用事でGという町まで電車で行った時、途中の「鬼門」L中央駅(『28.私のせいじゃありません』参照)につく前の車内アナウンス、「降車口は左側です」というのがフランス語で入ったことがある。 
 英語のアナウンスなんかはしょっちゅうなので何とも思わない、というよりいつも「こんな田舎の電車で英語アナウンスなんてしたって仕方ないでしょに、カッコつけんなって」とせせら笑いながら聞いているのだが、フランス語というのは初めてだったので内心「おっ」と思った。たしかにここはフランスから遠くないが、あくまで「遠くない」であって、決して「すぐ近く」とはいえない距離だからだ。それから何駅かしばらくの間シーンと聞き耳を立てていたが、とうとう二度とフランス語はやってくれなかった。
 それがきっかけというわけではないが、その後しばらくしてちょっとフランスまで行ってみた。その路線を目的のG駅で降りずにそのまま進むとフランスに突っ込むのである。当時はG駅までの一日乗車券とその先のほうにあるLauterbourg(ロテルブール、ドイツ語ではラウターブルク)というフランスの町がギリチョンで射程内に入る一日券とが同じ値段だった(往復キップになると後者の方が高かった)ので、またG駅まで行く用ができた際少し余分に出して一日乗車券を買い、Lauterbourgまで行ってみたのだ。一人で行くのは心細かったのでフランス語のできる(はずの)ドイツ語ネイティブを連れて行った。
 まずGで用を済ませた後、さらにもと来た路線にのって先に進むとWörth(ヴェルト)という駅に着くのだが、こことLauterbourgとの間のたった5駅ばかりを往復している路線があるのでそれに乗り換える。

Bahnstrecke_Wörth–Strasbourg
ヴェルト-ストラスブール間の路線図。ロテルブールの前の小さな丸はBerg(ベルク)という駅でこれが「ドイツ最後の駅」である。そことロテルブールとの間に国境線が走っているのが見える。

毎日毎日たった5駅を行ったり来たりしているというのも筑波大の学内バスより空しい感じだが、ここの「次の停車駅は○○です。降り口は向かって右側です」さらに「次の○○が終点です、○○路線をご利用ありがとうございました」とかいうアナウンスが全てドイツ語とフランス語の二ヶ国語になっていた。もしかしたら私が以前にL中央駅で聞いたフランス語アナウンスは、運転手がボタンを押し間違えてうっかりフランス語を流してしまったためかもしれない。録音の声が全くおなじだった。この段階ですでに外国感爆発だったが、目的地Lauterbourgに実際に行って見てまた驚いた。

1.駅の表示、「何番線」とか「出口・入り口」などが全部フランス語。

2.時刻表、「月曜日から金曜日」「土曜のみ」とかいう指示も全部フランス語。おまけに時刻表はドイツのみたいにダサい白黒でなくオシャレなカラー印刷。ただテキストが読めないのがキツイ。

3.時刻表を見ていたら隣にいたおっちゃんがフランス語で話しかけてきたのでビビリまくり。

4.町をちょっと散歩したら、通りの名前とか行き先案内から何から全部フランス語。

5.バスの停留所とかに貼ってある広告も全部フランス語。

6.そこら辺に止まっていた水道屋さんのらしいバンにかいてある多分「電話一本で迅速工事」とかいう意味らしき宣伝文句が全部フランス語。

7.そこに書いてあったメールのドメインが○○.fr!

8.肉屋さんとか美容室の看板も全部フランス語。

9.極めつけは、道でボールけって遊んでいたガキンチョどもの会話が全部フランス語!

10.町の名所・旧跡とかにはフランス語とドイツ語で説明があったが、そのドイツ語に何気に誤植がある。

もう最後には向こうから人が来るたびに「話しかけられたらどうしよう」という恐怖のあまり冷や汗が出てきた。連れの「通訳」も「○○通り」とか「入り口・出口」「本屋」くらいは読めたようだが、あんまり私がいちいち「これ何てかいてあるの」「これ何これ」と聞くのでしまいには「そう毎回聞かれたって困る。俺だってわかんないんだ!」とヒステリーを起こした。 
 この調子だと一旦道に迷ったらもう一生ドイツに帰れなくなりそうなので、あまり深入りせずにチョチョッと通りをひとつ散歩してそそくさと帰ってきてしまった。以前「アルザス・ロレーヌは表示とか全部バイリンガルだし、皆ドイツ語を話してますよ」とか言っていた学生がいたので鵜呑みにしていたが、ウソではないか。

 しかし町は全体として隣接するドイツのよりこぎれいで、いかにもフランスの政府からお金を貰ってそうだった。そもそもこんな辺鄙なところにストラスブールまで電車路線が引いてあること自体、フランス政府がアルザス・ロレーヌに力を入れているのを垣間見た気がしたのだが、アルザスには原発が多いからひょっとしたらそんなことで潤っていたのかもしれない。今は原発の未来がちょっと危うくなって来たがあの町はどうなっているのだろう。あと、他に見るところもないから道に立っている家の表札を見て歩いたのだがJean-Luc Scholzなどという苗字はドイツ語名前はフランス語というパターンが大半だったのが印象に残っている。
 さらに思い出すと、信号機がドイツとは全く違う形でこれも無骨なドイツのと違ってしゃれたデザインだった。

 帰りも帰りで電車を待っていた時、例によって駅のアナウンスがフランス語で(当たり前だ)入ったが、それを聞いた通訳が「あっ、俺たちの電車のことだ」とか言うので私が「その俺たちの電車がどうしたのよ」と聞いたら「そこまではわからない」とかこきやがった。肝心の情報内容が聞き取れなかったらどうしようもないだろうがこの野郎。
 この調子でうっかり乗る電車の方向を間違えてストラスブールまで連れて行かれたらエライことになるので、さらに「ちょっとそこの人にこの電車が本当にWörthに行くのかどうか聞いてみてよ」と頼んだ。「ちょっとお尋ねしますが、この電車はドイツに行くんですか?」くらいのフランス語を話してくれるかと思いきや、たった二語(しかもドイツ語で)「Nach Wörth?(to Wörth?)」。そんなんだったら私にも出来るわ。

 実は私はこれが人生で2度目のフランス訪問である。最初はもうかれこれ28年も前、日本からドイツへ行くのにスケジュールの合う便がなくて、パリまで飛んでそこから電車でドイツに入ったのだ。夜にシャルル・ドゴール空港についたがもう不安で死ぬかと思った。そこから「パリ北駅」まで何らかの交通機関を使って行かなければならなかったのだが、道に迷ったらもう最後だ。人に聞くことができないからだ。いや、仮に聞けたとしても答えが理解できないから聞けないのと同じことだ。今思い出すと自分でもどうやってそんなことができたのかわからないが、飛行機の中で一生懸命発音練習しておいたAllemagne とGare du Nordを連発して切り抜けた。とにかく目的の電車に乗ってベルギーを通り抜けドイツにたどり着けたのである。夜行だったので窓外は真っ暗で何も見えなかったが、どうせ車内でビンビンに緊張したままずっと前を向いていたから外の景色など見えたところで楽しむ余裕などなかったろう。朝方「アーヘン」というドイツの駅名を見たときは地球に帰還したジェーンウェイ艦長の気分、というと大袈裟すぎるがホッとするあまり緊張の糸が切れて一気に年をとった気がした。

 私は言葉の通じない国に行くのが怖い。が、「怖いもの見たさ」というのは私にもある。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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