アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ: ヨーロッパ

 私はドイツの大学をロシア語学を専攻して卒業した。正式には「東スラブ語学専攻・主要言語ロシア語」といういかめしい肩書きだった。ドイツ語、でなくドイツ語ロシア語を学べばどちらの言語もマスターできるから一石二鳥なのではないかと考えたからだが、これが実は読み間違いだった。確かにそれで両方マスターできるかもしれないが、そのかわりそこに行くまで両言語同時に勉強せねばならないわけで、要するに二石二鳥、つまり単に手間が倍になっただけだった。何をいまさらだが、語学にはラクチンな道というものはないのだ。  
 
 さらにマズイことに、当時はドイツが統一されたばかりのころで(おっと年をバラしてしまった)、まわりの学生はほとんど皆旧東独出身、当地の高校でロシア語をみっちりやってきた者ばかり、中にはドイツ系ロシア人、つまり母語がロシア語の者さえいて私一人完全に異物だった。  

 悲惨だったのはロシア語の翻訳実技試験だ。今までいろいろ悲惨な試験をくぐりぬけて来たが、これはその中でも最も悲惨な部類に入る。
 A4のタイプ用紙に1枚びっちり書かれた全く未知のロシア語テキストが出され、それをその場でドイツ語に訳していく。テキストは直接新聞や小説から取ったもので、学習者用に加工などされていない。もちろん辞書使用禁止。露・露辞典だけは許可されるが、私はそもそもその説明内容を読むのに辞書がいるわけで露・露辞典などあってもしょせん解答用紙が風で飛ぶのを抑えるための重石、文鎮代わりにしかならない。 それでも見栄で側に置いてはいたが。 しかもクラスの半分くらいが旧ソ連から移住してきたロシア語のネイティブだ。 私ら外国人側が「ネイティブと同じ条件かよ。きったねぇ。」と恨みのこもった目をすると、その雰囲気を察した担当教官のP先生、「皆さん、『ネイティブといっしょかよ、きったねぇ』とお思いでしょうが、それは違います。 ネイティブの皆さんはドイツ語が外国語なんです。皆さんもご存知でしょうが、母語を外国語に訳す方が、外国語を母語に訳すより難しいんです。ですからロシア語が外国語である皆さんの方が条件としてはむしろ有利なんです。」と、そこまで言って最後列にいた私と目が合ってしまった先生、ニッコリ笑って頷き、「皆さん、ここにいる人は誰も文句など言ってはいけません。両方とも外国語という人だっているんですから。」と、のたまわった。 そしたらクラス中がこっち振り返って爆笑だ。動物園のパンダですか、私は? 先生も先生だ。私に微笑んではくれたが点はまけてくれなかった。世の中そんなに甘くない。

 卒業するまでこういう悲惨の連続だったが、それでもおかげでドイツ語は大分上達した。肝心のロシア語の方は非常に怪しい。でもロシア語が怪しかったおかげで一度貴重な(?)体験をした。
 大分前になるが、町にモンゴルのサーカス団が来たことがあるのだ。出し物の合間に私が(よせばいいのにまたでしゃばって)ロシア語で話しかけたら向こうに通じて擬似会話が成立し、嬉しくなった。するとそれを脇で見ていた白人のポーランド人男性が私に「あなたポーランド人ですか?」と聞いてきたのである。断っておくが私はどう見ても日本人、いくら拡大解釈しても韓国人か中国人以外にはなれそうもないモロ東洋人である。その私のどこをどう押せば「ポーランド人」が出てくるのか。それにその「も」とは何だ、と茫然とする私を見て男性が説明して曰く。
 「モンゴル人とロシア語で話すのだからモンゴル人ではなかろう、ロシア語を聞いていると旧ソ連出身のバリバリなロシア語話者でもないみたいだから(悪うございましたね)ソ連以外の旧共産圏出身。さらにドイツ語が日常言語のようだからドイツの隣国出身、実際ポーランドの東部、ウクライナやリトアニアとの国境付近には東洋系民族が住んでいるから、多分その辺から来たんだろう、と思った。」

 外れたとは言え、その理路整然とした推論ぶりに感動した。なお、家に帰ってから事典を調べてみたら本当にウクライナとリトアニアの一部には東洋系民族が住んでいるらしい。でもこの次はせめて旧ソ連内の東洋人、カザフ人とかバシキール人とかと間違えて貰えるよう奮励努力するつもりだ。
 
 繰り返すが語学学習に「ラクチン」はないのだ。

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 私がこちらで大学に入学した頃はいわゆる「学部」、つまりBA・Bscという資格が大卒として認められず、人がせっかく日本で取った学士はしっかり高卒扱いされ、始めの一歩からやり直しさせられた。その私の大卒資格はMagisterといって、日本の修士に相当するものだが、専攻科目は主専攻東スラブ語学、第一副専攻一般言語学、第二副専攻南スラブ語学だった。卒業試験は結構ボリュームがあって、主専攻が合計4時間、副専攻が2時間づつの小論文と、それぞれ小一時間の口頭試問だったのだが、ウルサい事にその卒業試験の受験資格にまたいろいろ前提があって、例えば一般言語学では規定の単位を全部とってあり、修論が主専攻側に受理されている、というのが条件だった。
 ところが規定事項をよく見るとその下に小さな字で追加項目として、「少なくとも一つ以上の非印欧語族の言語の十分な知識」とあり、これを土壇場になって知ってパニクるドイツ人学生がいた。

 ドイツ人は大抵高校で英語の他にフランス語とラテン語をやってくるが、そんなものは皆まとめて印欧語、ボツである。ちょっと気の利いた高校では古典ギリシャ語もやっていたが、これも無効。たとえサンスクリットを持ち出してきても「はい、印欧語ですからさようなら」で終わり。 日頃言語コンプレックスに押しつぶされそうになっていた私はここぞとばかり高笑いしてやった。
 現に仲間が一人真っ青になって私の所にやってきて、「ねえねえ、こんな条件があるの知ってた?!あなた非印欧語なんてできる?」とか聞くではないか。聞かれた私のほうが面食らった。できるも何も母語だっての。私の顔を見なさい。

 なぜこの私に「非印欧語ができるか」などと聞いてきたのか?可能性は次の3つだ。1.私のドイツ語がうまいので私のことをドイツ語のネイティブだと思っていた。2.言語というと自動的に「印欧語」と連想してしまい、それ以外の可能性は考えてもみなかった。3.そもそも「印欧語、インド・ヨーロッパ語族」の何たるかがわかっていなかった。
 私としては1だと思いたいところだが、自らにウソはつけない、自分でもわかっているからこれは除外。3も、まさか一般言語学で修士取得直前まで来た者が「印欧語って何ですか?」というレベルであるはずはないからこれも除外。最も可能性のある理由は2、つまりあまりよく考えずにものを言ってしまったということだ。ヨーロッパには2ヶ国語以上の外国語を自由に使う人が大勢いるがそれもヨーロッパ内の印欧語族言語の場合が多く、そこから一歩外に出ると暗闇状態の場合が多い。単数形と複数形の区別とかそんなものは日本語にはありません、というとそれがもう理解できずに夜道でお化けにでも遭ったような顔をして、ではzwei Hunde(two dogs)はいったいどう表現するんだ、とマジに聞いてくる。いったいも何も簡単にzwei Hund(two dog)といったらヨロシ、と答えると、それでは計算するときどうするんだ、と突っ込んでくる。数学上の計算と犬をどう勘定するかは全く別次元の話だろ。言葉に単数複数の区別がなくても日本人は十分ノーベル物理学賞取れてるから安心するがいい。
 それにしても、ちょっと「非印欧語」と言われる度にそういちいち赤くなったり青くなったりしているようでは言語学には向かないから道端に立って信号機でもやってなさい、と内心鼻で笑ってしまった。

 ところが何年か後、今度は私の方がかつて鼻で笑った印欧語に逆襲され、私自身が信号機化するハメになったのである。
 
 博士論文提出時にもまたウルサい資格条件があるのだが、私は日本人らしく、いつもよく考えてから行動するので(ウソつけ)前々からきちんと把握していた(つもりでいた)。ところが論文を提出する前にドイツ国籍をとってしまったため、突然ドイツ人用の条件規則が適用されることになり、条件項目の最後に小さな字で「ギムナジウムでラテン語を終了していること。当地のギムナジウムを出ていない者は相応の証明書提出のこと」とあるではないか。
 もう「吾輩もボツである」とか自虐的な冗談を飛ばしている場合ではない、赤くなったり青くなったりしながら指導教官の所に飛び込んだわけだ。実は何を隠そう、私は日本でラテン語の単位をたまたま取ってはいたのである。でもそもそも動機が不純、というのは、当時のラテン語の先生が京大から来た物腰の柔らかいダンディな先生で、そのお話を聞きたさに通っていただけなので、肝心のラテン語自体は「ラ」の字も残っていない。すみません先生。
 さて、私が見苦しくもそのときの単位証明を持参したら、指導教官の先生はそれを見もしないであっさり、「ああ、このラテン語規則ね。今度スラブ語学科では廃止する予定です」とのことで、それでも念のため学長宛に一筆、「人食いアヒルの子が日本の大学で受けたラテン語の知識はドイツのギムナジウムのラテン語の単位に相当する」と、ほとんどウソを書いて下さったので事なきを得た。 まったく寿命が10年くらい縮んだじゃないか。

 しかしスラブ語以外、例えば英語学やドイツ語学にはラテン語が必須なわけだ。話によると現在でも公式には「ドイツの大学の公式言語はドイツ語・英語・フランス語・ラテン語」であって、学生はゼミのレポートをラテン語で書いてもいいそうだ、書けるもんなら。ラテン語ができなくても学位をくれたスラブ語学部でも、フランス語、英語、ドイツ語は誰でもできるものとみなし、論文やレポートでほかの論文を引用する場合、当該論文がこれらの言語で書かれていた場合は(スラブ語学科ではそれに加えてロシア語も)翻訳しなくていい、という規則があった。

 外国人は一律でこのラテン語条件が除外されるのだろうか、それともドイツでドイツ語学を勉強している日本人はまさか全員あの京大の先生から(である必要はないが)ラテン語を教わって来ているのだろうか?


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 「ホームシック」をドイツ語でHeimweh(ハイムヴェー)というが、Heimは英語のhome、wehがsoreness(「痛み」)に当たるので構造的に英語とよく対応している。ところがドイツ語にはさらにこれと対になったFernweh(フェルンヴェー)という言葉がある。Fernは英語のfarだから、これは「郷愁・故郷が恋しい」の反対で、「遠くが恋しい」つまり「どこか遠くの知らない土地に行って見たくてたまらない衝動」という意味だ。

 私はこのFernwehというのは実は人間の本質的な衝動なのではないかと思う。これがなかったら、人類が全員生まれた土地から一歩も出ずにそこで死にたがるメンタリティだったら、いくらやむを得ない事情があったとしても私たちの祖先はアフリカから出て行っていただろうか?生まれ故郷を出て行く理由は「仕事が欲しい」、「エサが欲しい」、「金がほしい」、それだけだろうか?人は本能的に山を見れば越えたくなる、海を見れば渡りたくなるものなのではなかろうか。

 私も子供の頃この気持ちに駆られたことを覚えている。近所のビルの屋上から東京湾の海が見えたので、「海は広いねえ、あの向こうはアメリカなんだねえ」と私にしては珍しくロマンチックなことを言ったら一緒にいた仲間に「馬鹿、東京湾の向こうは千葉県だろ」とあっさり冷たく返され、幼い私のFernwehはグシャグシャになってしまった。
 しかしさすが人類一般に内在する衝動だけあって、千葉県に邪魔されたくらいではなくならない。引き続いて私の心に存在し続け、高校生になった時、第二外国語としてドイツ語をとる気にさせた。当時入学した都立高校には選択科目として第二外国語があったのだ。

 それでも私が初めて実際に外国に行ったのはやっと就職してからで、その「生まれて初めて見たよその土地」はソ連(当時)のハバロフスクだった。いわゆるパック旅行でドイツへ行く途中で燃料補給に立ち寄ったのだ。
 見渡す限り続く地平線といい、土の色、空の広さといい、日本みたいなみみっちい島国では絶対お目にかかれない景色に感動した。飛行場の建物の入り口にカラシニコフを持って立っていたシケたおっさん兵士についクラクラ来そうになった程だ。飛行場のローカルぶりさえポジティブな印象となって残っている。その印象が強すぎて肝心のドイツ旅行の記憶はほとんど残っていない。

 ところで当時まことしやかに流布していた噂がある。

 「アエロフロートソ連航空のパイロットの腕は世界一だ。なぜならここはふだん、ミグだろスホーイだろの戦闘機に乗っているスゴ腕軍人が本職の片手間に旅客機を操縦しているからだ。しかもアエロフロートの旅客機はボロなので取り扱いに細心の注意を払わないとすぐ墜落して命が危ない。これを落とさずに操縦できるのは世界でもソ連のエリート航空兵だけだ。」

 これを「何を馬鹿な」とあながち一笑に付せなかったところが怖い。

 次にモスクワ空港でも途中下車したのだが(せめて「トランジット」と言ってくれ)、そこを警備していた赤軍兵士が誰も彼も紅顔の美青年だったので驚愕した。そう思ったのは私だけではない。その旅行に参加していた同行の女性陣も結構、みな陰でヒソヒソ大騒ぎしていたから。それ以外にも旅行記などで複数の女性が、ソ連、特にモスクワの赤軍兵士はみな若くてハンサム、今の言葉で言えばイケメンだったと証言している。
 そういえば、日本で誰かが「ソ連では国家の威信を示すためモスクワ空港やレーニン廟など外国人の目につきやすい場所には選りすぐった容姿端麗な赤軍兵士を配置した」と教えてくれたことがあるが、本当だろうか? でもそれを言うなら赤の広場で手を振っていた政府の要人の方がよほど外国人の目につきやすい位置にいたと思うのだが。モスクワ空港やレーニン廟にハベらせるために全ソ連からイケメンをかき集めているヒマがあったら、あのレオニード・ブレジネフ書記長のゲジゲジ眉毛をどうにかしたほうがよかったのではないか、とは思った。

 いずれにせよ、ソ連が崩壊してからは兵士の見てくれも崩壊してしまった。まことに遺憾である。


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 「日本」および「中国」はドイツ語でそれぞれ普通Japan(ヤーパン)、China(ヒーナ)だが、ときどきLand der aufgehenden Sonne(ラント・デア・アウフゲーエンデン・ゾネ)、Reich der Mitte(ライヒ・デア・ミッテ)と名前を翻訳して呼ばれることがある。これらはそれぞれ「昇る太陽の国」「中央の帝国」という意味だから「日本」「中国」の直訳だ。この直訳形が使われると単にJapanあるいはChinaと呼ぶよりもちょっと文学的というか高級なニュアンスになる。

 日本と中国以外にもときどき使われる直訳形地名はいろいろあるが、その1つがAmselfeld(アムゼルフェルト)。「ツグミヶ原」という意味なのだが、この美しい名はなんと旧セルビアの自治州、現在は独立国となったコソボのことだ。
 ここは一般にはコソボ (Kosovo)と呼ばれるが、実はこれはいわば略称で本当はKosovo Polje(コソヴォ・ポーリェ)という。セルビア語である。Poljeはロシア語のполе(ポーリェ)と同じく「野原」という意味の中性名詞、kosovoが「ツグミの」という所有を表わす形容詞で、「ツグミの野原」、つまり「ツグミヶ原」。この所有形容詞kosovoは、次のようなメカニズムで作られる。

1.まず、kosovoはkos-ov-oという3つの形態素に分解できる。

2.セルビア語で「ツグミ」はkos(コース)、そして-ovが所有形容詞を形成する形態素。セルビア語では、子音で終わる名詞(ここではkos)から派生して所有形容詞を作る場合は名詞語尾に-ovをつける。日本語の「○○の」に対応する機能だ。 ロシア語も同じでIvanov, Kasparovなどの姓の後ろにくっついているovもそれ。 Ivanovは本来「イワンの」という意味である。

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これが問題(?)の鳥kos。日本語名はクロウタドリというそうだ。ヨーロッパでは雀と同じくらいありふれた鳥である。

3.最後の-oは形容詞の変化語尾で、中性単数形。かかる名詞のpoljeが中性名詞だからそれに呼応しているわけだ。だから、もし名詞が男性名詞か女性名詞だったらkosovoではなくなる。たとえばgrad(グラート、「町」)は男性名詞、reka(レーカ、「川」)は女性名詞だから、これにつく「ツグミの」はそれぞれ以下のようになる。

kosov grad    ツグミの町
kosova reka    ツグミの川

4.ところが、もし所有形容詞を派生させるもとの名詞がkosのように子音でなく母音のaで終わるタイプだったらどうなるか。所有形容詞は-ovでなく-inをつけて作られるのだ (その場合、母音aは切り捨てられる)。だから、たとえばkosa(コサ)「髪」の所有形容詞「髪の」はkosa-ovではなくkos-in。どうも妙な例文ばかりで面目ないが、理屈としては、

kosino polje    髪ヶ原
kosin grad     髪の町
kosina reka    髪の川

という形がなりたつ。

5.ロシア語の姓のNikitinなどの-inもこれ。この姓はNikitaから来ているわけだ。

 このツグミヶ原は有名なセルビアの王ステファン・ドゥーシャン統治下はじめ、中世セルビア王国を通じて同国領だったから名前もセルビア語のものがついているわけだ。1389年いわゆる「コソヴォの戦い」でオスマン・トルコ軍に破れ、1459年セルビア全土がオスマン・トルコの支配下になってからも、この地はセルビア人にとって文化の中心地、心のふるさとであり続けた。後からやって来たアルバニア人もセルビア語の名前をそのまま受け継いでここをkosovaと呼んでいる。アルバニア語なら「ツグミ」はmëllenjë(ムレーニュ)あるいはmulizezë(ムリゼーズ)だ。

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ステファン・ドゥーシャン統治下の中世セルビア王国。ペロポネソス半島まで領地が広がっているのがわかる。

 名前の直訳形がちょっと高級な雰囲気になるのとは反対に、外国語の名称を頭でちょん切るとドイツ語では蔑称になる。英語でもJapanあるいはJapneseの頭だけを取ってJapというと軽蔑の意がこもるのと同じだ。
 
 実は前からとても気になっていたのだが、日本人が旧ユーゴスラビアを指して平気で使う「ユーゴ」(JugoあるいはYugo)という言い方は本来蔑称だ。Japと同様、家の中やごく内輪の会話で実はこっそり使っていたとしても一歩外に出たら普通口にしない。事実、私はなんだかんだで10年くらい(旧ユーゴスラビアの言語も学ぶ)スラブ語学部にいたが、その間「ユーゴ」という言葉が使われたことはたった一度しかない。その一回というのも、離婚経験のあるクロアチア人の女性がクロアチア人の前夫の話をする際に「所詮あいつはユーゴよ、ユーゴ。たまらない男だったわ」とコキ下ろして使っていたものだ。つまり「ユーゴ」という言葉はそういうニュアンスがあるのだ。
 もちろん日本語の枠内では「ユーゴ」という言葉にまったく軽蔑的なニュアンスなどないから、やめろいうつもりはない。そもそもユーゴスラビアという国自体がなくなってしまったから、いまさらどうしようもないし。ただ、ドイツで旧ユーゴスラビアの話をする際つい日本語の癖を出して「ユーゴ」などと口走らないように気をつけたほうがいいとは思う。「ユーゴスラビア」と略さずに言ったってさほど手間に違いがあるわけでもないのだから。確かにドイツ語のJu.go.sla.vi.en(ユー・ゴ・スラ・ヴィ・エン)をJugoと呼ぶことによって3シラブル節約できるが、相手を侮辱してまで切り詰める価値もあるまい。


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 何回か前のサッカー・ヨーロッパ選手権の際、うちでとっている南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)に載っていた論説の中に、ドイツ人の本音が思わず出てしまっていた部分があって面白かった。

曰く:

... Da geht es also um einen der weltweit wichtigsten Titel, die der Fußball zu vergeben hat - für viele Trainer zählt eine Europameisterschaft mehr als eine Weltmeisterschaft, weil das Niveau von Beginn an höher ist und sich die Favoriten in den Gruppenspielen nicht gegen ***** oder ***** warmspielen können ...

(…なんと言っても事はサッカーに与えられる世界中で最も重要なタイトルの一つに関わる話だから--監督の多くが世界選手権よりヨーロッパ選手権の方を重く見ている。なぜならヨーロッパ選手権の方がすでに初戦からレベルが高いし、優勝候補のチームがグループ戦で*****とか*****とかと当たってまずウォームアップから入る、ということができないからだ…)

 *****の部分にはさる国々の名前が入るのだが、伏字にしておいた。そう、ヨーロッパと一部の南アメリカの国以外は「練習台」「刺身のツマ」、これが彼らの本音なのだろう。こういうことを露骨に言われると私も一瞬ムカッと来るが、考えてみれば確かにその通りなのだから仕方がない。

 世界選手権の前半戦はドイツ人はあまりまじめに見ない人も多い。通るのが当たり前だからだ。前半戦なんて彼らにとっては面倒くさい事務的手続きのようなもの。気にするとしたら、トーナメントで最初にあたる相手はどこになるか、対戦グループの2位はどこか、という話題くらいだろう。つまり自分たちのほうはグループ1位だと決めてかかっているところが怖い。たまにヨーロッパのチームがその「単なる事務的手続き」に落ちることがあって嘲笑の的になったりするが、つまり前半戦さえ通らないというのは嘲笑ものなのである。
 だから、日本で毎回世界選手権になるとまず「大会に出られるかどうか」が話題になり、次に「トーナメントに出る出ない」で一喜一憂しているのを見ると、なんかこう、恥ずかしいというか背中が痒くなってくるのだ(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめなさい)。こちらで皆が本腰を入れて見だすのはやっとベスト8あたりからだ。
 世界選手権はまあそうやって手を抜く余裕があるが、ヨーロッパ選手権は前半から本腰を入れなければならず、全編暇なし・緊張の連続で、見ているほうはスリル満点、ドイツ人もトーナメント前から結構真剣に見だす。最初の方ですでにポルトガル対スペイン戦などというほとんど決勝戦レベルのカードが行なわれたこともあった。もったいない。
 そういう調子だから、選手権が始まると前半戦から、いやそもそも大会が始まる一ヶ月くらい前から大変な騒ぎだ。TV番組はこれでもかと「選手団が当地に到着しました」的などうでもいいニュースを流す。到着しなかったほうがよほどニュースだと思うのだが。スナック菓子やビールのラベルに選手の写真やチームのロゴが登場し出すのはまだ序の口、そのうちサッカーボール型のパンが焼かれるようになる。大会が始まったら最後、ドイツの登場する日など朝から異様な雰囲気が立ち込める。私のような善良な市民はやっていられない(サッカーが好きな人は善良ではない、と言っているのではない)。
 ではドイツが負ければ静かになるかというとそうではない。まずいことにドイツが負けるのは大抵ベスト4か決勝戦、つまり優勝が下手に視界に入ったところだから、ドイツがいなくなっても騒ぎは急に止まれない、というか、余ったビールの持って行き所がない、というか、結局最後まで騒ぎとおすのが常だ。さらに、ドイツには外国人がワンサと住んでいるから、特にヨーロッパ選手権だと勝ち残っている国の人が必ずいる。私のうちのそばには、イタリア語しか聞こえてこない街角があるくらいだ。だからドイツが敗退しても全然静かになどならない。

 ではTVもラジオもつけないでいれば静かにしていられるか?これも駄目、TVを消しても外の騒ぎの様子でどちらが何対何で勝ったかまでわかってしまうのだ。たとえば、上述の大会のドイツ・イタリア戦は私はもちろんTVなど見ないで台所で本を読んでいたのだが、試合の経過はすぐわかった。スコアについては少し解釈しそこなったのだが、それはこういう具合だった。

 まず、始まってしばらくして下の階に住んでいる学生が「ぎゃーっ!」と叫ぶ声が響いてきた。ドイツ人が叫び、しかもその後花火だろドラ・太鼓が続かない時は基本的に「ドイツ側がゴールを試みたが間一髪で惜しくも入らなかった」という意味だから、「ああ、ドイツのゴールが決まらなかったんだな」と解釈。その後何分かして、町の一角から大歓声が響いて来た。花火・ブブゼラ総動員だったのでどちらかが点を入れたな、とすぐわかった。あまりにもうるさいので最初ドイツがゴールしたのかと思ったが、それにしては歓声が上がっている場所が限定されている、つまり町全体が騒いでいるのではない。これで、歓声はイタリア人居住地区のみで上がっている、と解釈できる、つまりイタリアが点を入れたんだなと判断した。

 後で確認したところ、第二の解釈は当たっていたが、第一の解釈、つまり「ドイツ人の単発的な絶叫=惜しいゴール」は誤解釈で、これはイタリア側が点を入れていたのだった。二点目についても、発生地が限定されているにも拘らず全体音量としてはドイツ人が町全体で出すのとほぼ同等のヴォリュームを出す、ということはイタリア人一人当たりの出す音量はドイツ人何人分にも相当しているということになる。やっぱりねとは思うが、ではなぜ最初のイタリアのゴールの時、これほどうるさくはならなかったのか。たぶん始まってから間もない時間だったので、TVの前に集まっているサポーターがまだ少なかったか皆十分デキあがっていなかった、つまりまだアルコール濃度が今ひとつ低かったからだろう。
 しかしそれにしてもいったいあの花火・爆竹。当然のように使用しているがあれらはいったいどこから持ってきたのか?というのも、ドイツでは花火の類は大晦日の前3日間くらいしか販売を許可されていないはずなのだ。まさか去年の大晦日に買った花火をサッカー選手権に備えてキープしておいたのか?ああいう騒ぎをやらずにはいられない輩がそこまで冷静に行動して半年もかけて周到に準備しておいたとはとても考えられないのだが…。
 なお、その試合の後半戦で一度イタリアのゴールがオフサイドということでポシャったが、その時もイタリア人居住区から大歓声が響いてきた。ドイツ人ならゴールに入った入らないより先にオフサイドか否かの方を気にして議論を始めるたちだから、こういう早まった大歓声は上げないだろう。

 ところで、ドイツ人はゲーテの昔からイタリアが大好だが、こちらにはイタリア人とドイツ人の関係について諺がある。

「ドイツ人はイタリア人を愛しているが尊敬していない。イタリア人はドイツ人を尊敬しているが愛していない。」

わかるわかるこれ。

 とにかくこちらにいるとこういうワザが自然に身について、TVなど見ないでもサッカーの経過がわかるようになってしまう。経験によって漁師が雲や海の波の具合から天候を予知し、狩人が微妙な痕跡から獲物の居所を知ることができるようになるのと同じ。町の微妙な雰囲気を嗅ぎ分けてサッカーの経過がわかるようになるのだ。ほとんどデルス・ウザーラ並みの自然観察力である。 
 ただ漁師や狩人と違うのは、そんなことができるようになっても人生に何のプラスにもならない、という事だ。困ったものだ。


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話が飛んで恐縮だが、実は私は黒澤明の映画の中ではこの『デルス・ウザーラ』が一番好きだ。これはクロアチア語バージョンのDVD。下の方に「モスクワで最優秀賞」「オスカー最優秀外国語映画賞」とある。


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 もう15年くらい前のことになるだろうか、歩いて10分位のところにある地方裁判所に一家で裁判を見にでかけたことがある。不謹慎で申し訳ないが、物見遊山感覚で特に計画も立てずに適当になんとなく入っていって傍聴した。ところが、その偶然傍聴した裁判がちょっと重い裁判で、後日町の新聞にも載ったのだ。殺人未遂事件だった。

 被告席に坐っていたのは、いかにもおとなしそうな楚々とした若い女性で、始めこの人が被害者かと思ったが、ほんとうに彼女が夫を殺そうとしたのだそうだ。

 その人の夫はアルバニアからやってきてドイツで仕事につき、やがてアルバニアの親戚一族から妻を「あてがわれて」、まったくドイツ語もできないそのアルバニア女性をドイツに呼び寄せた。けれどこの夫は横暴で妻が何かちょっとでも口答えしたり、違う意見を述べただけで、罵るならまだしも、暴力までふるって押さえつけるのが日常だったそうだ。もちろん妻が外の人と付き合うのも許さず、「ドイツにいるのだからドイツ語が勉強したい」とでも言えばまた殴る蹴るだった。
 それでも妻は耐えていたが(「結婚生活とか夫とか男とかいうのはこういうものだ」と思っていたんだそうだ)、夫がついに「お前のような無能な女はもういらない。子供をここに残してアルバニアの親戚のところに送り返してやる」というに及び、1.「ご用済みの女」として一族に送り返されるのは死ぬほどの不名誉だし、2.何より二人の子供にもう会えなくなるのが辛くて、なんとか送り返されるのを阻止しようとして、夫がその晩例によって酒を飲んでTVの前で眠り込んでしまうのを待って首を包丁で切り付けた。あと2cmずれていたら頚動脈が切れて夫は死んでいたそうだ。
 しかし、切りつけたはいいが、実際に夫が血まみれになって苦しむ姿を見ると、堪えられずに、自ら警察を呼んで自首した。

 ところで、ドイツの刑法では「殺人」に2種類ある。日本でも旧刑法ではその区別があったそうだが、Mord 「謀殺」とTotschlag「故殺」だ。Mord(モルト)はTotschlag(トートシュラーク)より罪一等重い。この2つの区別は法学的に重要らしく、こちらでは殺人事件が起こると真っ先にモルトと見なすかトートシュラークで済むか(?)が話題になる。議論のエネルギーの相当部がこの区別に費やされる感じ。どうやってこの区別をするかはもちろん専門的に周到に規定されているが、大雑把に言うと、計画的に周到な準備をして人を殺したり、自分が犯した他の犯罪、例えば強姦などの罪を隠蔽しようとして被害者を殺したり、口封じのために目撃者を殺したりしたら文句なくこのモルトだ。モルトは最も重い罪でたとえ未遂でも無期刑が下されることがある。
 この女性は犯行のために包丁を買って用意したり、夫が酔いつぶれるのを待つなど辛抱強くチャンスをうかがっていたりしたので計画行為、つまりモルト未遂と見なされた。

 その鬼より怖いドイツの検察が求刑するためすっくと立ちあがった時はこちらまですくみあがったが、この検察、情状酌量の余地を鏤々述べ始めたのだ。曰く、被告が何年も夫の暴力に耐えてきたこと、曰く、結婚失敗者として親戚に送り返す、という脅しがアルバニア人社会に生きる者にとっては心理的にも深刻な脅威をあたえたこと、曰く、被害者の夫本人が「自分も悪かった。すべて許す。妻が罰を受ける事は全く望んでいない」と嘆願書を提出していること、云々…
 そして「これ以上下げることができない」とか言い訳しながら3年半を求刑した。検察側にここまで「弁護」されて本物の弁護側は他に選択肢がなくなったのか、正当防衛として無罪を主張した。
求刑後、裁判長が被告に「最後に一言」とうながすと、女性はうつむいたまま細い声で(アルバニア語で)「申し訳ありませんでした」と一言。

 判決は次の日だったが、私たちが出かけて行くと傍聴席の最前列に利発そうな男の子と可愛い女の子がいた。これが被告の子供たちだった。その隣からは小柄で優しい感じの男性が心配そうに女性と検察側を交互に見つめていた。これが殺されそうになった夫だった。被告は家族の姿を傍聴席に認めると泣きそうな顔をしてちょっと手を振って見せた。
 さて判決だが、裁判長は適用できうる法律をまた何処からか見つけてきて、さらに刑期を下げ3年となった。これはモルト未遂に適用される最も軽い罪で、法律上これ以上下げることはできないものだった。
 私達はそこで法廷を出てしまったのだが、翌日の新聞によれば、すべて終わった後、夫も子供たちも女性のところに駆け寄っておいおい泣いたそうだ。

 もうかなり前のことなので、被告はもうとっくに刑務所から出所しているはずだ。あの一家は今ごろどうしているだろう、と今でもときどき思い巡らす。
 当時傍聴席で隣に坐っていたドイツ人のおばさんが、「嘆願書を出した、というのはきっと誰かに入れ知恵されたんだろう。なんだかんだで、奥さんがいないと家の事全然できなくて困るのは自分だからね」と言っていた。「あの人、刑務所から出てきたら最後、きっと男や男の仲間から復讐されるよ」とも。そうかもしれない。確かに家庭内で日常的に暴力をふるう男性の相当数が、「実は気が弱く、傍からは優しくおとなしい人にみえる」そうだから。
 でも私はこんなことも考えた。もしかしたらこの男性は生まれてこのかたそういう価値観(男尊女卑)しか知らなかったのではないだろうか。本当は結構優しい人が回りから無理矢理マッチョの規範を押し付けられて、実は自分でもその役割を果たすのに苦しんでいて、必要以上にマッチョを演じてみせざるを得なかったのが、妻からこういう事件を起こされて、いま初めて本当の自分と向き合えたのではないか、と。

 あの家族が今はどこかで幸せに暮らしていますように。


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