以前沖縄で米軍のヘリコプターが海面に落ちて大破するという事故があった。米軍機が民家の上に落ちたりものを落としたりする迷惑行為そのものはよくあるらしいからこれもその一環として「またか」の一言で片づけられてもよかったのだが、この場合は最初に「米軍機が海面に不時着した」と報じられたため議論がいつもとはちょっと別方向に進んだ。ヘリコプターは大破しているからこれは不時着ではなく墜落ではないのか、という議論が起こったのである。

 私もそうだったが、不時着か墜落かを決める際「飛行機が損傷したか否か」を重要な基準にする人は多いと思う([ + 損傷] ?)。機がバラバラになったら墜落、無傷で着陸できたら不時着である。だから2000年にシャルル・ド・ゴール空港を出たコンコルド機が離陸直後に落ちたときは「墜落」と報道されたし、ニューヨークで2009年にUSエアウェイズ機がラガーディア空港からのこれも離陸直後にガンの群と衝突してハドソン川に降りたときは「不時着」、人によっては単に「着陸」と呼んでいた。
 また「墜落」と聞くと「ある程度の高さから落ちること」と連想する人もいるのではないだろうか。この場合の高さとか落ちる個体と比較しての高さである。登山家が数十メートルの岸壁から地上に堕ちれば墜落だが、地上50cmのところから下に落ちても墜落とは呼びにくい。たとえその人が運悪く大けがをしてもである。個体が人より大きい飛行機の場合、「墜落」というとやはり何千m、何百mの高みから落ちるシーンを想像する。数m、数十mだと何百mの場合より墜落とは呼びにくくなる。ヘリコプターなら数十mでもいいかもしれないが。そしてこのように墜落という言葉の意味要素として「落ちる個体に比例したある程度の高度」を混ぜるのは私だけではないらしく、手元の国語辞典にも「墜落」を「高所から落ちること」と定義してある。
 ひょっとしたらこの「高度性」([ + 高所から]?)のほうが第一義で、破損か無傷かというのはそこから導き出されてくる二次的な意味要素かもしれない。高いところから落ちれば大抵破損するし、高さがなければ普通破損度は低いからである。もちろん例外もあるが。

 しかしさらに調べてみたら、墜落対不時着の区別に破損度や高度は本来関係ないと知って驚いた。両者を分けるのは制御された着地か、制御されていない着地かということなのだそうだ([ - 制御された] ?)。機が大破しても数千mの高度から落ちてもパイロットにコントロールされた着地なら不時着である。上記のヘリコプターはパイロットが民家に突っ込むのを避けようとして海に降りたのでその結果機体がバラバラになっても不時着。コンコルドの場合は管制塔と計器からエンジンが燃えていると警告を受け取ったパイロットが8キロほど離れた前方にあるLe Bourget空港に「不時着」しようとして制御に失敗したわけだから墜落ということになる。
 もちろん制御された着陸といっても「予定外の地点への着陸」([ - 目的地]?)ということで、制御されて予定地に降り立った場合は不時着でなく単なる到着である。だがこの点をしつこく考えてみるとグレーゾーンは残る。飛行機が空港Aに行こうとして何らかの不都合が発生したため行き先を変更して途中の空港Bに何事もなく着陸した場合でも不時着というのだろうか?特にその「何らか」が、乗客の一人が急病を起こしたなどという場合も不時着か?後者の場合は不時着という言葉は大げさすぎるような気もするが、辞書を引いてみたら不時着あるいは不時着陸を「故障・天候の急変などのため航空機が目的地以外の地点に臨時に着陸すること」と定義してあるから乗客の容体急変もこの「など」に含まれると解釈できそうだ。しかし逆に目的地の空港に飛行機が火を吐きながらかろうじて無事に降り立った場合、到着なのか不時着なのか。「故障・天候の急変などはあったが航空機が目的地点に着陸した」場合どっちなのか、ということである。火を噴いたりしたら目的地に着陸しても不時着とする人も多かろうが、急病人が出たにも関わらず目的地に降り立ったりした場合も不時着扱いしていいのか?やはり破損しているか否かのメルクマールを完全に無視するわけにはいかない気がするのだが。

 さらなるグレーゾーンはパイロットが意図的に飛行機を地上に突っ込ませた場合である。実際に2015年にフランスでそういう悲劇的な事故があった。ルフトハンザ系のジャーマンウィングスという航空会社だったが、鬱病で苦しんでいた副操縦士がバルセロナを出てドイツに向かう途中フランスのアルプ=ド=オート=プロヴァンス県で何百人もの乗客もろとも飛行機で山に突っ込んで自殺したのである。ここでは操縦する側がきちんとコントロールを行って目的地以外で降りたのだから下手をするとこれも「不時着」ということになってしまう。上で述べた辞書の定義でも暗示されているようにやはり「意図的に機を落としたか、それともできることなら落としたくなかったか」というメルクマールが重要になってくるだろう([ +/- 不慮性]?)。このルフトハンザの出来事を「カミカゼ」と呼んでいた人がいた。私個人は外の人に安易にカミカゼという言葉を使われるのが嫌いなのだが他に一言でこういう悲劇を表す言葉がないから仕方がないのだろうか。
 ここまでの考察をまとめて二項対立表(『128.敵の敵は友だちか』参照)で表してみるとみると、「墜落」「不時着」「普通の着陸」「カミカゼ」の違いは次のようになる。高いところから落ちたか否かは問わなくてもいいと思う。
墜落
[ - 制御された]
[ - 目的地]
[ + 不慮性]
[ 0 損傷]

不時着
[ + 制御された]
[ - 目的地]
[ + 不慮性]
[ 0 損傷]

普通の着陸
[ + 制御された]
[ + 目的地]
[ 0 不慮性]
[ - 損傷]

カミカゼ
[ + 制御された]
[ - 目的地]
[ - 不慮性]
[ + 損傷]

予定地に機が損傷して降り立った場合(適当な名称がない):
[ + 制御された]
[ + 目的地]
[ 0 不慮性]
[ + 損傷]

これに従うと急病人を抱えたまま目的地に降りたら到着、航空機が火を噴いたら「適当な名称がない着陸」である。どちらも「不慮性」に対しては中立だから機が損傷したか否かが決定的な意味を持ってくるのだ。またテロリストがハイジャックして目的地を変更させた場合、テロリスト側からみると「普通の着陸」、パイロット側にすれば「不時着」である。

 ドイツ語では「墜落」はAbsturz、「不時着」は Notlandungである。辞書にはAbsturzはSturz in die Tiefe(「深いところに落ちること」)、 Notlandung はdurch eine Notsituation notwendig gewordene vorzeitige Landung [an einem nicht dafür vorgesehenen Ort](「非常事態のため必要に迫られて(着陸予定でなかった場所に)予定を早めて着陸すること」)とある。日本語と同様やはり墜落では高度が問題にされている。つまり定義としては問題にされないが事実上連想としてくっついてくるメルクマールということなのだろうか。不時着のほうは「予定より早く」と定義されているが、こう言い出されると上述のようなテロリストが目的地より遠い空港に着陸を強制した場合を「不時着」と呼ぶことができない。また定義の側にNot-という言葉が使われていて一種のトートロジーに陥っている。日本語のほうは言葉をダブらせずに非常事態の例を挙げているのでトートロジーは避けられているが、「など」という部分が今ひとつすっきりせず、まあ言葉の定義というのは難しいものだ。

 ハドソン川の事件はその後映画化されたが、その『ハドソン川の奇跡』で、事故調査委員会側がcrashと呼んだのに対し、パイロットのサレンバーガー機長がlandingと訂正していたシーンがあったそうだ。念のためcrashを英和辞書で引くと「墜落」「不時着」とある。つまり日本語の墜落や不時着と違って [ 制御された] というメルクマールに関しても [ 目的地] に関しても中立、その代わり [ 損傷] が中立ではなく+ということになる。landingのほうは[ 損傷] が-となっている点でcrashと対立するが、landingでは [ 不慮性] も中立となるので全体としてはきれいな対立の図にはならない。

crash
[ 0 制御された]
[ 0 目的地]
[ + 不慮性]
[ + 損傷]

landing
[ 0 制御された]
[ 0 目的地]
[ 0 不慮性]
[ - 損傷]

ハドソン川の奇跡のように不慮性がはっきりしている場合はあっさりlandingとも言い切れまい。不慮の事故であることは明確だが、機体は大破せずとも川に沈んでしまったから損傷してもなししないでもなしというどっち付かずであるから損傷性メルクマールは問わない、つまり中立とする。一方機長は委員会側のcrashという言葉に対してNo を突き付け訂正している。これは何に対してなのか考えると [ + 損傷] と言われたことより [ 制御された] をゼロにされた事に対する反発なのではないだろうか。機長は機を完璧に制御していたからである。そこで [ 制御された] をプラスにする。すると以下のような図式になる。

[ + 制御された]
[ 0 目的地]
[ + 不慮性]
[ 0 損傷]

これが一応英語のemergency landing ということになろう。上で出した日本語の不時着と似ているが、英語では目的地であるか否かは問わないのである。それにしても大して中身のある意味分析を行ったわけでもないのに(自分で言うな)、二項対立表にするとやたらと学問っぽい外見になるものだ。
 なおこのハドソン川の不時着ニュースを聞いたとき私は真っ先に「えっ、ガンがエンジンに巻き込まれたの?!かわいそうに」と反応してしまった。

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