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 いろいろな言語が、語族が違うにもかかわらず、その地理的な隣接関係によって言語構造、特に統語構造に著しい類似性類似性を示すことがある。これをSprachbund(シュプラッハブント)、日本語で言語連合現象と言うが、この用語は音韻論で有名なニコライ・トゥルベツコイの言葉で、もともとязыковой союз(ヤジコヴォイ・ソユーズ、うるさく言えばイィジカヴォイ・サユース)というロシア語だ。バルカン半島の諸言語が典型的な「言語連合」の例とされる。

 その「バルカン言語連合」の主な特徴には次のようなものがある。
1.冠詞が後置される、つまりthe manと言わずにman-theと言う。
2.動詞に不定形がない、つまりHe wants to go.と言えないのでHe wants that he goes.という風にthat節を使わないといけない。
3.未来形の作り方が特殊で、補助動詞でもなく動詞の活用でもなく、不変化詞を動詞の前に添加して作る。その不変化詞はもともと「欲しい」という意味の動詞が退化してできたものである。

 このバルカン言語連合の中核をなすのはアルバニア語、ルーマニア語、ブルガリア・マケドニア語である。人によっては現代ギリシア語も含めることがある。アルバニア語、ギリシア語は一言語で独自の語派をなしている独立言語(印欧語ではあるが)、ブルガリア語・マケドニア語はセルビア語・クロアチア語やロシア語と同じスラブ語派、ルーマニア語はスペイン語、イタリア語、ラテン語と同様ロマンス語派である。
 セルビア語・クロアチア語は普通ここには含まれない。満たしていない条件が多いからだ。しかしそれはあくまで標準語の話で、セルビア語内を詳細に観察して行くと上の条件を満たす方言が存在する。ブルガリアとの国境沿いとコソボ南部で話されているトルラク方言と呼ばれる方言だ。この方言では冠詞が後置されることがある。つまりセルビア語トルラク方言は、前にも言及した北イタリアの方言などと同じく、重要な等語線が一言語の内部を走るいい例なのだ。

 旧ユーゴスラビアであのような悲惨な紛争が起こって、多くの住民が殺されたり避難や移住を余儀なくされた。言語地図もまったく塗り替えられてしまったに違いない、あのトルラク方言はどうなっているのだろうと気にしていたのだが、先日見てみたらしっかりUNESCOの「危機に瀕した言語リスト」に載っていた。

565px-Torlak
セルビア語トルラク方言の話されている地域

 さらに調べていたら、上述の1の現象に関連して面白い話を見つけたのでまずご報告。地理的に隣接する言語の構造がいかに段階的に変化していくかといういい例だ。

1.バルカン言語連合の「中核」ブルガリア語は上で述べたようにこの定冠詞theを後置する。ъという文字はロシア語の硬音記号と違ってここではいわゆるあいまい母音である。

grad → grad-ъt    男性名詞
  (a city → the city)
žena → žena-ta     女性名詞
  (a woman → the woman)
dete → dete-to      中性名詞
  (a child → the child)

2.バルカン言語連合に属さないセルビア語標準語には、定冠詞と呼べるものはなく、指示代名詞だけだ。日本語のように「これ」「それ」「あれ」の3分割体系の指示代名詞。標準セルビア語だからこれらの指示代名詞は前置である。

男性名詞
  ovaj grad   この町
  taj grad   その町
  onaj grad   あの町

女性名詞
  ova žena   この女
  ta žena   その女
  ona žena   あの女

中性名詞
  ovo dete   この子
  to dete   その子
  ono dete   あの子

3.西ブルガリア語方言とマケドニア語、つまりセルビア語と境を接するスラブ語はこの3分割を保ったまま、その指示代名詞が後置される。つまり、「冠詞」というカテゴリー自体は未発達のまま後置現象だけ現われるわけだ。

grad 町
  grad-ov    この町
  grad-ot     その町
  grad-on    あの町
žena 女
  žena-va    この女
  žena-ta    その女
  žena-na    あの女
dete 子
  dete-vo    この子
  dete-to    その子
  dete-no    あの子

3のマケドニア語と2の標準セルビア語を比べてみると前者では3種の指示代名詞が名詞の後ろにくっついていることがよくわかる。形態素の形そのものの類似性には驚くばかりだ。
 Andrej N. Sobolevという学者が1998年に発表した報告によれば、セルビア語トルラク方言でもこの手の後置指示代名詞が確認されている。例えば、

čovek-əv  この男・この人 (男性名詞単数形)
čovek-ət  その男・その人 (男性名詞単数形)
žena-va     この女        (女性名詞単数形)
zima-na   あの冬     (女性名詞単数形)
dete-vo   この子     (中性名詞単数形)
dete-no   あの子     (中性名詞単数形)
selo-vo    この村     (中性名詞単数形)

końi-vi   これらの馬       (男性名詞複数形)
godine-ve   これらの年       (女性名詞複数形)
oči-ve    これらの目、この両目(中性名詞複数形)

əというのは上のブルガリア語のъと同じくあいまい母音。godine-ve以下の3例は複数形だ。全体として西ブルガリア語方言とそっくりではないか。

 おまけとして、「バルカン言語連合中核」アルバニア語及びルーマニア語の定冠詞後置の模様を調べてみた。一見して、1.アルバニア語はルーマニア語に比べて名詞の格変化をよく保持している(ブルガリア語はスラブ語のくせに英語同様格変化形をほとんど失っている)、2.さすがルーマニア語は標準イタリア語といっしょに東ロマンス語に属するだけあって、複数形は-iで作ることがわかる。3.ルーマニア語はさらにスラブ語から影響を受けたことも明白。prieten「友人」は明らかに現在のセルビア語・クロアチア語のprijatelj「友人」と同源、つまりスラブ語、たぶん教会スラブ語からの借用だろう。ついでにクロアチア語で「敵」はneprijatelj、「非友人」という。

アルバニア語:
「少年」
・単数 (a boy → the boy)
主格 djalё →  djali
属格 djali  →  i djalit
与格 djali  →  djalit
対格 djalё →  djalin
奪格 djali  →  djalit

・複数 (boys → the boys)
主格 djem        → djem
属格  i djamve → i djemvet
与格 djemve    → djemvet
対格 djem       →  djem
奪格 djemsh    → djemvet

「少女」
・単数 (a girl → the girl)
主格 vajzё   →  vajza
属格 i vajzё →  i vaizёs
与格 vajzё   →  vajzёs
対格 vajzё   →  vajzёn
奪格 vajzё   → vajzёs

・複数 (girls → the girls)
主格 vajza      →  vajzat
属格 i vajzave →  i vajzavet
与格 vajzave  →  vajzavet
対格 vajza      →  vajzat
奪格 vaijzash  →  vaijzavet

ルーマニア語
「友人」
・単数 (a friend → the friend)
主格 prieten → prietenul
属格 prieten → prietenului
与格 prieten → prietenului
対格 prieten → prietenul

・複数 (friends → the friends)
主格 prieteni → prietenii
属格 prieteni → prietenilor
与格 prieteni → prietenilor
対格 prieteni → prietenii

「家」
・単数 (a house → the house)
主格 casă → casa
属格 case → casei
与格 case → casei
対格 casă → casa

・複数 (houses → the houses)
主格 case → casele
属格 case → caselor
与格 case → caselor
対格 case → casele

 私はある特定の言語のみをやるという姿勢そのものには反対しない。一言語を深くやれば言語一般に内在する共通の現象に行きつけるはずだとは思うし、ちょっと挨拶ができて人と擬似会話を交わせる程度で「何ヶ国語もできます」とか言い出す人は苦手だ。でも反面、ある特定の一言語、特にいわゆる標準語だけ見ていると多くの面白い現象を見落としてしまうこともあるのではないだろうか。言語、特に地理的に近接する言語はからみあっている。そして「標準語」などというのはある意味では幻想に過ぎない。


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