アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

November 2016

 私個人は嫌いなので、あまり「日本の国技」として下手に外国に紹介などしてほしくないのだが、スモウというのはやはり外から見るとエキゾチック趣味をそそられるらしくこちらでも一時TVなどでよく放映されていた。故九重親方が千代の富士として力士をしていたころも、見たくもないのにスポーツ番組で流されて迷惑したものだ。ファンの方には非常に申し訳ないが、どう見てもあれは私の審美眼には適わない。
 しかし、相撲を外国で見せられると気分が悪くなる原因はあのスポーツ自体が嫌いなことの他に選手の(力士と言え)名前がムチャクチャな発音で呼ばれるからである。もちろんローマ字綴りの日本語が外国語読みになると原型を留めないほどひどい形になるのはドイツに始まったことではない。例えばMr. Kimuraはアメリカではミスター・カイミューラになってしまうそうだが、ドイツ語でもヘボン式で表記された名前がドイツ語読みにされるから大変なことになる。一度千代の富士Chiyonofujiがヒジョノフォーイーと発音されたのを聞いた。しかも妙な強弱アクセントがフォの上に置かれていて、あまりの乖離ぶりに全身の血が凍りついた。こりゃほとんどホラーである。

 ドイツ語ではchは「チ」ではなく後舌母音に続く時は[ç]、その他の母音や子音の後は[x]と読まれる。だからStorch「コウノトリ」は[ʃtɔʀç](シュトルヒ)、durch(英語のthrough)は[dʊʀç]( ドゥルヒ)なのだが、北ドイツの人がこれらをそれぞれ[ʃtɔʀx](シュトルホ)、[dʊʀx](ドゥルホ)と発音しているのを何度か聞いた。オランダ語では[ç] というアロフォンがなく、外来語以外のchは基本的に[x] なのとつながっているのだろうか。Chはさらにフランス語からの借用語では[ʃ]、イタリア語からの借用語では[k]となることもあるが、語頭のchi は普通「ヒ」である。
 さらに英語もそうだがドイツ語には日本語の無声両唇摩擦音 [ɸ] がないので、この音を上歯と下唇による摩擦音 [f] で代用して書く。「代用」と書いたが、欧米の自称「日本語学習者」には日本語の「ふ」が両唇摩擦音であって [f] ではない、というそもそものことを知らない人が時々いる。また前にもちょっと書いたが、「箸」と「橋」と「端」、「今」と「居間」など、「高低アクセントの違いで意味が変わるなんて聞いた事もない」人に会ったこともある。前に日本語を勉強したとのことだったが、私がちょっとアクセントの話をしたら、ほとんどデタラメを言うな的に食ってかかられて一瞬自分のほうが日本語のネイティブ・スピーカーであることを忘れてしまいそうになった。子供の頃「飴が降ってきたね」といった京都の子をからかった記憶(今思い出すとまことに慙愧の念に耐えない。言葉をからかうのは下の下であると今では考えている)は私の妄想だとでもいうのか。
 話を戻すと、その上ドイツ語の母音 u はしっかり円唇母音 [u] だから、非円唇の日本語の「う」 [ɯ] よりもむしろ「お」に聞こえることがある。そこでさらに強弱アクセントを置いた母音がちょっと長くなるので fu が「フォー」と2モーラに聞こえてしまうのだ。
 j はドイツ語では[ʒ]でも[dʒ]でもなくまさにIPAの通り [j] だから、ja、ji 、ju、je、 jo、はジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョでなくヤ、イ、ユ、イェ、ヨである。「柔道」 judo はユードー、柔術 jujitsu はユイーツーとなって一瞬「唯一」かと思う。心理学者のユングの名もJungと j で始まっている。だから ji は「イー」である。

 ここまでは単にヘボン式のローマ字の読み方を知らずに単細胞にドイツ語読みしやがっただけだから発音の悲惨さの原因はまだわかりやすい。問題はどうして yo が「ジョ」になるのかということである。ドイツ人が yo を「ジョ」と読むのを他でも一度ならず聞いた。例えばTakayoだったかなんだったか、とにかく最後に「よ」のつく日本の女性名が「タカジョ」と呼ばれていたのだ。これはアルファベットのドイツ語読み云々では説明できない。Ya、yi、yu、ye、yoはドイツ語でもヤ、イ、ユ、イェ、ヨだからである。

 私はこれはいわゆる過剰修正の結果なのではないかと思っている。

 まず j は上で述べたようにフランス語では摩擦音の[ʒ]、英語では破擦音の[dʒ]だから日本語と大体同じ、というより日本語のアルファベット表記が英語と同じになっている。ドイツ人にとっても日本人と同じく学校で最初に学ぶ外国語は英語、その後中学でフランス語だから、その際「ja、ji、ju、je、joをヤ、イ、ユ、イェ、ヨと発音してはいけない」ということを叩き込まれる。学校で真面目に勉強しないでいて英語の全く出来ない人はドイツにもいるが、そういう人たちはJohnを「ヨーン」、Jacksonを「ヤクソン」と呼んでケロリとしている。しかし普通の教養を持っている人は英語やフランス語ができなくてケロリとしているわけにはいかないから、必死に「ja、ji、ju、je、joをヤ、イ、ユ、イェ、ヨというのは間違い、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョが正しい」と自分の頭に刷り込むのである。そのうち「ja、ji、ju、je、joを」という条件項目が後方にかすんでしまい、「ヤ、イ、ユ、イェ、ヨは間違い、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョが正しい」という強迫観念が固定して、勢い余って本当にヤ、イ、ユ、イェ、ヨで正しい場合までジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョと言ってしまう。このため yo をついジョと発音してしまうのではないだろうか。
 ここでわからないのはむしろ、直さなくていいところで余計な修正が入り、直すべき肝心の富士の「ジ」の部分では修正メカニズムが起動せず「イー」に戻ってしまっていることだ。

 もう一つ思いついたのは、スペイン語で y が [j] ではなく時々、というより普通軟口蓋接近音 [ʝ] になることである。時によるとこれがさらに破擦音の[ɟʝ]、時とするともっと進展して軟口蓋閉鎖音の[ɟ]にさえなってしまうそうで、実際私の辞書にはyo(「私」)の発音が[ɟo]と表記してある。ドイツ人には(日本人にも)これらの音はジャジュジョと聞こえるだろう。それでドイツ人はyoを見ると「ジョ」といいたくなるのかもしれない。
 しかし反面、この[ʝ] [ɟʝ] [ɟ]はあくまで [j] のアロフォンであり、どの外国語もそうだが、音声環境を見極めてアロフォンを正確に駆使するなどということは当該言語を相当マスターしていないとできる芸当ではない。今までに会った、yo を「ジョ」と読んだドイツ人が全員スペイン語をそこまでマスターしていて、ついスペイン語のクセがでてしまった、とはどうも考えにくい。上でも述べたように、何年間も勉強した学習者でも発音をなおざりにしていることなどザラだからだ。それにどうせスペイン語読みになるのだったら、他の部分もスペイン語読みになって「チジョノフッヒ」とかになるはずではないのか?これはこれでまたホラーだが。

 してみるとやはりあの発音はやはり過剰修正の結果と考えたほうがいいだろう。

 この過剰修正はローマ皇帝のヴェスパシアヌスもやっているらしい。風間喜代三氏がこんな逸話を紹介してくれている:あるときヴェスパシアヌスに向かってお付きのフロールスFlōrusが「plaustra(「車」)をplōstraといってはなりませんぞ」と注意した。これを聞いた皇帝は翌日そのお付きをFlaurusと呼んだ。
 スエトニウスの皇帝伝に書かれているこの話が面白いのはまず第一にこれがau, ō → ōというラテン語の音韻変化の記録になっているからだが、これも千代の富士のホラー発音と同じメカニズムだろう。もっともヒジョノフォーイーと比べたらフロールス→フラウルスなんて可愛いものである。


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 南西ドイツにGという町がある。結構こじんまりしたきれいな町なのだが、場所が辺鄙な上にやたらと小さな町なので、最初内心「なんでこんなところに人が住んでいるんだ」と馬鹿にしていたのだが(まことに申し訳ない)、なんとこの町はローマ帝国がゲルマニア侵略のための要塞として建設した町なんだそうだ。下手なドイツの町よりずっと古い。そこの中央駅(中央駅のくせに無人駅)の近くに池があっていつもアヒルが泳いでいるのだが、ある日私がその池のほとりのベンチに坐ってボーっとしていた時のことだ。

 隣のベンチの周りでどこかのおっちゃんたちが何人か真っ昼間から酔っ払ってワイワイ騒いでいる。そのうち一人がビールのカンを片手に私んとこにやってきてAlles klar?「すべてOKかい?」と話しかけてきた。実は私はそれまでについおっちゃんたちの会話に耳を傾けてしまっていて、その言語がロシア語だと気づいていたので、またしてもよせばいいのにズに乗って(『1.悲惨な戦い』参照)всё ясно(「すべてOKです」)とか答えたら、そのおっちゃんは「へっ、どうしてロシア語がしゃべれるんだい?」とか言いながら私の隣にドッカリと腰を下ろして勝手にしゃべり始めた。互いに「ドイツで何をしているのか、どこから来たのか」という身の上話の展開になったが、私のほうは時々ドイツ語が混じる、というよりドイツ語が主で時々ロシア語が混じるというヘタレロシア語だったのに、おっちゃんは酔っ払っているせいか私が聞き取れなくて馬鹿面をしようが、しゃべれなくて文法を間違えようが委細構わずロシア語でガンガン話を進める。
 しかし、ある意味では酔っている人というのは語学の練習の相手としては最高かもしれない。こちらが間違えても向こうはそもそも間違ったことに気がつかないから、馬鹿にしたり訂正したりしないので気兼ねなくロシア語で話せるし、またこちらがわかっていなくても手加減せずロシア語で来るからヒアリングの練習には最適だ。どうせ明日になれば向こうだって私のことなど忘れているだろうと思えば勇気を持ってというか恥を忘れて話しかけられる。酔って攻撃的になる人は論外だが、相手が気持ちよく酔っ払っているとこっちまで気持ちよく語学の練習が出来るのだ。

 ところがそこでそのおっちゃんが、「ドイツに来る前はバイコヌールで宇宙船の組み立てをしていた」と言い出したので絶句。酔いがいっぺんに冷めた感じだ(私は別に酔ってはいなかったが)。今まで気兼ねなく好き勝手な口を利いていた相手が実は水戸黄門だとわかったときのスッ町人の気分である。私の顔が尊敬の念と驚愕のあまり硬直したのを見て、おっちゃんは私を慰めてくれた。「いやいや、でもエンジニアとか学者じゃなくて単なる組立作業員だよ。でも私の組み立てた宇宙船はちゃんと宇宙に行ってる」。

 そんな人がどうしてGなどという辺鄙な町のアヒルの池のほとりにいるのか?

 東西ドイツが統一し、ソ連が崩壊した時、統一ドイツ政府はソ連領内に残っていたドイツ系住民にほぼ無条件でドイツ国籍を与え、難民としてドイツに迎え入れた。Russlanddeutsche、ロシア・ドイツ人と呼ばれる人たちで、先祖がドイツ人であることを文書で証明できたのである。そのおじさんもドイツ系ロシア人だったのではないだろうか。
 ソ連、あるいはロシア領内へのドイツ人の入植が盛んになったのはもちろんエカテリーナ2世(エカテリーナ2世はドイツ人)の時代からで、ボルガ川流域に多くのドイツ人居住地域ができた。それで彼らは「ボルガ・ドイツ人」と呼ばれた。プーシキンの『スペードの女王』にも(『4.荒野の大学通り』参照)、ドストエフスキーの『悪霊』にもそれぞれゲルマン、フォン・レンプケという名前のドイツ人が登場する。先の日露戦争終結時に全権委任されて小村寿太郎と交渉したロシアの政治家もWitte(ウィッテまたはヴィッテ)といってゲルマン語系の姓であるが、調べてみたらヴィッテはボルガ・ドイツ人ではなく、リトアニアの貴族であった。つまりドイツ人が東プロイセンに建てた騎士団領の貴族の子孫ということになる。ボルガ・ドイツ人より由緒のある家の出なのである。
 
 もっともドイツ語系の姓をもったロシア人・ソ連人にはドイツ人ばかりでなく、アシュケナージと呼ばれるユダヤ人が相当いる。
 映画監督のエイゼンシュテインЭйзенштейнも名前からみてもわかるように本来ユダヤ人なのだが先祖はとうにキリスト教正教に改宗しており、エイゼンシュテイン自身も自分をユダヤ人とは思っていなかったようだ。それに対して詩人のマンデルシュタームМандельщтамはアイデンティテイの面でもユダヤ人でワルシャワの生まれである。どちらもドイツではもとのドイツ語綴りにもどしてそれぞれEisenstein、 Mandelstamと書く。ロシア語を忠実にドイツ語に写していればsでなくschと書いていたはずだ。エイゼンシュテインは発音もドイツ語読みにされてアイゼンシュタイン。
 さらに演出家のメイエルホリドМейерхольдの名前ももとはMeyerholdというドイツ語で、ドイツではマイヤーホルトと呼ばれる。この人はアシュケナージではなくドイツ人でボルガ領域の町ペンザの出身である。本当の名前はМейерхольд でなくМайергольдといったそうだが、これはドイツ語や英語の h は普通ロシア語ではг (g)で写し取る(『4.荒野の大学通り』参照)からである。最近は h を г でなく х (ドイツ語の ch)と書くことが多いと教えてくれた人がいた。でもメイエルホリドなんてあまり「最近の人」ではないような気がするのだが。

 それより面白いのがMeyerhold→Мейерхольдと、ドイツ語の l がロシア語では ль、口蓋化音の l で表されていることだ。ドイツ人の名前で l が子音の前に立ったり語末に来たりするとロシア語では必ず ль になる。現首相の名メルケルMerkelはロシア語で書くとМеркельだし、ソユーズにも乗ったドイツ人の飛行士メルボルトMerboldの胸にもМербольдという名札がかかっているのを見た。時期的に一致しているからアヒルの池のほとりのおじさんはひょっとしたらメルボルト宇宙飛行士とバイコヌールで会っていたかもしれない。また地名もそうで、ハイデルベルクHeidelbergはГейдельберг、オルデンブルクOldenburgはОльденбург。
 ロシア人は l に関して「口蓋化・非口蓋化」の区別に非常に敏感で、以前ロシア語の授業でもドイツ人の学生がбыл(ブィル、「~だった」)というとロシア人にはбыль(ブィーリ、「実話」)に聞こえるらしく、何回もやり直しさせられていた。しかしドイツ人は単に発音できないのではなくてそもそもそれらの音の違いが感知できない、つまりどちらの音も同じに聞こえるわけだから、いくらロシア人が発音して聞かせてやっても無駄なのである。超音波が聞こえるコウモリ男が私にいくら「こんなものも聞き取れないのか、根性を出してもっとよく聞いてみろ」と言ったって無理なのと同じだ。さらにドイツ人には「箸」と「橋」、「お菓子」と「お貸し」と「岡氏」の区別が全くできない人がいる。私めがありがたくも高貴な東京型アクセントを聞かせてやっても、「全部同じに聞こえる」「高さの違いが全くわからない」。だから「あなたは昨日何をしましたか?」が「あなたは昨日ナニをしましたか?」という卑猥な質問に変形してしまうのである。もっともこの「ナニ」については双方同じ人間だから聴覚器官そのものは共通なわけで、訓練すれば区別できるようになる点がコウモリ男の超音波とは違うが。

 話が逸れたが、そのロシア語の先生によると当時ドイツで人気のあったオランダ人のTVコメンテーターが発音する l はまさににロシア語の硬音(非口蓋音)の л だから彼女の発音を真似しなさい、とのことであった。実際ドイツ語と違ってオランダ語の名前では l が軟音(口蓋化音)の ль でなく、 л で写し取られるのが普通である。ドイツ語の名前と比べてみて欲しい。

人名
Joost van den Vondel → Йост ван ден Бондел
Johan van Oldenbarnevelt → Йохан ван Олденбарневелт

地名
Tilburg → Тилбург
Almere → Алмере
Helmond → Хелмонт

BondelやOldenbarneveltという名前では l の現れる環境がそれぞれ上に挙げたドイツ語のMerkel 、Oldenburg、 Merboldとそっくりなのに硬音の л で表されている。稀にオランダ語の名前が軟音 ль になっていた例も見たが、全体としてはロシア語の先生の言ったとおりだ。ただ、これが本当にオランダ語の名前をロシア人が耳で聞いてキリル文字に写し取ったからなのか、単にドイツ語・ロシア語間の文字化の仕方がロシア語・オランダ語間のと慣習によって違った風になっているだけなのかはわからない。

 さて、そのボルガ・ドイツ人だが、第二次世界大戦時にはスターリンからスパイの疑いをかけられ、本国ドイツ人と接触することができないように中央アジア、特にカザフスタンに強制移住させられた。「ドイツ語を一言でもしゃべってみろ。シベリアの強制労働キャンプに送り込んでやる、銃殺してやる」とはっきり脅された、と知り合いから聞いたことがある。その人もロシア語が母語のドイツ人でカザフスタンからドイツに「帰国」してきた人だった。カザフスタン出身のドイツ人の知り合いはその他にも何人かいる。
 それらの「帰国ドイツ人」も二世代目になるとバイリンガルであることが多いが、ロシア・ドイツ人の人口が百万の単位、つまり大勢いることに加えてロシア・ドイツ人同士のつながりも密なので、ロシア語は比較的よく保たれている。今後もそう簡単にはドイツ語に完全移行はしないだろう。私の個人的な希望的憶測ではあるが。


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 人工言語あるいは計画言語として知られているのものには、草案段階のものから完成したものまで含めると1000言語くらいあるそうだ。17世紀頃からすでにいろいろな哲学者や自然科学者が試みている。言語学者のイェスペルセンによるノヴィアルNovial、哲学者ブレアらによるインターリングアInterlingua、カトリック僧のシュライヤーによるヴォラピュークVolapükなどが知られているが、なんと言っても有名なのはポーランドの眼科医ザメンホフ(日本語では「ザメンホフ」と「メ」にアクセントを置いて発音しているがこれは本当は「ザ」に強調して「ザーメンホフ」というのが正しいような気がするのだが)によるエスペラントEsperantoだろう。実用段階まで完成を見た計画言語はこのエスペラントだけだ。後にこれを改良したイドIdo(エスペラントで「子孫」の意味)という言語をイェスペルセンらが唱えたが、エスペラントに取って変わることは出来なかった。
 エスペラントは1887年に発表されたが、20世紀の前半には世界中に受け入れられて「エスペラント運動」として広まった。日本でも有島武雄や宮沢賢治がこの言語をやっていたそうだ。二葉亭四迷もエスペラントについての論評を書いている。この言語が発表された直後いち早く運動が広がったのはロシアだったそうだから二葉亭はロシア語経由でエスペラントの存在を知ったのだろうか。しかし一方この運動は、特定の民族が非支配民族に押し付けた言語ではない、世界のあらゆる民族が対等の立場で使える共通言語としてのエスペラントを掲げ、反ナショナリズム、あらゆる民族の平等・連帯、世界平和という理想を目指した一種の社会運動だったから、当然ナチスドイツには弾圧されたし軍国主義の日本でも白い目で見られた。下手をすると現在の日本にもエスペランティストを「お花畑」の「人権屋」の「ブサヨ」のといって罵る人がいるかも知れない。
 残念ながらと言っていいのかどうか、二次大戦後は英語が事実上の世界共通語となってしまったため、世界共通語としてのエスペラントはややその存在意義を失ってしまったが、1980年代には日本でもまだ結構盛んに学習されていた記憶がある。
 そういえば当時、あまりエスペラントを研究している言語学者がいないと指摘する声を聞いたことがある。「君子エスペラントに近寄らず」という言語学者間での暗黙の了解でもあるのか、と誰かが何処かで書いていた。ドイツでも私が学生であった期間、エスペラントが授業やワークショップでテーマになったことは一度もないし、何年か前にはなんと「エスペラント」という言語の存在を知らない学生に会ったことがある。確かに「未知の言語の構造を解き明かし記述する」のが仕事の人にはエスペラントは研究対象にはなりにくいだろうが、社会言語学とか、言語の獲得、ニ言語間の干渉問題が専門の人ならば十分研究対象になるだろう。「エスペラントは母語になりうるか」とか「使用者の母語によってエスペラントは違いを見せるか」なんてテーマはとても面白そうだし、実際に地道に研究している人もいるらしい。先日の新聞でも最近エスペラント学習者が増えつつある、という記事を見かけた。言語学者から特に冷たく扱われているということはなさそうだ。第一ウィキペディアにもエスペラントが使われているし電子辞書の類も多い。コンピューター時代を迎えて、再び「人工言語」というものへの関心が強まったのだろうか。
 もっともこの計画言語が発表された当時は当時言語学の主流であった比較言語学の大家ブルークマンやレスキーン(『26.その一日が死を招く』の項参照)から完全に継子扱いされたらしい。「こんなものは言語学ではない」というわけか。しかし肯定的にみる言語学者もいた。アントワーヌ・メイエやボドゥアン・デ・クルトネなどは肯定的だったそうだ。後にアンドレ・マルティネもまたエスペラントを擁護している。大物言語学者が結構支持しているのである。

 さて、私はレスキーンでもメイエでもない単なるおバカな野次馬であるが、話を聞くとなにやら面白そうな言語なのでちょっと近寄ってみた。例えばこういう文章だが:

羊と馬たち

もう毛のない羊が馬たちを見た。
そのうちのあるものは重い車を引き、
あるものは大きな荷物を、
あるものは人をすばやく運んでいくのを。

羊は言った:
心が痛む。人間が馬たちを駆り立てるのを見ている私には。
馬たちは言った:
聞け羊よ。心が痛む、こういうことを知っている私たちには。
主人である人間が羊の毛を自分のために暖かい衣服にしてしまう。
それで羊には毛がない。

これを聞いて羊は野へ逃げて行った。

このテキストを無謀にも私がエスペラントに訳すと次のようになった。そこら辺の辞書だろ文法書だろをちょっと覗いてみただけなのでエスペランティストの人が見たら間違っているかもしれない。請指摘。

La Ŝafo kaj la Ĉevaloj

Ŝafo, kiu jam ne havis neniun lanon, vidis ĉevalojn,
unu el ili tiri (tirante?) pezan vagonon,
unu porti (portante?) grandan ŝarĝon,
unu (porti/ portante) viron rapide.

La ŝafo diris al la ĉevaloj:
La koro doloras al mi, kiu mi ridas homon peli (pelante?) ĉevaloj.
La ĉevaloj diris:
Aŭskultu, ŝafo, la koroj doloras al ni, kiu ni scias tion ĉi:
homo, la mastro, faras la lanon de ŝafoj je varma vesto por li mem.
Kaj la ŝafo ne havas lanon.

Aŭdinte tion, la ŝafo fuĝis en la kampon

関係節でkiu mi (who I/me)のように関係代名詞と人称代名詞を併記したのは故意である。ドイツ語のich, die ich kein Afrikaans kann, (アフリカーンス語が出来ない私、英語に直訳すればI, who I cannot Afrikaans)などの構文に従ったため。どうも二種の代名詞を併記したほうがすわりがいいような気がしたのである。また、前置詞の選択に困ったときはjeを使いなさいと文法書で親切に言ってくれていたので、さっそく使ってしまった。「毛を暖かい服にする」の「に」、この文脈で使うドイツ語のzuをどう表現したらいいかわからなかったのである。

 人工言語・計画言語ではアプリオリな計画言語、アポステオリな計画言語、それらの混合タイプの3種類を区別するそうだ。アプリオリな計画言語とは自然言語とは関係なく哲学的・論理学的な原理に従って構築されたもの、アポステオリな計画言語は一つあるいは複数の自然言語をベースにしたもの、混合タイプはその中間である。しかし考えるとこれは「計画言語を3種のカテゴリーに分ける」というより純粋なアプリオリタイプと純粋なアポステオリタイプを両極として、その間に様々な段階の計画言語が存在する、つまり連続したつながりと見たほうがいいだろう。
 いわゆる標準語とか共通語などはある意味人工的に設定された計画言語だが、これらは「限りなく自然言語に近い計画言語」、極致的にアポステオリな計画言語と言えるのではないだろうか。もっともこういう共通語が上述の1000言語の中に勘定されているとは思えないが。対してエスペラントは文法規則や単語など確かに様々な自然言語から持ってきているが、出所不明の部分、つまりザメンホフが純粋に頭の中で考えだした要素も少なくないから、ずっとアプリオリ寄りである。

 エスペラントよりはアポステオリ寄りだが共通語よりはアプリオリ寄りという計画言語として私が思いつくのは例の「印欧祖語」というアレである。これも上の1000言語には入っていそうもないが、過去から現在までの様々な言語を徹底的に調べたデータから論理的に帰納した(普通は印欧語「再建」と言っているが)立派な計画言語ではないだろうか。
 最初にこの「再建」を試みたのはアウグスト・シュライヒャーで、上に挙げたわざとらしい文章は実はシュライヒャーが自分で再建した印欧祖語で書いた寓話を訳したのである。一般に「シュライヒャーの寓話」として知られているテキストで、1868年に発表された。

Avis akvāsas ka

Avis, jasmin varnā na ā ast, dadarka akvams,
tam, vāgham garum vaghantam,
tam, bhāram magham,
tam, manum āku bharantam.

Avis akvabhjams ā vavakat:
kard aghnutai mai vidanti manum akvams agantam.
Akvāsas ā vavakant:
krudhi avai, kard aghnutai vividvant-svas:
manus patis varnām avisāms karnauti svabhjam gharmam vastram avibhjams
ka varnā na asti.

Tat kukruvants avis agram ā bhugat.

 シュライヒャーの祖語はサンスクリットに似ていたが、その後研究が進んで、サンスクリットはそれなりに印欧祖語からは離れていたはずだということが次第にはっきりしてきたため、シュライヒャーのほぼ70年後、1939年に再び祖語再建を試みたヘルマン・ヒルトのバージョンは特に母音構成が大きく違っている。

Owis ek’wōses-kʷe

Owis, jesmin wьlənā ne ēst, dedork’e ek’wons,
tom, woghom gʷьrum weghontm̥
tom, bhorom megam,
tom, gh’ьmonm̥ ōk’u bherontm̥.

Owis ek’womos ewьwekʷet:
k’ērd aghnutai moi widontei gh’ьmonm̥ ek’wons ag’ontm̥.
Ek’wōses ewьwekʷont:
kl’udhi, owei!, k’ērd aghnutai vidontmos:
gh’ьmo, potis, wьlənām owjôm kʷr̥neuti sebhoi ghʷermom westrom;
owimos-kʷe wьlənā ne esti.

Tod k’ek’ruwos owis ag’rom ebhuget.

 さらに2013年にもアンドリュー・バードAndrew Byrdが再建している。

H₂óu̯is h₁éḱu̯ōs-kʷe

 h₂áu̯ei̯ h₁i̯osméi̯ h₂u̯l̥h₁náh₂ né h₁ést, só h₁éḱu̯oms derḱt.
só gʷr̥hₓúm u̯óǵʰom u̯eǵʰed;
só méǵh₂m̥ bʰórom;
só dʰǵʰémonm̥ h₂ṓḱu bʰered.

h₂óu̯is h₁ékʷoi̯bʰi̯os u̯eu̯ked:
dʰǵʰémonm̥ spéḱi̯oh₂ h₁éḱu̯oms-kʷe h₂áǵeti, ḱḗr moi̯ agʰnutor.
h₁éḱu̯ōs tu u̯eu̯kond:
ḱludʰí, h₂ou̯ei̯! tód spéḱi̯omes, n̥sméi̯ agʰnutór ḱḗr:
dʰǵʰémō, pótis, sē h₂áu̯i̯es h₂u̯l̥h₁náh₂ gʷʰérmom u̯éstrom u̯ept,
h₂áu̯ibʰi̯os tu h₂u̯l̥h₁náh₂ né h₁esti.

tód ḱeḱluu̯ṓs h₂óu̯is h₂aǵróm bʰuged.

hにいろいろ数字がついているのはいわゆる印欧語の喉音理論を反映させたのであろう(『24.ベレンコ中尉亡命事件』の項参照)。いかにも現代の言語学者らしく、音声面に重きをおいていることがわかる。
 まあこうやって見ている分にはゾクゾクするほど面白いが、この印欧祖語はエスペラントのように実際の言語使用には耐えないだろう。名詞は多分8格あって、数は単・双・複の3つ、動詞の変化も相当複雑なことになっていたろうし、ちょっと学習できそうにない。さらにエスペラントはその体系の枠内で新しい単語を作り出すことが出来るが、印欧祖語はあくまで「再建」だから造語力というものがない。再建した学者本人たちもまさかこれをラテン語や英語の代わりに世界語として使おうとは思っていなかっただろう。特に2013年のバージョンを見るとそれこそ「近寄るべからず」と言われているような気になる。


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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下のインタビュー記事は『国が金を出し、私経済が懐に入れる』というタイトルで2016年10月21日の南ドイツ新聞にのったものですが、長いので2回に分けました。

前回の続きです。

南ドイツ新聞:
変革を望んで人は多く動かされるわけですが、変革というのは教授のような自称無政府主義者にとっても本来望むところであるはずですよね。それがトランプのようなポピュリストの利益にもなっていてもやっぱりそうですか?

ノーム・チョムスキー:
変革を望むのは理解できる、問題となるのは人に与えられている選択肢です。

昔からの制度風習はほとんどすべて信望を失ってしまったような気がするんですが - 政府も議会も政党も企業もメディアも、それから教会さえも。

これらは現在では本当に嫌われていますね。

この先どういうことになるんでしょうか?

私には言えません。あのね、私はまだよく覚えているんですが、子供の頃ラジオでヒトラーの演説を聞いたんです。その言葉は理解できませんでしたが、メッセージは伝わりました。こんにち例えばドイツやオーストリアでのアンケートの結果なんか見てみていると、でもまあ、こう言わざるを得ないでしょうねえ:勇気づけられるような感じではないな、と。

現在メディアも右からも左からも攻撃されています。メディアは「体制」に奉仕していてそこから外れる意見は全然言葉にしてくれないと言われてます。教授自身もこれらの批判者のお一人ですが。私たちメディアが一般に言われるようにひどいものなら、どうして私たちはここでこうやって教授とお話しているんですか?

あなた方がひどいとは私は言っていませんよ。間違っていることが多いということです。メディアが視聴者に伝えるニュースを選択するやり方とか。でもそれだからと言って私が毎朝重要な国の内外の新聞を読む妨げにはなりません。

メディアが、使用できる他のソースと比べるとそんなに悪くもないからではないですか?

そうです。読んでいて腹の立つようなこともたくさん書いてありますが、さしあたってはこれよりマシな出発点がありませんからね。私はまず日刊紙を読んでから他のソースにあたります。

教授のような左派の知識人がメディアを批判すると、されたくない側から拍手されたりしますが。右派から自分たちのプロパガンダの正しさを証明してくれる証人として持ち出されると嫌ではありませんか?

どういう風にメディアを批判するかによります。私がメディアを批判するのは例えばコンツェルンを保護するために結んだ条約を自由貿易条約を呼んだりすることです。でもそれでも「私はメディアが大嫌いだ」と言い切るほどではありません。

事実としては、右派と左派は大声で実は同じことを主張している、ということがあります。例えば民主党左派のバーニー・サンダースの信奉者には今はサンダースの党の同僚ヒラリー・クリントンを選ばずにトランプに票を入れようとしている人たちがいますね。

この人たちはクリントンが大嫌いなんですよ。問題はただ、だからクリントンが嫌いなんだというその要素はトランプも持っていて、こちらのほうがさらにひどいということですね。

トランプが勝ったら、世界にとってどういうことになるでしょうか?

私たち全員の生存に関わる二つの問題を見てみましょうか。気候変動と核兵器のことを。気候問題ではトランプは化石燃料に戻るという完全に間違った方向に向かって行進中です。方向転換のタイムリミットまでもうそんなに時間がないのにね。核兵器について言えばこういうことです:無知な上にすぐ感情的になるような誇大妄想狂の人物に地球をふっとばせるような権力を与えてしまっていいのか?

でも選挙戦ではこれらのテーマは二つともほとんど表に出てきませんでしたが。

ええ、メディアが内容そのものはそっちのけでトランプがミスコンテストの優勝者と悶着を起こしたとかそういうことばかりニュースにするからです。本当にこれは読者や視聴者への詐欺行為ですよ。

無政府主義者が世の中をよくするためにできる貢献とはどんなことでしょう?

権威に対してその正当性に疑問を突きつける、また異を唱える、ということです。あらゆる制度機構には正当性がないといけない。それがない制度機構は廃止されるべきです。

そんなにはっきりしていることなら、どうして皆教授のご提案に従いたいと思わないのですか?

誰が従いたくないと言っているんですか?誰もその可能性を与えてくれないんですよ。

革命の革命たる所以は人々が可能性を自分でつかむ、ということにあるのではないですか?

革命はそれをやりますよ、組織されて活動していれば - でも今はもうそうではなくなってしまいました:政治が社会をバラバラにしてしまいましたからね。人々は互いに孤立して生きているし、教会と大学以外は組織というものがほとんどない。意見交換の場がないから政治問題への理解を深められない。時々ボタンを押して候補者に一人票を入れる、それだけ。現在の政治システムではそれ以上することがありません。

その裏には意図的な計画があると?

もちろん。そのためにPR産業が開発されたんです。PR産業は人々の関心が表面的な生活のことにだけ向かうようにしむける。下手にコミットしないで消費だけしていろというわけですね。近代PR産業の創設者の一人、エドワード・バーネイズがズバリ言い切ってますよ:世間の人々ってのは問題だ。彼らは馬鹿で無知だから脇へどいててもらって責任感のある人間になんでも決めてもらうのが彼ら自身にとっても一番いいんだ、と。そのためにPR部門が最も自由な社会にも誕生したんです、つまりアメリカとイギリスにね。これらの社会では前世紀に市民が極めて広い自由を獲得して、権力施行によって人々をコントロールするのが難しくなった。だから人々の意見や行動のほうをコントロールしないといけないというわけです。

そういう陰謀があるとしたら、それに対して教授のような知識人ができることとはどんなことでしょうか?

皆がいろいろな問題点にもっとコミットしてもっとよく理解するように仕向けることができるでしょう。

問題はただ、知識人という集団もまた人々がもう信用していない、ということです。データが増えているのにそれらがそもそもデータとして認めてもらえないことも多い。

本当にそういう人はいます。その原因を理解するためにはアメリカについていくつかはっきりさせておかないといけない。1945年まではアメリカは経済的には世界で最も裕福な国でしたが、知性の点では遥かに劣っていた:学問をやりたかったらヨーロッパに行かなければいけなかったんです。知性ではこの国は後進国というのはいまだにあまり変わっていませんね。

そうお決めになる根拠はどんなことですか?

気候変動のことを考えてみましょう;人口の約40%が「この問題はもう扱う必要がない、だってまもなくキリストが地上に戻ってくるじゃないか」などと信じているようでは難しいでしょう。トランプ現象の大部分はこういうところから発生しているんです。私はたった今中西部のある夫婦についての記事を読んだところですが、さるキリスト教の共同社会で美しい生活を送っていた。庭には小さなチャペルが建ててあった。が、そこで突然そのチャペルで男同士・女同士でまで結婚させるよう、法律で義務付けられてしまった。これらの人々にとっては世界が崩れ落ちたんです - もちろん前近代的な世界ですが、世界は世界ですからね。

そういう後進性は嫌ですか?

それらの人々を責めるつもりはありません。見ていると私の祖父を思い出しますよ。祖父は100年前にアメリカに移住してきましたが、頭の中はまだ17世紀に住んでいました。ウクライナのさる村の生まれですが、アメリカでも超正統派の小さなユダヤ人共同社会の中で生活していて、この国の社会や近代社会とは別のところにいました。だから私にもこういう人たちへの共感がないわけではありません。彼らにだってそういう生活をする権利がある、と思っています。

それでもなお出来ることがあるとしたら?

教育が助けになる。これらの社会でも若い世代は変わりつつあります。

では最後の望みはまだ持っていらっしゃるんですね? 若い世代という。

希望はいつだってありますよ。

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念のため:私はこの新聞社の回し者ではありません。)


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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下のインタビュー記事は『国が金を出し、私経済が懐に入れる』というタイトルで2016年10月21日の南ドイツ新聞にのったものですが、長いので2回に分けました。

言語学者で資本主義批判者のノーム・チョムスキーを存命している世界の頭脳の中では最重要の一人と見なす人は多いが、そのチョムスキー氏がタダ乗り企業、国に作られた携帯電話、国民を馬鹿に保っておこうとする政府の企てなどについて語る。

インタヴュアー:
クラウス・フルバーシャイト
カトリン・ヴェルナー


人が自分を自由主義的な社会主義者と呼ぼうがズバリ無政府主義者と呼ぼうが、チョムスキー氏自身にとってはどうでもいいことだ - この、現在87歳、名門マサチューセッツ工科大学(MIT)の名誉教授はかなり前からすでに他人の目など気にかけていない。氏は両親が20世紀の初頭ウクライナからアメリカ合衆国に移住してきたのだが、存命している世界の頭脳の中では最重要の人物と見なされている。言語の習得は学習過程よりもむしろ先天的な言語能力によるものだというその理論は言語学に革命を起こした。さらにアメリカの国際政治、資本主義、ロビー活動に対する急進的な批判者、またマスコミ批判者としても一般に広く知られている。MITの研究室でインタヴューを受けてもらった。氏は高齢にも関わらず今でもほぼ毎日そこに通ってくる。

南ドイツ新聞
チョムスキー教授、お金の話をしましょう。教授の新刊は『誰が世界を支配しているか?』というタイトルになっています。でも答えはもう何百年も前に出ていると思ったのですが。

ノーム・チョムスキー
金が世界を支配する、というわけですか?いや、そう簡単には行きませんよ。権力と経済力との関係は多くの人が思っているより複雑なんです。ちょっと100年前のことを考えてみてください:アメリカの経済力はイギリス、フランス、ドイツを合わせたより強かったんですよ。でも政治的な権力ということからするとヨーロッパに比べてこの国は問題になりませんでした。

では一体何が世界を支配するのでしょうか?

アメリカの例をさらに見てみましょう。1945年には世界全体の経済の半分をアメリカ合衆国が握っていました。そして戦争で破壊されたヨーロッパの国が追いつた。後にはアジアの国々が台頭して来ました。今日のアメリカのシェアは22%でしかない。でも我が国はそれだけ権力がなくなりましたか?

いえ、逆です。

でしょう。けれどこの数字というのがそもそも誤解の元なんです。30年ちょっと前に新自由主義の時代が始まってから、国際敵に活動している大コンツェルンが国境なんかとは無関係にコンツェルンそれ自体の経済的小宇宙を形成してしまいましたからね。あと銀行とかも見て御覧なさい。50年代60年代の長い経済成長期の間は全体経済から見て金融機関の役割などほとんどありませんでした。市民から貯金を集めてそれを例えば自動車が買いたがっている人に貸す、とそれだけ。その後レーガンとクリントン大統領の政権下で巨大な自由化の波が押し寄せて、銀行が突然利潤全体の40%を懐に入れてるようになった。その結果が2008年の経済危機ですね。

それは逆に言うとこういう意味ですか?国が規制を緩めて税金を下げ、銀行やコンツェルンにその場を任せたりしなかったら、私たちは今頃もっといい世界に住んでいただろう、と?

そう言い切るつもりはありません。影響を持ってくる要因が他にたくさんありすぎますからね。経済現象を100%確実に予測できるのは経済学者だけでしょう。

1対0で言語学者の勝ちですね。

新自由主義だって見方によれば役に立ったことがたくさんあります。おかげで企業の利益は飛躍的に増えたし、そのことによってまた比較的長期間経済が安定していたし。でも圧倒的多数の単純労働者にとっては悪い時代でした。素晴らしい経済成長率にも関わらずその2007年の実質賃金は1979年より低い。

でも新自由主義で枷が外れたおかげで可能になった投資もあるのでは?規制が緩和されなかったらできなかったような投資です。

例えば情報テクノロジーのことですか?

そうです。以前だったら絶対に銀行からクレジットなんて受けられなかったような企業が突然リスクのある融資を受けられるようになったではありませんか。ありていに言うとつまり、新自由主義がなかったらひょっとしてスマートフォンもなかった、と。

すみません、それはちょっと違います。テクノロジーに関心があったのは大抵国のほうです。軍事面から考えても産業政策上の点でもね。最初にいろいろたくさん研究し出したのはシリコンバレーじゃない。例えばまさにここMITとかが国防省から研究費を貰ってやったんです。携帯電話とかパソコンもそう。IBMがパソコンを生産し始めたのはその後ですよ。耳にするのはいつも同じ:国が金を出し、私経済が懐に入れるんです。

他にやり方があるとしたらどんな? 国が自分でスマートフォンを作って売るとか?

公共機関が開発の費用を出すのなら利益のほうも公共的に回収するべきなんです。でもその代わり私たちはいわゆる自由貿易協定というものを結んでいるわけです。そこで製薬、電機、メディアの大コンツェルンの私的な利益が国に保護さえされているという・・・

なぜ国が製薬会社になんらかの保護政策をしてはいけないのですか?よりよい新薬を開発して公共の利益になっているではありませんか。

企業は何も開発しないからです。自社の薬品の分子をちょっといくつか変え、その薬品を売り込むためにマーケティングに大金を投入する。それに対して本来の開発研究はここのような国の実験室でやっているんですよ。ノバルティスとかファイザーのような大製薬企業はそれをちょっと見て回っておいしいアイデアをくすね取るだけ。国がこれを自分でやっていればアメリカの保険費はもっと徹底的に下げられるでしょう。

それはむしろこういうことではないんでしょうか、確かに国は基礎研究の費用はだすが、研究内容の専門的な査定はできず、創造力にも欠けているから、その知識を市場に出せるような、また生活に役立つような製品に変えることが出来ない、と。

おっしゃる通りです。そういうことは大学の研究所がやる必要はない。けれどそのノウハウを民間コンツェルンにタダであげてやる代わりに公共の、市民社会から選ばれた代表者が取り仕切る企業が製品をつくればいいんですよ。そうすれば権力を少数の民間企業に握られないですむ、というメリットもあります。

でも教授が提案しておられるような社会主義的な国の経済はもうテスト済みなのでは?例えば東ドイツとか。悲惨な結果になりましたが。

東ドイツでやっていたことは、社会主義とは何の関係もありません。東ドイツは単なる全体主義国家です。労働者には何の権利もなく、世論もまったく影響力がなかった。西ドイツのほうが東ドイツより社会主義的でしたよ。あそこには少なくとも労働者が経営に参加できる、最低限の線があった。

労働者が資本主義の被害者ならば、どうしてアメリカでは労働者がドナルド・トランプを追いかけているのですか?氏はほとんど資本主義のカリカチュアではありませんか。

他にどんな選択肢があります?アメリカの労働者はもうかれこれ40年以上も両方から無視されているんです。だから今体制全体に背を向けていて、少なくとも自分たちのことを覚えてくれているかのごとく振舞うトランプのような人に従うんです。

現実には人間の生活は、例えば50年前に比べればずっと良くなっているのではないでしょうか?教授は新自由主義が起こる以前の黄金時代のようにおっしゃってますが?

どこからそんなお考えが出て来るんですか?実質賃金の変遷についてはもうお話ししたではありませんか。

実質賃金についてはおっしゃる通りです。でも現在は不動産とか資本収益とか相続遺産とか他の収入を持っている人が多いですよ。

もちろん石器時代に比べれば現在の人間の生活は良くなってますよ。19世紀とくらべたって良くなっているでしょう。それに、まあなんというか、今は車で行くから、馬糞が道に2メートルも積みあがっていたりしていないし。けれどそういうことを尺度にはしていません。尺度にしているのは、豊かさがもっと別な風に配分されていたらどうなりえていたか、ということです。最低賃金の例で考えて見ましょう:70年代の始めには最低賃金は生産が上がるのと平行して上がっていっていた。そのあと、この両者が互いに離れていってしまった。これが当時のように発展して行っていたら今頃最低賃金は7ドル25セントではなくて20ドルくらいあったはずです。

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