アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Juli 2017

 ビリー・ワイルダーの古典映画『失われた週末』を見たのは実はつい最近(と言っても何年か前だが)だ。レイ・ミランドのハンサムさに驚いた。この人は70年代の『大地震』のおじいさん役などでしか見たことがなかったのである。もちろんおじいさんになっても容貌の整っているのは変わらないから「この人は若い頃はさぞかし」と感じてはいたが、それ以上のさぞかしであった。

 兄弟の世話でからくも生活しているアル中の売れない作家(ミランド)の悲惨な話である。とにかくこの主人公は「まともな生活」というものが出来ずに経済的にも日常面でも兄弟に頼りきりなのだが、問題はその「兄弟」である。英語ではもちろんbrotherとしか表現できないからどちらが年上だかわからない。でも私は始めからなぜかこの、主人公とは正反対の真面目できちんとした勤め人の兄弟がダメ作家の弟と以外には考えられなかった。自分でもなぜそういう気がするのかわからないでいたら、ワイルダーが映画の中でその疑問に答えてくれた:二人の住むアパートの住居の壁にゴッホの絵が2枚かかっていたのである。
 たしか有名な『ひまわり』ともうひとつ。そうか、この兄弟はヴィンセント・ファン・ゴッホとその弟テオだったのだ。ファン・ゴッホが生活力というものがまるでなく、経済的にも精神的にも生涯弟のテオにぶら下がりっぱなしだったのは有名な話だが、兄のファン・ゴッホが死んで、弟はこれでいわば重荷、といって悪ければ義務からある程度解放されてホッとできたかと思いきや、兄を失った悲しみで半年後に自分も世を去ってしまった。外から見れば負担にしかみえないようなその兄はテオにとっては生きがいだったのである。
 なのでこのファン・ゴッホの絵を見れば「ああこの世話人は弟なんだな」と納得すると思うのだが、日本語の映画名鑑の類にはどれもこれもアル中作家が「兄の世話になっている」と書いてある。これを書いた人たちは壁の絵に気づかなかったのか、気づいてもそんなものはストーリーには関係ないと思ったか、ヴィンセントとテオを知らなかったかのどれかである。あるいは「年長のものが年下の者の世話をする」という日本の年功序列的考えが染み付いていて「世話」と見て自動的に年長者と連想したのかも知れない。

 このbrother・Bruderあるいはsister・Schwester(『42.「いる」か「持つ」か』参照)というのは最も日本語に翻訳しにくい言葉の一つ(二つ)なのではないだろうか。逆方向は楽チンだ。兄も弟もまとめてbrotherでいいのだから。ドイツ語や英語が母語の人には「兄・弟」の観念自体が理解できないのがいる。私が「日本語では年下のbrotherと年上のbrotherは「家」と「石」みたいに全く別単語だ」というと彼らは最初ポッカーンとした顔をしてしばらく考えているが、大抵その後「じゃあ双子とかはどうなるんですか?」と聞いてくる。あまりにも決まりきった展開なので答える私もルーチンワークだ。「あのですね、日本を含めた東アジアでは双子と言えどもいっぺんには生まれないんですよ。そんなことは人体構造的に不可能です。数分、いや数秒差であっても片方が先です。そして数秒でも先に生まれればそっちが兄です。ミリ秒単位で同時に出てこない限りどちらが上かはすぐわかるでしょうが」。実はそこで「それともヨーロッパの女性はミリ秒単位で子供を同時に出せるんですか?」と聞き返してやりたいのだが、若い人にはあまりにも刺激が強すぎるだろうからさすがにそこまでは突っ込めないでいる。でも全く突っ込まないのもシャクだから、「子供の頃、英語やドイツ語で兄と弟を区別しないと聞いて、なんというデリカシーのない言語だと驚いたときのことをよく覚えています。「父」と「叔父」を区別できない言語を想像していただくとこのときの私の気持ちがわかっていただけると思います」と時々ダメを押してやっている。

 さて、「映画の壁の絵」に関して最も有名な逸話といえばなんと言っても「聖アントニウスの誘惑」だろう。1947年にモーパッサン原作の『The Private Affairs of Bel Ami』という映画が製作されたが、プロデューサーも監督も絵画の造詣が深く、壁にかける絵を募集するためコンテストを行なった。そこでテーマを『聖アントニウスの誘惑』と決めたのである。12人のシュールレアリズム画家が応募し、一位はマックス・エルンストの作品と決まった。エルンストのこの絵を知っている人も多いだろうが、当選したエルンストの絵より有名なのが落選したサルバトール・ダリの『聖アントニウスの誘惑』だろう。ポール・デルヴォーもこのコンテストに参加している。

参加者の12人とは以下の面々である:

Ivan Albright (1897–1983)
Eugene Berman (1899–1972)
Leonora Carrington (1917–2011)
Salvador Dalí (1904–1989)
Paul Delvaux (1897–1994)
Max Ernst (1891–1976)
Osvaldo Louis Guglielmi (1906–1956)
Horace Pippin (1888–1946)
Abraham Rattner (1895–1978)
Stanley Spencer (1891–1959)
Dorothea Tanning (1910–2012)

(Leonor Fini (1908–1996))

最後のFiniという画家は参加申し込みはしたが、作品が締め切りまでに提出できなかったそうなので括弧に入れておいた。イヴ・タンギーかデ・キリコが参加しなかったのは残念だ。『101.我が心のモリコーネ』でも述べたようにデ・キリコは私は中学一年の時に銀座の東京セントラル美術館というところで開かれた個展を見にいって以来、私の一番好きな画家の一人である。ちなみにそのときは地下鉄代を節約するため銀座まで歩いていった。どうも私は前世はアヒルかガチョウの子だったらしく、中学生・小学生のとき、つまり人生で最初に出合った音楽や絵のジャンルがいまだに好きである。「刷り込み」を地でいっているわけだ。モリコーネのさすらいの口笛はいまだに聴いているし、うちの壁にはデ・キリコの絵(のポスター)が掛かっている。もっとも映画制作時の1947年といえばキリコはすでにあのシュールな絵を描くのを止めてしまっていた頃か。

 絵の話で思い出したが、日本でメキシコの画家というと誰が思い浮かんでくるだろうか。まずディエゴ・リベラとシケイロス、あとルフィーノ・タマヨ(この人の個展も私が高校生の頃東京でやっていたのを覚えている)だろう。こちらではリベラ、シケイロスより先にフリーダ・カーロが出てくる。以前町の本屋にカーロの画集がワンサと並んでいた時期があるが、リベラのはあまり見かけなかった。日本では「リベラの妻も画家だった」であるが、こちらでは「リベラは画家カーロの夫である」という雰囲気なのである。彼らをテーマにした例の映画でも主役はサルマ・ハイエク演ずるカーロのほうだった。映画のタイトル自体『フリーダ』である。
 今更だが、日本とヨーロッパでは同じものでもいろいろ受け取り方が違うものだ。


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本を出版しました。二葉亭四迷など明治時代のロシア語からの翻訳を論じたものです。もう紆余曲折あり過ぎてドッと疲れての出版ですがこういう事情です。

 もともとの内容はさる大学で研究員をやっていた当時書き上げたものですが、最初口約束で言われていた援助をプロジェクト終了時に大学に反故にされ、半分出来かかっていた原稿といっしょに放り出されてしまいました。それも「こんな下らない内容じゃ援助できん」とかいうのならまだわかるのですが、内容を見もしないで、「あなたは日本文学をドイツで専攻していないから教授資格論文審査にかけてあげる資格がありません」って一体なんですか?しかもそれならそれでもっと早く言ってくれればいいものを最後の最後になってこの鉄槌はあり得ない。

 あり得ないとは思ったが食らったもんは仕方がない、今の大学で限りなく収入ゼロに近い非常勤講師をやりながらどうにか原稿を仕上げましたよもう。で、誰か専門家に見てもらおうと思ったら、日本語とロシア語のテキストが読めて私の論旨の是非がチェックできる人物というのがそもそもドイツには私自身くらいしかおらず、誰も推薦やチェックをしてくれる者がいない。
 いろいろ打診し、しまいには大学教授やってるネットの知り合いにまで泣きついて相談したんですが、内容がフリーク過ぎたためかどこも出版援助してくれない。 仕方がないからさる身近な者から「お前金余ってんだろ。よこせ」と金を強奪し、人間終わってる状態でやっと出版にこぎつけました。

 で、やっと出たら出たでつけられた値段を見て驚愕。そのうちアマゾンにも出現するかも知れませんがそこでもこんな感じの値段だと思います。これはもちろん私がつけたんじゃありません。出版社が著者の私のあずかり知らないところで勝手につけたんです。誰も買わないだろこんなんじゃ。印税ゼロは確実です。 
 しかも手元に何冊かある「著者用」(下記参照)以外に私がこの本を欲しいと思ったら30%引きで買わねばならないんです。30%引いたってまだ100ユーロ。買えるわけありませんよ、そんなもん。自分の出した本を自分で買えない、ってなんなんですか?

 だいたい「専門書」(ナニを偉そうに)のカテゴリーに入れられた本はクソ高いものですが、それでもこの値段はあんまりだ、と誰でも思うでしょうが、大学教員の皆さんなら自分の大学の図書館に買わせるって手がありますぜ。自分の懐を痛める必要はありません。また、「自分はこんな下らない本買うのは金輪際ごめんだが、ひょっとしたら誰か他に騙されて買う物好きがいるかもしれない」と心当たりのある方、FBや自分のブログなどで宣伝して誰か裕福な人に買わせましょう。その人から借りればやっぱり自分の懐は痛みません。

 あと、私の手元に著者用として何冊かあります。こういうことするとアマゾンの営業妨害になるかもしれませんが、この値段をまさか図書館員でもなく裕福でもない個人に払わせるのはあまりにもアレなので、50ユーロくらいでお譲りします。人生に一度くらいなら50ユーロの無駄金は使ってもいいという奇特な人がいたらメッセージでも下さい。

 さて、そういうヘタレ本を無理矢理宣伝させていただいて恐縮ですが、この本には次のような利点・使い道があります。

1.やたらと厚いので書架の飾り、机上の文鎮代わり、さらに夜道を襲われた時ブン投げて敵を撃退する武器として最適です。家の者の言によれば「これ、角が当たったら人死ぬぜ」。

2.ドイツ留学を考えておられる皆さんには「だいたいこんな程度の論文を仕上げれば(多分)学位がとれる」という「見本・サンプル」になります。実は私の学位論文はクソで、今考えると「あんなのがよく通ったもんだ」と感心するほど、それに対応して成績もあまり良くなかったのですが、当時これを書いていたらもっといい成績が取れていたとは思います。
 で、まあこの程度を書けばドイツで学位がとれるだろう、大したもんじゃなくてもいいんだな、これくらいならオレにだって書けるわ、という勇気付けになると思います。

 最後の最後に、ひょっとしてこれを日本語に翻訳して日本で商業出版しようとかしてくださる方がいましたら(だってこれ内容はモロ日本文学ですから)お願いします。私はもう疲れきっていて自分で翻訳なんてする気力が無いし、他の人に翻訳してもらってその人になにがしかの翻訳料が入る、ということになればこんな本でも少なくともその方のお役には立ったわけで、まあ私としてその方が嬉しいです。

 実はもう一個書きたいテーマがあるんですわ。上述のクソ学位論文をバージョンアップしたいんです。Übertragung der Informationsstrukturとかいう見掛け倒しのエラそうなタイトルにしたいんですが、この調子だと私死ぬまでに出版にこぎつけることはできないと思います。チーン・・・


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