ドイツ語ディアスポラは結構世界中に散らばっているが、アメリカのペンシルベニアやルーマニア(それぞれ『117.気分はもうペンシルベニア』『119.ちょっと拝借』の項参照)の他に、アフリカ南端のナミビアにドイツ語話者がいることは知られている。このナミビア・ドイツ人は現在のナミビアが「南西アフリカ」と呼ばれたドイツ帝国の植民地だったときに(「支配者」として)移住してきた人たちの子孫だが(『113.ドイツ帝国の犯罪』参照)、ドイツが第一次世界大戦に負けた後も出て行かなかった直接の子孫だけではなく時代が下ってから新たにやってきた人たちもいる。大抵はいまでも大土地所有者で政治的・経済的にも影響力の強い層である。

ナミビアにはこのようなドイツ語の看板・標識がゴロゴロある。ウィキペディアから。
NamibiaDeutscheSprache

 ナミビアの公用語は英語だが、正規の国家語national languageとして認められているのは全部で8言語ある。まず原住民の言語には(面倒くさいので日本語名は省く)Khoekhoegowab、OshiKwanyama 、Oshindonga、Otjiherero、RuKwangali、Siloziの6言語があり、後ろの5つはいわゆるバントゥー語グループ、最初のKhoekhoegowabはコイサン諸語のひとつでコイサンのなかで最大の話者を持ち、約20万人の人に話されているとのことだ。以前にも言及したナマという民族がこの言語を話し、語順は日本語と同じSOV。音韻については資料によってちょっと揺れがあるのだが、8母音体系で音調言語。少なくとも3つ(資料によっては4つ)の音調を区別する。基本的な(?)印欧語のように文法性が3つ。またさすがにコイサン語だけあって、クリック音がある:子音が31あるが、そのうちの20がクリック音、11が非クリック音である。さらに人称代名詞に exclusive と  inclusive の区別(『22.消された一人』参照)があるというから非常に面白い言語である。
 OshiKwanyamaとOshiNdongaは相互理解が可能なほど近く、この二つはOshiwamboという共通言語の方言という見方もある。例えばOshiKwanyamaでgood morningはwa lele po?、OshiNdongaではwa lala po?で、そっくりだ。前者はナミビアのほかにアンゴラでも話されていて話者はナミビアで25万、アンゴラで約40万強ということになっているが、この話者数は資料によって相当バラバラなのであまり鵜呑みにもできない。どちらも母音は5つで(この点ではスタンダードな言語である)、コイサンと同様音階を区別するそうだ。クリック音がないのが残念だがその代わりにどちらにも無声鼻音がある。無声鼻音といえば以前に一度ポーランド語関連で話に出したが、ポーランド語ではあくまで有声バージョンのアロフォンだったのに対し、ここでは有声鼻音とそれに対応する無声鼻音が別音素である。とても私には発音できそうにない。
 さらにバントゥー諸語は名詞のクラスがやたらとあることで有名で、これらの話者から見たらせいぜい女性・中性・男性の3つしかない印欧語如きでヒーヒー言っている者など馬鹿にしか見えないだろう。OshiKwanyamaとOshiNdongaは名詞に10クラスあり、それに合わせて形容詞から何から全部10様に呼応する。そこにさらに単数と複数の区別があり、さらに格が加わるといったいどういうことになるのか、考えただけで眩暈がする。クラスの違いは接頭辞によって表され、Oshi-という接頭辞のついた語は第4クラスの名詞だそうだ。
 Otjihereroは以前に書いたドイツ帝国の民族浄化の対象となったヘレロの言葉で、話者数は15万から19万人。名詞のクラスは10、そしてotji-というのは上のoshi-と同様、第4クラスのマーカーだ。形がよく似ているのがわかる。また余計なお世話だがナミビア大学にはKhoekhoegowab、Oshiwambo、Otjihereroの課程がある

ナミビア大学で学べる言語。この他にスペイン語も学べる。思わず留学したくなる。
uniNamibiaBearbeitet

 RuKwangaliもまた バントゥー諸語だが、クリック音が一つある。この、語族を越えて同じ音韻現象が見られる例として有名なのはドラビダ語のタミル語と印欧語のヒンディーに双方そり舌音があることだが、まあこれも一種の言語連合現象(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)とみなすべきなのだろうか。他にバントゥー語でクリック音を持っている言語にIsixhosaがあるが、この言語ができる学生に会ったことがある。ドイツ人の学生だったが、南アフリカだかナミビアに留学したことがあるそうで、Isixhosaを話せ、クリック音を発音して見せてくれた。将来はあの辺の言語に携わりたいと言っていたが、今頃本当にナミビア大学にいるかもしれない。
 話を戻してRuKwangaliだが、5母音体系で子音は18あるそうだ。音階は高低の二つ。さらに語順はSVOで名詞のクラスは上の言語よりさらにひどく(?)18である。話者は約13万人とのことだが、これもあまり正確な数字ではないのではなかろうか。
 最後のSiloziは話者数7万人~15万人(実に幅の広い記述だ)とのことだが、言語の構造そのもの(挨拶やお決まりのフレーズを紹介していたものは少しあったが)については簡単に参照できる資料が見つからなかった。上の言語も皆そうだが、ハードな研究者、研究書はいるしある。しかし予算が0円・0ユーロの当ブログのためにそれをいちいち取り寄せるのも割に合わないような気がしたのでこの程度の紹介で妥協してしまった。また世界中の言語の概要を紹介しているEthnologue: Languages of the worldというサイトが有料になってしまっていて参照できない。貧乏で申し訳ない。

 さて、これらの現地語と比べると面白さやスリルの点で格段に落ちるが、アフリカーンス、ドイツ語、英語(公用語。上述)もナミビアで正式に国家の言語として認められている。ドイツ語が国家レベルの正規な言語として認められているのはヨーロッパ外ではこのナミビアだけだ。地方レベルでならブラジルやパラグアイでも承認されているし、隣の南アフリカでは少数言語として公式承認されているが、これは「国家の言語」ではない。ナミビアでドイツ語を母語としているのは2万人から2万5千人ぽっちしかおらず、この点では上の6言語より少ないが、話者が政治経済の面でまあ嫌な言い方だがいわば支配者層なので、強力な言語となっている。
 遠いナミビアに、ドイツ語を母語として生まれ育ち、民族としては完全にドイツ人なのにドイツという国に行ったことがないまま人生を終える人が「ぽっち」と言っても万の単位でいるのだ。これらドイツ系ナミビア人は首都のヴィントフックWindhoek(しかしこのWindhoekという地名自体は皮肉なことにドイツ語でなくアフリカーンス語であるが)に特に多いとはいえ、ナミビア全土にわたって広く住んでいて、たとえ見たこと・訪れたことがなくてもドイツ本国の存在を強く意識し、文化面でも言語面でもドイツとのつながりを失うまいと努力している。
 特にドイツ語による学校教育が充実していて、今ちょっと調べた限りではドイツ語で授業を行なっている正規の学校が13ある。私立が多いが国立校もあるし、いくつかはドイツ本国から経済援助を受けている。有名なのがヴィントフックにある「私立ドイツ高等教育学校」Deutsche Höhere Privatschule (DHPS)で、幼稚園から高校卒業までの一貫教育を行なっている。1909年創立というから、なんと植民地時代から続いているのである。さらに上述のナミビア大学でも授業の一部をドイツ語で行なっている。とにかくドイツ語だけで社会生活をまっとうできるのだ。さらにドイツ語の新聞も発行されている。「一般新聞」Allgemeine Zeitungという地味な名称だが、これも1916年創刊という古い新聞だ。電子版のアーカイブで過去の版が読めるようになっていてちょっと感動した。
 ドイツ本国の側にもゲッティンゲンに本部を置く「ドイツ・ナミビア協会」Deutsch-Namibische Gesellschaft e.Vという民間組織がありナミビアとの文化交流のためにいろいろなプロジェクトを立てている。会員は現在1500人だそうだからこういうのもナンだがあまり大きな組織ではないようだ。
 なお、変なところに目が行ってしまって恐縮だがナミビア大学や「一般新聞」のインターネットのサイトのドメインが「.na」、つまりナミビアのドメイン名になっていたのにゾクゾク来た。私立ドイツ高等教育学校とドイツ・ナミビア協会はドメイン名が「.de」、つまり平凡なドイツ名だったのでガッカリである。

Windhoek中央駅。真ん前にトヨタの車が止まっているのがちょっと興ざめ。ウィキペディアから。
Gare_de_Windhoek

 さて、このようにナミビアではドイツ系国民が常に本国を意識し、言語や文化を継承しようと努力しているが、では本国の一般ドイツ人はドイツ系ナミビア人のことをどう思っているのか。試しにドイツ人二人にドイツ人はどのくらいドイツ系ナミビア人のことを知っているのか、またドイツ語がナミビアの正規の国家語であることを知っているか聞いてみたら、バラバラに訊ねたにも関わらずほとんど同じ答えが帰ってきた:「普通のドイツ人はそもそもナミビアなんて国知らないだろ」さらに「なんでそんなところにドイツ人がいるんだよ。」とまるで私の方が血迷ってでもいるかのような按配になってきた。最初に「アフリカ南端のナミビアにドイツ語話者がいることは知られている」と書いたが訂正せねばなるまい。知っているのは関係者と日本人だけのようだ。
 ナミビア・ドイツ人の方も自分たちの存在が本国ではあまり知られていないのがわかっていて不公平感を持っているのか、本国ドイツ人に対する感情がちょっと屈折している気がした、と上述のIsixhosaができる学生が話していたことがある。ナミビアのドイツ語は学校教育が発達していることもあるのだろう、基本的には美しい標準ドイツ語だがそれでも語彙使いで本国から来たとすぐバレるのだそうだ。すると引かれたりからかわれたりする。もちろんイジメとか排除とか陰険なことはされないがまあ間に線が入ることが多いのだそうだ。
 ルーマニアのドイツ語のところでも引用したAmmonという学者が次のような「ナミビア・ドイツ語」の語彙を挙げている。
abkommen: (激しい降雨のあと)カラカラに乾いた水路に突然強い水流がくること
                 例えばein Rivier kommt abという風に使う
Bakkie, der: ピックアップ・トラック、プラットホームトラック
Biltong, das:(味付けした)乾燥肉
Bokkie, das:  山羊
Boma, die: ズック地で区切った野生動物を入れておく(暫定的な)檻
Braai, der: グリルパーティー
Dagga, das: マリファナ、ハシッシュ、大麻
Damm, der: ダムを作った一種の貯水池
Despositum, das:(貸家・貸し部屋の)敷金
Einschwörung, die: 就任宣誓
Gämsbock, der: オリックス
Gehabstand, der: 骨を折らなくても徒歩でいける距離
Geyser, der: お湯をためておく装置、ボイラー
Kamp, der: 柵で囲った平地
Kettie, der: パチンコ
Klippe, die: 石
Küska, der: Küstenkarneval「海岸のカーニヴァル」の略語
Magistratsgericht, das: 最も下位の刑事・民事裁判所
Oshana, das: 南北に走る浅い排水溝と北ナミビアの真ん中にあるくぼ地
Panga, der/die: 山刀、なた
Permit, das: 役所が(請願書に対してだす書面での)許可証
Ram, der: 去勢されていない雄羊
Rivier, das: 干上がった川底
Shebeen, die:(多くの場合非合法の)小さな酒場または許可は貰っている、貧しい地区に
       あるトタン葺きなどの簡単なつくりの小屋の酒場
Straßenschulter, die: 砂利または砂が敷かれた、舗装道路の底
trecken: 引く(牽引する)
VAT: 英語のValue added tax(「付加価値税」)の略語
Veld, das: 開けた広い土地、サバンナ
Vley, das: 雨季に水がたまるくぼ地
Zwischenferien, die: 6月か12月にある短い(大抵一週間の)学校休み

 先のルーマニア・ドイツ語と比べると牧畜や動物に関係する用語が多い。また英語やアフリカーンス(多分地元の言語からも)からの借用が目立つ。たとえば「オリックス」(太字)というのはガゼルの一種で、別名としてゲムズボックという名称も動物学では使われているらしいが、これは本来アフリカーンスで(gemsbok)、そこからドイツ語に借用されたものである。一番最初の動詞 abkommen (太字)は単語自体は本国ドイツ語にもあるが、意味が乖離して本国では見られない使い方をされている例だ。見ていくといろいろ面白い。

これがゲムズボック。ウィキペディアから。
800px-Oryx_Gazella_Namibia(1)

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