ドイツで最も人気のあるマカロニウエスタンのスターは何と言っても先日亡くなったバッド・スペンサーではないだろうか。もちろん単なる知名度の点ではイーストウッドのほうが上だろうが「好かれている」という意味では圧倒的にスペンサーである。
 スペンサーはテレンス・ヒルと組んでコメディ路線のマカロニウエスタンにいくつも出演して大人気を博した。漫才でいうボケとツッコミと同じく、小柄な(といっても180cm身長があるが)ヒルが利口者、194cmあって縦にも横にもデカいスペンサーは典型的な「気は優しくて力持ち」(ドイツ語にもStarker Mann mit weichem Herzenというよく似た表現がある)、あまり頭は切れないがやたらと強い大男役だ。圧倒的に子供に好かれるタイプである。事実今でもドイツ人のおじさんおばさんたちは子供の頃夢中でバッド・スペンサーの映画を見たと懐かしそうに語る。おじさんばかりではない、ドイツのTVが放映する映画に困ると今でもすぐにこのご両人のマカロニウエスタンを垂れ流すためか、その子供の世代にまでガチのスペンサーファンがいる。誰かがスペンサーとヒルを「オリバー・ハーディ&スタン・ローレル以来最大のギャグコンビ」と名付けているのをみたこともある。マカロニウエスタンブームが去ったあともこのコンビでドタバタ喜劇がたくさん作られたのでこのコンビが並んでいるのをみるとパブロフの犬よろしく、まだ何もしていないうちから自動的に笑いがでるほどだ。

最強の喜劇コンビ。どちらもバルボーニの「風来坊シリーズ」(下記参照)から
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 この二人を『風来坊/花と夕陽とライフルと』(1970)や『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』(1971)で使ってヒットを飛ばしたのがエンツォ・バルボーニという監督である。それらの映画ではE.B.クラッチャーと名乗っていたが、レオーネの下でカメラマンをしていた人だ。その喜劇路線のマカロニウエスタンが有名になったため、この二人を最初に共演させたのはバルボーニだと誤解している人が多いが、実はスペンサー&ヒルのコンビで最初にマカロニ・ウェスタンを撮ったのはジュゼッペ・コリッツィという人である。脚本家出身の監督だ。コリッツィの映画は全然コメディでなく、シリアスな「普通の」マカロニ・ウェスタン。彼はDio perdona ... io no!(1967), I quattro dell'Ave Maria(1968)(『荒野の三悪党』), La collina degli stivali(1969)という三作のマカロニウエスタンを作っているが、その全作品で音楽を担当したのがなんとカルロ・ルスティケッリ。
 ところがその後スペンサー&ヒルが喜劇コンビとして世に定着してしまったためその初期の本来ハードな作品であったコリッツィの西部劇は喜劇に仕立て直して再公開された。まずタイトルを面白おかしいものに変更した上、銃撃戦などはカットし、(私の記憶によれば)シーケンスの順番を変えたりしてヒルがスペンサーに向かっていう軽い会話のシーンなどが強調され、無理矢理コメディということにされたのである。しかし元がシリアス路線のハードな西部劇なのだからいくらなんでもこれには無理がありすぎて、全然喜劇になっていないばかりか、ブチブチ切られているのでストーリーが飛んでしまっている。DVDでは両バージョンとも見られるが、ドイツ育ちで独・伊バイリンガルのテレンス・ヒルが自分で自分の吹き替えをしている。ニキ・ラウダやシュワルツェネッガー、あるいはベッケンバウアーには絶対しゃべれそうもないホレボレするほど美しい発音の標準ドイツ語である。
 スペンサーはさらにこれも前述のトニーノ・チェルヴィの『野獣暁に死す』にも出ている。仲代達也から拷問され、弾丸を食らった上刀で切られて大怪我をする凄まじい役で、これも全然コメディなどではない。なお、これにはヒルは出演していない。

 その、ボケ役にされてしまったバッド・スペンサーという人そのものはもちろん全然ボケなどではなく、カルロ・ペデルソーリCarlo Perdersoliというのが本名でもともと水泳の選手としてイタリアでスターだった。1952年、1956年のオリンピックに出場している。大学の法学部を「卒業した」とある。ドイツがそうなのでイタリアも多分そうだと思うのだが、大陸ヨーロッパの大学は日本のように時間決めでトコロテン卒業などできないから医学部や法学部を「卒業した」ということは医師の国家試験を取るか司法試験に通った、ということである。ドイツの大学の法学部に入り、卒業試験、つまり司法試験を取れなかったら大学資格とは見なされないから公式には「高卒」を名乗らなければいけない。試験前になるとノイローゼになる学生が続出するそうだ。
 で、卒業はしたものの故郷のナポリでは法律家としての職が見つからず、いろいろなところでいろいろな職についているうち、マリア・アマートさんという女性と結婚した。フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』などを手がけた伝説的プロデューサー、ジュセッペ・アマートの娘である。これがきっかけで映画入りしたそうだ。
 まあ言ってみればジョニー・ワイズミュラーのイタリア版である。そういえば以前もインタヴュー記事が新聞に出ていたが、「人生で一番大切なものは家庭だ。男は家庭という責任を背負ってやっと一人前になるのだ。それをしない奴は子供さ」と言っていた。このちょっと古風なところが、まさにイタリア男だ。
 バッド・スペンサーという芸名は、尊敬する俳優がスペンサー・トレイシーだったのと、バドワイザーのビールが好きだったのでバッド・スペンサーとしたとのことで、まあ相当いい加減な芸名である。上述のようにコリッツィの映画で初めてテレンス・ヒルと共演し、コンビで17もの映画を撮り、私生活でもヒルとは親友だったそうだ。

 スペンサーが亡くなった時はTVのニュースで大報道したし、追悼のために出演映画を流すところもあった。うちでとっている南ドイツ新聞にもその文芸欄をほとんど一面使ってスペンサー追悼の記事が出た。ドイツでの人気ぶりがわかろうというものである。さらにその号の別のところではテレンス・ヒルの記事も出て「相棒を失った悲しみ」を語っていた。

 スペンサーのドイツでの人気ぶりについては生前こんな出来事もあった。
 ドイツにシュベービッシュ・グミュントという小さな町がある。その町で1951年に水泳の国際大会が開かれた際、イタリア代表選手の一人がこのカルロ・ペデルソーリだった。100m自由形で優勝している。
 時は流れて2011年、市の郊外に立派なトンネルが開通した。工事中にはそのトンネルはいろいろ勝手に呼ばれていたが、市長はそのトンネルの名を正式に決めようとして、市民から提案してもらおうと、インターネットで名前を募集した。ところが私と思考回路が全く同じような人はどこの国にもいると見え、誰かが「バッド・スペンサー・トンネル」という提案をしたのである。1951年の出来事が頭にあったのは明白だ。
 そうしたら、ノリ易い人もやはり洋の東西を問わず多いと見え、「バッド・スペンサー・トンネル」という名前がダントツで一番票を取ってしまったのである。

 あわてたのは市長だ。「えーっと、トンネルの名前はあくまで地域に根ざした文化的な香りのする命名でなければ」とかしどろもどろでこの命名を拒否。つまり「いくらなんでもマカロニウエスタンのスターの名前なんかつけられません」というわけだ。
 納まらないのは市民である。始めから市民の声を聞く気がないならなんでインターネットで名前を募ったりしたんだよ、と暴動が起こりそうになったため(嘘)、市長は「トンネルにはその名前は無理だが、代わりに市営の屋外プールの名前を変更して「バッド・スペンサー・プール」にしましょう」という代案を出し、しかもその命名式にバッド・スペンサーをイタリアから呼んでしまったというから、この市長も結構ノリ易い、というかなかなかオツである。そうでもして懐柔しないとファンから袋叩きに会いそうな気がしたのかもしれない。

 もっともそうやってわざわざイタリアからマカロニウエスタンのスターをドイツに招待した市長も市長だが、呼ばれて外国のそんな田舎町に大喜びでやってきたバッド・スペンサーも相当なツワ者だ。そしてそういうことに税金を使われた市民も大喜びだったそうだ。ちなみに肝心のトンネルの名前はGmünder Eichhorn-Tunnel(グミュント・リストンネル)という名前に落ち着いたとのことである。どうしてここでリスが出てくるのかわからない。これが「文化的な香り」なのか、このあたりには何か珍しいリスでも生息しているのか。それともこのEichhorn(アイヒホルン)というのは人名か何かなのだろうか?

トンネルを「バッド・スペンサーと名付けろ!」とデモを起こした怒れる(?)若者たち。
http://www.spiegel.de/から

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「バッド・スペンサー・プール」を紹介する市の公式サイトはこちら


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。

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