もう大分前の本ではあるが、今でも時々別宮貞徳氏や河野一郎氏などの翻訳批評をパラパラめくり読みする。しかし実は私にとってこれらは面白いとばかりは言いきれないのである。別宮氏に「こんな英語のレベルは中学生。大学の学部どころか高校入試試験も通るまい」などとボロクソ言われている誤訳例の相当部が私だったら絶対やってしまいそうなものなので、読んでいて冷や汗の嵐だからだ。私は今まで自分の英語力は高校一年生レベルくらいはあるだろうと自惚れていたが、最近怪しくなってきた。実は中学生レベルなんじゃないのか?
 例えば別宮氏だったと思うが、下の英語を訳した翻訳者をケチョンケチョンにけなし、「よくこれで翻訳をやろうなんて気になるものだ」とまで罵倒しているのだが、ハイ、私もやってしまいました。

invasion ... from the Adriatic coast to the north

これを私はこの(駄目)訳者と同じく、しっかり「アドリア海沿岸から北へ向かった侵略」だと解釈してしまった。ところがこれは「こんなものは中学一年で皆習う」もので、

on the north of
in the north of

と同じく

to the north of

も「北方の、北にある」という意味だから、ここは「北方のアドリア海沿岸から(南方に向かった)侵略経路」とのことだ。つまり私の語学は中学レベルか。これを誤訳したヘボ訳者と私の違いは、私が自分は英語は(英語も)苦手である、と少なくとも自覚だけはしていることくらいだ。
 さて、こういう風に話題をそらすと自分のヘボ英語に対する負け惜しみのようで恐縮だが、このtoの話は非常に興味深いと思った。英語のtoに対応するドイツ語の前置詞zuにも「移動の方向・目的地」のほかに「いる場所」の意味があるからだ。

例えば

Ich fliege zu den USA.
飛行機でアメリカに行く

ではzuは目的地を示すが、

Universität zu Köln
ケルン(にある)大学

は存在の場所である。ただしネイティブによるとドイツ語では東西南北にzuは使えず

* Die Stadt ist zum Norden Mannheims
この町はマンハイムの北にある

は非文で、この場合はinを使って

Die Stadt ist im Norden Mannheims

と言わなければいけない。でもそういえば日本語では助詞の「に」は「東京に行く」と「東京にいる」の両方に使えるではないか。

 まあかように私は英語が出来ないのだが、逆方向、日本語のトンデモ英語訳の例のほうにはそのさすがの私でも笑えるものがたくさんある。どこで聞いたか忘れたが「あなたは癌です」を

You are cancer.

といったツワ者がいるそうだ。「お前は日本の癌だ」などという意味ならまあこれでいいかもしれないが、いくらなんでもこれは普通の人なら

You have cancer.

くらいはいうのではないだろうか。これがロシア語では『42.「いる」か「持つ」か』の項でも述べた通りゼロ動詞を使って

У меня рак.
by + me (生格) + cancer
私には癌がある → 私は癌です。

である。ついでにI am cancerはゼロコピュラで

Я - рак
I(主格)+ cancer

となる。それでさらに思い出したが、「春はあけぼの」という日本語を

Spring is dawn.

と直訳した人がいるそうだ。その調子で行ったらレストランで「私はステーキだ」と注文する時

I am a steak

とでも言う気か。レストランに行って自分のほうが食われてしまうなんてほとんど『注文の多い料理店』の世界ではないか。「春はあけぼの」は

In spring it is the dawn that is most beatiful.

と訳さないといけない。英語は印欧語特有の美しい形態素パラダイムをほとんど失っているので、こういう長ったらしい言い方しか出来ないのだ。本当に印欧語の風上にもおけない奴だ。ところがロシア語だとこれが

Весною рассвет
spring(単数造格) + dawn(単数主格)

とスッキリ二語で表せてしまう。私みたいな語学音痴だとうっかりどちらも主格を使って

Весна рассвет
spring(単数主格) + dawn(単数主格)

とかやってしまいそうで怖いが(I am cancerを笑えない)、それにしてもこのシンタクスの美しさはどうだろう。印欧語特有の上品さを完全に保持している。英語にはロシア語の爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものだ。

 さらにロシア語では日本語の「私には○○と思われる」を日本語と同じく動詞「思う」を使って

Мне думается, что...
me(与格) + think(3人称現在単数)-再帰代名詞 + that

と言えるのである。英語やドイツ語だとここでthink(ドイツ語ではdenken)ではなく、「見える」とか「現れる」、seem、erscheinen、vorkommenを使うだろう。ここで動詞の後ろにくっ付いている-ся(母音の後だと-сь)というのは再起表現で大まかに言うと英語の-self、ドイツ語のsichに当たるのだが、ロシア語ではこの形態素が英独の再帰代名詞よりずっと機能範囲が広く、受動体や、この例のように自発的意味も受け持つのである。例えば;

受身のся
能動態
Опытный шофёр управляет машину.
experienced  + driver(単数主格)+ steers + machine(単数対格)
→ 経験のある運転手が自動車を操縦する

受動体
Машина управляется опытным шофёром.
machine(単数主格)+ steers itself + experienced + driver(単数造格)
→ 自動車が経験のある運転手に操縦される

可能のся
平叙文
Больной не спит.
patient(単数主格)+ not + sleep
→病人は眠らない

可能表現
Больному не спится.
patient(単数与格)+ not + sleep himself
→病人は眠れない

自発のся
平叙文
Я хочу спать
I(単数主格)+ want + to sleep
→私は眠りたい

自発表現
Мне хочется спать.
me(単数与格)+ want itself + to sleep
→私は眠い

 
上述のдумается(不定形はдуматься)もこの自発タイプと見ていいと思う。これら3つの用法、つまり受身、可能、自発の表現が日本語の「れる・られる」といっしょなのが面白い。

受身の「れる・られる」
能動態
議論する
受動体
議論される

可能の「れる・られる」
平叙文
よく眠る
可能表現
よく眠られる

自発の「れる・られる」
平叙文
昔の事を思い出す
自発表現
昔の事が思い出される

と、いうわけで私はロシア語はシンタクスが特に好きである。なのにいつだったか、よりによってロシア語のネイティブが日本語の「私には~と思われた」をIch dachte, dass...(I thought that...)と誤解釈しているのを見たことがあり、せっかく母語にМне думается, что...という素晴らしい表現があるのにこりゃ灯台下暗しじゃないかと思った。


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