語目のdelom(デーロム)はロシア語から類推して見て取れるように造格形だが、del-というのは「e形」だから、標準「ije形」に直す。つまりdelomは辞書ではdijelom(ディイェロム)になる。ところが、ここでさらに活用・曲用パラダイムでlとoが交代するので実際に辞書に載っている主格形はdio(ディオ、「部分・一部」)。同じことが一行目にある形容詞tesne(テスネ)にも言える。この形容詞の男性単数の基本形はtesan(テサン)だが、これをさらに「ije形」に直してtijesan(ティイェサン、「狭い」)で辞書を引かないといけない。Delimično(デリミチノ)もまずdjelimično(ディイェリミチノ)に直すが、これは中性単数形だから、さらに男性形に直し、djelimičan(ディイェリミチャン、「部分的の、一部の」)で引く、という具合だ。
 と、いうわけで慣れるまでちょっとまごつくのだが、そこをなんとか切りぬけて家にあった独・ク辞典を引き引き上の文章を訳してみると次のようになる。

「その流れの大部分を、ドリナ川は険しい山々の間の狭い峡谷か、両岸が垂直に切り立った深い谷を通っている。ただ何ヶ所か、川の流れているところで岸が広くなっていて、あるいは川の片側にあるいは両側に、肥沃な、平坦だったり起伏があったりするがとにかく農作や居住にうってつけな地形を造っている。そういった拓けた土地の一つがここヴィシェグラートのあたりにも広がっているのだが、ここはドリナ川が急カーブを描いて、ブトコフ岩とウザヴニチク山が形作っている深くて狭い谷間から突然その姿を見せる場所だ。」

 実は一語だけ辞書をいくつか引いても意味のわからない言葉があったので、ドイツ語の翻訳を盗み見してしまった。župne(ジュプネ)という単語なのだが、ここの文脈で見ればžupneという単語は後のpredele(「景色」「土地」)という男性名詞・複数・対格形(単数主格はpredioまたはpredjel)にかかる形容詞で、その単数・男性形、つまり辞書形はžupan(ジュパン)でしかありえない。ところが辞書を見るとžupanは名詞、しかも「馬車を引く2頭以上の馬」とか「地方議会」とか辞書によってバラバラの意味が書いてあって引く前よりさらに意味がわからなくなった。困っていたらドイツ語翻訳ではこれを「肥沃な」という形容詞として訳していたのでこれをいただいた。邦訳も出ているが、ドイツ語からの重訳だそうだ。

 教科書に乗っていたのは一ページ足らずであったが、私はすでにこのタイトルで引っかかり、さらに冒頭のžupneがわからなくて一ページどころか数行で諦めてしまった。ずっと経ってから、ドイツ語の翻訳を読もうとしたのだが、さすがにクロアチア語原語よりは進んだはいいが、橋の建設をサボタージュした労働者が串刺しの刑にされる場面があり、さすがノーベル賞級の文章力だけあって、その彼が苦しみながら死んで行く様子を強制的に見させられた町の住民の重苦しい空気の描写があまりにも見事なので、気が沈んで先を読み進むことができなくなった。下手に筆の力があるのも考え物だ。私の読んだのは翻訳だったからまだいいが、この陰惨さを原語で味わってしまった人は大丈夫だったのだろうか。


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 『007・ロシアより愛をこめて』という映画がある。映画のデータベースサイトIMDBには映画での使用言語も細かく記載されているが、それによればこの映画では、英語、ロシア語、トルコ語、ロマニ語が使われているそうだ。ロマニ語というのはヨーロッパの有力な少数民族ロマ(いわゆるジプシー)の言語である。確かにジプシーという設定の人たちが出て来る。
 が、ちょっと待ってほしい。そのロマの一人の男性が主役のS.コネリーに向かって

Hvala lepa!  (フヴァーラ・レーパ)

と言う場面があるのを見落とすとでも思っているのか?始まってから45分くらいのところだ。これはセルビア語またはクロアチア語e方言で、「どうもありがとう」。ロマニ語ではない。
 標準クロアチア語だと『15.衝撃のタイトル』の項で書いた通りeがijeになるから

Hvala lijepa  (フヴァーラ・リイェーパ)
thank + pretty/great

となって、文字通りにはpretty/great thank、つまり「ありがとう」の強調だ。lepaあるいはlijepaは形容詞lijepあるいはlep(「美しい」)の女性単数形でHvala(「感謝」)にかかる、つまり形容詞が後置されているのだ。これを最上級でいうこともできて、

Najljepša hvala! (ナイリェプシャ・フヴァーラ) または
Najlepša hvala! (ナイレプシャ・フヴァーラ)
prettiest/greatest + thank

で「本当にどうもありがとう」、ドイツ語ならHvala lijepa!はschönen Dank!、Najljepša hvala!はschönsten Dank!とでも訳したらいいのか。

 この「ありがとう」をロマの男性が、戦闘中に撃たれかかっていたところを援護射撃してくれたジェームス・ボンドに対して言うのだが、そのあと状況が落ち着いた際、男性は改めてまたHvala lepaを繰り返して言う。私が聞き取ったのは

Hvala lepa, što ste mi podarili moj život.
thanks + pretty/great, + that + (you) have + (to) me + presented + my + life.
→ 私に命を授けてくれて(私の命を救ってくれて)本当にありがとう

Vi ste sada moj sin.
You + are + now + my + son
→ あなたは今から私の息子だ。


という会話だが、これも混じりけなしのセルビア語だ。ロマニ語ではない。

 ちなみにこのšto ste mi podarili moj životという言い方にちょっとひっかかった人もいるだろう。そう、このšto(シュト)はロシア語のчто(シュト)と対応する語で、英語のthat、ドイツ語のdassだが、普通外国人がクロアチア語・セルビア語のthatとして教わるのはdaという接続詞である。で、上の文は私などだったら

Hvala lepa, da ste mi podarili moj život.

と書くところだ。念のため辞書を引いてみたらやっぱりštoよりdaのほうが普通のようだが、

oprostite što smetam!
excuse + that + (I) disturb
→ お邪魔してすみません(ちょっとお尋ねしますが)


という言い方もできるそうなので、この二つは機能的に重なる部分があるということだろう。セルビア語はクロアチア語より東の言語だから、ロシア語などの東スラブ語とつながっている部分があるのかもしれない

 映画のこのシーンは場所設定がセルビアだったのでセルビア語が出てくるのは当たり前といえば当たり前だが、この男性はロマである。ロマニ語を話すのではないのか?それとも英語のオリジナルではここが本当にロマニ語になっているのか。私の見たのはドイツ語吹き替えバージョンだった。でも英語をドイツ語に吹き替えたバージョンなら、そこにロマニ語が出てきたら普通それもドイツ語に吹き替えるか、そのままロマニ語にしておくのではなかろうか。英語版ではロマニ語だった部分をドイツ語バージョンでわざわざセルビア語にする、というのはどうも考えにくいから、やっぱりこの部分は英語バージョンでもセルビア語だったのだと思う。ご存知の人がいたら英語バージョンのほうはどうなっているのか教えていただけると嬉しい。
 ロマニ語ネイティブスピーカーは全員住んでいる国の言葉とのバイリンガルだから、件の男性も実際にここで言語転換、いわゆるコードスイッチしたのかもしれない。セルビア語を話す、ということはこの男性はカルデラシュというロマのグループだったのだろうか。
 
 実は私の家の近所にも以前、ロマの人が結構たくさん住んでいたのだが、こちらには全てドイツ語で話しかけてきた。ただ、お互いの間では全く別の言語でしゃべっていたのを覚えている。多分彼らはシンティ(ドイツ、オーストリア、北イタリアなどにいるロマの一グループ)だったのだと思うが、一度少し離れた公園で別のグループのロマの人たちを見かけたことがあり、聞いてみたら、ルーマニアから来たと言っていた。つまりこの人たちはシンティではなくてヴラフ・ロマ(Vlach-Roma)と呼ばれるグループかあるいはバルカン・ロマだったのか。こちらも意思の疎通はドイツ語で全く支障がなかった。皆いつの間にか見かけなくなってしまったので少し寂しい。あの人たちは今どこにいるのだろう。 
 このロマニ語は1800年代の後半にスロベニア人の言語学者(国籍は当時のオーストリア)ミクロシッチが広汎な研究をしているが、それ以前にも単語の記述などはされていたし、ロマニ語がインド・イラニアン起源らしいということは18世紀からすでに言語学者の間で言われていたそうだ。現在も研究者は多い。ロマニ語はインド・イラン語派の古い形を保持している一方、あちこちでいろいろな言語に接触しているから、クラシックな印欧語学にも、言語接触、二言語併用など今をときめく分野にも資料を提供できる。社会言語学・応用言語学の対象としても申し分がない。いわば「これ一つやれば歴史言語学から応用言語学まで、言語学がすべてわかります」的な貴重な言語だと思う。ドイツ語なんかより(あら失礼)ロマニ語のほうがよっぽど魅力的な言語だと思うのだが。

 ところで、ドイツ語で「やりたくない、する気が起こらない」という意味の、

Ich habe keinen Bock darauf.
I + have + no + „Bock“ + on it

という表現がある。このBockという単語が曲者で、辞書には「雄のヤギ」という意味しか載っていない。私の持っている和独辞典にもその「雄のヤギ」の項目に「慣用句」としてこのIch habe einen Bock darauf(○○をする気がある)と出ている。ところがこの語は本来雄ヤギのBockとは全く関係がない別単語で、ロマニ語のbokh(khは帯気音のk)という言葉からドイツ語に借用されたもの、という説がある。このロマニ語は「食欲」とか「~したい気持ち」という意味だそうだから、完全につじつまが取れているのだ。ただ、意味は合っているがこのkeinen Bock darauf という言い回しが広まり始めたのは1970年ごろだそうで、なぜそのころになって急にロマニ語が借用されたのか、という点に問題が残る。もしロマニ語起源ならもっと前から借用例がみつかりそうなものだからだ。意味は合っているが時期が合わないのでBock=bokh説はまだ全体には受け入れられていない。
 
 ちなみに現在ヨーロッパではマケドニア、コソボ、ドイツ、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、スロベニア、ハンガリー、ルーマニアなどがロマニ語を正式に「少数言語」として承認しており、欧州会議の議員にも時々ロマ出身者がいる。ただ、ロマに対する偏見・差別は悲しいことにまだなくなっていない。
 旧ソ連も1920年代に一時、非常にリベラルな言語政策をとっていたことがあって、ロマニ語を正規に認め、ロマニ語による学校授業、出版などが許されていたそうだ。プーシキンのロマニ語訳なども出版されていたという。欧州議会が正式にロマニ語を保護しだしたのは1990年代だからそれに70年も先んじている。旧ユーゴスラビアでもそんな感じの言語政策だったらしい。残念なことにソ連ではその後ロマニ語保護政策が撤回されてしまったとのことだが。

 『ロシアより愛を込めて』で、ソ連のスパイとの丁々発止がユーゴスラビアで展開され、そこにセルビア語を話すロマが登場する、というストーリーは意味深長だと思った。おかげでセルビア語のシーン以外はほとんど何も覚えていない。ごめんなさい。


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注意:この記事はGoogle Chromeで見るとレイアウトが崩れてしまいます。私は回し者ではありませんが、できればMozilla Firefoxをお使いください

 クロアチア語は発音でえらく苦労した。

 例えばクロアチア語には /i/ という前舌狭母音、つまりロシア語でいう и しかないのに n という子音そのものには口蓋音・非口蓋音(硬音・軟音)の区別があるのだ。クロアチア語ではそれぞれ n、nj と書いてそれぞれロシア語の н と нь に対応するのだが、その後に /i/ が来たときの区別、つまり ni と nji の発音の区別が結局最後までできなかった。日本語ではどちらも「ニ」としか書きようがないのだが、ni をロシア語式に ни (ニ)と言うと「それでは nji に聞こえます」と怒られ、それではとны (ヌィ)と言うと「なんで母音のiをそんな変な風に発音するんですか?」と拒否される。「先生、ni と nji の区別が出来ません」と泣きつくと、「仕方がありませんねえ、では私がゆっくり発音してあげますからよく聞いてください」と親切に何度も両音を交互に発音してくれるのだが、私には全く同じに聞こえる。 
 さらにクロアチア語にはロシア語でいう ч に硬音と軟音の区別がある、つまり ч と чь を弁別的に区別する。これも日本語ではどちらも「チ」としか言いようがない。ロシア語では ч は口蓋音、いわゆる軟音しかないからまあ「チ」と言っていればなんとなく済むのだが、クロアチア語だと「チ」が二つあって発音し間違えると意味が変わってくるからやっかいだ。ロシア語をやった人なら、「馬鹿な、もともと軟音の ч をさらに軟音にするなんて出来るわけがないじゃないか」と言うだろうがそういう音韻組織になっているのだから仕方がない。č が ч、ć が чь だ。
 私はこの区別もとうとうできるようにならなかった。例えば Ivić というクロアチア語の苗字を発音しようとすると、講師からある時は「あなたの発音では Ivič に聞こえます。それではいけません。」と訂正され、またある時は「おお、今の発音はきれいな Ivić でした」と褒められる。でも私は全然発音し分けたつもりはないのだ。何がなんだかわからない、しまいには自分がナニしゃべっているのかさえわからなくなって来る。

 反対にクロアチア人の学生でとうとうロシア語の мы (ムィ、「私たち」)が言えずに専攻を変えてしまった人がいる。南スラブ語と東スラブ語間では皆いろいろ苦労が絶えないようだ。

 ところで、古教会スラブ語は「スラブ祖語」だと思っている人もいるが、これは違う。サンスクリットを印欧祖語と混同してはいけないのと同じ。古教会スラブ語はれっきとした南スラブ語族の言語で、ロシア語とは系統が異なる。ただ、古教会スラブ語の時代というのがスラブ諸語が分離してからあまり時間がたってない時期だったので、これをスラブ祖語とみなしてもまああまり支障は出ないが。
 東スラブ語は過去2回この南スラブ語から大波を受けた。第一回目が例のキリロス・メトディオスのころ、そして2回目がタタールのくびきが除かれて中世セルビア王国あたりからドッと文化が入ってきたときだ。
 なので、ロシア語には未だに南スラブ語起源の単語や文法組織などが、土着の東スラブ語形式と並存している。日本語内に大和言葉と漢語が並存しているようなものだ。
 さらに、南スラブ語は常に文化の進んだ先進地域の言語であったため、この南スラブ語系統の単語や形態素は土着の東スラブ語形にくらべて、高級で上品な語感を持っていたり、意味的にも機能的にも一段抽象度が高かったりする。例えば合成語の形態素として使われるのも南スラブ語起源のことが多い。日本語でも新語を形成するときは漢語を使う事が多いのと同じようなものだ。
 
 ちょっと下の例を比べてみて欲しい。оло (olo) という音連続は典型的な東スラブ語、ла(la) はそれに対応する南スラブ語要素だが、語源的には同じ語がロシア語には南スラブ語バージョンのものと東スラブ語バージョンのものが並存し、しかもその際微妙に意味が違ったり合成語に南スラブ語要素が使われているのがわかると思う。

東スラブ語起源  南スラブ語起源
голова (頭)   глава (かしら)
город (町)    Ленинград (レニングラート=レーニンの町)

 さらにいえば、ウクライナ語は昔キエフ公国の時代に東スラブ語文化の中心地だったためか、ロシア語よりも南スラブ語に対する東スラブとしての抵抗力があったと見え、ロシア語よりも典型的な東スラブ語の音韻を保持している部分がある。例えばロシア語の名前Владимир(ヴラジーミル)は南スラブ語からの外来名だ。この愛称形をВолодя(バロージャ)というがここでも上で述べた南スラブ対東スラブ語の典型的音韻対応 ла (la) 対 оло  (olo)が現れているのが見て取れるだろう。この、ロシア語ではВладимирとなっている名前はウクライナ語ではВолодимир (ヴォロジーミル)といって正式な名前のほうでも оло  という典型的東スラブ語の形を保持している。
 この、南スラブ語の la や ra がそれぞれ olo や oro になる現象をполногласие (ポルノグラーシエ、正確にはパルナグラーシエ、「充音現象」)と言って、東スラブ語の特徴である。「難しくてオロオロしてしまいそうだ」とかギャグを飛ばそうかと思ったが馬鹿にされそうなのでやめた。いずれにせよполногласие の л (l) をр (r) と間違えないことだ。

 古教会スラブ語のアクセント体系がどうなっていたかはもちろん直接記録はされていないが、現在の南スラブ語を見てみればある程度予想はつく。以下は南スラブ語の一つクロアチア語とロシア語の対応語だが、これを見ればおつむにアクセントのある上品な南スラブ語が東スラブ語ではアクセント位置がお尻に移動しているのがわかる。アクセントのあるシラブルは太字で表す。 さらに比較を容易にするため、ロシア語もローマ字で示してみた。

クロアチア語    ロシア語
rijeka         reka     (川)
jezik          jazyk    (言語、舌)
glava           golova    (頭)
gledati         gljadet‘    (見る)
govoriti        govorit‘   (話す)
gotov          gotovyj    (用意された、準備された)
tišina           tišina     (静けさ)
gospodin          gospodin   (○○さん、ミスター○○)
otac          otec    (父)
zemlja         zemlja    (土地、地球)

 この、「おつむアクセントは上品、お尻アクセントは俗語的」という感覚は人名の発音にも見られるそうだ。例えばイヴァノフ (Иванов)という名前は ва にアクセントが来る「イヴァーノフ」と но に来る「イヴァノーフ」という二種類の発音の仕方があるのだが、「イヴァーノフ」の方が上品で古風、つまりなんとなく由緒あり気な感じがするという。
 それを知ってか知らずか、神西清氏はガルシンの小説『四日間』(Четыре дня)の主人公を「イヴァーノフの旦那」と訳している。貴族の出身という設定だったので、由緒ありげな「イヴァーノフ」のほうにしたのかもしれない。「イヴァノーフ」では百姓になってしまい、「旦那」という言葉と折り合わなかったのか。
 この苗字の元になった名前「イヴァーン」(Иван)のアクセントは ва (ヴァ)にあるのだから、最初は苗字のほうもイヴァーノフだったはずだ。その後ロシア語の言語体系内でアクセントの位置がドンドン後方にずれていったので、イヴァノーフという発音が「普通」になってしまった。さらにウルサイことを言えば、この名前の南スラブ語バージョン Ivo (イーヴォ)はアクセントが「イ」に来るし、セルビア語・クロアチア語でも Ivan を I にアクセントを置いた形でイーヴァンと発音する。つまりそもそものИванという名前からしてロシア語ではすでにアクセントが後ろにずれているのだ。Ивановではその、ただでさえずれているアクセントをさらにまた後方に横流ししたわけか。もうこれ以上は退却できない最終シラブルにまで下がってきている。いわば背水の陣だ。


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 『16.一寸の虫にも五分の魂』の項でも述べたように私はアイザック・アシモフの自伝がとても面白いと思っている。例えば氏の家庭内言語についての述べられている箇所。氏のご両親はロシアの出身だったが、母語はイディッシュ語だったそうだ。ロシア語も出来たはずだとアシモフ氏は言っているが、自分では両親がロシア語を話すのを一度も見た、というか聞いたことがないと書いている。
 アシモフ氏自身は3歳の時にアメリカに渡り、言語は英語とイディッシュ語のバイリンガルだが、優勢言語は英語だった。面白いのはここからで、氏の妹さんはイディッシュ語はわずかに理解することは出来るが話せなかった、9歳下の弟さんに至っては完全に英語のモノリンガルでイディッシュ語を理解することさえ出来ないそうだ。つまり家庭内レベルでイディッシュ語から英語への言語変換が起こっているわけだ。
 移民の家庭などはこのパターンが多く、子供たちはたいてい現地の言語が優勢言語なのでそれがあまりできない両親に通訳や文法チェックプログラムや辞書代わりにコキ使われたりしている。もっとも「WORDの文法チェック代わり・グーグル翻訳代わりに子供をコキ使う」というのは親のほうもある程度現地の言語を習得していないとできない。元の文章がなければチェックして貰うもなにもないからだ。実際何年もその国に住んでいるのにほとんどその言語が話せないという人は決して珍しくない。こうなると子供は通訳というより「手足」あるいは「眼と耳」であり、子供同伴でないと医者にもいけないし、近所の人と立ち話もできないし、それよりTVで映画を見ることができないだろう。本国映画だって現地の言語に吹きかえられているのだから。それともDVDでしか映画を見ないのか?不便だろうなとは思う。

 言語学者のグロータース氏も家庭内言語事情が複雑だったらしい。氏はベルギー出身で家族の全員がフランス語(ワロン語)とオランダ語(フラマン語)のバイリンガルだったそうだが、優勢言語が一人一人微妙に違い、オランダ語優勢のお姉さんにうっかりフランス語でしゃべりかけたりするとムッとされる、また、フランス語が優勢の妹さんでも配偶者がオランダ語話者の人に優勢言語のフランス語で話しかけたりすると、自分の夫がないがしろにされたような気を起こされてやっぱりムッとされる。言語選択には非常に気を使ったそうだ。こういう日常生活を生まれた時から送っていれば、言語というものに敏感にもなるだろう。家庭内どころか、学校でも役所でも一言語だけで用が足りる日本人にはとても太刀打ち出来るような相手ではない。
 このグロータース氏は1980年代だったと思うが、一度専門雑誌の「月刊言語」にインタヴュー記事が載っていたのを覚えている。日本語で聞かれ、日本語での受け答えだったが、氏の発言が全部片仮名で書かれていた。私はなぜ月刊言語ともあろうものがこんなことをするのかわからなかった。普通に平仮名で氏の発言を書けばいいではないか。それとも外国人の話す日本語と日本人の話す日本語を区別したかったのか、氏の発言が日本語であったことを強調するつもりであったのか、いずれにせよベッタリ片仮名で書かれた記事はとても読みにくかった。
 私の知っている教授も、母語はクロアチア語だったがあるとき研究室で話をしていた際、ちょうど娘さんから電話がかかって来たことがある。「電話」である。当時はケータイなどというものはまだなかった。するといままで私とドイツ語でロシア語の話をしていた先生は受話器をとるとやにわにオランダ語で対応を始めたのである。ドイツに来る前はオランダで長く教鞭をとっていたため、お子さんの母語はオランダ語なんだそうだ。溜息が出た。

 もちろんヨーロッパにだってモノリンガルの立派な語学音痴はたくさんいるから「ヨーロッパ人は語学が得意」と一般化することなどできないが、バイリンガルが日本より格段に多いのは事実だ。移民の子供たちも両親の母語がまったくできなくなってしまうのはさすがにまれで、たいていバイリンガルになる。その際優勢言語が個々人で微妙に違っているのは当然だが、本国の言語そのものも両親のと微妙に違ってきてしまうことがある。現地の言語の影響を受けるからだ。私がリアルタイムで見聞きしたそういう例の一つがクロアチア語の「どうしてる、元気かい?」という挨拶だ。本国クロアチア語ではこれを

Kako si?    あるいは
Kako ste?

という。kakoは英語やドイツ語のそれぞれhowとwie、siはコピュラの2人称単数、steは本来2人称複数だが、ドイツ語やフランス語のように敬称である。ロシア語と同じくクロアチア語もコピュラや動詞がしっかりと人称変化するので人称代名詞は省いていい、というより人称代名詞をいちいち入れるとウザくなってむしろ不自然になる。だからこのセンテンスは英語のHow are you?と完全に平行しているのである。
 ところが、ドイツ生まれのクロアチア人にはその「元気かい?」を

Kako ti ide?

という人が非常に多い。これは明らかにドイツ語の「元気かい?」

Wie geht es dir?
how + goes + it + to you/for you

を直訳したもので、tiは人称代名詞tiの与格tebi(ドイツ語のdir、英語の to you)の短縮形(短縮形になると主格と同じ形になるから注意が必要)、 ideは「行く」という意味の動詞 ićiの現在形3人称単数である。ここでもシンタクス上の主語it(ドイツ語のes)は現れないが、構造的に完全にドイツ語と一致しているのである。この表現には両親の世代、いや年が若くても本国クロアチア語しか知らない人、いやそもそもバイリンガルの中にも違和感を持つ人がいる。私のクロアチア語の先生も「最近はね、Kako ti ide?とかいう変なクロアチア語をしゃべる人が多くて嫌になりますが、皆さんはきちんとKako si?と言ってくださいね」とボヤいていた。
 日本語の「会議が持たれます」の類の言い回しにも違和感を持つ人が大分いる。これは英語からの影響だろう。

 バイリンガルといえば、モノリンガルより語学が得意な人が多いというのが私の印象だが(きちんと統計を取ったり調査したりはしてはいない単なる「印象」である。念のため)、これは何故なのか時々考える。以前どこかで誰かが「あなたは記憶力がいいから語学をやれといつも薦めている」という趣旨のアドバイスをしているのを見て「こりゃダメだ」と思った。語学で一番大切なのは記憶力ではない、「母語を一旦忘れる能力、母語から自由になれる能力」である。いったん覚えたことがいつまでも頭から離れない人はずっと日本語に捕らわれて自由になれないから、生涯子音のあとに余計な母音を入れ続け、日本語をそのまま意味不明の英語にし続けるだろう。そういう人はむしろ語学に向いていないのである。母語を通さずに当該外国語の構造をそれ自体として受け入れるという発想ができにくいからだ。
 もちろんバイリンガルも母語にしがみつく人が大半という点では語学音痴のモノリンガルと同じである。が、バイリンガルには母語が二つあり、一方の言語を話しているときはもう一方の言語から自由になっている。言語というものはそれぞれ互いに独立した別構造体系である、ということを身にしみて知っている。だから異言語間の飛躍がうまいのではないか、とそんなことを考えてみたりしている。繰り返すが、これは披験者の脳波を調べて証拠を握ったりしたわけではない、単なる想像だ。

 ところで、こちらで外国人に「どこから来たんですか?」という聞き方する人には教養的に今ひとつな場合がある。気の利いた人は皆「あなたの母語は何ですか?」と聞いてくることが多い。例えば私など見た目は完璧に日中韓だが、旧ソ連かアメリカ出身で母語はロシア語か英語である可能性もなくはないからだ。またクルド人に出身国を聞いてもあまり意味がないし、ベルギーに数万人ほど住んでいるドイツ民族の人を「ベルギー人」と言い切るのも無理がある。教養があって見聞の広い人は「母語」、「所属民族」、「国籍」が本来バラバラであることを実感として知っているが、そうでない人はこの3つを自動的に一緒にしてしまうことが多いわけだ。逆にそれなら人にすぐ出身国を聞いてくる人は皆言葉については無教養とかというと、もちろんそんなことは絶対ないが、私は教養ある人に見せかけたいがために「どこから来たのですか?」という聞き方はせずにいつも母語を訊ねている。が、時々「リンガラ語です」とか「アルーマニア語とアルバニア語のバイリンガルです」とか答えられて、「は?それはどこで話されているんですか?」と結局国を聞いてしまったりしているからまあ私の見せかけの教養程度など所詮そのレベルだということだ。何をいまさらだが。


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