「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事は2018年10月23日(ちょっと古いです)の南ドイツ新聞印刷版とネット版に同時にのったものですが、当ブログの記事『113.ドイツ帝国の犯罪』で名前を出したJürgen Zimmerer教授の投稿です。ネットのでなく新聞の記事のほうをもとにしましたので、レイアウトなどちょっと違っているところがあります。原文のタイトルは「やたらと煙がたっているわりには火が出ない」というものでした。

ドイツ連邦政府は本気で植民地支配の歴史を見直そうとする気があるのか疑わざるを得ない。

ユルゲン・ツィメラー

 自国の植民地政策の処理の見直し問題でドイツは今ターニングポイントに立っている。政府は何年も前から当時の南西アフリカで行ったジェノサイドの扱いについてナミビアと交渉してきた。夏には連邦政府の文化・メディア部門を担当しているモニカ・グリュッタースがドイツ博物館連盟に向けて、植民地時代に収集した物件をどうすべきかについての手引き第一稿を提出。連邦政府の連立契約にも今回初めて東ドイツや第三帝国時代の処理とともにこの植民地支配政策の見直しの件が取り込まれている。
 しかし本当に今後本気で処理していく気があるのだろうか?批判的な声はすでに前々から出ていて警告を発していたのだが声が大きい割にはあまり目に見える変化が見られない、煙はもうもうと立っているのだが火がでていないのである。例えば植民地から運んできた物件の出所の調査を促進せよという政治イニシアチブだが、これに対しても言い分がある:この調査をする機関が基本的には博物館内部に設置されていることだ。博物館自身でその所有物件の調査をしていいということで、中立な監視もないし、外部の協力もなく、あくまで内部のヒエラルキー構造の内側でやるということ。それでは外側に漏らす情報のコントロールはできるだろうが、失われた信ぴょう性は回復できない。「世界遺産」とか「共有遺産」などという観念を持ち出すと本来の問題がさらにかすんでしまう。なぜこの遺産がほぼ全部北半球にあって、南で称賛してやることができないのかという問題が。
 フンボルト・フォーラムも、ただ単に喪失している植民地支配の記憶を戻そうとするのさえ拒否して騒動が危険なレベルになったが、ここでもやはり国内外の批判者とは議論するのを避けている。議論をする相手は自分で選んだ方がよろしいというわけ。そうこうするうちに新しいディレクターのハルトムート・ドルガーローがきちんと起動するエスタレーターの設置計画の方を(ポスト)植民時代の遺産についての議論より重要視しだした。わかることはわかる。何事もマネージャーが必要だし、極めて時間に迫られてもいるわけだから。それでも言わせてもらうが、未来のことを考えるなら他のやりかたを取るべきだ。
 かてて加えて20世紀最初のジェノサイドを認定する件も結局全然進捗していない。連邦議会の承認もないし、首相や連邦大統領の謝罪もない。
 首相も外相もこの問題についてはすべて口を閉ざしており、文化政策担当の政治家に丸投げする気らしい。植民支配の見直そう、植民支配の思想から脱しようという意思が政治権力の中枢まで届いているのか否か?連邦政府が個人的に委託したアフリカ問題顧問、以前に東独で人権問題に携わっていたCDUの政治家ギュンター・ノーケが行ったインタビューを見ると強い疑問がわいてくる。
 ベルリン新聞に対し、氏は植民支配は「現在にも影響を及ぼしている」ことを認め、「北アメリカの奴隷交易は悪い事だった」と言ってはいる。一方「植民支配は大陸全体を先史時代的な構造から解放した」とのことだ。そもそも「冷戦の方が…植民支配よりよほどアフリカの害になった」と。
 氏の政治使命がどういう分野なのかを考えただけで、この発言、いやそもそもこのインタビュー全体がすでにスキャンダルである。これが首相のアフリカ担当者の発言だろうか!氏がこの調子なのに他の誰に歴史を知れというのか。ホロコーストについての基本的知識さえ持たない、いやそれどころか史実を意識的に捻じ曲げるイスラエル担当官というのが想像できるだろうか。強制連行、自由の剥奪、何百万人もの人々の死、これらに対して「悪い」などという完全に不適切な言葉を使う。それくらいはまあ目をつぶってやろうとする人がいるかもしれない。だが氏は人が連れ去られたのは北アメリカにとどまらず、それ以上の人が南アメリカで奴隷にさせられた事実は全くご存じないらしい。いやもうこのインタビューには植民支配のイメージがしっかり織り込まれている。氏にいわせれば「アフリカは違っている」。ありふれた言い回しだが、本音が透けて見える。そこにはアフリカは近代的ではない、ひょっとしたらいまだに先史時代だとの認識がしみ込んでいるからだ。そしてその実例として出生率の高さに言及し、ニジェールをその極端な例とし、しかもそこでもう使いものにならない古い数値を持ち出す。氏がこういうことをするなら、少なくとも軽率だとは言わせてもらう。
 ノーケはまたヨーロッパは文明を伝播したという例のメルヘンを蒸し返し、植民支配のプロパガンダを行う。氏にすれば植民支配をもっとポジティブなイメージにしなければということなのだろうが、それどころか自身の政治見解が植民支配の続きそのものだ。その調子でノーベル経済学賞ポール・ローマーの思想を拠り所にして、地中海で難民が死んでいくのを食い止めるためにはアフリカに治外法権の飛び地を作れと言い出す:もちろんアフリカ人の福利のためというわけである。植民支配する側の利益を植民支配をされる側の福利だと主張する、これこそまさに「文明の伝道者」の中心要素だった。今もそうだ。
 しかしノーケの考えは植民時代の記憶をなくすのがいかに危険かも示している。私たちはこの手の飛び地が政治的に極めて危険なことを知っているが、それは植民の歴史を見てきたからではないか。治外法権の飛び地を作るのは単に植民地としてそこを占領するための典型手段というばかりではない、それをすると事が自動的に進行しだすのだ。例えばそういう飛び地の一つで騒動が起こったり、外から脅威が迫ったらどうなるだろう?それぞれの飛び地を管理している機構が中の住民を守るために介入しないといけなくなる。そしてその際犠牲者が出ればそのままにしておくことはできず、面目を保持するために増援を送らなければならない。インドなどもそうだったが、そうやって植民帝国全体が植民地化されていったのだ。そしてドイツの植民地帝国自身もそうやって成立したのだ。このことをノーケは知っていなければならない。何といっても交渉しているのは連邦政府、そして氏はその代表のアフリカ担当官なのだ。
 このノーケの件で問われているのはノーケ自身だけでなく、連邦政府全体の信用問題だ。ノーケの扱いの如何によって、政府の連立契約が植民支配の見直しにどれだけの価値があるのか見えてくる。また、モラルの点でそれなりの理由があったなどという言い訳は全部置いておいて、とにかく植民地支配の歴史についてきちんと啓蒙するのが不可欠ということもはっきりしてくるだろう:植民支配を記憶から消してしまおうというのは間違った政治選択である。
 そろそろ本気で植民支配時代の見直しを始めるべきだ。博物館や収集品云々に話を限ってはいけない。オープンでないといけない、そして市民社会全体が自由に参加でき、当時の植民地出身の市民や同僚たちとも議論するようにしないといけない。最近設立された文化会議が、連邦、州、共同体からなる研究グループを作って植民地からの物件の処理を検討していくと発表した。仕事の範囲を広げて植民支配の記憶が残っている地域はすべて網羅し、植民支配について学習、研究する場所をつくるのが目標とのことだ。

元の記事のネット版はこちら
この問題についてのパネルディスカッションはこちら。司会を務めているのがツィメラー教授です。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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