大学図書館は閉まるわ、授業はオンラインになるわで外出もままならず、またしても一か月以上記事が書けませんでした。すみません。(←誰も待ってないから別にいいよ、書かなくて)。

  前にもちょっと書いたように(『70.セルジオ・レオーネ、ノーム・チョムスキーと黒澤明』参照)、マカロニウエスタンの前身はいわゆるサンダル映画である。ジュリアーノ・ジェンマで『続・荒野の一ドル銀貨』を取ったドゥッチョ・テッサリなどはその典型だが、そもそもセルジオ・レオーネも最初の作品はIl colosso di Rodi『ロード島の要塞』というB級史劇である。ただしレオーネ本人は「あれは新婚旅行の費用を捻出するために嫌々した仕事」と主張し、本当の意味での自分の最初の作品はあくまで『荒野の用心棒』だと言っているそうだ。コルブッチもサンダル映画を撮っているが、直接作品を作らなくても映画作りのノウハウなどは皆サンダル映画で学んだわけである。
 ではなぜ(B級)ギリシア・ローマ史劇を「サンダル映画」というのか。こちらの人ならすぐピーンと来るが、ひょっとしたら日本では来ない人がいるかもしれない。余計なお世話だったら申し訳ないがこれはギリシャ・ローマの兵士・戦士がサンダルを履いていたことで有名だからだ。もちろん今のつっかけ草履のようなチャチなものではなく、革ひもがついて足にフィットし、底には金属の鋲が打ってあるゴツイ「軍靴」であった。もちろん戦士だけでなく一般市民も軽いバージョンのサンダルを履いていたのでサンダルと聞くと自動的にギリシャ・ローマと連想が行くのである。日本で仮に「ちょんまげ映画」といえば皆時代劇の事だと理解できるようなものだ。さらに時代劇と言わないでちょんまげ映画というとなんとなくB級感が漂う名称となるのと同様、「ギリシャ・ローマ史劇」ならぬ「サンダル映画」の範疇からは『ベン・ハー』だろ『クレオパトラ』などの大作は除外され、残るはB級史劇ということになる。
 映画産業の中心がまずそのサンダル映画からマカロニウエスタンに移行し、その後さらにドタバタ喜劇になって沈没していった流れもやっぱり前に書いたが(『69.ピエール・ブリース追悼』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』参照)、もう一つマカロニウエスタンからの流れ込み先がある。いわゆるジャッロというジャンル、1970年ごろからイタリアで盛んに作られたB級スリラー・ホラー映画だ。後にジャッロの監督として有名になった人にはマカロニウエスタンを手掛けた人が何人もいる。俳優も被っている。
 「ジャッロ」gialloというのはイタリア語で「黄色」という意味だが、これはスリラー小説の事をイタリア語で「黄色い文学」 letteratura giallaというからだ。なぜ黄色い文学かというと1929年から発行されていた安いスリラーのパルプノベルのシリーズが「黄色いモンダドーリ」Il Giallo Mondadoriといい、これが(安い)スリラー小説や犯罪小説、ひいては映画の意味に転用されたからだ。驚いたことに(驚くのは失礼かもしれないが)、このパルプノベルはまだ発行され続けている。

黄色い表紙のジャッロ文学。http://textalia.eu/tag/italiaanse-detectives/から。
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 映画としてのジャッロは1963年にマリオ・バーヴァが撮った『知りすぎた少女 』 La ragazza che sapeva troppoに始まるとされている。レオーネがマカロニウエスタンというジャンルを確立したのが1964年だから、ジャンルとしての発生はジャッロの方が早いことになるが、最盛期はマカロニウエスタンより少し遅く1970年代になってから。80年代になってもまだ十分続いていたので、1974年の『ミスター・ノーボディ』が「ある意味では最後の作品」と言われるマカロニウエスタンから人がジャッロに流れ込んだのだ。
 ジャッロのことはあまり詳しくない私でも知っているこのジャンルの監督といえば、まずジャンルの確立者マリオ・バーヴァ、それから『サスペリア』のダリオ・アルジェント、ゾンビ映画のルチオ・フルチ、ジュリオ・クエスティといったところだろうが、実はこの人たちは皆マカロニウエスタンも撮っている。特にジュリオ・クエスティは私はマカロニウエスタンでしか知らず、ジャッロも撮っていたと知ったのは後からだ。そのクエスティのジャッロ『殺しを呼ぶ卵』という作品は実はまだ見ていないがジャン・ルイ・トランティニャンが出ているそうだ。これもマカロニウエスタンとジャッロの俳優が被っている例であろう。クエスティのマカロニウエスタン『情け無用のジャンゴ』は最もエグいマカロニウエスタンとされ(『19.アダルト映画の話』参照)、ネイティブ・アメリカンの登場人物が差別主義者の白人たちに頭の皮を剥がれて血まみれになるシーンがあったりして、一回見たら私にはもう十分。残酷描写が凄いと騒がれているコルブッチの映画でさえ何回も見たくなる私のようなジャンルファンにさえキツかったのだから、その監督がジャッロを作るとどういう映画になるかは大体察しが付く。『殺しを呼ぶ卵』を見た人がいたらちょっと感想を聞かせてもらいたい。

 さてマリオ・バーヴァだ。この監督の作品はSFというかホラーというか、どっちにしろB級のTerrore nello Spazio(「宇宙のテロ」、ドイツ語タイトルPlanet der Vampire「吸血鬼の惑星」)と「ひょっとしたらこれでスーパーマンに対抗している気でいるのか?」と愕然とする多分アクション映画の(つもりの)Diabolik(ドイツ語タイトルGefahr: Diabolik!「危険:ディアボリック!」)という映画を見たことがある。肝心の『知りすぎた少女』を見ていないのでその点では何とも言えないが、この人はやたらと血しぶきを飛ばしエグイ画面で攻めるのではなく、心理的な怖さでジワジワ来させるタイプなのかなとは思った。映画そのものがB級だったので実際にはあまりジワジワ来なかったが。
 そのバーヴァは3本西部劇を撮っているが、ジャンルそのものがすでにB級映画扱いされているマカロニウエスタンをレベルの基準にしても(繰り返すがレオーネやソリーマなどはレベル的には代表などではない、むしろ例外である。『86.3人目のセルジオ』『91.Quién sabe?』参照)なお駄作と言われる出来だ。つまり普通の映画を基準にすると、どれも超駄作ということになる。1964年のLa strada per Fort Alamo(「アラモ砦への道」、ドイツ語タイトルDer Ritt nach Alamo「アラモへ行く」)、1966年のRingo del Nebraska(「ネブラスカのリンゴ」、ドイツ語タイトルNebraska-Jim「ネブラスカ・ジム」)、1970年のRoy Colt & Winchester Jack(『ロイ・コルト&ウィンチェスター・ジャック』、ドイツ語タイトルDrei Halunken und ein Halleluja「悪党三人にハレルヤ一つ」)がそれだが、ユーチューブで探したら映画全編見られるようになっていたので驚いた。もっとも映画の質にふさわしく画像が悪いのと、音声もイタリア語にポーランド語の字幕がついていたりしてとっつきようがなくどうも見る気がしない。探せば英語音声もあるかもしれないがわざわざ探す気にもなれない。それでもちょっと覗いた限りではLa strada per Fort Alamoに『復讐のガンマン』のGérard Herter(この名前もジェラール・エルテールと読むのかゲラルト・ヘルターと言ったらいいのかいまだにわからない)、Roy Colt & Winchester Jackには主役として『野獣暁に死す』のブレット・ハルゼイが出ているのが面白かった。面白くないが。さらにRingo del Nebraskaにはアルド・サンブレルが出ているそうだが、もうどうでもよくなってきたので私は確認していない。ところがさらに検索してみたら3本ともDVDが出ているのでさらに驚いた。しかもなんとマカロニウエスタンを多く手掛けている超大手の版元Koch Mediaから出ている。このKoch Mediaというドイツの会社はジャンルファンの間では結構名を知られていて、変な比較だが言語学をやっている者なら誰でも「くろしお出版」を知っているようなものだ。こんな映画のDVDがあるわけがないと始めからタダ見を決め込んでユーチューブに探りを入れた私は恥を知りなさい。
 それにしてもLa strada per Fort Alamoは公開が1964年の10月24日、『荒野の用心棒』が1964年9月12日だから、ほとんど同時だ。『荒野の用心棒』のクソ当たりをみてからわずか一ヵ月余りでじゃあ俺もと西部劇を作ったとは思えないから(それとも?)La strada per Fort Alamoはレオーネの影響を受けずに作られたと考えたほうがよさそうだ。だから駄作なのかとも思うが後続の2作も皆駄作である。次のRingo del Nebraskaはクレジットでは監督Antonio Románとなっていて、バーヴァの名前は出ていない。「この映画はバーヴァも監督を担当した」というのは「そういう話」なのだそうだ。このいいかげんさがまさにマカロニウエスタンである。

驚いたことにバーヴァの最初の2作は大手のKoch Mediaから焼き直しDVDが出ている。
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『ロイ・コルト』は他の作品とまとめられて「マカロニウエスタン作品集Vol.1」にブルー・レイで収録されている。これもKoch Mediaである。
kochmedia

古いDVDもある。
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 バーヴァよりはダリオ・アルジェントの方がジャンルに貢献している。ただしアルジェントは監督としては一本も撮っていない。脚本を何本か書いているのだ。『野獣暁に死す』(『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』参照)と『傷だらけの用心棒』(『48.傷だらけの用心棒と殺しが静かにやって来る』参照)の脚本はこの人の手によるものである。後者は本脚本(?)はClaude Desaillyによるフランス語でアルジェントはイタリア語の脚本を担当したのだが、気のせいかこの映画にはあまりストーリーとは関係のないホラーシーンがある。主人公のミシェル・メルシエが血まみれの兎の首を出刃包丁(違)で叩き切るシーンだ。この映画はそもそも雰囲気がやたらと暗いが、そこにさらにこんな気色悪いものを出さなくてもよかろうにと思った。この血まみれ兎はアルジェントの差し金かもしれない。

ミシェル・メルシエが出刃包丁(違)を振りおろすと
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血まみれの兎の首がコロリと落ちる。
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こちらジャッロ『サスペリア』の包丁シーン
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『野獣暁に死す』の脚本はアルジェント一人の手によるもの。あまりスプラッターな部分がないが、監督が違うからだろう。チェルヴィ監督はそういう点では抑え気味。ラスト近くに敵が森の中で首つりになるシーンが出てきてそれがレオーネなどより「高度」があるのと、ウィリアム・ベルガーが相手の喉元を掻き切るシーンがあるが、掻き切られたはずの喉笛から血が吹き出さない。もしアルジェント本人が監督をやっていればどちらのシーンも血まみれですさまじいことになっていたはずだ。また『傷だらけの用心棒』もそうだが『野獣暁に死す』も特に上述の森の中の人間狩りの場面など全体的に妙な怪しい美しさが漂っている。もっともこれも「脚本アルジェント」と聞いたからそういう気がするだけかもしれないがなんとなくジャッロ的ではある。

『野獣暁に死す』では陰気な森の中で敵が首つりにされるが、監督が違うせいか『サスペリア』ほどエグくない。
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こちら『サスペリア』。エグいはエグいが血の色がちょっと不自然に赤すぎないだろうかこれ?
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ウィリアム・ベルガーが敵の喉笛を掻き切るが(上)、掻き切られた後も血が出ていない(下)。
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『野獣暁に死す』のラスト森の光景はちょっとおどろおどろしくてジャッロにも使えそう。
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 もう一つアルジェントが手掛けた大物マカロニウエスタンは丹波哲郎の出る『五人の軍隊』(1969年、原題 Un esercito di cinque uomini、ドイツ語タイトルDie fünf Gefürchteten「恐れられた五人」)で、私はまだ見ていないのだが、評その他をみると『野獣暁に死す』、『傷だらけの用心棒』とともにマカロニウエスタンの平均は超えている出来のようだ。しかし「アルジェントは(脚)本が書ける」ことを序実に証明しているのは何と言っても『ウェスタン』だろう。これは「平均を超えている」どころではない、マカロニウエスタンの例外中の例外、普通の映画を基準にしても大作・名作として勘定される超有名作品だ。あまりに名作なので、『ウエスタン』はマカロニウエスタンの範疇に入れていないと言っていた人がいた。失礼な。ただしこれは共同脚本で、アルジェントの他にあのセルジオ・ドナーティやベルナルド・ベルトルッチが一緒に仕事をしている。すごいオールスターメンバーだ。

 次にルチオ・フルチはバーヴァと同じく監督としてマカロニウエスタンを5本(あるいは3本。下記参照)作っている。その最初の作品がフランコ・ネロで撮った『真昼の用心棒』Le colt cantarono la morte e fu... tempo di massacro(1966年、ドイツ語タイトルDjango – Sein Gesangbuch war der Colt「ジャンゴ-その歌集はコルトだった」)、いわゆるジャンゴ映画の一つである。フランコ・ネロを主役に据え、ジョージ・ヒルトンをマカロニウエスタンにデビューさせた古典作品だ。オープニングにしてからが人が犬に噛み殺されて川が血に染まるというシーンだから後は推して知るべし。典型的なジャンル初期の作風である。DVDやブルーレイも嫌というほど種類が出ている。

ジョージ・ヒルトン(左)は『真昼の用心棒』がマカロニウエスタン一作目。このあとスターとなった。
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 その後何年か間をおいて1973年にZanna Bianca(邦題『白い牙』、ドイツ語タイトルJack London: Wolfsblut「ジャック・ロンドンの狼の血」)、1974年にその続編Il Ritorno di Zanna Bianca (邦題『名犬ホワイト 大雪原の死闘』、ドイツ語タイトルDie Teufelsschlucht der wilden Wölfe「野生の狼の悪魔の谷」)という西部劇を撮っている。しかしこの二つはジャック・ロンドンの小説『白牙』をもとにしていて西部劇というより家族もの・冒険ものだそうだ。確かにフランコ・ネロは出ているし、たとえば『裏切りの荒野』(『52.ジャンゴという名前』参照)などはメリメのカルメンからストーリーを持ってきているから、文学作品をもとにした映画はマカロニウエスタンとは呼べないとは一概には言えないが、この2作はマカロニウエスタンの範疇からは除外してもいいのではないだろうか。
 次の作品、ファビオ・テスティが主役を演じた I Quattro dell'apocalisse (1975年、「4人組 終末の道行」、邦題『荒野の処刑』、ドイツ語タイトルVerdammt zu leben – verdammt zu sterben「生きるも地獄、死ぬも地獄」)はタイトルから期待したほどは(するな)スプラッターでなかったが、人がナイフで皮を剥がれたり女性が強姦されたり(どちらも暴行するのはトマス・ミリアン!)、挙句は人肉を食べてしまったりするシーンがあるから明らかに「猟奇」の要素が入り込んできていて同じ残酷でも『真昼の用心棒』を含む60年代の古典的マカロニウエスタンとははっきりとスタイルを異にしている。いや、そのたった一年前に作られた『ミスター・ノーボディ』とさえ全然違う。『ミスター・ノーボディ』はスタイルの点でもモティーフの上からも古典的な作品でサンダル映画さえ引きずっている(『12.ミスター・ノーボディ』参照)からだ。また『荒野の処刑』は妊娠した女性が大きな役割を持ってくるあたりエンツォ・カステラーリがフランコ・ネロで撮った後期マカロニKeoma(1976年、邦題「ケオマ ザ・リベンジャー」)あたりとつながっている感じだ。

I Quattro dell'apocalisse では最初に颯爽と出てきた主役のファビオ・テスティが
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しまいにはこういう姿になる。
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 続くフルチ最後の西部劇、1978年のSella d'argento (「銀のサドル」、邦題『シルバー・サドル  新・復讐の用心棒』、ドイツ語タイトルSilbersattel「銀のサドル」)はスタイル的にもモティーフ的にもストーリー的にもマカロニウエスタンの古典路線に逆戻りしていて私はこちらの方が好きである。ちょっとユーモラスなシーンもある。やたらと撃ち合いになり人がやたらと血まみれで死ぬは死ぬが、全体的にはむしろソフトというか静かな雰囲気。主役がジュリアーノ・ジェンマだからかもしれない。この人では猟奇路線は撮りにくかろう。それにしても「シルバー・サドル」などという邦題をつけてしまうとまるで老人用の鞍のようでまずいと思う。もっとも原題にしてもどうしてここで急に銀が出てくるのか。ジュリアーノ・ジェンマがそういう鞍に乗っているから綽名としてついているのだがどうして黒い鞍でもなく象牙のグリップでもなく銀の鞍なのか。考えすぎかもしれないが、ひょっとしたらこの「銀」argentoという単語は暗にダリオ・アルジェントのことを指しているのではないだろうか。いずれにせよフルチがゾンビ映画『サンゲリア』を撮ったのは「アルジェントの鞍」の翌年、1979年だ。つまりフルチはマカロニウエスタンというジャンルがすでに廃れだしすでにジャッロが勃興していた時期にもまだ西部劇に留まっていたことになる。その後でマカロニウエスタンですでに練習してあった絵、例えば血まみれの穴の開いた頭部の映像などをジャッロに持ち込んだのかもしれない。その意味でやっぱりジャッロはマカロニウエスタンの後裔である。

ルチオ・フルチ監督のSella d'argento の主役はジュリアーノ・ジェンマと…
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…「アルジェントのサドル」(左)。
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