アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

August 2016

 フランシス・フォード・コッポラの代表作『ゴッドファーザー』3部作を通じて最も印象に残っているシーンは『パートⅠ』で、シチリアに高飛びしたアル・パチーノ演じるマイケル(ミケーレ)が現地で結婚した女性(シモネッタ・ステファネッリ)を形容して「イタリア人というよりギリシア人の容貌」と言う場面である。少なくともドイツ語版ではそういうセリフだった。日本語ではどうなっていたか忘れたが。

 シチリア全島、カラブリア、南アプーリアはローマ時代以前にギリシア人が大規模な植民地を作っていた地域で、そこここにギリシャの遺跡があり、地名などにもギリシャ語起源のものが目立つ。現にシチリアというのは本来ギリシア語のΣικελίαから来たものだし、上のミケーレのシチリア妻の名前もアポロニアという一目瞭然のギリシャ語だ。そもそも「ギリシャ」という名称自体がギリシャ本土で使われていた名前ではなく(それならばギリシャはヘラースである)、ローマ共和国あるいはローマ帝国内のギリシャ人が自分たちをグレコと呼んでいたのをラテン語に取り入れたものだ。これらの旧植民地の地域を総称して俗にMagna Graeciaというが、ここには遺跡や固有名詞がギリシャ時代の残滓として残っているばかりではない、いまだにギリシャ語を話す地域が散在している。

当時のMagna Graecia(マグナ・グラエキア)。赤い点がギリシャ人都市である。ウィキペディアから
MagnaGraecia

現在はカラブリアの先端とアプーリア(オトランド地方)の南、つまりイタリア半島のつま先と踵の部分でギリシャ語が話されている。
(これもウィキペディアから)

GrikoSpeakingCommunitiesTodayV4

 ここで話されているギリシャ語はもちろん本国の現代ギリシャ語とは大分違い、「グリコ語」(GrikoまたはGrico)という独自の名称が与えられている、イタリアは1992年のヨーロッパ地方言語・少数言語憲章に署名だけはしているから(批准はまだである。下記参照)、少数言語への関心も喚起されているらしく、アプーリアのグレチア・サレンティーサなどの村には本国との交流も行なわれてギリシャ語復興運動が行なわれているそうだ。
 しかし少数言語のご多分に漏れず話者人口は減り続けていて、グリコ語ネイティブは現在およそ2万人でほぼ全員が50歳以上、L2の話者を含めてもせいぜい4万人から5万人に過ぎないという。
 映画が製作された1970年代はEU自体が存在しておらず、少数言語の保護なども今ほど盛んではなかったはずだから、話者は急カーブで減少していっていたに違いない。話者の数が持ち直していくか、これからの保護運動に注目して行きたいところだ。

 そういえばしばらく前にうちでとっている「南ドイツ新聞」にレッジョ・ディ・カラブリアの周辺、つまりズバリ上述の地域のルポルタージュ記事が載っていた。レッジョはイタリア半島がシチリア島とほぼ接しているところである。しかも記事の内容はその地のマフィアについてだった。ここで勢力のあるいわゆる「ファミリー」は'Ndranghetaという。ドイツにまで進出していて時々銃撃戦をやったりし、しばしばこちらでも新聞にのるので覚えたくもないのに私までその名前を覚えてしまった有力なマフィアのファミリーである。その名称'Ndranghetaはギリシャ語のἀνδραγαθἰα(andrangathia、「勇敢」)から来ているという説がある。余計なお世話だが、古典ギリシア語にはἀνδρεία(「勇気」)、ἀνδρειος(「勇敢な」)、ἀνδρειος(「勇敢に」)という単語がある。同語幹であろう。
 またその記事ではマフィアのメンバーだった者とか家族がマフィアのメンバーに引っ張られてしまった人などがインタビューを受けていたが、「自分たちはギリシャ人の子孫である」という結構はっきりしたアイデンティティを持っていたりする。そんなこともあるから『ゴッドファーザー』のアポロニアのシーンは極めて意味深長だ。ジェームス・カーンが蜂の巣になったり眼鏡をかけたおっちゃんが片目に弾丸食らったりするシーンなんかより、このアポロニアを描写する場面のほうがよっぽど考察・分析するに値すると私は思っている。さらにゲスの勘繰りをすれば、イタリア政府が上述のヨーロッパ憲章に署名はしたがまだ批准はしていないのは、グリコ語を公認の少数言語にしてしまうとその言語話者や地域を保護しなければいけない義務が生じ、下手をするとマフィアまで保護してしまうことになりかねない、と躊躇しているのかもしれない。

 さて、この「南イタリアではギリシャ語が話されている」ということ自体は結構皆知っているのだが、面白いのはこのグリコ語の起源である。

 20世紀の始めまでは「グリコ語話者はローマ帝国が解体した後、9世紀から10世紀にかけてバシレイオス一世、レオ6世の時代にビザンチンからローマに移住してきたギリシア人の子孫」いうのが定説だった。つまり、ローマ国内のギリシア語話者は一旦完全にローマ・ラテン語の同化されて消滅し、中世になってから再び新しいギリシャ語の波が押し寄せた、ということである。これを唱えたのがG. モローシ(Giuseppe Morosi)で、1870年のStudi sui dialetti greci della Terra d'Otrando(「オトランド地方のギリシャ語方言研究」)という論文でそう主張している。1920年代になってドイツの言語学者G.Rohlfs(ゲルハルト・ロールフス)がこれを覆し、グリコ語はビザンチンのギリシャ語などではなく、ローマ時代、あるいはそれ以前からイタリアで連綿と話され続けてきた古代ギリシャ語の残滓である、と主張した。少なくとも紀元前8世紀、下手をすると紀元前1500年ごろから続いているギリシャ語だ、というわけだ。この説は1924年のGriechen und Romanen in Unteritalien. Ein Beitrag zur Geschichte der unteritalienischen Gräzität(「下イタリアにおけるギリシア語とロマンス語話者:下イタリアのギリシア文化の歴史についての一考察」)という論文で初めて発表されたが、ロールフスはその後の論文でも新しいデータを示したりして同説を主張しその根拠を述べている。

1.
まず、グリコ語地域周辺ばかりでなく、南イタリアのイタリア語全体にわたってギリシャ語からの影響が著しい。地名にもラテン語系のものはむしろ少数派であるのに加え、シチリアのイタリア語を見ても当地のイタリア語はむしろ新しい層であることがわかる。これらのデータから推して、起源1000年ごろまではカラブリアの南半分はほぼ完全にギリシャ語地域、南アプーリアにもギリシャ語話者が強力なマイノリティグループを形成しており、シチリア北東部は11世紀に入ってもギリシア語地域であったことは確実。ビザンチン以降の入植者と共にギリシャ語が入ってきたのなら言語地域はもっと限られ互いに孤立した言語島を形成するはずである。

2.
しかも、現在のギリシャ語・グリコ語地域は一方ではオトランド(南アプーリア)、一方は南カラブリアと遠く離れているのに共通性が著しい。元々広汎な地域で話され、ある程度の統一を保っていたギリシャ語が次第にラテン語・イタリア語に押されて後退したとしか考えられない。最初から言語島であれば二地域のギリシャ語はもっと明確に独自の発展を見せるはずである。

3.
6世紀から8世紀にかけてサルディニアに、540年から752年までラヴェンナに、871年から1071年にかけてバーリにビザンチンの植民地があったが、そこのイタリア語にはギリシャ語からの影響はほとんどみられない。グリコ語がビザンチンのギリシャ語だとすると当地のイタリア語がグリコ・ギリシャ語からあそこまで激しい影響を受けたことと話がかみ合わない。

ロールフスはさらにグリコ語内部の構造を詳細に調べ、そこには本国のギリシャ語がビザンチン時代にはすでに失ってしまっていた古い言語要素がグリコ語には保持されていることを突き止めた。もしグリコ語がビザンチンのギリシャ語から来たのなら見つかるはずのない要素である。グリコ語は三層構造をなしていて、1.古典ギリシャ語要素(ドーリア方言起源の要素)、2.やや新しいいわゆるコイネーΚοινή(このベースになったのはいわゆるアッティカ方言)期の要素、3.ビザンチン以降の最新要素からなる多層構造になっているそうだ。

 もっとも「最新の」ビザンチン・ギリシャ語にしても紀元前2500年前まで遡れるギリシャ語にとっては最近というだけで、日本語ごときから見たら9世紀の言語など立派に古語であろう。やや新しいアッティカ・コイネーにしても紀元前4世紀ごろから始まっている。日本などまだ弥生以前で、縄文人が棍棒を持って熊を追い回したり木の実を集めていたころである。その間にギリシア語もいろいろ言語変化を起こしているのは当然で、本国で発生した新形式がグリコ語はじめ周辺の方言には波及していないことなどもあって本国ギリシア語とグリコ語との間には様々な乖離がみられるわけだ。
 その中でも面白いのはグリコ語は動詞の不定法をまだ持っているということだ。現代ギリシア語は動詞の不定形が完全に退化していて、例えば

I want to watch TV

ということが出来ず、

I want that I watch TV

という言い方をする。つまり語学で言う「法」moodを表すのに常に定形動詞(直接法の場合と接続法の場合がある)を使うわけである。動詞不定形が衰退しだしたのは紀元1~2世紀、つまり新約聖書のころかららしい。だからコイネー期のギリシャ語ではまだ不定形が完全に消滅していなかった。その、不定形が衰退する萌芽が現れたころの形をグリコ語は保持しているそうである。本国ではその後不定形が完全に消滅してしまった。
 例えばボーヴァのグリコ語で「君たちは来たがっている」(ihr wollt kommen)は

θelite na ertite
you want + that + you come

とthat構文になるが(つまり動詞は定形)、本動詞(助動詞)が「できる」、「知っている、できる」、「聞こえる」、「させる」だと動詞の不定形を使う。なので、「君たちは来られる」は

sonnite erti
you can + to come

となる。以前に何度も書いたように(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』)この現象は「バルカン言語連合現象」の一つであり、ルーマニア語、アルバニア語、ブルガリア語、セルビア語トルラク方言でも同じ現象に見舞われている。さらに面白いことにグリコ語内でも「揺れ」があって、助動詞がwantであってもまれにthat説でなく動詞不定形が現れることがあるそうだ。それで「彼は留まりたくない」は

e θθeli na mini (he doesn't want that he stays)
e θθeli mini       (he doesn't want to stay)

と両方の形が可能。動詞「留まる」がどちらもminiで一見同形のようだが、これら不規則動詞で、直説法(それとも接続法なのかこれは?まあとにかく定形だ)の3人称単数形と不定形が同じ形をしているらしく、パラダイム上では別の形である。
 この「定形・不定形どっちでも可」というのはバルカン言語現象の波を中途半端に被ったセルビア語と同じではないか。これは面白いとゾクゾクして続きを見たら、グリコ語は周りのイタリア語に影響を与え、同地のイタリア語方言では「君たちは来たがっている」をグリコ語の構文そのまんまのthat節構文を使って

voliti mu veniti
you want + that + you come

と表現するらしい。しかもスリル満点なことにこのmuというのは、ラテン語のquidの変化した形だそうだ。明らかにラテン語kwの両唇性が受け継がれた音韻変化で、ケルト語のpと同類(『39.専門家に脱帽』の項参照)。ただケルト語と違ってこのイタリア語方言では鼻音化までされてしまったらしい。

 この動詞の不定詞云々という指摘は非常に面白いところで、当時生まれたばかりのバルカン言語学の結果をロールフスはすでに考慮していることがわかる。事実1947年のGriechischer Sprachgeist in Süditalien(「南イタリアにおけるギリシャの言語精神」)という論文の冒頭でロールフスはデンマークのロマンス語・言語学者のKristian Sandfeld(1873-1942年)を追悼し、論文の中でもその研究成果に言及している。このSandfeldは私なんかは勝手にドイツ語読みでザントフェルトといっているが、デンマーク語で本来どう発音するのか実はいまだに知らない。とにかくこの人はバルカン言語学の創設者の一人で、「バルカン言語学」という名称をこの研究分野に与えて言語学の一分野として確立させたのはザントフェルトである。最初1926年にデンマーク語で、Balkanfilologien. En oversigt over dens resultater og problemer(「バルカン学:その成果と結果の概観」)という論文を発表し、3年後の1930年に同じ内容をLinguistique balkanique. Problèmes et résultats(「バルカン言語学;成果と問題点」)として世に出した。まあ歴史に残る言語学者である。

 それにしても『ゴッドファーザー』を見てザントフェルトに会えるとは思っていなかった。いやー、映画って本当にいいもんですね。



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 実は私は高校生のころずっとと大学に行ってもちょっとの間続けていたので剣道三段を持っている。だから、というとあまりにも理由になっていない理由で申し訳ないが、どうもあのフェンシングというスポーツが嫌いだ。なんか後ろに変な電気コード引きずった選手が一次元の線上をピョコピョコ飛び跳ねながらすぐヘナヘナしなうような軟弱な剣でチョンチョンつつきあいしてるのをみるとイライラしてくるのだが(ごめんなさい)。
 もちろん向こうもこちらに同じ事を言ってくるに違いない。妙なスカートを履いた(多分袴なんて外の人から見たらスカートの出来損ないにしか見えないだろう)選手が、打ち込むたびに断末魔のネアンデルタール人みたいな奇声をあげる、当たったか当たらなかったかを電気信号などの客観的な方法で決めないで横っちょにエラそうに立ってる審判が旗振って決める、フェンシング選手が見たらなんじゃいありゃと思うだろうからまあおあいこだ。

 さて、2016年のオリンピックほど見なかった大会は初めてである。もちろんTVでニュース映像が報道されたからといって目をそむけたりTVを消したりはしなかったが、とにかく実況は全く見なかった。別にわざわざボイコットしたわけではない、見る気がしなかったのだ。すでに前々回の2008年ごろから開始前にいろいろ胡散臭い問題や疑惑が湧いてくるようになってシラケムードが濃厚になってきてはいたのだが、今回はあまりにもヒド過ぎた。

 まず会場都市のリオ・デ・ジャネイロに反対者が大勢いたのにお上がごり押しした。オリンピックなんかやってもIOCに金を吸い取られるだけで開催都市にはほとんど経済効果はないということはロス・アンゼルスやアテネ以降、知らない者はいないから反対したのである。「そんな金があるんだったら、社会に回せ」。まさに正論だ。さらにどんなに開催都市が借金まみれになってもIOCは損をしない仕組みになっているばかりか、リオでの大会後オリンピックの宣伝のためにOlympic Channelとかいう特別なTV局を設置し、それに6億ドルだかの費用をかけることにした、と聞けばその一部でもいいからリオに回してやればよかったのにという考えが頭をよぎる。貧乏人が借金まみれになっているのを尻目に自分たちはこれ見よがしに湯水のように金をつかう、これではまるで悪徳商人・吸血鬼ではないか。開催地の住民は踏んだり蹴ったり。ドッチラケである。
 さらにドッチラケたのが、ドーピング問題に対するIOCの態度だ。ロシアが国を挙げてドーピングしているという話自体には何を今更感があったが、世界陸上委員会がロシアを追及して破門(違)にしたのを見て、おおここはそれなりに改善する気があるんだなと感心していたらIOCがそれを骨抜きにした。こちらの新聞でも批判されていたが、その際勇気を持って自国のドーピング事情を告発したユリア・スチェパノヴァ選手が出場できなかった一方、限りなく疑惑のある(そして、スチェパノヴァ選手と違って告発する勇気はもたない)選手たちは何だかんだとIOCが弁護して出場させた。まさかプーチン氏から金でも貰ったわけではないだろうが、利潤・客寄せ第一のIOCの面目躍如、極めて後味が悪かった。いや開始前だから、「前味」か。
 繰り返すが、私がシラケたのはドーピングそのものよりそれに対するIOC側の態度である。こういうことをいうと私が人間性を疑われそうだが、勝ちたい一心で選手が自らヤクを打つにしろ勝たせたい一心で国が秘密裏に選手をヤク付けにするにしろ、私が健康を害するワケじゃなし、心の隅には薬漬けでもなんでもいいから一度100mを5秒で走る人間というものを見てみたいという気持ちもある。見つかれば罰を受けるのだし、見つからなければ早死にする、ということで当事者はある意味では体を張っているのであるから素人の私が外からヤイヤイいっても仕方がない。だがそれを監視すべき立場のものが、職業倫理より金を優先させたとなると話は全く別だ。
  
 もっともドーピングと言われて思い出す、というより強制的に思い出させられるのがロシアより旧東ドイツの選手たちである。1970~80年代に東独が国を挙げてやっていたドーピングも相当なものだった。ただ社会主義が崩壊した後、現ロシアと違って西ドイツに吸収されて組織や体制が完全に入れ代わったため、いろいろなことが明るみに出たのである。
 1985に東ドイツのマリータ・コッホという選手が47秒60というウソのような世界記録を出し、それがいまだに破られていないので、今でも陸上世界選手権やオリンピックの女子400mになるとその「世界記録」がテロップに出てくる。これが出るたびにドイツ人は恥しくなるそうだ。薬まみれの生産物であることが確実だからである。1991年にハイデルベルクの癌研究所の生物学の教授ヴェルナー・フランケらが詳細にデータを検証して東ドイツでは組織的にドーピングをしていたこと、コッホももちろんそうであったことを明らかにした。しかし、あらゆる検証からして確実なことでもその大会でコッホが本当にヤクを打っていたという直接の証拠がないから引っ込められないんだそうだ。それでこのテロップをみると過去の罪を毎回強制的に思い出させられているように感じるらしい。

 しかし国によっては自国の選手をドーピングする手間さえ惜しんで手っ取り早く外国から出来合いの選手を輸入し、国籍を与えてユニフォームを着せ、メダル稼ぎのマシンとして利用するところがある。これはカタールとかがすごい。この間のオリンピックなどでもブルガリア人の重量挙げの選手、イランのレスリングの選手、エチオピア(それともケニアだったかな)のマラソン選手などがなぜか皆カタール人として出場していた。そのわりにメダルは取れていなかったようだが。ケニアの選手がトルコから出てきたのも見たことがある。
 この傭兵の中にはマリーン・オッティなどの大物もいる。故郷はジャマイカだが、そこの陸連と齟齬をおこしたため、つてを頼ってスロヴェニアに移住し、スロヴェニア代表として出場した。
 面白いのがヨーロッパの卓球選手権で、一度女子個人戦のデンマーク対スウェーデンだか何かをTVで見かけたことがあるが、どちらも中国人の選手だった。1998年以降の中国人の女子個人優勝者を見てみると次のようなあんばいである。

1998年エインドホーヴェン(オランダ)大会
ニ・シアリャン Ni Xialian (ルクセンブルク)

2000年ブレーメン(ドイツ)大会
キャンホン・ゴッシュ Qianhong Gotsch (ドイツ)

2002年ザグレブ(クロアチア)大会
ニ・シアリャン Ni Xialian (ルクセンブルク)

2005年アールフス(デンマーク)大会
リュー・ジャ Liu Jia (オーストラリア)

2007年ベオグラード(セルビア)大会
リ・ジアオ Li Jiao (オランダ)

2009年シュツットガルト(ドイツ)大会
ウー・ジアドゥオ Wu Jiaduo (ドイツ)

2011年グダンスク(ポーランド)大会
リ・ジアオ Li Jiao (オランダ)

2013年シュヴェヒャート(オーストリア)大会
リ・フェン Li Fen (スウェーデン)

名前が漢字でなくローマ字表記だけで書かれてはいるが、これのどこがヨーロッパ選手権なんだと思う。もっともこの現象は女子だけで、男子の個人優勝者は皆ヨーロッパ系の名前であるところをみると、つまりこの選手たちは欧米人と結婚した中国人女性と思われる。もともと欧米人と結婚する東洋人女性は逆より数倍多いのだ。

 私個人はこの傭兵は構わないと思っている。偏狭な民族主義者・純血主義者は反対するかもしれないが、傭兵の側と国の側が双方合意しているのだから、互いの利益が一致してまことに結構。倫理にも反していないし、第一代表選手がカラフルになって見ているほうも楽しいではないか。
 問題は双方に合意がない場合、例えばその国の代表なんかになりたくない選手に国が無理矢理国旗を押し付けて走らせたりする場合であろう。そう、ここで私の頭にあるのは孫基禎選手のことだ。
 今のIOCなら金に敏感にもなったついでに人権とか国家倫理とかにも一応敏感になっているので、宗主国が植民地を独立国と認めていなくとも国あるいは独立チームとして認めるのが普通だ。だから台湾という「国」のチームが出てくるのである。そもそも今日の国際社会なら日本の朝鮮併合は承認されないだろう。だから今だったら孫選手は最悪でも「日本領コレア」または「日本領朝鮮」、多分「日本領」なんて前置きなしでズバリ「コレア」あるいは「朝鮮」の代表選手と見なされ、氏の世界記録や金メダルは「朝鮮」のものとなるはずだ。しかし孫選手が活躍したのは民族国家という幻想が世界を席巻していたころであり、しかも金メダルを取ったのはナチスドイツの主催したベルリンオリンピックである。条件が悪すぎたとしか言いようがない。
 この間ドイツのTVでこの孫選手のドキュメンタリー番組を流していたので驚いたが、私はオリンピック史などの話になったとき、孫選手の国籍が「日本」となっているのを見るたびに上述のマリータ・コッホの記録を見せられたドイツ人と同じような気持ちになって恥かしくて仕方がない。もちろん当時は韓国も北朝鮮もなかったが、今からでもせめて「朝鮮」という国籍に直して上げられないのかと思うのだが、これも薬によるイカサマ記録と同じで一旦書き込んだら変更できないんだそうだ。理不尽である。

 オリンピックが終わってみるとドイツも日本もメダルを結構取ったようだし、ネットなどで皆が楽しそうに話をしているのでさすがにちょっとは見れば良かったかなとは思った。しかし一方でスポーツとはあまり関係ない子供じみた仰々しい開催式、開催都市を借金まみれにさせても自分たちは肥え太る悪徳商人じみた経営、あまりにも不透明な運営ぶり、IOCがこの先もこういう路線で行くようだと東京大会も全く見ないで終わりそうな気がする。

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注意:この記事はGoogle Chromeで見るとレイアウトが崩れてしまいます。私は回し者ではありませんが、できればMozilla Firefoxをお使いください

 いつだったか、インドの学校では九九を9×9=81までではなく、12×12=144まで暗記させられる、と聞いていたのをふと思い出して調べてみたら12×12ではなく20×20までだった。「じゅうに」と「にじゅう」を聞き違えたのかもしれない。
 言語によっては12で「2」を先にいうこともあるし、反対に20のとき「10」が前に来たりするからややこしい。また、11と12が別単語になっている言語もある、と言っても誰も驚かないだろう。英語がそうだからだ。英語ばかりでなくドイツ語などのゲルマン諸語全体がそういう体系になっている。ゲルマン諸語で1、2、3、10、11、12、13, 20、30はこんな具合だ。

                1       2          3        10        11       12         13             20            30
ドイツ語              eins   zwei     drei     zehn      elf      zwölf     dreizehn   zwanzig    dreißig
スウェーデン語   en/ett  två       tre       tio         elva     tolv      tretton       tjugo         trettio

ゴート語
1          2               3                  10         11       12        13                  20                30
ain           twa           thrija             taihun   ainlif    twalif   *thrija-taihun    twai tigjus    threis tigjus
ains (m.)  twai (m.)   threis (m., w.)
aina (w.)   twos (w.)   thrija (s.)
ain (s.)  

13からは「1の位の数+10」という語構造になっているが11と12だけ系統が違う。11(それぞれelf, elva, ainlif)の頭(e- あるいはain-)は明らかに「1」だが、お尻の-lf, -iva, lifはゲルマン祖語の*-lif-または*-lib-から来たもので「残り・余り」という意味だそうだ。印欧祖語では*-liku-。ドイツ語の動詞bleiben(「残る」)もこの語源である。だから11、12はゲルマン諸語では「1あまり」「2あまり」と言っているわけだ。
 この、11、12を「○あまり」と表現する方法はゲルマン祖語がリトアニア語(というか「バルト祖語」か)から取り入れたらしい。本家リトアニア語では11から19までしっかりこの「○あまり構造」をしていて、20で初めて「10」を使い、日本語と同じく10の桁、「2」のほうを先に言う。

リトアニア語
1                 2         3      10          11            12          13         20            30
vienas (m)  dù (m)   trys   dešimt   vienúolika  dvýlika   trýlika    dvìdešimt  trìsdešimt
vienà (w)    dvì (w)


ゲルマン語は現在の南スウェーデンあたりが発祥地だったそうだから、そこでバルト語派のリトアニア語と接触したのかもしれない。そういえば昔ドイツ騎士団領だった地域には東プロシア語という言語が話されていた。死滅してしまったこの言語をゲルマン諸語の一つ、ひどい場合にはドイツ語の一方言だと思い込んでいる人がいるが、東プロシア語はバルト語派である。
 印欧語ではないが、バルト海沿岸で話されているフィンランド語も11から19までは単純に「1と10」という風には表さない。

フィンランド語
1      2       3         10              11            12           13                 20                   30
yksi kaksi kolme kymmenen yksitoista kaksitoista kolmetoista kaksikymmentä kolmekymmentä

                                                                                             
11、12、13の-toistaという語尾はtoinenから来ていて、もともと「第二の」という意味。だからフィンランド語では例えば11は「二番目の10の1」だ。完全にイコールではないが、意味的にも用法的にもリトアニア語の「○余り」に近い。「20」のパターンもリトアニア語と同じである。
 
 ケルト諸語ではこの「○余り構造」をしておらず、11、12は13と同じくそれぞれ1、2、3と10を使って表し、一の位を先に言う。

アイルランド語
1             2      3        10         11                  12                 13           20       30
a haon a dó a trí a deich   a haon déag   a dó dhéag    a trí déag  fiche   tríocha


ブルトン語
1           2      3    10     11        12           13         20       30
unan daou  tri   dek   unnek   daouzek   trizek   ugent   tregont


アイルランド語の10、a deichはdéag やdhéagと書き方が違うが単語そのものは同一である。後者では「10」が接尾辞と化した形で、これがブルトン語ではさらに弱まって-ek、-zekになっているが構造そのものは変わらない。それより面白いのは20で、「10」も「2」も出て来ず、一単語になっている。これはケルト祖語の*wikantīから来ており、相当語形変化をおこしているがブルトン語のugentも同語源だそうだ。印欧祖語では*h1wih1kmt*あるいはh₁wih₁ḱm̥tiで、ラテン語のvīgintīもこの古形をそのまま引き継いだものである。「30」、tríochaとtregontも同一語源、ケルト祖語の*trī-kont-esから発展してきたもの。つまり20、30は11から19までより古い言語層になっているわけだ。これはラテン語もそうだったし、それを通して現在のロマンス諸語に引き継がれている。

ラテン語
1               2            3               10         11           12              13         20        30
unus (m)   duo (m)   tres (m,w)  decem  undecim   duodecim  tredecim  viginti   triginta
una (w)     duae (w)  tria (s)
unum (s)   duo (s)

フランス語
1      2        3      10    11      12        13        20      30
un   deux   trois   dix   onze  douze   treize   vingt   trente

 
スペイン語
1              2       3      10     11     12     13       20      30
un(o) (m)  dos   tres   diez  once  doce  trece  veinte  treinta
una (w)

当然、といっていいのかどうか、サンスクリットやヒンディー語でも「20」は独立単語である。

ヒンディー語 
1     2    3     10       11            12          13          20    30
ek   do  tin    das    gyaaraha   baaraha  t eraha   biis   tiis

サンスクリット
1        2      3    10       11            12          13               20          30
eka-  dvai-  tri-   daśa   ekādaśa   dvādaśa  trayodaśa   vi
ṃśati    triṃśat-

ヒンディー語のbiisはサンスクリットのviṃśatiが変化したもの。下のロマニ語のbišについても辞書にviṃśati起源と明記してある。もっともそのサンスクリットは数字の表し方がかなり自由で学習者泣かせだそうだが、学習者を泣かせる度合いはヒンディー語のほうが格段に上だろう。上の11、12、13、それぞれgyaaraha、 baaraha、terahaという言葉を見てもわかるように、ヒンディー語では11から99までの数詞が全部独立単語になっていて闇雲に覚えるしかないそうだ。もっとも13の-te-という頭は3のtinと同語源だろうし、15はpandrahaで、明らかに「5」(panc)が入っているから100%盲目的でもないのだろうが、10の位がまったく別の形をしているからあまりエネルギー軽減にはならない。やはり泣くしかないだろう。
 同じインド・イラニアン語派であるロマニ語の、ロシアで話されている方言では20と30で本来の古い形のほかに日本語のように2と10、3と10を使う言い方ができる。

ロマニ語(ロシア方言)
1         2     3     10    11           12             13          20              30
yekh   dui  trin  deš   dešyekh  dešudui    dešutrin   biš              trianda
                                                                           duivardeš    trindeš

ドイツのロマニ語方言では30をいうのに「20と10」という表し方がある。

ロマニ語(ドイツのシンティグループ)
1      2     3     10      11            12            13           20       30
jek   dui  trīn   dēš    dēštajek  dēštadui   dēštatrin   bīš      trianta
                                                                                     bīštadēš

ハンガリー・オーストリアのブルゲンラント・ロマの方言では20と30を一単語で表すしなかいようだが、11から19までをケルト語やサンスクリットと違って先に10と言ってから1の位を言って表す。これは他のロマニ語方言でもそうだ。

ロマニ語(オーストリア、ブルゲンラント)
1       2    3     10      11           12           13          20      30
jek   duj  trin  deš    dešujek   dešuduj   dešutrin   biš     tranda
(手持ちの文法書には13がbišutrinとあったが、これは誤植だろう。勝手に直しておいた。)

他の方言にも見えるが、ロマニ語の30、trianda, trianta, trandaはギリシャ語からの借用だそうだ。

古典ギリシア語・アッティカ方言
1        2       3          10   11      12    13                        20        30
heis (m)  dyo   treis (m.w)   deka  endeka   dōdeka  treis kai deka (m,w)   eikosi   triakonta
mia (w)           tria (s)                                             tria kai deka (s)
hen (s)


現代ギリシア語
1         2       3         10       11        12            13                    20      30
enas (m)  dyo   tris (m,w)   deka   endeka  dodeka    dekatris (m,w)   ikosi   trianda
mia (w)             tria (s)                                            dekatria (s)
ena (s)


古典ギリシア語では13からは11、12とは語が別構造になっているのが面白い。それあってか現代ギリシャ語では11と12では一の位を先に言うのに13からは10の位が先に来ている。20と30はケルト語と同じく独立単語で、20(eikosiまたはikosi)は上で述べたブルトン語ugent、ラテン語のviginti、サンスクリットのviṃśatiと同じく印欧祖語の*h1wih1kmt または *h₁wih₁ḱm̥tiから発展してきた形である。

 あと、面白いのが前にも述べた(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』)バルカン半島の言語で、バルカン連語連合の中核ルーマニア語、アルバニア語では11から19までがone on ten, two on ten... nine on ten という構造になっているのである。

ルーマニア語
1       2      3    10    11                 12                13                20            30
unu   doi  trei  zece  unsprezece  doisprezece  treisprezece  douăzeci   treizeci


アルバニア語
1     2     3     10       11                  12                13                  20       30           40
një  dy   tre   dhjetë  njëmbëdhjetë  dymbëdhjetë  trembëdhjetë  njëzet  tridhjetë  dyzet


ブルガリア語
1              2           3    10       11              12              13              20            30
edin (m)   dva (m)   tri   deset  edinadeset  dvanadeset  trinadeset  dvadeset  trideset
edna (f)    dve (f,n)
edno (s)

11を表すルーマニア語のunsprezece、アルバニア語の njëmbëdhjetë、ブルガリア語のedinadesetはそれぞれun-spre-zece、 një-mbë-dhjetë、edi(n)-na-desetと分析でき、un、 një、edinは1、spre、 mbë、naは「~の上に」、zece 、dhjetë、desetが「10」で単語そのものは違うが造語のメカニズムが全く同じである。さらに実はブルガリア語ばかりでなくスラブ語派はバルカン外でも同じ仕組みになっているのだ。

ロシア語
1               2             3    10          11               12             13             20          30
odin (m)    dva (m,s)   tri   desjat’   odinnadcat’  dvenadcat’  trinadcat’  dvadcat’  tridcat’
odna (w)    dve (w)
odno (s)


クロアチア語・セルビア語
1                2           3   10       11             12          13          20            30
jedan,(m)   dva(m,s)  tri  deset  jedanaest  dvanaest  trinaest  dvadeset  trideset
jedna,(w)    dvije(w)
jedno(s)


ロシア語odin-na-dcat’、クロアチア語のjeda-na-estでもちょっと形が端折られていたりするが、one on tenという構造になっていることが見て取れるだろう。20、30は日本語と同じく「に+じゅう」「さん+じゅう」である。

 ここでやめようかとも思ったが、せっかくだからもうちょっと見てみると、11から19までで、1の位を先に言う言語が他にもかなりある。

アラビア語
1             2         3          10         11                 12              13                   20       30
wāḥid     iṯnān     ṯalāṯa    'ašara   aḥada 'ašara   iṯnā 'ašara   ṯalāṯata 'ašara  'išrūn   ṯalāṯūn

ヘブライ語
1            2          3        10       11               12               13               20       30
ekhad   šnaim   šoša   'esera   ekhadesreh  šteimesreh  šalošesreh  'esrim  šlošim
akhat    štaim   šaloš   'eser

アラビア語の「11」の頭についているaḥadaは一見「1」(wāḥid)と別単語のようだが、前者の語根أ ح د ‎('-ḥ-d)と後者の語根و ح د ‎(w-ḥ-d)は親戚でどちらもセム語祖語の*waḥad-から。ヘブライ語のאֶחָד ‎(ekhád)もここから来たそうだから意味はつながっている。アラビア語ではつまり11だけはちょっと古い形が残っているということだろうか。
 「11だけ形がちょっとイレギュラー」というのはインドネシア語もそうで、12からははっきり1と2に分析できるのに11だけ両形態素が融合している。

インドネシア語
1       2      3     10          11          12            13              20             30
satu  dua  tiga  sepuluh  sebelas  dua belas  tiga belas   dua puluh   tiga puluh

この11、sebelasという形はマレー語のsebelas起源、つまりここでも古い形が残っているという事だ。まさかアラビア語のマネをしたわけでもないだろうが。
 さらにコーカサスのグルジア語も1の位を先に言う。

グルジア語
1      2    3      10     11            12            13            20      30
erti  ori  sami   ati    tert-met'i    tor-met'i   za-met'i    ozi     ozda-ati

-met'iはmoreという意味の形態素だそうで、つまりグルジア語では11から19までを「1多い」「9多い」と表現していることになり、リトアニア語の「○余り構造」とそっくりだ。また、グルジア語も「20」という独立単語を使っていて30は「20と10」である。

 シンタクス構造が日本語と似ているとよく話題になるトルコ語は11~19で日本語のように10の位を先に言う。その点はさすがだが、20と30は残念ながら(?)日本語と違って独立単語である。20(yirmi)も30(otuz)もテュルク祖語からの古い形を踏襲した形なのだそうだ。

トルコ語
1      2     3    10   11     12     13        20      30
bir    iki   üç   on     on bir     on iki     on üç   yirmi    otuz

バスク語も10の位を先に言うようだ。能格言語という共通点があるのにグルジア語とは違っている。もっとも30は「20と10」で、これはグルジア語と同じである。

バスク語
1      2   3      10         11           12           13          20         30
bat   bi  hiru   hamar   hamaika   hamabi   hamahiru   hogei  hogeita hamar

こうして見ていくと「20」という独立単語を持っている言語は相当あるし、数詞という一つの体系のなかに新しく造語されて部分と古い形を引き継いだ部分が混在している。調べれば調べるほど面白くなってくる。今時こういう言い回しが若い人に通じるのかどうか不安だが、まさにスルメのように噛めば噛むほど味わいを増す感じ。数詞ネタでさかんに論文や本が書かれているのもわかる気がする。


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 先日やっと無償期間とやらが終了してくれたのでウィンドウズ10へのアップグレードがお金を払わなければパスできるようになった。あちこちから「やれやれ」という声が聞こえてくるのだが、これは私の周りだけなのだろうか。そもそも「金を払わなければパスできる」としか表現できないこと自体がすでにおかしい。普通なら「お金を払うからそれちょうだい」というはずだ。

 このウィンドウズ10というOS,一年ほど前からアップグレードを勧めるやたらとウザイ画面がパソコンに湧いてくるようになった。実は私はいまだに恐竜百万年時代のXPを使っているので私のパソコン自体は見捨てられていて、このポップアップ幽霊は出てこなかった。それまでは「そんなものもう捨てろよ」と馬鹿にされながらXPを使っていたのだが、まさか今頃になって「ああ、XPを使っていてよかった」などと思える日が来ようとは。対して家の者が使っているもう一台のほうは運悪く7搭載だったため「ウィンドウズ10のすすめ」がうるさかったのなんの。最初は単にウザイだけだったが、そのうちに文面が脅迫じみてきた。極めつけは最後の2ヶ月頃に登場し始めた必殺ポップアップで、「アップグレードをしますか、しませんか?」という選択肢ではなく、「いつアップグレードするんですか?今すぐですか、○日○時ですか?」という「イエス」か「はい」かの選択肢しかなくなった。しかもそこで×を押しても拒否したことにならず、水面下で密かにダウンロードが進行していて、その○日○時に突然全く身に覚えのないアップグレードが始まってパソコンが硬直するという恐怖。そしてアップグレード終了後は従来のソフトがいくつか使えなくなるという、ほとんどウイルスである。
 私はそういう話をネットや実話で聞いていたので、ある日うちでもとうとうその「今か○日か」という画面が現れた時パニックに陥った。聞けばアップグレードを無効にすることはできるし、運悪くアップグレードを食らってしまった後でもイヤならもとの7に戻せるそうだ。しかしその「無効にする」「7に戻す」操作をスラスラやれるほど私たちは機械に詳しくないのだ。それでも何とかアプグ拒否方法を(XPのパソコンで)ネット検索してやり方を覚えようとアタフタしていたら、7の持ち主はあっさりさるコンピューター雑誌のサイトからZwangs-Update-Killerとかいうプログラムをダウンロードしてきて10を阻止した。Zwangs-Update-Killerとは「強制アップデートキラー」という意味である。もの凄いネーミングだ。もうちょっとマイルドな名前にすることはできなかったのかとは思ったが、アメリカでもNever10という名前の阻止プログラムが出回っていたそうだからいい勝負だ。
 そのキラープログラムを走らせて見ると、すでに何GBかは10が侵入していたことがわかった。自覚症状はなくても保菌者ではあったわけだ、それにしても除去プログラムが出回るOSというのを見たのは私も初めてだ。

 この10騒ぎは日本のソーシャルメディアでも大きな話題になり、被害者の声が続出していた。止めてくれコールが起こる一方で、そういう一般ユーザーを批判する、というか罵る声もあった。要約すると「お前ら本当に無知だな。こうこうこうやればアプグくらい簡単に阻止できるんだよ。そんな操作もできない馬鹿がパソコンなんて使うなよ」という意見である。また、どこかの中小企業がいまだに7を使っていたため、アプグされて業務関係のプログラムが動かなくなったのを見て、「いやしくも企業ならそのくらいきちんとしとけよ」とセセラ笑う声もあった。
 『24.ベレンコ中尉亡命事件』でも述べたように私もその手のメンタリティは心の中に持っているのでわかるのだが、まあこういう人たちはたまにちょっと知っていることがあると鬼の首をとったような気になり、知らない人を馬鹿にしてみせてこちらが偉くなったような気分にひたりたいのだろう。普段の劣等感のはけ口だ。それが証拠にというとおかしいが、パソコンのサポートセンターの人とか大学の工学部の人、つまりプロの人たちは発言がずっと穏健で「こうすれば阻止できますよ」以上のことは言わなかったではないか。
 繰り返すが私はそういう、ここぞとばかり的な人たちの気持ち自体ははわかる。わかるのだが残念ながらここでの問題の本質は10の押しつけの阻止方法を知っているかいないかとか知っているオレ様は偉いとかいうことではないのだ。

 ドイツ語にgesundes Mißtrauen(ゲズンデス・ミストラウエン)、あるいはder gesunde Menschenverstand(デア・ゲズンデ・メンシェンフェアシュタント)という言葉がある。それぞれ「健全な不信感」、「人間の健全な理解の仕方」という意味だ。後者は辞書には「良識」とあるが、これだとちょっとニュアンスが違うようだ。Der gesunde Menschenverstandというのはもっと単純に普通の人が普通にする理解である。『27.ベンゾール環の原子構造』の項でも述べたように辞書の訳は時々意味がややずれていることがあるので注意を要する。
 さて、自分がまだよく知らないものを「ダンナ、これいいですよ、お安くしときますよ、買いなさい」といわれても普通はホイホイその場で買ったりせずに時間を置く。未知のものにはとりあえず警戒心をいだく。あまりうまい話を聞くと何か裏があるんじゃないかと一瞬怪しがる、こういうのが「健全な不信感」である。
 マイクロソフトはもちろんブラック企業などではないが、その目的は結局金儲けである。ましてやアメリカの企業というと特に利益優先、ペイしないことはやらないというイメージがある。それがタダで新しいOSを提供すると言い出したりすれば「健全な」神経を持った人は裏で何かたくらんでいるんじゃないかと疑心暗鬼になる。7や8をサポートするのはメンド臭いから全員に10にしてもらったほうが会社に好都合なのかな、などという疑念はまだ序の口、密かに個々のパソコンにトロイの木馬よろしく侵入し、顧客データを集めて内務省にでも売るつもりなのか、この先金を払わないとパソコンを使えないようにするぞという方向に事を持ってくるつもりなのかと本気で戦々恐々としている人だっていた。果ては「やっぱりマイクロソフトは怖い。今の7が死んだらLinuxにしよう」。
 会社側だって馬鹿じゃないのだから、新しいOSを強引に押し付けようとすればユーザーの相当数がこういう反応をするであろうことなど予想していたはずだ。それをあえてこういう戦略に出たのはどうしてだろう。「健全な不信感」は下手に健全なだけにしつこく心の中に巣食うのである。その意味で、「阻止方法を知っている偉いオレ様」連は問題の本質が見えていない。そもそもOSのアプグを拒否する方法を知っていることが自慢話になりうること自体異常だ。何も知らなければアプグされないのが普通ではないのか。

 もう一点「健全な」顧客が嫌がったのは「私が買ったのは7である。自分で納得して自分で選んで7を買った。10にするのだって自分で納得して自分で選択するのなら金くらい出すから今は放っておいてくれ」という事情を無視されたことだろう。ある意味では禁治産者扱いされているのだ。子供のころ、いや大人になってからでも自分でなんとかやろうとしているのに脇からやいのやいの頼みもしないのに口を挟まれたり手を出されたりして「うるさい!自分でやるから放っておいてくれ!」と怒鳴ったことなど誰にでもあるだろう。あの感覚である。こちらが金を出して何かを買うからには選択権はこちらにある、これが「人間の健全な理解」である。
 するとここでもオレ様が口を出し、「7を買ったんじゃないんだよ。7の使用権を買ったんだ。契約書にそうあるはずだ。だからいきなりOSをアプグされても文句は言えないはずなんだよ。わかってないなあ、馬鹿だなあ」。
 オレ様たちはgesundes Misstrauenをもつ人たちが契約書というもの一般に抱いている不信感をご存じないらしい。保険会社や旅行会社(の一部)が顧客が気づかないように契約書の隅に小さく重要な注意事項を記し、あとから顧客がクレームをつけてもこれを盾にとって「読まなかった馬鹿が悪い」と知らん顔をするなんてのは常套手段、いかにまずい点をボカして契約・商品の見てくれをよくするかというのが企業側の契約書作成者の腕の見せ所である。そういう煙に巻くプロを相手にしたら一般ユーザーには勝ち目などない。もちろんまさかマイクロソフトが意図的にそんなことをやるとは思えないが、これがユーザーの一般感情であろう。
 つまり契約書を一語一句検討しなかったユーザーを馬鹿扱いするオレ様たちは、ひょっとすると普段そういう仕事をしている人なのかな、日常的に人をハメて喜んでいるタイプの人たちなのかな、と「健全な」人たちはオレ様たちの人間性に対しても不信感をいだく。やはり自慢する時は素直に自慢だけにとどめておいたほうが良さそうだ。「オレは10の阻止方法を知ってるんだ、どうだ偉いだろう」とだけ言っておけば「わあ、凄いね。でも問題の本質はそこじゃないんだよね。」と自慢は一応受け止めてもらえるが、「オレは10の阻止方法を知っているんだ。知らないお前らは馬鹿だ」とか言ってしまうと「でも問題の本質はそんなとこじゃないんだよ。馬鹿はどっちだ」と、自慢が機能しないばかりか反対に罵倒がブーメランになって自分に跳ね返ってくるからだ。ペイしないとはまさにこのことだ。
 しかしここで勉強になったのは自慢の仕方よりもgesundes Misstrauenとder gesunde Menschenverstandというドイツ語の冠詞の使い方である。ネイティブ確認をとったところ、前者は冠詞なしだが、後者には冠詞がいるそうだ。「どうして?」と聞いたら「Misstrauenは砂糖とかといっしょでブワブワした存在だが、Menschenverstandは確固とした観念だから定冠詞がいるのだ」というブワブワした説明をされた。こういう部分はやっぱりネイティブにしかわからないのかも知れない。

 さて、この10騒動ではそのgesundes Misstrauen、der gesunde Menschenverstandのほかにも口に上った言い回しがある。Augen zu und durch(アウゲン・ツー・ウント・ドゥルヒ)というものだ。「眼を閉じて通り抜けろ」という意味で、なにか不愉快なこと、面倒なこと、嫌なことをやらなければいけなくなったとき、グジグジ考えたり、うろたえたり、立ち止まったりしないでとにかく最後まで堪えろ・やりぬけ、といいたいときに使う。
 例えばある法案を通したい政治家が、反対政党などの猛烈な攻撃が予想されて泥沼になりそうなとき、Augen zu und durchといって自分自身にハッパをかけたりするのである。英語ではこれをなんというのか調べてみたら、いくつか対応するイディオムがあるらしい。

Press on regardless!
Grit your teeth and get to it!
Take a deep breath and get to it!

 上述の待ったなしポップアップが初めて出現した時、上述の7の所有者は最初、「こうなったらこれから2ヶ月間はこのラップトップを使わないでアプグ期間終了まで堪えるしかないかな。苦しいけどAugen zu und durch」。それじゃまるで苦行僧じゃないか。なんで金を払ったほうがそんな苦労をしなければいけないんだ、と私が言いかけたら向こうもどうやら考え直したらしく、「このOS、迷惑がっている人がこんなにたくさんいるんだからコンピューター雑誌あたりがサービスとして何か対策を提供しているに違いない」と、専門雑誌のサイトに行き、そこで上述のOSキラーを見つけたのである。こういうのがder gesunde Menschenverstandである。

 それにしてもウィンドウズ10自体はよく出来たOSのようで、評判も悪くない。あんな押し売り行為さえしなければ皆速攻ではないにしろ結構すんなり10に変えていったはずだ。しかもその際お金を払ったはずだ。なぜあんな嫌われるようなことをわざわざやったのか、どうしても健全な理解ができない。会社のマネージャーは北風と太陽の話を知らないのか? それとも理解できない私たちはビョーキなのか?

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 ドイツで最も人気のあるマカロニウエスタンのスターは何と言っても先日亡くなったバッド・スペンサーではないだろうか。もちろん単なる知名度の点ではイーストウッドのほうが上だろうが「好かれている」という意味では圧倒的にスペンサーである。
 スペンサーはテレンス・ヒルと組んでコメディ路線のマカロニウエスタンにいくつも出演して大人気を博した。漫才でいうボケとツッコミと同じく、小柄な(といっても180cm身長があるが)ヒルが利口者、194cmあって縦にも横にもデカいスペンサーは典型的な「気は優しくて力持ち」(ドイツ語にもStarker Mann mit weichem Herzenというよく似た表現がある)、あまり頭は切れないがやたらと強い大男役だ。圧倒的に子供に好かれるタイプである。事実今でもドイツ人のおじさんおばさんたちは子供の頃夢中でバッド・スペンサーの映画を見たと懐かしそうに語る。おじさんばかりではない、ドイツのTVが放映する映画に困ると今でもすぐにこのご両人のマカロニウエスタンを垂れ流すためか、その子供の世代にまでガチのスペンサーファンがいる。誰かがスペンサーとヒルを「オリバー・ハーディ&スタン・ローレル以来最大のギャグコンビ」と名付けているのをみたこともある。マカロニウエスタンブームが去ったあともこのコンビでドタバタ喜劇がたくさん作られたのでこのコンビが並んでいるのをみるとパブロフの犬よろしく、まだ何もしていないうちから自動的に笑いがでるほどだ。

最強の喜劇コンビ。どちらもバルボーニの「風来坊シリーズ」(下記参照)から
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 この二人を『風来坊/花と夕陽とライフルと』(1970)や『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』(1971)で使ってヒットを飛ばしたのがエンツォ・バルボーニという監督である。それらの映画ではE.B.クラッチャーと名乗っていたが、レオーネの下でカメラマンをしていた人だ。その喜劇路線のマカロニウエスタンが有名になったため、この二人を最初に共演させたのはバルボーニだと誤解している人が多いが、実はスペンサー&ヒルのコンビで最初にマカロニ・ウェスタンを撮ったのはジュゼッペ・コリッツィという人である。脚本家出身の監督だ。コリッツィの映画は全然コメディでなく、シリアスな「普通の」マカロニ・ウェスタン。彼はDio perdona ... io no!(1967), I quattro dell'Ave Maria(1968)(『荒野の三悪党』), La collina degli stivali(1969)という三作のマカロニウエスタンを作っているが、その全作品で音楽を担当したのがなんとカルロ・ルスティケッリ。
 ところがその後スペンサー&ヒルが喜劇コンビとして世に定着してしまったためその初期の本来ハードな作品であったコリッツィの西部劇は喜劇に仕立て直して再公開された。まずタイトルを面白おかしいものに変更した上、銃撃戦などはカットし、(私の記憶によれば)シーケンスの順番を変えたりしてヒルがスペンサーに向かっていう軽い会話のシーンなどが強調され、無理矢理コメディということにされたのである。しかし元がシリアス路線のハードな西部劇なのだからいくらなんでもこれには無理がありすぎて、全然喜劇になっていないばかりか、ブチブチ切られているのでストーリーが飛んでしまっている。DVDでは両バージョンとも見られるが、ドイツ育ちで独・伊バイリンガルのテレンス・ヒルが自分で自分の吹き替えをしている。ニキ・ラウダやシュワルツェネッガー、あるいはベッケンバウアーには絶対しゃべれそうもないホレボレするほど美しい発音の標準ドイツ語である。
 スペンサーはさらにこれも前述のトニーノ・チェルヴィの『野獣暁に死す』にも出ている。仲代達也から拷問され、弾丸を食らった上刀で切られて大怪我をする凄まじい役で、これも全然コメディなどではない。なお、これにはヒルは出演していない。

 その、ボケ役にされてしまったバッド・スペンサーという人そのものはもちろん全然ボケなどではなく、カルロ・ペデルソーリCarlo Perdersoliというのが本名でもともと水泳の選手としてイタリアでスターだった。1952年、1956年のオリンピックに出場している。大学の法学部を「卒業した」とある。ドイツがそうなのでイタリアも多分そうだと思うのだが、大陸ヨーロッパの大学は日本のように時間決めでトコロテン卒業などできないから医学部や法学部を「卒業した」ということは医師の国家試験を取るか司法試験に通った、ということである。ドイツの大学の法学部に入り、卒業試験、つまり司法試験を取れなかったら大学資格とは見なされないから公式には「高卒」を名乗らなければいけない。試験前になるとノイローゼになる学生が続出するそうだ。
 で、卒業はしたものの故郷のナポリでは法律家としての職が見つからず、いろいろなところでいろいろな職についているうち、マリア・アマートさんという女性と結婚した。フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』などを手がけた伝説的プロデューサー、ジュセッペ・アマートの娘である。これがきっかけで映画入りしたそうだ。
 まあ言ってみればジョニー・ワイズミュラーのイタリア版である。そういえば以前もインタヴュー記事が新聞に出ていたが、「人生で一番大切なものは家庭だ。男は家庭という責任を背負ってやっと一人前になるのだ。それをしない奴は子供さ」と言っていた。このちょっと古風なところが、まさにイタリア男だ。
 バッド・スペンサーという芸名は、尊敬する俳優がスペンサー・トレイシーだったのと、バドワイザーのビールが好きだったのでバッド・スペンサーとしたとのことで、まあ相当いい加減な芸名である。上述のようにコリッツィの映画で初めてテレンス・ヒルと共演し、コンビで17もの映画を撮り、私生活でもヒルとは親友だったそうだ。

 スペンサーが亡くなった時はTVのニュースで大報道したし、追悼のために出演映画を流すところもあった。うちでとっている南ドイツ新聞にもその文芸欄をほとんど一面使ってスペンサー追悼の記事が出た。ドイツでの人気ぶりがわかろうというものである。さらにその号の別のところではテレンス・ヒルの記事も出て「相棒を失った悲しみ」を語っていた。

 スペンサーのドイツでの人気ぶりについては生前こんな出来事もあった。
 ドイツにシュベービッシュ・グミュントという小さな町がある。その町で1951年に水泳の国際大会が開かれた際、イタリア代表選手の一人がこのカルロ・ペデルソーリだった。100m自由形で優勝している。
 時は流れて2011年、市の郊外に立派なトンネルが開通した。工事中にはそのトンネルはいろいろ勝手に呼ばれていたが、市長はそのトンネルの名を正式に決めようとして、市民から提案してもらおうと、インターネットで名前を募集した。ところが私と思考回路が全く同じような人はどこの国にもいると見え、誰かが「バッド・スペンサー・トンネル」という提案をしたのである。1951年の出来事が頭にあったのは明白だ。
 そうしたら、ノリ易い人もやはり洋の東西を問わず多いと見え、「バッド・スペンサー・トンネル」という名前がダントツで一番票を取ってしまったのである。

 あわてたのは市長だ。「えーっと、トンネルの名前はあくまで地域に根ざした文化的な香りのする命名でなければ」とかしどろもどろでこの命名を拒否。つまり「いくらなんでもマカロニウエスタンのスターの名前なんかつけられません」というわけだ。
 納まらないのは市民である。始めから市民の声を聞く気がないならなんでインターネットで名前を募ったりしたんだよ、と暴動が起こりそうになったため(嘘)、市長は「トンネルにはその名前は無理だが、代わりに市営の屋外プールの名前を変更して「バッド・スペンサー・プール」にしましょう」という代案を出し、しかもその命名式にバッド・スペンサーをイタリアから呼んでしまったというから、この市長も結構ノリ易い、というかなかなかオツである。そうでもして懐柔しないとファンから袋叩きに会いそうな気がしたのかもしれない。

 もっともそうやってわざわざイタリアからマカロニウエスタンのスターをドイツに招待した市長も市長だが、呼ばれて外国のそんな田舎町に大喜びでやってきたバッド・スペンサーも相当なツワ者だ。そしてそういうことに税金を使われた市民も大喜びだったそうだ。ちなみに肝心のトンネルの名前はGmünder Eichhorn-Tunnel(グミュント・リストンネル)という名前に落ち着いたとのことである。どうしてここでリスが出てくるのかわからない。これが「文化的な香り」なのか、このあたりには何か珍しいリスでも生息しているのか。それともこのEichhorn(アイヒホルン)というのは人名か何かなのだろうか?

トンネルを「バッド・スペンサーと名付けろ!」とデモを起こした怒れる(?)若者たち。
http://www.spiegel.de/から

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「バッド・スペンサー・プール」を紹介する市の公式サイトはこちら


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。

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