何回か前のサッカー・ヨーロッパ選手権の際、うちでとっている南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)に載っていた論説の中に、ドイツ人の本音が思わず出てしまっていた部分があって面白かった。

曰く:

... Da geht es also um einen der weltweit wichtigsten Titel, die der Fußball zu vergeben hat - für viele Trainer zählt eine Europameisterschaft mehr als eine Weltmeisterschaft, weil das Niveau von Beginn an höher ist und sich die Favoriten in den Gruppenspielen nicht gegen ***** oder ***** warmspielen können ...

(…なんと言っても事はサッカーに与えられる世界中で最も重要なタイトルの一つに関わる話だから--監督の多くが世界選手権よりヨーロッパ選手権の方を重く見ている。なぜならヨーロッパ選手権の方がすでに初戦からレベルが高いし、優勝候補のチームがグループ戦で*****とか*****とかと当たってまずウォームアップから入る、ということができないからだ…)

 *****の部分にはさる国々の名前が入るのだが、伏字にしておいた。そう、ヨーロッパと一部の南アメリカの国以外は「練習台」「刺身のツマ」、これが彼らの本音なのだろう。こういうことを露骨に言われると私も一瞬ムカッと来るが、考えてみれば確かにその通りなのだから仕方がない。

 世界選手権の前半戦はドイツ人はあまりまじめに見ない人も多い。通るのが当たり前だからだ。前半戦なんて彼らにとっては面倒くさい事務的手続きのようなもの。気にするとしたら、トーナメントで最初にあたる相手はどこになるか、対戦グループの2位はどこか、という話題くらいだろう。つまり自分たちのほうはグループ1位だと決めてかかっているところが怖い。たまにヨーロッパのチームがその「単なる事務的手続き」に落ちることがあって嘲笑の的になったりするが、つまり前半戦さえ通らないというのは嘲笑ものなのである。
 だから、日本で毎回世界選手権になるとまず「大会に出られるかどうか」が話題になり、次に「トーナメントに出る出ない」で一喜一憂しているのを見ると、なんかこう、恥ずかしいというか背中が痒くなってくるのだ(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめなさい)。こちらで皆が本腰を入れて見だすのはやっとベスト8あたりからだ。
 世界選手権はまあそうやって手を抜く余裕があるが、ヨーロッパ選手権は前半から本腰を入れなければならず、全編暇なし・緊張の連続で、見ているほうはスリル満点、ドイツ人もトーナメント前から結構真剣に見だす。最初の方ですでにポルトガル対スペイン戦などというほとんど決勝戦レベルのカードが行なわれたこともあった。もったいない。
 そういう調子だから、選手権が始まると前半戦から、いやそもそも大会が始まる一ヶ月くらい前から大変な騒ぎだ。TV番組はこれでもかと「選手団が当地に到着しました」的などうでもいいニュースを流す。到着しなかったほうがよほどニュースだと思うのだが。スナック菓子やビールのラベルに選手の写真やチームのロゴが登場し出すのはまだ序の口、そのうちサッカーボール型のパンが焼かれるようになる。大会が始まったら最後、ドイツの登場する日など朝から異様な雰囲気が立ち込める。私のような善良な市民はやっていられない(サッカーが好きな人は善良ではない、と言っているのではない)。
 ではドイツが負ければ静かになるかというとそうではない。まずいことにドイツが負けるのは大抵ベスト4か決勝戦、つまり優勝が下手に視界に入ったところだから、ドイツがいなくなっても騒ぎは急に止まれない、というか、余ったビールの持って行き所がない、というか、結局最後まで騒ぎとおすのが常だ。さらに、ドイツには外国人がワンサと住んでいるから、特にヨーロッパ選手権だと勝ち残っている国の人が必ずいる。私のうちのそばには、イタリア語しか聞こえてこない街角があるくらいだ。だからドイツが敗退しても全然静かになどならない。

 ではTVもラジオもつけないでいれば静かにしていられるか?これも駄目、TVを消しても外の騒ぎの様子でどちらが何対何で勝ったかまでわかってしまうのだ。たとえば、上述の大会のドイツ・イタリア戦は私はもちろんTVなど見ないで台所で本を読んでいたのだが、試合の経過はすぐわかった。スコアについては少し解釈しそこなったのだが、それはこういう具合だった。

 まず、始まってしばらくして下の階に住んでいる学生が「ぎゃーっ!」と叫ぶ声が響いてきた。ドイツ人が叫び、しかもその後花火だろドラ・太鼓が続かない時は基本的に「ドイツ側がゴールを試みたが間一髪で惜しくも入らなかった」という意味だから、「ああ、ドイツのゴールが決まらなかったんだな」と解釈。その後何分かして、町の一角から大歓声が響いて来た。花火・ブブゼラ総動員だったのでどちらかが点を入れたな、とすぐわかった。あまりにもうるさいので最初ドイツがゴールしたのかと思ったが、それにしては歓声が上がっている場所が限定されている、つまり町全体が騒いでいるのではない。これで、歓声はイタリア人居住地区のみで上がっている、と解釈できる、つまりイタリアが点を入れたんだなと判断した。

 後で確認したところ、第二の解釈は当たっていたが、第一の解釈、つまり「ドイツ人の単発的な絶叫=惜しいゴール」は誤解釈で、これはイタリア側が点を入れていたのだった。二点目についても、発生地が限定されているにも拘らず全体音量としてはドイツ人が町全体で出すのとほぼ同等のヴォリュームを出す、ということはイタリア人一人当たりの出す音量はドイツ人何人分にも相当しているということになる。やっぱりねとは思うが、ではなぜ最初のイタリアのゴールの時、これほどうるさくはならなかったのか。たぶん始まってから間もない時間だったので、TVの前に集まっているサポーターがまだ少なかったか皆十分デキあがっていなかった、つまりまだアルコール濃度が今ひとつ低かったからだろう。
 しかしそれにしてもいったいあの花火・爆竹。当然のように使用しているがあれらはいったいどこから持ってきたのか?というのも、ドイツでは花火の類は大晦日の前3日間くらいしか販売を許可されていないはずなのだ。まさか去年の大晦日に買った花火をサッカー選手権に備えてキープしておいたのか?ああいう騒ぎをやらずにはいられない輩がそこまで冷静に行動して半年もかけて周到に準備しておいたとはとても考えられないのだが…。
 なお、その試合の後半戦で一度イタリアのゴールがオフサイドということでポシャったが、その時もイタリア人居住区から大歓声が響いてきた。ドイツ人ならゴールに入った入らないより先にオフサイドか否かの方を気にして議論を始めるたちだから、こういう早まった大歓声は上げないだろう。

 ところで、ドイツ人はゲーテの昔からイタリアが大好だが、こちらにはイタリア人とドイツ人の関係について諺がある。

「ドイツ人はイタリア人を愛しているが尊敬していない。イタリア人はドイツ人を尊敬しているが愛していない。」

わかるわかるこれ。

 とにかくこちらにいるとこういうワザが自然に身について、TVなど見ないでもサッカーの経過がわかるようになってしまう。経験によって漁師が雲や海の波の具合から天候を予知し、狩人が微妙な痕跡から獲物の居所を知ることができるようになるのと同じ。町の微妙な雰囲気を嗅ぎ分けてサッカーの経過がわかるようになるのだ。ほとんどデルス・ウザーラ並みの自然観察力である。 
 ただ漁師や狩人と違うのは、そんなことができるようになっても人生に何のプラスにもならない、という事だ。困ったものだ。


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話が飛んで恐縮だが、実は私は黒澤明の映画の中ではこの『デルス・ウザーラ』が一番好きだ。これはクロアチア語バージョンのDVD。下の方に「モスクワで最優秀賞」「オスカー最優秀外国語映画賞」とある。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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